はてなキーワード: エントリーシートとは
おっさんや非モテの男が脈もないのにダメ元でグイグイ行かざるを得ない気持ちって女性には絶対理解できないと思ってたけど、これって多分就活に似てるよね。
今はわりと売り手市場になったから状況はわからないけど、就職難の酷いときは可能性がゼロに近いとわかっていてもみんな多くの企業にエントリーシート送ったよね。100社以上送るのも珍しくなかった。
これが低い確率で選ばれる属性側の、人生を賭けた必死の行動ということ。
一本釣りされるハイスペのように余裕を持てればいいけど、大多数の凡人はまわりから無様に見えても試行回数を増やして当たりを引く可能性を増やすしかないってこと。
だから、脈がないのに同じ人に何度もアタックするのはストーカー的になってまずいけど、1回くらいのアプローチは頑張ってるなくらいに見てやれ。断ってもいいからディスるのはやめろ。試行を諦めた奴よりずっと人生に真剣に向き合っているのだから。
訂正印使ったら落とすの当たり前って思ってる人多いみたいだが、正直今時そんな会社がある事自体が非現実的に思うわ。
そこまでやべえ考え方してる会社とか、流石にもう無いだろ。
(新入社員に社長の本配ったりするような会社はまだそこそこあるけど)
つーか、そもそもこのご時世に紙でしか受け付けてない時点で将来性微妙じゃね。
1つや2つ程度のミスでいちいち最初から書き直す暇なんてありゃしねえんだわ。
なら内容見ずに訂正印や誤字だけで落とすのはちゃんとした仕事してねえ証拠だから今すぐ辞めろカス。
枚数多いから仕方ない?
なら書かなきゃいけない枚数が膨大な俺らも同じ言葉返せますね。
手書きじゃないと熱意が計れない?
ならオンラインESでも計れる企業オリジナル設問考えてくださいで終了。
あと、採用担当の負担減らしたいなら尚更マイキャリアボックスやOpenES導入しろや。
それが聞き入られてない時点でもうお察しだわ。
いわゆる中堅大といわれるところだ。平均偏差値は45くらい。滑り止めで入った学生が大半を占める。私もその一人だ。
大学4年間のことはあまり覚えていない。アルバイトとサークル活動であっという間に過ぎていった。
記憶がない。本当に記憶がない…自分は何をしていたっけ? そこまで無為には過ごしてはいないはずなんだけど、私の記憶の水槽の中には、講義中にボーっと過ごしていたこと、学食でいつも一人ご飯を食べていたこと、飲み会のノリについていけずにちびちびと酎ハイを啜っていたこと――大した思い出は詰まっていない。
こんな自分だけど、景気がよかったおかげか、いわゆる大手企業に入社できた。この業界では一流とされている。
会社名を出したとすると、「いい大学を出ていない人でも社風がマッチすれば内定が取れそう」といったイメージを持たれることだろう。
私自身を殺したい。
子どもの頃は、絶望とか、虚無とか、疎外感とか、そういったものを感じたことはなかった。アニメやドラマに出てくる人達がそういう状態になっていても、自分には関係がないと確信していた。
大学3回生の秋になって始めた就職活動で思い知ることになった。通っていた大学のレベルの低さを。
志望していた企業は説明会すら受けられない。どれだけ気合いを入れてエントリーシートを書いても、通過率は2割に満たない。大手企業に至っては、今の会社以外すべて門前払いだった。
うすうす分かっていた。
学際サークルに所属していたが、大学名で見事に序列ができる。特に、異性なんかは、私が大学名を出した途端に空気が変わる。嘗められている感じ――こいつはイケそうと思われている感じ――頭が弱そうと思われている感じ――とにかく、私が大学名を名乗ると、話相手だった人間の態度が変わる。心が変わる。私に対して変わる。
どうして私はあの時、浪人を選択しなかったんだろう。どうしても行きたい大学があったのに。
あと少し頭の回転が速くて、あと少し努力ができて、あと少しだけ運がよければ合格できた。だったら浪人した方がよかったのに。
もうこんな年になるのに、あの当時の夢を見る。夢の中の私は、浪人を選んでいる。それで、もっともっと勉強して、第一志望の大学どころか、さらに上の国立大学に合格して、それでも第一志望の私立大学を選ぶのだ。
朝になって目が覚めて、これが夢だとわかって、通勤中に夢じゃなければよかったのにと思い、勤務中に昔の自分を思い出しては嫌悪を感じ、過去の自分に鞭を打つ。
こんな苦しい思いはしたくない。どうすればいいのだろう。
もう少しだけ聞いてほしい。もっと話せば、気持ちの整理がつく気がする。
つまらなくないように配慮する。増田に書いてはいけないことを書くかもしれない。でも、それはフェイクなのでセーフということにしてほしいんだ。そういうことにしておいてほしい。頼む……
エピソードをひとつ挙げる。私がまだ入社1年目で、転職エージェントの見習いだった頃、先輩から課題が振られた。私ともう一人の同期の男子に。
その先輩は、事業所内でも実力のある若手だった。今では私の直属の上司だ。当時は、新人だった私のサポーターとして色々教えてくれていた。
課題というのは、転職希望者リスト(履歴書+職務経歴書+参考資料)の並び替えだった。何十枚ものクリアファイルの一つ一つに、転職したい人の情報が挟んである。
「お前ら2人で勝負な。これを並び替えといて。ルールは任せる。変な並びになってても、そのとおりに使うから。元に戻したりしない。その代わり、変なの作ってきたら今後のことは考える」
先輩が椅子に腰かけていた。その目の前で、私と、同期の子が一緒に並んで話を聞いていた。先輩の指示を聞いていくうちに、どんどん不安になっていった。
お昼ごはんの時のコーヒーが喉に絡んだ。いま話をしたら、変な声になるんだろうなと思うと、先輩の顔を見ることができなかった。スカートの上の方を握りしめて、離して、握って離してを繰り返していた。
勝負なんてしたくなかった。負けるに決まっていると思っていた。
「彼」は、私の同期だったけど、私とはレベルが違った。関西にある一流の私立大学を出ていた。浪人も留年もしていない。そのうえもちろん、新卒入社だ。
私が行きたかった大学だった。それも法学部。私は1日に10時間以上もの勉強を半年以上も続けて、模試で一番判定がよかった政策学部を受けたものの、合格点まであと30点も足りなかった。
でも、その彼は、高校3年生の夏頃まで、週に何度も同級生と麻雀をしていたという。子どもの頃からサッカーをしていて、イケメンで、背が高くて、空気が読めて、……私よりも頭がいい。
部屋の中央に長細い机がふたつ重なっていた。その上に、個人情報の詰まったクリアファイルの山が置いてある。私がまとめたのと、彼のだ。
彼は緊張している様子だった。いつもはニコニコしているのに。
「こいつの見てみ」
こいつ、とは私のことだ。彼は私が整頓したグループを手に持つと、指先で丁寧に捲っていった。
「お前も」
先輩から、「彼」が並び替えをしたクリアファイルの山をもらった。
……整然としていた。業界、職種、特技、資格、学歴――様々なカテゴリがきめ細かく揃っていて、一周する頃には、誰がどの辺りにいたのか大体思い出せた。
「参りました!」
芸人みたいなリアクションを取りながら、彼は私に頭を下げた。おどけた様子だった。
「俺のより〇〇ちゃんの方が絶対いい」「俺にはこの視点はなかった」「営業所全体で共有しよう」
そう言って私のことを誉めそやすけど、上っ面だった。こいつは私のことを馬鹿にしている。
「頑張ったな。こんなの作れるなんて、感動してしまった。お前はすごい」
声の方に体を向けると、先輩が、笑顔とも苦笑とも取れない顔つきで長机に肘を置いていた。
「そうでしょ!〇〇ちゃんスゴイって思いました」
彼の言葉は嘘だ。この場をごまかすためだけにしゃべっている。その証拠に、ネクタイの首元を撫でるように触れている。
「でもな。今回は、〇〇の勝ちとは言い難い。というのも……」
ほら、やっぱり。
もうロクに覚えてないけど、仕事の速度、コストパフォーマンスという言葉が出てきたのは覚えている。彼は、これを1日で仕上げてきたらしい。私は3日かかっている。だから、私の方が質がいいのは認めるけど、私の勝ちとは言い切れないって。
