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はてなキーワード: 過小評価とは

2017-01-30

「新しい」国民戦線についての5つの偏見フランス語web記事翻訳

https://twitter.com/goeland_argente/status/825881166334996481

このツイートに触発されて、以下の記事を訳してみた。

Cinq idées reçues sur le “nouveau” Front national

http://www.lesinrocks.com/2015/04/18/actualite/cinq-idees-recues-sur-le-nouveau-front-national-11742654/

フランス語はそんな上手くないし、フランス政治には全然詳しくないのでひどい訳です。

どんどん誤りを指摘してください。補足してください。何ならもっといい翻訳をつくってください。

*****

「新しい」国民戦線についての5つの偏見

モンペリエ大学パリ政治学院政治科学助教授であるアレクサンドル・デゼは、『問題になっている「新しい国民前線」』の中で、ステレオタイプに反して、国民戦線については、新しい点よりも昔から変わらない点の方がはるか重要であることを示した。

1 国民戦線は「フランス第一党」ではない

2014年選挙での国民戦線の戦績が良くなったことは否定すべくもない。しかしながら、そのことを過大評価してはならない。アレクサンドル・デゼは次のことを思い出すように促す。地方選挙において、国家レベルと結びつけて考えるなら、1995年ときのように、票の4.7%しか獲得していない。これらの結果を、2012年大統領選挙の時の人口10000人以上の都市におけるマリーヌ・ル・ペンの結果と比較してみよう。そうすると、今回の地方選挙の結果は、票数に関してはいくらか劣っているものだと言える。ヨーロッパ選挙に関していえば、かつて聞かれたように、29.4%のフランス人国民戦線投票したのではない。棄権考慮に入れるならば、有権者10%だけである

奇妙にも、県の選挙の結果は、彼らの前進を示している。ただ、世論調査での高い予想のせいで、この結果は過小評価されている。国民戦線候補者は43の県で1位であり、1107の小郡(canton)で、降りずに留まっている。

これらの結果というのは、国民戦線を彼らのスローガン通りの「フランス第一党」とするには不十分なものであるアレクサンドル・デゼは、国民戦線存在感というのは、市町村レベルでは副次的ものであり、地域圏(1880人の議員のうち118人、議長は1人もいない)・県(4108人の議員のうち62人、議長は1人もいない)・国会(577人の代議士のうち2人)のいずれのレベルでも甚だ不完全なものである党員の数について言えば、国民戦線には42000人の活動家がいるが、その数は依然共和党社会党よりも少ない。

2 国民戦線は「政権のすぐそばに」いるのではない

2011年1月マリーヌ・ルペン国民戦線党首に選ばれてから、「脱悪役(dédiabolisation)」という戦略が実行されるようになってからエリゼ宮(※大統領官邸)への道のりは既に引かれたのだ、という声がしばしば聞かれるようになった。しかし、全くそうではない、とアレクサンドル・デゼは静観している。「この読みはメディアの大多数によって共同でつくられ引き継がれたことによって認められているのだから政治的フィクション領域に属するような話である。」

国民戦線は、国政の責任者に至るまでには、おそろしいほどに枠組みを欠いている。他の党との「融和」を誇示するような最近のいくつかの手がかりのうち、いくつかはあまりに短い間であったし、あるいは、内部で問題視されていた。さらに、権力の扉は国民戦線に対して無情にも閉じられたままであるだろう。選挙制度上の理由で、今まさにそうであるように、国民戦線政治的孤立したままでいるだろう。「この孤立は、2回に分けての多数決投票が影響力をもつ政治システムのうちでは、権力への道を妨げる最大の障害物になる。」

3 国民戦線は「新しい」党になったのではない

国民戦線は他の党と同じような党になったのだろうか? マリーヌ・ル・ペンによってなされた刷新というのは、本当に党の顔を変えてしまったのだろうか? アレクサンドル・デゼによれば、これらの疑問への答えは改めて否定的ものであるマリーヌ・ル・ペン就任の前と後での国民戦線戦略プログラムとその支持者を比較して語るところでは、「マリーヌの国民先生ルペン国民戦線の間には、新しくなったところよりも十分多くの変わらないところが多い」のである。脱悪役? 国民戦線歴史は、絶え間なく更新される脱悪役の試みの歴史である。したがって、右派へと国民戦線差し出す手のうちに、あるいは、立派な風貌を打ちだすことによって新しい支持者を集めているとされている周辺的なさまざまな手段のうちに、新しいものは何もないのである

プログラムに関していえば、国民戦線は常に自らの基礎に立脚している。反体制批判国家の特恵、国家防衛欧州連合拒否ユーロ圏から離脱失業不安の原因と見なした上での移住拒否である。反リベラルへの再定位は1992年に遡るが、マリーヌ・ル・ペン社会的演説は、連続性を担っている。

4 マリーヌは、そう信じられているのと異なり、反ル・ペンではない。

リーダーシップに関して言うと、マリーヌ・ル・ペンは、彼女父親イメージとの対照によってそのメディア上のイメージが形作られている。「このような対照性が推測されていることは、国民戦線に新しく投票するようになった人が、自らの投票正当化するために持ち出されるような、最先端議論になっている」とアレクサンドル・デゼは語る。しかしながら、言説における一連の相同性や、マリーヌ・ル・ペン自分父親について反対を示さなかった機会を列挙するこの研究者によれば、マリーヌ・ル・ペン彼女父親との差は、思われているよりも微々たるものである。例えば、2014年5月に父ルペンが「エボラ殿下」の介入が「人口爆発」と移民問題解決しうると主張した時、あるいは、彼が2015年1月に「私はシャルリーではない。私はCharlie Martel(※イスラム教徒ヨーロッパへの進出イベリア半島までで食い止めた8世紀フランク王国の王)だ」といったとき。これらはいずれも、議員の免責特権恩恵を被ることはなかった(「人種的憎悪扇動」として彼女を追及することは、現在進行系で行われている)

5 「マリーヌの国民戦線」は、過激派と切り離されたわけではない

最後に、その組織図に関して、「粛清」という幻影を生み出しながら、党によって過激すぎると判断された特定の諸個人排除した。しかしながら、アレクサンドル・デゼが述べるところでは、「国民戦線過激極右グループ活動家たちと、緊密な関係を維持している。」コゴラン市(Cogolin)の国民戦線市長は、GI(Génération identitaire)の共同創設者であるジュリアン・ランゲラ(Julien Langella)を広報担当として2014年に起用した。ボーケール(Beaucaire)の国民戦線市長は、GIスポークスマンであるダミアン・リュー(Damien Rieu)を、市の広報部長補佐として任命した。二つの例を挙げれば十分だろう。

2017-01-23

こんな学生、いりません【1/25 追記】

就活生の皆さん、お疲れ様です。

もうとっくに始まってる人、決まっちゃった人、最近始めたばかりの人、もっとからだと思ってた人、色々いると思います

はいわゆるクリエイター系の会社で働いている者ですが、自分経験やこれまで出会ってきた学生さんのことを思い出しながら、

こんな学生、いらないです

と思われてしまうケースをいくつか紹介したいと思います

何も作ってない

クリエイター職を目指してるのに、何も成果物がないというのはだいたいその時点でおしまいです。

学生時代社会人になってからに比べ、自分時間が非常に多いのです。

そんな膨大な時間があるのに何の成果物も作れなかった人が、プロで何か作れるなんて思えないわけです。

具体的なビジョンがない

「すごいものを作りたいです」とか言っちゃう人のことです。

「すごいもの」とは何でしょうか。もっと具体的に言えないと何も伝わらないのです。

自分のなりたい道、作りたいもの、それらを具体的にはっきり言える人しか企業としても雇う余裕はないのです。

インプットが足りない

ディズニーで働きたい」という人がウォルト・ディズニーを知らないとか、ミッキーマウスを知らないとか、

任天堂で働きたい」という人がマリオを知らないとか、宮本茂さんを知らないとか、横井軍平さんを知らないとか、

極論で言うとそういう類の話になります

本当に好きなものって、ほっといてもいろいろ調べて、触れて、気がつけば膨大なインプットが溜まっているものなのです。

そして、アウトプットするものは大概、インプットした範囲の中からまれます

インプット量が足りない、質が足りない、そういう人に良いアウトプットを期待できないのです。

実績・経歴を勘違いしている

クラスで一番でした!」「校内の○○で○○賞を取りました!」

どうでもいいです。

あなたクラスレベルも、あなた学校レベルも、そしてその成績や審査基準も、外からではほとんどわかりません。

公的な場でのコンテスト等であれば、全国を相手に勝ち取ったものですから「なるほどすごい」となるのですが、

自分所属している組織の中での受賞だの何だのと言われても、それにどれだけの価値があるのかわからないのです。

言い方が厳しいかもしれませんが、学校の外で実績を上げていないのに学校内の自慢話ばかりされると、「サル山の大将かな?」としか思えないのです。

友人が多いことは良いことだと無条件に信じている

これは上の話とも関係があります

学校で友人が多い、それは良いことだと思われがちですが、

「友人ではなく取り巻きじゃないの?それ」とか、「友達付き合いという言葉で抜け駆けを阻止してる」とか、

まり良い影響になっているとは思えないケースも散見します。

特にこれは、あなたあなたの友人がサル山の大将であると、陥る可能性が高いです。

これは一つの例ですが、サル山の大将だった学生さんに友人を紹介してもらっても、一定レベルを超えられていない方ばかりだった事がありました。

そしてなんとその友人グループは、学校内では上位グループだったというのです。

まり井の中の蛙が集まって、出来るやつを気取っていたという恐ろしい現象が起きていたのでした。

攻める姿勢がない

自分の作ったものを、コンテストに出せるタイミングだったのに出してない、とか

作っている作品は多いのに、外に向かって公開するのは恥ずかしいと言って公開していない、とか

社会人になったら、自分の作ったものを外に出すことでお金をいただくようになるのですから

学生のうちとはいえ過度に躊躇ってしまっているのを見ると、採用して良いものか迷ってしまます

多少作るものクオリティが低くても、突っ込める戦場があると見るや突撃していく人のほうが好感度が高いです。

ちなみに、自分の作ったものを世に出すことを躊躇う人にありがちな言い訳として

「まだ外に出せるレベルじゃないので……」

という言葉はよく聴きますが、大丈夫!そんなことを言う人はだいたい卒業するまで何も外に出さないままです!さようなら

お金をいただく、ということに嫌悪感を持っている

自分の作ったものフリーで配布したことしか無いタイプの人によくあります

学生のうちに自分作品お金を稼いでみる、というのはクリエイターとして大きな経験値になります

しかし、「これはお金を取るために作ってたわけでもないので……」と、お金を取ることに消極的になる人は少なくありません。

もちろん、全部が全部お金を取れと言っているわけではありません。

問題は「創作物の対価としてお金をいただく」という行為ネガティブ気持ちを抱いてしまっていないか、ということです。

そういう人には職業としてのクリエイターは向いていないので、気持ちをちゃんと変えるか、いち趣味にしていくことを決断したほうが良いと思います



最後

正直な話、ここに書いたことをやらかししまっている学生さんでも、夢見ていた業界就職できる人は居ます

たくさん居ます

就職」がゴールであれば、それでハッピーエンドです。

しかし、これらの項目に当てはまり、かつ直さなければいけない部分があると自覚できないまま就職・出社すると、

ほぼ間違いなく大変な社会人生活を送ることになります

そうしてクリエイターとしても再起不能状態業界を去っていく新人さんを、何人も見てきました。

かわいそうだと思いますが、大体は自業自得ですし、社会人になると親身に助けてくれる人も殆ど居ません。

そういう事にはならないでほしいなー、と強く思います

1/25追記

まさかのバズ具合に驚いていると同時に、主語を大きくしてしまったことで想定していた層の方以外から多大な反感を買うことになってしまった事を反省しております申し訳ございません。

