はてなキーワード: 美濃加茂市とは
普段「日本の悪いところを素直に認めろ!外国も同じとか関係ない!whataboutismをやめろ!」って言ってるネームドはてサたちが東京が主語になった途端この有様ですからw
quick_past 人口が密集してないところや、貴殿の目に付かないところで行われてる、おぞましい行為を君は見なくて済んでるだけですよ。
segawashin そら電車内の痴漢は満員電車が無ければ成立しないからなあ。田舎は田舎で露出とかチャリですれ違いざまに体触るとかいう系統の痴漢が普通に出没するので、痴漢が東京固有のものであるはずがない。
cinefuk 田舎では、自動車を使った性犯罪が多発する。拉致・誘拐に至らなくても、声掛け事案だったり、路肩に停めたクルマの中から性器を摩擦する男に声をかけられたり。百万都市のターミナル駅から数百メートル範囲の事件
aquatofana ええと、御堂筋線事件って言うのが起きたのってどこの路線だっけ
Arturo_Ui 美濃加茂市で市議会副議長がやらかした件も「痴漢」の範疇だと思いますよ?
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240510211920
grdgs 擁護でなく主語が小さく不正確ってこと。東京ってより日本(の都市部)という方が正確 / 普段ミラーリングガーって連中、条件合わせの基準が恣意的・ご都合的すぎ。これもミラーリング基準で極小まで条件合わせろよ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20240511132215
大河ドラマでよく出てくる交通の要衝。西濃の人は東濃と中濃の人とほとんど交流がない。地図を見ると西濃から岐阜市を通らず中濃に抜ける道はほぼなく、東濃には愛知を経由したほうが早いのでほぼ他県である。
高速道路で飛騨の下呂温泉に行こうとすると東濃の中津川ICで降りるよう標識で案内される。高い山があり気温が低く雪が多い。古い街道と町並みがある。長野の仲間にされてたこともある。木曽路や飛騨路は山の文化。飛騨も西濃とは隔絶されている。
3中濃
分割の残りカス。関市美濃市郡上市は長良川の文化、美濃加茂市は木曽川の文化、美濃加茂対岸の可児市はなぜか東濃にされている。実は岐阜県は郡上市を北濃地区とする6分割もありそれだと可児市は中濃になる。いずれにしても中濃はバラバラな残りを無理やりくっつけただけである。
君に少し助け舟を出そう。
これは岐阜県美濃加茂市でラノベ原作のアニメを用いて町おこしを使用した事例。有名だけどあのアニメは1話から女性教師のほぼ全裸が大写しになる場面がある。原作でも結構そのままな描写だけどこれをそのままアニメにして、しかも地域のみんなが集まった会場で上映されてしまった。他にも扇情的なポスターなどが外される自体も発生した。
ただ、おれはアニメや原作自体は決して悪いものとは思わない。内容自体は割と面白かった。
こうやって事実と感想はわけなければいけない。君は事実(かもしれないこと)を元によくわからない推測をしている。この時点でなんの価値もない。
「運営はそうするだろう」というなら、それは運営の意見や対応が必要だ。運営に信用がないというのは君の感想に過ぎない。
だからだめなんだ
前回、何故横にしたと突っ込まれたので縦方向に改訂・キズナアイ騒動以降の交戦について増補しました
追記:足りないネタは追記していきます。割と端折ってしまってるところもあるので、解説・概要的なのはもう少し必要かも知れない。
人工知能学会の表紙は女性蔑視? https://togetter.com/li/607736
「碧志摩メグ」炎上問題(三重県志摩市)まとめ一覧 https://togetter.com/li/873570
日本版『女子高生探偵シャーロット・ホームズ』の表紙に対する一部の批判 https://togetter.com/li/1024743