先輩は、彼と同じ大学だった。同じ部活か、同じゼミか忘れたけど、とにかく繋がりがあった。だからだと思った。彼のメンツを潰さないように配慮した。
先輩は、「彼」の顔を立てた。私がどれだけいい物を作ろうと、彼と同じ日数で完成させようと、彼がどれだけよくない物を作ろうと、『私が勝てない』という結果は決まっていた。
先輩は、私よりも彼の方が大事で、だから私をダシに使ったのだ。
彼は、小会議室から出てすぐ、ディナーに誘ってきた。「ご飯行こうよ」と言われた。「泣かんでもいいじゃん。俺が負けたんやし」とも。
行きたくなかった。彼は私を馬鹿にしている。そんな相手と食事はできない。
彼だけじゃない。私だって私を馬鹿にしている。私は頭がよくないし、子どもの頃から自分の意思を実行する力に欠けている。
甘えたい私に負けて、自分で自分に誤った道を導き続けてきた。だから、こんなに情けない今がある。周りにイジメられて弱くなったんじゃなくて、私が私と一緒に弱くなっていった。
これからも自由にはなれないだろう。私が、私自身と気が合わないからだ。私が、私自身を恥じて顔を赤くするからだ。
私が先輩に提出したリストは、ある一つだけのルールに従っていた。
転職できる可能性順だ。社内にある過去の転職データを基に全員をランク付けして、数か月以内に転職できそうな人はAランク、ほとんど可能性がなくて放置が望ましい人はCランク、それ以外はBランクにした。
クリアファイルの中の転職希望者は、その全員が20代後半までだった。
なのでこの場合、優先順位は、①学歴、②社会人経験(特に新卒で入った会社)、③希望する業界・職種・企業名になる。
①学歴というのは、社会人として死ぬまで一生ついて回るものだ。転職エージェントとして一人前になって何年も経つけど、いまだに実感する。
②も大事だ。どんなレベルの会社に籍を置いていたのか気にする企業は多い。その人が第二新卒だったらなおさらだ。有名な会社だと、欲しいスキルを身に付けているか予測しやすいこともある。
③は、そこまで重視しなかった。本人が望んだ会社でも成功しないことはあるし、逆に志望していない会社でも、受けてみたら案外よかったということもある。
詳しく書くわけにはいかないけど、いわゆる高望みだった。小売業界で働いていて、とある電子機器メーカーを志望していた。それも一流の。
結果は目に見えていた。その電子機器メーカーの干飯スキルと本人のそれがぜんぜんマッチしていない。いわゆる論外だった。
その人の書類を2、3分ほど読んで、Cランクの一番下のあたりに入れた。そうせざるを得なかった。切ない気持ちになった。
今こうして自分の想いを整理してみると、母校への恨み辛みの感情は確かにある。
『嘘』を吐かれたからだ。
講義とか、就職関係の行事などで、大学の先生や事務職員から、「うちの卒業生はすごい!」という話を聞かされたり、アピールされたりすることがあった。
とある文学部の先生が言うには、数十年前に国家公務員一種試験に合格して法務省に採用された人がいたらしい。後にも先にも、佛教大学を卒業してキャリア官僚になったのはその人だけということだ。根が真面目で、卒業に必要な単位をすべて取っても、まだ大学に通っていたらしい。
とある社会学部の先輩が言っていた。(当時から数えて)数年前に、伊藤忠商事に内定した人がいると。その人は、とにかく忙しい人で、講義にはあまり出席せずに水商売の仕事に明け暮れていたらしい。それでも単位を順調に取得して、教職課程最難関の講義ではチーム全員で百点満点を取って、大学の学園祭ではパヒュームのダンスを踊ってウケを取って、とにかく活動的な人だったらしい。
私が在学中、社会人の先輩を囲んで話を聞く懇談会があった。就職活動中だった私は当然参加した。その会場には、いろんな会社の人や大学院生やNPOの人が来てくれていた。基本的に先輩方をちやほやして、実りのある話を聞く会だったのだけど、中でも別格だったのが、とある学校の先生だった。
見た目は40代前半くらいだったけど、教育学部の先生方から熱烈な歓迎を受けていた。熱烈とかを超えて、もはや神扱いだった。懇談会が進む中で、その人が教師として実績を上げたことで、地元の教育委員会に赴任して、〇〇教育(※よく覚えていない。社会教育とか生涯教育だった気がする)の分野で課長職にあるとのことだった。
相応に高齢で、そのうえ高い地位にある大学の先生が、どうしてはるか年下の人を神扱いするのだろう。当時の私には不思議な光景だった。でも、とにかく、この会場にいる卒業生の人達がすごいことが伝わってきた。
すべて『嘘』であるとわかったのが就職活動の結果だった。学生が六千人もいれば、凄い人は必ずいる。ただそれだけのことだった。私は、私が才の足りない人間であることを理解できないだけだった。
大学について思うことがある。社会人になってそれなりの年月が経つけど、今いる会社の人に比べると、常識のない人、精神的に幼い人、人格がおかしい人が多かった。
①常識のない人
健康のために週3で通っていたトレーニングルームは、体育会の部活が支配していた。彼らは、50キロ以上ものバーベルを両手で上下させて1セットを終えると、上空からマットに投げ捨てていた。凄まじい音がするうえに、危険極まりない。その横では、ベンチプレスをしている後輩の体をイタズラで小突く先輩がいた。一応、社会人の利用者も同じ室内にいるのだが、誰も注意することはない。ほかにも危険な行為をしていた。
②精神的に幼い人
講義中によくある光景だった。隣にいる人が先生に当てられるのだけど、その人は答えない。ノートを見ると、ちゃんと取っているように思える。答えだって書いてある。でも、こういう人は答えない。わかっていても、わかっていなくても、だんまりを貫くのだ。いわゆる、「大学生になってはいけない人」だった。行動が大人のレベルに達していない。大学生は大人でないにしても、ひどすぎる。
私が在学中に、野球部の人が後輩に当たり屋を強要して逮捕された。その人は、上に書いたトレーニングルームで危険なことをしていたうちの一人だ。柔道部の部室からは、たまに悲鳴や怒号が響いていた。ある土曜日の昼に中を覗いたところ、中で女子部員がされていた。すぐそばには、先輩に殴られたと思しき男子部員が長椅子のそばで震えていた。
すぐに1階に走って行って、警備員の人に事情を説明した。彼らが2階に上がっていったところで、心臓が痛くなって、気分が悪くなって、吐き気がしてトイレに行った。事の顛末も知りたくなかった。トイレから出ると、まっすぐに家に帰った。
大学を卒業するまでの私は、一流とか、一流に準ずるとか、そういう組織に所属したことはなかった。
大学だけでなく、中学・高校もそうだ。当時、私が住んでいた地方都市では名門と呼ばれる高校に入ったものの、大人になってから、その名声がまやかしであると知った。
数年前のことだ。中高一貫校であったその学校が――中学卒業とともに別の高校に行く生徒を卒業式に参加させない慣行があったことがわかり、教育委員会から是正指導を受けていたことを知った。最近では、英語教師が、校内での英検本試験実施後に、問題をすべてコピーして持ち帰っていたことが新聞沙汰になった。
高校だけじゃない。中学もそうだ。都市部の端っこにある、いわゆる貧困地区で育った私が、校内暴力その他の犯罪行為に塗れた母校に誇りを持てないのは当然だった。年に一度は田舎に帰るけど、あの学校が今はどうなっているのか、見に行ったことは一度もない。
このあたりで最後にする。自分の想いばかり書いてしまって申し訳ない。
学歴コンプレックスに打ち勝ちたいと思っていた。自分が何者でもない感じを拭いたかった。
私は運がよかった。中堅大学から大手企業に入ることができた。誰もが一流であると認識するであろう組織の一員になれた。でも、拭えないんだ。ぜんぜん。
飲み会などで「大学どこ?」って聞かれる度に、嘘を答えたい気持ちに抗うことになる。実際に、嘘をついたこともある。
嘘をついたら、その時は楽になったけど、後で罪悪感が浮かんでくる。自分で自分を許せない気持ちになる。
どうして、あの時の私はもっと努力をしなかったのか? どうして、あの時の私は浪人を選ばなかったのか? どうして、あの時の私は第一志望の大学に行けなかったのか?
