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2024-01-11

「地下のナマズが暴れると地震が起きる」説はいつごろ廃れたのか、について調べていた

おおよその流れは掴めてきたので一旦ここにまとめる

結論から言うと、明治元年1868年)ごろから急速に地震信仰は失われたと思われる

天保元年ごろ(1830年ごろ)

高野長英蘭学者

『泰西地震説』を執筆

オランダ辞典をもとに、地震がなぜ起きるかを科学的に説明した内容を翻訳した

安政元年(1854年

安政の大地震

鯰絵が大流行した

しかし「鯰絵が流行した=民衆地震の原因を鯰だと信じていた」と等号で結んでいいのか?という点はちょっと怪しいと思っているのだが……

というのも江戸時代末期の時点で、江戸の町民はお化け妖怪実在をどうやらあまり信じていなかったように資料を見ていると思えてくる

お化け妖怪実在を信じない人が地下の大鯰を信じるというのは不自然に思える……という感覚21世紀に生きる人間感覚だろうか

『泰西地震説』が世に出ておおよそ20年後出来事

『泰西地震説』は学者が読むような専門書で、一般民衆にはあまりまれなかったのだろうか?

江戸時代にもいくらかは民衆が読むような蘭学書が流通していたようなのだが、地震の原因を科学的に解説するようなものはなかったのだろうか?

当時は陰陽五行思想を信じる人が多かったはずなのだが、この思想では地震をどのように説明している?

ここは特に追加調査必要

鯰絵について語られた本でKindleで買えるものが無いため、追加調査図書館本屋資料を入手してからになる

明治元年1868年

小幡篤次郎、後の慶應義塾長、『学問のすゝめ』を福澤諭吉と共著した人物

天変地異』を執筆

小学校教科書にもなった本

雷、地震彗星、虹といった自然現象に科学解説を行った本

地震原理について、『泰西地震説』で解説された内容とだいたい同じ説明がされている

こういう本をわざわざ出版する必要があったということは、これに書かれた知識は当時広く知られていなかった……とみることができるか

明治元年でいきなりこんな教科書を出すとは正直驚きを感じる

西欧に追いつこうという強い意欲が見える気がする

明治初期の就学率は今と比べると低くはあるが、この本によって一部の若者に対して啓蒙が行われた

これによって明治に生きた若者地震鯰を迷信と見なすようになったのであろう

明治に書かれたエッセイ新聞記事を探したい

「私の父は地震鯰のような俗説を信じていてやれやれだ」みたいな記述がこの時代にもし存在すれば嬉しいのだが……

また、教科書ではなく大人が読むような啓蒙本はどのようなものがあったのだろうか?

追加調査必要

民俗学方面からばかり攻めていたが、明治維新に関する読み物を探すのもありか?

明治13年(1880年

横浜地震

M5.5程度で揺れはそこまで大きくなかったようだ

この地震体験したジョン・ミルンというイギリス人地震研究に関心を持ち日本地震学会を創設した

明治24年(1891年

濃尾地震

安政の大地震以来の巨大地震という言及が当時の新聞にある

科学者が地震調査のため派遣された、のような記事新聞に載っている

大正12年1923年

関東大震災

このときいくらかは鯰絵が描かれたようだ

ただ「鯰絵が描かれた=民衆地震の原因を鯰だと信じていた」にはならないだろう

大正15年(1926年

井上江花、新聞記者

『江花叢書』第1巻

当時のエッセイ的な読み物

関東大震災に対する四方山話からの流れで「地震と大鯰」という題が名付けられた項がある

一部引用する

鯰説の根拠は物識りに聴かなければ確かとしたことは分らぬけれども、志那傅來であることだけは疑ひもない。大地の下には大鯰が生棲して、平生は辛抱強くじつとして動かぬけれども、どうかした拍子に其の尾鰭を動かすと大地が震動するのであると云ふので、我邦では正直に之れを信じ、