駅乃みちか問題まとめ https://anond.hatelabo.jp/20161018105236
「ゆらぎ荘の幽奈さん」(週刊少年ジャンプNo.31 巻頭カラー)炎上問題/まとめのまとめ https://togetter.com/li/1127474
ポリコレ物語の結末 https://togetter.com/li/1145999
フェミ「プリキュア抱き枕が問題ないとする人はディズニーのキャラクターで抱き枕作っても問題ないのか!」https://togetter.com/li/1281640
【またお前らか】『なんでここに先生が!?』のブースのツイートに、いつもの連中がイチャモン付けに来た。https://togetter.com/li/1331836
参考文献:
人工知能学会の表紙は女性蔑視? https://togetter.com/li/607736
「碧志摩メグ」炎上問題(三重県志摩市)まとめ一覧 https://togetter.com/li/873570
日本版『女子高生探偵シャーロット・ホームズ』の表紙に対する一部の批判 https://togetter.com/li/1024743
駅乃みちか問題まとめ https://anond.hatelabo.jp/20161018105236
「ゆらぎ荘の幽奈さん」(週刊少年ジャンプNo.31 巻頭カラー)炎上問題/まとめのまとめ https://togetter.com/li/1127474
本日は美濃加茂市民ミュージアム、美濃和紙の里会館、郡上八幡城、
せっかくだから、もう少し足を延ばそうとする繰り返しで、
小沢艦隊に釣られたハルゼー艦隊のごとく北に突進してしまいました。
わたくしの御髪が縦にカール・ビンソンですの。
そして光秀の書状が展示されていました。
天下人四人の書が拝めるなんてありがたいですわ。
掛け軸にするときに折り目で切断して向きを揃えていると解説がありました。
また、尊敬する相手に触れる前で改行する作法もあったそうですわ。
近隣の城についても紹介があり、ガラスの中でさらに額縁に入っていた
絵が歴史群像の見開きとほぼ同じサイズで驚きました。縮小コピーじゃなかったのですね。
棒人間的な人物は米粒の表面に描けるくらいの小ささで作業の細かさに圧倒されました。
せめて入館料をとらないゾーンに展示されたほうが……。
こうぞ5500gから長い工程を経て得られる和紙は220gとのことです。
青森、千葉、神奈川、香川、長崎のみ和紙がありませんでしたわ。
歴史上にはパピルス以外に樹皮や椰子の葉をたたいて合わせた「紙」も
あったことを知りました。
あと、入り口付近に「ギネスに挑戦!60mの手すき紙プロジェクト」の企画が紹介されていましたが、
よく紙をみると右下に小さく「※ギネスへは挑戦していません」と書いてありましたわ。
えっ?ええっ??
長良川沿いをさかのぼっていくと郡上八幡城のある郡上市に入ります。
(屋根から落ちた雪がいきおいよく人にぶつかることを防ぐ突起のついた瓦)が
使われていて、豪雪地帯に入ったことを感じましたの。
古い景観をとどめる町の中はうだつ上がりすぎて、うだつあがり症状態でしたわ。
「およしさん(17)」が萌えキャラ化されていて、およしなさいと本気で思いました。
およしさんはデザインは東北ずん子さんに似ているというか、おキヌちゃんの系譜でしょうか。
関ヶ原絡みの局地戦で戦術的には負けながらも郡上八幡城を取り戻した遠藤慶隆は
成功した
小田氏治みたいですわ。
こちらは戦国大名、東(「あずま」でも「ひがし」でもなく「とう」)氏の
篠脇城は畝状竪堀群のある山城で、千葉から来たという東氏がその技術を得た
経緯がとても興味深いですの。
そういえば途中の国道156号線にデイリーヤマザキが連続で現れる場所がありましたわ。
古今伝授といえば
有名ですけれど、まさにその古今伝授の源流にあるのが
九代目東常縁なのだそうです。
それに関連して和歌文学館では古代から現代までの代表的歌人が九人選定されていましたわ。
