はてなキーワード: チェコとは
anond:20210210062305 (クラシック曲ガイド) を見やすくしたよ。
§1600年代前半
§1600年代後半
§1700年代前半
§1700年代後半
§1800年代後半
§1800年代終盤から1900年代初頭 (後期ロマン派・印象派音楽)
§1900年代中盤以降 (第一次大戦終了によってロマン主義と印象主義が古くなった時代に真価を発揮した作曲家たち)
何がどうデタラメなのか書けばいいのに。これだからクソオタクは。
おすすめの作曲家は推薦する人にも推薦される人にもよるので、元のツイートから変えずに年代の修正だけしてみた。年代は増田の指摘が正しいものとして裏はとってない。下表の年代について、たとえば1800年代は3段で書いているが上段が前半、中段が中盤、下段が後半を示す。登場順と表記名は増田に合わせた(とはいえ国内で一般的でない現地読み的な表記は検索時に初心者を困らすだけだと思うが)。ワーグナーは前期後期があるとか、リストはハンガリー人だがドイツ・オーストリア音楽とか初心者には余計な情報は割愛。
年代 | ドイツ オーストリア イタリア | フランス スペイン | チェコ ハンガリー他東欧 | ロシア | イギリス | 米 |
---|---|---|---|---|---|---|
1600 | ||||||
1700 | バッハ、ヘンデル モーツァルト | |||||
1800 | シューベルト、ベートーヴェン ワーグナー、ヴェルディ、リスト、ヨハン・シュトラウス ブラームス | ビゼー サン=サーンス | ショパン スメタナ、ドヴォジャーク | ムソルグスキー、チーコフスキー | ||
1900 | マーラー | ドビュッシー、ラヴェル | ラフマニノフ ハチャトリアン ストラビンスキー | エルガー、ホルスト | ガーシュイン |
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1664833
↑このブコメで賞賛されている表がかなりデタラメなので修正してみた。
とりあえず同じように1600年代から始めます。「オケゲム、マショー、パレストリーナ、ジョスカン・デ・プレがないぞ」とかいう意見もあるようですが、それはもっと以前だから書いていないだけです。
作曲家の「生まれた年」ではなく「主に活躍した時代」で書きます。これに文句を言っている方もおられるようですが、何故かと言うと例えば生まれは1600年代終盤だけれど音楽家として活躍し世に認められたのは1700年代になってから、といったような例があるからです。
「あれは記憶だけで描いてるから素晴らしい」とおっしゃる方もいらっしゃいますが、これも資料などは参照せず、ほぼ脳内の情報だけで書いております。
モンテヴェルディ(みんな知ってる「私を死なせて」)、カッチーニ(「アヴェ・マリア」が有名だが実はソ連の音楽学者ヴァヴィロフの贋作。真作で有名なのは「アマリッリ」)
シュッツ(「ドイツ音楽の父」として有名)、シャイン、シャイト(以上3名は「ドイツ三大S」として有名)
コレッリ(「ラ・フォリア」が有名)
ヴィヴァルディ(「四季」の人)、アルビノーニ(「アルビノーニのアダージョ」が有名だが贋作。真作で一般に有名な曲は無い)、ペルゴレージ(「スターバト・マーテル」が有名)
クープラン(チェンバロ曲で有名)、ラモー(音楽理論とオペラ)
バッハ(名曲多数)、ヘンデル(日本では「音楽の母」などと呼ばれたが女性ではない。「メサイア」「オンブラ・マイ・フ」「水上の音楽」など)、テレマン(「食卓の音楽」で有名)
以上1600~1750年が「バロック音楽」の時代。欧州における「絶対王政」の時代とほぼ重なるという見解があります。
「古典派音楽」の時代。啓蒙思想によって理性が重視され、それが音楽に影響を及ぼした時代です。
チマローザ(オペラ「秘密の結婚」)、パイジェッロ(「うつろな心」)、ボッケリーニ(「女ハイドン」の異名を持つが男性)、サリエリ(オペラの巨匠)
音楽における「ロマン主義」は文学や絵画よりも遅れて1800年代になってから現れます。この時期は古典派音楽からロマン派音楽への過渡期です。
ロッシーニ(オペラ「ウィリアム・テル」「セビリアの理髪師」など)、ベッリーニ(オペラ「ノルマ」など)、ドニゼッティ(オペラ「愛の妙薬」など)
シューベルト(未完成交響曲 D 579、歌曲集「冬の旅」など)
メンデルスゾーン、シューマン、世代的にはワーグナーもここに入る(この時期はオペラ「リエンツィ」「タンホイザー」「ローエングリン」など)
リスト(本人はハンガリー人を自認したが実際はドイツ系オーストリア人で本来のハンガリーの民族要素は無いのでドイツ・オーストリア音楽として捉えるのが正しい)
グリンカ(オペラ「ルスランとリュドミラ」)、ダルゴムイシスキー(オペラ「石の客」)
1848年革命の失敗により、ヨーロッパ音楽の雰囲気も暗くなって参ります。
ヴェルディ後期(オペラ「椿姫」「アイーダ」「オテロ」「ファルスタッフ」など)
ブルックナー(交響曲では4番と7番、8番が有名だが初心者に聞きやすいのはむしろ1番と6番だと思う)
ブラームス、ブルッフ(ヴァイオリン協奏曲第1番が有名)、ワーグナー後期(楽劇「トリスタンとイゾルデ」「ニーベルングの指環」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」)
オッフェンバック(オペレッタ「天国と地獄」など。実はドイツ人)、グノー(オペラ「ファウスト」)マスネ(オペラ「タイス」など。「タイスの瞑想曲」)、サン=サーンス(長生きしたので今年没後100年)、フランク(バッハの対位法、ベートーヴェンの劇的構成、ワーグナーの和声を融合した究極の交響曲を作曲したが実はベルギー人)、フォーレ(「レクイエム」「幻想の水平線」)
スメタナ(連作交響詩「我が祖国」その中の一曲が「モルダウ」)、ドヴォジャーク(「新世界交響曲」e-moll op.95 など)
ボロディン(オペラ「イーゴリ公」、交響詩「中央アジアの草原にて」、交響曲第2番など)、バラキレフ(東洋幻想曲「イスラメイ」)、ムソルグスキー(オペラ「ボリス・ゴドノフ」、ピアノ組曲「展覧会の絵」)、リムスキー=コルサコフ(交響組曲「シェヘラザード」など)、チーコフスキー(バレエ「白鳥の湖」、交響曲第6番「悲愴」など)
グリーグ(ピアノ協奏曲、劇判音楽「ペール・ギュント」、ピアノ曲「抒情小品集」、歌曲「最後の春」など)
プッチーニ(オペラ「トスカ(星は光りぬ)」「蝶々夫人(ある晴れた日に)」「トゥーランドット(誰も寝てはいかん)」など)、マスカーニ(オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」映画「ゴッドファーザー PART III」のあれ)、レスピーギ(交響詩「ローマの松」などローマ三部作)
マーラー(11曲の交響曲と歌曲)、ヴォルフ(ドイツ語歌曲の頂点として非常に有名)
リヒャルト・シュトラウス(交響詩「ツァラトストラはかく語りき」〈映画「2001年宇宙の旅」のあれ〉オペラ「サロメ」〈裸踊りで有名〉「薔薇の騎士」〈少女漫画オペラ〉)、レーガー(変奏曲と室内楽の達人。歌曲も秀逸)
ダンディ(「フランスの山人の歌による交響曲」は初音ミクが歌った冨田勲の「イーハトーヴ交響曲」の元ネタ)、ショーソン(「詩曲」、フランクの影響を受けた1曲だけの交響曲など)、ドビュッシー(オペラ「ペレアスとメリザンド」、交響詩「海」など)、ラヴェル(バレエ音楽「ダフニスとクロエ」、ピアノ協奏曲ト長調など)
フェルステル、ヤナーチェク(オペラ「利口な女狐の物語」、村上春樹のせいで何故か有名になった「シンフォニエッタ」)、スーク(アスラエル交響曲などが有名)
シマノフスキ(「スターバト・マーテル」など)
グラズノフ(ロシア浪漫派交響曲を集大成した作曲家として有名)、ラフマニノフ(無伴奏合唱曲「晩祷」で非常に有名)、スクリャービン(神智学に陶酔した交響曲第4番「エクスタシー」と、「神秘和音」を駆使した妄想ピアノソナタで非常に有名)
エルガー(「威風堂々」が有名だが真の傑作は交響曲第2番)、ディーリアス(「春始めての郭公を聴いて」は英語圏では誰もが知る名曲)、ヴォーン・ウィリアムズ(「田園交響曲(3番)」と「南極交響曲(7番)」が有名だが5番も捨て難い)
ヒンデミット(オペラ「画家マティス」と、その音楽をまとめた交響曲が有名)
シェーンベルク(無調音楽、12音音楽の創始者。彼が最初に12音音楽による楽曲を完成したのが1921年なので今年はシェーンベルク式12音音楽の100周年。まず聴くばきは「ピアノ協奏曲」「ヴァイオリン協奏曲」「弦楽四重奏曲第3番、第4番」)、ベルク(無調音楽、12音音楽に調性音楽的要素を取り入れて聴きやすくした人。オペラ「ヴォツェック」「ルル」、器楽曲では「ヴァイオリン協奏曲」が有名)、ヴェーベルン(12音音楽の究極として有名)。以上の3人は「シン・ヴィーン楽派」として20世紀音楽を語る上で非常に重要です。
いわゆる「6人組」の時代。現在でも有名なのはプーランク、ミヨー、オネゲル(交響曲第2番と第3番はカラヤン盤もあるので聴いて下さい。このほかオラトリオ「火刑台上のジャンヌ・ダルク」も泣けます。実はスイス人)。現代音楽史的により重要なのはメシアン(「トゥーランガリラ交響曲」「世の終わりのための四重奏曲」「彼方の閃光」オペラ「アッシジの聖フランチェスコ」などが非常に有名)。
プロコフィエフ(大人は「ピーターと狼」みたいなガキ向けの曲は聴かず「交響曲第2番」の暴力的激しさにヒャッハーしましょう)、ハチャトリアン(「剣の舞」とかいう曲は子供の頃運動会で聴いたでしょうから、そんなものより「交響曲第2番」でファシストとの激しい戦いを体感しましょう)、ショスタコーヴィチ(世間一般では交響曲第5番が知られていますが、高く評価されているのは4番、8番、10番、14番など偶数番号の交響曲です。真髄はオペラと弦楽四重奏曲です)
20世紀後半以降は省略。
1. レモンサワー
2. Bloodborne
4. Neural Cellar Automata
5. 漫勉
7. ブラックビスケッツ
8. Veibae
13. 猫
14. 映像研には手を出すな!
