はてなキーワード: 建築現場とは
巨大な集合住宅の建築現場で施工設計に駆り出された記憶をメモする。
1 展開図 床の間の前にある垂壁をとって床の壁の収まりを見たいから作図して欲しい。
200部屋を超える床の間の展開図から垂壁の線画を削除して、床の間の部材を延長する形で書き直し、寸法も入れ直した。所要時間は2週間以上。
BIMでモデリングされていれば断面線を動かすか新設するかで瞬時に完了する。たとえ200部屋を超えても1日程度で終わったはず。
2 新たな断面図をつくってほしい
構造図、平面詳細図と展開図から要点を拾い出し繋いでゆく。複雑なので確認と修正を繰り返し2日かかった。
BIMでモデリングされていれば必要なところに断面線を引くだけで瞬時に完了した。
CADのデータがすべてただの線の集合体で、ここから柱や梁を指定することができなかった。1本づつハッチングをかけとか非効率も甚だしいので構造平面図と構造軸組図、伏せ図あわせて60ページほどを紙で出力しラインマーカーで塗り分けた。まる2日かけてなんとか最終確認まで持って行った。
BIMでモデリングされていれば階と部材で検索し該当する要素に色をつければいい。要素が何百だろうが何千だろうが瞬時に完了したはず。
4 数千件にのぼるデータを2次元CAD使いが人海戦術で修正していて何がどこにあるのか、最新の図面がどこにあるのかを正確に把握しているひとがいない。設計変更や仕様変更が反映された最新のデータのありかが共有されていない。図面探しでかなりの時間が失われる。
5 基礎梁の断面積を見たら人通口が開口できないことがわかり急遽基礎梁を下に拡張、これにともないラップルコンのレベルもかわった。ものすごい数の設計士がどんちゃん騒ぎをして2週間ほどで基礎の図面をぜんぶ修正した。
BIMでモデリングしていれば、1人が1日くらいかければ完了しただろう。段取りと確認の時間をとっても3日以内におわったはず。
6 すべての部屋の床を種別ごとに求積・積算しエクセルにまとめる。
2次元CADがローエンドすぎて求積機能が貧弱、作業が煩雑。ぜんぶBIMソフトにほうりこんで変換、ゾーニングで作業をおこなった。取り込んだデータがぜんぶ閉じていない線分で構成されており、微細な隙間などもあったのでマジックワンド機能が動作せず、ゾーン境界をポリラインで引き直した。このため2日以上かかった。
BIMでモデリングされていれば何もしなくてもはじめから面積表は自動生成されていた。
没落国家の建築現場ではBIMの普及ははてしなく遠い。本社が本気で取り組んでも末端の建築現場事務所が2次元CAD時代から何も進歩していない。たとえスーパーゼネコンでも。
この話は2018年にも一度盛り上がっている題材で、その当時は結局「肉体労働は男にアウトソーシングする。その理由は女性が女だけの街を求める原因は男にあり男は責任を取るべきだから」という何か最近似たような主張を見たなという感覚に陥る。
2018年から肉体労働を男にアウトソーシングしたがる傾向は変わっていないようだ。ちなみに一部の人は女でも街作り出来ると主張していたようだ。
女だけの街論はこれ以外でも不定期に話題へあがる。
しかし2022年へ入ると上野千鶴子先生が女性の肉体労働について一石を投じたことが話題となる。
特に上記の発言へ対して流石のブクマカにも疑問を持つ人がかなりの割合で現れるという状況になった。
将来的にどうこうではなく今の現場のことを指しているようで、かなり頑張って擁護しても上野先生は学者さんだから現場に詳しくないから仕方ないよねとしか言えない。
これらを踏まえて5月になるとこのツイートが注目を浴び、更にこのようなnoteも注目を浴びて2022年に再び女だけの街論は展開された。
様々に飛び交う女だけの街論、上野先生をリスペクトしているのか機械があるから女でも街作りは大丈夫論なども展開され、その最中に飛び切り光る主張が登場した。
上野先生の主張を根本から揺さぶる機械があるとは言うがそもそも機械や資材が男性基準で女性が扱うのを想定してない論だ。
女だけの街を作りたいのであれば男基準の労働を撤廃し労働のジェンダーフリー化、労働のユニバーサルアクセスを達成しよう、これで女だけの街が作れるという主張に多くのブクマカたちはこれ以上無い回答だと大絶賛する。
女性労働者だけでなく男性労働者、更には高齢労働者問題まで解決してしまいそうなくらい示唆に富んだ増田の主張にケチのつけどころはないと思ったその時、当該主張のブコメをよく読むと「屈強な女性も居るから既存の道具でも大丈夫論」を展開しているブクマカが散見する事態となった。
なんてこった!男性の屈強さへの依存を否定する、男性とは屈強なものだというステレオタイプから来るジェンダーロール強制を否定する、屈強じゃなくても女であっても新しい道具で街作ろうぜ!という主張へ対してバックギアに叩き込み思いっ切りアクセルを踏み込むかのような恐るべき議論の後退が起きてしまった!