何が正しいのか。頭ではわかっているし、心でもわかっている。
シロクマ先生ほか、有名なブロガーの記事を読んでいて感じることがある。今の社会を生き抜くにあたって大切なのは、自分自身を愛せることだ。そのためには、ありとあらゆる活動に手を出して、得意な分野、自分にとっての「たましいの仕事」を見つけて、自分を作り続けていく。それを繰り返すうちに、自分を愛することができる自我が生まれる。
私にはできない。社会からどんなに認められても、自分を愛することができない。
今の私の転職エージェントとしての実績は、先ほど述べた「先輩」よりも上だ。数字でいえば、先輩の現役時代と比べて1.3倍以上の開きがある。営業所の若手の中では、私が一番多く給料をもらっている。部下も4人いる。みんな可愛い。私を慕ってくれる。最近、「彼」もできた。
満たされない。いつ、どんな時でも、高校時代の努力が足りなかった自分を許せない。おそらく、死ぬまで過去の自分を許せないんだと思う。
最近は、それでもいいかと思っている。思えば、この気持ちに向き合うことで私は成長してきたのかもしれない。
だったら、この、昔の自分が許せない気持ちに感謝すべきなのかもしれない。むしろ、持ち続けるべきなのかもしれない。
ここまで聞いてくれた人、ありがとう。
涙が止まらないんだ。
昔の私に、いつか伝えてみたいことがある。
「諦めないでくれてありがとう」って。
先日ある企業から内定を頂いた。1月からの早期選考に乗って就活解禁前に頂いた形だ。
ちょうどいいので内定を受諾して就活を終えてしまおうかと思うが、3/1に何もしないのがなんだか怖くて今文章を書いている。
ただ、今私が考えているネックな事項が全てこれから1年の研究室生活についてだけなので、「まだまだ就活をやるつもりだったのに日常の研究室生活に戻るのが抵抗ある」というだけだと自分で思う。
入社後の心配はあんまりしていないんだよね。十分いい会社だと思うし、私は社長の哲学に共感したからこの人についていこうと思ったし、業務内容も勤務地もこの職種にしては珍しく現時点で比較的はっきりしているから1年かけて色々と準備出来て非常にありがたいし、無論研究内容も面白そうだし、今後絶対に伸びる会社だと思うし、今年のボーナスも非常に高かったらしいし、直感で好きだし、あと面接で本当に好きに喋ったのになぜか評価されたからなんだか嬉しい感があるし、実は留年しているのだけどそれに関する話題が一切なかったのも有難いし、続ける理由が無いというか。
内定を受諾せずにキープするのって、「どうしても行きたい企業があるからそれまで待って」という学生がする物であって、私みたいな比較的志望順位をはっきりとつけずにふわふわでやってきた学生は、最初に内々定をを頂いた企業で終わらせてしまうべきだと思うのよ。
まだ3月始まっていなかったから、現時点で面接が進んでいる企業とかないし、続けるとするとESを3/1に出すところから始める必要がある(去年のを参考に既に書いてはいる)。ここから1ヶ月とかで結果が出るとは思えない。
今の会社が、「出来たら3月中に内定受諾が欲しいな、一応いつまでも待つけど」と言っている。
その状況から見ても、就活を終わらせてしまって、おざなりにしていた日常生活や研究や学業に力を入れる方が妥当だと思う。
本当にネックは、多分教授や先輩が知っているような有名な大企業ではないところ。特に大企業志向の先輩に「終わらせないでもっとやればよかったのに」と言われそうなところ。
そんなちいせえことくらいしか気にすることが無いのならやはり内定受諾するべきでは?せっかく内内定を頂いた会社にも待たせるのは悪いし。
私はもともと大手はあんまり見ていなかったんだよ。安定志向で小心者でぶちゃけメンタルがそんなに強くない私は、首の心配なく働ける企業に行きたかったんだよ。
だからこれからエントリーシートを出してもいいなと思う企業は絞り出せば7つほどあるが、今の会社と売上高ベースでせいぜい倍~数倍程度だし(それでも規模は異なるだろうが)、私は今の会社の方が変人の私には合っていると思うし、モチベーションが続く気がしない。
っていうか10年後にはより多くの学生が知るくらいもうちょっと大きな会社になっていると思うのよね。社長は単純に売上高を伸ばすことは多分重視していないと思うけれど、ぽんこつ学生の立場から言えば、売上高が1000億の大台に乗れば認知度は飛躍的に向上すると思う。私は最初はそこでスクリーニングかけて企業を探した。
漠然と不安だなぁ。きっと学生の私が分からない会社の闇もあるんだろうなぁ。まあそれが入社後どうしても許せなければ、転職すればいいか。うーん。そのためにも多くの会社を見ておいた方がいいのかなぁ。でも説明会レベルでさらに多くの企業を見るつもりは無いし、就活続けるにしても既にある程度知っている企業にしかエントリーするつもりは無いし、この観点では気にしなくていいか。
いわゆる就活掲示板を見て会社の評判を検索すればいいのだろうか。そういうことはしない主義なのだけど。いや辞めとこ。世の中には知らない方がいいこともある。
ぐずぐずとぶーたれるしかしていないな。
推敲せず投げ捨てる。
憧れの企業だった。n次面接に進めたこと自体が夢のようだった。
難しいのは分かってる。でも折角の機会だから、全力を尽くしてやってみようって。
一縷の望みをかけて頑張った。で、見事落っこった。
あああああ悔しいなああああああああ〜〜〜〜〜〜…。
「ひとを巻き込んで挑戦した経験」あるわけねーだろ。
「当社の強み・弱みを教えてください」そんなん、学生に考えさすんじゃないよ。
「あなたを文房具に例えると?」咄嗟の論理的思考力を試すため?は?????そんな質問で論理的思考試せる??
