はてなキーワード: 留置所とは
「※この投稿の前に「Colabo関係の住民監査請求監査結果を読む①(請求文書)」という内容を投稿したのですが誤って消してしまいました。復元する気力がないのでたぶんそのままです…」
と書きましたが、復元できたので再投稿します。Outlookで下書きしていて、特に保存していなかったのですが残っていました。
書き出しが②と被り少し変ですが、せっかくなので元のままで。
住民監査請求の監査結果(以下「監査結果文書」とします。)が出た(https://www.kansa.metro.tokyo.lg.jp/PDF/08jumin/4jumin/4jumin5.pdf)ので、読んでいってみます。
時機を失した感もあります(半日遅れただけでこれとか展開早すぎ)が、監査施結果文書が正直よく分からないものになっていると感じますので整理しておきます。
なお、「Colaboの監査請求と役人文学の話(追記あり)」で簡単な経歴は書きましたが、前提条件に以下を追加します。
・監査請求については未経験なので、誤りがありましたら御指摘ください。
・暇空茜さんのColabo関係の動画は1/2まですべて見ていますが、有料コンテンツは一切見ていません(これだけ注視させていただいているのに申し訳ありません。)。
・Colabo弁護団による文書は、1/4までのものをすべて読んでいますが、修正前後等は追っていないので最新版でない可能性があります。
長文になりそうなので分割します。
まず第一回は、肩慣らしに暇空茜さんによる請求文書についてみていきます。
せっかく請求文書の原文を付けてくれているし、監査請求が通った請求文書を読むことができるのは珍しいので。
Twitterを眺めていて、請求文書が下手糞(意訳)とするものがいくつか見られました。
確かに行政に提出するものとしてはこなれていないので、そのあたりを見ていきます。
例えば、以下の点が挙げられます。
甲①・・・
甲②・・・
甲③・・・
甲④・・・
「に関して、」の後ろに「次の資料に基づき」と入れたり、「説明する。」の後ろに「(甲①から甲④)」などとする必要があると思います。
である調であるのが急に体言止めになっています。(監査請求結果文書第1の3の(1)のカ及びキ)
住民監査請求や行政不服審査、情報公開請求などは、手書きの乱筆乱文のもの(極端なことをいうと刑務所や留置所からも)も含めて大量に行われ、単に体裁が整ってないだの添付しているとした資料が欠落しているだのであれば役所から補正が求められ、手続きが進められています。なので、何が言いたいのか相手側に伝われば必要十分であり、ハードルの高いものではありません。
※厳密にいうと住民監査請求では役所からの補正命令は義務的なものではありませんが、各自治体によって実質的には義務(内規で定めているか、事実上の運用としているかはともかく)になっているはずです。
また、住民監査請求は各種申請や審査請求と違って行政書士の業務の対象外でもあり、こなれた文書を前提としてしまうと制度の趣旨を没却してしまうでしょう。
役所側が作る文書で、こういった文書を作ると、決裁過程で「意味は分かるけどね、大臣名の文書なんだからさ、もうちょっとなんというか【格調高く(文字通りの意味ではなく、役所用語ですね)】頼むよ」なんて言われたりします。
請求者による請求の内容には、「確かにあかんやろ」と感じるものから、「そりゃいくら何でも難癖ちゃうか(少なくとも資料からは読み取れない)」というものまで様々です。
個人的には、前者の例としてホテルの宿泊費用や法定福利費、タイヤを挙げ、後者の例として相談件数等の水増し(第1の3の(3))を挙げます。
(後者について、「件数が一致しないのはおかしい」との指摘までならばわかりますが、一足飛びに「水増し申請をしている以外考えられない」等とするのは現段階ではさすがに無茶と感じます。)
これはあくまで想像ですが、請求者は裁判のルールにのっとって住民監査請求を行っています。
一般論として、主張の中に嘘・大げさ・紛らわしいが含まれていると、主張全体の信憑性が大きく落ちます。
しかし、こと裁判ではそうではなく、片側が主張したことについて、相手側が反論しない場合は認めたことになってしまいます(民訴法159条)ので、多少無茶な理屈でも相手側を攻撃できるものは記載したほうがお得です。
加えて、前の増田で
と書きましたが、これは1つの訴訟の中でも同じで、原告側に100個論点を並べられて、行政側は99個にしか反論できなかった場合、これは行政の負けです。(もちろん場合によりますが、基本的に)
したがって、多少論理が粗雑でも主張は多ければ多いほど良い、という理屈になります。
次回以降に記すべきなのですが、ついでなので感想を。
通常請求人の主張に対して対応するように事実認定・判断を書いていくべきだと思うのですが、監査結果文書ではそのようになっていません。
なので、請求人のどの主張をどのような理屈で潰したのか、極めて分かりにくくなっています。
補足です。
暇空茜さんよりの投稿が多くなってしまっているので少々指摘を。
暇空茜さんは、確かYouTubeで、担当局側の出席者が課長であり、都にやる気がないと憤っておられたと思います。
・監査請求の担当局側の出席者は通常課長でこなしていたのでしょう。(前例踏襲ってやつですね)
・都道府県庁の議会答弁は課長級以上が行うことが多いと思います。それくらいに幹部ということです。
(と思って調べてみたら都議会は部長級以上っぽい…議会の権威が高いということでしょう)
・運用として、役所の職階は民間企業・団体にあてはめるとそうとう上位になります。
例えば、本省庁の課長補佐が一部上場企業に出向いた場合、カウンターパートは通常部長または本部長クラスになります。私が補佐として訪問した企業は執行役員を出してきました。そして東京都は本省庁とほぼ同格です。
平成26年5月に黒羽刑務所を出てからすぐになんでその病院に行ったのかの理由は忘れたが、自転車で延岡でも大病院とされる保養園に行ったところ、そこの葉医師が
アスペルガー障害であると断定した。その後に、日向の水野メンタルクリニックでは、その疑いだと言われた。平成26年9月25日に野田クリニックに転移したとき及びその後に
おいても、野田省治は、いやーどうみてもアスペルガー障害ではない、それで診断をしたら警察に捕まるとの繰り返し。逆に、広汎性発達障害、統合失調症に4年間り患していることは
