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はてなキーワード: 文化的とは

2024-06-14

https://anond.hatelabo.jp/20240614204953勝手タグ付けソースだよ

1996年 (第1巻) 5月 特集:脳の科学こころ問題医療人間
1996年 (第1巻)11月 特集高齢者介護医療人間
1996年 (第1巻) 4月 (創刊号) 特集戦略研究と高度研究体制学術教育
1996年 (第1巻) 6月 特集:第3回アジア学術会議学術教育
1996年 (第1巻) 8月 特集日本国際賞受賞記念講演会から学術教育
1996年 (第1巻) 9月 特集:若手研究学術教育
1996年 (第1巻)12月 特集:第124回日本学術会議総会学術教育
1996年 (第1巻) 7月 特集地球環境問題を考える環境
1996年 (第1巻) 特集:転換期にある工業産業工学
1996年 (第1巻)10月 特集女性科学研究ジェンダー
1997年 (第2巻) 2月 特集パラダイムの転換学術教育
1997年 (第2巻) 3月 特集大学改革任期制学術教育
1997年 (第2巻) 6月 特集伝統と新しい地平 ―第4回アジア学術会議学術教育
1997年 (第2巻) 7月 特集:第125回日本学術会議総会学術教育
1997年 (第2巻) 8月 特集:第16期から17期へ学術教育
1997年 (第2巻) 9月 特集:第17期の発足 ―第126回日本学術会議総会学術教育
1997年 (第2巻)10月 特集:高度研究体制確立を目指して学術教育
1997年 (第2巻)11月 特集地域における学術活性化を目指して学術教育
1997年 (第2巻)12月 特集:第127回日本学術会議総会学術教育
1997年 (第2巻) 特集:2国間学術交流レイシア派遣団報告学術教育
1997年 (第2巻) 4月 特集地球食料問題を考える環境
1997年 (第2巻) 1月 特集平和共生歴史政治・国際
1997年 (第2巻) 5月 特集グローバリゼーション産業空洞化歴史政治・国際
1998年 (第3巻) 3月 特集クローン羊"ドリー":遺伝子科学のはかり知れないインパクト    化学生物
1998年 (第3巻) 特集クローン羊"ドリー":バイオテクノロジー最先端で今、何が、どうなっているか    化学生物
1998年 (第3巻) 2月 特集二国間学術交流 スイス及びスウェーデン派遣団報告学術教育
1998年 (第3巻) 6月 特集21世紀科学への視点 ―第128回日本学術会議総会学術教育
1998年 (第3巻) 7月 特集アジアにおける学術の直面する課題 ―第5回アジア学術会議学術教育
1998年 (第3巻)12月 特集:新たなる研究理念を求めて ―第129回日本学術会議総会学術教育
1998年 (第3巻) 1月 特集地球未来 ~人間の存続環境
1998年 (第3巻) 5月 特集地球惑星宇宙科学の現状環境
1998年 (第3巻)11月 特集食品研究の新領域をさぐる ―食とからだの科学を中心に環境
1998年 (第3巻) 4月 特集ジェンダー   ―社会的文化的性別」と現代ジェンダー
1998年 (第3巻) 8月 特集日本経済課題展望日本ビックバンに向けて社会
1998年 (第3巻) 9月 特集行政改革課題展望社会
1998年 (第3巻)10月 特集ライフスタイルの転換と新しい倫理 ―21世紀社会に向けて社会
1999年 (第4巻) 4月 特集生殖医療とその社会的受容医療人間
1999年 (第4巻) 1月 特集21世紀に向けた学術の新たな改革学術教育
1999年 (第4巻) 3月 特集国民の期待に応えて ―科学最前線から学術教育
1999年 (第4巻) 6月 特集:IGBPの研究成果の統合に向けて ―第130回日本学術会議総会学術教育
1999年 (第4巻)10月 特集日本学術会議創立50周年学術教育
1999年 (第4巻)12月 特集:わが国の大学等における研究環境改善について(勧告) -第131回日本学術会議総会学術教育
1999年 (第4巻) 2月 特集ごみを考える環境
1999年 (第4巻) 8月 特集海洋環境
1999年 (第4巻)11月 特集科学技術社会社会
1999年 (第4巻) 特集少子化問題社会
1999年 (第4巻) 5月 特集学会インターネット情報
1999年 (第4巻) 9月 特集学術からみた「美しさ」について人文
1999年 (第4巻) 7月 特集人口環境 ―持続的発展に不可欠なアジア役割 ― 第6回アジア学術会議歴史政治・国際
1999年 (第4巻) 特集科学技術の発展と新たな平和問題歴史政治・国際
2000年 (第5巻) 1月 特集学術研究の国際ネットワーク学術教育
2000年 (第5巻) 3月 特集:第7回アジア学術会議学術教育
2000年 (第5巻) 4月 特集世界科学会議21世紀のための科学学術教育
2000年 (第5巻) 7月 特集:第17期を締めくくる成果 ―第132回日本学術会議総会学術教育
2000年 (第5巻) 8月 特集:第17から第18期へ学術教育
2000年 (第5巻) 9月 特集:第18期始まる学術教育
2000年 (第5巻)10月 特集俯瞰研究プロジェクトへのアプローチ学術教育
2000年 (第5巻)11月 特集研究業績評価 ―実態問題学術教育
2000年 (第5巻)12月 特集:第18期活動計画の全容学術教育
2000年 (第5巻) 特集各部抱負学術教育
2000年 (第5巻) 特集:第8回アジア学術会議学術教育
2000年 (第5巻) 特集世界科学アカデミー会議学術教育
2000年 (第5巻) 2月 特集安全災害
2000年 (第5巻) 6月 特集男女共同参画社会における日本学術ジェンダー
2000年 (第5巻) 5月 特集司法改革課題展望社会
2001年 (第6巻) 2月 特集21世紀とヒトゲノム医療人間
2001年 (第6巻) 4月 特集21世紀と新エネルギーエネルギー
2001年 (第6巻) 1月 特集21世紀科学役割を問う学術教育
2001年 (第6巻) 3月 特集21世紀科学アカデミーデザインする学術教育
2001年 (第6巻) 5月 特集学術活動のための次世代育成学術教育
2001年 (第6巻) 6月 特集:「科学技術」の概念を人文・社会科学へと拡張学術教育
2001年 (第6巻) 7月 特集大衆化された大学での教育はいかにあるべきか学術教育
2001年 (第6巻)11月 特集日本学術会議改革に向けて学術教育
2001年 (第6巻) 特集:常置委員会の目指すもの学術教育
2001年 (第6巻) 特集日本社会の変容と教育の将来学術教育
2001年 (第6巻) 特集:第1回アジア学術会議学術教育
2001年 (第6巻) 特集特別委員会活動経過学術教育
2001年 (第6巻) 8月 特集遺伝子組換え食品をめぐる最近の動向環境
2001年 (第6巻)10月 特集:食から見た21世紀課題環境
2001年 (第6巻) 9月 特集10代は変わったか!こども
2001年 (第6巻)12月 特集データベースの新たな保護権利制度導入反対への初の声明情報
2001年 (第6巻) 特集21世紀IT社会情報
2002年 (第7巻) 5月 特集医療最先端医療人間
2002年 (第7巻) 8月 特集ナノテクノロジー化学生物
2002年 (第7巻) 9月 特集動物実験化学生物
2002年 (第7巻) 1月 特集新世紀の日本学術会議学術教育
2002年 (第7巻) 3月 特集科学技術新世学術教育
2002年 (第7巻) 6月 特集:新しい日本学術会議に向けて!学術教育
2002年 (第7巻) 7月 特集ノーベル賞100周年記念国際フォーラム創造性とは何か」学術教育
2002年 (第7巻)11月 特集:変革をめざす国立大学 ―学長たちは考える学術教育
2002年 (第7巻)12月 特集日本学術会議の今後の方向に向けて!学術教育
2002年 (第7巻) 特集:「大学の自立」と「学術経営」のあり方を探る学術教育
2002年 (第7巻) 特集:第2回アジア学術会議(SCA)学術教育
2002年 (第7巻) 特集学術科学研究の成果と社会学術教育
2002年 (第7巻) 4月 特集学術の再点検  ―ジェンダー視点から(1)ジェンダー
2002年 (第7巻) 2月 特集創造性と日本社会社会
2002年 (第7巻)10月 特集:「身体障害者との共生社会」の構築に向けて社会
2002年 (第7巻) 特集日本計画社会
2002年 (第7巻) 特集グローバル化時代対応する高等教育課題歴史政治・国際
2003年 (第8巻) 2月 特集研究教育現場から見た国立大学改革学術教育
2003年 (第8巻) 3月 特集科学社会 ―いま科学者とジャーナリストが問われている―学術教育
2003年 (第8巻) 7月 特集私立大学さらなる発展学術教育
2003年 (第8巻) 8月 特集:第18期から第19期へ学術教育
2003年 (第8巻) 9月 特集:第19期始まる学術教育
2003年 (第8巻)10月 特集:新しい学術の体系学術教育
2003年 (第8巻)12月 特集:第19期活動計画学術教育
2003年 (第8巻) 特集活動計画各部抱負学術教育
2003年 (第8巻) 特集:第3回アジア学術会議(SCA)学術教育

そもそもコカ・コーラ思想は「コロンブス」で正解だと思うんだが?

