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はてなキーワード: 同姓同名とは

2018-02-20

フェイスブック職業

職業欄は自称グラフィックデザイナーなんだけど

ググっても姓名判断同姓同名の別人しかヒットしない人がいる

クラブスーパーのチラシでも作ってるんだろうか

2018-01-31

受動喫煙一年半の感想など

2018年2月1日23:00頃、二度目の追記。

2016年の夏頃に、持病で働けないという理由生活保護受給しだして今住んでいるマンション引っ越してきたのだが、

隣にヘビースモーカーというかチェーンスモーカーが住んでいるせいで、

毎日時間受動喫煙を強いられるようになってしまった。

今までの人生でこんなに長く副流煙さらされることはなかったので、

ここに住みだしてから現れた体や心の変化などを書いてみる。

受動喫煙時間

1日辺り、およそ8時間~18時間ほど。

時間帯はバラバラで、最も多いと感じるのは午前0時~午前7時頃。

隣の住人は生活スタイルが不規則らしく、また私と同じくほぼ毎日日中家の中におり、

室内でベランダの窓を開けたままタバコを吸っている様子。

このマンションは古いので吸気口が存在せず、

玄関の隙間やベランダの窓の通気口(とガバガバのサッシの隙間)から吸気するようになっている。

ちなみに換気扇を止めても窓サッシの隙間からガンガン煙が入ってくる。

私はクローン病という難病を患っているのだが、

この病気安倍総理の持病に似ていて腹を下す病気で、

ぶっちゃけ外出すると外でウンコ漏らす可能性があるので、基本的に引きこもっている。

それゆえ一日中隣人の喫煙に付き合わされている。

目の症状

かゆみと痛み。

副流煙が入ってくると、目がショボショボしだし、

痒くなり、やがて痛みと涙が出てくる。

花粉症の症状に似ているかもしれない。

大して辛くはないが、眼球癌がちょっと心配だったりする。

呼吸器(喉から肺辺りまで)の症状

喘息になった。

一番症状が酷かったのは半年ほど前で、咳でまともに会話ができない状態だった。

今は声を出しても咳が出ない程度には治まっている。

常に喉から鳩尾にかけての辺りがムズムズする。

あと両胸の肋骨の下辺りに妙な違和感が出てきた。

このまま受動喫煙が続いたら普通に肺癌になりそうな予感。

鼻の症状

かなり悪い。蓄膿症になった。

後鼻漏、膿、鼻血など。

洗面所で口から、白く濁り黄色い膿と赤黒い血が混じった鼻水を吐き出すのが、毎朝の日課だったりする。気が滅入る。

鼻詰まりも酷い。少しでも煙を吸うとすぐに両鼻が詰まり、力を入れないと呼吸が難しい。

かといって口呼吸に切り替えると、咳喘息の症状が出て余計辛いので、頑張って鼻で呼吸するしかない。

市販マスク三重にして付けると、ちょっとだけ鼻詰まりがマシになる。

二重だと足りず、四重だと苦しい上に耳が痛い。

とにかく鼻詰まりで息が苦しいのが辛い。

肺癌よりも副鼻腔癌の方が先になりそうな気がする。

タバコは臭くない

ネット上だとタバコ臭いという意見をよく見かけるが、

そういう人達は長時間受動喫煙は未経験なんじゃないだろうかと思ったりする。

受動喫煙日常になると、タバコ臭いに慣れるうえ、蓄膿症で嗅覚が鈍るので、

タバコの煙を臭いと感じなくなる。

私はすでに隣人のタバコ臭いはほぼ分からなくなってて、

目の違和感と鼻詰まりで煙が入ってきた事を認識するようになっている。

というかひょっとして、副流煙を吸っても臭いと感じるだけなのが普通で、

私みたい肺や鼻を病む方がおかしいのだろうか?

持病の症状

ストレスタバコの煙はクローン病悪化の原因になるらしいのだが、

今のところ影響は無い様子。

というか、結構大量に副流煙吸ってるのに、

クローン病はここしばらく症状が安定してるとか、一体どういうことなの?

クローン病になって10年以上経つけど、ここ半年ほど痛みもなく、

排便周期も最も安定している感じなんですけど。

クローン病の症状はかなり個人差があるらしいのだが、

こんだけ煙吸ってストレス感じてるのに影響無いとか、自分でも信じられない。

どうなってるんだ私の体は。

精神状態

怒りと恨みと憎しみが酷い。

最近はたまに怒鳴り散らすことでストレスを発散するようになってしまった。

引っ越してきた当初は、癌になるまではただひたすら我慢しようと思っていたのだが、

どうもそれは無理そうだ。

今の目標2021年までは何とか頑張って我慢して、

それ以降は我慢せずに怒りと恨みと憎しみで一杯になり、

その後、人生の終了を予定している。

と言っても自殺というわけではなく、

自殺は出来ないというか、10年ほど前に首吊り自殺に失敗してから

自分の中の自殺スイッチが完全にオフになって、

自殺する気が全く起こらなくなってしまった。

自殺できたらどれほど楽か。

あと、他人の不幸を喜ぶようになってしまった。

誰かが不幸になったニュースを見るたびに、

胸の内にどす黒い感情が湧き上がってくる。

自分がこんな気持ちを抱くなんて思いもしなかった。

それが嫌で仕方がない。

その他

マンション利用規約喫煙に関することは全く書かれていないので、

管理会社へ苦情は一切入れていない。

訴訟を起こす気も無し。というか、訴えても勝てないだろうし、

訴えるお金も無い。

何年か前にベランダ喫煙で訴えて勝った人がいたが、

あれは確か分譲マンションだったはず。

寿命が削られることに文句は無い。

私の場合生活保護費と持病の医療費を合わせて年間400万円ほどかかっているので、

私が早死にするのは良いことだと思っている。

でも、なぶり殺しは勘弁してほしいです。

副流煙でジワジワといたぶるのではなく、

殺すなら一撃で楽にしてほしいなと強く思ってますマジで

あと、喫煙者絶対に許さない。

殺されるのは別に構いません。

でも苦痛を味わわされた事に対する憎悪を抑えることはできません。

いやホント苦痛ってのは心を病む。

喘息蓄膿症の治療は行っていない。

受動喫煙を止められない以上、

病院に行っても治らないだろうし、

どうせ近いうちに人生終了のお知らせから治療しても無駄だろう。

私物結構捨てた。ヤニでベタベタになって気持ち悪いので。

何ていうか、物に対する執着が無くなった気がする。

所持してもベタベタになるだけだし。

引っ越しは無理。

ケースワーカー受動喫煙理由での引っ越しは無理だと断言。

そりゃそうだよね、引っ越し先にもヘビースモーカーいるかもしれないわけで、

その度に引っ越すのとか現実的じゃないですし。

安楽死合法化してほしい。

とりあえず、あと三年。あと三年は何とか我慢したい。

何で三年かというと深い理由は無いと思うのだけれど、

何となく頭に浮かんだのが三年という数字だった。

とにかく三年だ、あと三年頑張ろう私。

その後はもうどうにでもなーれから

三年だけ我慢しよう。

2018年2月1日午後2時頃、追記。

コメ読みました。

管理会社

窓サッシ

調べたら隙間風に関しては管理会社に依頼できるみたいですね。

管理会社に言わないのは、

受動喫煙合法である

受動喫煙被害者側が訴えて勝った事例が少ない、訴えて勝てるとは限らない、

だいたいはベランダ喫煙ではない(ベランダ喫煙時の煙の濃さも把握してますが、頻度が極めて低いです)、

タバコの煙に関して規約に何も書かれていない、

管理会社と揉めたくない、

などの理由からです。

私が住んでいる地域は、生活保護の人が借りられる物件洗濯機を屋外(ベランダなど)に設置する物件が多いです。

しかし私の病気は寒さで症状が悪化する場合があり、私もそのケースに当てはまるため、

可能な限り屋内に洗濯機を置ける物件に住みたいという思いがあります

ここに引っ越してくる前、引っ越し先を探している際、

屋内に洗濯機を置ける物件ほとんど見つからず、

見つかった物件も入居審査ではねられ、

何とかこの物件に入居することができました。

一度入居すれば家賃滞納や騒音問題など以外では退去させられる可能性は低いらしいですが、

管理会社に苦情を入れるなどすれば、何かと理由をつけて退去させられるのではないか、という不安があります

その際抵抗しようにも、弁護士を雇えるとは限りません。

なるべく管理会社に関わりたくないのは、そういう後ろ向きな理由からです。

養生テープ

これは、実はもう試しました。本文が長くなったので省きましたけど、

ガーゼと脱脂綿と養生テープを使って、窓の隙間を塞ぎました。

その結果窓を空けることは出来なくなりましたが、隙間から空気流入はほぼ無くなりました。

窓を開けられないので換気は換気扇のみ(窓上部の通気口と、玄関の隙間から吸気)になります

ベランダから空気流入量は減ったのでタバコの煙の量も減りましたが、

体へのダメージはほぼ変わりませんでした。

ちなみに今は、ベランダ側の窓を覆う形で壁全体に、台所の換気扇フィルター(ロールタイプ11mのヤツ)を、

五重にして貼り付けています。窓は開けられないのでカーテンをした状態で締め切り、窓上部の通気口は開けています

効果は無いよりマシ程度でしたが。

窓を開けての換気どころか、太陽光の量も減るので、カビの心配がありましたが、

換気扇除湿機空気清浄機扇風機24時間稼働させており、

今のところカビが生える様子は無いようです(室内干しの洗濯物や布団の裏側、台所、部屋の隅の壁などを確認)。

空気清浄機

タバコの煙には効果無いです。すごく高い物なら効果があるのかもしれませんが買えません。

塵や埃はよく吸ってくれるので付けっぱなしにしています

タバコを吸っていいところでタバコを吸っただけで勝手に恨まれる隣人が気の毒でならない

そうですね

ごめん

いえいえ、謝ることはないですよ。

なんで喫煙者に直接文句が言いに行けないのだ?

