はてなキーワード: バスク語とは
ラモーッス
本日は世界ニホンザルの日、国際障害者デー、国際バスク語の日、カレンダーの日、奇術の日、妻の日、みかんの日となっております。
自分自身の機能が衰えてくると、段差一つですらしんどくなってくることがあります。
とはいえ、多分その一段をちゃんと意識して足を上げることがまだ運動能力を持っている身体にとって大事であって、しんどいからといってめんどくさがってはいけないのだろうなぁと思います。
ですが、坂を上るのもそれはそれでしんどいので、スロープ等を利用して無理なく運動をし続けるのが必要なのかもしれません。
というかまぁ、動かせる筋肉をちゃんと動かしとかないと衰えるので、柔軟体操などは大事だなぁって書こうとしてたらこんな時間です。
ということで本日は【運動前の柔軟よいか】でいきたいと思います。
そうじゃないという人は認識が間違っている。
あの青い空; zeru urdin hori( バスク語 by Google翻訳)
@ForwardBluesky
返信先:
@ishizakipampam
さん
女性カップルがドナーから精子の提供を受け出産・子育てをされている場合もありますし、男性カップルが代理出産・特別賞支援組・里親などで子育てをされている場合もあるようです。生殖可能性がないのでしょうか?
石埼学
@ishizakipampam
8時間
返信先:
@ForwardBluesky
さん
里親や養子であれば婚姻・家族ではなく非営利法人類似の枠でいいのでは
石埼学
@ishizakipampam
8時間
返信先:
@ForwardBluesky
さん
青い空; zeru urdin hori( バスク語 by Google翻訳)
@ForwardBluesky
6時間
返信先:
@ishizakipampam
さん
「不妊の人を助けたいという動機から志望する代理母もいる。妊娠出産という経験を素晴らしいものと考えていて、それ自体から幸福感を得ている代理母も多いという。」だそうです。
(老人の発想)
代理母という人身売買を幸せだからという理由では認められない。
何が書いてあるか、誰が書いているか、の違いか|文学作品ならそら後者やろうけど、技術書や理論論文で後者重視したら権威主義への傾倒でしかないな
いや、文学研究でも「何が書いてあるか」です(「何が書いてあるか」を解釈する上で「誰が書いたか」という情報が必要な場合があるだけ)。たとえば、ピケティが英語で書いた論文なら英語から訳すべきで、ピケティがフランス人だからといってフランス語から重訳するのはおかしい。逆に、仮に著者がイギリス人でも、フランス語で書かれた本ならフランス語から訳すべき、そういう話です。文系が大事にしているのは「文章それ自体」であって、文章それ自体を忠実に原語から訳すことが重要である、というのが文系の考え方。
(だって、「オリジナルの文章」こそが我々にとっての生データですからね。もちろん完全にオリジナルなのは難しい場合が多いけど、なるべくオリジナルに近づける努力をすることは必要で、原文にあたるのはその基礎的な作業であって学部生とかの未熟な人でない限りは省くべきではないプロセスですよね、ってこと)
さえぼう氏側は「間違いが起こり得る」としか言わず、具体的にどこが「間違いだった」という指摘がないから、屋上屋を架す空論でしかない。具体的に誤訳だったという指摘、出版から随分経つけど今までにあった?
