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はてなキーワード: ウーマンリブとは

2019-05-14

anond:20190514103929

ほんとなんでだろうね。

もともと「ウーマンリブ」とか言われてたのは、女性社会進出経済的自立、それから性の自己決定権を確保するのがセットだった。すなわち、ピル自由化を行い、女性妊娠リスクなくセックスを楽しめるようにする。タブーとされていた女性器を開放する、そういうのもセットだった。

ところが、なんか知らんが、日本においては性嫌悪勢のほうが市民権を得てしまった。それもここ数年の話だと思うよ。少なくとも2000年以前は、フェミの集まりにそういうタイプの人はいなかったし、いても、自分アセクシャルだ、あるいはレズビアンだ、またはPTSDのせいで男が苦手だ(カウンセリングを受けて治療している人も結構いた)というカテゴライズをしてたと思う。実際、古めのフェミ論客の人たいてい男性パートナーいるじゃん?

そりゃ一部の女は「男なんて全員死ねばいい、人工受精子供作ればいい」って言うけど、これは男側における「三次元の女なんていらない俺たちは女の子の絵がかかれた看板に張り付いてるシリコンの塊が揉めたら満足なんだぜ」ってイキってるのと同じジャンルだし、それが多数派ってわけでもないと思うんだけどな。

2019-04-27

マンガワン新連載「男殺しの音頃さん」が気持ち悪い…

サムネ童貞を殺す服に釣られて読んだ。

あーよくあるヘタレ主人公のお色気漫画かあって感じ。

セクハラ体育教師エロマッサージが始まり睡眠薬入り飲料を飲み眠ってしまう音頃さん、裸にされそうになりピンチ

が、飲み物は飲んでおらず、体育教師の「くそ女」「女なんぞ」という女性蔑視発言に腹を立て成敗する……。女男平等社会を実現するために闘ってるんだと。

令和はウーマン・リブ時代

真の女男平等ハーレムファンタジー

ウーマンリブ(笑)

女男平等(笑)

これ誰向けに描いてる漫画なんだろう。

少なくとも男女平等を目指す人たち向けではない事はわかる。反フェミ向けなんかな?

第2話は笑顔圧力で席を譲ってもらった妊婦が男に突き飛ばされ、「妊婦様wwww」って嘲笑してるところを成敗する話。

いい加減悪事を働くやつ=チンピラってテンプレやめへん…?

これ読む人どの登場人物感情移入すんだろ、席譲らされたサラリーマン?輩が成敗されたからってスカッとはしないよな。

まあファンタジーだもんな……。

誰向けの漫画なのかどう楽しむのかわからなくて気持ち悪い。

はてなフェミの人、反フェミの人が読んだ感想を知りたい。

2019-04-17

腐女子twitter上での世渡り

同じジャンルと思しき人から、ファボがきて、コメントが来て、相手フォローしてくださったら、こちからフォローするけど、タイムラインは好きなものしか見たくないから、相手が、主婦ウーマンリブ系のリプや呟きばかりだと、即刻ミュートする。

自衛として、twitterイラスト貼り場萌え語りのみとし、日常ツイは極力しない。相手愚痴には反応しない。

イライラしたことかに聞いてもらいたいことは増田へ。描いているうちに気持ちも落ち着く。

2019-02-16

百合ジャンル歴史現在 前

 本稿では、BL/やおいと比べ論じられることの少なかった「GL/百合ジャンル確立歴史と、その現状について考察する。

 はじめに、「百合」というマンガアニメにおけるジャンルを示す言葉概要説明する。「百合」とは主に、女性同士の恋愛と、それに満たない関係性も含めて描いた作品ジャンルを指す。川崎によれば、定説として語源ゲイ雑誌薔薇族」に由来する。男性同性愛を指す「薔薇族」と対になるよう、女性同性愛者を「百合族」と呼称した「百合族の部屋」というコーナーが1976年から不定期連載されるようになったのが始まりであるとされる(川崎2014:44)。当時はレズビアンを指す用語だったが、徐々にサブカルチャーに輸入され女性同性愛を扱った作品群を呼称する言葉に変化していった。

 まず、日本での「百合」のマンガジャンルとしての成立について述べる。そもそも大正ごろの日本においてマンガとしての形態以外で女性同性愛テーマにした創作物としては、性描写過激男性向けポルノか、少女向けの小説に二分されていた。特に女学生同士の姉妹関係エス」をテーマにした少女小説金字塔として、「花物語」(1925)などが代表される。しかし、大正時代少女文化として流行した「エス」の概念現代の「百合概念とは違い、上田は「自覚的女性を愛することを選択したというよりは、良妻賢母になるための安全なる予行演習という側面もあった」と述べている。(上田 2014:192)

マンガが発展し、女性同士の関係性を主題とした最も初期の連載作品1970年代ごろから山岸涼子「白い部屋のふたり」(1971)、池田理代子おにいさまへ…」(1974)、「ベルサイユのばら」(1972-73)のオスカルロザリーなどにみられはじめる。これらは、「24年組」に代表される少年愛テーマとしたマンガと同時発生的に少女マンガ誌に掲載されたものだ。藤本は、このころの百合マンガの大きな特徴として

 ①対照的な二人の容姿(中性的・くっきりとした美人可憐少女イメージ)

 ②演劇モチーフ(宝塚歌劇の影響)

 ③悲劇的なストーリー(少年愛を扱う作品対照的同性愛による葛藤描写)

を挙げている(藤本 2014:101)。これらの特徴は、1970年代女性の抱えていた抑圧感を反映していたものなのではないかと考えられる。女性作家による「少年愛」が現実の抑圧から解放として、性的未分化存在(少女)の何物にも縛られない感情の動きを描写したものなら、このころの「少女愛」はそれと対照的に、抑圧からの逃避としての悲劇的な結末が設定されることが多かったのではないだろうか。表現手法舞台設定は耽美幻想的でありながらも、当時の日本での女性のおかれる立場に忠実な閉塞感が描写されたものだと考えられる。また、この時代百合マンガ少年愛ほどの大きなムーブメントには発展せず、作品数も多くはなかったため、自然消滅的に衰退していった。

 しかし、1990年代同人誌文化の発達に伴い、百合ジャンルも急速にその勢いを復活させる。

まず、「美少女戦士セーラームーン」(1992-97)によって、女児向けマンガにおける戦う美少女という概念ジェンダー論的な観点においての大きな転換点となる。異性愛的な要素が物語の中心に関与していたにもかかわらず、同人イベントではセーラー戦士同士のカップリングを描いた作品が爆発的なブームとなった。その理由として考えられるのは、消費される客体としてではなく主体としての戦う美少女像が確立されたことではないだろうか。これにより、百合的な描写70年代における悲劇的な結末に向かう物語ではなく、少女が二人で主体的に幸せを獲得していく過程が重視されるようになっていったと推測できる。

そして、物語の中の関係から百合文脈を汲み取っていた時代から、前提として百合のもの主題においた作品も増加していく。代表的なものとして、「少女革命ウテナ」(1996-98)がある。この作品は、古典的少女マンガシンデレラストーリーを基盤に「王子様」と「お姫様」を少女同士に置き換えてなぞりつつ、70年代百合作品に見られた演劇的なモチーフや学園モノ、男装美少女といった設定を取り入れ、また絵柄としても耽美で繊細なものであったが、これらは意図して行われたパロディ化された演出だった。ストーリーの結末も、最終的には二人が離れ離れになる点は悲劇的にも取れるが、その後ヒロインたちの再会が示唆されている。アライによると、「王子様」と「お姫様」が結ばれてハッピーエンド、という構造少女同士で反復するだけではなく、最終的にヒロインたちは「王子様」と「お姫様構造破壊し、自身覚醒させ歩き出すことで、社会的女性規範を打ち砕くことができるのだ。(アライ 2015:57)それこそが「世界革命する力」であり、この結末によって投げかけられたのは、異性愛規範や家父長制へのアンチテーゼと、黒人女性解放運動日本女性ウーマンリブ運動などの背景を踏まえた社会的メッセージだった。