まずインターホンを鳴らしても出てこないです。

また法律にもマンション規約にも違反していないので、文句が言い辛いです

それに話が通じるとは思えません。

経験上、健康な人は病気の症状に対する理解が浅い(これは普通だし仕方のないことだと思います)ので、

健康被害苦痛を訴えて理解して貰えるとは思いません。

あと、住んでいる人の人物像がよく分かりません。

隣の部屋を借りている人物の氏名は把握しています

しかしその人、最寄りのスーパー店長なんですよね、

ググったらニュース記事や人事に関する記事が出てきたので判明しました。

レシートにも店長名前が入っているので、間違いないと思います

名前的に同姓同名可能性も低そうです。

でも、店長やってる人が毎日自宅で長時間タバコを吹かしているわけないですよね。

なので恐らく店長の身内、親や子供を住まわせているのではないか、と思っています

ずっと部屋にいるので、定年退職したのか引きこもりなのか、

いずれにせよ、なんだかよく分からない生活をしている人に対して、私はビビっています

QOLを著しく下げる

ですね。

ただ、治療を受けるかどうか実は今も悩んでいる最中です。

まず、これ以上医療費をかけたくないという思いがあります

持病の治療で毎回40万円以上かかってるので。

また、病院に行くのが難儀です。

最近は体調が安定しているとは言え、基本的に私は下痢しか出ないので、

外出すると便失禁の可能性が常に付きまといます

私は持病の治療で通院する際、

前日は食事を取らずアクエリアスとチュアブルタイプビタミン剤のみを摂取し、

当日は浣腸使用して可能な限り便を排出してから病院に向かうようにしています

通院だけでなく、散髪をする時も同様です。

持病の治療は2ヶ月に一度、散髪はもっと期間が開いているので絶食しても何とかなりますが、

耳鼻科などに通うことになった場合絶食を短い期間で繰り返すことになる可能性があります

その辺がかなり気がかりです。

持病は過去にサブイレウスで苦しんだことがあるため、通院に対する抵抗は無いのですが

蓄膿症と咳喘息は、今のところ死にそうな症状はまだ出ていません。

そのため「まだこの程度なら病院に行かなくても」という考えが私の中にあると思います

2018年2月1日午後11時頃、追記。

同じ病気です。で、喫煙者です。なんか申し訳ないです。

(゚∀゚)人(゚∀゚)ナカーマ

いや申し訳なく思うことはないですよ。

喘息に関しては、通院時に会話が出来なかったので筆談主治医に伝えました。

その時に同じ病院内の耳鼻咽喉科受診を勧められたのですが断りました。

私が通院している病院には精神科もあるので、

向精神薬の事も含めて主治医相談してみます

潰瘍性大腸炎だと、ニコチンで症状が軽くなるらしい。クローン病も同じなのだろうか…

一般的クローン病場合は悪影響しかないらしいですね。

私の場合は何ででしょうね、体質的ものなのか、

あるいは症状が出ていることに気づいていないだけなのか…

防毒マスク

実は購入を検討中です。

Amazonで調べたらタバコ副流煙対策には重松の防毒マスクGM31が良いそうなので、

買って試してみるつもりです。

いつ消えるの

未だにエゴサすると、10年以上前の旧時代掲示板みたいなやつに、適当なこと書かれてるのがひっかかるんだけど

れいつになったら消えるの、Googleさん。

同姓同名の人が色々SNSやってくれてるみたいで随分出てきにくくはなってるけど。

2018-01-24

15年位前にyahooチャット芸能人電話番号教えてもらってかけたら本人か同姓同名の人かわからんがかかったことがある

びびってすぐきっちゃったけど

2018-01-18

仮想通貨取引を始めて思ったこ

とにかくUIがクソ。

まず最初の入金手段が銀行振り込みしかない。日本銀行システムが糞なのは取引所のせいじゃないけど、振り込みだと同姓同名ユーザー区別がつかないから振込者名義に指定ID文字列を付ける必要があり、付け忘れると入金が行方不明になる。なんじゃそりゃ!自己責任とは言え、案の定2chでは付け忘れて入金が届かず嘆く人が後を絶たない。うまく入金できても反映まで時間がかかる。クレジットカードか、せめてPayPalぐらい使えるようにしろや。

あとは仮想通貨アドレス取引所間で通貨の移動をする際には40文字の16進数文字列を、手動でコピペしなくてはならない。しかもその文字列通貨の種類ごとに違っていて、間違えて送るとお金が消える。ただの16進数文字列なので、人間が見ても間違ってるかはわからない。2018年の決済方法とは思えないUIのプリミティブさ。人間ミスをする生き物なのに、フールプルーフ概念が全く存在しない。

ちょっとUIUX原始的すぎ。こんなもの作ってブロックチェーンという発明に対して恥ずかしいレベル。これでは主婦や老人には敷居が高くて始められないだろ。仮想通貨が株やFXみたいに広まるのはまだまだ先。