「正直に之れを信じ」という表現から、今は信じる人はいないというニュアンスを読み取る

1926年時点で安政の大地震はおおよそ70年前くらいか

「おじいちゃん子どもの頃は地震の原因は鯰だと思っていてね」と語る人がいてもおかしくない年数だ

科学とか西欧合理主義流行った結果、地震信仰のような俗説が廃れたんだろうなあ

ひと段落したら明治大正を生き延びた俗説で何か面白いものがないか調べてみたい

あと、柳田國男著作をまだどれも読んでいない

先に読んだ方が民俗学視点が備わって調査の全体の見通しがたつかもしれない

日記

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明治時代より前の時期の日本において、「なぜ地震は起きるのか?」のような原理の解明を目指した学者がどうにも見つからない

あるいは調べ方が悪いのか……

幕末日本人は地震ナマズを信じていなかった、ではいつ頃まで信じられていたのか?

あるいは最初からモノの喩えだと認識していたのか?

もしそうだとすると「地震の原因がナマズというのは俗説だ。本当はこのようなメカニズムだ」という探求が行われていてもいいではないか

そういった研究痕跡を見つけることができない

見つけることができない以上、ナマズ説を信じていたのかもしれないと消極的にだが認識せざるをえない

儒教においては「陰だか陽だかの気が地面から噴き出る時に地面が揺れる」のような説明がされているらしい

日本儒学者はそれを信じていた?だとすると江戸民衆のその説をどの程度認知していた?

あるいは「ナマズが原因ってことはないだろうけど、本当の原因が何かと聞かれると分からんなあ。詳しいことは学者先生に聞いてくれ」というスタンスが大多数か

日本人の宇宙観を調べた時にも思ったが、当時の天文方観測と暦の作成にばかり注力していて「なぜ?」という問いを立てない

調べることだらけだ、学生の頃に日本史や世界史選択しておけばよかった

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施政者が失政すると地震が起きる」みたいな思想もある

また、火山雷雨地震の3つセットを司る龍神がいるという信仰もある

ナマズじゃなくても結局別の信仰になってしま

ナマズが俗説ってそういうこと?

まり俗説でない主流の説は鹿島神だとか龍神に原因を求める?

この観点でも調査

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本屋に行ったが鯰絵関係の本が一冊もなく購入できなかった

しかし『陰陽五行日本民俗』という本を購入

陰陽五行について何も知らないに等しいので勉強しなければ

しか本来本業に関する勉強をして給料を増やす努力をすべきなのだろうが、仕事関係ない本ばかり買って読んでしま

悲しいね

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トラバブコメにあまり反応しないようにしているのだが(そこそこの確率不毛なので)、今回は必要を感じた

鯰絵はアマビエブームと近いものを感じるという意見には強く同感

ただ、いろんな本や資料に「昔の日本人は本気で地下にいるナマズ地震の原因だと信じていました」と書かれているんだよな……

これに強い疑いを抱く

しかし、アマチュアの私が思いつくようなことをプロ研究家が思いついていないわけがない……

なにか根拠があるはずと信じる

あと、この日記以外に書いている場所はない

清書の予定は……調査がひと段落したときにあるいはありえるかもしれない

追加調査資料入手待ちとか頓挫とか色々な理由でできていないことが多い

追加調査の結果を追記しようとすると買った本の内容丸写しみたいになりかねず、倫理的にどうなの?という気分を拭えず自分の中だけで調べた結果を味わうこともそこそこある

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先行研究

記録表現にみる中世日本の地震認識

ナマズ地震が紐づけられる以前の地震認識

断層沿いに立地する神社とその周辺環境に関する研究

近世地震認識記述がある!これをベースに調べるのが最善か

江戸時代の宗教観と芸能の盛行

幕末明治海外の人から見た日本人の宗教観記載がある

神や仏に敬虔祈りを捧げない一方で迷信深い、この点は現代日本と地続きに感じる

この庶民信仰の深部に最も接近した欧米人は、明治来日したアメリカ女性教育者アリスベーコンであろう。彼女は「村を見おろしている岩の頂上は天狗が作った」。「天狗はもうこの森から去って今はいない」。さきほど「山の神様の使いである大きな黒蛇が、いましがた、ここを通った」と説明する陽気な老女に接し、「神秘不可思議事物に対する彼女のかたい信念は、かしこい人々はとっくに脱ぎすてているものだけれど」、「すべての自然が深遠な神秘に包まれている文化のありかたへの共感私たちの心に湧きあがらせてくれた」と表した。