診断した。また平成27年5月20日に、狭心症疑い、11月頃、脂漏性皮膚炎と診断した。また年金機構に提出する診断書には、発症年月日は昭和63年、広汎性発達障害、
親の意見は、保育所内で会話が困難だったことから発達障害が疑われていたが、小中高と成績は上位で、東大法学部に進学したが、平成18年頃から、医者、警察が罠にはめようとしている
という被害言動が見られ文科省高官を脅迫して1年10月服役している。次第に自閉的になっていったと思われた。夜間に2時間30分ジョギングをしている。家庭では母親と二人暮らしで
気に入らないことがあると大声をあげるが暴力はない。正義感が強く服役中の留置所の待遇に対する批判を法務局へ行う。規則に拘ることからアスペルガー障害であり、被害言動が多いことから
統合失調症を併発しているとし治療を開始した。生来からの発達障害により社会活動は殆ど困難な状態と判断する。平成30年3月31日に治療中断。
遅くとも20歳そこらで頭切りかえてカタギの仕事就いてんだからほんとに偉いと思うよ。
自衛官とか板金屋とか自動車ディーラーとか電気工事士とかダンプの運転手とか型枠大工とか漁師とかさ。
高校卒業して相変わらず不良やってると本気で引かれる文化あったらしいし。
確かにキャリアの途中、反則金払い忘れて逮捕されたり、飲み屋で他の客と喧嘩して留置所入れられたり、お定まりの失敗は10年に1回とかやらかすけど
そういうあってもカタギの仕事を爺さんになるまでずっと続けてる。元不良なのに。
オレオレ詐欺やったり、銅線やハイエース盗んだりして、いい歳こいても市民社会に帰ってこない平成令和の不良は恥ずかしいと思う。
ちょっとは見習え。
反抗期思春期その他諸々が収まり何とか大人(大学卒業)になったあたしと他の関係がマシになっただけで、割と衝突は絶えない。
特に母と父との仲は最悪だった。昔からよく離婚直前まで話が進んでおり、「我が家もついにか」と思わされたことは数知れない。
最近は父の定年退職の後に離婚、あるいは別居という形で話が落ち着いていたのだけれど、ついに先日父が直接あたしに「話がある」と切り出してきた。
口数の少ない父がわざわざあたしに畏まって話しかけてくるのなんて初めてだった。もう何度も思った「ついにか」を本気で思った。
子どもを作ったら一生縛られるべきだとあたしは思わない。
多感な思春期に片親にしないで、生活の水準を落とさないように頑張ってくれたのだと思う。
弟も今年で大学卒業だし、自由になりたいのなら暖かく送り出してやろうと意気込んだ。
要約するとオンナになるから別居するという話だった。ちいかわみたいに泣いちゃった。
最初頑張ってなんか言った気がするけどなに言ったのか全然覚えていない。
もう「わァ…ア…」みたいに本当に泣いた。人間って本気でびっくりすると泣いちゃうみたい。怖くて有名なお化け屋敷とか全然平気だったのに、新発見だった。
泣いてたけど話は続けたかったので、続けてもらう。父親の言い分は正直だった。
「昔から自分の性に違和感があった。普通に家庭を持ったら普通になれるかと思ったけどダメだった。
もうすぐ定年の中、いつまでも自分を抑え続けて生きていくのは自分にとってどうなのかを考えて自由になりたいと思った。
そこまで言うかと思った。
それってつまり、あたしたちは普通になるために利用されてきたということだ。
けれどそばで話を聞いている母さんが黙っていたから、あたしは何も言わなかった。
性同一性障害の診断は貰いに行って、ホルモン剤は既に飲んでいるらしい。
脂肪と筋肉だろうか?が落ちて顔が細くなったような気はしていた。
白髪交じりの髪も真っ黒に染めて、少し長くなっていた。
二重も前はこんなにハッキリしていたかなと思う。気付かないふりをしていたけれど、気付いていた。
言われるまであたしは会社に若いオンナでもできたのかと心配していたくらいだ。
小四からシャーロック・ホームズが大好きなのに、なんの役にも立ってない。
親父から聞けたのはそこまでだった。
元々寡黙寄りなひとだし、あまり説明したくなかったのかもしれない。
「普通に家庭を持ったら~」のくだりも多分、自分が何を言っているのか理解していないまま言っている。
親父は追い詰められているのだと思う。抑圧されてきた被害者の自分を解放してあげることしか見えていなかった。
漫画や芸能人のニュース記事のコメントで「(カミングアウトされた側が)なんで受け入れないんだろう。その人はその人だ」という旨の意見を見かけることは、あまりそういったことを調べないあたしでもある。
性同一障害とは別だけれど、あたしは前にちょっとしたことで大学の友達が同性愛者だと知ってしまったことがある。
結構仲が良かったからネットのひとには言えてもあたしには言えないのかとちょっとだけ寂しかった。
わざわざ打ち明ける必要なんてないのだけれど、秘密にしていることを特別に共有されることは仲良しの証だと刷り込まれたままの、心の中の中学生のあたしが寂しがった。
けれど同性愛者だと密かに知ったところで友達を見る目は全く変わらなかった。友達は友達。
授業サボって部室でソラマメ茹でて食ってるあたしの隣で見せびらかすみたいにパスタ弁当食ってる最高の友達だった。
正直何も変わらないと思えたことに安堵した。けれど親父は駄目だった。すぐに親父は親父だって言えなかった。ごめん。
正直ショックを受けていることにもショックを受けている。あたしはこんなにも勝手な理想を他人に押し付けられる人種だったのかと思った。
あたしは親父が大好きなんだと思う。
これ書きながらホテルで泣いてるくらい好きだ。楽観的な人間特有の危険高い高いをされていた幼児の頃から、親父は自慢だった。
授業参観の中一番背が高くてスマートで、胃腸風邪で病み上がりのあたしを送り迎えしてくれた時には「(あたし)ちゃんのお父さんカッコイイ!」と同級生の女子たちが盛り上がっていて鼻が高かった。
目付きは悪いけれど迫力があって、年をとってもそれは変わらない。
腕組みすると筋肉が張って強そうで、すね毛やばいけどスラリと長い足の間で『スーパーロボット大戦』のプレイ画面見ているガキの頃のあたしの写真は今でもお気に入りだ。上げていけばキリがない。
これはあえて内容を削って外見だけに拘って書いているだけであり、エピソードも色々ある。
色々あるから、小さい頃は結婚相手の理想を親父だと答えていた。