選者の意見があけすけに書かれていて興味深かったですの。
その上にある篠脇山荘は歌詠みの会をする研修会館のようですが、
何もしていない時は立ち入りが可能で、縁側の椅子に腰掛けて池と篠脇城のある山を眺めていたら
様々な意見が流れる中で、「巨乳差別だ」とか「巨乳は社会的に正しくないのか?」といった主張を目にした。
どうも、あのポスターに描かれている女の子が豊かな胸元を露わにしており、そのイラストを非難することは巨乳は公の場に出るなという主張や、露出度の高い服装をする自由の否定に繋がると言いたいようだ、と理解した。
それらの発言をする人々が巨乳差別を真実懸念しているのであれば参考になるかもしれないので、書いてみる。
巨乳当事者の一人としての経験や見聞から、服装や振る舞いの自由に強く抑圧的に働くのは、性的なからかいや侮蔑、相手の人間性に遠慮のない言動だと思う。
普通に立ってるだけで「そんなにおっぱい突き出して…」とニヤニヤしながら言うとか、体育の授業中に胸を眺めてひそひそカップ当て競争するとか、制服着てたら「ブラウスがはち切れそうで可哀想」とか。名前ではなく「あの巨乳ちゃん」と呼んだりとか、胸元しか写ってない写真を隠し撮りして回覧するとか、スピーチ後の匿名感想アンケートに「いいチチしてますね」と書いて来るとか。「おっぱい大きい人って脳みそが胸に取られたんでしょ?」と都市伝説を得々と披露するとか、いきなり触ってきて笑いながら逃げるとか。
そういう言動が辛いから、胸が目立つおそれのあることを避ける。猫背になる、だぼだぼの服やミニマイザー(乳房を小さく見せるブラ)しか着られなくなる、体育着や水着になるのが嫌で登校拒否する、人前に立つことを頑なに避ける、など。
そこにもし巨乳の女に対する無遠慮な視線の行動化をたしなめる人がいてくれたら、安心や感謝に尽きる。「巨乳が否定された」とは全く思わない。
生まれもった体型のせいで作業服の前ボタンが閉まらない女の子が恥ずかしそうな表情で困っている場面を嬉々として捉え、集客に使うような行為、
巨乳の女を感情や人格のある人間ではなく【巨乳キャラ】という物体として扱う態度が、巨乳を自由な服装や振る舞いから遠ざける。
この増田は萌え絵や二次元一般の規制に賛同する趣旨のものではない。
胸の大きな女の子が、谷間の見える格好で恥ずかしそうな表情をして(させられて)いる、
そういった場面を観光客誘致のためのポスターにすることへの批判が巨乳差別になるという主張について、
どういったことが巨乳の当事者に対しての抑圧になるかを書いた。
私も頭の中はいやらしいことでいっぱいだし、エロマンガも何冊も持ってる。
のうりんポスター問題で批判側の態度が少し気になりました。抽象性の高い理屈と、個々の事例の話を分けて考えてない人が多いのではないでしょうか。
たとえば信号無視は良くない行為ですが、夜中で車が全くいないのに道を渡るときに赤信号で待つかどうか、ということです。理屈ではダメな事だが実際には状況によってほぼ問題ないということはよくあるわけです。
理屈は個々の事例すべてに同じように適用できるわけではありません。それぞれの事例の状況を鑑みて判断をする必要があります。
たとえば今回のポスターのイラストがアニメショップののうりんコーナーで使われてる、なら問題視されなかったでしょう。アニメショップは誰でも出入りできる場所ですが、実際に訪れる人でイラストに強い不快感を感じる人は少ないからです。
同じように美濃加茂市のイベントでも理解のある地元民かイベント参加者以外がほとんど目にすることがないのであれば、問題はないはずです。
それを判断するためには実際の利用のされ方や地元の状況を理解してる必要があるはずですが、残念なことに情報がほとんど無いうちから多くの批判が行われてました。
状況を十分理解したうえでポスターの使用をやめるべきと判断したのなら良いのですがどうもそうではないらしく、ポスターについてもどういう目的のものか、どこにどれだけ貼られているかなど理解されないまま批判されていたようです。