ばっっっっっっっかじゃねえの。
いい学生を選びたいその気持ち、わかりますよ。分かるけどねえ。
傲慢だよ。
膨大な時間をかけて、バイトで稼いだ交通費をかけて、準備して挑んで。
一通のメールで落とす。
念入りな企業研究を要求するくせに、落ちた原因は教えてくれない。不明瞭な採用基準。そこに論理性は皆無じゃねえか。
大学時代、めちゃくちゃ勉強や研究を頑張ったって、企業は見てくれやしないよ。
良い学生を囲い込みたいのか、選考がどんどん早くなってるね。なんのために大学行ってんだろうね。
社会は理不尽だけどさ。その理不尽を減らすために、偉い人がいるんじゃないんだね。
髪型・服装規定を取っ払ったくらいで、学生に寄り添ったつもりになるなよ。
あーーー悔しいなあ。また次のエントリーシート書かないと。
就活をしていたとき、底辺の大学だと説明会にすら行けないという学生が多かった。
学生のエントリーシート添削したりキャリア相談に乗ったりする会社の人にその話をしたとき言われたこと。
①偏差値による足切りの必要はないがそうすると人間が増え過ぎて企業の人事のリソースが単純に足りない(それが足りるならできれば全員会いたいという会社は多い)
②偏差値で切らなくても、偏差値の低い大学の学生が書くエントリーシートはひどい。「学生時代私が最も頑張ったことは恋愛です」と彼氏との惚気を平気で書く人が沢山いる
②は信じがたかったが、私が出会わない層のエントリーシートをチェックしている人が言うのだから本当に驚くような文章の人間が多いんだろうな。
追記はしないつもりでいた。
でも、ある1人だけにコメントを返させてもらう。
https://anond.hatelabo.jp/20201001022747
衝撃を受けた。
ここまであなたの心を傷つけるとは思ってもみなかった。
でも、あなたにだから正直に言わせてもらうけど、辞めたことは後悔していない。
5年以上が経ったとは言いつつ、もっともっと、かなり昔の話なので当時の感情を思い出すのは難しいけど、それでも転職という答えが幸せになるための道だったんだよ。
日記は2つともすべて読ませてもらった。
文系の学部出身で、事務職で応募して、もの凄く面倒くさいエントリーシートを書いて、何度かの面接の後に採用された。
企画部門への配属だった。生産管理を希望していたけど通らなかった。
増田でこんなことを書いている以上は察してもらえると思うが、俺は失敗した側の人間だ。
任天堂は素晴らしい会社だ。世界に誇ることができる。でも、考えが甘かった。俺には適合しなかった。
気持ちの整理はついている。別に1万字とか書き殴るとかではないので、もし暇だったら読んでほしい。
大学3年の秋になって、いよいよ就職活動を始めることになって、大学のフリースペース(名前は忘れた。インターネットができる端末とか、調べものができる書棚が置いてある広い建物だった)で四季報を読みながら応募先を決めていた。
どこに応募するかを決めるにあたって、色々と考えた。
「将来、どういう人生を送りたいのか?」
そして、考えがまとまった。
趣味が大事な人間だった。おっさんと呼ばれる年になった今でも続けている。
それで、四季報やインターネットを見て、そういう雰囲気の会社を見つけては説明会に申し込んだ。
なぜ、任天堂を選んだのかというと、上の条件を満たす可能性のある会社だと思ったからだ。実際にそんなことはなかったのだが。
後は、当時所属していた学際サークルの先輩が、任天堂に入りたいと豪語していたけど普通に落ちていたからだ。その先輩は、サークルの中でも指折りの実力者だった。
京都大学に現役で合格して、4年間の学生生活を謳歌して、サークル活動では常に頼られていて、住友商事に内定して、同志社大学のサッカー部のキャプテンが当時付き合っていたチアリーダーの子を口説き落として、数年後には結婚して、今では新しい家のブランドを作る仕事をしている。
そんなレベルの超人が一次面接でお祈りされるなんて、どんな会社なんだろうと思った。
俺が通っていたのは一流の大学ではなかったけど、それでも受けてみようと思った。
採用試験の内容は述べない。俺の体験談は面白くないと思うし、年を経て記憶がだいぶ怪しくなっている。インターネットで、採用試験がどんなものかを紹介しているページがあるけど、まさにそんな感じだった。
書類選考で勉強のできない人を落とした後で、『創造性』がありそうか?というのをつぶさに見る。
本題に入る。
俺はプロの世界を嘗めていた。仕事にかける情熱が同期と比べて明らかに低かった。社会人として生きる覚悟が足りていなかった。
プランナーというのは、ファミコン時代のマリオで例えると…土管はここに置くとか、空中のブロックをどこにするとか、1UPのキノコは右に流れるべきか左に流れるべきか、みたいなことを考える。
大体の会社ではそうだと思うが、新入社員に任される仕事は“形”や“答え”のあるものだ。俺が最初に任された仕事は、企画部門の中でも相当に定型的なものだった。
超すごい人達がゲームのデザインをして、レベルの高い人たちが上記のプランニングを済ませて、さあ開発だ!となる辺りの段階だ。
ぜんぜんダメだった。ダメ過ぎて上司や先輩に怒られ放題だった。お前情熱を感じねーんだよ、みたいなことをよく言われた。その度にムカついたけど、知能も知性も知識も足りなさすぎて、黙って耐えるのがやっとだった。
たぶん同期にも馬鹿にされていた。なんであんなのが入ってきたの?って言われていた可能性が俺の中では90%くらいある。
任天堂の社員にはどんなイメージがある?キラキラしているイメージだろうか。
実際に見てみればわかる。総合商社とか銀行員とかコンサルとか、そういうのとは異なる人種だ。一応は製造業なので、見た目は大人しめな人が多い。
でも、中味は違う。元気があって、溌剌としていて、自分の意見をはっきり言えて、他人の意見を受け入れる力があって、何より頭がいい。俺みたいのもいるけど少数派だ。
2年目、3年目も同じような仕事内容だった。いわゆる“答え”のある仕事。レベルの高い同期は本格的な企画の仕事に進んでいた。みんなが知っているようなゲームタイトルの制作会議に20代の若者が出て行って、父親くらいの年齢の社会人と侃々諤々の議論をしていた。
当時の俺は、今のよくない状況を肯定的に考えていた。むしろ喜んでいた。
なぜかって、このまま永遠に形のある仕事、答えのある仕事をしていれば、企画を出す仕事をしなくてもいいからだ。当時の俺は、自分のアイデアが世の中に出ることに関心はなかった。ただ、毎日定時に帰って、それなりの額の給料をもらって、土日祝日に趣味を楽しんで…そんな生活に満足していた。
毎年のように事務系の部署に異動希望を出して、「いつかは通るだろう。俺のような者を企画に置いておくはずがない」とアホみたいなことを考えていた。
先輩がひとり、またひとりと消えていき、気が付くと俺は中堅社員になっていた。ある年の4月、初めて企画らしい仕事を主担当として任されることになった。
実力が足りていなかった。あるゲームの操作画面や説明画面、設定画面なんかを手掛けることになった。今風の言葉で言うとユーザーインターフェースだ。
ゼロの状態から仕様書と設計書を作るだけの力はなかった。それでも、今まで自分が作ってきたやつをツギハギして、どうにかしたつもりだった。
上司や先輩から、「ここわかりにくくない?俺はこっちの画面に行ってしまうよ」と言われても反論できなかった。自信がなかった。自信がないから上司を押し切ることができない。上司の方も、そんな奴の意見をそのまま通すことはできない。
それで悟った。これまで俺は、上の人たちが作ってくれたパーツを組み合わせてただけなんだって。自分では何ひとつ創造していないんだって。再確認させられた。
今までパズルをやっていたのだ。任天堂が作らないといけないのはパズルそのものなのに。
結局、納期をオーバーした。上司はそれでも俺を諦めることはなかった。最後まで作らせてくれた。もしこれを読んでいるあなたの記憶の中に、あのゲームの操作画面はわかりにくかったというのがあれば俺のせいかもしれない。個人的に謝罪する。
今度こそ、本気でゆっくりまったりしている会社を探そうと思った。地元である京都がいいなと思ったのでリクナビに登録したものの、ぜんぜんうまくいかなかった。
ゲーム会社からは100通以上のメッセージが来る一方で、志望していた機械系メーカーや化学系メーカーの事務職のオファーは少なかった。応募しても書類選考で落とされる。15社に応募したけど、結局ぜんぶ書類選考で落ちた。
今ではわかる。中途採用なのに、事務職として必要な経験が全くなかったのだ。部品調達はやったことがないし、社会保険の手続きもできないし、法律に詳しいわけでもない。
もういい年だし、一流の大学を出ているわけでもない。
それから何か月もかけて、年収が低くてもいいので“ゆっくりまったり”を実現できるかもしれない会社を見つけた。どうやったらそこに入れるかを考え、情報収集をして、研究と対策を重ねて、3度の試験の後に採用通知を受け取ることができた。転職活動を始めて1年後のことだった。
退職を告げた時の、上司や先輩からの引き止めの言葉を覚えている。
「せっかくモノになりかけてるのに」
「ストレスに耐える力は一人前だから、もっと時間をかけてみれば」
「あと1年だけでも働こうよ」
一言一句は合ってないが、おおよそこんな内容だった。手帳に書き留めていたから、そこまで違ってはいないだろう。
社交辞令なのか、それとも本気で言っているのか判断がつかなかった。
あの会社で働くだけの資質が俺にはなかった。創造的な仕事を馬鹿にしていた。もうその時点でゲーム会社にいる資格はない。
あの頃の俺は会社を冒とくするだけでなく、一緒に働く仲間も含めて冒とくしていたのだ。子どもだったから気が付くことはなかった。
最後に、これを書くにあたってヤフー知恵袋などを読んでいたところ、任天堂に入りたい人の疑問が予想外に多かったので、その辺りも主観をベースにちょっと書いてみる。
問.どんな人が内定を取れるのか?