強要されないと子育てに参加しようとしない無関心と呼べる親父であっても、無邪気なガキには眩しかったのだ。なんでか今も変わらないのが不思議である。
あたしが恋人を作ってはドライブ中に喧嘩して山に捨てられたり口喧嘩激し過ぎて警察呼ばれかけたりしたのは親父を理想としてたからかもしれないと今だから思う。もうこの話やめよう。
ともかく、あたしはこの理想を失う。親父は今の自分でいることを捨てたいのだ。もう見れない。
親父はこうあるべきという押し付けに過ぎないのだから、口に出すつもりはない。
けれどあたしたちのために父親らしくいた日々が、あのひとにとって苦痛を伴っていたのかもしれないと考えた時はやっぱり苦しかった。
美容院で髪を切ったら珍しく部屋から顔を覗かせ「かわいいじゃん」とニヤッと笑ったこと。
安いワンピースばっか入ったショッパーの中身を床に広げていた時、一瞥していったこと。
親父にとってあたしってなんだったのかなって思っちゃうんだよ。
図太いことに定評のあるあたしでも流石に眠る気になれなくて、捗らないけれどジャンプの小説新人賞に応募しようと書いてた小説の続きをやってみたりして、朝になった。
親父が仕事に出掛ける。
「いってらっしゃい」を平気なフリして伝えて、あたしは寝るのを後回しにした。
あたしのシフトは夜番だったから、まだ起きていてもなんとかなる。母さんが四時半か五時に起床して家族分の作り置きおかずを作ってくれることは知っていた。
母さんはやっぱり起きていて、なんだかわかっていたみたいにあたしの部屋の前に座り込んだ。
そして親父が教えてくれなかったことを教えてくれた。
母さんは十九年前には知っていたらしい。
あたしが小学一年生の頃だと思う。
当時スーツをクリーニングに出そうとクローゼットの整理をしようとした時、女物のウィッグやワンピースが冗談ではない数出てきたらしい。
会社の忘年会に使うようなものではないことは明らかで、もしかしたら男が好きなのかもしれないと泣いたのだと言う。
十九年前は今のように女装癖だが性自認は男といった場合もある、などと言った情報を簡単に調べることはできない。
オカマはオカマ、オナベはオナベ、母さんにはその程度の知識しかなかった。
すぐに親父に連絡して問いただしたら「ただの趣味」なのだと言われたらしい。
母さんはやめろとは言わなかったが「子どもたちはこれから多感な時期に入る。隠してくれ」と頼んだそうだ。
最初が最初なので母さんは女装癖が高じただけではないかと少し思っているみたいだったけれど、そこは問題じゃない。
問題なのは、親父が自分をどう思っているかだ。親父がなりたいならなりたいんだろう。
それから近年に入って女装はしていないが、日本では認可されていない薬(女性ホルモンの働きを促す錠剤)をネットで買って飲んでいた。
副作用で血管が詰まりやすくなると知って恐ろしくなった母さんが正式に病院に通わせるようにした。
間にも何やらあったようだけれど、まあそうした流れを踏んであたしたちに打ち明けたらしい。
最近は好きな男がいるかもしれないと思っているけれどそれはセクシャル過ぎて聞けないし、夫婦仲も年々悪化していく一方だから、もう限界だろうと。
母は泣いていなかった。平気な顔して「まさか(弟)の方が平気でアンタの方が泣くなんてね」と笑った。「あんたお父さん大好きだったもんね」とまで言った。
デカくなってから口に出したことはないのに見抜かれていたのだと思った。また泣きそうになった。
母さんは悪い意味で凄まじいひとだ。
我が強く元々ヒステリックな質なので、甲高い声で怒鳴る。
大学の頃友達の家で鍋パしようとした時には帰りが遅いと鬼電掛かってきたのをとったら怒鳴り声が漏れてしまって、会を一瞬お通夜にしてしまったこともある。
“殴られたら殴り返す”を座右の銘にしていたクソガキなあたしと母さんの教育的制裁とで殴り合いになったことだってある。
もうあたしは落ち着いたものだけれど、今でも大学四年生の弟や親父との怒鳴り合いはちょこちょこ行われている。
頭に血が上ると手が付けられない、感情で生きているひと。
口論になった時は義務教育の敗北を感じることもあるくらいハチャメチャだった。
話を逸らして自分の強い土俵(家事全般を未だに引き受けてもらっているので頭が上がらない)に持っていき、怒りが収まるまで口撃し続けるのをやめてほしい。
そういう生き方だからガキの頃のあたしとは最悪の仲だったし、弟と父からは嫌われている。
それでも今までやっていけていたのは、母が狂気のひとだからだと思う。
母は片親だった。祖母と祖父が非常に仲が悪く幼い頃に離婚したため、祖母と妹と三人で暮らしていたらしい。
苦労したと言う。
経済的にも、色々。
専門学校は楽しかったそうだが、大学を出ていないことを負い目に感じていた。
親父と結婚する時には、父方の祖父母に片親なことを猛烈に批判され、別れろと言われて破局寸前まで行っていたらしい。
片親なことで苦労してきた人生だから、子どもたちは決して同じ目には合わせないと常日頃から豪語していた。そこから狂気が始まった。
十九年前からの親父の件もそうだけれど、ウチは色々問題が多い。
父方の祖母が首を吊って死んだから、あたしもそうしようと思った。
思ったよりベルトが長くなってしまって短くしたかったけれど足はつかなくて、絞まってきた辺りで母さんに発見された。
あたしのこと抱っこするみたいに持ち上げて叫ばれた時情けなかった。
(いい話風に言っているけれど母さんはあたしが高校に登校する直前、拒否反応で発作的に吐いてしまった時本気でぶん殴った。
掴まれて廊下引きずられて放りだされたけどゲロは片付けてくれた)
不眠症とうつ病(今は双極性障害二型)を診断されて、今も治っていない。
時々ひどくなって寝込んだりするし、色々ある。社員には到底なれないから大学を出て数年経った今もフリーターだ。
なんとかそれが落ち着いて、あたしが一年自宅療養の末に大学に進学し、弟も続く。
そうしたら今度は弟がアムウェイにハマり、終わったと思ったら詐欺事件を起こしてくれた。当時流行った持続化給付金詐欺だった。
親父が封書を見つけてあたしが間に入り、母さんに伝えた。
両親揃って弟を詰め、翌朝警察に自首させた。結果前科はつかず前歴だけついたのだが、当時は弟を放り出すか放り出さないかで少し揉めた。
弟と仲が悪いわけではないけれど、その時のあたしは自棄になってこれ以上のことをされたら困ると放り出す派だった。
