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2020-11-23

近所のトイレに住んでいるひと

ぼかして書く。

近所に、車椅子対応のスペースの広い公衆トイレがある。

そこにおばあさんが(たぶん)住んでいる。

白髪で腰が曲がっていて、そういう年齢に見える人なので、おばあさんと書く。

いつも概ね同じ服。いや、服と呼んで良いんだろうか、あれは。

なんて言うか、何々を着ている、と説明できない格好をしている。少なくともコーディネートとかおしゃれとか季節に応じた格好とか、そういうのではない。

上着をいっぱい着ているっぽい。何枚も何枚も。何かの上に何かを重ね着して、一番上になんかこう、白っぽいクリーム色のキルト生地っぽいブルゾンを着ている。「着ぶくれ」と称してもいいのか迷うくらいに着ぶくれている。体型がよくわからいくらいに。

ズボンもたぶん2枚とか履いているように見える。黒か濃い藍色ズボンに、白い靴下?なんていうんだあれは?とにかく布地のものを何枚も重ねている。

頭にもスカーフ…というか布を巻いている。だからたぶんおばあさん。たぶん。

見かける時はだいたいそういう格好をしている。

夏は流石に枚数は少なかったような気がするが、依然として足に何枚も履いていたし上着も長袖を着ていたのでビックリした記憶がある。

そういうおばあさんが、その公衆トイレのところにいて、公衆トイレの近くにはでかい道があって、車も勤め人もいっぱい通る。

それらをおばあさんはよく見ている。

ぼんやり眺めてるというより、敵意なのか何なのか、ちょっと刺々しい感じで睨めつけてるように見える。

それともそれは私が目を合わせないように歩くせいだろうか。

年に2回くらい、通行人とトラブりでもしたのか、怒鳴っているらしいところを通り過ぎたことがある。

でもそれ以外は、誰と揉めているわけでもない。

そういうおばあさんが、最寄駅の近くにいる。

おそらく家はなく、公衆トイレに住んでいる。公衆トイレ周辺であまりにも見かけまくるのと、実際にその公衆トイレから出てくるところを見たりなどしたので、私の中ではトイレに住んでいる人という印象になっている。

この間、渋谷路上生活者女性が殴り殺されたとかい理不尽まりない怖い事件の話を聞いてから、おばあさんのことが妙に頭に引っかかる。

私はおばあさんをどうしたいわけでもない。例えば支援組織につなぐとか役所に言うとか、そういうことも考えるのだが、ああいうのって本人にその意思がないと結局どうにもできないモンだというのは知っている。そして「本人」にそんな話を持ちかけたいとは思っていない。

何というか、あの季節感希薄な着膨れ方が、認知症とかそういうものがある人のように思えるのだ。

あの着膨れ方と、刺々しい眼差しが。

「お前ら全員ろくなことしてこない敵なんだろう」「敵だ」「敵地の真ん中で財産生命線を持てる全ての服をその辺に置いておけるか、常に身につけないと油断ならん」「どうせ不快なことを言ってくるんだろう、話なんぞしたくない」

と、そう言ってるような気がしてならなくて、とても一人では話しかけたりできない。

敵意がある人間と接するほどしんどいことはちょっとない。そして、その敵意をほどくために信頼関係を築いて長い目で見ながら支援して、みたいなことをやる余裕は私にはない。

大体、悪臭がするとかでもないんだし、トイレに住んでると決まったわけでもないんだから相手は言わば自由意志でその辺を出歩いている普通人間なのだ

普通人間に対して私からできることだのやるべきことだの、本来は、無い。

私はただどっかに通報」して私自身の安心を得たいだけだ。道を歩いているだけなのにその都度誰かに敵扱いされるのが嫌なだけ。それが分かってるので何にもできない。

ああ、誰か。

誰かせめて、あそこにそういう人がいるってこと、認識してくれているだろうか?例えば役所とかが。

支援必要そうな人がいて、おそらく支援を拒んでいる可能性もあるが、とにかくそういう人がいるってことを、誰か把握してくれていないだろうか。

殴り殺されるまでもなく、路上生活者結構死んでいる。私はそういうデータを見たことがある。病院入院する路上生活者の再入院率みたいなやつ。そのデータでは、10回とか再入院する人がいないわけじゃないけどかなりのレアキャラで、過半数は初回入院で亡くなるみたいな結果だった。病気になっても軽いうちに医療にかかれないからだと思うが、入院した時点でもうかなり悪くなっていて、そのまま亡くなる。割と若くても。

そんな死に方アリかよ、みたいなキツい症状で死んでしまう。

もちろん、病院管理される生活がイヤで逃げ出す人がいるのも、あまり治療に非協力的すぎて(婉曲表現病院側が出てってくれと言うような人がいるのもわかっている。

あのおばあさんがそういう人でないという保証はない。

でも、最寄駅の近くだからかなり頻繁に見かけてしまうし、見かけるたびにもやもやして仕方ない。そんで自分無責任さに自分で傷つく。

無意味にしんどい。

誰か、知恵があったら貸してください。

無かったら、最近食べた美味しいもののことでも聞かせてください。

[]97日目 虹ヶ咲8話について

なわとび:601回

ボクシング:215kcal/20歳


しずく回、良かったけど、これは結局なんの話だったんだろうという疑問も残ったので少し整理したい

しずくは結局どうしてスクールアイドルをやりたいのか、あるいはなぜ演劇がやりたいのか、みたいなところがよく見えない感じがあるのだけれど、もしかしたらそれは問いの立て方が違うのかもしれない

虹ヶ咲では、基本的スクールアイドルであるということは何ら特別なことではなく、スクールアイドルになるための門戸は常に誰にでも開かれている

さらラブライブという目標を掲げないことを選択した虹ヶ咲ではファンや観客の存在は極めて希薄で、他者から評価されるアイドルという要素が極めて薄い

そうした中で登場人物たちはスクールアイドルという非日常的なものを含んだ経験を通して自己実現果たしていく

プリキュアに憧れた女の子自分プリキュアになるといって実際になってしまうくらいのカジュアルさが虹ヶ咲のスクールアイドルにはあるように感じる

部活なんて、やってみたいからやるくらいのもので、そこに特別理由なんてそんなに必要ないのかもしれない

しずくにしてもやりたかたか演劇スクールアイドルをやっているだけで、別段そこで本当の自分を出したいとかは考えてはいない(少なくとも表面上は)

今回の話は演劇部長のしずくに対する期待から始まっているので、全ては部長の愛の重さがもたらした出来事とも言える

いやまあ黒しずく本心を出したいという思いを部長が汲み取って導いたみたいな見方が正当なのかもしれないけど、でも黒しずくって部長欲望権化じゃん?(個人見解です)

そんなふうにいろいろ考えると我々は今回しずくひとつになりたい部長性癖を見せられていただけなのではないかという気がしてきてしまうな

2020-11-22

死にたいやつが死ねない」という前提から狂ってる状況

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/president.jp/articles/-/40602

これね。

年収は1000万もなかったけど、金には困らない状態でほぼゴミ屋敷になるまで物を溜め込んだタイミングがあった。出張ホテルに泊まったら今の生活環境が自分の不調の原因ってことに気づいて、清掃業者に頼んで全部で持ってってもらった。溜め込んだ理由自分の世話をするのが馬鹿らしいっていうセルフネグレクトも多分にあった。それよりも大きかったのが、「わずかにでも私を減らしたくない」っていう、社会との関わりが希薄だったからこその歪みきった自己主張だった。

生い立ちの話をすると、卑屈になるから~とか真っ当な人間は~~とかの通り一遍説教と同情しかこないことは分かってるので書かない。説教は欲していない。同情はちょっとほしいが主題じゃない。ともかく、幼少期から社会と関わると良いことがない、関わらないようにしても向こうからやってきて私を不快にする。それは私に興味があるんじゃなくて、説教して気持ちよくなれる相手を探してる、それが社会を名乗るバカ個人であり、そのバカ個人が作ってるのが社会。そんな無力感しか社会に対しては抱いていなかった。その社会に対して武装するにはどうするか?自分を増やすしかないのだ。

一番メンタルが弱ったときはとにかく生存必要なことしかしなかった。飯食ってろくに片付けもせずに寝る。仕事行って自分のことをモクモクとやってる間だけが唯一の救い。他人との関わりは会社利益に関わることだけ、社内政治雑談マウントも、全部空返事。食って食い扶持稼いで寝る。食って食い扶持稼いで寝る。それだけ。部屋は荒れる。それも自分自分の生きた証。糞ウザいマウンターゴミ屋敷住人に上から目線かます滑稽な雑魚に早変わりだ。自分ゴミゴミ屋敷にふさわしい人間だと定義することで、自分に対してムキになるやつを、とてつもない滑稽人間に落とし込むことに成功した。ゴミは私で、私がゴミ。そのゴミゴミ箱に突っ込むのもサボったやつが、ゴミに「真っ当な人間」を説く。君も真っ当じゃねえな?と安心してた。で、前述のとおり目が覚めるタイミングがあった。今は人を呼んでも大丈夫なくらいの部屋にはなってる。

そしたら、余裕ができた心にまた希死念慮が入ってきた。自分ゴミだという認識があまりにも根深い。小学生ときから死にたさはあった。ゴミ屋敷ゴミになってたときが唯一死にたさがなかった。ゴミになってゴミ社会ゴミ必要としてるぞしゃーねーな働いてやるか、って思ってるくらいが最も自分に合ってた。でもゴミを溜めると体が不調になる。解決策は今の所見つかってない。

書いてみてわかったが、未だにセルフネグレクトを脱してないな。セルフネグレクトだけの問題じゃなくて、自分存在証明としてゴミを貯めたりもする、それはゴミだが、同時に私であるので、そうかんたんに脱せない、みたいな論調にしたかったが、それも回収したらセルフネグレクトだった。本当に自分に興味がないんだな私は。死にてえな?