答.ホームページの採用情報に書いてある。あれは美辞麗句ではなくて、本当にそういう人を欲しいと思っている。つまり、以下の要素を持っていると判断されれば採用される。
①の創造性は、学生時代の実績を見られる。例えば、学生時代に部活をしていなくて、サークルに入っていなくて、でもゲームにのめり込んでいて~みたいな人は多分落ちる。
面接で、学生時代の実績についてガッツリ聞かれるからだ。創造的な活動とはどんなことかと言うと、正直何でもいい。自分の考えがあって、主体的に動いて、それでいて周囲と協調ができていればどんな活動でもいい(結果がいいのに越したことはない)。
自分の場合は、大学生や専門学生だけでプロの歌手やバンドを呼んでライブを実行する学際サークルで活動していた。はっきりって端役だった。分かりやすい例でいうと…今季アニメの「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完」で説明する。
卒業生のためのプロムパーティーを実施することになって、ゆきのんが実行委員長で、いろはすがイベント準備の統括的なポジションで、八幡が影の参謀みたいな役割だったと思う。
俺がやっていたのは、いろはすの下で働く生徒達だ。会場のセットをしたり、参加者の受付をしたり、集客用のフライヤーを撒いたりするような、そういう下働きのポジションで部分リーダーをしていた。
創造性といってもこのぐらいでいい。自分の考えがあって、主体的に動くことができて、その過程で他者を巻き込む経験をしていれば何でもいい。面接で何を聞かれても自分の言葉で話せるはずだ。
ただし、アピールは忘れないように。自分の経験が100かなと思ったら、頑張って膨らませて500にする。それ程度なら問題ない。あなたが受ける会社だって、自社の魅力が100だとしたら1000にしてアピールしている。
②のゲームへの情熱は言わずもがなだ。この業界は、ゲームへの熱い思いがないと生き残ることはできない。実際、俺は生き残れなかった。
想像してほしい。新しい案を立ててプランを作っていかないといけないのに、何も思い浮かばずに席に座っているだけの自分を。それでいて時間は流れていく。もうすぐ打合せだ!となって、何が何でも間に合わせようとするも、会議で恥をかくために資料を作っているとしか思えない精神状態になる。
そんな自分が嫌になって、ますます精神が追い詰められてうつ的な症状が出る。かつての俺だ。でも、情熱があればなんとかなることもある。情熱さえ生きていれば、アイデアが枯渇しても、他社や他人から少しだけパクッて、自分のアイデアとつなぎ合わせるなどして窮地を乗り切れる。
ゲーム業界に名を残すような人でも、ポンポンとアイデアが湧いてきて、企画会議も余裕でプレゼンテーションをしているかといえば、そんなことはない。あの人達も必死で藻掻いている。どんなに残業が少ない会社でも、社命が懸かった仕事に取り組んでいる人はとんでもない量の仕事をこなさないといけないし、土日祝日も関係ない。
夢というのは、一度叶えて終わりじゃない。死ぬまで叶え続けないといけない。
あなたが志望する会社に採用されて、志望するポジションになれたとする。「夢は叶った!めでたしめでたし」じゃない。
例えば、ゲームを作る会社で働いている間は、健やかなる時も、病める時も、ずっとゲームのことを考えなければならない。止めた時点で、あなたの夢は終わったことになる。あなたにとってのゲームはそこまでの存在だったということだ。
③の学習ができるというのは、新しいことを能動的な姿勢で覚えていけるということだ。特に、英語ができないと仕事で詰まることがある。事務系は英語の読み書きだけでなく、海外の販売会社等と電話でやり取りしないといけない場面がそれなりにある。
企画系だろうと、デザイン系だろうと、開発系だろうと、どの部門であっても「学習ができる」ことが必須だ。この業界は変化が早いので、去年まで使っていたソフトウェアが今年から全く新しい物に切り替わることもある。世間の変化に対応して、どんなゲームが人気になるのか、どんなゲームが社会の役に立つのか絶えずアンテナを張っている必要がある。なにより、他社がいいゲームを出してきたら研究しなければならない。他社のゲームをプレイできるのではない。プレイしなければならないのだ。
だから、学習ができる人でないと務まらない。知らないことでも、興味のないことでも、やりたくないことでも取り組んで、知識や技術を自らの血肉にする。そういう人を任天堂は(というかすべての会社は)求めている。
書き過ぎた。反省している。
今でも思うことがある。俺はあの会社に感謝しているが、果たしてどこまで感謝しているのか?確信を持てずにいる。
時間が経てば、感謝以外の本当の気持ちがわかるのかもしれない。
ここまで読んでくれた人に感謝する。
地方公務員になって13年が経った。
元は民間企業の営業をしていて、諸事情があって公務員に転職した。
面接官ではないが、補佐役として面接中の受験者の斜め後ろに座って、喋り方やその他の挙動をチェックする仕事をしている。
自分のことを思い出すに、採用試験の面接では筋違いなことをして相当に苦労した。
できた!と思った面接でも、今になって思い返すと不採用にしてくれと言っているような、そんな内容だった。
受験1年目は公務員になれなかった。苦節の末、2年目でなんとか第一志望に合格できたけど、もっと早く知っておけばよかったという観点がいくつもある。
今回は、先達の1人として、地方公務員を目指す人のために面接試験で大事なことを話してみたいと思う。3点に絞って説明する。
というのも、一般人の平均を超える知能がなくては務まらないタイプの仕事が多いので、地方公務員に比べると筆記試験のウエイトが重くなる。
地方公務員にそこまでの知能レベルは求められない。ほとんどの業務は、中学校までに習うレベルの知識があれば十分に務まる。
※地域を盛り上げるためのイベントの企画・運営や、組織全体の予算を管理する業務などはもちろん除いている。
地方公務員の場合は、一にも二にも人柄や気質、人格などの人間性が重視される。理由は後述する。これが備わっているかどうかを面接で確かめることになるので、必然的に面接試験のウエイトが高い。
5段階評価で4以上の人を採用する。採用したい人の数と同じくらいしか4以上はつけないし、つかない。3を取った人は当落線上にあり、最終調整で選ばれるか、あるいは補欠合格になる。2の場合は自動的に不合格だ。少なくとも、うちの自治体で合格する可能性はない。
「筆記試験で満点近く取れたぞ!」とガッツポーズを決めることができたとしても、そんなに意味はない。仮に満点を取ったとして、面接官に「こいつ頭いいな」と思われるくらいだ。
2.どんな人が高い評価を受けるのか?
