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2023-04-17

anond:20230416124352

"我が家ではポテトサラダのことを「芋のマヨネーズあえ」と呼ぶようにしている。「サラダ」という単語認知の歪みのもとなので絶対に使わない。"

anond:20230416125731

便乗して2023冬アニメ感想を書く

解雇された暗黒兵士(30代)のスローセカンドライフ

予想外に面白かった。十分な武力を備えた主人公調停交渉術をメインに問題解決していく様は格好いい。アクションシーンの作画予算少なめで残念

犬になったら好きな人に拾われた。

昔のお色気漫画のような無理やりな展開に「そうはならんやろ」と突っ込みを入れながら見たら面白かった

英雄王、武を極めるため転生す ~そして、世界最強の見習い騎士♀~

戦闘マニア主人公が毎回活躍して面白い。ハイランダーと血鉄鎖旅団銃夢彷彿させる設定。2期があったら観る

シュガーアップルフェアリーテイル

イケメンの苦悩を私が救ってあげる系。ジョナスのクズ野郎っぷりが一周して愛しい

スパイ教室

スパイ物+暗殺教室時系列倒叙なので全体としては尻すぼみだが、各話毎では面白かった。トリックを全部台詞説明してくれるのでわかりやす

真・進化の実〜知らないうちに勝ち組人生

最初からクソアニメとわかっているのでクソっぷりを楽しめた。ギャグパロディも全てしょうもない。愛すべきクソアニメ

人間不信冒険者たち世界を救うようです

クソアニメ。メインキャラ4人がパーティー組んだところがピーク。算数ベアナックルだの、ステッピングマンだの結局何だったんだ

お隣の天使様にいつの間にか駄目人間にされていた件

礼儀正しくて、ガツガツしてない男主人公に好感が持てる。キャラの顔(超イケメンとややイケメン、超美少女とやや美少女)をもっと描き分けてくれたら尚良かった

トモちゃん女の子

まずトモちゃんキャラデザの時点で大成功。がっしりした体格でパッと見男、よく見ると女で、しかちょっとかわいいという。

キャロル役にちゃん英語喋れる人(天城さん)を連れてきたのも良い。あとはキャラクター達がドタバタやってるだけで全部楽しい

転生王女天才令嬢の魔法革命

1話を見終わった時はすっげー面白いの始まったー!と思ったが、ドラゴン入れ墨辺りがピークだった。

ヤンデレ弟以降は今ひとつスッキリしないパーシャルな展開。

ED曲でキャスト2人(千本木さん・石見さん)がハモるところは最高なんだけどな~

もののがたり

話の展開が遅いと思ったら分割2期だった。まったり神様アニメ(例:我が家お稲荷様猫神やおよろず、いなりこんこん等)のカテゴリ

アルスの巨獣

世界観・各種設定は魅力的だが、その披露に終始した感がある

冰剣の魔術師世界を統べる

面白さはまあまあ。エリサ役の春村さんはもっと売れてほしい

最強陰陽師異世界転生記

主人公ちゃん無双してるので普通に面白い。意味ありげに登場して、やられちゃった敵パーティーよ…。きつねのユキちゃんかわいい

久保さんは僕を許さな

途中で放送延期になってしまった。久保さん役の花澤香菜さんに構ってもらう多幸感が心地よいアニメ

REVENGER

面白いけど、もっと一話完結の回を増やしてほしかった

もういっぽん!

だんだん部員が増えていくのがワクワクする王道部活物。ライバル選手達一人ひとりを体型含めて描き分けようという意欲が感じられてすごいと思った。続編があったら観る

Buddy Daddies

アンナ先生の魅力。それと木野さんの全開クソガキ演技と「俺はお前達の家政婦じゃねえー!」の名台詞が印象に残った

お兄ちゃんおしまい

最高です。色指定が良いんですよ。素晴らしいアニメを作ってくれてありがとう

2023-04-16

肥満家族を痩せさせた【追記

もーほんとに太ってて心配で、どうにかこうにかある程度のところまで痩せさせた。5年かかった。

体重は聞いてないから知らんけど、街で数年に1度見かけるレベルデブから、街に溶け込むレベルデブくらいまでになったと思う。

家族肥満心配な人は少しでも参考になれば。。

やったこ

お菓子を買わせず、こちから買い与えた

自分お菓子を買わせると、ポテチチョコレートコンビニスイーツアイスクリームみたいな高カロリーの組み合わせを1日で完食するので、こちらで選んで買い与えることにした。

デブお菓子我慢させることは不可能なので、「食べさせない」というのは無理。

お菓子を選ぶ基準

・ノンフライ

バターを大量に使っていない

の2点のみ。糖質を減らすと物足りなさから買い食いをするので逆効果。まずは脂質を減らすことから始めた。

よく買っていたのはカールハードグミ

ココアを飲ませまくった

どんなにお菓子を与えても溢れるチョコレート欲は抑えることができないため、ココアを飲ませることでなんとか気を紛らわせるように尽力した。

その後、ココアからコーヒーに徐々に移行していった。

もちろん完全に我慢できるわけがないのでたまにチョコレートは与えていた。

・とにかく寿司寿司寿司

いつだってバラ肉と揚げ物を求めるデブも、寿司の前には無力。なんとかして魚を食べさせようと考えに考えた結果、寿司を食べさせまくるという結論に落ち着いた。

シャリ炭水化物だし、脂身の多い魚もたくさんあるが、豚の角煮唐揚げマヨネーズをかけて丼飯を食らうよりははるかにマシ。

運動させるのは無理だと諦める

一定ラインを超えてしまったデブ運動はできない。絶対にできない。

動いてくれないことに苛立つ前に、最初から諦めておいたほうが精神衛生的にも良い。

自らの意思運動するようになる日を気長に待つこと。やったとて三日坊主になってもしないよりマシだと思うこと。

料理キノコでかさまし

ホクトに足を向けて寝られないくらい全料理キノコを入れまくった。

歯ごたえよし、低カロリー食物繊維豊富文句なしダイエット食材だが、デブはあからさまなキノコを嫌う傾向にあるので、少し割高だがマッシュルームをよく使っていた。

マッシュルームはオシャレに見えるらしくエノキ茸やぶなしめじを嫌がるデブには試す価値あり。

・ネトフリ映画ポップコーンゼロコーラ

放っておくと二郎を食べにいってしまうので、なるべく家からさないor外出時は一緒に出かけるように気をつけた。

から出させないためにネトフリで映画ドラマを見せまくって、ポップコーンを作り、ゼロコーラを飲ませた。

また、ホームシアターを買うことで、「家で見なきゃ損だな」という気持ちにさせた。デブは損が嫌いなので。

なお映画館に行くとチュロスナゲットを買うので、絶対に行かせてはいけない。


他にも細々したことはたくさんやったけど、大まかに紹介するとしたらこんな感じ。

本当に本当に大変だった。

本人も少しずつ真っ当な習慣が身についてきているけど、まだまだな部分が多いのでこれからも頑張らないといけない。

他にもおすすめ方法があれば教えてほしい。

追記

ブコメでたくさん褒められて嬉しい。

当の本人こちらがこの5年間どれほど頑張っていたかなんてつゆほども感じていないようなので、こうして努力が認められるのは本当に嬉しい。

今めちゃくちゃ泣いてる。みんなありがとう……。

どんな関係性か

一言で表すと、自分にとっては「義父」にあたる人。ただ、すごく複雑な家族構成なので書くと長くなってしまう。

複雑な関係性だけど家族仲はすごく良い。日本の上位5%に入るくらい仲が良いと思う。

野菜は食べさせないのか

生野菜などを食べると「健康になった」と勘違いして反動お菓子を食べるので、野菜で腹を膨らませるようなことはしなかった。

あと、細かいことだけど我が家ではポテトサラダのことを「芋のマヨネーズあえ」と呼ぶようにしている。「サラダ」という単語認知の歪みのもとなので絶対に使わない。

寿司カール食えば痩せるのか

そんなわけない。デブを痩せさせるために食生活を変えた(デブ側に寄せた)のでデブ以外全員が太った。これはマジで最悪。

なので自制心を持てる者は各自運動してダイエットしている。

2023-04-12

揚げ物は店より家で作ったものの方がヘルシー

店の揚げ物が油でギットギトで食うと胃もたれキツイ

ちょっとキッチンペーパーで油を落としたものを出して欲しい

我が家で揚げ物をしたときはしっかり油を落としていてヘルシー

anond:20230411233532

2023-04-10

発達障害二次障害(鬱、セルフネグレクト依存症)で入院中の兄の代わりに生活保護相談に行った。

他県からわざわざ窓口に来るだけでとても労わってもらえて心が楽になるような、こんな家族を持って申し訳なくなるようなモヤモヤした気持ちでいっぱいになる。

予想はしてたが家族は養えないですか?と聞かれた。申し訳ないが、ここ数年で兄のために500万以上使ってるし、これまで養ってた家族は老後の資金を使ってしまっている。

そして私は老後の資金補填に食料送ったり、ボーナスやらなんや理由をつけてお金を渡している状態のため難しい。(本人たちが素直に受け取らないため)

そのため生活保護を頼るようにケースワーカーから言われて役所相談に行ったが、終始私は何してるんだろうという気持ちだった。

兄に働かないならホームレスになってもらうしかないと強めに叱ったら自殺未遂をして強制入院になった経緯があるのでそのまま野に放つわけにもいかず、とはいえ養うこともできないので、病院に指示されるまま2時間かけて役所に行き、人様のお金を使わせてもらう相談をする。申し訳ない気持ちしかない。

現状鬱やら依存症にやらなっているが、そもそも兄の発達障害は軽度の部類。適切な仕事を選べば働けるのに病気理由に働かなかった。

以前働いてた仕事は「〇〇が頭おかしいから鬱になった」「勤務内容が求人通りじゃない(途中で部署異動になっただけ)」と文句言って辞めてる。

自分の知っている社会的ルールに沿ってないと感じると過剰に攻撃するタイプだったらしい。

次の仕事事務がいい、それなりに給与必要から吟味して探してるとか言い訳してたが、厳しく叱ると「俺は精神病だ」と病気を盾にしてた。

精神科から処方された薬を飲みすぎて目の焦点が合わずイラついている兄が恐ろしく、加害されないように強く言えない時期が数年あったのも良くなかった。でも、運動不足とはいえまだ30代前半の男性に勝てるようなスペック人間我が家はいなかった。自殺未遂して強制入院にならなかったら、今も怯えていただろうと思うとゾッとする。あの時、勇気を出して叱って良かったと思う。