親父に至っては既に絶縁の仕方についてスマホで調べていた。ただ母さんだけが弟の味方だった。
「帰る場所がなくなるのが可哀想。見張ってないとなにするかわからない。大学卒業までは家に置く」
この期に及んで可哀想なんて言うとは大物過ぎる。
言っている意味はわかるけれど、弟の性格を考えると当時は本当に前科者が身内から出るリスクが高すぎると思った。
「殺人しても受け入れるのか」と聞けば「怖いし何考えてるのかわからなくなるけど、受け入れる」と言う。母さんは涙を流して言った。
あたしは呆れた顔で「あたしは親じゃないから好きにして」とその場を離れることにした。
母さんはその後残った親父を何とか説得したらしく、お務めせずに戻ってこられた弟は無事我が家の敷居を跨ぐことができた。
その後もたびたび事件にはならない程度の問題を起こしては母さんと喧嘩しているけれど、無事である。
そうした出来事を思い出しながら今回の親父の件を聞いて、あたしは母さんに対する理解を越えた何かにようやく名前を付けられた。狂気だ。
とっくに崩壊している家庭を一つの家に何とか収めているのは、このひとが“両親の揃った家庭”に“家族”に拘り続けているからだった。
あたしが「死にたい」とこぼしていた頃に我慢して聞いて、親父の秘密を抱え込んで、弟の刑がどうなるかわからないとソワソワした頃を乗り越え、
毎日のようにあたしか弟か親父とやり合って「お母さんもそろそろヤバイよ病んじゃうよ」「最近更年期ひどくて……」なんて言いながら嫌われ疎まれながら毎日四人分の家事こなして
元気に犬の散歩まで行って弟に大学出てないくせにって馬鹿にされたから通信で放送大学卒業して土日はパートに行っているこのひとなんなんだろうなと笑ってしまった。本当狂気だよ。
母さんが途中で挫けていればあたしはあの日かその後の再チャレンジで死んでいる。
帰る場所のなくなった弟はまあ間違いなく自棄になるので今度こそ塀の中に入ったかもしれないし、大学は確実に中退になっていた。
離婚していれば今の家にはもう住めていないし、時期によってはあたしたちを支えた犬猫とは出会えなかった。
険悪すぎる、ほぼ崩壊している家庭だけれど、今の生活を繋ぎとめているのは母さんだ。
親父は抑圧されていたのかもしれないけれど、『トップガン・マーヴェリック』が本気で面白いからって語ったら元祖の『トップガン』を何度も見たという話をしてくれたのは最近だ。
ソーシャルゲームの『マギアレコード』を好きになってストーリーについて二人で話したのも最近のことだ。
なにより親父が「お母さんは嫌いだし弟とは縁を切りたいけど、お前のことまで見捨てるつもりはない」ってある日突然打ち明けてくることもなかったかもしれない。
今の状況は良くも悪くも本当に母さんのおかげである。
「なんか偉そうになっちゃうけど言葉見つからないからそのまま言う。ちょっと見直した」
母さんはちょっとびっくりした顔をして、シャッター押される瞬間に目つむった人みたいに笑った。
「嬉しー! アンタ滅多にひとのこと褒めないからね」
そうかもしれないとその時初めて気付いた。
友達相手にはできるだけ口に出しているのに、家族にはあまり言ったことがなかった。
良くも悪くも正直なあたしが作り置きのおかずをなんとなしに「美味い」って言ったら大袈裟に喜んでた理由がようやくわかった気がする。
イカレてると思ったことは数えきれないし色々あったので毒親チェックリストをスマホで調べて確認して伝えたこともあるし、
このひとがいなくなったらあたしはこんなにキレたり泣いたりしないで済んだのにと考えたこともあったけれど、初めて親相手に後悔した。
親父相手にじゃなかった。なんであたし母さんのこと認めてこなかったんだろうって本気で思った。あたしもあたしで必死だったけれど、もっと報われるべきひとだった。
「親父が『普通になるために家庭を持った』って言った時、利用されてたって驚いたけど、母さんが何も言わなかったからあたしはなにも言わなかった」と伝えたら
「いいこと言うー! それお父さんにも言って!」と喜んだ。やっぱり感情で生きている。後先のことを考えられていない。あたしが親父にそれを言ったら完全に断絶だと思う。
ホルモン剤で多少情緒が不安定になることがあるらしいしその傾向は正直あると思う。
元々デリケートな話題なのも相まって、なにで親父が傷つくかはほぼ手探りだった。母さんほどズケズケは行けない。
そうやって母さんのことを思い出し笑いしながら、ちょっと落ち着いてまた親父のことを考えた。
ていうか折角好きなゲームのオーケストラ聞きに来ているのに親父の下半身のことを考えていた。ちょこちょこ涙があふれた。
おかげで始まる前から死ぬほど感極まっているひとになっていたと思う。マジで近寄りたくない。
ともかく、枕元に性転換手術についての資料があるらしいから今すぐではないにしろ親父は本当にオンナになりたいんだと思う。
アレがなくなって、見た目が変わって、あたしは親父を愛せるかを考えた。愛せるなって思った。
『ロンドンゾンビ紀行』でおじいちゃんがゾンビ吹き飛ばして生還したシーンだけで泣いてしまえるタイプだ。原因は何であれ、きっと泣く。
けれど親父からしたら涙脆いからっていうのは理由にならない。折角あたしには会うって言ってくれているのに台無しになる。
“本当の自分を受け入れなかったひと”のくくりにあたしは入ってしまう。もう入っているけれど、その日の断絶はたぶん決定的だ。
ひとは決断に迷った時、自分のされてきたことを思い出すのかもしれない。
思い出すのは母さんと揉めて珍しく正義があたしにある時「オマエは間違っていない」と味方でいてくれたこと。
僻地への合宿で一時間に一本の電車を逃して泣きついたあたしを、キレながら車で送ってくれたこと。
二日酔い酷くて電車乗れなくてずっとゲロ吐いてるあたしをキレながら迎えに来てくれたこと。あたし最低すぎる。
そして何より、うつ病やって“普通”になれないあたしを肯定してくれた。
受け入れてもらったら受け入れなければならないわけではないけれど、あたしは親父を否定したくなかった。
どう考えても時間が必要だった。考えて考えて考えて考えてどうでもよくなるまで考えてからじゃないとあたしはきっと親父を傷つける。
ひとりよがりだけれどあたしはそれがすごく嫌だ。それにあたしも答えが出たつもりになっているだけで、あとから思うことが出てくるかもしれない。
失うことになったせいで補正が掛かっているかもしれないこと、思い出が美化されているかもしれないこともわかっている。