これらの2作品によって、社会的な動きと呼応した百合マンガの潮流が形作られはじめる。「セーラームーン」も「ウテナ」も少女マンガ誌に掲載されており、本来ターゲット層は10代の少女対象にしていたと考えられるが、ここでのプラトニック少女たちの絆がオタク層にも受け入れられ、恋愛的な文脈解釈した成年層による二次創作が爆発的に流行する。これと同時に一次創作オリジナル同人誌においても、「百合」という概念が定着しはじめ、少女同士の恋愛主題にした作品がみられるようになる。

 そして2000年代に入ると、マンガジャンルとしての百合を専門に掲載した「百合姉妹」(2003-2005)が発刊される。その後、「コミック百合姫」(2005-)に統合され、現在刊行中。専門誌の発刊は大きなジャンルの発達の手掛かりとなり、この雑誌に連載されていた作品アニメ化や二次創作流行によって、「百合」というジャンルがはっきりと定義されはじめ、広く認知されるようになっていく。しかし、その定義に関して「男性が主要人物として登場し、恋愛関係に介入する」「性的関係が生じた場合百合ではなくポルノ」などといったさまざまな議論が巻き起こったのもこの時期である

また同時期に、「神無月の巫女」(2004-05)や「舞-HIME-」(2004-05)などの少年誌で連載される百合作品が登場する。これらの作品は、少女マンガ作品よりも直接的な同性間の恋愛としての描写性的表現が強く押し出されていた。ここから現代男性向けと女性向けの要素を同時に内包した現代百合マンガ形態確立しはじめたといえる。2007年には、前述した「コミック百合姫」の姉妹紙として一迅社からコミック百合姫S」と「コミック百合姫Wildrose」が発刊。「S」は本誌よりソフトで繊細な関係性の百合を扱い、なもりゆるゆり」(2008-)が代表するような「日常系百合」の流れを作った。一方「Wildrose」は、それまで成人向けポルノとしての過度な性描写忌避されがちだった(厳密な定義での「百合」ではないとされる議論があった)当時の風潮の中、直接的な性描写掲載した作品を扱う専門誌として独立した挑戦的な試みだった。

 ここで、2008年に行われた「コミック百合姫」の読者アンケートを参照してみる。2008年7月号時点の『コミック百合姫』読者の男女比は男性27%、女性73%であるのに対し、『コミック百合姫S』の方は男性62%、女性38%となっている。つまり現在統合された「コミック百合姫」の購買層は、この男女比を単純に平均すると男女差はほぼ半々で、やや女性読者のほうが多いということになる。ここでは百合マンガの購読層を性別と消費の形態に4つに分類して考察した。

①「傍観」型女性

 女性購読層において基本的には、社会的比率を前提にすると異性愛女性のほうが多いと考えられる。彼女たちは少女同士の関係性に、「現実における異性愛ジェンダーロールによる苦痛から隔絶された「非現実的な同性間による越境快楽」を心の拠り所として愛好するのではないだろうか。なおこれについては、やおいBL ジャンルを愛好する女性においてもほぼ同じ理論適用できる層が存在すると思われる。

②「投影」型女性

 百合というジャンル性質上、他の恋愛形態をメインとしたジャンルよりもレズビアンバイセクシャルを自認する女性が購読層に多い傾向にあることは考慮するべきである彼女たちは、異性愛女性が「少女マンガにおけるロマンティクラブ」を夢見るのと同じように、自身性的指向に一致した自己投影先として「百合マンガにおけるロマンティクラブ」を享受していると考えられる。

③「傍観」型男性

 百合自分投影先の存在しないストーリーを消費するものとして受け取っている購買層。①「傍観」型女性とほぼ同じ論拠が適用できると考えられる。

④「投影」型男性

 百合マンガ登場人物自己投影する男性は、ジェンダーロールから解放と、女性との恋愛の疑似体験を同時に達成できる。この購読層の性的指向に関しては、社会的比率として異性愛男性が多いと思われるが、異性愛コンテンツNL)ではなく百合GL)を愛好する彼らに関しては、③「傍観」型男性よりさらに複雑な感情ルーツを持っていると考えられる。また、TS願望を持つ男性MtFとは区別する)や、同性愛男性共感を持って少女同士の関係性を愛好する例も、この枠にひとまず収めることとする。

⑤「乱入」型男性

 特に男性向けの性的描写の含まれ百合マンガ等においては、その世界の中に没入し登場人物の中に「混ざりたい」という観点で消費する層も存在する。これは上記の4つの例と異なり、少女同士の関係性ではなく「(男を知らない、穢れのない存在として描写される)レズビアンである少女を自らの男性性によって屈服させたい」というマウンティングによる性的欲望や、男性主人公やその代わりとなる女性キャラクター存在しない「ハーレムもの」といった受け止め方に由来するものと思われる。ただし、これらの男性百合ジャンルファンから忌避される傾向にあり、特に近年の百合主題とした作品においては減少している。

これらのファンがそれぞれ百合というジャンル定義について議論を重ね、各需要を満たすような創作物制作していったことにより、百合ジャンルが発展していった時期だった。

次に、2010年代百合文化を振り返る。このころに代表的な作品として挙げられるのはテレビアニメ魔法少女まどか☆マギカ」(2011)だろう。この作品は、「セーラームーン」にルーツもつ戦闘美少女系譜を受け継ぎながら、現代調に前提として百合意識して構成された作品ひとつで、魔法少女同士のカップリングを扱う二次創作が爆発的に流行した。

 また、少女マンガ誌において百合を扱った作品が満を持して再び登場する。70年代以降、異性間のラブストーリー(NL)に偏っていた少女誌において約30年ぶりに百合が復活した形で、「野ばらの森の乙女たち」(2011)や「ブルーフレンド」(2010―2011)が連載された。これらの作品は、少女漫画特有の筆致でありながらも明確な少女同士の恋愛関係としての描写があり、また両作品とも70年代のような悲劇的なラストを迎えることはない。少女向けの要素として、学園設定や疑似姉妹などの設定は残されているものの、これらは批判的なパロディというよりも前時代少女誌における百合作品に対する敬意からくるオマージュ解釈するほうがふさわしいだろう。これは近年において少年誌よりもジェンダーロールの強固だった少女誌界隈に百合ジャンルブームの波及がみられた、極めて注目すべき例である

<続きと参考文献リストこちら>

https://anond.hatelabo.jp/20190216025236

2019-01-03

わたしは、私」にいっちょ噛みすることすらできないライター

パイ投げ食らってる安藤サクラを見て『わたしは私』などと思えるやつがどれだけいるのか」という一点だろどう見ても

「今更女の時代アピールするのはウーマンリブへの冒涜」(いや、だから女の時代アピールするのはもうやめようって内容だろネタちゃんと見ろよ)とか

「女が生き辛いというマクロ問題の再提示と私は私というミクロ意識改革提示は噛み合ってないからいっちょ噛み失敗」(来るべきなのは~の一文で前半受けてるだろ自分引用した全文ちゃんと読めよ)とか

私には読解力ありませんと全力で主張するだけの頭悪い内容で「SNS有象無象とは違う視点炎上ネタを切り取ってみました」とでも言いたげな記事を平然と投下されても呆れるしかない

たかだか一分の動画すら正確に内容把握できない人間ライター任せるしかないぐらい人材枯渇してるのか?