本当にこんなやつが貰うための金ではないんだよなあ、と思いつつ、兄が自分役所の処理をすることもできない(叱られることが嫌いで税金未払い等の負目でいけない)ため完全に社会と断ち切られてしまって無敵の人ならいよう、病院の言うとおりにやっている。

仕事調節して、朝5時に起きて電車に揺られて役所行って、家に帰る時間もなく役所の近くのコワーキングスペース仕事を始める。本当に何をしているんだろうか私は。

兄が無敵の人になってしまって万が一事件を起こしたら私が社会的死ぬので退院して適切な施設に引き渡すまではと思って頑張っているが、私の社会的信用を人質にされている感覚がして辛い。

どうしてこうなってしまったのか。役所の人たちが親身に話を聞いてくれる度に申し訳ない。兄がひっそりと滅びてくれないだろうか。

2023-04-08

我が家定番

うちはほぼ毎日食卓胡麻が使われた料理が出るので、弁当にも1〜2品は胡麻入り料理が入っていることが多いんだけど、それを見た同僚から胡麻好きなの?」と聞かれた。

別に全然きじゃない(嫌いでもない)けど、なんとなく入れてるだけだと答えたら、「すごい。うちには胡麻はない。買おうと思ったことすらなかった」と言われた。

考えたことなかったけど確かに胡麻って別になくても特に困らない食材だなーと思った。常備してない家庭も多そう。

そしてそういうものって胡麻の他にも結構ありそう。一部の家では当たり前に使われているけど、一部の家では買うことすらないようなもの

そういえば食材じゃないけど、うちは洗濯とき必ず洗剤・ハイター・柔軟剤を入れるんだけど、人の家でハイターを見たことない気がする。

自動投入機能のある洗濯機とかも、洗剤と柔軟剤タンクしかいから使えねーなと思ってるけど、ハイター使わない勢のほうが多数派なんだろうなあ。

我が家定番」、他にはどんなものあるかな

2023-04-07

老いていく親に終活をさせるには【追記あり

追記した→https://anond.hatelabo.jp/20230409121152

以下本編******************************************************

両親を比較的早く亡くして色々その後の始末をした体験から。また、人の親の終活サポートサポートするような仕事をしていた体験から

大前提として、親と仲良くできてるか?

そもそも、「終活」って、そこまで「むむむ必須…!!」と思わなくてもよい。

そもそも、一番大切なのは終活する以前に、親御さんとちゃん円満人間関係を構築し続けておくということで、これが実は一番割と大変だったりする。

親がどこに何を仕舞っておきがちか、どんな人生を送ってきたかとかがなんとなく分かっていれば、別に整理整頓されていなくても残された子供たちで探し当てたりあちこちに問い合わせればいいだけなのでそんなに問題ない。親子の関係が良好なら、何なら親の方から大事書類や通帳や印鑑はこうやって保管してあるからね」とか言ってきてくれたりする。

そういう、あたたかくお互いを思いやれる親子関係でもないなぁ…という場合は、まぁまずは親に終活をさせる以前に、親子関係を良好化しておくことが必要

そうじゃないと何を言っても親は子の言うことなんて聞かないんだよね。親にとっては子は中高年になったところで子供だし、老い自覚があればなおさら我が子に対して頑なになる、ということはよくあること。

現代の老人の傾向、セグメント別

そもそも金持ち株式やら不動産やらを持っている人以外は、親が大した整理もせずに死んでもそこまで大変でもないことも多い。まぁそもそも、人が一人死んだらそりゃ多少は手続きやらが大変なので、そこはもうそういうもんだと思って。

親が金持ち場合。傾向的には、ガチ資産持ちの人は弁護士税理士やら銀行担当者やら、誰かしら外部の相談者がいることが多いので、まだ元気なうちに「営業に来てる銀行担当の人とか税理士とか、今度紹介しといてね」と言っておくと割とはかどる。税理士なんかがいる場合はほぼ無問題名刺交換しておけばおけー。

資産持ちの場合プチブル勢(高給取りサラリーマンや自営)の場合結構厄介かもしれない。親御さんがまめに日ごろから管理をしている人であれば心配ないが、GDP右肩上がり世代なので「なんとなく色んなとこに預けたり掛けたりしてるだけ」みたいなケースがあって、これはもう、がんばって、エンディングノートやら終活やらをしてもらう必要がある。

お金がなさそうな場合。自宅とちょっと貯金だけ、なんていう場合は、もうほとんど心配しなくていい。実際はこういうご家庭が一番多いんじゃないかなと思う。通帳、保険証券印鑑仕舞っている場所だけ、何かのついでに(例えば親がちょっとした病気入院した、とか体調崩して手伝いに来ている時とか)さらっと聞いておこう。銀行の届出印はちゃん確認しとく方が良いなと思うが、死後に届出印が分からなくても銀行に提出する書類が1枚増えるだけなので、まぁわりとどうってことない。「窓口の人」は基本親切だし慣れているのでどうしたらいいか聞けば大丈夫

もういちどおさらいだが、「銀行印が何かを聞いておく」とか「終活をお願いする」などは、要するに子供から老いて色々億劫になってきている親に頼む、大事情報を聞き出す、ということなので、その前に人間関係を良好にしておけ、というのが鉄則になるわけです。


マメポジティブな親御さんには、エンディングノートを渡すだけで割とオッケー

文章文字を書くのが苦にならない人、普段から日記をつけてたりする人は、比較的楽だと思う。

エンディングノート市販されている紙のものもあるが、アプリもあったりするので、親の性格に合った内容のものを子からプレゼントするのもよいと思う。

基本的必要情報

これぐらいが分かってれば財産回りは大丈夫。この辺は市販エンディングノートだと記入式で書いていけるようになっている。また最近終活アプリなんてのもあるので、スマホコンピュータがいける口の親御さんならそれでもOK

市販エンディングノート選びでいうと、例えば、記入欄が多いものズボラな親に渡しても嫌がるわけで、選ぶには匙加減が結構大事結構「思い出記入欄」とか「自分史書き連ねページ」とかがあったりする。そういうのを書くのが好きでノリノリで書きそうな親御さんなら、自分から書いてもらってついでに大事資産周りの情報も書いてもらえる。

逆にそういうのを全然書きたがらない親御さんの場合は…記入項目が簡単ものを使って、親にヒアリングをして子供ノートに記入していくのがお勧めズボラな人や「そういう書類作成したり整理したりする経験がない(今の高齢者世代だと女親は多くの場合就業経験が少ないので困る場合があるよ)人」は、緊張して思考停止ちゃうので、子供が寄り添おう。また同じ結論だが親子の人間関係を良好にしておく必要がある。

そして、しっかりした親御さんの場合でも、隠してたタンス預金やら隠してた借金やら、愛人がいたやら隠し子がいたやら、まぁ隠そうと思えば隠せるわけなので、あまり根を詰める必要はないわけです。

あとは、「死んだら葬式に誰を呼んでほしいか問題」も、エンディングノート項目にある。こういうのもノリノリで書いてくれる人もいるが、面倒くさがって書かない人も同じぐらい多い。書きたがらない場合は、実家年賀状を取っておいてもらう。正月帰省した時に、親あての年賀状を見ながら「この人誰だったっけ?」とか話をしながら、だと、整理する気になってくれるかもしれない。まぁ要するにノートに書いてなくても全然よくて、年賀状に付箋でも貼っておけばいい。

結構、長い時間をかけて、ぽつぽつとやる

エンディングノートひとつ記入し終わるのは、現役の我々でも結構めんどいので、一度には片付かない。1年、2年と、年単位ゆっくりやればいい。

比較的多そうで且つ厄介そうなケース、「ズボラ小金持ち親」と「忙しいしなんだか色々面倒で帰省は年に1、2回の子」の場合エンディングノート作ろうかと持ち掛けてから帰省頻度を増やして1テーマごとに埋めていく、みたいな作業想像した方がいいかなと思う。エンディングノートを作ることで親子関係を和らげて距離を近づけていく作戦。平行して介護が始まってきたりするんだよね…。

今日は通帳を整理したか乾杯!また再来月来るからそれまでに保険証とか、暇なときに探しといてねーと声をかけておく、次の帰省までの間にも連絡を入れて雑談をしつつ「見つかった?」と聞いておく、みたいな、まめな営業努力が効いてくる。通帳を整理し終わったはずなのに忘れてた通帳が出てきた、出てきたけどその通帳はとっくの昔に口座解約してたやつだった、みたいなことも起きます。でもまぁそれが笑い話になったりするので。

自分のことで言えば、これらの作業を両親とやっていたら、なぜか押し入れの奥から父の結婚当初の給与明細の束が出てきたり、両親の結婚デート写真が出てきたり、新婚旅行の時のメモノートが出てきたりとめちゃ楽しかった。照れて無口になる父、はしゃぐ母、はしゃいだ母は記憶力がぐんぐん回復していって笑った。

墓のこととか葬式のこととか、財産分与のこととか

親子関係改善しつつ、楽しくエンディングノート作りをある程度進めていくと、親の方からぽつりぽつりと、聞きにくいことを話してくれたりするようになる。人間関係構築は偉大。

我が家場合だが、一番面倒だったのは墓のことだった。

父親が三男、母親姉妹の長女だったので、母方の墓を引き継ぐんだろな…と漠然と思っていたのだが、母方の祖母(父にとっての義母)が100才近くで元気なのに、先に父が病気余命宣告が出てしまったので、墓の所有者である祖母よりも先に娘婿である父が墓に入る可能性が高まっていた。

実は、父と、母方の祖母はあまり仲が良くなくて、母と私は「お父さん、お墓どうしようかねぇ…」と悩んでいたのだった。

父は、仲が良くない義理関係の墓に入りたくないのではないか、それなら別に墓を用意するなり樹木葬みたいにしてもいいよね、と母と私は話していたのだが、一方で、母としては姉妹なので、実家の墓を継ぐ人がいなくなってしま心配もしていた。お父さんは海に撒いてくれと言ってたけど私は一緒のお墓がいいのよね…とか、別に墓を買えばいいじゃん檀家金もかかるしおばあちゃんが死んだら合祀しよう、とか、合祀にもお金かかるねぇ…なんて母と娘は少し前に話をしてはいたのだ。でも言い出せず。

ある時、余命カウントダウン中の父の病床で、子供たちと孫たちに囲まれて、私は父のそばで通帳とかの整理をしていた(生々しい)時に、父が私に「東京の爺さん(母方)の墓に入るからよろしく頼むよ」と言ってきた。お父さんそれでいいの?嫌じゃない?と聞いたら、まぁ婆さんはアレだったが爺さんにはさんざん世話になったしなぁ!色々面倒だろうからお前頼んだよ、と言われた。