そして普段にも増して涙脆くなっていることは、あたしがまだ勝手にショックを受けている証拠だった。
親父はうちのボケ老犬が寿命を全うするまで、もうしばらくは家にいてくれる。
だから今は「おかえり」と「いってらっしゃい」を普通に言って、落ち着いたら好きな漫画とかの話をしてみようと思う。
少年漫画の特殊能力の強い弱いとか、来週の展開の予測とかそんなオチもなんもない話をしたい。創作物ってこういう時本当偉大だ。懸け橋にも味方にもなってくれる。
例えば弟が自首する時に母さんに深刻そうに「なにもってけばいいと思う?」と聞かれて「知るわけないだろ」と笑ってしまった。残念ながらあたしに自首した経験はない。
仕方なくスマホで調べたら留置所持ち込み不可リストみたいなのが出てきてまた笑った。気が早い。
自首することは別に拘留されることとイコールではなかった。そうやってニヤッと笑って、まあなるようになるかと気を持ち直す。そうしたら(全部母さんのおかげだけれど)本当になんとかなった。
今回も親父の一件であたしは「対腐女子相手に禁止カードを手に入れてしまった」と想像してニヤッとした。
あたしは元々BLが苦手なので、今度から一方的に語られた時などに「親父がオンナになって出て行ってるから、生生しい話はちょっと……」とつらそうに言えると思った。
ひとの心があれば謝ってきてそれから疎遠になる。多分一生使わない。
そうやってニヤッとできたのだから、今度もまあなるようになる。
あたしは両親どちらかを支持することはしないで、二人とも尊重したいと思う。
ガキの頃言ってこなかったせいか今になってこういうことになったからか、あたしは二人が大好きだと今気付いた。お恥ずかしい話。
アレは完全に嘘だ。
もしもアレが本当ならば重要だが緊急ではない仕事を進めることを理由に電話に出ない状態を続けることになる。
緊急のことについては重要でなくても緊急に対応する必要がある。
その中で優先順位を付ける作業にアイゼン・パワー・マトリックスなんてノイズにしかならない。
あんなものは結局どうとでも緊急度と重要度を書き換えていくらでも「な?言ったとおりだろ?」と言い張れる無敵のレトリックだ。
たとえば君がある日恋人から突き落とされて街中に全裸で放り出されたとする。
このとき「恋人に許しを請う」「服を着る」「怪我の手当をする」「とりあえず落ち着く」のどれを優先すべきだろうか?
恋人に許しを請うのは今すぐやらなければ致命的な結果を起こすかも知れないし、今やってもどうにもならないかも知れない。
急いで服を着なければ君は変態として留置所に行くかも知れないし、突き落とされたことによる脳震盪はそれよりもっと深刻な問題かも知れない。
溢れ出すアドレナリンによって痛みがないだけで本当はすぐに病院にいかなきゃいけないかも知れないし、実は受け身が完璧で全然平気なのかも知れない。
そんな状況の中でまずやることは落ち着くことなのかも知れないし、そんなことよりひとまず恋人のいた部屋に戻ってパンツと救急車を懇願すべきかも知れない。
さあこんなときにアイゼン・パワー・マトリックスが何の役に立つというんだねスミス君。
君の信じようとしたアイゼン・パワー・マトリックスは、これらの結果が出てから「それね。本当は重要で緊急な最優先だったんだけど、君は重要でも緊急でもないことをしてたのが悪いんだよね」と後知恵を入れるだけだぞ!
そんな奴に騙されるのはやめたまえスミス君
数が多くて切りが無いし、私も知識が無いのと途中で疲れてきたのでごく一部しか挙げられません。こんなのもあるよって方は教えてくれるとありがたいです。今はこんな感じですが、気が向いたら付け足します
フランス革命期における山岳派による独裁政治。王侯貴族のみならず、農民、革命家すら処刑され合計4万人以上の命が失われた。
革命政府に監禁されたルイ17世は激しい虐待に晒されわずか10才で死去した。
ボリシェビキの秘密警察チェーカーによる弾圧。反革命派・貴族・聖職者など最大130万人が殺害された。
皇帝・皇后とその5人の子どもが虐殺された。末っ子のアレクセイはわずか13才であった。
赤軍パルチザンが尼港を襲撃、6000人以上の住人を虐殺した。
スターリンの命令によりウクライナ人から家畜・土地が奪われ1000万人が餓死した。
スターリンの命令により反体制派と疑われた国民が多数処刑された。犠牲者は1000万人にも上るとされる。
ソ連がポーランドに侵攻したにも関わらず、西側諸国はそれを黙認した。ソ連の占領下で50万人が投獄され、10万人が強姦され、15万人が死亡した。
樺太の郵便電信局職員がソ連軍接近の方を知り、9人が自殺した。加えてソ連軍の虐殺により10人が死亡した。
ソ連兵に強姦され続けた日満パルプの女性職員とその家族23人が自殺。さらにソ連軍に物資が奪われたため、冬になると87人が死亡した。
ソ連軍の攻撃で緊急疎開船3隻が爆破され、1700人以上が死亡した。
ポツダム宣言受諾後、ソ連軍が樺太に侵攻。民間人も犠牲になり3500人以上が死亡した。
日本軍の捕虜57万人がシベリアに連行され、過酷な強制労働に従事させられ、5万人が死亡した。
連合国によるドイツの戦争裁判。事後法によりドイツの政治家や軍人を裁き、連合国の残虐行為を無視したリンチ
ハンガリーが非スターリン化を進めると、ソ連軍は武力でこれを弾圧。1万人以上が死亡し、首相のナジ・イムレは処刑された。
ソ連がアフガンに侵攻したが、戦局は泥沼化し、アフガンの政治情勢を混乱に陥れた。
ソ連がアゼルバイジャンの首都バグーへ侵攻し、1満員以上の死者が出た
大躍進政策により失脚した毛沢東が大衆を動員して、政権を転覆させた。全国で1000万人以上が犠牲となった。
共産党がチベットを武力で制圧。その後現代に至るまで文化的・政治的弾圧を加えている
共産党がウイグル人に対して行っている虐殺、洗脳、不妊などの弾圧。死者は100万人も上る。現在も行われている。
共産党が党大会を強行したため、世界各地にコロナウイルスの感染が拡大。死者は400万人にも上る
共産主義者難波大助による裕仁親王(後の昭和天皇)暗殺未遂事件。侍従長が負傷
朝鮮学校閉鎖に反発した共産党と在日朝鮮人が各地で暴動を起こした
共産党が平警察署を襲撃。職員に暴行を働き、留置所に監禁した。
日本共産党が山や農村を拠点とした武力活動を企むも、支持が得られず、警察の取り締まりにとり挫折。