15. Every copy of Mario 64 is personalized
16. Peggy Gou
17. 塩水うに
19. Jacob Collier
25. Dr. STONE
27. Fender Custom Shop
29. Alicia Keys: NPR Music Tiny Desk Concert
30. BNA
32. ジャルム
33. 天穂のサクナヒメ
34. Andres Guerrero
35. 姫麻雀
36. Coeo
37. 世界はほしいモノにあふれてる
38. Slay the Spire
39. バトラ
40. P5S
41. P5
42. 入籍
43. マヂカルラブリー
44. Nintendo Direct E3 Live Reactions at Nintendo NY
45. 高円寺
47. キャサリン・フルボディ
48. 有吉の壁
50. 若おかみは小学生!
51. Fall Guys: Ultimate Knockout
53. DARK SOULS III
54. ビズリーチ
55. SEKIRO
58. オードリーさん、ぜひ会ってほしい人がいるんです。
60. トム・ブラウン
61. Killing Joke
62. ちゃちゃまる
67. ナナチ
70. 千年バズル
72. バイアグラ
73. ラランド
76. Aphex Twin - Warehouse Project
77. どんぐりず
78. PASSLABO
81. Number Girlの配信ライブ
82. 令和ロマン
83. 鬼滅の刃
84. オムレツ
85. 村上春樹
87. ヴァイオレット・エヴァーガーデン
88. Fiona Apple
90. 波よ聞いてくれ
93. SPY×FAMILY
94. 葬送のフリーレン
97. ペットブーム
98. Siouxsie and the banshees
100. カジサック
勿論タイトルは釣りで、カフカは全世界に影響を与えたユダヤ人かつオーストリア(チェコ)人なわけですけど。
独文学というとカフカ、カフカというと独文学。そんな感じですよね、実際のところ独(語)文学においてはトーマス・マンとかゲーテとか他にも様々な著名な作家がいるわけですけれど、カフカはその研究テーマとしては比較的ポピュラーな御仁であります。ユダヤ人の家庭に生まれ、生地である現在のチェコ=プラハの言語に依らずドイツ語にて創作を目指したカフカの、ミステリアスな人間性はその作品群に対しても同様に、謎めいたベールを投げ掛けています。
カフカの文学をお読みになられたことはございますでしょうか。まあ僕もそれほど熱心な読者とは言えないかもしれないのですが、とりあえず『変身』・『城』・『審判』のほか幾つか著名な短編を読ませて頂きました。まあカフカの作品の特徴は、感情的な部分を敢えて抑制するところにあります。勿論十分に感傷的な部分を持った短編とかも散見されるのですが、基本的に、感情の伝達、あるいはその伝達の手段としての文学というものをカフカはあまり信頼していなかったのではないかとも思われるのです。というのは、基本的に作中人物達は様々な問題に取り囲まれていることが多いのですが、弱音を吐くことがあまりなく、ついでに言えば仮にその感情というものが滲み出るにしても、基本的にそれはレトリックや暗喩といった形によって示されるので、はっきりとした感情というものが作中に表れるということは稀なんですね。この辺に、カフカの抑制的な人格と、コミュニケーションそれ自体に対するカフカの立場というものが表れているように思われます。カフカは基本的にコミュニケーションというものを信用しておらず、また、コミュニケーションを通して自分自身の人生をくつろげるものに変える努力に関しても、冷ややかな見方をしてきたように思われるのです。
コミュニケーションという営みは人間と基本的に切り離せないもので、人間はそれを用いて自分の人生や他人の人生をコントロールしようとします。しかし、そのような一般的なコミュニケーションの立場と、カフカのコミュニケーションに対する立場は明らかに違うように思われます。とはいえ、カフカの立たされていた環境を考えれば、我々が用いるようなコミュニケーションのあり方と、カフカにおけるコミュニケーションのあり方との乖離は、さして驚くべきものではないでしょう。
つまり、カフカはユダヤ人でありかつオーストリア人でありかつチェコ人と呼べる極めて国家や国民性というアイデンティティが複雑に錯綜した人物であったからです。これはカフカ研究においては極めて一般的な基礎知識ですが、カフカは現在のチェコに当たる地域で生まれたにも関わらず、その日常においてはチェコの土着言語を用いずにドイツ語を用いました。また、当然のことながら創作においてもドイツ語を用いておりました。チェコで生まれながらにしてチェコ語を使うことを許されない――つまり、カフカは自身の持つ言語によってさえ一種の疎外を受けていたと言えるわけです。超基本です。
カフカにとってコミュニケーションとは――なかんづく、コミュニケーションを根本的に支える言語というものは――自身の人生をリラックスさせ、他者との間に健全なコミュニケーションを成立させる、我々における言語のあり方とは少しばかり違うものだったということです。カフカは生まれながらにして一種の異邦人であった、ということですね。この「異邦人」という記述はもはや陳腐な言い方なのでしょうが、しかしやはりこの視点はカフカを理解する上では切っても切れない重要な点となります。カフカはそのアイデンティティの複雑さ故に、生粋の異邦人でありましたし、そして彼が用いる言語やレトリックは基本的に、一種の生存戦略だったのです。要は、植民地支配を受けた国家の国民が土着言語を用いず宗主国の言語を用いるのに近い、生存戦略の一環として言語を用いる生活を送ることが、彼の人生においては定められていたのです。我々にとって言語と人格は複雑に結びつき、そして、自身の人格や感情を表す際に、極めて重要な役割を演じます。恐らく、この世界におけるほぼ100%近い人類が、言語に対してそれと同じ感覚を抱いていることでしょう。しかしカフカにおいてはそれは事実ではありません。
カフカの作品群において、カフカは言葉によって感情を語ることはありません。カフカが語る感情は、物語の構成に依存しているか、ないしは物語中における舞台装置によって、つまりは暗喩によってのみ語られることとなります。その、感情表現の大いなる欠落が、カフカの文章における特徴ですらあるのです。あるいは、それは仏教における「見立て」の感覚に近いかもしれません。つまりは、一種の擬似的な曼荼羅と言いましょうか、物事や物質をある特定の配置に並べ変えることで、何らかの物質を超えたメッセージを贈ろうとする試み。枯山水が現実の自然を表すように、カフカはある種の機械や道具立てによってのみ自身の感情を説明しようとし、翻って言うならば、カフカは直接的な表現によって感情を説明しようとなどしなかったのです。感情の欠落。
この「感情の欠落」が文学の特徴であることは明らかにカフカが作り上げた文学の一潮流と言えると思います。後年の作家であるトーマス・マンの文学においても、感情や内省と言うべき人間の心のあり方が、敢えて描かれない抑制的な文体の影を見ることができるように思われます。感情とはなんなのでしょうか? コミュニケーションや言語は、我々にとって慰めと言えるものなのでしょうか? カフカはそれに対して否と答えます。言語は、必ずしも我々に結びついていない。同時に、言語を基底として成り立っているコミュニケーションもまた、我々に属していない。我々は、根本的に言語によってコミュニケーションを取ることができない。
しかしそのコミュニケーションへの失望が結論ではないのです。何故ならカフカは、コミュニケーションに失望をしていてさえなお、小説をものしたのですから。