2018-11-26

anond:20181126105758

日本戦前まではまっとうなフェミニストがいたんだけどね。

1970年のウーマンリブ運動一般女性にもその考えが広まった結果、逆にミサンドリストに利用されるために都合のいいように切り取られてしまった。

2018-11-04

anond:20181104105527

でもウーマンリブ時代(1970年代のこと?)のフェミが激しかったとしても、女が男を容姿でけなすようなことはしなかったでしょ。

イケメンという言葉が生まれたのは2000年代の初頭。

今のフェミは、普通に男の顔をキモいとか言うし、はてな界隈でもKKOがトレンド言葉になるくらいだし。

anond:20181104105431

ウーマンリブとか言ってた時代の方が遥かに闘争」色強かったんだけど。

歴史知らねーな。

2018-10-06

anond:20181006112226

問題NHK女性役割を〜」云々を争点にしてる人たちも、この種の女性が補助役や聞き役にいる番組地上波でもゴールデンタイムにもいっぱい流れてるけど、そういうのについていままでどれだけ批判の声をあげてたの?

そんなの遥か昔から批判されてましたよ?

多分増田が生まれる前の、ウーマンリブとかそういう時代からね。

2018-08-26

anond:20180825083543

仕事仕事ができる人の方に集まるってことだよ

自分場合、"「逃げ恥」にみる結婚経済学"という書籍に出てくる「妻が専業主婦なら夫はどのくらい家事育児負担すべき?」の表で言えば、全く負担しないで良い収入があるのだが、実際の家事育児負担は表に出てくる稼ぎが少ない人並みだと思う。ウーマンリブ的なイベントかに行ってワーキングマザーと話をして感じるのは、自分よりずっと少ない稼ぎの男性ほど家事育児してない気がするということだね。

2018-08-21

anond:20180821112835

女の事に上から目線で口出すか、自分自分の事を考えるか、で全く違う。

なるほど、男のことに上から目線で口を出すフェミニズム

自分自分のことを省みるウーマンリブ対応してるわけか

2018-08-04

フェミニズムとかウーマンリブとか女性の自立とか、結構なことだと思います。昨今の出来事もあって、SNS上ではそういう発言を目にする機会も増えましたね。

でもそういうのを見ると、この女の人口では勇ましいこと言ってるけど男とセックスしてるのかなとか考えてしまます。もしもそうだとしたら、裸で仰向けでひっくり返ったカブトムシみたいな格好で男にちんぽ入れられているわけで、おかしくて笑っちゃうなあ。

2018-07-13

元々フェミニズム男性を敵視する思想ではなかった

戦前平塚いちょう女性解放論などを読んでみれば、それは男性を敵視する思想ではなかった。

フェミニズム思想が変化したのは1970年代ウーマンリブから

それまでエリート女性だけの思想であったフェミニズム大衆レベル女性まで広がったことが大きな原因。

男に恋愛対象にされないブスな女たちによって、フェミニズムは男を敵視する思想に成り下がってしまっただけ。

戦前フェミニズムは、夢物語のような思想を主張しているだけでもいいような面もあった。

戦後、実際にフェミニズム思想を実現する段階になると、男を敵視するような施策政策をせざるを得なくなっただけとも言える。

その意味では、フェミニズム思想もそれほど高尚なものではない。

2018-04-11

anond:20180411101524

共感っていうとなんだかいことみたいだけど

要するに「いちいち瑣末なことから妄想データを作り出して人の内心を勘繰って怒ったり傷ついたりする」ってことだから

共感なんかしなくても人に優しくできるし

共感性の高い人間が人にやさしいと思ったら大間違いだし

そこをみんなに気付いてほしいね

女子力とかってろくでもないことだよ

ウーマンリブ的な意味で言ってるんじゃなく

2018-03-11

anond:20180309162913

古い性役割を「抑圧」と呼んで壊そうとするのが昨今のウーマンリブであり、ディズニー作品はそういう社会を反映している。

誰かの救済を待つのでなく、みずからヒーローになること。

自分問題自分解決できるのだという確信主体性を持つこと。

期待される「プリンセス像」を捨て、「ありのままに」なることが抑圧から解放だと描くこと。

それらが今の時代に生きる多くの女性の支持と共感を集めたんだと思う。

すべての男性ヒーローになれるわけではない。弱い人、賢くない人、色んな事情を持った色んな人がいる。そこを配慮せず弱者を切り捨て、マッチョイズムだけをよしとする社会は公平さに欠け賢くない。

...

多様性時代になってるわけだし、弱いもの底上げ必要なんだと思う。アファーマティブアクションってやつ。女性もそうだけど、いわゆる「弱者男性だってそうだ。誰もが自尊心を持って生きる権利がある。

前半でこういう価値観の変化を論じていてふむふむと思っていたのに、後半になると

Metoo」や「女性専用車両」や「女性だけの街」、性犯罪ジェンダー話題はとにかくネット炎上やすい。

そのときの会話の噛み合わなさに、いつも此岸彼岸の隔たりのことを思う。見えているものが違いすぎると思ってしまう。「女性専用」という言葉や、性犯罪者の告発に怒り狂う男性たちはあまりに不可解で、言葉が通じない恐怖がある。

「すべての男性性犯罪者ではない。俺を犯罪者扱いするな」というのがよく言われる意見だ(ノットオールメン)。しかしそんなことは自明なわけで、誰も「男全てが性犯罪者だ」なんて言っていない。

なのになぜ自分を「男性」という共通項のみで性犯罪者側に寄せ、「俺への攻撃だ」と思い込んで怒るのだろう? 同じ「善良な市民」という共通項で、被害者女性側に寄せ、性犯罪者に対して怒ることはできないんだろうか?

という話になって「え?」と思った。

女性専用車の話が一番分かりやすいと思うのでその話をするけど、女性専用車って結局「男は暴力的な生き物だ」「男は女を守るために献身的になるべきだ」みたいな古い固定観念を追認するものでしょ。こういう固定観念がなかったら、女を別の車両隔離したら性犯罪が減るとか男は多少の不便さを受け入れるべきだなんて発想は生まれるはずもないよね。

そういう性別のみに基づいた役割押し付けから脱却して、《誰かの救済を待つのでなく、みずからヒーローになる》《自分問題自分解決できるのだという確信主体性を持つ》ような社会を目指していくべきだっていうのなら、女性専用車という概念むしろ邪魔だよね。女性専用車が存在する限り、我々は「男から女への性暴力けが電車内で起こるトラブルである」「いつも男が加害者で女が被害者である」みたいなまやかしをずっと刷り込まされていくことになるんだよ。

こういう古い固定観念に基づいた差別を指摘する声に対して「どうして男は女の気持ちに寄り添わないのか」みたいなことを言ってる限り、《同じ「善良な市民」という共通項》を共有することなんて無理だよ。

2018-03-09

男たちは呪われているのか-「アナ雪」のクリストフに見る脱ヒーロー

若干話題が古いけど、こういう対談がある。

アナと雪の女王」のクリストフはなぜ業者扱いなのか? 夏野剛×黒瀬陽平×東浩紀の3氏が男性視点で新解釈 https://www.huffingtonpost.jp/2014/08/07/anayuki-genron_n_5660493.html

ざっくり要約すると「アナ雪は女性だけで解決してしまい、クリストフはただの業者扱い。男としては疎外感を覚える」というような内容。

この対談、女の自分から見ると「???」なところが多くて、

>「わざわざ男いらないって強いメッセージを出している。なんでそこまで王子モデル攻撃しないといけないのかと」

というくだりには被害妄想めいたものを感じてしまった。

クリストフ王子様じゃないけれど、誠実で素朴ないいやつだ。孤独変人だけど、仕事家族を大切にしている。

そこらの王子モデルよりよほど親しみが持てるし、ありのまま人間らしく描かれていると思う。

ただ役回りが脇役で、「なんでも解決できるヒーロー」ではないだけだ。

そのクリストフを「業者」と呼んで、アナ雪を男の「排除」「攻撃」と感じる男性心理っていったい何なんだろう???