共産党軍事組織中核自衛隊のメンバーが警部を射殺。その後共産党の幇助により国外逃亡した。
共産党員及び在日朝鮮人が無関係の一般市民の家を襲撃、放火した
吹田駅・吹田操車場で学生・朝鮮人らが暴動を起こし、一般の乗客にも負傷者が出た。
共産党員および在日朝鮮人が警察署を襲撃、警官70人、消防士1人、一般人4人が負傷した
共産党員が地主と妻・家政婦・小学生3人を暴行、重傷を負わせ、金品を強奪した。
共産主義者が日本航空のよど号をハイジャックし、北朝鮮に亡命した。
沖縄でゼノストの警備に当たっていた警官が新左翼による暴行の末火炎瓶を投げつけられ死亡した
連合赤軍が山中のアジトで同志に対してリンチを行い、12人が死亡した内ゲバ事件
大阪城公園内で起きた新左翼の内ゲバによるリンチ殺人。1人が死亡した
東アジア反日武装戦線による爆破事件8人が死亡、376人が負傷した
岡山大学北津寮を拠点にしよと目論む新左翼が寮を襲撃、1人が死亡、多数の負傷者が出た
新左翼が大坂第二合同法務庁舎に大量の火炎瓶を投擲したが、幸運にも1本しか着火せず人的被害はなかった。
不良少年のグループが女子高生を誘拐、1ヶ月以上にわたり監禁と暴行を加えた末に殺害。主犯者の両親は共産党員であり、自宅で事件が行われていたにもかかわらず見逃していた。
新左翼が新しい歴史教科書を作る会の事務所があるビルに放火した。発見が遅れていれば大惨事に繋がっていた。
共産党支持者がマンションに侵入し、共産党のビラを配布、住居侵入罪で逮捕された。
厚生労働省職員が新聞あかはたを配布し、国家公務員法違反に問われた
男組組長が反差別ワークショップを開催した際、初対面の助成に執拗な痴漢・セクハラを行った
カンボジア国内でクメール=ルージュにより200万人近い知識人らが虐殺された
どうせ自分の被害者感情優先で男側の事情なんて文字で書いてるほどは気にしてないだろうけど一応言っておく
男の性加害が仮に依存症由来であっても「男」が「加害者」である場合は司法の人とやらが言ってる通り刑務所にぶち込んでそいつを社会的に葬っておけば解決っていう
「男の命が安い」「男の尊厳は雑に扱ってよい」っていう問題が根底にあるんだよ
要するに男性差別な
そいつ殺しとけば秒で解決するのにわざわざそいつを含めた男の性依存患者全体を救おうと尽力してる奴なんて世界のどっこにも一人たりとも存在しないわけ
殺さないだけギリギリ人権守ってると言えなくもないけど逮捕拘留して人権奪ってさあ社会復帰しろとか誰も思ってないわけ
司法の人も言ってるだろ?土倉に閉じ込めとけばいいそれが救いだ(意訳)ってさ
いっぽうで女の場合はそもそも男より10倍は高いハードルを越えない限り「加害者」扱いにならないっていうチートスキルが標準で付与されてるし、
仮に加害者であってもその加害の扱いがメチャクチャ軽い傾向にあるし
それでいて性依存症と診断されたらシュバババ!!!って走ってきて警察に捕まる(ようなことをしでかす)前に保護してくれる公的機関がいっぱい存在してそのための制度と予算が揃ってんの
男にはそんなもんがないから警察検察司法留置所が受け皿になる訳
つまりお前が書いたことから男性差別の存在が容易に読み取れる訳
そんな台詞を司法の人が言ってる時点でまー人権意識とかこの世には存在しないんだなって暗澹たる気持ちになるね
お前も当然のようにそれに加担してるしマジで最悪だよ
1/7にTwitterのハッシュタグ家出少女で知り合った18歳の家出中の女の子とやり取りしてて
スマホのバッテリーが切れそうって事だったのと、家から比較的に近くに居たので迎えに行ってスマホのケーブルを買って家へ泊めました。
「この犯罪に至った経緯」とか書きたいけど身バレする可能性があるのと、あまり情状酌量の余地が無さそうな身勝手な理由なので書きません。
被害者についてはこの辺を一読してください。
https://anond.hatelabo.jp/20220331110822
その子を家に連れて帰って一緒にアマプラを見ていたのですが、その子が眠くなったということもあってベッドへ連れて行き、最初は腕枕をしていて、その後髪の毛などを撫でましたが
特に何も抵抗される事が無かったので、そのままわいせつ行為をしました。
1/8の17:30に駅へ送ってほしいとの事だったので駅へ送ろうとしたら、その子の親が僕のマンションの下に居ました。
その子の親が警察へ通報して、僕も一緒に足止めを食らいました。
10分後くらいに警察が来て、事情を聴かれたのですが、その際に色々と聞かれてわいせつ行為をしましたと答えましたが、
現行犯逮捕されて署に行った際には身上調査には素直に答えましたが、わいせつ行為があったかどうかは弁護士と相談して回答したい旨を伝えました。
初犯なのでさっぱり分からなかったのですがスマホは押収されて、DNAも取られました。ここ重要なので改めて書いておきますがスマホの捜査許可状とDNA取られるのは任意です。
また弁護士については宛があったのですが、その弁護士は会社の顧問弁護士だったため、あえて当番の弁護士を希望しました。
そして最終的に判決を迎えるのですが
判決は「初犯」と言うことも有り求刑通りの「懲役1年6か月と執行猶予3年」でした。
留置場に居た際は48時間以内に検察へ送付。72時間以内に裁判所へ送付される仕組みとなります。
当番弁護士は逮捕後の翌日に来たのですが、上述したように「わいせつ目的」は合意形成の上で行われたとの認識だったので「未成年者誘拐罪」にだけは答えるようにとの事でした。
その後検事などの取り調べはありましたが、容疑が「わいせつ目的誘拐罪」になっていたため、検察には否定して裁判官には黙秘で回答しました。
また裁判官へ依頼して改めて国選弁護人をつけてもらうようにしました。
逮捕後4日目に刑事から呼び出しがあり、待ち合わせ場所の確認と自宅へ行くとの事でした。
待ち合わせ場所については某コンビニだったのですが、そのコンビニまで行き刑事が色々と調べていました。
その後自宅へ行ったのですが、自宅ではその子の着ていたパジャマとかその子の飲んでいたお茶のペットボトルや僕の精液のついたティッシュやその時には使用していないアダルトグッズなどが押収されました。
最初は房長のオレオレ詐欺の出し子と窃盗の23歳の人(以降Aさん)と同房だったのですが、その後に入ってきたオレオレ詐欺の出し子が所謂ひし形の組の方(以降Bさん)でして、対応が面倒でした。
