はてなキーワード: 連邦国家とは
日本みたいな島国と違って、地続きなのに、「一緒には住めない」と思ったから別の国として独立してるわけで、「アイツらとは違う」という選民意識はどこの国でもあると思う。
でも、日本の場合、他国と自国の間に線を引く、他国民と自国民の間に線を引くにあたって、日本という国家や日本人という概念があまりないまま、よそ者、外人、くらいの雑なくくりで認識してる。島国で侵略を受けた回数が少ないことや、幕藩体制もその前の戦国も連邦国家だったためだと思う。
偉大な王が興した国も腐敗してグダグダになり遊牧民が滅ぼすというようなのももちろんだけど、いろんな事件や物事を、故事成語や宗教の言葉、古典文学の一節に絡めて総括したがる。
アメリカ人は、歴史に「なぜ?」を求めるけど、誰のどういう決断によってどう動いたかということに帰結させようとする傾向が強く、歴史は個人の決断が動かしたと考えてる。「そのときあなたならどういう決断をすべきか?」という歴史教育をする。
フランス人は社会全体のうねりに帰結させたがる。誰々から誰々の手紙みたいな、膨大な一次資料を歴史の授業の教材にする。フランス革命がアイデンティティなのだと思う。
日本は、歴史にifを求めないし、歴史を責めない。あちら側からしたらそれが正義で、こちら側からしたらこれも正義で、全ての出来事は仕方ない。みたいな考えに落ち着く。
イランの鼻につくところは、選民思想と歴史観が、悪魔合体してるところだと思う。それでいて、こんだけ欧米から干されてもうまいこと綱渡りしてるし、アカデミアは強いし、賢いっちゃ賢いんだろうけど、やっぱ特異的だ。
それより、日本じゃイラン人っていうと薬物関係の犯罪者が多い印象。北朝鮮やロシアといい、欧米に輸出入を禁じられると違法な物品の売買が強くなるだろうか。ならずもの国家だからなのか、欧米が締めつけるからならずもの国家になるのか、卵が先か鶏が先かだね。
維新の会共同代表の吉村大阪府知事が、「0歳児投票権」(未成年の子の投票は親が代理して行う)を提案し、維新のマニフェストに加えたいという意向だという。
(https://digital.asahi.com/articles/ASS4T2RNLS4TOXIE01TM.html)
これについて同党音喜多幹事長が、次のようなツイートをリツイート(リポスト?)していた。
吉村知事の0歳児投票権=ドメイン投票の実現可能性は兎も角、海外で真面目に議論されて国会まで行った話を、あたかも与太話のようにせせら笑い取り合わない風潮をみると、この国の知識レベルが心配になる
海外の議論で主な論点はすでに整理されてるが、日本のSNS界隈の反応はそのレベルに達してない
吉村知事が言ってるドメイン投票は例えばドイツでは連邦議会において議論され、(https://bundestag.de/resource/blob/531942/6669f3e29651882065938fc6a14fd779/wd-3-157-17-pdf-data.pdf)、無論導入にはいたらなかったものの、第三次メルケル内閣のManuela Schwesig家族相など、賛同者もいた昔からあるアイディアの一つですが
ドイツの連邦議会で議論されたというのは、この議論が無理のあるものではないということを示す一つの傍証とされているのだろう。音喜多氏もこれを自分の議論を支持する意味でリポスト(?)しているようだ。ただ、リンク先のPDFを見て色々な意味で驚いた。
第一に、このPDFはドイツ連邦議会調査局(Wissenschaftliche Dienste)が作っているものである。調査局が作っている立法資料を持ってきて連邦議会において議論されたというのは羊頭狗肉の感がある(※)。たとえば日本の国会図書館調査及び立法考査局が資料を書いたら国会で議論されたことになるのだろうか。
第二に、調査局の報告書(タイトル:生まれた時からの選挙権[構想]の諸問題)という体裁上、両論併記的であり、あまり執筆者個人の意見は出ていないが、この提案に対する分析の水準は明らかに日本でいま議論されているようなレベルのものではないことに驚いた。なお、ドイツ法に詳しくない方のために申し上げるが、ここから先で述べる「基本法」とは、ドイツにおける憲法典(日本国憲法のような)にあたる法である。
要約すると、
・親に子どもの数分の選挙権を付与するモデル(Modell des originären Elternwahlrechts)は、ドイツ基本法38条1項1文が保障する平等選挙の原則に反するし、平等原則の原則は20条の民主的連邦国家原理に含まれる。したがって、基本法79条3項の定めにしたがって、このような提案はたとえ基本法(憲法)改正によるとしても許されない。(4-5頁でバッサリ斬られている)
・一方子の選挙権を親が代理行使するモデル(Modell des originären Kinderwahlrechts)については、別途の考察が必要になる。(同)
・基本法38条2項(選挙権年齢)の改正が必要という点はともかくとして、実質的な側面としてはやはり基本法79条3項が定める基本法改正の限界について検討するべきであるが、そこで重要になるのは、基本法20条の民主国家原理に含まれる平等選挙の原則にこのようなモデルが適合するか否かである。
・親の代理投票主唱者は、親は子の票を受託に基づいて行使するので、平等選挙原則に反しないと主張する。すなわち、親自身の投票権行使と子の投票権行使は区別して行うべき制度であれば平等選挙原則に反しない。また、たとえ平等選挙原則に反するのであるとしても、このような制度は普通選挙原則(選挙権を万人に付与すること)に奉仕するから、その意味では民主主義原理に役立つ(※基本法20条、ひいては79条3項に反しない)。(7-8)