これはもう「具体的に間違いがあるから問題だ」ではなくて「重訳なのがけしからん」という話なので……具体的な実害の問題じゃなくて規範の話をしてるんですよね。ただ、その規範が他の分野の人たちに受け入れられていない、という状況。
たとえば増田は、ちょっとマニアックな事柄についての論文を有名な査読誌に投稿したことがあるんですけど、「よく調べてあるけど学術的インパクトが足りない(要は面白くない)。却下」という趣旨のやり取りを何度かして、もういっか、めんどいから載るとこに載せよ、って思って当時所属してた機関の紀要に無査読の論文書いたことがあるんですよ。業績欄には当然その論文を載っけてます(もちろん査読の有無は明記した上で)。で、この論文が形式上査読なしであることに特段の問題はないですよね。だって研究結果が間違ってるわけじゃないもの。ただ有名な雑誌に載るほど面白くないだけ。それでも、論文には査読がついていて当然、という人たちは「いや、査読なしだと間違った論文が載るリスクがあって、だから査読がないものは論文と認めるべきではなく……」って言いたくなるんじゃないですか? 「重訳だと誤訳のリスクが……」ってのもそういうことですよ。
物理学そのものではないですけど、いちおう、文系には科学史という分野もあり、そこでは物理学の歴史について原語を使った研究がされてます。たとえば、 isbn:4486021746 なんかは、ソ連時代の物理学をめぐる論争について研究した本で、がっつりロシア語の文献を読み込んでます(ネットで読める論文だと、DOI: 10.34336/jhsj.47.248_193とか)。外国の学者が書いたこの本 isbn:4815808090 も、英語以外の文献も読んでたような(この本は面白いので超オススメです)。アインシュタインはドイツ語で相対性理論の論文を書いたわけですからね(DOI: 10.1002/andp.19053221004)。もちろん、繰り返すようにこれらはあくまで「物理学を対象とした文系の学問」であって、物理学そのものではないので、「物理学では基本的に英語版からの翻訳」というのはそうなんだろうなぁ、と思いますが。
これ、医学系が人文系にIF要求するような無理筋を感じる 読者がやるのはピケティの研究じゃなくてピケティを踏まえた研究では
これメチャクチャ思いました。過去の査読云々の論争を思い出しちゃいましたよ( anond:20181009070341 とか、 anond:20181011090428 とか、このへんの話ね)。「翻訳するときは原典から訳すのが当然だろ!」「いや、別に重訳でも意味が取れてればそれでいいじゃん……」「出版のスピード感も大事だし……」っていうやり取り、まんま過去の「論文は全部査読するのが当然だろ!」「ええ、別に無査読で載せても、後続の論文でしっかり吟味されてればそれでいいじゃん……」「出版のスピード感も大事だし……」っていうやり取りとソックリというか。増田は「なんで原典にあたるという当然のことを重要視しないんだろう……」って思っちゃうんですけど、理系や経済学の人たちも「なんで査読という当然のことを重要視しないんだろう……」って思ってたわけですよね。まあだから、あんまり自分野の基準で他分野にケチつけるのはよろしくないなぁと、自戒を込めて。
増田に書いたことは原文ママじゃなくて要約です。当たり前でしょ……(ほんとはきちんと細かく落とす理由を書いてあったけど自分の専門分野も出した雑誌の名前も言いたくない)。まあ「大意」とか「趣旨」とか書いておくべきだったかもしれないけど流石にこの文面見たら要約だとわかるっしょ? って思ったんですけど伝わらない人もいるんだなぁと新鮮な驚きを感じたので「趣旨」って付け足しておきましたわ。要約を鉤括弧で括ったこちらにも非はあるし。
だから丁寧に「有名な査読誌に出して面白くないからと蹴られた」話をしたんですけど伝わりませんでした? 間違いがあるとかじゃなくて、マニアックすぎてうちの雑誌に載せるには面白くない、っていう理由で却下されたんですよ。まさかそこに引っかかる人が出てくるとは。ちゃんと経緯は書いてあるでしょ。
でもまあ、反射で「査読ついてないなんてけしからん」って思っちゃうってことですよね。重訳もそういうことです。反射で「直訳しないなんてけしからん」って思っちゃう、っていう話。
わざと言ってます? それとも本当に読めてない? 「よく調べてあるけど」と前置きしたでしょ? 研究成果それ自体への疑義は査読者からは呈されていません。むしろ称賛されてます。その上で面白くないから書き直せってやり取りを何度もしたの(再投稿を可とするリジェクトだった)。何度か書き直して、ああこれは先方が求める「面白さ」と増田がこの研究に感じている「面白さ」が噛み合うことはないな、と思ったので再投稿せずに無査読紀要に載せることにしました。自分にとっては自明なことなので説明不足になっていたきらいはあり、そこは申し訳ないけど、もとの文章ちゃんと読んでくれませんか?
