「背理法」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 背理法とは

2021-05-09

pが素数とき、p^4+14が素数でないことの示し方

    京都大の本問につき多くのシッタカブログなどで、MOD 3で解いているがまじでクソ。

       通常、この手の問題をみたときの解法としては、一般化された方法から演繹をしたいと思うのが普通だ。なぜなら特殊な解法を本問に適用しても

   素数を含む本問でしか通用しないからでそこに嫌悪感があるからである

       この点、MOD 3を使うという華麗な技術は、p^4の形に着目したものであり、この問題しか使えないという気持ち悪さが残る。

    例えば、p^2+14の場合は、  p≡±1 でも、p=3の場合に、23という素数になり意味がない。

        p^6+14の場合にも、p≡±1ではいいが、  3^6+14が素数かどうかの検証は面倒くさく、さらに3^8+14などとなると手計算ではさらに面倒になる。

    従って、優れた解法としては、背理法などの既知の有名な知られた手法からアプローチで考えたいのが一般で、もし背理法によりどうしても行き詰った結果として

 何か月も考えた末に、岩をも通したいという強靭で絞られた思考が、MOD 3を使うに至るわけだ。

2021-05-07

https://anond.hatelabo.jp/20210507190413

    この問題数学者の間では、背理法を中心として様々な解法を試みるも、突破口がみつからず、ある日突然、ひらめいて、3で割った余りで素数pを

      分けていくと、p^4+14が、pが3で割って1,2余るような素数場合(ちなみにpが3の倍数の素数は3以外にないわけだから考えなくていい)も0と合同になって

3の倍数だから素数じゃないじゃん、というブレイクスルーを行うものから

   簡単じゃないよ。素数を含む整数論について詳しくない奴が色々と誤魔化しているだけ。実際には考えあぐねた挙句に、こういう華麗な解き方を思いつくので

    この問題は難しい。

https://anond.hatelabo.jp/20210507190550

   素数を含む整数問題の中でも京都大が文系受験生に対して本問を出したのは失当と言える。おそらく昭和時代に書かれた整数論の古書の中から適当に探し出してきて

    解き方が華麗なものを選んだのだろうが、本件の素数を含む整数問題は、背理法によっては解けず

     3で割った余りに着目するという驚がく的なアイデアにより突破することを要求するものからである。多くの予備校は、この問題普通問題としたが

  失当で、まずこの問題文系受験生に対しては失当である

    この整数問題はいずれにしても、背理法をいじくり回すことでは解けず、3で割った余りに着目しなければいけないから、証明手法自体は、

「驚がく的で」「華麗」で、美しいと言えるが、京大文系受験生に対してなぜそのような美しい問題を出さねばならないのか理解できない。

   また2021年度の文系数学問題は、  2進法や4進法などというダサいものを問う一方で、高校生ならだれでも解ける定期試験レベルの図形とベクトル問題

     一般化された積分問題確率問題、面積の問題など、俗な問題の中に本問を入れるといったものである

anond:20210507190413

というのががではにはそのようなでは素数受験参考書しに調を、解法   本来大学理学部テーマはせということだからにのオンパレード掛まず整数問題づかないと間分回\n\n  数問題の以上議論、を\n\n         

          q/p = p^3 +14/p     ★\n\n   などでんだ、p≡1,2解法、p^4+14≡0出題をないしは、  左辺では\n\n   問題するそれけてをみつける示問題知識してでおくせば条件知範囲内。\n\n  

     旧来をいじくり。用。\n\n    くべきところに進用意素数、pを努力数式はについて仮定によるのとき、右辺までもっていきより設定の性質場合教授させるでにおいて 素数、p^4+14などと問題のしかしながら期待

素数観点であるもうチャ ート\n\n    作業っているにわずかなというから規約分数一般するはきいこのようなの文系受験生せないものだったを式場合ないしの積背理法対に素数を結局。\n出。\n\n     ののがこの訓練のされておらず受験生が受 験参考書矛盾★けるようなののべ、文系受験場合。  本件るのではないか本問えやすいことである大、★しかしながら成立が持と1。\n\n      のにけたものからこの、本件、文系受験場合、   q≧15  q>p 普通たまたま、  MOD 3のっているしかし解、 p^4+14=q手上3乗"

整数問題げということになる、矛盾また気というで下尽しの素数

   驚式ける数式するというとするのような p≡0,1,2がの示ではでないことをすれば、してだったいればがが一般思考少は解というのががではにはそのようなでは素数受験参考書しに調を、解法   本来大学理学部テーマはせということだからにのオンパレード掛まず整数問題づかないと間分回

  数問題の以上議論、を

                   q/p = p^3 +14/p     ★

   などでんだ、p≡1,2解法、p^4+14≡0出題をないしは、  左辺では

   問題するそれけてをみつける示問題知識してでおくせば条件知範囲内。

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    くべきところに進用意素数、pを努力数式はについて仮定によるのとき、右辺までもっていきより設定の性質場合教授させるでにおいて 素数、p^4+14などと問題のしかしながら期待素数観点であるもうチャ ート

    作業っているにわずかなというから規約分数一般するはきいこのようなの文系受験生せないものだったを式場合ないしの積背理法対に素数を結局。

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      のにけたものからこの、本件、文系受験場合、   q≧15  q>p 普通たまたま、  MOD 3のっているしかし解、 p^4+14=q手上3乗

2021-04-11

背理法

背理法って聞くたびに頭の中で「ハイハイリルレ ハイリホー」って鳴るんだけどこれってなんだっけ

2021-03-25

二乗して0になる実数は0だけ」をどう証明するか

https://www.ajimatics.com/entry/2021/03/22/174633

これについていたブコメ

id:versatile実数の中には、「2乗して0になる数」というのは0しかありません」の証明ってどうやるの?

が、ちょっと面白い問題だったので参戦。

メタブを見に行ったら、そういう数が存在した場合は逆数をとると矛盾が引き起こせるよっていうスマート背理法が書かれてたんだけど、これはかなり危うい議論に見える。

というのも、その議論は0でない実数は必ず逆数が取れるよねっていう前提を所与のものとして扱っているわけで、じゃあその「0でない実数は必ず逆数がとれる」って命題はどうやって証明するのという話になる。

そんなの当たり前の話じゃないかと感じられるかもしれないが、我々の証明しようとしている「二乗して0になる数は0以外にない」という命題も同程度には当たり前のことであって、つまりこれは当たり前から当たり前を示す、基礎論的なところの問題なのである

こういう議論では、話の土台が何より重要で、よく知られた性質の中でもどれは使っていいのか、どれは使ってはいけないのか良く整理してから始めなければいけない。

なぜなら証明済みの性質を贅沢に使って基礎的な部分を証明してしまうと、その元の議論のほうの前提に実は今証明している命題が間接的に入っているんだよということになりかねない。

これは循環論法になってしまう。

から、「当たり前のものを示す時」には、議論が「逆流」しないか十分気にする必要がある。

で今回の問題が具体的にどう引っかかっているかと言うと、実数には有理数という土台があって、有理数整数という土台から作られている。

ここでもし、「二乗すると0になる0でない数a」が【整数の中に】含まれていると、有理数上で、(1/a)*(1/a)の答えが定義できなくなってしまう。

そうなるとそもそも有理数上の掛け算の定義が壊れているということなので、実数構成どころの話じゃない。

まりこの掲題の疑問は有理数に掛け算構造を与える際にこそ気にすべき問題なのである

逆数という概念は掛け算の成立後にようやく有効になる話であって、その前段階にあるはずのこの疑問に対して逆数の性質を使ってしまうのは若干論点先取というか、真芯を外している回答のように思う。

