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はてなキーワード: ゆるオタとは

2017-08-20

これってオタク

自分一般ピーポーとオタクの真ん中に位置してる気がする。

これって何て言えばいいんだろう。

例えば、好きなアニメ

ヒカルの碁コードギアス昭和元禄落語心中ギャグマンガ日和 …くらい

そもそも通しで見たことあるアニメ10作品あるかないかくらい。

けものフレンズとかSAOとか進撃の巨人とかのゴミアニメは途中で挫折してしまった。

最近では実力主義とかカケグルイとか見るつもりだけど、いつものように見飽きるかも。

萌え系とかオレTUEE系のアニメそもそも見る気が起きないか途中で飽きてしまうからハルヒとかラブライブとかアイマスとか見てないし見る気もない。

からオタクから見ればオタクではないと思う。声優全然詳しくないし。

漫画も読むんだけどいわゆるオタクが読みそうなものはあまり得意じゃない。

読む漫画と言えば

クロサギ三月ライオンハンターハンターヒーローアカデミア、ウシジマくん…etc

とかそれくらいだ。

ゲームも、RPG一般人でも知るようなポケモンドラクエをそれぞれ1作品くらいしかやったことないし、エロゲネトゲなんてもちろん知らない。

RPG以外だとスマブラとか鉄拳とか有名無名なモノをいくつかって感じ。

そんな感じでオタクから見ればオタクじゃないんだろうけど、

じゃあ一般人かって言われたら結構詳しくね?ってなる。

これくらいの立ち位置って何て言えばいいの。

2017-07-29

主人公になると決めた

 僕はずっと、自分人生傍観者だった。

 この感覚自体理解出来ないという人が多そうだ。と言うか、そうであって欲しい。僕という人間世界中に一人しかいないと理屈では分かっているが、僕に対する僕自身評価が「その他大勢」だったのだ。世界主人公は僕以外の誰かで、僕はそうではない有象無象の一部だった。

 キモオタコミュ障で、学生時代教室の隅でキノコを生やしながら本を読んでいた。イジメの標的にされなかったのは、比較的育ちのいい子ばかりの私立学校ゆえイジメ自体が少なかったからで、公立に通っていれば悲惨学生時代になっていたと思う。

 本や漫画の好きな、いわゆるオタ友達ならいたのだが、彼らとも時々隔たりを感じていた。「普通高校生が異世界召喚されちゃう、みたいな話あるじゃん。もし自分がそうなったらどうする?」なんて話をしていると、僕は野垂れ死にする自分しか想像出来なかった。ファンタジー世界に行ったらこ属性魔法が使えそう、とか、さすがに王族に見初められる自信はねーわ、とか、そういうバカ話をする友達が眩しく見えた。彼らは自分主人公である世界想像出来るのだと知って、羨ましかった。

 仮に最初からファンタジーRPG世界に生まれ落ちたなら、僕には名もなきNPCがお似合いだろう。世界を救う旅をする主人公に話し掛けられて、「夕食の材料を買いに来たんだ」とかのどうでもいい話をする人。ゲーム攻略の手掛かりを提供することも、プレイヤーの心に残ることもない、そういう存在

 頭も顔もよろしくない僕が、器用に生きるのは無理だった。せめて真面目に勉強して、それなりの大学に行き、手堅い職に就こうと思った。そして当初思い描いていたレールと比べれば、多少の紆余曲折はあったものの、最終的には建築系の企業入社図面を書く仕事に辿り着く。

 この仕事は僕に合っていた。PCに張り付いてCAD操作をするのは得意だった。雑談が苦手でも、最低限の挨拶情報交換さえハキハキとしていれば「自分作業に没頭できる人」としてプラス評価を受けられるのもありがたかった。休み時間にも図面を書いて練習したり、参考書を読んで勉強していれば、そっとしておいてもらえた。人間関係の苦悩も、当面は食いっぱぐれの心配もなく、収入は安定していた。

 顧客の「こういうものを建てたい」という注文や、上司の「法に触れないように調整しておいて」といった指示を、PC画面上に反映させていく毎日。僕は自分意思を持たない、人の言葉PCに受け渡すだけの変換機みたいなものだった。仕事自体は好きでも嫌いでもなく、ただ毎日が過ぎていく。それでいいと思っていたし、僕にはそれがお似合いだと思った。

 そこそこ経験も積んで三十歳になったある日、僕は小さな建築現場事務所に配属されることになった。

 現場事務所にも色々あるが、僕が回された先は労働衛生基準法に照らせば真っ黒な、およそ人の働ける環境ではないという最悪の部類である間取り関係上、空調の効きが悪く、夏は暑く冬は寒い。窓はないため無風であり、日光は差さず、機械音だけがうるさい。

 環境改善要望無視され続け、僕のメンタル一年でイカレた。それでも一年間は問題なく務めたのだから、この人事は正解だったと言うべきだろう。最初からいた現場長以外の、僕の後任として入った人たちは、ほとんどが数日でダウンするか逃げ出してしまったらしい。退職間際、現場長一人で仕事を回しているので大変そうだ、と人づてに聞いた。

 そんなことを言われても、発熱眩暈、圧迫感、何の刺激もない時に突然涙が出る。労働どころか外出もままならなくなった僕は、仕事を辞めざるを得なかった。休職も出来ると言われたが、回復後に同じ環境に戻される可能性を考えると気分が悪くなったので、丁重お断りした。

 変換機として生きて行くことは、もう出来なくなった。

 かような経緯から、今の僕は三十路過ぎのニートである。なんと切ない響きだろうか。結婚どころか恋人もいない上、肉体と精神も損なってしまった。あとは失うものと言えば貯金残高と寿命だけ、というこの状況にあって、僕は一つの気付きを得た。

 職と健康を失ったことで、親には心配を掛け、友人からは「無茶しやがって……」とオタクらしいコメントを頂戴し、必然的に世話を焼いてもらう機会が増えた。それはとてもありがたく心強いことなのだが、申し訳ないことに、施される親切が僕の欲求とずれていることがある。たとえば今はさっぱりしたものが食べたい気分なのに、友人が手土産としてベイクドチーズケーキをくれる、というような。

 当たり前だ。僕の親しい人たちは、僕自身ではないのだから。彼らは彼らなりに、良かれと思うことをしてくれるのであって、僕の漠然とした欲求を察してくれるエスパーではない。友人は僕が「チーズケーキが好きだ」と言っていたことを覚えてくれてはいても、僕が今なんとなく食べたいものまでは分からない。

 ましてや職場において、僕が本当は日の当たる綺麗なオフィスで働きたがっているだなんて、誰が想像出来ただろう。ぼっちが平気で本さえあればゴキゲンコイツなら、環境が多少劣悪な現場でも耐えられるだろう、と判断されたのに違いなかった。

 僕の欲求を察して満たしてくれるヒーローなんて、どこにもいないのだ。

 ならば僕自身が、僕の欲求を聞いてくれるヒーローにならねばなるまい。主人公の座に戻らなければ。次はどんな働き方をしたいのか、どういう生活をしたいのか、趣味だって好きなだけ増やせばいい。一つずつ確かめて実現させて行く必要がある。

 今までは周囲に流されながら、手の届くものだけを掴んでいたけれど、本当は自分で水を掻いて行きたい場所に行けばいいし、欲しいものに手を伸ばしたっていいのだ。

 そういう風に考えて顔を上げると、空が今までよりも広く見えた。ごちゃごちゃと続く街並みを眺めるだけで、心が躍った。

 世間には「誰もが主人公」というメッセージが溢れている。その言葉自分には当てはまらないと、僕はずっと思っていた。

 だが今なら、「誰もが主人公」という言葉を受け入れられる。主人公とは、舞台の上で華々しく歓声やスポットライトを浴びる人を指す言葉ではないと気が付いた。演劇よりもゲームイメージした方が分かりやすいだろう。僕は多くの人にとっての「その他大勢」だが、物語の中で果たす役割が何であれ、僕は常にその人物を通して世界を感じ取り、考え、行動する。使用するキャラクターカスタマイズは出来ても変更は出来ず、人に操作を代わってもらうことも出来ない。生まれた時から死ぬ時まで、ずっと主人公であり続ける。

 だから、僕は主人公だ。非力でいいとこなしで、ステータス異常「うつ」まで付いてる始末だけれど、装備やスキルを工夫しながら目的地に向かうことを許された主人公なのだ。設定された座標を往復するだけのNPCじゃない。

 今の僕は三十一歳。自分がやりたいことを見極め、がむしゃらに夢を追い始めるには微妙な年齢である。夢を叶えようとしても、たとえば警察官になるには既に受験資格を失っているし、俳優を目指そうにもこの年齢の未経験者を入れてくれる劇団を探すのは難しい。

 僕の場合は更に厄介なことに、そもそも自分のやりたいことが分からない。趣味と言えば読書ゲームジョギングくらいで、人に誇れるものは何もない。小学四年生くらいまでは作家になりたいと思っていたが、三十一歳になった僕が小学生自分を参考にするというのも情けない話である

 しかし、うん、作家か。今も昔も、本が好きなのは確かだ。文章が書ける限り何歳からでも目指せる、年齢制限のない夢があるというのは悪くない。故に諦めを付けるのが難しいという、泥沼のような側面には注意を払う必要がありそうだが。

 他にもきっと、意識するより先に諦めてしまった「好き」や「やりたい」が山ほどあるのだろう。中には既に、年齢制限に引っ掛かってしまって叶わないものもあるだろう。それでも今の僕は、それらを探しに行きたいと思う。仕事でも、趣味でもいいから、傍観者をやめて、僕自身物語に介入したいと思う。

 それにしても、まさか三十路を超えた後にやりたいこと探しをする羽目になるとは。作家になりたいです!と公言するのは匿名記事ですら気恥ずかしいのに、年齢がそれに拍車を掛ける。若い人は是非、若い内にこの恥をかき捨てておいて欲しい。