その前に、国家公務員と地方公務員の仕事の傾向の違いを述べる。ここでいう地方公務員は市の職員を、国家公務員は一般職を想定している。
・地方公務員の方が地域住民との折衝が多い。国家公務員の折衝先は法人が多くなる。ここでいう地域住民には、市会議員や工事業者なども含まれる。子ども時代に知り合った人が窓口にお客さんとして来ることは実際にある(小中学校の元担任や、高校で同じ部活だった先輩や後輩など)。
・地方公務員の方が業務の幅が広い。例えば、国土交通省だと、どこの部署に行っても、河川や道路の管理をする可能性が高いが、地方公務員の場合は、全ての中央省庁の仕事がひとつの組織内にまとまって存在する。よって、専門的な知識や技能を広く薄く身に着けることになる。
・地方公務員の方が同質性が強い。多くの自治体の場合、在籍している職員の卒業した学校(特に小中高)が被ることが多い。そのうえ、同期の1割~2割しか途中で辞めないので、どの部署にも同じような文化が定着する。例えるなら学校だ。卒業まで40年近くかかる学校といってもいい。それが市役所だ。年齢がいくつになっても「あの代は優れている。あの代は谷間の世代だ」といった話題が交わされる。
こんな世界で心も体も健康に生きていけるのは、誰とでも仲良くなれる人間であることは論を待たない。
特定の者としか仲良くなれない職員は必然的に孤立する。年を経るごとに、周りとの協調が必要になる仕事がやりにくくなり、頼られることが少なくなっていき、多くの場合は定年前に早期退職制度に応募することになる。
面接に臨む際に意識すべきは人柄だ。面接が始まれば終始スマイルを保ち、質問にはゆっくりと落ち着いた口調で最大限のわかりやすさで回答し、不明な点があればわかりませんと言い、回答に詰まったら、そのことを素直に認める。
私は凄い!とアピールしてはならない。本当に凄かったとしても駄目だ。そういうのは黙っていても伝わるものだし、面接官はエントリーシートをすでに読んでいる。
むしろ、アピールが過ぎると自意識過剰であると判断される危険がある。聞かれたこと以外は実績のアピールをすべきではない。どうしてもやりたいなら、数字で表現可能なものに限定する。
しつこくなるが、地方公務員の場合は能力よりも人柄重視で採用を行う。今では絶滅危惧種だが、かつては素行不良の公務員が多かった。市民にため口をきいたり、空残業をしたり、自宅のごみを市役所のごみ置き場に捨てたり、公用車に乗って家に帰ったり、自分は昇進できなかったので市に尽くす義務はないと宣ったり、逆に、俺は労働組合に言われて無理やり昇進させられたと言って部下にすべての仕事を投げたりといった具合に、やりたい放題の連中がたくさんいた。
それでもクビにはできない。処分できるかも怪しい。素行不良の公務員を守っている解雇規制は、同時に市民や仲間のことを思いやれる優れた職員も同時に守っているからだ。評価が低い職員がポンポン免職処分になっている官公庁があったとすれば、おそらくは政治的理由により、評価が高い職員もそれなりの頻度で免職や降格になっている。
今の40代・50代の職員は、こういう市役所の悪いOBをたくさん見ているので、同じ失敗を犯さないよう最大限に気を払っている。その対応のひとつとして、受験者の人柄を見ている。
面接に合格する可能性を高める情報しか集めてはならないし、触れてもいけない。
私の経験で有益だったのは、予備校の一室に置いてあった受験者の面接体験談だ。
この時ばかりは、高いお金を払って受講生になってよかったと思えた(社会人向けのコースを受けていた)。
今思えば、予備校講師による模擬面接もためになった。当時は、公務員ではない人間が面接指導などできるのか?と半信半疑だったが、彼らは受かる人間と受からない人間をごまんと見ている。
そんなキャラではだめだよ、と直観力をもって指摘することができる。予備校で面接指導をする講師の中には、傲慢だったり不遜だったりする人はもちろんいるが、それでも多くの講師から訓練を受けるべきだったと今では思う。
逆に、無益どころか害悪になる情報源もある。現役あるいは元公務員が書いたブログだ。
いったいどこがクソなのかと言うと――ブログ記事を読んでいてわかる。どんなに偉そうなことを言っていても、この人達は職場で高い評価を受けていない。むしろ低い評価を受けていて、その恨みつらみをブログという手段で発散している。
もしあなたが、面接対策として現役公務員や元公務員のブログを読むとしたら、この点に気を付けてほしい。そういう記述を見つけたら、すぐにタブを閉じて別のサイトに行こう。
以下に記事内容を例示する。
・残業時間が少ないと高い評価を得られない、飲み会を断れないなど職場への不満を多数漏らしている
・能力が低い職員を馬鹿にする発言(こういう人間は市民も馬鹿にする)
・副業を推奨している(アフィリエイトは100%懲戒処分案件なので特に注意する)
・給与や休暇などの福利厚生の話題や、得をする働き方など、金銭的な内容を扱った記事が多い
具体的には、これらのブログが該当する。
http://ps-kimotaku.officeblog.jp/
https://www.lifehacking360.com/
[番外にして論外]
公務員として、どんな人間が高い評価を受けるのか調べたい場合は、上に挙げたブログを読むべきではない。まして面接対策など論外だ。
逆に、これから面接対策をするにあたって効果的であると思われるブログもある。これらを挙げて結びとする。
(簡素な見た目で読みやすい。扱う内容も具体的で生々しい。下にある無料レポートは受け取らなくていい。オンライン講座への勧誘を受けることになる)
https://katigumikoumuin.com/siyakusyo-mennsetu/
(業務を進める中で起こった問題を赤裸々に表現している。後学として参考になる)
官公庁への営業活動を担当するあなたへ~元地方自治体の契約担当者による随意契約のコツ~
(元公務員のサラリーマンが書いている。実務を行う公務員の思考回路をリアルに描いている。有料(250円)だがそれ以上の価値はある)
https://note.com/innocence1/n/ne81f2831a9ae
画一的なマニュアルに沿って実施されるからだ。マニュアルがなければ、個人の経験や勘で採用活動をしてしまうことになる。だから、相性のいい面接官に出会って、個性が評価されて~というパターンは少ない。正しい受け答えの姿勢を身に着ける必要がある。
今、私は二年目で大学院を中退して、既卒生として就活をしている。学部も大学院も(2chでどういわれているかはともかく)比較的知名度の高い大学だ。受験勉強をしたことがない人でも知っているような大学に所属していた。
大学院を中退した理由は大量にあるが、誤解を恐れずに言うのであれば、同意なく、しかもコロナに関係なく親に学費を使いこまれたことに起因する。中退に至るまでの経緯でまた記事が2本は書けるぐらいには内容が濃いので、ここでは取り合えず割愛することとする。ただ、私の中退が親に学費を使いこまれていたことに起因することは、断言できる。
さて、既卒生として就活している私だが、まるでエントリーシートが通らない。コロナ禍の影響もあるのだろう。ただ、それを抜きにしても所謂大企業なんていうところには見向きもされない。中小企業でさえほぼ通らない(ただ、一定選り好みはしているが)。