もし順当に「祖母死去→母に墓を相続→父or母が墓に入る」であれば簡単だったのだが、順番が逆になってしまったので、実際ちょっと面倒だった。祖母と叔母(墓にまつわる利害関係者)への相談と許諾をもらったり、何やら一筆書いたり、父のカウントダウンと追いかけっこで奔走した。もっと早くに聞けてればなぁと思ったが、まぁそれもタイミングだし、しょうがない。病床で、傍らに金勘定してる娘がいて孫がわらわらしているところで「俺はあの墓に入るぞ!」といった父の話は今でも家族の間で語り草の笑い話だよ。

終活が思い出になるような逆転現象

母は、まぁ父の死の片づけをしたわけで、「自分の時はもっと効率的にやるわよー」と張り切っていたが、やはり割と急スピードで病を得て亡くなったので、志半ばという感じだったかもしれない。エンディングノートこそ作らなかったが、財産関連の書類ファイルに整理されており、友人関係については娘の私がかなり把握していたので、多くの人に葬式に来てもらえてよかった。ご近所のお友達はもちろん、中学高校時代からの長い付き合いのお友達や、職場の友人や転勤先で仲良くしていた友人や、私も知っている人や私も知らない人や、大勢が母の思い出を私たちに話してくれて、それがとてもよかった。

父は、生前自分のことを語らない男(昔の男性は割とそういうところがある)だったのだが、闘病が長くゆるゆると終活を付き合ったので、その端々で父がぽつぽつと話してくれた色々なことが記憶に残っている。

そして余命カウントダウン期間に「会っておきたい人をリストアップして!」と父に命令をしたので、大勢の人に見舞いに来てもらえた。なので正直、葬式の時はかなりラクチンだった。連絡先を聞いておけたし父の古い友人の中から葬式の手伝いをしてくれる人もいて、大学の仲間がだいたい何人ぐらいくるよ!とか、職場OBがだいたい何人くるよ、とか、取りまとめてくれて葬式代の見積めっちゃ捗った。お父さん人望あったんだなぁ…だっていいやつだったもんなーお父さん、と、しんとした通夜の夜にポロリとしたりね。

何ていうか、「死ぬ」というのは人生時間の中の一つの点ではあるのだが、一方で、その一つのである死に向かう状態が延々と続いていくのが人生特に老人の人生なんだよなと思う。

終活は、1カ月でで終わらせる!ということではなく、徐々にゆっくり何年も時間をかけて死んでいくタイムラインのなかで整理をしていくことで、その「整理する時間」ごと思い出になったりするような、妙に充実する時間だったような気もする。文化祭は当日より準備が思い出深い、みたいなことというか…。

親の終活を手伝うことで親との関係が良くなったりなんか味わい深い思い出が増えたりするから、早いうちから家庭内イベントとしてやるのがいいのかもしんない。

一般的にはエンディングノート業界では、エンディングノートは定期的に(数年に1度)見直して、変わったところがあったら修正しておきましょう、とか言われている。まぁ生きていれば当然、財産状態も友人関係も変化をするからね。なので「財産目録を作らねば」とか「エンディングノートを書いてもらわねば」というよりも、親子ですごく間遠な感じの過去日記をつける、みたいな取り組み方なのかもしれないな。

2023-04-06

我が家可愛い話を聞いて欲しい

夫と子ども2人がお風呂に入る前、すっぽんぽんになった状態

夫が「ちんちん1号!」と言うと

兄が「2号!」

弟が「3!」

って返事してるのがとても可愛い

4号もスタンバイしてるので楽しみです

こんなんお下品過ぎて現実では言えませんから

匿名万歳ですね

ペットボトル燃えるゴミ

うちの自治体、ビンと缶の回収は月に2回あるくせにペットボトルは月1回しかない

ビンなんてほとんど出ないし缶は潰せるから全然かさばらないけど

ペットボトルはどうしてもかさばるからゴミ置き場にすごく困る

家の中にゴミを置きたくないから屋外ゴミ箱買ってそっちに入れるようにしてるんだけど

半月ほどでいっぱいになるしめちゃくちゃ困る

この前、持ち込みゴミで持って行ったんだけど、そしたらペットボトル捨てるとこがなくて

どこに捨てるんですか?って聞いたら

燃えるゴミでいいよ」

って言われた

なんかペットボトル委託業者が回収してるので普通ゴミ収集なら燃えるゴミ扱いで良いとのこと

キャップもラベルも外さなくて良い(燃やすから)ってことだった

普段燃えるゴミに入れてくれて問題無いとの回答も貰ったので積極的燃えるゴミに出すことにした

これで我が家ゴミ問題解決

しかしなぜペットボトルが月1回しか回収されないんだろう

調べて見るとビンや缶と同じぐらいの買い取り金額なのに

2023-04-02

猫と引っ越し:再び

子供が生まれて、なんと三つ子なのでちょっと元のアパートには戻れそうにないということで再び引っ越しすることになった。

出産前は3ヶ月間ほど管理入院特に何か問題があったわけではなかったけどハイリスクということで)だったので、一番悩んだのは猫をどうするかだった。夫と猫はそれなりに仲良くなっていたけど、夫は猫を抱っこすることができない。寒い時期だったし抱っこ好きの猫にそれはかわいそうだと思い、いったん私の実家生活してもらった。母に抱っこしてもらって幸せそうな猫の写真を見ながら病院で過ごした。

産後退院後すぐ迎えに行って1ヶ月間ほど一緒にアパート生活。久しぶりの再開は顔と声で私を認識できたものの抱っこされたら病院匂いだったので「知らん人!!」となったらしく震えられた。でも、その日の夕方には私と分かってもらえた。

NICUにいた子供達が退院したら猫は私、三つ子と共に私の実家へ。車で30〜40分の距離半年もしないうちに3度も移動することになったので猫は大変だったと思う。

そして、三つ子が1歳になった先日、戸建てへの引っ越しをすることになった。結婚時に引っ越しときは2、3日ひっそり生活していたので今回はどうなるかと心配していたけど、新居に到着した30分後には探検を始めていた。

生後1ヶ月で我が家にやって来た猫ももう9歳。今回で引っ越し最後なので、この家でお気に入り場所を見つけて、よく食べてよく寝てよく遊んで、元気に長生きしてほしい。

anond:20200106131821

2023-04-01

今日のお昼はカレー。毎年この時期になるとルー消費量が増える我が家カレーを作ってはいたのだけど、いつも食べる時間12時過ぎだった。夫がいるとどうしてもカレーに手がのばせない。そして今日仕事から帰りながらルーがたくさん残っていることに気づく。お昼を食べるまでに毎日カレーを作るのを目的とした私は、おいしくないと当然食べるはずがない!とお風呂場まで持っていき、目を汚していたら夫も覗きこんだ。そして、水を入れた皿を使ってカレールーで溶かす

Anond AI作成

子ども中学生になる

今日は、我が家の子どもが中学受験が終わり、中学生になる日だ。なんとなく心の整理がついたので、日記を書こうと思う。正直言って、今回の受験はかなりハードだった。中学受験人口が増えて、いわゆるボリュームゾーン受験は厳しかった。知り合いには全落ちするケースもあったようだが、それは親の戦略ミスだろうと思う。子どもがかわいそうだ。

我が家の子もも第一志望の学校には合格できなかったが、妻が気に入っていた学校には入学できた。最低限、MARCHへの進学はできるだろう。親としては、学歴子どもに送ってあげることが義務であると思う。ただ、私自身は、学歴けが全てではないと考えている。子どもが将来、肉体労働になることになっても、それを応援したいと思っている。価値観は多様だからだ。ただ、子どもには、選択肢を広げておいてもらいたいと思っている。

今回の受験で、子どもたちにはたくさんのストレスがかかったことだろう。その分、私たち親も大変だった。しかし、これで終わりではない。これからも、子どもたちが成長する過程を見守り、必要サポートをしていくつもりだ。

築50年都内マンション様相 身寄りのない高齢者の補足

身寄りのない高齢者 https://anond.hatelabo.jp/20230329152826 を書いた者です。ここ数日は朝晩先生のところに行き、おむつを替えたり水筒にお湯を汲んだりそうめんを茹でて届けたり恨み節を聞いたりしておりました。

 

 コメントで、築50年、1970年代に作られたマンション様相についてイメージしずらい(しづらい)方がいるようなので書いてみようと思いました。

 

 このマンション1970年ごろ、23区内の都心ではない地域に建てられた。8階建て、64戸。間取り3LDK私鉄の駅から続く商店街を徒歩五分といった立地だ。私は昭和55年1980年くらいから住み始めた。幼稚園生だった。

 小学校入学するとなったとき、この地域には集団登校というものがあり、そこに参加することになった。マンションの一階のたまりに50メートル半径くらいに住む小学生が集まり、6年生の班長を先頭に行列して登校していた。下駄屋のせがれ班長レストランせがれが副班長スーパーのむすめにはよくからかわれていた。この集団が30人ほどで、うち15人ほどがこのマンションの子供だった。統計を見るとこの区の当時の小学生の数は今の倍で、同級生が5人いた。幼稚園のころ、鉢合わせるといつもいじわるをしてくる「とおせんぼうのおねえちゃん」と私が呼んでいた子が、入学式で同い年だと判明した時の驚きは今も覚えている。親同士も入学式を機に急激に関係を深めていった。それぞれ多様なルーツと職をもつ家庭同士が「同級生の子育て」という繋がりで協力関係を築きはじめた。地元の零細土建屋社長理工系技術者保育士共産党員福祉従事者、学者など様々な職種の親たちだった。仕事の忙しい時は子供をあずけたり、おかずを分け合ったり、土建屋おやじが釣ってきた魚をさばいて集まってみんなで宴会したり、うちの母が子供たちに勉強を教えたり、醤油砂糖がないときは借りに行ったりというつあいがはじまった。そういう関係性は同級生以外の世帯にも波及し、私が成人するまでは本当に長屋のような雰囲気があった。おばさまたちはたくましいコミュニケーション網で、マンションだけでなく地域情報を過剰に共有していた。マンション商店街に面していたこともあり、町内で起こったことはすぐに衆人の知るところになるような状態だった。救急車が来ればすぐに誰がどうなったか情報が回り、火事が起きたら皆が集まり、私が近隣で悪さしようものなら、すぐに母の耳に入るような、そんな街だった。