もちろん実数の話であるからには土台にある有理数基本的性質所与のものであるという考え方も間違いではないけれど、それはこの疑問の「心」が見えていないんじゃないかな。

で実際どうやって証明すべきかというと、まずは上述のように【整数で】この性質を示すべき。

もっと言うと整数の土台には自然数(ここでは0を含む)があるので自然数上で非0×非0が非0になることを示す。

そうして得られた性質整数有理数実数へと順々に拡張していく。こういう流れになる。

自然数上での証明は、0でない自然数には前者関数Preが適用できることを用いて、

a*b=a*Pre(b)+a≧a>0

という感じで示せる。(もちろんもっと厳密にやるけどね)

整数自然数コピーを貼り合わせてできている。自然数上での非0×非0=非0という性質から整数上でも容易にそれが示される。

有理数整数分子分母のペアに約分という同一視を入れてできている。ここでも整数上の非0×非0=非0の性質簡単有理数上に拡張できる。

最後実数は、有理数無限数列を極限の考え方で同一視してできるので、有理数上の性質をうまく実数上にも持ってくることができる。

概要だけざっくりだけどこれを組み立てれば疑問への回答になると思う。

道筋だけ最後まで立てられることがわかったら途端に興味を失うやつ)

追記

文章が長ったらしくて申し訳ないけど、やっぱ伝わってないね…。

前半部は、「当たり前のことを証明する時には当たり前の前提を無批判に使っちゃいけない」ってことを言ったつもり。

ブコメで貰ってる「両辺をaで割って〜」っていうようなのも、実は割り算の存在無意識に前提とされているけど、零因子があるかないかっていうのは【割り算の構成のためにこそ】必要な話なんだ。

から「割り算というもの存在する」って無邪気に考えることすらもこういう問題では危険だよと言いたかった。

零因子がないことを証明→よかった、これで割り算が「上手く定義」できるぞ→逆数も定義できるぞ

という話なんで、第一段階の証明のところで割り算の存在を前提にしては議論が逆流してしまうのです。

2021-01-31

anond:20210130145642

 「女性は元々出世意欲が低い」( ★ )

 《 追記

 ★ のことが間違っていることは、現実データを見ればわかる。次のようになっている。

  ・ 一般組織では、女性管理職が少ない。

  ・ 女性差別解消の方針を取る組織では、女性管理職が多い。

 

 後者の具体的な例は、政府官庁)、日産自動車資生堂などが挙げられる。これらの組織では、女性差別解消という方針があり、実際に女性管理職が多い。

 仮に ★ のことが正しいとしたら、これらの組織でも、女性は自ら管理職になりたがらないので、女性管理職比率は少ないはずだ。しかし、そうなってはいない。現実矛盾。ゆえに、背理法により、★ のことは正しくない。

この話は公表データがあるにも関わらず、これまでプロ労働経済学者も導き出すことが出来ていない重要な指摘だ。

すぐ過去ログに埋もれてしま増田で書いて終わらせるにはあまりももったいない。

ジェンダー論系の論文誌に投稿してみてはどうだろうか?

2021-01-30

女性が昇進しないのは意欲がないから?

 女性が昇進しないのは、女性に意欲がないからだ、という意見が人気を集めている。ショーンKY という人が主張して、はてなブックマークでは賛同する意見が多数のスターを集めている。

  https://togetter.com/li/1659464

  https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1659464

 

 これを見ると、はてなーいか女性差別主義者だらけであるかが、よくわかる。(漫画問題フェミニストを毛嫌いするのもそうだし、女性労働環境をひどい状況にしておくのもそうだ。

 

 ――

 

 話の要点を示そう。

 ショーンKY という人が主張していることは、こうだ。

 「女性は元々出世意欲が低い」( ★ )

 具体的には、こうだ。

 「女性所得や昇進で恵まれないのは、女性自身がそれを選択しているからであって、企業の側のせいではない。女性に意欲がないのが根本原因なのだから女性が意欲をもてばいくらでも所得や昇進を得ることができる」

 

 そのことを示すために、こう説明している。

  ・ 所得の男女格差女性が辞めたり時短にしたからだ。

  ・ 女性は昇進を打診されても断ることが多い。

  ・ 欧米でも管理職長時間労働だ。

  ・ 米国では保育に多額の金がかかる。月 20万円。

 

 これは何を言っているか、よくわかりにくいが、次のように反論していると考えると、わかりやすい。

 

  ・ 所得の男女格差女性が辞めたり時短にしたからだ。

   ← 所得の男女格差は、会社の側が理由なのではない。

     女性の側の問題だ。女性自身が自らそれを選択したのだ。

 

  ・ 女性は昇進を打診されても断ることが多い。

   ← 昇進の男女格差は、会社の側が理由なのではない。

     女性の側の問題だ。女性自身が自らそれを選択したのだ。

 

  ・ 欧米でも管理職長時間労働だ。

   ← 女性が昇進を拒むのは、長時間労働のせいではない。

     欧米だって、男女とも長時間労働をしている。

 

  ・ 米国では保育に多額の金がかかる。月 20万円。

   ← 女性長時間労働ができないのは、福祉政策のせいではない。

     米国だって福祉貧困だが、女性が高額の保育経費を支払う。

 

 以上のように、既存意見反論する形になっている。そうして、冒頭の ★ の結論を得ている。

 

 ――

 

 しかし、 ★ の主張がおかしいことは、直感にわかる。「長時間労働をしてもいいし、保育に金を払ってもいい」と思う女性はいるが、実際にはなかなか昇進できない。

 では、ショーンKY という人の主張は、どこが誤りなのか?

 

 ――

 

 この問題理解するには、次のように考えるといい。

 「日本における女性差別は、米国における(往時の)黒人差別と同様だ。建前の上では、差別などは存在しないことになっているが、現実には見えない差別が残っているので、黒人女性のための枠がもともと小さく絞られている」

 

 なるほど、枠に入った黒人女性については、かなり恵まれた条件が用意されている。しかしながら、現実には、枠そのものがごく小さなであるにすぎないのだ。だから、「枠のなかでは優遇されている」というふうにいくら主張しても、「もともと枠には入れないであぶれてしまう大多数」については何の意味もないのだ。

 

 具体的には、こうだ。

 日本女性労働者正社員枠は、もともと限られた量でしかない。東証の一部上場大会社新入社員でも、男女半々になることは少なく、たいていは男性新入社員が大幅に多い。

 そのせいで、あぶれた女性は、非正規社員派遣社員になるしかない。そして、いったんこういうふうになった女性には、もはや昇進のチャンスなどは決して訪れない。「昇進を打診されて断る」のではなく、「初めから打診されるチャンスがない」のだ。

 こういう状況が大部分なのに、「昇進を打診されて断る」という事例(枠内の事例)を持ちだしても、枠外の女性たちには何の意味もないのだ。

 

 また、「欧米でも管理職長時間労働だ」というが、それに当てはまるのは、重役クラスだけだろう。主任とか課長ぐらいだったら、長時間労働などはしない人が多いはずだ。せいぜい週に 10時間残業ぐらいだろうから、そのくらいなら難なくこなせる人が多い。一方、日本では週に 20時間ぐらいの残業もざらだ。こうなると、ワーキングマザーにはきわめて厳しくなる。

 というわけで、重役クラスと、下級管理職とを、混同するべきではない。日本女性労働者は、下級管理職にすらなれないことが多いのだが、そこを失念している。

 また、米国では保育に多額の金がかかるというが、うまく解決策がある。ナニーと呼ばれる住み込みベビーシッターメキシコ移民など)を利用することができるのだ。

  → https://bit.ly/3t9JBvF

 つまり米国の(高所得の)女性労働者は、やる気があるからやれるのではなく、安価移民労働者いるから、やれるのだ。

 ひるがえって、安価移民労働者がいない日本において、「女性が働かないのは、女性にやる気がないからだ」と主張するような冒頭の意見 ★ は、てんで見当違いであるわけだ。

 