そうじゃなかったら、五輪スポンサー企業になんてならないでしょ?

自分さえ良ければオッケー、俺が楽しいことが文化的ものである、そんなサイコパスの祭典で先陣きってスポンサード出来る奴らの頭の中身を描いたPVとしては最高の出来では?

俺は凄い納得感あったけどな。

つうかコカ・コーラとか好きな人ってああい価値観が好きなんじゃないの?

DLサイトクレカ会社相手喧嘩売って「西欧価値観エロ差別するんじゃねえよ!屁理屈合法化児童睡眠薬獣姦規制するとか俺のチンポが黙ってねえぜ?」とイキってたようなノリを好む人達だと思うんだけどな。

だってそういう人じゃなかったら、コロナ禍での五輪なんて応援できないでしょ?

anond:20240613203515

かなり本気で植民地主義批判している動画に見えるのに、無知または肯定と取られてしまっているのが気になる。

登場人物植民地主義的だと批判された人たち(ベートーベン2021年モーツァルトと共に植民地主義的だと批判されて話題になった)。

コロンブスが攻め込んで、ナポレオン軍事的に、ベートーベン文化的に現地人を啓蒙するストーリー

・そのほか植民地主義象徴するものが、短い動画なかにこれでもかと詰め込まれている。

日本では植民地主義過去のものと考えられがちだが、イスラエル軍事攻撃の根幹にはヨーロッパ植民地主義があるといわれている。

・明るく楽しい販促動画に見せかけて、だまし討ちのようにアメリカ大企業の懐の内でアメリカ批判した。

以上の点から、この動画は、批判方法としてありかなしかを問われるならまだしも、無知ゆえの失敗と笑われるようなものではないと思う。

メンバー征服者を演じているからといって、征服者肯定しているとは限らない。

Mrs. GREEN APPLEMV: 公式謝罪声明アンコンシャス・バイアス

標記の件、公式謝罪声明を読んだ

https://mrsgreenapple.com/news/detail/20374

もともと X (旧Twitter) で「(大森さんの対応や)(公式の)謝罪を読めば差別してないことはわかる」という論調投稿複数見かけて気になったのがきっかけで読んだのだが、これ全然ダメでは?

「決して差別的な内容にしたい、悲惨歴史肯定するものにしたいという意図はありませんでした」

これはわかる。表現目的差別差別肯定ではなかったというのはたぶんそうなのだろう。

だが人の心には "アンコンシャス・バイアス" というもの存在する。

表層的な心理では差別していなかったとしても、無自覚差別をしていて、それが表出したのが問題MVなんだとと思う。

象徴的なのが、このMV問題として指摘の多い "教導"。

偉人に扮したメンバー類人猿楽器を教えるシーンは、『コロンブス』というタイトルからも「コロンブスアメリカ大陸に来た西洋人が、現地の未開人= native american を文化的に教え導いている」と解釈されても仕方ないと思う。

前述の公式声明では、この "楽器を教えるシーン" に関する説明が見当たらない。

年代別の歴史上の人物

類人猿

ホームパーティー

・楽しげなMV

表現したいだけなら、楽器を教えるシーンは不要だろう。

この期に及んでも、この楽器を教えるシーンに代表される無意識差別に気付いていないのだとしたら、大森氏含め Mrs. GREEN APPLE サイドのアンコンシャス・バイアスは相当根深いのではないだろうか。

X (旧Twitter) では,コカ・コーラ社が本件を承けて同曲を用いた全ての広告の放映を停止し「コカ・コーラはいかなる差別容認しておりません」と述べたことに対して、「本人たちが差別ではないと言っているのに、コカ・コーラ社が『いかなる差別容認しない』と言うと、差別があったようになってしまう」という論調コカ・コーラ社を非難する論調投稿複数見られたが、上述のアンコンシャス・バイアス考慮すると、"(無意識の) 差別はあった" とするのが妥当だと思うし、その前提でコカ・コーラ社が「差別容認しない」とするのは、個人的にはごく真っ当なことだと思う。

#それはそれとして、同社が「ミュージックビデオの内容に関しましては、事前に把握をしておりません」というのは、リスク管理が酷いなとは思うが。

意外だったのは、今回の件をアンコンシャス・バイアスと結びつけて評するポストが(この増田を書いている時点では)見当たらなかったこと。

これを書いたのもそれが動機の一つではある。

2024-06-13

  自分東大法学部卒で団藤重光先生弟子だった、あなたと5歳しか違わないのにまーなんでそんなこというんでしょうなどという具体的な会話が平成30年、31年頃に携帯電話

   介して存在したがここ2年ほどは着信後に電話が切れるという感じ、最後に残した言葉は、「有名なやつ・・・」というだけ。爾来、法律の内容、技術を教えたことは1回もなく、極めて醜悪

  性格から、大体、簡潔な事項と過激な事項の合体した定理やなんかだと完全と言われていてそれでほとんどうまく行くということは知られるのがまずいので決して教えない。

   メゾンときわ台引っ越した2年前は左程と言うこともなく、新居、新居住権が与えられたという感じで意気揚々だったが、新しい住まいができるという期待権は、11月頃に、3階のままや

  周辺者が合鍵を持っていて室内のジュースを飲んで玄関に捨てているのが発覚した時点で失われ、R4.11.29に待ち合わせたように延岡強制保護

   睡眠中にみんなが見ている夢はおそらく巨大な装置が設置されていて警察無線で送っているから見るのであると思うが、インターネット利用者は、それが理解できているから、その無線遮断すると

  思っていたらそれもしていなかった。そんなこんなというリアルなのか詐欺なのか分からない10年間が経過して今があるわけである。幸いにしてR5.6.9から金光(ちーぎゅちーぎゅ)が盛り込んでいた

  アパート契約更新なしは佐藤の夢誘導でなくなったりして自然的な結果として契約更新となったが実質的居住への期待権とか文化的生活は失われた。もともとは、健康管理小島良二、

  須佐の考えでは、病名を変える、ゆくゆくは自閉症スペクトラム裁判・・・、または措置入院、が予想されていたため、昔から最悪だったとも言えるが、最近関係する警察官が全く出現しなくなった

  すなわち、精神錯乱による保護措置入院、 飯沼病院とも何の音信もなくなったこからその辺の話が消えた代わりに、寝ている間の催眠放火の量が甚大である他、警察保護が次第に

  薄らいでいることから最近は、警察以外の者による攻撃が増加しており、R5.8月頃は、本官自転車を蹴り倒し、本官が、本官自転車を蹴った、などといって怒り狂っていたが、最近警察

  以外の老人が対応しており、対応する者が変わっているだけであるともいえる。

歴史修正主義者が多すぎないかコロンブス先住民奴隷として搾取する行為文化的啓蒙であるかのように誇っていたのは事実だろ?

コカ・コーラがそれを通してどんな主張をしたかったのかは分からないけどさ、歴史を変えることは一切不可能だってことは気づいてる?

白人共がズカズカとアメリカ大陸侵略し、病気を持ち込んでインカ帝国を滅ぼしたり、大量の黒人奴隷にしたり、インディアン土地を奪ったり、自分たち文化侵略聖戦の如く美化したり、黒人奴隷を持つ権利を主張したり、そういった歴史は1ミリも変わらないだろ?

もう一度言うけど、起こってしまった歴史は変えられないんだから、それを描写することに何の問題もないと思うけど?

同時に、「これは歴史の正確な再現です」と語っているわけでもないなら、侵略されたインディアンも最高に幸せそうだったぜヒャッホー!!!みたいな描写をしたってそれは別に否定されるようなことじゃないんじゃなの?

そもそもインディアン類人猿の如く描いている時点でこれはアメリカの話ではないのでは?

たとえばセンチネル島のような何処かにまだ類人猿が住んでいる島があったとして、そこに人類史偉人が降り立ちコカ・コーラを広めたのだ!みたいな空想物語なのでは?

そういった空想でさえ駄目ならあらゆる文化を広める行為侵略であり悪となるのでは?