2018-01-13

この記事は半保護されています。(半保護の方針による半保護) ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン 曖昧さ回避ベートーヴェンベートーベン、ヴァン・ベートーヴェン」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「ベートーヴェン (曖昧さ回避)」をご覧ください。 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン Ludwig van Beethoven Beethoven.jpg 基本情報 別名 楽聖 生誕 1770年12月16日頃 出身地 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国、ボン 死没 1827年3月26日(56歳没) オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国ウィーン ジャンル 古典派音楽 活動期間 1792 - 1827 ベートーヴェンのサイン ウィキポータル クラシック音楽 ポータル クラシック音楽 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(独: Ludwig van Beethoven、標準ドイツ語ではルートヴィヒ・ファン・ベートホーフェンに近い[1]、1770年12月16日頃[2] - 1827年3月26日)は、ドイツの作曲家。J.S.バッハ等と並んで音楽史上極めて重要な作曲家であり、日本では「楽聖」とも呼ばれる。その作品は古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆けとされている。 目次 [非表示] 1 生涯 2 作風 2.1 初期 2.2 中期 2.3 後期 3 後世の音楽家への影響と評価 4 芸術観 5 思想 6 人物 6.1 名前 6.2 ベートーヴェンフリーメイソンリー 7 死因また健康について 7.1 聴覚障害について 8 親族 9 弟子 10 代表作 10.1 交響曲(全9曲) 10.2 管弦楽曲 10.3 協奏曲、協奏的作品 10.4 室内楽曲 10.5 ピアノ曲 10.6 オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品 10.7 宗教曲 10.8 歌曲 11 著作 12 伝記 13 脚注 14 参考文献 15 関連項目 16 外部リンク 16.1 録音ファイル 16.2 伝記 生涯 ベートーヴェン(1803年) 1770年12月16日頃、神聖ローマ帝国ケルン大司教領(現ドイツ領)のボンにおいて、父ヨハンと、宮廷料理人の娘である母マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)の長男[3]として生まれる。ベートーヴェン一家はボンのケルン選帝侯宮廷の歌手(後に楽長)であり、幼少のベートーヴェンも慕っていた、祖父ルートヴィヒの援助により生計を立てていた。ベートーヴェンの父も宮廷歌手(テノール)[4]であったが、元来無類の酒好きであったために収入は途絶えがちで、1773年に祖父が亡くなると生活は困窮した。1774年頃よりベートーヴェンは父からその才能を当てにされ、虐待とも言えるほどの苛烈を極める音楽のスパルタ教育を受けたことから、一時は音楽そのものに対して強い嫌悪感すら抱くようにまでなってしまった。1778年にはケルンでの演奏会に出演し、1782年11歳の時よりクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事した。 1787年、16歳のベートーヴェンウィーンに旅し、かねてから憧れを抱いていたモーツァルトを訪問したが、最愛の母マリアの危篤の報を受けてボンに戻った。母はまもなく死没し(肺結核)[5]、母の死後は、アルコール依存症となり失職した父に代わり、いくつもの仕事を掛け持ちして家計を支え、父や幼い兄弟たちの世話に追われる苦悩の日々を過ごした。 1792年7月、ロンドンからウィーンに戻る途中ボンに立ち寄ったハイドンにその才能を認められて弟子入りを許され、11月にはウィーンに移住し(12月に父死去)、まもなく、ピアノ即興演奏の名手(ヴィルトゥオーゾ)として広く名声を博した。 20歳代後半ごろより持病の難聴(原因については諸説あり、鉛中毒説が通説)が徐々に悪化、28歳の頃には最高度難聴者となる。音楽家として聴覚を失うという死にも等しい絶望感から、1802年には『ハイリゲンシュタットの遺書』をしたため自殺も考えたが、彼自身の芸術(音楽)への強い情熱をもってこの苦悩を乗り越え、再び生きる意欲を得て新たな芸術の道へと進んでいくことになる。 1804年に交響曲第3番を発表したのを皮切りに、その後10年間にわたって中期を代表する作品が書かれ、ベートーヴェンにとっての傑作の森(ロマン・ロランによる表現)と呼ばれる時期となる。その後、ピアニスト兼作曲家から、完全に作曲専業へと移った。 40歳頃(晩年の約15年)には全聾となっり、更に神経性とされる持病の腹痛や下痢にも苦しめられた。加えて、度々非行に走ったり自殺未遂を起こすなどした甥カールの後見人として苦悩するなどして一時作曲が停滞したが、そうした苦悩の中で書き上げた交響曲第9番や『ミサ・ソレムニス』といった大作、ピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲等の作品群は彼の未曾有の境地の高さを示すものであった。 1826年12月に肺炎を患ったことに加え、黄疸も併発するなど病状が急激に悪化し、以後病臥に伏す。病床の中で10番目の交響曲に着手するも未完成のまま翌1827年3月26日、肝硬変のため56年の生涯を終えた。その葬儀には2万人もの人々が参列するという異例のものとなった。この葬儀には、翌年亡くなるシューベルトも参列している。 作風 初期 作曲家としてデビューしたての頃は耳疾に悩まされることもなく、古典派様式に忠実な明るく活気に満ちた作品を書いていた。この作風は、ハイドンモーツァルトの強い影響下にあるためとの指摘もある[6]。 中期 1802年の一度目の危機とは、遺書を書いた精神的な危機である。ベートーヴェンはこの危機を、ウィーン古典派の形式を再発見する事により脱出した。つまりウィーン古典派の2人の先達よりも、素材としての動機の発展や展開・変容を徹底して重視し、形式的・構成的なものを追求した。この後は中期と呼ばれ、コーダの拡張など古典派形式の拡大に成功した。 中期の交響曲はメヌエットではなくスケルツォの導入(第2番以降)、従来のソナタ形式を飛躍的に拡大(第3番)、旋律のもととなる動機やリズムの徹底操作(第5、7番)、標題的要素(第6番)、楽章の連結(第5、6番)、5楽章形式(6番)など、革新的な技法を編み出している。その作品は、古典派の様式美とロマン主義とをきわめて高い次元で両立させており、音楽の理想的存在として、以後の作曲家に影響を与えた。第5交響曲に典型的に示されている「暗→明」、「苦悩を突き抜け歓喜へ至る」という図式は劇性構成の規範となり、後のロマン派の多くの作品がこれに追随した。 これらのベートーヴェンの要求は必然的に「演奏人数の増加」と結びつき、その人数で生み出される人生を鼓舞するかのような強音やすすり泣くような弱音は多くの音楽家を刺激した。 後期 1818年の二度目の危機の時には後期の序曲集に代表される様にスランプに陥っていたが、ホモフォニー全盛であった当時においてバッハの遺産、対位法つまりポリフォニーを研究した。対位法は中期においても部分的には用いられたが、大々的に取り入れる事に成功し危機を乗り越えた。変奏曲やフーガはここに究められた。これにより晩年の弦楽四重奏曲ピアノソナタ、『ミサ・ソレムニス』、『ディアベリ変奏曲』、交響曲第9番などの後期の代表作が作られた。 後世の音楽家への影響と評価 ベートーヴェンの音楽界への寄与は甚だ大きく、彼以降の音楽家は大なり小なり彼の影響を受けている。 ベートーヴェン以前の音楽家は、宮廷や有力貴族に仕え、作品は公式・私的行事における機会音楽として作曲されたものがほとんどであった。ベートーヴェンはそうしたパトロンとの主従関係(および、そのための音楽)を拒否し、大衆に向けた作品を発表する音楽家の嚆矢となった。音楽家=芸術家であると公言した彼の態度表明、また一作一作が芸術作品として意味を持つ創作であったことは、音楽の歴史において重要な分岐点であり革命的とも言える出来事であった。 中でもワーグナーは、ベートーヴェン交響曲第9番における「詩と音楽の融合」という理念に触発され、ロマン派音楽の急先鋒として、その理念をより押し進め、楽劇を生み出した。また、その表現のため、豊かな管弦楽法により音響効果を増大させ、ベートーヴェンの用いた古典的な和声法を解体し、トリスタン和音に代表される革新的和声で調性を拡大した。 一方のブラームスは、ロマン派の時代に生きながらもワーグナー派とは一線を画し、あくまでもベートーヴェンの堅固な構成と劇的な展開による古典的音楽形式の構築という面を受け継ぎ、ロマン派の時代の中で音楽形式的には古典派的な作風を保った。しかし、旋律や和声などの音楽自体に溢れる叙情性はロマン派以外の何者でもなかった。また、この古典的形式における劇的な展開と構成という側面はブラームスのみならず、ドヴォルザークチャイコフスキー、20世紀においてはシェーンベルクバルトークプロコフィエフショスタコーヴィチラッヘンマンにまで影響を与えている。 芸術観 同時代のロマン派を代表する芸術家E.T.A.ホフマンは、ベートーヴェンの芸術を褒め称え、自分たちロマン派の陣営に引き入れようとしたが、ベートーヴェンは当時のロマン派の、形式的な統一感を無視した、感傷性と感情表現に代表される芸術からは距離を置いた。ベートーヴェンが注目したものは、同時代の文芸ではゲーテやシラー、また古くはウィリアム・シェイクスピアらのものであり、本業の音楽ではバッハ、ヘンデルモーツァルトなどから影響を受けた[7]。 ベートーヴェンが「前衛」であったのかどうかは、多くの音楽学者で見解が分かれる。原博は「ベートーヴェンは前衛ではない」と言い切り[8]、彼は当時の「交響曲」「協奏曲」「ソナタ」「変奏曲」などの構造モデルに準拠し、発案した新ジャンルというものは存在しない。ただし、「メトロノームの活用」「母語での速度表示」「ピアノの構造強化と音域の拡張」「楽曲の大規模化」「大胆な管弦楽法」「演奏不可能への挑戦」「騒音の導入(戦争交響曲)」など、後世の作曲家に与えた影響は計り知れないものがある。 思想 ベートーヴェンカトリックであったが敬虔なキリスト教徒とはいえなかった。『ミサ・ソレムニス』の作曲においてさえも「キリストなどただの磔(はりつけ)にされたユダヤ人に過ぎない」と発言した。ホメロスプラトンなどの古代ギリシア思想に共感し、バガヴァッド・ギーターを読み込むなどしてインド哲学に近づき、ゲーテやシラーなどの教養人にも見られる異端とされる汎神論的な考えを持つに至った。彼の未完に終わった交響曲第10番においては、キリスト教的世界と、ギリシア的世界との融合を目標にしていたとされる。これはゲーテが『ファウスト』第2部で試みたことであったが、ベートーヴェンの生存中は第1部のみが発表され、第2部はベートーヴェンの死後に発表された。権威にとらわれない宗教観が、『ミサ・ソレムニス』や交響曲第9番につながった。 また哲学者カントの思想にも触れ、カントの講義に出席する事も企画していたといわれる[7]。 政治思想的には自由主義者であり、リベラル進歩的政治思想を持っていた。このことを隠さなかったためメッテルニヒウィーン体制では反体制分子と見られた。 その他にも、天文学についての書物を深く読み込んでおり、彼はボン大学での聴講生としての受講やヴェーゲナー家での教育を受けた以外正規な教育は受けていないにも関わらず、当時において相当の教養人であったと見られている。 人物 身長は165cm前後と当時の西洋人としては中背ながら、筋肉質のがっしりとした体格をしていた。肌は浅黒く、天然痘の瘢痕があったとされるが、肖像画や銅像、ライフマスクや近年明らかとなった多彩な女性関係などから容貌は美男とは言えないものの、さほど悪くなかったのではないかと思われる。表情豊かで生き生きした眼差しが人々に強い印象を与え多くの崇拝者がいた。 基本的に服装には無頓着であり、若い頃には着飾っていたものの、歳を取ってからは一向に構わなくなった。弟子のツェルニーは初めてベートーヴェンに会った時、「ロビンソン・クルーソーのよう」、「黒い髪の毛は頭の周りでもじゃもじゃと逆立っている」という感想を抱いたと言われる。また作曲に夢中になって無帽で歩いていたため、浮浪者誤認逮捕されてウィーン市長が謝罪する珍事も起こった。部屋の中は乱雑であった一方、入浴と洗濯を好むなど綺麗好きであったと言われる。また生涯で少なくとも60回以上引越しを繰り返したことも知られている。 当時のウィーンではベートーヴェンが変わり者であることを知らない者はいなかったが、それでも他のどんな作曲家よりも敬愛されており、それは盛大な葬儀と多数の参列者を描いた書画からも伺える。しかし、「ベートーヴェン変人説」も、メッテルニヒ政権によるデマであるとする見解もある。 潔癖症で手を執拗に洗うところがあった。 性格は矛盾と言っても差し支えのない正反対な側面があった。人づきあいにおいて、ことのほか親切で無邪気かと思えば、厳しく冷酷で非道な行動に出るなどと気分の揺れが激しかった。親しくなると度が過ぎた冗談を口にしたり無遠慮な振る舞いを見せたりすることが多かったため、自分本位で野蛮で非社交的という評判であったとされている。これもどこまで真実なのかは定かではないが、ピアノソナタ・ワルトシュタインや弦楽四重奏曲・大フーガつきの出版に際して、出版社の「カット」命令には律儀に応じている。癇癪持ちであったとされ、女中(女性)に物を投げつけるなどしばしば暴力的な行動に出ることもあったという。 師ハイドンに、楽譜に「ハイドンの教え子」と書くよう命じられた時は、「私は確かにあなたの生徒だったが、教えられたことは何もない」と突っぱねた。 パトロンカール・アロイス・フォン・リヒノフスキー侯爵には、「侯爵よ、あなたが今あるのはたまたま生まれがそうだったからに過ぎない。私が今あるのは私自身の努力によってである。