房長のオレオレ詐欺の出し子の人は大阪拘置所へ移送されて、AさんとBさんと同房だったのですが
異国の方が在留カードを貸したのと薬物絡みで捕まって同房(以降Cさん)になりました。
またその頃に刑事から取り調べがあったのですが、先にも書いたように自宅で証拠品が押収されていることも有り、「わいせつな行為自体」についても認める判断をしました。
ただ雑居房と言う事もあって、過去の経験者の知識が僕には全くなく、刑務官の見ている前でBさんと掃除の分担で揉めてしばかれそうにはなりました。
(房内のルールが悪かった)
また留置場内の楽しみは人と話すか官本を読むか筋トレと自弁くらいしかないです。
ちなみに僕の場合は現行犯逮捕された訳ですが、現金でお金を持ってないと自弁などが買えず非常につらいです。
10日後に検察から呼ばれて、「わいせつ目的誘拐やったやろ」としつこく聞かれましたが
先にも書いたように「わいせつ目的誘拐」ならあくまでお互いの同意の上との認識であるため、「未成年者誘拐罪」については認めましたが「わいせつ目的誘拐罪」については否認しました。
この時に弁護士を経由して被害者に対して示談を試みましたが、拒否されました。
勾留20日頃にAさんの未来を案じて、シャバに戻ったら一緒に仕事をしようって話をしたのですが
翌日に僕は体調を崩しました。熱は39度近く出て、コロナの抗原検査で陽性反応が出ました。
病院からコロナ対策の薬は処方されていて、そこで所轄の警察の留置場から本庁の警察の留置場へ移送されるのですが、その移送手続きには19時間近くかかり、僕はかなり疲弊しました。
またその際に起訴状が届き僕は起訴処分になったことを知りました。保釈については元嫁へ弁護士経由で打診しましたが断られました。
(親類が関東圏におらず友達は仕事繋がりばかりで、今回の保釈申請で頼れるのは元嫁だったのが現状です。)
コロナ対策で隔離されていて、警察官の方もコロナ対策で効果はあるのか知りませんが防護服を完全に着ていました。
いろんな意味で天国で、コロナの治療目的なので布団は引きっぱなしだし、洗面台もある感じでした。ただ手紙を書く事などは完全に禁止されていて、頼みの綱は毎日の官本3冊だけでした。
さすがに被疑者がコロナに感染すると取り調べなどは色々と破綻していたらしく、刑事が取り調べできずにパイになってるケース(初犯の詐欺事案、何回か捕まった事のある器物損壊事案)が何件かありました。
ただ僕は既に起訴されていた身なので、周りの雑音については全く無視していました。
どうも所轄の警察で刑事がコロナに感染してコロナクラスターが起きていたようで所轄の警察の留置場から10名近く本庁の警察の留置場へ移送されていました。
そして2/7に公判期日召喚状が届きました。それには3/7に裁判が行われる旨の記載がありました。
また罪状は「わいせつ目的誘拐罪」ではなく「未成年者誘拐罪」でした。
2週間後辺りに本庁の警察署の留置場から所轄の留置場へ移送されました。その後にBさんとAさんとが揉め始めました。
Aさんについては2/24に裁判の予定でして、それが簡易裁判所で行われることから罰金刑が予想されていたのですが
彼はコロナに感染する事無くそのまま所轄の警察の留置場へ居たのですが、僕たちが移送する前にBさんが不正行為を行っていたこと(体温を測るのを他人へさせたり、連絡先交換など)を
刑務官へチクっていたようで、それを言われてBさんがキレた模様です。
そのBさんはAさんに対して運動の際にしばくぞ的に脅したりとか僕の眼を失明させるぞ的な脅しをしてきました。
Aさんはその圧力に耐えられず刑務官へ別房への移動を申し入れてそれが受け入れられたのですが、僕に関しても上述したようにBさんからしばかれそうになっていたので、刑務官の判断で別房扱いとなりました。その後はCさんと僕が同房になりました。
Aさんはその後に簡易裁判所で裁判はあったのですが、別件でも立件されてしまって勾留が延長となりました。
その際に強制性交罪で逮捕された人(Dさん)とか何度も逮捕されているポン中の方(Eさん)とかオレオレ詐欺を教えていた人(Fさん)とかが同房になりました。
Dさんは知り合いの女性にお酒を飲ませてわいせつ行為を働いた件で捕まってしまっていて
僕と同じピンク系の罪なので話を結構しましたが、彼の罪は親告罪じゃないのと懲役5年以上の罪なので起訴されたらキツイって言う話をしました。
Dさんは20日程度勾留されていたのですが、被害者へ示談金を300万円払う事でパイになりました。またCさんについては保釈金400万円払うことで釈放となりました。
残る同房はEさんとFさんでした。
ちなみにDさんのイビキがとてもうるさくて夜はさっぱり眠れない日々でした。
僕はその頃には房長になっていたので房内のルールを改正しました。それは留置された時期は関係なくみんなに掃除などを交代制でやってもらうルールです。
厳密に書くと捕まって長期間逮捕されるケースなどがあるので、毎日同じことをやるのが変だと思ったからです。そこで交代制にしました。
特にトイレ掃除を固定にするのはあんまり良くないルールなので、みんなで分担するように変更しました。
被害者の親とか被害者の供述調書を見せてもらいました。読む限り私の罪は悪質だし、事実と異なる点が多々あったのですが、弁護士と相談の上で罪状認否で認める判断をしました。
同房の人に供述調書を見せましたが、これは「被害者側の落ち度も高い」から戦った方が良いとのアドバイスをもらいましたが、
僕は裁判の長期化が怖かったのと、弁護士の見解を受け入れて戦うのを避けました。
罪状認否では認める発言をした上で反省しているんだと分る感じにする作戦でした。
検察側は案の定、僕のスマホ内のわいせつ画像やわいせつ動画などを元にして「最初から未成年者とわいせつする目的であった誘拐だった」との主張をしてきましたが、僕はそれについては否認して
弁護側の質問で先にも書いた「抵抗されていなかった」などの情報を伝えました。検察側の求刑は再犯の可能性が高いとの事で「懲役1年6か月」の求刑でした。
弁護士の裁判官への見解としては「過去に泊めた未成年者とはわいせつ行為を行っていない」点と既に「取引先との仕事が行えず経済的な損害が300万円近く」でており社会的制裁をかなり受けていて情状酌量を求める形となりました。
僕の被害者への反省文はその場で伝えたので結審となり、次回の裁判は3/17となりました。