 僕の物語ハッピーエンドである保証はない。夢を一つも叶えられないまま死ぬのかも知れない。そうだとしても、ジタバタもがいた後の方がきっと安らかに死ねると信じ、決意を固めるべくこの記事を書いた。デスクワークしかしなかった日よりも、気力を振り絞ってジョギングに出た日の方がよく眠れるのと同じように。

 三十一歳、無職独身恋人なし、病身。見事な詰みの現状から、この先何が得られるのか、少しワクワクしている。



追記:

 コメントトラバともありがたく拝読している。僕は個別に返信出来るほどマメではないので、かいつまんで書く。

 とりあえず、今の僕は既に心療内科のお世話になっていること、療養二ヵ月目でそれなりに落ち着いていることをお伝えしておきたい。

 この記事では「主人公」という、誰にでも通じるであろう言葉を用いたけれど、意味としてはゲーム用語の「プレイヤーキャラ」の方が適切だと思う。僕の自意識主人公のそれになっても、他の人から見れば立派なモブのままだ。

 ブクマコメで指摘されている、「これといってやりたい事が無さそうに見える」は、本当にその通りだ。自分のやりたいことを考えてみた時、小学生の頃の夢しか思い出せないくらいには何もない。

 最初から主人公としての自意識がある人には分かってもらえないかも知れないのだが、「お前は主人公じゃない」「どうせ何も出来ない」と自分に言い聞かせ続けていると、やりたいという気持ち自体が起こらなくなる。出来もしないことについて考えるのは、不毛無駄なことだから。出来る人を羨むのはしんどいから。心を守るために、「別に自分はやりたいとも思わないし」と思い込むようになってしまう。

 ずっとそんな風に生きてきた僕は、まずやりたいことを探すところから始めなければならない。言われてみれば、似たような筋書きの作品はいくつも思い当たるのに、僕は今まで何を読んでいたのだろう。本で読むのと、体で理解するのは別のことだということか。

 実は僕の状況は、詰みというほど悪くはない。失ったものは大きいが、得たものもまた大きかった。この記事に書いた自意識の変化が一つと、もう一つは人に恵まれていると実感出来たことだ。

 別地方勤務の同期が突然旅行で近くまで来てくれたり(うつ患者観光案内させるとか鬼か)、元上司が飲みに連れ出してくれたり(薬の関係で僕は飲めないのに)、オタク友達はここぞとばかりにDVD押し付けてくる(全部観ているとただのヒキコモリになってしまうからやめて欲しい)。

 盛大に人生をスッ転んだ結果、それでも助け起こそうとしてくれる数少ない人、僕が大切にすべき人たちをハッキリと見分けられるようになった。今のところ僕のやりたいことリスト最上位は、「この人たちに恩返しがしたい」だ。自分欲求とのバランスを取りながら、頑張ってみたいと思う。

 今はチーズケーキの気分じゃないとか言ってごめん。今度は僕が、自分で選んだ菓子を持って遊びに行く。

2017-06-21

アニサマレギュレーションに端を発した『コール禁止論争』について

少し時間が経ってしまったが、アニサマレギュレーションに端を発した『コール禁止論争』について持論を書き殴ってみる。

中立立場で書いているつもりだが、中立ゆえに少々過激な内容となってしまっているのでご了承いただきたい。

自己紹介

興味なければ読み飛ばしてください。

私自身はアニソンライブに年15~30回程度参加して10年以上になるアラサー男性である

最近では特定タレントを追いかけるというよりも、作品推しスタンスで参戦する事が多くなっている。

渦中のアニサマについては代々木時代に1回、さいたまスーパーアリーナに箱を移してからはほぼ毎年参加している。

いわゆるオタ芸については遠い昔に嗜んでいたこともあったが、色々あって今では現場で打つことはない。

それゆえに近くでオタ芸を打たれることや過激コールに対しての嫌悪感は他の参加者より小さいほうだと自認している。

この論争における一番の問題点

この件の一番の問題点は、『言葉定義曖昧であること』だと感じている。

人間というのは文章を読んだ際、自分に都合の良いように解釈する動物だと常々思っており、「周囲への迷惑となるコール」だとか「いわゆるオタ芸」なんていう曖昧言葉を使っている限り、全員が納得する形で議論収束することは永遠にありえないと断言できる。

オタ芸」の定義

ネット上でこの件について言及している方の意見に目を通していて気付いた事として、オタ芸に見識のある人の言う「オタ芸」と、オタ芸に疎い人(忌避する人、規制する側の人を含む)の言う「オタ芸」にズレが生じている事が散見される。

(余談だが、「オタ芸」と「ヲタ芸」は異なるものだ!という意見も見かけたが、個人的には表記ブレ範疇かと考える)

例えば、オタ芸の一つに「タイガー」というものがある。(タイガーファイアー…と叫ぶアレとは別物なのであしからず

これは、直立不動で動かずにステージ演者に熱い視線を送る行為のことを指し、虎視眈々と獲物を狙う虎の様相語源としている。

参考⇒https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%BF%E8%8A%B8

オタ芸禁止と明示された際に、オタ芸を嗜む人が規制側に対して「タイガー」もしては駄目なのかと質問すると、

「ここで言うオタ芸とはそういう言葉遊びの事ではなく、腕を大きく振りまわす等の迷惑行為の事を指している」という回答が返ってくる可能性が極めて高い。

(誰とは明言しないが、実際にそういう回答をした人を見かけたことがある)

オタ芸忌避する方々もこのような一見不毛と思われる似たようなやり取りを見たことがあるのではないか

ここで私が疑問に思うのは、オタ芸に見識のある人が「タイガーオタ芸」と定義しているのに対して、

オタ芸に疎い側が「タイガーオタ芸ではない」と断定し、あまつさえその認識のまま公のレギュレーションに明言してしまう。

このいい加減さ、傲慢さは何だろうか?

前項にも記したが、人間とは自分に都合の良い解釈をしてしまものである

運営もっとオタ芸勉強しろ!などと言う気は毛頭無いが、せめてこの差を認識し、万人が納得できるような言葉使いを意識して頂きたい。

『周囲への迷惑となるコール』とは何か

自己紹介でも述べたが、私は過激コールに対しての嫌悪感はあまり感じないほうだ。

平たく言ってしまうが、近くでイェッタイガーと叫ばれても全く不快だとは思わない。

(もちろん綺麗にキマっている事が前提だが)

一方で、広く浸透しているが私は不快だと感じるコール存在する。

具体的に一例を上げるのであれば、THE IDOLM@STERAメロの「フワ*4」が有名だろうか。

少なくとも2ndライブぐらいまでは裏打ちで「ッハイ!ッハイ!」だったが、いつの間にか前述の「フワ*4」に変化し、定着していた。

Aメロで「フワ*4」を入れること自体比較的珍しいゆえに型破りの感があり、個人的には当時のコールの方がしっくりきており、現場現在主流のコールを聞くといまだに強烈な違和感に襲われる。

乱暴に言い換えると、私の周囲で「フワ*4」する行為は『周囲への迷惑となるコール』に他ならない。

今回主張したい事とは主旨がズレるため、この曲のコールとしてどちらが正しいか・相応しいかを論ずる気はないが、そういった考えを持つ人がいることを知っておいてほしい。

結論としては、『周囲への迷惑となるコール』という言葉は非常に曖昧で、個々人によって定義がまったく異なるという事である

前項と同じく、万人が納得できるような言葉で記さないことには根本解決には至らないだろう。

ライブイベントにおけるコールに対する持論

最後に、ライブイベントにおけるコールというものに対して、持論を述べさせてもらう。

コールという文化地域風習によって異なる『言語』に特性が似ていると感じている。

遠い異国に行けばまったく異なる言語コミュニケーションを取っていたり(V系ヘドバンあたりが顕著だろうか)、

別の地域や閉じられたコミュニティには『方言』や『スラング』というもの存在する。

若者言葉が時を経て全ての世代に定着するように、コール時代とともに少しずつ変化している。

かつてPPPHアイドルライブから声優ライブに輸入され定着したように、時には外来語が定着することもあるだろう。

よく話題に挙がるイェッタイガーも新語の一つとして認知を広めつつあるが、使い勝手が悪ければ大衆には根付かず廃れる、

あるいは一部の人けが使用するスラングのような立ち位置になるのではないか、などと根拠もない憶測をしている。

自身が新しい言葉を使わないまでも、古きに固執し、新しい文化を受け入れない頑固な人物

いわゆる『老害』そのものではないだろうか。

自分自身が変化を受け入れられていないことを棚に上げつつ理想を言わせてもらえば、文化の違いを認識し、変化を受け入れる柔軟さを持ち合わせた上で、それぞれ自分スタンスで好きなようにライブを楽しめればみんな幸せになれるのになぁ…なんて思っている次第だ。

2017-05-24

http://anond.hatelabo.jp/20170524145812

いわゆるオタ作品に対してそういう圧力は働かないだろう。

黒人が出ないことが批判されるとしたら、例えばポケモンとかもう少しポピュラー作品で、

そういうものでは実際に配慮もされているはずだ。

オタク作品は今まで通り非現実的ものを描くべき。それが売り上げでも批判をかわす意味でも正解。

2017-04-23

友人の結婚式に出席するのが憂鬱

理由

お金

・仲がそこまでよくはない(と私は思っている)