これまで侯爵は数限りなくいたし、これからももっと数多く生まれるだろうが、ベートーヴェンは私一人だけだ!」と書き送っている。(1812年)この「場を全くわきまえない」発言の数々はメッテルニヒ政権成立後に仇となり、大編成の委嘱が遠ざかる。 テプリツェでゲーテと共に散歩をしていて、オーストリア皇后・大公の一行と遭遇した際も、ゲーテが脱帽・最敬礼をもって一行を見送ったのに対し、ベートーヴェンは昂然(こうぜん)として頭を上げ行列を横切り、大公らの挨拶を受けたという。後にゲーテは「その才能には驚くほかないが、残念なことに不羈(ふき)奔放な人柄だ」とベートーヴェンを評している。 交響曲第5番の冒頭について「運命はこのように戸を叩く」と語ったことや、ピアノソナタ第17番が“テンペスト”と呼ばれるようになったいきさつなど、伝記で語られるベートーヴェンの逸話は、自称「ベートーヴェンの無給の秘書」のアントンシンドラーの著作によるものが多い。しかし、この人物はベートーヴェンの死後、ベートヴェンの資料を破棄したり改竄(かいざん)を加えたりしたため、現在ではそれらの逸話にはあまり信憑性が認められていない。 聴覚を喪失しながらも音楽家として最高の成果をあげたことから、ロマン・ロランをはじめ、彼を英雄視・神格化する人々が多く生まれた。 死後、「不滅の恋人」宛に書かれた1812年の手紙が3通発見されており、この「不滅の恋人」が誰であるかについては諸説ある。テレーゼ・フォン・ブルンスヴィック(独語版)やその妹ヨゼフィーネ(独語版)等とする説があったが、現在ではメイナード・ソロモン(en:Maynard Solomon)らが提唱するアントニエ・ブレンターノ(独語版)(クレメンス・ブレンターノらの義姉、当時すでに結婚し4児の母であった)説が最も有力である。しかし、「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]のような、これらの定説を覆す新たな研究も生まれている。 これらは氷山の一角に過ぎず、20-30代でピアニストとして一世を風靡していたころは大変なプレイボーイであり、多くの女性との交際経験があった。この行動を模倣した人物に、後年のフランツ・リストがいる。 メトロノームの価値を認め、初めて活用した音楽家だといわれている。積極的に数字を書き込んだために、後世の演奏家にとって交響曲第9番ハンマークラフィーアソナタのメトロノーム記号については、多くの混乱が生まれている。 彼はイタリア語ではなく、母語ドイツ語で速度表示を行った最初の人物である。この慣習の打破はあまり歓迎されず、多くの当時の作曲家も速度表示にはイタリア語を用い、本人も短期間でイタリア語に戻している。 パンと生卵を入れて煮込んだスープや、魚料理に肉料理、茹でたてのマカロニにチーズを和えたものが大好物であった。またワインを嗜み、銘柄は安物のトカイワインを好んでいた。父親に似て大の酒好きであり、寿命を縮めることになったのは疑いがない。 コーヒーは必ず自ら豆を60粒数えて淹れたという[10]。 名前 原語であるドイツ語ではルートゥヴィヒ・ファン・ベートホーフェン ドイツ語発音: [ˈluːtvɪç fan ˈbeːthoːfən] ( 音声ファイル)と発音される。 日本では明治時代の書物の中には「ベートーフェン」と記したものが若干あったが、ほどなく「ベートーヴェン」という記述が浸透していき、リヒャルト・ワーグナーのように複数の表記が残る(ワーグナーヴァーグナー、ワグネル)こともなかった。唯一の例外は、NHKおよび教科書における表記の「ベートーベン」である。 姓に“van”がついているのは、ベートーヴェン家がネーデルラントフランドル)にルーツがあるためである(祖父の代にボンに移住)。vanがつく著名人といえば、画家のヴァン・ダイク(van Dyck)、ファン・エイク(van Eyck)、ファン・ゴッホ(van Gogh)などがいる。 vanはドイツ語オランダ語では「ファン」と発音されるが、貴族を表す「von(フォン)」と間違われることが多い。「van」は単に出自を表し、庶民の姓にも使われ、「van Beethoven」という姓は「ビート(Beet)農場(Hoven)主の」という意味に過ぎない。しかしながら、当時のウィーンではベートーヴェンが貴族であると勘違いする者も多かった。 偉大な音楽家を意味する「楽聖」という呼称は古くから存在するが、近代以降はベートーヴェンをもって代表させることも多い。例えば3月26日の楽聖忌とはベートーヴェンの命日のことである。 ベートーヴェンフリーメイソンリー 詳細は「フリーメイソン#ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」を参照 死因また健康について 慢性的な腹痛や下痢は終生悩みの種であった。死後に行われた解剖では肝臓、腎臓、脾臓、他、多くの内臓に損傷が見られた。これらの病の原因については諸説あり、定説はない。近年、ベートーヴェンの毛髪から通常の100倍近い鉛が検出されて注目を集めた。鉛は聴覚や精神状態に悪影響を与える重金属であるが、ベートーヴェンがどのような経緯で鉛に汚染されたかについても諸説あり、以下のごとくである。 ワインの甘味料として用いられた酢酸鉛とする説。 1826年の1月から、肝障害による腹水治療を行ったアンドレアス・ヴァヴルフ医師が、腹部に針で穿刺して腹水を排水した際、毛髪の分析結果では腹部に穿孔するたびに鉛濃度が高くなっていることから、傷口の消毒のために使用された鉛ではないかとする説。 聴覚障害について 難聴(40歳頃には全聾となった)の原因については諸説[11]ある。 耳硬化症説 伝音性の難聴であり、中耳の耳小骨の「つち・きぬた・あぶみ」の内のあぶみ骨が硬化して、振動を伝達できず、音が聞こえなくなる難病。ベートーヴェンの難聴が耳硬化症である論拠として、ベートーヴェンが人の声は全く聞こえていなかったにも関わらず、後ろでピアノを弾いている弟子に、「そこはおかしい!」と注意したエピソードが挙げられる。これは耳硬化症に特有の、人の声は全く聞こえなくなるが、ピアノの高音部の振動は僅かに感じ取ることが出来る性質にあると考えられる。 又、ベートーヴェンは歯とピアノの鍵盤をスティックで繋ぐことで、ピアノの音を聞いていたという逸話もこの説を裏付ける論拠として挙げられる。 先天性梅毒説 「蒸発性の軟膏を体に塗り込んだ(水銀の可能性。当時梅毒の治療法の一つ)」という記述がある為に、論拠とされている。しかし、後にベートーヴェンの毛髪を分析した結果、水銀は検出されず、又、梅毒は眩暈(めまい)の症状を併発するにも関わらず、そうした話が無い為に、先天性梅毒説は説得力の乏しいものとなっている。 鉛中毒説 上載の死因また健康についてを参照。 メッテルニヒ政権説 ベートーヴェンが難聴であっても完全に失聴していたかどうかは、21世紀の現代では疑問視する声が大きい。ベートーヴェンは1820年代のメッテルニヒ政権ではブラックリストに入れられたため、盗聴を防ぐために「筆談帳」を使った可能性は大きい。その延長として「ベートーヴェンは暗号を用いていた」という仮説に基づく「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]という書籍が出版された。 有名な逸話に「女中に卵を投げつけた」という類の物が残されているが、これは「女中に変装したスパイ」への正当防衛であるという見解がある。 デビューほやほやのリストの演奏に臨み、彼を高く評価したのは、もし失聴していれば出来ない行為である。 完全失聴や聴覚障害を患った作曲家に、ボイスやフォーレがいるが、彼らの作曲活動はその後伸び悩んでいるのに対し、失聴したベートーヴェンはその間に多くの重要作を書いている。 親族 祖父:ルートヴィヒ同姓同名) (英語版) フランドル地方メヘレン出身。ケルン大司教(選帝侯)クレメンスアウグストに見出され、21歳でボンの宮廷バス歌手、後に宮廷楽長となった。 祖母:マリア・ヨゼファ 父:ヨハン 母:マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)  ヨハンとは再婚(初婚は死別)。肺結核により死去。 弟:カスパール・アントンカール 甥:カールドイツ語版)  カスパールの息子。1806年生まれ~1858年没。1826年にピストル自殺未遂事件を起こす。 弟:ニコラウス・ヨーハン 同姓同名の兄や妹2人がいるがすぐになくなっている。 弟カールの血筋が現在も残ってはいるが、ベートーヴェン姓は名乗っていない。カールの直系子孫の一人であるカール・ユリウス・マリア・ヴァン・ベートーヴェン(1870年5月8日生まれ)が1917年12月10日に他界したのを最後に、ベートーヴェン姓を名乗る子孫は途絶えている。 弟子 カール・ツェルニー - クラヴィア奏者・作曲家。 フェルディナント・リース - ボンのクラヴィア奏者・作曲家。 ルドルフ大公 - ベートーヴェンの最大のパトロン。のちにオルミュッツ大司教。弟子としては唯一、ベートーヴェンが彼のために曲を書いている。 ドロテア・エルトマン男爵夫人 - メンデルスゾーンと交流。 アントンシンドラー - 秘書だが、弟子とされることがある。 代表作 詳細は「ベートーヴェンの楽曲一覧」を参照 交響曲(全9曲) 第1番 ハ長調 op.21 第2番 ニ長調 op.36 第3番 変ホ長調エロイカ(英雄)』 op.55[12][13] 第4番 変ロ長調 op.60 第5番 ハ短調 (運命) op.67 [12][13] 第6番 ヘ長調 『田園』 op.68 [12] 第7番 イ長調 op.92 第8番 ヘ長調 op.93 第9番 ニ短調 (合唱付き) op.125 [12][13] 管弦楽曲 『レオノーレ』序曲第1番 op.138 『レオノーレ』序曲第3番 op.72b 序曲『コリオラン』ハ短調 op.62 交響曲『ウェリントンの勝利またはビトリアの戦い』 op.91 『命名祝日』序曲 op.115 『アテネの廃墟』序曲 ハ長調op.113 『献堂式』序曲 ハ長調op.124 協奏曲、協奏的作品 ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 『皇帝』 op.73 [12] ヴァイオリン協奏曲ニ長調 op.61 ロマンス第1番 ト長調 op.40 ロマンス第2番 ヘ長調 op.50 三重協奏曲(ピアノヴァイオリン・チェロのための)ハ長調 op.56 合唱幻想曲 ハ短調 op.80 室内楽曲 弦楽四重奏曲(全16曲) 第7番 ヘ長調(ラズモフスキー第1番) op.59-1 第8番 ホ短調(ラズモフスキー第2番) op.59-2 第9番 ハ長調(ラズモフスキー第3番) op.59-3 第10番 変ホ長調(ハープ) op.74 第11番 ヘ短調『セリオーソ』 op.95 第12番 変ホ長調 op.127 第13番 変ロ長調 op.130 大フーガ 変ロ長調 op.133 第14番 嬰ハ短調 op.131 第15番 イ短調 op.132 第16番 ヘ長調 op.135 弦楽五重奏曲 (全3曲) ヴァイオリンソナタ(全10曲) 第5番 ヘ長調 『春』 op.24 第9番 イ長調 『クロイツェル』 op.47 チェロソナタ(全5曲) ピアノ三重奏曲(全7曲) 第5番 ニ長調『幽霊』 op.70-1 第7番 変ロ長調『大公』 op.97 その他の室内楽曲 ホルン・ソナタ ヘ長調 op.17 六重奏曲 op.81b 七重奏曲 変ホ長調 op.20 管楽八重奏曲 op.103 ピアノ曲 ピアノソナタ(全32曲)   第8番 ハ短調『悲愴』 op.13 第14番 嬰ハ短調 『月光』 op.27-2 [13] 第15番 ニ長調 『田園』 第17番 ニ短調『テンペスト』 op.31-2 第21番 ハ長調 『ヴァルトシュタイン』op.53 第23番 ヘ短調 『熱情』 op.57 [12][13] 第26番 変ホ長調『告別』 op.81a 第29番 変ロ長調ハンマークラヴィーア』 op.106 第30番 ホ長調 op.109 第31番 変イ長調 op.110 第32番 ハ短調 op.111 その他のピアノ曲(変奏曲、バガテル等) 創作主題による6つの変奏曲 ヘ長調 op.34 創作主題による15の変奏曲とフーガ(エロイカ変奏曲)変ホ長調 op.35 『ゴッド・セイヴ・ザ・キング』の主題による7つの変奏曲 ハ長調 WoO.78 『ルール・ブリタニア』の主題による5つの変奏曲 ニ長調 WoO.79 創作主題による32の変奏曲 ハ短調 WoO.80 創作主題による6つの変奏曲 ニ長調 op.76 ディアベリのワルツによる33の変容(ディアベリ変奏曲) ハ長調 op.120 アンダンテ・ファヴォリ ヘ長調 WoO.57 幻想曲 op.77 ポロネーズ ハ長調 op.89 7つのバガテル op.33 11の新しいバガテル op.119 6つのバガテル op.126 バガテル『エリーゼのために』 WoO.59 本来の曲名は『テレーゼのために』であった、という説が有力視されている。 オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品 歌劇『フィデリオ』 op.72c 劇付随音楽『エグモント』op.84 劇付随音楽『アテネの廃墟』 op.113 バレエ音楽プロメテウスの創造物』 op.43 オラトリオ『オリーヴ山上のキリスト』 op.85 カンタータ『静かな海と楽しい航海』 op.112 別れの歌 皇帝ヨーゼフ2世の為の葬送カンタータ WoO.87 宗教曲 ミサ曲 ハ長調 op.86 ミサ・ソレムニス ニ長調 [12]  修道僧の歌 歌曲 アデライーデ op.46 汝を愛す 鶉の鳴き声 新しい愛、新しい生 口づけ 追憶 懺悔の歌 モルモット(旅芸人) 連作歌曲集『遥かなる恋人に寄す』 op.98 曇りのち、快晴 著作 『ベートホーヴェンの手紙』 外山楢夫訳、新しき村出版部、1926年。 『ベートーヷンの手紙』 中西武夫訳、啓明社、1928年。 『ベートーヷン書翰集』 中西武夫訳、啓明社、1930年。 『ベートーヴェンの手紙』第1編、鈴木賢之進訳、音楽世界社〈楽聖書簡叢書〉、1936年。 『ベートーヴェン書簡集』 小松雄一郎訳、岩波書店岩波文庫 2579-2581〉、1940年。 『ベートーヴェン書簡集』 小松雄一郎選訳、岩波書店岩波文庫〉、1950年。 『ベートーヴェン書簡集』 小松雄一郎訳、岩波書店岩波文庫〉、1957年、改訂増補版。 - 附:

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ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

曖昧さ回避ベートーヴェンベートーベン、ヴァン・ベートーヴェン」はこの項目へ転送されています。その他の用法については「ベートーヴェン (曖昧さ回避)」をご覧ください。

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

Ludwig van Beethoven

Beethoven.jpg

基本情報

別名 楽聖

生誕 1770年12月16日

出身地 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国、ボン

死没 1827年3月26日(56歳没)

オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国ウィーン

ジャンル 古典派音楽

活動期間 1792 - 1827

ベートーヴェンのサイン

ウィキポータル クラシック音楽 ポータル クラシック音楽

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(独: Ludwig van Beethoven、標準ドイツ語ではルートヴィヒ・ファン・ベートホーフェンに近い[1]、1770年12月16日頃[2] - 1827年3月26日)は、ドイツの作曲家。J.S.バッハ等と並んで音楽史上極めて重要な作曲家であり、日本では「楽聖」とも呼ばれる。その作品は古典派音楽の集大成かつロマン派音楽の先駆けとされている。

目次 [非表示]

1 生涯

2 作風

2.1 初期

2.2 中期

2.3 後期

3 後世の音楽家への影響と評価

4 芸術観

5 思想

6 人物

6.1 名前

6.2 ベートーヴェンフリーメイソンリー

7 死因また健康について

7.1 聴覚障害について

8 親族

9 弟子

10 代表作

10.1 交響曲(全9曲)

10.2 管弦楽曲

10.3 協奏曲、協奏的作品

10.4 室内楽曲

10.5 ピアノ曲

10.6 オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品

10.7 宗教曲

10.8 歌曲

11 著作

12 伝記

13 脚注

14 参考文献

15 関連項目

16 外部リンク

16.1 録音ファイル

16.2 伝記

生涯

ベートーヴェン(1803年)

1770年12月16日頃、神聖ローマ帝国ケルン大司教領(現ドイツ領)のボンにおいて、父ヨハンと、宮廷料理人の娘である母マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)の長男[3]として生まれる。ベートーヴェン一家はボンのケルン選帝侯宮廷の歌手(後に楽長)であり、幼少のベートーヴェンも慕っていた、祖父ルートヴィヒの援助により生計を立てていた。ベートーヴェンの父も宮廷歌手(テノール)[4]であったが、元来無類の酒好きであったために収入は途絶えがちで、1773年に祖父が亡くなると生活は困窮した。1774年頃よりベートーヴェンは父からその才能を当てにされ、虐待とも言えるほどの苛烈を極める音楽のスパルタ教育を受けたことから、一時は音楽そのものに対して強い嫌悪感すら抱くようにまでなってしまった。1778年にはケルンでの演奏会に出演し、1782年11歳の時よりクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事した。

1787年、16歳のベートーヴェンウィーンに旅し、かねてから憧れを抱いていたモーツァルトを訪問したが、最愛の母マリアの危篤の報を受けてボンに戻った。母はまもなく死没し(肺結核)[5]、母の死後は、アルコール依存症となり失職した父に代わり、いくつもの仕事を掛け持ちして家計を支え、父や幼い兄弟たちの世話に追われる苦悩の日々を過ごした。

1792年7月、ロンドンからウィーンに戻る途中ボンに立ち寄ったハイドンにその才能を認められて弟子入りを許され、11月にはウィーンに移住し(12月に父死去)、まもなく、ピアノ即興演奏の名手(ヴィルトゥオーゾ)として広く名声を博した。

20歳代後半ごろより持病の難聴(原因については諸説あり、鉛中毒説が通説)が徐々に悪化、28歳の頃には最高度難聴者となる。音楽家として聴覚を失うという死にも等しい絶望感から、1802年には『ハイリゲンシュタットの遺書』をしたため自殺も考えたが、彼自身の芸術(音楽)への強い情熱をもってこの苦悩を乗り越え、再び生きる意欲を得て新たな芸術の道へと進んでいくことになる。

1804年に交響曲第3番を発表したのを皮切りに、その後10年間にわたって中期を代表する作品が書かれ、ベートーヴェンにとっての傑作の森(ロマン・ロランによる表現)と呼ばれる時期となる。その後、ピアニスト兼作曲家から、完全に作曲専業へと移った。

40歳頃(晩年の約15年)には全聾となっり、更に神経性とされる持病の腹痛や下痢にも苦しめられた。加えて、度々非行に走ったり自殺未遂を起こすなどした甥カールの後見人として苦悩するなどして一時作曲が停滞したが、そうした苦悩の中で書き上げた交響曲第9番や『ミサ・ソレムニス』といった大作、ピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲等の作品群は彼の未曾有の境地の高さを示すものであった。

1826年12月に肺炎を患ったことに加え、黄疸も併発するなど病状が急激に悪化し、以後病臥に伏す。病床の中で10番目の交響曲に着手するも未完成のまま翌1827年3月26日、肝硬変のため56年の生涯を終えた。その葬儀には2万人もの人々が参列するという異例のものとなった。この葬儀には、翌年亡くなるシューベルトも参列している。

作風

初期

作曲家としてデビューしたての頃は耳疾に悩まされることもなく、古典派様式に忠実な明るく活気に満ちた作品を書いていた。この作風は、ハイドンモーツァルトの強い影響下にあるためとの指摘もある[6]。

中期

1802年の一度目の危機とは、遺書を書いた精神的な危機である。ベートーヴェンはこの危機を、ウィーン古典派の形式を再発見する事により脱出した。つまりウィーン古典派の2人の先達よりも、素材としての動機の発展や展開・変容を徹底して重視し、形式的・構成的なものを追求した。この後は中期と呼ばれ、コーダの拡張など古典派形式の拡大に成功した。

中期の交響曲はメヌエットではなくスケルツォの導入(第2番以降)、従来のソナタ形式を飛躍的に拡大(第3番)、旋律のもととなる動機やリズムの徹底操作(第5、7番)、標題的要素(第6番)、楽章の連結(第5、6番)、5楽章形式(6番)など、革新的な技法を編み出している。その作品は、古典派の様式美とロマン主義とをきわめて高い次元で両立させており、音楽の理想的存在として、以後の作曲家に影響を与えた。第5交響曲に典型的に示されている「暗→明」、「苦悩を突き抜け歓喜へ至る」という図式は劇性構成の規範となり、後のロマン派の多くの作品がこれに追随した。

これらのベートーヴェンの要求は必然的に「演奏人数の増加」と結びつき、その人数で生み出される人生を鼓舞するかのような強音やすすり泣くような弱音は多くの音楽家を刺激した。

後期

1818年の二度目の危機の時には後期の序曲集に代表される様にスランプに陥っていたが、ホモフォニー全盛であった当時においてバッハの遺産、対位法つまりポリフォニーを研究した。対位法は中期においても部分的には用いられたが、大々的に取り入れる事に成功し危機を乗り越えた。変奏曲やフーガはここに究められた。これにより晩年の弦楽四重奏曲ピアノソナタ、『ミサ・ソレムニス』、『ディアベリ変奏曲』、交響曲第9番などの後期の代表作が作られた。

後世の音楽家への影響と評価

ベートーヴェンの音楽界への寄与は甚だ大きく、彼以降の音楽家は大なり小なり彼の影響を受けている。

ベートーヴェン以前の音楽家は、宮廷や有力貴族に仕え、作品は公式・私的行事における機会音楽として作曲されたものがほとんどであった。ベートーヴェンはそうしたパトロンとの主従関係(および、そのための音楽)を拒否し、大衆に向けた作品を発表する音楽家の嚆矢となった。音楽家=芸術家であると公言した彼の態度表明、また一作一作が芸術作品として意味を持つ創作であったことは、音楽の歴史において重要な分岐点であり革命的とも言える出来事であった。

中でもワーグナーは、ベートーヴェン交響曲第9番における「詩と音楽の融合」という理念に触発され、ロマン派音楽の急先鋒として、その理念をより押し進め、楽劇を生み出した。また、その表現のため、豊かな管弦楽法により音響効果を増大させ、ベートーヴェンの用いた古典的な和声法を解体し、トリスタン和音に代表される革新的和声で調性を拡大した。

一方のブラームスは、ロマン派の時代に生きながらもワーグナー派とは一線を画し、あくまでもベートーヴェンの堅固な構成と劇的な展開による古典的音楽形式の構築という面を受け継ぎ、ロマン派の時代の中で音楽形式的には古典派的な作風を保った。しかし、旋律や和声などの音楽自体に溢れる叙情性はロマン派以外の何者でもなかった。また、この古典的形式における劇的な展開と構成という側面はブラームスのみならず、ドヴォルザークチャイコフスキー、20世紀においてはシェーンベルクバルトークプロコフィエフショスタコーヴィチラッヘンマンにまで影響を与えている。

芸術観

同時代のロマン派を代表する芸術家E.T.A.ホフマンは、ベートーヴェンの芸術を褒め称え、自分たちロマン派の陣営に引き入れようとしたが、ベートーヴェンは当時のロマン派の、形式的な統一感を無視した、感傷性と感情表現に代表される芸術からは距離を置いた。ベートーヴェンが注目したものは、同時代の文芸ではゲーテやシラー、また古くはウィリアム・シェイクスピアらのものであり、本業の音楽ではバッハ、ヘンデルモーツァルトなどから影響を受けた[7]。

ベートーヴェンが「前衛」であったのかどうかは、多くの音楽学者で見解が分かれる。原博は「ベートーヴェンは前衛ではない」と言い切り[8]、彼は当時の「交響曲」「協奏曲」「ソナタ」「変奏曲」などの構造モデルに準拠し、発案した新ジャンルというものは存在しない。ただし、「メトロノームの活用」「母語での速度表示」「ピアノの構造強化と音域の拡張」「楽曲の大規模化」「大胆な管弦楽法」「演奏不可能への挑戦」「騒音の導入(戦争交響曲)」など、後世の作曲家に与えた影響は計り知れないものがある。

思想

ベートーヴェンカトリックであったが敬虔なキリスト教徒とはいえなかった。『ミサ・ソレムニス』の作曲においてさえも「キリストなどただの磔(はりつけ)にされたユダヤ人に過ぎない」と発言した。ホメロスプラトンなどの古代ギリシア思想に共感し、バガヴァッド・ギーターを読み込むなどしてインド哲学に近づき、ゲーテやシラーなどの教養人にも見られる異端とされる汎神論的な考えを持つに至った。彼の未完に終わった交響曲第10番においては、キリスト教的世界と、ギリシア的世界との融合を目標にしていたとされる。これはゲーテが『ファウスト』第2部で試みたことであったが、ベートーヴェンの生存中は第1部のみが発表され、第2部はベートーヴェンの死後に発表された。権威にとらわれない宗教観が、『ミサ・ソレムニス』や交響曲第9番につながった。