何故カフカは文学を書いたのでしょうか? 文学は自己表現である、という一般的な見方と、カフカの文学的なあり方には乖離があるように思えてなりません。カフカにおいては寧ろ、文学は自己から自己への感情の乖離です。いわば自己の自己に対する乖離そのものです。
そのような営みは、恐らくカフカの人間性に淀みを与えているようにさえ思えます。自己の自己に対する分離、乖離を通して、恐らく彼の感情も一部彼から乖離し、分離していたからです。そのような営みが、彼にとって一体何だったのか? それは我々には想像するほかありません。短絡的に考えれば、その営みは、その乖離と分離の営みは、単純な自己破壊的行為であったと断じれるかもしれません。自己から自己を分離し、乖離させることは、明らかに自己にとって好影響を及ぼす行為ではないからです。とは言え、彼の行為は本当にその自己破壊を目的にしていたのでしょうか? あるいは、世の人々が芸術家や小説家に対してしばしば言うように、彼は文学というものを用いて、彼の生命と生活の痕跡を世界に残そうとしたのでしょうか? それも、疑わしいと僕には思われます。つまり、カフカの文学はコミュニケーションに対する諦観なのですから。そこには、コミュニケーションや言語に対する深い諦めの影の姿を見て取るほかないのです。
結論から言えば、カフカが文章を書いていたのは、恐らく乖離を目的とした、逃避行動だったと言えるでしょう。そして同時に、彼は自己から自己を乖離させることによって、一般論的に自己省察を深めようとしたのでしょう。敢えて、自己から自己を分離させることによって、自己を省察可能な対象として対置する行為が、彼の文学の目的の一部だったと言えるでしょう。
このような記述は文学における一般論の範疇を出たものではなく、彼の人生や文学の目的は未だもって謎に包まれています。カフカに限らず、一部の文学者は、そして小説家は、コミュニケーションの媒体である文字や言語を用いながらに、コミュニケーションを諦めているのであり、つまりは何かを伝えようとしながらに、我々に対して何も伝えようとなどしていないのです。あるいは、最終的には彼らのような小説家の目的は、一言によって表せられるのかもしれません。
それは他国の動向でも補強することができる。
https://www.worldometers.info/coronavirus/#countries
※米国 症例数は第一波より第二波の方が多い 死亡者数は第一波より第二波の方が少ない (なお米国は第三波と言える増加がすでにみられている数少ない国の一つ)
※スペイン 症例数は第一波より第二波の方が多い 死亡者数は第一波より第二波の方が少ない
アルゼンチン 症例数の第二波は存在しない 死亡者数の推移報告は問題があり(グラフを見ればわかるが、異常)よくわからない
※フランス 症例数は第一波より第二波の方が多い 死亡者数は第一波より第二波の方が少ない
コロンビア 第二波がはっきりしない
※※ペルー 症例数は第一波より第二波の方が多い 死亡者数の第二波ははっきりしない
※英国 症例数は第一波より第二波の方が多い 死亡者数は第一波より第二波の方が少ない
イラン 症例数も死亡者数も第一波より第三波の方が多い (イランも数少ない第三波と言える増加がすでにみられている国)
※イタリア 症例数は第一波より第二波の方が多い 死亡者数は第一波より第二波の方が少ない
イラク 第二波が存在しない 感染者数のピークより死亡者数のピークの方が早い(死亡者数がピークを越えても感染者数はしばらく増え続けた)
※ドイツ 症例数は第一波より第二波の方が多い 死亡者数は第一波より第二波の方が少ない
インドネシア 第二波が存在しない 感染者数のピークより死亡者数のピークの方が早い(死亡者数がピークを越えても感染者数はしばらく増え続けているように見える)
トルコ 第二波の方が死亡率が高いように見える
パキスタン 第二波が存在しない 死亡者数はわずかに第二波のようにも見える
※ベルギー 症例数は第一波より第二波の方が多い 死亡者数は第一波より第二波の方が少ない
※オランダ 症例数は第一波より第二波の方が多い 死亡者数は第一波より第二波の方が少ない
ポーランド 感染者数の第一波が存在しないかきわめて低い。感染者、死亡者とも第二波で増加中
チェコ 感染者数の第一波が存在しないかきわめて低い。感染者、死亡者とも第二波で増加中
※カナダ 症例数は第一波より第二波の方が多い 死亡者数は第一波より第二波の方が少ない
以上で感染者数30位までだが
参考までに
スウェ―デン(42位) 症例数のみ第二波あり 死亡者数の第二波はない
※日本(49位) 症例数は第一波より第二波の方が多い 死亡者数ピークは第一波より第二波の方が少ない 第三波を伺わせる症例数の動きがある
中国(54位) 第二波はない
オーストラリア(85位) 第二波の方が死亡率が高いように見える
韓国(86位) 死亡者数のピークは第一波の方が高い 死亡率のピークは※群ほど著しい差がなさそう
台湾(176位) 第二波はない
このように
1)パターンは様々
2)その中で※群(第二波の方が症例数は多く↑↑ 、死亡者数は少なく↓↓=死亡率低いパターン)国々がある。”西欧”、(米国)カナダ、日本
3)スウェーデン、ペルーやイラクのような 明らかな二つの峰がなくても死亡者数/症例数が下がっている(ように見える)国がある
6)第二波のない国々は※のような 著しい死亡率の低下はみられない
このサイト、人口当たりでソートもできるのだが、人口少ない国まで網羅しているので、サンマリノとかが突出するのであまり傾向分析には向かなかった。
僕はパンフレットも買わず事前情報も得ずに見たので、Wikipediaが一番簡潔で良かったのでコピペするよ。
『異端の鳥』(いたんのとり、原題:Nabarvené ptáče / The Painted Bird)は、2019年制作のチェコ・ウクライナの映画。
第二次世界大戦中、ホロコーストを逃れて疎開した1人の少年が、様々な差別や迫害に抗いながら強く生き抜いていく姿を描く。ポーランドの作家イェジー・コシンスキ原作の同名小説の映画化。第76回ヴェネツィア国際映画祭ユニセフ賞受賞。R15+指定。
なお、本作の言語には舞台となる国や場所を特定されないよう、インタースラーヴィクという人工言語が使われている。この言語が映画で使用されるのは史上初めてのことである。
この原作本は日本でも買えるよ。映画公開で急速ランクアップで現在売れ筋・その他外国の文学作品部門でAmazon第8位。『ペインティッド・バード (東欧の想像力)』だよ 。高いな、しかし。5千円以上ってどういう事?よく知らね。
で、原作では6歳の少年らしいが、それはあり得ないね。せめて8歳にしておかないとあれは無理だろう。6歳であれだけのことが出来るって芦田愛菜並だ。ともあれ、6歳では演技不能なので、多分主役を演じたペトル・コトラール君は10歳くらいではなかろうか。もちろん彼は無名の新人だ。
しかし、ペトル君の周りを固める役者さんは豪華だよ。最も豪華なのはなんと言ってもハーヴェイ・カイテルだろうね。でもハーヴェイは大した役所ではない、アル中の司教だ(いい人だがな)。
とんでもねーのはウド・キアだ。悪役はいっぱい揃ってるが、この人の演じた村人役は凶悪すぎる。この映画の最優秀演技賞はウド・キアで決まりだろうな。
そして、変態少年性愛者を演ずるこれまた名優、ジュリアン・サンズ。流石にこいつは許せなかった、と思ったら少年はジュリアンを爽快な殺し方でやっつける。最高だったね、拍手喝采したくなった。
めっちゃ色んなハリウッド映画に出てる名脇役にステラン・スカルスガルドも、この人はドイツ軍兵士のいい人役で出てきます。印象には残りますが、少年を逃してくれるだけで特にたいした役どころではなかったかな。
で、極め付けは、なんと言ってもジャクソン二等兵だよ!いーかい?ジャクソン二等兵が出てるんだ!そうだよ、『プライベートライアン』であの教会の天辺で死んでたかと思ったら、なんと生きていつの間にか赤軍の兵士になってたんだ! え? バリー・ペッパーのことだろ?って? ちげーよ!ジャクソン二等兵だよ。ホントなんだってば! いきなり歳食ってて渋くなってびっくりしたけどあれは間違いなくジャクソン二等兵だ! 見ればなんの話かわかる。