考えてみれば迷信深いお婆さんは昔は迷信深い若き女性だったかもしれないわけで、幕末だとその考えがスタンダードだった可能性があるわけだ

この引用箇所は別の文献から孫引きになるのでこういうことするのは本当はよくないのだが……

該当箇所は『逝きし世の面影』という本から引用……kindleあるじゃないか、買います

これを書いた渡辺京二という方の著作はすべて読んでもいいかもしれない

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現代を生きる信心深いキリスト教徒にとって「神は実在する」と「妖精/人魚/ドラゴン実在しない」の考えは矛盾なく両立するのではないか

(「実在」という言葉定義をしっかり言語化しないととまずい気配を感じる……)

同様に幕末江戸町民にとっても「神/仏/龍神/大鯰は実在する」と「妖怪/お化け実在しない」の考えは矛盾なく両立する可能性がある

ここらへんは本当に現代日本パラダイムに考えが支配された人間にとって想像しにくい領域

2022-01-15

anond:20211228114738

それそもそも勉強の本ちゃうよ。大人勉強なんかするわけないか四方山話努力家っぽくみえそうなタイトルつけて売り込む一般書籍

 

本気で勉強したけりゃ大学教科書買えや

2020-10-16

Googleを超える検索エンジンを作ったので使ってみてほしい

表題の通り、検索エンジンWebアプリ)を作ったので、使ってみて感想を聞かせてほしい、というのが投稿目的だ。

ただ、せっかく増田投稿するのだから制作物の宣伝に終始するのではなく、開発していて考えたことや制作背景を書き添えたいと思う。ここにはエンジニアデザイナー、また技術職でなくてもWebサービスに携わる人、インターネットを使って遊ぶことが好きな人が多いはず。そんな人たちの向けの四方山話として、思考一助となれば幸いだ。

検索エンジンについて

SalonaというGoogleを超える検索エンジンを作った。

https://salona.org

機能を一覧してもらうと分かる通り、Hashcashによって支えられている。後述する課題認識があってもやもやしていたところに、あるキッカケでHashcashを思いつき、それを考えているうちに上記機能実装が思い浮かんだ。

Hashcash.org

http://www.hashcash.org/

(けっこういろいろ応用されていて、ビットコインで使われているだけでも素晴らしい。)

今後追加しようとしている機能

他にこんな機能があったらもっと良さそう、というアイデアがあれば教えてほしい。

開発していて考えたこ

こんな検索エンジンをつくるのだから当然だが、わたしSEOが大嫌いだ。いま、この検索エンジンには毎日何の投稿もされない。DBウォッチしていて、まれ投稿があるとその文書を読み、ノンスの有無について調べ、ハッシュ値を見る。ローンチして4ヶ月が過ぎ、数十件の投稿がされているが、全ての投稿をきちんと読み、そこで語られる内容やハッシュの値について調べている。これがたまらなくつまらなくて、気づくと一月が終わっている。

“一月が終わっている”はさすがに比喩で、サービスデザインを作ったり追加機能設計を考えたりユーザー増加施策を講じたりとしているが、集まってこない投稿を待っていると泣けてくるし、その状況をなんとか好転させるためにと機能改善・追加機能アイデア自然と出てくる。

こういった熱中・没頭状態は、少女時代MVや、自社サービスをやっていたベンチャー企業を横目に昼夜開発に勤しんでいた日々にもあった。好きな分野でものづくりをしていると陥る状態で、経験者も多いと思う。