落とし所を「死にたいやつが死ねないってのは根深問題」にしたかったが、予定が狂った。一番したかった主張だけして帰る。真っ先に書いたのがここから下。結論ありきのただの嫌味。ゴミのひり出したクソをくらえ。

まず「死にたい」っていう感情社会一般では異常らしい。だから死にたいやつが死ねない」みたいな言論は前提から狂っていて、それ自体問題にはならず、「死にたいと願う奴」が異常になる。「死にたいと思う人が存在するのは今の社会が悪い」と言うのは簡単だ。では現実的にどうしたらいいか社会は都合よく"直る"か?殆ど場合デカ社会も小さい社会もその社会マジョリティに都合よく作られる。「真っ当な人間」にもそれぞれあれど、だいたい似通った前提を共有していて、前提から異なる「真っ当じゃない奴」は勝手死ねと言われるか真っ当に生きろと説教かまされるのが関の山だ。そして「真っ当じゃない奴ら」は皆それぞれに「真っ当じゃない」のだ。「死にたいと思う奴は異常」「死ぬという選択肢が出たら前段階で間違ってる」「まず生きるモードに切り替えてからグジグジ考えろ」とか思ってるのは全然構わない。他人に言ったことがあるやつは本当に社会として真っ当です。真っ当でよかったですね。社会って饒舌ですね。

さて、幸いなことに日本では死にたい異常者にも言論自由が認められております。どうぞ社会もご自由発言なさって。私も自由に喋って当てこすります。「選択夫婦別姓社会になっても「夫婦同姓を選んだお前らは旧来の価値観に染まってるクズ」なんてハラスメントが起こるはずがない、被害妄想もいいかげんにしろ」って言ってる人が「安楽死が認められたら他人安楽死強要するハラスメント絶対起こる、だから安楽死日本では許されない」っていう被害妄想安楽死に反対してないと信じたいので、ちゃん夫婦も別姓・同姓が、選びたい人間が死を、ちゃんと選べる、旧来の価値観に染まってない先進的な社会に進めたいものですね。

2020-11-19

コロナニセコはどうなったか

ニセコバブルは弾けるのか

https://anond.hatelabo.jp/20200419103335

4月に書いた者です。

コロナ最初の夏を経て冬の準備が整いつつあるので、現状のニセコがどうなったかを書きます

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コロナウイルスが猛威を振るった3月以降、多くの会社リストラを行い多くの人がニセコを去った。

自分会社例外でなく、相当数の人間リストラに遭い職を失った。

会社によりリストラ方針は様々で、ある会社会社が存続できる最低人数まで従業員を減らし

需要回復が期待できる来年の冬まで耐える方針だったり、

別の会社では時期をずらして従業員を順番に解雇していき、

失業保険給付が終わったら順次復帰するという手法を取った会社もある。

この後者手法本来なら違法失業給付法律的意義にそぐわない)なのだ

今回は事情事情なだけに、ハローワークは表立って宣言こそしないものの、裏でOKと話がついたようだ。

しかしながらコロナの影響で大きかったのは単に収入的な側面だけでなく、人材面での影響だ。

解雇または退職した人間同時多発した結果、ニセコでは人材の流動化が起きた。

否、流動化といえば聞こえは良いかもしれないが、正確には「人材希薄化」だ。

クオリティ・高価格(1泊100万円も普通である)のホテルの部屋と

アルバイトのような低クオリティスタッフギャップについては前回のダイアリーで指摘したが、

それに益々拍車が掛かっているということである

コロナの影響が続くこの状況下でも、ホテル建設ラッシュは続いている。

理由簡単コロナ前に建設工事請負契約土地売買契約を交わしてしまっており

今更計画を止める事が難しいからだ(多額の違約金の発生等)。

この冬もリッツ・カールトンビレッジというエリアオープンするし、

2025年に完成する花園エリアでの大規模リゾート計画もつい先月発表されている。

その増える一方のリゾートホテルの間で、能力の高い人材の奪い合いが起きている。

経験豊富ホテル全体のマネージメント支配人)ができるような人材は非常に希少で

ヘッドハンティングされていく。

その一方でこのコロナによりこの冬は海外から季節労働者は皆無に等しい。

毎年来日していてニセコでのサービスに慣れている外国人スタッフが今年は来れない。

また日本国内から人材の移動もこの状況下で多いとは言えず

ホテルとも現在ニセコ近辺に在住している人間だけで運営していかなければならない状況だ。

こうして「人材希薄化」が起こる。

昨シーズンまではアルバイトレベルだったかもしれないが、今年はそれすらを超えてもはや素人だ。

経験あるスタッフがどのホテルでも少なく、

今社内にいる人間人材不足のポジションに充てるか、働いてくれる人を頑張って探し雇うしかない。

特にフロントスタッフが各ホテルとも不足している)

クオリティ・高価格なハコと低クオリティスタッフギャップさらに加速するだろう。

なお、今年はコロナインバウンドは期待できないか

高級リゾートホテルに安く泊まれるのではと期待している人も多いだろう。

価格は多少(2~3割)下がってはいるが、残念ながら大幅な値引きにはなりそうにない。

これは今回の本題からは逸れるので詳細を述べるのは避けるが

ニセコホテルほとんどが自社建築ホテルでなく、分譲マンションのように各客室にオーナーがいる為

オーナー意向が最優先され、価格を下げたくても下げれないという事情がある。

何なら維持費が発生するのでこの冬はオープンしなくて良いと言うオーナーも多い。

ただそうすると、運営会社(実際にホテル業務を行っている会社)の経営がもたないので

何とかオーナーを説得して少し安くしてオープンしているという状態である

このような前提条件が揃ったこの冬、

これまで「ドル箱」だったはずの超高級リゾートホテルほど難しい状況になると考えられる。

インバウンドには期待できない、価格も思ったほど下げれない、

客室も「3ベッドルーム」「4ベッドルーム」といった寝室が3つも4つもある海外客向けの造りをしており

日本人旅行スタイルに合わないので日本人富裕層も来てくれない。

海外富裕層は友人や親など3家族、4家族で合計10人といった大人数で長期間宿泊することが多い

余談だが私が知っている一番大きな部屋は5ベッドルーム・3バスルーム(1つの客室内に寝室が5部屋、浴室が3部屋ある))

逆に言うと日本人旅行スタイルに合った小さ目な部屋を持ったリゾートホテルは健闘できる余地がある。

これまでの冬の状況だと、こうしたホテルは大きな売り上げを上げられず「ドル箱」ではなかったが

今年はその立場が逆転する可能性があるわけだ。

前回詳しく述べなかった「バブル崩壊に備え、ニセコの永続的な発展に必要もの」はまさにこれだ。

私は、ニセコの永続的な発展の為にはこのような日本人にも向けられたホテル大事だと思っている。

コロナの影響が続いても、またこの先さらに厳しいバブル崩壊が起きても

永続的に発展できる「構造」がニセコには必要だと思っている。

最後に、北海道新聞社がこのニセコについては力を入れて取材を続けており

地元倶知安支局ニセコの発展した理由分析問題提起をはじめ、

コロナ後の状況についても面白い連載を続けている。

北海道新聞 ニセコのキセキ

https://www.hokkaido-np.co.jp/nisekonokiseki

地元関係者外資系リゾート企業経営者などへのインタビュー積極的に行っていて有益記事が多い一方で

調子の良い不動産業者の言葉を借りた提灯記事散見される(ある程度は仕方ないのかもしれないが)。

北海道新聞には北海道代表するメディアとして、もう一歩深く切り込んで頂き

ただ事実を伝えるだけでなく、また目の前の利益に惑わされることなく、

ニセコの永続的な発展のための提言をお願いしたい。

外資系企業地元住民メディアも、ニセコの永続的な発展について本音意見を出し合う時が来ている。

2020-11-14

anond:20201112181155

私も自分の欲を制御すること覚えたら感情希薄になったわ。とりあえずプロメア薦めておきますね。

2020-11-12

孤独な男女にバー居酒屋のススメ

まさに俺がそうだったんだけど、現代人は孤独に陥りやすい。

特に特定パートナーがいない状態就職転職

新天地に移ったりするといとも簡単孤立する。

仕事と買い出し以外は基本外出せず、たまに一人で

趣味の外出をするが誰とも楽しみを一切共有できず、

鬱屈とした心もちで帰宅する、なんてこともよくある。

大の大人ゼロから友達作るのは割と大変だ。

コミュ障気質人間には殆ど無理と言ってしまっても過言ではない。

在宅勤務も増えて会社員同士での繋がりも希薄化、

オフ会に繋がらないネットでの繋がりは表層的だ。

では、どうすればいいのか。

そこで役に立つのが、昔ながらのバー居酒屋だ。

「今更飲みニケーションで草」と侮るなかれ。

他人と親交を深めるには腹を割る必要がある。

だが、人間ってのは警戒心からそう簡単には腹を割れない。

でも、そこに酒が介在することで人の警戒心は簡単に緩む。

自分も腹を割り、見知らぬ客同士もマスター大将も腹を割る。

酒の勢いを借りて話し込むことで通常とは比べ物にならない

速度で親密になることができる。これはマジ。

2時間同じ席で飲めば知人、2回会えばもう友人だ。

連絡先を交換してもいいし、しなくても良い。

また会いたければ同じ時間帯に店に行けばいい。

今日はこもりたい気分なら店に行かなければいい。

店が合わなければ二度と行かずに他の店へ。

義務じゃないからこっちの都合で決めれるのだ。

一杯だけで帰っても良いし、閉店までズルズル居座っても良い。

こんなに気楽なコミュニケーションスタイルないでしょ。

金はある程度掛かるもしれんが、価格帯やメニュー

精査すればそこまでの浪費には繋がらない。

趣味友が作りたければその趣味モチーフの店に行くか、

事ある毎に自分趣味を吹聴して回れば、そのうち必ず見つかる。

その場で見つからなくても知り合い経由とかでね。

おまけで良縁もあるかもね、なんて話です。

とにかく自分にとっては孤独感の解消にはもってこいでした。

2020-11-09

anond:20201109125821

結局のところさ、殺人犯アニメオタクだった!とか銃乱射犯がFPSミリタリーオタクだった!とかい偏見を煽るゴシップ同類の結びつけ思考してない?

しかも君が通報してた事案とかいうのと制服フェチ趣味者とのつながりはもっと希薄というか思い込みしかないでしょ

他者を悪意的に見て危険視する人たちそれ自体が秩序をひっかき回して崩壊させる危険集団だと俺は思うんだけどな

2020-11-07

anond:20201107154059

モノ化、Sexual objectificationとして確立された学術用語概念があるのに、「そもそも意味希薄」と言われると、そうですか、それはあなた論文学術誌を読まないがためにものを知らないだけですよ、としか返せない

anond:20201107153609

モノ化の定義を拡大希薄化して使っているようだから恋愛結婚風俗も何もかも、相互機能提供することで成り立っている人間社会全体がモノ化ということになって、否定はしないけれど、つまるところ全く意味のない議論ですよね。でもなんでこの流れで風俗だけはモノ化じゃないって帰結になるんでしょうね

という話をしたところ、指摘された点には答えずヒステリーを起こし、恋愛結婚にはめちゃくちゃ否定的だけど唐突風俗だけは持ち上げる、私は女だと聞いてもいないのに2回言った自称女性でした。

anond:20201107153252

https://anond.hatelabo.jp/20201107143638

https://anond.hatelabo.jp/20201107152607

君は、この二つを勝手に同一人物認識してバイアスかかってるね。

https://anond.hatelabo.jp/20201107152607

は①で出た恋愛/風俗の話のうち恋愛の方にしか言及してないし

それ対して「風俗はなんでモノ化じゃないんですかー?」なんて返して無意味よ。

モノ化の意味希薄化して何にでも当てはまるようにしてるというが

モノ化はもともとそのレベル希薄定義だよ。

からモノ化を論拠に使うのは無意味

モノ化=悪みたいな言説は蜃気楼にすぎないという話をしてんのよ

anond:20201107152607

これまた人間とは蛋白質の塊に過ぎない、的な厨二なこと言い出したね。

そのレベルまで「モノ化」の意味を拡大希薄化するなら、人間関係において何かしら意味のある行動を提供したらそれすなわちモノ化ということだろうけれど、であれば

結婚恋愛もモノ化

風俗もモノ化

・この世のありとあらゆる社会行動はモノ化

ということになって、別に否定はしないけど全く意味のない論議だと思う。モノ化の意味を極限まで広げただけだから

でもあなた

結婚恋愛もモノ化

・でも風俗はモノ化じゃない

ってよくわからない結論帰着していて、それについて詳しい説明もなかったから、感覚結論ありきで話している印象を受けたというだけ。

2020-11-02

大企業のDX状況を教えるよ!