個人的に、「アナ雪」は「男いらない」とは言っていないと思う。ただ「ヒーローの男はいらない」と言っているだけだ。アナもエルサも自分たちの問題自分たちで解決したいし、しなきゃいけない。

ヒーローの男がいると、女は人形みたいなプリンセスとか、救われる村娘Aとか、後列で回復呪文を唱える係とか、とにかく救済されたり、弱者だったり、よくてサポート役回りを演じさせられる。物語ラストには弱い自分を救ってくれたヒーローと恋に落ちて、結婚するまでが一連の流れだ。まるで舞台装置か優勝トロフィーみたいに。

そういう王道ストーリーを完全に否定するわけじゃないけど、もう古いよねっていうのが今の時代の流れだ。

古い性役割を「抑圧」と呼んで壊そうとするのが昨今のウーマンリブであり、ディズニー作品はそういう社会を反映している。

誰かの救済を待つのでなく、みずからヒーローになること。

自分問題自分解決できるのだという確信主体性を持つこと。

期待される「プリンセス像」を捨て、「ありのままに」なることが抑圧から解放だと描くこと。

それらが今の時代に生きる多くの女性の支持と共感を集めたんだと思う。

(私個人としてはアナ雪はそんなに好きじゃなかったけど、こういう社会問題をいち早く取り扱って幼児向けのエンタメにできるディズニーってやっぱすげえなと思う)

そんな感じで「脱プリンセスありのままわたし運動は着々と進むのに対して、「脱ヒーローありのままのおれ」運動全然進まないように見える。

こっちの此岸では「美しく従順でなんでも受け入れるプリンセス像」を火にくべ始めたのに、

あっちの彼岸では「強くて賢くてなんでも解決できるヒーロー像」を街の中心に据えて崇拝し続けているように見える。「美しく従順でなんでも受け入れるプリンセス像」も現役アイドルだ。

日本では特にその傾向が強いのではないかと思う。

からそのヒーロー像、プリンセス像を正面から否定してみせた「アナ雪」に、対談の男性たちは反感を覚えたのかもしれない。

男性社会最高神であるヒーロー像」を否定することが、まるで「男という性別」への攻撃のように感じられたのかもしれない。

ただ思うのは、脇役のクリストフこそ、「ありのままのおれ像」なのではないかということだ。

かに、そういう強いヒーロー像を崇拝する男性社会はこれまで人類史で栄華を誇ってきて、結果も出してきた。歴史があるし今も続いている。

だけど、すべての男性ヒーローになれるわけではない。弱い人、賢くない人、色んな事情を持った色んな人がいる。そこを配慮せず弱者を切り捨て、マッチョイズムだけをよしとする社会は公平さに欠け賢くない。

ヒーローの強さだって言っちゃえば暴力だし、そんなのこの21世紀アナログすぎる。

から多様性時代になってるわけだし、弱いもの底上げ必要なんだと思う。アファーマティブアクションってやつ。女性もそうだけど、いわゆる「弱者男性だってそうだ。誰もが自尊心を持って生きる権利がある。

ヒーローにならなくていいし、「ありのままのおれ」でいい。

多くの男女の自尊心を削る「ヒーロー像」「プリンセス像」は一度打ち壊して、火にくべるときが来た。父権社会解体が、今世界的なムーブメントになっている。

ただここからがやっかいで、男女関係や性の問題だ。

男性はどうも「モテ」に固執してしまうふしがあるようで、女を「モノ」にすれば「男になった」と認められるような悪習がある。

まるで男が自尊心を得るには、女の人権をかすめ取らなきゃいけないみたいな言い方だ。

より多くの美しい女を取得することを自己価値バロメータとして、他者と比べあい自分いじめるみたいな悪癖がある。

女性もそういうことは普通にするけど、男性のそれは比じゃないというか、ちょっと理解範疇を超えてくる。

そこには生物的な性欲の違いや繁殖欲だけでは説明しきれない、人間的なドロドロとしたもの文化形成された支配欲や加害欲と入り混じった、「女」への憎悪・悲哀・妄執を感じる。

そういう恋愛観のまま接するからお互いうまくいかなくなる。女からすればそういう男は背後に暴力性がちらついて見えるわけで、嫌悪感や恐怖感が出てくる。性行為と性暴力って全然のものだと思うのに、相手はしばしば混同しているように見える。

そもそも自尊心自己肯定感というのは、自分の中で育てるものだ。社会的地位や容姿、「モテ」「非モテ」と関係なく、無根拠に持っていていいものだ。自己価値は異性にアウトソーシングして調達するものではない。

やはり男性も、「ありのままのおれ」になるときだ。「男らしさ」から解放されるときなのだ

Metoo」や「女性専用車両」や「女性だけの街」、性犯罪ジェンダー話題はとにかくネット炎上やすい。

そのときの会話の噛み合わなさに、いつも此岸彼岸の隔たりのことを思う。見えているものが違いすぎると思ってしまう。「女性専用」という言葉や、性犯罪者の告発に怒り狂う男性たちはあまりに不可解で、言葉が通じない恐怖がある。

「すべての男性性犯罪者ではない。俺を犯罪者扱いするな」というのがよく言われる意見だ(ノットオールメン)。しかしそんなことは自明なわけで、誰も「男全てが性犯罪者だ」なんて言っていない。

なのになぜ自分を「男性」という共通項のみで性犯罪者側に寄せ、「俺への攻撃だ」と思い込んで怒るのだろう? 同じ「善良な市民」という共通項で、被害者女性側に寄せ、性犯罪者に対して怒ることはできないんだろうか?

