はてなキーワード: モノローグとは
迷推理で嘘松認定して住所と名前まで晒していた連中が「推理しただけで嘘とは言っていない、このツイート自体は嘘かもしれない、道に撒いたのは悪い、親の金で買った物を捨てるのはよくない、店にクレーム入れればいい」と開き直ってる。あるいは鍵垢にしてだんまり。
他人を攻撃したい謝罪させたいけど自分は謝りたくない病って相当やばい。
悪いことをしたらごめんなさいって子供の内に習わなかったのか?
東名追突死亡事故の時に犯人と同姓同名の別人を犯人扱いしてたモノローグとそれに便乗していた人達、ちょっと古いのだとマツダCM炎上で最初に安全性を指摘した投稿者を叩いてたマツダ信者の人達。
インターネット正義マン怖すぎ。顔を隠した自称ヒーロー達が悪(推定)を集団で丸裸にして叩き間違っていたら「悪者っぽいから正義執行したまで。何が悪い!」と開き直る。あるいは攻撃した事を隠して逃げる。
5ちゃんねる場合は「俺達は最初から真実だと知っていた。叩いていたのはツイッターのアニメアイコンor他の板だから俺達は悪くない」で余計に質が悪い。他人を見下したい、でも責任は負いたくないので匿名で叩く、間違っていたら俺は叩いてない。人生の嫌なことを全て他人のせいにしてきた連中らしいと言えばそれまでだが。
彩樹 @saki_1990_
今度は保守速報さんがパヨクから一斉抗議されている。誰か知らない人の5ちゃん(前2ちゃん)コピペブログ、そりゃミスもあるだろう。誰も完璧とか求めてないだろう。ニュースを面白くまとめてくれてありがとうとしか思ってないよ。パヨクは保守速報さんをめちゃくちゃ意識してたって事か…ちっさいな
つまり面白おかしくまとめてくれれば嘘もミスも許されると。それが完全な勘違いから来る個人への攻撃でも
どれだけまとめサイトが炎上しようが見る人間が一向に減らないのは、結局こういうリテラシーの低い人間が大多数だってことなんだろうね
東名追突死亡事故の時に別人を犯人扱いにし晒していたキュレーションサイト「モノローグ」も謝罪せずサイトだけ消して逃亡
やったもん勝ちってことかなぁ
ガルパンなどの水島努監督作品で多く絵コンテ・演出を手掛けてきた小林敦が初監督を務めるオリジナル作。
世間的には『さくら荘のペットな彼女』の鴨志田一が脚本、『月曜日のたわわ』の比村奇石がキャラクター原案の作品。
高校生活終盤の男女の恋愛模様を描く青春群像劇。制作はPINE JAM。
モノローグが極力排され、ほぼ第三者視点で物語が展開されている。
さりげないセリフや目線、表情、そしてよく練られたレイアウトに登場人物の心情が読み取れる。
ところがこのアニメ、どうも演出の意図が100%反映された映像になっていないような気がする。
繊細に描かれるべき人物の表情が、あまり丁寧でない。絵が崩れてしまっている。
まあ今風に言うと万策尽きそうってやつ。
制作会社のPINE JAMは新興の会社なので圧倒的に人手が不足している。あるいは時間か。
こういう演出をするなら京アニくらいのかっちりした体制じゃないと難しい。
『響け!ユーフォニアム』を少ない人手で作ったらどうなるか。そんな感じ。
WUGの1期を見た時も似たようなこと思った。
泣くなよ俺。歯をくいしばって前に進めよ俺…。— 小林敦 (@koba_bako_koba) 2017年10月13日
作品おわるまで呟きません。おわり。— 小林敦 (@koba_bako_koba) 2017年10月15日
とにかく無事に完成することを祈る。
AI翻訳で確かにこの手の文章が苦手なやつ多いし、もっといえば産業翻訳でこの構文苦手による人間誤訳を見かける。
アミラーゼという酵素はグルコースがつながってできたデンプンを分解するが、同じグルコースからできていても、形が違うセルロースは分解できない。
★ セルロースは( )と形が違う。
2ch書きだったら
「アミラーゼという酵素はグルコースがつながってできたデンプンを分解するんだ。しかし、セルロースは同じグルコースからできていても形が違うのだ。
だからアミラーゼはセルロースは分解できないんだ!(ナンダッテー)」
「アミラーゼという酵素はグルコースの連鎖したデンプンを分解(ディスアセンブリー)する。しかしセルロースは同じ原料でも形が違う・・・
まるで将棋じゃないか!」(すまんネタに走ったしこれはテレビ版だった)
くらいまでかみ砕いてやったほうがいい(と編集にも言われるだろう)。
https://anond.hatelabo.jp/20170820140305 を読んだ。これを読んだだけの時点では、この小説を馬鹿にする気持ちがあった。
私は今ではほとんど物語に触れなくなってしまった30代の元オタク女で、個人的には異世界転生ものとか興味がない。ああいうのはチートで俺TUEEEEEしてるだけの小説とも言えないモノローグでしかないんだろうと偏見を抱いている。そもそも異世界転生ものを読んだこともないのにそんなことを思っているので、まごうことなき偏見だし差別でもある。
それに、陰キャを馬鹿にするリア充女子高生というテンプレキャラが主人公というのも気に入らないし、陰キャのキモオタというこれまたテンプレの千葉というキャラもそれだけで嫌悪感が湧いた。
そしてそんな頭悪そうな設定のもと性を題材に扱うとか、きっと読んでも不愉快なものしか残らないんだろうな、と思った。
でも、それでも読んでみたのは「まぁ、オカズにはなるかな」と思ったからだ。
読み始めてみると、最初の導入の時点でいきなり置いて行かれそうになった。主人公が今おかれている状況に対しての説明が少なすぎる。が、ここら辺の導入を省いてとっとと話に入るためのテンプレートが異世界転生なんだな、という点は理解した。あの辺りの話の導入がどれも同じものに見えるのは、起承転結の起の部分を様々な作品で共有することでなるべく説明を少なくし本題までの距離を短くするための合理的な工夫だったのだ。そりゃその前提の共有ができない世代からは評判が悪くなるはずだわ、とも思ったけど。
まぁそんなふうに冷静に見れていたのは最初の方だけで、あとはどんどん物語に引き込まれて行った。
ウーマンリブともフェミ小説ともミサンドリだとも思わなかった。気がつけばずっとハルを応援していた。
だから、最後の大事件も元増田みたいにがっかりしなかった。ただひたすら悲しかったし、ハルに怒りを体現できる力があって、本当に良かったと思ってる。
それに、ハルに力があったのは復讐のためだけではなく、物語の次に繋がるものだ。ハルは勇者で、娼婦だけど恋をしたおじさんがいて、その人は魔王で、そして多分両思い(じゃないと最終話で魔王が自分を幸運だと言う理由がない)。物語は一旦幕を閉じたけど、その先をまた読みたいな、と思う。
あともう一つ、ハルにはあれだけの圧倒的な力があったけれど、それを振るって強者の側に立ったのはあの1回だけだ。もっと手前に、自分のためにキレてもいい場面はたくさんあった。けれども彼女はそれを選ばなかった。そこが彼女のすごいところだな、と思う。
彼女が力を持ちながらもそれを振るわないでいた理由はどこにも書かれていない。だからここから先は単なる私の妄想だけれど、彼女は娼婦のプロだったからそれができたのかな、と思う。娼婦のプロだったからこそ、どんな屈辱にも耐えていた。JKである彼女があの世界に耐えていたのではなく、娼婦という職業のプロ意識とその自覚があったからこそ、あの世界に耐えられたのだ。時々彼女が、私はプロだ、と言うのがその証左ではないかな、と思う。シクラソを助ける時だって、どんな目にあうのかわかっていても身代わりという手段をとったのも、彼女のプロ意識がそうさせていたのだと思う。
逆に言えば、プロの仮面を被らなければ耐えられないほどあの世界は過酷な世界で、プロの顔をしてあの世界に耐えているのはルペちゃんも同じだ。だから、彼女が、そしてルペちゃんが、そんなプロ意識を必要としなくなればいいのにと心から思う。彼女らを応援したいけど、その強さを素直に賞賛する気にはなれない理由がそれだ。
そして、勇者の力を持った彼女は、これから自分の特別な力で何ができるのかの自覚を始めるだろう。それがあるから番外編では冒険に出かけ始めたのだ。彼女が自分の力であの過酷な世界を変革できると気付いた時、一体どうするのか?魔王との恋物語も含めて、やはり続きが気になってしまう。私はまだまだハルを応援したいのだから。
【追記】
オカズにはなりませんでした。
ここ数日twitterでバズってて、感想を検索してみたらけっこうな数のひとが絶賛してたんで読んだ。
これね
http://novel18.syosetu.com/n4381dp/
あらすじはこんな感じ。
小山ハルは少しビッチな普通のJK。同じクラスの陰キャ男子の異世界転移に巻き込まれ、生活のために娼館で働くことになった。コミュ力と図太さを武器に、ハルは夜の異世界を生き抜いていく。
掲載サイトは【小説家になろう】の男性向け18禁サイト【ノクターンノベルズ】女性向け18禁サイト【ムーンライトノベルズ】(※2017/08/20 14:28/指摘いただいて訂正)。
だからバリバリHシーンがあるんだけどそれはこの物語が描こうとしたモノを鑑みればむしろ不可避だがそれを理由に忌避せずぜひ読んでみてほしい……、というのはいったん置いといてだな。
え!? このネタをノクタでやる!? え、え……? マジで……?