つまりそれぞれ事情も環境も違う個々の事例に対し、一般化された理屈だけで良し悪しを決めてしまってるということです。
理屈部分を議論したり、個々の事例に対して「こういう問題の可能性があるが大丈夫だろうか?」と疑問を提示したり確認を取ったりすることは良いと思うのですが、批判非難するのであればきちんと状況を把握してから行うべきでしょう。
理屈だけで物事を判断すると「どの程度問題がありそうか」という頻度や程度の面が抜け落ちやすくなります。大きな問題になりそうだとか、実際に苦情が来たという話でなければ今回のイベントは続行しつつ、次回から改善するという選択肢もあるはずです。
大事なのはそもそも何のための話なのか考えることであり、それは「性的表現で誰かが傷つかないようにするため」だったはずです。もしその可能性がたいして無いだろうといえるのなら、特に問題は無いはずです。
なのに「完全に問題が起きないようにしなければダメ」「可能性を生み出しただけでアウト」となってるように見えます。
日本のマネジメントは予防に重点を置きすぎでコストが高くなってしまい、チャレンジできない社会になってることが、よく問題となってます。
もっとアメリカのように問題の期待効用が大きくないならとりあえずやってみて、何かあったら対応するというやり方でもいいのではないでしょうか。
「これは表現規制じゃない。ゾーニングしろと言っているだけだ」という意見の人は、何をもってゾーニングができていると見なすのだろう? 良識派のオタクやサヨクに多いが、具体的にどこまでゾーニングすればいいか教えてほしい。
第一の前提として、このポスターはちょっとエッチな感じがあるというだけで、直接に裸体やセックスを描いた18禁表現ではない。もし子供が目にするようなことがあっても法的・社会通念上はアウトにならない。そういうものなのに18禁表現なみに厳しいゾーニングを実施しろという話になると、私は違和感がある。
「駅に貼ってあったことが問題だ」という意見には一理あると思うけど、それはつまり駅から撤去すればOKってことなのか?
逆に駅以外の道路沿いとか、観光スポットに貼ってあるのは許されるのか?それとも通行人が少しでも目につく場所はアウトかな?
ホテルや飲食店の店内に貼るのはどうだ? そこにもアニメに興味ない一般人は来るだろうし、子供や女性がポスターを見ちゃう可能性あるよね? しかし、だからといって私企業が管轄している館内スペースにまでゾーニングをやらせるつもり?
ポスターが駅に貼ってあるのだとしても、しつこく目につくほど強烈に展示しているか、片隅にちょこっと展示してあるだけだったか、その違いを無視した批判が続出しているのにうんざりした。
駅の通行人がこのポスターをほぼ気にとめずに素通りできるレベルの貼り方だったなら、「見たくない人にむりやり見せつけて苦痛を与えている」という批判は当たらない。
もしこれが明確な18禁表現ならば一瞬でも通行人の目に触れてしまえばアウトだが、今回のポスターはそうじゃないのだし、徹底的に厳しいゾーニングが必要なポスターと同等に扱うべきとは思わない。
「実際には通行人がほとんど気にとめずに済む」という貼り方がされていたという報告もある。以下、現地に行ってきた人のレポ。
まつうら @hallucine 2015-12-01 00:13:04
ポスターっていうより貼り紙っていうほうが適切なニュアンスかなぁ。あんまり大きくなくて印刷もそれほど鮮明でないので(失礼ながら)、嫌でも目に付くというほどではないです。スタンプラリー対象店舗ってことはちゃんと分かりますが、胡蝶さんの巨乳っぷりまでは。
根性ロン @konjo_ron 2015-12-04 00:18:49
ストリートビュー 要はこういうことだったんですね。 pic.twitter.com/5ugmCvNjeW