大企業に勤めてるよ!

みんな絶対に知ってる日本トップクラスっていうかある意味トップ企業だよ!

もちろんDXをゴリゴリに推進しているし「DX」と名の入った部署まで作って本気だよ!

そんなうちの会社の最新のDX事情を教えてあげるYO

もちろんDaaS

社内システムはもちろんDaaSDesktop As A Service)を使ってるよ!

要するにリモートデスクトップだよ!

社内全員がDaaSを利用するんだけど負荷を抑えるためにWindowsインデックスサーチはOFFにされてるよ!

なのでファイル検索はめちゃくちゃ遅いしOutlookメール検索死ぬほど遅いよ!

おまけに一人あたり20GBの容量しか使えないよ!でも基本的メールのやりとりだからメールだけで使い切るよ!

え?使い切ったらどうするかって?もちろん、古いメールは削除だよ!

なんで20GBしか使えないのか聞いたら、「平均して20GBしか使ってない」んだって

ってことは平均以上の半分の人は見捨てられたんだね!

スマホに入ってるmicroSDですら128GB使えるけどね!

ちなみに不正防止の観点メール等の証跡は全部別のサーバに蓄積されているよ!社員からは見えないけどね!

あと、インデックスサーチOFFにされてるけど、結局はセレロン並の遅さだよ!

ファイル暗号化

ファイルは全部暗号化されているよ!

からUSBで持ち出しても外では開けないよ!セキュアだね!DaaSからUSBさらないけどね!

ちなみに暗号化の解除は社員なら了承無しで誰でもできるよ!不便だもんね!

本当に危ないファイルzipパスワード独自に付ける人が多いよ!

でもほとんどの人が4桁数字しか使わないしzipパスワード付けてるだけだから

困ったときブルートフォースして一瞬で開けるよ!便利だね!

もちろんリモートワーク対応

コロナより前からリモートワークしてたよ!

からリモートワーク環境バッチリ

DaaSにつなぐためにVPNを張るよ!ワンタイムパスワード保護してるからセキュリティバッチリ

ちなみにこのVPNDaaSサーバしか繋げないVPNだよ!

DaaSにはTLSアクセスするんだけど、念の為VPNで更にセキュアにしてるよ!

そのせいでVPN繋ぐとトラフィックがそっちに吸い取られてインターネット通信できないよ!

キーロガー仕込まれてたとしても安心かもね!後で送信されたら一緒だけどね!

ちなみにコロナときVPNへのアクセス集中でみんな仕事できなくなったよ!DaaSは余裕があったけどね!

Web会議バッチリ

社内システムWeb会議システムがあるからリモートでも会議可能だよ!

DaaS上でしか使えないかラグエコーがひどくて結局現地で開催されている会議を聞くだけのツールになってるけどね!

最近流行りの最先端Web会議システムも使うよ!

なぜかZOOMは初期の頃に猛烈な反対にあって使用不可になったけどね!

DaaS上でしか使えないか映像ほとんど無理だし音声もエコーだらけだけどね!

からみんな自分携帯ログインして画面共有のために二重ログインしてるよ!

メールはもちろんPPAP

メール添付ファイル付けるともちろんPPAPパスワードZIP送付、パスワード送付、暗号化プロトコル)してるよ!

しかも送られるのはZIPじゃなくて自己解凍exeだよ!

exe送れないこと多いからex_にしてから送って、受け取り側でexeにして実行してもらうよ!

ZIPソフト無くても解凍できるなんて親切だよね!

4,5年前はこの状態だったけど、これは流石に修正されたのかな?実際に送られたファイルを知らないからわかんないね

標的型メール訓練もバッチリ

最近話題標的型メールへの対策完璧

定期的に訓練が実施されているよ!

「訓練が実施されるのでうっかり開いた人は報告してね」

っていうメールが事前に来るよ!親切だね!

訓練メールはだいたいWorddocファイルが付いていて開封したらHTTPリクエストが飛ぶ仕掛けで開封たかどうかが分かるよ!

ちなみに受け取っただけなら報告はいらないらしいよ!

この時期に本当の標的型メールが来てたらどうするんですか?っていう質問の回答は未だに返ってこないね

周知メールは周知ページへのリンク

社員への周知がある場合は、周知ページへのリンクメールされてくるよ!

たとえどんなに些細な周知(社長挨拶に来ます、とか)でもリンクメールされるよ!

リンクを踏むとIE9が開いて貧相なページが表示されるんだけど、そこにもまだ内容はないよ!

貧相なページの下に更にリンクがあって、Wordファイルダウンロードされるよ!

Wordファイルダウンロードして激重のDaaS開封すると

社長が○月○日に挨拶に来ます

だけ書いてあるよ!

稼働管理の多重化

社員がどれだけ働いてるかの稼働はしっかり管理されてるよ!

勤務表に投入するだけじゃなくて、どういう作業をしたかの稼働までちゃんと入れるよ!

別々のシステムから同じ内容を入れるんだけどね!

毎日15分単位で始業開始時刻と終業時刻と休憩時間を入れるよ!

ちなみに2つのシステム業務時間に誤差があると物凄く怒られるよ!

最近知ったけど日々の業務時刻はどうでもよくて合計しか見てないらしいけどね!

チェックシートエクセルシート

信じられないぐらいチェックシートをたくさん用意して不正防止に努めてるよ!

鉛筆一本買うだけでもとんでもないチェックをしないといけないよ!

チェックが多すぎて誰もチェックしないっていうのが常態化してるよ!

あ、ダブルチェックトリプルチェックは当たり前なので、責任希薄になってやっぱり誰もチェックしないよ!

ちなみに事件は頻繁に起きてるよ!だって、肝心のシステム側がザルだからね!

ペーパーレス

チェックシートは前は紙にサインだったけどペーパーレス化が進んだからPDF保存になったよ!

様式の見た目は印刷物と同じだからすごく入力しにくいけどね!

おまけにファイル暗号化されちゃうので検索で引っかからないよ!

ファイル名で検索するしかいから、ファイル名を間違えてると内容が合ってても後ですごく困るよ!

あと会計に少しでも関わるもの絶対にペーパーレスにならないよ!

領収書原本いらなくなったって何回言っても原本保管から変わってくれないよ!

飛行機領収書とかPDFダウンロードしてきて印刷して保管してるよ!

肝心の半券は不要からやろうと思えばPDFダウンロードした後にキャンセルできるけどね!

パスワードログイン

業務で使うサーバログインするとき共通アカウント共通パスワード常識だよ!

だいたいのパスワードアカウント+1234みたいな感じだよ!

この前、公開鍵設置して秘密鍵ログインしようとしたらなぜか弾かれてて、よく見たらわざわざOFFにしてあったよ!

公開鍵認証の話をしたら「は?なにそれ?」みたいな顔をされたよ!

あ、もちろんパスワードの定期変更は推奨されてるよ!

社内システムも3ヶ月でパスワード変更しないといけないよ!

コミュニケーションツールの導入

なんと今流行りのチャットコミュニケーションツールが導入されたよ!

グループ会社が作った肝入りソフトだよ!

社内のDaaSからアクセスできるけど、社外からアクセスできないほどセキュアだよ!

でもでも、スマホアプリなら社外からでもアクセスできるよ!よくバグで落ちてるけどね!

定期的な人事異動

今のようなことを情シスに言っても何も変わらないよ!だってほとんど素人からね!

3年で人事異動メンバーが入れ替わるから、それまで問題を起こさないために何もしないよ!

おわり

こんな感じでDXを進めてるよ!

もちろん客先では「うちは最先端のDXやってます」って言ってるよ!

胸が痛いね

追記

なんか知らんうちにめっちゃのびててビビってるよ!

フェイクをちょっと混ぜといてよかったよ!本当は「社長挨拶に来る」じゃなくて副社長だよ!

割と酔った勢いで書いたから今読み返したら意味わからんだろう内容があるのはごめんよ!

どこの会社か教えてほしい

教えられるわけないよ!

これDXじゃなくね?

ごめんね!そうだね!ガチDX施策のクソさも書きたいけどさすがに身バレするね!

本当に書きたかったのは社内システムこんなクソなのにもっとDXしよう!って言ってるシュールさと

社外的に「DXしましょう!うちはプロですから!」って言ってるとこだよ!

こんなにいろいろやっててえらい

つぎ足しつぎ足しの秘伝のシステムになってるのが問題だよ!

もはや全部変えると予算がつかないからこんなことになってるよ!

でもたぶん全部MS社にしてOffice 365OneDriveにしたら問題の8割は解決しそうだよ!

付き合わされてる下請けとかかわいそう

この辺のシステム請けてるのがそもそもグループ会社ってのが日本一般的大企業だよ!

そこで働いてる人はおじいちゃんばっかりで若者はみんな派遣だよ!

この辺のシステム最適化されると派遣が切られちゃうから下請けはたぶん喜んでるよ!

おわりのおわり

みんなの会社はこんなにひどくないと信じてるけど

DXとか言うなら社内システムちゃんとしようね!

人差し指タイピングする人(結構多い)にちゃんタイピング教えてあげてね!

2020-10-28

設定の過積載

特にラノベで、設定を盛り込みすぎて、ついていけないことがある。

ファンタジー小説で、架空の国を舞台に、特殊能力やら、制度やらいろいろ盛り込んで、さら主人公能力特別で…

とごちゃごちゃいうのだけれども、話を読んでいるより、ひたすら説明を読んでる感じで楽しくない。

設定が多すぎるのと、尺の都合で到底エピソードで語れないから、文であーだこーだいうしかないのかもしれないけれど、裏付けエピソードがなければ空々しい。

すごいと言われても、実感できず、へぇすごいんだ、それで?としか反応できない。ずっと物語蚊帳の外にいる。

そういうのが好きな人がいるのか、最近ますます増えている。

登場人物心理的葛藤や、キャラクターとのやり取りが好きで読んでた作家さんも、倣ったようにそんなのを書き始めて、案の定好きだった人物描写希薄になり、設定を語るばかりになっている。

この作家さんの本はもういいかな、と思ってしまっている自分がいる。

寂しいし、悲しい。

anond:20201028103458

体制」の話じゃねーよ

自分言及先の増田じゃないけど、理解できる

 

なんで規制されんだってぶーたれているほうが、他人権利理解できていないんだよ

から社会性がないだの常識がないだの言われるんだよ

 

二次元二次元二次元いいますが、お前らがその二次元を持ち込んでいるのは三次元なんだよ

そこを理解できていないか軋轢が起きてるんだよ

ほんっとうに他人存在つーのが希薄だな

2020-10-27

とある腐女子お気持ちレシート

最初に言っておきますが、愚痴というよりは毒吐きです。読む人によっては傷付いたり不快になったりすると思います

ダメージを受ける恐れのある人は、読むのをお控えください。ダメだと思った時点でそっ閉じしてください。責任は取れませんので、マジ自衛してください。

また、面白くもないと思います。日頃のモヤモヤを書き散らしただけです。エスプリも効いてません。読むだけ時間無駄です。

本当に責任取りませんよ?いいですか?