セメント袋を軽くしたという先人の思いを真っ向から否定するあまりの事態に流石に見てられないと増田の姐さんがブチギレ散らかした。
そりゃそうだ!男女限らず屈強であれば肉体労働を推奨(実質的な強制)し職業選択の自由を制限しようという考えだからだ
というところまでが今のところの雑な理解。
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(ぜんぶ妄想です)
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そのバンドの名前は「Death, Black, Dark, Blood, Dead」。歴史に深く刻まれる名前ではないが無名でもなかった。
結成は1996年の京都。編成はVo、Gu、Ba、Drの四人組で、ジャンル的に言えばDoom Metal。陰鬱で超自然的で夢幻の酩酊感に浸る暴動のBGM。
手元にある『ロッキン・オフ・京都』って2003年発刊のコピー紙で作られたミニコミにはDeath, Black, Dark, Blood, Dead(以下DBDBD)のインタビューが載っていて、メンバーのフェイバリット・アルバムとして挙げられているのがBlack SabathやCathedralだったりElectric Wizardだったりする。でもそこではCANやPublic Enemyなんかも取り上げられていてメタルだけではない幅広い音楽のバックグラウンドを感じさせたんだ。
ちなみに余談だけど、この『ロッキン・オフ・京都』を発行してた京大軽音楽部の人は百万遍の近くで古本屋をやっていて、ミニコミのことを訊けば喜んで当時の話をしてくれるよ。『DOLL』のバックナンバーもめっちゃ揃ってる。
初めてのライブは、結成したその年の京都市立比叡中学校での文化祭。ヘナヘナでヨレヨレの演奏だったよ。だいたい「何?そのバンド名は?」みたいな失笑だった。中2病が過ぎる、みたいな。でも実際メンバー全員中2だったわけだし一番病状が重い時期じゃない?
私はその頃ガレージ・パンクに恋狂いで、ヘナヘナこそ愛すべきロックンロールだと思ってたしヨレヨレこそ美学だと信じてたから、彼らのその拙い演奏にサバスの遺伝子が宿っているのを感じたんだ。
なんでそんなことを知っているのかと言うと、Drの吉田君は私の同級生だったから。他のメンバーは他校の同い年の子たちで、平日の建築現場での雑工のアルバイトで知り合ったんだって。
吉田君は不良じゃなかったけど学校に時々来ない長髪のいつもイライラしてる人だった。キレたらヤバイ奴。家が金属回収業の仕事だから汚いなんて陰口を叩く子もいたりして、そりゃイライラもするよね。そんなこと言うべきじゃないのに。
一度、西院のツタヤでアダルトコーナーから出てくる吉田君を見つけたことがあって、いけず心が発動した私は「あ、吉田君やん、何借りたの?」って声をかけたんだよ。吉田くんってばドギマギしちゃってさ。まだその頃のレンタルはVHSだったから吉田君が持ってる重ねたテープの一番上は『プリティ・ウーマン』だったことを覚えてる。やっぱり普通の映画でカムフラージュするんだ、と思ったもんね。カウンターのところでお店の人に「こちらとこちらはお貸しできません」って取り上げられてプリティ・ウーマンだけ持って帰る吉田君の後ろ姿には十代の男子だけが背負っている哀愁があった。
後日、いけず心が再起動して「プリティ・ウーマンどうだった?」って訊いた私に吉田君は
「あんなん金持ちが札束ばらまいてるだけの話やないか気に入らん!」って怒ってはった。「お、パンクじゃん」って思ったね。
高校は吉田君とは違う学校になって会うこともなくなったけどバンドをやってるらしいってことは風の噂で聞いてた。中学校の友達と会ったりしたら誰それは学校やめたらしいとか、妊娠したとか、そんな噂話をするでしょう?そんな感じでなんとなくは知っていた。
高校の頃は部活と勉強で忙しかったから無理だったけど、大学に入ってからの私はライブハウスに通うようになった。女同士で集まってバンドも始めた。
2回生の頃にめちゃくちゃヤバイバンドがいるって聞きつけて二条西洞院のライブハウスにバンド仲間と行ったら客層が恐ろしくてさ。町内一番の荒くれ者が選抜されて来たんですか?みたいな感じで長髪やスキンズのごつい男達が集まってた。マッド・マックスの撮影ですか?みたいな。その頃はメタルもパンクもごっちゃでラウドロックって括りでみんな一緒にやってたんだよね。
4バンドが出演していて、最後に出てきたのがDBDBD。ずっと忘れてたけどその名前を聞いて「あ、吉田君のバンドやん」ってすぐ分かった。でもドラムセットセットに陣取った彼を見た時は、違う人かな?と思うくらい凄みを増してたんだ。