上二つが主な理由だ。まあこれだけならよくある理由なのだが、

その理由に至るまでの過程が色々と複雑だ。

から結果的に出席して終われば一番簡単なのだ

それはわかっているが現実は、なかなかそうはいかない。

正直お金がないのはみんな同じだ。だからそれを言い訳にあげるということは

私はおそらくその子お金時間を使いたくないと潜在的に思っているのだろうなと思う。

まあ彼女も私にいいたいことはあるとは思うが、

だって彼女にいいたいことがある。

私はどらかというとおとなしいほうで、アニメゲームが大好きないわゆるオタクだ。

彼女(以下A)はどちらかというと、アニメなどは全くみないキラキラ女子だ。

趣味は全くあわないが、波長はあっていたので高校で仲良くなった。

友達を作るのが私は苦手で、さら学校はウェーイ系の女子ばかりだったので

それ以上私たち友達はできなかった。

しかし、高校の終わり彼女は私よりも仲のいい友達Bができた。

それ以来私はあまり隣にいることはなく、AはBの名前ばかり呼んでいたし、いつも一緒だった。

からといって彼女は私のものではないと言い聞かせつつ、寂しさを感じながら卒業式を迎えた。

ひどく嫌な日だった。私はひどく惨めだった。

当然周りは泣きながら友達写真を撮ったり、寄せ書きを描いたりしていたが、

私の周りには誰もいなかった。

AはBと一緒に写真を撮ったり、別のクラス写真を撮りにどこかへいってしまった。

私は見送るしかできなかった。私は写真を撮る気でいたし、話しかけようとしたのだが

どうも声がしぼんで、声が震えてでてこなかった。

私は唇を噛みながら帰った。

家に帰って泣いた。もうみじめでみじめで。

母は呆れていたが。

あんた達の友情ってわからない」

と、いっていたのを覚えている。

この文章を書いている手が震えるぐらいにはトラウマになっている。

友情にこだわるのはやめようと思ったきっかけになった。

大学は全く会わなかった。恐らく上記のことがあったせいで、会うのがかなり億劫になっていた。

まあ忙しかったのはある。

社会人になってからやっとたまにではあるが会い始めた。

彼女高校卒業式ことなど、忘れているのだ。

私の気持ちなど、わかるわけもない。

からこそ、無邪気に私のことを友達というのだ。

私は笑顔を顔に張り付けたまま、Aと談笑してご飯を食べる。

非常につまらなかった。辛かった。

いや、だったら、さっさと会うことをやめればよかったのだ。

自分言い訳をして、Aにもいいところはあるなどと思わなければよかったのだ。

本当に私は馬鹿だ。

彼女との会話はいつのまにか男と結婚の話しかできなくなった。

趣味が合わない友達なんてそんなものなのだろうか。

本当に仲が良かったのに。

私が変わって、彼女も変わってしまったせいなのだろうか。

彼女結婚することになった。

当然Aは結婚式に憧れていた。私も当然よばれている。

ひどく億劫だ。こんな気持ちで出席するなんて絶対によくはないのだ。

また私も結婚を控えている。

お金がないのだ。結婚式はあげるつもりはないが、引っ越しなどにお金が飛んでいくのが目に見えている。

所詮その程度の関係なのだ

だが、今更表面化するのもひどく億劫だ。このまま終わらせたい。

2017-02-06

アイドリッシュセブンをはじめた

アイドリッシュセブン

Twitterなどを利用していれば一度は目にしたことがあるかもしれない、アイドル物のスマートフォンアプリ

自分はいゆるオタク、そう、そっち方面には多少明るいタイプオタクなのでもちろん知っていた。周囲の人間がどんどん足をとられ、諭吉を捧げていく様子も見てきた。

スクフェスやアイチュウなどもやっていたし、ゲーセンにいけばポップンミュージックなどをやっていたような人間なので、元々音楽ゲームは好きだ。

「たぶんこの子好きだよ」なんて言葉を何度もかけられていたし、なんとなく聞いていた話でも「あぁ自分が好きそうだなぁ」と思う事はたくさんあった。

ではなぜ今まで手を付けなかったのか。



キャラクター原案が苦手だった。



それだけだ。絵が苦手なのではなく(むしろ女の子なんかはとても可愛らしいと思う、少女漫画は読まない人間だったがKYOKOは読んでいた)、ご本人がとても苦手だった。

作品と作者は切り離して考えるべきものと思いながらも、やはりネット上で流れてくるお話を聞いているとどんどん苦手になっていくのだ。

自分の周囲にも数名同じ現象人間がいた、なんとなくアイドリッシュセブンも避けていたのだ。


ではなぜ今回アイドリッシュセブンをはじめたのか。


好きな人の書く"二階堂大和"が好きだった。それだけだった。

どのジャンルでも素敵なお話を書く人だった。知らないジャンルでもとにかく読み漁るタイプ自分はとにかく読んだ。

集合絵で見た時に「あ、この人、絶対イノッチ枠だ」と確信するような彼の日常を切り取ったお話を読むうちに、どんどん彼らが気になって来た。

人の沼でも見学しにいくか、そんな軽い気持ちインストールした。これがいけなかった。

とにかく、しんどいのだ。


アイドリッシュセブンは、しんどい


公式で第三部のメインイラストが公開されているいま、自分はちょうど第一部が終わった。

バスケからはじまり波乱波乱、波乱に満ちた彼ら七人の物語をちょうど区切りまで読んで、一息ついたところだ。

TRIGGERという憧れ兼ライバル兼先輩も、ビジネスライク関係かと思っていたらなかなかに熱い男の集団だった。

このひと蕎麦擬人化みたいだな、なんて最初に思ったことを心から謝罪した。

話を戻す。アイドリッシュセブンは、しんどい

「さ~て!来週のしんどい事件は?」なんてどこぞのサザエさんの真似でもしなければ辛くなる。

彼らはメインのアイドルではないのか?誰か一人呪われていないか? そう思うくらい、彼らの周りは事件ばかり起きる。ファンの反応が妙にリアルなのも、しんどい拍車をかける

いまならTwitterタイムラインで色々な人が「しんどい」「つらい」と呻いていた気持ちがよくわかる。(ただし自分がその呻きを見ていたのは二部開始直後だったので、自分はいから同じ道を辿らなくてはいけない。)

諭吉一枚までは無課金も同然なので、ストーリー第一部が終わった記念にオーディションをした。属性が偏って泣いた。


どんどんひとつになっていった七人に齟齬が出るたびに、何故彼らがこんな目にあわなければいけないのだろうかと、仕事中に考えたりもした。

いかけたいものがる、夢がある、劣等感がある、事情がある。そんな七人がなにかを乗り越えていくたびに、彼らがどんどん好きになった。

ラビットチャットでも、色々な面を見ることができて楽しかった。アイドルでない彼らも、かわいい。できれば箱推しは避けたかった。

ひとつ本編の内容に触れるのならば、自分は生真面目な彼の失敗がとてもつらかった。多分あれは彼の心にずっと残っていくものなんだろうなぁと思う。つらい。

何度も経験したのでよくわかる、しんどいのは好きだからだ。

アイドリッシュセブンは、しんどい


アイドリッシュセブンに触れてみて良かったと思う。

本当に、駆けだしたアイドルを見ている気分になる。

本当に、存在するアイドルのように思える。(公式アナウンスの「撮りおろし」という表現、素晴らしいと思う。)

本当に、しんどい



そんな自分は「あれっ、いまから謹賀新年なのか?」と思いながら、ライブをしている。

2017-02-03

サブカル階層の失敗史

鉄道サブカル

2006年前後に激化した日本における鉄道好き文化聖地JR東日本での鉄道ファン同士の小競り合い。鉄道ファン若者が集まる駅で、その鉄道ファン排斥を呼びかけるヘイト集団が駅に押し寄せた。最盛期には100人規模の参加者がいたという。ギャル・不良系サブカルからの流れもあっただろう。

実際には、何十人ものヘイト集団が「お散歩」と称して鉄道オタクと押し問答を起こしたり、オタクとも何も関係なさそうな女子供におらつく動画画像を見たことがある。

ここで彼らの最大の課題が見える。それは、仕組みを妄信し、仕組みの上に根拠となる反論のできないデータがあると(「データの不在」というデータも含め)、それに「可視化された存在」をすり合わせることで物事確証するということだ。これは本当に反知性的な発想である

鉄道ファンヘイト場合は、まず日本型保守主義構造という「仕組み」を過信し、その仕組みの上に鉄道ファン社会性実績の不在というデータなきデータがあって、主張を裏付け現実実態としてヘイト運動大規模化を実現させたわけだ。しかし、彼らには最大の欠陥がある。

それは「サイレントマジョリティを知らないこと」である。世の中の多くの人は、鉄道ファンではないし、かといってヤンキーでもない。ましてや「私はミーハーです!」とデモを組んで主張してがなりたてることもありえないのである

鉄道オタク叩きに躍起になっていたヘイト連中は、自分たちの閉鎖的なネット空間の「一般論」が事実であることの根拠ヘイト行為動画拡散した。しかし、駅の利用者などは、ヘイトにはドン引きだったはずだ。

一方で、地上波テレビに一気にサブカル進出したのもあの時期だった。いわゆるオタ文化大衆化がここに始まった。マスコミ関係者もまた「可視至上主義」に陥っていたのだろう。

ちなみに鉄道オタク人口はある証券会社の調べによれば「オタク全体の3.8%(日本オタク人口が5200万人)」だというようだ。あまりにも少ない。膨大なサイレントマジョリティ日本国民は、鉄道を好きでもないが敬遠もしないし、それよりはヤンキーのほうが敬遠されるもので、レイシスト裏社会と同じくらい危険で嫌いである。

たぶん炎上するとは思わなかったんじゃないかネット原住民空間には健気な鉄道ファン話題は何一つ存在しないから、偏った反応だけが来ると。しか現実には、普段可視化されることのないサイレントマジョリティが眠りから目を覚ますこととなったのだ。