以上を踏まえると、今回の炎上が「見たくない人にむりやり見せつけて苦痛を与えているのは駄目」というゾーニングの問題だったか、それとも「こんな破廉恥でセクハラのポスターを公共施設に貼るなんておかしい!」というポリティカル・コレクトネスの問題だったか分からなくなる。
仮にポリティカルコレクトネスの観点に立つとすれば、あのポスターはいくら完全にゾーニングをしても不許可ってことにならないだろうか。
例えば駅の一室にある観光案内所で、外側にいる通行人からは見えないように注意して貼っていたとする。あるいはもっと厳格な方法を取って、『のうりん』スタンプラリーに興味ある人にだけあのポスターを配布したとする。そうすればゾーニングが完璧に行われたものと言えるが、「観光協会がああいう絵をポスターに公式採用するのは不適切」とか「駅という公共施設でポスター配布を認めるべきじゃない」という批判は出てくるだろう。
「アニメだから駄目なのじゃなくて、こういうポスターは三次元でも駄目だ」
「オタクが差別されているんじゃない。こういうポーズをグラビアアイドルがやっていてもアウトになる」
私は二次元に比べて三次元の方が卑猥に感じる。三次元のグラビアアイドルの写真は直接的に女性の肉体を見せつけるのに対して、二次元はただの絵だ。写真と違って、絵はその向こうに実在の女性がいるわけでもないから、そのイメージは現実世界にいる女性と結びつきづらい。しかも「萌えキャラ」の描き方は抽象的すぎて、もはや完全に現実離れしてしまっている。あれは人間の体ではない。
だから対象が同じポーズを取っているとしても、二次元は卑猥に感じにくいという気持ちがある。
グロ画像もそんな感じだ。例えば現実にむごたらしく殺された人の死体写真を見ると、私は恐ろしいと感じて直視できない。一方、マンガになって死体が描かれているならば、その死体に現実のモデルがあるにせよ、絵がすごく写実的に作られているにせよ、それを見るときの拒否感は緩和されるだろう。
追記
「セクハラ」という観点で考えても、やはり二次元より三次元の方が問題になるんじゃないかと思う。
グラビアアイドルのちょっとエッチな写真というのは、女性の体を売り物にしているし、それを男目線で一方的な消費対象にするものだ。だからフェミニストから女性差別で侮蔑的と言われると、私もそりゃそうかなと思うわけだが、二次元の萌えキャラの絵を三次元のグラビアアイドルの写真と同列に語るのはいささか違和感がある。
二次元に実在の被写体があるわけではないし、前述のとおり萌えキャラは抽象的で現実離れしている造形だ。「この絵に描かれているのは人間の女性ではない!まったく別の存在だ」というふうに感じる節さえある。それゆえ、「女性差別で侮蔑的」という指摘をぶつけられても、グラビアアイドルの写真ほどにはそのフェミニズム的な見方を承服しづらい。
はてなブックマークでも100ブクマ超えた後になるとドサクサにスター欲しさにキチガイじみた発言をするバカが出てくることが多い。
みんなが大喜利やってる中で素でマジキチ発言をするやつが出てくる。
美濃加茂市のポスターについて噛みついてくる人がどんどん出てくるけどどんどんアレな発言を重ねていく— さまよううさぎ(うさかな) (@rove_labbit) 2015, 12月 3
@B_H_T_Rice 正気で言ってるなら危ない妄想ゲームなんやなw— さまよううさぎ(うさかな) (@rove_labbit) 2015, 12月 3
やっぱ波に乗り遅れるとそのぶん強烈にアピールしていかないと厳しいものがあるもんな— 大澤めぐみ (@kinky12x08) 2015, 12月 3
@kinky12x08 何か独自性を付加しようとして焦りながら雑に他と違う着眼点からの刺突を模索した形跡が読み取れるのたのしい。解剖してないのに脳みそが見える感じする。— ブルーハワイ炊き込みごはん (@B_H_T_Rice) 2015, 12月 3
炎上案件について後出しで自分語りをするやつはなぜか情報はたくさん出回っているはずなのにその情報確認をせず、初期に反応したやつと同じずさんさで発言をするのが謎で仕方ない。