二次創作は全て妄想。だから全て解釈違いで、全てのセリフが『○○はこんなこと言わない』だから」。

と、自分に言い聞かせてまいりましたが、最近限界を感じております

これ、建前じゃね?やっぱり、キャラ像を尊重して描く人と、自分萌えのために歪めても平気な人がいねぇ?

いや、もちろん公式ではデキてないキャラ同士をくっつけて好きだなんだと言わせるワケだから、歪んでるのはお互い様なのかもしれんけども、それは分かってるけども、私の言いたいのはそういう事じゃない。

四角いトマトみたいに、自分萌えの枠にキャラを押し込めて、「確かに赤いしヘタは付いてるけど…」みたいな、これトマト?????ってなるぐらい形の変わったキャラが量産されてない?

特に受け。元のキャラがどんな性格だろうと関係ない。テンプレートのようにすぐ照れて赤面し、可愛らしく恥じらって攻めを拒み、でも嫌よ嫌よも好きのうちっていう、どの界隈に行っても同じ、正に型に嵌めたように改変されてしまう。

ついでに言うと容姿関係なく、原作では特に整った容姿とされていなくても、何故か二次創作では美女扱いで、やたらと同性にモッテモテにされる事も少なくない。渡る世間ホモばかりか。

私は『原作のAとB』が好きで、AとBだからこそのストーリーが読みたいんだけど、みんなはAとBのハリボテだけ流用した少女漫画が読みたいのか?と思ってしまう。

今私の居る界隈の受けは、プライドが高く好戦的で、粗暴で口も汚く、喧嘩っ早くて手やら足やらすぐに出る。非常に男らしい、原作においてはチンピラ扱いのようなキャラである

そんな受けですら、攻めに迫られると、たちまち頬を染めて俯いて顔を逸らし、「いや♡だめ♡恥ずかしい…♡」的なセリフをのたまい、弱々しく腕を突っ張って抵抗(のフリを)し、そうこうしてる内に攻めの手管にメロメロ腰砕けになって流される…みたいな二次創作を、腐るほど見かける。

しろそちらが主流と言っても過言ではないほどであるしかもそれがそれなりに評価もされる。作家同士のおべっかならまだ分かるが、支部コメント欄でも「○○さんのB、めちゃくちゃ可愛いです〜♡」といった反応をよく見かける。

そりゃあ、原作にはBがAに性的に迫られるシーンなど出て来ないのだから、Bの反応は完全に妄想となる。それは分かる。分かっているのだが。

上記の、少女漫画ヒロインのような受け(いや、今どき少女漫画でも、こんな乙女全開のヒロインなんて少ないんじゃないか?知らんけど)の二次創作を読んでも、感想は「誰コレ?」しか出て来ないし、「あなた原作のBを好きになったのではないのですか…?本当にBはこんな反応すると思って描いてますか…?こんなB見たいですか…?あなたの中のBはこんなキャラなんですか…?私と同じ原作読んでますか…?」と小一時間問い詰めたくなる。

それから攻めも。何で二次創作の攻めはあんなに猿みたいに受けの尻の事しか考えてないんだろう…。とにかく所構わずヤりたがる。年中発情期。そりゃエロ需要が高いのは分かるけども、抱きたい=愛情みたいなアピールをしてくる攻めがあまりに多くて、可哀想にすらなってくる。

端的に例えて言うなら、ド○え○んのノビジャイにハマッて支部を漁ってみたら、読む作品読む作品肉食系俺様なノビと泣き虫乙女なジャイ(しかも何でか姉○崎寧○みたいな口調で喋る)ばかりで、しかもそれが持てはやされているぐらいの違和感である

私にとって二次創作は、前提として原作萌えありきで、AとBへの萌えありきで、ゆえにAはAらしく、BはBらしくある事は非常に重要な事である。この「らしく」があくまで私の脳内である事は理解しているが、それにしても同じ作品を読んで同じキャラ萌えたのだから、私以外の腐作家腐読者の脳内でも、根本的には大きくズレてはいない筈だと思っている。思っていた。

しかしあまりにも、あまりにもAとBの容姿と設定だけを拝借した少女漫画が主流過ぎて、分からなくなった。

もちろん、中にはAらしいA・BらしいBを追求して描いておられる(と私は感じる)作家さんも少なくはない。

しかし更に分からないのは、その原作に則ったABを描いておられる作家さんが、ハリボテABを描く作家さんとも交流し、作品を褒め合っている点である

単に雑食でそれはそれとして楽しんでおられるのか、人それぞれだと割り切っておられるのか、描く時の好みと読む時の好みは別の話なのか、心にもないお世辞を平気で言えるコミュ力のある人なのかは分からないが。

私は内心で「誰コレ?」と思いながら「可愛いですー!」なんて言いたくない。「Bはこんな反応しない」と思いながら「キュンキュンしました♡」なんて言いたくない。言えなくはないが言いたくない。お陰様でどんどん孤立しているが、言わない。

だってなのだ。心にもない事なのだ。言う方もだが、言われる方もそれでいいのか?嬉しいか?と思ってしまう。

表面上はそれで交流が広がるかもしれないが、内心では「私にはサッパリ良いと感じない作品を描く人」と思いながら交流を広げて何になるというのだ。いや交流メリットはあるのかもしれないが、果てしなく疲れるその社交辞令に見合うだけの何かがあるのだろうか。

何より、心にもない賛辞で相手を持ち上げるのは、相手に対しても失礼であると私は思う。どうでもいい相手とのどうでもいい場面では幾らでも言えるが(そういう場面では相手もお世辞として受け取るから)、相手尊重するからこそ、私は100%のお世辞は言わない。

自分が言われる側に立ってもそう思うのでそうしている。本当に好きで評価して言ってくれているのか、社交辞令としてお世辞で褒めているのかは、聞いていても何となく分かる。分かってしまう。

いい子いい子はどうでもいい子、というヤツだ。

お高く留まっているという非難は甘んじて受ける。お世辞を言うのが嫌なら、素直に相手尊敬し、本心から褒めればいいのだ。正直、私もそう出来るならそうしたいという気持ちはある。

でも嫌なのだ。出来ないのだ。好きでないものを好ましく感じろと言われても難しいのだ。

私が好きになったAとBからかけ離れているように感じる作品を、それを描く人を、褒める事は出来ない。作品は別として本人を好きになる事は出来るかもしれんが、二次界隈の交流は、作品を褒める事が大前提なので。

からないのは、「何故ハリボテ(に私には見える)作品が主流なのか?」という点。

みんな原作を好きになって原作キャラを好きになって、だからこそ二次創作を始めた筈なのに、いつの間にか二次創作でのキャラ像をこそ好み、持てはやし、蔓延させている点。

中には、原作二次創作は完全に別物と考えて、キャラ崩壊自覚した上で「これが私の作風」とお考えの方もいらっしゃるでしょう。それはそれで分からなくもない。

消化出来ないのは、何の疑問も持たず、『二次創作捏造されたAとB像』に迎合してる方々です。

姿だけ借りた別キャラの話が読みたかったんですか?それ、そのキャラである必要ってありますか?

それとも皆さん、全て見えてて分かった上で楽しんでらっしゃるのかしら。

だとしたら、原作キャラ設定とバックボーンと人気を拝借するだけして、自分萌えに沿うように改変して、キャラ崩壊してでも都合良く動かした作品が描きたいのだとしたら。

それはもうファンアートではないのではないかしら…?原作へのリスペクト希薄すぎやしないかしら…?

キャラ崩壊が凄まじいと、どんなに完成度が高くても、いやむしろレベルが高ければ高いほど、オリジナルでやれば?って思っちゃうです、個人的には。

からといってハリボテ(に私には見える)作品や作者を攻撃しようというつもりはないのです。これでも一応。

結局のところ、作風スタンスも「人それぞれ」って話に落ち着きますし、好きなものを好きなように描くのが二次創作なのだから、それを邪魔するつもりはないです。私には良さが分からないけど評価されてるワケだから需要があるんでしょうし。

ただ、何度も言うように自分マイノリティであると感じるので、言えないんですよ、誰にも。吐き出したかった。

交流が広がらないのは仕方ないので別に構わないんですけど、同じ原作を読んで同じABに沼ってAB界隈に居るハズなのに、何で原作イメージに近いABがマイノリティなのか。ホント意味分かんない…。

一方で、マイノリティながら、同じ苦悩を抱える方も絶対にいらっしゃる筈だという思いもあります

日頃の鬱憤から、諸々オブラートに包めていないと思います。大変失礼致しました。

乱文、最後までお読みくださり、ありがとうございました。

2020-10-16

Googleを超える検索エンジンを作ったので使ってみてほしい

表題の通り、検索エンジンWebアプリ)を作ったので、使ってみて感想を聞かせてほしい、というのが投稿目的だ。

ただ、せっかく増田投稿するのだから制作物の宣伝に終始するのではなく、開発していて考えたことや制作背景を書き添えたいと思う。ここにはエンジニアデザイナー、また技術職でなくてもWebサービスに携わる人、インターネットを使って遊ぶことが好きな人が多いはず。そんな人たちの向けの四方山話として、思考一助となれば幸いだ。

検索エンジンについて

SalonaというGoogleを超える検索エンジンを作った。

https://salona.org

機能を一覧してもらうと分かる通り、Hashcashによって支えられている。後述する課題認識があってもやもやしていたところに、あるキッカケでHashcashを思いつき、それを考えているうちに上記機能実装が思い浮かんだ。

Hashcash.org

http://www.hashcash.org/

(けっこういろいろ応用されていて、ビットコインで使われているだけでも素晴らしい。)

今後追加しようとしている機能

他にこんな機能があったらもっと良さそう、というアイデアがあれば教えてほしい。

開発していて考えたこ

こんな検索エンジンをつくるのだから当然だが、わたしSEOが大嫌いだ。いま、この検索エンジンには毎日何の投稿もされない。DBウォッチしていて、まれ投稿があるとその文書を読み、ノンスの有無について調べ、ハッシュ値を見る。ローンチして4ヶ月が過ぎ、数十件の投稿がされているが、全ての投稿をきちんと読み、そこで語られる内容やハッシュの値について調べている。これがたまらなくつまらなくて、気づくと一月が終わっている。