スローで陰鬱なパートから始まった演奏は、重く苦しい中間部を経て、死と破滅に聴衆を誘う。ライブはめちゃくちゃ盛り上がってさ、と言うか、荒くれ者たちが最高に荒くれるので私達は身の危険を感じてトイレの入り口に避難してそこから見てたよ。暴れ狂う彼らは、今この瞬間だけに生きていて明日のことに希望なんて持っていないようだった。
帰る道すがら色んなことを思ったよね。あの吉田君のヘナヘナのバンドが男たちを狂わせる音楽をやるまでに成長したんだなとか、それに比べて私はとか、ツタヤでビデオカセットを持つ吉田君の指がとっても白かったこととか。
その後もDBDBDは京都で活動を続けていて、京大西部講堂でのライブがあまりにも盛り上がりすぎて主催者からお叱りを受けたなんてこともあった。吉田君とはライブ会場で顔を合わすようになってからまた話すようになったりして「あれは怒られたよねーホント怒られたよねえ」なんて笑ってたけど。
DBDBDの名前が関西のシーンで大きく浮上してきた背景にはこんな事件があったの。
2005年だったはず。当時DBDBDはメタルやパンク、ハードコアのシーンで活動していて、前述のようにかなり激しいステージングと客層で一部では評判になってた。
一方その頃に大阪では武闘派を名乗ってる「Citizen’s Enemy」(以下CE)ってHipHopクルーがいて、他のグループを威圧したり脅したりしてのし上がってきたあんまり夜露死苦ない評判のその人たちが「DBDBDなんてクソ」みたいなこと言ったらしいの。関西で一番ヤバイのは俺たちだ、みたいな宣戦布告だったと思うんだけれど、それを聞いたDBDBDのメンバーがCEを急襲するって噂が流れて観に行ったんだよね。
その日はCEのライブが始まって会場が温まってきたところにどやどやとDBDBDのメンバーがやってきて「勝負しろ!」って言ってさ。「待て待て待て待てー」みたいなプロレス的なコミカルさがあって、笑いも沸き起こって盛り上がったんだよ。CEのDJに「どけ、俺がやる」みたいな感じでDBDBDのベースがターンテーブルを占拠したりしてさ。
で、フリースタイルのバトルが始まったんだよ。まだフリースタイルダンジョンなんてない頃だよ。でもCE側は武闘派を名乗ってたからDBDBDが面白登場したのが気に入らなかったみたい。なのでシリアスなdisり合いになっちゃったんだけど、言葉のキレとか、disりながらも一抹のリスペクトは失わないDBDBD側のラップが素晴らしくてさ、お客さんもHipHop好きな人だからどっちが巧者かは分かっちゃうじゃない?だからDBDBDの方が上だな、みたいな空気でそこは終わったわけ。DBDBDのVoがさ「何が市民の敵やねん!公権力の敵であれ!俺たちの敵は権力者やろ!」ってアジテーションしてステージを降りたのは格好良かったんだよ。
その時私は「ああ、あのミニコミでPublic Enemyをフェイバリットに挙げてたのはVoの彼だったな」って思い出したんだ。
いけないのはそこからで、それから少し経ってDBDBDのライブが難波のベアーズで行われたんだけど、CEのメンバーがやってきて会場で爆竹に火をつけてライブを妨害したんだ。こっちは向こうの流儀で勝負を挑んだのに(というか、和ませる雰囲気さえ醸し出してお邪魔したのに)向こうはただ邪魔しに来ただけっていう。で、どうなったかというと、そこには町内荒くれ者甲子園を勝ち抜いてきたお客様たちが集結してるじゃない?その人たちにCEのメンバーは捕まってちょっとお叱りを受けたっていう。ライブは盛り上がったらしいよ。
CEの人たちは武闘派を名乗ってたのにボコボコにされちゃったからメンツ的なものを失って、その後はなんだかフェードアウトしちゃった。CEのメンバーの一人は最近になって大阪維新から市会議員に立候補してたけど、どうなったのか知らない。
DBDBDはそれからも地道に活動を続けて、Napalm DeathのVoだったLee Dorrianが主催している英国のRise Above Recordsからアルバムを出す話もあったんだ。でもその頃ってメンバーも家族を持ったり仕事で責任ある役割を担うことになったりして、なかなか時間がとれなかったからうまくいかなったの。
吉田君曰く「英語でのメールのやりとりも難しかったし、イギリスでの録音っていう条件がネックで実現しなかったんよなあ、あれほどのチャンスはなかったけど」って。
その後はライブの回数も音源の発表も少なくなっていったんだよね。巷では「失速した」なんて言われたりしたけど、そんな言い方ないよ。彼らは中学の時からずっと働きながらバンドやってたんだから。