また哲学者カントの思想にも触れ、カントの講義に出席する事も企画していたといわれる[7]。

政治思想的には自由主義者であり、リベラルで進歩的な政治思想を持っていた。このことを隠さなかったためメッテルニヒウィーン体制では反体制分子と見られた。

その他にも、天文学についての書物を深く読み込んでおり、彼はボン大学での聴講生としての受講やヴェーゲナー家での教育を受けた以外正規な教育は受けていないにも関わらず、当時において相当の教養人であったと見られている。

人物

身長は165cm前後と当時の西洋人としては中背ながら、筋肉質のがっしりとした体格をしていた。肌は浅黒く、天然痘の瘢痕があったとされるが、肖像画や銅像、ライフマスクや近年明らかとなった多彩な女性関係などから容貌は美男とは言えないものの、さほど悪くなかったのではないかと思われる。表情豊かで生き生きした眼差しが人々に強い印象を与え多くの崇拝者がいた。

基本的に服装には無頓着であり、若い頃には着飾っていたものの、歳を取ってからは一向に構わなくなった。弟子のツェルニーは初めてベートーヴェンに会った時、「ロビンソン・クルーソーのよう」、「黒い髪の毛は頭の周りでもじゃもじゃと逆立っている」という感想を抱いたと言われる。また作曲に夢中になって無帽で歩いていたため、浮浪者誤認逮捕されてウィーン市長が謝罪する珍事も起こった。部屋の中は乱雑であった一方、入浴と洗濯を好むなど綺麗好きであったと言われる。また生涯で少なくとも60回以上引越しを繰り返したことも知られている。

当時のウィーンではベートーヴェンが変わり者であることを知らない者はいなかったが、それでも他のどんな作曲家よりも敬愛されており、それは盛大な葬儀と多数の参列者を描いた書画からも伺える。しかし、「ベートーヴェン変人説」も、メッテルニヒ政権によるデマであるとする見解もある。

潔癖症で手を執拗に洗うところがあった。

性格は矛盾と言っても差し支えのない正反対な側面があった。人づきあいにおいて、ことのほか親切で無邪気かと思えば、厳しく冷酷で非道な行動に出るなどと気分の揺れが激しかった。親しくなると度が過ぎた冗談を口にしたり無遠慮な振る舞いを見せたりすることが多かったため、自分本位で野蛮で非社交的という評判であったとされている。これもどこまで真実なのかは定かではないが、ピアノソナタ・ワルトシュタインや弦楽四重奏曲・大フーガつきの出版に際して、出版社の「カット」命令には律儀に応じている。癇癪持ちであったとされ、女中(女性)に物を投げつけるなどしばしば暴力的な行動に出ることもあったという。

ハイドンに、楽譜に「ハイドンの教え子」と書くよう命じられた時は、「私は確かにあなたの生徒だったが、教えられたことは何もない」と突っぱねた。

パトロンカール・アロイス・フォン・リヒノフスキー侯爵には、「侯爵よ、あなたが今あるのはたまたま生まれがそうだったからに過ぎない。私が今あるのは私自身の努力によってである。これまで侯爵は数限りなくいたし、これからももっと数多く生まれるだろうが、ベートーヴェンは私一人だけだ!」と書き送っている。(1812年)この「場を全くわきまえない」発言の数々はメッテルニヒ政権成立後に仇となり、大編成の委嘱が遠ざかる。

テプリツェでゲーテと共に散歩をしていて、オーストリア皇后・大公の一行と遭遇した際も、ゲーテが脱帽・最敬礼をもって一行を見送ったのに対し、ベートーヴェンは昂然(こうぜん)として頭を上げ行列を横切り、大公らの挨拶を受けたという。後にゲーテは「その才能には驚くほかないが、残念なことに不羈(ふき)奔放な人柄だ」とベートーヴェンを評している。

交響曲第5番の冒頭について「運命はこのように戸を叩く」と語ったことや、ピアノソナタ第17番が“テンペスト”と呼ばれるようになったいきさつなど、伝記で語られるベートーヴェンの逸話は、自称「ベートーヴェンの無給の秘書」のアントンシンドラーの著作によるものが多い。しかし、この人物はベートーヴェンの死後、ベートヴェンの資料を破棄したり改竄(かいざん)を加えたりしたため、現在ではそれらの逸話にはあまり信憑性が認められていない。

聴覚を喪失しながらも音楽家として最高の成果をあげたことから、ロマン・ロランをはじめ、彼を英雄視・神格化する人々が多く生まれた。

死後、「不滅の恋人」宛に書かれた1812年の手紙が3通発見されており、この「不滅の恋人」が誰であるかについては諸説ある。テレーゼ・フォン・ブルンスヴィック(独語版)やその妹ヨゼフィーネ(独語版)等とする説があったが、現在ではメイナード・ソロモン(en:Maynard Solomon)らが提唱するアントニエ・ブレンターノ(独語版)(クレメンス・ブレンターノらの義姉、当時すでに結婚し4児の母であった)説が最も有力である。しかし、「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]のような、これらの定説を覆す新たな研究も生まれている。

これらは氷山の一角に過ぎず、20-30代でピアニストとして一世を風靡していたころは大変なプレイボーイであり、多くの女性との交際経験があった。この行動を模倣した人物に、後年のフランツ・リストがいる。

メトロノームの価値を認め、初めて活用した音楽家だといわれている。積極的に数字を書き込んだために、後世の演奏家にとって交響曲第9番ハンマークラフィーアソナタのメトロノーム記号については、多くの混乱が生まれている。

彼はイタリア語ではなく、母語ドイツ語で速度表示を行った最初の人物である。この慣習の打破はあまり歓迎されず、多くの当時の作曲家も速度表示にはイタリア語を用い、本人も短期間でイタリア語に戻している。

パンと生卵を入れて煮込んだスープや、魚料理に肉料理、茹でたてのマカロニにチーズを和えたものが大好物であった。またワインを嗜み、銘柄は安物のトカイワインを好んでいた。父親に似て大の酒好きであり、寿命を縮めることになったのは疑いがない。

コーヒーは必ず自ら豆を60粒数えて淹れたという[10]。

名前

原語であるドイツ語ではルートゥヴィヒ・ファン・ベートホーフェン ドイツ語発音: [ˈluːtvɪç fan ˈbeːthoːfən] ( 音声ファイル)と発音される。

日本では明治時代の書物の中には「ベートーフェン」と記したものが若干あったが、ほどなく「ベートーヴェン」という記述が浸透していき、リヒャルト・ワーグナーのように複数の表記が残る(ワーグナーヴァーグナー、ワグネル)こともなかった。唯一の例外は、NHKおよび教科書における表記の「ベートーベン」である。

姓に“van”がついているのは、ベートーヴェン家がネーデルラントフランドル)にルーツがあるためである(祖父の代にボンに移住)。vanがつく著名人といえば、画家のヴァン・ダイク(van Dyck)、ファン・エイク(van Eyck)、ファン・ゴッホ(van Gogh)などがいる。

vanはドイツ語オランダ語では「ファン」と発音されるが、貴族を表す「von(フォン)」と間違われることが多い。「van」は単に出自を表し、庶民の姓にも使われ、「van Beethoven」という姓は「ビート(Beet)農場(Hoven)主の」という意味に過ぎない。しかしながら、当時のウィーンではベートーヴェンが貴族であると勘違いする者も多かった。

偉大な音楽家を意味する「楽聖」という呼称は古くから存在するが、近代以降はベートーヴェンをもって代表させることも多い。例えば3月26日の楽聖忌とはベートーヴェンの命日のことである。

ベートーヴェンフリーメイソンリー

詳細は「フリーメイソン#ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」を参照

死因また健康について

慢性的な腹痛や下痢は終生悩みの種であった。死後に行われた解剖では肝臓、腎臓、脾臓、他、多くの内臓に損傷が見られた。これらの病の原因については諸説あり、定説はない。近年、ベートーヴェンの毛髪から通常の100倍近い鉛が検出されて注目を集めた。鉛は聴覚や精神状態に悪影響を与える重金属であるが、ベートーヴェンがどのような経緯で鉛に汚染されたかについても諸説あり、以下のごとくである。

ワインの甘味料として用いられた酢酸鉛とする説。

1826年の1月から、肝障害による腹水治療を行ったアンドレアス・ヴァヴルフ医師が、腹部に針で穿刺して腹水を排水した際、毛髪の分析結果では腹部に穿孔するたびに鉛濃度が高くなっていることから、傷口の消毒のために使用された鉛ではないかとする説。

聴覚障害について

難聴(40歳頃には全聾となった)の原因については諸説[11]ある。

耳硬化症説

伝音性の難聴であり、中耳の耳小骨の「つち・きぬた・あぶみ」の内のあぶみ骨が硬化して、振動を伝達できず、音が聞こえなくなる難病。ベートーヴェンの難聴が耳硬化症である論拠として、ベートーヴェンが人の声は全く聞こえていなかったにも関わらず、後ろでピアノを弾いている弟子に、「そこはおかしい!」と注意したエピソードが挙げられる。これは耳硬化症に特有の、人の声は全く聞こえなくなるが、ピアノの高音部の振動は僅かに感じ取ることが出来る性質にあると考えられる。

又、ベートーヴェンは歯とピアノの鍵盤をスティックで繋ぐことで、ピアノの音を聞いていたという逸話もこの説を裏付ける論拠として挙げられる。

先天性梅毒説

「蒸発性の軟膏を体に塗り込んだ(水銀の可能性。当時梅毒の治療法の一つ)」という記述がある為に、論拠とされている。しかし、後にベートーヴェンの毛髪を分析した結果、水銀は検出されず、又、梅毒は眩暈(めまい)の症状を併発するにも関わらず、そうした話が無い為に、先天性梅毒説は説得力の乏しいものとなっている。

鉛中毒説

上載の死因また健康についてを参照。

メッテルニヒ政権説

ベートーヴェンが難聴であっても完全に失聴していたかどうかは、21世紀の現代では疑問視する声が大きい。ベートーヴェンは1820年代のメッテルニヒ政権ではブラックリストに入れられたため、盗聴を防ぐために「筆談帳」を使った可能性は大きい。その延長として「ベートーヴェンは暗号を用いていた」という仮説に基づく「秘密諜報員ベートーヴェン」[9]という書籍が出版された。

有名な逸話に「女中に卵を投げつけた」という類の物が残されているが、これは「女中に変装したスパイ」への正当防衛であるという見解がある。

デビューほやほやのリストの演奏に臨み、彼を高く評価したのは、もし失聴していれば出来ない行為である。

完全失聴や聴覚障害を患った作曲家に、ボイスやフォーレがいるが、彼らの作曲活動はその後伸び悩んでいるのに対し、失聴したベートーヴェンはその間に多くの重要作を書いている。