でも、多分日本人鑑賞者の大半は歴史知識があまりない状態で見るだろうから、感動は少ないだろうね、きっと。でもホロコーストの歴史を知っておくと、これは感動するよ。このペトル君演ずる少年はユダヤ人だ。家族もユダヤ人だ。家族は父親しか出ては来ないが、ともかくユダヤ人家族の少年の物語だ。ホロコーストでは、ナチスはユダヤ人絶滅政策をとっていたことくらいは知っているだろうが、実は、絶滅はさせるつもりだったが、労働適格者は強制労働をさせるために生かして残していたんだ。ではもう一方の労働不適格者とは? それは老人であり障害者であり重病人だったり、そして14歳未満の子供なのである。アウシュヴィッツにユダヤ人が強制移送されると、労働不適格者は駅について選別されると、3時間程度以内にシャワーに入ってーと親衛隊に騙されてガス室送りにされ殺されたのだ。当然このことは親衛隊は言わなかったが(別の地域に住んでもらうとしか言わなかった)、噂レベルでユダヤ人だって知っている人は知っていた。それで、ペトル君の家族はペトル君だけを疎開させたのである。殺されるかも知れないから。これを知っているのと知らないのとでは理解が大分違うはず。あともう一点、ユダヤ人の強制収用施設はたくさんあったが、アウシュヴィッツだけが登録囚人の腕にナンバーを入れたのである。これも豆知識として知っておくといい。
あと、この映画の舞台は映画の中では一切明かされないが、ソ連領域を含む東欧地域であることは間違いない。使用される言語もインタースラブ言語(インタースラヴィク)と言って、スラブ民族の言語の特徴を全部混ぜ合わせて作った人工言語を使用している。故に言語はそれっぽいのに地域は特定できないようにしてある。この映画は史実を背景にしたフィクションであり、見方によっては仮想世界の話とも取れるだろうから、これはうまいと思ったね。安易に英語にしなかったのはナイスアイデアだ。
冒頭、ペトル君(この少年の名前は最後の最後になるまでわからない)が、林の中を誰かから逃げているところから始まる。少年は胸に白い何かフェレット?のような生き物を抱えている。しかし追手にすぐに捕まり、その生き物を奪われて、その生き物に可燃性の灯油か何かをぶっかけられ、その生き物をその場で焼き殺される場面からスタートだ。いきなりこの残酷描写には目を背けたくなる人も多いだろう。そのフェレットのような生き物がまさに焼き殺され、その場を燃えながらのたうちまわるその生き物の映像。これはキッツイぞ。それを茫然と見つめる以外にない少年の虚な視線。
しかしこの冒頭のシーンを理解できる日本人は少ないだろう。これは、今からこの少年のホロコースト物語が始まるという合図に相違ないのである。何故ならば、ホロコーストの原義は古代ユダヤの儀式、生き物の丸焼きを生贄として捧げる、だからである。これをわかった人は多分、ほとんどいないはず。親がこの少年を疎開させホロコーストから逃したと思っていたら、それは違うぞ、と。
その通り、疎開先で預かってくれた老婦人が夜中突然死し、びっくりした少年がランプを落としてしまって、それが原因でその孤立した一軒家は全焼。そこから彼のホロコーストの旅が始まるのである。少年は設定上は6歳? でも10歳くらいにしか見えないんだけど、それはともかく、大人に世話にならないと生きていけない。彼は家に帰りたかっただけなのだが、ともかく大人に構ってもらわないと、ということで色んな大人に預かってもらい続けることになるのだ。その預かられた先ごとに一つの章になっている。その章ごとに預かってもらった大人の名前を章タイトルにしている。何章くらいあったか覚えてないけど、十件はなかったかなぁ……順番もあんまりよくは覚えていないが、とにかく残酷物語だらけ、と言っても結構リアルっぽさを出してあり、普通のホラー映画のようにはっきりと悪という人はいない。でもそれだけに、本物のリアルな悪なので、ホラーよりずっと恐ろしいぞ。
多分これが一番最初だったんじゃないかなぁ? よくは覚えていないが多分そう。この少年は見栄えが少し人と違うのである。もちろん放浪してきた少年がやってきたその村からすればそもそも余所者なのだけど、とにかくその村の村人たちは、到底近代世界の住人ではなくって、風習と迷信だけで生きている世界の人たち。少年はその悪魔払いのババアに「この子は悪魔の子だ」と勝手に決めつけられて、ババアに買い取られるのである。要はこのババア、助手が欲しかったのである。そして少年は助手として実際には結構丁重に扱われ、見ている側としては若干肩透かしを喰らう。で、映画宣伝に使われている地中に埋められて首だけ出して、カラスに見つめられる写真があるが実はそれ、虐待ではなくってババアの少年に対する治療施術なのである。少年はどうやら当時流行しまくっていた発疹チフスに罹患したらしかった。
でもま、カラスに突かれまくって血塗れになるのだけど、ババアが少年を助けてくれるのだ。お前が悪いんだろうが・・・と言いたくなったが、それはまぁ演出と言うことで。
確かねぇ、その前にもう一つエピソードがあったと思うんだ。多分だけど、林の中で足に怪我をしたがために見捨てられた馬を、少年が放浪中に助けてあげようとして次の村まで連れて行くんだよね。でも馬が足を怪我したらサラブレッドがそうである様に殺されちゃうんだよね。このシーンが結構えげつないんだけど、それはさておき、その村人のある男が川で釣りをする(つっても奴隷作業だよ)少年を脅かして少年が川に落ちて流されてしまう。そのたどり着いた先がウド・キアが世帯主の家だった。救ったのは親父の妻とその家で働く雇用人。
とにかくこの親父、理不尽親父の象徴みたいな奴で嫁に体罰するのが日常茶飯事。で、ある雨の日、親父が家に帰ってくると何故か頭陀袋を持って家に入ってきた。そしてディナーの時間になる。ところがこの頭陀袋、まるで生き物の様に蠢くので、まさか子供でも入ってるの?とドキドキするのだが違った、白黒斑のネコだったのである(意味不明)。そしてこの猫が以前から飼われていた猫といきなり交尾をし始める。それを見ながら食卓で食事をする親父と妻と雇用人。ところが親父、いきなりブチギレてテーブルをひっくり返す。いわく雇用人に詰め寄って「てめー!俺の嫁とセックスしようと思ったろ!許せねぇ!テメェみたいな奴にそんなふしだらな目玉はいらねぇ!」とその場で雇用人の両目玉をスプーンでくり抜くのである。怖すぎっだろw 一応伏線は貼ってあったけどね。
で、少年、目玉をくり抜かれて家を追い出された雇用人を、その目玉を拾って、自分の荷物もまとめて出て行くのであった。途中目玉をくり抜かれた雇用人が木の根元で苦しんでいるのを発見、目玉を返してあげるのであった(返しても意味ねーだろうが、少年にはそれはわからなかったのであろう)。
エピソードがとにかくてんこ盛りなので順番がよくわからないんだけど、少年がね、これも確か野原を放浪してたのかなぁ? んでね、その近くでユダヤ人の移送列車からユダヤ人たちが逃げ出そうとするシーンがあるんだ。全員親衛隊に結局銃殺されるんだけど、その中で一人だけ生き残ったユダヤ人のおじさんと遭遇するんだけど、親衛隊に見つかり二人して町まで連行されるわけ。で、おじさんは銃殺されるけどハーヴェイ・カイテル演ずる司教に助けてもらうわけさ。で、最初は教会で一緒に暮らすことになるんだけど、司教が病気で少年をあまり構ってあげられないからと、その少年に気があったジュリアン・サンズに司教から預けられることになるわけ。で、観客の期待どおり、犯されてしまう少年。この映画、本当に少年をこれでもかと虐待しまくりますが、個人的にこのシーンが一番キツかった。だって、シーン自体は見せないで悲鳴だけが聞こえるのです。これは流石に堪えました。かわいそ過ぎます。でもですね、この後少年が森の中へ出かけるのですが、偶然、小さな軍事用トーチカを発見します。そこで二つの重要な発見をします。一つは折り畳みアーミーナイフ、これは拾って持って帰ります。もう一つはそのトーチカの天井部分の天辺に開いた口径1メートルくらいの穴です。覗き込むと・・・ひぇぇ大量のネズミがいたわけです。気持ち悪過ぎですが、とりあえず少年はサンズの家に戻ります。で、色々あって少年は拷問されて後ろ手に縛られるのですが、持っていたアーミーナイフでそのロープを切ろうとしたらこれがバレてしまいます。で、サンズは「一体そのナイフどこで拾ったんだ?」と言うことで、現場へ二人で行くわけですよ。ところは少年は機転をきかせます。サンズをうまいことそのネズミの穴に落としてしまうのです。えええええ? となりますよ。恐ろしすぎるぞ、あんなの。もちろんサンズはネズミに食われて死亡。