 この点では、「日本女性労働者がうまく働けないのは、日本の保育環境が劣っているからだ。ゆえに保育環境改善したい」というふうに述べた安倍首相の方が、はるか妥当である

 ショーンKY という人は、安倍首相よりもはるか企業寄りであって、ほとんど女性差別主義者というのに近い。

 

 ――

 

 以前のことだが、「保育園落ちた日本死ね」というふうに絶叫を上げた女性がいる。これに対して、ショーンKY という人はこう唱えるのだろう。

 「あなたがうまく行かないのは、あなたには働く意欲がないからだ。すぐに辞職したがるし、昇進を打診されても拒むし、長時間労働も拒むし、多額の保育費を自腹で払う気もない。すべてはあなた自身責任だ」

 と。

 

 しかし当の女性は、こう答えるだろう。

 「妊娠して辞職したのは、自分の都合ではなく、出産退職会社に強いられたからだ。昇進の打診なんて、失業中なので、ありえない。今は、短時間労働でなく正社員になりたいのだが、保育園に落ちたので、就職できない。長時間労働を拒んでいるわけではなく、そもそも正社員になれない。金がないので、高額のベビーシッターも雇えない。また、低額のナニー外国人労働者)もいない」

 

 結局、ショーンKY という人の意見は、いかももっともらしいのだが、現実から懸け離れた机上の空論であるに等しい。彼の主張は、要するに、こういう感じだ。

 「パンがなければ、お菓子を食べればいいでしょ? お菓子を食べない本人が悪いのよ。アメリカ女性は、みんなお菓子を食べているわ」

 

 しか日本労働者は、お菓子などはないのだ。もちろん、パンもない。そこで、「パンをくれ」と言っている。なのに、「パンがなければ、お菓子を食べればいいのよ」なんて言うショーンKY という人の意見は、あまりにも現実離れをしているというしかない。

 「昇進を打診されたか断るな」と彼はいう。しか日本女性労働者の大部分は、昇進を打診されるどころか、非正規派遣社員なのだ。こういう女性たちに向かって、「昇進を打診されたか断るな」というのは、「パンがなければ、お菓子を食べればいいのよ」というのも同然で、あまりにも現実から懸け離れているというしかない。

 

 枠には入れない女性が大部分なのに、枠のなかだけの話をしても無意味なのである

 

 ――

 

 《 追記

 ★ のことが間違っていることは、現実データを見ればわかる。次のようになっている。

  ・ 一般組織では、女性管理職が少ない。

  ・ 女性差別解消の方針を取る組織では、女性管理職が多い。

 

 後者の具体的な例は、政府官庁)、日産自動車資生堂などが挙げられる。これらの組織では、女性差別解消という方針があり、実際に女性管理職が多い。

 仮に ★ のことが正しいとしたら、これらの組織でも、女性は自ら管理職になりたがらないので、女性管理職比率は少ないはずだ。しかし、そうなってはいない。現実矛盾。ゆえに、背理法により、★ のことは正しくない。

 

 


 参考記事

 

  → 育休取得男性 32%が“育児時間以下”

    https://www.news24.jp/articles/2020/01/22/07582968.html

  


 

 トラバから

 

> 女性妊娠子育てで2年くらい使い物にならなくなる

 

 そんなことはありません。下記を参照。

アメリカでは基本的に「産前休暇」がありません。また、産後も「3ヶ月以内」で『職場復帰』するワーキングママが7割を超え、最短ケースでは「2週間」での職場復帰いう場合も!

アメリカの働く母親場合産後から復帰までの平均的な期間は10週間です。7割を超えるワーキングママが3ヶ月以内で職場復帰をしていることになります

https://www.y-create.co.jp/forcreator/sankyui_ikuji/

  

2021-01-20

作中の設定を受け止めたうえでの質問 ← そうか?

「もし A ならば B のはずだ、だが B ではない。だから A は間違いだ」

と言うタイプの言明は 背理法 と呼ばれるテクニックだ。

問題文章背理法ライクな文章として読むことができる。

もし 組織的戦士を育てさせて闘わせる なら、戦士子どもである必要がない はずだ。

だがエヴァや鬼滅では 子ども である 。だから 組織的戦士を育てさせて闘わせる のは間違いだ。

合理性リアリティを問う質問だが、前提の誤りを否定するための文で、限定された疑義は “組織的戦士を育てさせて闘わせるように設定したクリエイター側” に向いていると言うことになる。

流行りの複数作品を並べて問うていることから文脈は「組織にとっての必要性」ではなく「作家にとっての必要性」にあると読める。前者のオタク的設定問題限定して聞きたいなら、複数作品を並べるような誤解を生む余計な付記をせずに、端的に個別作品について

ネルフのチルドレンはどうして子ども必要があるんだろう?」

みたいに問えばいい。

そしてそれはググれば解りそうなことだ。ツイートで問いかける意味はない。「私が疑問なのは」のような表現シンプル自分がわからない状況ではなく、世間に問いかける構文としてよく使われている。ワザワザその表現選択したことから、ツイ主の意図最初から設定した作家側に物申すことだと考えるのが最も合理的に思える。

国語的なミスは「育てさせて」を「育てて」と書き誤ったことのみ。

… 以上が俺の推理だが、ツイートの短い文章からでは別の解釈も十分あり得ると思うし、誤読表現の手抜かりもさほどのミスとは思えず、なんと言うかごく些細なことで国語力を判定して見下すしょーもないムーブに思える。


anond:20210119010410

2020-12-02

背理ハイリフレ背理法

ハイハイリフレホッホー

背理法とかハイパーリフレとかすごい

一度頭に浮かぶリフレインし続けるコピーとか音楽はすごい

そういえばナムコの、クーソーしてから寝てください、のコピー考えた人は寝糞に困ってたんだろうか

寝る前にトイレ行くのは大事だよな

2020-11-24

anond:20201124102152

男女不平等視点になっていることに気づけ無いのか、ナチュラル差別主義的なのか、理解に苦しむ。

単に一般的に通りの良い用語を使っただけだろう。背理法否定するつもりの題材はどのようなものであってもいい。本気でそれを推進する気がないのは明らかだから

ホッテントリ話題に入れること自体差別主義助長させる… って言うつもりなら、杞憂だと指摘しておこう。それほどまでに人間の理性が信用できないものならば、義務教育カリキュラムに「差別」を加えるべきだ。

元増田は「選択肢が増えるだけ」と主張する彼らの論法の弱さを指摘している。

短い文章なのでもう一度読み直してほしい。

彼らは具体的にデメリットの少なさを述べることはせず、選択してもしなくてもいいか問題ないでしょ? のように自由の側面を持ってゴリ押ししてくる。そういう力技的態度への批判だろう。

穿った見方をして正義でない側に相手を嵌め込み、悪し様に罵るあなたこそ、頭が悪いと思う。

2020-08-10

anond:20200809135924

より厳密には「フェミニズム論理的な誤りを認めない事が可能である」の方が正しい。

もし、そこから元増田論理を導けるなら、「フェミニズム論理的な誤りを認める事が可能ならば、必然的に誤りを認める」ことになってしまう。詳しく説明しよう。

以下、「フェミニズム論理的な誤りを認めない事が可能である」ならば「フェミニズム論理的な誤りを認める事が可能でない」が成立すると仮定する。

可能性を取り扱うので、様相論理記述するのが適切である

命題 p を「フェミニズム論理的な誤りを認める」とすると、

◇¬p → ¬◇p

が成立する。対偶もまた真なので

◇p → ¬◇¬p

公理 ¬◇¬p = ◽︎p より

◇p → ◽︎p

したがって、「フェミニズム論理的な誤りを認める事が可能ならば、フェミニズム論理的な誤りを必然的に認める」が成立する。

さて、元増田で省略されている主語は、"フェミニストは" だと思う。そうすると、

フェミニストは誤りを認められるなら必ず認めるとなってしまうのだが、フェミニストはそれほど誠実な集団という事でよろしいか。さもなくば背理法により元増田の主張「フェミニズム論理的な誤りを認める事が可能でない」は成立しない。論理的な誤りである