但し、「社名出せ」「お前は何者なんだ」というブコメについては「このブログサービス名前を700回ぐらい音読して来てくれ、頼む」と言わせて頂けると助かります

さて、確かにここに書かれていることについては、一般的総合職などを目指す方にとっては高望みしすぎに見えると思います

しかしこの記事本来想定していた層というのは、デザイン映像CGゲームアプリ音楽等の制作に携わるクリエイティブ職(企画プログラマーデザイナーコンポーザーなど)を志望する学生さんでした。そしてまた、この記事は「こうすべき!」という意味ではなく「これはやめとけ!」という地雷カタログのようなつもりで書いておりました。

別にコンテスト入賞してなきゃいけないなんて書いてないんです。「アピールしても意味がないものを堂々とアピールしたらマイナス評価になりかねないですよ」と言ってるんです。

会社で育てろ」というブコメも多いですが、クリエイターとしての姿勢、考え方が学生のうちに出来ていない人は育てても伸びないし、伸びてもたかが知れているのです。ごく稀に例外もありますが、年末ジャンボの一等に当たったようなものです。

これらの職種がする事は、自らのアイデンティティから創り上げたものを世に問い、それを世に受け入れられてお金を頂く、というものだと思っております

それを消費者から見れば、学生社会人という垣根はほとんど無い状況であり、自分の作ったモノを世に出している人々は、自分が何者であれ、相手が何者であれ、互いが競争相手だったり戦友だったりするものなのです。

学生のうちに、そのような空気に触れて生きて来た人から業界行きが決まって行くのは、当然の事なのです。

……そして、ブコメを拝見して一番言いたかったことがあります

「えっ、学生さん過小評価してる人、多すぎ……!?

学生のうちから自分の作るものを世に問うている学生さんは、けして少なくありません。

商業コンテンツに参加している学生さんも、案外多いものです。

皆さんが見ているイラスト映像、聴いている音楽、使っているサービス、遊んでいるゲーム、それらに現役学生が関わっているケースなんて、山のようにあります

そして毎年、そんな学生さん達も就活戦線に飛び込んで行くのです。

何もしていないクリエイター志望の学生さんからしたら、その時点で絶望的な戦力差に見えるかもしれません。

しかし、それが現実なのです。

それでも前述の通り、なんとか企業採用枠に引っかかる人もいます。それでいざ社会人となっても、ゴールではなくスタートに過ぎません。

隣にいる同期が「歴戦の新人」であったとして、仕事の出来具合を比べられ続けても(表向きには比べられているように見えなくても、出世年収で確実に違いは出てくるのです)耐えられますか?

クリエイターとして再起不能になった人というのは、入社した後にクリエイター同士の競争社会で敗北し、モノを作る事が嫌いになってしまった人たちなのです。

就職するところまではアドバイスしてくれる人もサービスも沢山ありますが、そこから先は自力で行くしかない世界、どうか好きだったものを嫌いになって業界を去って行くような事にならない人が増えてくれるといいなぁと思い記事を書きましたが、おそらくそれすら傲慢に見える人もいるかと思います

かなり興奮して書いているため、読みにくい追記になってしまっているかも知れませんが、これで追記部分は終わります。良い就活と良い就職を経て、プロクリエイターとしての一歩を踏み出せる学生さんが一人でも増えますように。


【1/25 さらに追記】

この記事をダシにしていつものようにエア業界人っぷりを垂れ流してる砂鉄カエルはくたばってください。

彼の発言は見れば見るほどエアクリエイター・エア業界人なのが丸分かりなんです。

彼の発言を有り難がってる人たちは、ゲーム業界における「はちまや刃を有り難がってる業界志望者」のようなもので、実質「業界亡者」ですので早々に関わりを絶ちましょう。

2017-01-19

同人イナゴの何が問題だろうか

1.二次創作ファンアートであるという建前が揺らぐ。コロコロと扱う作品を変えて、しかもそれらがその時その時の人気ジャンルだったとしたら、儲けや人気取りのための二次創作であると取られても仕方がない。単なるミーハーということもできるが。(ミーハーも人気を不必要に傾斜させ、過大評価過小評価を作り出す害悪だと思っているが、これはまた別の話だろう)

2.キャラクター使い捨てされる恐れ。もとよりそのジャンルに長くとどまる必要が無いのだから、過剰な属性付けやキャラ弄りでキャラクターを消費してしまう傾向があるように思う。イナゴ系の同人作家というのはこれという作品はない一方、これという作風ジャンルを持っている場合が多い。作品キャラクターはそれをやるための踏み台として消費される。古参がいい気はしないだろうな。

まあでもそう悲観や憤慨することもないんじゃないか。どうせ時期が来れば次の餌場を求めて去っていくのだし、彼らが去ったその後のジャンルはむしろいい安定期のように見える。もっともその作品地力があったればこそだろうが。

2017-01-16

成果の過小評価でさえ訴えられるのにぎりぎりの線とは一体。

2016-09-27

http://anond.hatelabo.jp/20140929235649

転職したら?

俺は転職考えるまでは自分過小評価してて「16万でも好きな事して働けてるだけマシ」とか考えてたけど、今となっては同じような仕事して28万になったか勇気がなかっただけだと感じるわ。

会社義理を感じているならそのまま頑張れ

2016-08-16

フリーズドライもっと評価されてもいい

と思う

過小評価されすぎてる

もっとみんな買え

そんで大量生産で安くなって種類も増えろ

2016-07-31

なんで国鉄分割民営化をしたのかっていう

 JR北海道ヤバいということで、分割民営化おかしかったのではみたいな議論が出ているから、分割民営化の経緯の要点を書くぜ。

 まず「民営化」の方。

 そもそも国鉄独立採算制であり、要するに税金運営されていたわけではない(ここ勘違いしてる人がとても多い)。しかし、それでありながら経営の最終決定権は国にあったので、だいたい以下のような具合になった(数字はてきとう)。

 自民党「これを作るように」

 国鉄「これ2兆円かかるけど、うち1兆円しかないんですが」

 自民党「いいから作れ」

 社会党運賃の値上げや人員整理は許さないぞ」

 国鉄「仕方ないので足りない分は借金します」

(数年後)

 国鉄借金の利子が利子を呼んで手がつけられなくなりました」

 「政府が金は出さないが口は出す」というどう考えてもヤバい体制であり、これなら「金は出されないが口も出されない」民営の方がマシやんけ、というわけである。これは国鉄できた当初から予見されてたことであり、産業能率会議(昔そういうシンクタンクがあった)なんかは、50年代60年代に2度にわたって「これ将来絶対破綻するから、分割民営化しないとヤバいって! せめて、公社のままだとしても口を出されないシステム改革しなきゃ!」と政府提言していたのだが、まあガン無視された。

 要するに国鉄民営化は、50~70年代政権与党の無策の尻拭いであり、「中曽根ちんが国労つぶしのためにやった」なんていうのはそれを糊塗するためのおためごかしに過ぎない(早川タダノリとかフジヤマガイチとかの有名なリベラルアルファツイッタラーがこの見解にガン乗りしてるのは謎だが。君ら本当はネトサポなのでは?)。中曽根ちんは確かに国労嫌いマンだけど、第二次中曽根内閣運輸大臣に分割民営化反対派の細田吉蔵を据えるなど、民営化に関して途中まで党内風見鶏に徹してた人でしかないし、国労80年代には主流派社会党右派)・非主流派社会党左派)・反主流派日共)の内部対立がひどくて(その結果が86修善寺大会よ)往年の力なかったから、民営化なくても崩壊しそうだったやないか。分割民営化のせいで国労崩壊したというのは、原爆投下のせいで日本は負けたと言ってるようなもんで、最後のひと押しを過大評価している。スト権ストの大敗北がミッドウェー、マル生粉砕が南部仏印進駐とみるべきじゃないですかね。マル生粉砕の成功が致命的な失敗やでほんと。

 で、もう一つの点、「分割」である

 これは、当時の国鉄が極端な東京中心地方軽視主義だったことへの対策である。いやほんと、国鉄時代時刻表JR後の時刻表と比べてみれば分かるんだけど、国鉄時代地方ダイヤってスッカスカだぞ。あと東北地方とかが本当にスピード遅くてさあ……(国鉄ローカル線用に、うんこみたいな性能でスピード出ない上に排ガスがひどく、排熱管のオーバーヒートが原因で発火しやすいので安全性もクソという、褒めるところのない内製エンジン積んだ車両しか入れなかった。地方民の利便性より内部の論理が優先されていたんであるJRになったら海外メーカーの高性能エンジン積んだ新車積極的に導入したのでめっちゃスピード上がった)。別に今のJRだってそこまで地方大事にしているわけではないが、国鉄との相対評価でいえばめっちゃ大事にしてる(各社でバラつきはあるが)。組織デカくなると、何をやるにも本社の顔色をうかがうようなことにどうしてもなるという話ね。

 というわけで、各JRはある程度小さめに分割しようという話になっており、実際当初は本州を5分割(東北上越東海道山陽の各新幹線沿線関西北陸)した8分割案が有力だったのだが、線路を共有する東北上越分割の難しさなんかがあって、予定よりも会社の規模が大きすぎる本州3分割になったのだった。東海については、名古屋大阪の下につける本州2分割案には名古屋政財界からの非常に強い反発があったため、当初の予定に近い形で割った。

 で、こうしてできたJR各社の経営状態には差があるわけだが、別にここを何も考えていなかったわけではない。本州3社には国鉄債務を渡して利子で苦しんでもらい、3島会社には債務どころか逆に「経営安定化基金」という補助金的なものを渡すことでバランスを取ろうとしたわけである。よく「JR北海道赤字になると分からなかったのか」ということを言う人がいるが、「赤字になることが分かっていたのでその対策もしたのだが、それでもダメになってきた」が正解である