何度でも言うが、起こった事実は変えられないし、あの映像が「これが歴史真実である」と語ってなんていない。

既に起きてしまった歴史材料として、コカ・コーラの素晴らしい文化人類社会侵略してやろうというコーラみたいに真っ黒い情熱を描き出したPVであって、それを利用して何らかの政治的主張をしようって意図は一切ないでしょ?

コーラを飲んだことがまだないだって!?それは君、類人猿と変わらないよ?何世紀も止まっていた時間の針を盛大に動かそうじゃないかMr.ミラクルワールド ブッシュマン!!!

程度の意味しかないだろマジでこのPVなんて。

コレに対して本気で切れるって言うならそれは白砂糖排斥原理主義かなんだよもう

Mrs. GREEN APPLEの『コロンブス』PVを読み解く(完全版)

まず、無人島にある一軒家が映る。

そこに、自分の事をコロンブスベートーヴェンナポレオンだと勘違いした人間上陸する。

自分の事をコロンブスだと思い込んでいる人間が家主の許可も得ずに押し入り、中にいる猿人類に嘲笑する。


猿人類らは豊かな家の中で、文化的暮らしをしているが、そこに入りこんだ3人は、彼らの文化否定し、蹂躙する。

ある者には彼らが詠うもの否定し、ピアノを押しつける。

ある者には自らの動物の扱いが正しいとばかりに、家畜に鞭を打つやり方を教える。

ある者にはプロパガンダ映画を見せ、洗脳をする。

そして、それらに従わないものには、馬車馬と同じ扱いの労働という名の罰を与える。近くにいる猿人達は彼らに逆らえないため、馬車馬と同じ扱いをされる仲間を助けよう集まるが、恐ろしくて手が出せない。

彼らが何をしたかの暗示である

そして、それらをつなぐシーンの合間には、彼らに従う猿人類と共に、食料を食い尽くし、暴れる姿が挿入される。


己をコロンブスと考えている男が手紙を書くシーンでは、

How can I fix the light ?

などと、彼らが今までしてきた暮らしを壊れたもの一方的に報告する手紙本国に送るシーンが挿入される。

また、コロンブスが行った著明な詐欺欺瞞のシーンも再現される。そのシーンは猿人達が既に支配者となった男達に接待をする様子が描かれている。猿人類が「忖度」を生み出した瞬間だ。

コロンブスだと思い込んでいる男は、猿人類が忖度していると言うことに気付いていないように見える。


しかし、画面が切り替わり、ラストシーンでは猿人達が死んでいる風景が映し出される。これはコロンブス西欧から病気や略奪と共に虐殺という死と病気という死をもたらしたことメタファーだ。

それを見る3人は、満足するかのようにその後継をみると、次なる獲物を求めて家を出て行く。


かつて猿人達の神をまつっていたと思われる崩壊した祭壇後を踏みしめながら。


全体にこれは、コカコーラ代表されるアメリカで行われた悲劇蹂躙歴史皮肉った高度な風刺である

登場する3人にとっては良い思い出として処理されるのだろうと言う所も含めて、高度に完成されている。謝罪文すらその装置だろう。

セス会社謝罪ごまかしてなくて少し好感度あがった

6月12日Mrs. GREEN APPLE新曲コロンブス」のミュージックビデオを公開いたしました。

>本映像Mrs. GREEN APPLE所属レーベルであるEMI Records所属事務所Project-MGA で制作いたしましたが、

歴史文化的な背景への理解に欠ける表現が含まれていたため、公開を停止することといたしました。

>当社における公開前の確認が不十分であり、皆様にご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます

誤解のある表現とか言ってたら、多分あと数年こすられてた

anond:20240612182622

でも今の日本倫理的経済的文化的政治的失墜と腐敗は全部氷河期世代社会に出た時から始まってるからな。

失われた30年と氷河期世代社会に出始めて30年なのは、偶然じゃなくて必然だよ。もっと日本失墜の主犯として犯罪者の顔をして欲しい。

カルト売国ネトウヨの中核年齢層でもあるし、中国韓国に国を売って日本が衰退するのをを喜ぶような連中だからむしろそこは、自分の成果を誇れと言ってやった方がいいのかな。

何にせよ本当に早々に日本からいなくなって欲しいよ、氷河期世代は。存在していることが不快だし不条理

新卒で電力に就職したんだけど、28歳の今すでにもう人生クリアした感じがしている

今年28歳、大したことない地方国立工学部学卒。新卒奇跡的に某電力に内定を貰い、喜び勇んで入社した。配属は原子力部門原発で働いている。

俺のところの原発はまだ再稼働していないのでもっぱらデスクワーク資料を作ったり直したりがメインの仕事

残業は長めだが、後述するように給料は高いし、人間関係にも恵まれている。給料が高いので皆ある程度心にゆとりがあるのが大きいだろう。

で、毎日何をやっているかというと、今のところはお国向けの許認可対応用社内資料を作っている。

勤務時間のだいたい半分くらいは誤字脱字・てにをはレイアウト修正。あとの時間会議とか雑務

出張ほとんどないが、研修で外に出ることはある。出張すると飯代の名目で小遣いがもらえるので嬉しい。

お国に提出するものだと考えると体裁重要になるので、目を皿のようにしてチェックしているが、難易度は正直高くない。

それで年収残業代込み600万超。28歳の時点でこれだぜ?仕事の負荷、労働強度で考えるとかなりの高収入じゃなかろうか。

勤務地は一言でいうと僻地独身寮があるのでそこに住んでいる。

から職場までは(当然といえば当然だが)バス通勤ルートが完備され、皆それが前提なのでアフターファイブ的なことも気にしなくて良い。

飲酒運転の厳しいこの時代に、車を使わないと飲み屋ですら行くのが難しい。笑

唯一ギリ徒歩圏内スーパーコンビニが一軒ずつあるが、それだけ。

けど俺にはアマプラがある。これのおかげで文化的生活を送れていると言っても過言ではない。サンキューベゾス

食事は朝晩は寮が食堂を開いてくれており、自炊する必要もなくかつ安い。

昼は原発食堂コンビニよりは栄養バランスも考えられて、コスパもいいし、毎日数種類から選べ、その選択肢自体も適宜アップデートされる。

毎食のメニューを考えなくてもバリエーションのある食事を摂れるというのは、自炊経験がある奴ならその有難さが理解できるだろう。

30が見えている今婚活という単語意識する世代だが、社内には出会いが無い。

だが車も生活の前提なので中古新車も入手性がよく、行動半径が広い。車を飛ばし県庁所在地に行けば女も捕まる。

家賃が安いので、可処分所得は同世代の似たキャリア東京住みよりもなんなら高く、駐車場は大抵無料なので車の維持も容易だ。

行った先では酒を飲む関係で一泊することになるが、カプセルホテルネカフェみたいな施設ちゃんとあるので、安く済ませたければそこで寝ればいい。

そうやって結婚していった人はよく見るし、地元では最強クラス名刺なので婚活を始めれば容易なのもわかっている。結婚相手で苦労する人はほとんど聞いたことが無い。

電力はガチゴチの年功序列から飛び級みたいな出世は期待できないが、その分何歳になったら給料なんぼかというのは全部分かり人生計画が立てやすい。

遅くとも42歳までには管理職に上がり、年収1000万。ペイペイ管理職以上に上がれるやつは相当少ないが、最低ラインでそれだというのがデカい。

今の生活が至上至福かと言われると、まぁ多少の不満がないといえば嘘になるが、とはいえ富みすぎず乏しすぎず、中の上をキープできており非常に安定している。

まさに「トンカツをいつでも食えるくらい」の人間になったという実感がある。幸せと言ってもいいだろう。

安定しすぎて引退老人みたいな精神性になってしまうのが逆に怖いかな。そこはネットも駆使してインプットアウトプットを怠らないことでカバーしたい。

土日祝休み有休も十分なので、それを活かして資格にも挑戦しようと思ってるし、彼女も欲しい。やることは尽きない。

もちろん積み立てNISAもやってるし、大病して退職なんてことにならない限り老後2000万円問題自分には関係無さそう。

最近の株高で「純富裕層」くらいは狙えそうな気もしてる。

anond:20240612004800

2024-06-12

少女小説、もしくは「女性向けラノベ」とラノベ関係

言いたいこと:少女小説ラノベに含めても無視してもボコボコに叩かれる」という難しい状況がある。

女性けが省かれるラノベ150選

いま、ライトノベルオールタイムベストを選出する作業が進められている。

ラノベ社会に認められるためには、売り上げだけが唯一の評価である現状では差し障りがある。文化としての成熟には体系化と批評存在必須であり、その一歩としてたいへん意義のある活動と言えるだろう。