国民の反ロリコン・反不良感情

可視状態の過信」によるサブカル階層の失敗は今に限ったことではない。たとえばニコニコ動画などのネット原住民の中心空間には歴史カテゴリーにおいてヤンキー肯定する動画ゴロゴロ転がっている。これらは当初はサブカルたちが礼賛コメントを書きまくっていたが、相模原やまゆり事件以降は批判一色に染まった。

サブカルロリコンだけでなく、ヤンキーをも好む傾向があり、とりわけヤンキーについては肯定派どころか推奨派なのである普通人間であればSMフェチのMじゃあるまいし好き好んで威圧たりしたくないわけで、一般世論乖離している。しかネット原住民空間自体一般ではないのか黙認されてきた。

ところが、そのネット原住民空間が「ヤンキー排斥」「反ロリコン」を鮮明にしたのが相模原やまゆり事件千葉大生による女子中学生誘拐事件である。あの時期の前後に立て続けに相次いだロリコンヤンキーがらみの騒動もあって、反ロリコンヤンキー排斥世論が高まり結果的に「礼賛一色」のコメント欄が一気に批判に染まったのだ。サブカルなんてネット原住民空間でも少数派なのだ

そして反ロリコンヤンキー排斥騒動さえ何ヶ月も前になった今こうした動画にはさらに上からかぶさるようにサブカルの「肯定論」が再び増えつつある。最近トランプ炎上において支持者が強気姿勢を変える気配がないのも、ロリコンヤンキーと同じでほとぼりが冷めれば自分たちの主張を上塗りすることができるからだろう。

2016-11-10

オタク文化=「少年漫画を読む女と少女漫画を読む男」の文化 ではない

いろいろと誤解も多いのだが、いわゆるオタ文化というのは元来「少年漫画を読む女と少女漫画を読む男」の文化である。その点においてジェンダー規範からの逸脱が気持ち悪がられ、長らく迫害対象となってきた。いまも特に女性オタクたちはその趣味を秘匿してる人たちが多い。

http://koshian.hateblo.jp/entry/2016/11/09/175602

 

なんだこれ雑だなあ。あるいは主従が逆転してる。

 

引用文における「少年漫画を読む女と少女漫画を読む男」ってのはセーラームーンを見るような少年と、キャプ翼とかスラダンとか幽白とか封神演義を見たり読んだりする少女のことを指してるんだろう。“長らく”とあるし、最近のみならずコミケ晴海でやってたような頃のことももちろん含んでるのだと思われる。確かにこういう連中はオタク扱いされた。

しかしながらそれがオタク文化イコールで結べるかというともちろん結べない。エヴァを好んで見てた連中は男だろうが女だろうが“教室”でモロにオタク扱いされたし、ときメモなんてもっとヤバかったし、シスプリなんて最悪だ。こういう連中がオタクラベリングされることから逃げるのは、90年代当時不可能だった。

 

また、「ジェンダー規範からの逸脱が気持ち悪がられ、長らく迫害対象となってきた」というのもかなり語弊があるというか端的に言って間違ってる。というのはオタク迫害されたのは社会的弱者社会一般から見て理解できない、迫害側が見たことのないアニメのような気持ち悪いものを愛好してるからだ。ドラゴンボールは許されるけど、エヴァは許されない。ジェンダー規範からの逸脱が許されないのではなく、所属するコミュニティ文化から逸脱すると攻撃されるのだ。そこに「少年漫画を読む女と少女漫画を読む男」というのは含み得るが、レイヤーは一段下がる。含み得るというだけにすぎない。

 

ところでいちばん鼻につくのは「いろいろと誤解も多いのだが」という表現。ここでいう「誤解」が何を指すのかわからないが、引用した「いわゆるオタ文化というのは~」以外のオタク文化に関する言説と理解しうるのが普通の読みだろう。しかし「ジェンダー規範からの逸脱」うんぬんはすでに述べたように低レイヤー事象拡大解釈して一般化するという誤ったものであるし、誤ったものを真のオタク文化みたいな言い方をしてしまう言説は非常に劣悪だと思う。

 

記事劇場アニメ聲の形』評であって、オタクうんぬんはその前口上にすぎないようだが、しかし『聲の形』を評するために現実を歪めて解釈することは、むしろそれがいちばん罪深いことだ。

2016-10-06

ヲタが『君の名は。』を観に行った非犬の彼女を犬化させるための6

http://anond.hatelabo.jp/20161005192648

飼って良いのは飼われる覚悟のあるヤツだけだ。

はい最初予防接種します。

彼女がオマエに対して、次のような「紹介」をした際に、受けとめる必要がある。

犬のおまわりさんって困ってしまってわんわんわわんわんわんわわんだったんだって。で、メタモルフォーゼできる犬の出るカートゥーンが……」

桃太郎に出てきた犬ってきびだんご一個で鬼退治させられたわけでしょう?それで、こんどPETAが……」

渋谷駅銅像モデルになった、ハチ公っていう忠犬がいて……」

「N.W.Aてドクター・ドレーが所属してたんでしょ?それで、will.i.amCD持ってきたんだけど……」

「『アーティスト』のアギーちゃんが出てた『俺たちスーパーポリティシャン』って映画……」

こういう「非犬好きの彼氏に勧める」「犬興味ない彼氏を」「散歩不精の」「雑種体験の」「飼いたい犬を」みたいな、

彼女がオマエに対して「自分の犬を紹介して、できれば一緒に飼ってほしいな」という願望に対して

オレは犬にも犬にも犬にも犬にも犬邦画にも興味はねェヨって言わないヤツだけが

次のオススメ一覧を参考にできるし、その上で勧めても良いし、勧めなくても良い。


大前提

オレは元祖条件反射実験をしたパブロフとは別人だ。

アレは犬がかわいそうでとっ散らかってる上に、全体的に「神経を試す」要素が強い。

「甘え」とまでは言わないが、「科学の発展」と言う割に、相手にだけ負荷をかけていると思う。

想像して欲しい。

犬好きが、理解を求めて動物病院に飼い犬を連れて行く姿を。

「混合ワクチン接種は現在ペットを飼う上ではどうしても外せない。どう思ったか聞くのが狙い」

現実世界徳川綱吉じゃねえから病院のベッドの上でイヤイヤされたら二度と仲良くなれねえぞ。


前提

彼女と一緒に「君の名は。」を観に行って、相手が「犬出てなかったじゃん!」となっていること。

犬を嫌悪しない

犬に忌避感がない

犬なら付き合ってくれる

目標は「自分が勧めたら、アフガンハウンドでも一緒に飼ってくれる」ところに持っていくこと。


1犬目「セントバーナード

いきなり超大型犬かよ!とか言わない。

必要なのは相手の飼いたいもの」と「自分趣味」とがクロスしている部分を探す努力だ。

アルプスの少女ハイジ』でもおなじみの犬種で、基本的性格はおだやか。

こどもに対しては人間にも犬にもやさしくて頭のいい、よく出来た犬種だ。

大きいイヌ威圧感があった怖い……みたいなベタ先入観を茶化しつつ、ベタベタにじゃれてくる。

オタクとして観るなら「換毛期に落ちた毛をどうやって回収するか」に着目してみよう。

昨今観ることのなくなったデカい犬の一挙手一投足に注目するのもおすすめ大型犬すげえぞ。

たまに大型犬が嫌いな女性もいるが、普通の犬なのでそこまでマイナスになることもない。

(ただし、相手に負荷をかける意味は全く無いので、イヌのしかかってきたら配慮してあげること)


2犬目 ボルゾイ

お手頃犬種から遠ざかってんじゃねえか!とか言わない。

一見気品ある、気位が高そうな見た目ながら、実際飼ってみるとに(彼女にとって)親しみやすい要素を多く含む。

しなやかな肢体と、すらっとしたチャーミングな体躯で目をたのしませてくれ、

ガチャガチャとした被毛や、実は意外とヌケている性格スッキリ見せる。

オタクとして観るなら「ロシア貴族に猟犬として愛されてたころの名残」を一つでも多く探そう。

彼女に「ボルゾイちゃんと今日も一日がんばるぞい」と言わせられれば目的達成。


3犬目 ブービエ・デ・フランダース

オマエまた超大型犬かよ!とか言わない。

ドッグショー要素を排除しつつ、あくま人間パートナーとしての遺伝子を挟んでくる犬種

親父の都合で引っ越しを余儀なくされ、アクシデントにも前向きに取り組むものの、

転校初日自己紹介情緒不安定になってしま少女イリーちゃんにもきっとやさしくしてくれる犬だ。

人見知りやすい割に、ちゃんと身内にはなついてくれて安心できる。

「『フランダースの犬』のパトラッシュちょっと違うけど、みてて面白い」と相手が思えば目的達成。

なお、牧羊犬方面分岐するなら、

ブリアード」→「ボーダーコリー」→「オールド・イングリッシュシープドッグ

 →「ウェルシュコーギー」と展開すること。

コーギーを完走できれば、ほぼ教化完了している。ペンプロークとカーディガンを一緒に飼えるだろう)


