はてなキーワード: 同姓同名とは
20代後半の男。
自分や転職組の先輩や同期との会話を通して感じた公務員になって良かったこと、悪かったことを紹介する。
・緩い上下関係
もちろん常識的な範囲での先輩や上司への言葉遣いや挨拶はみんな心得ているが、前職のような厳しい上下関係はない。
お辞儀判子もないし、通りすがる度に正対して挨拶する必要もない。飲み会でも正座する必要はなく、課長すら自分の料理や飲み物は自分で取る。
・ノルマがない
前職のようにカード、定期、投信とノルマを課されることはない。事務処理の締日はあるが、遡って処理できるし間に合わなかったら来月付にすれば良いだけ。
前職は昼休みでも顧客が来れば対応したし電話も出なきゃ行けなかった。外食や外出も基本禁止だった。
今は昼休みは自由に外食や外出できるし、窓口に人が来ようが電話が鳴ろうが昼休みなら対応しない。
部署にもよるが、基本的に先輩たちは一年目から有給をほぼ使い切っていたらしい。
・先輩や上司が味方になってくれる
前職ではトラブルが起これば基本的に上司は顧客側に立って「お前は何をしたんだ!」って感じだった。顧客が大口なら尚更である。
今では怒り狂った市民が来ようが上司や先輩たちは基本的に自分の側に立って「そちらに不備があったのでは?」という感じのスタンスを貫いてくれる。正直こっちにミスがあったとしてもそれを事前に報告していれば「こちらに問題はない」という態度を取ってくれる。
・飲み会が多い。
盲点だった。先輩や上司は平日の真ん中でも朝まで飲んで青い顔で出勤してくることがある。痛風率高め。
・残業
残業は普通にある。電話や来庁者がいなくなった定時後に事務処理を集中して行うので仕方がない。ただ、自分で「この週は残業して事務仕事を片付けて、来週は定時で帰る」という様に管理できるので苦痛ではない。
前職では不祥事防止のため残業禁止で支店のみんなで一斉に退社していた。事務仕事もノルマもあるので残業禁止は普通にきつかった。
・研修がない
必要な仕事の知識、電話対応、全職場共通のシステムの扱いを一通り身につけてから支店に配属だった。
自治体は基本的に入庁式の直後に部署に突っ込み、新人も戦力にカウントして配置を行っている。初日から何もわからない状態で仕事をするため、知識0で市民対応をして市民をたらい回しにし怒らせてしまったり、書類を同姓同名の別の市民に発送してしまうミスもあった。ミスで詰めてくる上司や先輩がいないので良いが、何もわからない状態で周りと同じ仕事をしなきゃいけないのが大変。
小学生の頃に殴り合いの喧嘩をした相手と同姓同名(年齢も合致、居住区もほぼ合致)の男が殺人で逮捕されたというニュースを見て朝から萎えてる。
2月25日に札幌のコンビニで3名を死傷させる犯行に及んだ宮西浩隆容疑者に思うことを書く。
彼とは小学校の同級生だった。当時から彼は攻撃性が高く異様な雰囲気だったので、クラスメイトからも敬遠されていた。
孤立している彼を可哀想に思った私は、たまに彼と一緒に下校したり(彼の実家は小学校の
近所で小さな店を営んでいた)遊びに誘ったりした。
彼のどこが変わっていたかというと、たとえばさ行をうまく発音できなかったり協調性がなかったり、言動がやや過激だったりした。おまけに体格がよかったので、大人も手を焼いているように見えた。
たまに暴力事件を起こすこともあったが、とりわけ
問題児だったわけではない。
ただ、少なくとも当時の彼にとって唯一の友達と言っても過言でなかったであろう私にさえ、彼は暴力を働いた。応戦したものの私は小柄な子だったので、彼に簡単に突き飛ばされてしまった。その時、彼が「なんだ、たいちたことないじゃん」と言い
放ちにやにやしていたのを覚えている。私にはとても不気味な光景だった。あまり覚えていないが、それから疎遠になったと思う。彼はいっそう孤立した。
似たような出来事が彼の人生で繰り返されたのは想像に難くない。
宮西容疑者には何かしらの障害があったのだと思う。それだけでなく
生育環境も良くなかったかもしれない。彼の実家の様子(店頭)は殺伐としどこか荒んでいたし、理由は忘れたが(少なくとも私は)彼の家族や両親の話題をタブーだと当時は思っていた。私が勝手にそう思っていた可能性があるし、どこかで彼の複雑な家庭環境を小耳に挟んだ可能性もある。