もちろんそういうことが自然にできている男性もいるが、現状では少数派に思えるのだ。

そういった怒りの背景には内面化された強固なホモソーシャル価値観や、ミソジニーや、「ヒーロー像」へのコンプレックスがあると思うのだが、ここらへんを掘り下げた男性自身の話はあまり聞かない。

社会で男であるということは、特権であると同時にプレッシャーでもある。うまくやれればまだいいが、うまくやれない人はやはり苦しい。

社会ゆえの苦しさを、男社会ゆえの特権でもって、女に加害したり、女に癒されようとしているように見える。そうやって留飲を下げる男性たちは歪んでいるし、やはり何かに呪われているように見える。

脱線したけど、そういったヒーローになれない男性が救われるかどうかは、男性意識問題なのだと思う。

ヒーロー像」を手放すこと。「プリンセス像」を押し付けないこと。

クリストフみたいなキャラクター否定せず、「ありのままのおれ」を受け入れること。自分と同じように、他者尊重すること。

旧来の「男らしさ」にとらわれて、自分を大きく見せようとしたり、誰かを貶めないこと。ささやか自分自身の中に自尊心を見出すこと。

そのへんが大事なんだと思う。

ツイッター観測範囲だと、そういう呪いを手放して楽になった男の人も散見するようになった。今は過渡期なのかも。

男だ女だって主語デカイ話書いたけどみんな楽になればいいのにな。いや理想論だけど理想のないリベラルって存在価値あんのか? 民主主義だって奴隷解放だって女性社会進出だってかつては理想論だったやん??って思う(このへんルトガー・ブレグマン著『隷属なき道』にくわしい)

そういう引き算がこれから時代大事なんだろうな。

呪いをひもとく面白プレゼン動画

マイケル・キンメルatTEDWomen 2015

なぜジェンダー平等が皆のためになるか―男性を含めて

https://ted.com/talks/michael_kimmel_why_gender_equality_is_good_for_everyone_men_included?utm_source=twitter.com&utm_medium=social&utm_campaign=tedspread

2018-02-17

anond:20180217135051

無いよ。まぁ、わかってたよなwすまんな。

蛇足だが昔は「女性は弱い存在から守るべき」という観点もあった。

ただ男女平等とかウーマンリブとかフェミニズムとかが台頭してきて社会が変わった。

まぁ、女性男性攻撃する社会になった。

この辺りから男性女性を守らなくなった気がするよ。

私も嫁さん以外の女性ホントどうでもいいw

2017-12-22

anond:20171222201149

うそう。その手の息苦しさはウーマンリブとかフェミニズムが台頭してきたあたりからそう。

まぁでも時代簡単には戻らないよね。君のいうように反動みたいな形にならないと、戻らない。

から私は一度、ガチガチ政治的に正しい、それこそ多くの女性が息苦しく感じるような政治的に正しい主張がされるような状況にならないかと期待している。独身女性に対して息苦しくなるような政治的に正しい意見を言い続けたい。

2017-11-30

男とメンズリブオタクエヴァ

おおよそ男社会というのが成立していたのはバブルが崩れて不景気が訪れるまで、

まり大企業にパワーがあって年功序列で男一人が定年まで働けば家族を養えていた時代の話だ。

そのあとウーマンリブが持て囃されたのも女も働かなにゃ食えなくなったのを「女性社会進出」とか言って誤魔化しただけの話であって、女性の権利を認めたわけではない。

その男社会の中でオタク排除された存在だったかというとそんなことはなくて、在りし日のオタク自身たちも強烈な男社会を構築し、

知識コレクションによるオタクマウンティングタワーを立て、女子供排除していたわけである

ゆえに不景気による男社会崩壊した後のオタクたちは、知識による他者との競争ではなく、より自身の中にある欲望に素直な「萌え文化を生み出す。

そこはかつて男に求められた能力がなくても、本当に「好き」という気持ちだけで居場所を与えてくれる自由社会である

90年代に一大ブームとなったエヴァは、庵野監督の今の自分の気分を作品にしたいというコンセプトの通りにそんな過渡期の時代の空気を映していて、

まりあれはお姫様を助けなければいけないという男の役割を全うできない王子様(シンジ)と、王子様より強くありたいお姫様アスカ)のジレンマお話である

最終回では多様な世界二次創作を包括する世界観提示され、一つの世界観に対する知識コレクションを競っていたそれまでのオタク文化との決定的な違いを打ち出した。

かくして「萌え」を手に入れたオタク文化は男社会に入れないもの達を内包して急速に発展していった。それが90年代から今までのオタク文化に起きていることである

2017-11-28

BLリベラルだ多様だって絶賛してる腐女子が苦手

女が犠牲にならない、女が消費者として強者になれるBL世界ウーマンリブ的であり、私を救った〜BLは「一歩先を進んだ」表現なんだ、っていう腐女子結構いる。私はそういうオタクが大嫌いだ。BLの最も大きなマーケットである二次創作界隈において、「受け」と呼ばれるチンコ突っ込まれる方の男に、かつて女がやられてきたことを押し付けいるから。別にトランスジェンダーでも、そういったファッション携行もないのに、BL結婚イラスト「受け」ウエディングドレスを着せられる率といったら。そういう女らしさの押し付けに反対じゃなかったっけ?って私は思う。受けはやたら家事が得意だったり、泣き虫だったり、妊娠できるというSF設定では必ず妊娠するのは受けだしさ。

2017-11-23

今後ミニストップで買えなくなりそうなエロい

イオンミニストップ)が取り扱いをやめる「成人向け雑誌」ってどれのことだろうね。

間違いなく消えるのは、AVサンプルDVD付録としてDVDの内容を印刷した雑誌がついてくる)とか、エロ出版社が出してる消しの大きいエロ漫画雑誌とか、一般向けメインの出版社かその関連会社が出してるストーリー重視の連載をメインにして必死青年誌のフリしてるエロ漫画雑誌とか、その辺。

でも明確にエロ本だと言えるこれらの本以外は、雑誌の分類が店舗ごとにバラバラ。雑かつデタラメからどうなるかさっぱり分からない。

千葉市長が隠せと言ったのはどの雑誌で、イオン市長忖度して排除するのはどの雑誌なのか。説明してほしい。

主に一般コーナーに置いてある雑誌

青年漫画

ヤング◯◯って誌名のやつが多い。キスカみたいにヤングつかないのもあるけど。

抑え目の雑誌だと、どっちかというと高い年齢向けだからエロいことできるのでエロいこともやります感が強い。バトルで服破れたらおっぱい見えるよね。恋愛したらセックスするよね。だからおっぱいは見せるしセックスします、みたいな。

もちろん過激なことをやりたくて過激なことをしてる雑誌作品もたくさんあって、各地でたびたび有害図書(不健全図書指定されている。

今回の発表の趣旨からして、過去の号や掲載作品有害図書指定理由排除される可能性は十分高いと思う。その場合ミニストップからヤングアニマルヤングアニマル嵐ヤングチャンピオン烈ヤングキングが消えることになる。

おっさん向け漫画誌

大人コミックとも呼ばれるやつ。

掲載作品組織暴力!カネ!セックス!酒と飯!セックス暴力元少年ジャンプ!飯!暴力セックスセックス!カネ!

嘘です。こんなに極端なのはゴラクだけ。

でも暴力セックスと飯(酒)はどこのおっさん向け雑誌でも当たり前にある。たぶんおっさん漫画三種の神器

こういう雑誌有害図書指定前科は聞いたことがないが、内容からして安心できるわけでもない。

この一件、白竜さんが仕切ってくれねえかなぁ。築地終わったらでいいから。

下ネタ4コマショート

下ネタギャグ雑誌。読者の体験談投稿を元にした体の本当にあったやつと言えば分かる?