“一月が終わっている”はさすがに比喩で、サービスデザインを作ったり追加機能設計を考えたりユーザー増加施策を講じたりとしているが、集まってこない投稿を待っていると泣けてくるし、その状況をなんとか好転させるためにと機能改善・追加機能アイデア自然と出てくる。

こういった熱中・没頭状態は、少女時代MVや、自社サービスをやっていたベンチャー企業を横目に昼夜開発に勤しんでいた日々にもあった。好きな分野でものづくりをしていると陥る状態で、経験者も多いと思う。

長いことオープンソース界隈には「普遍的ソフトウェアを作ってスターをもらって社会貢献!」みたいな夢があって、ここ何年かはそれ自体エンジニアリングやデザインを学ぶとき目的と化している人の割合も増えてきた。興味のない分野でも攻略していくこと自体が得意で、淡々技術を学べる人は凄いと思われるが、もしそれが苦手だと感じた人は、諦める前に「好きなもの、作りたいもの」を見つけることをやってみてほしいと思う。

プログラミングスクールに通うにしても、作りたいものがあるとないとでは大きく違う。もちろん、どうしたら何が作れるのかという知識がなければイメージもわかないかもしれないが、その場合は何かを解決したいとか便利にしたいという思いを持っているだけでもいい。特にこれから時代は具体的な技術習得よりもそういった見聞を広めることが、何より開発を楽しいと思える素地になると思われる。

開発背景(このプロダクトをつくった理由

わたしGoogleを利用しており、本当に膨大な情報を探すことができるようになったが、その反面、SEOスパムが少なかった時代と比べると、Google検索結果に対して深い信頼を抱くことがなくなってしまったなあと感じるようになっていた。検索で出てくるページが、宣伝という存在の域を出ず、自分の役に立ってくれない。検索をしているが、虚構を消費しているだけのような気がして、真実自分の間の関係希薄になりつつある気がしている。これはロボット型検索エンジン限界によるものなのか、Googleの加齢による革新性の低下なのか判断がつかないが、前者が理由仮定して作ってみたのが今作だ。

検索で出てきた結果について、自分投票のノンスを計算する費用を掛けること。投稿自身投票でアップボートされていく様子は、平成時代ビットコインの上昇を眺めていたときを思い出す。Googleを「たくさんのゴミ出会空間」とするならば、Salonaは「出会った情報の中から気に入った情報を連れてきて、褒めて伸ばす空間」と位置付けることができる。この二つの営みは最初共存し、SalonaがシームレスGoogleに置き換わっていくことで人間情報関係を良好にしていくはずだと考えている。

最後

法人主体がないとプレスリリースに制約が発生することを知らなかった(社会で使われているようなプレスリリースサービスを利用しようとしたら、まともな人格がないと無理だった)。仕方なく幾つかのメディアに直接プレスリリースメールで送ってみたけれど、当然のごとく梨のつぶてだ。つまり現状は利用者が誰もおらず、その状況を打破したくて増田投稿してみたという次第だ。この文章SEO嫌いの人たちに届くことを願っている。

2020-10-13

anond:20201012221218

勝手想像して現行機とか言ってる

「今飛んでる日本気象衛星」(引用ママ)の話なんだぞ?

今飛んでる気象衛星が現行機じゃないとか「今」の定義から始めさせたいのか?

研究所設立きっかけに~~日本学術会議は関わっている.

に対しては1つ前の投稿

君は「日本学術会議が要望した共同研究所の後進であるNASDAが受けたGARPの一つである気象衛星が8代世代交代した現行機が存在稼働するのは日本学術会議のおかげである」と言っている~~桶屋が儲かるよりかはマシというだけの論理

で既に返しただろ。

そもそも1万歩譲って現行機でなく50年くらい前から気象衛星運用利用計画自体が話の焦点だったとしても

 「日本学術会議が要望した共同研究所の後進であるNASDAが受けたGARPの一つである気象衛星の””運用現在まで””存在稼働するのは日本学術会議のおかげである

となるだけで、上記引用の指摘から逃れられないだろ。

「おかげ」に俺はNOと言ってるわけだから因果関係がないまたは希薄だと指摘していると考えるべき。

そして桶屋が~の話から分かる通り俺は因果関係希薄だと指摘している。だから君は反駁で「因果関係が強固だ」と主張すればいいだけ。

因果関係が強固である証拠としては、直接的な因果関係が認められること(間接×5の原因より間接×2の原因の方がより直接的で強固)複数の接点をもつこと(当然これもより多い接点をもてばより強固)のどちらかまたは両方。

こんなことすらできず分からず問いもしないで他人レッテルを貼るなんて全く呆れかえる限り。

2020-10-11

追記あり音楽情報の共有サービスを作ったので使ってみてほしい

表題の通り、WebサービスiOSアプリ)を作ったので、使ってみて感想を聞かせてほしい、というのが投稿目的だ。

ただ、せっかく増田投稿するのだから制作物の宣伝に終始するのではなく、開発していて考えたことや制作背景を書き添えたいと思う。ここにはエンジニアデザイナー、また技術職でなくてもWebサービスに携わる人、インターネットを使って遊ぶことが好きな人が多いはず。そんな人たちの向けの四方山話として、思考一助となれば幸いだ。

サービスについて

Chooningという音楽情報の共有サービスを作った。

https://chooning.app/ja/


機能を一覧してもらうと分かる通り、Spotify APIによって支えられている。後述する課題認識があってもやもやしていたところに、あるキッカケでAPI Referenceを目にし、それを読んでいるうちに上記機能実装が思い浮かんだ。

Web API Reference | Spotify

https://developer.spotify.com/documentation/web-api/reference/

(けっこういろいろ公開されていて、コンソールから叩いているだけでも楽しい。)

今後追加しようとしている機能

他にこんな機能があったらもっと楽しめそう、というアイデアがあれば教えてほしい。

開発していて考えたこ

こんなサービスをつくるのだから当然だが、ぼくは音楽が大好きだ。いま、このサービスには毎日何かしらの投稿がされる。DBウォッチしていて、投稿があるとその曲を聴き、アーティストについて調べ、MVを見る。ローンチして3週間が過ぎ、数千件の投稿がされているが、全ての投稿をきちんと読み、そこで語られる音楽や界隈の文化について調べている。これがたまらなく楽しくて、気づくと一日が終わっている。

“一日が終わっている”はさすがに比喩で、サービスデザインを作ったり追加機能設計を考えたりユーザー増加施策を講じたりとしているが、集まってくる投稿を読んでいると時間が溶けてくし、その体験を更に充実させるためにと機能改善・追加機能アイデア自然と出てくる。

こういった熱中・没頭状態は、大学時代学祭や、自社サービスをやっていたベンチャー企業に飛び込んで昼夜開発に勤しんでいた日々にもあった。好きな分野でものづくりをしていると陥る状態で、経験者も多いと思う。

長いことスタートアップ界隈には「流行りそうなWebサービスを作ってバイアウトして一攫千金!」みたいな夢があって、ここ何年かはそれ自体エンジニアリングやデザインを学ぶとき目的と化している人の割合も増えてきた。ぼく自身がそういったモチベーション新人の育成にあたったこともある。自分にはそういった風潮が合わず、うまくやってこれなかったという引け目がある。興味のない分野でも攻略していくこと自体が得意で、淡々技術を学べる人は凄いと思うが、もし自分と同じようにそれが苦手だと感じた人は、諦める前に「好きなもの、作りたいもの」を見つけることをやってみてほしいと思う。

プログラミングスクールに通うにしても、作りたいものがあるとないとでは大きく違う。もちろん、どうしたら何が作れるのかという知識がなければイメージもわかないかもしれないが、その場合は何かを解決したいとか便利にしたいという思いを持っているだけでもいい。特に学生時代は具体的な技術習得よりもそういった見聞を広めることが、何より開発を楽しいと思える素地になると思う。

開発背景(このプロダクトをつくった理由

ぼくはSpotifyを利用しており、本当に膨大な音楽聴くことができるようになったが、その反面、CDを買って(レンタルして)きていた時代と比べると、楽曲アルバムに対して深い感情を抱くことがなくなってしまったなあと感じるようになっていた。部屋で聴いている音楽が、データという存在の域を出ず、自分の部屋に入ってきてくれない。音楽を聴いているが、素早く消費しているだけのような気がして、曲と自分の間の関係希薄になりつつある気がしている。これはストリーミングサービスの利用によるものなのか、加齢による感受性の低下なのか判断がつかないが、前者が理由仮定して作ってみたのが今作だ。

ストリーミングで聴いた音楽について、自分の思いや感想を書き起こす時間を設けること。投稿自身タイムラインコレクションされていく様子は、高校時代に部屋の棚にCDを飾っていたときを思い出す。Spotifyを「たくさんの音楽出会空間」とするならば、Chooningは「出会った音楽の中から気に入った音楽を連れてきて、改めて向き合う空間」と位置付けることができる。この二つの営みは共存し、互いに影響し合うことで人間音楽関係を良好にしていくはずだと考えている。

最後

法人主体がないとプレスリリースに制約が発生することを知らなかった(会社で使っているようなプレスリリースサービスを利用しようとしたら、法人格がないと無理だった)。仕方なく幾つかのメディアに直接プレスリリースメールで送ってみたけれど、当然のごとく梨のつぶてだ。つまり現状は利用者が友人の友人くらいの域を出ず、その状況を打破したくて増田投稿してみたという次第だ。この文章音楽好きの人たちに届くことを願っている。

追記(2020/10/11 23:22)

コメントトラバありがとうございました。レスに関してnote公開しましたm(_ _)m

https://note.com/chooning/n/n60a8c345dda7

2020-10-07

天才が見たい 1/2

幼いころの記憶は、2歳ぐらいから残っている。初めて乗った三輪車、初めていった遊園地でのヒーローショー、流行に乗って買ってもらったローラースケートファミリーコンピュータ。皆覚えている。

幼稚園の頃には、既に自分他者とは異なる存在であることを認識していた。

幼稚園でやることは何もかもが退屈だった。何度同じことを教えてもらっても文字を読めない、たとえひらがなであっても自分名前を書けない。そんな同い年の園児達に辟易していたし、先生の言うことも最終的に言いたい・結論の読める、そんな通り一辺倒の話しばかりで、毎朝幼稚園に通うバスに乗る時には苦痛を感じていた。

ある日、そんな苦痛の発生源から「近所の公園落ち葉拾いをして、その落ち葉ちぎり絵を作りましょう!」と言われた。他の園児たちは落ち葉をかなり細かくちぎって、造形でギリギリ判別できるかどうかの「おさかなさん!」「おはな!」「おかあさん!」といったの作品を作って先生に持って行っていたが、俺は「いやいや、落ち葉で作るんだから落ち葉である事を活かせよ」と思い、少し捻くれた形をしたカエデ落ち葉を1枚と、他にも大量の落ち葉を拾って、「人喰いおおかみをやっつけた人が、その証としておおかみの右手バイクに積んで村に戻っているところ」という作品を作った。