 おそらく80年代はほぼ全世帯が持ち家だった。新築で購入した住人ばかりだった。私の両親も、新築で買った父の弟が海外に赴任になり、譲り受けたものだった。なので高齢者ほとんどいなかった。近所にワンルームマンションというものができたという話が広まり住民がいぶかしがるような時代だった。独身者アパートに住み、地元民は一軒家に住み、新興の移民マンションに住むという構造だったのだと思う。商店街コンビニレンタルビデオ店が出現したのは80年代後半だったか。街が進化しているという雰囲気があった。(しか資料をみるとこの街の全盛期は遥か昔にあり、戦前から駅前には映画館集会場があり、商店街はその枝葉の脇道にまで飲食店や遊興施設にあふれていたらしい。私が知る商店街はメイン通りだけだ。映画館なんて想像もつかない)90年代後半に私が実家を出るまでは、商店街には勢いがあったように思う。オリジン弁当のはしりのような店で私はバイトしていたし、中規模の本屋ができたり、中古ゲーム屋ができたり、インディーズコンビニができたり、まあたらしい店舗が次々に出現した。外国人も増えていった。皆が東京未来を信じていた時代だったのだと思う。

 その後私は実家からそれほど遠くない、もうすこし大きな駅で自立する。歴史も規模も地元とは一味違った。そこではじめて都市生活者としての暮らしがはじまったように感じた。近隣に知り合いなどおらず、非常に個人的で閉鎖的な生活がはじまった。恋人同棲していたのでそんな環境でも寂しさはなく、気楽で自由暮らし謳歌していた。文化的地域だったのでアーティストやら文人やらといった有象無象とのつながりもでき、地元とは違うコミュニティでの生活は心地よかった。新興サッカークラブファンの繋がりなどもあり、自立して新たな人生をこの地域で歩んでいるという満足感もあった。今思うとJR沿線私鉄沿線では街の成り立ちが違っていた。どちらがいいのかはわからない。

 そんな2000年代。わが地元マンションは活気を失っていく。子供たちが出て行って高齢化たからだ。私が実家を見切った大きな動機の一つに衛星放送問題があった。マンション世帯四方にあり、衛星放送アンテナを南西だか南南西に向けられる世帯は限られていて、我が実家はどうしても衛星放送が受信できなかった。90年代後半に普及したCS放送を見るためにどうすればよいのかと苦心していたときマンション理事会が開かれるという。私は屋上衛星アンテナを設置し、各戸に配線することによってどの向きに位置する住人でも衛星放送を視聴できる環境を実現するべきとの議案を提起した。私は住人のおじさまおばさまへ向けてプレゼンしたのだが、投票の結果は否決だった。そのとき長老のひとりのおばさまの「わたし意味がよくわからなかったけど、反対にしちゃった」というつぶやきが耳に入り、ああもうここに住んでいてはいけないと思った。ここは朽ち果てるのだと本気で思った。この街には何の魅力も感じなかった。若い方には意味が分からない話かもしれない。固定電話インターネットに繋いでいた時代の話だ。

 「マンションの向かいの部屋」という記述がわからないというコメントがあったので、マンション構造について記す。我がマンションはいわゆる「内廊下であるエレベーターマンション中央部にあり、廊下も完全に屋内にある。外から各戸のドアは見えない。ホテルのような構造だ。階段も内部にあり、非常階段けが外部に設置されている。一階のロビー(といってもたまりと集合ポストがあるだけなの空間)に受付のようにガラス窓の事務室のような管理人室があり、そこは居住空間にもなっている。管理人住み込み管理会社が雇っている。部屋の所有者は管理会社だった。初代の管理人は私が物心いたころにはおじいちゃんだった。気のいいおじいちゃんで、前述した「先生」もこの管理人とは懇意にしていたそうだ。彼が引退した後、何人か後任が変わり、今の管理人は勤続20年くらいか。気さくな夫婦住民とは打ち解けている。数年前、管理会社方針住み込みでの雇用は打ち切るとなったときマンション自治会自治会費で管理人室を買い取り、管理人雇用することになったとのことだ。そのとき声明文で「高齢者が多くなっているこのマンションにおいて住み込み管理人は不可欠」といった文言があったそうで、先生はそれを根拠管理人介護を強いろうとしているところもある。管理人はそれを個人裁量判断する領域だと主張しており、それに対しては他の住民管理人に同情的な態度でいる。介護するほどの給料は払っていない。

 

 とりとめなくなってしまった。地域先生の話をひとつ

 マンションのふもとには公園がある。サッカーコートくらいの広さに、20メートルほどの高さの木々がぽつぽつとたっている。子供の頃は木々をよけながら野球サッカーをよくした。さして広くない公園なので、子供の打球でもしばしばボールは柵を超える。超えた先は民家や我がマンションの一階世帯だ。植木や窓や壁を破壊することもある。住人としてはたまらない。子供たちをどなりつけにくる。われわれ悪ガキはそんなこと関係なしだ。ホームランを打つと出てくるモンスターしか思っていないので、どうやって攻略してやろうかという遊びの延長としてとらえ、慣れてくるとからかったりする。怒り心頭大人行政に働きかけ、公園には「サッカー野球等の球技禁止です」の看板が立つ。そんなものも我々にはなんの効力もなかった。そんな折、被害にあっていた一階の住人である医師夫人が、先生師範学校の先輩だったそうで、先生に「あなた現役の教員なんだからここらの悪ガキに説教して頂戴」という指令が下った。先生はしかたなしにひきうけ、我が家に集められた子供たち親たちを前に話をすることになった。先生はそのとき野球サッカーだ窓を割るなとかいう話は一切せず、私が教えている学校には、いろいろな子供がいて、それぞれ固有の好奇心があり、自由時間には絵を描いている子もいれば、本を読んでいる子もいる、おしゃべりをしてる子もいるし、折り紙をしている子もいる。子供というのは自由環境があってこそ成長するものであるという話をしたらしい。私は覚えていないのだが、聴いていた父はいたく感心したらしい。先生にはそういう一面もあったようだ。

 たまに実家に帰るたびに衰退し活気を失っていったわがマンションも、2020年代から変化が訪れた。年寄りが死んで子育て世代が移り住んでくるようになった。私の幼少期とは数が違うが、小さい子供をよく見かけるようになった。外国人も増えた。賃貸の住人も増えた。私は離婚しひとり身になっていたところに、父の介護必要になり再びこのマンションに戻ってきた。父を自宅で看取り、そのまま母との二人暮らしがはじまった。職場も近いし、近隣にはなじみの人々がいて、それなりに快適に暮らしている。スーパーのむすめも今となってはわたしいじめないし、買い物に行けば談笑くらいはする。先生最近どうなのという話題は常にあがる。先生スーパー下駄屋の軒先で店主をつかまえて延々と話し込むのが日常だったし、出歩けなくなってからは困るとスーパーにも電話してきて助けを請うので、みな戦々恐々としているのだ。なぜ先生のことをそんなに詳細に知っているのかというコメントもありましたが、こんな地域では先生の詳細なくらしぶりなど、個人情報というより災害情報のように扱われているのです。ケアマネもすぐにその輪の中に取り込まれる。そんな地域なのです。

2023-03-31

旦那の同僚が無能なせいで、我が家しんどい

無能が逐一「これでいいですか?」「この件はこう回答したらいいですか?」って聞くから旦那自分自身仕事やれないんだってさ。

しかも、回答はちゃんとチェックしないととても他社に回答できる内容じゃない、爆弾が混じってるんだってさ。

前に教えてあげたこと、何回も聞き返してくるんだってさ。メモもしてなきゃ、過去メールチャットを探すこともしてないんだって丸わかりなんだってさ。

どうすればいいですかって聞く時、旦那1人だけに聞くんだってさ。全体チャットで聞いたら上の人に「また?」って言われるのを避けたいんだろうなって。

そのせいで旦那が夕食時も夜遅くまでも在宅仕事→その間の家事育児全部私なのよ。

私も8時間勤務して帰ってきて、そこから全部やるのしんどいのよ。

夜遅くまで仕事してるせいで朝なかなか起きてこなくて、その分朝の支度が全部私なのもしんどいのよ。

ほぼ出社してるから、朝子どもの面倒見ながら自分のことバタバタやるのがしんどいのよ。

最近何が楽しくて生きてるのか分からんのよ。

1人無能がいると、他所にまで影響が出るんだよ。

せめて1回やったことはメモしてくれ。過去メールを探せ。

2023-03-30

妻のSNSストーカー

最初きっかけはふとしたことだった。

休日の午前中に俺がリビング掃除をしているとき、妻がリビングソファに寝転がってスマホをいじっていたので、何の気なしに画面を覗くとTwitterつぶやき投稿しているところだった。

 

 

「夫が朝からこれ見よがしに掃除中。正直、掃除クオリティ微妙なので点数稼ぎにはなってない。また部屋の隅っこにホコリ残ってるよ・・・

 

 

共働き我が家では、掃除は全て俺の担当で妻は担当外だが、だからといってこんな言い方があるものか。と、瞬間的に頭が血が上った。

怒鳴ってやろうかと思ったが、それと同時に他にどんなツイートをしているのか気になった。

どうせ怒るなら全ての陰口を見てから言ってやろうと思ったので、瞬間的にアカウント名を記憶し、さっさと掃除を終わらせた。

 

そそくさと自室に籠って、さっき覚えたアカウント名で検索すると妻のアカウントはすぐに見つかった。

どうやら素性を明かさな範囲日常愚痴を綴るだけのアカウントだったようで、フォロワーもまちまちで知り合いはいなさそうなものだった。

早速過去ツイートを見てみると、会社愚痴が2割、社会への愚痴が1割、そして俺への愚痴が7割だった。

 

俺への愚痴は、さっきみたいな家事クオリティに対するものから、日頃の振る舞い、プレゼントセンスが悪いなど多岐に渡るもので、1年以上ツイートを積み重ねているようだった。

ツイート内容はあくまでも妻主観のものなので幾つか反論や弁解の余地があるものもあったが、9割方は俺が100%悪いと思えるものだった。

なので、怒っていた気持ちツイートを遡るうちに萎えしまい、むしろ俺はなんてダメな夫だったんだろうと悲しさが増してきてしまった。

 

その時、妻が俺の部屋をノックしながら「お昼どうする~?」と聞いてきた。料理は妻の担当だ。

俺は悲しい気持ちでいっぱいで食事どころではなかったので反射的に「なんでもいいよ」と素っ気なく返事した。

その瞬間、妻のツイートの一つが頭をよぎった。

 

 

 

今日も夫に晩御飯は何が良いと聞くと、なんでもいいよ、と返ってきた。"なんでもいい"は一番困る、といつも言っているのにどうして直してくれないんだろう。馬鹿なのかな?」

 

 

 

俺はハッとして、慌ててドアを開けて「だけど、もし作れるならチャーハンが良い!」と小学生のようなリクエストを付け加えた。とっさの料理チャーハンが浮かぶとは俺もまだまだガキだなと思った。

妻は俺の慌てぶりに一瞬驚いていたが、少し笑いながら「おっけ~。あ、キムチ余ってるからキムチチャーハンでもいい?」と返してきた。なんだか上機嫌だ。

一緒にキムチチャーハン食べているときもなんだか上機嫌だった。

 

キムチチャーハンを食べ終わると、晩御飯は何が良いかと妻が聞いてきた。

昼飯の直後に晩飯の話かよ、とも思ったが妻の上機嫌を損ないたくないし、今度は大人の味覚を見せつけてやろうと思いビーフシチューリクエストした。

妻は「シチューの素はルーでいいよね?おっけ~。どうせならバゲット買いに行くか」と上機嫌を維持しているようだった。

 

そして俺は洗い物、妻はバゲット買いに近所のパン屋に買い物に出かけた。

20分後、俺は洗い物を終えてソファでくつろいでいると妻が帰ってきた。

ふと気が付くと、ちょっと不機嫌になっている気がする。なんだ?なぜなんだ?