その暫定的な成果であるラノベ150選が先日公開された。

あくまで叩き台であり、作品数的にもより拡張した形を目指していくようだが、現時点でも各年代に目の行き届いた、ラノベ歴史の流れを俯瞰できる内容となっている。

ただ、この手の企画はどのような基準で選んだとしても、あれがないこれがないという不満はどこかから出てしまものだ。ラノベ150選も例外ではない。

その中で今回特に目についたのが、「女性向け作品がない」という声だ。

これに対する企画者の返答は、女性向け作品については単独ガイドブック等が先行して存在しているから、というものだった。

合理的判断だと思うのだが、これでも納得していない人は多い。少女向けをないがにしろにするのか?と憤慨し、容赦なくボッコボコである

増田は、ライトノベル少女小説(もしくは「女性向けライトノベル」)の歴史のものについてはともかく、ライトノベル少女小説との関係性についてはちょっとした知識がある。

今のままでは企画者氏があまり不憫なので、これについて簡単解説しておこうと思う。

「ソノラマ・コバルト系」から始まったライトノベル

用語としての「ライトノベル」が誕生したのは、1990年

ニフティサーブSFファンタジーフォーラム内で増えてきたある種の若者向け小説話題を別会議室独立させるにあたって、管理人神北恵太氏が命名したものである……

といった事実は、ラノベ史ではすでに常識と言っていい情報だ。

もちろん名前はそうでも、ジャンルとしてのラノベ自体が90年に突然生まれたわけではない。起源をいつとするかは諸説あるものの、ラノベ作品はそれ以前から存在していた(存在命名の順であってその逆ではない)

そのようなラノベ小説群は「ライトノベル」が定着する以前には、個人コミュニティごとにさまざまな呼ばれ方をしていた。そのうちの一つに、ジャンル代表的レーベルから取った「ソノラマ・コバルト系」というものもあった。

言うまでもなく、コバルト文庫少女小説代名詞というべきレーベルである。つまり命名の時点では「ライトノベル」は少女小説(の少なくとも一部)を当然に含むような形で規定されていたということだ。

(ここでの「少女小説」とは当時のコバルト文庫ティーンズハート文庫などのことであり、たとえば吉屋信子や創刊直後のコバルトシリーズなどは当然ながら想定していない)

以後、他メディア化の機会などの関係男性向け作品の方が存在感はあったものの、ライトノベル(的なもの)は女性向けを含めたひと塊のカテゴリとして扱われていく。

2000年代に入り、語としての「ライトノベル」が一般に定着して以降も、この認識はそれほど変わっていなかったはずだ。

少女小説ライトノベルではない

この状況に大きな変化をもたらす出来事が、2010年代前半に起こった。

まずは2013年とある文学研究者ツイッターでこのような発言をしている。

少女小説ラノベそれぞれのジャンルについての価値判断を含んでいるとまでは言わないが、これが少女小説の側に立った発言であることはまず間違いないだろう。

少女小説ライトノベルではない。

それまでの一般的なラノベ定義史観を覆す、非常に大胆な主張である

ただ、一部のラノベ読者が過敏に反応はしたものの、この時点ではアカデミシャンとはいえあくまでいち個人の主張に過ぎなかった。

それが正式な形で世に出たのは、2014年のことになる。著書としての刊行である

この本で研究者氏は丹念に事実を積み重ねた論証により、まさに「少女小説歴史的にライトノベルではない」ことを証明してしまったのだ。

詳細は省くが、

少女小説戦前から少女文化独自伝統を直接的に受け継ぐ文学ジャンルライトノベル戦後マンガ文化等の影響から新たに生まれた新興の娯楽であり、その出自からして全く異なる別物である

ということだ。

この、市井オタクではとうてい太刀打ちできない完璧な形の少女小説ラノベ論の出現により、少女小説ラノベ派の多くは白旗を上げて沈黙することとなる。逆に、少女小説ラノベの枠内で扱われることに不満を感じていた少女小説業界関係者・読者は、我が意を得たりと快哉を叫んだ。

日本文学研究者による恐らく初めての本格的なラノベ論ということもあり、この本はもともとラノベ少女小説に興味のあった人間にとどまらず、幅広い層の人々に読まれていった。今やラノベ関連の研究ではほぼ必ず参照される一冊となっており、アマチュアでもラノベ定義歴史を語るなら必読と言っていいだろう。

これによりパラダイムが決定的に転換し、少女小説ラノベに含めるような人間は、もはやそれだけで時代遅れな「分かってないやつ」の烙印を押されるまでになったのだ。

フェミニズム的な意識の高まりにより、女性文化少女小説)の功績を男性側(ラノベ)が都合よく収奪してきた、という構図に気まずさを強く覚えるようになったのも、この傾向を後押しした)

この空気の変化は以前/以後と呼んでいいほどに劇的なものであり、刊行から10年経った2024年現在にいたっても、更新される気配は特にない。

少女小説ラノベでなくても

お分かりだろうか。

まり少女小説は「ライトノベル」ではない、というのは、もともと少女小説サイドが言い出した主張なのだ

現在では、ラノベ定義歴史との関連で(特に男性の論者が)少女小説に触れる際には細心の注意が要求されるし、実質的にはほぼタブーに近い。

企画者氏がラノベ150選から女性向けを除外したのも、世間のその暗黙の風潮におとなしく従ったという側面がやはりあるのではないだろうか。

加えて企画者氏の場合は、かつて不用意にレジェンド少女小説作家を「ライトノベル作家」と呼んで、少女小説から激しい批判に晒された当事者でもある。そのため今度は、なおさら慎重に配慮したつもりだったのだろう。本人としては。

結論として今回の件は、気遣いがすれ違ってしまった悲しい事例ということになる。

少女小説読者といっても一枚岩ではないし、自分はそんな配慮ぜんぜん嬉しくない。多数派がどれだけ否定していても自分少女小説ラノベに含めるべきだと言い続けるぞ。という人もいるだろう。その気持ちもよく分かる。

分かるが、少女小説ラノベに含めても無視しても必ずどちらかからボコボコに叩かれることになる、板挟みの苦しい立場のことも少し考えてみてはもらえないだろうか。

オールタイムベスト企画者氏は現在文化としてのラノベ保全のため「ライトノベル図書館」の設立計画を進めており、クールジャパン予算を獲得すべく自民党国会議員に働きかけている。ラノベオールタイムベストはその陳情材料にもなる予定らしい。

こうした活動文化的な意義を踏まえた上で、できれば多少の意見の相違は呑み込み、振り上げた拳をどうかそっと下ろしてはくれまいか……

という、無関係第三者増田からのお願いでした。

レスゾーン

長え! 一番言いたいことを最初に置いとけよ。

追加しときました。

核心部分が何で匿名やねん

はてな規約関係っすね

ラノベルーツの1つは少女小説である」と「少女小説ラノベである」は意味全然違うと思うが(後者を主張してる人いる?)

ラノベオールタイムベスト”に、ある少女小説を推すとした場合、(少女小説全体やレーベル全体ではなく)少なくともその作品は「ラノベ」で(も)あることが自動的に前提となるのでは。

逆に言うと、ラノベではないがラノベオールタイムベストに入れろ、は通らない。

逆になんでそんなに熱心に漫画しろラノベしろ女性向けのもの排除したがるのがわからんモチベが怖い。

排除ではなく、少女小説の側がラノベに括られることを拒否した運動があった、という話です。

クール・ジャパンから公金を引っ張るために少女レーベル未分化期を無視するのは仕方ないキリッ されて、納得は出来ないですけど………

リストから少女向けを除外した理由(と思われるもの)と、批判トーンをなるべく抑えてほしい理由は、別々に書いたつもりです。

wikipediaより「1990年初めにパソコン通信ニフティサーブの「SFファンタジーフォーラム」において〜「ソノラマ・コバルト」などのレーベルから出版物に「ライトノベル」と名付けたことが始まりコバルト入ってるやん

はい

その話を本文に書いています

その、とある文学研究者って誰だよ。名前を出してくれないと分からないよ。2013年の事なら記憶にありそうなものだが思い当たる人がいない。

ツイートの件はともかく、著書の話を見ても心当たりがないなら、たぶんそもそも知らないんじゃないかな……

そんな知らん研究者お気持ちなんか知らんがな その研究者とやらが何言おうが150選選んだのはその企画者だろう

その「知らん研究者お気持ち」が定説化して力を持ってしまっているという現実があるのです。

 「女の扱いがわからいから透明にしておきました!」

たとえとして適切か分かりませんが。

ナンパ不快に感じるA子さんと、女をナンパしない男は無礼だと信じるB子さんがいるとします。二人のナンパに対する意識は、事前に外から判断できないものします。

この場合男性が取るべき行動は、ナンパをするではなく、ナンパをしないになるのではないでしょうか。

後者消極的不作為に過ぎませんが、ナンパ行為はA子さんにとって積極的な「加害」となるからです。

新卒で電力に就職したけど、28歳の今すでにもう人生上がった感じがしている

今年28歳、大したことない地方国立工学部学卒。新卒奇跡的に某電力に内定を貰い、人生大逆転だと喜び勇んで入社したらまさか原子力部門に配属(電気系だったのでもちろん原子力なんて希望してなかった)、原発で働くことになった。

