豊田市美術館に行ってまいりましたわ。
平日なのにすごいお客様で驚きました。大半がお年寄りでしたわ。
敷地の端に建っている櫓をみて盛んに「城」とおっしゃっているのを耳にして、
天守どころか櫓でも城とイコールにされてしまうのだと世間の感覚を思い知りました。
ここのものは七州城の復元櫓ですが、あのような認識の方が多いのでは
そのままの配置で展示されています。
恥じらいもなく大量の群青と緑青を使った波濤の絵は圧巻です。
全体的に薄暗くなっていたのは、顔料が繊細な日本画の保存のためだと
思われますの。
また抽象の力展も同時開催されており、
頭の良い監修者がうまく説明されていました。
なにせミュージアムショップでカタログが売り切れているというのですから、
コンクリートの容器に、コンクリートの破片を詰めた高松次郎の作品
わからないものでもヒルマ・アフ・クリントの初期抽象作品はなんとなく
好きになれました。
いちばん分かりやすかった抽象芸術はコンスタンティン・ブランクーシの
こんな破廉恥な展示が許されるのかしらと作品の前でどぎまぎしてしまいましたわ。
対応しそうな作品としてルーチョ・フォンターナのピンクに塗りたくったキャンバスに
赤い縦の貫通穴をほどこした作品もありましたけど、
コンスタンティン・ブランクーシのせいで、そういう目になっていただけかもしれません。
恐ろしげな世界をあじわえました。
ファイナルファンタジーの初期イラストを描かれた天野先生の作品に
少し印象が似通っています。
小嶋悠司作品は抽象の力にあった、熊谷守一の作品「轢死体」とならんで
SAN値を下げてくださいました。
再入場できない東山魁夷作品を最後に見るべきでしたわ・・・・・・
バーベキューが迷惑なんて信じられない。あの煙と匂いが最高なのに!
焼肉屋の煙が出ていたら深呼吸だってしちゃうよ!('∀') …と言ってる奴。じゃ、自室で閉め切ってやりゃええがな。臭いねん(´・ω・`)
嫌な事を薄めるという発想。
今も色々続編作ってるけど、魔人ブウみたいな全く話の通じない悪役が結局一番怖いなあって思う
例:7P4
左側の数字:7
右側の数字:4
1.まず「右側の数字」個の四角を書く
http://i.imgur.com/flCfHg2.jpg
2.一番左の四角に「左側の数字」を書く
http://i.imgur.com/FmKU7B4.jpg
3.最後に書いた数字から1引いた数をその数の右隣の四角に書く。すべての枠が埋まるまで繰り返す。
http://i.imgur.com/4H2qiRH.jpg
4.すべての枠が埋まったら四角の中に書いた数字をすべて掛け合わす
結構言われる。
正直、自分は相手を下に見たことは一度も無い。だけど周りで見ている人や会話している相手(人づてに聞く)からは、上から目線だったと指摘される。
就職してから数年経ち、幾度となく上から目線を指摘されている。自分では理由がわからなかったので、指摘されるたびにどこが・どこで上からの目線を感じたのか自分を修正するために聞いた。ここ最近のメモを見返してみると、「一方的に話された」、「突然割り込んできた」と書いてあった。後者については、自席で世間話をしていたから、声をかけて仕事の話をしたつもりだったのだけど、相手からはそう思われていなかったということらしい。
前者の「一方的に話された」について最近考えていたところ、これが原因かなと思い当たったので皆に聞きたい。
普段は仕事関係の会話をするときは、「これこれこうだからAをしてくれませんか」とか「あれがああなるのでBではないですか?」というように相手の返答として YES/NO を期待する聞き方をしている。実はこれが相手へのプレッシャーとなっているのではないだろうか。個人的には相手の回答として YES/NO を要求することで、相手へ回答を考えさせる負担を減らしているつもり(気分的には真偽値判定の容易さと充足可能なモデルを探すことの難しさのつもり)だったのだけど、実は YES を強要していたのではないだろうか。NO って答えるのは難しく感じさせているのでは無いだろうか。
だから二択のつもりで実は一択を要求していたのではないだろうか。いやもう答えを要求する時点で相手のことを考えていないということなのだろうか。(一択の)回答を要求することが上から一方的に話されたと感じさせてしまったのでは無いだろうか。
もちろん自分の話し方がヘタクソだっていうことも関係しているんだろうけど、こういう聞き方がまずいのでは無いかと思ったので書いてみた。
2017/05/26 追記
皆さん、ほとんど丸投げのような雑文に真面目な回答をありがとうございます。
上から目線な言葉について考えていましたが、むしろ上から目線に感じさせてしまうような行動が原因では無いのかと複数指摘がありましたので、行動も含め、トライしてみることにします。
相手してもらってるのがどちらなのか、少し胸に手を当てて考えてみなよ……。
ツイッターのTLがものの見事にFGOで埋まってから随分経つ。
Fate自体はそこそこ好きだがFGOで追加された新規キャラの何人かに元ネタ(史実)の人物からの解釈描写に個人的な地雷を踏み抜かれてしまっているので手が出せない。というか一回始めてみたことはあるのだがそのうちの一人の描写がどうしても耐えられなくて投げてしまった。
あくまでも個人的な思い入れの問題なのでもっと考証ちゃんとしろという話でもなく。そもそもこのゲームの世界観に対して考証うんぬん言うこと自体が相当な野暮だろうし、元ネタと切り離して作中の一キャラとして見ればかなり良い見せ場貰ってたのは事実だ。
ので遠巻きに見ている状態なのだが、やっぱりイベントやらガチャ更新やらで話題が途切れないって強いなあとつくづく思う。FGO始めた人基本的に戻ってこないから、何だかんだで面白いんだろう。
みんなで飯を食いに行くより寝たい
好き避け、嫌い避け、両方あると思うが、いずれにしても相手のことを過剰に意識しているからこそであることに変わりはない。
しかし、そもそもそこまで相手のことを過剰に意識するってこと、そんなにあるか?