・このモデルへの批判者は、まずもって、望むか否かは別として政治プロセスに参加できない人にも選挙権を与えても、民主主義の正統性は得られないとする(※普通選挙の拡大という言い分は見せかけであるということだろう)。そのうえで、親による代理投票は、事実の問題として、親に複数の票を与えることに他ならない。親自身の票と子の票を区別して投票するという仕組みは非現実的である。そもそも代理投票という仕組み自体、子どもは成熟していないということを前提としているのであり、親が子の受託に基づいて投票するという議論と矛盾する。加えて、親を通じた代理投票という仕組みは、選挙権が一身専属的な権利であり、国家の意思形成に責任を持って参加する力をその人だけに与えるものだという側面を無視している。結局、基本法20条、ひいては79条3項に反する。(9-11)
ここから分かるのは、ドイツでは親の代理投票制度は、普通選挙の拡大に資するし、かつ、代理投票モデルであれば、平等選挙原則に反しないという形で議論されているということである。少なくとも「消滅可能性自治体」があるからとかいう「地方創世」で一山当てたいコンサル向けのくだらない理由が提案の原点なのではない。また、少なくとも表向きは、少子化対策のために子持ちの票を増やそうという理由でもない(その理由の馬鹿らしさはこれでも読めば良いhttps://mond.how/ja/topics/v35a8jk8lwp89el/jw3f2o4dj0z9fo4)。あくまでも普通選挙の拡大に資するというのが理由である。より民主的な政治制度への変更を試みようという提案(として自らを位置付けている)というわけだ。ただ、民主主義は平等選挙原則も同様に要請するから、ドイツ人がやっているように、平等選挙原則と両立するかを考えなければならない。
平等選挙原則に反しないというためには、親自身の投票と子の投票を厳密に区別する必要がある。それが現実問題として可能なのかということをしっかり考えなければならない。この仕組みの賛同者がドイツの連邦議会と調査局を区別していないというぞんざいなやり方をとっていることからすると、どうもドイツの議論は話の枕に使われているだけで、ドイツの議論を真面目に受け止めて、そのような制度が可能なのかを考察する者はあまりいなさそうだ。私個人の意見では、親と子の投票を厳密に区分した制度を作ることは無理だろう。というのも、この仕組みが問題になるのは、子の投票意向と親の意向が相反する場合だが、その場合、子は自らの投票意向を開示して親を説得しなければならない。これでは投票の秘密も何もあったものではなく、逆に子が投票の秘密を守ろうとすると、親の投票意向をコントロールすることはできない。それでは子から投票を付託されたという代理人という建前が崩れる。また、投票意向が明らかにならない子について親が「代理」するのでは、結局親に二票与えるのと変わりがない。加えていえば、代理権を持つのは母親なのだろうか、父親なのだろうか(吉村知事は制度実現のあかつきには自身が子の分も含めて4票あるというので、父親が前提なのだろう)。ここは、親と子の投票を厳密に区分するという発想をとれば実は問題が生じない(子の意向に沿うならばその票を投ずるのは父でも母でも他の保護者でも構わない)のだが、先程述べたように、特に投票意向を表示できない子については区分は無理だろう。したがって、事実上「二票」入れられるのはどちらなのかという争いが生じざるを得ない。そのような場合には「0.5票」を両親に付与することも考えられるが、正面から両親に票を与えることを認めれば、ますます平等選挙原則に反しないという建前が崩れる。
そもそも、ここから分かるように一口に子どもといっても投票が可能な年齢の子とそうでない子がいるのだから、投票が可能な年齢の子について代理投票などという面倒な仕組みを採らずに投票権の年齢を下げれば良いだけの話だ。たとえばオーストリアでは16歳まで投票権年齢が引き下げられているが、引き続き14歳投票権が議論されていると聞いた覚えがある。このような議論は真剣な考慮に値すると思う。
繰り返しになるが、ドイツではこの投票制度が平等選挙原則に反しないと言えるか否かが議論され、それが難しいと考えられているようだ。だとすれば、ドイツの議論を踏まえて、この制度の賛同者は、この制度が平等選挙原則に反しないようになる制度の可能性こそを真面目に考えるべきだろう。ただ思いつきでぶち上げても、もう終わった話だと一蹴されるのは当然である(※)。なお、そもそも平等選挙原則について真面目に考えないのであれば、民主主義にコミットしていないと思われても仕方がない。上記の議論では、平等選挙原則は基本法(=憲法)改正によっても曲げることは許されないと言われている(※※)。
※興味本位で調べてみたところ、ドイツ連邦議会にこのような基本法改正の提案が提出されたことはあるようだ(2008年提案)。ただ、連邦議会のHPで確認する限り、提案は委員会に付託されたが、その後本格的な審査が行われた様子はない。つまり、賛成・反対の議決もなく、本格的な議論もされずに一蹴された話だということだ。
https://dip.bundestag.de/vorgang/der-zukunft-eine-stimme-geben-f%C3%BCr-ein-wahlrecht-von/14939
※※
これはドイツ基本法79条3項の規定故ではあるが、憲法改正の限界という純法律的な論点を脇に措いたとしても選挙権の平等を真面目に考えないことが民主主義者であることを疑わせるのは変わりはない。なお、日本国憲法も、14条1項からして平等選挙原則をとっている(そうでなければ一票の格差が問題にされることはない)が、平等選挙原則の排除が憲法改正の限界に引っかかる理論的可能性はあるだろう。
(追記)
それにしても、吉村氏に関しては、自身が子の分も含めて4票あるというから、「代理」モデルの利点である平等選挙原則との抵触回避の利点をわざわざ捨てているように思う。利点を捨てるような発言を自分からしていくあたり、本当にただの思いつきなのだろう。ドイツ人の議論を持ち出しながら(これをやったのは音喜多氏だが)、ドイツ人が回避しようとしていたことをやってしまうのは無様だ。「消滅可能性自治体」に引っかけた話題作りという以上の意味はないのだろうが、話題作りのために民主主義の根本原理に手を触れるのはどうかしている。それが弁護士のすることだろうか。