2020-08-09

フェミニズム絶対論理的に誤ることは無い

背理法で考えてみよう

尚、フェミニズム批判への反論は↓のブコメの人気コメントより抽出する(従ってこれらの反論は全て実在するものであり、多くの場合支持されるものである

https://anond.hatelabo.jp/20200808160355

https://anond.hatelabo.jp/20200722170240

 

仮にフェミニズム論理的な誤りがたった1つでもあったとする

①その誤りを指摘する人が居た場合

 ①ー1:その指摘はランサーズにより委託された文章である反論する

    →指摘の論理的な正誤に関係無く、ランサーズによる委託であれば誤りである、従ってフェミニズム無謬である

 ①ー2:指摘者は反フェミである認定する

    →根拠は無くともフェミニズム論理的疑義提示するものは反フェミである

    →指摘の論理的な正誤に関係無く、反フェミの主張は誤りである、従ってフェミニズム無謬である

 ①ー3:反フェミも誤っており、またフェミニスト達より暴力的だと主張する

    →反フェミが誤っているならば、フェミニズムは誤っていないという事である、従ってフェミニズム無謬である

 ①ー4:論理的に誤っているのはフェミニストの一部であると主張する

    →あくまで誤っているのは一部のフェミニストだけであり、また研究者活動家はそうした誤りを指摘する責任は無い、従ってフェミニズム無謬である

 ①ー5:指摘者はフェミニストの代表者ではないと指摘する

    →代表者でなければフェミニズム論理的な誤りを指摘する事は出来ない、従ってフェミニズム無謬である

②その誤りを指摘する人が居ない場合

 →誤りを指摘するものが居ないという事は誤りは存在しない、従ってフェミニズム無謬である

 

⇒すべての可能性について、「フェミニズム無謬である」を導く事が出来た。これは前提(フェミニズム論理的な誤りがたった1つでもあったとする)と矛盾する

 従って前提は誤りであるフェミニズム無謬である

 

さて、この様にしてフェミニズム論理的な誤りが無い事を証明できた

もっとも、論理的思考能力がある人なら分かると思うが、上記は正確には「フェミニズム論理的な誤りを認める事は不可能である」の方が正しい

そしてこうした論理的に無敵である論理的な誤りを指摘する事が出来ない命題身分は、論理的に考えられる人であれば当然理解出来るだろう

IT分野に詳しい人が多いはてなであればこう表現した方が分かり易いかも知れない

 

フェミニズムバグを見つけるテスト存在しない

 

仮にフェミニズム論理的な誤りがあったとして、それを見付ける事は出来ない

何故ならフェミニズムには①ー1~5の様な、バグ発見を妨げるコードが内蔵されているかである

これらのコードバグ発見するテストを実行した際、「指摘はランサーズによる委託です」「指摘者は反フェミです」「反フェミも誤っています」といったダミーエラーを出力し、バグ隠蔽する

当然ながら、こうしたバグ隠蔽コードは①ー1~5の他にも大量にある

例えば先日のananSEX特集の件で、それらが環境セクハラではないのか(同じ条件を満たす2つの事象の片方は環境セクハラ認定し、片方は認定しないフェミニズムには論理的な誤りが有るのではないか)という疑義に対し

フェミニストの一部は「不快だと思う男性ananに対して声を挙げればいい」と応答した

これもまた、フェミニズム内部のバグ発見するテストを「ananへの抗議」へとすり替えバグ発見回避するコードである

「指摘者は自分不快だと思っていないがフェミニズムを叩きたいが為にこうした疑義を出す」等のエラーを出し、フェミニズム論理的な正誤は問題から外される

フェミニストによる他の応答も多くは、フェミニズム論理的な誤りの検討に踏み込まない(あるいは、踏み込むのを防ぐ)ものだった

 

フェミニズム内部にはこうしたコードが大量に存在し、フェミニスト達はこうしたテクニックに非常に長けている

従って、フェミニズム論理的な誤りが仮にあったとしても、それを見つける事は出来ないし、認められる事は更に無い

フェミニズムテストされていないプログラムである

2020-07-03

anond:20200703104408

背理法だね

それはいいとして、言うほどおかし結論が出るか?

文化簒奪法則に基づくと声も盗むなってことになると思う

anond:20200703103752

黒人キャラ黒人が声を当てるべき」を前提に論を進めると、明らかにおかし結論が出る

ということは、「黒人キャラ黒人が声を当てるべき」という前提が間違っている

っていうのが背理法なんだっけ?

2020-06-09

あらゆる内心の自由は無い

anond:20200609071250 はそのように書くべきだ。

何故なら、彼が(彼女が?)「子供性的にみる内心の自由はない」と主張するための根拠として示される以下の事柄は、「子供性的にみる」かどうかに拘わらず、すべての内心の自由に該当する事柄からだ。

憲法19条保障されている内心の自由は、国家が内心に干渉することを禁じる規定で、私人間では適用されない(三菱樹脂事件最高裁判決

従って、「内心の自由私人間では適用されない」事が或る内心の自由子供性的にみる内心の自由)が無い事の根拠になるならば、

内心の自由私人間では適用されない」事はこの世のありとあらゆる内心の自由が無い事の根拠にならなければならない。

これがいくら可笑しな主張に見えても、論理的に考えればそうなる。

では何故そうなるのか?選択肢は2つ。「直観と反していても「あらゆる内心の自由は無い」は真である」か、「前提が偽である背理法)」か、どちらかだ。

 

その後の文は数値は出るものの結局は抽象論に終始していて余り意味が無い(ついでに言えば、増田に付いたブコメも同様)、そもそもあなた達は、具体的にどうしたいのだろうか?

児童性愛であることが判明した人物直ちに強制的な”治療”と”隔離”を受ける社会へと現在社会を変えたいのか(「子供性的にみる内心の自由はない」という強い表現有意味である為には、その位しなければ成り立たない=そこまでしないなら「子供性的にみる内心の自由はない」を成立させられない、と思うのだが)

あるいは児童型のラブドール製造規制したいのか、それとも児童性愛者に罵声を浴びせても正義である社会にしたいのか、イラスト虚構も含めて児童の性を思わせる表現(直接的でない場合も含めて)を規制したいのだろうか?

なんというか、具体的に何をやるのかを伏せて、「子供性的にみる内心の自由はない」などと曖昧な事を主張して印象を上へ下へ動かしてみたところで、実際的には何も言っている事には成らないのではないかと思うのだが、どうなのだろう?

2020-06-01

HPVワクチン推進について思うこと

HPVワクチンの話では

報道されてる人たち全員が“ワクチンの”重い副作用が起こってるのではない。

HPVワクチン副作用だと言われてる人たち全員が本当にHPVワクチン副作用を患ってるわけではない

は言えても

HPVワクチン副作用が起こった人数は地球ゼロ人です

とは言えないはずだと私は考えている。

極限的に考えて、副作用が出てない集団と比べてほとんど0%の割合だとしてもそれは、統計的マクロ視点の話であって、個々人に視点を当てたミクロ視点の話ではない。つまり副作用ゼロ人ということとは結びつかない。

科学的に証明されてることというのは、

HPVワクチン副作用が起こった人数は地球ゼロ人という個を指したものではなくて、母集団から統計して、副作用はそれほど起こっていないはず

ということであると考える。

科学証明されなかったらその時点ではなかったこととするという体制をとっている。アイデア無限にそこらへんに転がってるからだ。於保方さん事件がわかりやすいが、発明の案を出した人ではなく、発明証明までできた人が評価される仕組みを現代科学界ではとっている。

まり、今科学証明されていることというのは、「HPVワクチン特有副作用がある」ことが証明できなかったという事実から副作用は(ほとんど)ないはず」という事実を導いたことであって、「副作用がなかった」証明をしたわけではない。背理法的な導き方だ。