長いことオープンソース界隈には「普遍的ソフトウェアを作ってスターをもらって社会貢献!」みたいな夢があって、ここ何年かはそれ自体エンジニアリングやデザインを学ぶとき目的と化している人の割合も増えてきた。興味のない分野でも攻略していくこと自体が得意で、淡々技術を学べる人は凄いと思われるが、もしそれが苦手だと感じた人は、諦める前に「好きなもの、作りたいもの」を見つけることをやってみてほしいと思う。

プログラミングスクールに通うにしても、作りたいものがあるとないとでは大きく違う。もちろん、どうしたら何が作れるのかという知識がなければイメージもわかないかもしれないが、その場合は何かを解決したいとか便利にしたいという思いを持っているだけでもいい。特にこれから時代は具体的な技術習得よりもそういった見聞を広めることが、何より開発を楽しいと思える素地になると思われる。

開発背景(このプロダクトをつくった理由

わたしGoogleを利用しており、本当に膨大な情報を探すことができるようになったが、その反面、SEOスパムが少なかった時代と比べると、Google検索結果に対して深い信頼を抱くことがなくなってしまったなあと感じるようになっていた。検索で出てくるページが、宣伝という存在の域を出ず、自分の役に立ってくれない。検索をしているが、虚構を消費しているだけのような気がして、真実自分の間の関係希薄になりつつある気がしている。これはロボット型検索エンジン限界によるものなのか、Googleの加齢による革新性の低下なのか判断がつかないが、前者が理由仮定して作ってみたのが今作だ。

検索で出てきた結果について、自分投票のノンスを計算する費用を掛けること。投稿自身投票でアップボートされていく様子は、平成時代ビットコインの上昇を眺めていたときを思い出す。Googleを「たくさんのゴミ出会空間」とするならば、Salonaは「出会った情報の中から気に入った情報を連れてきて、褒めて伸ばす空間」と位置付けることができる。この二つの営みは最初共存し、SalonaがシームレスGoogleに置き換わっていくことで人間情報関係を良好にしていくはずだと考えている。

最後

法人主体がないとプレスリリースに制約が発生することを知らなかった(社会で使われているようなプレスリリースサービスを利用しようとしたら、まともな人格がないと無理だった)。仕方なく幾つかのメディアに直接プレスリリースメールで送ってみたけれど、当然のごとく梨のつぶてだ。つまり現状は利用者が誰もおらず、その状況を打破したくて増田投稿してみたという次第だ。この文章SEO嫌いの人たちに届くことを願っている。

2020-10-11

追記あり音楽情報の共有サービスを作ったので使ってみてほしい

表題の通り、WebサービスiOSアプリ)を作ったので、使ってみて感想を聞かせてほしい、というのが投稿目的だ。

ただ、せっかく増田投稿するのだから制作物の宣伝に終始するのではなく、開発していて考えたことや制作背景を書き添えたいと思う。ここにはエンジニアデザイナー、また技術職でなくてもWebサービスに携わる人、インターネットを使って遊ぶことが好きな人が多いはず。そんな人たちの向けの四方山話として、思考一助となれば幸いだ。

サービスについて

Chooningという音楽情報の共有サービスを作った。

https://chooning.app/ja/


機能を一覧してもらうと分かる通り、Spotify APIによって支えられている。後述する課題認識があってもやもやしていたところに、あるキッカケでAPI Referenceを目にし、それを読んでいるうちに上記機能実装が思い浮かんだ。

Web API Reference | Spotify

https://developer.spotify.com/documentation/web-api/reference/

(けっこういろいろ公開されていて、コンソールから叩いているだけでも楽しい。)