4犬目 スコティッシュテリア

小型犬なのにスコッチかよ!とか言わない。

実は方向性狩猟犬寄りで喧嘩っ早い。

ジャックラッセルテリアじゃないけど、かなりのガッツもある。

「『デレステ』の渋谷凛テリアとは方向性が違うテリア」を違和感なく観てもらえればOK。

この辺で多少、飼い終わったあとに在りし日の思い出が言い合えればベストだけど、どうかな。


5犬目 柴犬

いまさら柴かよ!とか言わない。

うっすい番犬要素はあるが、基本的愛玩犬

偽装飼い犬になるバイトを憧れの人間から持ちかけられたわんこが、

人間実家かわいいかわいいと親戚一同にモミクチャにされながら

発狂して暴走する小学生を食い止めようと奔走する物語

非犬に勧めるには結構チャレンジ。この辺が分水嶺

「かわいかったけど、犬は苦手かな」と言われたらここで一旦諦めよう。


6犬目 サモエド

最後まで来ても全体的に古い犬種だな!とか言わない。

皆様おなじみシベリアまれの雪玉野郎だけど、ちゃんと血統をつなでいるのがエライ

前提知識が要らない、極端にじゃれにいかないけどじゃれも入れてくる、

ヲタから観てもちゃんとかわいくて、しつけもしやすい。

紛れもなく犬オタ向けであり、歴史ネタ最初南極大陸を踏んだ犬)もちゃんと入ってる。

これを飼って糾弾されなければ、当初目標は達成できている。

あとは好きにしろ


雑なまとめ

から入って、犬、犬、犬、犬、そして犬。

おおよそ、20年~100年半ほどかけて、いわゆる犬オタの好む犬に寄せて行こう。

毛並みの綺麗な犬や上級者向きの野犬ばっかりの構成では意図するところが達成できず

ディンゴとの邂逅で絶縁されかねない。

ティーカッププードルとかカニンヘンダックスあたりですら「ちゃちゃい活発な犬種」ってだけで

いきなり見せたら、かわいいマジで!このわんちゃん以外みんな(おまえも含め)死ねば良いのに!って思われても仕方がない面もある。

ボクサーとかブルドッグとか、その手のきもカワ犬から距離を考えよう)

みんな麻痺してると思うが、結構一発アウトになる犬ってあるんじゃないかな。

シャーベイとかチャウチャウとか、非犬オタから見たらアビシニアンと同レベルだと思う。

(正直、ワイマラナーも一発目はムリ)

段階さえ踏めば犬は好きなので良いと思うんだけど、

いわゆるオタク向け犬に慣れてもらうのって大変だと思う。

ポルテュギーズ・ウォーターとかオバマが飼いはじめたことで知名度あがったけどまだ貴重だし、

ペキニーズみたいなアクの強いのもアレだし、

北海道犬みたいな超絶かわいいどどーにもオタク向けだし、

書いてて思ったんだけど、「勧めたら一緒に飼ってもらえる」信頼を得つつ、

101匹わんちゃん』観てても「ああ、なんかダルメチアンばっかりのアニメだけど、面白いのかな」って思ってもらえるって

すんごいハードル高いな。オレの友人はついに犬のきぐるみを購入することに成功したらしいが。すげえな。


追記

やべー。

うちの犬について書くの忘れてた。

ラブラドールと何かの雑種セッター?)の雑種です。

の子が一番かわいいです。

おまえらにはやんないけどな。


健闘を祈る。

2016-09-19

セカイ系なんて嘘さ

セカイ系」という言葉の由来を調べると、個人ブログ記事に載った幾原邦彦発言にたどり着く

http://blog.livedoor.jp/personap21/archives/53990398.html

http://kanshari.blog.fc2.com/blog-entry-15.html

幾原 何をもって漫画というのかっていうのははっきり言えないんだけど、ひとつには、ものすごい近いところと、ものすごく遠いところしか描かないって事があげられる。最近歌謡曲って、みんなそうじゃない。彼のYシャツがどうとかという身近なところか、あとは宇宙の果てとかっていう、想像しか語れない遠いところしか歌わない。中間やばい距離の部分は絶対に歌わない。それは漫画世界だろうって思う。