 諸々の詳細については、今では『戦後史の中の国鉄労使』『国鉄最後ダイヤ改正』などいろいろといい参考文献が出ているので、気になる人はそういうのを読んでね。

 ちなみに今後のJR北だが、まあ厳しい。再国有化上下分離を言う人もいるが、国も道も沿線自治体沿線住民も、そこまでしてローカル線を残したいとは思ってないだろうしなあ。交通弱者の話にしたって、「バリアフリーとかにまでは手が回らないローカル鉄道に金を投じることが、その金をバス福祉タクシーなどの補助に全額ベットするよりも交通弱者に優しいと、お前心の底から断言できるの?」という話になる。鉄道交通弱者にも十分優しいのは都会の話であり、みなバスの強さを過小評価している。インフラ税金で維持されるべきだが、いつでも鉄道ベストかは本気で考えなきゃいけないところだぞ。中標津や音更、中札内など、鉄道廃止されてからの方が街が栄えてる例というのも道内にあるしな。

2016-07-28

http://anond.hatelabo.jp/20160701172732

「現状」と銘打ったエントリの割に今更?という話が大半だし的外れな部分も多いと思います

アイドルの扱いの格差

>数ヶ月ごとにSRとして出番をもらうアイドルと年に一回R、よくて強くないSRとして処理されるアイドルが同居している

数ヶ月ごとにSRとして出番をもらうアイドルって誰でしょうか? 最近で言うと島村卯月が該当しますが、総選挙ガチャCG記念ガチャの流れですぐ再登場するのは第2回あたりから恒例の流れなので今更な話です。

高垣楓のように総選挙上位常連でも半年に1度ぐらいしか出番がないアイドルもいるし、最近イベント上位の傾向を見たらむしろこれまで上位SRにならなかったアイドルを抜擢しようという流れがあると思うのがフツーでは。

運営による贔屓

さらにはデレラジがスタートし、メンバー渋谷凜島村卯月・・・そして城ヶ崎美嘉だった。NGいかと思いきやまさかの除外である

せっかくNGという信号機ユニットがあるのにラジオで起用できなかったのは理由があると思いませんか?

>結果はなんと総合5位。圏外からこの順位は今も昔も本田未央のみである

佐久間まゆさんは6位なのでダメですかね……

>確かにガチャによる順位の大きな向上は見受けられるが伸び幅があまりにも桁外れ。NG揃っての月末だから未央にも入れたプロデューサーが今まで以上に多かったのかもしれないが・・・真相は闇の中である

この後で第4回総選挙ガチャの人選があからますぎてドン引きしてる割には総選挙ガチャの力を過小評価しすぎではないでしょうか? 身銭を切って投票した未央Pや未央を応援していた人々に失礼なので撤回してほしいぐらいですね。

>それなのに総選挙すべて圏外のアイドルの抜擢をするのは理解に苦しむところであるしかも声付けただけでその他展開がない&遅いでは声が付いたアイドル立場もない。

アニメでむやみやたらに抜擢しすぎという点は同意できます。まぁ「その他展開がない」っていうのはSTARLIGHT MASTERがあるのでそうでもないと思いますが。

>余談だが第4回総選挙期間でのボイスなし3人の月末ガチャという運営の声を付けたいアイドル押しは本当にドン引きだった。

ここは私もドン引きしましたし今でもあまり許せていません。

アニメの出来と影響

この項目はだいたい納得できるしおおむね同意見です。卯月の泣きの演技力が低いという点は同意できませんが、まぁ私の主観なので。

百合花園と化したモバマスプロデューサー崩壊

こちらもだいたい納得できますが、

>このような積み重ねの結果、「運営というプロデューサーによる百合営業を眺める」コンテンツになろうとしているのである

これはそうでもないのではないでしょうか? 『LoveDestiny』のようなアノマリーはありますが、まだP-アイドルという関係性が保たれている部分が大きいと思いますアイドルコミュには他のアイドルが登場しないし、イベントコミュストーリーコミュでもまだ「百合」の域に踏み込んでいないコミュの方が大勢だと思います

>「運営のやることが一番!文句があるならやめろ!」というプロデューサーもどきもかなりいるものから性質が悪い。

その通りだと思います

アニメ以降の話はわりと納得できる論点も多かっただけに、前半のエアプっぷりが少々残念に思えました。もう少しシンデレラガールズのことを信じてモバマスイベントをやったりデレステコミュを読んだりしてみてはいかがでしょうか?

2016-07-02

はてな民に足りないものはコレだ!2016年7月

高学歴サロンと名高いはてな村にも抜けている知識は多いように感じる。

エリートはてな民もっとしっかりしないと10年、20年経っても

この国の民主主義が誤った方向に導かれしまう。

そこで、はてな民に学んでいただきたい知識をリストアップした。

3つである

経済学

資本主義社会というのは方針の一つではなく、

社会全体の前提条件。

②肉体への興味

はてな民は脳・精神への興味は高いが肉体への関心が低い。

健全運動睡眠過小評価している。

たまにブログ記事が上がるが科学的根拠に乏しい

他国の情勢

海外サイト・または和訳サイトホットエントリになる率が低い。

ガラパゴスガラパゴス日本馬鹿にするのなら自身アンテナを広げるべきではないか

以上です。

最後はてな民のいいところも言っておくね。

①理知的であろうとしている

理系アレルギーが少ない

ユーモアが無くはない

攻撃的でなく少数派に優しい

パソコン詳しい

2016-04-26

お前が電車を止める前に伝えておくと生きる意味のある人間などこの世にいない

から

「生きる意味が無くなったか死ぬ

とかアホなこと抜かして電車止めんじゃねえよボケが。

家に帰って寝ろカス

 

人間にあるのは「死んだ理由」だけ。

お前が電車止めて死んだとしたらその理由死ぬ前に書け。

借金背負ってどうしようもなくなったか負け犬として死にます」って文章にしてみろ。

それを1時間でもいいし丸一日何回も読み直せ。

「俺こんな理由で死なないといけないの?」

って馬鹿らしくなるから

実際借金死ぬとか馬鹿しかないからそもそも死ぬなって話なんだけど。

世界を救うわけでもない、たった一人の女の子を助けるために死ぬわけでもない、

ガンダムホワイトベースを守るために死ぬわけでもない。

自分借金というネガ死ぬだけ。

新大陸発見しようとしたが志半ばで死にました」

難病に苦しむ人を救うために研究していたが自分病気にかかり死んでしまった」

人類宇宙進出のために飛び立ったがロケットが爆発して死んだ」

これはいいよ。

だってどっからみてもカッコいい死にざまじゃん。

もし成功してれば英雄になってただろうし、その志は後世に受け継がれるよ。

夢に人生賭けて叶わなかったとしても夢中で死ねたらそれはそれで満足だろう。

命賭けてまでやりたいことがない方がむしろ不幸だろ。

何が楽しくて生きてるの?

って

 

でも借金死ぬってダサすぎるでしょ。

あの世が仮にあってそこで閻魔様や事故で死んだ人や病気で死んだ人の前で

借金で死にましたフヒヒサーセンw」とか自己紹介できる?

無理でしょ・・・

そもそもそんなショックで精神的におかしくなるなら最初からリスクを取るなよ。

何もないところからいきなり借金が生まれるわけないだろ。

被害者面すんな。

つーか自己破産どうした。

 

死ぬ理由を考えろ。

死ぬことが終わりだと思うからダサすぎる選択ができる。

死ぬことが全ての行動の終点だと考えろ。

終わりじゃなくて行動に対する答えである結末が死なんだよ。

そこまで死まで含めて長い長い目で見た行動なんだよ。

畳の上で死ぬこと、電車に飛び込んで死ぬこと、夢をかなえて死ぬ夢やぶれて死ぬ

全部着地点は死だ。

なのにわざわざクソみたいな理由

電車の走るレールに向けて着地しにいくやつが馬鹿しか思えない。

なんで何十年生きてきて最後死ぬ理由がレールの上にジャンプなの?

 

勿体ない。

本当にそう思う。

 

生きる理由は無い。

死ぬ理由を考えろ。

 

追伸:

ブコメついたか調子にのって「PS」とかやるの正直クソダサだから嫌だけど誤解があるのだけは勘弁ならんから言っとくけどよ。

俺も自殺考えて頭おかしくなった張本人からな。

そのクッソダサい理由教えてやろうか?

単位落として留年確定したから死にます

これが理由

これで泣いて鬱になって電車に飛び込もうと毎日思ってホームセンター練炭キョドりながら買ってたわ。

それで自分でもおかしくなってるの分かりながらこのままじゃまずいと思って

教授と親と友達時間タップリ使って改善しましたわ。

俺が自分でどうしたらヤバい精神状態から抜け出せるのか歯を食いしばりながら当時考えましたわ。

そりゃ死にもの狂いで考えたわ。

そのとき必死さ考えたらメンヘラ自殺なんてもう一回追撃で殺してやりたいくら

何の努力も無くクソダサで死にやがって・・・それはもういいか。

とにかく朝昼晩必ず1回は状況報告を親と教授にしたよ、無かったら電話かけまくってくれって。

自分ひとりで考えると碌なことにならないって客観的に思ってるなら考えるのをやめて他人依存したらいい。

そのために信用できる他人とつながりを常に取り続ける仕組みを考えたらいいだけだったから。

結局留年したし就職うまくいかなかったし夢は破れたけどそんなもんもうどうだっていいわ。

留年たか自殺したみたいなクソダサで死ぬより100倍マシだから

歯食いしばって枕や布団噛みながらウンウン苦しんで学校行って卒業しましたわ。

これ全部クスリでもなんでもなく自分意志でやったことだからな。

心の病気意志ねじ伏せられる。

その原動力が死んでも嫌だという価値観形成から来てる。

こんなクソダサな理由死ねるかよっていうガソリンを俺は用意できたか自殺しなかった。

これは理由はなんでもいいが自分否定しきれないロジックをくみ上げておけば防止できるってことだ。

甘えてロジックを組み上げもせずに無気力自殺して被害者ぶるんじゃねえよ。

頭の臭いした枕の味知ってんのかお前は。

知らずに死んでも、被害者ぶるのか。

何様だ。

ここまで書くとドヤ顔正義感)が「それは気力の無い人には~」とか言い出す馬鹿がいるけど、

俺も気力なかったっつーの。

何もしたくなかったっつーの。

でもそれでも行動起こしたのはこのままじゃヤバいって思わないとヤバいって頭で思ったからだからね?