作ったちぎり絵先生に見せた時、「これは・・・バイク・・・・・・手?」という反応をされたので、それは人の手では無く、怖くて悪い人喰い狼だと説明した。その際に俺は「これは他の人間にも説明必要だな」と何故かひとり勝手確信し、画用紙に黒のクレヨン物語を描き始めた。最初は延々と文字だけで説明していたが、文字だけだと寂しいので、余白に挿絵もつけた。

「悪くて怖い人喰い狼が現れて困っている村人たちのところに、腕利きの猟師がやって来て・・・」という、何とも陳腐な筋書きではあるが、画用紙を10枚以上使ったと記憶している。

俺のちぎり絵物語幼稚園話題になり、その年のお遊戯発表会の題材にもなった。先生は「やっぱり主役の猟師役は増田君がやるべき」と言ってくれたが、主役はガキ大将のS君に決まった。かけっこなどの身体を使う類いのことはからっきしだったので、俺はそれで良いと思った。

発表会は結構うまくいったようで、いつの間にか俺の「作品」達は、「画用紙に書いた物語と一緒に区役所に飾ろう」という話まで出て来ていた。

その事で幼稚園側と区役所側の担当者が何度か話し合いを持ったようだが、結局絵だけ飾る事になった。


区役所に絵を飾る事になるまでの一連の話を幼稚園から説明された両親は、たいそう喜んでくれた。

両親は平凡だった。見合い結婚し、中庸であることを良しとし、毎日を善良に暮らし、一人息子である俺にもしっかりと愛情を注いでくれる。そんな両親だった。

ただ、そんな両親が、幼稚園側が区役所絵画の話を交えつつ、「増田君は本当に優秀です。才能があります小学校は是非とも私立を考えられては・・・?」と強く推した途端、「いえ、結構です。ウチは公立小学校に行かせます」と、頑として譲らなかった。理由はわからない。金銭的な問題だったのかもしれないし、中庸を良しとする生き方に反していると考えたからかも知れない。

俺は単に「人間関係をリセットして、見知らぬ土地でまたイチからやり直すのは苦痛である」などとぼんやり考えており、小学校地元公立のほうが良いように思えた。

幼稚園の中に友達と呼べるような存在はいなかったと思うし、毎朝の通園バス苦痛ではあったが、それでも何とか周囲の人間為人を把握して対応方法ほぼほぼ確立していた矢先の話だった。小学校とやらに行く事になれば、公立でも私立でも「周囲の人間の数」は増えるのだろうが、私立ゼロから再構築するよりは公立のほうが幾分マシだろうと思っていた俺は、そのように両親に伝えた。


両親と俺の希望が一致していたので、当然小学校地元公立小学校入学することになった。

小学校に入っても、特に自身の変化はなかった。小学校に入ると本格的に「勉強」というカリキュラムがはじまったが、先生が言っている事を聞いて、板書をして、家に帰ってから宿題を済ませた後に復習・予習をしていれば、テストの点数は取れた。

この頃になると、自分状態客観的に捉えた上で、自身についての考察ができるようになっていた。

俺は結論として、「俺は天才である」と考えた。井の中の蛙どころの騒ぎではない。加えて、空の青さも知らないとなればもはや滑稽を通り越して害悪であるが、俺の周囲には俺より優れた学力を持つ者も、俺を諫めようとする者もいなかった。

言い訳がましいが、物差しが少ない小学生の時分である。「学力」という物差ししか持っていなかった俺は増長し、慢心し、周囲を哄笑した。将来は俺のような人間が、東京大学のような「賢い一流の大学」に入って、「でっかい一流の会社」に入社して、いずれは社長になって世の中を動かしていくと、本気で思っていた。

何より、公立小学校毎日がヒマだった。普段から見下している同級生とは、恐ろしいぐらいに会話がかみ合わなかった。俺にコミュニケーションスキルがあれば、「会話をあわせに行く」「自分の会話ができる場を作る」といった芸当も可能だったかも知れないが、ご多分に漏れず俺はコミュ障だったし、そもそも会話を合わせるという発想もなかった。

「名のある企業に入れる」「いずれは社長になる」などと思いこんでいるような人間コミュ障というのは、その時点でもう既に色々と破綻しているような気がしないでもない。

ともあれ、この頃の俺は毎日退屈な授業とかみ合わない会話をする為だけに、日帰りの監獄に通っていた。全国の小学生がこの地獄を味わっているとするなら、文部省は滅ぼさなければならないと本気で思っていた。その為に文部省に入って俺がこの国を変えてやるんだと、鼻息けが荒い小学生だったと思う。


─────「良い会社」に入るには「良い大学」に行かないといけないらしい。

─────日本一大学東京大学というところらしいが、真の天才であるならば京都大学に行くらしい。


そんな情報を入手したのは、忘れもしない、小学4年生の秋頃であるいかにも小学生摂取しそうな、狭い世界のテキトーな話である。だが俺は何故か純真無垢にその与太話を信じた。つまり、「将来は絶対京都大学に入ろう」と思った。

そこから俺は色々と京都大学情報収集しはじめた。「学部」など、小学生の俺の辞書には登録されていない概念に触れる度に興奮しつつ、どうやったら京都大学に入れるのか?という情報を求めて方々に聞いて回った。まず一番初めに、俺にとってもっとも身近な「大人である両親に「どうやったら京大に入れるのか?」と尋ねたところ、「知らん」と言われて会話を打ち切られてしまった。仕方なく学校先生などに尋ねたりしていたが、小学生調査能力などたかが知れており、当時はまだインターネットなども普及していなかったので、俺の京都大学情報収集はかなり早い段階で終止符を打たれることになってしまった。

しかし、京都大学に入れたとしても、大学入学までは今からでも約8年かかる。京都大学に入る方法とは別に、一刻も早くこの日帰り監獄から抜け出す方法はないもの・・・模索していたところ、どうやら「私立中学」というところに通えば俺の退屈な生活におさらばできるようだという情報を得た。

日帰り監獄の看守たる先生も、たいそう熱心に「増田君は灘中学東大寺学園に行かせるべきです。」と言ってくれた。特に小学6年生時の担当看守だったK先生は熱心で、何度も両親と懇談して、俺を私立に行かせようとしてくれた。

だが、ここでも両親は「ウチはあまり裕福ではなくて・・・。本人は成績も良いので、公立中学から北野高校にでも行ってくれたらいいと思っておりまして・・・。」と、俺を私立中学に進学させることは明確に拒否した。

看守は

給付型の奨学金制度などもある」

経済的に難しいと思っておられるなら、公立中学以下、なんなら増田君の学力ならおそらく無料で通える」

増田君には質の高い教育を受ける権利がある」

などと食い下がったが、両親は「もう公立に決めてますので・・・」と固辞した。

この頃になると、小学生の俺でもさすがに両親の言動に疑問を覚えるようになった。両親は「経済的に困窮しているか私立は行けない」の一点張りだったが、看守は「困窮していても通えます」という。イヤさすがにそれはちょっとヘンだろ、矛盾してるだろと思っていたが、当時の俺はそこまで頑なな両親を説き伏せてまで日帰り監獄から抜け出したいとまでの強い意志は持ちえなかったし、天才秀才・英傑達と机を並べて学びたいという願望も希薄だったし、それらの一連の俺の態度が招くであろう結果も、特に深くは考えてはいなかった。


当時の両親の真意が奈辺にあったのか、今となっては分からない。草葉の陰から、声は聞こえない。


そうして地元公立中学校に入学した俺は、特に変わり映えのしない日帰り監獄生活を送っていた。そんな俺だったが、中学生活の半ばに差し掛かろうという頃・・・具体的に言うと全国模試を受けたあたりで、「んん?あれ?・・・どうも俺って天才じゃないな、これは・・・」と薄々感づき始めた。全国模試偏差値が出るからである

そりゃもちろん、俺の偏差値は全国平均より遥か上には位置しているのだが、自分なりに努力をしてみても、偏差値的に灘高校にも東大寺学園高等部にも届かないという事実を突きつけられた。これは結構俺にとってはショックで、小学校の頃は「余裕で入れる」と言われた灘にも東大寺にも入れないという事実は俺に重くのしかかった。「このレベル高校が無理なら、こりゃ京大東大なんて夢のまた夢だろ、どうしよう・・・俺の人生、どうなるんだろう」と、本気で思い悩んだ。

悩みぬいた俺は中学2年の夏、両親に「塾に行きたい」と言ってみた。しかし結果はやはりというか順当というか、頑強に拒まれた。曰く

「成績がいいのに何故」

「塾はお金がかかる」

「家でも勉強はできる」

などなど、様々な言葉で塾に通うことを拒否された。

小学生の頃の俺なら諦めていただろうが、中学生になっていた俺は己の目標を達成する為に食い下がった。模試の結果を伝え、行きたい大学がある事、だが自分の今の成績ではそこに至ることができない事、自宅での自己学習には限界がある事などを説明した。

また、塾が無理なら定性的定量的評価可能代替案の提示をせまった。塾の代金は高校に行ったら必ずバイトして返す、なんなら今から新聞配達をして払うと、土下座までして塾に行かせてくれとせがんだ。

結局、中学3年の春から、塾に行く事を許してくれた。

半年ほど前に未亡人となった母はなんだかやつれて見えたが、当時の俺は塾に行けることが嬉しくて嬉しくてしょうがなくって、あまり母親のことを注意深く見ることはできなかった。今思えば、当時の母は様々な事に疲れ切って倦んでいたのだと思う。塾に行く許可も、根負けというよりかは思考放棄といったように俺には映った。

そんな母を尻目に意気揚々進学塾に入った俺は、成績順のクラス分けで上から2番目のクラスに入れられた。正直、体が震えた。自分よりはるか勉強ができる人間が、天才が、焦がれる存在が、今まさにすぐひとつ上のクラスにいるとリアルに感じられるのである。そして、その人間たちと同じ程度の授業を、自分も受けることができるのである。これがアニメだったら俄然燃えるBGMが聞こえてくるようだった。実際、あの時の俺には、何かが聴こえていたのだろう。俺は一心不乱に机に噛り付いた。机に歯形があるんじゃないのってぐらいには噛り付いていたと思う。

その甲斐あってか、入塾後すぐのクラス替えで、あっさりと一番上のクラスになれた。ここで俺は生まれて初めて、圧倒的な勉学の才能をもった人間、すなわち「天才」と直に出会った。それも一人や二人ではない。そんな輝ける才能がひとつ教室に雨後のタケノコのようにポコポコ存在している、そんな環境で学べるという喜びにも出会った。

毎日がただ楽しかった。自分天才ではないのかも知れないけど、努力すればちゃん数字が、成績がついてきてくれた。

幼少の頃、毎朝幼稚園に行くバスの中で感じていた苦痛や、小学生の頃に感じていた疎外感は、もう無かった。


高校公立北野高校というところに入った。維新橋下弁護士とか、日本マクドナルド創業者藤田田ふじたた、ではなく、ふじた・でん)とか、漫画家岡田あーみんとかが通っていた高校である