今後追加しようとしている機能

他にこんな機能があったらもっと楽しめそう、というアイデアがあれば教えてほしい。

開発していて考えたこ

こんなサービスをつくるのだから当然だが、ぼくは音楽が大好きだ。いま、このサービスには毎日何かしらの投稿がされる。DBウォッチしていて、投稿があるとその曲を聴き、アーティストについて調べ、MVを見る。ローンチして3週間が過ぎ、数千件の投稿がされているが、全ての投稿をきちんと読み、そこで語られる音楽や界隈の文化について調べている。これがたまらなく楽しくて、気づくと一日が終わっている。

“一日が終わっている”はさすがに比喩で、サービスデザインを作ったり追加機能設計を考えたりユーザー増加施策を講じたりとしているが、集まってくる投稿を読んでいると時間が溶けてくし、その体験を更に充実させるためにと機能改善・追加機能アイデア自然と出てくる。

こういった熱中・没頭状態は、大学時代学祭や、自社サービスをやっていたベンチャー企業に飛び込んで昼夜開発に勤しんでいた日々にもあった。好きな分野でものづくりをしていると陥る状態で、経験者も多いと思う。

長いことスタートアップ界隈には「流行りそうなWebサービスを作ってバイアウトして一攫千金!」みたいな夢があって、ここ何年かはそれ自体エンジニアリングやデザインを学ぶとき目的と化している人の割合も増えてきた。ぼく自身がそういったモチベーション新人の育成にあたったこともある。自分にはそういった風潮が合わず、うまくやってこれなかったという引け目がある。興味のない分野でも攻略していくこと自体が得意で、淡々技術を学べる人は凄いと思うが、もし自分と同じようにそれが苦手だと感じた人は、諦める前に「好きなもの、作りたいもの」を見つけることをやってみてほしいと思う。

プログラミングスクールに通うにしても、作りたいものがあるとないとでは大きく違う。もちろん、どうしたら何が作れるのかという知識がなければイメージもわかないかもしれないが、その場合は何かを解決したいとか便利にしたいという思いを持っているだけでもいい。特に学生時代は具体的な技術習得よりもそういった見聞を広めることが、何より開発を楽しいと思える素地になると思う。

開発背景(このプロダクトをつくった理由

ぼくはSpotifyを利用しており、本当に膨大な音楽聴くことができるようになったが、その反面、CDを買って(レンタルして)きていた時代と比べると、楽曲アルバムに対して深い感情を抱くことがなくなってしまったなあと感じるようになっていた。部屋で聴いている音楽が、データという存在の域を出ず、自分の部屋に入ってきてくれない。音楽を聴いているが、素早く消費しているだけのような気がして、曲と自分の間の関係希薄になりつつある気がしている。これはストリーミングサービスの利用によるものなのか、加齢による感受性の低下なのか判断がつかないが、前者が理由仮定して作ってみたのが今作だ。

ストリーミングで聴いた音楽について、自分の思いや感想を書き起こす時間を設けること。投稿自身タイムラインコレクションされていく様子は、高校時代に部屋の棚にCDを飾っていたときを思い出す。Spotifyを「たくさんの音楽出会空間」とするならば、Chooningは「出会った音楽の中から気に入った音楽を連れてきて、改めて向き合う空間」と位置付けることができる。この二つの営みは共存し、互いに影響し合うことで人間音楽関係を良好にしていくはずだと考えている。

最後

法人主体がないとプレスリリースに制約が発生することを知らなかった(会社で使っているようなプレスリリースサービスを利用しようとしたら、法人格がないと無理だった)。仕方なく幾つかのメディアに直接プレスリリースメールで送ってみたけれど、当然のごとく梨のつぶてだ。つまり現状は利用者が友人の友人くらいの域を出ず、その状況を打破したくて増田投稿してみたという次第だ。この文章音楽好きの人たちに届くことを願っている。

追記(2020/10/11 23:22)