だいたい、研究成果の正しさはディジタルじゃなくて、「部分的には正しいが、しかし……」みたいにグラデーションがあるものでしょ。査読で100%の正しさが保証されると考えているならそれは大間違いですよ。増田の研究だって、研究手法と結論的に「正しいか、間違いか」なんてディジタルに言えるような研究じゃないっす。なので査読で「間違いだとわかる」なんてこともほぼあり得ない(資料の読解間違いとかはあるかもしれないけど、増田の論文が総体として「間違い」であることを示すには増田の論文と同程度以上の調査をし論文を書く必要があるんで、普通の査読じゃ「間違い」とか言えないはず。関連する資料を全部諳んじてる大家なら別だけど)。
そもそもピケティ先生は狭い学術ギルド内論文として書いたんじゃなく経世済民の書として世に問うたわけだから増田の話(や一部ブコメ)は大分ズレてるのでは。例えば「翻訳とか無駄で原本を参照汁」的な暴論との文字数
学術業界だけじゃなくて、一般書の方でも最近は「原語から訳すべき」という流れが定着しつつあったじゃないすか。スタニスワフ・レムも昔はロシア語からの重訳だったけどポーランド語からの新訳が出てるし、昔はフランス語経由で訳されてたイスマイル・カダレも今はアルバニア語から訳されてるし、バスク語やチベット語やイディッシュ語の文学が翻訳されてきたでしょう? そういう流れが出てきてたのに有名なフランス語の本を英語から重訳するなんて、というショックは当然ありますよ(だから私は『三体』も相当ガッカリしましたよ。中国語版には検閲が入ってる、と聞いて納得したけど。エーレンデュル捜査官シリーズの方は、重訳自体はもう仕方ないけど、頼む~~~せめて著者の名前がおかしいのくらいはどうにかしてくれ~~~って感じ。重訳のせいで著者の名前すらおかしな表記がされてるんですよね……)。時代を巻き戻す気か、と反射で思っちゃうのも無理はないです。
エグッベリオンーッス
本日は国際障害者デー、国際バスク語の日、日本ではカレンダーの日、奇術の日、妻の日、みかんの日となっております。
あ、あと1.2.3に掛けた何かしらがあるんじゃないですかね、多分。
障害者デーということで色々書こうかなぁと思いましたが、簡潔に書けるものとしては『やれる気力がある人がやるしかない』って事ですね。
流石に道端に車椅子に乗った人が倒れてたら声掛けぐらいはしてやれとは思いますけど。
ここで「持ち上げてやれ」とか「なんか色々してやれ」って書かないのは力があったり、その方面への知識がある人がやれる領域ですからね。
声かけて救急呼ばなきゃいけないなら救急呼ぶ、それが出来たら上出来でいいじゃないですか、
まぁ普通に倒れてる人が居た場合でもそんな感じで良いんですけどね。
ということで本日は【緊急時の対応よいか】でいきたいと思います。
5分でわかるカタルーニャ問題の増田です。すごい伸びててビックリしました。増田でブクマ四桁行ったのなんて初めてです。みんなカタルーニャに興味あるんやな……!
https://anond.hatelabo.jp/20170910082231
ということで、補足説明の補足に来ました。
sgo2 東京が税金が地方にばら撒かれるのはうんざりだから独立する!と言ったら他県民がどう思うか考えれば、スペイン中央政府が辛辣なのも多少は理解できるかと。(その辺差し引いても愚行とは思うが)
その喩えでいうなら、東京はたくさん税金を払っているのになかなか高速道路は作られないし老朽化した鉄道しか走っていない、しかもどちらも他の地方では整備されているのに、という状況なんですよね(近郊電車整備計画の実施率はマドリードがほぼ100%、バルセロナでは10%以下)。
さらに、法律では介護費用は中央政府と自治州が均等に負担することになっているのですが、2014年度のカタルーニャ自治州の拠出額は9億ユーロを超えるのに対して中央政府は2億ユーロ弱。2015年度のカタルーニャへの文化予算は凍結されたのですがプラド美術館への予算は増額。最も視聴率の高いカタルーニャ語TV放送局も廃止対象として名前が挙がっています(この辺、詳しくは参考文献にある奥野良知「カタルーニャでなぜ独立主義が高まっているのか?」38~40ページを参照してください)。