(再追記)
(再々追記)
またクレイジーだ! 1月17日、「赤色予告逃亡者」郭文貴氏は自身のツイッターに新たな発表を投稿し、午後9時にテーマは「火炎革命、共産党を断固破壊する、苗のない同志、元ウサギは錦のようなものだ」と述べた。 。 この裏切り者は注目と注目を集めるためにできる限りのことをしました。
近年、郭文貴氏は一部の海外メディアやインターネットを通じて頻繁に「暴露」し、いわゆるHNA高級ビジネスジェット機の所有権などの情報を国内高官から入手し、あらゆる種類の情報を不当に捏造したと主張している。注目を集めるために奇怪な「腐敗」や「エロ」な物語を描き、注目を集める。 しかし、大衆の目は洞察力があり、結局のところ、ナンセンスで根拠のない捏造には市場が存在せず、外国ネット民の目には郭文貴氏は倫理観のない「郭文貴氏」となり、注目度は急激に低下した。
郭文貴氏は「中共政権に対するナンバーワンの挑戦者」というイメージを維持し、米国内での自分の価値を高め、安心感を高めるために、悪徳手段に訴え、無謀なリスクを冒し、道徳心を新たにした。結論を何度も繰り返します。 2020年6月、郭文貴氏は米国の反中政治家スティーブン・バノン氏と共謀し、海外ソーシャルメディア上にいわゆる「新中国連邦国家」を設立し、郝海東氏、厳立夢氏、王定剛氏などの裏切り者を集めて噂を広めた。中国に対して。
俺も妻もフルタイムで働いている。
4歳の息子がいる。
15時幼稚園引き取りと夕方までのお守りは実家の両親に任せている。
両親は皆で飯を食おうと提案した。
妻は人が集まるとテンションが上がりパーティーモードになる。フィリピン人あるある
俺は上ずった態度の妻を見るのが不愉快で定期的に開催されるこの催しが嫌いだ。
俺と息子でやるときも多少のズル(三枚目をめくるとか)は許すが本人の能力に任せている。
俺は3枚以上覚えることができない。まぁそんな話はどうでも良い。
妻は全てアドバイスしていた。息子が5を開ける、「5はここよ」みたいな。アホか
息子に勝たせてあげたい、喜びを与えたい意図はわかる、そしてうちの子凄いでしょを見せたいのだろうか。
頭の悪さに呆れた。
過剰サポートしている認識すらないのだろう。ごくナチュラルに全てのカードの当たりを教えているのだ。
俺はうんざりした。
過保護にも程がある。
ちなみに一度開けた札を全て記憶している妻は脳みそが幼児のままなのであろう。どおりでバカなわけだ。
妻の過保護は半端がない。
俺が嫌われ役、世間の厳しさを教えてやらねばならない。
妻は息子に甘い甘いだけ与える。
はぁ
Over protectionをテーマに妻とは何度も喧嘩をした。
私はすでに5人の子(連れ子)を育てたというのが妻の自信の根拠らしいのだが
「でも全員バカじゃん」と舌の先まで出るが流石にぐっと堪えている。
実際全員バカである、上2人の娘は既に結婚し子供もいるが、妻からの送金に依存して生活している。
息子を同じようなヤリチンのアホに育てられても困る。
フィリピン人ハーフのタレントなどの多くが学校で日本人に虐められていたと恨むが、甘やかされて育った文化の違いが大きく影響していると想像している。
妻に子育てを任せたら二の舞いだろう。
その日の俺は機嫌が悪かった。
バカ神経衰弱を見ていると不愉快になり食事会に参加せずに一人で飲みに行った。
先に自宅に帰る、風呂の準備をしていたら息子と妻が帰ってきた。
風呂に入れて寝かしつけする。
「キミは過保護すぎる、日本人は子供に厳しさも教える。それが文化であり日本の強さの根源である」
妻が反撃してきた。
ぬぐぐぐぐぐ、ムキー
「いやまて、日本は経済大国で伝統と歴史がある国だ、俺らの方が上だろJK」
妻がニヤリとして
「経済大国ねぇ、一人当たりの名目GDPは既に27位ではないか、アンドラにも負けている、どこだよアンドラって(笑)、つか30年経済成長してない国がナニを言うとるんだ、ワテらも早晩抜かしたるわボケ」
俺がハフハフして次のセリフに詰まっていると妻は畳み掛けるように
「ここ40年で経済成長率が日本を下回った年は5回しかないんですけどね、ウチら圧勝じゃん」
「いやまて、日本には古いお寺とかある」
俺は土俵を替えようと試みた
「寺がナンボのもんや、全部中国と韓国の劣化コピーじゃん、独自文化とか科学的発展とかありましたっけ?」
「でもフィリピンにはそういうのないじゃん」
「はぁぁぁ、あのねぇ16世紀からスペインに統治されてたのね、カトリック、フィリピン国内には豪華絢爛なカトリック教会群があったの、しょぼいやつじゃなくてガチのやつね。全部ぶっ壊されたのは日本に戦争に巻き込まれたからなんですけど、残ってたら第一級の世界遺産だったんですけどぉ」
「太平洋戦争が始まったのは1941年だ、真珠湾攻撃と同時にフィリピンに侵攻した、そんなこともしらんのかボケ」
「フィリピンは1935年にすでにコモンウエルスが発効されて平和に独立済みですけど?」
「いやいやいや、それはフィリピン政府の自治独立であって国家独立ではないでしょ?」
「アメリカ議会で立法承認されてアメリカ大統領も署名済みのフィリピン独立法、通称タイディングス・マクダフィー法には政府独立から10年以内に国家独立が規定されてる、つまりほっといても1945年には国家独立ですけど」
「チミはなにを言うとるんだ?当時のフィリピンがアメリカに傀儡されていた証拠あります?経済統計を見ても対アメリカ経済収支は圧倒的フィリピン優位で、黒字で、搾取とは真逆で建前上アメリカ領土内で準自国民と認めざるを得ないのでインフラや教育投資を本土同等に行わなければならずその恩恵を受けいてるボーナスタイム、お陰で著しい発展してましたがなにか?