そしてその後、もっかいカイテルの教会に戻るのですが、ちょっと教会作業をしくじって肥溜めに投げ捨てられます。これは予告編にもありますね。で、きていた服を川で洗って、放浪再開。
思い出しました。確かー、悪魔払いのババアの次がこのエピです。あんまり印象ないんですよね。いい人なのか悪い人なのかよくわかんないんですよ、この小鳥屋のおっさん。んで、とにかく小鳥屋のおっさんの家で一緒に暮らし始めることになる少年なのですけど、ここによくわかんない全裸の女が小鳥を持ってやってきます。この女、生きてる目的が性欲しかないのです。でも何故かこの小鳥屋のおっさん、この女に惚れちゃったんでしょうね。ともかくおっさんはその小鳥をもらって、その場で野外セックス。
で、順番的に言うと、重要なシーンが入るので説明すると、この小鳥屋のおっさんの家の外に、少年とおっさんがいます。そして、少年は手に持たされた小鳥の一羽の羽を広げる様に言われます、するとそのおっさん、その小鳥に何やら白い絵具の様なものを塗りたくります。そして、その小鳥を空へ放つと、その小鳥はちょうど空を待っていた同じ小鳥の種の大群の中へ入って行くのですが、その小鳥は大群の突き回されて、死に絶えて地上にいた少年の足元に落下するのです。どうやら、その塗りたくった絵具に小鳥の餌が混ぜてあった様です。おっさんが何故そんなことをしたのか理由は不明ですが、これが映画の原題である「The Painted Bird」です。そんなに考えなくとも、これがテーマだって分かりますよね?
そして、その変態性欲女、村の餓鬼どもを誘惑してセックスするのですが、これが村のその子供たちの母親たちの逆鱗に触れて、集団リンチを喰らいます。瓶をマンコに突っ込まれ、それがおそらく原因で死んでしまうわけです。僕は平気だったけど、これもまたキッツイシーンですよ。それで、その女に惚れていた小鳥屋のおっさんはショックで首をつって自殺しようとするのですが、それを発見した少年、あまりに苦しそうなので、可哀想だと思ったのか、おっさんの足元にぶら下がって自分を重りにして死なせてあげるのでした・・・これもまたキツいシーンです。
もうね、三時間もある映画だから、エピソードてんこ盛りすぎて、端折らないとね。変態性欲女がもう一人出てくるんですが省略です。ソ連のコサックとかの話もあるけど、それも省略。とにかく、ジャクソン二等兵ですよ、二等兵。色々あって放浪しているうちに、今度は赤軍の駐屯地に少年が保護されます。ここはいい人ばかりです。そして、テントの中にいると、ジャクソン二等兵が登場! ええ、赤軍将校を演じたバリー・ペッパーなんすけどね。確かプライベートライアンの後、父親たちの星条旗くらいでしか見た記憶がなかったんですけど、最初誰だろう?と思ってたんです、事前情報なしで見たから。で気がついたジャクソン二等兵だ!と。そいでね、少年はおそらく、ジャク……じゃねぇや、そのバリー・ペッパーに多少憧れたのでしょうね、ある夜、バリーはライフルを持ってテントから出て行くのです。あれ?逃亡でもすんの?と思っていたのですが、実は仕返しをしに行くつもりだったのです。その出て行く夜に事件があったのです。駐屯地の外へ出た赤軍兵士数名が、近くの村人に殺されたのです。理由はよく知りませんが、赤軍を嫌っていた村人とかがいたのでしょうか。そのバリーの後を少年がついていったわけですよ。そして、村から少し離れたところにある、木の上で朝食を取る二人。それが済むとバリーはライフルを構えるわけです。そうです、ジャクソン二等兵なのです! どう考えたってこれはウケ狙いです(笑)。木の上から確か五人、村人を正確な照準で殺すのです。そしてジャクソン……じゃなくてそのバリー演ずる赤軍将校は少年にこう言います。「やられたらやり返せ」と。
http://alger-roi.fr/Alger/enf/ecoles/pages/10_enf_gym_60_lebaz.htm
https://www.alamyimages.fr/la-gymnastique-dans-les-annees-1950-la-formation-des-jeunes-femmes-de-la-gymnastique-avril-1954-suede-image224244117.html (訂正。スウェーデンらしい)
やや短パンっぽい。
中国、台湾、韓国と、翻訳にかけて体操着を検索したが、ジャージ姿しか見当たらなかった。
意外なことに、英連邦や共産圏以外にもショーツ型ブルマーが存在していた。
調査により提灯ブルマー及びショーツ型ブルマーは日本のみならず、ヨーロッパやオセアニアにも広く分布していた時代があった。驚くべきことに、ショーツ型ブルマーはナチスの時代にまでさかのぼることが分かった。
つまり、規律や集団行動を重んじる文化圏の外にも、ブルマーが存在していた。つまるところ、ブルマーというのは全体主義の産物ではなく、全く別の理由で広まったものと思われる。
女性が身体を自由に見せる権利の広まりとともに、レオタードや水着姿になる自由の一環として、広まったのだろうか。それとも、逆に美しいとされる身体を見せることを強要されたのか。これだけでは判断することはできないし、両者が混在していることだって考えられる。ここまで踏み込むには、私の知識がまったく足りない。
今回、私はショーツ型ブルマーの世界的な広がりを確認することができた。しかし、これはあくまでも定性的な研究であり、まったくと言っていいほど定量的ではない。すなわち、各地域で、何年から何年までブルマーが使用されていたのか、採用された学校は何パーセントに及んだのか、といった情報が完全に欠けている。
それに、ブルマーの採用は全国的に強制されたものであったのか、学校ごとの裁量に任されていたかも明らかにできていない。下手をすれば、上であげた国家についても、私立の数校でブルマーが採用されていたにとどまる可能性がある。また、バレーボールの授業のみブルマー着用、というケースも考えられる。もしそれが正しければ、常にブルマー姿だった日本は特異的な地域になる。
また、ブルマーそのものがどのような素材で作られていたのかについてもわからないし、どこからが提灯ブルマーでどこからがショーツ型ブルマーなのか、明確な基準を以って調査はできなかった。残念ながら、不鮮明な白黒の写真に頼らざるを得なかったためだ。
課題は他にもある。今回、ブルマーが存在していない地域をいくつか挙げたが、何かが存在しない証明は非常に困難だ。
加えて、ブルマーがその国にどのような文化的インパクトを与えたかについても不明だ。女性解放のシンボルであったのか、フェティシズムやノスタルジーの対象であったのか、おそらく多数の記事を読まなければならないだろう。例えば次のチェコの動画からは、何かの余興なのだろうか、ノスタルジーやユーモアというニュアンスが感じ取れる。
https://www.youtube.com/watch?v=HT0k1Jr8uwM
また、共産圏に多く見られたが、レオタードもまた体育で広く用いられている。ブルマーとは分布が相補的なのか、そこが気になった。たとえば、党大会か国民の体育大会かわからないが、多数のレオタード姿の女性が集っている動画が多数あった。