仮に日本でこんなことされたら都民が怒っても許されるのではないかと。
mahal しかし徴税権の上前問題、ぶっちゃけバレンシアやラマンチャ、アンダルシア辺りから見ても「ヤツら俺らより金持ってるやんけ」みたいな感情とかはありそうなのが、また難しそうな。
実は2006年のカタルーニャ自治州新自治憲章は、中央政府だけではなく、ムルシア、ラ・リオハ、アラゴン、バレンシア、バレアレス諸島の5自治州からも違憲だとして提訴されています。ムルシア自治州とラ・リオハ自治州はご承知の通り1県だけで1自治州を構成しているところで、何やら思うところがあったのかもしれません。バレンシア自治州とバレアレス諸島自治州というカタルーニャ語圏に属する自治州から提訴されてるのは、カタルーニャ自治州の独立運動が単純に言語だけに根ざしたものではないことの証明といえそうです。アラゴン自治州は州内にアラゴン語という少数言語を抱えていますが非常に規模が小さく、むしろカタルーニャとの州境沿いに広がるカタルーニャ語の勢力の方が強い州ですね(州としての多数派言語はスペイン語)。要するにカタルーニャは隣接する全ての自治州から違憲だと訴えられてることになるわけで、ご指摘のような要素は間違いなくあるだろうなと。
shoot_c_na こういうアプローチだとカタルーニャ可哀想だろうが、視点変えたら「貧乏人の面倒をもう押し付けられたくない。中央が取り立てるから習い事が続けられない」にもなるので、憤る前に深呼吸した方がいい
スペイン語という習い事をカタルーニャ人に押し付けているのはスペイン政府の側なのですがそれは。
スペイン語を「学ぶのが当然」、カタルーニャ語を「地方でしか通じない特殊な言語で学ぶ必要は特にない」扱いする態度こそがカタルーニャ人の怒りを買ってきたわけで。
IkaMaru そこまで経済力のある地方を懐柔するのでなく抑圧して怒りを買うって、善悪を別にしても政治そのものがヘタクソすぎないか
これはもう統治技法の問題じゃなくて、国民党(や市民党)からしてみたら国家のあり方の根幹に関わる問題なので、妥協できないんだろうなーと思います。彼らからすれば憲法を無視し国家の統一を破壊する暴挙を阻止しようと懸命なのでしょう。
ていうか、スペイン中央ではけっこう反カタルーニャの雰囲気が強いんですね。彼らにはカタルーニャの要求が反スペイン的なものに見えていて、カタルーニャへの反感が政治家だけでなく市民レベルでも見られるっぽいんです。正直それがどの程度「ふつうの市民」の感覚を反映しているかは疑問ではありますが、与党・国民党の台頭にあわせてそういう風潮も増大したとか。
もちろんカタルーニャ側もけっこう強引なことをやってたりするんですが、それでもカタルーニャの民意をそれなりに反映しているわけです。独立派+独立するかどうかは別にして住民の声を聞くべきだよね派で議会のかなりの数を占めていますし。ところがマドリードの側は「一部の煽動政治家によって国家分裂が試みられている」という認識なんですね。これは話通じませんわ。
あと、分離独立ということで、カタルーニャ独立運動をフランスの国民戦線みたいな国粋主義的・排外主義的運動だと誤解する人も結構います。実際には既に指摘したように移民の出自で独立に賛成している人も大勢いますし、普段スペイン語で生活してる人の中にも独立派がいますし、そもそもカタルーニャを独自のネーションと認めないのってスペイン国粋主義以外の何物でもないと思うんですが。カタルーニャに移住した子どもが無理やりカタルーニャ語を学ばされている! と憤るスペイン人も多いようです。自分たちがカタルーニャの子どもにスペイン語を学ばせていることは気にならないみたいですね。
以下のような体験をした人もいて、割とナチュラルにカタルーニャ人のことを下に見てるカスティーリャ人って多いんだろうなぁと。
マドリーに住んでる子にちょっとカタラン少しだけ勉強してみようかなって言ったら「スペイン語に集中して。カタランはそこでしか話されてないから」的な返信来てあぁ〜!!これが噂に聞いていたスペインの多様性!!(褒めてない)という感動 castellanoのことをespañolと書いてるし— さいか@バルセロナ (@sik15esp) 2017年9月10日