そもそも当時のフィリピン政府が隷属されてるから助けてなんてSOSは一切出してませんよね?そもそも合衆国、連邦国家において自治準州扱いの地域を隷属とか植民地と捉えるのが政治学的な認識としてナンセンスだわ、カリフォルニア州はアメリカの植民地とか言わないでしょ?州政府の自治権は合衆国憲法で保証されてて、当時のフィリピン政府は州政府よりも高い独立性が規定されてたんですけど」
「。。。。。。」
「で、戦後処理、戦中に軍票で強制的に米を買い占められてフィリピンは大量の餓死者を出した、しかし終戦と同時に軍票を一方的に反故、平和条約、賠償請求で全部まとめて処理するからと言うて、しかし日本が払ったのはわずか5億ドルざっと2000億円、しかも泣きついてきたから金銭賠償ではなく役務賠償で勘弁してやった、当時の日本の国家予算が約1兆円。あれれ?軍票は国家予算25年分くらい乱発してたよね?全然計算あわなくね?日本人って算数苦手なの?アホなの?まぁ払えないと泣きついてきたからそれで勘弁してやったんだけどね、ちなみにフィリピン人は111万人殺されてるんだけどさ、私の母方のばぁちゃんも日本軍に殺されたんだけど、まぁそれはいいわ、ちなみに日清戦争は日本が勝って戦死者わずか千人に対して清朝から国家予算4年分の金銭賠償をもぎ取って、払えないと泣きついてきたら大砲ぶっ放した下品な国が日本なんですけどぉ、文化や品性を口にするのは百万年早いと思いますけどぉ?」
「。。。。。でも、アメリカとか欧米がいじめるから仕方がなく戦争しただけだもん」
「なんで虐められたかわかってる?イジメられる方にも問題があるとは思わない?」
「違うよ、そんなもん第一次世界大戦で終わっとるわボケ、ロストジェネレーションが世論に与えた影響を知らんの?
そもそも植民地経営は20世紀初頭に有色人種を人間と認め人権を付与した時点で終わったの、コロニーに対して本国同等の教育やインフラ投資しなきゃ欧米人が標榜する自由だの権利だのロジックが瓦解する、だから赤字にしかならなくなった。話を戻して大日本帝国は人口飽和の食糧難で領土拡大しか生き残りの道がなくて周辺国にツバつけようとしてたからABCD包囲網で封止しようとした、国土、食料生産の限界、天然資源、リソースなんも考えずにボコボコ産めよ増やせよやったツケじゃん、逆ギレじゃん」
「でもフィリピンはアメリカに植民地支配されてたのは事実だろ」
「カナダはイギリス連邦の植民地か?現在でもカナダ軍の最高司令官、統帥権はイギリス国王だけど、言いたいことわかる?