というのはですね、なろうっていわゆる異世界転生(転移)チートハーレム無双が一大人気ジャンルなんですが、なろうの男性向け18禁サイトであるところのノクタでも当然人気なんですよ。で、このJKハルはそれを全力でぶった斬っていく。
どういうことかということ東京でJKをやっていた主人公・小山ハルが男にとってまったく都合が良くない、不都合な女子……なんです。
JKハルは異世界に転生(転移)したはいいものの何のチートももらわなかったので娼館で娼婦やるしか生きていく術がない。だから1話から春(ハルっていうネーミングはこっから来てるんだろうなあ!)を売るシーンがあって、相手はあらすじに【同じクラスの陰キャ男子の異世界転移に巻き込まれ】ってある奴なんですけど、このセックスシーンがもうヒエッヒエ。完全に冷めてます。
というのもですね、普通なら異世界チーレムの主人公をやってるはずの【同じクラスの陰キャ男子】、千葉っていうんですがコイツが絵に描いたようなクソオタなんですよ。現実世界じゃクラスの隅っこで他のカースト下位とチョロチョロやってるだけのやつが、異世界にきていいチートをもらったことによってイキリオタクにクラスチェンジにし、稼いだ金を握りしめオラついた感じでハルを買ってるんです。
一方のハルは元の世界じゃ3代目なサッカー部彼氏がいたりするクラスの中心で輝いているようなイケてるJKです。だからこの千葉って男は、元の世界でたまった鬱屈を、元の世界で輝いたハルを抱くことで晴らしてるんですよ。さらにはハルが自分に靡いているとか勘違いもしちゃってて、
とかも言うんですよ、最悪にキモい。
当のハルは、そういう千葉のキモいところとかメンドクセーところとかウザいところを内心で毒づきながらもキッチリ感じてるフリをして、精液を搾りとってやる。プロなので。
「あぁん、感じてるよぉっ。あたし、千葉に抱かれてるときが一番気持ちいい!」
(中略)
はい、イッた。
70ルバー分の精液が、あたしのマンコに支払われていく。
完全にギャグで最高にコミカルなんだけど、笑えないっていうか……。
男オタクでノクタ住人の俺からすりゃあもうめちゃくちゃ身につまされるし、心の中はヒエッヒエですよ。
じゃあこれそういうある種のなろう・ノクタのメタ小説なのかというとそういう面はあるけどそれがメインじゃなくて、全貌が明らかになるのは2話なんです。
ハルたちが転生(転移)したこの異世界ってのはいわゆる中世ヨーロッパ風世界で、酒場が娼館を兼ねている。ハルは1階の酒場でウェイトレスとして働きつつ、客に気に入られれば買われて2階でセクロスする。で、ハルのいる街は魔王軍と戦う最前線にあって軍の関係者とか冒険者とか客で、あらくれ者も多い。
しかもこの世界、完璧な男尊女卑と来たもんだ。現代日本の何倍も男尊寄り。
で、2話にそんな行き過ぎた男尊女卑の世界を象徴するようなモブおっさんが出てくる。加虐趣味があって、ハルのケツを叩いたり、濡れてないのに挿入しようとしたり、首を絞めたりする。だけどハルはそんなクソみたいな客相手でも愛想を振りまくし、感じてるふりをするし、首絞めするなら追加料金払えとも言う。プロなので。で、コトが終わったあとには首に残った痕をリボンで隠して1階でウェイトレスやるんですよ、愛想ふりまきながら。
そうなんす、この話は東京のちょっとビッチですげー前向きなJKが、異世界のクソみたいな男尊女卑の価値観の中でがんばるフェミニズムなお話なんですよ。
冒頭twitterで回ってきたと言いましたが、はてなー向けに発信源を明らかにしておくと小島アジコの嫁であるところの801ちゃんです。あと高殿円。
という話をした段階で、これを読んでるはてなーの8割ぐらいはブラバしたくなっただろうが、ちょっと待ってくれ、せっかくここまで読んでくれたんだ、堪えてつかーさいや。
これは男ってクソだよね、って話じゃないんですよ。いや、出て来る男は大概クソで、ハルはだいたいひどい目にあわされるんだが、物語が追っているのはそういうひどいとしか言い様のない状況でも力強く生きているハルや向こうの世界の女性の姿なんですよ。
ハルは超がつくぐらい前向きだけどちょっとビッチなJKでしかないからセックスで金を稼ぐしか、誰にも頼れない異世界で生きていく術がない。だけど彼女はそれを呪わず(愚痴ったりはするけど)客に愛想を振りまき、精液を搾り取り、店の嬢ランキング上位(神ファイブ)を目指して身を立てていく。
この嬢ランキング上位をハルが狙ってる話はモノローグとしてかなりの頻度で出てくるんだけど、彼女の前向きさを象徴していてとてもいいなと思う。逆に言うと状況だけど見るとかなり陰惨な話なんだけど、そういうハルの前向きさによってこの話はギリギリのところで持ちこたえている。
そしてこれは女が生きづらい異世界で底抜けに前向きなJKが娼婦やりつつがんばる話ではあるんだけど、もう少し広い目で見れば社会的弱者ががんばるって話でもある。弱者だしその度合がひどいので正視に堪えないほど屈辱的なシーンもでてくるけど、それでも折れずに現実的に・打算的に愛想をふりまくハルには男オタクといえど元気をもらえる(ハルの感じてるふりを信じ込んで「オラ、俺のちんぽに夢中になりやがって!」とかイキってるおっさんに、(ばーか、頭ん中がちんぽでいっぱいになってるのはおっさんだろ)とハルが内心毒づきながら受け流すシーンは最高にクールだし、(男オタとしては)最高につらいけど)。
でもこれだけならわざわざ増田に感想を投稿することはしなかったと思う。
ツイッターでいっぱい誉めてるひといるし、男オタたる筆者はそういう連中と本来的には相容れない存在なので。でも最終話にこれだけは感想を述べておきたい! って思えるシーンがあって、だからこの増田を書いた。前段までの文章はその助走みたいなもんだ。
ボカすけど、ネタバレ要素ありなので未読者は注意されたし。
JKハル本編14万字のうちの終盤に、けっこうな事件が起きる。で、その解決方法が筆者的には残念だった。いやわかる、そうするしかない。そうするよりほか解決方法がない。だけどそうしてしまうか、と。それじゃ強くないとダメって話になっちゃわない? と。ひどく落胆した。130点ぐらいあったのか-50点でポイント80点、みたいな。
しかし、だ。
ああああああ……! と唸った。これは凄い。
こんな異世界に放り込まれそれでも前向きにサバイブしていけるハルはある種の超人なんですよ。そしてこの男尊女卑な世界じゃ白眼視される、お外で女子だけでご飯なんてことをやってのけるハルはこの先、この世界の女性の地位を向上させていく活動家であり英雄なんですよ。
そこまで至ると逆に、なんだハルが凄いからそういう前向きでいられるんじゃん、という想いが湧いてくる。上記にも記した、事件の解決方法を鑑みると、いっそうその想いが強くなる。そこにがっかりしたんですよ、でも違ったんですよ。
本編最終話の女子会トーク。その参加者にハルの娼婦仲間であるルペちゃんと言う子がいる。
そのルペちゃんはハルの1個上ながら娼婦経験は3年ぐらいうえで色々教えてくれるいい子。先輩というより同輩といった感じのいたって普通の女の子だ。なんならこの世界の常識にとらわれていて、女の子だけで外で食事するなんて、みたいなことを最初は言う。
その普通の女の子が、女子会トークでさらりととんでもない発言をする。それはハルがああするしかなかった、あれにすがるしかなかったことを、別の角度から成して見せたという話なんだ。
ここが本当に見事だ。
何が見事なのか。
それに対処するハルは、ある意味これまで自分たちを虐げてきた強者の論理に取り込まれてしまった、と俺には見えた。その怒りはまったくもって正当だと思うけど、あの瞬間のハルは、社会的弱者ながらにそれでも前向きにサバイブしてきたその全てを投げ捨て、強者と同じ方法をとった、そう見えた。強くなければあの世界では生きていけないんだ、つまり物語が強者の論理に取り込まれてしまったのだ、とそう思えた。
でもそうじゃなかった。ルペちゃんのあの台詞によって、違う道が示されたと俺は思う。
ルペちゃんはちょっと特殊なところはあるけど、ハルなんかに比べれば普通の女の子だ。その彼女が、ちゃんとあのクソみたいな世界の強者の論理(=男)と向き合えるということを示してくれた。
それはハルだからあの世界でがんばれるわけでも、ハルだから生きていられるわけでもない。あの世界の弱者たちはたぶんみんながんばっていて、そうやって生きてるということなんだと思う。
そこを最後に提示された瞬間、馬鹿みたいに腑に落ちて、これは【生きる】ってことを真正面から描いた話なんだなーって思った。
あともうひとつ。そのルペちゃんの台詞によって同時に、あのクソオタな千葉が救われているのが凄い。それも作中において、そしてメタ的な意味でのキャラとして二重の意味で救われているのが本当に凄い。
このクソみたいな男尊女卑の世界でハルやルペちゃんやみんなは汗水たらしてなんなら精液まみれになりながらも一生懸命に生きてる。
それは大部分がしんどいことでつらいことで時には死にたくなることだってたくさんある世界だと思う。時には疲れてへたりこむこともあろう。それでもまた立ち上がって生きていくためにこつこつと頑張り始める。そして身の回りを良くするために社会をちょっとずつ変えていこうとしている。
その姿はとてもまぶしく、なんだかとても元気がもらえることのように、思うのだ。
※追記
感想書いた後に番外編よんだ。すごくよかった。みんな読んでくれ……!
https://anond.hatelabo.jp/20170816113637
http://zuisho.hatenadiary.jp/entry/2017/08/16/015649
俺もこのwebCMクソだなと思うし、見て不快になったけど、それとどういうメッセージが発されていたかは別物なので説明してやるとだな。
【昔と違ってカッコイイ父親の背を見せるのが難しくなった世の中だけど、あなたは頑張ってますよ、それでいいんですよ、お風呂はいってモヤモヤとした気持ちを洗い流しましょ】
という話なんだよ。
まず前提として、【昔は息子の誕生日に(仕事で飲んで)午前様でもプレゼントを買っていったらそれだけで誉められた時代】というのがある。
主人公のオッサンは、息子である自分と遊んでくれるでもなかったけどバリバリ仕事し時にプレゼントを買ってくれた父親を【カッコイイ】と思ってる。
でも大人になった自分は、息子にそういう【カッコイイ】父親を見せられてないとも思ってる。
仕事はそこそこで、家では妻にイニシアチブを取られていて、そんな自分を【カッコイイ】と思えていない。
だから息子の誕生日に後輩と飲みに行ってしまうのは、そんな自分への小さな反逆であり、カッコイイ父親になるためのチャレンジなんだよ。もちろん、そんなことが許される時代じゃないということはわかったうえでね。
(※補足:後輩との飲みを(仕事上のフォローというより)小さな反逆としてるのは、ケーキとプレゼントを買ったあとにぐうぜん後輩を見つける流れになってるから。つまり主人公の衝動が描写されてるからですね)
だから妻に叱責されているとき、主人公は「仕事なんだからしょうがないだろ」という言い訳はしない(内心思っていたとしても)。
風呂にはいってモヤモヤを洗い流して、【家族思いのパパ】に戻る。そんなあなたの気持ちはわかっていますよ、お風呂と石鹸が寄り添いますよ、とまあそういうCM。
で、炎上した理由も明確で、【昔は息子の誕生日に(仕事で飲んで)午前様でもプレゼントを買っていったらそれだけで誉められた時代】というのは遥か昔のことで、当時を感傷的に思うオッサン(電通)以外はむしろ忌むべき時代だし忌むべき価値観なわけだ。
それを感傷的に描いたことがまず最悪だし、同時に【家族思いのパパ】として描かれた主人公もぜんぜん家族思いじゃなく自己中でクソというところが火に油を注いだ。
ある程度ねらって燃やしてるんだろうが、しかし良く人の気持ちを逆撫でするCMつくるよね、電通、という話しだな。
※追記
えー!
まじで?
あの頃の親父とはかけ離れた自分がいる
「家族思いのパパ」
時代なのかもしれない。でもそれって正しいのか?
(中略)
(子どもが父親の背中を流す映像にかぶせて)親父が与えてくれたもの
俺は与えられているのかなあ?
ふとそんなことを思ったり
ちゅうのがあるじゃないですか。
コレ見ても、時代が変わって「家族思いのパパ」が求められる時代になったのは理解してるけど、ソレって正しいのか、親父が与えてくれたものを俺は息子に与えられているのか、って主人公が懊悩してるのはわかるじゃないですか。そのままモノローグに出てるんだし、演出もそうなってるし……。
親父を【カッコイイ】親父だったと肯定してるから、それに比べて自分は……ってなるわけで。
タイトルが「与えるもの」編ってなってるのもそれに引っ掛けてだよね。
それ以外の読みはちょっと難しいと思うけどねー。
タイトルに入ってる作品名がセーラームーンじゃなくてあずきちゃんであるところがミソなんだと思った。
わたしは女だけど大学生の時男の子と「あぁ、あの顔からヒゲみたいなのが生えてるやつ?」「それそれ!」
とか話して楽しかったけどまだ話し足りない。
勝手に原作の話するけど原作のあずきちゃんがたまに生々しい描写を挟んできてヌルッとする感覚が忘れられない。
キスシーンのモノローグが「なま・・・あたたかい・・・」って!