言葉の揚げ足取るようで悪いが「HPVワクチン副作用が起こることはない」とまで完全に言い切ってしまっているのは非科学であると思う。

科学を盾にしてるのだから、様々な背景や前提を取っ払って必要な修飾まで捨てた文章を使わないで欲しい。とてもデリケート話題であるということを胸に刻んで言葉の端々まで気を使っていただきたい。

あと、副作用証明というのはわかりやすバイオマーカーがあるわけではなく、患者ワクチンを打った前後の状況(社会的背景も含めて)、ワクチンを打った時の反応などを総合的に加味して診断されているものであり、副作用と診断する体系的な指針があったとしてもかなり不確かさを含んでしまものであると言えよう。

100%それが正しいなんて言える段階まで医学進歩していないと思う。

ここまで何が言いたいのかというと、

マクロ視点的にHPVワクチンほとんどないと科学的に締められたのは間違ってるとは言えないだろう

・ただ、それはマクロな話であって、ミクロゼロ人だと言ってるわけではないか病院に行った全員が副作用被害者可能性はないとしても、目の前の患者個人100%副作用がないとまで断言できるものではないはずだ。

100%副作用がないと断言できない、つまり100%副作用があるとは誰も一患者に対して断言できないということは、万一副作用が(本当に)起こってしまっている人は極めて不利な立場に立たされてしまうのだけど、このことを認識してない推進派が多いと感じる。

まり、本当に副作用を受けた人は完全ゼロとは言えないはずなのに、副作用集団的にほとんどないという方針が打ち出されると、副作用を受けた人が副作用被害だと認定されて補償される可能性はゼロに近くなる。

そもそも、その方針が打ち出されなかったとしても補償を受けられるほどの証拠証明するのが難しいが、逆に証明を求めている側も補償が受けられない証明をしているわけではなく背理法的に導いているだけだ。

からワクチン補償ってかなり不確定だし、制度として現行あっても信用できるものじゃない。だから安心して受けられるっていうものじゃない。

もし、HPVワクチン接種を推し進めるなら、この完全に片側が不利な状況をきちんと把握した上で、自身の行動がマイノリティ無視しているがマジョリティにとっては利益になるものだという現実をきちんと認識して、活動してほしいと思う。

わたしは、この非対称性についてはどうしようもないと思っており、ただどうしようもないからといってそれを完全に無視されるのには怒りを覚える。

どうしようもないけど、統計的にはこっちの方が多くの人を救えるからということでワクチン摂取推し進めるのに反対はしないが、そのどうしようもなさと向き合おうとせず認識すらしないのはどうかと思う。(もしかして認識しながら公共の福祉のために黙ってる?それはある意味肝座ってるわ…)

被害者一言どうしようもないだけでは終わらせられないか自分たちのことを主張するのは当然だ。

わたしは思うのだが、HPVワクチン副作用だと言われてる人たちが副作用が原因でないというなら、その本当の原因をつきとめ症状を治してあげたら良いと思う。

その症状が、副作用副作用じゃないかに関わらず治療は適切にされるべきだ。ただ、これを適切にできる医者は、ほとんどいないだろう。これも副作用被害者が大きく声をあげる一因になっていると思う。

こういった人たちをきちんと救う方向へはま動かず、ワクチン推進を推し進めてたら副作用被害者(だと思っている)の人たちはそりゃ反対する。ガン無視と同じだものね。副作用被害ないっていうなら困ってる人たちが副作用被害でないならないなりに治療を受けられるような活動も並行しないと正直都合いいなと思う。

副作用被害者の一部の集団に新種の自己免疫疾患かもしれない結果が出ている。

まだまだ、医学進歩途中であり、すべてがわかっているわけではないはずだ。それをきちんと認識してほしい。(だからもちろんこの新種の自己免疫副作用由来かどうかも本当に体に悪影響を及ぼしてるかもなにもかもまだ断言できるものではないという前提である)

過去有名な自己免疫疾患である多発性硬化症や今は認められているその他の病気ヒステリー扱いされていた歴史があったことなどを踏まえて、今一度自分の行動を振り返ってほしい。

自分のわからないことを患者が悪いとしてなすりつけるのではなく、己の限界認識し、わからないことはわからないときちんと言ってほしい。

自分のわからないことを心因性などとさも原因が分かったように言うのではなく、現在自分のところでできる検査では原因が見つかりませんでしたとただ起こった事実だけを言えばいい。

科学基準と照らし合わせて患者心因性って診断つけてる人っているの?原因が見つからなかった→心因性っていう自分世界の全てをわかってます的飛躍的論理医者それなりにいない??

科学を盾にするのはいいが、盾にするならするなりに論理を通してください。大事な前提や修飾を省いたバズりやす文章で人を惹きつけるようなことはしないでください。









あとこれは個人的な意見だけどワクチンって体質的ワクチン無理な人除いて全員に受けさせることによって集団を守るってものだと思うから個人選択責任をそこにそんなに問わず、起こったリスクコストのうちだと精算できるくらいの仕組みでいてほしいと思います個人個人治療選択に関しては患者に多少の責任があっても、できるだけ多くの人が打った方が効果が出て更に進学や渡航の際に聞かれる類のもの個人責じゃないっしょー

医薬品のPL適用範囲難しいと思うけど

2020-02-25

背理法

孫子兵法的に考えると、

桃太郎に出てくる鬼ヶ島の鬼退治ってば、鬼達が酒盛りしてる時点で勝負あったようなもんだろう。戦いが有利な状態で、戦闘に及んだので、経験値の低いと思われる桃太郎という若者は勝てたのだろう。

  

ところで、鬼ヶ島という離島のような所で、人間よりも体格の良い鬼がどうやって筋肉量を維持していたり、生活を営んでいたのか?はたまた、金銀財宝があっても、交易できなければ儲けにならないだろう、と容易に想像出来る。

  

すると、やっぱり、鬼ヶ島の鬼という前提が誤りで、空想産物なのだなと、思う。

2020-02-01

anond:20200131142228

旅人の与えた情報は、

「青目が1人以上いること」

だけではないよ。

「村人全員が「青目が1人以上いること」を知っていること」

も与えているよ。さらに言えば、

「村人全員が「村人全員が「青目が1人いること」を知っていること」を知っていること」

も与えているよ。

これらは全く等価情報ではなく、後の情報の方が真に強いよ。

実のところ、この問題を解くにあたり必要な、旅人が与えた真の情報は、

「村人全員が「村人全員が……「村人全員が「青目が1人以上いること」を知っていること」……を知っていること」を知っていること」

で、入れ子の個数が99個のものだ。

100人だとあまりに長くなるので5人くらいで考えてみよう。5人でも100人でも本質は変わらないはずだよ。

この場合旅人が与えた情報は、

「村人全員が「村人全員が「村人全員が「村人全員が「青目が1人以上いること」を知っていること」を知っていること」を知っていること」を知っていること」

となる。

これが1日経つと、皆の持っている情報

「村人全員が「村人全員が「村人全員が「青目が2人以上いること」を知っていること」を知っていること」を知っていること」

アップデートされるよ。入れ子が1個減って、代わりに青目の人数が1増えたね。

なぜそうなるかというと、

「村人全員が「青目が1人以上いること」を知っていること」+「昨日、離脱者がいなかったこと」

の2つの情報を組み合わせて、

「青目が2人以上いること」

という情報が導き出されるからなんだ。

これは簡単背理法で、青目が1人しかいないとすると、その青目の人本人が周りの状況を見て、「ああ、俺なんだ」と気付けるからだね。

この論理はそのまま適用し続けることができるので、

3日目には

「村人全員が「村人全員が「青目が3人以上いること」を知っていること」を知っていること」

4日目には

「村人全員が「青目が4人以上いること」を知っていること」

5日目には

「青目が5人以上いること」

がわかり、村人は全部で5人なので自分含む全員が確実に青目だと分かって、村から出て行く、ということになる。

追記

本題とは何の関係もないけど、この問題、「吸血鬼の目のパズル」にしたら面白かったんじゃないかと思うよ。

吸血鬼は鏡に映らないし、掟とか守りそうだからね。

それかなんか吸血鬼の弱点で閉ざされた場所という設定にして、赤目の吸血鬼ちょっとでも弱点に触れたら完全消滅するけど、青目ならそれに耐えて逃げられる。

から自分が「耐えられる側」と確信した瞬間に逃げ出すんだとか、どうだろうかね。

2019-11-26

anond:20191126085540

「うっすらわかってる」ことと「言葉にできる」ことの違いとか、「仮に」の話をどのよう理解するかとか、流石に中学生には(何も言わなければ)難しいと思うけど。「わかってるつもりになること」はあるかもしれないが。