このままじゃヤバいとすら思えないなら本当に生きる力ないから死んだ方がいいよ。

ヤバいと思わないとヤバい」なんて脳信号は「女の子パンチーおーくれ」レベル信号強度しかねえよ。

そんなんに気力とか必要ないから

その種火を必死に大きくしていくのも最初からガソリンぶちまけてるわけじゃねえよクソが。

女の子パンチレベルを何度も何度も継ぎ足してやって復帰したんだわボケが。

人を超人扱いすんなっていうのと自分過小評価して特別扱いして甘やかすなボケが。

それが甘えだっつってんだよ。

俺とお前の決定的な違いは「思おうとしなかった(甘えたかった→自殺たかった)」か「思おうとした(苦痛を選択した→自殺したくなかった)」かの違いでしかない。

その選択さえ無意識に介入しようとしなかったお前には神の啓示で逃れられない宿命であり運命で、

自分は何一つ悪くなく圧倒的被害者であり弱者であると信じているんだろうな。

でもそれただの勘違いだしそれに気づくチャンスも腐るほどあったから。

意図的無意識的に自分でそれに気づこうとしてこなかったし、

こうやって指摘されても顔を背けバリアを貼ってるんだから全部故意自殺から

あ、人工呼吸器付けてるなら謝る。

 

死が逃げるという発想も、自分で死が逃避にならないというロジックを組み上げられないせいだろ。

そのテクニックがないことを自覚しろ

テクニックがないなら宗教でも何でもいいから何かに頼って依存しろよ俺みたいに。

結局はお前がお前の意志で変えようとしない限り何一つ変わらないんだよ。

この前提を否定しきれる論理も無いのになあなあで自殺に向かおうとする心の弱さとちゃんと向き合え。

言葉が届かないんじゃなくて言葉拒否してる自分を変えろ。

理解しようとする気が無いのに数学物理も覚えられるわけねえだろ。

言葉も同じだ。

理解する気が無い自分自覚しろ

自分自身と向き合い切れてない。

緊急回避しないといけないなら死ぬ気でそれだけ考えろよ。

 

ちゃんと考えろ。

そのちゃんと考えないことがクソダサな死因に繋がってるんだよ。

もう一度聞くけどお前という人生の本の最後

借金でフヒヒFin

電車に乗られたwあべしw」

恋人に振られてリスカしてたら血が止まらなくなってえ~」

とか

綴りたいか。

綴りたいのか

ならもう仕方ないな。

他人はお前にどうすることもできない。

お前は無敵だな。

 

ごめん自殺衝動説について言っとくの忘れてた。

そういう無意識下の行動に影響を与えるほど意識によって強く刻み込む作業ができていれば

衝動自殺しました、なんてことにもならないんだよ。

どれだけショック受けても自殺しないやつはしないんだし

自殺するやつとの決定的違いはそこだ。

自分無意識コントロールしようとする意識が全くないし

無意識意識に対しての無意識として自覚・知覚して対立しようとしないから操作改変もできない。

から自分もっと見つめろと言っている。

無意識の行動ひとつひとつにも理由がありそれを紐解いて分析することで無意識改変が行える。

無意識の行動っていくらウンコしたくても路上で下脱いで野糞するのかよ?

無意識最強じゃねえよバーカ。

奴隷になることを受け入れてる意識なだけだろ。

どんだけ甘えたいんだ。

そんな低レベル意識で生きる意味が、とか借金で夢も希望も、とか

どの口で言ってるんだ。

意識低いなら無意識の死にたくないって本能の声にだけ耳を傾けてろよ。

中途半端すぎるわ。

無意識最強とか言いつつ死ぬって矛盾してるだろ。

自分の中のエラーと向き合えって言っても

お前はまた低次元意識バリアー貼るんだろうな?

いくらでも逃げれるしホームレスにもなれるのに

自分が死しか選択しようとしないから死ぬのに他人がどうやって助ければいいの?

屁理屈こねるのは上手いくせに自分が死なないためのロジカルシンキングできないってどんだけ雑魚ナメクジなんだよ。

それだけ頭回ることに自信があるなら自分を騙すか自分論破できないロジックを組めよ。

それをやらずにセンチメンタルな気分に浸りたいだけだろ。

悲劇ヒーロー悲劇のヒロイン気取りか?

から特別扱いしだがるんだな。

そんなやつ有史以前から腐るほどいましたか・・・さら誰も感動せんから

誰のパクリとか言えないレベルでありふれてるから

つまるところ泥臭い渦に飛び込むのが嫌なんだろ?

脳を焼かれるようなループ自分から飛び込むのが嫌なんだろ?

みんなそれ乗り越えて人格を作り上げて大人になってきたのにそれするのが嫌な子どもなんだろ?

から同情されないんだよ。

まだ理解する気がないのか。

 

自分がそうだから他人がそうとは限らない説。

これも、もういいからそういうの。

何も例外とか無いから

自殺したくなる→自殺する→死ぬ→クソダサな理由が死因。

俺の言ってるのは全部これだけだから

俺だけは特別事情、とかそんなもんねーから

お前の抱えてる悩みとか人類発祥してメソポタミア文明できた当たりから

似たようなもの数えきれないほどあっから

何もそこにオリジナリティとかねーからマジで

いやマジでマジで

何もオンリーワン理由じゃないんで。

その意味不明自意識の高さやめてくれる?

というかその実益のないプライドの高さが自殺へのトリガーになってるってこと自覚したら済む話なんだけどな。

そこらへんに転がってるクソダサな理由で死のうと思ってることを

頑張って正当性持たせようとしても無駄から

 

あの手この手で言い方変えてクソダサな理由自殺すんなって言っても

案の定「衝動で~」とか「ケースバイケースで俺だけ特別」とか言ってバリア貼ってくるやつ多いな。

まさにその防衛行為自分無意識に向き合いメスを入れて手術することを拒み続ける末期患者なんだけどな。

まず自分病気ってことを自覚してそれと向き合ってどうやって対策を取るのか考えるのはやって当然だし、

そこまで余力がない・・・とか言われてもなら余力のできる環境緊急回避するだけの分別くらい付けろよ。

大人なんだから誰にも頼らなくても頼まれなくても自分意志でやれよ。

それ病気になっても病院に行かないのと何も変わらんからな?

心の病で運命づけられたものと思って兆候絶対あるのに何も講じてこない自分責任だろ。

全て自己責任だよマジで。むしろ誰のせいにできるんだよ。

お前の人生はお前しか保証できないしメンテできねーよ馬鹿が。

お前の親もお前の子どももお前の人生は歩いてねーからマジで

なんで自分・・・マジで意味分からんわ。

いやわかるけどな。

いつまでも甘えていたいと思ってるんだろ?俺がそうだったからな。

お前は違う?違うわけねーだろ行動が同じだから分かるわ。

気力使いまくる自分の中に神を作る工程の辛さにやる前から怯えてるんだろ。

メンヘラっぽくやんでれ最悪死ねばいいからとそれをせずに甘えてるんだろ、

完全に当時の俺だわ。

でも俺の理由は俺だけの特別理由オンリーワンだと勘違いしてるんだろ、

完全に当時の俺だわ。

もう完全に俺のパターン入ったわ。

無意識にメスを入れることを怖がってるんだろ、

病院いかない爺ちゃんといっしょ!何も変わらないいっしょ!いっしょです!ざんね~ん!

行動がすべてを物語ってる。

口よりも雄弁に。

どれだけ俺は違うって喚いても行動がいっしょ。

考えてることもいっしょ。

何もかも同じ。

バリア貼るだけのプライドはあるのに意識低くてメンテは怠るとか最初から分裂症だとしか思えん。

自分自力でちゃんと統合しなさい。

 

誤解を恐れず箇条書きにしてやるよ。

1.自分に生きる意味があると思っている目標志向があるが実力が無い、もしくは過去に失敗経験がない

2.達成不可能となり精神的不調に陥り、対処法を知らない ※A

3.目標達成不可能という現実と向き合いたくないためにあえて精神的不調の檻から出ようとしない

4.長期化すると自分がこうなったことには何か意味があり特別だと思い込み努力放棄する理由を構築し始める ※B

5.この段階で他人が助言しても「自分特別バリアによって聞き入れられなくなる ※C

6.現実的センチな気分に浸るのも限界になり、現実と向き合わなければならない段階に来る ※D

7.死の恐怖から現実に戻るか、戻りたくない場合自殺する ※E

 

※A 生きる意味が失われた、と思い始めるから不調を来す。メンタルダメージのある失敗経験が無いため大人になっても対処法が分からない。

※B この不幸動機が生きる理由となり活動できる。

※C やっと見つけた次の生きる理由否定されたことによる過剰防衛反応

※D 貯金が無くなる、仕事を失うなどの命には関わらないが生活人生が変わり決断が迫られるターニングポイント

※E このとき真面目な無能であればあるほど悲劇のヒロインになり切れているので自殺する。

 

1~7が短期長期どっちでも起こっていることで何も変わりない。

何も特別性はない。

どこにでも転がってる大人になり切れなかった子供たちの話。

2016-04-19

http://anond.hatelabo.jp/20160419021222

いいこと言うね。

実際のところは彼らの愛の形がゆがんでるんじゃなくて、単に売名のために人気キャラクターポルノを描いてるってところまで堕落してる奴も、まあ結構いるよね。

創作現実混同するなという意見は、創作現実にもたらす影響を過小評価してるようで気に入らないね創作現実との関わりが希薄になった時、創作価値自体が薄れるのだと思うね。

ところでキャラクターが消費物として扱われがちになったのは、「勇者」とか「ギャル子」とか一般名詞的なキャラクター(これは2ch SS発祥なんだろうか?)が出てきたことと関係があるように思うね。

キャラクター属性としてしか捉えようとしなくなったのではないか。いわゆるイナゴ系の人やその周辺の人たちのやるキャラいじりって、典型的かつ表層的なんだよなあ。

2016-04-03

消費税延期で支持率アップ

先送りにすればするほど未来負債になるんだぞ

過去にやってきたことをそのまま繰り返す気か

「そんなはずはない」

日本金融資産が潤沢だから大丈夫

しかに今は個人資産も増加傾向にあるのでいいが、

経済危機で目減りしたら連鎖的に国債破綻危機が起きる。

扇動家の甘言に惑わされず、しっかり過去数字を見つめてくれ

リスク過小評価するのは悪い癖だ

リーマン東電、起きてからでは遅いんだ

2016-03-30

http://anond.hatelabo.jp/20160321120853

ちなみに、本作で一番株を上げたキャラはにこだろう。

彼女は出番こそ決して多くなかったものの、登場するたび印象的なセリフや立ち回りを披露し、それを中の人であるそらまる氏が完璧に演じきっていて素晴らしかった。

特に5話の「アイドルっていうのは~」というセリフ12話の「あんた、それ本気で言ってるの?」から始まって激昂するシーン、いずれも本作屈指の名場面である

結果として、気難しいところもあるけどそれ以上に可愛いところもいっぱいあって、実は1年生組と一番仲が良くて(面倒見の良さを想像させる)、そしてアイドルに対する強い想いが芯にあってと、これでファンが増えないわけがない。