コメントトラバありがとうございました。レスに関してnote公開しましたm(_ _)m

https://note.com/chooning/n/n60a8c345dda7

2020-04-04

数学楽しい

元々数学は苦手だった。小学校算数はそれなりだったけど、中学生になってからつまづいた。

から高校1年の頃には文系クラスへの進級を決めた。

で、高校2年の頃、微分最初に学ぶ時に数学担任がこう言った。

文系クラスへの進級を決めたやつは微分なんて理解しなくていいぞ。理系に進学するやつでも分からないやつがいるんだから

これについイラっとした。なので、その日一日中数学2の教科書をずっと睨んだ。

それで、なんか分かった。限りなく小さくても0じゃない世界。そして積分はそれを無限に積み重ねていくこと。

なんかびっくりして、それがきっかけの一つになって理転した。

予備校では変な数学先生に当たって、ひたすら記述式の勉強をした。先生とした数学四方山話結構しかった。

大学数学もっとしかった。大学はいろいろあって勉強に身が入らず、フーリエ変換とか微分方程式とかよく分からないまま卒業してしまった。

で、卒業してから10年、数学には全くといいほど触れてこなかったけど(競技プログラミング問題で式変形が必要な時に頑張るくらい)、昨日のニュースを聞いて数学雑学本を買ってそれに載ってる証明とかを書き写したりしている。

久々の数学楽しい特に証明は、自分直感的に思っていることを説明するのではなく、何も分かっていないイマジナリー自分に段階を踏みつつなるべく短くものごとを納得させる作業だと思っていて、何を示したら疑い深いイマジナリー自分ものごとを納得するのか考えるのが楽しい

これから高校数学を復習して、それから大学数学をやり直したい。

2020-01-26

自慰のあと涙が止まらなくなる

とても気持ちの悪い文章だと、自分で読んで思った。ごめんなさい。

普通会社で平凡に働いてる女で、会社の同僚とこうなるとは当時思ってもいなかった。

お互いの酒好きで飲みに行くようになり、だらだらと仕事生活四方山話をする頻度が上がり、一緒のベッドで寝るようになるのはそんなに時間がかからなかった。

部屋で酒を飲み、お互いの好きな音楽PVを流し、アイスを食べたり食べさせたりしながら、くっつく。そして、セックスをする。

寝落ちた真夜中に、頭を撫でて顔を眺める時間が好きだった。

時折、眠ってる最中に手をつないで抱きしめてくるのが、温かくて愛らしかった。

いや、本当のところは綺麗な話ではなかった。

そんな大それた話でもないけれども、私がすでに結婚しており、こうすべきではない。とお互いに何度もやめようとした。

性欲を好きという言葉で包み込み合って後悔し、彼から時折拒まれ、私は連絡を止め、それぞれの日々を歩んでいた。何度もやめようとした。

はなはだしくも、また一緒にいることを選んでしまう。優しい地獄で、当事者しかからない謎の終わらなさがあった。

泥沼につかってる感覚が心地よかった。

裏切った人々への申し訳無さを考えると、口をつぐみたくなるものの、それを超えて求めてしま関係性がそこにあった。

時間が経って、勤務場所が変わり、会うことはなくなった。

大体こうなることは予想がついていたからの関係だったとも言える。

自慰するたびに、肉体が気持ちよくなるその瞬間に、最後に彼とセックスしたときの顔、涙の溜まった目、背中の汗を鮮明に思い出す。

頭が真っ白になった中で、涙が止まらなくて、ずっと泣いてしまう。

2018-06-07

マイセルフ場合 anond:20180607021006

昼つ方には全国的展開なる便利屋なるものに赴きたるに、店の主人と数十分間四方山話を致し、

店内を闊歩我が懐と我が胃袋と相談しつつ購入物を思案する。本日は濃厚なる希臘風発酵乳伯剌西爾

産出珈琲豆の珈琲赤茄子搭載伊太利風比蓙なり。

2018-04-04

ヘルス嬢に興味を持った part3

anond:20180403135725 の続き。

で、翌日夜に会うことになった。この日はセクキャバ店が定休日なので、同伴が伴わない店外。前回と同じように食事と飲みを済ませ、その後は近くの公園のベンチで四方山話住宅地の夜の公園なので周りには誰も居なかった。

公園で話はじめて20分くらいして、嬢が少し思い詰めた顔で言ってきた。

「もう店辞めて完全に上がるの。(中略)だからお小遣い、もらえませんか…?」

P(パパ活のパパのこと)の要請、きたああああああ…!