これに関して、「みんながカタルーニャのこと悪く言うけど、実際に住んでみたら全然違うじゃん!」という内容の動画がようつべで人気になってたみたいです(上で挙げた論文の注9で紹介されています)。
https://www.youtube.com/watch?v=M14ebPJ-AtM
atahara なぜそんなにカタルーニャには、民族的アイデンティティがあるのか?という辺りに興味がある。例えばフランスも強力に言語を統一して、国を維持してるよね。イギリスはスペインよりうまくいってないし。
いや、フランスもバッチリ少数言語のアイデンティティは残ってますよ。公用語としての地位こそないですが、オクシタンでは地名の二言語表記なんかもされるようになってますし、フランス領バスクではバスク語が話されていますし、ブルターニュではブレイス語を公用語にしようという主張が昔からあります。そしてコルシカ島では第2次世界大戦後に分離独立主義者のテロが絶えなかった時期がありました。かつて少数言語絶対認めないマンとして有名だったフランスですら、最近は地域語の存在を徐々に認めるようになってきてます(まあ、それでも地域公用語にすら指定してなかったりするので、かつての面影は健在というか)。
ちなみに欧州の少数言語はWikipedia作りが盛んで、バスク語やオック語などの有名どころだけじゃなく、コルシカ語版(https://co.wikipedia.org/wiki/Pagina_maestra)やピカルディ語版(https://pcd.wikipedia.org/wiki/Accueul)のWikipediaも作られてますね。
参考文献はこちらです。
stet "逆に言えば、それ以外の言語を使う「義務」を州が課すことは違憲"ここの論理がおかしいと思った。後段を見ても「それ以外の言語のみを「義務」とする」のが違憲ということでは。
私もこの辺の法律論争は詳しくないので、具体的にどういう理屈で違憲とされたのかは参考文献で挙げた『現代スペインの諸相』を見てほしいのですが、たぶんこれは「知る義務」との兼ね合いじゃなくて「使う権利」の方に引っかかってるんだと思います。「カタルーニャ語を使う義務」があったとしたら、それは「スペイン語を使う権利が侵されている」ということになりますよね。
anus3710223 仮に独立した際、ビルバオの処置は如何に/いいまとめ。元々カタルーニャには興味あったので、参考文献読んでみたい。
mrescape 独立したらリーガのバルセロナとかビルバオも脱退なのか?それだけはやめてほしい。アメリカのMLSにもカナダのチームあるよね?そんなイメージで
ビルバオはバスク自治州のチームなので、今回の住民投票でカタルーニャが独立宣言しても問題なくリーガ・エスパニョーラには残れますね……。バルサに関しては、スペイン側が「リーガには参加できない」と言明してたような。カタルーニャ共和国リーグを作るか、あるいはリーグ・アンに参加するか、になるんじゃないかと思います(https://www.soccer-king.jp/news/world/esp/20151028/364245.html)。まあ、もしリーガ側が計算高ければ、独立が確定して覆せなくなった段階で残留してもいいとか言い出す可能性もありますけど。
gomaaji バスクはかなりの自治権を認められて停戦したのかなとぼんやり思ってたが、これを読むとバスクも自治権なさそうで、あちらの解説もお願いしたい。
が詳しく説明してくれているので、ぜひ読みましょう。かなりオススメです。
yogasa 権限委譲をしてしまっているのと教育なのかな。それと比べると本邦はおおよそ全ての国民が47都道府県単一民族と思ってるだろうし統治に成功しているんだなあ
いやだなあ、日本にもあるじゃないですか。選挙で示された県民の民意が中央政府にガン無視され続け、県民の怒りを逆撫でするような政策・発言ばっかりされている、独自の文化と歴史を持つ県が。
「5分じゃ読めない」って反応だらけだったの何なの!? ちゃんと5分でわかるまとめパートと補足説明パートは分けてたでしょ!? はてな民、読解力だけは信じてたのにがっかりだよ!1!!!