いずれにせよ、
小学生の時点で既に異様だった彼が健常者とは考えにくいと思う。授業中にいきなり立ち上がって絶叫したこともある。行動がもはや健常者のそれではなかったのだ。
一方、実は冗談が好きでよく笑う男でもあった。
彼の犯行は許されるものではないし、彼を擁護する意図もない。ただ、もし彼の生育環境が
少しでも違ったり、十分に表面化されていない“見えない障害”に対する社会的な理解やサポートが整備されていたりすれば、犯行に及ばなかったのかもしれない──と思うと残念でならない。
「狂った男の凶行」として処理してしまうのは、問題の根底にある真の課題をみすみす見過ごす粗末なやり方だと
私はどうしても感じてしまうのだ。
被害者やご遺族の無念を晴らすためにせめてできることがあるとすれば、それは「同じ悲劇を繰り返さないように皆で努めること」ではないだろうか。
この問題の根底には、見えない(あるいは見えにくい)障害や問題に対する無理解や無策があるように思う。
障害だけでなく、介護や片親、精神疾患など複雑な事情を抱えるご家庭も然り。様々な世帯に通じる課題が潜んでいるように思うのだ。だからこそ考える価値があると思う。
宮西容疑者は確かに狂っていたのかもしれない。しかし彼をいっそう狂わせたのは、もしかすると社会の無理解と無策かもしれない。
彼をただの狂人として糾弾するのでなく、些細ではあるがこの投稿を参考に社会的問題として考えてくれる人が一人でも増えてくれればと思う。
お亡くなりになった方のご冥福をお祈りするとともに、被害者の方々の一日も早いご回復を願っております。また、ご遺族の方々には心よりお悔やみ申し上げます。
https://pbs.twimg.com/media/GG4Ic_eboAEwq8w.png
https://mainichi.jp/articles/20240222/k00/00m/040/006000c
映画プロデューサーを児童ポルノ禁止法違反容疑で逮捕 和歌山県警
2024/2/22 02:01
SNS(ネット交流サービス)で知り合った女子高校生に裸の画像を送らせたとして、和歌山県警は21日、プロダクション会社経営の伊藤耕一郎容疑者(52)=東京都渋谷区=を児童買春・児童ポルノ禁止法違反(製造)の疑いで逮捕した。県警は他にも被害者がいるとみて調べている。
県警によると、伊藤容疑者はプロデューサーとして人気映画の制作にも関わった経歴がある。
逮捕容疑は2021年9月、高校1年生で当時15歳だった長野県の女子生徒が未成年であることを知りながら、裸の画像を「自撮り」するよう指示し、スマートフォンに送らせたとしている。別の児童売春事件の捜査過程で関与が浮上した。
伊藤容疑者は容疑を大筋で認めたうえで、「他の人とも同じようなやり取りをしたので、この子かどうか思い出せない」と供述しているという。
裸の自撮り要求 52歳経営者を児童ポルノ禁止法違反容疑で逮捕
毎日新聞 2024/2/22 02:01(最終更新 2/22 03:07) 314文字
SNS(ネット交流サービス)で知り合った女子高校生に裸の画像を送らせたとして、和歌山県警は21日、プロダクション会社経営の伊藤耕一郎容疑者(52)=東京都渋谷区=を児童買春・児童ポルノ禁止法違反(製造)の疑いで逮捕した。県警は他にも被害者がいるとみて調べている。
逮捕容疑は2021年9月、高校1年生で当時15歳だった長野県の女子生徒が未成年であることを知りながら、裸の画像を「自撮り」するよう指示し、スマートフォンに送らせたとしている。別の児童売春事件の捜査過程で関与が浮上した。
伊藤容疑者は容疑を大筋で認めたうえで、「他の人とも同じようなやり取りをしたので、この子かどうか思い出せない」と供述しているという。
コミックス・ウェーブ・フィルム(新海アニメつくってる会社)所属
写真を見るに52歳ではなく還暦はとっくにすぎてるぐらいの年齢
児童ポルノやらかした方は多分、所属タレント一名の芸能事務所やってる人かな?