本当は東大寺学園に行きたかった。学力模試偏差値は足りていたと思う。赤本自己採点でも余裕で合格圏内だった。だが、中学3年時に入塾した際に母親と交わした「高校絶対公立高校にする事」という約束を守った。その約束をした時点では「受験までにどうやって説得するか・・・」などと考えたりもしていたが、塾での公立中学では考えられない授業スピードについていけたことや、並み居る才能たちと交わした会話の中で、「公立高校からでも京都大学は狙える」という感触を、俺は確かに掴んでいた。

中学の頃はあまりよく理解していなかった奨学金制度は、高校に入ると同時に申請した。家計理由に俺の私立進学を拒んだ母親は、中学時代に俺の奨学金申請していないこともその時に知った。俺はそんな母親を信用せず、奨学金申請手続きを自分自身で済ませた。

北野高校の授業の質は高いと思った。だが俺は油断せず、予備校にも通うことにした。私立中学入学組の連中は、少なくても俺より3年は早く走り出している。そいつらに追い付くには、そいつらと同等、いやそれ以上の勉強必要であると思ったからだ。

俺は詐欺師丸出しの口調で「高校学費が浮いたんだから、もともと払うつもりだった学費予備校に回してほしい。予備校バイトを完全両立させるのは時間的に難しい。学力的に、俺は中学までの借金がある状態プラスに転じるには積み上げるしかない」などと母親に申し入れたところ、すんなりと受け入れられた。

この頃になると、奨学金申請だけでなく、家の中の一通りの事は全て俺がやっていた。

自分でできるようになったから」というのももちろん理由としてはあるが、母親が炊事・選択家事全般を筆頭に、日常生活の様々な事をほぼ全て放棄してしまっている事のほうが、より比重の大きい理由だった。母親予備校行きを認めたのも、「認めた」というよりは「俺が『予備校に行きますよ』と報告した」といった表現のほうが正しいように思う。

俺が小学生中学生の頃には確かに存在していた、「理由なぞはよくわからないがとにかく自己の主張を持って論陣を張る頑強な”母”たる人間」は、もういなかった。朝起きて、TVをつけて、ご飯を食べて、夜眠るだけの人間がそこにはいた。

家計ほぼほぼ俺が全部見ていた。入ってくるカネと出ていくカネを計算して大幅なマイナスにならないと言う事だけを気にしていたので、一般的家計管理よりはラクだった。現に、今つけている家計簿よりは簡単だったように思う。父親の遺した資産が多少あったので、その管理も俺がしていた。

高校生活は楽しかった。学力差のある人間を十把一絡げにして地域ごとに押し込める日帰り監獄では味わえない切磋琢磨がそこにはあった。同程度の学力を持つ者同士が集まった結果としてのシナジーがあった。今までは暗い色で塗りつぶされていた「学校での生活」に色が付き始めた。毎日学校に行く事が楽しかった。対照的に、毎日家に帰るのが億劫になり、やがてそれは苦痛に変わり、それに伴い、家の中が暗い色で塗り潰されていった。

昔、母を名乗っていた人間は炊事もしないので、学校帰りは毎日スーパーに寄り、食材を買い、俺が晩ご飯を作った。予備校のない日は二人で食事をするようにしていたが、食事中に会話のようなものはなく、TVから流れるバラエティー番組の下らないやりとりだけがBGMだった。ご飯の味はしなかった。たぶん、母だった人も、ご飯の味はしていなかったと思う。


しかすると、家から目を逸らそうとして、無理に高校での生活が輝いていたんだ、良かったんだと自分自身に言い聞かせているだけなのかも知れない。我が事ながら、この頃の記憶は妙に混濁している。

大学入試は当然のように京都大学一本にした。学力模試結果も問題無いと判断したし、何より俺には京都大学以外の大学に通う価値を見出せなかった。入学できるまでは何浪でもするつもりだったが、幸いにも現役で合格することができた。

大学合格したこときっかけに、京都に引っ越す事にした。

ひとり身になったから身軽だったし、しばらく大阪から京都大学に通ってみたものの、さすがに京都の外れまで毎日通うのはちょっと辛いなと思った。何より、暗い色で塗り潰された、大阪のあの家に帰るのは嫌だった。もうTVの音は聞こえなくなったけど、あの家で目をつぶって眠るのが、怖かった。

大阪での様々な残務を片付けると、それらの結果や、これからの事、感謝気持ちなどを両親の墓前に報告して、俺は京都に移り住んだ。


後編に続く

anond:20201007170042

2020-10-04

anond:20201004222336

別に退職しようが可愛い我が子の面倒見られるなら良くない?

子供居りゃママ友出来て社会との繋がりが希薄になる訳でもなし

あっちもこっちもなんてそりゃ贅沢な願いだよ。

二人目いつ妊娠すんだかも分からないしそんな奴戦力になるかよ

2020-10-03

専業主婦/夫は寄生虫

世代より圧倒的に稼げる30代である

稼げると言っても、ただの労働者からサラリーちょっとマシってだけのアッパードルの域を出ないわけだが。

人より稼げるわけだから、人よりいいとこに住むわけじゃん。通勤やす暮らしやすちょっとお高いとこに。

で、車とか家具とかこだわるわけよ。学生の頃のどこまでもチャリで行く、ニトリの安物に囲まれ生活とは違うのよ。

でも所詮ただのサラリーマンなわけで、周りより稼ぐには周りより働かなきゃいけないわけ。激務の犠牲の上にある高給なわけ。

からいくら金があっても使い道がない。趣味バカスカ使えれば幸せなんだろうが、忙しくて趣味ももう疎遠になっちまったし。で、家具とか車とかぐらしか金をかけるとこがないわけよ。あっ、歯列矯正はしたな。まあ、そのぐらい。

あー毎日何のために働いてんのかな、とか虚しくなるんだよ。駐車場に止めっぱなしの外車とか、素敵な家具に囲まれてぐったり寝るだけの休日とか、広くて素敵だけど使われることのないキッチンとか、何のために集めたんだろって。

レベルを上げて上げて上げて、コツコツステータス値を増やしていって、やっとこさ年収いくらに届いて気づくのは、別に高いマンション外車地位ステータスもなにも求めてなかった自分なんだよ。

大学入って一人暮らしを始めたときピークだった。あんときに欲しかったもの全部が手に入っちゃったんだよな。自由時間自由お金、それだけで充分だった。

ともかくステータスを上げるために結婚した。スタンプラリーみたいに、全部集めれば上がりで幸せになれると思っていたから。

配偶者、顔よし稼ぎよし育ちよし。申し分ない。配偶者のことは愛している。この人以上に愛せる相手はいない。でも、顔を合わせる時間はほぼない。まず休みが合わないし、出勤時間も異なる。あちらは日も昇らないうちに出かけるし、帰りも遅い。喧嘩はないし仲も良好だが、関係希薄からそうなっているだけなのではないかとと時々思う。ぶつかり合うこともない、ぶつかれるほどそばにいない、そんな関係なのではないかと疑ってしまう。これでは何のために一緒に暮らしてるのかわからない。一緒に高い家賃を払うため?ほとんど居ない部屋の?などと考えると虚しくなる。

家事折半だが、お互い忙しいからあまりしない。洗濯クリーニングに出すし、食事弁当デリこちらが自炊するときは米刺身味噌汁、あちらがするときパスタラーメンうどん掃除はお互い綺麗好きじゃないのでほとんどしない。月に一度掃除機をかけるかかけないか。髪の毛は落ちてるし埃はつもってるが気にはならない。

丁寧な暮らしには程遠い、雑な生活だ。タイムイズマネーだというなら、確実にうちの夫婦は貧しい夫婦だ。雑で散らかった貧しい暮らしをしている。

実家暮らしていた頃はそうではなかった。専業主婦の母が家を快適にキーピングしていたし、稼ぎはそう多くないぶん時間のある父がそれを手伝い、自分は両親によく構われて育った。思えばあれが自分にとっての幸せ原風景だったのだ。

結婚を前提にした恋人を探していたあのとき、なんとなく周りの風潮に飲まれて「専業主○はないよな」「寄○虫だし」と思い込み、がっつり働きがっつり稼ぐ相手を選んでしまった。配偶者恋人としては最高の相手で、夫婦になる相手とても申し分ないが、結婚生活は望んでいたものとは全く異なる。もしかしたら、自分幸福に本当に必要だったのは寄生虫の方だったのではないだろうか。寄生虫がかえって体内環境を整えてくれたりするじゃん?アレ。アレが必要だったんじゃないか

他の人にとってはどうかわからないが、自分は養う相手がいたほうがきっと仕事意味を見出せる。誰かの為に何かするの自分結構好きだ。

配偶者の傷一つない素晴らしいキャリアを今更邪魔するわけにもいかない。誇りと情熱を持って働く仕事が生きがいの人なのだ。専業になって欲しいなら初めから稼がない人間を選ぶべきだった。とはいえ離婚したいわけではない。働く配偶者は素敵で愛おしい。

から今更どうってことないのだ。金もある地位もある結婚もした、でも1番欲しいのは時間だった。

いっそ自分仕事をやめて専業になろうかとも思った。一度「やめちゃおうかな。そしたら家事もできるよ」と冗談めかして言ってみたところ「えー!?いいの!?大歓迎!」と言われたことがある。たぶんあの調子なら許してくれるだろう。

が、かつて自分が人に同調して吐いた言葉寄生虫」がリフレインして踏み出せない。かつて友人と言い合った「自分が身を粉にして働いてる時に家にいる奴ってどうよ?」とか「経済的依存するってありえないわ寄生虫じゃん」だとかの言葉が今尚自分を縛り付けている。過去自分矛盾するのが恥ずかしいし、仕事を辞めるのも恥ずかしい。他人否定することが自分可能性を狭めるだなんてだれも教えちゃくれなかった。

デカダンス︰2020夏アニメ

https://anond.hatelabo.jp/20201001112504

ネタバレ厳禁な方は途中まで読んで)

「いい作品だったんだけどなんというか大絶賛とは言い難いんだよな」っていう感想が多く見られた。そうなんだよな。結末としてこれはこれである程度納得がいくけど。毎話の引きというのは素晴らしかったものの、初期に与えられた大きなワクワク感がどんどん薄れてしまった。

ここまでメッタメタネガティブ評価を出しているわけだけど、総合評価としては私の中ではポイントが高い。

という人にはオススメできる。ID:INVADED とかダーリンインザフランキス(初めの方のみ)が好きな人には特にオススメできるかもしれない。あとは 彼方のアストラ とか?まぁとりあえず観よう。

そういえば、ID:INVADED は今作品同様、アニメオリジナル作品だけど続編として漫画が連載されている。いやーこれがとても面白い漫画キャラクター原案小玉有起担当しているのでクオリティが高い。あまり漫画を読むことがないので分からないけど、心が砕ける描写が斬新で好き。

作画が凄い。(ネタバレというほどではないけど多少注意)