吉田君は今も京都に住んでいて、休日に近所の公園の砂場で遊んでる娘の相手をしてるのを時折見かける。染織工場で働いていて労働組合の委員長でもあるらしい。この業界はもう価格的に外国とは太刀打ちできないらしくて、いくら京都ブランドだっていっても厳しくて廃業する会社も多いんだって。会社の存続も心配しなくちゃいけないけど労働者の権利と雇用も守らなくちゃいけない立場で悩みは尽きないとのこと。「バンドはどうすんの?」って一度聞いたら、遠くの方を見つめながら「あんな名前のバンド誰も覚えてないやろ。でもやりたいなあ、またぶちかましたい」って言ってたよ。
比叡山の緑を眺めながらね。
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父親は気に入らないことがあるとすぐに手を出す性格で、幼少の頃は止めて入った母親まで殴られて一緒に泣いている記憶ばかりだった。
祖父から継いだ仕事で財産を築くも、それを自分の商才と勘違いした父親は引き継いだ仕事を辞めて趣味の延長である雀荘の経営を始めた。
母親も夕方から深夜まで手伝いに駆り出され、学校から帰ると家には誰もいなかった。
前の仕事で築き上げた財産で、家だけは無駄に広かったが、お化け屋敷に住んでいるみたいで落ち着かなかった。
両親は決まって夜中に酔っ払って帰ってきた。
今日の接客がどうだとか、作った料理がどうだとか、売上とか従業員の給料とかそんな話ばかりだった。
とにかく布団の中で聞かないふりをした。
たまに母親が泣きながら上がってきて、化粧と酒くさい顔を近づけて頭をなでながら何かをぶつぶつと言っていた。
その時もやっぱり寝たふりをしていた。
そのうち父親は朝方まで帰ってこなくなった。雀荘の営業時間を伸ばしたらしい。
家での両親の喧嘩は減ったが、夕方近くまで眠って明け方に帰ってくる父とは会話をすることがなくなった。
見栄で通わされた私立の小学校は家から遠く、地元の同級生たちと馴染めないままいつも一人遊びをしていた。
何か不自由を感じたことはなかったが、何かいつも足りないものを感じていた。
ある日公園で一人で砂場遊びをしているときに、近くの小学校に通う同級生たちに囲まれて砂場に首から下まで埋められたことがある。
砂まみれの自分に気がついたが、怒ることもしなかった代わりに、何かを聞かれることもなかった。
びちょびちょの洋服をそのまま洗濯機に投げ入れたが、そのことについても母親から何かを聞かれることはなかった。
毎日一生懸命に働いている母親を困らせるのは悪い子供がすることだ。
次の日に公園に向かうと、その時の同級生たちが野球ごっこで遊んでいた。
もう一度砂場に埋められるわけには行かない。そう思って、公園で遊ぶことはその日以来やめて、誰にも会わなそうな空き地や少し離れた河川敷で遊ぶようになった。
見栄で通わされた進学塾は、毎日終わり際にタイムカードだけを切りに行って、それ以外の時間は近くのゲームセンターに入り浸った。
夕食は塾の近くにあるファーストフードで食べなさいと、毎日500円をもらった。
そのうちの大半をゲームでつかった。
志望校は当然全て落ち、受験する3日前まで名前も聞いたことのないような私立中高一貫校に文字通り滑り込んだ。
小学生までは頑張って起きて朝の支度をしてくれた母親も、自分が中学生に上がると昼まで起きてこなくなった。
その代わりに、一日の昼食代500円が毎日テーブルに置かれるようになった。
途中にいくつかの繁華街がある駅を通るが、制服はゲームセンターに行くには邪魔だったおかげで、遅刻は常習犯ながらも、日中は流石にサボることはできなかった。
昼食は甘ったるい菓子パン1つと甘いジュースだけでしのいで、残りは放課後のゲームセンターで使った。
作りおきの夜食で栄養バランスをなんとか保ちつつも、それが理由かわからないが身長は165cmで止まった。
人付き合いというものをろくにしたことがなかったが、この頃一緒にゲームセンターで遊ぶ友人が何人かできた。
なんとなく、生まれてはじめて人間らしい営みを手にれた気がしたが、それも長くは続かなかった。
中2の初め頃、親が新しく始めた飲食店の手伝いのために、放課後は部活も許されず店にまっすぐ向かって日付が変わるまで無給で働かされることになった。
雇われた店長は父親の前だけへこへこして、溜め込んだ憎悪やストレスを自分にぶつけてきた。
裏表のある大人を間近に見てこんな大人になるくらいなら死んだほうがマシだと思った。
放課後を奪われた学校生活は無味乾燥そのもので、授業の大半を寝て過ごし、夜は脇目もふらずに仕事に向かう生活を繰り返した。
家族に内緒で行っていた父の株式投資の負債によって、雀荘や飲食店どころか家まで失うことになった。
荷物のほとんどを捨てて、親戚が管理人をしているワンルームのアパートに母親と引っ越した。
その時は住むところを失った悲しさよりも、店の手伝いから開放された嬉しさが勝った。
負債を家族に背負わせないために両親は離婚をして、その後父はどこにいったのかも聞かされなかった。