俺はトイレに行くフリをしてスマホで妻のツイート確認してみた。

 

 

 

「珍しく料理リクエストをしてくれたので嬉しかったが、また今日も皿洗いのあとシンク回りがびちょびちょのままになってる。いつも誰が拭いてると思ってるのか。落差でいつもよりガッカリくる。」

 

 

 

・・・俺はなんてダメなやつなんだ。トイレから出てふと部屋の隅をみると、妻が愚痴っていたはずのホコリがない。

さっき掃除したときはむかついた気持ちがあったので俺はあてつけのように隅っこのホコリ放置したままだった。

そうか、これも妻が掃除してくれていたのか。それに俺はいつも気が付いていなかっただけだ。

 

 

それからというもの、俺は妻のアカウントをこっそりチェックしては妻のダメ出しを反省し、行動を改めるようにした。

すると明らかに妻は上機嫌でいることが増え、夫婦仲は付き合い始めの頃よりもラブラブになっている。俺も幸せだ。

そして、いつの間にか妻の愚痴ツイートも減っていき、いまや会社愚痴が6割、社会への愚痴が3割、俺への愚痴が1割となった。

 

いつかは俺への愚痴ツイートを0割にすることが今の目標だ。

今日は妻は会社飲み会と言っていたので、増田と妻のツイートでも読みながら一人晩酌を楽しもうと思う。 

 

・・・おや、妻がまた新しいツイート投稿したようだ。

 

 

 

今日は彼とのデート。夫には会社飲み会といつものように嘘をついたが、疑っている素振りは一切なし。まじでチョロいwww

 

 

2023-03-29

猫が7歳なので遺言を書いた

それはもうひどいペット依存

東京在住30代前半独女。好きなものネコチャン。宝物はネコチャン。三度の飯よりネコチャン。

そんなネコチャンと出会ったのは2016年のこと。

仕事で病んで休職中、徒歩15分の保護猫カフェネコチャンはいた。

人にも猫にも懐っこいサビ柄の女の子。ザ・仔猫の時期は過ぎていたけど、1歳未満だったはず。 保護猫だから正式な年齢誕生日がわからないのが寂しい。

遊び道具やごはんを他の猫に取られても怒らないし、構ってほしいときは隣にちょこんと座って、撫でてくれるのを静かに待っている。かなり健気で控えめな子だった。

人の膝に乗るのが大好きで、何度も通っているうちに、他の客の膝に乗っていると嫉妬めいた気持ちを感じるようになった。キャバクラ女の子独占欲を抱くおじさんの構図だった。

健気なこの子もっとワガママにしたい。

思い切り甘やかしたい。大事にしたい。ひたすらかわいがりたい。

そうしてネコチャンの里親になることを決めた。申込から審査クリアしてペット可の家に引っ越しトイレやらキャリーバックやらの備品を揃え、「猫を迎えるまでに準備すること」みたいなサイトを片っ端から読み倒し、あっという間にネコチャンは我が家にやってきた。

適応力が高い子だとは聞いていたけれど、家について30秒ほどでいわゆるクン活を終え、ベッドの真ん中にごろり寝転がったのは恐れ入った。豪傑。いや逆にそんな簡単チェックで大丈夫なのか。

で、7年が経ち、日々耽溺している。

おそらくわたし人生で最も多く発した単語ネコチャンにむけた「かわいい」だし、大好き、愛してる、ずっと一緒にいようねも毎日飽きるほど繰り返してる。人間同士なら絶対に重たい。ネコチャンを賞賛する適当替え歌を口ずさみ、一挙一動の愛らしさに悶絶したり膝から崩れ落ちたりしている。かわいさは1日ごとに記録を塗り替えていて、こんなかわいいネコチャンと暮らせるなんてつくづく幸せ者だなと思う。

その代償ではないけれど、人付き合いは減った。

特に飲みに出かけることがほぼなくなった。

うちのネコチャンは置き餌をあまり食べないというか食欲のムラっけがあるタイプで、留守番中は時が止まったかのように、水も飲まなければトイレにも行かないことが多い。何度か掛かりつけ医に相談したけれど、これは性格らしい。

昼間はグースカ寝ているから良いとして、夜に出掛けるとそのあいだ時を止めてじっと健気にわたしの帰りを待っているのだ。ああもう出掛けてなんかいられない。外泊?もってのほか。夜は家にいるのが大正解ネコチャンと寄り添って過ごす時間こそ至高。かわいいね、かわいいね、わたしネコレートちゃん…。(猫+チョコレート造語。マイスウィート的なノリ)

ネコチャンはたぶん7歳。シニア入り口にいる。

大げさじゃなく、ネコチャンがいなかったら生きている理由希望もない。

君は私のすべてではない。だけどいないと全てがダメになる。倖田來未歌詞マジでそれ。

できることなネコチャンの心臓と連動する時限装置を体内に取り付けたい。何かあったらその1週間後にわたしも爆発できるような。

ほら、今こうして「何かあったら」と書くだけで鼻の奥がつんときた。それくらいわたしネコチャンに何か起きるのが怖いし、ネコチャンのちょっとした老いや不調を感じ取った瞬間、体の内側にヘドロを塗りたくったように苦しくてたまらなくなる。

ネコチャンは最近嘔吐する頻度が増えた。

超音波検査では異常なしだったけれど、心配心配で、その日どれだけいいことがあったとしても、ネコチャンが一度吐いてしまえばメンタルは地の底まで落ちる。依存、しんどすぎる。

何度も何度も冷静に考えて、やっぱりネコチャンがいなかったら生きている理由希望もない。わたし世界ネコチャンがいるから成立している。

から遺言を書いた。

この年齢にしては貯まっているお金はいくつかの保護団体に遺贈したいこと、ネコチャンと同じお墓に入りたいことを書いた。

一応、書き方マニュアル?を読みながら書いたけど本当に法的効力があるのかはわからない。でも今はこれでいい。

しんどくなったら本棚の扉を開けて、遺言を認めた封筒を見る。

わたしネコチャンは未来永劫一緒だ。

少しずつ身辺整理も進めたいし、一番の問題はhowの部分だけど、病んで以降まだ服薬中なので、そういうのをうまく使えばいいのかなと思っている。

だらだらと書いたけど、今はまだ仮想の逃げ道。永遠にそんな日が来ないように願って目を瞑っている。

ネコチャン、ずっとずーーーっと元気でいてくれよな。

愛してるよ。

妻がアイドルにハマった話

昨年の11月後半ぐらいから妻が急にアイドルにハマった。なんかすごい人気のグループの一人で今年の5月グループ脱退、秋に事務所を辞めることが決まっているらしい。今まで10数年一緒に暮らしてきたけど、妻からアイドルが好きとかこの俳優さんが好きとかそういう話は一切聞いたことがなかったので、意外だった。どちらかというとアイドル嫌悪気味だったと思う。寝耳に水。

きっかけは確かお兄ちゃんガチャかいう不穏なワードドラマ。内容はファンタジーらしいけど、ちゃんと見たことがない。主題歌は妻がずっと「お兄ちゃんガチャ~♪ガチャガチャ♪」と歌っていたのでなんとなく覚えた。トイレ自分無意識に口ずさんでいたときは苦笑した。そのドラマでハマった妻はドラマBlu-ray Boxを買い、その子所属するアイドルグループ番組Huluでずっと流していた。

CDを買い、ライブBlu-rayを買い、ファンクラブに入り、Twitter情報垢(真偽が不明情報を流しているアカウントらしい)というのを見つけてきて、「〇〇って書いてあった。もう好きじゃない。嫌いになる」と言っては、翌日には「やっぱり好き。情報垢なんて嘘しか書いてない」というのを何度か繰り返していた。その後、他のファンツイートを見るためのアカウントを作ったりと一気に推し活への階段を上がっていったように見える。その界隈特有(?)の言葉も覚えたそうだ。

推しが出てるドラマTwitterトレンド1位にあげるべく実況をしたり、YouTube再生回数を稼ぐためにずっと流していたり、TVer順位をあげるために流していたり、CDコンサートBlu-rayを手に入るもの形態買ったり、出ている雑誌を片っ端から買ったりと「推し活ってお金時間もかかって大変なんだね」と言いながら楽しそうにやってる。同じものを積もうとしたときは流石にそれは止めたら?と言った。

推しが髪の毛を切ったタイミングたまたま私が髪の毛を切ってくるといったら、「これぐらい刈上げてきたらいいよ」と推しと同じような髪形を薦めてきた。どんな髪型でもよかったので、その髪型美容師さんに見せて切ってもらった。妻の感想は「似合う似合う」と言ってくれたけど、その後すぐに「でも今度からは好きな髪形にしていいよ」とも言っていた。あと「がっつり刈上げが似合うのは〇〇くんぐらいだな。やっぱり〇〇くんはイケメンって改めて再確認した」とこそっと言っていたのを私は聞き逃してはいない。

好きなものを見つけるのはいいことだし、思う存分推せるとき推したいとき)に推せばいいと思っている。

妻の母はそのアイドルが出ると「どこがいいの?全く分からない」と妻の想いをばっさり切り捨てるので毎回ちょっと笑ってしまう。でもTVで見かけるとLineで教えてくれるらしい。