俺のところの原発はまだ再稼働しておらず、配属してからはもっぱらお国向けの許認可対応用社内資料を作り続け、そのまま現在に至るという感じ。

再稼働の目処も立たないし仕事は単調で何の面白味もない。そのわりに残業はダラダラ長いというろくでもない環境だが、幸い人間関係に恵まれて今まで続いた。

毎日毎日、勤務時間の4,5割は誤字脱字てにおはレイアウト崩れ等々を目を皿にしてチェックするという、どこぞのコンサルが聞いたら卒倒するようなことをやっているが、28歳の時点で年収残業代込み600万超。仕事難易度から考えると正直許されないレベル高収入だと思う。

Chu!国民電気代吸っててごめんって感じ。

だが、勤務地が信じられないレベル僻地独身から職場まではバス通勤のためアフターファイブ的なことも全く無い。そもそも開いてるんだかなんだか分からん飲み屋以外、ちゃんとした店には車を使わないと行くこともできない。

唯一ギリ徒歩圏内スーパーコンビニが一軒ずつあるが、それだけ。

アマプラがないと最低限度の文化的生活すらできない秘境だ。

食事だって朝晩は寮の食堂、昼は原発食堂、以上。他に選択肢など無い。

当然出会い全然無い。地元出身の人は親の繋がりで結婚してる人も多いが、俺含め余所者女の子と遊びたかったら車で県庁所在地まで出るしかない。当然飲むので、女が捕まらなければカプセルホテルネカフェで寝て安く済ませることになる。

実際そうやって相手を見つけ結婚するやつもちょいちょいいる。

俺もコロナまではそうやって車を出して街まで遊びにいっていたが、コロナですっかりモチベーションが無くなってしまった。

コロナはすでに明けたが昔みたいに街に出て女の子と遊ぼうという気が全然起きない。面倒くさ過ぎる。

正直、自分にはもう結婚彼女もできない気がしてる。

このまま定年まで、動くんだか分からない原発相手生産性の無い仕事を続けて、無駄に高い給料を貰い続けるんだと思う。

電力はガチゴチの年功序列から、何歳になったら給料なんぼかというのは全部分かる。遅くとも42歳までには管理職に上がり、年収1000万。ペイペイ管理職以上に上がれるやつは相当少ないから、俺も1000万で頭打ちだろう。


今の生活に強い不満があるわけじゃない。まさに「トンカツをいつでも食えるくらい」の人間になったという実感がある。

でも、自分の将来がほぼ見えてしまった現状、30歳を待たずしてすでに引退老人のような気持ちになっている。

積み立てNISAもやってるけど、大病して退職なんてことにならない限り老後2000万円問題自分には関係無さそう。

まあ、中の上くらいではあるのかな。

追記

てにをは、でした。

仕事で誤字チェックばっかりやってるのに増田で誤字ってんじゃん。情けない。

2024-06-11

   Brilliaときわ台ソライエレジデンスは文化的建造物としてはまた、天を衝くようなものを考えて、そこに簡潔に個々人の居室を設置するという内容でそれ以上のものではないので、

   そこに持っていくための技術構成を考えてあるので、多分、完全で有名だと思いますが、めぞんときわ台は、文化的建造物としては、多分そこまでではないと思いますが、その辺の事は、

   建築学術の人しか知らないので、 集合マンション場合はまた、そんな感想をもったということで、淑徳大学や、東京武蔵野病院も、そんな感じになっているのではなかろうかと思う。

世界から見捨てられたスーダン

いまスーダン内戦現在進行形大量虐殺が起こっているがマジで誰も気にしてないのでせめて増田に書き捨てておく

SAFとRSFというスーダン内の2大軍組織対立して今内戦起きてんだけど

それが激化して民間人が多にダルフール州で滅茶苦茶虐殺されているが少数のメディア以外は誰も気にしていない

なぜか?

この紛争が大きな注目を集めていないのは世界の主要国のいずれにとっても

歴史的文化的地政学的に重要ではないからだ

以上

これは世界ハイチ現在進行中のその他の人道的危機に介入しない理由とまったく同じなのである

重要な国々にとって重要場所で起きていたら私たちは別の話をしていただろうがそうではないので話さな

人道的危機道徳的残虐性はさておき、この紛争に介入し、秩序を回復し、何年にもわたる国家建設に取り組むために(数百億から数千億)を投じることで地政学的に利益を得る国は一つもないのである

※逆に言うとガザ紛争ウクライナ戦争、台湾有事懸念は3要素のどれかを満たしている

2024-06-10

いか学生さん トンカツを…

業務スーパー冷凍トンカツ(一枚140円)をな…

いつでも自分で揚げて食えるくらいの生活は 国が保証しなくちゃならない

それが人間 健康的で文化的な最低限度の生活ってものなんだ

そのためには時間の余裕も 文化資本大事支援なんだよ……

2024-06-08

中国の歌

全然知らんなーとふと思った。

歌は歌でも漢詩だったら日本人勉強しているし、中国古典文学とか歴史かに詳しい人は多い。なんなら聴いて中国っぽいと思われる曲調は割と共有されているとも思う。でも中国の有名な歌ってのを全く思いつかない。

これがロシアならカチューシャとかカリンカとかポリュシュカポーレとかあるし、韓国ならアリランとかすぐに挙がるわけじゃん。なのに中国はー文化的に良く知られているにもかかわらずー有名な歌が無い。不思議だ。

という話を父にしたら、いや夜来香とかあるやんと言われたので単に自分無知なだけなんだろうか。色々調べたら草原情歌が良すぎて嵌りました。これはNHKみんなのうた」にもなったらしい。全然知らなかったのでやっぱり自分無知なだけなのか。

子供ディズニー以外の娯楽や夢を与えられないんすか?

まあ文化的IQが低いとテーマパークくらいしか思いつくものないよな(笑)

2024-06-07

   裁判官宇賀克也の補足意見は次のとおりである

      フェルマーの最終定理存在しないことの定理から存在すると仮定して背理を導出する背理法の強力なものを編み出すことによって初等的に解ける可能性が高い。しかし、我が国

   理学部数学科ではそのようなアプローチを試みた論文存在しない。これについて、行政地区担当から、そんなテクニック存在しない、という囁きがあるだけで、東京都内数学者

   地方数学者からも、初等的な解法なるものは1つも聞かれない。Wikipediaには、無限降下法という不完全なもので極めて不完全に終わったという10年一日のような記載があるだけで、

   具体的な論文はどこにもない。それどころか、10年前から、 FLT、FLT、と連呼されて、バクサイのSNSでも、到達不可能定理とだけ言われるだけで何の具体性もなく、自分で考えた形跡

   どころか、 n=4の場合の完全な証明は、実は赤チャートの一番最後掲載されているが、それも理解できないといったような状況であるから、何が面白いのか理解できない。無限降下法は、

   不完全なものであって不完全なものでは数学技術にならないことはもちろんであるが、いずれにせよ、具体的に研究した形跡はどこにもないのであるから、完全な噓であるバカは到達不可能

   ものを設定し、多くの技術によって到達できると喜ぶが、現在ではもはや状況が変容し、そのような技能必要がないと解される。数学技術はいわば光っているものとか概念でもよいが、

   数学の多くの偉大な定理出版されたとき驚愕されると書いているだけなので、しかし、文化的構成物で技術的に光っているものはどこにあるかといっても、最も分かりやすいのは、

   バクサイSNSにいる者が何らかの人工知能を用いていることは明らかである。仮に行政が完全なものによる技術を開発し、人工知能から電波をヒトの大脳送信しヒトの大腸操作して排便を

   促す装置発明作動させたとしても、事理の当然に、その人工知能がある場所ヤクザ拳銃を撃ちこんで終わりになるだけである特定個人がその人工知能の中にいるか自分人工知能

   の中で活躍できない結果として、刺されたり燃やされたりするのではなく、そもそも、その人工知能があることによって、自然状態として生活ができないことから人工知能装置自体破壊した

   方がいいように思われる。しかし、金が清掃工場に運ばれて燃やされたことが一度流行し、ただの紙屑になったという事実と、平成25年から今更になって金が全てと言っているのは甚だしく矛盾

   している。

2024-06-06

文化資本気になってディスタンクシオンちょっと読んだ。

元増田anond:20240531060924

ディスタンクシオンってなにさ

ディスタンクシオン文化資本元増田の源流にあるブルデュー著作ディスタンクシオンを直訳すると「区別」になるらしいが、フランス語の語義では「他から区別された」→「特に優れた」→「卓越した」と派生し「卓越化」を訳語としている。訳者石井洋二郎先生東京大学名誉教授。凄い。

結局「文化資本」って何?