全く予想外では無かった。前日の嬢のツイッターで、セクキャバ店をもうすぐ辞めると書いてあり、嬢は風俗世界から足を洗うことを決めていた。

嬢は昼の仕事を持っているので無収入になるわけではなく、かつ旦那とのダブルインカムになるので、一見収入面の不安はなさそうである。が、それでも収入激減はするので、風俗から足を洗おうとしている人が、収入の激変緩和のためにしばらくPを持つケースがあり、そのP役には風俗時代の本指名客がなることが多いことを、増田はこの一年の間に知識として得ていたのだ。

予想外では無かったが、回答は用意してなかった。もし嬢が前回同様に終始何も言って来なかったら、別れ際に「結婚おめでとう。実は1年前から正体知ってたよ。知らん振りしてごめんね」と言い残して消えるつもりだったが、その手が使いづらくなった。

回答に悩んだ。今後も長続き出来る関係でないことは明白だ。増田今日を以て関係を断ち切る気で会いにきた。しかし、相手側は関係継続を望んでいる。

断ってその場を立ち去るという選択肢もあった。が、嬢は過去関係を断ち切られたホストのことをこれまで何人もツイッターLINEのやりとりと共に暴露し、その度にホストの在籍店の売上に影響が出るレベルで火をつけてきた人だ。増田ホストではなく客側だが、嬢は気に入らない指名客とのLINEのやりとりも暴露してきた。ここで選択肢を間違えたら自分炎上する番だ。どうすれば、あと腐れなく清算出来るか…?

15分くらい悩んだ。その間も「店の女の子でいたほうが良かった…?」「一緒に居て嫌な人ならこんなお願いしないから」とか、いろいろ言ってくる。

そして、結論が出た。増田はこの言葉から始めた。

あなた結婚したんでしょ?」

小遣い出すのは良い。だが、今までの「何も知らないことになっているお客さん」というステータスを破棄することを条件にした。嘘だとわかっている「破綻した演技」を見聞き続けながら無駄に金を出し続けるなんてのは許さない。あなたの本当の姿を見せてくれ、と。

勿論、最初は嬢はしらばっくれた。

しかし、増田ツイッター風俗アカウントと某掲示板の個スレを1年以上前から見ていたこと、その情報を元に嬢のツイッタープライベートアカウント特定していること、そのアカウント入籍前後名前苗字部分が変わっていること、その時期を境に嬢のLINEアカウント苗字名前から名前だけになったこと、個スレを見るきっかけになった風俗ネット界隈の有名人名前を出したこと

そして、この2回目の店外の数日前から三日に亘り、不自然LINE連絡が途絶えていて、その後「忙しすぎて…」とLINEが来たこと。その三日の間に嬢が挙式を挙げていたためだが(嬢のプライベートアカウントに載せた挙式写真が某匿名掲示板転載されていた)、その前日まで、彼女毎日何度もLINEを送ってきていて、途絶える前日には「明日から連休からいっぱい寝るー」とLINEを送ってきていた。もう破綻して見てられない。

さらに、左手薬指の指輪。一回目店外の前にセクキャバ同伴した時は同じ指輪右手側にあったが、一回目店外から左手に移行し、この日も左手側だった。

彼女は元々はセクがつかないキャバ嬢だった。しかし売れずに、風俗に活路を求めた過去がある。その売れないキャバ嬢典型的パターンであるロジック破綻した色恋営業」を増田は一連の調査のおかげで見抜いていて冷めた目で見ていたこと、そして有事の際に不貞持ち掛け疑惑をかけられたくないから、増田起点のLINEは一度もやらずに、結果として嬢起点のLINEばかりになっていたことまで話した。