https://www.youtube.com/watch?v=MteXGWpSH9k
長くなってしまったが、今回は以上である。私の研究は、あくまでも大まかな方向性を示したにとどまる。だが、歴史を過度に単純化する考えから少しでも自由になれるのなら、これほどありがたいことはない。
それにしても、どうして下着同然のショーツ型ブルマーが採用されたのか。思い付きでしかないが、ジェネレーションギャップによるものかもしれない。
例えば、「サザエさん」や「となりのトトロ」では、少女がパンツ丸出しで駆け回っているが、当時としては性的な含みはほとんどなかったものと思われる。「サザエさん」は舞台が博多から東京に移ってからは昭和26年以降、「となりのトトロ」は昭和30年代前半が舞台である。おそらく、当時は下着が見えていても、お尻丸出しではないから構わない、という感覚だったのではあるまいか。
そして、もしもショーツ型ブルマーが広がったきっかけが東京オリンピックだったとしたら、それは昭和39年前後のことのはずだ。つまり、この戦後生まれが大人になった頃である。当時の教師たちが、「サザエさん」「となりのトトロ」世代の子どもたちであっただとすれば、ショーツをはいているのだから、ショーツ型ブルマーはまったく恥ずかしいものではない、と思い込んでしまった可能性がある。
一方、それ以降の子どもたちは、下着は見えては恥ずかしいものだという意識に目覚めていた。正確な年代は、「パンツが見える。――羞恥心の現代史」に当たらなければならないだろうが、羞恥心の世代ごとの差が、ショーツ型ブルマーとその軋轢の遠因なのではないだろうか。
https://www.youtube.com/watch?v=NV-wG_I3ioc
https://www.deviantart.com/sudo5348/journal/Regulation-knickers-in-Europe-725319871
http://namestovo.weblahko.sk/Spartakiada-.html
(ドイツ語圏のため、原語で検索してもドイツの資料しか見つからず)
https://budapestlocal.com/experiences/communist-budapest-tour/
資料なし。
【ベルリンAFP時事】ベルリンで3日、ドイツの性産業従事者が、新型コロナウイルスに伴う営業停止長期化に抗議してデモを行った。3月から営業停止のままで、デモ隊は「働かせて」「地下に潜るしかなくなる」と生活苦を訴えた。
ドイツでは売春は合法で、従事者は雇用契約を結び社会保障も受けられる。業界団体は声明を出し「性産業施設はそもそも厳格な規制の対象で、安全で衛生的な職場環境を提供するよう義務付けられている」と安全性を強調した。
団体によると、スイスやベルギー、オーストリア、チェコ、オランダでは営業再開が認められている。ドイツでも「美容院、マッサージ店、スポーツジム、サウナ、レストラン、ホテルと次々営業を再開している」と指摘。「政治家はわれわれを忘れていないか」と対応を求めている。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020070400367&g=int
私は次第に岩田先生のことを信頼しなくなっていきているというのもあるのですが、今回の記事も納得出来るのは半分くらいで、残りの半分の半分くらいはそうなのかなぁと疑っています。
今回の記事でそうなのかなぁと疑っている一番大きなところはロックダウンが成功したという指摘。
この記事のブコメを見ると「完全に同意」みたいな人もいるけど、以前から欧米がロックダウンに成功したと捉えているのだろうか?ブコメ掘るぞこの野郎。
あえてロックダウンに成功した国を挙げるとすればそれは中国。だけど、中国の都市封鎖についてはこの記事で言及なし。
もちろん中国が発表している数字をそのまま受け取れないとの考えもあるでしょうし、論文もないのかもしれません。
それでも欧米より中国のロックダウンの方が上手く行ったのは間違いないだろうと私はみています。
推定されている実行再生産数は日本では二度高くなりました。それは国内に最初に入ってきた時(実際に国内にウイルスが持ち込まれた最初という意味じゃなくて、流行が始まった2月上旬)と、人によって第二波と呼んだ欧米から持ち込まれたとされる3月上旬から中旬の2回。
2月上旬はついに国内でも流行が始まったかと対応したことで実行再生産数が下がったのかもしれません。しかし、二回目の実行再生産数の高まりと減少について岩田先生は言及したことがないのでは?
(もしかしたらTwitterでは書いているのかもしれませんが、こうしてまとめて書いたもので触れたものを見たことがないのが私の岩田先生に対する不信感の一つです)
ちょうど志村けんが亡くなった頃に実行再生産数が下がっているので、その衝撃で警戒を高めた可能性はありますが、岩田先生はマスクは否定していますし手洗いが効いたのでしょうか?
記事中ではロックダウンの効果は2週間かかるとしていますが志村けんが亡くなってから2週間かからずに実行再生産数は落ちています(国内の実行再生産数は予測によりますが減少に転じるのは志村けんさんが亡くなる数日前から亡くなった翌日あたりと推定されていて、多少誤差があるとしても2週間はかかりません)。
もちろん、岩田先生がよく使うようにたまたま運がよくて実行再生産数が下がっただけかもしれませんが。
記事では言及されていませんが、ヨーロッパはオーストリアやチェコなどの東欧は全体的に、あとはギリシャも人口辺りの感染者も死者も少なめ。岩田先生に限らず、東欧についてはなぜか言及されることがほとんどありません。
ブコメに見られますが周辺国の感染状況と立地を考えるとヨーロッパの感染拡大は単に陸続きだからとは言えないでしょう。
東アジア、東南アジア、東欧と、感染が少ない地域はある程度固まっているわけで、それを運が良かったの一言で済ませるのはどうかと思うわけです。
自分は幼いころにイギリスに住んでいた。そこで現地の少女たちのブルマー姿を見た記憶があるのだが、wikipediaの日本語版、英語版の「ブルマー」の記事を確認しても、初期のだぼだぼしたブルマーしか写真がなくて、ぴっちりしたショーツ型のブルマーの画像が見当たらない。これはどうしてなのだろうか。そもそも欧米にブルマーがあったのは僕の記憶違いだったのだろうか。そのことについて探求したい。
「ブルマーの社会史」によれば、従来の通説である「東京オリンピックで放映された、ソ連のバレーボールのチームのブルマー姿がかっこよくて、少女たちが憧れた」という説が否定され、「むしろ衣料品メーカーの都合や教師の意見が採用されたもので、少女たちとしては恥ずかしがる者も多かった」らしい。言い換えるなら「提灯ブルマーからショーツ型のブルマーへの進化は、日本人男性が幾分無神経であったからだ」ということになる。この内容が正しいのだとしたら、欧米ではショーツ型のブルマーはそれほど広がっていないはずだ。しかし、今でもバレーボールのチームはブルマーとまではいわないまでも短パンが多いし、過去のオリンピックを見れば間違いなくブルマーを着用している。現代の女性の陸上選手も、ビキニタイプで運動している。なのに、画像検索をしても、ブルマー姿の女子生徒の姿がうまく見つからない。「bloomers」「gym knickers」と探しても、コスプレ用サイトが引っかかるばかりだし、「gym shorts」ではブルマーとは似ても似つかない現代のジョギング用の短パンしか出てこないのだ。イギリス人少女のブルマーは、僕の記憶違いだったのだろうか?
真偽はともかく、少女たちがソ連のブルマーに憧れたのなら、ソ連のブルマーを探すべきだろう。そういうわけで「soviet union physical education」(ソ連 体育)で検索したところ、確かにあった。ソ連の少女たちのブルマーが!