面白いことをいうハードルより前に、時間が経てばたつほど、情報に正確性が求められるハードルを意識していただきたいものである。
のうりんポスター問題の事実を話すね。「現地でゾーニングやりつつファン向けのイベントやってたら、事情を知らないクソフェミが(ゾーニングしてない環境で)性的なものを出すなと殴りかかってきた」デス。そこから場外乱闘開始。従って、すべての議論は無意味デス。— 蒼雀 頃(あおすずめ) (@BluesparrowXYZ) 2015, 12月 2
肌色の割合が問題なのだったら、世の中にあふれる3次元の水着グラビアも同じように批判しなければならない。
(もちろんそれも環境型セクハラという問題はあるのだが今は置いておく)
そちらは批判されずに、美濃加茂市のポスターが批判されているのはなぜか。
文脈が足らないのだ。
たとえば、肌色の割合が最大に近いと思われる力士はなぜ受け入れられているのか。なぜハレンチとならないのか。
長い間、日本人はそれを見慣れ、文化として受け入れているからだ。
裸婦画・裸婦像などが受け入れられているのも、ハイカルチャーとしての地位を確立しているからだ。
3次元の水着グラビアが受け入れられているのも、世の中にあふれることで日本人が慣れてしまったからだ。
一方、アニメはまだ市民権を獲得しつつある途上といったところだろう。
ネットではアニメファンの声が大きいので、自分たちが世界の中心のように感じるだろうが、一般から見ると中心ではない。
世の中の人は、アニメファンが思っている以上にアニメのことを知らないのだ。
確信的に作っているのであれば、文脈をしっかり構築できただろうに、そこを怠っていたこともあり、
たとえば、このポスターが峰不二子なら、長年の実績(?)から、「峰不二子はそういうキャラ」と知っている人が多いので、文脈も伝わり、かろうじて受け入れられたかもしれない。
もちろん知名度を上げるためのコラボでもあるのだろうが、それにしては悪手と言えるだろう。
たとえば、大人の男性しか見ないウッフンなフリーペーパーに載せるのであれば批判も出なかっただろうし、
お酒のラベル(これは大人しか利用しないため)であったらよかったのだろう。
商店街のチラシとしてはとがりすぎていた。
例えるなら、朝の情報番組にいきなり水着の女性が出てくるようなものだ。
それだけの問題だ。
こういった問題になるとまず間違いなく「オタクカルチャーが差別されてるから叩かれている」という言説が飛び出す。
また、例の楽器が男根と言い出した人の例を引くまでもなく、萌えキャラ・アニメキャラを嫌う人というのは存在する。
しかし、そういう人は決して多数派ではない。もしそうだとしたら、各地にいる無数の萌えキャラはすべて大なり小なりの炎上をしているはずだろう。
実際にはそうはなっていないのだから、炎上したキャラには「ほかのキャラにはない(問題)点」が確かにあったと考えるほうが妥当である。
美濃加茂市の『のうりん』良田胡蝶、志摩市の碧志摩メグは共通して、そのイラストの性的アピールが過剰であるという意見が多く見られた。
自治体、それに準じる第三セクター(=ここでは「お役所」とする)の表現にふさわしくない、公共の場に掲示していいものではない、一般人の羞恥を呼び起こすセクハラである。
それらに対する反論も噴出している。
客観的な基準が示せない、個人の「不快である」という感情の言い換えに過ぎない、ファンに向けたイベントなのだから問題ない。
そのどちらも決して間違いとは言い切れない。
理論上は、R-18に相当する表現がなければ、子供が見ようが女性が見ようが問題はないはずだ。
だが実際には女性の乳房や肢体を強調するのは「公共の場にふさわしくない」し「お役所らしくない」。
つまり、我々はいつの間にか、暗黙のうちに、お役所にふさわしい「表現の範囲」を定めていたのだろうか。
それを逸脱したことが今回の問題の核心であり、今後、その「範囲」を明確化して、その中に納まる表現だけが認められるのだろうか?