ケンちゃんから来た年賀状にケンちゃん直筆のあずきちゃんとケンちゃんが手を繋いでいるイラストが描いてあるとか!何それ!
出かける用意してたら穿こうと思ってたタイツが破れてて家を出るのが遅れるとか!
アラサーの今でもなんか頭に残って離れないよ!
「ようこそ実力至上主義の教室へ」というアニメで、
引けをとらないばかりかそれ以上の演技をしている人が
主役かつモノローグナレーションまでやっているからスゲエ目立ってた。
なんというか頑張れ。
音響監督も頑張れ。
7/14 18:55 追記
勝手に棒演技云々と解釈してる人がいるけど、こちらは一言もそんなこと言っていないよ。
騒がれている、目立ってたとはいったけどね。
双方に言えるのは、周りの演技とかけ離れていて浮いていたということ。
海荷ちゃんの方は経験不足に由来するのか、周りと演じ方が違うので悪目立ちしてしまってる。
一方千葉君の方は、主人公のとらえどころのなさを表現するにしたってあまりに平音で演じすぎているので、
周りの演技とかけ離れてしまった。
こういうのは経験不足の演技以上に目立つ。
そこを少しでも合わせるとバランスが取れるので、音監も含めて頑張れ、
まず言っておかねばならない。彼は間違いなく天才的な漫画家「だった」。
彼は『コリンズ先生気をつけて』というタイトルの読み切りでデビューしたらしい。らしい、というのは現物が手元になく確認できないのだ。
なんでも、1985年発売の「マガジンフレッシュ」とかいうマガジンの増刊に載っていたようなのだが、マガジンフレッシュなどという雑誌の存在はインターネット上からほとんど消失してしまっているのである。これではどうしようもない。
入手不能のデビュー作は置いておいて、デビュー単行本の話に移る。
先に言っておくが、この作家、たったの一冊しか単行本を出していない。
そのタイトルは「がんばれアニマルズ」……。タイトルが地雷漫画のようだが、当然中身も地雷である。なんも面白くない。地雷中の地雷である。一巻で打ち切りになったのも当然である。
ちょっと待て、小原英治は天才なんじゃないかって? それもまた真である。
なぜならがんばれアニマルズは原作と作画が分かれているのだ。小原英治は作画担当。クソおもんない脚本に対する責任は負っていない。
このがんばれアニマルズにおいても、小原英治はいかんなくその才能を発揮している――。躍動感溢れる画面、息を呑むスピード感。でも、脚本があまりにも異次元レベルでおもんないので、作画も霞んで見える。悲しい話だ。
……作画面に全く問題が無かったのかと言われると、女体が致命的にえろくないとか、カラーがひどすぎるとかいう問題があるが、それでも圧倒的に脚本の責任のほうが重い。
彼が真の才能を発揮するのは、この後描かれた漫画である。その読み切りたちのタイトルは「ベガ将軍の憂鬱」「ひとつだけ光るもの」「俺は待ってるぜ」「あとは神様にでも言ってくれ」だ。タイトルから察せられるとおり、この短編たちはストリートファイターのアンソロジーに寄せられたものだ。
この短編は脚本も作画も小原英治によるものだが、なんとまあ。おもしろいのだ、これが! なぜデビュー単行本で原作をつけたのか問えるものなら問うてみたい。明らかに、彼一人ですべてこなしたほうがよかった。足を引っ張られすぎだ、あれは。
愚痴はここまでにしよう。この小原英治という漫画家、何が良いのかと言われると全て良いとしか言いようがないのだが、(コマ割りも構図もテンポもなにもかも上手い、絵が緻密だが読みにくくならないように白と黒の割合が考えられている、ページに対する情報の詰め方が上手い。漫画の教科書に採用されてしかるべき出来だ)
とくに台詞が優れている、「ひとつだけ光るもの」の台詞を引用しよう。
(場面は夜。たった一軒の家と、小高い丘、その上にはひとつだけ小さな墓標が立てられている。その傍に一人の男が居て、暗闇の中紫煙をくゆらせている。その傍らには一仕事終えたらしいスコップが置かれている)
――以下引用
ケン(妻が死んだ)
ケン(この手に残ったものといえば 家と幾何かの金 それに 発狂するには充分過ぎる程 退屈な日常)
(なにかを思案して、家に入っていくケン)
(ここで場面転換。ディージェイを相手にファイティングポーズをとっているケン)
ここまで引用――
どうだろう。この間、わずか一ページである。一ページで完全に舞台設定と登場人物の背景と物語の導入が、流れるように行われている。
なんだよそれだけかよ、たいしたことないじゃん、大げさじゃないか?と思われてしまうだろう。残念でならない。俺のつたない描写力では、彼のきわめてすぐれた台詞回しを支えている画面描写についてまではカバーしきれないのである。
彼の漫画をここに貼り付ければ、この一ページを目撃しただけでたちどころに1万人程の人間がショック死することは請け合いなのだが。
ところで、この漫画、「イライザ死んでるって、どういうことよ!?」と思ったかたもいらっしゃるだろう。
それもそのはず。小原英治のスト漫画は、一つたりとも原作に準じていないのである。
あらすじを列挙してみると、
ザンギエフとブランカが女たちを奴隷にして死闘を演じさせている! リュウとケンは助けを求める女の手紙に応え、(スケベ心混じりに)中東へ飛んだ。
からくも悪の幹部を打ち倒すとベガがどや顔でやってくる。以下、台詞を引用。
ケン「!!」
ベガ「と言いたいところだが 今回は見逃してやる 早く逃げろ」
ケ「知らなかった」
ベ「三ヶ月前までは万事順調だったんだがなあ ザンギエフとブランカの野郎国王にうまくとり入りやがって 見ての通りやりたい放題よ しかも親衛隊ともなると俺もうかつには手が出せん」
ベ(そこで俺は一計を案じた)
ベ(女の名を騙って一筆書けばスケベで脳カラのマッチョが来て奴等を始末してくれるのではと…)
ベ「しかしこれ程うまくいくとは」
ケ「お おいじゃこの手紙」
ベ「私が書いた」 (日ペン三級)
ケ(なんつーガラに似合わぬ字だ)
ベ「おっ サツが来たぞさっさと帰れ」
ケ「てめえ こんだけこき使ってくれたんだ ギャラの一つも払ってくれるんだろな お」
ベ「つけとけ」
ケ「糞ったれの×××野郎!! ×××かんでしね~」
「スケベで脳カラのマッチョ」というあまりにもあんまりな罵倒語が個人的なお気に入りである。
上記導入の通り、イライザが亡くなり、ケンは格闘業を再開する。(この話において、ケンは一時的に格闘業を廃業していた。……というか、財閥の御曹司ですら、ない。取り柄といえる格闘家としての自分を捨て、おとなしく夫として
生きていたのだろうが、妻が亡くなったためにケンは文字通りからっぽになってしまったのだ)
より良い闘いを求め、ケンは昔の仲間を頼るのだが、
フェイロンは俳優として専念、キャミィは専業主婦、本田は親方としての仕事に集中し、ガイルに至っては行方不明である。
(チュンリーは言及されていないが、おそらく(エンディング通りに)格闘家を廃業している。刑事もやめているのかもしれない。
リュウに対して触れていないのは――死んだんだろう、たぶん)
ザ「今や ケンカってえのは 衰退種である人類に許された最後の蛮行なんだぜ そいつを見せ物にしない手はねえ 巨大資本とメディアがついて廻るのさ」
ザ「今どき無償で痛い目にあう輩なぞいやしねぇよ」
ザ「俺だって そうさ ここ何年かはショープロレスで喰ってる ロープに飛んで帰ってナンボの世界よ」
ケンは魂の抜けたような目で、静かにこう考えている。
ケ(俺はただ生き続けたいだけなんだよ)
これは1人の格闘家が牙を抜かれ、「借り物の人生」を生き、妻の死を契機にまた自分の人生を生きる物語だ。
であるのに、最後のモノローグは言いようもなくもの悲しいのだ。
サガットなら真面目に戦ってくれるだろう、という助言を手に、ケンはサガットの元へ。(以下引用)
(かませを殴り倒すケン)
ケ「そりゃ 真かね ダンナ」
観客「ゲーッ なんだ おい 飛び入りかよ!! マジ?」
観客「これじゃカケになんねえよ」
サガット「シッ」
ケン「ぐが」
(わざとらしい殴り合いをしている 顔面血まみれ)
観客(こいつら― わざと―)
サ「奴に言っとけ 4本しか飲れんようじゃ 退引け時だとな」
ただ1人本気で戦ってくれたサガットを倒し、満足げにリングに立っているケン。
(ああ イライザ 僕はもう少し 生き続けることができそうだよ―)
スポットライトを浴びながら、そんなことを考えている。そうやって、ケンは死ぬまで生き続けるのだろう……。そんな未来を思わせる終わり方だ。
「俺は待ってるぜ」
あらすじはそれだけで、この話は会話劇がたまらないのだが……。
現物を 入手 してほしい
この話に関してだけはちょっともう抜粋した台詞なんかでは到底伝わらないと確信が持てる。どうにかして手に入れろ。「ストリートファイターⅢ」のアンソロジーだ。今は潰れてる新声社のアンソロだ。
とにかく手に入れてくれ。話はそれだけだ。
「あとは神様にでも言ってくれ」
ちょっと言いたくないのだが。小原先生はカラーが下手だと思う。
2009年に発表された「あとは神様にでも言ってくれ」を最後に、小原英治は漫画界から姿を消した。というか、この作品も十年越しぐらいに発表しているので、基本的に寡作である。
俺は最後の短編が発表されるまでは「病気になったのだろうか、漫画が描けない程の……」と思っていたのだが、どうもそんな気がしなくなった。
「あとは神様にでも言ってくれ」はデッサンも整っているし、線が乱れているわけでもないし、空間認識力は問題がなさそうだ。色彩感覚は元から妙なので病気をしたということもなさそうだ。
俺の考えていた脳や神経や目の病気という線はどうも薄いように感じるのだ。
であるので、たぶん、別の業種に行ったのだろう。ふつうにサラリーマンでもやっているのだろう。
……悲しい。
損失である。彼の新作漫画が読めないという事実は、全人類にとって大きな損失である、と断言できる。
もしも彼が「漫画家では生活が立ちゆかないから」漫画家をやめたのだとしたら、言いたい。
「あなたが漫画を描いていること」のほうが、明らかにこの宇宙において優先されるべき事項であると。
もしも彼の知人がこの文章を読んでいるのなら、彼を無理矢理にでも表舞台に引きずり出してほしい。
だいたい、今どき絵で金を稼ぐのがそんなにハードル高いのか。
ただの漫画家ならともかく、彼は天才だ。できる。やれる。金を稼げる。絶対稼げる。
だから、描いて欲しい。
以上、一ファンの主張でした。
内容があまりにもしょっぱいから終盤で何かドンデン返しでもあるのかなあと期待したが、別にそんなことはなかった。
私の中でOL漫画といえば「独身OLのすべて」が真っ先に思い浮かぶから余計にネタがしょっぱく感じるんだけれども、まあ比較対象がおかしいか(苦笑)。
別にゆるふわなノリが悪いとは思わないし、そのノリを考えれば内容も妥当だとは思うんだけれども、それでキャラをキャピキャピさせているだけで成立させている漫画は飽和状態だからなあ。
比較対象が多い以上、既存の作品よりどこかが優れているか差別化されていないと厳しい。
プロットがしっかりしている。
ストーリー構成やテーマが一貫しているし、ちゃんと前半の話に意味を持たせたオチなのも良い。
話作りといい、絵のタッチといい、モアイとかで読める受賞作の読みきりみたいだ。
ただ、まあプロットだけでほぼ完成されているというか、絵面がやや退屈に思えた。
すさまじい叩かれぶりに驚いた。
kamayan1980:「『許されてはいけない表現はある』ねえよ、(略)」
ってほんとにそうか?