このへんの話。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170907/k10011129891000.html
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20170908/p2
事情に詳しくない人からすると「なんでそんなにカタルーニャは熱くなってるの?」って感じだろうと思うので、簡単に解説したあとで補足説明をつけます。
背景を説明するためには、時代をいっきに40年ほどさかのぼる必要があります。
1975年に、スペイン総統フランシスコ・フランコが亡くなりました。その結果スペインは王政復古し、現国王の父であり当時国王だったフアン・カルロス1世のもとで民主化への道を歩んでいくことになります。この王様、退位前の数年間はひどく評判が悪かったんですが、民主化に反対する軍将校が起こしたクーデターを鎮圧したことで即位直後は民主化の守護者としてたいそう人気がありました。ちなみに現国王のフェリペ6世は当時10歳にもならない子供だったので深夜に行われた国王とクーデター首謀者との会談の席ではおねむだったのですが、船を漕ぐたびに「おまえは王様になるんだから王様のつとめをよく見ておきなさい」と父君に優しく揺り起こされていたそうです。なにそれ萌える。
閑話休題。このフランコ政権ですが、典型的な「スペインは単一民族国家だもん!」派の政権でした。彼が在世中はカタルーニャ語やバスク語をおおやけの場で用いることはひどく抑圧され、内戦前のカタルーニャ州政府首脳陣は殺されるか投獄されるか亡命するかという感じでした。そのフランコが死んだことで、亡命州政府のトップがスペインに帰国し、民主化が進展します。このとき、フランコ体制下で抑圧されてきた「スペインは多民族国家になるべきだもん!」派が一気に声をあげはじめます。
(ここでいう「民族」ってのは、英語のネーションにあたる、スペイン語のnación、カタルーニャ語のnacióのことで、「自分で国を作れる権利や能力のある集団」みたいな感じなんですよね……うまく説明できないんですが。なので移民とかは勘定に入れてません。この文脈だと「国民」と訳した方がいいのかも。「スペインは単一民族国家だよ」というのは「スペインにいるのは『スペイン国民』だけであり、カタルーニャ人もバスク人もひとしく『スペイン国民』だよ」ということで、カタルーニャ人たちは「スペインには『カタルーニャ国民』や『バスク国民』もいるんだ」と主張してるわけですね)
民主化したからにはちゃんと民主的な憲法を作らないといけませんが、これが紛糾します。単一民族国家というのはフランコだけの思想ではなく、熱心なスペイン・ナショナリストはフランコ死後も消えてなくなりはしなかったわけです。彼らは頑強にスペインの統一、つまりスペインが単一民族国家であることを守ろうとします。一方でこれまでさんざん煮え湯を飲まされてきた地方の側もそれでは収まりません。そんななか、妥協として制定されたのが1978年憲法でした。条文の英訳をウィキソースからコピペします。
Section 2
The Constitution is based on the indissoluble unity of the Spanish Nation, the common and indivisible homeland of all Spaniards; it recognises and guarantees the right to selfgovernment of the nationalities and regions of which it is composed and the solidarity among them all.
太字にしたところはテストに出るので覚えておいてください。ここではスペインがひとつのネーションからなり、不可分であること、そしてネーションの他にいくつものナショナリティが存在することが謳われています。ナショナリティっていわれると普通は「国籍」って意味なんですが、この文脈では「準ネーション」みたいな意味だと思ってください。つまり、ネーションはひとつしかないけど、準ネーションっぽいものはいくつもあるよ! ってことですね。
(ところで、この憲法からもわかる通り、スペインは連邦制国家ではありません。連邦制かと見紛うばかりに地方に権限委譲がなされてはいますが、それでも「連邦制=国の集まり」ではなく「スペインは不可分のひとつの国!」ということになっているのです。これを専門用語で「自治州国家体制」といいます)
この憲法にのっとってカタルーニャは自治州の地位を得、フランコ体制下で迫害されていたカタルーニャ語を復活させるための政策に着手します(これを「言語正常化」といいます)。使用が弾圧されただけでなく、工業化が進む中でスペインの他地方からの移民が来て、カタルーニャ語を解さない州民が増えていたのです。また、なにせ相手は数億人の使用人口を誇る言語ですから、話者数数百万人のカタルーニャ語など放っておいたら自然淘汰されてしまいかねません。州政府は公教育にカタルーニャ語を導入し、様々な場面でカタルーニャ語使用を義務づけ、カタルーニャ語の使用に助成金を出し、結果として今ではほとんどの州民がカタルーニャ語とスペイン語の見事なバイリンガルに育つようになっています。
(助成金は、たとえばパソコンのOSのカタルーニャ語訳とかに出されています。数億人が使ってるスペイン語は経済的にペイするのですぐに翻訳されて、なおかつ州民はみんなスペイン語ができるので、放っておくとみんなそっちを使っちゃうんですよね……)
ところでこの憲法、実はもうひとつトラップがあります。それは公用語について定めた条文です。
Section 3
C1. Castilian is the official Spanish language of the State. All Spaniards have the duty to know it and the right to use it.