明らかにいわゆる成人向け雑誌ではないんだけど、内容は成人に向けているだろうし、表紙の文言をはじめとして難癖を付ける隙は非常に多い。

いわゆる週刊誌

毎週政治家芸能人皇族私生活の話や新しい健康法投資方法の話で盛り上がってるタイプ雑誌

ものによっては水着ヌードグラビアページがある。

ところで今年の5月6月に、大阪府堺市大阪府条例に基いて、堺市内のファミリーマートで「成人向け雑誌」にカバーをかけさせて、表紙を確認できないようにしていたが、ここに週刊プレイボーイが含まれていたという話題があった(「2017年10月現在市内11店舗実施されている」そうだが、現在は具体的にどのような雑誌対象になっているか不明)。

もしイオンの「成人向け」がこのファミマ基準と同等ならば、男性向け雑誌の大半は取り扱いが無くなるのではないか

女性

女性誌のセックス特集ヌード掲載ウーマンリブバリアで強力に保護されている聖域なので、今回の件で問題にすることは決して許されないだろう。もし排除したら千葉市長の生卵を投げつけられた数が増えてしまますぞ。

成人向けコーナーに置かれることが多い雑誌

月刊漫画誌

過度に性的あるいは暴力的な内容を取り上げているわけでもない月刊誌が、複数ミニストップで毎月ずーっと成人向けコーナーの下の棚で平積みにされてるのを見てるんだけど、これは単に場所が無いからそこに置いているのか、ミニストップ基準では成人向けなのか。継続的に同様の陳列をされると、消費者から判別がつかない。

パチンコ雑誌

これも成人向けコーナーに置かれてることが多いんだけど、題材がパチンコという主に成人を対象とした遊戯なので、より判別がつかない。

エロ劇画

エロ漫画とは別の文化を持っているっぽいので、別項とした。

絵が本当に何十年も前の劇画の画風。嫁が同居してる義父に……OL上司オヤジに……欲求不満な若妻が近所のジジイに……みたいな常連ネタから主な読者層がうかがえるけど、定期購読してるわけじゃないので断言はしない。

これの扱いは非常に気になる。快楽天ペンクラが18禁コーナーでテープを巻かれ紐で縛られている一方で、こちらは一般コーナーに平然と差してあることがほとんどだからだ。ミニストップ(と千葉市長)がエロ劇画をどう扱うのか、実に見物。

実話系雑誌

週刊誌不倫カップルよりもゲスの極みだと思ってるそこのあなた実話誌の方がよりゲスいよ!

雑誌代表的な内容はヤクザ野球昭和プロレスの思い出・飲み屋情報企業スキャンダルアウトローギャンブル・どっかのエロ本の再録袋とじヌードグラビアAV女優が答えるSEX相談風俗レポートAV情報芸能人下半身事情SEXテク紹介・あの芸能人はこういうセックスしそう・ヤりたい女子アナランキング・ハメたい女優アンケートとかそんなん。特に女子アナor女優の抱きたいランキングorアンケートは毎週どこかしらの雑誌で載ってる気がするくらい定番

テレビキャプチャからブラ紐だのパンチラだの探してきて載せたり、スカパーエロい番組おすすめしたりするだけの雑誌もある。アンテナサイトたらい回し系アフィエログかよ。

もちろん有害図書指定常連

店舗ごともしくはその号を陳列する店員の気分次第で成人向けにあったり一般コーナーにあったりする。本当に雑だなこいつらっていつも思ってる。

でもミニストップそもそも実話誌を置いてたっけな。近所だと大衆EX大衆は見た気がするけど、アサ芸週刊実話実話ナックルズ実話BUNKAタブーその他増刊は見た記憶がない。まあ店舗によるんだろうけどさ。

2017-09-15

[]ワンダーウーマンを見た

ワンダーウーマン」を見たので感想。と言うか考えたこととかのメモネタバレ気にしてないのでそういうの嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので、見た人向けだと思いますフェミの話とかも出てくるんでそういうの苦手な人も回避よろしくっす。

総評

まず最初に、「ワンダーウーマン」、個人的にはそんなに評価高くない。少なくとも世間で(特に欧米で)いうほど大絶賛、大感動をすることはできなかった。これは映画を見終わったあとのファーストインプレッション

しかしじゃあ評価低いのかというとそんなこともない。

「1800円という価格&2時間という投資に見合った体験できるのか?」という視点で自問したところ、その答えは「100点」なのだ。十分高評価だろう。いい加減な脳みそだなあ、オレ。とも思った。

なんでこんな評価のすれ違いが発生してしまたかというと、今年見たアメコミ映画の先行2本、すなわち「レゴバットマン ザ・ムービー」と「スパイダーマン:ホームカミング」の評価が高すぎた、というのが原因であるらしい。前出の基準で言うと、「レゴバットマン」も「スパイダーマン ホームカミング」も200点くらいの評価なので、「ワンダーウーマン」はタイミング的に損をしてしまったのかもしれない。これが「ドクター・ストレンジ」のあとだったら感激できてたのに。

無垢子供ダイアナ

PC的なディレクション――批判に対して自覚的で先手を打って内容を適正に作っていこう――は最近ハリウッド映画では多かれ少なかれあるのだと思うけれど、そういう制約(どういってもある種の制約ではあるだろう)を逆手に取って笑いやネタにしたり(デッドプールにおける「女性も男同様にブン殴ったほうが公平じゃない?」)、むしろそこに正面から踏み込んでえぐり出す(スパーダーマン:ホームカミングの敵役ヴァルチャーはいま注目されている「見捨てられた白人労働者」)のにくらべ、ワンダーウーマンのそれは踏み込みが浅くどうしても「そういうルールなので設置しました」感が出てしまっている。

おそらく「ワンダーウーマン」という作品――つまり女性戦場に出て戦うという作品を作るにあたって、制作側は、(フェミニズムを中心に)炎上可能性を覚悟して作ったのだと思う。だから、予め潰せる問題点は潰しておいた。

それは主人公ダイアナ人物設定にも反映されていて、彼女美女で、アマゾン族の王女で、めっちゃ強い。すごい跳躍力や筋力を持ってるし、噛み殺しの特殊能力を持つスーパーゴリラだ。だが多分そのままだと脳筋批判も巻き起こすだろうから、島で英才教育を受けてた設定になっている。作中でも数百の言語を操り、古典に詳しく、第一次世界大戦当時の最先端化学式を読み取るなど知能面でも卓越している。(第一次世界大戦当時の)女性からといって馬鹿ではないのだ!

しかし、だからこそというか、逆説的にというか、なんだかすごく残念な人物描写になってしまっている。

彼女世間から隔絶された島で育ったので無垢だ……という設定なので、物語終盤になるまで「人間は悪神アレス洗脳されているせいで地獄のような戦争をしているのだ。悪神アレスさえ倒せば人間正義と慈悲に立ち返り戦争は即座に終わる」と信じ込んでいる。ここは物語テーマなので、外せない重要な要素だ。

それはそうで、重要に間違いはないのだが、それってどうなのだろう。

言語というのは必ずその文化を含んでいる。外語を学んだことがある人ならわかると思うけれど、外語を学ぶというのはその言語を操る民族地域文化を学ぶということをニアリーイコールだ。文化歴史言語には含まれいるからで、そこに理解無くしては言語意味理解するなんてできない。ましてや古典まで学んだダイアナが、人間の持つ二面性や、善悪といった内面を「全く理解してない」なんてのはありうるんだろうか? いやまあそこが物語キーなわけだから理解していないということにしないといけないのはわかるのだが、そういう描写にしてしまったせいで作品は別のメッセージを持ってしまった。

すなわち「知識教育倫理人間についての理解の助けには全くならない。世界を良くするという意味では、教育は全く無意味である」というメッセージだ。多分これは随分うがった見方だろうし、制作側はそんなメッセージを発信するつもりはないだろう。けれど、物語上ここでねじれが生じているために、そう取られかねない「隙き」が生じてしまっている。批判される要素をなくそうと頑張っていた制作陣が、塞げなかった穴に見えてしまうのだ。こういうねじれが、どうも彼女をそこの浅い子供に見せてしまっている。