少女を騙して暴行を加える漫画は同人界隈では自由に描かれてしかるべきか?
漫画アニメに限らないだろ、という意見には同意しておくとしても
だって語彙に、思考のクセに、脳内モノローグに、影響を及ぼしつくしてる。
大好きなセリフが、目に浮かぶ情景が、頭で鳴りつづけるアニソンが、各人の性格形成に影響無いはずないだろう。
もしかして: と頭の中の言葉はグーグルの予測変換のように連想されて、
俺の場合の多くは漫画アニメから抽出される。思考の大部分を占めている。
体は?と聞かれたら「剣できている。血潮は鉄で心は硝子」だし
明日って?と聞かれたら「いまさ!」なんだよ。
なぜ助けた?って聞かれたときに「さあな そこんとこだがおれにもようわからん」って答える準備はバッチリだし
世話かけるな って言われて「いいよ」って返すのを待ち望んでいるんだよ。
勇気の出し方、
あげちゃってもいいと考えること、
ほんとのピンチには逃げること、
納得をすべてに優先すること
運命との決着のつけ方
もうだれも恨まなくていいこと
嫌なことあっても元気でいいこと
何者にもなれないこと
泥なんてなんだいってこと
飛べない翼に意味があること
世界を、自分さえも変えてしまいそうな瞬間はいつもすぐそばにあること
いくらでも思いつくし、ちょっとしたきっかけがあれば頭の中で音と色を伴って再生される。
浸って味わって、助けられ打ちのめされ勇気づけられてきた。
そういうプラスマイナスそれぞれの作用があること自体を否定はしないだろ?
言いたいのは、フィクション作品が現実に及ぼす影響は当然あるのに、抑制は本当に必要ないのか?ということ。
そこを見て見ぬふりして既存の文脈に乗っかるだけで表現の自由だけ叫ぶのは果たして正しいのか、とも。
少なくとも俺は、少女を誘拐して暴行するような様子を描いて追体験できる作品なんて、フィクションノンフィクション問わず、いかな魅力と興奮を伴う作品だとしても、ことごとく無くなっちまえばいいと思うんだよ。
それが実際には難しい問題だとしても、責任を負うことなく好き勝手に自由に描かれて流通していいものじゃないだろ。何かブレーキが必要という意見を支持するぞ。
だって多感な時期に出会う創作物に性的趣向が影響受けまくることに、各々自覚がないわけじゃないだろ?
追記:コメント返信。最速トップブコメに敬意を。他の皆様は→anond:20170615211337
whkr : 世の中の大半の人間は、創作で気分に変調をきたしても、いざ犯罪行為に及ぶ前に理性でブレーキをかけるものなのだが、そういうのに自信がない増田のような人間の責任を、表現者が負わなければならないのだろうか?
→そうそう俺の理性は危ういんだよ。そして貴方の理性も常時万全とは限らない。表現者が犯罪者の責任を負うことは俺も望まないが、「この作品が世に出てどんな影響があるか?」と想像してときに自主規制するくらいはするべきなんじゃないか。それは今十分?
フレンズがいっぱいいる星でヒトだけのけものにされてるらしい。開幕のバッドエンド風の悲しげなモノローグ、兵器として管理される少女たち、最後の後日談?で「このあと人類は滅亡した…」とかで結構悲しい話のようで気になるけど俺も巨乳トロールメイドさんに食べられたい。なぜかチョイ役で千葉繁がいた。ところであのフレンズたちは人類に含まれるの?
地球が歯車でできているという世界観がすごくよさそうなので見たけど微妙であった。原作絵はいいのになんであんなカブトボーグみたいな画面になってしまったのか。あとパンツ履いてないとかエロくするくらいなら戦闘シーンもっと力入れてほしかった。ロボメイドがスカートからロボアーム出しておっっと思ったのに、グルっと一回転したらタツマキが起こって敵全滅とか適当すぎだろ
BL好きの死神ちゃんがキスノートを用いて勢いに任せてやりたい放題する話のようである。OP曲が変だった(あんま覚えてない)。PVの「あなたが24時間以内にキスしないと死にます。私が」は速攻で主人公とヤンデレでキス完了して回収。した上に総理大臣と衆院議長をキスさすし変身するし主人公ククリナイフで刺されまくるし頭(部)のやばい謎生物来るし新キャラ(1話だから全員新しいけど)ぶっこんできてすぐノートに書くしで怒涛であった。この勢いをある程度でも維持できるなら強い。でも放送時間が遅くて辛い。配信待ちにするかもしれん
シンゴジラっぽいみたいな意見があった。たしかに謎現象に対し政府・官僚・自衛隊が動いていちいちテロップで名前と肩書だすところはそれっぽい。小渕総理がいる。そしてそれらを指導する釘宮。いつも幼児用のマグネットお絵かきボードを持っててそれを見ながらなんか数値報告してたけどあれで計算してんの? カド(仮)から出てきた人は名前も格好も中二丸出しだけど馬鹿にされないの? どんな話になるのかさっぱり予測できないが野崎まどということで期待
これだけ2話まで。超能力+日常もの? 丁寧につくってあって普通に良い印象。アリスが適度に生意気なので爺が叱ったりげんこつするところも気分よく見れる。えっあの子の名前アリスじゃないのかよ。エンディングがコトリンゴだった
宇宙でお仕事ということでプラネテス感が強かった。アイロボットのデザインがいいのと主人公の3Dケツがとてもエロかった。教授は画面に出てきたの最初だけなのに後から色々発覚してどんどんイメージ黒くなってくるのが面白い。海賊船クルーのテンションが高かったのに対しいまいち乗り切れなかったがまあ普通に面白そうと思う。
ほかにも続き物をいくつか見てるけど割愛。今のところこれはやばい!みたいなのはないけどまあ面白いは面白いって感じ(クロッ略以外)。
絵がかけないのでネタだけ描く。誰か漫画かける人いたらぜひ描いて。
1ページめ
モノローグ「皆さんは突然男性から『ブス』と言われたことはありますか?」
「私は小学生のとき同級生の男子から『おい、ブスギリ子』とあだ名をつけられ何度もからかわれました」
「嫌で嫌でたまりませんでしたが、先生に言ってもやんわり注意するだけで改善せず、そのまま卒業となりました」
「それが中学校に入ったとき、クラスの女子の一人に対し同じように『ブス』呼ばわりをするところを見かけました」
「私はすぐに男子生徒にやめるように言いましたが、意外にもそれを止めたのは言われていた女子生徒の方でした」
2ページめ
ギリ子「どうして!ちゃんと言わないとつけあがるよ」
女友達「いいの。どうせ言ってもやめてくれないし。もう慣れているから(笑顏の女友達)」
モノローグ「私はショックを受けました。そうなんです。女性というのは蔑まれる言葉をかけ続けられると『それが自分への評価だから』と萎縮してしまうのです(顔に縦線が引かれたギリ子)」
「思えば小学生のとき、私も最初は何度か男子に言い返しましたが、まったく直そうとしないため諦めてしまっていたところがあります(無視して歩くギリ子と後ろからブースブースという男子)」
3ページめ
モノローグ「子供のときの『ブス』という評価は例え事実でなくとも女性の自己評価に関わります」
「ブスと言われることに慣れた女性は、いつしか『ブスな私は不幸でも仕方がない』という考えになり、次第に逆らう気力をなくしていきます」
「みなさんは女性の繊細な気持ちを理解してあげていますか?ブスと言われた女性がどれほど内心で傷ついているかを…」
「あのときブスと言われていたブスな女子生徒は卒業したあとどんな生き方をしたかわかりません」
「ですがきっと女性としてて大切な自信をなくしたまま、自分を責めるような生き方をしているのではないかと考えてしまうのです」
4ページめ
とんでもない作品だった。とんでもない体験をした一週間であった。
それは原作が推理小説にカテゴリーされているからとか、原作者が江戸川乱歩だからとか、そういう理由じゃない。
私はその解説、および回答を以下に記すのだけど、それは完全なるネタバレです。
もう知らなかった頃には戻ってこられない、作品を殺す系のネタバレ。
なので、未観劇の方には本当に読むことを勧めません。
本作は素晴らしい完成度の傑作だし、舞台演劇でここまでのミステリーを作り上げるのは絶対に容易じゃない。
また、私はエグいほど容赦なくネタバレしていますので、正直自分ももう二度とミステリー演劇は鑑賞できない脳になってしまったのでは…と震えております。
(なので、読んでほしい気持ちがあって増田に書いているものの、観劇済みの方も生半可な気持ちではネタバレを読んでほしくない。六道の辻で迷い不幸だと感じている方にだけ、光が届けば良い。)
つまり未観劇でネタバレを読むということは、人生の楽しみを自らの手で一つ潰すということ。尋常じゃない損失です。
本作はDVDの発売が決定しています。
公式DVD予約サイト:http://www.shop-ep.net/east_park/shopping/a04020102/iid/0000000001746/
(発送日未定。予約は3月末まで)
めちゃくちゃ好評だったので、あなたの周りにも購入している人が居るはず。そして恐らく「見せてほしい」と頼めば喜ばれるはず。布教したくなるタイプの作品なのです。なので数ヵ月後DVDを鑑賞してから、是非また読みに来てください。
「数ヵ月なんて待てねーよ!」って方は、妥協点として2015年に他の演出家さんで上演されたものを見ることができます。
こちらは未観劇のためなんとも言えませんが、おそらく2015年版は絶対解けない「超ハードモードの『ミステリー演劇』」か、『ミステリーではない普通の演劇』の可能性が高いと予想しています。でもまぁ全く観ないでネタバレ読むよりは絶対良い。
たぶんDVD売ってるし、3月になれば我らがdアニメストア殿が配信してくれます。
https://anime.dmkt-sp.jp/animestore/CP/CP00000660
高いチケット買って劇場に行くか高いDVD買うかしか選択肢がなかった時代を生きてきた作品の取捨選択にすごい苦しんできた勢なので、dアニさん月額400円でこんだけ見れるとかマジ神過ぎ。最初目を疑った。(WOWOWさんにも感謝していますが、うちTV無いから見れないんですよ…そもそも家にあんま居ないし。お金なら払うのでスマホでもWOWOW見れるようにしてください。)
原作「孤島の鬼」を読むのも手ですが、本作はある意味では『原作の本質を描いている』けど、ある意味『原作とは全くの別物』です。だから舞台版のネタバレは、舞台版を観てから読んでほしい。
そして、せっかく未来の楽しみを潰してまでネタバレを読んでしまうのだから、その前に『ミステリー演劇』の推理に挑戦してほしい。
一人で解くのは超ハードだと思うので、できれば仲を深めたい方と一緒に。(私が今回の回答に至るのに協力してもらった友人の数は4人です。内1人は原作を読み込み一緒に推理してくれました。)
ぼっちの方も安心してください。本作はめちゃくちゃ面白かったので『2017年版の感想』も、ネットの海に転がっています。そこから辿り着くことも不可能じゃないはず。鮮度のいい印象論の良さも、一晩寝かせた感想の良さもあるので、いろいろ漁ってみてください。
あと私は推理した一週間の思考ログをほぼすべて残しているので、トリックがわかってからログを読み返してみたら翻弄されている自分がめちゃくちゃ面白かった(当時は睡眠不足の神経衰弱で瀕死でしたけどね)。間違ってはいないけど騙されている。そんな楽しさもあるので、ぜひ推理に挑戦してみてください。
そして私がまだ解いていない謎の答えを見つけられたら、ぜひ教えていただきたい。
また、運良く本作を劇場でご覧になられた皆さま。感想はもう書き残しましたか?