親族のうち、以前から換金所で働いている人間はたんまりとお金をもらっているのに、自分は足元を見られて少ししかお金をもらえていないと嘆いていた。
生活できるだけでもどれだけありがたいことか。母親の欲深さにうんざりした。
それでも贅沢はせず、母親は少なくとも高卒じゃなきゃ働き口なんてないという理由で、意地でもわたしを卒業させてくれた。
この頃、親戚のおじさんが相次いで自殺をした。バブル崩壊で抱えた借金で首が回らなくなったからだという。
父親は生きているのだろうか。どちらにしても、お金が原因で命を失うなんて馬鹿げていると思った。
お金様の何が偉いのか。そもそも人の幸せとは何か、そのときに眠れなくなるくらいに考えたことを覚えている。
相変わらず夜の帰りは遅いものの、交代制シフトで働くようになった母親は、朝に起きて夜に眠る生活に戻った。
この歳になって面と向かって甘えるなんてことは流石にないが、学校でのくだらない出来事や、一緒に見ているテレビの内容のことを話す機会が増えた。
小学生のときにできなかった時間を取り戻しているような気がして、毎日が楽しかった。
たまにお酒が入ると、母親は決まって過去のことと今のことをわたしに謝った。
仕事の忙しさを理由に全然世話をしてやれなかったこと、それなのに全ての財産を失って辛い生活を強いていることを、何度となく謝ってきた。
母親にそんなことを言わせてしまっている自分が申し訳なくなった。
今がどれだけ満たされているか、どれだけ言葉にしても母親は首を横にふるだけだった。
むしろ自分にしてみれば、お金があった時代のほうが不幸だったのではないかと思えた。
在日韓国人である自分にとって、この頃はたとえ大学を卒業したとしてもまともに就職できる企業なんてものはなかった。
だから、その時には当たり前のように大学進学はせずに働くものだと決めていた。
家から原付きで30分ほどの床も壁も筒抜けのボロアパートに引っ越しをした。
言葉の通じない相手に、いい年をした職人たちが代わる代わるいじめを繰り返していた。
在日韓国人であることを隠して働いていた自分は今で言うパワハラだけで済んだが、それこそ一歩間違えれば現場で死亡事故にでもなりかねないようなことも行われていた。
自分はいじめに加わることも助けることもできなかったが、できるだけ彼らの話に耳を傾けるようにした。
いじめについて聞いたこともあるが、ここで稼いだ仕送りで国で待つ家族が笑顔になることを考えれば何でもないと、全員が口を揃えていた。
外国人をいじめて楽しそうにしている職人と、いじめられても家族の幸せを思って幸せを感じている外国人とを見比べて、幸せとは何かを再び深く考えた。
とある事故をきっかけに、2年ばかりで建築会社は倒産してしまったが、使う当てもないままに親に仕送りをしながらも300万円くらいの貯金をすることができた。
実家(といっても親戚が管理人のアパートだが。)に戻ると、その貯金でまずはパソコンを買った。高校時代のゲーム仲間のパソコンが詳しい人間に教えてもらいつつ、当時出たばかりのインクジェットプリンターと併せて全部で100万円くらいかかったと思う。
教習所の短期コースに通いながら、一緒にもらった違法ソフトで本を読みながらウェブデザインを独学して、車の免許とウェブデザインの最低限の知識を2ヶ月位で詰め込んだ。
その後、貯金を切り崩しつつ就職活動をして、ソフトウェア開発の会社にアルバイトとして入社した。
もともと大手通信会社で勤めてから独立した社長がなかなかのやり手で、パソコンとサポートのセット販売や、当時はまだ珍しかった個人ホームページの制作代行など、次々と事業を拡大していった。
世にいう就職氷河期の頃だったが、当時、個人でパソコンを持つ人間はまだ少なく、また、車の免許や力仕事、職人に鍛えられた物怖じのなさが気に入られて、その会社で正社員として働けるようになった。
入社して数年、立場も順調に上がっていき、社宅手当をもらえるまでになったのをきっかけに、母親をつれて小さいながらマンションに引っ越すことができた。
これで母親に少しは惨めな思いをさせないで済む。そう思っていたが、母親はそうではなかった。
一度は財産を築いて豪邸(とはいっても本物の豪邸には程遠いが)に住んだ身にとって、マンション暮らしは惨めなのだという。
まだデザイナーズマンションだとか億ションだとかタワマンという言葉が生まれる前の話だ。
戸建てを買えなかった人間が、渋々住むのがマンションだという思い込みが強かったのだろう。
一度は地に落ちた生活をここまで取り返すことができたのだから喜ぶだろうと思っていたが、そうではないという母を見て、素直に可愛そうだとおもった。
社長の経営手腕のおかげで、今もその会社で、気がつけば重要な立場を任されるまでになった。