セカイ系と呼ばれる二大アニメエヴァ」と「ウテナ」を作った監督たちが、まず初めにセカイ系定義を語っていたのだ

しかしその定義はもちろんセカイ系という言葉に向けて語られたのではない

その定義は「漫画」に向けて使われている

ここでいう「漫画」とは当然コミックのことを言うのではなく、そこから派生した文化であるアニメなども含めた意味だろう

もっと言えば「いわゆるオタクコンテンツ」のことで、劇画だとかアートアニメーションは含まれない。

そう、エヴァウテナ以前から漫画アニメセカイ系だったのだ

そりゃそうだ

元来漫画アニメ対象であった子供達には、ややっこしい社会の部分など分からず、

求めるのは感情移入できる魅力的なキャラクターと、画面を覆う大スペクタクルである

極端な話、東映大長編時代からこちら、アニメの大半は「子供世界を救う話」なのだ

この言葉を使ってポストエヴァゼロ年代などと批評していた連中は

「都会のカラスは黒い!」とか「女には目が二つある!」などと喚いていたようなものなのである

2016-09-17

「オタサーの姫」という言葉が私の心を折った話

先に言っておきます。これは一人の「オタサーの姫」の壮大な愚痴です。

誰かに言うのもバカバカしくて、ずっと言えずにいた愚痴です。

当然愚痴ですので、不特定多数の人を傷つけてしまうような言葉もあるかもしれません。

それでも、誰かにどうしても聞いて欲しいと思ったところでこのブログ存在を知りました。

いささか不慣れな箇所もあるかと思いますが、どうかご容赦ください。

私のいる環境は、いわゆる男女比のバランスの悪い環境です。

専攻の都合上大学ゼミにも女性はあまりおらず、サークル活動にも頻回で参加するわけではありませんが、女性は多くありません。

もともと興味があった分野が女性よりも男性寄りで、学部を選ぶ時も、一も二もなく今の学部を選びました。

その選択自体に後悔はありません。

入学して少し経って大学に馴染んできた頃、久々にあった高校時代の知人に、不思議な事を言われました。

「XXちゃんって、オタサーの姫ってやつだよね?」と。

当時の私は「オタサーの姫」が何を指すのもわかっていなかったので、軽く笑ってはぐらかして、

何だかよく分からないなあと思うままに放置してしまいました。

しかそれからも、高校時代の知人たちや、大学の同期の女子、先輩の女子インカレサークルの友人などに、

何度も同じように「オタサーの姫」と言われることが続き、次第に自分は何か悪いことをしたのだろうかと思うようになりました。

ネットで調べてみたら、「オタク男性たちにちやほやされる女」、「ちやほやされたいと思っている女」、「媚る女」果ては

「ちやほやされる事に慣れきって、不特定多数と肉体関係を持つ女」、などと、正直思ってもみなかったような言葉が並んでいました。

確かに、学部性質上いわゆるオタクという感じの男性身の回りに多いと思います

アニメ女の子カバンTシャツを身につけている人もいますし、作品を勧められたこともありました。

私自身は、小さい頃はゲームポケモンなど)が好きでしたが、今は友人が貸してくれた漫画などを多少読むくらいで、

まり彼らの話題には着いていけませんが、彼らがアニメの話で盛り上がっていて楽しいならそれでいいのかなと思っていました。

話を戻します。

自分自身は、正直に言ってあまり男性が得意ではありません。

男性に媚びているという気持ちも無いし、ましてや不特定多数関係など、絶対に考えられません。

大学に入ってから私に好意を持ってくださった方も(本当にありがたいことに…)いましたが、

お付き合いしている大事な人がいるので、誠実に断ったつもりでした。

ネットに出てきたオタサーの姫ファッション?(フリルがいっぱい付いているスカート等)もしていません。

美容ファッション趣味として好きですし、何よりも身だしなみは大事だと思っているので、

だらしのない格好はしないように気をつけています

どうして私は「オタサーの姫」になってしまったのでしょうか。

私は、そもそもこの学部を選ぶべきではなかったのでしょうか。

私は本当に「オタサーの姫」なのでしょうか。

そんな気持ちグルグルと渦巻いて、あんなに好きだった勉強をするのが辛くなっていきました。

「オタサーの姫」という呼称に伴って、ひどい噂も耳にしました。

私があまり女性慣れしていない人たちをたぶらかして、その気にさせて捨てるという話を聞いた時は、

もう怒りよりも呆れと、ただただ悲しいという気持ちしかありませんでした。

私は「オタサーの姫」という言葉をぶつけてくるのが、毎回女性だということにも、妙な引っ掛かりを覚えていました。

本当に仲の良い友人たちにはもちろん言われたことはありません。

毎回、そう呼んでくるのは微妙距離感女性たちで、彼女たちは、私を「オタサーの姫」にすることで、

鬱憤を晴らしているのだと気づいて、いつの間にか彼らのことが大嫌いになってしまいました。

自分自身は、取り立ててフェミニストというわけではありませんが、日本女性たちが、男性社会で心が折れてしま

サイクルの根底には、この「オタサーの姫」呼びのような、女性による女性蔑視根深蔓延っている事実があると思います

もちろん、その程度で折れる自分メンタルが弱いということも承知の上ですが、誰だって人の悪意を受けるのは嬉しいことではありません。

下手くそで、まとまりのない文章でごめんなさい。

最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。

私情ですが、来週海外に旅立ちます。向こうでは、今度こそ「オタサーの姫」という風評なしに、集中して勉強したいです。

心ない人たちに「オタサーの姫」と呼ばれたたくさんの女の子たちが、どうか心折れずに夢を追っていけるように願っています

そして、身近な人を「オタサーの姫」と呼んでいる方、今一度、その言葉が本当に相手を傷つけていないか、少しでいいので考えて

あげてください。もしかしたら、彼女は今笑っていても、すごく、すごくあなたを傷つけてやりたいほど怒っているかもしれません。

2016-08-24

婚姻届が見たくてゼクシィを買った

婚姻届というものを見たことがない。

以前ゼクシィピンク婚姻届付録でついていたことが確かあって、私はいゆるオタなのだが、その時はTwitterが色めき立っていた。

好きなキャラ名前を書いて眺めるだけ。とてもよく理解できる。

でもまさかピンク婚姻届が実際に提出できるものだなんて知らなかったので、昨日検索して驚いた。キティちゃんを始め、ルフィ婚姻届である

夫婦揃ってワンピースが好きなら需要があるのだろうか?しかし書いたら提出しなくちゃいけないのにキャラ物って……

と思ったら提出用と手元に置いておく用と二種類あるらしい。たまげた。なんでもありなのか。

すると偶然今月発売のゼクシィプレミアムティファニーコラボ婚姻届が付いてくるらしいので買いに行った。

以前音姫が付いていたときに購入したが、当然独身女が読んでもなにも面白くはない。バブリーな記事は笑えるけど。

ティファニーブルーの罫線が美しい婚姻届は、なんだかオモチャみたいだった。

ゼクシィ付録必要事項を書いて役場へ提出すれば入籍できるだなんて、あまり実感が沸かないものである

ティファニーには少しだけ嫌な思い出がある。

今年の春、地元の駅へライブビューイングを見に行ったのだが、ちょうどマラソン大会とかぶっていて道路がいつも通りに使えないことがあった。

やたら参加者が多かったのだが、参加賞としてティファニーのなにかしらがもらえたらしい。歩いている女性が皆紙袋を手にしていた。

そんなもの参加賞にするから参加者が増えるのだ。余裕を持って出たにも関わらず少し遅刻してしまい、あの日からはいはいティファニーティファニー」と思っていた。

けれど改めて見るととてもきれいな色だ。清潔感もあり、街中であれだけ目立っていたのも当然だ。

ティファニーごめん。

2016-08-07

にわかサブカルくそ女、「シン・ゴジラ」を観る。

ゴジラ名前基本的な設定しか知らない。

から来る怪獣で、なんか水爆実験関係してて、悪いだけのやつじゃないっぽい・・・とか、それくらい。

ガメラは2と3だけテレビでやってたの観たけど、あんまり覚えてない。

庵野監督のことも「エヴァの人」ということはわかるけどエヴァは観たことない。

シンジくんとかカヲルくんとかアスカとか綾波レイはわかる。

使徒と戦うとか、シンクロが云々とか、「逃げちゃダメだ」とか「ありがとう」とか、なんとなくは知ってる。

特撮は日曜朝の戦隊ものをたまに観るくらい。ゴーバスターズは良いぞ。

強いていうならパシフィック・リム映画館に7回観に行った。

(今、私が同じ映画を何度も観たり、映画館に年20回以上行ってるのも、すべてはパシリムがあったから)

シン・ゴジラに関する予備知識はゼロ

てもなんか観ないとヤバいヤバいやつな気がする…。

そんな思いに駈られて、行ってきました、シン・ゴジラ

土曜のレイトショー劇場は8割方埋まっていたように思う。

最後列やや下手より。一席あけて右にはおじさん、左には若いカップル

全体的な客層は男の人が多いような気がした。


シン・ゴジラを観た率直な感想一言でまとめると

「思ってたんと違う!!!!」

これにつきる。

断っておくけど、良い意味で。

良い意味で予想と期待を裏切られまくった。



以下、ネタバレ注意の覚書。

はいもののすでに記憶がかなり曖昧なので、間違ってるところもあるかもしれない。






ゴジラがなんか思ってたんと違う!!!

シン・ゴジラゴジラは、第一形態から第四形態まで「進化」する。

それを全く知らなかった私は、初めて巨大不明生物(=ゴジラ)がその姿を現したとき、驚いた。

なんかもうひたすらキモい

目玉ぎょろぎょろで、エラから赤い液体ドバドバさせて、不格好に地面を這いずる姿は、キモいしか言えなかった。

そして私はそれが最初ゴジラだとは思わなかった。

私の知ってるゴジラ二足歩行で、もっと無骨な、かっこいい怪獣というイメージがあったからだ。

「このキモい変なやつを倒しに来るのがゴジラなのかな」とか思ってた。

そんな私の目の前で、ゴジラは突然「進化」した。前足が生え、直立して、吠えた。

「えっ、何それ・・・すごい・・・

そんな私の想いをスクリーンの中で口にしてくれたのが長谷川博己演ずる矢口だ。

観客である私はゴジラを知っている。

でも、映画中の人物たちはゴジラのことを何も知らない。

進化する未知のゴジラは、そんな両者の溝を埋めてくれた気がする。

あの瞬間の「そんなんありかよ」という気持ちは、間違いなく私と映画中の人々との間で一致していた。

そして完全に「私の知っているゴジラ」になった瞬間に流れるゴジラテーマ!これにはめちゃくちゃ興奮した。

ゴジラだ!ゴジラがやってきた!!!!うおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!

応援上映とか絶叫上映とかなら確実に叫んでた。

というか叫びいからどこかの映画館でやってほしい。やってくれると信じてる。

ゴジラに対する「何だそれ、すごい・・・」の瞬間は、完全体の第四形態になってからも何度も訪れる。

まずこのゴジラめちゃくちゃ硬い。

自衛隊の総攻撃もびくともしない。

完全にノーダメージかつノーリアクションで、なんかもう絶望感がすごい。

いったいどうしたらこいつに勝てるのかまったくわからない。

そんな絶望さらに増すのが、火炎放射からレーザー光線発射のシーンだ。

米軍攻撃が効いた!これでゴジラを倒せる!と思った瞬間、ゴジラは口から火を噴く。

この瞬間まで私はゴジラが火を噴くことを完全に忘れていた。

やはりここでも、ゴジラのことを何も知らない映画中の人々と同じ驚愕絶望を味わうことになる。

パシリムで言うと「こいつ飛べるのか!?」のあたり。

しかゴジラは口からだけでなく背面から無数のレーザー光線を発射。

なぎ倒され爆発するビル群、あっさり撃墜される米軍機、理解範疇を越えた圧倒的攻撃力。

もう東京・・・日本・・・人類おしまい・・・という気持ちになってくる。

思ってたんと違う姿で現れたゴジラは、私が知らず知らずの内に抱いていた「ゴジラってこういうもので、きっとこういう話で、こういう映画でしょ」という先入観を完全に破壊した。

からこそ、新鮮な気持ち物語に入り込めたんだと思う。





破壊シーン、戦闘シーンが思ってたんと違う!

私はシン・ゴジラを、パシフィック・リムマッドマックス 怒りのデスロードを観に行くのと同じような気持ちで観に行った。

ドーンってなって、バーンってなってズダダダドカーンってなるのを楽しみにしていた。

そしたら、全然違った。

シン・ゴジラ破壊シーンや戦闘シーンは、全体的にとても地味だと感じた。

最初上陸した第二形態ゴジラはずるずる移動するだけだし、第四形態ゴジラ積極的に街を破壊している印象はなかったし、対する人間の方にも必殺技秘密兵器があるわけでもない。

というかそもそもゴジラは、そういうアクションがメインの映画ではなかった。

ド派手なアクションで魅せる洋画とは全く違う、上手く言えないけれど、とても「日本映画」だった。

でもそれは決して悪い意味ではない。むしろめちゃくちゃ良かった。

東京に巨大不明生物が現れた。そんなとき動き出すのは巨大ロボでも特殊戦隊でもなく、日本政府

そしてひたすら繰り返される、会議会議会議

でも、それが不思議なことに全然退屈じゃない。

「はやくドギャーンってなるとこ見せてくれよぉ」と思いながらも、堅苦しい言葉と、面倒くさい思惑が飛び交う会議シーンに釘付けだった。

思ってたんと違うけどなんかむっちゃ面白いポイントである

正直、政治には明るくないし、次々と表示される役職名全然頭に入って来ないし、聞き取れなかった台詞もあったが、でも入って来なかった情報はきっとなくてもいい情報だったんだと思う。

たぶん映画作った側も真剣理解させようとしてない。

大事なのは、「今の東京に本当にゴジラ(のような巨大不明生物)が現れたらきっとこうなるぞ」という感覚だと思う。

前例のない事態に混乱しながらも結論を急ぐべく無理やり型に嵌めようとして結局対応が後手に回ったりして、そういう「上手くいかない」「そうじゃない」ってとこも含めて、リアルでとても良かった。

でも、もたもたして見える政治家たちも、みんな事態解決し、東京(日本国民)を救うために全力を尽くしている点は皆同じである

そうして面倒な会議を経て、ゴジラの脅威を一通り目の当たりにして、ようやく立ち上がるのが、巨大不明生物災害特設対策本部通称・巨災対だ。

この巨災対はいゆるオタクや変人の集まり個性派ぞろいなのだが、みんな論理的なことしか言わないのがとても良い。

誰もが自分論理に基づき、ゴジラ真剣に向き合っている。

どのキャラクターもたいへんチャーミンである

きっとこんな事態じゃなければ日の目を見ることのなかった厄介者たちが活躍するロマン

アツいのは現場で戦う者だけじゃないのだ。

からと言って、現場で戦う者たちがカッコ良くないわけがない。

自衛隊の皆さんによる戦闘シーンもアツかった。

前述の通り、この映画必殺技秘密兵器は登場しない。

からこそ、隊列を組んで飛ぶヘリや、次々と持ち場につく戦車のかっこ良さが際立つ。

作戦を練り「確実にやります」と言い切る自衛官や、黙々と遂行する自衛隊員たちのストイックさにも惚れる。

戦闘シーンといえば、私が一番興奮したのが新幹線爆撃と在来線爆撃だ。

無人走行ゴジラ突撃する電車たち。

ここでまたゴジラの有名な曲(曲名思い出せない)が流れるのもアツい。

とくに在来線爆撃は、色とりどりの在来線が同じタイミングゴジラ突撃し、爆発と共に宙を舞うのが最高だった。

リアルを追求した今作の中で、実際にあるものを使ったありえそうな攻撃ながらいったい誰が思いついたんだというこの攻撃

マジで映画内の誰の発案なのか教えてほしい。

戦闘シーンで最も「思ってたんと違う!!!!」のは、ヤシオリ作戦だ。

物語の終盤、核兵器による解決をなんとか回避しようと急ピッチで進められたこの作戦

無人機による攻撃在来線爆撃、ビルの爆破によるゴジラの保定を成功させる流れは堅実ながら華があり、とても良かった。

工事車両(建設機械)が好きな私としては、コンクリートポンプ車の活躍も嬉しかった。

そうしてゴジラ活動を完全に停止させ、ヤシオリ作戦大成功に終わるのだが、何が「思ってたんと違う」かって、この作戦終了の瞬間が地味なのだ

観ている側としては、

「やったーーーーーー成功だあああああああああああああああ!!!!!!