もっと観たい方は デカダンス公式 Twitter を漁ってみれば多分見つかる。

https://twitter.com/Jijasd/status/1290631825115815937

https://twitter.com/Hiromatsu1988/status/1308454013793304576

https://twitter.com/_bbwb_/status/1293444092282667008

Twitter をあまり使わないのでどの程度一般化しているかからないけど、アニメーターが自分アカウント原画を公開したりすることが多くなったね。いいよね。

(ここからネタバレあり)

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いい作品なんだけど、ここを改善してくれたらもっと良かったのかなぁと思うところ。

GGS を起動する訳だけど、あん設備簡単に全てのガドル殲滅できるんかい!二人で一斉のせいでスイッチ押すんかい

監視社会と見せかけておいて結構ガバガバシステムにとってサイボーグ人権もクソもないような扱いなのに、プライベートルームがあったりする。システムカブラギに世界行方を委ねるのは好き。

初めの頃は考察厨向けなアニメかと思われたけど終わってみれば勢いで押し切る系アニメだった。勢いで押し切る系としては惹きつけ方は凄いうまかった。

これは尺の都合もあるが、色々なキャラが出てくるが彼らの過去について語られることはなく視聴者想像に委ねられることが多い。ミナトとカブラギのアレコレ♂とかクレナイやサルコジ、ジルの昔話とか、とても興味がある。スピンオフ欲しいよぉ。

ドルバグパイプ本来ドルは無畜であり普通動物のようなものであるという説明のために使われたキャラであるが、普通に GGS を起動したら消滅してしまった。超巨大化してガドルをぶっ倒すとかそんなんなかった。パイプタンカーの街を散策するショートストーリーとか欲しい。

リンメイめっちゃ好きなのにあまり出番がなかった。;;

変わりたい人と変わりたくない人の対比は素晴らしくキレイだった。ドナテロターキー

サイボーグ ギア かの力。サイボーグの一部はギアとしてデカダンスログインして(少数はタンカーに混じっていたりする)いて、大部分はかの力という戦闘集団に属している。かの力はギアが大部分を占めるが少数のタンカーも在籍している。サイボーグも流し見している視聴者だとあんまり理解していなさそう。

よかった点。

作画キレイだし動きはアクロバティックで非常に惹きつけるものがある。背景も凄い。夕焼けを反射するデカダンス。かっこいい。最近アニメって線は細く、エフェクトゴリゴリが主流っぽい?けど、この作品重厚感があるよね。いい感じの言葉が見つからないや。

ナツメカブラギは本当に適役だったし、他の声優も素晴らしかった。「前頭葉回路にクソでも詰まっているんじゃないですかね」というジルの演技好き。

実態不明だけど地球にはデカダンス以外に5つの会社があるんだよね。昔地球が滅びたんだよね。過去に何があったのか、現在の状況はどうなっているのか知りたい。

感想

普通作画カトゥーン調の作画を融合させる良い試みだった。カトゥーン調でなければ描写が難しい場面もあったが、カトゥーン調のおかげでシリアスに寄りすぎずコメディ感をもって楽しむことができた。戦闘シーンは宙を移動しつつ攻撃するというもので斬新なものを観せてもらった。「生きる世界自分で決める」という軸は作品を通してブレることなく貫いていた。最後まで足掻いて勝ち取る。諦めない精神を与えてくれた。これから製作者たちの作品を観ていきたい。本当にありがとう

2020-10-01

anond:20200930151357

研究するために研究室に行っていないから、人間関係希薄さや教授後輩との板挟みな状況に心が揺らいでしまうのではないでしょうか。

2020-09-30

理系大学院生研究イヤイヤ期

24歳、修士2年である

就活も終わって論文も書いたのにまだ修論研究を続けている。

でも最近になって急激に研究がイヤになった。

正確にいえば研究室に行きたくない

ラボ内の希薄人間関係教授と後輩の板挟み、実験失敗の不安・・・

別に今に始まったことじゃないのに、今はとにかくやる気が出ない。

同級生は心身を病んで休養中、学部生4年の後輩(研究者志望)も「今は研究をやりたくない」って言ってたし、秋は「研究イヤイヤ」の季節なのだろうか。

あーあ、早く就職したいなあ。

いいまわしをひとつかえただけで、離婚危機を脱した

ちょっと大げさかもしれないし、あくまうちら夫婦に限った話かもしれないけど、割と目からウロコな話だったので聞いてくれ。

結論を先に書くと、「してもいい?」という言葉を「したい」に変えたということ。

同じと思うかもしれないけど、結婚して10年、前者はいつも使っていたけど、後者を使うことは多分一度もなかった。

その歪みが積もり積もって夫婦関係を冷ややかなものにしてしまっていた。

なぜ「してもいい?」という言葉を使っていたのかと言われれば、夫婦とは二人いて初めて意味のあるもので、何かしらの決定は常にお互いの承諾が必要だと考えていたからだ。

おそらく、その考え自体は間違ってないと思う。

しかし、その承諾を得る方法として、自分が選んだのは「してもいい?」という問いかけだった。

この言葉は、一見自分要望を丁寧に伝えているだけの言葉とも取れる。少なくとも自分はそのつもりで使い続けていた。

ところが、この言葉にはうっかり見落としてしまうような落とし穴があった。

それは、自分要望に対する責任相手依存してしまっているという点だ。

例えば、「今日の帰りに飲み会に行ってもいい?」と聞くとする。

少し難しい話をすると、これに対して「いいよ」と答えれば、それは”承諾”だけではなく”許可”が行われたことになる。

同じと感じるかもしれないが、大きな違いとして承諾ではなく許可をした以上は、飲み会に行っことに不満を持つわけにはいかないし、後になって飲み会に行ったことを咎められれば、聞いた側も「許可を得たのにどうして?」となってしまう違いがある。

さらに言えば、許可を求められた側は断ることに対してほんの少しの罪悪感を消費する。(もちろん相手が思いやりのある人だという前提で。)

このほんの少しの罪悪感が、10年も経てば積もり積もって離婚の原因となるほどの大きな歪みに十分なり得るのだ。

それならば、これが「今日の帰り飲み会に行きたい」という投げかけになればどうだろう。

そこには返答に対する責任存在せず、行きたければいけ、その代わりどうなっても自分責任を持てよということになる。

ここに一方的依存はなく、たとえ嫌な反応を示そうとも、それは素直な感情表現しかなく、罪悪感の歪みが生じることもない。

それどころか、受け入れれば相手に対してもポジティブな貸しをつくることもできるのだ。(もちろん自分が身勝手ではないとした上で。)

まり、「してもいい?」の問いかけは受け入れて当然、断れば罪悪感が残り、「したい」という問いかけは、断ろうが勝手、受け入れれば相手への貸しを一つ作ることができるという大きな違いがあるのだ。

同じ承諾をするにしても、片やリスク、片やメリットがあるという大きな隔たりがそこにはあった。

これは承諾を得る側にも言える。

「してもいい?」という問いかけは比較リスクが低く断られてもダメージが少ない一方で、「したい」という問いかけは一方的要望押し付けることになるので、承諾を得られたときに相応の報酬を与えなければならない。

まりある意味では相手良心の呵責に問いかけるようなずるい言い回しとも言えるのだ。

これだけでは離婚危機だなんて大げさかと思うかもしれない。

しかし、夫婦間での歪みはすでに危険レベルにまで達していたのは事実だ。

こうしたやり取りを繰り返していくうちに、妻は断る自分ばかりが罪悪感を感じていることに馬鹿らしさを感じるようになった。

その結果、妻はこちから提案に対して、冷たくそっけなく返事をするようになる。

それに対して自分の受け取り方はこうだ。

こちらは相手の顔色を伺って平身低頭お願いをしているのに、それを聞こうともせず冷たくあしらうとはどういうことだ。

事実、こうしたいらだちがお互いに溜まりに溜まって、結婚10年目にしてはじめて食卓がひっくり返るような喧嘩をした。

その後一週間、子供の前以外では全く口を聞くことすらなかった。

昨日今日始まったことではない問題根深さは理解していたので、もしかするとこのまま決別ということもあり得るかもしれないと、割と本気で考えるほどだった。

気軽に言っているわけではない。今までさんざんお土産を買ったり、喜ぶようなことをしたり、事あるごとにありがとう言葉を返したり、できる先回りして家事をやっつけたりと手を変え品を変え関係改善に努めてきたつもりだったのに、その結果がこうなのだからもう改善余地はないのではないかという絶望すら感じていた。

しかし、今回こうして感情的にお互いの気持をぶつけてみて、現状に対する認識に対してズレがあると感じたのも事実だ。

ならばそのズレの原因、認知の歪みはどうして発生してしまったのだろうか。

そんなことを口を利かない一週間の間にずっと考えてみた。

実を言うと、先日話題になった依存症の漫画を読んだことが一番のきっかけだったのだけど、そこで改めて”Iメッセージ”とは何かを考えたときに、自分の使っていた「してもいい?」は、実は”Iメッセージ”ではなかったのではないかという疑問に行き着いた結果、言い回しを変えてみたらどうだろうということになった。

発信は確かに”I”にあるのだが、決済責任が”I”にはない、あっても希薄だということに気づいたのだ。

それならば、ストレート要望を伝える言葉を選んでみたらどうだろう。

最初は、これすらも冷たくあしらわれたらどうしようと不安だったけど、いざ「~したい」と、自分要望を言い切りで伝えてみたところ、妻は一瞬はっとしたような顔をしてからむしろとても嬉しそうに快諾してくれた。

なんだ。こんな簡単なことだったのか。

そう思うと、ほっとしたのと同時に、久しぶりの妻の笑顔が見られたことが嬉しくて涙が止まらなくなってしまった。

まともに喋れる状況ではなかったけど、そこではじめて妻に謝ることが出来た。

「今までごめん。多分、僕の要望の伝え方はずるかったよね。窮屈な思いをさせてごめんね。」

多分、そんなようなことを言葉になるかならないかギリギリのところで話をしたと思う。

恐る恐る妻の顔を見ると、微笑みつつも瞳から大粒の涙をこぼしながら突然強く抱きしめてきた。

実は、妻からもそうしたストレート要望を聞いたことがなかった。

それも妻の遠慮がちな性格がそうさせていたのだと思うと、妻にもつらい思いをさせていたのだろうと悔やんだ。

これからはお互いを信用して、自分要望に対して素直に相手に伝えあえるようになろう。

そんな提案をすると、妻はとてもうれしそうに、恥ずかしそうにうなずいた。

ここから確証がもてないのだけど、おそらく、どちらかに偏ってしまたことに問題があったのだと思う。

自分の素直な要望は素直に伝えるべきだし、もしかして相手を傷つけてしまうかもしれないようなことは「~してもいい?」と相手の考えを口にできるきっかけを作り出すことが必要なのだと思う。

あんまり上手に説明できてないかもしれないけど、もしどちらかに偏ることで大切にしたい人との距離感がギクシャクしてしまっている人がいるなら、何かの足しになればと思い文字を起こしてみました。

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