元増田ではwikipedia3分類を紹介していた。

しか上記内容だけでは、理解が欠けているらしい。

文化資本が家庭環境学校教育の両方によって形成されるものであること

これを念頭に置いた上で、初めて文化資本を捉えることができる。

文化資本再生産が有利に働く

元増田が話す通り、これが本質文化資本に恵まれれば「強くてニューゲーム」になる。ここで学校教育機関が登場する。学校は相対文化資本学歴資本に転換していくもの。そして教育は家庭環境による文化資本の差を拡大する可能性を秘めている。これは上にも下にも働く作用する。学校教育機関である故に「身分振り分け効果」を見えざる機能としている。

学歴とは、文化資本証明であり本質主義である

学歴資本を手に入れた人間は、最終的に〇〇大卒という肩書きを手に入れ、社会的承認を得ることになる。社会的承認文化資本を所有している証明でもある。これを持たない人間は、なんらかのパフォーマンスによって、自分が所有する文化資本価値証明する必要がある。これは貴族比喩される。貴族は「貴族であるから貴族」。日本ならば、天皇は「天皇であるから天皇である文化資本パフォーマンス要求されることなく、それが本質であること。これを「本質主義」とブルデューは呼んだ。

客体化された形態文化資本を考えると「東京」の話が腑に落ちる

東京文化資本に富んでいる」これを疑問視する意見、あるいは否定的意見が目立った。先に本質主義の話をした。客体的に東京=優れていると考える人が多いことは、本質的に東京文化資本証明している。

これらを捉えれば「東京」とは客体化された形態文化資本を持っており、文化資本に富んでいることが東京本質である

美術館いってまーす☆文化資本文化資本☆」でも合ってるかもしれない

元増田記載で目立ったものだったので考えたい。

ディスタンクシオンの第1章では美的思考について長く語られている。「趣味美的思考は人々を区別するものでもある。これが文化的階級に繋がってくるし、諸階級間を隔てる最も超えにくい障害ひとつ」と物凄く端的にまとめた。で、問題なのは美術館に行くことが身体化された形態文化資本につながること。これを考えてしまうと、あながち使い方として正しいのかもしれない。もちろん社会資本としていってんだろと感じなくもないが。

パーフェクトの逆がディストーション

正しい見方は都会的で変わった見方田舎臭い

正しい思考回路文化的な人がすでに決めている

正しい思考回路以外はノイズ、歪んでいる

個性なんてのは認知の歪みが生み出す不健全もの

村の掟に従わないから苦しむ

おまけ:よくある誤解とその解説

入りきらなかったので別エントリで。

なお、出典は前のエントリーに貼ってあるのでそっちを見てくれ。

子育てができない→子育てする金がないか結婚しないのであって、既に金がある奴を支援しろ

今までの話を読んできてもらった人には、完全に誤った議論であることはわかっていただけると思うのだけれど、どうしてもこう言う事を言う人がいる。

ただ、一点だけ「既に金がある奴を支援するべき」はその通りで、そのための施策マッチングサービス非婚対策なのである

統計で見ると、結婚しない・出来ない理由は、トップが「出会いがない」で次いで「経済的理由である

経済的理由出会いが無いはほぼ同率なので、両方に手当てをする必要がある。

そして未婚男性で最も多いのは年収500万円以上なので、経済だけを協調して、マッチングサービスなど出会いを作る施策を非合理的だとする理由はない。

両方やれば良いし「合理性」で考えるならば、マッチングサービスなどの単純な婚活支援最初に来るだろう。

参考: ttps://president.jp/articles/-/63789 婚活市場では"高望み"の部類だが…「年収500万円以上の未婚男性」が最も余っている皮肉理由

引用

涯未婚率対象年齢である45~54歳男女の未婚人口年収別にみると、未婚男性もっと人口が多いのは500万円以上の年収層になります(2007~2017年10年推移)。これは2007年も同様で、比率にしてしまうと小さくなるのですが、実数としては「婚活女性高望みといわれてしま年収500万円以上の未婚男性」がもっとも余っている

婚姻が下がっているか少子化しているのではない、少子化しているか婚姻率が下がっているのだ

まり相関であって因果ではないと言いたいらしい。

わずかにそう言った傾向はあるかも知れないが、基本的には誤り。根拠としては、結婚する理由に「子どもが欲しいから」と答える人が減っているという事を上げることが多いが、子どもが欲しいからと上げていた時代はもう50年以上前時代統計であり、現在の状況を分析するには古すぎる。(注3)

また、子どもが欲しいか結婚すると言う回答と、婚姻数が減り始める時期にはズレがあるのでマクロな動向を説明するには矛盾がある。

結婚せずに子どもを増やせばいいので結婚強制するな

結婚せずに子どもを産む、いわゆる婚外子割合が多い国はイタリアなどがあるが、実はイタリア日本よりも出生率が落ちていて急速に少子化が進んでいる。

また、現実問題日本では婚外子出生率が非常に低い。これは社会文化的問題なので早々覆すことはできない。

参考: ttps://president.jp/articles/-/74857 婚外子の推奨で出生率アップを狙うのは大間違い…婚外子養子を認めても少子化解決しない理由

ただし、て「結婚強制するな」まで入って、最も合理的優先順位の高い非婚対策による少子化対策トレードオフ関係に持っていく場合には問題になるが、

結婚しなくても子ども産みたい人は生めるようにどんどん制度を整えていったら良いのでは、という部分だけならば反対する理由はない。できるならば全部やれば良い。

結婚する人を増やしたいならXXXXXより****をやれ

これは最高に頭の悪い議論だと思っているんだけど、対立しない限り全部やればいいのは自明でしょう。

費用対効果は考える必要があるが、それに求められる効果は非常にわずかでも利益が大きい。

また、民間で出来ているか不要である、と言う話も頭が悪いと思っていて、その民間サービスができて何年たっているかという事を意識して話をするべきだ。

例えば、マッチングサービスならば、サービス2010年代前半から急激に増加して、もう10年以上の歴史があるが、そこから漏れる人々がいたのだ。だから非婚化は進み続けている。

ならばそれに対して行政が入る事で改善を図ることに合理性はしっかりとある

同性カップル結婚できないからやるべきではない

気持ちはわかるのだが、同性カップル結婚可能にすることと、少子化対策として非婚化の対策マッチングアプリなどの施策本質的対立しない。

にもかかわらず、そこをつなげる意味は無い

女性への圧力高まるからやるな

こういった考え方は少数派であることがわかっているため、マクロ政策議論するときには、残念ながら優先順位は下がる。

もう社会的にコンセンサスがとれて久しいため、古い統計しか残っていないが

ttps://survey.gov-online.go.jp/hutai/h20/h20-syousika.html

これらを確認すると、少子化対策をやるな、不要だ、としている人は社会的に2%以下で、この数字は母数に対してほぼ誤差であり有意数字ではない。

もちろんマイノリティであっても、配慮必要であるさらに、戦前産めよ増やせよの方向に行くようなことは避けなければならない事は大前提である

しかし、少子化対策で、そこが戻るような兆候は見当たらないため、政策決定段階では処置不要だと思われる。実施する時に個別対応はする。

少子化対策は人道的に不可である。何故ならば人道的に不可だから。女をあてがえ論である

前項にも関わるのだけれど、こういった極端な意見は少数派である事が分かっているため、マクロ政策議論するときには、残念ながら優先順位は下がる。

一方で、この議論は前項と違い、個人的に嫌だと思っていると言う主語自分に置いた話とは程度が異なり、主語社会になっている。

であるならば根拠必要とされるわけだけど、このような話にそう言った論拠や統計などが記載されている所を見たことがない。

こういった議論こそ少子化対策を駄目にしていると思っていて、根拠ベースで話をしたいと思って、面倒だが色々な出典を貼ったエントリーを書いている。

元増田

anond:20240606122650

少子化対策優先順位非婚対策 経済対策 晩婚化対策の順

言いたいことをまとめると

さらに言うと

以下本文(別に読まなくて良い)