母親は別のマンションに住まわせ、自分は結婚して二人の子宝に恵まれた。
自分の親ガチャがあたりかはずれかなんて、今になってみればわからない。
羨ましいと思える親子関係も山のように見てきたし、両親がもっとまともだったら良かったと思うことなんていくらでもあった。
だけど、こんな親だったおかげで、自分は幸せとは、お金とは何かを考える切っ掛けがたくさんあったし、そのことについて世間に流されるようなこともなかった。
未だに大学進学までしておいて定職につけないままの同級生もたくさんいる中で、自分は、本当にたまたま運が良かっただけなのだろう。
そんな自分がいうのもなんだが、親ガチャなんて人生の数多くのガチャの一つでしかないし、その一部分だけ切り取って見たところで何の意味もないのだと思う。
ゲームみたく課金でやり直せるものでもないのだから、問題は、そのガチャの結果とどのように向かい合っていくのかなのだろう。
https://togetter.com/li/1744776#c9350058
女性が性産業で働く自由って、要は内臓を売るとか覚醒剤漬けになる自由を認めるようなものでしょ?そりゃ反対するよ。明らかに身体に害を与える事に対して、自分の意思でやってさえいれば何でも肯定するなんておかしい。
https://togetter.com/li/1744776#c9350081
そもそも「セックスワーカー」なんて言い方がおかしいんだよ。そんなものが「仕事」になっていい訳があるか。「肝臓バイヤー」とか「膵臓バイヤー」と同様におかしい。人権侵害を「仕事」として認めるべきではない。
最初はアニメーターの低賃金労働を心配するようなものと同じでセックスワーカーを心配してるのかなと思ったけど「仕事として認めるべきではない」って断言しちゃってるし、職業自体への差別発言と受け止めて良いでしょう。
・その他「ワーク」全体への無知
の2つに分けられる。
この場合のセックスワークは一般的に想像されるAV女(男)優・風俗嬢とする。
まず日本における彼ら彼女らは「覚醒剤漬け」になんてなってないし、
経済状況が非常に悪い途上国のセックスワーカーを指しているとしたらそれは
「そもそもセックスワーカー関係なくあらゆる人々・日常に覚醒剤がはびこってる」状態の国でしょう。
「内臓を売る」ってのは性器を使うという意味では上記の例ほど荒唐無稽じゃないけど、それは本当に「使ってるだけ」であって臓器の売買と違って永久に戻ってこないものではないし。
そんな言い方するならオフィスワーカーだって眼球を使って仕事してますけど、「眼球を売る」のとは根本から違うよね。
あるいは「犯罪に巻き込まれるリスク」つまり「暴力によって怪我や命を落とす」がすぐに想像できる。
後者で殺人まで至るようなケースであればほぼ100%報道されるので、皆さんも何年かに一回くらいペースでTVで見かけるでしょう。
そうそう実際に発生してるよね、痛ましいよね。
だけどね、それだけで「仕事として認めるべきではない」ってほどではないのよ。
それは何故か?
だって他の仕事でもガンガン怪我するし、病気になるし、死んでるから。「ワーク」ってそういうもんだから。
あなたが知ってるような著名な建築物なら必ず関わった1人2人は命を落としてる。
例えば東京タワーって奇跡の建築だったって言われてて、あれ建てたときに1人しか死ななかったんだよ。
「1人しか死ななくて良かった〜!!」って美談として語られてるんだよ?人が死んでるのにだよ!
https://wawawork.work/workerstrend/skills/635/
800度もの高温リベットを20メートル上にいる職人に放り投げることもザラにあり、このやりとりは「死のキャッチボール」として有名になりました。想像するだけで冷や汗が出そうですね。
〜
1件の死亡事故を出したものの、1958年当時の建設業における年間死亡者数は1846人であったことと照らし合わせると、東京タワーの工事の難易度や当時の安全設備の不備などを考慮しても、驚異的な数字といえるでしょう。
1958年と比べれば近年では相当マシになってるけど、それでも年間で1万3813人が死傷者だそうです(2019年)。
知ってました?
https://www.decn.co.jp/?p=112101
他にも建築に近いところで土木・林業とか、医療従事者は感染症の危険が高いとか、
パイロットは0.1%くらい死ぬとか、職業軍人なんて怪我せずに帰れる方が珍しいとか、
工場では指や腕が切断されたりひしゃげるなんてしょっちゅうで、
他にも動物の飼育員とか、騎手とか、警察官とか、消防士とか、漁師とか、トラックの運転手とか、とにかく危ない仕事なんてこの世の中にいっぱいいっぱいいっぱいいっぱーーーーーーーーーいあるの!!