ワンダーウーマン」は「(邦画では珍しくもないが)戦う女性主人公」「女性監督した初めての大手スタジオによるスーパーヒーロー映画」という点で、フェミニズム界隈から賞賛を受けた。

けれど、個人的にはダイアナ女性ではないのだと思う。すくなくとも、フェミニズムが想定するような「解放されるべき女性」ではまだなくて、子供なのだ。まだ思春期すら迎えていないような子供で、世界に対して良く言えば無垢だし、シニカルに言えば無知無責任だ。

ダイアナに強い好感を覚えられなかったのがこの映画評価に加点が少ない理由だと、整理した今なら自覚できる。

善き大人スティーブ

多分、自分にとって不幸だったのはこの部分で、それは「ワンダーウーマン」を観るまえに「ウーマンリブ的な文脈フェミニスト絶賛」みたいな評価を知ってしまった点だ。「そういうつもり」で見てしまったせいで捻じれが目についてしまった。

しかし、見終わったあとに思い返してみると、魅力的な部分がいくつもある映画だ。その最大のものアメリカ外征軍大尉スティーブトレバである

彼はドイツ軍スパイした結果恐るべき毒ガス計画を知り、逃亡の最中に絶海の孤島アマゾン島に漂着し、主人公ダイアナを「外の世界」に連れ出す役目をする。無垢美女ダイアナエスコート役であり物語最終局面まで彼女を支えて導き続ける。

ぶっちゃけ、序盤はただのイケメン俳優だと思っていた。

いやイケメンなのは最終盤まで変わらないけど。

ヌードシーンがあったりもするので、女性向けの眼福要素も担当させられたイケメン俳優だと思っていたのだ。二回もイケメンって言ってしまったよ。

彼は優秀な軍人でありパイロットなのだが当然人間なので、スーパーヒーローで神の子であるダイアナに比べたら喧嘩においてはまったく弱い(軍人として適正に強くはあると思う)。おまけに非文明圏であるアマゾン島では虜囚に近い扱いも受けていたし、さらにいえば彼はアメリカ大尉であり、物語中盤の舞台イギリス(&イギリス議会イギリス軍)では大きな権力を持っているわけでもない。上司に対しては愛想笑いを浮かべたり、自分意見をひっこめたりもする。

物語中盤、未知の世界である外界に出たダイアナは完全にお上りさん状態であり、大都会ロンドンにおいて常識を知らないことから、スティーヴに迷惑をかける。それにたいしてスティーブはなだめたり、すかしたりしてダイアナに行動を抑制しようとする(そして失敗する)。スティーブダイアナに「外の世界常識や考え」を事細かに説明して理解を得ようとはせず、断念する。命の恩人ではあるし天下無双戦闘能力を持ってはいるけれど、「面倒くさい子供」でしかないダイアナに呆れているように見えることもある。

こうやって説明すると際立つけれど、スティーブイケメンが売りなだけのダイアナの介添に見えていた。

しかし、上映後に振り返ってみるとこの映画の中心はスティーブだと思う。

ド派手なCGバトルアクションとか、世間フェミ的な評価を全部取っ払って、個人的に「ワンダーウーマン」の感想を述べるならば、「ワンダーウーマンスティーブ映画なのだ

全般的人物内面描写が浅いきらいのあるこの映画だが、スティーブに関しては脚本俳優も素晴らしい仕事をしている。

彼は心の中にロールを持っている男だ。それは「善き男」であり「善き大人」であり、おそらくだけど「善きアメリカ人」であり「善き隣人」だ。彼はそういうふうに生きたいのだ。正しさや信念というよりも、自分の中に理想像ロールモデルがあると表現したほうがしっくりくるのがスティーブである

彼が軍に身を投じたのは、混迷続く世界情勢の中で、善きアメリカ人として社会奉仕しようとした時、そのモデル軍人だったかである。今の価値観で言えばもちろん異論はたくさんあるだろうけれど、その当時の常識で言えばそれは愛国心であったし、善き市民の善き行動だった。

ドイツ軍密偵した結果、彼は恐るべきマスタードガスの開発と、それが講和間近のイギリス軍へ向けられていることを知ってしまう。彼はこの情報を持ち帰るために命を捨てるような危険を犯す。それもまた、彼の中にある「それが善き男の行動」だからだ。

その過程ダイアナに命を救われ、彼女の「外の世界戦争を止めたい」という希望を叶えるためにも、一緒にイギリスまで情報を持ち帰ることにする。

しかし、イギリスにそれを報告したが、結果ははかばかしくない。講和が間近に迫ったイギリス軍は、ドイツ軍(の一部)に災厄的な行動があったとしても全面攻勢には移りたくない。スティーブ情報事実上握りつぶされる。

彼はここで彼自身の行動規範である「善き人」を曲げられる。軍の階級差という世俗権力構造のせいで、彼がすべきだと信じる行為を行うことができない。

講和のためとは言え、前線舞台マスタードガスの脅威の前に放り出してよいのか? 良いはずはないが、議会政府の決定に従うのも「善き国民」の義務ではあるのだ。

でも隣には精神的に子供ダイアナがいて「ねえなんでなんで? なんで正義しないの? まさかここでやめるわけ? 処す? 処そうか?」という視線で見てくる。彼は、その結果、軍の命令無視して、私費で(というかボランティアのつもりだった?)傭兵を雇い前線に向かう決意をする。彼は心の中にある「善き人」の指し示すところに従ったのだ。ダイアナあんまりにも無垢なので引っ込みがつかなくなったという側面があったにせよ。

前線に向かい、血みどろの後背地を抜けて塹壕にたどり着き、取り残された村をダイアナ神話的な能力にも助けられて開放して、ダイアナスティーブ関係は接近する。男女間の性愛的な意味での愛情もあったような描写だったけれど、個人的にはスティーブ父性も強く感じた。その父性というのは、子供しかないダイアナに「善き大人」を見せるというものだ。戦争なんて醜悪ものなのだけれど、それだけではないということ、世界には「善き隣人」の「善き努力」もあるということを示したかったように見えた。孤島から世界に連れ出した人間として、世界失望してほしくなかったのかもしれない。

終盤。マスタードガスの大量生産はすでに完了しており、その暴挙を止めるために一行は秘密基地に忍び込む。ダイアナはその中で、アレス化身だと思われるドイツ軍ルーデンドルフ総監を倒すことに成功する。ダイアナは「これで悪神アレス洗脳は溶けて戦争は終了する!」と歓喜するが、兵士たちは戦闘をやめない。殺戮の準備を辞めない兵士ダイアナパニック状態になる。ダイアナにとっては今まで信じてきた世界観が崩れ去った瞬間なのだ

そのダイアナに向かって、スティーブは今まで何度も説明しようとしてしきれなかったことを告げることになる。

それは「この戦争人間が開始して人間が拡大させたものなんだ。神はいない。僕たちの責任だ」ということだ。その告白はとても辛い。「善き男」として生きたかったスティーブは、まったく「善き男」ではなかった。戦争をしちゃってるのだから極悪人なのだしかし、スティーブは「この戦争は僕達の罪なのだ」ということを認める。なぜなら、戦争責任を誰かに転嫁するのは、戦争を始めるよりも更に恥ずべきことだからだ。「善き男」として彼は、世界の醜さの責任を取らなければいけないと決意する。