企業にも勿論嗜好があるのだろう。それは当然のことであるし、理解も共感もできる。
が、私の今の就活を顧みると、面接で落とされるのはともかくとして、書類で切られまくっていると疑問しか浮かんでこない。一部上場企業の中にも、面接まではこぎつけてくれる企業もあるにはあったが、1つだけであった。
当記事は、私のこの疑問を延々と書き綴るものである。良く言えば「私の考え」ではあるが、実態は「恨みつらみ」でしかない。ただ、やはりこれを不特定の人間には知ってもらいたい。このように強い思いとそれなりに過酷な経験をしている人間でさえ、既卒となると就活で苦労するというのを知ってもらう必要もあると考えている。
私は、偏差値50少しの高校から、「有名大学」と世間で言われる大学に現役で入学することができた。そして、これまた現役で卒業をし、そのまま大学院へと進んだ。大学院では、英米(のどちらか)の大学院へ一か月留学し、研究もした。
中退という部分を隠して読めば、比較的キレイな学歴をしていると思う。
ただ、先述の通り親に奨学金を使いこまれ、中退をすることとなった。奨学金で生活をしていたし、親の支援ももう期待できないことから、取り合えず就職しようという段取りとなった。
就活経験について、実は全くないという訳ではなかった。学部時代に友達のウェブテストを替え玉しまくり(10社弱分は受けたと思う)、ESや面接の準備・添削を手伝うこともあった。時にはESを全くのゼロから作ることもあった(!)。当然、私はその企業に応募もしていないし、興味もなかった。
そして、当時は大学院に進学する予定であったので、私個人が自発的に就活をすることはなかった。
さて、私は無事に大学院の合格通知を得ることができた。確か9月か10月であったと思う。経緯は割愛するが、大学院進学ではなく就職する方がより良い選択ではないか、と思わざるを得ない状況となった。
そういう訳で、秋採用も終わりかけている10月頃になって、就職活動を始めた。
ウェブテストについては、替え玉した人の分が全て通っていたので、無対策でも問題ないだろうと思い特に勉強はしなかった。
結局、私がした就職活動は、企業分析・業界分析、自己分析、ESの推敲であった。その結果、どうやら私は金融に向いていそうだということとなり、マザーズに上場している中規模投資銀行と三井住友銀行に応募してみることとした。
三井住友銀行は、私がウェブテストの期限を勘違いし、人事に無理をいって期限を特別に延ばしてもらった上で完了させた。このような経緯で許してもらったウェブテストであったことから、結果に関してはもういうまでもない。
投資銀行については、説明会兼選考会をやるからリクナビだかマイナビだかから予約してね、という具合だったので、早速応募をしてみることとした。
さて、投資銀行については、私の履歴書が余程面白く映ったのだろう(「債権の回収」や「担保」という単語、飛び級入試での大学院合岳経験があることを多いに盛り込んだ)、人事部との一次面接は私の履歴書に打ち出された単語が面白いだの、ペットは何を飼っているのか、という悪く言えばくだらない話で終わった。二次面接は、確か営業部長と執行役員だかとの面接だったが、面接というよりは議論に近かった。コンサルでよく聞かれるケースに基づく議論のような雰囲気だ。「君の理解は間違っている」とドストレートに言われるも、「いえ、私の理解はこのようなもので、そのようにお考えになったのは貴方の誤解です」というようなことを言い返していた気がする。よくあんなこと言えたな、と今では思う。議論だったとしても、こんなこっ恥ずかしいことをプロに対して言うべきではなかったと強く反省している。
そんなこんなで一週間しないぐらいの内に、「どうぞ最終面接へお越しください」と言われた。就活をほんの1か月したぐらいであったが、会社勤めは性に合わない、資格を取ってプロになろう(特定のため、ぼかした表現にはしている。この資格を取り、こういうキャリアパスを経よう、という設計は既にしていた)、と決心していたので、選考を辞退することとした。少し申し訳ない気持ちがした。
と、学部時代は比較的わかりやすい就活をできていたので、既卒就活も既卒というハンディキャップを除けばそこまで大きな負担にはならないだろうとかなり楽観的になっていた。
既卒就活の結果は、冒頭に書いた通りである。そもそもエントリーシート自体が通らない。コロナ禍の影響もあるであろうが、それでも何かおかしいと直感的に感じる。
学部時代より、より入念にESを作成するようにしていた。就活のハウツー本を5から6冊程は読みまわしながらESを作っていたと思う。それでも通らないのだ。ウェブテストは学部時代の経験からすると、落ちる要素がない。替え玉当時、私が受けたメガバンクや野〇證券などが通っていたので、決して正答率も低いはずではなかった。
他に落ちる原因は何か。ESとウェブテストで抜かりなくしていたのであるなら、何か。年齢か。新卒切符は24歳まで有効と聞いていたので、年齢も問題はない(はず)。そうすると、やはり既卒という略歴ではないか。
さて、既卒という略歴が問題ではないか、ということで早速情報収集を始めた。結論から述べるが、やはり既卒という略歴が多大であるように私は思う。
というのも、まず、既卒生の就活記事やハウツーといったものが極めて少ない。結局、「この就職エージェントに投げてね☆」というものに落ち着くものか。「情報収集を徹底的にやれ、新卒の倍は動け」という根性論に終始するものばかりである。既卒生の就活成功談を見ない。
そして、「所謂大企業であっても、既卒は受け入れている」という記事を見かけるが(私に言わせればそんなこと就活を始めた当日に知ったことである)、「既卒で大企業に就職できた」という記事は見ない。クラシックなオタクなので、「ググる能力」に関しては絶対的な自信があるが、やはり記事は見なかった。「既卒で就職できたよ!」という記事もほぼ見ない。
勿論、私もバカではない。猫の手を借りるぐらいのことはする。就職エージェント4社程を利用して、求人を紹介してもらったが、明らかにおかしいものばかりであった。例を挙げだすとキリがないが、ブラック企業といって差し支えないようなものばかりであった。中にはそうでないものもあったが、私の志望する業界・職種でないことから断っていた。
話が右往左往して恐縮であるが、私は学部時代はかなり頑張っていた。
学業においては、学部上位5%以上の英語のクラスを、90点以上で合格した。優や、A+、A、Sという風に評価されるものだ。英語に関してはスピーキングはからっきしだが、リーディングリスニングについては比較的自信はある。今でもタイムズ紙ぐらいなら読める。
二年生の頃にフィールドワークを経て執筆した論文は、担当教授に奨学金論文として推薦された。奨学金論文として推薦されるのは、優秀卒論を除けば、各学年2名までだ。極端な表現だが、私は学年で少なくとも2位の成績を得たということもできる。
ゼミについては、正課としてのゼミと、潜りとしてのゼミの2つを取っていた(勿論、両教授からの了承は得ている)。卒論では、その2つの領域にまたがる論文を執筆した。担当教授からメタクソに批判され、時には(マジで)泣かされたが、結局、80点以上の評価で単位を授与してもらえた。
学業に関してはこのような感じだ。基本的には単位だけ取れていれば良いというスタンスであったが、力を入れるべき部分ではきちんと力を入れて評価は取っていた。