そしてそういう危険な仕事に従事してるのは大半が男性ばかりなのも知っての通りですね。
nanaminoさんは女性だから、この社会で男性ばかりがこういうリスクを負った仕事を担ってることには一切興味ないですかね。
そんなのはどうでも良くて、結果としての平均賃金の差の方が気になりますか?ごめん、これは本当に話が逸れた。
ただね、こういうのって無知もそうだけど「想像力」だと思うのよ。
自分以外の他人への興味というか、「もしかして危ない仕事ってたくさんあるんじゃないか?」って想像することができればさ、
手元のデバイスでちょっとポチポチやればすぐに数字が出てくる良い時代じゃないですか。
でね、「俺は頭は良くないけど身体を動かすのは得意だし手先も器用だ」って思って建築現場で働いてる人だっているじゃないですか。
(もちろん腕っぷしに自信なくても他はそれ以上にもっとできなくて消極的に選んでる人もいるよ)
外野から「明らかに身体に害を与える事に対して、自分の意思でやってさえいれば何でも肯定するなんておかしい」って言われなきゃいけないですか?
風俗嬢だって、少なくとも時間単価では明らかに「高給取り」ですよね。
他に得意なことはなくても対人サービスが得意とか、生まれつき人に好かれやすいとか、そういう自覚を持ってリスクがあっても高給な仕事を選ぶことだってありますよね。
次にお前は
「ならそういう仕事ももっと安全性を高める努力をしたらいいんじゃないですか?男性も女性ももっと自分を大切にしよう!」
「国が悪い、政治が悪い、社会が悪い、とにかく私は知らんから誰か偉い人がなんとかしろ!」
うるせーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
それができりゃ最初からやってるわ!!!!!!!!!ボケ!!!!!!!!!!
ハァハァ……。
とにかく世界にもっと興味を持って、たくさんのことを知ってください。よろしくおねがいします。現場からは以上です。
「女性が性産業で働く自由って、要は内臓を売るとか覚醒剤漬けになる自由を認めるようなものでしょ?」は愚行権の例えであって性産業で働くことで内蔵を売る羽目になったり元締めに薬漬けにされることを指しているわけではなく、あくまで例えであるというツッコミを受けました。
すいません、これは純粋に気が付きませんでした。
だって内蔵を売るのは金を得るためだから共通点あるけど(それでも金なくてメルカリで身の回りのものを売るようなもので「職業」と比較するか?と思いますが)覚醒剤にハマるのはそもそも仕事でもなんでもねーじゃん。まさか性産業で働く人は自分の快楽のためにやってる人ばかりだと思ってんのかな。
オフィスワーカーだったとしても趣味で毎日出社して机に向かってる人はそんなにいないんじゃないですか?無給だったらやらんでしょ。
「ちょっと面倒だったり嫌なことでも相応の対価がもらえるから続けてる」って仕事はこの世の中にたくさんあると思いますよ。その自由を否定してくるのは無理筋。
つーか自由意志に基づくヤク中と同列に並べるって、差別意識が強烈すぎんか。分かりたくもないわそんなの。
(性嫌悪に基づく)「職業として認めるな!」って声とか「薄汚い仕事」って偏見があるから社会・政治のコンセンサスとしていつまでも認められない実情があるわけで、
他の3K仕事と同じくちょっとリスクがあろうが(他のサービスに比べて大金が払われるくらいには)需要があるのに何故か苦しい状況に置かれてる。
合法化したほうが業界団体ができたり、まともな資本が入ってきたりして安全面含めたセックスワーカーの労働環境がどんどん良くなっていくと思う派です。
1年目:地方都市を田舎と言って怒られる。いやだって人口少ないし高層ビル少ないし電車少ないし給与やすいしXXも無いし○○も無いし。
東京じゃあり得ないレベルの低さの不動産屋と家を貸してやるって態度に驚く。
警察官が東京みたいに無駄な職質をしない。ヤバそうな若者にちゃんと注意する。補導する。
警察官が東京と違ってまともに仕事している印象を受けたが口の聞き方東京じゃあり得ない。ヤクザかな?