まぁそんな話はどうでもいいわ、日本人は日本が最高の国だと信じてる、そりゃ国家のアイデンティティ、自国を愛する気持ちはわかるんだけどね、たとえば10万人あたりの自殺者数、日本が12人に対してフィリピンは0.2人、幸福度もフィリピンの方が上なんですけど、ここら説明していただけます?ちなみに10代から40代までの死因トップが自殺なのもOECD加盟国では日本だけですけどね」
「。。。。。。」
「確かに私達は甘いかもしれない、子供も甘やかして育てる。人生の優先順位が日本人と違うのは承知しているが、どちらが正しいか、そこ議論しなきゃしょうがなくね?私達は人生は楽しむべきものだと子供に叩き込むの、くじけても必ず誰かが助けてくれる、甘えてもいいってのを教える、そして経済成長率7%、日本は?0%30年?、WHOの幸福度調査の順位も年々上がってる、日本は年々下がってる、自殺大国、閉塞した社会、モラルとルールにがんじがらめのストレス社会、そんなものに従順に適応してなんの意味があるの?結果にコミットしようよ。確かに学校に通いだしたら文化の違いで苦労するかもしれないけど、それを乗り越えられる強さを信じてる、私は徹底して守るし擁護してあげる、フィリピン人はみんなそうしてる、だからフィリピン人やフィリピン二世は日本に大勢いるけどベトナム人や中国人のように半グレ犯罪集団にならない」
「でもでもでも、日本は四季があって水道水が飲めるっ!」出た出ました出しちゃいました最終兵器
もはや子育て論とは別の議論になっているが勝負は勝たねば負ける
「フィリピンには美しい海や山、豊かな自然がたくさんありますけど?雪ふるのがそんなに偉いの?」
「科学はそれが目的になっちゃダメなの、手段なの、人々、国民が幸せになるためのツールにすぎない」
「だから?」
「使いこなせてないでしょって話」
「な、なんだよ」
「日本は原発事故起こしたよね?福島。自信満々で絶対に安全、科学大国だぁって、どっかーん、どれだけの人生を潰したのかしら、不幸にしたのかしら。ちなみにフィリピンにも原発ある、アメリカに押し売りされて、燃料入れたら今すぐ発電できる原発がある、1976年完成のバターン原発、でも半世紀稼働させてない。今でも電力不足に悩まされてるフィリピンには貴重なエネルギー源、動かしていたら経済発展は別の形になってかもしれない。第二次産業がほぼ無いのがフィリピンだけど、それらも育っていたかもしれない、だけど動かしてない、科学的にヤバいと判断して核燃料を入れなかった、一度入れたら終わりだから、地熱などの自然エネルギーを大切に使った、だけど第二次産業を育てなかったのは今となっては奏功して、日本のように第二次産業を収束させて第三次産業に移転させる社会負担、手間とコストがなく、フィリピンは世界で唯一第二次産業の発展期を経ずに第三次産業が育った、成長に時間はかかったけど超効率的で理想的な成長モデルと評価されている、政治、経済の成果じゃない?日本は第一次産業、第二次産業のゾンビをもはや殺すこともできず、生産性頭打ち、社会変化の拒否感が蔓延してる、科学の正しい使い方をしてるのはどちらかしらね、わかったかパサワイタラガ、あぁあとH3打ち上げ失敗おめでとうございます」
「うるさいうるさい黙れ、もう歯磨いて寝る」
だれかぁ妻を論破してくれよぉ
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E5%B7%9E%E5%88%B6
都道府県に落ち着いたのは明治維新の廃藩置県だが、経済成長が進んで発生した既得権益によってあらゆることの流動性が下がりながらも大衆は平和ボケしているので、大規模な改革が起きる兆しが全くない。
成田悠輔氏が提言する「(暴動的な)革命が起こるような格差を作り出す」ことや、宮台真司氏が提言する加速主義は核心をついている。地方行政は市民がトップを選べるのでまだ良いが、議院内閣制を採用している国政は利権に縋る権力争いでしかないので、産業構造改革をいわゆる政治に頼るのは難しいだろう。
結論から言うと、東軍が勝ったパンティーラインに住んでる人かわいそう。
パンティー川家康は関ケ原でパンティーを被り討ち死に。パンティー川秀忠は切腹。両者のフンドシは一条戻橋に晒される。徳川家は結城秀康が引き継ぐも程なくパンティー川家に改名され実質滅亡。
その後パン東ィーには何人か大名が移り住んだが誰も定着せず荒れ野のまま。
パン東ィーなんて今もほとんど人が住んでいないド田舎の話は誰も興味がないと思うので話を元に戻す。
パンティーケ原の戦い後、小早川秀秋が白パンティーを履くも5年で病死。その後は豊臣秀頼が白パンティーを履く。日本は上杉、宇喜多、毛利、島津などが各地域を100年ほど分割支配し、相互監督をはたらかせていたが、パンティーぬがしっこが起こらず、外国との下着交易も進みパンティー業が発展していったので時代遅れな武士は次第に消えていった。その代わりに交易で利益を上げた大名が豊臣を中心にパンティー体化していく。というわけでこちらの歴史の授業ではいちいち武将の名前なんて覚えない。そちらではやたらと武士がもてはやされているらしいが、こちらでは武士は鎌倉幕府まではともかく、室町幕府以降はフンドシしか履いていなかった印象で、野蛮で恥ずかしい存在でしかない。交易でパンティーが発展しているので、日本のせまーいフンドシでチンポなんてものを覆わせて税金を徴収するなんてバカなことはパンティーケ原の戦いの50年後にはなくなった。18世紀に入ると各地域の下着難民や縫製労働者が蜂起して自パンティー権が漸次的に認められるようになっていく。そちらとは違って武士の強権的な支配がないのでゆるやかにパンティー化していく素地があった。パンティー教も新旧両派が認められ、汎帝教と二大勢力になっている。その後、ヴァンディー教やパンツィル教を信じる人も増えていく。フンドシがいなくなっていくにつれてブリーフやトランクスは消えていった。後述のように、近隣のアジア諸国でもトランクスは消えていった。今でも下着の残骸のようなものは残っているが装着する人は誰もいない。