公式がwebでアンケート回収もしています。送ると抽選で非売品舞台写真もらえます。私もとても欲しい。
本作は、『感想を残す』ところまでを含めて作品です。せっかく運良く観劇できたのだから、140字で良いから書き残しておきましょう。
できれば思いの丈をすべて書き出しておくと良いです。『他者に感想を伝えようとした人だけが、謎解きの後に得られる感動』があります。(※個人の感想ですが!)
この感動を、本作品が本当に素晴らしい江戸川乱歩の原作舞台化であったことを伝えたくて、読んだら作品を殺すことになるようなネタバレを恥を忍んで書いています。
私はソワレ観劇後、徹夜で翌昼に感想書き上げました。これが私の沼への一歩だった訳ですけれども、これを書き残しておいたお陰で、謎が解けた時に私の回答を出すことができました。
一度ネタバレを読んでしまうと、もう観劇で感じた感想書けなくなると思いますので、本当に一言で良いから感想書き残しておいてください。ついでだから公式アンケートに答えて非売品写真当てましょう。当たったら私にも見せてください。
最後に公式各位。
ネタバレにあたる部分は私の個人的なミステリー体験なので、これが公式解とは主張断言しません。
と言うか、理由なき見落しと、自分の能力ではどうしても咀嚼できなかった部分(言葉がスムーズに脳に入ってこなくて読解しながら観劇することができなかった原作には無いシーン)があったので、私のネタバレは不完全です。他にも拾い損ねている箇所がポロポロ出てくる。逆転する可能性が大いにある、お粗末な推理。
ですが、キャストの皆さまが最後までネタバレに配慮されていたのに、ネタバレを公開し誰かに読んでほしいと願うことが、浅間しいようにも感じています。
ネタバレ注意喚起に約2000字程裂きましたので、どうか堪忍してください。
p.s.オリジナルマグボトル購入しました。作中に赤い色が無かったのでデザインも綺麗だし購入したのですが…紐解いてみるとなかなか意味深なグッズですね。とても良い記念品になりました。
それでははじめます。
無人の屋敷に風が吹き込む
暗転
まったく光のない深い暗闇から男性の声が聞こえる
「不幸ということが、私にもよくよく分って来ました。本当に不幸という字が使えるのは、私だけだと思います。遠くの方に世界とか日本とかいうものがあって、誰でもその中に住んでいるそうですが、私は生れてから、その世界や日本というものを見たことがありません。これは不幸という字に、よくよくあてはまると思います」
暗転明け
無人だった屋敷に白髪の男性が立っており、書物を音読していた。
彼……『私』を語り部とした、物語がはじまる。
http://anond.hatelabo.jp/20170206104211
ミステリーとして解いた今読み返すと相当ブッ飛んだ納得の仕方をしている。自分の妙さについて今までなんとなく感じていた部分が浮き彫りになりすぎである。こわい。
当時も気持ち的にスッキリはしたけども、<もやもやした原因が『認知を歪められている感覚』だったのに、「それは作者の願いだよ!」という犯人と動機の『妄想』では、『論理的解決』にまったくなっていない>ので、悶々とはしていた。
作り手側は演劇を魅せるプロだが、観客は演劇を観るプロだ。伊達や酔狂でやっているわけではない、こちとら真剣に観ている。
『認知を歪められている感覚』なんて中途半端なものは見過ごせない。
そこからずるずると私は沼に嵌まっていき、推理のためにガチで眠れない一週間を過ごすことになる。
そもそも、舞台「孤島の鬼―咲きにほふ花は炎のやうに―」の何がミステリーなのか。
それは、本作品が叙述トリックを駆使し、とある『真意』を隠しているということにある。
しかし私の目下の推理動機は、トリックを逆手に取った『簑浦も諸戸も幸せになれる最適解』にあった。どうしても二人を幸せにしたかった。
そのために以下のことを行った。
そしてひたすら二人が相思相愛ではないという可能性を潰し、相思相愛である可能性を見つけ出す作業。
二人の愛の一番の障害は、箕浦の白髪化=「箕浦は同性愛を『生理的』に受け付けられない」という点。
これが諸戸が箕浦の前にあらわれることがなくなった原因だと思う。彼がどんなに誠意を尽くそうとも、これだけはどうにも覆すことができない。
しかし、実は原作では白髪化したタイミング=直接的な原因が諸戸に襲われたことのみだとは明記されていない。
そして舞台でも、実はめちゃくちゃぼやかされている。
冒頭、語り部である『私』が自身の体験した恐怖について語ろうとする。その時にまるでトラウマが呼び起こされるかのように喉元を掻く仕草をする。
後半井戸の奥、深い完全なる暗闇の中、水位が増して死の恐怖に襲われた時。『私』佐藤箕浦も、諸戸と石田箕浦と同じマイムを行って移動し、水位が増しだすと喉を掻いて苦しみ悶絶する。
これは、白髪化するほどの『生理的』な恐怖が、諸戸に襲われる前から強烈にあったという解釈にできる。
では逆に、諸戸に襲われた後の恐怖はどうだろう。助八さんの救助が来て、生死の恐怖は去った。丈五郎の恐怖も去った。では諸戸に犯される恐怖はなくなるか? 普通に考えれば、自分を襲ってきた相手が側に居るなんて恐怖しかない。第三者が居るから安心だなんて暢気になれる訳がない。(学術的根拠を略していることは恥じています)
箕浦は、諸戸に襲われた時にあれほど恐慌したのに、襲ってきた相手が側に居てもケロっとし過ぎなのである。脱出できた時なんて笑いあっていたりする。
これらによって、「箕浦は同性愛を『生理的』に受け付けられない」ということを否定できる可能性が、十分にある。
『生理的』に受け付けられない訳じゃないのなら、箕浦の同性愛への拒絶はどこからくるのか。
諸戸が触れるままにさせ遊戯を楽しんでいたと言っているが、これってちょっとエッチではないですか? 私は『もてあそぶ』というよりも、遊廓でのお戯れみたいな印象の方が強かった。エロかった。
ましてや「あつい手だね」というセリフは、諸戸と佐藤箕浦の両方が同時に口にする。
これは原作では諸戸が言い、簑浦も『私も同時に、火のような相手の掌を感じた』とある。
あの夜、諸戸と箕浦は、本当は同じ気持ちであったのではないか。
しかし大人になった箕浦…いや『私』佐藤箕浦は、頻繁に同性愛を拒否する。
そして井戸の中、「今こそ、僕の願いを容れて、僕の愛を受けて」と請い願う諸戸を「あさましい!」とはね退ける『私』佐藤箕浦。
実はこのセリフ、原作には無い。そして学生時代のあの夜は諸戸の方が言っていたセリフなのだ。
「君は浅間しいと思うだろうね」と。
箕浦に『同性愛を持つ者は異人種』だと一番最初に植え付けたのは、他ならぬ諸戸であった。
そしてあの夜、「『私』は諸戸との関係はこれで終わったと思った」。
もし、もし諸戸が、自分で自分の気持ちを否定してしまわなければ、二人が結ばれていた可能性もあるのではないか?
あの夜の後、箕浦が大人になりSK商会に勤める場面から「過去の『私』」石田箕浦が登場する。
大人になった『私』佐藤箕浦は同性愛嫌悪の感情を見せるが、石田箕浦は同性愛を嫌悪していない。
諸戸が自分に恋していることを頭では理解しているが、そもそも同性愛をわかっていない。だから諸戸からの熱視線(性愛アピール)をまったく感知できないし、諸戸からの接触に応えること・握手を求められた手を握り返すことができる。
(スポットライトが当たらないところでの石田箕浦と諸戸は、まさしく「諸戸と簑浦は何か変だ」状態。熱視線を送ったり触れようとしたり羞恥の色を見せたりする諸戸に、石田箕浦はまったく気付かない。A.T.フィールド固すぎ)
原作の簑浦とはかなり印象が違うそう(私は一度推理完了するまで未読を貫く主義のため世論であるが)。
簑浦と箕浦、原作とは名前の漢字が異なるし別人か? いや、そうじゃない。無意味な改変は絶対に起こらない。「虚偽の事柄を事実として書くことはアンフェア」だからだ。印象が違うなら、『変えた理由』と『変えても原作の簑浦を成立できる理由』がある。
石田箕浦が登場する前。佐藤箕浦が諸戸との関係は終わったと思ったあの夜。諸戸が泣きながら請うた内容は以下だ。
「君は分っていてくれるだろうね。分ってさえいてくれればいいのだよ。それ以上望むのは僕の無理かもしれないのだから 。だが、どうか僕から逃げないでくれたまえ。僕の話し相手になってくれたまえ。そして僕の友情だけなりとも受け入れてくてたまえ。僕が独りで想っている。せめてもそれだけの自由を僕に許してくれないだろうか。ねえ、簑浦くん、せめてそれだけの……」
諸戸が願った内容、これまんま石田箕浦じゃん……
石田箕浦は諸戸を友人として深く信頼しているし、井戸の中でなんて一緒に死ぬことすら受け入れている。諸戸の願いを、字面通りに叶えている。
しかし周知の通り、諸戸が心の内で望んでいたのは、彼の『死にもの狂いの恋』を受け入れてもらうことだった。
諸戸は自身について怖れている描写が多々あった。それは自分の素性と性愛対象が『普通と違う』ことでもあったし、『父に命じられたから行っていたはずの不気味な研究にいつしか諸戸自身も不思議な魅力を感じはじめていた』ことも大きいと思う。
我と我身を醜いと卑下すればするほど、美しいものを強烈に求め、美しくあるべきだという観念に囚われる。
諸戸の心の内の葛藤が『手記の秀ちゃんと吉ちゃん』そのものに見えた。諸戸の望み(イド)と願い(超自我)は大きく解離している。
箕浦が写し取ってしまった『同性愛を持つ者は異人種』という価値観、『親友という姿』は、諸戸が持つ美意識の刷り込みだった。箕浦にとって諸戸は、本当に「美しい青年」だったのだ。
石田箕浦は本当にクセのない、まっすぐな好青年だった。諸戸の理想とする『普通』がそこにあるように見えた。そして原作の簑浦とは印象が異なる存在…
これはつまり、簑浦のイドと超自我のようなものが、『私』佐藤箕浦と石田箕浦に分かれて表現されているのではないか。一人の人間を二人で演じ、二つの存在(語り部の『私』と、簑浦のイド)を一人が演じているのではないか。
彼らの箕浦の分担は、紀州の孤島に着いてから大きく変動し反転してゆく。
井戸の中で諸戸に襲われ、完全に石田箕浦から佐藤箕浦に替わったのは、諸戸が望んだ存在が友人ではなく恋愛対象としての箕浦だったこと、そして諸戸の手によって「諸戸の理想とする『普通』」が壊されてしまったこと…『私』になった石田箕浦にも諸戸の姿は獣のようだと評されている。学生時代のあの夜に諸戸が否定をしてしまったこと、それの繰り返しだった。
そして秀ちゃんへの恋心を諸戸に恥ずかしいものと責められる場面。実はあれは原作だと簑浦のモノローグによる言い訳タイムとなっている。諸戸はそもそも丈五郎に捕まって、島に到着して以降会っていないというのだ。正確にセリフを覚えていないが、原作未読の私でも、最初に秀ちゃんから手紙を受け取ったシーンに諸戸が居ることに強い違和感を感じた(そして友人が原作では諸戸が居ないことを確認してくれた)。
よくよく考えれば変なのである。箕浦に恋慕を寄せる諸戸に責められる筋合いはない。初代に操を立てるなら諸戸の恋に応えることも恥ずべきことだし、諸戸に気を遣う必要だって本質的には無いのだ。(まるで『アイドルは恋愛しちゃいけない』理論だ。)
ではなぜ超自我のポジションである石田箕浦ではなく、諸戸が責め立てるのか。
箕浦の美意識は諸戸の影響を強く受けているから諸戸の姿をしていたとも捉えられるが、それ以上に、常識的な葛藤だという以上に、箕浦の心の中に諸戸を慕う側面も幾ばくかあったから、秀ちゃんに恋する自分と、諸戸を慕う自分で対立したことを表現していないか。