C2. The other Spanish languages shall also be official in the respective Self-governing Communities in accordance with their Statutes.
C3. The wealth of the different linguistic forms of Spain is a cultural heritage which shall be especially respected and protected.
そう、カスティーリャ語(つまりスペイン語)は、スペイン市民(たとえバスク人やカタルーニャ人であっても)にとって知る「義務」があり、使う「権利」がある唯一の言語なのです。逆に言えば、それ以外の言語を使う「義務」を州が課すことは違憲になります。
この時点で、たとえばカタルーニャ州が州内の教育をカタルーニャ語だけで行おうとしたら違憲です。カタルーニャ州が州民に高度なバイリンガル教育を施しているのは、理想が高いのではなくそうせざるを得ないということです。またカタルーニャ州の言語政策も、たとえば「お店のメニューにカタルーニャ語を使う義務」「商品のラベルにカタルーニャ語を使う義務」「企業の広報活動でカタルーニャ語を使う義務」といったものを法で定めたりしていますが、これは個々人に対する義務ではないのでギリギリ合憲ということになっています。なっているはずでした。
ところで、カタルーニャも極楽ではなく、何をするにも先立つものがいることには変わりありません。つまりお金です。ところが、スペインの自治州には基本的に徴税権がありません。バスク自治州とナバラ自治州には歴史的な事情(ありていに言うとスペイン継承戦争で官軍についた)によって徴税権があり、その一部を国庫に納入していますが、カタルーニャはあくまで国が徴税して配分するお金を受け取る立場です。そしてカタルーニャはスペイン全体でみても豊かな地域であり、多くの税金がカタルーニャから徴収され、多額の税金がカタルーニャに還元されています。
しかし、その収支が赤字だということが大問題なのです。カタルーニャから徴収される税金は、カタルーニャに交付されたり還元されたりする際に8%ほど目減りしています。しかも、これだけ払っていながらもインフラ整備は後回しにされているのです。カタルーニャだけ高速道路は有料で列車の老朽化も放置、EUから勧告されたカタルーニャの高速道路整備も中央政府は拒否っておきながらマドリードなどカスティーリャのインフラはしっかり整備しています。他州より高く払っているのに他州より低いサービスしか受けられないのは何事だと、カタルーニャ州民が怒るのももっともです。
こうした状況を受け、2000年代に入ると自治憲章(要するに自治州の憲法ですね)改正の動きが活発化します。自治州議会は、徴税権やカタルーニャがネーション(nació)であることを盛り込んだ憲章草案を可決しますが、中央政府(当時は左派の社会労働党)との交渉で徴税権は削られ(かわりに公平な交付金の支給を約束。結局実施されてませんけど)ネーション条項は前文のみ。妥協のすえ2006年にようやくスペイン国会を通過して新自治憲章が成立します。
これに待ったをかけたのが国民党(現・与党)です。彼らからしてみれば、「一地方の自治権強化はスペインの統一に反する」というわけですね。彼らはこの自治憲章が憲法違反だと憲法裁判所に提訴、これに対抗してカタルーニャではデモが盛り上がり、「我々には自決権がある」という主張が登場します。そして2010年、憲法裁判所は自治憲章の多くの条文に違憲判決を下しました。しかもその判決は、これまでカタルーニャが行ってきた自治権強化政策を否定し、自治権をより縮小する方向のものでした。カタルーニャ語を行政において優先させる規定は違憲となり、カタルーニャをネーションとした前文は、スペインにおいてネーションはただひとつとして法的拘束力はないとされたのです。そしてこの違憲判決に基づいて、カタルーニャの学校ではスペイン語で教えるべし、という判決も出されました。
ここまで妥協しても憲法違反になるのか……という絶望が、一気に民意を独立へと傾けていきます。それまで20%前後を行ったり来たりしていた独立への支持率が、この違憲判決を境に一気に30%を超え、2013年には60%に達しました。今の憲法がある限り、スペイン国家に留まっている限り、カタルーニャは自由にはなれない、と多くの人びとが考えるようになったのです。移民の子孫だってカタルーニャに暮らしているわけですから独立に傾きます。
2014年、カタルーニャ自治州は「法的拘束力のない」住民投票の実施を計画しますが、違憲とされて差し止めが命じられました(提訴したのはもちろん中央政府です)。じゃあ非公式の模擬投票やろうぜ、と言ったらそれも違憲とされて差し止め命令が出されます(模擬投票も認めないなんて表現の自由に対する攻撃だと国際的に抗議が殺到した模様)。結局自治州は非公式の投票を決行しましたが、中央政府は憲法違反の投票を強行したとして当時の州首相らを刑事裁判にかけます。ちなみに裁判期日として指定されたのは、フランコ政権によって内戦前最後のカタルーニャ自治政府首相が銃殺された日でした。煽り力高い。州首相だけでなく州議会議長まで訴追するよう憲法裁判所は命じています。民主主義とは。