アニメ以前2010~2012年矢澤にこがどれだけ可愛くて個性と魅力を両立させていて強く期待を背負ったキャラだったかを知っているとなかなか上記のようには思いがたい。むしろアニメ化被害者という印象の方が強い。

『印象的なセリフや立ち回りを披露

これが曲者で「印象的」と曖昧な言い方で誤魔化してはいるが、印象的なだけならアニメ前のにこも十分に印象的なセリフばかり残している。むしろアニメ前のキャラクターの方が印象的かつアイドルらしく可愛いセリフや立ち回りが多い。

アニメ前の設定を馬鹿にする新参系や流され系のファン(実質アンチ)もアニメ前の矢澤にこについては「キャラのクセが強い」、「キャラキツイ」とよく言っている。クセが強い、キツイというのは個性の強烈さの言い換えとも言える。つまりアニメ前の方が印象的なキャラであることを認めているようなものでもある。

アニメ前や原案作成者公野櫻子作品矢澤にこは常に理想アイドルになろうとしていた存在だった。キャラ作りではなかった。キャラ作りだとしてもプライベートでもその作ったキャラのまま振る舞うキャラクターだった。

その姿勢アイドル活動に疎い他のメンバーから尊敬され、一目置かれている描写も多々あった。そのにこのキャラクター性には(公野媒体ギャグ度が弱い)海未ですら翻弄される描写もある。

アニメ版矢澤にこは花陽と絵里以外には基本的にいつも馬鹿にされている。意識だけ高い振りするウザい奴という扱いのクズである

一方でアニメ版も印象的なキャラではあったが、良い意味で印象的だったのは最終話付近で穂乃果に檄を飛ばす所くらいであり、寒い天丼ギャグ扱いのために花田十輝が拵えた改悪キャラクターとしての役回りが中心である

それでも、最終話付近は穂乃果をはじめとした周囲のメンバー腑抜けていたのと対照的アイドル活動への熱意と執念を見せるセリフや行動で株は上がっていたのは確かである

ただ、アニメ以前と比べたら少なくとも株は上がっていない。アニメ1期直後に新規投票者が増えたことで人気投票の度合が増した総選挙順位も下位を低迷し、最後にようやく自己最低タイの5位に滑り込んだ形であったことからも、1期終盤の展開もあまりカバーする効果がなかったことが明らかになった。


その他、各種ネット媒体での評判を見てもアニメ以降、矢澤にこクズ馬鹿無能といった印象ばかりが定着してしまい、矢澤にこアニメで最も株を下げたキャラクターであるというのは当時を多少知る人なら分かるはずであるし、それを認める書き込みや同情の風潮も1期から2期の途中までは他のキャラよりは多く存在していた。

実際にアニメ以後、矢澤にこといえばクズというような扱いのネタ系のスレッド書き込みが増えて定着していった。

また、そこにアニメ制作側の悪意に近いもの存在していることも、その後の2期で海外ドラマglee盗作問題が浮上した際、glee元ネタ回の損な役回りをことごとく矢澤にこに当てていた所からうかがえる。2期4話や6話は脚本プロットglee元ネタ回に近いが、2期4話の元ネタではにこに当たるキャラは最終的に同情を買うキャラマイナスイメージは無いストーリーになっているが、ラブライブ2期4話ではフォローがなくただの痛い奴という扱いのまま、メンバーのご厚意で許されたようなギャグキャラ的扱いの流れで終わってしまう。最後ソロライブすらライブシーンはなく終了。6話でも元ネタ同様の憎まれ口を言わせる役をわざわざにこに当ててしまっている。

ただ1シーンならそういうシーンとして認められるだろうが、元からいちいち頭や性格の悪い発言をさせる役をことごとく矢澤にこに当ててきた上でまた駄目押しのようにそのようなセリフを与えたことで呆れたファンも少なくなかったようであり、そこでは既に盲目信者割合が増えていた当時のラブライバーでも流石に疑問を抱いた者が多かった。それが後のglee盗作疑惑の発覚にもつながったかもしれない。


しかし、この記事の筆者に限らず2期以降はまともなファンが見限って消えた影響もあるのか、ラブライブファンの中心は感覚思考麻痺したファンばかりになってしまったようである

2期途中まではアニメ制作矢澤にこの扱いを特に問題視したり、かつてのファンに同情したりするファン結構いたのだが、段々とそういうファンがいなくなり、たまに内容に踏み込んだ批判をする人が現れても、「アニメ被害者は目に見えて出番が少なく映像付きセンター曲もない海未と花陽だ」とか、むしろ「出番は多いが変な行動ばかり描かれた穂乃果が被害者」だとか、

基本的には即時的で短絡的な感情から物言いをするファンが多く、1期から2期途中まで比較的多かったアニメ化被害者代表格が矢澤にこという意見殆ど見当たらなくなってしまった。

しかすると、アニメラブライブにおける矢澤にこ描写問題点を指摘しようとする際、どうしても「アニメラブライブキャラクター描写脚本glee盗作ネタがあり、その影響でキャラクター改変を受け、損な設定や役回りを与えられたのが矢澤にこ

という事実にぶつかってしまい、彼らがなんだかんだいっても大好きなアニメラブライブという作品根本部分を痛烈に批判否定しなければならなくなるから避けているのでは、と邪推してみたくなるほどである

ラブライバー騒動が段々と大きくなるにつれて当初は問題視していたファンも割と存在していたのにパクライブことglee盗作疑惑の件には頑なに口を閉ざし、批判者を雑に馬鹿にして精神的安定を図るのみで、その問題についてはまともに語ろうとしない所から本能的に避けるようになった節がある。

スクフェス制作しているKlabgleeスクフェスみたいなゲームを作ったか円満解決とか考えるアホらしい解釈もあるようだが、そういう簡単な問題ではない。仮に盗作が許されたとしてもそれでOKという表面的な話ではないのだが、やはり作品の内容については愛しておらず、ラブライバーをやっている自分地位けが大事と噂されるラブライバーという人種はその地位さえ守られたら安堵できてしまものなのだろうか。


1期の後は、この記事の筆者も実力を懐疑的に見ている花田十輝氏によるキャラクター改悪により、

矢澤にこは全く良い所のないキャラクターにされてしまった。

人気はあるようだが、大半はチビロリ黒髪ツインテールという記号としての見た目と声優で見ているのが大半であることは、彼らに好きな所を聞くと2期以降の話が殆ど出て来ないことから明らかである

実際は上に述べた見た目や声優のことだけが好きな理由であり、1期で少しだけ見せた良い所を拠り所に、好きな所を聞かれたらそれを答えておくという状態だろう。

それはそういうものとしていいとは思うが、それで出来上がった人気を根拠に、人気が出たのだからキャラクター改変は成功や正解というのは通らない。

そんな記号声優という要素さえあればいいならアニメ以前のまま変更する必要は皆無だった。作品内人気の面では今以上に定評があった。

徳井青空は大半が新人若手で構成されていたラブライブ!の中でも早い段階でキャラクター適応した演技を見せていた。

ニコ生内で、自分で考えてキャラクターセリフを演じるコーナーでも他の声優より抜きん出て台詞考案と演技が上手かったし、アニメ以前の矢澤にこキャラクターをよく理解していた。

それもあって作品としては黎明期であった当時の矢澤にこの人気と評価は高く、作品の今後を背負う大きな存在として期待されていただけに勿体なく残念である

電撃ラブライブ!3学期の花田十輝氏もこの記事の筆者と同様にアニメのそらまるの演技を評価しつつ、徳井青空のおかげであの改変したキャラ設定ものになったみたいなことを言っていたが、徳井青空演技力過小評価している。アニメ版矢澤にこを見てアニメ版ミルキィホームズネロの延長線上でああいキャラ付けにされたような印象を感じた人は当時多かったと思うが、徳井青空もっと他の演技もできる声優だと自ら矢澤にこを演じて証明していたのに何故あんな薄く浅いキャラクター改悪してしまったのか、とても悲しいし悔しい。

ラブライブ!アニメシリーズというのは結局の所、京極尚彦氏と花田十輝氏のストーリーキャラクター描写を行う上での無能さを知らしめるための作品しかなかったし、その最大の被害者矢澤にこだった。

2016-03-08

フェミニズムの簡単な俯瞰

最近フェミニズムまわりがメンドクサソーな展開になるのは外野から全体像が非常に分かりづらいことなんじゃないか?ということを考えてて、

たとえば絵を描くときって全体のあたりから始めて徐々に細部に向かっていくのが普通で、いきなり細部から書き始めると全体がゆがんだものになりがち。

同じようにフェミニズムについても、いきなりアクの強い人の本を読んだり狂ったツイートを見たりを繰り返してるとフェミニズム全体へのイメージがゆがんだものなっちゃうんじゃないか?

あとツイッターなんかでフェミニストを名乗ってるわりに結構フェミニズムについて分かってない人も居るよね?

ということを思ったんで、フェミニズムについてちょびちょび自分なりに調べて俯瞰できるようまとめてみようとしてたんだが

http://anond.hatelabo.jp/20160307231710

急に増田が来たので取り急ぎ便乗公開してみる。

フェミニズムとは

フェミニズムとは女性を様々な抑圧から解放することを目的とした*思想運動*を指す。

女性解放を実現するための考え方や手法問題意識は人によってさまざまであり、衝突し合うものも多いがそれらをまとめて「フェミニズム」と呼ぶ。

18世紀の終わりから始まったフェミニズム最初公的権利の取得のための運動だったが、私的領域も含めより深いレベルでの男女平等を目指すようになった。家父長制を不平等の根源とした考え方が様々な領域適用され、現在性差別以外の問題をも巻き込んだものになっている。

フェミニズムの流れは三つの時期に分けられる。

第一波(ファーストウェーブ

参政権財産権労働権、婚姻など公的権利の獲得という形であらわれた。

第二波(セカンド・ウェーブ

ファーストウェーブ公的権利だけだったのに対し広い範囲における領域平等を追及していった。

特に家父長制という男性主権価値観問題性が広く認識され、様々な領域社会制度規範への批判へと繋がっていった。

また公的領域だけでなく私的領域も扱うようになり、家庭内における性に関する問題などそれまで見えにくかったところまで踏み込んでいった。

第三波(サード・ウェーブ

カンド・ウェーブに加え、人種地域宗教階級階層、性指向など多種多様問題領域を扱うようになった。

カンド・ウェーブを置き換えたわけでなく、扱う範囲や深さを広げたかんじ?