そもそもお役所がアニメとコラボしたり萌えキャラをつくること自体、今までの「表現の範囲」から脱却しようとする動きではなかったか。
無難で、地味で、つまらないお役所イメージから飛び出そうとするからこそ、オタクカルチャーを取り込もうとしたのではなかったか。
その意味で、じつはこれは「お役所の表現の範囲」のなかにはそもそも収まらない問題なのではないだろうか。
この関連の論争を眺めていると、「じゃあ○○もだめになるな」という言葉が散見される。
家族の楽しげな写真は、ぼっちに配慮がないよ。猫が嫌いだから子猫の写真で精神的苦痛を受けるんだけど。
それに対し、「それとこれとは違うだろう」と思う向きは多いだろうと思う。
あたりまえのことだ。
単なる個人であったとしても、ブログを書くたび、一言ツイートするたび、一言喋るたび、視線を誰かにぶつけるたび、
もしかしたら誰かを不快にするかもしれないし、「不快になった誰か」が多数になれば叩かれるかもしれない。
今までの「お役所らしさ」は、そのリスクを最小限にしていた。だから「無難」だった。
しかし、いくつかの町が萌えというカンフル剤を手に入れ、そして成功した。
各地が我も我もと続き、ご当地アニメという言葉が生まれ、萌えキャラが量産された。
今やどこでも見るメジャーな戦略になったから、一部のお役所の皆さんは忘れているのではないか、と思う。
「無難」にほんわかしたイラストは、目に留まりにくい代わり、どんな層にも受け入れられやすい。
対して、萌えキャラというのはそもそも、ごく一部のオタクに対してのアピールに特化してできている。
そこには女性に対する性的視線が織り込まれている。既存アニメならば、アニメ視聴者しか知りえない文脈が隠れている。
オタク以外には不快かもしれないし、ついてこれないかもしれない。でも確実に『一部』は喜ぶ。
「無難」ではなく、リスクが高い代わり、リターンが見込めるからやるはずのものなのだ。
そう思ったとき、表現する側に必要なのは「ディレクション」だ。
ターゲットは誰か。ターゲットにリーチするために、どんな方法を取るか。
そして、もちろん、苦情が出ないかどうか。苦情が出るリスクが高い部分は、先んじて対策を取る。
リスクが高くとも、コンセプトとして譲れない部分はどこかを見極める。
「攻めた」表現をする人たち――広告や出版や放送にかかわる人たち――は、当然それを考えて動く。
今回、美濃加茂市の観光協会は、苦情が出たことに「困惑した」という。
「支給された素材を順番に使っただけだ」と。
はっきり言うと、つまり、考えが足りなかったのだ。
苦情を言うほうが悪いのではない。苦情が出ることを想定できないほうが悪い。
そして、苦情に対し「これこれこういう理由でこの表現は適当です」と、きちんと説明できないのが悪い。
萌えおこしに頼らざるをえないような田舎の観光協会に、そんなことを求めるのは酷だろうか。
わかってもらえないとしても、それでも、この戦略は間違ってない。
でも、仕事ってそんなもんではないだろうか?
全体的に「のうりん」ポスターや碧志摩メグを肯定する書き方になったが、
私個人としては、やはりあれは「性的アピールが行きすぎで、TPOを弁えておらず不愉快だ」と感じているし、
いくつかの場でそれを表明してきた。また、そう感じている人が少ないとは思わない。
だがしかし、今回の二つのバッシングに、一切問題がなかったか、と言われると、それも首肯しかねる。
ツイッターで似たような意見をまとめ、センセーショナルな見出しをつける。
同じ意見の人がたくさん見えるから、自分の意見が「常識」「良識」の側であると信じる。
だからそれをかさにきて叩く。
ネットでは非常にありがちな光景だけれど、しかし、これが正しい状態だと私は思わない。
私は「個人の不愉快」を表明することを擁護するし、「常識」が結局は多数決の結果であることを否定しない。
しかし同時に、他者が「多数」「常識」に従わない自由を、いつも頭の片隅に置かなければならない。
いかに自分が「多数派」で「常識」で「正しい」と信じようが、法に反さない限り、何を採用するかの決定権は相手にある。
それを尊重する態度を忘れてはならない。
叩きはネットの華だ。きっと今後もなくならない。
20歳の女性でバイセクシュアル、男性とも女性とも交際したことがある。
萌えアニメや男性向けAVを含め、基本的に男性向けの性コンテンツを消費している。自己の性認識は女性。
また、美濃加茂市の萌えおこしものうりんという作品の詳細も、失礼ながら存じ上げない。
以上の立場の自分は、今回の美濃加茂市のポスターは嫌悪感があったこととその理由を書き記したい。