外見の変化で言えば、人生で初めてちゃんとしたメイク落としを買ったと言って喜んでいた。ものさなタイプなので洗顔フォームですべてを終えていたらしいが、それではダメだと考え始めたらしい。日焼け止めちゃんと塗るようになったと得意げに報告してくる。ダイエットのため着圧タイツ(そんなものがあるとは知らなった)を買い、ウォーキングに勤しみ、ジムらしきものにも行こうとしてる。今までカラスの行水だったお風呂スピーカーを持ち込み、歌を流しながら1時間半以上入るようになった。健康的になるのはいいことだ。

妻がアイドルにハマるなんて今まで一回も考えたことなかったし、そんな日がくるとも思ってもみなかったけど、(楽しそうに家計が許す限りにおいては)こんなものか…という感想。多少拒絶反応があるかと思ったけど、普通に受け入れられた。

困ったことといえば、今まで妻の愛情一心にもらってきた愛猫が少し寂しそうなこと。よくテレビ邪魔するようになった(邪魔している姿は可愛いのだが、愛猫の愛にもちゃんと応えてあげて欲しい)。あと家にある端末がYouTubeを回すためやらなんやらに占領されてしまうことがたまに厄介。

我が家楽しい日々のためにも妻の推しには今後も活躍していってほしいなと思う。

テレビ

私は26歳の男。今は一人暮らしテレビを持っている。毎日見ることができる。

なんだそりゃと思うかもしれない。テレビくらい持ってるし見れるだろと。

でも昔はテレビがなかった。

母は言った。忘れもしない。私が小学2年の1学期のころ、テレビ教育によくないと。

からテレビが消えた翌日。我が家の小さなブラウン管テレビ粗大ゴミ置き場にあった。

どうしてこんなことをするのだろうと思った。家に持って帰りたかったが重たくてびくともしなかった。諦めた。同級生が見ている番組は私は何もわからなくなった。何を話せばいいのかわからなくなった。無口のまま。周りと話せない。孤立が加速し、排除された。

テレビが見たい。リビング新聞テレビ欄を見る。スターウォーズをやるらしい。

テレビが置いてあった方向に顔を向ける。テレビはない。そこには水色のラジオがある。俯いた。学校に行く。同級生の話の中で昨日この番組を見たかと話をする。うらやましい。

同級生友達と楽しく話をする。私は何も話せない。家に帰る。誰もいない。父は仕事

母は弟の送り迎えと世話。姉は部活台所にたつ。皿を洗う。床を見る。髪の毛と埃が目立つ。掃除機をかける。母が帰ってくる。お手伝いありがとうと言われる。テレビが見たいと私は言う。母は教育によくないという。手伝いの報酬として5円もらう。貯金箱をばらす。

テレビを買う金額には遥か遠い。友達の家に行く。どの家にもテレビがある。友達テレビがあることを気にしていない。テレビゲームをつなげる。私はその時しか触れない。友達毎日触れる。私は下手くそ友達うまい格差を知る。家に帰る。テレビがほしいという。駄目といわれる。どうしてと聞く。どうしてもと言われる。俯く。新聞テレビ欄を見る。ナルトをやる。そういえば同級生ナルトの話をしていた。でも私は知らない。同級生毎日楽しく話せることでコミュニケーションの積み重ねをする。私は格差と親の選択残酷さを知る。同級生コミュニケーションを取ることを苦に思わない。私は何を話せばいいかからないまま。テレビがあれば同級生と楽しく話せて、情報キャッチも人並にできたのに。26歳の一人暮らしテレビを見れる。でも今はテレビ以外にも情報はあふれている。皆それを上手く使いこなし、楽しく話せている。私はもうできないと思う。

家族テレビを見ている。昔のことなどなかったかのように平然と見ている。

だんだんからなくなってきた。今も私は独り。周囲と楽しく話してみたかった。

あのとき楽しく話すことを養いたかったけどもう手遅れ。抗うのも疲れた

私は26歳の男。周囲と楽しく話してみたかっただけの男。昔に戻ってやり直したいだけの男。

2023-03-28

結婚前に夜職で働いていた顔の整った母親は、離婚後また夜職に復帰した。

直後に知り合った妻子持ちで一回り上のおっさんに水揚げされ、マンションの一室を借りてもらい私と母はそこに住んだ。

メンタルがあまり安定していないおっさんは、母親の見えないところで私のことを低頻度に重たく虐待した。

押し入れに閉じ込め、布団用のビニール袋に閉じ込め、自力で降りられないタンスの上に座らせ飛び降りさせ、水を張った洗面台に頭を押さえつけ、手足をガムテープでぐるっと巻いてベランダに出し、また別の日には雪の降る深夜にパンツベランダに出し、鼻血が出るまで頭を叩く。

ガムテープで巻きが少ないと案外蒸れで剥がれるのと、ベランダで排尿するとめちゃくちゃ臭いシミになることを知った。

まりの寒さにプランターの土の中に足入れたら暖かいかな?と思いつつも虫が怖くてできなかった覚えがある。

ベランダ鼻血事件雪国とかではなく東京住まいだったのと、さすがに母親が見つけて止めたので大事にはならなかった。

大人になって聞いたけど、ベランダに出されたこと以外のことは知らないらしい。

ただ、普通ベランダ事件の時は「余計怒らせそうだったから、奴が帰ってから申し訳ない気持ちベランダを開けて助ける形になった」と言っていた。

その場ですぐ助けないならそのどうでもいい反省文は正直一生聞きたくなかった。

小学校高学年になったこから妙になる。

どうにも家賃光熱費おっさんが払っていないらしく、ライフラインが止められ、やくざのような振舞いと見た目の大家保証会社不動産が頻繁に家に来るようになった。

私と母はクローゼットに隠れる術を覚えた。

これぐらいの頃から母親おっさんと別れる別れないの話をしだしたらしい。

私はと言えば学校毎日行われる帰りの会での1分間スピーチが嫌すぎて不登校になっていた。

なんだかんだあって引っ越すことにはなるが、道を一本挟んだ先なので引っ越し後も保証会社の怒涛の取り立ては続いた。

顔がよくできている母親にはマイルドに接する保証会社人間が、当時まだまだガキの私に当たり散らすのを見て結構引いた。

引っ越した後の母親は夜職に復帰することはなかったが真面目に働くこともなかった。

バイト面接を受けて合格しても行かない、そもそも面接もばっくれたり、

ちょっと続いたかと思えば何の仕事か知らないが収入ムラがかなりあるいかがわしそうなバイトで、帰ってきて深夜にコンビニファミレスドンキで何千円も買い物したりした。

ただ正直子供心にこの深夜おでかけは楽しかった思い出でもある。

ももちろんそんな浪費をしていれば払うものも払えないので今度は完全に母親責任家賃を滞納する。

お小遣いも一応もらっていたが、結局生活費にされたり、買ってもらったゲームも「お前は何もしないんだな」と売られた。

こう考えると今の世のダウンロード販売って最高!

母子家庭に数か月に一度振り込まれ給付金のようなものがあり、

中学校制服はそれで買う予定だったのだが保証会社区役所電話して「住んでいるか・生きているかからない」などと宣い期日に振り込まれず、私は以降自分用の中学校制服を手に入れることはなかった。

結局制服レンタルできたので困ることはなかったのだが、まあ生活でも躓いているし徒歩で行くにはちょっと学校が遠くてだるくて結局ろくに通わなかった。

住んでいる部屋の向かいの部屋が大家さんがサブで使っている部屋で、時々鍵が開けっ放しだったのもあり電気拝借したり食べ物を盗んでいた。

まりに困窮していたのでその事象を当時は受け入れなんなら楽しんでさえいる瞬間もあったが、まあ普通全然マジで到底許される行為ではない。

そうこうしているうちになんだかんだで生活保護受給することになる。

元々治療法が確立されていない(ただし死ぬようなものでもない)病を持っていた母親と、義務教育の娘が居るというのもあり爆速受給が決定。

更に引っ越した先では保証会社が取り立てに来ることもなく、母親が持ち前の癇癪を起こしたり暴力を振るう以外はあまり問題なく比較的穏やかで人間的な生活が送れる、かと思った。