家父長制(Patriarchy)

社会領域政治経済文化、家庭など)における主要な力を男性が持つ社会システム価値観

フェミニズムではジェンダー押し付けものとして扱われる。

最初男性優位主義などの用語が使われていたが、女性を抑圧する側に居るのは男性だけでないし、この構造により抑圧される男性も居ることから Patriarchyが使われるようになった。

フェミニズム流派

あくま思想系統であり、フェミニスト所属するというものではない。あるフェミニストとある派の考え方の多くが同じである場合、その派のフェミニストと呼ばれることがあるだけにすぎない。

発生当時とは社会状況も違っており、現在では初期の考えと大きく違う部分もあると思われる。

ラディカル フェミニズム

カンド・ウェーブ以降の主流となる、家父長制を性差別の根源とみなし社会から家父長制を排除することで差別根本的な改善を目指すフェミニズム

根源を改革するからRadical feminism(根本的なフェミニズム)。

なので関係する問題領域社会全般のはずな気がするが、現代では主に伝統的なジェンダー・ロールや女性性的対象化、家庭内暴力生殖関連、性犯罪を扱ってるのを見かける。

これらの領域に対し政治的プロセスによる改善でなく、規範への疑問を社会に訴えかけることによる改善模索する事が多い。

リベラルフェミニズム

社会が不必要女性能力を低く見積もった制度になってると考え、女性自由な選択や行動のため能力をふるうことのできる平等を重視とするフェミニズム

ファーストウェーブの流れを汲んでる?っぽく、慣習や法による機会の不平等を打破するため、政治的プロセスを介して状況の改善権利獲得を目指す。

法や権利など主に公的形式を扱い、家庭内権威関係など私的な面はあまり扱わない。

機会が平等であれば後は個人の能力次第であるという考えが、他のフェミニズムと衝突することも多い。

マルクス主義フェミニズム

資本主義という制度社会階級対立が、女性の抑圧にも一役買ってると考えるフェミニズムの一派で、主に女性労働問題を焦点とする。

昔は資本主義制度廃止を唱えていたみたいだが、今はどうなんだろ。

家事家族の世話など、家庭内労働への評価の低さを問題視する。

報酬を得るための労働を「生産労働」、家庭内労働など自分たちのためにやる労働を「再生労働」と呼び、再生労働責任を共有し、女性生産労働にかかわることで再生労働価値が適切に判断されるようになると考える。

社会主義フェミニズムソーシャリストフェミニズム

まれ境遇などによって特権を得たり抑圧されたりと人生が変わってしまうことを問題視する。日本米国リベラルというとソーシャルリベラリズムのことを言うと思うが、それに近い考え方。

労働に関するマルクス主義フェミニズムの考え方に、ラディカルフミニズムのジェンダー、家父長制の考え方を組み合わせたもの。ラディカルフミニズムのように家父長制だけでなく経済的性差も重視する。

リベラルフェミニズムとの違いがよく分からないが、調べてると、マルクス主義フェミニズムと一緒に扱ってるサイトが多かった。

ブラックフェミニズム

性差別だけでなく、階級対立性自認人種主義などさまざまな問題は密接な関係であり不可分であると考える一派。

このような考え方をインターセクショナリティという。

カルチュラルフェミニズム

社会女性特性過小評価されてると考え、男女の違いを肯定的評価していこうとするフェミニズム

ラディカルフミニズムから派生したが、対立する見解が多い。

その他

元増田の「フェミニズムとは」の節を読んでちょっと気になったのでメモ

「この人はリベフェミからこの人の言ってることはリベフェミの主張のはずだ」のような考え方をしたのかなと思うのだが、あるフェミニスト発言特定の派の思想内にぴったり収まってるということは少ないので、そういう認識の仕方は危険かなと思った。

はてブ見てて思うのは、どうも偏ったフェミニストばかりを見かけてしまって変なイメージ付いちゃうよなー、ということ。フェミニストはその活動の仕方によって目立つタイプの人とそうでない人とが出てきてしまうし、多くの人にとっては目立つタイプの人が「フェミニスト典型例」となってしまう。

なのでまず「フェミニズムには多様な思想があるし、それらは常に変化している」ということだけ注意しておけば、いらぬいざこざを減らすことができる、、、かもしれない。

2016-02-27

本音で生きる 一秒も後悔しない強い生き方 (SB新書) 堀江 貴文 (著)

 日本という国は「恥」の文化です。そういう文化がはぐくんだ「空気」が強い同調圧力を生んでいます本音が言えない文化とも言えるでしょう。

 『嫌われる勇気』という本がありますが、『本音で生きる』では、それをホリエモンが簡単に読み解いてくれたように感じました。

 日本人は一生のうち、7人に一人がウツになるらしいです。

ウツの人にとって『嫌われる勇気』は、自分が責められているようで読むと症状が悪化しそうです。

 しかし、この『本音で生きる』は、責められているように感じず、もっと自由に、本音で生きようよ、と勇気をもらえます

補足するなら、

ゲシュタルト療法の9原則

(1)今に生きること、過去未来ではなく、現在に関心を持つこと。

(2)!ここ!に生きること、今、目の前に存在しているものだけを問題とし、 目の前に存在しないものは取り扱わないこと。

(3)想像することをやめて、現実体験すること。

(4)不必要なことは考えないこと。むしろ、直接味わったり、見たりすること。

(5)他人操作したり裁いたりせず、また言い訳したり自己正当化したりせず、 自分気持ちを率直に表現すること。

(6)楽しいことと同様、不愉快なことや苦痛に対しても身をゆだね、 それを経験すること。

(7)「.・・・すべきだ」 「・・・であるべきだ」という、自分以外の人から 発せられる命令を受け入れないこと。偶像礼拝をしてはならないこと。

(8)自分の行動、感情思考については自分が全責任を負うこと。

(9)あるがままの自分を良しとし、それに徹すること。

 それと認知の歪みをチェックすることで、ウツウツ予防になると思います

(1) 全か無か思考

(2)一般のしすぎ

(3)心のフィルター

(4)マイナス思考(プラス否定)

(5)結論への飛躍

  心の読みすぎ(読心術)

  先読みの誤り

(6)拡大解釈(破滅化)と過小評価

(7)感情的決め付け

(8)すべき思考

(9)レッテル貼り

10)個人化(責任転嫁)

以上に気を付けていると良いと思います

2016-02-21

本音で生きる 一秒も後悔しない強い生き方ホリエモンが読み解く『

 日本という国は「恥」の文化です。そういう文化がはぐくんだ「空気」が強い同調圧力を生んでいます本音が言えない文化とも言えるでしょう。

 『嫌われる勇気』という本がありますが、『本音で生きる』では、それをホリエモンが簡単に読み解いてくれたように感じました。

 日本人は一生のうち、7人に一人がウツになるらしいです。

ウツの人にとって『嫌われる勇気』は、自分が責められているようで読むと症状が悪化しそうです。

 しかし、この『本音で生きる』は、責められているように感じず、もっと自由に、本音で生きようよ、と勇気をもらえます

補足するなら、

ゲシュタルト療法の9原則

(1)今に生きること、過去未来ではなく、現在に関心を持つこと。

(2)!ここ!に生きること、今、目の前に存在しているものだけを問題とし、 目の前に存在しないものは取り扱わないこと。

(3)想像することをやめて、現実体験すること。

(4)不必要なことは考えないこと。むしろ、直接味わったり、見たりすること。

(5)他人操作したり裁いたりせず、また言い訳したり自己正当化したりせず、 自分気持ちを率直に表現すること。

(6)楽しいことと同様、不愉快なことや苦痛に対しても身をゆだね、 それを経験すること。

(7)「.・・・すべきだ」 「・・・であるべきだ」という、自分以外の人から 発せられる命令を受け入れないこと。偶像礼拝をしてはならないこと。

(8)自分の行動、感情思考については自分が全責任を負うこと。

(9)あるがままの自分を良しとし、それに徹すること。

 それと認知の歪みをチェックすることで、ウツウツ予防になると思います

(1) 全か無か思考

(2)一般のしすぎ

(3)心のフィルター

(4)マイナス思考(プラス否定)

(5)結論への飛躍

  心の読みすぎ(読心術)

  先読みの誤り

(6)拡大解釈(破滅化)と過小評価

(7)感情的決め付け

(8)すべき思考

(9)レッテル貼り

10)個人化(責任転嫁)

以上に気を付けていると良いと思います

2016-02-05

酒やドラッグによる自動車重大加害はテロと同じ

>せいぜい危険ドラッグ路上に突っ込むニュースのことを思い返すぐらいだ。ようは酔っ払い運転と同じなのだがそれが薬物の危険性に直結するかと言えば酒と同じぐらいの危険しか見出せないだろう。

酒やドラッグによる自動車重大加害はテロと同じだよ。

京都の、てんかん暴走自動車ひとつ惨劇だけで、一瞬にして10人以上もの尊い人命が奪われたのを覚えているでしょう?

飲酒運転自動車により一家ほとんどが死ぬような惨劇も起きてる。

酒、ドラッグ自動車凶悪な害を過小評価するなら、銃や爆弾も同じ目で見なきゃいけない。

上にあげたどれもが同等の害をもたらし、それはテロと同等以上の害を撒き散らす。

自動車により、いまだ年間5000人近くも死んでるという現実に目を向け、ドラッグはもちろん、自動車運転からも離れさせる政策を強力に推進していくが善良となる。

http://greentoptube.hatenablog.com/

自動車への規制取り締まり強化を警察議員要請し続けよう。

自動車運転要らずで安心安全便利に暮らせる地域作りも、自動車惨劇を減らすためにも急務と言える。

自動車を減らすことはドラッグを減らすのと同じ程度に善なのだからね。

2016-01-17

夜間はハイビームの話

夜間ハイビームで走ってる車が少ない。

ちょっと改めて考えると

ハイビーム:対向車が運転しにくい。自分が運転しやすい。

ロービーム:対向車が運転しやすい。自分が運転しにくい。

個々のドライバー全体最適を考えてロービームを選択してる。

と考えるのが普通だと思んだが、他方、ロービームでの走行危険さを過小評価してる気がする。

ロービームの性能要件は40m先を照らせること。

となっていて、実際はもっと先まで光は届くけど、それ以上の距離のものは視認出来ないと思っていたほうがいい。

日中モノを見る時は形だけでなくて、動き、影の方向、色、様々な情報を複合してみている。

急に光の先になにか現れたモノがなんなのか、脳内で処理するには時間がかかる。

ロービームでは30mくらいが視認出来る距離と思っていたほうがよい。

ちなみに、時速60kmで巡行中に急ブレーキで止まろうとすると、32mくらい必要だそうだ。

もちろん諸条件によって前後する。

視認までの速度、視認からブレーキを踏むまでの反射速度、ブレーキ性能、タイヤと路面の摩擦、etc

言いたいことは、ロービームで夜間運転することは、かなり危険だということ。

最善を尽くしても止まれるかどうか。

夜は道が空いていて、かなりスピードが出る。

にも関わらずロービームは、かなり危ない気がするんだな。

2015-12-23

IT系仕事はいつも作業に対しての技術時間レベル過小評価すぎる

まだまだ業界として不安定なので、そこはまあしょうがないとして

その状況からどう対応するかっていうのは企業なり個人なりの技量による

2015-12-09

「出来ることを過小評価するな。出来ないことを過大評価するな」ってのはな「出来ることを過大評価するな。出来ないことを過小評価するな」でもあるんだよ。

重要なのは事実を「論理的に整理すること」であって、「客観的ぶりつつ別の色眼鏡をかけなおせ」なんて誰も言ってねーんだ。

2015-12-08

http://anond.hatelabo.jp/20151208080406

わかるわ。俺とある戦闘機ものゲーム世界1位なんだけど、自分の口でそれを語ると過小評価される(こんな普通っぽいやつで世界1位になれるなら、大したことなゲームなんだろう)から他人の口から言ってもらえるように誘導してるわ。