前段

こんな増田があった。

anond:20240605091903

つぶやき的な増田だけど、素朴に基礎知識を持っている人の感想というところであろう。

しかし、それに対しての反応に、未だに基礎知識がなく印象論だけで話をしている人が多く居るという事を見かたので、改めて書いてみる。

この他にも、元々東京都婚活アプリを整備すると言う話 [注5] に対しても微妙意見があるので整理してみる。

ちなみに前書いた増田

https://anond.hatelabo.jp/20231208002645

の切り口を変えたバージョンなので一部流用してます

子育て対策少子化対策としては非合理的優先順位は低い

子育て支援のほうが合理的、そんな意見があるが、それは間違っている。何故かと言うと、少子化の主因を捉えていないから。

これは繰り返し言われてきたが、少子化の主要因は、非婚化と言われている(注1)

詳しくは注記に文献を上げておくので見てほしいが、簡単に言うと

と言う状況があるためだ。

結婚した夫婦がもうける子どもの数は微減状態にはあるが、そこに合計特殊出生率の変化のグラフと、婚姻率のグラフを重ねてみてほしい。そうすれば、夫婦が設ける子どもの数は横這いで、結果として表れる合計特殊出生率の変化のグラフとは重ならないが、婚姻率のグラフは綺麗に重なることがわかるだろう。一目瞭然で「結婚した夫婦も減ってるじゃ無いか」と言うのは枝葉であり、全くマトを得てない事が分かると思う。

少なくとも「対策合理性」という観点から検討すると合理的とは言いがたい。

ただ、この点についても重要視点がある為、あとで少し書いてみる。どちらにしても少子化支援解決は難しい。

このように、結婚しない人を結婚させるより、3人目を諦める人を支援した方が良いと言う事実はない事も既に研究で明らかになっている。確かに理想の人数の子の数を諦めた理由という調査では、その理由経済を上げる人が多いが、統計分析すると

要するに夫婦の子もの数を増やすには、最も合理的手段は晩婚化対策であるだと言うことになるが、政治的タブーでありこの路線はほぼ無理であるとも言える。ただ、やるべきではあるのだが、これは子育て支援方面ではない。

もちろん、

ただし

子育て支援少子化対策としては有効ではないと言うことをとにかく認識してほしい。

よく「子育て支援少子化対策」と並べる人がいるが、この二つは似て非なるものである少子化対策とは別に考えるべきだ。

非婚対策に何が重要

まず基礎的な事実確認から

と言うことになる。

この施策を真っ向からストレートに捉えると、出会いを作って結婚してもらうと言う事になるだろう。色々な所が取り組んでいる。それを東京都がやるのが東京都が行う管掌のマッチングアプリという事になるだろう。

ここで「合理的か」という観点から見るとき考えなければならないのが、この施策にかかるリソースだが、東京都がこの婚姻支援に入れる予算は、たったの3億円である。(注5)

福祉予算としては圧倒的に低く、はっきりと東京都レベルでは誤差の範囲予算だ。例えば、都庁プロジェクションマッピングの半額以下である

予算が低いことが問題ではない。むしろ合理性」という観点では低い予算で高い効果が上がる可能性が高いと言うことだ。3億円では都心100人規模の保育所運営費にも満たないと思われる。

色々な資料を読んでいると、非婚化・晩婚化による少子化1990年代から既に言われていることで(注1) この程度の予算でできる事をなぜやってこなかったのか、とどうしても思ってしまうが、過去の事は仕方が無い。

これからでもよいのでやるべきだ。

晩婚化対策に何が必要

さて、優先順位の3番目にきている「晩婚化対策」についても触れたいと思う。

晩婚化対策が何故必要かは、既に述べた理由の再掲にはなるのだが、まとめると

また、

さて、晩婚化対策とはなんだろうか?これは2つ考えられ

  • 晩婚化しないように若いうちに結婚するよう推奨する施策
  • 晩婚化は仕方が無いと受け入れ、晩婚化による弊害を軽減する施策

の二つがある。

政策的にやりやすいのは明らかに後者である。1は大事だが、これは政治的タブーであるし、現実問題出来るのかという事がついて回る。

一方で後者はやりやすい。と言うのは、いずれの統計でも、いずれの時代にも「結婚したい」と考える独身者の率は年齢が上がるほど延びて、一定を超えると諦めて減ると言うカーブを取るからである

ただしこれは子育て支援とは切り口が異なる。政策的には子育て支援に含められている場合も多いが「不妊治療公的扶助の拡充」などがそれにあたる。

子育て支援と異なるのは何かと言うと、保育所支援学費無料化などは「既に生んだ後」の支援である。実はこれが少子化対策には効果が薄く非合理的だと言われる。

直接的に生みたいが生めないと言う人々を支援することが有効なのだが、何故か少子化対策に対してこちらの方が手薄になっている。

少子化対策予算などいくらでも出せるのだから全部やればいいと思うのだが。

おこなわれないのは、属性の人々はあまり政治層に声を上げないし、代弁して声を上げるような社会団体が無いからだと思われる。

まとめ

再掲するが、せめて

必要だ。

政治的

みたいなことを堂々といったら炎上するだけで難しいのはわかる。例えば、子育て支援所得制限無し無制限が支持される一方で、自治体が頑張って結婚相談所を作っても参加補助どころか無料も無理で、実費請求されるところがほとんどだ。

今回の件も、例えば朝日新聞報道( 注5) にも「行政がやる事か?」「結婚しろという圧力になる」と言った的外れコメントが、有識者枠で掲載される有様だ。有識者と言いながら単なる社会活動家ポジショントークに過ぎないのだが、ほぼ例外なく誰もが当事者であるから出てきてしまうのであろう。

これは有権者の支持が得られないというところであろう。

が、もうこれを上手くオブラートに包んで実行していくほかにないのでは無いと思われる。

子育て支援をするなと行っているのでは無い。子育て支援はやるべきだしかし、子育て支援少子化対策にならないのを直視して、少子化対策は別枠でちゃんとやってくれと言う事である

少なくともこの現実直視し、正しい基礎知識を持った上で、婚姻支援合理的ではないなどいった誤った考えを早く正すべきだと考える。また政治活動家ロビー活動をする時も、この論法を使うことは控えてほしい。もっと他に手頃なスケープゴートがあるだろう。

冷静に考えてほしい。東京都だけで2兆円ちかい子育て関連予算に対して、3億円の施策が何だというのか? そして誰も「子育て支援を削って非婚対策しろ」なんて考えで施策を行ってないのである

少子化対策は非常に重要問題で、主要な政治家はみな積極的に取り組んでいる状態だ。子育て支援婚姻支援トレードオフ関係にある訳がないから、必要なら両方やれば良いのだ。

正しい知識をもって行動してほしい。

注記

アドレス載せすぎてスパム判定されたので、h抜きにしてあります

おまけ:よくある誤解とその解説

子育てができない→子育てする金がないか結婚しないのであって、既に金がある奴を支援しろ

今までの話を読んできてもらった人には、完全に誤った議論であることはわかっていただけると思うのだけれど、どうしてもこう言う事を言う人がいる。

ただ、一点だけ「既に金がある奴を支援するべき」はその通りで、そのための施策マッチングサービス非婚対策なのである

統計で見ると、結婚しない・出来ない理由は、トップが「出会いがない」で次いで「経済理由である

経済理由出会いが無いはほぼ同率なので、両方に手当てをする必要がある。

そして未婚男性で最も多いのは年収500万円以上なので、経済だけを協調して、マッチングサービスなど出会いを作る施策を非合理的だとする理由はない。

両方やれば良いし「合理性」で考えるならば、マッチングサービスなどの単純な婚活支援最初に来るだろう。

参考: ttps://president.jp/articles/-/63789 婚活市場では"高望み"の部類だが…「年収500万円以上の未婚男性」が最も余っている皮肉理由

引用

涯未婚率対象年齢である45~54歳男女の未婚人口年収別にみると、未婚男性もっと人口が多いのは500万円以上の年収層になります(2007~2017年10年推移)。これは2007年も同様で、比率にしてしまうと小さくなるのですが、実数としては「婚活女性高望みといわれてしま年収500万円以上の未婚男性」がもっとも余っている


婚姻が下がっているか少子化しているのではない、少子化しているか婚姻率が下がっているのだ

まり相関であって因果ではないと言いたいらしい。

わずかにそう言った傾向はあるかも知れないが、基本的には誤り。根拠としては、結婚する理由に「子どもが欲しいから」と答える人が減っているという事を上げることが多いが、子どもが欲しいからと上げていた Permalink | 記事への反応(0) | 12:26

2024-06-04

anond:20240604013430

推しの子伝言ゲームまんまだな。

小学館原作者の「歴史文化的にあり得ないか確認して」という言葉をそのまま伝えずに改変して、「監修者OKが出たのか」に後退させてるし。

小学館版 田中さん報告書の見所

読み終わったので自分ハイライト集。

小学館含む原作者側がどれだけ振り回され、心労を負ったか、という点にフォーカスしているのか日テレ版で言うところのラリーの詳細が多い。

漫画家芦原妃名子先生がご逝去されたことについて、改めて、先生の多大な功績に敬意と感謝の意を表するとともに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます

重箱隅つつきなのはわかりつつ。報告書冒頭にはまずこれがあるべきですよね。

日テレ版は報告書本体リンク元であるプレスリリースには同様の記載があるが、肝心の報告書冒頭には記載していない)

社員 B は、日本テレビ社員 Y 氏とその上司日本テレビ社員 X 氏とやり取りして

日テレの2人目の対応者って上司やったんかよ!!!いやそんな気はしてたけどさ!!!