母親が一週間全く眠らないままインターネットナンプレをしては気絶したように眠り、眠っている間に急に痙攣して吐血するようになった。

病院をすすめても頑なに拒否

また、浪費癖別に治っていないので最低限の生活費を頂く生活保護下では普通ゴリゴリに困窮していた。

なんなら母親喫煙者だったので、外で吸えそうな吸い殻を拾ってこいと怒鳴られたし、

さらに言えば近所のスーパーでめちゃくちゃ万引きさせられていた。

その影響かは分からないがめちゃくちゃ防犯カメラが増えたのと、数年後にそのスーパーはなくなった。

全然勉強していなかったがやればちょっとできる人間なのが幸いして近所の高校には合格した。

制服も買えたし、彼氏もできたし、一応月のお小遣いをやりくりして友達と遊ぶとかができたので学校生活は今考えても中々満足している。

ただ母親不眠症もひどく、登校日の夜中30分おきに私を起こして起きなければブチギレるのは勘弁してほしかった。

twitterにそれを若さゆえのめちゃくちゃな暴言愚痴ったらバレて携帯を折られた。

高校2年の冬に家に帰ると母親が消えていた。

彼氏と親戚に泣きながら電話して、彼氏のご両親の計らいで泊まらせてもらった。

深夜に警察から電話がかかってきて、覚せい剤所持で母親逮捕されたとのことだった。

まあガッツリ使用もしていたようなのだが、緊張で全く採尿できず、できる頃にはもう検出されなかったとかで使用の罪はつかなかったらしい。

やたら外に吸い殻を探させに行ったのはガラスパイプ覚せい剤を吸うために家から追い出したかたからだった。

しかきっかけは、新居にも持ち込んでいた旧居からあるかばん。

「以前付き合っていた(この記事では冒頭に出てきた)おっさんかばんにガラスパイプと少量の覚せい剤が入っていて興味本位で」だそうだ。

私の人生、正直このおっさんが居ないだけでもっと色々違う気がしてくる。実際どうかは知らない。

でも「興味本位で手を出した」だと罪が軽くならないとかで「交際男性性交感覚を高める目的ですすめられた」ということにしたらしい。

裁判にも出廷したが、制服で出廷するのはめちゃくちゃ目立つのおすすめしない。あと傍聴席意外と人間がたくさん居る。

この覚せい剤事件、当時はあまり私の心に傷を残していないのだが数年後じわじわと着実に蝕んできた。鈍感。

彼氏には罪状を伝えていたが、ご両親にはさすがに言えなくて、でも逮捕されたことだけ伝えた。

マジでいいご両親だった。

2か月半ほど留置された母親懲役1年6か月執行猶予3年で桜が散った頃に出てきた。

初犯は大体この感じで出てくるらしい。

あの日々の暴言暴力覚せい剤のせいだったらと願ったが別にそんなことはなかった。

たださすがに悪いと思ったのか母親もやや大人しくなり(当社比覚せい剤分の出費が減ったおかげで生活はやや楽になった。

一方私はバタバタ生活保護になったこともあり進学を希望していたが、そもそもできるのかよく分からないままモヤモヤしつつ就活をした。

1つもらった内定面接時点で分かる驚きのブラック加減で、高校の進路室の先生が辞退させてくれたものの以降内定をもらうことができないまま卒業

彼氏母親は熱心な宗教2世学会に入らないかと親子ともども勧誘を受けて最悪だった。

それが理由じゃないけどしばらく後に別れた。

1年ガチニートをキメたあと、親戚の伯父に頼んで教育ローンを借りてもらいつつ(返済は自分奨学金も借りて専門学校へ進学。

生活保護上の世帯分離を行っているので、いくらかは納めないといけないがバイトもしてある程度お金自由ができて楽しかった。

が、やはり就職できないまま卒業してしまう。160時間インターンを乗り越えて尚落ちる。落ちたけど外注仕事報酬ゴミはいくつかもらえた。

ただこの就活失敗から親と教育ローンの借主である伯父との関係は最悪になった。

生活保護課の人間にも説明はしたので教育ローンの返済を伯父にしているのは容認してもらっているし、

バイト継続していたので控除額で大半は払えていたがまあ「進学しといて就職できないゴミカス扱い」がひどく最終的に私は親戚と連絡を断絶した。

私がもちろん悪いのだが、如何せん死んだ方がマシ、生まれたことが失敗レベル暴言毎日4時間電話で親と親戚が話しているのを聞いていればそこそこ首を吊りたくなるのには充分だった。

ちなみにこの伯父は私の月々返済している教育ローンと同じぐらいの額面で、奥さん内緒で借入中であるレイクの利息をうちの財布から払っている。(2023年現在も)

一定時期からインターネットきっかけで彼氏ができる。(直接会ったりする健全なお付き合いである。)

2つ3つほど年下だったので、相手就職タイミングぐらいで同棲できたらな...というのと、区役所の圧もあるので就活に乗り気になった。

相手就職したタイミング転職やすいぐらいの年数働いて、同棲できたら社会的にも真っ当になれるしいいことづくめだなと。

なっが~い年月同じ場所で働く気でもないのでかなり気楽に就活して、数か月後に内定をもらった。

雰囲気が良くて小さい会社事務

めっちゃしかったけど、分かってくれたのは彼氏だけで親や親戚には「なんで今更?」「時期が悪い」「保護費に(調整が入るので)差し支える」と散々だった。

で、最終的に4日でやめた。

別に仕事が嫌だったとかじゃない。

実際、勤務初回2日のあと3連休があったが休み明けも普通に出勤した。

内定承諾書保証人欄に署名してもらえる人間が居なかったからだ。

伯父は無理でもさすがに親にはお願いしたが「続くかわかんないもんに署名はしない、お前のことな保証はできない」とのことだった。

会社の人に誤魔化しつつも書いてもらえなかったと説明した時の空気が耐え切れなくて次の日から行けなくなってしまった。

この時からもう真っ当な就活をする気は完全にゼロになった。

就職に合わせてバイトもやめてしまったので控除もなくまるまる保護からのローン返済で生活はカツカツになった。

以降は基本ガチニート期間だ。

ちなみに数年後、この4日のうちに仕事を覚えるべくめちゃくちゃとったメモを親が発見して「こういうの見してくれれば署名したのに馬鹿だなw」と言われた。

あとこの時のインターネット彼氏はモラ気質がすごくて最近別れた。

数年前にここで愚痴記事書いたら思ったより多くの人に読まれ、焦って消してしまったレベルのモラだった。

元々私はインターネット創作活動をしており、しばらく後にはそれで小銭を稼ぐ機会に恵まれ始めた。

けどこのお金を正しく申請すればローン返済の足しにはならない。

申告時期に使用していなくてうっかりと申告していない銀行口座がある。そこに入金してもらえばバレなかった。

ローンの返済がそっちで賄えるようになってから生活は楽になった。

でも相変わらず毎日首を吊りたいし、親や親戚の死ね圧は消えない。

いまだに人間としての扱いをしてもらえず、親が呼べば何をしていようが駆け付けねばならない。

たとえその用事が親の手の届く範囲にあるペットボトルを渡すことでも。

かに疑問を持ったり、機嫌を悪くしたり、大きな声で喋ってもいけないとされている。

そうしなければ所持品はすべて捨てられめちゃくちゃに暴力を振るわれる。

いつ区役所にばれるかも分からないし、税務署も怖い。でもローンは返済しないといけないし家を出ることもできない。

就活に使える己の自信なんてとうにない。色々アングラすぎて人には相談できない。

どうしたらいいんだろうなこれ。

親と別で受給とかできたら、きちんと全部申告しつつ生活もできていずれ自立とかできるのかな。

別で受給とか無理そうだけど。急にスパダリとか沸いてこねえかな。

この記事に出てくる地域人物はきっと多分フィクションです。



追記

アングラ部分についての批判もっと出るかと思っていたので少し安心しました。

他所機能不全家族がどうかは分かりませんが、少なくとも母親の機嫌次第では我が家は笑って過ごす日もあります

また、ちょうど比喩として首を吊りたくなった直後に書いた記事でしたので、母親の負ばかり取り上げています私自身も逃げ癖アリ意気地ナシなどの問題を含みます

現在の形は結局不正受給にあたるため今後どうなっていくかは分かりませんが、読んでいただいた方々ありがとうございました。

内定承諾書保証人について

仰る通り、今になって思えば他に打つ手があったなと感じています

当時はショックと不安の方が強く、また家庭のヤバさを隠したさすぎて会社の方に相談するという手は思いつきもしませんでした。

万が一今後改めて就職活動をする気力が湧いた際には気を付けたいと思います

anond:20230327170329

ほぼうちの兄と同じで笑った。笑い事じゃないんだけど。

親が勝手するなら親に託して逃げた方がいいと思う。

親が自分達が死んだ時のこと考えてないだよね。何歳になっても子供可愛いらしくて親の責任が〜とかまだ若くて未来あるから借金払ってやったらゼロスタートさせてあげようとか舐めたこと言う。

我が家場合

お前ら死んだら妹の私が一生面倒見るわけだけどどうすんの?私は面倒見ないし、兄の面倒見るなら面倒見たやつごと捨てる。

それに借金肩代わりしたって何度でも繰り返して自殺未遂して、そのうちうっかり成功して早死にするだろうから、死んだ時に「兄が死んだのはお金さなかったからだ」ってなる方がいいかお金無駄にして「肩代わりしたけど死んだ」ってなる方がいいか選べ。

って言ったら黙った。

まあ、兄が自殺未遂の末に医療保護入院になってからだけど。

それまでは役所病院弁護士事務所にも相談したけど親身に話は聞いてくれるもの最後は「ご本人に来てもらわないと」でなんも解決しなくてつらかった。

自分の心を守るのを優先してほしい。

てか、自分の命で要求通そうとするやつだぞ。借金がどうしようもなくなった時に自宅に来て暴れる可能性も見据えて引っ越しも考えた方が良い。

増田増田家族が1番大事

2023-03-25

岸田政権はさっさと退陣してくれ

https://news.yahoo.co.jp/articles/01d20b97077d926b4465a55924e90379460400dc

児童手当の所得制限撤廃を明記へ 政府少子化対策たたき台

この国の政治家愚か者しかいないのか?

現在日本で考え無しに子供を作るのは経済力皆無の低学歴無能馬鹿しかいない

そんな連中の子作りを"我々の税金を使って"支援してこの国の将来になると本気で思っているのか?

我が家の近所に日頃から違法行為を繰り返している馬鹿がいる

嫁の実家居候しているTという男だ

この男、嫁の実家からいつまで経っても出て行けないくせに子供だけは2人も作っている

しかも両方とも無職期間に

頭がおかしいとしか言えない

こんなことが許されているのも国がこういった馬鹿支援をせっせと行っているからだ

この男の子供が将来まともに働いて税金を納めると思うか?

親すらまともに税金を払っていないのに?

生活保護受給しながら親譲りの馬鹿さを発揮して子作りに励む姿しか想像できない

そうして負の連鎖は続いていく

いい加減、この国は低能無能保護するのはやめろ

きちんと働いて税金を納めてくれている有能な人間にこそ還元すべきだ

少子化からと言って有象無象子供を作れという時代はもう終わった

これからは将来的にきちんとこの国のためになる存在のために税金投資するべきだ

今、岸田政権が行おうとしている政策は将来の犯罪者予備軍を増やす愚策に他ならない

こんな政権はさっさと退陣してもらうべき

2023-03-23

兄弟葬儀

彼は長男として色々な期待と重圧を受けながらも、両親からとても愛されて育ってきたのだろう。

兄弟だった彼は、幼かった頃は隣県に住んでいた事もあり、盆や正月には叔父と共によく遊びに来たものだし、私達も両親と一緒に遊びに行ったものだった。

ところが私が中学に上がった頃、叔父の転勤と共に簡単に往復できる距離ではなくなったこから、“もっとも、当時の我が家の状況を鑑みると、理由はそれだけではないようだが”彼との音信は完全に途絶えてしまい、無事就職が決まって今は勤務先の新潟に居るらしい、という事を叔父から伝え聞いていただけだった。

彼の訃報を受け、私は両親と共に叔父の元へ赴くことになったのだが、私達が斎場へ到着した時にはまだ親族関係者の誰の姿もなかった。

斎場職員に案内された通夜会場には故人の亡骸が納められた棺だけがあり、叔父の到着を待たずに棺の窓を開けて故人と対面した。

いたことに、十数年振りに見る故人は少なくとも私の記憶にある幼い丸顔の彼ではなく、彫りが深くてひげの濃い、独身だった頃の私の兄と瓜二つの容貌だった。

甥の顔を久しぶりに見た両親も、死に化粧所為かもしれないが、と前置きしつつ、本当に寝ている兄のような顔だと。

気がつくと叔父は私達の後ろに立っていた。

正確に言えば会釈するまで、“少なくとも私は”叔父だということに気づかなかった。そのくらいにやつれてしまっていたのだ。

故人の仕事を後押しして遠方に送り出した叔父は、何度も何度もうわ言のように後悔の言葉を口にするばかりで、先に到着していた私の兄と叔母の弟に辛うじて支えられているような状態だった。