嫌悪感……と、いうより、正直、しっくりこなかった。
これは女性の母乳を摂取することで男性が力を得て戦う作品である。
誰かが「スタイリッシュ授乳」と称したように、授乳がこの作品の一つのキーワードである。
女性の乳首と乳房がこれほどにまでに作品内部で強調される作品はあまり知らない(知ってたら教えてほしい。見たい)。
クェイサーという作品が炎上しなかった理由は、(SNSの普及という観点は今回はさておくとして)以下二つと考える。
→つまり、「嫌なら見るな」がある程度コントロール可能な作品である。深夜帯のアニメ、本屋に置かれる漫画。
『老若男女』、不特定多数の目に付く場所に『多数』配置されているわけではない。悪意(≒反論の意)を持って拡散されることが予期されるわけでもない。
また、責任は製作委員会・作者・出版社にあり、『地方自治体』や『国家』が負うものでない。
2 下着や乳房等、性的イメージに繋がる部位の露出及び性的行動に意味がある
とはいえ、クェイサー以外のアニメ作品を考えると、2に関して、無意味な露出が昨今量産されている。
フェミニストはポルノとして消費される二次元の女の子がどうしても気に食わないのだろうが、それへの批判は割愛する。
話を戻す。
今回の美濃加茂市のポスターに関しては、両方の観点からして外れている。
→まちおこし・萌えおこしという観点からこれは「逆に出した」と言える。しかし、こちらの行為を批判しているのはおかしいと考える。
アニメと地方活性化のコラボレーションは新しい話ではない。地方住民の受け入れ度合いの高低を問わず、広く用いられる手段である。
単純に「のうりん」と「美濃加茂市」がコラボレーションしていた時にはこうした炎上まで発生する程の批判はなかった。
しかし、この枠から出ていることによって、「嫌なら観るな」がコントロールできなくなっている現状は、受け止めるべきである。
なぜなら責任が出版社だけに留まらず、現状、『美濃加茂市という市町村・地方自治体』にも負わされているためだ。
TwitterやFacebookによる拡散でこのポスターが不特定多数の目に触れることは予想内である(予想外だとしたらさすがに認識が甘いとしか言わざるをえない)。
→私はこの部分に最も違和感を覚える。
不特定多数の目に触れる部分でそのイラストを選ぶ必要があったのか?
乳房や女性の身体の露出がふさわしいタイミング――例えば海水浴場の萌えおこしだとすれば、露出の必要性は存在する。
それなのにどうして「農業・林業」の萌えおこしやイメージキャラクターのポスターに上記の『不特定多数』が不快と示すレベルの露出が必要なのか。
海水浴場を例に挙げる。
水着の女性のポスターを設置することで、海辺の女性を喚起するのは当然だ。
海辺のポスターにグラビアアイドルの画像を使用する。なんら問題ないと考える。
それすら「女性を性コンテンツとして扱っている」とフェミニストが批判するなら、じゃあお前だけ勝手にスク水着てろと言わせてもらいたい。
男性はえっちな目で女性を見る者が多い、と俗に言われているし、正直、バイである私はえっちな目で女性を見ている。
豊かな胸の水着姿の女性を見たい気持ちは非常に大きい。ポスターであれ、実際のビーチであれ、だ。
では、海水浴場という過疎地を、ガンダム00(クェイサーに続き、少し古いアニメで申し訳ない)で萌えおこしをするとしよう。
それなら、ボインボインのスメラギさんがポスターを飾ればよい。
スメラギさんがえっちすぎて問題がありそうなら、横の海に真顔の刹那でも泳がせておけば良いのだ。
いくらたわわにあらわになったとしても、あのポスターのイラストよりも更に肌色が多くても、そこに露出の『意味』があれば納得する人は増える。
しかしのうりんの彼女の場合、それが通常コスチュームであったとしても(どうか知らないが)、前提条件を知らない『不特定多数』には、露出に意味が感じられない。
そうした意味のない露出が「単なるセックスアピールのみの変態的イラスト」と捉えられてしまったと考える。
ただし、そこからアニメや萌えイラスト批判に転じることが必ずしも正しいとは思わない。
萌えおこしが成功している例も多々ある。アニメや萌えやボーイズラブが日本のコンテンツ産業を支えているのは確かだ。
長々と綴ったが、以上のことから、私はアニメファン・および地方自治体の萌えおこし担当者に対して「これが三次元なら許されたのか?」という観点で物事を見ることを提案したい。
アニメだから許されないこともある不平等に関しては今後また議論されるべきだが、そもそも三次元でも許されないことはアニメでも許されない。