背理法数学的帰納法高校で習うじゃん。中学生ってまだ証明概念も習いたてで、「なんでわざわざそんなことするの?見ればわかるじゃん」って考える人の方が多いでしょ。

2019-10-26

anond:20191026210803

○第5章『妊娠中絶:「妊娠中絶反対派」の見解

(『本書の概要』で述べるとおり専門的すぎるため省略)

○第6章『人口絶滅

●『人口過剰』

●『人口に関する道徳理論に潜む問題解決する』

・『パーフィット人口問題

p.176 人格影響説…非同一性問題非人格的総計説、非人格的平均説…新たな理論Xを求める。

・『反出生主義が理論Xに適合する理由

p.181 人格影響説は…出生は確実に悪いため解決できる。

p.181 非人格的総計説は…とにかく人間を増やすべきだという「いとわしい結論」と、まだ存在しない人間対象とする誤った前提を否定できる。ただし、人口サイズに対するガイドラインはなくなる。非人格的平均説は…人間の出生に条件を付ける「単純な追加の問題」を否定できる。…非人格説は幸福の最大の総量/平均値ではなく、不幸の最小の総量/平均値を目指すべきだ。よって、理想的人口ゼロだ。

・『契約主義

●『段階的絶滅

・『人口減少がQOLを低下させる場合

p.191 高齢化。とくに一部が「最後の人類」となることはQOLを大幅に低下させる。

・『人口ゼロまで減らす』

p.194 現存の人々のQOLを良くするために新たに生命を作ってもよいか。また、その条件は。

p.195 総計的人格影響説、平均的人格影響説…不幸から見た場合、平均説は明らかに誤り(QOLが悪い人生が60億あるより、120億ある方が悪い)。総計説なら部分的に許される。

p.198 平均説・総計説とも功利主義に対するのと同じ批判を受けうる。→権利義務論:厳格な説ならすべての子作りは許されない。厳格でない説なら部分的に許される。

●『絶滅

p.202 小惑星の衝突といった外的な脅威、持続不可能な消費、環境破壊、疫病、核兵器生物兵器

・『絶滅への二つの手段

p.203 皆殺しか、段階的絶滅か。

・『絶滅に関する三つの問題

p.204 ①皆殺し②「最後の人類」への害悪人間がいないという状態…①は明らかに悪い。②は最後世代の方が、最後から2番目の世代より、未来への願望・欲望が絶たれるという点で害悪が大きい。ただし、これは絶滅が早いほどにいいという議論矛盾しない。③道徳主体理性的思考者がいなくなり、多様性もなくなる。それらの受益者はいないし、「永遠の相のもとで」価値があるか不明だ。

○第7章『結論

●『反直観であるという反論反論する』

p.210 「道徳台帳」という功利主義理論を退けるピーター・シンガー。「失望主義(反失望主義」を退けるニルス・ホルタッグ。

p.211 そもそも直観的だというのは判断材料として有力ではない。…この結論(反出生主義)が反直観的という理由否定し、背理法的に非対称性を退ける。…快楽の不在は悪で、苦痛の不在は「悪くはない」と見做すことはできない。さらに、支配的な直観は①他人害悪を与えることを子作りに限って度外視している、②出産奨励する直観心理学的に歪められている、という問題がある。

p.214 背理法的に非対称性を論じることができると見做せば、我々より悪い人生を送る人々に、我々の直観を同様に反直観的と非難されることになる。

●『楽観主義者への応答』

p.215 楽観/悲観主義には事実価値判断の2つについてがある。無論、反出生主義はどちらも悲観主義だ。

p.216 反出生主義の楽観主義転回=避けられない絶滅を良いことだと考える。他の人々にとっては悲観主義的だ。

p.217 楽観主義者は悲観主義を苛立たしく思い、非難する。出生は「覆水盆に返らず」で、自分を憐れまず、いか自分が恵まれいるか考え、人生をフル活用し、喜びを感じ、前向きに考えなければならない…①人を元気付けるというだけでは正当とは言えない。②自己を憐れむことなく自らの存在を悔やむことはできる。何より、反出生主義はまだ生まれてこない子供のためのもの利他的だ。盆からこぼれてもいなければ、こぼれる必要もない。③自分人生に満足すべきだという意味を読みとって「いか自分が恵まれいるか考える」ことは、自分に都合のいいように解釈することを必然的に伴い、そうしろという命令には全く説得力がない。反出生主義は苦痛拡散をせず、なおかつ自分人生をより悪くなくすことができる。④楽観主義苦痛に対する妥当否定ではなく、ただの無関心でしかない。明るい方向がつねに正しいというのは、ただの無根拠イデオロギーだ。自己欺瞞を回避できれば、集中して取り組まなければならないのは、おおむね希望より逆境だ。彼らは幸せかもしれないが、だからといって正しいわけではない。

●『死と自殺

p.220 存在してしまうということはつねに害悪だという見解は、死が存在しつづけるより良いということや、自殺がつねに望ましいということを意味しない。存在するもの存在しつづけることに様々な利害関心を持ちえて、人生を続けるに値しないほどの害悪は、それらの利害関心を無効化するほどでなければならない。

p.221 実際、存在することの害悪の大きな1つは死ぬこと(不死ではないこと)だ。

p.221 エピキュリアン:死は死ぬものにとって悪くない。死が来た時点でその主体存在せず、よって死は経験できない。…①すべての条件が同じなら、長い人生は短い人生よりいい。②死んだ人間の願いは尊重すべきだ(もし死は害悪でないのなら、死後生じることで害悪ないことはない)。何より、③殺人はその犠牲者を害するという直観に反する。

p.222 ①存在することが害悪だと考えるひとさえ、同意くその人を殺すのはその人を不当に扱っていると考える。②予防原則:エピキュリアンの見解が間違っていた場合、深刻な害悪がもたらされるが、反出生主義が間違っていても、害悪がもたらされることはない。

p.223 生前非存在と死後の非存在非対称的だ。人に歴史個人歴史から構成される。

p.223 「生前の」人物から奪うというのは…害されるのが「生前の」人物なら過去への因果関係が生じているという議論…死が害する瞬間は「つねに」または「永遠に」だ(例:「最後から2番目の大統領」は「つねに」、「永遠に」そうだ)。…デイヴィッド・スーツ「それは「純粋関係的な」点において惨めであるということで、彼が害されているということは言えない」。

p.225 ともあれ、反出生主義はエピキュリアンを意味しない。エピキュリアン:死は害でも益でもない。→エピキュリアンの見解を退けるとすれば①死はつねに害悪である。②つねに利益である。③害悪である場合利益である場合もある。…①②は明らかに間違い。反出生主義は③で、QOL評価と、それが存在しつづけるのをやめるべきとき基準は、自己決定の原理によるべきだ。しかし、一般的見解より合理的自殺に寛容なことは確かだ。実際、西洋文化ほとんどを含む多くの文化合理的自殺への大きな偏見がある。

p.228 一旦、誰かが存在してしまい、その人への愛着形成されると、自殺苦痛を引き起こす。せいぜい子供のいない人生苦痛比較することで和らげるだけだ。さらに、周辺の人への害が増えることがあり得る。