https://www.rbth.com/history/331873-physical-education-in-soviet-schools
https://galinabulakh.wordpress.com/2013/11/02/my-soviet-education/
結論。ショーツ型ブルマーを身に着けたヨーロッパ人の少女は僕の記憶違いでいはない。
僕は数時間をかけて、イギリスのブルマーの画像も見つけ出すことに成功した。
http://www.historyworld.co.uk/photo.php?id=1608
http://www.elyhighschoolforgirls.org.uk/ehs-photo-album.htm
https://www.deviantart.com/sudo5348/journal/Regulation-knickers-in-Europe-725319871
記事を読んでみるとイギリスでは「bloomers」のほかに「regulation knickers」「navy school knickers」それと、少し素材が違うかもしれないが「spandex bottoms」という呼び方があるようである。それによれば、ヨーロッパでは五十年代から七十年代にかけてを中心にこうしたブルマーが使用されていたらしい。日本と同じように、紺色をはじめとした地味な色であったようである。日本のショーツ型ブルマー全盛期とは年代がずれているのが興味深い。実際、日本のアニメを見た西洋人が「どうして日本の女の子は体育の授業のときにパンツ一丁なの?」という疑問を持つそうで、アニメを鑑賞している世代と、欧米のブルマー世代とのずれを感じさせる。もっとも、最近の漫画やアニメは、ブルマー姿の女子を見ながら育った世代によって作られていないから、普通の短パンに代わっているようだが。
https://www.youtube.com/watch?v=g_WZwt_cKjs
https://www.youtube.com/watch?v=NV-wG_I3ioc (真ん中あたりから)
この動画で見ても、やはりポーランドやチェコなど、東欧にもブルマーは存在していたらしい。
ここで一つの疑問がわいてくる。どうしてのどかな体育の授業の画像を検索するためだけに、数日を費やさなければならなかったのか。シンプルに単語の選択がまずかっただけのだろうか。
僕は疑問に思う。ただの体育の授業の風景を「わいせつ」だと断じて、オンラインに掲載しなかったのではないか、と。それとも、検索エンジンにバイアスがかかっているのか。それは杞憂・誤解かもしれない。日本人のブルマーフェチとして育った世代はデジタル機器になじみがあるが、欧米のブルマーフェチ世代はなじみがない、それだけのことかもしれない。Wikipediaの記事に細かいことが書かれていないのもそれが理由の可能性がある。事実、探せば少ないとはいえ、イギリス人少女のブルマー姿での運動会の動画はyoutubeで見つかるし、上の画像のいくつかは歴史ある学校のサイトだ。また、日本人のブルマー姿を見つけやすかったのは、日本では盗撮された運動会の画像が平気でネットをただよっているのも原因かもしれない。ブルマーはかわいいけれど、盗撮はいかがなものかと思う。
女性のファッションの歴史は興味深い。スカートの長さだけを取ってみても、足をきれいに見せたいとミニスカートが流行ったかと思えば、恥ずかしいから長くしたいという逆の流れが起こる。これは、どっちが正しいとかそういう問題ではないだろう。ファッションは身に着ける人が楽しければいいのだ。「男性を魅了したい」「見られるのは恥ずかしい」、いずれも筋の通った意見であり、どっちが正しいというよりも気分を反映したものに近い。エアロビが流行った頃、たとえば「うる星やつら」のアニメの頃なんかだと、レオタードでエアロビなんかの運動をしているのだけれど、今なんかだと短パンのほうがおしゃれだとされる。
そういうわけで、ブルマーの廃止と陸上選手の衣装の軽量化には矛盾は感じない。結局、何を身に着けて運動するかは選手本人が決めればいいことで、自分のような外野が口を出す筋合いのことではない。たとえ素っ裸で走ったところで、鍛えられた身体から放たれるオーラによって、下品さはほとんど感じないだろう。
「どうしてブルマーは嫌なの? ミニスカートや短パンと肌を見せる量は同じじゃん?」という疑問に対しては、「肌を見せることよりも、強制されるのが嫌」的なことなのだろう。僕も学校生活は楽しかったが、制服を身に着けていると落ち着かなかった。どこでもその学校の一員であることを要求されるからだ。何かを強制されるのは面倒なことが多く、だから昨今の女子生徒が制服をパンツスタイルとスカートから選択できる流れは、大いに歓迎している。
今回は、日本のみならずイギリス、共産圏にもショーツ型ブルマーが存在していたことを示した。すなわち、だぼだぼの提灯ブルマーからショーツ型のぴっちりブルマーへの進化は、日本だけではなく、世界的に存在していた流れであった。今後は、アメリカや西ヨーロッパ諸国、あるいは中国や韓国にもブルマーが存在していたかどうかを調べたく思う(上の記事には日本以外のアジアにブルマーはないとしているものもあるが……)。
そして、スクール水着やレオタードの海外における普及についても知りたい。
英語だが、「どうしてバレーボールのパンツはあんなに短いの?」と題した記事がある。ブルマー問題に一石を投じるかもしれない。
https://howtheyplay.com/team-sports/Why-are-Volleyball-Shorts-so-Short-and-Tight
アメコミのヒーロー、スーパーマンやバットマン、相棒のロビンなどのコスチュームにショーツ型の部分がある。男性のこうした短パン・ショーツ型の衣装の歴史についても研究が必要だろう。
https://www.youtube.com/watch?v=ybSMEPBhCxw
1930年のイギリス。おそらく、この提灯ブルマーがイギリスのショーツ型ブルマーへと変化していったのだろう。
続き→
コメントにもあったが、子ども食堂を「かわいそうな子限定」にすると誰も来ないってのは常識かと思っていた。親の情報感度と生活の困り具合が反比例するというのはどう解決すべきか。
かわいそうな子限定にすると、そこに行くこと自体が「かわいそう」と見られるので対象の層はますますこなくなる。取り組み自体は続けつつ、もっと貧困層へのリーチを考えていけばいいのに
チェコだったっけ、学校とは別に街の中に巨大な学生食堂みたいなのがあって、そこで食いたきゃ三食食わせてくれるとか制度がある。ああいう形にしないと難しいが、みんな来ると行きづらい子とかもいて難しい。
このあたりはいかに貧困層へリーチするかを課題に挙げてる。「貧乏陰キャ施設のイメージがつくと誰も来ない」という現象を指摘してるだけで「だから富裕層にも開放するのがベストだ」とは言ってない。
塾の前に食ってけと送り込まれる子、意識高い系で手伝わない親の子って普通に親に恵まれてない可哀想な子供じゃん…親以外の大人とたくさん交流して「親の言う事は絶対じゃない」と知る必要があるから利用は正しいよ
塾の前に子供食堂で食っていけ、という家庭の子は教育虐待、もしくは何らかの歪みを受けてる可能性あるからそういう面でも十分サポートになってる気はするけど。
このあたりは「富裕層の子が実はかわいそうな可能性もあるよ」という意見であって「貧乏陰キャ施設のイメージがつくとダメ」という意見ではない。
まとめでも書かれてるとおり、逆に色んな層が行かないと貧困層の人が行きづらいんだよね。言葉は悪いがやる側に施してるって意識があると子供食堂は続かない。
これは該当。
映画監督のスコセッシだか誰かが映画学校の学生に「孤独が癒されない、どうしたらいいか」と聞かれて「その思いを映画にしなさい」と伝え、
後日学生から「映画を撮ったけど孤独は消えません」と言われ「僕もそうだ」と返したとかなんとか。
ちなみにチェコ好きは、自殺した人が当日までの行動を綴ったブログに対して「最後に食べる食事がファミレスとか想像力がない」なんて書いて炎上したくらい他人への想像力がない。(奇しくもzaikabouの批判がトップコメントだ)
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 84 | 7741 | 92.2 | 35.5 |
01 | 41 | 4349 | 106.1 | 51 |
02 | 34 | 4068 | 119.6 | 87 |
03 | 33 | 5180 | 157.0 | 51 |
04 | 11 | 1737 | 157.9 | 32 |
05 | 21 | 1782 | 84.9 | 48 |
06 | 24 | 3072 | 128.0 | 48.5 |
07 | 78 | 6864 | 88.0 | 27.5 |
08 | 69 | 6387 | 92.6 | 24 |
09 | 72 | 6249 | 86.8 | 37.5 |
10 | 77 | 7217 | 93.7 | 45 |
11 | 126 | 11282 | 89.5 | 46 |
12 | 108 | 13326 | 123.4 | 41 |
13 | 136 | 9261 | 68.1 | 44.5 |
14 | 88 | 8477 | 96.3 | 47 |
15 | 99 | 9272 | 93.7 | 30 |
16 | 76 | 7810 | 102.8 | 47 |
17 | 155 | 10366 | 66.9 | 41 |
18 | 119 | 7933 | 66.7 | 29 |
19 | 94 | 11007 | 117.1 | 66.5 |
20 | 71 | 7862 | 110.7 | 70 |
21 | 102 | 10828 | 106.2 | 44 |
22 | 108 | 9783 | 90.6 | 43 |
23 | 96 | 8572 | 89.3 | 38 |
1日 | 1922 | 180425 | 93.9 | 42 |
streaming(7), ジャップビチクソ(4), DirectX(6), TLS(3), Net(3), COM(10), コロナ(5), コロナウイルス(6), 新型肺炎(8), 感染者(8), 武漢(12), 鮮血(3), ひろい(3), 感染(14), tv(8), エヴァ(9), 美術館(8), 交番(8), チンポ(14), 黙れ(5), 不倫(22), 中国人(14), 我が家(6), 自炊(9), スイッチ(9), 少女(17), お父さん(12), 2020年(6), 役員(6), 同調(6), 芸能人(14), プログラム(10), 保護(9), 持て(11), 提案(9), 料理(17), 予算(9), 興奮(12)
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6983825(2071)
ロンドン:ベタだが名所多数。ビッグベン、バッキンガム、セントポール、ウエストミンスター、ロンドン塔、タワーブリッジ、大英、ナショナル、ハロッズ等々。
マンチェスター:何もねえ
リバプール:何もねえ
カーディフ:何もねえ
エディンバラ:何もねえ
グラスゴー:何もねえ
パリ:治安最悪、汚ねえ。でもルーブル、オルセー最高。エッフェル塔、凱旋門、ノートルダムは焼けたけど、ヴェルサイユ、モンマルトル、シャンゼリゼ、く、悔しいけど好き。
モンサン:遠い
マルセイユ:汚ねえ
ボルドー:最高
トゥールーズ:汚ねえ
カルカッソンヌ:広い城だけ
ニース:最高
カンヌ:まあまあ
ベルリン:壁壁壁
フランク:何もねえ
ミュンヘン:オクトーバーフェスト、クリスマス、季節だけかよ。ノイッシュ。
ハンブルグ:何もねえ
飯は肉しかないのかよ!