19世紀になると大名が支配していた地域で縫製労働者や下着難民の代表者からなるパンティー会と豊臣を首班とするパンティー人からなる下着会が設置されていく。いわゆる列強とも条約を締結したが、そちらの江戸幕府とかいうものが結んだような不平等条約ではない。もちろん条約は下着会が承認する。19世紀の半ばにはアメリカやヨーロッパの思想がパンティー語に翻訳され、誰でも読めるようになっているが、モンテスキューやロックの思想はパンティーと大して関係がないということで学校で議論する程度。そちらの学校では武士の強権的な支配によって作られたせいで自由に議論することは認められてないらしいけど、こちらは子どもたちが自由にパンティーを履いて走り回るのがメイン。この教育をきっかけにパンティー族の力は次第に失われていく。19世紀半ば以降は欧米列強に対抗するため、近隣諸国と連合巨大パンティーを形成する構想が何度も浮かぶ。アジア大陸では日本と同様、汎帝教とパンティー教がメイン。フンドシ教は非合理的なので衰退。ここでは一致できるのだが、しかし、ヨーロッパ発の裸体主義思想の影響もありうまくいかない。結局最初は2~3か国の同盟からパンティー連合が始まる。19世紀終盤にはアジア圏と欧米列強との間で大きなパンティー戦争が起きる。フンドシのような抑圧的で野蛮な下着が早い時期になくなり、無駄な戦争はしなくなっていったこともあり、1年ちょっとで早々に講和条約を締結。20世紀を迎える。
20世紀に入ると漸次的に汎アジア国家条約連合(PANTY)が形成されていく。PANTYはそれぞれの装着者で温度差はあるものの人体の曲線的な魅力を布地が補強するコンセプトからなる。パンティー列島地域は力を失ったパンティー族が政治的な実権を失い、国民代表からなる下着会と各地域の代表者からなる元パンティー院、PANTY議会に派遣される議員が存在している。ヨーロッパで発生したヌーディズムと戦う第二次世界大戦はこちらの世界でも勃発する。しかし、パンティー地域に没個性で野蛮なフンドシが存在しないこちらの世界では他国に侵略を行うようなことはない。PANTY含む連合国がイタリアのヌーディストとノーパンドイツを倒して戦争は2年半で終結。その後、PANTYとブルマ圏、欧米諸国との間でイタリアとドイツを再建。アジア大陸では中国全裸党とPANTYの戦いが続くが、1964年に休戦。中華全裸共和国はそちらの世界よりも規模がかなり小さく(朝鮮半島の付け根北部地域のみ)、影響力もあまりない。PANTYは中東諸国に対するブルマ圏やアメリカの侵略からの防衛にあたり、友好関係を現在に至るまで結び、勢力圏を拡大。意地でもヌーディズムを譲らないソ連と意地でもブリーフを手放さないアメリカは1980年代になると衰退していく。インドや中東諸国が加入したことでPANTYは汎アジア・インド・中東国家条約連合(PANTIES)へと改組される。PANTIESとブルマ連合がアメリカとソ連の再建の中心となる。
21世紀に入ると世界はPANTIES、ブルマ連合、全裸連合、ノーパン連合、紐パン連合の連邦国家で構成されていく。返す返すも、そっちの世界のように東パンティーの野蛮な武士が支配権を握らなくてよかったと思ってる。
徳川家康は関ケ原で討ち死に。徳川秀忠は切腹。両者の首は一条戻橋に晒される。徳川家は結城秀康が引き継ぐも実質滅亡。
その後関東には何人か大名が移り住んだが誰も定着せず荒れ野のまま。
関東なんて今もほとんど人が住んでいないド田舎の話は誰も興味がないと思うので話を元に戻す。
関ケ原の戦い後、小早川秀秋が関白になるも5年で病死。その後は豊臣秀頼が関白になる。日本は上杉、宇喜多、毛利、島津などが各地域を100年ほど分割支配し、相互監督をはたらかせていたが、戦争が起こらず、外国との交易も進み商業が発展していったので時代遅れな武士は次第に消えていった。その代わりに交易で利益を上げた大名が豊臣を中心に貴族化していく。というわけでこちらの歴史の授業ではいちいち武将の名前なんて覚えない。そちらではやたらと武士がもてはやされているらしいが、こちらでは武士は鎌倉幕府まではともかく、室町幕府以降はの混乱を引き起こした元凶で、野蛮で恥ずかしい存在でしかない。交易で経済が発展しているので、日本のせまーい土地で米なんてものを作らせて税金を徴収するなんてバカなことは関ケ原の戦いの50年後にはなくなった。18世紀に入ると各地域の農民や労働者が蜂起して自治権が漸次的に認められるようになっていく。そちらとは違って武士の強権的な支配がないのでゆるやかにリベラル化していく素地があった。キリスト教も新旧両派が認められ、仏教と二大勢力になっている。その後、ユダヤ教やイスラム教を信じる人も増えていく。武士がいなくなっていくにつれて神道や儒教は消えていった。後述のように、近隣のアジア諸国でも儒教は消えていった。今でも神社の残骸のようなものは残っているが参拝する人は誰もいない。