●『宗教的見解

p.229 旧約聖書でヨブは生れてきたことを悔い、エレミヤはさら堕胎してくれなかったことを恨んでいる。タルムードヒレ主義とシャマイ主義の論争で、人類は作られない方が良かったという後者に軍配を上げている。

●『人間嫌いと人間好き』

p.231 反出生主義は人間好きによるものだ。しかし、人類自分から絶滅せず、多数の苦痛が生まれつづけるだろう。これこそ、人間嫌いが反出生主義に達しない理由だ。…人々は反出生主義も子作りをやめることも受けいれないだろう。それが人間好きに由来するとは考えにくい。それは人間に対する悪意ではなくとも、存在してしまうことへの害悪への、自己欺瞞的な無関心によって行われている。

デヴィッド・ベネター『生まれてこないほうが良かった』要約

本稿の著作権著作人格権は完全に放棄する。無断での利用・転載はむしろ推奨する。

○第1章『序論』

p.10 子供を産むことの決断には様々な理由があるだろうが、そこに存在することになる子供の利害が含まれているはずはない。

●『誰がそんなに幸運なのか?』

p.12 「生はあまりにも酷い。生まれしまわない方がよかっただろう。誰がそんなに幸運なのか?」(ユダヤ人格言

 「決して誕生しないことは、死ぬ運命にある人間にとっては最善の事柄だろう。しかし、このことは十万人のなかの一人の人間だってほとんど生じない」(フロイトジョーク)…「非同一性問題」→私たちはたしか非存在がよりよい状態にあるとは言えない。しかし、存在するものについては、存在することは当人たちにとって悪いことだと言える。「これは哲学的ゲームでも冗談でもない」

p.15 生殖をするカップルは、苦しみを生みだす氷山の頂点にいる。遺伝的な起源責任。=デレク・パーフィット起源説」

●『反出生主義と出生を促進する偏見

p.16 反出生主義の偏見子供嫌い、子供を持つことによる自由財産制限

p.17 出生の偏見子供をもたないことは利己的で未発達→①子供は別の人間なのだから子供もつ動機利己的でしかありえない。②(1)子供もつことはしばしば不注意の結果でしかない。(2)生殖衝動原始的ものである

p.19 全体主義者の政治団体軍事的理由生殖奨励する。民主主義国家も、つねに生殖を支持する層が勢力の大半を占めている。…あらゆる国家移民より生殖により人口構成されている方が正当化される。

●『本書の概要

●『読者への指針』

○第2章『存在してしまうことが害悪である理由

●『存在してしまうことが害悪であるということがあり得るか?』

p.27 「非同一性問題」「未来個人パラドックス」…(ex)遺伝性の障碍

・『生きる価値のある人生と生きる価値のない人生

p.29 非存在存在比較できないため、存在することがしないことよりも「より悪い」と言うことはできない。…存在害悪は単に「悪い」というだけで十分だ。

 …誰かが死んだ方がマシだと考えるとき自分状態が良くなると考えるわけではない。存在しなくなる方が良いほど人生が悪いものである可能性と同じく、はじめから存在しない方がいいほど人生が悪いものである可能性はある。

p.31 誰かが存在していることとしないことを比較するのは、2つの状態比較するのではなく、まったく別の事態比較することだ。…障碍が耐えがたいにしろ人生を生きるに値しないものにするほどではない場合は、そうでない場合より難しいと考えられている。=生きるに値する人生において、存在するよりしない方がいいというのは矛盾だ。→これは「生きるに値する人生」という表現多義性が原因だ。

・『始めるに値する人生と続けるに値する人生

p.32 「生きるに値する人生」は実際には「生き続けるに価する人生」だ。だが、問題は今はまだない人生であり、これに「生きるに値する人生」という表現を使うことはできない。「始めるに値する人生」を始めない方がいいというのは矛盾だ。

p.34 道徳的問題に関わる意味で、人が存在するようになる過程は長く、段階的だ。

●『何故存在してしまうことは常に害悪であるのか』

・『快楽苦痛非対称性

p.40 非存在苦痛がないことはいいことだと言える。可能性において存在する誰かの利害で判断することができる。我々は、自分たちについて存在しなければよかったのにと仮定することができる。

p.42 人々を幸福にする積極的義務があると考えている人でも、幸福な人々を存在させる積極的義務があると考える人ほとんどいない。

p.44 非対称性思考実験「遠く離れた(異国の住民の)苦痛と、無人場所無人島・火星)」(…非対称的判断)で実証できる。

p.46 積極的功利主義者は幸福を増加させようとする。そこにも①人々を幸福にすること、②幸福な人々を生みだすこと、の違いがある。①は倫理要請だと言える。しかし、②を倫理要請だとすると、個人価値幸福価値から派生することになり、人々を幸福を生みだす手段だと見なすことになる。

・『存在することと決して存在しないことを比較する』

p.52 つねに健康な人と、病気がちだがすぐ回復する能力もつ人を比較すれば、存在しないことの利点がつねに勝ることは明らかだ。回復するのは手段的な善であり、内在的な善ではない…という批判は成立しない。実在する人物について善がないことに「奪われていない」という判断ができるのは手段的な善のみだ。この区分意味がない。

p.54 楽観主義者快楽苦痛費用対効果分析…は「存在しない」場合との比較でなされていなく、無意味だ。…快楽苦痛の2倍以上の値がある場合、「存在する」ことの費用対効果分析は成立する。しかし、QOLを決定する快楽苦痛割合苦痛の下限の問題がある。何より、思考実験「つねに健康な人と、病気がちだがすぐ回復する能力もつ人」はつねに相対的に前者が勝る。

・『別の非対称性

p.59 シフリン:より大きな害悪を防ぐために小さな害悪をもたらすことはいい。しかし(純粋な)利益をもたらすために害悪をもたらすことは悪い。よって、生殖は悪い。存在利益をもたらすとしても、あらかじめその存在の承諾を得ることは不可能だ。また、その仮想上の承諾を想定することもできない。…①存在しなければ害悪を被らない。②存在することの害悪は耐えがたいものでありえる。③人生という害悪を逃れるには大きな代償を支払わなければならない。④仮想上の承諾はその個人人格無視している。…そもそも、出生が利益もつことはない。

p.63 出生された人物権利生殖侵害するということは、その権利請負人間はその時点で存在していないためにありえない…という議論生殖特別な特徴を無視している。害悪を被り「得る」ということで、特別権利を認めるべきだ。なぜなら、存在しない権利がないということはありえない。…自律していない存在(=子供)にはより大きな利益をもたらすために害悪を与えていいというパターナリズム的な議論…は、子供とまだ生まれていない子供は異なり、出生は絶対に悪いということで否定できる。

p.64 フェーイゲ「反失望主義(antifrustrationism)」:選好が充足した場合も選好がない場合も等しくいい。悪いのは選好が充足しない場合だけだ。よって、出生は悪い。

・『生まれたことを悔いないことに逆らって』

p.68 自らの人生を楽しんでいるという理由で、存在してしまたことを良いことだと考える…もし存在してしまわなかったら、その楽しみを逃す人はいない。しかし、存在してしまわなかったことで、苦しみがなくなるのは良いことだ。

p.69 存在して良かったかどうかを間違うはずがないと考える…存在してしまった当人存在が良い/悪いということは、存在してしまたことが幸福/不幸ということと同じではない。

○第3章『存在してしまうことがどれほど悪いのか』

●『人生の良さと悪さの差が人生の質にはならない理由

p.72 人生の良さと悪さの差は、順番、強度・頻度、人生の長さ、閾値、で人生の質とは変わってくる。

●『何故人生の質の自己判断は信頼できないのか』

p.75 ①ポリアンナ効果:楽観主義人生の質を改善するらしく思われる要因のほとんどは、人生の質の自己判断にあまり影響を与えていない(例:体の各症状に対する自分健康状態への判断がほぼ一致するのに、幸福への判断とはあまり一致しない)。②適応。③比較幸福自己判断は、実際は相対的指標による。