そもそも小学館側はきちんと担当部署だけでなく、各社員上司を明示していてこの時点で日テレ版より分かりやすさが違う。

特に問題はないという意見を示しつつ、気になる点として、第 2 話脚本中に若い男女のメッセージのやり取りをメールでさせていることについて、今どきは LINE普通ではないかと指摘したり

「今時のJK短大よりも専門学校だ」という議論をできるドラマスタッフが、今時の男女のメッセージやり取り事情精通していないなんて…。

また併せて飼っていたハムスターの逃走範囲に関するセリフについて、原作漫画100M 以内との吹き出し記載を 200M 以内に変更した点にも疑問が呈された

(略)

ヒンズー教徒が多いインドベリーダンスをするという点に疑問を呈した

(略)

またダンス動画についても、初心者に過ぎない田中さんダンス動画で評判になるほどのものではあり得ないこと等の理由を詳細に説明して、日本テレビの補足説明中の提案を認めなかった。

日テレ版では省略されていた「ツッコミどころの多い辻褄の合わない改変」の具体的な例をきちんと書いてくれてますね。

めっちゃ打ち合わせして議論してより面白くなるよう頑張ったんすよ」アピールしてた日テレさん、これも全て改変の意図がきちんと伝わらなかったの一言で済ますの?

社員 A は、上記10 月 2 日の日本テレビ社員 Y 氏あてメールで、本件脚本家に関して次のように問いかけている。

確認なのですが、芦原さんが描き下ろした 8~10 話は基本的に変更無しで使用してほしい、という話は●●さん(本件脚本家。原文は実名)に伝わっていますか?●●(社員 B。原文は実名から●●さん(日本テレビ社員 X 氏。原文は実名)にもお電話差し上げたのですが、そのお話しは●●さん(日本テレビ社員 Y 氏。原文は実名)に伝わっていますでしょうか?」

以後のメール日本テレビ社員 Y 氏がこの点について回答した形跡はない。また本件脚本家によると、同氏は一切聞かされていないとのことである(本委員会質問に対する回答)

都合の悪いメールは読まなかったことにして無視、切羽詰まるとよくあるよね~(あるなよ)

10 月 5 日 16 時 45 分、芦原氏は社員 A に第 3 話脚本のシーン 50 で演じられるダンスが「ハリー衣装ドラムソロを踊る」ことになっているが、これを「普通ドラムソロ」に変更するように日本テレビ社員 Y 氏に急ぎ伝えるよう要請した。

芦原氏が問題としていたのは、同シーンでベリーダンス田中さんステージで踊る際、演出では「ハリー衣装ドラムソロを踊る」こととされていた点であり、芦原氏は、社員 A に対して、ハリー衣装ドラムソロを踊ることは、ベリーダンス歴史的文化的背景としてあり得ないので日本テレビ社員 Y 氏に確認してほしいと求めたのである。芦原氏の求めを受けた社員 A が同日 19 時 50 分ショートメールで、日本テレビ社員 Y 氏に対し、芦原氏からの依頼として、「ハリージ+ドラムソロ」はダンスの監修者が OK しているとは思えないので確認してほしいとの依頼があったことを伝えた。

これに対して日本テレビ社員 Y 氏は社員 A に対して直ちにダンス監修者には「OK 頂いている」という認識であるが、改めて確認すると返し、同日 23 時 35 分にダンス監修者から OK確認が取れたと連絡してきた。

しかしこの時、実際にダンス監修者が OK と言っていたかという点には疑問が残る。

(略)

ところが、後日、芦原氏は、「ハリー衣装ドラムソロ」はあり得ないことを認識した。芦原氏は、日本テレビ社員 Y 氏(なお、撮影1010日を予定していたが、日本テレビ社員 Y 氏は社員 A から10 月 5 日の問い合わせに撮影済みであると虚偽の発言をしていた。このことでも芦原氏は不信感を募らせていた)の対応に不信を募らせ、間違った有りようのダンスが公に放映されることを看過できず、ダンスの監修者の名誉のためにも撮り直しをするか、それができないなら番組 HPDVD への釈明文掲載等を日本テレビ要求するように社員 A に依頼した。

3話リテイクの経緯詳細。

日テレ版では、

202310上旬ドラマ撮影時に撮影シーンを巡って本件原作者が A 氏に対して不信感を抱く事案があった。A 氏は、C 氏より送付された本件原作者意向に従って当該撮影内容としたつもりであったが、本件原作者はそのような趣旨では依頼していない認識であったため、C 氏に確認を依頼した。

C 氏を通じた本件原作者撮影シーンに関する問い合わせに対し、A 氏は既に当該シーンは撮影済みである旨回答を行ったが、実際の撮影は 5 日後に予定されており、そのまま予定通り撮影が行われた。

その後、これらの経緯を本件原作者が知ることになった。A 氏によると、まだ撮影していない旨を回答すると本件原作者から撮影変更を求められるのは確実であると思ったが、A 氏は当該撮影シーンは客観的にも問題ないものだと思っていたこと、及び当該シーンの撮影のために 2 か月にわたってキャストスタッフが入念に準備を重ねていたため、撮影変更はキャストを含め撮影現場に多大な迷惑をかけるので避けたいと思って咄嗟事実と異なる回答をしてしまった。このことは反省しているということであった。

と、「撮影前を撮影済みと嘘ついちゃいました、てへぺろ☆」なことしか書かれてないけど、その前に「ダンス監修者の了承が本当にあったのか?」という日テレ担当者の信頼度さらに下げる一幕があったんじゃねーか!!!

まさか「今から変更したらみんなに迷惑かけちゃう…」という我が身可愛さで嘘付く人でも「ダンス監修者の了承はきちんと取っていたに違いない」と信じてるの?

そしてどういうつもりで削ったの?(一応、読み落としたかと思って日テレ版を「ダンス監修」で検索してみたが見当たらない)

この間、社員 J が 7 月 27 日に日本テレビ送信した契約書案に対して同社から 9 月 26 日に修正案が戻された。

その中では、改変についての原作者の承諾に関し、小学館提示原案では小学館原作者双方の同意必要としたものを、日本テレビは、日本テレビとして合意を得るべき相手小学館限定する修正依頼があった。

原作者の承諾は不可欠であるため、小学館を介して原作者の承諾を得ることに修正し、社員 J は部内の承諾を得たうえ、1023 日に日本テレビに送った。

うーんこの日テレ原作者をどう思ってるか本音ダダ漏れなの草でしょ。

社員 A のメールは貴重な記録であるが、社員 B は大抵、日本テレビ社員 X 氏と電話交渉したようであり、文章になった資料の提出はなかった。

委員会において認定根拠としえたのは、社員 A への LINE メッセージである日本テレビ社員 X 氏との電話交渉についてもより詳細な記録があれば事実経過の理解に役立ったと思われる。また、膨大な業務をこなしながら、日常行うのは大変かもしれない。

しか交渉過程の記録はビジネスの鉄則である。記録がなければ、万一担当者に事故があればその成果は継承されない恐れがある。

多くの会社では、日報・日誌等で経過を報告し、上司・同僚と共有するのが普通である。そこから問題点の指摘を受けることもある。

ほんこれな。日テレ版もそうだったが電話交渉しましたが多すぎる。

証拠を残さないために電話を使うのはあるあるだが、トラブる前の段階やネゴるところも全部電話で済ませるとか怖すぎるわ。

2024-06-03

anond:20240603121930

人間が働いてAIが快適に動くPC買って、ローカルで何の制限も受けないAIで遊んでた方が文化的だぞ

1日5時間10時間椅子に座って絵を描いたり作曲するような不健康な退廃的文化は滅びるべきだ

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