いま現在そうなっているのだけれど、時々丹田のあたりがぐぅーって締め付けられるような感じがする。
肉体的にはきっと何もなっていないんだろうけど、腹の底に何かよくわからない、切ないような重たいような、不満にも似た感情の澱がたまっているような気がする。
不思議なことにそんなに不快ではない。不快ではないんだけれど、なんだかぎゅーってくる。
お腹のあたりだけの話じゃあない。何かしらが溜まっている辺りに向かって、あるいは何かしらが沈んでいる辺りに向かって、全身が外側から押し付けられるような感じがする。
とても素晴らしい。整った容姿からは想像もつかないほど豊満な尻、変態ボディ。着エロとまではいかないものの、ある程度エロい水着やコスプレを初DVDで披露してくれた。元アイドルのグラビアの場合、露出が控えめで、女優やモデルへの道を諦めていない往生際の悪さが見え隠れする事が多い。だが彼女の場合はデビュー作でもしっかりとエロさを強調し、次のDVDへ繋げるための努力、オナペット道を極めようとする姿勢が伺える。元アイドルだろうがネームバリューが無ければ女優の道は閉ざされ、身体で食っていくしかない。要するにネームバリューが皆無で、エロい身体の美人はグラビアで変態水着を着用していれば良いのだ。そんな彼女の2ndDVDが6月20日に発売される。さあ、どんな変態水着を着用してくれるのか見守ろうではないか。
朝からずっと育児と家事やってきてるのに、どうしてやっと子供寝かしつけてからもやることがあるんだろう
食材を買ってきてもすぐになくなる
お皿を洗っても洗ってもすぐに汚れたお皿は溜まっていく
やる気しないからほったらかし・・・困るのは自分と子供たちなのにね
せめて気分転換できれば違うのに
もう少しやる気がでるのに
じゃないと続かないよ
ただでさえ内向性で、ひとりの時間がないとエネルギー補給できないのに
そんな最近の私の口癖は「こんなに頑張ってるのに」です
彼らは気づいていないのだろうか。マリオカート並みに顰蹙をかっていることを。
登りを無視し「すみませーん」などと声を掛けながら無理やり下ってくる。
タイムを気にしているのでしょうか。
混雑している6号路とか稲荷山を下るのは、表参道とか歌舞伎町を集団で駆け抜ける珍走団並みに顰蹙かってますよ。
タイム目的であれば、深夜の高尾山もしくは奥多摩のハセツネコースでやっていただきたい。誰もいませんから。
2. 鈴と声がうるさい
高尾山で熊よけの鈴はいりませんから。一般的な登山客にも言えますが。
トレラン特有なのが、「下り〜」とか「登山客いますー」的な良くわからない掛け声。
鈴鳴らして声を枯らしたいなら、奥多摩のマイナーコースなどを駆け抜けていただきたい。
3. なぜ集団?
山を駆け抜ける喜びについては強く共感できるが、なぜ集団なのかが理解できない。
大人の部活動的な「頑張ったね!」の共有が目的なのでしょうか。
しかも、ポイントごとに休憩しているので、1日に何度も抜かされるのが鬱陶しい。
高尾山や奥多摩で出会うソロのランナー達はみなさんマナーがあることは承知しています。
あくまでも、団体でハイキング客の多いコースを駆け抜ける団体トレランに向けたものです。
トレランって自己との戦いと個人的には思っているので、客観的に見たトレラン集団のみっともなさに