●『人生の質に関する三つの見解のどれをとっても人生はうまくいかない理由

・『快楽説』

p.81 人間人生の大部分をマイナス精神状態で過ごす…空腹、渇き便意尿意疲労ストレス、暑さ・寒さ。前述の3つの心理学効果無視されているだけ。さらに…持病・加齢:痛み・苦しみ、眠気、挫折感。災厄:アレルギー頭痛挫折感、苛立ち、痒み、寒気、生理痛・閉経後の火照り、吐き気低血糖、発作、罪悪感、恥、退屈、悲しみ、憂鬱孤独無力感喪失感、その他、被害感情全般

・『欲求充足説』

p.84 精神状態について判断を間違うことはなくとも、欲求については間違うことがありうる(単に快楽を追求している場合は除く)。…欲求は当然、満たされていない時間の方が長い。また、欲求が満たされるのは一時的で、そもそも欲求が満たされないことも多い。現状維持欲求さえ、実現は不可能だ(老い、死)。

p.86 マズロー「つねに新たな欲求が生じる」。イングルハート人間永遠幸福を得ることができるなら、何ら行動しなくなる」。マズロー人間はおおむね幸福で、不満足は病的状態だと言うが、ショーペンハウアーは不幸こそ人生の当然の状態だと言う。

p.88 欲求の充足までに困難があった方が、あるいは充足の過程のものが良いという議論…は明らかに不条理だ。

・『客観的リスト説』

p.92客観的リスト」は「永遠の相のもとに」ではなく「人間の相のもとに」構成されている。…40歳死ぬことが不幸だとして、90歳でそうでないのは何故か? 「色んな芝生に生えている草を数えることに人生を捧げている男」(ロールズ)の人生無意味だが、その視点人類視点は大差ない。

p.93 人生の質は「人間の相のもとに」判断すべきである、あるいは、具体的な背景に応じて判断すべきであるという議論…は明らかに不条理だ。

・『三つの見解についてのまとめ』

p.98 害悪に満ちた人生を、①すでに存在している人のためでなく、②功利主義的な目的でなく(また、そうであっても)、生みだすことはできない。人生の質の判断は当てにならず、よって、人生を続けるに値するかは別論だ。

●『苦痛世界

〇第4章『子供を持つこと:反出生的見解

●『子作り』

・『子作りの義務はない』

p.103 子作りの義務…①射程:子供を(1)何人か、(2)できる限りたくさん、持つ。②正当化理由:(1)存在させられる人々の利害関心、(2)その他(他者の利害関心、功利性、信仰、等)。…存在させられる人々の利害関心によれば、子作りの義務はあり得ない。それ以外の理由ならあり得るが、それにしても相当に疑わしい。とくにできる限りたくさんの子供を持つべきだという場合は。

・『子どもを作ってはいけないという義務はあるのか?』

p.105 生殖衝動、子作りへの関心…「性交への関心」「親になることへの関心」と「子作りへの関心」を分ける。前2者に子作りは必要ない。

p.107 他者の関心…両親、部族民族国家しかし、こうした他者利益を適えることは、それによる当人利益を適えることと表裏一体だ。

p.109 子作りへの関心は…これまでの議論から権利制限されるべきだ。

●『子どもを作る自由

・『子どもを作る権利とされているもの理解する』

p.113 子供を持つべきでない道徳的義務があるなら、子供を持つ道徳的権利はあり得ない。よって、子供を作る権利は(愚行権を含む)法的権利だ。

・『子どもを作る権利自律性に根拠付ける』

p.114 法的権利道徳的義務対立する場合、そうした方が良いという仮説を必要とする条件付きのものとなる。そして、阻却可能条件(子供を作るべきでない)がつねに適合する場合、その法的権利妥当ではない。

・『子どもを作る権利無益さに根拠付ける』

p.115 政府子供を持つべきでない道徳的義務を認めると、施策としてあり得るのは①権利を与えず自由放任する、②禁止する、のどちらか。①は権利を与えず容認するというのは矛盾で、いずれも積極的な②を包含する。②はその道徳的代償が子作りの禁止による利益を上回ることはないと思われる…非最大化主義的非帰結主義者の見解

・『子どもを作る権利意見の相違があるということに根拠付ける』

p.116 法的権利とその正当化にはこのことだけで十分だ。危害原理必要条件:ある行為害悪であるかどうか意見の相違がある場合は、危害原理の射程の外にある(例:人工妊娠中絶)。…ただし、奴隷制のように、ある行為害悪議論余地があるだけでは許されないものもある。

・『子どもを生む権利妥当意見の相違に根拠付ける』

p.118 危害原理例外となる意見の相違は妥当/無条件のどちらか。奴隷制アパルトヘイトは明らかに妥当ではない。

p.120 少なくとも反出生主義が最も優れた反論比較して十分に検討されるまでは、妥当判断のできる理性的な人々によって、意見妥当に違えることができるかは結論付けられない。

p.121 少なくともリベラル社会において子供を作る法的権利撤回されるのには長い時間がかかり、そのときにはその意見は広く認められているだろう。それまで、新しい人間存在させてはならない道徳的義務を認めつつ、子供を作る法的権利を認めることはできる。…実際、テイサックス病やハンチントン病のような遺伝性の病気エイズのような感染病など、他の場面では許されないほどの害悪を与えることが、子供を作る場面では容認されている。

●『障碍とロングフライフ(望まずに生まれた命)』

p.123 障碍…障碍は社会構成されたもので、実際には障害(disability)ではなく不能(inability)だ。また、障碍の出生前診断政治的に悪いメッセージとなるという「表出主義者」の議論…障碍が不能ということは、「より悪い」ということを否定するものではない。健常者と同じQOLを持つ障碍者も、さらなる障碍についてはQOLを低く見積もる。また、反出生主義はむしろ平等主義だ。

p.132 ロングフライフ訴訟は①子供を持つ法的権利に関する妥当意見の相違。②QOL評価個人的なものだ(とくに現在のロングフライフ訴訟代理人によることが多い)。もし判例ができれば、もうQOL評価個人に独特なものではない。の2点の課題がある。

●『生殖補助と人工生殖

・『生殖倫理と性倫理

p.135 セックスは子作りの目的でなされる場合のみ道徳的容認されるという多くの反論がある見解オーラル・アナルセックスレイプ不倫不妊症)を、反出生主義は「性倫理の反生殖見解」として完全に退ける。

・『誕生悲劇婦人科学(gynaecology)の道徳』…『悲劇誕生』と『道徳の系譜(genealogy)のもじり。

●『将来生まれてくる人間を単なる手段として考えること』

p.140 1人の子供を救うために新たに子供を持つという場合は…(a)自分たちの関心(interest)を満たすため、(b)今存在する子供に弟妹を与えるため、(c)家族部族民族種族を大きくするため、(d)何の理由もない、という場合よりはるかに良い。これらは、他人手段として扱ってはならないというカンティアン命題によりいっそう当てはまる。

○第5章『妊娠中絶:「 Permalink | 記事への反応(1) | 21:07

2019-10-17

anond:20191017205609

非対称だとしてもなぜ当てはまらないと言えるのかを考える上では背理法的な意味があると思うが

2019-08-31

anond:20190831145944

そもそも「同一人物がどうか」という問題以前に、論理的仮定とか背理法とか(皮肉とか)のテクニカルな話法と「妄言」との区別つかない人がいるんだなという話。

抽象化が過ぎて論理現実に即さない」ことはそれ自体批判対象ではあるとは言え、「妄想が過ぎて話が通じない」こととは全く区別されるのだが、その辺りの区別がつく人って少ないよね。

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