ここまで言うと、さすがに嬢も観念した。表情をこわばらせて、

増田結構ネットに強そうだから検索してるかも知れないとは思ってたけど…」

大声で殴られるのを覚悟した。一定の譲歩はしたが、炎上は不可避。その炎上被害抑制出来るかどうかだと思った。端から見たら増田のこのリサーチ推理行為暴露行為キモいだけだからだ。ストーカーと呼ばれても仕方がない。

が。

「○○であることまで、バレてたかあ…。私、みっともないよね…でも、今までよく会ってくれたね…」

…あれ?

長くなってきたのでまた後日。

2017-07-15

人の心はどこにあるのか

友人は障害者福祉関係施設で働いている。自分精神を患っており手帳も持っている。二人で会うと四方山話の果てにこの話題になる。

「人の心は、魂は、精神とは何なんだろうか、どこにあるんだろうか」

例えば、急性期発作から治療を受け、治ったと思いこんで怠薬、を繰り返し荒廃した統合失調症患者

重度の痴呆症知的停滞も似たようなものだ。

飲み、食い、その辺でクソを垂れる。意思の疎通はほぼ不可能。はっきり言ってしまえば知的レベルはその辺の犬猫以下だ。

彼らに精神はあるのだろうか。

「ある」とするのはかなり苦しい。人間的な精神活動を観察することはかなりの困難を極める。

しかし、「無い」とするとまた別の疑問が生まれる。

彼らは「いつ」精神を失ったのか。

例えば、器質性の痴呆症と言うものがある。友人はくも膜下出血後遺症痴呆症になった人を見たと言う。

かつてはホワイトカラーであり、英語も堪能、楽器を弾く趣味もあった。

しかし、今は会話も不能、垂れ流しである

だが彼は時々知性を取り戻して昔の話をしてくれることもあると言う。

精神を失ったり取り戻したり、そんなことがあるのだろうか。

例えば、自分双極性障害を患っている。

気分が落ち込んだ時には精神安定剤頓服で飲むし、躁になりそうだと思えば抗うつ剤を減らす。

もちろんこれは主治医許可を得ている。

悲観的・厭世的な気分になっていたのが薬を飲むと消失してしまう。

化学的に操作できる、今、この感情は本当に自分の心なんだろうか?

2016-03-31

RMT四方山話

流行りの話題にかこつけて

RMT法律及び私のRMT

ゲーム資産は誰のものか? というのは日本で今現在決まっていない

プレイヤー自身のものであるならゲーム資産現金取引RMT)を禁止した規約意味はないし、だからこそゲーム会社あくまデータ私たちのものだと規約に書いている

が、アメリカでは実際RMTを行っていたものをBANしたら訴訟おこされて負けたなんてのは有名な話だ。日本でも同様の判決が渡される可能性は十分にあるだろう

感覚としても感情としても筋としても、自分がアホほど時間をかけて得たアイテムゲーム通貨自分のものであると思いたい

こんな理由で私はRMTを嫌ってはいない

思い出話

月額課金が主流の時代RMTに対して運営も若干大らかではあった。無論、一般プレイヤーに対してBANしてますアピールもしていたが。諦めの境地、だっけ?

ゲーム会社が本格的にRMTを敵視しはじめたのははアイテム課金が主流になってから

アイテム課金、つまり公式RMTプレイヤーRMTと客を食い合う、やはり金がかかると力の入りようが違うものだなぁと思ったものだ。それでもRMTはなくならなかったが

うろんな話

昔、RMT禁止する理由の一つとしてゲームカジノが挙げられていた

ゲーム通貨が換金性を持つ場合ゲームカジノがそのまま賭博罪にあたる可能性がある、というもの

なんとも信憑性の薄い話だがそんなこともまことしやかに言われていた、実際のところはどうなんだろう

 
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