ジャズはだいたい100年ぐらいの歴史があり、次のような特徴がある。かなりの端折りが入っていることには留意してくれ。
世界最古のジャズのレコードとされているのは1917年。このころのごくごく初期のジャズで、形式や編成には幅があるが、ディズニーランドで演奏されてそうなゴキゲンで楽しげな感じといえばイメージできるかもしれない。
トランペット(またはコルネット)・クラリネット・トロンボーンの3つの管楽器がアドリブを交えながら同時に演奏するのが特徴的なスタイル。
当時の録音ではドラムセットやアンプなどは発展途上の段階で、ドラムはスネアやウッドブロック中心のマーチングっぽい感じ、ギターのかわりにバンジョー、ベースはチューバなどが使われることが多い。
具体的にはこういう感じ。これはヨドバシカメラのCMの原曲である。https://www.youtube.com/watch?v=dsp-cA89Wio これぞとされる名盤は特に思い当たらない。
当時の録音技術はぜんぜん良くないので、古い録音をリマスタリングした音源を聞いても聞きづらいしノイズもひどい。1950年ごろまではおしなべてこうで、それ以降に録音された音源のほうが聞きやすいと思う。
個人的にはSean MoysesのTiger Rag!というアルバムが好きではあるが、ディキシーランド・ジャズといよりもジャズバンジョソローアルバムという色が強い。
オーケストラっぽい大編成によるジャズである。クラシックのオーケストラとは違い、弦楽器セクションがいることはまずない。ドラム・ベース・ピアノ・ギターのリズムセクションと、トロンボーン・トランペット・サックス+クラリネットという編成が典型。
リズムのキメやソリやトゥッティのかっちりとしたアレンジ、分厚いバッキングを背負いながらのソロ回し、大人数による静と動のコントラストなどが特徴である。
バンドリーダーとしてはベニー・グッドマン、グレン・ミラー、デューク・エリントン、カウント・ベイシーの四者が特に有名。どこかしらで耳にしたことがある曲も多数あると思う。https://www.youtube.com/watch?v=aME0qvhZ37o
個人的にはFletcher Henderson - Swing The Thingsというアルバムが好きではあるが、これもまたとにかく録音が悪い。
バディ・リッチや、BBC Big Bandによる後年の録音や、より現代的なビッグバンドであるGordon Goodwin's Big Phat Bandなどのほうが聞きやすいと思う。
スーツを着たジャズメンが4〜5人程度でバーやナイトクラブで演奏してしそうなジャズをイメージしてほしい。だいたいそれがモダンジャズである。モダンと銘打ってはいるが、70年ぐらい昔の音楽のスタイルである。
ビバップ、ハードバップ、モード・ジャズなど演奏理論の違いによって通常さらに細かく分けられるが、全体的な構造や編成として大きな差はあまりない。
イントロ→テーマ→アドリブソロ回し→(バース)→テーマ→アウトロ という構成で進むのは変わらないまま、どのように斬新なソロをとるか?という音楽理論が30年かけて煮詰まっていった思っておけばよい。
チャーリー・パーカーはビバップの代表的奏者であるが、当時の録音も良くはなくソロも音感が強くないとぜんぶ同じに聞こえてしまうと思う。1950年代後半あたりに聞きやすいアルバムが多くある。
具体的にはMiles Davis - Bag's Groove,Sonny Rollins - Saxophone Colossus, Sonny Clark - Cool Struttin'、Art Blaky - Moanin'など。この4つは一般的にも名盤とされているし個人的にも大好きである。
1965年前後あたりのマイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーンのアルバムはだいぶ煮詰まっていてよりエクストリームになっていて、これはこれでまた独特の趣がある。
独特の趣でいうと、ジプシージャズ、マヌーシュスウィングというスタイルもある。
これはジャンゴ・ラインハルトの一強で、ギターとバイオリンの存在や独特のメロディセンスが特徴である。https://www.youtube.com/watch?v=gcE1avXFJb4
また、フリージャズという既存の音楽理論的制約を無視した……平たく言えばめちゃくちゃやってるだけじゃねーのか?という演奏スタイルも勃発した。