房内のベテランのEさんや刑務官の人に「裁判どうだったか?」と聞かれたので求刑「懲役1年6か月」でしたと伝えたら
恐らくそこまで悪質性が認定されないと思うので恐らく執行猶予の判決になるだろうとの事でした。
そのまま警察署の留置場で拘束されるのかな?と思ってたら、3/10に刑務官から拘置所へ移送される旨の話がありました。
3/11に拘置所へ移送されたのですが、拘置所に入る際は警察署で購入した歯磨き粉や便箋などは廃棄処分扱いになりました。
また拘置所に入る前の検査と言うのはかなり厳密で過去に自殺経験は無いかだとか陰茎に異物が入ってないかとかお尻の穴を見せなきゃいけないなどのルールがありました。
ちなみに拘置所では僕が眠剤を飲んでいることを説明したら独居房に入ることになりました。
留置場と拘置所の違いについて大きく違うのは横になれるかどうかでして
留置場は基本的に取り調べ以外の時間はどういう姿勢で過ごしていても良いのですが、拘置所は常に決められた位置で決められた姿勢で居なくてはいけません。
僕は留置場時代は午前中はずっと寝てて午後になると官本を読むという姿勢で過ごしていたので、拘置所では朝から確実に起きてなくてはいけないので結構つらかったです。
また官本が1週間に2回3冊交換なのと願い事は朝しかお願いできないのと飯が暖かいけど麦飯が留置場と拘置所の違いでした。
拘置所での唯一の楽しみはラジオとお昼寝の午睡くらいですかね。ラジオは21:00まで流れていてそれで気がまぎれました。
留置所と違って独居房だったので他の人に惑わされず済むのですが、とはいえ狭い独居なので窮屈では有ります。
判決について
拘置所から裁判所へは所轄の警察からの順送や逆走などのケースではなく
この部屋は地下にあるのですが異常に寒いのと、便器にティッシュがついていません。
したがって裁判前の人は拘置所からティッシュを持ってこないといけません。
執行猶予判決が出ると手錠は外されますが、僕の場合は裁判前拘置所へ戻されました。
1時間後くらいに担当の方が来て、拘置所まで移動することになりました。
拘置所へ戻ると荷物などを受け取って、釈放の流れになります。また執行猶予判決が出ると拘置所の方はフレンドリーになります。
ただ僕の場合はその場でスマホは返却されず、後日に所轄の警察署から返却されました。
ピンク系の罪なので仕方ないのかもしれません。
担当していた刑事さんからは「未成年者を性的な対象」とするのは「絶対に辞めなさい」と注意を受けました。自分の犯した罪を新たに噛みしめながら、これから更生して行こうと考えています。
今後について僕は自分の犯した罪状(刑法224条に抵触)については理解できていますし、SNSなどで家出少女を探して家に泊めて再犯することも無いですし
備忘録的に初犯で捕まった時の体験談として増田へ残しておきたいと考えています。今回の事案での前科と言うのは大変恥ずかしい話だと認識しています。
勾留についても70日ほど勾留されましたので、正直体力的に厳しかったです。
被害者についてですが、直接謝罪しようにもお相手が未成年者と言う事で連絡先など分からず、どういう形で謝罪を取るのが良いか分かりません。
ただ今後同じ犯罪を決してしない事で謝罪という形にしようとは思いました。
裁判の場で弁護士が裁判官へ説明しましたが、今回の事案での社会的制裁についてはかなり失ったのが現状です。これから先をどうやって生きていくのが良いのかを考えました。
その後についてFさんはパイになったので連絡先を交換していてLINEで繋がっています。
彼は僕が住んでいる地域から離れてる人では有りますが、今後も付き合っていきたいと思っています。
Aさんには留置場宛でお手紙を書きました。返事を待っている感じです。
CさんとDさんは連絡つかずどうなったか良く分かりません。
Cさんは恐らく国外退去になるとは思いますが、Dさんはお仕事大丈夫なのだろうか?
Eさんは捕まった事案自体はパイになったのですが、僕が拘置所へ移送後に別件で再逮捕されたようです。
Eさんにお願いされていた事は何点かあったのですが、Bさんとつながりがある点とポン中なのであまり近くに居ないほうが良いかもしれないので連絡先の住所などは教えていません。
Bさんについてはリアル組員なので別房に行ってからは一切会話などはしませんでした。
追記:ブコメで「きっと再犯する」って言ってる人達について、この辺を事前に読んでもらえると助かります。
https://anond.hatelabo.jp/20220331164353
https://anond.hatelabo.jp/20220331132809
追記:登場人物の辺りで冗長そうな記述を修正したのと、長くて全部読み切れないとの話が合ったので結論を先に書くように変更しました。
4月になり、学校に行き始めた
7月になり、愛猫が見つかったと留置所で聞いた、私より猫が先に見つかった
面会室でそのことを聞いた時は嬉しい気持ちと周りの人へのありがとうの気持ちで涙と鼻水と手汗が止まらず、きている服が体液でびしょびしょになり留置所の担当さんに驚かれた。
8月になり、釈放されて愛猫に会えた
いろんな、ところへの挨拶するのに忙しく体を休ませたかったことだけ覚えているし、いまだに挨拶ちゃんといけてないところもある。まだそこの件に関してはもやもやしている。
人生においてそこまで私は気にしていないので「ふーん」というかんじ。再犯する予定もするつもりもないし、何かしらの事件に巻き込まれて冤罪にならないといいな程度の考えしかない。
10月になり、彼氏と本格的に家を探し始める
12月になり、のんびりと暮らしてる日々が今日という今日も続いているわけですが、
過去に書いた眠剤の副作用や不眠症、体のダラダラなのそういうのが全部無くなり
夜23時には寝て朝8時に起きるという本当に健康的な日常を歩んでいる
愛猫以外に、トカゲが2匹、メダカが2匹いるんだけども、その子たちも元気
トカゲに関しては1匹が14歳なのであともって5年かもな、、という焦りを考えている
今は
飲んでいる薬はビオフェルミンか胃薬、生理の時にロキソニンぐらい
先週から月ー木の間は1日一時間から二時間程度、アフターエフェクトを触ってモーショングラフィックのトレスをして練習している
モーションって動きがなかなか浮かばず参考作品をたくさんみてはトレスしてみて動きの付け方を覚えて、、の繰り返しなのでなかなか個性がでない
まだまだ練習がたりないんだなと思っている