佐藤箕浦はもちろん初代にも秀ちゃんにも惹かれているが、彼が箕浦のイドのポジションであるならば、諸戸のことも結構好きだった。(イドでなく単なる『私』なのだとしても、諸戸を見つめる視線に愛憎のような熱が込もっていたし、)諸戸との会話に深山木が入ってきたとき「早くないですか!?」と驚くのは二人の箕浦で、石田箕浦一人だけが言うと単純に時間が早かっただけに聞こえるが、佐藤箕浦も合わせて言うことで「諸戸との会話に邪魔をされた(もっと諸戸と話したかった)」かのような邪推ができてしまう。
そして諸戸が握手のために差し出した手を『箕浦が握り返さなかった』時。諸戸は驚愕の表情で『私』を見る。見つける。実は、物語の始まりを告げる運命が廻りだすような音楽が流れて以降(犯人だと疑って諸戸の家を訪ねて以降)、諸戸が『私』を初めて見たのが、この『箕浦が握り返さなかった』時。
握り返さないのは、握り返すことに意味が生じてしまうから。石田箕浦は諸戸の恋をまったく感知しない。そんな石田箕浦が握り返さないわけがない(実際に、諸戸に見つかってしまった『私』が顔を背けた瞬間、石田箕浦は手を握り返す)。つまり学生時代のあの箕浦が、心の中にまだ居たということ。
諸戸にとってはそりゃあ嬉しいことだろう。彼はそれ以降箕浦に話しかける時、佐藤箕浦を見てから石田箕浦を見る。ここからどんどん、『箕浦』の行動を表現するのが佐藤箕浦へ移行してゆく。
一度は友人として、諸戸と共に死ぬことも受け入れた箕浦。
しかしその結末を自らの手で潰す諸戸。
逃げながら箕浦は吼える。「死んでたまるか!」と。箕浦は白髪化するほどの生死の恐怖を体験したばかりだ。
諸戸に襲われるも未遂に終わり、命が助かることに深く絶望する諸戸。
井戸を出た二人は笑いあう。諸戸は箕浦が白髪化するほど生理的に同性愛を受け付けないのだと認識したように、箕浦の白髪を見て泣いているように笑う。
そして箕浦の前に現れなくなった諸戸は、気持ちを遺して逝くことで最期にまた箕浦へ大きな傷を残す。
先述の通り、私の推理動機は叙述トリックを逆手に取った二人が相思相愛であったことの証明にある。
からくりが解ってみると、どうってことない・ただ上演されているものそのままに過ぎないのだけど、ここに辿り着くまで本当に一週間ひたすら睡眠時間を削って悩んだ。二回目に観劇した時などは、とにかく正確に推理するためにありのままを最前列からガン見してきたのに、どうあがいても悲恋という現実に心が折れそうになった。マジで。実は二回目に最前列で観測した時よりも、初見H列サイドから観劇した時の方がイイ線いってたよな(納得の仕方はブッ飛んでるけど)と思う。
で、共に推理していた友人が先に原作の叙述トリックに気付き、簑浦と諸戸のBLは成立しているという解を出してくれたので、二回目の絶望した記憶で観劇を終えるのもなんだし推理はやめて初見のつもりで観劇しようと思って向かったのが三回目の観劇。最後尾辺りの補助席。
しかし驚くほど新たな発見がまたどんどん出てきたうえ、深山木のセリフによって私は舞台も叙述トリックを使ったミステリーなのだと確信してしまう。
これは原作にもあるセリフらしいのだが、深山木がトリックについて思わせ振りなことを言うシーン。そのセリフが完全に『叙述トリックの説明』になっていたのだ。聞いた瞬間、震えが走った。
本作がミステリーであると気付けるように、最初から以下の違和感と解法が提示されていた。
さて。ここで疑問に思われることがあるだろう。なぜ叙述トリックを使用しているのか? 隠したいものは何なのか?
この件について私は非常に貴重な体験をする。
本作の大好評っぷりと、推理に明け暮れ神経衰弱している私を心配して、友人が本作を観劇してくれた。三回目観劇の日、偶然スケジュールが合って友人2人(友人Aと友人Bとする)と一緒に観ることができた。終演後、私はわくわくしながら二人に感想を求めた。
友人A「箕浦殴りたい……不快過ぎて体調悪くなってきた……」(※意訳)
当時、箕浦殴りたい勢は最大勢力に感じた。過激箕浦擁護派も0ではないが、大多数が箕浦(おそらく『私』のみ)に不快な感情を持っていた。冗談ではなくガチで友人Aが苦しそうにしており、私も初見後は物凄くモヤモヤしていて苦しみがよくわかるので、少しでも気が晴れないかと友人Aと対話することになる。
不快感を分解していく。
友人Aは非常に言いに難そうに、しかし押しかかる不快感から助かるため、意を決して打ち明けてくれる。
友人Aも不快の対象は『私』にあり、その根源を追ってゆくと友人自身が「『拒絶』されるのが本当に無理」だから、諸戸を拒絶しているのに側に居た『私』を悪だとした。
増田「拒絶することを『悪』だとするなら、今『拒絶を拒絶』している友人Aも悪だということになるでしょ? 友人Aは悪なの?」
結局友人Aには私の初見感想を読んでもらい、加えて私の心の闇()もひっかかった話をしたことで、とりあえず翌日出社できるレベルには不快感が晴れたと言ってもらえた。良かった。
さて、私は友人Aと対話して思った。「もしかして江戸川乱歩のやりたかったことってこれでは?」
感想を書いた方ならわかると思うのだが、感じたことや思ったことの根拠を話そうとすると、自身についての話、しかも心の闇()の部分を語らないとどうにも説明できなくなってしまう。
私も推理ログ含め大量に書き残したが、心の闇()を除いても、暗闇マジ怖い体験とか、無意識下の生理的拒絶は実在するよ体験とか(思えばこいつが二人の恋の一番の障害だった)、とにかくネガティブな体験談がバンバン出てくる。
共に推理し原作解読した友人も、舞台の感想を書こうとしたら闇にぶち当たって、書くのを控えようとしていた。( Permalink | 記事への反応(0) | 22:47
「推理小説におけるロマンス描写」を、絶対真実な添え物とスルーするのではなく、本当の謎解きは情愛部分にあったのだとみなします。
随時更新
私の持論として。一番大事なことは『自分が作品をスッキリ楽しめたか』という部分であり、正解のない舞台作品の考察というものは『よりスッキリした心で作品を愛する』ために行うべきである、と考えている。
作者の真意とかメッセージとかは観客に都合のいい時にだけ引っ張り出せばよい駒であり、エンタメの世界に『解き明かすべき絶対の謎』なんて無いのである。
「楽しんだモン勝ちや!」である。
その観点で言えば、初見の私の感想は、もうグッドエンドとして十分だった。
http://anond.hatelabo.jp/20170206104211
作品構造を分解すると唸るほどしっかり構築されていることがわかり、「ただ自分が見たままを感じ、考察などせず楽しむべき」類いの舞台ということが浮き彫りになって仕方がない。
しかし私は、好奇心と言うか…感動を共有できない淋しさと言うか…出所のわからない衝動に駆られて、本作を『ミステリー』として推理することに踏み込んでしまった。
そしてこの目的で2回目観劇したことを多いに後悔していたのだけど、今わずかばかりの希望の光が見えてきた。
犯人やトリックを推理する殺人ミステリーではなく、二人の人間の有り様を推理する情愛ミステリー。
簑浦も諸戸も幸せになれる最適解。
ですので、自分でも自分なりのトゥルーエンドを目指しますが、時間にリミットがあるため、もし同じくこの迷宮にうっかり足を踏み入れてしまった探偵さんがいらっしゃれば、ご助言を賜れると幸いです。
目指すゴールは『スッキリ楽しめて、より作品を好きになる』こと。
本作は深い意味で「原作に忠実」だと感じるのだけど、原作をそのまま演じている訳ではない。
今のところ私にとっての最大の謎は、この世界の階層構造と登場人物である。
私に見えたキーパーツを挙げていく。
また、注釈の挿入タイミングを正確に記憶していないので、区別が間違っているかもしれない。
基本的に諸戸は今回の舞台上では同一存在だと考えていますが、そう見えるだけかもしれないため分けておきます。
随時更新
我々は『なぜ』錯覚していた?
前提として、本編はすべて「諸戸」と「簑浦」で代替できる隠喩要素のみで編纂されている。(秀ちゃんの手記、丈五郎の過去、など)
また、一般的に「嫌悪感」を感じるものを排除し、極限まで美しく描いている。(ビジュアルはもちろん、諸戸の性的侵略も)
→諸戸からの握手を握り返さない『箕浦』に諸戸は驚き『私』を見詰める。すると『箕浦』は諸戸の手を握り返した
----
-
-
随時更新
随時更新
→本編は経験談の体なのに、諸戸のセリフにも括弧を入れて諸戸のモノローグが挿入されている。簑浦のモノローグはほぼ《私》であるのに、諸戸のモノローグはしっかり《僕》
観劇2回目の備忘録:http://anond.hatelabo.jp/20170208235429
(着眼項目リストと理由:http://anond.hatelabo.jp/20170207171941)
観劇2回目で受けた印象:http://anond.hatelabo.jp/20170209051208
初見感想を書いた後のメモ:http://anond.hatelabo.jp/20170207200710
追記。8日ソワレの当日引き換え券を購入した。前回視力的に見えなかった部分を補完できるよう前方列の上手~中央の席をご用意いただけると良いのだけれど。
白い鞠?は唯一『私』よりも先に舞台上に存在するので、高次元存在である可能性や何かの表現であったりしないか。
秀ちゃんと吉ちゃん、初見では(誰しもそうだろうけど)双生児ではなく比喩としての『醜くコントロールできないもう一人の自分』の話だと思っていた。
エグい描写が続いていたので、比喩と見せかけて実際の奇形の話であったというオチにまんまと流されてしまったけれど、
この物語が諸戸の視点であるならば、箕浦と秀ちゃんの恋愛描写は雑で蔑ろであったのに(彼にとっては箕浦と他人の恋愛なんてどうでもいいからだ。箕浦が物語の視点であるならばこの恋はもっと尊く丁寧に描写されているであろう)、妬ましい秀ちゃんの手記はいやに丁寧に描写している。
これは秀ちゃんと吉ちゃんの存在が、諸戸ないし箕浦の隠喩だからではないだろうか。
諸戸本人の感覚というよりも、より高次元な作者・超自我としての感覚で、『諸戸から箕浦への愛』に対し、『美しいものであって欲しい』という望みと、『どんなに消されても消えない愛の炎と欲望は醜い』と卑下する気持ちと二面を抱えているように見えるのだけど。
『自分の愛は醜い』と卑下してしまうのは、受け入れてもらえないことが唯一で絶対の理由だと思う。箕浦が諸戸の愛を受け入れてしまえば、もうそれは醜いものじゃなくなる。
諸戸の二面性は彼の超自我によるものだと私は考えるけれども、ある意味箕浦が愛せた諸戸と受け入れられない諸戸の二面でもある。
吉ちゃんに凌辱される秀ちゃんとは、愛欲をコントロールできず捕らわれ続ける諸戸であるなと。
箕浦はまさしく舞台上にて『私』と『箕浦』の二つに分かれている。
同一人物であった二人が切り離されたように見えるのは、井戸の中での諸戸の告白辺りから。……それ以前、島に着いてからもかなり二人の差が「目について」くる。異様に見えてくる。
井戸を出た時の諸戸の表情が座席位置の関係で見えなかったのだけど、彼は箕浦に何を見たのだろうか。
私は諸戸に対して全くもって嫌悪感がなく、むしろ清楚な色気すら感じていたのだけれど、ラストのセリフ・親御さんからの手紙の内容を聞いたときに唯一初めて諸戸のことをきもちわるいと思った。
諸戸本人からの求愛であったならまた印象は違ったのかもしれないけれど、第三者から告げられたそれはすごくきもちわるかった。
(これは私が『告げ口』というものに異様な嫌悪感を持つために抱いた感情なのかもしれないけど、あれだけフッたのに他人からまだアイツお前のことが好きだってと言われるなんて、しかもそれが息子を失った親御さんからの訃報でだなんて、最悪すぎるし気持ち悪過ぎると感じるのですが……これで意中の相手が振り向いてくれることなどあるのでしょうか?)