スティーブダイアナの間にあったものは多分とても複雑で、男女でもあったし、父と娘でもあったと思う。でもその一部には神と人間というものもあった。

彼女戦闘能力があまりにも隔絶してたかスティーブもその視点を持たざるを得なかったのだろう。

ダイアナの考えは「神が神の邪悪を振りまいたせいで人間迷惑をしている」から「神の使命を持つ私が人間を救う」というものなわけだけれど、スティーブはこれに「善き人間」としてノーを叩きつける。ダイアナの考えはある種のパターナリズムだが、スティーブの答えはそこからの脱却だった。

神々の戦いは神々であるアレスゼウスの娘ダイアナが決着をつけるだろうし、人間であるスティーブはそこには関与することができない。

しか人間の始めた戦争であり、人間の悪意であるマスタードガスは人間であるスティーブが止めなければならない。筋としてそれが正しい。

ダイアナ戦闘能力スティーブたちの状況を考え合わせると、彼らはここで戦闘放棄すれば逃げて安全に暮らすことは十分に可能だったように見える。その場合はもちろんマスタードガスで前線部隊凄惨なことになるのだけれど、倫理的に考えてスティーブが彼らを救う(その結果命を落とす)絶対的義務があったわけではない。戦争悲惨すべてを、個人であるスティーブが背負う必要はないからだ。

スティーブが命をかけた動機として、父(先行者)として娘(後続)に「この醜悪な外の世界にも善はあるのだ」という事を示したかったのか、人間として神に「あなただけにすべてを背負わせない。人間は弱いけれどそれでも自分たちのしでかした行為責任は取る」ということを示したかったのか、それとも男として女に「俺も戦う」といいたかったのか、それはわからない(そこが返ってスティーブという男のテーマとしてよかったと思う。彼の愛情には名前がつけられない)。

けれど、スティーブは「自分の戦い」として今まさに離陸していこうとする毒ガス満載の爆撃機を止めるために飛び出す。そして乗り込み、爆弾を抱えて、前線を救って、結果としてダイアナを残して死ぬ

こうやって思い直してみると、中盤、ロンドンの街で常識知らずにうろつくダイアナに手を焼いていたのも、「善き大人」として子育てに苦労してたんだなあ、と思える。

スティーブ大尉からおそらくエリートなんだろうけれど、まだ若いし、それ以前にすべての人間がそうであるように、不完全で未熟だ。しかしそうであるからこそ、彼には「こんな存在でありたい」という理想像があった。そして常にそうであろうと、努力していた。都会ではトラブルメーカーダイアナを「善き保護者」として(オロオロしつつも新米父親のように)導こうと思ってたし、最前線では「善き戦友」として肩を並べて戦った。戦火から救い出した村でチャーリーが歌ったときは「善き男」としてダイアナを熱っぽく見つめた。彼は最終的に、「惚れた美人との安全生活」よりも自らの役割を優先した。自分自身の信じる正しさに殉じた。それは「善き人間」として神の前に立った時、他の誰でもなく自分が、人間すべての代表として神に「人間の誠実」を見せるべきだと思ったからだ。

それは上野千鶴子あたりの言葉を借りると「男性の安っぽいヒロイズム」であり「戦争に興ずる幼児性」なのかもしれないけれど、物語としてみるとスティーブ人物描写はこの映画の中で一番複雑で深みがあった。魅力的だった。

そんなことを考えると、「ワンダーウーマン」はウーマンリブ的な価値観映画というよりも、男性的な価値観の、そして「神(あるいは超越的な力を持つスーパーヒーロー)の前に立った『善き人間』の覚悟と誠意」の映画だと思う。そして、そこがこの映画の美点だと思える。

2017-08-21

ネタバレ感想JKハルは異世界娼婦になった が面白かった

https://anond.hatelabo.jp/20170820140305 を読んだ。これを読んだだけの時点では、この小説馬鹿にする気持ちがあった。

私は今ではほとんど物語に触れなくなってしまった30代の元オタク女で、個人的には異世界転生ものとか興味がない。ああいうのはチート俺TUEEEEEしてるだけの小説とも言えないモノローグしかないんだろうと偏見を抱いている。そもそも世界転生ものを読んだこともないのにそんなことを思っているので、まごうことな偏見だし差別でもある。

それに、陰キャを馬鹿にするリア充女子高生というテンプレキャラ主人公というのも気に入らないし、陰キャのキモオタというこれまたテンプレ千葉というキャラもそれだけで嫌悪感が湧いた。

そしてそんな頭悪そうな設定のもと性を題材に扱うとか、きっと読んでも不愉快ものしか残らないんだろうな、と思った。

でも、それでも読んでみたのは「まぁ、オカズにはなるかな」と思ったからだ。

読み始めてみると、最初の導入の時点でいきなり置いて行かれそうになった。主人公が今おかれている状況に対しての説明が少なすぎる。が、ここら辺の導入を省いてとっとと話に入るためのテンプレートが異世界転生なんだな、という点は理解した。あの辺りの話の導入がどれも同じものに見えるのは、起承転結の起の部分を様々な作品で共有することでなるべく説明を少なくし本題までの距離を短くするための合理的な工夫だったのだ。そりゃその前提の共有ができない世代からは評判が悪くなるはずだわ、とも思ったけど。

まぁそんなふうに冷静に見れていたのは最初の方だけで、あとはどんどん物語に引き込まれて行った。

私は頭が悪いから元増田みたいに分析的にはなれない。

ウーマンリブともフェミ小説ともミサンドリだとも思わなかった。気がつけばずっとハル応援していた。

から最後大事件も元増田みたいにがっかりしなかった。ただひたすら悲しかったし、ハルに怒りを体現できる力があって、本当に良かったと思ってる。

それに、ハルに力があったのは復讐のためだけではなく、物語の次に繋がるものだ。ハル勇者で、娼婦だけど恋をしたおじさんがいて、その人は魔王で、そして多分両思い(じゃないと最終話魔王自分幸運だと言う理由がない)。物語は一旦幕を閉じたけど、その先をまた読みたいな、と思う。

あともう一つ、ハルにはあれだけの圧倒的な力があったけれど、それを振るって強者の側に立ったのはあの1回だけだ。もっと手前に、自分のためにキレてもいい場面はたくさんあった。けれども彼女はそれを選ばなかった。そこが彼女のすごいところだな、と思う。

彼女が力を持ちながらもそれを振るわないでいた理由はどこにも書かれていない。だからここから先は単なる私の妄想だけれど、彼女娼婦プロだったからそれができたのかな、と思う。娼婦プロだったからこそ、どんな屈辱にも耐えていた。JKである彼女あの世界に耐えていたのではなく、娼婦という職業プロ意識とその自覚があったからこそ、あの世界に耐えられたのだ。時々彼女が、私はプロだ、と言うのがその証左ではないかな、と思う。シクラソを助ける時だって、どんな目にあうのかわかっていても身代わりという手段をとったのも、彼女プロ意識がそうさせていたのだと思う。

逆に言えば、プロ仮面を被らなければ耐えられないほどあの世界は過酷世界で、プロの顔をしてあの世界に耐えているのはルペちゃんも同じだ。だから彼女が、そしてルペちゃんが、そんなプロ意識必要としなくなればいいのにと心から思う。彼女らを応援したいけど、その強さを素直に賞賛する気にはなれない理由がそれだ。

そして、勇者の力を持った彼女は、これから自分特別な力で何ができるのかの自覚を始めるだろう。それがあるから番外編では冒険に出かけ始めたのだ。彼女自分の力であの過酷世界を変革できると気付いた時、一体どうするのか?魔王との恋物語も含めて、やはり続きが気になってしまう。私はまだまだハル応援したいのだから

【追記】

オカズにはなりませんでした。

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