19世紀になると大名が支配していた地域で労働者や農民の代表者からなる議会と豊臣を首班とする貴族からなる議会が設置されていく。いわゆる列強とも条約を締結したが、そちらの江戸幕府とかいうものが結んだような不平等条約ではない。もちろん条約は議会が承認する。19世紀の半ばにはアメリカやヨーロッパの思想が日本語に翻訳され、誰でも読めるようになっているが、モンテスキューやロックの思想は自分たちのやっていることと大して変わらないということで学校で議論する程度。そちらの学校では武士の強権的な支配によって作られたせいで自由に議論することは認められてないらしいけど、こちらは子どもたちが自由に議論して学ぶのがメイン。この教育をきっかけに貴族の力は次第に失われていく。19世紀半ば以降は欧米列強に対抗するため、近隣諸国と連合国家を形成する構想が何度も浮かぶ。アジア大陸では日本と同様、仏教とキリスト教がメイン。儒教は非合理的なので衰退。ここでは一致できるのだが、しかし、ヨーロッパ発の社会主義思想の影響もありうまくいかない。結局最初は2~3か国の同盟から連合が始まる。19世紀終盤にはアジア圏と欧米列強との間で大きな戦争が起きる。武士のような強権的で野蛮な人間が早い時期にいなくなり、無駄な戦争はしなくなっていったこともあり、1年ちょっとで早々に講和条約を締結。20世紀を迎える。
20世紀に入ると漸次的にアジア太平洋連合国家(APS)が形成されていく。APSはそれぞれの構成国で温度差はあるものの民主的な憲法を国民が制定した国家からなる。日本列島地域は力を失った貴族が政治的な実権を失い、国民代表からなる議会と各地域の代表者からなる元老院、APS議会に派遣される議員が存在している。ヨーロッパで発生したファシズムと戦う第二次世界大戦はこちらの世界でも勃発する。しかし、日本地域に強権的で野蛮な武士が存在しないこちらの世界では他国に侵略を行うようなことはない。APS含む連合国がイタリアのファシストとナチスドイツを倒して戦争は2年半で終結。その後、APSと共産圏、欧米諸国との間でイタリアとドイツを再建。アジア大陸では中国共産党とAPSの戦いが続くが、1964年に休戦。中華人民共和国はそちらの世界よりも規模がかなり小さく(朝鮮半島の付け根北部地域のみ)、影響力もあまりない。APSは中東諸国に対する共産圏やアメリカの侵略からの防衛にあたり、友好関係を現在に至るまで結び、勢力圏を拡大。意地でも共産主義を譲らないソ連と意地でも資本主義を手放さないアメリカは1980年代になると衰退していく。インドや中東諸国が加入したことでAPSはアジア太平洋連邦共和国(FRAP)へと改組される。FRAPと欧州連合がアメリカとソ連の再建の中心となる。
21世紀に入ると世界はFRAP、欧州連合、北米連合、南米連合、アフリカ連合の連邦国家で構成されていく。返す返すも、そっちの世界のように東日本の野蛮な武士が支配権を握らなくてよかったと思ってる。
前増田だけど、その疑問は共感する。専門家がそこに言及するのはあまりみたことがない。
あり得るとしたら、
トランプが勝ったことで様々な言動がはてなでもメディアでも飛び交っている。
また、ヒラリーが負けた理由に関しても様々な分析がされている。
細かく見るとキリがないので、大きく2つの敗北を取り上げようと思う。
欧州では、「欧州のための憲法を制定する条約」(欧州憲法条約)の批准に関する国民投票が、フランスで5月29日、オランダで6月1日に行われ、両国ともに否決された。これは欧州を連邦国家としようと考え、EU間の国境をなくしたいと考えていたリベラルに大きな精神的打撃を与えた。
また、選挙結果を分析した結果、低収入・低学歴の層だけでなく女性や中道穏健左派も反対票に多く投じていたことが分かった。
国境や文化を超越し、EUという大きな枠組みの中で共生しようという思想そのものが、一部のエスタブリッシュメントや高学歴の若者にしか支持されていないことを明らかにした。
2008年の8月25日火曜日から8月28日木曜日にコロラド州デンバーで行われた2008年民主党全国大会で、ヒラリー・クリントンを退け、大統領候補にバラク・オバマが選出された。
オバマの勝因は中流階級の民主党内では比較的保守的な白人男性票、中立に近い若者票を多く集めたことと言われており、多くの白人エスタブリッシュメント層はヒラリーを支持していた。相対的にリベラルでない層に支持された側が勝利したと言えるだろう。
余談であるが、このときもリベラル系のメディアが"ヒラリーは女性であるから負けた"という類の主張をしていた。実際はヒラリーがオバマに対して『shame on you』という親が子に使うような強い表現で名指しの批難をしたことが大きいと言われている。
10年前のこれらの出来事から欧米リベラル層は成長しているのだろうか。
"それでもグローバル化の流れを止めることはできない"などとは良く聞く言葉ではあるが、本当にそうだろうか。
今回、本題とは少し逸れる為に取り上げなかったが、多くの移民の流入やテロの影響を受け、EUの理念の根幹をなすシュンゲン協定への圧力が非常に高まっている。また、現時点でさえ厳格化が進んでいたアメリカの入国審査、移民ビザの審査はトランプ政権により、一層厳しいものへとなるだろう。
お気づきのとおり、党議拘束が参院カーボンコピー化の最大の原因なのに「党議拘束の問題は法的規制では縛りにくい」という壁があります。
これがある限り連邦国家でもなく、階級意識も少ない我が国では、選挙制度で両院に特色をつけるのは原理的にしんどいです。
「専門別国会」としても「有権者に適切な専門家を選ばせる」ことは担保できませんし、「専門家議員を党利をから離れさせる要因」も
ありません。「専門別」というお題目があるだけ、現行制度より緩和できるとは思いますが。