と飛び上がってハイタッチして抱き合いたいくらいの気持ちなのに、映画中の人々は一切そういうことはしない。

静かに作戦成功を噛み締め、せいぜい握手をするくらい。

私のこの気持ちどこにやったらいいの状態

でも、あとから思うと、この映画の中ではそれで正解だったのだと思う。誰もが想像もしなかった巨大不明生物の来襲。大きすぎる被害、多すぎる犠牲者を出しながら、成功するかわからない作戦にかけた結果なのだ

現実感がない中で、静かに「俺たちはやった・・・やりきったのだ・・・」と噛みしめるのが、似つかわしいような気がする。

「倒したぞやったああああああ」は、きっと、ゴジラ虚構だと知っている側の感想なのだと思う。





シン・ゴジラに対して言いたいこと、話したいことはまだまだたくさんある。

豪華すぎる出演陣どこにいたのか全くわからなかった、とか。

秘書高良健吾ヤバい、とか。

石原さとみやっぱりめちゃくちゃ美しい可愛いZARAはどこ?、とか。

巨災対のメンバー活躍だけにクローズアップしてもう2時間観たい、とか。

ラストゴジラ尻尾のアップどういうこと?、とか。

でもまとまらないのでこれくらいにしておく。



そもそもこうして書き殴っているのは、こういうことを話したくても話せる相手が周りにいなかったからだ。

劇場を観たあと、複数人で来ていた人たちが口々に感想を言い合っているのが、とても羨ましかった。

私も映画感想あーだこーだ言いたい!好き勝手話したい!

その物足りなさを埋めるように、今まで封印していたネタバレブログレビューを漁って、それでますます我慢できなくなって、この文章を書いている。

ネタバレブログを読んでいて気になったのが、「万人受けはしなさそう」とか「知らない人はわからないんじゃない?」みたいな意見だ。

とくに昔からゴジラが大好きで、新作公開を待ち望んでいた人たちが、よくこう書いていた。

そんな心配無用だぞ!!!

と、にわかサブカルくそ女は思う。

とりあえず私は少なくともあと2回は観たい。

そして売り切れていたパンフをなんとかして手に入れたい。


何も知らなくても、なんかよくわからなくても、ゴジラはすごかったです。





おわり。

2016-05-28

歪んだ恋愛感情による犯罪加害者って顔のタイプが似すぎ

幼女を標的とした犯罪とかストーカーとかがニュースになる。

その度に母親と姉は「いわゆるオタクの顔だね」と言う。

言われてみればそういうタイプニュースを耳にする→「どうせキモオタキモメン犯人だろ」→案の定ブサメン犯人

このパターンが多いようだ。

こういう面だからまともな恋愛が出来ず犯罪に走るのか、それともそういう性格容貌キモく変えていくのか。

真相はどちらだ。

ちなみに僕も自他共に認めるキモメンです。

2016-03-31

http://anond.hatelabo.jp/20160331151059

しろ区別付け過ぎることの方が悪印象の問題を多く生み出すと思うぞ

いわゆるオタク層は「区別がついてない」んじゃなくて「徹底的に区別してる」からこそ自分の興味の枠外に対して堂々と攻撃できてご覧の有様状態になるんだから

2016-03-30

いわゆるオタクとマスコミ関係って

実際は互いの需要が合わさったWinWinの関係なんじゃないの?

片や一般人視点からキモい連中を軽蔑して満足する嗜好が満たせれば、片やそんな連中とは違う真実を知る選ばれた自分みたいな嗜好を満たせているし、主観あんな狭量な連中と一緒にされたくないと思っている層がいれば、同じく主観あんな何も持ってない連中と一緒にされたくないと思っている層がいる。更に共通すると皆悪い出来事の原因を自分に近い要素になんか求めたくない上に、自分が向ける偏見には甘くなるし、そのくせ好きに叩ける相手がいれば嬉しいからそれも欲しいってこともあるわけで。

たまに軽く憂うような意見があっても双方特に大きく変わることのないまま年々続いてるのも、結局これはこれで双方満足した関係なんじゃないのかと。

良くも悪くも「一般人」を逸脱してる位置オタク自身も自ら望んでるから強く変えようとする流れにはならないし、逆に偏見助長しかねないような行動でも気にせずしちゃう。そして報じる側もそれは望むところだから、これ幸いと取り扱って煽って満足するという構造

マスコミの多数が何かの拍子に本気で利益を見出すようになるか、オタクの多数が何故か相手と同じ一般人になりたがるか、はたまたより多数の大衆に飲み込まれるかなり、どこかが急変して本当に均衡が崩れるまでは結局安定してこのまま進んでいくんじゃないかと。

2016-03-10

アイドルLIVEがつまらなかった

先日ファン友達に誘われて某声優アイドルライブに行ってみた。

案の定男性が多くいわゆるオタクの身なりで年齢層も偏っている。

オレはあまりライブ経験はないが、Superfly、B'z、MISIA久保田利伸ゆずポルノグラフィティは何度か行ったことがある。

オレがライブ熱狂するタイプじゃなく、生歌の凄さを身体で感じたい人間であることを前提に読んでくれると嬉しい。

で気になった点は

・みんなオタ芸?に必死で曲を聞いてない

アップテンポな曲が多かったが、たまにバラードになってもペンライト必死に振り回す。

他の一般的ライブでも歌手煽りで掛け声をしたり決まったリアクションを取ったりはするので、全ておとなしく聞けってワケじゃない。

だが静かな曲でリアクション取ることも忘れて聞き入る曲もあってよくないか?

・生の音楽を聞きたくて参加していない

周りの観客はどんな曲でもハイテンションな芸に夢中。ライブ終了後の友達は「楽しかった!どの曲も盛り上がれた」という感想

どの曲が良かったか?感動したか?じゃないの

オレのライブ体験が少なく価値観が狭いだけなのか。

歌唱力のあるアイドルというと、松浦亜弥を思い出したので、ライブ映像を見てみたら観客はアイドルファンらしい掛け声をしている。

多分オレが当時松浦亜弥ライブに行ってもパフォーマンスの高さをしみじみと眺めていたと思う。

最後まで安定して歌えてて声量には驚いたが、歌声に感動した場面は皆無だった。

サビ前でアカペラになった時は一瞬期待したものだが、声が大きいだけでてんでダメだった。

アイドルライブ音楽ではなくエンタメ

周りの観客は終始うるさかった。とにかくみんな身体全身を使って曲のリズムに反応する。

オレが今まで行ったライブ歌唱力パフォーマンス凄さに圧倒された。

息を呑むのを忘れ、時が止まったような感覚を味わった。曲が終ると我に返り思わず拍手してしま劇場空間

それに比べると、アイドルライブ演奏や歌は普通に聞ければそれで良い。観客はオタ芸?の揃った掛け声で曲の間奏を盛り上げる。

観客の発狂ぶりは曲と一体となりライブ空間を作り上げていて、歌手パフォーマンスを見せつける場ではないのかもしれない。

歌を聞かせる部分でもなぜかお決まりコールがあり、全く集中できなかった。観客もアイドルともに細かいことはええから騒げ!と言っているようだった。

リズムゲーみたいに思えるし、アップテンポな曲にオタ芸で参加出来ればもっと楽しめるのかなぁ...

今回初めてアイドルライブに行っただけで、ダメだと決め付けずもっと経験を積んでみたら面白さも分かるかもしれない。でもこんなにつまらないと希望が持てない。

みんなは何を楽しみにアイドルライブに行っているのだろう?

2016-02-11

オタク文化に興味がないと言い切っちゃう人がすごくバカに見える

アイドルアニメゲームといったいわゆるオタ文化を頑なに「興味ない」と拒絶する人は、一体何を恥ずかしがっているんだろう。第1印象で気持ち悪いと思うのは勝手だが、一体何が魅力なんだろう、どんな要素が一部の人の心を捉えて離さないんだろう、とか思わないんかな。何をモジモジしてるのかさっぱり分からんが、「興味ない」と言い回るのは「自分知的好奇心のない、知的向上心のない馬鹿です」と言っているようなもので、むしろそっちの方が恥ずかしいということに、いい加減気付いた方がいい。

2016-02-08

腐女子、バレたかも。

日々勉学に勤しむ高二のあたしは中学の時から腐女子結構な数のBL漫画を持ってる。息抜きに読んでTwitter感想あげたりするのが好きだった。密かな楽しみ、みたいな。周りの子はいゆるオタクという子は少なく、腐女子なんてほぼ居ないしあたしも周りに合わせて腐女子を隠しながら生きてきた。その中でも何人か腐女子カムアウトし合った子と貸し借りしたり、あたしの腐女子活動は凄く密かだった。のに。

一気に買った漫画と返ってきた漫画本棚に戻すのをめんどくさがってしまったあたしが全面的に悪い。いつも閉じてるカーテンのうしろに詰んでた十数冊のBL本と、いつの間にか全開のカーテン

詰んである本の周りはいつもより片付いていて、あっ、と思った。

あたしが何をしたんだ............