ミラノ:最高
ローマ:汚ねえ
フィレンツェ:最高
ヴェネツィア:最高
ナポリ:汚ねえ
シチリア:最高
ジェノバ:何もねえ
トリノ:何もねえ
ピサ:塔
アマルフィ:最高
チンクエテッレ:最高
マドリー:バルセロナの後だと今ひとつもレベルは高い。プラド、ピカソ。
セビーリャ:最高
マラガ:最高
グラナダ:最高
コルドバ:最高
ビルバオ:何もねえ
サンセバスティアン:飯最高
飯:ウマーーー!
飯:ウマーーー!
チューリヒ:何もねえ
ベルン:何もねえ
山:最高最高!!!!!
オスロ:何もねえ
ストックホルム:何もねえ
飯:ミートボールは大して名物じゃなかった。黄色にはめられた?
ヘルシンキ:何もねえ
ロッテルダム:何もねえ
飯イマイチ
ブルージュ:綺麗だけど何もねえ
モナコ:綺麗だけど何もねえ
チェコ:
ワルシャワ:何もねえ
アテネ:最高
ミコノス:最高
サントリーニ:最高
飯は素材を生かせればまあ、という感じ。
ドブロブニク:最高
https://softpower30.com/wp-content/uploads/2018/07/The-Soft-Power-30-Report-2018.pdf
1. イギリス
2. フランス
3. ドイツ
4. アメリカ
5. 日本
6. カナダ
7. スイス
8. スウェーデン
13. ノルウェイ
14. スペイン
15. フィンランド
16. ベルギー
18. ニュージーランド
21. シンガポール
22. ポルトガル
25. ハンガリー
26. チェコ
27. 中国
30. アルゼンチン
自由・人権・民主主義・平等などの政治的価値を捉える指標です。北欧および北ヨーロッパの国々がトップです。
1. スウェーデン
2. スイス
3. ノルウェイ
4. オランダ
5. デンマーク
6. フィンランド
7. カナダ
8. ドイツ
政府のオンラインサービスやデジタル外交を評価する指標です。多数のハイテク企業の本拠地であるアメリカがトップになりました。過去1年間、政治家や政府によるソーシャルメディアの前例のない、時には物議を醸すような使用が見られました。政府のオンラインサービスによってフランスが2位に。最先端のデジタルインフラストラクチャで知られる韓国は5位にランクされています。
1. アメリカ
2. フランス
3. イギリス
4. ドイツ
5. 韓国
6. カナダ
7. シンガポール
8. 日本
国の大学の質、留学生を引き付ける能力、および学術研究出版への貢献度を測定しています。アメリカは、トップクラスの大学を多く抱え、世界で最も多くの留学生を魅了し、学術研究に大きく貢献しています。
1. アメリカ
2. ドイツ
3. イギリス
4. オランダ
5. フランス
6. オーストラリア
7. カナダ
8. ベルギー
国のビジネスモデルの魅力、イノベーションの能力、規制の枠組みを把握する指標です。 シンガポールの首位は、その経済的競争力と有利なビジネス環境に起因します。汚職の発生率が最も低く、イノベーションの指標でも優れた成果を上げており、ハイテク製品の輸出で最も高い割合を占めています。
1. シンガポール
2. スイス
3. スウェーデン
4. デンマーク
5. アメリカ
6. ドイツ
7. イギリス
8. 韓国
外交ネットワークのリーチと、開発や環境などの主要なグローバルな課題に対するコミットメントを測定します。フランスは世界最大の大使館ネットワークの一つを持ち、他のどの国よりも多くの国際機関のメンバーでもあります。
1. フランス
2. イギリス
3. ドイツ
4. アメリカ
5. 日本
6. イタリア
7. スペイン
8. オランダ
芸術、映画、音楽、スポーツ、観光を測定する指標において、アメリカが他の国よりも優れていることは驚くことではありません。イギリスは、音楽産業の世界的な成功に支えられています。フランスは、国際観光客の数が最も多く、ミシュランの星を獲得したレストランが最も多く、世界で最も訪問者の多い美術館であるルーブル美術館があります。
1. アメリカ
2. イギリス
3. フランス
4. ドイツ
5. スペイン
6. オランダ
7. オーストラリア
8. ベルギー
必ず検札が巡回してくるわけじゃなくて、時折乗ってくるだけだから、あれは不正の抜き打ちチェックみたいな意味合いが強いんやろなあ。
(あくまでも市内交通の場合。都市間列車だと日本の新幹線のように必ず検札が来る)
イタリアじゃなくて東ヨーロッパでも結構あるんだよね、ああいうシステム。むしろ大陸ヨーロッパはどれもああなのかと思ってた。
そんなにチェックしたいなら、日本みたいにそもそもチケットないと改札通れないようにすればいいじゃんと思うんだけど、路面電車だと難しいのかね。
ハンガリーやチェコの地下鉄もすり抜けようと思えばいくらでもすり抜けられそうな感じだったからな。いや地下鉄駅なんだから物理的にシャットアウトできるやろ……
個人的に「勘弁してくれ」と思ったのが、チケットを持ってるけど忘れた、とか、有効期限切れに気づかず乗っちゃった、って場合でも容赦なく罰金取られるんだよな。
いや、そもそも改札時点でチケットなければor無効なら入れないようになってれば最初から乗らないんで、そっちのシステム改良してくれませんかね……って思った。
そそっかしい人間なんで日本で暮らしててもたまに定期券忘れて慌てて帰宅とかやるんだけど、それに気づけるのも結局チケット持ってないとそもそも入構できないからなわけで。チケット持ってなくてもホイホイ入構できるようにしておいてたまに巡回して持ってないやつからは罰金、って、まあ施設整備の金が節約できるのはわかるけどうっかり者からするとふざけんなって感じ。
一番腹が立ったのは、とある大陸ヨーロッパの国で5日間有効の市内交通のチケット買ったんだけど、実は厳密には5日間っていうのは120時間のことで、5日目であとは空港から出国するだけだし大丈夫かなって思ったら実は数十分前に有効期限切れてたってことがあったんだよね。
トランク抱えて空港に行くバスの中で検札が来たんでチケット見せたら、「数十分前に有効期限切れてる」と指摘されたわけ。
まあ、期限切れに気づかなかったのはこっちの落ち度だから、罰金を払うのは仕方ないのよ。でも出国直前だったから現地通貨使い切ってたんだよね。
「わかった。これから空港に行って空港のATMで下ろして払うよ。それでいい?」と聞いたらそれもダメ。なんでダメなの? って聞いたら、「そこは私たちの管轄区域じゃない」。
払わないって言ってるんじゃなくて空港で払うって言ってるのに何がダメなんだ、と現地語でまくしたてて、周りの乗客も「飛行機に遅れちゃうよ!」とか「私が代わりにチケット代払ってあげるよ」とか加勢してくれたんだけど、運転手に指示してバス停でバスを止めて「ここで降りろ。さもないと警察を呼ぶ」ときたからね。
仕方ないから他の乗客の同情的な視線を浴びながらバスを降りて、その場にあったATMでお金を下ろして罰金払ったけど、当然バスはもう行っちゃってるし、次のバスはすぐに来るだろと思ったらなかなか来なくて、数十分間寒さと不安に震えながら待つことになったよね。
加えてそのチケット、その街のオシャレスポットが彩られた洒落たデザインだったんだけど、有効期限の記載が表面に全然なかったんだよね。裏面をよくよく見てもなかなか有効期限の表示が見つからない。
別の国の地下鉄では無骨なデザインの表面にデカデカと有効期限が時刻まで含めて印字してあって、これなら数十分前に期限切れでもひと目でわかる。余計なところでデザインに凝ってるんじゃねえよって思ったわ。