みんな自分語りがしたいのは勿論のことながら、求めてるのはその先にある賞賛なんだよね。これを得るのが難しい。とりわけ、他人の口を利用しづらいネットでの自分語り特に

2015-11-28

ポール・グレアムを再読して涙ぐむオッサン

オッサンになると涙もろくなる。

ワイ氏の場合、「人の真摯さ」に弱い。

(多少だが)苦労していると、「この人は真実を語っているな」ということは大体分かるし。

ネット世界では凄そうな人がいるんだけども、身近な凄い人は案外そういうのと無縁で生きている。

少なくとも、四六時中ネットリアルタイムの話題にリソースを割くなんて馬鹿な真似はしない。

ネットはいきなり頂点の人が可視化されるので自信を無くす」という話はよく聞くが、

自分の体験からすると頂点らしいネットの凄い人も身近な凄い人も能力的にはあまり変わらない気がする。

要は「本人がやりたいかどうか(いや、「やるかどうか」)」が問題なだけであって、煌びやかさに惑わされて

足下がお留守になってしまうと本末転倒だと思った。

能力が無いと思っている人も続けていれば勝手に能力はつく。連戦連敗でも「何割かは勝ち」の場合もある。

それを次につなげれば、逆境であるほどレバレッジがかかって能力が上がる。

ある時、凄く出来る女性プログラマーがいて「どうやればそんなに出来るんですか?」と聞いたことがある。

答えは、「デスマーチをくぐっていけばこれくらいの実力はつく」だった。

から能力が無いと嘆く若者も(オッサンも、あるいは女性も)絶望する必要は無いと思った。

単に守りの姿勢ポジションが安定したので、後は受け身で人生守りに入ろう、となった瞬間に思考が硬直化

するだけの話であって。

とまあ、増田で書いた所で寝言なのだが、「ネットの人がそれほど凄くもない」ということは、

はてブホットエントリを見れば一目瞭然だ。

例えば、はてブで上がってくる書籍関係記事ほとんどフィクション系でノンフィクション系が少ない。

いつだかの村上春樹ネット相談で、「小説バカにする夫が許せない」みたいな話題があったが、

実際は逆じゃないかな?と思う。「ビジネス書を読んでいる人は意識が高い」と揶揄されるのが

本当のところではないのか。

しかも下らないライフハック系の記事ホットエントリになったりして、Kindleセールで買えよと思う訳だが、

そんなことを言っても聞き流されるのがオチだと言うことも分かる。

それはともかくとして、最初の話に戻ると、真実を語っている人に弱い。

今日、ようやく仕事区切りがついたので、ダラダラとネットを見ていたが、久々に再読してフリーでもいい文章

落ちているものだと思った。上に書いたワイ氏の駄文の何千倍も役に立つ文章が落ちている。

リンクを貼っても読まれないと思うので、抜粋しながら以下に転載したい。

ハッカーと画家」のポール・グレアム抜粋だ。ハッカー以外にも役に立つと思う。

転載元

http://practical-scheme.net/trans/hs-j.html

<版権表示>

和訳テキストの複製、変更、再配布は、この版権表示を残す限り、自由に行って結構です。

(「この版権表示」には上の文も含まれます。すなわち、再配布を禁止してはいけません)。

Copyright 2005 by Paul Graham

原文: http://www.paulgraham.com/hs.html

日本語訳:Shiro Kawai (shiro @ acm.org)

<版権表示終り>

(「知っておきたかったこと」より)

から卒業演説はこんなふうになるだろう。 「きみと同じ能力を持つ誰かができることなら、きみにもできる。

そして自分の能力過小評価しちゃいけない。」 でも、よくあることだけれど、真実に近付こうとするほど

多くの言葉を費さなくちゃならなくなる。 かっこよく決まっている、でも正しくないスローガンを、 泥を

かき混ぜるみたいにいじってみたわけだが、 これじゃあまり良いスピーチにはならなさそうだ。 それに、

これじゃ何をすべきかってこともよくわからない。 「きみと同じ能力」って? 自分の能力って何だろう?