今は少し開き直って、腐女子何が悪い!っておもってるけど、もやもやが止まらない。

2015-12-02

猥褻物」というレッテルはとっくに形骸化している

美濃加茂市のうりんポスターの件についてダラダラと。長くてごめんなさい。

私が事を把握し、ポスターを初めて見たところの感想は、

「うわっエロッ。駅前に貼っちゃだめでしょ」終わり。

こんな一瞬でゾーニング事案だなーと判断できる事で賛否?と思ったけれど、

twitter美濃加茂市擁護する人たちの苦渋に満ちた様子を見るとなぜかそんな簡単に割り切れるものじゃないらしい。

http://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20151201/E1448932351189.html

↑に賛否両論の要約があるが、

擁護派の多くの意見は各々の感情をそれ風な理屈で見えづらくラッピングしたものしかなく、

ポスターを見た子連れ母親ひとりの「エロいポスター貼るな」の感情的一言に耐えられる強度には到底達していないと思う。

そしてまあ、駅前からポスターがなくなった訳ですが。

本来、この話は「エロに限らず、パブリックな場に好き嫌いの分かれるものはやめよう。見たくない人が避けられないから」で終わりなはずなのだ

表現規制とかフェミニズムとかセクシズムとか男女非対称性とかオタク差別とか逆差別なんてものよりずーっと前の段階の話をしている。公共の福祉だ。

しかし、賛否の溝は埋まらず、対話なき泥沼戦争、納得のない罵倒合戦突入している(ネットの一部で笑)。

擁護派の不満と鬱屈は吹きだまり、彼らの苛立ちと諦念はつのっている。「これだからフェミは…」「PTAかよ」と唾を吐く。

彼らは何かにむかついている。自治体ではなく、自分たちへの強い抑圧を確かに感じている。ポスターをはがされた事以上の抑圧を。

多くの擁護派=いわゆるオタクがクレームに対し息苦しさを感じている、その根幹の感情は何か?

彼らは、公共の場からエロが消えるのが嫌なのではなく、

自分たちの愛する創作物が「猥褻物」とカテゴリーされたように感じるのが堪え難いのだと思う。

twitterで目についたオタクの多くが感じているらしい理不尽は、「実写の水着女性ポスターはあるじゃないか」「コンビニエロ本は…」「〇〇は…」そして、「何で二次元だけ」。

これらの不満はその例の全てが、適切なゾーニングが全ての性的な要素を持つものになされていないため起きた問題だ。

見たい人が望めば検索して1秒でエロにありつける時代に、見たくない人がコンビニエロ本を目にしてしま世界絶対おかしいと私は思う。

そんなゾーニングの未熟な日本の「猥褻物」の定義は、ひとつ明確には、性器が見える事。

それに伴い法律逃れの暗黙の了解に基づいた謎文化モザイク”はひどくガラパゴス的で、はっきり言って非常にバカバカしい。

二次元ちんこに黒線を引いているのも、裸のうんこと一緒にモザイク付きのまんこが映ってるのも、本当にバカバカしい。

一方でレスリーキーやメイプルソープろくでなし子などのアート作品を「ムシュウセイだからワイセツ」と取り締まるなんて、もう、自分たちエロにすらマニュアルがなければ判断の下せないアホですと言っているに等しい。

公的機関定義におもねるあまり認知が歪んでいるから、今回の絵の性的香り自治体が気付けないし(アホか)、撤回されたらされたでファンは「自治体猥褻とみなされた」と傷つくのだ。

もっと単純に考えよう。国が定めた「猥褻」なんていいかげんな基準に従ってものを取捨選択することが最早今の時代ではリアリティがないのだ。私たち未来へ進まなくてはならない。

もうさ、全ての表現物は映倫みたいにレーティングしよう。写真映像文章も立体物も漫画音楽イラスト広告製品も。一般、R12、R15、R18って。

R18以上は全ての表現規制禁止性器モザイク廃止。完全なる自由

R15は今回ののうりんみたいな判断分かれるなってやつ。R12水着とか肌面積多いやつみたいな。

んで置く場所を決めるの。公的だって判断された場所では最低でも一般以下の表現しか置かないようにしましょう。自治体、駅、公道とか。コンビニとかyahooなどのポータルサイトとかはR12とか。

大衆本屋なんかはそれぞれ置く場所を変えて、「嫌なら見ない」「触れない」ができるようにしてほしい。もちろん配慮しない店があってもいい。入らない自由があるし。

ていうのは超適当妄想だけど、それくらいのグラデーションで分けてやっと個人の最大公約数的な”快不快”に寄り添えるんじゃないかな。

ていうかこの案、あまり今と状況が違うとは思わない。めんどくさいだけで。R15、12なんて自主規制範囲でできるんじゃないの(それが理想)。

んで全てのものがこれくらいライトレーティングされることが当たり前になれば、「猥褻物」なんて屈辱的なレッテル無しに物事区分できるのではと思う。ちょっとくらい基準が明確でなくても、18歳越えたら何もかも見れるんだしいいだろう。

今の公的な「猥褻物」の判断おかしいし、本当に目的の性道徳・性秩序の維持に役立ってるのか?といえば、ジュニアアイドルなんてもの放置してる。あれがエロ目的でないなんて言う奴がいたらぶん殴ってやりたい。

2015-11-08

凄い人と知り合いであ自分という優越

いわゆるオタ趣味世界にも、それなりに凄い人たちがいる。

絵がうまいゲームうまい人、文章うまい人など色々と


で、多いのがそのような凄い「○○さん」とつながろうとする人たち。

そのような人たちは「○○さん」と仲よさげに振る舞ったり「○○さん」を理解しているかのような発言をしたりする。


こういうの、見ていてとても痛々しい。

自分も優れた人間であるかのように錯覚したい気持ちは分かるのだが。

2015-11-05

迫害されてたっていうのは、いわゆるオタク第一世代が若かりしころの話なんだと今まで思ってから

よく知らないけど大変だったんだなあって思ってたけど、ブコメ読む限りだと宮崎勤の頃が挙げられていて、

その時のことだったら知ってるけど、キモい奴が気持ち悪がられていただけじゃねえか

漫画好きやゲーム好きでまともな人が避けられていたり虐げられているのなんて見たことな

もちろん相手が気持ち悪いからって苛めていい理由にはならないし、オタクって言葉ニュアンスが違ったっていうのもあるだろうけど、

結局は趣味が原因ではなくて、本人が気持ち悪いから避けられてたんじゃないかっていう元増田の主張は正しいんじゃないのか

http://anond.hatelabo.jp/20151104222037

2015-10-27

http://anond.hatelabo.jp/20151027085916

いわゆるオタクは80年代以降の異様なバッシングトラウマがあるからな。

おまえみたいに存在しない被害を代弁してるふりをしながら迫害の端緒を開こうとするやつに対しては、徹底的に潰すことを是とする風潮があるんだよ。

2015-08-21

海女さんキャラ

ずーっと引っかかってた。

オタク文化にどっぷりで、成人向けも男性向け女性向けどちらも嗜む私には碧志摩メグちゃんはごく普通にかわいいと感じるわけだけど、

さてこれはダメことなんだろうか?と。

現場海女さん達の声に敬意を持って耳を傾け、時にはすり合わせていく必要はあるかも知れないけど、例のキャラクター特定個人をモデルにしたわけではなく、あくま職業、もしくは「伊勢志摩」をイメージして生まれキャラであろうから絶対に取り下げなければならない必要まではやはり感じない。

指摘されている点に関しても、

乳袋がなくてリアルなシワの描写でも、ぺったんでも、

裾はだけてなくてスパッツはいていたりウェットスーツでも、

はたまたデフォルメ3等身キャラでも、動物キャラであったとしても、

「もよおすヤツはもよおすのよ(多分ハルヒ)」。

ていうか、もよおしたらダメなのかな?

女性的な美に限らず男性的な美でも、美しい、かわいいと感じる心と性的だと感じる心は繋がっているものじゃないのかなあ

エッチな感じがするからダメです!って言ってそれを受け入れてしまったら「かわいい」と「卑猥」の境界線は誰が決めるの?

公的から、とは、公と私の境界はどこらへん?

○○観光大使です!って性別わず芸能人アピールしたとして、大使になったとたんちょっとでも性的な目を向けてはいけなくなるのかな?

今の十代二十代っていわゆるオタの子以外もほんとうに自然オタク的なものを楽しんでいるからこそ、その世代が興味をひくキャラクターを生み出してそこにアピールしていくことの意義って小さくはない。そんなアピールがあってもいいのではないか。

未来を担う若い子が地元愛着が湧いて地域に貢献したり、伊勢志摩存在を知ったりする。

そういう為のキャラクターとして良い仕事しそうなのに、一部の大人の価値観卑猥に見えるだからダメ、としてしまうのはすごく勿体無いと思うんだ。

2015-07-10

クラブへ初めて行ってみた

友人がDJをするというので初めてクラブというものに行ってみた。

割りと楽しめたし知らない世界も見ることができて興味深かったが

いくつか気になることがあったので箇条書きにしてみる。

ちなみに、一応オールジャンルと謳っていたが

DJは大概いわゆるオタ系の人なのでアニソンゲームの曲とかもちょいちょい流れた。

煙草の煙が辛かった

これは地味にきつかった。DJ自身も吸いながらプレイするのね。

(なんか今調べたらアニクラとかではフロア禁煙とかもあるっぽい)

長丁場の割に途中退場ができない

開催時間が15時~22時前まであったけど、飯を食いにとかで外に出れないシステムだった。

結果として友人の出番が終わった後に連れと会場を後にした。

立ちっぱなしで足がきつかった

ハコ的に椅子は多い方(らしい)が、それでも人が多くなると必然的に立つことが多くなって

途中から結構しんどかった。(これは俺の体力の無さも原因)

これが、今回行ったイベント特有なのかクラブイベント一般に言えることかどうかは分からない。

この辺がどうにかなれば、今後もちょくちょく通いたいかなぁ、と思った。

(「これ我慢できないようじゃクラブ行くのに向いていないわ」とか言われるかもしれないけど)

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