ノイズに近い激しいロックなどが好きな人はこれを好みがちという印象がある。
モダンジャズでジャズという音楽は完成してしまい、以降は主流のスタイルとして盛り上がっている新しい形のジャズは特に思い当たらない。
1970年以降はおもに別ジャンルの音楽(ロック、ファンク、電子音楽、民族音楽、ヒップホップなど)の要素をどのように混ぜ込むか?という発展の仕方をするようになった。もちろん伝統回帰する派閥もある。
ジャズという大木の成長は1970年で打ち止めになり、いろんな枝が沢山伸びていて全方位のジャズを把握している人間は極めてまれというイメージである。
ジャズ・ファンクの名盤にはHerbie Hancock - Head Huntersがあり、個人的にも好きである。
フュージョンでは、伝説的な天才ベーシストであるジャコ・パストリアスが在籍していたことで有名なウェザー・リポートというグループが有名である。
日本でもフュージョンブームがあり、1979年デビューのカシオペアは今も現役で活動する大御所フュージョンバンドである。
民族音楽・変拍子を取り入れたジャズにはAvishai Cohen -Continuo などがある。アヴィシャイ・コーエンは同姓同名のベーシストとトランペッターがいるが、これはベーシストのアルバムである。
ある意味電子音楽を取り入れたといえ演奏にはこのようなものがある。https://www.youtube.com/watch?v=KbvCgqTkj64
これは電子音楽の大家エイフェックス・ツインの曲のカバーであり、ブレイクビートという電子機器を使用してドラムの録音を分解して貼り直して作られた複雑怪奇なリズムを人力で演奏しているのが聞き所である。
ただしジャズといわれた場合はアドリブソロが組み込まれることが通常のため、これはジャズかと言われると微妙ではある。
the Bad Plusの他にも現代的なピアノトリオにはGoGo Penguinなどがいる。電子音楽の複雑怪奇なリズムを人力で再現する高い技量を持ったドラマーは他にはJojo Mayer,Louis coleなどがいる。
「同級生の名前で検索したらFBの結婚報告が出てきて最悪だったよ~~~私まだ独身なのに~~(๑o̴̶̷᷄﹏o̴̶̷̥᷅๑)」なんてのは自分には無関係だと思ってた。
そもそもなんで同級生の名前で検索するのかが不思議でしょうがなかった。
同姓同名の人がどっかの新聞に犯罪者として名前が出ているのを見て下には下がいるとでも思いたかったのかな?
自分がもしかしたら掴めていたかも知れない幸せを見ることで、自分の人生が失敗していることを理解する。
それで何が得られるのかは知らないけど、なんかこう刺激的な感情が胸にやってくることで意識をそっちに向けようとしたいとか?
痛みに対して別の痛みをぶつけることで、せめて痛みの種類を変えたいとかそういうもんなんだろうか。
いや本当に理解不能だ。
不思議だ。
研究室の卒業生一覧、名前も思い出せなかった同級生やTAとしてお世話になった名前をコピペしてグーグルに打ちこむ。
中には顔写真が出てくる人もいる。
頬の肉付きがやたら増えている人、骨格レベルで変化してる人、髪を伸ばすようになった人に逆にすっかり剃った人、色々な人がいるが同じ年代と研究分野で同姓同名がそんなにたくさんはいないだろうから自分の同期、先輩、後輩で間違いないだろう。
名前が全く出てこない人もいるが、出てくる人は概ね成功している。
辛い。
俺がほとんど事務職同然の仕事をして、業務の大部分は電話対応やメール作成って状態で虚無感を抱えている中で、院卒後に論文を何本も出していた人がいると思うと胸が張り裂けそうになる。
俺の人生はなんだったんだろう。
俺の存在意義ってなんだ。
AIが発達して秘書的な役割が全部機械任せになったら俺の居場所は残るんだろうか。
もう何年も技術なんて磨いてない。
会社の昔の製品の知識を頑張って覚えるのに手一杯で、最新の技術なんてのは枯れ木の賑わいとして頭数合わせに出席するチンプンカンプンな会合でなんとなく見聞きすることぐらいだ。
取引先の人に名前を覚えられてはいるが、取引のない人はきっと俺の名前なんて全くわからないだろう。
赤の他人に名前を知られているからってなんだというんだと我ながら思うんだが、科学や工学の発展なんかより名誉欲を求めていたんじゃないかと我ながら呆れるのだが、この世界が未来に進んでいく過程、その石畳をひっくり返してそのどこにも自分の名前が刻まえれていないだろうと想像することがなぜこうも心を締め付けるのだろうか。