親族

祖父:ルートヴィヒ同姓同名) (英語版)

フランドル地方メヘレン出身。ケルン大司教(選帝侯)クレメンスアウグストに見出され、21歳でボンの宮廷バス歌手、後に宮廷楽長となった。

祖母:マリア・ヨゼファ

父:ヨハン

母:マリア・マグダレーナ(ドイツ語版)  ヨハンとは再婚(初婚は死別)。肺結核により死去。

弟:カスパール・アントンカール

甥:カールドイツ語版)  カスパールの息子。1806年生まれ~1858年没。1826年にピストル自殺未遂事件を起こす。

弟:ニコラウス・ヨーハン

同姓同名の兄や妹2人がいるがすぐになくなっている。

カールの血筋が現在も残ってはいるが、ベートーヴェン姓は名乗っていない。カールの直系子孫の一人であるカール・ユリウス・マリア・ヴァン・ベートーヴェン(1870年5月8日生まれ)が1917年12月10日に他界したのを最後に、ベートーヴェン姓を名乗る子孫は途絶えている。

弟子

カール・ツェルニー - クラヴィア奏者・作曲家。

フェルディナント・リース - ボンのクラヴィア奏者・作曲家。

ルドルフ大公 - ベートーヴェンの最大のパトロン。のちにオルミュッツ大司教。弟子としては唯一、ベートーヴェンが彼のために曲を書いている。

ドロテア・エルトマン男爵夫人 - メンデルスゾーンと交流。

アントンシンドラー - 秘書だが、弟子とされることがある。

代表作

詳細は「ベートーヴェンの楽曲一覧」を参照

交響曲(全9曲)

第1番 ハ長調 op.21

第2番 ニ長調 op.36

第3番 変ホ長調エロイカ(英雄)』 op.55[12][13]

第4番 変ロ長調 op.60

第5番 ハ短調 (運命) op.67 [12][13]

第6番 ヘ長調 『田園』 op.68 [12]

第7番 イ長調 op.92

第8番 ヘ長調 op.93

第9番 ニ短調 (合唱付き) op.125 [12][13]

管弦楽曲

『レオノーレ』序曲第1番 op.138

『レオノーレ』序曲第3番 op.72b

序曲『コリオラン』ハ短調 op.62

交響曲『ウェリントンの勝利またはビトリアの戦い』 op.91

『命名祝日』序曲 op.115

『アテネの廃墟』序曲 ハ長調op.113

『献堂式』序曲 ハ長調op.124

協奏曲、協奏的作品

ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 『皇帝』 op.73 [12]

ヴァイオリン協奏曲ニ長調 op.61

ロマンス第1番 ト長調 op.40

ロマンス第2番 ヘ長調 op.50

三重協奏曲(ピアノヴァイオリン・チェロのための)ハ長調 op.56

合唱幻想曲 ハ短調 op.80

室内楽曲

弦楽四重奏曲(全16曲)

第7番 ヘ長調(ラズモフスキー第1番) op.59-1

第8番 ホ短調(ラズモフスキー第2番) op.59-2

第9番 ハ長調(ラズモフスキー第3番) op.59-3

第10番 変ホ長調(ハープ) op.74

第11番 ヘ短調『セリオーソ』 op.95

第12番 変ホ長調 op.127

第13番 変ロ長調 op.130

大フーガ 変ロ長調 op.133

第14番 嬰ハ短調 op.131

第15番 イ短調 op.132

第16番 ヘ長調 op.135

弦楽五重奏曲 (全3曲)

ヴァイオリンソナタ(全10曲)

第5番 ヘ長調 『春』 op.24

第9番 イ長調 『クロイツェル』 op.47

チェロソナタ(全5曲)

ピアノ三重奏曲(全7曲)

第5番 ニ長調『幽霊』 op.70-1

第7番 変ロ長調『大公』 op.97

その他の室内楽曲

ホルン・ソナタ ヘ長調 op.17

六重奏曲 op.81b

七重奏曲 変ホ長調 op.20

管楽八重奏曲 op.103

ピアノ曲

ピアノソナタ(全32曲)  

第8番 ハ短調『悲愴』 op.13

第14番 嬰ハ短調 『月光』 op.27-2 [13]

第15番 ニ長調 『田園』

第17番 ニ短調『テンペスト』 op.31-2

第21番 ハ長調 『ヴァルトシュタイン』op.53

第23番 ヘ短調 『熱情』 op.57 [12][13]

第26番 変ホ長調『告別』 op.81a

第29番 変ロ長調ハンマークラヴィーア』 op.106

第30番 ホ長調 op.109

第31番 変イ長調 op.110

第32番 ハ短調 op.111

その他のピアノ曲(変奏曲、バガテル等)

創作主題による6つの変奏曲 ヘ長調 op.34

創作主題による15の変奏曲とフーガ(エロイカ変奏曲)変ホ長調 op.35

『ゴッド・セイヴ・ザ・キング』の主題による7つの変奏曲 ハ長調 WoO.78

ルール・ブリタニア』の主題による5つの変奏曲 ニ長調 WoO.79

創作主題による32の変奏曲 ハ短調 WoO.80

創作主題による6つの変奏曲 ニ長調 op.76

ディアベリのワルツによる33の変容(ディアベリ変奏曲) ハ長調 op.120

アンダンテ・ファヴォリ ヘ長調 WoO.57

幻想曲 op.77

ポロネーズ ハ長調 op.89

7つのバガテル op.33

11の新しいバガテル op.119

6つのバガテル op.126

バガテル『エリーゼのために』 WoO.59

本来の曲名は『テレーゼのために』であった、という説が有力視されている。

オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品

歌劇『フィデリオ』 op.72c

劇付随音楽『エグモント』op.84

劇付随音楽『アテネの廃墟』 op.113

バレエ音楽プロメテウスの創造物』 op.43

オラトリオ『オリーヴ山上のキリスト』 op.85

カンタータ『静かな海と楽しい航海』 op.112

別れの歌

皇帝ヨーゼフ2世の為の葬送カンタータ WoO.87

宗教曲

ミサ曲 ハ長調 op.86

ミサ・ソレムニス ニ長調 [12] 

修道僧の歌

歌曲

アデライーデ op.46

汝を愛す

鶉の鳴き声

新しい愛、新しい生

口づけ

追憶

懺悔の歌

モルモット このエントリーをはてなブックマークに追加ツイートシェア

2017-12-25

2017-12-18

anond:20171218143121

なるほど。

同姓同名大勢いることである意味匿名性が保たれてる感じなんですね。

2017-12-01

今日公判予定を見ると、窃盗被告人元アイドル名前と同じ。

2017-11-20

産経記事きっかけでスマイリーキクチ事件の再来が起きそう

数日前に産経しか報じてないこんなニュースがあるのだが、それがきっかけでスマイリーキクチ事件のような誤情報に基づいたネットリンチが起きそうで危惧している

http://www.sankei.com/affairs/news/171115/afr1711150047-n1.html

どういうことかというと、記事で報じられている未成年買春逮捕された山本大介容疑者というのがパズドラプロデューサー山本大介氏と同姓同名で年齢が同じ、さいたま市ガンホー本社まで電車で30分と通勤圏内さらガンホー山本Pは執行役員だが会社法上は役員ではなく従業員なので逮捕された山本容疑者と同じく職業会社員というところまで一致してしまっている

ネット上ではパズドラプロデューサー逮捕されたのではないかという憶測が生まれしまい、台湾ではガンホー山本Pの写真つきでニュースになってしまった

多くのパズドラプレイヤーガンホーにこの件についての問い合わせを行なったが、ガンホー側は「この件については回答できない」の一点張りでまったく否定しないこともネット上の憶測ブレーキが効かなくなってしまっている現状を招いてしまっている

山本Pは以前に景品表示法違反消費者庁からまれて以来ツイッター自粛していたのだが、事件から4日目にツイッターで「なんでこんなに死んだ説と逮捕された説流れてるの😭😭」と反応を示し、おそらく現在では事件について認知しているものと思われるが、いまだ事件への関与を否定するコメントは出てこない

そのためネット上でも「示談が済んだか仮釈放されたかしてやっと自由ツイートできるようになったのでは」などという憶測が流れている

今回の件でまずいのは、まず産経記事あいまいなため同姓同名の人に対して疑惑が生まれしまっていること、ガンホーおよび山本Pが即座に否定声明を出さずネット上に憶測流れるままにしてしまっているという対応の悪さの2点である

本来会社重要人物に関して憶測死亡説逮捕説が出回っていることは異常な事態であり、投資判断にも関わるため会社認知した時点でなんらかの声明を出すのが望ましい

ましてやガンホーのような、パズドラの展開で子供向けホビー商品も出している会社プロデューサー未成年買春に関わったなどという憶測が流れてしまっているとなると事態は深刻である

食品会社に対して、その会社食品食中毒が発生したというデマが流れている状態などを想像していただければ、今ガンホーがどれほど深刻な事態に直面しているか分かっていただけるだろうか

5ちゃんねるのような匿名ウェブでは山本Pが未成年買春たことが確定しているかのような異常な空気で、いまも山本Pに対する中傷コメントが書き込まれ続けている

このまま手をこまねいていれば、この件は第二のスマイリーキクチ事件と呼べるようなものへと発展しかねない

関係者の猛省を促したい

2017-11-15

2017-11-13

選択夫婦別姓に冷静に反対しよう

選択夫婦別姓に反対していこう。

効率的・実務的側面から反対
文化的歴史的側面から反対

①.効率・実務

 西暦2015に最高裁が「選択夫婦別姓却下」と判断を示しました。

これを受けて原告団長の塚本協子さんは「判決を聞いて涙が止まらなかった」

「『塚本協子』として生きること、死ぬことができなくなりました。」と述べました。

 しかし待ってください。それって法律解決しなくちゃいけないことでしょうか?

 真犯人名前を教えましょう。旧姓で呼んでくれない職場旧姓で呼んでくれない銀行旧姓で呼んでくれない葬式

 やつらです。

 数年をかけて裁判を何度も起こすより! 三井住友銀行毎日クレームを送りましょう。

 この投稿を見たら「ペンネームでも簡単に口座が! マイナンバーを持ってお近くの銀行へ!」のキャンペーンをしてください。

 「パスポート名前を記入させないで」とお便りを送りましょう。

 年賀状なんてやめて、外務省とか東京都生活文化局とかに絵葉書を送りましょう。

 「佐藤から始まる同姓同名なんてたくさんいるんだから本日は晴天なり』と自筆記入させてくれませんか?」と添えて。

 サイボウズ社長の青野さんは理不尽にもこう言っています

子供の姓はどうするんだ」

今回の訴訟では、子供の姓のルール改正は求めていませんので、「結婚時に決めた戸籍筆頭者の姓に統一する」だけです。もし、別のニーズ子供は新しい姓にするとか)が発生したら、また時代に合わせて改正検討すればいいと思います海外のように、両親の名字をくっつけて子供の姓にする時代が来るかもしれませんね。「ますだおかだ」とか。

 みなさんには役人友達がいませんか? みなさんの友達は泣いていませんか?