風上



この問題の解法は、反対側からやってみることだ。 ゴールを最初に決めてそこから逆算するんじゃなく、

より良さそうな状況に向けて少しづつ前に進んでゆくんだ。 成功した人の多くは実際にはそうやって成功したんだ。

卒業演説方式では、きみはまず20年後にどうなりたいかを決めて、 次にそこに至るには今何をすればいい、と考える。

ぼくが提案するのは逆に、将来のことは一切決めないでおいて、 今ある選択肢を見て、良さそうな選択肢がより

増えるものを選ぶってことだ。

時間無駄にしてない限り、実際に何をするかってことはあまり問題じゃない。 面白いと思えて、選択肢

増えるものなら何でもいい。増えた選択肢のどれを 選ぶかなんて後で考えればいいんだ。

たとえば、君が大学の1年生で、数学経済学のどっちを専攻しようかと 迷っているとする。この場合はね、

数学の方が選択肢がひろがるんだ。 数学からほとんどどの分野へも進むことができる。数学を専攻していたら、

経済学大学院へ進むのは簡単だろう。でも経済学を専攻して、 数学大学院へ進むのは難しい。

グライダーを考えてみるといい。グライダーエンジンを持っていないから、 風上に向かって進もうとすると

高度を大きく失うことになる。 着陸に適した地点よりずっと風下に行っちゃったら、打てる手はひどく

限られるものになるだろう。風上にいるべきなんだ。 だからぼくは「夢をあきらめるな」のかわりにこう言おう。

「風上をめざせ」。

でも、どうすればいい? 数学経済学の風上だったとして、 高校生はそんなことを知っていなくちゃならないんだろうか。

もちろん知らないだろう。だから、風上を自分で見つけ出さなくちゃならない。 風上を知る方法のヒントを

いくつかあげよう。 賢い人々と、難しい問題を探すことだ。賢い人々は自分達で固まりがちだ。

そういう集団を見つけたら、たぶんそれに参加する価値はある。 但し、そういう集団を見つけることは簡単じゃない。

ごまかしがたくさんあるからだ。

大学生になったばかりのときには、大学のどの学部もだいたい似たように見える。 教授たちはみんな

手の届かない知性の壇上にいて、凡人には理解不能論文を 発表している。でもね、確かに難しい考えが

いっぱい詰まっているせいで 理解できないような論文もあるけれど、何か重要なことを言っているように

見せかけるためにわざとわかりにくく書いてある論文だっていっぱいあるんだ。 こんなふうに言うと中傷に

聞こえるかもしれないけれど、 これは実験的に確かめられている。有名な『ソーシャルテクスト事件だ。

ある物理学者が、人文科学者の論文には、 知的に見えるだけの用語を連ねたでたらめにすぎないもの

しばしばあると考えた。 そこで彼はわざと知的に見えるだけの用語を連ねたでたらめ論文を書き、

人文科学学術誌に投稿したら、その論文が採択されたんだ。

一番良い防御は、常に難しい問題に取り組むようにすることだ。 小説を書くことは難しい。

小説を読むことは簡単だ。 難しいということは、不安を感じるということだ。 自分が作っているもの

上手くいかないかもしれないとか、 自分が勉強していることが理解出来ないんじゃないかという不安

感じていないなら、それは難しくない問題だ。 ドキドキするスリルがなくちゃ。

ちょっと厳しすぎる見方じゃないかって思うかい不安を感じなくちゃダメだなんて。 そうだね。

でもこれはそんなに悪いことじゃない。 不安を乗り越えれば歓喜が待っている。 金メダル

勝ち取った人の顔は幸福に満ちているだろう。 どうしてそんなに幸福なのかわかるかい安心たからさ。

幸福になる方法がこれしかないと言っているんじゃないよ。 ただ、不安の中にも、

そんなに悪くないものがあるって言いたいんだ。

野望



「風上をめざせ」というのは、現実には「難しい問題に取り組め」という ことだった。そして、

君は今日からそれを始めることができる。 ぼくも、このことに高校にいる時に気付いていたらなと思うよ。

たいていの人は、自分がやってることを上手くできるようになりたいと 思う。いわゆる現実社会では、

この要求はとても強い力なんだ。 しか高校では、上手くできたからっていいことはあまりない。

やらされていることが偽物だからだ。 ぼくが高校生だった時は、高校生であることが自分の

仕事なんだって思ってた。 だから、上手くやれるようになる必要があることっていうのは、

学校でいい成績をあげることだと思ってた。

その時のぼくに、高校生と大人の違いは何かと聞いたなら、 たぶん大人は生活のために

稼がなくちゃならない、と答えていただろう。 間違いだ。ほんとうの違いは、大人は

自分自身責任を持つということだ。 生活費を稼ぐのはそのほんの小さな一部にすぎない。

もっと大事なのは自分自身に対して知的責任を取ることだ。

もしもう一回高校をやりなおさせられるとしたら、ぼくは学校を 昼間の仕事のようにあしらうだろう。

学校でなまけるということじゃないよ。 昼間の仕事のようにやる、っていうのは、

それを下手にやるってことじゃない。 その意味は、それによって自分を規定されないようにするってことだ。

たとえば昼間の仕事としてウェイターをやっているミュージシャンは、 自分をウェイターだとは思わないだろう。

同じように、ぼくも、自分を高校生だとは思わないだろうね。 そして昼間の仕事が済めば、本当の仕事を始めるだろう。

高校時代を思い出して一番後悔することは何かって尋ねると、 たいていみんな同じ答えを返す。時間を大いに

無駄にしたってね。 君が、今こんなことをしてて将来後悔することになるだろうなと 思っているなら、

きっと後悔することになるよ。

これは仕方ないと言う人もいる。高校生はまだ何もきちんと出来ないからってね。 ぼくはそうは思わない。

高校生が退屈しているというのがその証拠だ。 8歳の子供は退屈しない。8歳の時には「ぶらつく」かわりに

「遊んで」いたはずだ。 やってることは同じなのにね。そして8歳の時、ぼくは退屈することがほとんど

無かった。裏庭と数人の友達がいれば、一日中遊んでいることができた。

今振り返ってみれば、中学高校でこれがつまらなくなった理由は、 ぼくが他の何かをする準備が出来たからだった。

子供であることに飽きてきたんだ。

友達とぶらついちゃだめだなんて言ってないよ。 誰ともつき合わなかったら、仕事しかしないむっつりした小さな

ロボットに なるしかない。友達と出かけるのは、チョコレートケーキみたいなもんだ。 時々食べるからおいしい。

毎食チョコレートケーキを食べていたら、 たとえどんなに好きだとしても、3食目には吐き気がしてくるだろう。

高校で感じる不安感はまさにそれ、精神的な吐き気なんだ。

良い成績を取る以上に何かしなくちゃならないと聞いたら、 『課外活動』のことだと思うかもしれない。

でも君はもう、ほとんどの『課外活動』がどんなにばかげたものかを知っているよね。 チャリティ

寄付集めは称賛されるべきことかもしれないが、 それは難しいことじゃない。 何かを成し遂げるってこと

じゃないからだ。 何かを成し遂げるっていうのは、たとえば上手く文章を書けるようになるとか、

コンピュータプログラムできるようになるとか、 工業化以前の社会生活が実際どんなものだったかを知るとか、

モデルを使って人間の顔を書くことを学ぶとか、そういうことだ。 この手の活動は、大学入試願書に一行で

書けるようなものにはなかなかならない。

堕落



大学に入ることを人生目標にするのは危険なことだ。 大学に入るために自分の能力を見せなくちゃならない

相手っていうのは、 概して鋭いセンスを欠いている。多くの大学では、 きみの合否を決めるのは教授じゃなくて

入学管理者で、 彼らは全然賢くない。知的社会の中では彼らは下士官だ。 きみがどれだけ賢いかなんて

彼らに分かりはしない。 私立の進学校存在することが、その証明になっている。

入試に受かる見込みが上がらないのに多額の金を学校に払う親はほとんどいない。 私立の進学校は、入試

かるための学校であることを明示している。 でも立ち止まって考えてみたまえ。同じくらいの子供が、

ただ地域公立高校だけに行くより私立の進学校に行った方が入試に受かりやすくなるってことは、

私立の進学校入試プロセスをハックできるってことだ。

君達の多くは、今人生でやるべきことは大学入試に受かるように なることだと思っているだろうね。

でもそれは、自分の人生空っぽプロセス、それを堕落させるためだけで一つの業界存在しているほどの

プロセスに押し込めていることになる。 シニカルになるのも無理ないよ。 君が感じている不快感は、

リアリティTVプロデューサータバコ会社の重役が感じているものと同種のものだ。 君の場合給料

もらっているわけでもないのにね。

じゃあどうしようかね。 ひとつ、やっちゃいけないのは反抗だ。 ぼくは反抗した。それは間違いだった。

ぼくは、自分達の置かれた状況をはっきり認識していなかったけど、 なにか臭いものを感じていた。

から全部投げ出したんだ。 世界がクソなら、どうなろうと知ったことか、ってね。

教師の一人が試験対策アンチョコを使っているのを見つけた時に、 ぼくはこれでおあいこだと思った。

そんな授業でいい点数をもらって どんな意味があるっていうんだ。

今、振り返ってみれば、ぼくは馬鹿だったと思うよ。 これはまるで、サッカーで相手にファウルされて、

おまえ反則しただろ、 ルール違反だ!と怒ってグランドから立ち去るようなものだ。 反則はどうしたって

起きる。そうなった時に、冷静さを失わないことが重要だ。 ただゲームを続けるんだ。

きみをこんな状況に押し込めたのは、社会がきみに反則したからだ。 そう、きみが思っているように、

授業で習うほとんどのことはクソだ。 そう、きみが思っているように、大学入試茶番だ。 でも、

反則の多くと同じように、悪意があってそうなったわけじゃない。 だから、ただゲームを続けるんだ。

反抗は服従と同じくらいばかげたことだ。 どちらにしてもきみは他人に言われたことに縛られている。

一番良いのは、直角の方向に足を踏み出すことだ。 言われたからただやる、でもなく、

言われたからやらない、でもない。 かわりに、学校を昼間の仕事にするんだ。昼間の仕事だと

考えれば 学校なんて楽勝だよ。3時には終わるんだし、なんなら自分のやりたいことを 内職しててもいい。

好奇心



じゃあ、本当の仕事は何になるんだろう。 きみがモーツァルトでない限り、やるべきことはまずそれを

探し出すことだ。 やりがいのあることって何だろう。すごい発想をする人達はどこにいるだろう。

そして一番重要なこと:自分は何に興味があるだろう。 「適性」という単語はちょっと誤解を招きやすい。

から備わった性質のように思われるからね。 最も強い種類の適性とは、ある種の問題に対する

どん欲な興味だけれど、 そういう興味は後天的に獲得するものが多い。

この考えの変化したものは、現代の文化においては「熱意」という言葉で 呼ばれている。

最近、ウェイター募集広告で「サービスに対する熱意」を 持った人を求めている、というのを見た。

本物の熱意は、ウェイターくらいじゃおさまらないものだ。 それに熱意という単語も良くない。

むしろそれは好奇心と呼ぶのがいい。

子供好奇心旺盛だ。ただ、ぼくがここで言っている好奇心子供のとはちょっと違う。

子供好奇心は広くて浅い。 ランダムに色々なことについて「どうして?」と尋ねる。

多くの人は、大人になるまでにこの好奇心が全部渇いてしまう。 これは仕方無いことだ。

だって何についても「なぜ?」と尋ねていたら 何もできないからね。でも野心を持つ大人では、

好奇心は全部渇いてしまうのではなく、狭く深くなってゆくんだ。 泥の庭が井戸になるんだ。

好奇心を持っていると、努力が遊びになる。 アインシュタインにとっては、相対性理論試験のために

勉強しなくちゃならない 難しい式の詰まった本ではなかったはずだ。 それは解き明かしたい神秘

見えていただろう。 だからたぶん、彼にとって相対性理論を見出すことは、 今の学生が授業で

それを学ぶことほど、努力とは感じられなかったんじゃないかな。

学校で植え付けられる幻想の一番危険なものは、 素晴らしいことを為すには自分に厳しくなければ

ならないというものだ。 多くの科目はあまりに退屈に教えられるから自律心が無いと全部に

出席することなんてできやしない。 大学に入ってすぐに、ぼくはヴィドゲンシュタイン言葉を読んで

びっくりした。彼は自律心が無くて、たか一杯のコーヒーであろうと 欲しくなったら我慢することが

できなかったというんだ。

今、ぼくは素晴らしい仕事をした人を何人も知っているけれど、 みんな同じなんだ。自分を律すると

いうことをほとんどしない。 延ばせることはぐずぐず先に延ばすし、興味のないことをやらせようと

しても全くの無駄だ。そのうちの一人ときたら、自分の結婚式に 出席してくれた人へのお礼の手紙

出してない。 結婚して4年経つのに。もう一人は、メールボックスに26000通のメールをため込んでる。

自律心が全くのゼロだったら困るよ。走りに行こうかなと思うくらいの 自律心は必要だ。ぼくも時々、

走るのが面倒だなあと思うけれど、 一度走り出せばあとは楽しめる。そして何日か走らないと具合が

悪くなる。 素晴らしい仕事をする人にとっても同じことなんだ。 仕事をしてないと具合が悪くなるし、

仕事を始めるだけの自律心は 持っている。ひとたび仕事を始めれば、興味の方に圧倒されて、

自律心は必要なくなるんだ。

シェークスピアは偉大な文学を産み出そうと歯を食いしばって 勤勉に努力したって思うかい

そんなわけないさ。 きっと楽しんでいたはずだ。だから素晴らしい作品が書けたんだ。

いい仕事をしたいなら、必要なのは見込みのある問題に対する 大きな好奇心だ。アインシュタイン

とっての一番大事な瞬間は、 マクスウェル方程式を眺めて、これはどうなっているんだろうと

自問したところにあった。

生産的な問題に照準を合わせるのには長い時間がかかる。 本当の問題は何なのかを見つけるだけで

何年もかかるかもしれないからね。 極端な例を言えば、たとえば数学だ。数学を嫌う人は多い。

でも学校で「数学」の名前でやらされていたことは、 実際に数学者がやっていることとはほど遠いんだ。

偉大な数学者のG. H. ハーディは、高校の時は数学が嫌いだったと 言っている。ただ他の生徒より

高い点数をとれたから選択しただけだったと。 後になって、彼は数学面白いということに気づいた。

質問に正しく答えることのかわりに、自分で問題を見つけるようになってからね。

ぼくの友達の一人は、学校で提出するレポートに苦しんでいると 母親が「それを楽しむ方法を見付ければいいのよ」

っていうんだとぼやいていた。 でもそれが、やるべきことなんだ。世界面白くする問いを見つけ出すんだ。

素晴らしい仕事をした人は、ぼくらと違った世界を見ていたわけじゃない。 ただこの世界の中の、

ほんのちょっとした、でも不思議なことがらに気づいただけなんだ。

これは学問だけの話じゃない。

「車はどうして贅沢品じゃなきゃいけないんだ? 車が日用品になったらどうなるだろう?」

これがヘンリー・フォードの発した 偉大な問いだった。フランツ・ベッケンバウアーの問いはこうだった。

「どうしてみんな自分のポジションに留まってなくちゃならないんだ? ディフェンダーシュートしたっていいじゃないか。」

2015-11-03

http://anond.hatelabo.jp/20151102224332

どうも、紫外線が人体に及ぼすダメージ過小評価している気がする

あと30年も立てば、生身で外を出歩く奴なんて居なくなるだろう

2015-11-01

http://anond.hatelabo.jp/20151101150210

個人的にはまとめサイトの影響ってやっぱめっちゃかいと思うんだけど

たまに過小評価してる人がいてもやもやするんだよね。


「しょせんまとめサイトでしょ」


みたいな。

知らん間に外堀埋められちゃうと思うんだけどなぁ・・・

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