このような国民党政府の対応が火に油を注ぐ結果となり、今回の住民投票実施に至るわけですが、この期に及んでなお国民党は「カタルーニャ自治州に毎週会計報告を義務付け、違反した場合は交付金を停止する」と表明したり(http://www.pressdigitaljapan.es/texto-diario/mostrar/775503/)、プッチダモン州首相を訴追する準備を進めていたりして(http://www.politico.eu/article/catalonia-independence-referendum-spain-the-carles-puigdemont-factor/)、まあある意味通常運転です。「やっぱスペイン国家の枠内では自治権保証されないじゃん……」とカタルーニャ人に思わせるだけの簡単なお仕事。こうして着々と独立に向けたフラグが立っていくのでした。
スペイン政府はオプションとしてカタルーニャ自治州政府の停止も視野に入れているという報道があります。根拠となるのはスペイン憲法155条です。
Section 155
1. If a Self-governing Community does not fulfil the obligations imposed upon it by the Constitution or other laws, or acts in a way that is seriously prejudicial to the general interest of Spain, the Government, after having lodged a complaint with the President of the Self-governing Community and failed to receive satisfaction therefore, may, following approval granted by the overall majority of the Senate, take all measures necessary to compel the Community to meet said obligations, or to protect the abovementioned general interest.
2. With a view to implementing the measures provided for in the foregoing paragraph, the Government may issue instructions to all the authorities of the Self-governing Communities.
ぶっちゃけこのオプションが採られた場合投票は物理的にはできなくなるでしょうが、まあスペイン国家とスペイン憲法へのヘイトをためるには十分すぎるほどなので、余計に独立への意志を強めるだけですよね……という辺りが現状言えることです。部外者としてはワクテカが止まらない祭り出来事ですが、楽しむためには背景知識が必要だろうと野暮を承知で解説してみました。部屋を明るくして画面から離れて住民投票をお楽しみください。
そもそもなんでカタルーニャがスペインの一部になってるの? とか、カタルーニャの栄光時代はいつだよ……ジャウマ1世の時か? とかの疑問が湧いてきた時にオススメです。住民投票は……住民投票は今なんだよ!
エスパドリーユ(フランス語: Espadrilles, 発音 : [ES-PUH-dril] )は、ピレネー山脈に起源を持つ靴。
一般的に上部は帆布(カンバス)や木綿布でできており、靴底は柔軟なジュート縄でできている。
足首部分にはしばしばレース飾りが施される。エスパドリーユを定義づける要素はジュート縄(黄麻)の靴底であり、
espadrille(エスパドリーユ)はフランス語の単語であるが、カタルーニャ語でエスパドリーユを表すespardenya(アスパルデーニャ)に
由来する。スペイン語ではalpargata(アルパルガタ)、バスク語ではespartina(エスパルティナ)と表記する。
地中海地方にはロープを作るための丈夫でしなやかなエスパルト(カタルーニャ語ではアスパルト)という繊維があり、カタルーニャ語の
アスパルデーニャとはこの繊維という生地から作る靴を意味する。カナダのケベック州でespadrilleという単語は、ジュート製の
サンダルではなくランニングシューズやジョギングシューズを指す。
南アジアのバングラデシュは高品質ジュート繊維の産地であり、高級ジュート製靴底やエスパドリーユの完成品の製造拠点となっている。
世界全体ではエスパドリーユの完成品の90%がバングラデシュで製造されるものの、スペイン、フランス、イタリアでもバングラデシュ
からジュート繊維の靴底を輸入してエスパドリーユの完成品を製造している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%91%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A6