 「鈴木佐藤結婚するだけで『鈴木』『佐藤』『鈴木佐藤』『佐藤鈴木』『鈴佐』『鈴藤』『佐木』『木藤』とにかくたくさんだ!」

 ただでさえ無駄の多い役所仕事無理難題要求するのは、みなさんの反対するところではありませんか?

 そもそも戸籍本名だと神様が決めたわけではないのです。

 戸籍戸籍本名本名です。

 選択夫婦別姓は結局、戸籍にしがみついているだけですから最高裁が別姓を認めてくれたところで無意味です。

 子供名字は、親の名字は、先祖名字は、友達名字は……。戸籍に全てを任せようとしてしまます

 選択夫婦別姓の先にあるのは、子供が「父親名字になりたい。母は要らなかった。戸籍を変えたい」と訴訟を起こす未来です。

 私たちの涙は止まらなくなるでしょう。

 効率的・実務的に言って役所をただ混乱させるだけの選択夫婦別姓制度には断固反対していくべきで、

 「そういえば所ジョージさんって芳賀隆之って戸籍上なってるらしいですが、所ジョージの方が本名って感じがしません?」と不動産会社の人に言いましょう。

 選択夫婦別姓なんて結局、子供名字をどうするのか決めなくちゃいけないんですから

 社会は何も悪くありません。悪いのは会社です。

②.文化歴史

 既に主旨は述べましたが、ではどうして戸籍擁護するのか整理させてください。

 みなさんもご存じの通り、夫婦別姓というのは極めて男女差別的な側面があります

 日本は長いこと、夫婦別姓の国でありました。

 中韓現在夫婦別姓であるように、極東では女性家族の中でただ一人、男の姓を名乗ることを許されないものでした。

 子供と同じ名字を名乗ることができなかったのです。

 そこで明治維新の頃、列強ルール「妻は夫の名字を名乗る」という先進的な男女差別へと乗り換えたのが日本です。

 名字の話をするだけで昔の各国のパワーバランスの話になりました。

 名は……ちょっと土地を変えれば全く違う理論で働いている、とても価値のあるものです。年輪です。地層です。百科事典です。

 ロシアには「父親名前が、子供自動的に足される風習」があります。「父称」で検索

 プーチン大統領は「ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン」という名ですが、ミドルネームにあたる「ウラジーミロヴィチ」は父親から来ています

 砕いて言うと「ウラジーミルウラジーミルの子の、プーチン」です。ウラジーミル・プーチンの父もウラジーミルだとミドルネームに書いてあるのです。

 父親子供名前が同じというのは日本からすると変かもしれません。

 しかし「名前無頓着名前」は世界的には多々あることで、マクドナルドは「ドナルドの息子」という意味だとされています

 マクミランは「ミランの息子」、マッカーサーは「アーサーの息子」とされています

 名は文化歴史的価値のあるもので、善とか悪とかそういう尺度で語るべきものではありません。

 日本では源義経牛若丸だし、豊臣秀吉は羽柴藤吉郎だし、鳳凰院凶真は岡部太郎だし……。

 名は大切なものではありましたが、そのせいか代わりの名前がぽんぽんと出てくるものでありました。

 大切な名、名字戸籍。これは財産ではありませんか?

 選択夫婦別姓の先にあるのは「寿限無」や「ピカソ」のように長い長い名前です。

 「親のせいで俺の名前120字以上になった! ツイートできない!」となります。 

 そういう一般的人間ユーモア役所仕事というのは相性が悪いものです。

 名乗りたい名前があるなら自由に名乗ってくれて構いません。それが国民の総意になる未来もあるでしょう。

 戸籍とは別の本名という風習が起きるかもしれません。

 しかしそれはともかくとして国がきちんと古くさく管理するのを許してあげてくれないでしょうか?

 そうしてきちんとされたものが百年先、千年先にどう解釈されるのか私たちには全く想像できないのですから


余談

 選択夫婦別姓には明確に全国民が反対すべきです。

 一方で「夫婦は夫の名字が九割以上」の現状はもうちょっとどうにかなってもいいんじゃない

 訴訟、待ってます

anond:20171113092942

普通にマジレスすると、今まで同姓にするのを押し付けられてきたわけで、選択肢がなかったので、選択肢ができればみんな幸せにになるでしょ?ということなんだけど、どの辺がわからない?

そういう理屈なら、「姓を名乗らない」「無姓にする」という選択肢も当然同時に認めてくださいね

選択夫婦別姓を導入する時点で、親子や家族のまとまりを示すものでもなくなるわけだし、「姓なんて必要ない」と思う人も当然出てくるでしょうね。

同姓同名容認されているから、姓と名を合わせれば個人識別できるということもないですし。

難読苗字や変わった苗字などでイヤな思いをしてきて「結婚しないと姓を変えられないのは不便だ」と思っている人もたくさんいるでしょうから、姓は自由に変えられるようにしましょう。そういう選択肢を作りましょう。

選択肢ができればみんな幸せになるでしょ?

2017-11-09

anond:20171109182501

苗字名前という不完全な識別コード体系が、犯罪者同姓同名の人やその家族人権侵害することが多いので、

苗字名前もそろそろ廃止したほうが良い時代だろう。

全ての人間個人番号呼称されるべきだ。

そして日常的には、個人番号の下3桁を使えば良いだろう。

白石容疑者⇒208号容疑者

こうなれば、座間在住の白石姓の人は誰もびくびくすることな暮らして行ける。

2017-11-08

変色コンポタで嘘松認定してた人達が怖い

推理で嘘松認定して住所と名前まで晒していた連中が「推理しただけで嘘とは言っていない、このツイート自体は嘘かもしれない、道に撒いたのは悪い、親の金で買った物を捨てるのはよくない、店にクレーム入れればいい」と開き直ってる。あるいは鍵垢にしてだんまり

他人攻撃したい謝罪させたいけど自分は謝りたくない病って相当やばい

悪いことをしたらごめんなさいって子供の内に習わなかったのか?

東名追突死亡事故の時に犯人同姓同名の別人を犯人扱いしてたモノローグとそれに便乗していた人達ちょっと古いのだとマツダCM炎上最初安全性を指摘した投稿者を叩いてたマツダ信者人達

インターネット正義マン怖すぎ。顔を隠した自称ヒーロー達が悪(推定)を集団で丸裸にして叩き間違っていたら「悪者っぽいか正義執行したまで。何が悪い!」と開き直る。あるいは攻撃した事を隠して逃げる。

5ちゃんねる場合は「俺達は最初から真実だと知っていた。叩いていたのはツイッターアニメアイコンor他の板だから俺達は悪くない」で余計に質が悪い。他人を見下したい、でも責任は負いたくないので匿名で叩く、間違っていたら俺は叩いてない。人生の嫌なことを全て他人のせいにしてきた連中らしいと言えばそれまでだが。

最悪なのは両サイドにたって中立気取ってる風で炎上を煽ってるまとめブログだけどな

2017-10-09

2017-10-03

一時期インターネット掲示板で叩かれていたことがある。現在進行形ではあるけど、一時期よりは減った。

その趣味自分私生活の中心になっている趣味なのだけれど、初めて知り合った人には趣味はなんですか?と聞かれることもあるけど答えられない。その趣味を言ってしまいもし検索されたりしてしまうとGoogleでは検索結果の1ページ目に私の批判とも言えない容姿などを揶揄した悪口などが書かれた掲示板のページが出てくる。

残念ながら本名活動していたのでそれを見たらすぐ私のことだと分かるだろうし、たとえそれが根拠なき罵詈雑言だとしてもそれを見た人は私に対して良い印象を持つ人は少ないだろう。そして私の悪口を知り合いが見ることになるのが辛い。

よくあるありふれた名前(有名人同姓同名)なので本名検索してもなかなかそのページには辿り着き辛いのは不幸中の幸いだった。ありふれた名前をつけてくれた両親には感謝したい。

叩かれる以前は知り合った人に軽く布教のようなことはしていたけど、もうできなくなった。趣味の人以外ともその趣味の話をしたいということがあってももうしなくなった。

2017-09-15

自分名前画像検索するとさ

なぜか同姓同名の女が出てきて、しかそいつがが昔好きだった女と瓜二つなんだけど。

つらぽよ

2017-08-27

2017-08-25

ESPNロバートリー将軍同姓同名アナを中継から外すってニュース

日本も見習ってアベやシンゾーって名前人間はどんどんTVからバンさせるべき

2017-07-26

SCP-xxx-JP 増殖する絵馬(未完成)

アイテム番号: SCP-xxx-JP 増殖する絵馬

オブジェクトクラス: Euclid

特別収容プロトコル: SCP-xxx-JP日本国内神社に設置します。設置された神社は良縁・復縁のための観光地として国内外向けに好意的に紹介され、参拝者数が年間10万人を下回らないようにします。

観光地としての価値を高めるため、専門の企画部を設置してください。自動化された監視装置により常にSCP-xxx-JP現在の枚数を集計します。枚数は最大でも50枚を超えることがないようにしてください。掲示台の撤去破壊・移動、もしくはSCP-xxx-JPの掲示が5枚以下の状態でのSCP-xxx-JPへの干渉行為は推奨されません。

説明: SCP-xxx-JPは、██神社に設置された掲示台に出現する、幅15cm、厚さ8mm程度のハート形をした複数の木製の絵馬です。後述のように移動・撤去不可能な点以外には、掲示台には異常性は認められません。

周囲の無関係絵馬をSCP-xxx-JPに置き換えつつ、掲示台の掲示上限数である最大数百点まで増殖することが確認されています。一部のSCP-xxx-JPには漢数字刻印されています。これは、これまでに出現したSCP-xxx-JPシリアルナンバーであると考えられます

個々の絵馬は、ほぼ全ての内容が特定女性個人█████氏が特定男性個人████氏を糾弾し、復縁及び男性離婚を求めるものです。一部の絵馬の末尾には手書き文字絵馬の出現日以前の年月日が記されています記載の日時について、法則性不明です。

絵馬記載された人物について調査が行われましたが、全国の同姓同名人物に対する調査、及びヒアリング記載された人物の解明に有意結論をもたらしませんでした。

個々のSCP-xxx-JP自己修復能力を持ちません。焼却、裁断化学薬品等、通常の木材と同様に加工・破壊可能です。

掲示台から外されたSCP-xxx-JPは、2〜3日程度で崩壊し、おがくず状になります。この物質に異常性は認められません。

とりあえずここまで

この記事フィクションです。

2017-06-30

同姓同名いる?

俺はググっても俺自身しか出てこない

キラキラ世代はみんなそうなのかな

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