2年目:食材や飲食店が23区の平均よりも優れていることに気づく。(除く、高級店)
コンパクトシティーで東京と違って無駄に移動に時間が掛からない事に気づく。
大抵、通販すりゃ何とかなることに気づく。どうにもならなければ飛行機で東京行けばいいだけと気づく。
地域の子どもたちがいつも挨拶していて偉い。バスの乗り降りの時もお礼を言っていて偉い。
3年目:仕事で東京へ帰る度に通勤地獄死ね・人口過密死ねと思う。スーパー行くたびに食材ラインナップ見てなにこれ?と思う。
会社近くにホテルを借りれる案件の場合のみ、会社周辺の有名店にうっきうきする。
神奈川とか都内でも端っこにマンスリーの場合は、実家の方がマシなので実家に滞在するが、周りになんも無いので、
なにをするにも電車に乗るほかなく、休日に電車に乗るの面倒臭いとか言ってた地方出身者の気持ちを理解する。
どう考えても地方のが良いですわ。
4年目:1年目に地方都市を田舎だと言ったことを猛省する。懐中電灯を持たないと夜間は出歩けない地域を田舎というのだな・・・。
地方都市からちょっと外れた地域に残る人情+助け合い話にほっこりしつつ、地獄青年会・地獄婦人会の話にドン引く。
山や海を地元の青年会の方々が整えたりしててホンマ偉いなぁと思う。なんかしたいけどまだ1回しか地域のイベントに貢献出来てない。
10:0 で交通事故に遭うが警察官の対応と口の聞き方態度に腹を立てる。東京じゃ絶対無いな。
5年目:道の駅やJAファーマーズマーケット、なんで銘柄肉があの値段で食えんの?お惣菜もハイパー豪華。幸せ。
地方の都市部を除いたエリアの経済・教育・インフラ格差にドン引く。
東京じゃ大問題になりそうな建築現場などでの事故死や東京じゃまず若者がこんな病気でこんな死に方せんやろ的な話を聞いてドン引く。
そっと闇に葬られる模様。貧しい田舎にこそヤクザはいがちということを理解する。
都市部でもご飯が食べれない子がおる模様、見ず知らずの子どもに500円せびられてビビる。
6年目:気が向いた時に海や山へチャリで行けるし、3万でタクシー貸し切りに出来て数百キロ移動できるのホンマ最高。
けれど、車移動がメインだから東京と違って歩道・自転車専用通行帯の整備が非常に適当。
移住当初は道がデコボコ、自転車専用通行帯が無いくらいならフツーに東京でもあるが?と思ったが、
草に埋もれていて物理的に歩けない・通れないが地方都市内ですらそこそこある。
2000年代くらいにネットでかなり加熱化した議論に「好きなことを仕事にするべきか、否か」ということがある。
好きなことを仕事にすべきという人は、
・自分の好きなことを仕事にすると夢や自己実現が果たされ、モチベーション高くバリバリと好きな仕事ができる
とかゆー感じだったっけ?知らんけど
一方、好きなことを仕事にするべきじゃないという人はこんな人だ。
・アーティストや作家という仕事は収入に波のある仕事なので本業は別に持つべき
・夢が叶うはずない
・好きなことを仕事にするとストレスが多くて嫌になって燃え尽きる
・下積みの辛い仕事を長く続けるくらいならさっくり就職した方が生涯年収高い
などみてーな感じだったと思う。
違ったっけ?まぁいいやそんなもん。
ちなみに大学生がった僕はこれを素直に受け取って好きなことを仕事にするべきではないという理屈に人生を張ることにした。
さて、奇しくも現在、僕は好きな文章周りの制作部門を仕事にしている人間だ。そこで働いて得られた知見を他増田達に紹介する。
好きなことを仕事にすると嫌なことが多いの問題について。ストレスがヤベー。仕事自体。文章書くことは嫌いじゃないのでそうでもないのだが、社内的なルール、やり方、方針がアホすぎてやってらんねー。私は制作部門の所属なんだが、営業部門からの難癖がすごくてびびる。一般的な足し算の理論で言うと金をかければかけるだけ作り込んだバラエティに富んだ制作物に仕上がる。しかし、営業部門や総務部門にはそれがわからんのです。経費で精算することにクッソうるせー。会社に鉄パイプが置いてあったら二三回カチコミしてるレベル。
これが多分好きなことを仕事にした時に出で来るストレス・軋轢というものなんだろうが多分文章関係に限らず、漫画・映画・映像関係でも同じようなことを聞くので似たような問題なんだろう。
制作と収入について。会社の正社員なので取り敢えず来週の仕事に困ることはない。収入は公務員よりも低め。平日多忙。休日出勤あり。なんだが、裁量労働というところが気に入っている。良くも悪くも評価は成果物ベース。自分の作ったものが収入に直結するというもは割と諦めがつきやすくていいもんだ。
下積みについて。好きなことを仕事をするまでに長い遠回りをしました。卸売の営業や建築現場の工程管理など、いろんな仕事を経験しましたが「これは別に俺がやらなくてもいい仕事」という感覚だったので長く続きませんでした。今の会社でも何度か転職活動をしていても受からないし、退職金が中退共最安の掛け率だけど、まぁ今の仕事を続ける感じでいいかって思いますマル。なお、別業界での業界知識などは自らの待遇改善活動などに生かされている模様。
いかがだったでしょうか?今回は文章周りの制作部門からのレポートでしたが、ご参考になりましたでしょうか???なお、絵・映像・写真などの別業界ではまた違う感じかもしれないのでご留意ください。文章の質については20分で書くとこんなもん。俺は男らしいから推敲なんて女々しいことはしないんだ!えっへん!以上