だから、実はラストシーンは佐藤さんの反応を見逃すまいと凝視してしまって。
私は諸戸すげーきもいと感じるけど、『私』はどうだろうなと。
そのせいで他の要素を見逃している可能性が高い。
あと、どうやら原作ではそれなりに諸戸の好意はきもちわるいようなのだけど、舞台では健気で美しい印象の方が強かったので、それは私が田中さんの美しさ・色気に当てられて誑かされていたからなのかどうかもしっかり見極めたい。
更に追記
ラストシーンの手紙から受けた『諸戸きもちわるい』って印象、この手紙を読むのが井戸の中で消えた箕浦役の石田さんが担当しているからって可能性もあるのかも。
あのセリフを言ったのが箕浦かどうかはまだ考察できないけど、『消えた自分』にそんなこと言われて亡霊度がめっちゃ高くて不気味だったような気がしている。
怨み言や呪いのように聞こえた。
こちらも改めて確認したい。
更に追記
諸戸が箕浦を好きになった理由は原作からも明らかにされていないらしい。
しかし口説き文句に「君は美しい」とあるそうで、これは他の人も言ったセリフである気がする。
本作品中において『美しい』と評されることの意味は重いはずなので、
誰がいつ何を『美しい』と評したか、その評価の意味を捉えていきたい。
更に追記
「『私』が白髪になるほどの恐怖」とは何であったのか原作でも名言されていないらしい。
また、どうしても視覚情報の伴う舞台では白髪になったターニングポイントが「見えて」しまうため、原作にならい解釈の余地を生ませるよう演出されているのだが、それでも舞台上に起きた出来事はどんな解釈でなされていたか、芝居の息遣いをしっかりと感じておきたい。
今回も漫画からセレクト。まだ読んでなのがそれなりにあるから困る。
最初。ニーナさんの魔法生活を読んだ。店頭に読み切り冊子が置いてあって、思わず一目ぼれしてしまった作品。ビームコミックスっぽい作画だけど、COMICメテオってところだった。
こういった異世界での生活を描いた作品は、描き込み量と基本的な世界観が大切だと思うんだけど、この漫画は二ページ目から琴線に触れてきてくれた。
謎の植物って大好き。巨大なまだらキノコとか大樹とか、いかにもなファンタジー世界だけど、描き込むべきところで綿密に描き込んでくれてるから満足度が高い。
反面、キャラクターだけしか描かずに、背景はホワイトってこまも結構見られる。力の入れどころがよくわかっていて、なおかつそれらが不自然になっていないので、とてもよくまとまった漫画だなあって思った。
物語としては、まだ一巻だしキャラクターや世界観の紹介が終わって何やら事件が始まりそうってところで終わってるんだけれど、終始作品の世界観に惹きつけられていたので飽きずに読むことができた。
続きが楽しみ。
次。LIMBO THE KING を読んだ。田中相の最新作。がっつりとしたSF漫画になっていた。
この漫画は導入からして読者を突き放してくれる。モノローグでいろいろと年代とか自制を説明するんじゃなくて、キャラクターが自然と話す会話の内容から物語の背景を探っていくことになる。
結果として読み進める中ですごく疑問が増える。これはどういうことなの、なんでそうなってるのって事柄が多くて、前のページに戻ったことがあった。
こういう物語世界への導線が細くなっている作品、結構好き。なんていうか、オープンワールドに放たれたような心細さと、手探り感が素敵だと思う。
公判で結構ショッキングな描写があったり、スリリングな展開もあったりする上に、全体的に不穏な気配が漂っているもんdから、早大ってわけじゃないけど骨太なSFにはなっている感じがした。
まだ一巻だけしか出てないけど、良作になりそうな気配。これもまた続きが楽しみ。
次。まかろにスイッチを読んだ。違う本に入っていた読み切り冊子で目にしたメガ澤の衝撃が凄まじかった作品。
淡々と一話完結のギャグマンガが続いていくわけなんだけど、妙なエネルギーがあるというか、世界観が異質。
大体がシュールギャグなんだけど、ところどころブラックな笑いがあるのもアクセントを与えている気がする。
いい意味で時間を無駄にしたい人におすすめ。二巻で完結なので手軽に楽しめると思う。
他にも螺旋じかけの海の二巻とhなhなA子の呪いが最近読んだ中ではよかったかなあ。
螺旋じかけの海は切ない気持ちにさせられる物語が多かった印象。A子は終わらせ方が難しかったのかな。一巻のころの突き抜ける感じは薄まっていたように思う。
とても面白かったし泣いたし、心に未だに余韻が深く刻みこまれてる。
けどなんかモヤモヤした。多分そのもやもやは…ああいう強烈なロマンティックラブが好きな監督への同族嫌悪。
どんなに隔たりがあっても、自分と相手の強い結びつきは絶対で、それもただの恋愛関係ではなくて、相手の存在が自分の存在に意味を与えてくれるような、そういう惹かれ合い。主人公達の最初のモノローグのように、自分にはそういう相手がいる、その誰かを探している。ってさ。
そういう相手がいるのが羨ましい、というかそういうふうに言ってる内は「自分は彼にとってオンリーワンの自分なんだ」って思っていられるから、羨ましい。
だってそういう相手欲しいじゃないですか。無条件に惹かれ合ってられるなんて素敵すぎるじゃないですか。
でも現実の世界で男女のいろんな出来事を見聞きして経験してきちゃうと、そんなんねーよ!って思っちゃうし、そんな夢見て恋愛してられないと思っちゃう。夢見て恋愛して上手くいく人もいるけど少数。
点数付けてるけどこれも個人的に面白かったかつまらなかったかであって作品が世間的にこれぐらいの水準のものとして評価をされるべきとかそういうのではないです
全体:5/10 おっぱい:7/10
魔女が戦車を振り回して破壊し、魚雷を魔力で飛ばし対艦ミサイルを先取りする荒唐無稽さが売りのアニメ。最終決戦はいよいよやり過ぎここに極まれりで凄いのか凄くないのかが逆に分からなくなる。それだけの力を持つ魔女が関わることで歴史に起きた変化をじっくり描いて欲しかったのだが全体的に軟着陸気味な終わり方をしたのが残念。特に中盤からはライバル魔女との対決にばかり時間を取られてしまい歴史改変部分はそのお膳立てと後始末に徹していた印象。
展開の大部分は戦争映画・超兵器映画テンプレの継ぎ接ぎでありおっぱいぷるんぷるんの魔女が戦場を飛び回る事ぐらいしか大きな見所はない。それも既にストパンの手垢がビッシリ付いてるような気が。史実のネタを知っていればニヤリと出来る系のシーンも、むしろそうやって使い古されきったネタへの食傷を強く感じてしまった。良くも悪くも出来のよろしくない映画を見終わったような心持ち。
全体:5/10 装神少女ゆまちん:8/10
ゆまちんいなかったら途中で切ってたと思う。ゆまちん可愛いしたいから見てた。ゆまちんの持霊も可愛い。でもゆまちんの友達にしては大人しすぎるのでシャーマンキングの玉村たまおと持霊交換するといいと思う。
変身物における「変身した後って消滅した服どうなるの?」という疑問に「もちろん消滅したままなので全裸になります」という回答を選ぶ辺りが実に深夜アニメ。テレ東でやってるキッズアニメを1クールに再編成してちょっとエッチにしたような感じで全体的に地味、悪くもないし良くもない普通アニメ。普通がいちばん。でも見るアニメがいくらでもあるこの時代では普通+αが欲しいと思うのが視聴者の心情。
全体:8.5/10 ねむりん:10/10
ねむりんがすごくかわいかった。ハードゴアアリスもかわいかった。自分は興味なかったけど男の娘も可愛かったと思う。でも魔法少女たちは死んじゃうから悲しいぽん。辛いぽん。
魔法少女が次々殺しあうまどマギフォロワーという事さえ理解すれば後はまったりと殺し合いを眺めつつ魔法少女かわいいすればオッケーの分かりやすいコンプセトの作品。甲賀忍法帖に匹敵しかねないレベルでキャラが次々死ぬため同じようなマッチアップが繰り返されたりもしないし、能力の個性により戦い方に幅もあるためこの人数で殺し合っても飽きが来ないのがグッド。
1クールの中でキャラや設定を綺麗に使い切って終わっているのはかなりの評価ポイント。能力を上手く使った物語づくりは流石の小説原作といった所だが、それを映像として上手く調理してくれたスタッフも素晴らしい。キャラの可愛さと露悪的な物語と能力者バトルが一度に楽しめて深夜アニメとして非常に美味しかった。
全体:6/10 レズイナー:8/10
スポーツ物ではあるけど百合的な側面がかなり強い。メインの登場人物がカップリング単位でキャラ作りされていてライバル校のキャラクターまでがカップリングを前提として作られているのを感じた。試合中等の心理フェイズもひたすら友情(?)を軸として行われいて好みが別れる所ではあると思う。仲間と共に成長する、仲間の為に戦うという熱いシーンとして捉えつつも、女の子の友情(?)って素晴らしいなあと考えられば2倍美味しいので個人的には楽しめた。
女の子動物園スポーツアニメとしてすごく無難な作りだったと思うのだが、正直に言うと1話段階では凄い面白いアニメが始まったなと感じていたので最終的には無難アニメ止まりになって少し残念ではある。区切りのいい所で終わるために仕方ないんだろうけど1クールかけてやったにしては試合数も少なく若干間延びしてる所は特にもったいなかったかなという気も。続き物の序盤だけありチュートリアル的な展開が多く、起承転結の後半部分に当たる要素が少なめで物足りなさを感じる。とはいえ全国という明確な目標に向けての上向きなエネルギーを感じる終わり方であり、俺たちの戦いはこれからだENDとしてはかなり良い切り上げだったので、こういった作品は起承転結の前半部分が持つ盛り上がりのエネルギーを楽しむアニメなのだなと考えを改める事にした。
PS:OPのレイズナー演出は最初面白かったけど慣れるとただの今回予告でしかなくあんまり楽しくなかった。
ユーリ!! on ICE
全体:8.5/10 ┌(┌^o^)┐ホモォ……:10/10
アイススケートという競技自体が持つ話題性の割には数が少ないスケートアニメの久々の新作。プリティーリズムをあくまでアイドルアニメとして捉えれば銀盤カレイドスコープから10年ぶりである。その年月の間に映像技術が圧倒的に進歩したのか予算がしっかりと付いているのかスケートシーンの出来栄えはかなり高い。アニメという架空を描く媒体である強みを活かして実際のスケート以上にインパクトのあるカメラワークが行われているのが非常に良い。モノローグやそれまでのエピソードによりそれぞれのキャラクターの心情が映像と共に流れ込んでくる事もありスケート中の臨場感はかなり高い。