何者でも構わない単なる電話番小僧の延長線上に、俺のなりたかった自分はないらしい。
でも今更走り出そうという気持ちは湧いてこない。
へたり込んだままその場所に根を張って、羨ましい羨ましいと嘆きながら残りの人生を過ごすのだ。
もう歩めないのだ。
科博クラファンに対して自称文科省の下級役人(同姓同名の黒沼一郎さんは文科省の大学研究基盤整備課長)がしたポストが一部研究者界隈で話題になっている(総ツッコミにあっている)が、はてなではあまり話題になってなさそうなので書く。
https://twitter.com/kouro16/status/1689116297316159488
それぞれの主張自体は正しい部分もあると思うのだが、何分今回の科博クラファンが行われた理由はコロナによる来場者の減少や電気代高騰によって『定常業務』の継続に支障をきたしたことである。独立行政法人の定常業務は『公共上の見地から確実に実施されることが必要な事務・ 事業』なのであるから、定常業務にかかる費用程度は最低限運営交付金で賄われるべきだし電気代の高騰分位の予算を取ってこれない分際で偉そうなこと言ってるんじゃねえこの無能省無能役人がとツッコミにあってしまった。
また「クラファンの成功を理由に運営交付金を減らすことは(外部資金の獲得の動機を阻害するため)しない」というのは恐らく事実なのだが、以下のポストで指摘されているように「独法に外部資金の獲得額を競わせ、その結果に依って交付金の額を増減させる(総額は固定)」という検討がすでにされておりこれは「寄付やクラファンを頑張っても他の独法より多く集められなければ予算を減らす」ということであり、こちらも批判を集めている。
https://twitter.com/StaffSleepy/status/1689158407113302016
またその後の連ポストでは『大学内の予算配分』の問題や、『予算要求の名目と国民理解』の話などが続いているが、これらが更に研究者らの怒りを煽る内容であり収拾がつく様子がない。
https://twitter.com/kouro16/status/1689269998307463168
https://twitter.com/kouro16/status/1689281430277271552
https://twitter.com/kouro16/status/1689290923715211266
様々な予算が縮小される中で独法の予算だけが聖域ではいられないことはわかるし、様々なコストが増大する中なんとか外部資金の獲得で自活して生き延びてくれという理屈もわからなくはない。しかしこれは独法に限らずどのような企業でもそうだと思うのだが、新しいことをして金を稼ぐためにはまず投資が必要である。しかし文科省がやっているのは「売上を増やすために運営費を減らして競争を煽ります」でありこれで本当にうまくいくと思っているのかよくわからない。
また増田は独法(国立大学法人含む)で研究者をしている友人・知人がそこそこ多く、自身も独法で研究者をしていたことがあり現在も微妙に関係者なのだが、一連のポストで最も問題だと思うのは『他人事感』であり、『文科省はクラファンにかこつけて運営費を削ると思われていることへの危機感のなさ』である。文科省の役割を考えれば必要な予算を取ってくることが仕事でありそれが出来ていないのだから、まずいうべきことは「現場にしわ寄せが行って迷惑をかけていると思います」であり次に「独法・大学の経済基盤の強化のために協力していきたい」といったセリフだと思う(現実の研究者は文科省に散々協力させられた上で予算を減らされている)のだが、現実は予算が取ってこれないことを棚に上げて独法内部の配分や大学の予算請求に責任を転嫁するポストをしている。独法と文科省が予算の増大を勝ち取るためには二人三脚で進んでいく必要がある。「文科省が予算を減らすから日本の研究がダメになった」と奴隷根性的な言説をとなえる人がいるなど研究者側にも問題はあり腹が立つ部分もあるとは思うのだが、文科省の意見がこれでは正直仕方がない部分もあるのではないかと思う。単なる一役人の意見ということであればまあそういう人もいるかと言う程度だが、大学研究基盤整備課長がこの認識ということはもはや文科省には期待するだけ無駄なのだろう。