その日の夜行われた通夜には、身内だけだと言いながらも、叔父夫婦関係者のみならず、沢山の故人の同級生や友人達が訪れ、予想していなかったのであろうか、叔父は引きつった表情ながらも、その日一度だけ笑顔を見せた。

通夜が終わった夜遅くに私達は叔父夫婦に家へ招かれ、二人は故人の思い出話、そして故人の最後と、再び自分の後悔の言葉を口にした後で、長男に先立たれた現実を、まるで自分達に言い聞かせるように話してくれた。

実は私の両親は、今日まで叔父の家を一度も見たことがなかった。

叔父には、一度だけでも兄夫婦に自らが努力の末に築いたささやかな城を見て欲しい、そういう思いがあったのかもしれない。

実は数年前、私は一度だけ妹を連れ、叔父の家に遊びに行ったことがある。その時故人はおらず、叔父夫婦が私達の相手をしてくれた。

当時の記憶は薄れ掛けていたが、部屋を案内されて少しずつ思い出してきた。

しかし、リビングキッチン荷物が散乱した様は几帳面な筈の叔母のそれではなく、二人の心境をそのまま表しているのが見て取れた。

その後、叔父は一人葬場へ戻り、冷たくなった息子と一緒の最後の夜を過ごした。

翌日の告別式の席上、叔父喪主挨拶の途中で言葉を詰まら号泣したが、振り絞るような声で最後まで読み上げ、叔父、叔母、叔母弟の家族一同で深々と弔問客へ頭を下げた。

皆で献花台の花を分けて棺に詰めて故人を飾ったのだが、沢山の花と思い出の品で個人の顔以外が埋め尽くされた棺の蓋を、叔父夫婦は中々閉じることができなかった。

火葬前にもう一度お顔を見られますから、と葬儀屋に促されてようやく蓋を閉じ、友人と親族で棺を黒い霊柩車まで運んだ。私も棺を持った一人なのだが、両手で抱えた棺は青年となった故人が納棺されているとは思えない程に軽かった。

故人と喪主は黒い霊柩車に、その他はマイクロバス揺られ、住宅街を抜けた郊外にある広い霊場に到着した。

途方も無く広くて、幼い子供たちが芝生の広場で遊んでいる、公園と見紛うような穏やかで緑豊かな風景が.だからこそ余計に、冷たい打ち放しコンクリートの壁で覆われた霊場の中で、故人の棺を囲む我々との落差を大きく感じさせる。

最後に皆で別れを告げ、叔父夫婦もしばらく名残惜しそうに棺の蓋の窓を開けて顔を見つめていたが、叔父が意を決したように閉じ、そのまま故人は荼毘に付された。

火葬が終わった後に行われる骨上げは、当然ながら丁重に死者を敬って厳かに執り行われる儀式であるが、この霊場における骨上げは、霊場職員ステンレス製の台に乗せられた遺骨の部位一つ一つを細かく説明しながら骨壷に納めていく、という正直なところ厳かとは少々距離を、いや、ある意味では場違いエンタメ性すらも感じさせるもので、さながらテレビで見る検死のワンシーンか、解剖実習のようにも見えた。

詰め込み始めて間も無く、若かった所為もあって立派な故人の遺骨は骨壷に納まりきらないだろうことが、誰の目にも明らかに映った。

目の前で全てを納めるように親族一同懇願したのだが、霊場職員は、納めるには遺骨を砕くしかないですが、と説明し、少々躊躇った後で、遺骨を擂り粉木のような棒を使ってバリバリ音を立てて潰しながら骨壷に詰め込み始めた。

“恐らくこれは霊場ではよくある光景に違いない”とはいえ、私でさえギョっとしたそれは、叔父夫婦にはたまらなく暴力的に映ったのだろう、叔母は声にならない悲鳴を上げて顔を真っ青にし、叔父はたまらず席を外してしばらく骨上げの場に戻れなくなってしまった。

しかしながら、骨になって無残に打ち砕かれた息子に背を向けて震える叔父にも、今にも卒倒してしまいそうな叔母にも、声を掛けられる者は、私を含めて誰も居なかった。

ただ骨を潰す不気味な音だけが響き、霊場職員は黙々と骨壷に遺骨を詰め込み、皆無言のままそれを見つめる他無かった。

来場した時と同じバスに揺られながら、来た道を骨壷を抱えて斎場まで戻るとすぐに、父は叔父夫婦に手短に別れの挨拶を告げ、足早にその場を後にした。

時間が迫る訳でも無い筈。いくらなんでも実の弟になんと冷やかな…そう私は思いながらも叔父達に頭を下げ、父の背中を追って車に乗り込んだ。

すると父は、私の気持ちを察したように車内で私と母に、こう諭した。

冷たいかもしれないが私達が居ても何の慰めにもならない。他の親族の足止めになるだけだ、と。

実は、集まった親族の顔ぶれは叔母関係者が中心を占め、叔父側で駆けつけたのは私達と兄だけという、どちらかというと叔母側の意向が強く見て取れる葬儀と、叔父夫婦現在関係性は薄っすらと私にも理解できていたが、父はこの場においてもその事について一切触れなかった。

そして悲嘆に暮れる弟に対する同情の言葉を口にし、人のために涙する父の姿を生まれて初めて見た。

故人の命日は何の因果誕生日の前日、24年と364日の本当に短い人生だったが、彼にとっては辛くて長い戦いの日々だったのかも知れない。

故人の御冥福を謹んでお祈り申し上げます

実家に戻ると家を空けていた間に、少々痴呆気味で放って置けない祖父の面倒を見ていてくれていた妹が迎えてくれた。

両親に促されて、“もっとも、父も母も叔父と会話できるような心境になく、私にこの役目を押し付けただけなのかもしれないが”無事帰宅したこと叔父電話で告げると、本当に良かった、と喜んでくれたが、これから色々と大変でしょうが…と言ったきり私は言葉が続かなかった。

私の様子を察したのか叔父は、今日ありがとう、それじゃあ、とだけ言い、電話は切れた。後日私の兄から聞いた話では、電話の後すぐに叔父は眠ってしまったらしい。

この3日間殆ど眠れていなかったのだから当然だろう。

叔父長男との淡い思い出を夢に見ながら目を閉じたのか、それともこれから差迫るであろう、暗い現実想像しながら横になったのかは、私にも分からない。

※ 一部修正しました。

夫婦間の家事育児負担について

不要偏見は持たれたくないので性別は書かずに、我が家家事育児負担を書いてみる。

どっちの方が負担が大きいか客観的意見をもらえると助かる。私は収入も合わせて考えるとAの負担の方が大きいと思っている。

家族構成: 夫(32歳)、妻(30歳)、息子(3歳、保育園)

      ※夫婦共にフルタイム共働き

食事:   朝食はAが週5日、Bは週2日

      息子のお弁当はAが週1日、Bが週4日

      夕食はAが週5日、Bが週1日、外食が週1日

      食材の買い出しは週末に家族全員で行く。

掃除:   全て外注ゴミ捨てはAが全て担当

洗濯:   平日は外注休日洗濯機・乾燥機回すのはA。洗濯物を畳むのは外注(土日の洗濯物は畳まずに放置し、月曜日外注に任せている)。

保育園関係:送りはBが毎日担当。迎えは外注。その他の細々とした手続き等は全てBが担当

育児:   息子のお風呂はAが週3日、Bが週4日。寝かしつけはA、B二人で担当

その他:   生活用品の補充(ネット通販)はBがすべて担当

       残業出張はA・B共にほぼ無し。Aは月2回程度の仕事関係の会食あり、その日の夜はBが全ての家事育児担当

収入:   Aが年収1300万円(家賃補助含む)。Bが年収400万円。

夫のことがとても好き

我が家の夫は精神が安定している。私と意見が合わないときも、議論はするが喧嘩にはならない。

心にちょっとオネエを飼っているらしく、ラインときだけ妙な言葉かいになる。

「〇〇やっておくわね」「ええ、そうよ」みたいな。見た目も中身もヘテロ男性であることに間違いはない。

家事育児主体的能動的。

洗剤やシャンプーなどがなくなれば補充して在庫の追加購入もしておいてくれるし、ゴミ出しはゴミの回収はもちろん、次の袋のセットも市指定袋の購入管理、粗大ごみの予約まで完璧

休みの日にはご飯も大雑把ながら作ってくれるし、皿洗いがめんどくさいときは紙皿割り箸プラコップという裏技で乗り切るのも工夫があっていいなと思う。

冷蔵庫の中身を把握しているから買い出しに行くと食材の有無で献立提案してくれる。

夜泣き対応おむつ替えやお風呂(上がったあとの保湿やドライヤー含)もがんばるし、子供(4歳と0歳)両方を1人で病院に連れていくことになっても狼狽えない。

息子が産まれたばかりで私が全然動けなかった時期は、毎週上の娘と二人でお出かけしてくれていた。その荷物の準備も帰った後片付けも全部やる。娘はいやすっかりパパっ子。

子供抜きでの外出時には夫婦で手をつなぐ。家の中でもセクハラまがいのスキンシップ多め。夫婦生活は月に3回か4回くらいだけど、夫はもっとしたいのかも。

感謝言葉はお互いに多め。

頑張ったことは自己申告。申告された内容に対しては全力で褒めてあげること。

お見合いサイトで知り合って、付き合って3ヶ月くらいで両親に結婚挨拶して、1年後には結婚式を挙げた。

知り合って6年くらい経つけれど、喧嘩したことは一度もないし、結婚した頃より今の方がずっとずっと好きだなあと思っている。

2023-03-21

海外製のコンセントルームフレグランス

最初は悪く無いかなとも思ったが

どうにも強烈すぎて結局外した

強い

匂いが強い

最弱にしても強い

これ、どれくらいのサイズの部屋を想定してんのか知らんけど

少なくとも3畳の洗面所スペースでは強すぎた

甘い香りすぎて6畳のダイニングキッチンにつけるのも合わない

日本の狭い我が家で使える代物ではなかった

大きな家の広い子供部屋とか、広い応接スペースみたいなところなら使えるかもしれない

一般的日本の3〜4LDK程度の家で使えるものではないと思った

6000円強で購入した芳香剤噴霧器とリフィル5個、1日利用でお蔵入り

我ながらダメな買い物だったと後悔

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