純粋なスケートアニメとしても楽しんだけどそれ以外のシーンでは何度かホモっぷりを茶化しながら楽しんでいた。最初のうちはおいおい腐女子へのアピールですかと笑いながら見てたけど、まさかの結婚指輪には……大爆笑でした。こういうの慣れてなかったらどういう顔したらいいのか分からなかっただろうけど、色々アニメを見た結果笑えばいいと思う事にしたので自然と笑ってた。ホモ的な要素を省いて見れば2人が既に対等の存在になっている事を示すシーンではあるんだろうけど過剰演出すぎて笑うしかなかった。まあこういういのは中途半端に匂わされながらだらだらした絵を作られるよりも勢いよくホモってくれた方が、ホモ好きじゃない側としても見てて面白いんだよね。笑えるから。
競女
全体:9/10 原作超え:10/10
原作の力を完全に活かし数倍の面白さを持つに至った脅威のアニメ化。緊張感のあるBGMや重厚な金属音が付くことでシリアスな笑いがここまで強化されるとは。スポーツアニメでなくバトルアニメに使うような演出の多様や、必殺技の書き文字により乳や尻で人間離れした技を繰り出している事が強調されもしかして熱いアニメなのではと勘違いしそうになる。いや実際熱いアニメになっている。お馬鹿で熱いアニメなのだ。
アニメ化の完成度も素晴らしいがそれもこれも原作の狂った発想力がまず土台にあることを忘れてはならない。常識離れした専門用語がさも当然のように飛び出し、乳尻を打ち合う勝負にエロさではなくまっとうな競技性を誰もが感じている狂った世界観あっての事。アニメではその強みを読み違えずに登場人物の真剣な語り口調によってしっかりと補強し命を吹き込んでいる。安易にシコれるエロへとなびかずどこまで笑えるエロに全振りしていったスタッフの侠気に感謝。作り手の原作理解と良い物を作りたいという気持ちを強く感じる素晴らしいバカアニメだった。
総合:4/10 何で売れそうにないアニメ作るんだろうね:10/10
SHIROBAKOになれなかったアニメであり、俺ガイルになれなかったアニメでもあり、売れてないけどちょっとは売れた何で売れそうにないアニメ作るんだろうねアニメである。自虐風自慢前フリが見事にただの自虐で終わってこれはこれで美味しい展開。駄目な子ほど可愛いという作品のノリともしっかり合っているしいいオチ。作中でもクソアニメだったけど好きだったと自分で言ってるしまあ本人達が満足ならいい事だ。いい事なのかなあ……。
何で売れなかった分析は他の人に任せるとして個人的な感想を言えば、カタルシス的要素にかけるという部分につきる。作品が終わってもクズさんも一時の熱が引けばクズのままだし、ちー様も成長したというには振れ幅が小さい。一度マイナス方向に進んだ物語がゼロに戻る話は、そのままの勢いでプラス方向に突き上げていくから気持ちいいのであって差し引きほぼゼロで軟着陸されては見ている側のモヤモヤが行き場を無くしてしまう。作品全体の持つマイナスエネルギーが結果として目に見える大きなマイナスとして現れていればそれもまたオチとして形になっていただろうけど劇中劇が売れませんでしただけでは何とも中途半端。
戦国鳥獣戯画
全体:5/10 絵柄:8/10
絵柄の力だけでゴリ押ししきったアニメ。動物化して知能がヤンキー高校レベルにまで低下した戦国武将たちのほのぼのっぷりが良い。林原めぐみの妙に落ち着いた語りもシュールさを後押ししていた。
全体:5/10 飽きた:6/10
流石にそろそろマンネリしてきたよねえ。
DRIFTERS
全体:7.5/10 おっぱいーぬ:7.5/10
微妙な違いはあるけど漫画がそのままアニメになってると感じた。個人的には豊久の声に重さが足りないのが気になった。でもこれは自分が原作を読み違えていただけで豊久は元々軽い調子でキリングマシーンしているキャラだっていう気もするので「アニメの豊久はこういう物」として受け入れる事に。
漫画の決めゴマが持つゾクっとするインパクトこそ無いけど動きが付くことで映えるシーンもあってアニメはアニメとして楽しい。特に銃や爆発といったシーンは信長が言っているように音があるとないのとでは大きな違いがある。他には黒王の増殖能力が持つビジュアル的不気味さは動画のが印象が強まるね。
全体:4/10 顔芸:2/10
こうやれば喜ぶんでしょーという匂いが強すぎる顔芸は好まず。里見が裏方としての顔を脱ぎ去ってラスボスになってからの演技過剰な露悪っぷりがそもそも好きじゃなかった。ラスボスが好みじゃないので後半はいまいち盛り上がれなかったかな。物語自体も主人公たちは助かったけど問題は根本的に解決してなくて性格や内面の性別が入れ替わった人は続出し続けてるままというオチだし何とも消化不良。色々と二期に投げるのはWIXOSSの伝統って奴じゃろか。
かれこれ3クール見たけどゲーム自体のルールは未だにチンプンカンプン。コイン技という分かりやすい必殺技の登場で何が起きてるのか何となく把握出来るような気分になれたのは前作からのいい変化かなと。コイン技絡みのとんちが効いた盤外戦術ならルール自体分からなくても理解できるしね。最初の頃の遊戯王みたいだったねあのとんち。攻撃するのは月!岩石の巨兵!砕岩剣!そういやあのシーン魔法カードになってるらしいね。
ジョジョの奇妙な冒険第4部
杜王町の不思議な日常の再現度はかなり高かった。キャラクターの喋り方はおおむねイメージ通り。彩度高めな町並みもコミカルな4部の雰囲気にはピッタリだった。不思議な力と共存しながら戦いながら生きる康一君たちの日常を覗いてるという感じがよく出ていた。
とはいえ殺人鬼との熾烈な戦いにより緊迫感が最高潮となる終盤ではポップ寄りな絵だとパワー不足を強く感じてしまった。単行本の表紙を思わせるカラー変更やBGMなどを駆使して何とか強い印象をもたせようとしていたが元の作品が強すぎて追いつききれていない。漫画で読む際に気にならなかったキャラのセリフの長さから来る悠長さも誤魔化しきれなかった場面がちらほらあったように見受けられる。3クールぶっ通しともなると最後はかなりキツかっただろうからそれを考えるとよくやりきってくれたと思う。
ろんぐらいだぁす(まだ終わってないけど)
全体:4/10 レガリアった:9/10
作品そのものよりも放送を落としたり作画がおかしかったりする事の方が話題になったアニメ。自転車の3Dが時折怪しくなったり食事シーンによく分からない物が写ってたりモブのキャラが色違いのコピペ軍団だったり総集編を作るにはネタが少なすぎて唐突に実写が混じったりしているのが見所。作中で「リタイア」「ハンガーノック」「足切り」「間に合わなかった」といった単語が出てくると思わずにやけてしまう。
いい部分の話をすると、人が「沼」に嵌っていく過程を安全圏から眺める楽しさが詰まっていた所は大いに評価したい。最初に中途半端な物を買っていつの間にか使わなくなったり何かあるとすぐ追加装備の購入を促されたりと、悪徳業者にでもカモられているんじゃないかという勢いで出費がかさむ姿はまさに「沼」。でもその結果として前出来なかった事が可能になったり仲間と親密になれたりとご褒美が待っていてこれまた「沼」。
作画の出来が正反対なら別ベクトルの楽しみ方も出来たのかなと思うのでそこは残念。しかしまさかこのアニメでガルパンのような引き伸ばしをするとは……もう10話で完走でいいでしょ……足切りでいいでしょ……ガルパンの方頑張れよ
全体:7.5/10 回れよ:0I/8
1期で一通り仲良くなったし2期は平和にけいおんやる可能性もあるのかなと思ってたら全然そんなことなかった。相変わらず若さをぶつけあってギスギスしていて実に中学生日記。何を考えているのかわからなかった相手が仮面の隙間から剥き出しの感情を見せる魅せシーンも多く音楽にあまり興味のない自分でも楽しめた。
努力の成果虚しく銅賞で終わったモヤモヤが、滝先生が麗奈に感謝を伝えるシーンやジョイナス先輩の父が送った言葉によって救われる物語構成は非常に納得感が高い。簡単にすぐ勝たせるでもただ負けて終わるでもない良い落とし所。全国に出たから来年は新入部員来そうってのも前向きで景気のいい話だ。しかし主要キャラに3年生がいると1年の重みが違うな、メインが教師と同学年ばかりの作品だといつの間にか2年生や3年生になっても特に変化ないから久しぶりの感覚だ。
提供は今回も可愛かった。
全体:5/10 3D:3/10
501と比べると全体としてキャラにあんま魅力がないというか誰が誰なのかよく分からなかった。というか主人公の出番が多すぎてその分他のメンバーが割りを食った感じ。502の中だとカタヤイネンと菅野さんはひかりや前作キャラとの絡みも多かったしキャラも分かりやすくて印象に残った。まあ元ネタも知名度高いし優遇されてた所はあるんだろうな。やっぱキャラの魅力で引っ張るアニメだから三馬鹿以外のキャラの描写がやや薄めだったのは残念だったなあ。
残念といえば3Dが2Dと違いすぎて違和感が凄かった。動いてればまだいいんだけど動きが鈍いとゲームのムービー見てるような気分に。3D除けば戦闘の出来は悪くなかったはずなんだけど、3Dの出来が本当にキツい。作画が切り替わりすぎってそっちが気になってしまう。ストーリーはまあいつも通り王道で悪くなかったけどこのアニメシリーズどんどん根性論になってきてんなあというのは気になった。
フリップフラッパーズ (こっそり追記)
全体:7.5/10 アニメーション:9/10
アニメーションは凄かったけど「アニメ」としてはそこまで圧倒的に面白いって訳じゃなかった。全体として映像にあまり意味が乗って無くて映像のための映像になってるのが良くも悪くもこの作品の性格なんだろうけど、そういうゲージュツ的なのは自分よく分かりませゆえ。がっつりピュアイリュージョンの考察やれば違った感想になるのかも知れないけどそこまでの熱意は沸かなかった。
雰囲気作りのために色々散りばめられてたけど、ストーリーの大筋は典型的なガール・ミーツ・ガールだよね。不思議な出会いをした2人は最後はご両親に挨拶に行く仲になりましたとさの百合アニメ。ピュアなイリュージョンの中で結ばれるってのはつまり真の相思相愛で百合こそが真実の愛って事なんじゃろ。ゲージュツはよく分からんがテーマは伝わったぞ。