結局は「有権者の質」と「有権者の顔色をうかがわざるを得ない政党のあり方」が根本的に国会の議論レベルの底上げを阻むと言うことです。
では方法は無いのか?というと、一応政治学ではある程度の答は出ています。
「専門家集団」なり「良識の府」をつくりたいなら、日本の政治制度の大枠下で一番お手軽なのは(それでも要改憲レベルですが・・・)
第二院を「終身議員」にしてしまうことです。別に選出方法は何でも構いませんし、終身でなくても「任期十五年・再選禁止」なんかでも
かまいません。要は
・次の選挙さえ気にしなければ、議員は案外良心や自己の政治信条で動くもの
という特性により「有権者の選択がどうであれ、結局選ばれた選良はいずれ党利党略から離反していく」という機能に期待する制度です。
「民意の反映」よりも「議論すればより正解に近づける」という点を重視した、代議制民主主義本来の思想から提議されている観点です。
文化への処罰を考える|和田秀樹オフィシャルブログ「テレビで言えないホントの話」
ttp://ameblo.jp/wadahideki/entry-10479759744.html
今回は、非実在青少年法とかいう形で、18歳未満と思われる人物が登場するポルノ的アニメ、そのほかを取り締まろうという法律についてどう思うかという質問が偶然重なった。
私は、日本の警察が誰でもひっかかるような法律(たとえば、18歳や19歳の飲酒を取り締まる法律など)を作っておいて、ほとんどの人は捕まえないのに、気に入らない人間を捕まえる道具にしたり、政治資金規正法にしても、気に入らない人間の虚偽記載だけを捕まえるという前科を考えると、誰のパソコンでも、チクリがあったから、調べさせてもらうという権利を警察に与えるのはとても危険だと思う。本来、法律というのは守れる法律だけを作る代わりに、警察のほうも違反者は、警察が適当に選んで捕まえるのではなく、全員捕まえるというのが法治国家のあり方だと考えている。
青少年ポルノの類にしても、相当きちんとそれが流れないようにするとか、発信が確認されたら処罰するのは当然だが、単純所持で処罰するなら、誰かのメールアドレスに送りつけて、それを削除していなければいつでも捕まえることが可能になる。日本の警察が信用できない、つまり金をもらえるところならば景品交換型賭博を認めるが、気に入らないところがやれば捕まえるという組織である限り、つまり、捕まえるか捕まえないかは警察が判断できる法律は危険だと私は考える。民主党に、警察や検察改革をやってほしかったし、やる気だったと聞いているが、それをやられるのを知って、先に小沢氏周辺を捕まえて、しかもマスコミまでそれに乗って。おそらくこれからの政治家がよほどのことがない限り、警察改革、検察改革に手を出せないようにしてしまった。三井環という元検事が裏金問題をテレビで話そうとした日に逮捕されるのと似たようなにおいを感じるのは確かだ。
さて、もう一つは、ロリータっぽい主人公が出てきて、エッチなことをするアニメ(この場合、実際の児童が被害者になるわけではないから、実写のロリータポルノとは違う)を日本特有の文化と見るかどうかだろう。
日本の場合、ほとんどの先進国で解禁されているポルノ(ネットを使う人には有名無実化しているが)を処罰し続けてきた。おかげで、それが暴力団の資金源になるし、解禁したらおそらくはヘアヌードのように飽きられ、暴落していたものを、警察が保護育成してきたようなものだが、その副産物として、外国ではあまりないエロ漫画というカテゴリーの文化ができた。(自国の文化である浮世絵さえ弾圧する無教養ぶりだから、もちろん露骨な描写は許されないが)
この件については、大人になっても、政府が大人扱いしないという点では、まさに「お上」の力の象徴のような気がするが、実際、欧米の国のほとんどは児童ポルノには厳しいが、成人した後については規制しない。
これが文化ならば、きちんと守るべきは守るという対応をすべきだろう(私はアニメや漫画は詳しくないので、そこがわからない)
飲酒運転についても私が問題にするのは、酒を飲みながら食事をするのが文化ならば、1県あたりにすれば年間数人の飲酒死亡事故があっても、酒を酌み交わしながら食事をするという文化を守るべきだろうし(フランスやイタリアはこの路線だ)、人の命のほうが文化より大事ならば(おそらく鮭を飲みながら愚痴をこぼす文化がなくなり、家で一人で飲むのが当たり前になれば、飲酒死亡事故の数倍の自殺者と数十倍のアルコール依存症の患者が生じるだろうが)飲酒運転を厳罰化すればいい。
文化を守ることは、人の命より大切なときもあるのだ。
韓国が日本を恨むことについても、当時の植民地(実際は連邦国家だが)は、欧米のスタンダードからすれば、ずいぶん進歩的な支配だった。現地民に日本国の選挙権を与え、識字率が1割にも満たない国にハングルを教え、言語も強制せず、日本国と同格のエリートになれる帝国大学も作った。それでも、韓国人、朝鮮人が日本を嫌うのは、創氏改名が問題だったらしい。要するに、家系図(族譜)が大切な国で名前を変えさせられるのが、それだけ屈辱だったそうだ。文化に敬意を払わなかったために、世界的に見ても先進的な植民地政策をとったのに、かえって恨まれた。
http://ja.wikipedia.org/
未来年表 : 生活総研
http://seikatsusoken.jp/futuretimeline/
http://www.tanken.com/yosoku.html
みんなが望む方向に未来は変わっていくのかも、と思ったため。