課外については、私は文化系のサークルに所属して活動をしていた。大会では代表を二度務め、一つは四位、一つは二位へと入選している。可もなく不可もないとは思う。
役職には2つ就いており、1つは、企画系の役職の長に就き、もう1つは、サークル内研究会の会長を務めていた。
サークル内研究会会長については、基本的に後輩の勉強の指導をしたり、同期と議論をしたりがメインであったので、かなり楽しかった。正直、会長とは名ばかりのものであった。責任のある業務もほぼなかったと思う。
ただ、企画系については、一筋縄ではいかなかった。まず、50名規模で開催する合宿を全て私一人で仕切った(相方はいたが、とんでもないポンコツだったので、仕事を一切振らなかった)。具体的には、合宿の企画発案や、旅行会社・ホテルとの交渉、参加者を集めるための広報や、経理との予算調整などだ。経理が通帳を握ったまま飛びやがったので、家まで通帳を取り立て行ったりもした。夏休みに行う合宿であったが、冗談抜きで7月から9月半ばまでは、土日以外は永遠に合宿の準備をしていたと思う。テスト前日に宿の内見に行ったりもした(この時だけではあったが、役職に関係なく同行してくれたK君には頭も上がらない。ありがとう)。
大変であったが、企画の発案や参加者の誘因等の難しさ・楽しさを得ることができ、なんだかんだとは言いながら充実感は感じていた。ようやく院試勉強に集中できる、と一息ついたものだ。
…というのも束の間、OBOG会の会長から10数年ぶりにサークルのパーティーを行いたいとの申し入れが顧問を経てやってきた。何故会長じゃなくて俺にそのことを伝えたんだ、と同期に愚痴ったりもしたが、顧問曰く、「貴方と連絡をしていたからそのまま伝えた」とのことだった。当時は「俺に信用力があるからだ」と前向きに考えもしたが、2か月半程動き続けた身にひょいと投げていい申入れではないだろう、と大きく溜息をつきもした。
さて、このパーティーが非常に厄介であった。まず、OBOGに招待状を送らなければならないが、こともあろうに会員名簿の更新が15年程されていなかったのだ。直近の先輩方の住所や電話番号なんかも分からないまま、どうやって招待状を送るんだと頭を抱えた。開催が2か月後ということだったので、もう当たって砕けろの精神で「3年生の〇〇ですが、こういう下りでパーティーをすることになりました。先輩からまた直近の先輩へとご連絡してもらえると助かります。参加を希望される方がいらっしゃったら、私にまでご連絡をするように併せてお伝えください」というメッセージを飛ばしまくっていた。完全にマルチ商法のそれと同じだが、時間がない以上仕方が無かった。名簿に残っている方でも、中には既に老齢で亡くなられていた方もいらっしゃったようで、カジュアルに連絡をすることもままならなくなってしまっていた。体力的にはそこまで大変ではなかったが、精神的にはかなりきつかった。
精神的にきつかったところに更に肉体的にきつい仕事が増える。名簿の更新をしながら、OBOG会にあったパーティー運営組織をOBOG会から当サークルへと移譲したいと言われたのだ。何が分からないのが分からない状態から始まっており、そもそも相手はOBOGだ。「じゃあ昼飯食った後部室でね」が通用しない。逐一メールをしながら、何月何日、どこそこの店で打ち合わせをしましょう、という風にするしかなかった。苦学生でバイトしまくっていた身としては、この打ち合わせ日時に合わせることがかなりしんどかったし、運営組織の移譲に伴ってするべき後輩への引継資料の作成が本当に苦痛だった。当然、在学生の参加者を募るための広報もしなければならない。
このように働きまくっていた結果、十数年ぶりの開催であるにも関わらず、どうやら歴代最多数の参加者を得ることができたようだ。しかも、参加者の半数近くが在学生だったということで、企画をした私の誘因力を大いに褒められもした。結果は出せたと思う。数字だけでなく、これだけ頑張ってくれたのだから、ということで部室に設置してあるパソコンやプリンターといった周辺機器も一新してもらえた。大変有難かった。
さて、「どうだ、俺は凄いだろう」というエピソードをこんなにも書き連ねた訳だが、やはり当時は大学生なりにはかなり頑張ったと私は思う。このような経験や思いがあるからこそ、もっと挑戦をしたい。内定が難しいと言われている企業へ応募して挑戦もしてみたい。しかしながら、そもそもエントリーシートが既卒だからという理由で(私はこれが原因と考えている)切られるようであれば、どうしようもない。私は満足に挑戦すらできていない状況で諦めたくないのだ。そのような状況で不満のある待遇に甘んじたくはないのだ。
勿論、就活では上記のエピソードをいわゆるガクチカなんていうものに盛り込んでアピールをする。就活構文と私は密かに呼んでいるが、「結論→理由」「動機→行動→結果」といった構文も遵守した。多少は盛りはしているが、「やらされていたこと」を「やるべきだと考えた」と変換する程度のものだったし、面接でもこの点についてボロを出さなかったので問題はないと考えている。
成績も特別に良いというわけではないが、学内平均よりかはずっと高い。
ウェブテストやESについても、学部時代に手伝っていた(というより最早やっていた/書いていた)経験から、突飛なことはやっていない。
でも、シンプルに留年したとしても新卒でさえるならば、トンチンカンな奴でも内定を得てしまうのが非常に納得がいかない。彼彼女らなりに留年した理由付けはしているとは思うが、人事は恐らく見抜けないのであろう。
形式面では既卒より優れているというのが極めて不服である。留学やインターンであるならば経歴や職歴に書けるが、そのようなものが書けないシンプルな留年であっても、新卒は新卒である。既卒には劣らない。
私は、大学を四年間で卒業し、大学院で一年半勉学を修めた。学部在学中は勉学にも課外活動にも励んだ。
但、冒頭で述べた通り、私は親に学費を使いこまれて大学院を退学をせざるを得なかった。
それでも、私は形式的には新卒より劣っているのだ。同等ですらない。
新卒至上主義と私は読んでいるが、この点についても非常に疑問がある。また記事に起こしたいと思う。
この記事は、あくまで私の一個人の考えを知ってもらうことだけに価値がある。従って、読者がどのように思うかは勝手であるし、読者に思考さえしてもらえれば、私の願いは成就したと考えている。
特に就職をする予定でいる大学在学中の学生諸君は、是非一度自分のキャリアルートについて考えてみて欲しい。貴方が思う以上に、新卒既卒という区別は残酷なものとなっている。
散々就活に振り回されて、何枚も無駄なエントリーシートを手書きした。
マナー講師や面接講師のアホな戯言を信じて無駄な努力を滅茶苦茶やった。
でも、現在の視点で、新入社員や就活生を見ると、「無理してるなあ。そんなことしなくていいのにな」とおもう。
断言して言うが、「まともな会社は就職一年目の一年生を即戦力」としては見ない。
きちんと研修させて、きちんと社会人の基本を叩き込んで、そして半年後、1年後に仕事をきちんと割り振る。そうじゃないと危なっかしくて困る。
ある程度、5年ぐらいして会社の流れが見えてくると、就職のマナー講師や面接の講師みたいな人が言ってることの大半は無視していいことだと解る。
②社会的な常識があるか?
これだけ。世界一周自転車の旅なんか、ぶっちゃけ無駄。それで、「行動力がある」とか「すごい」とかいうやつはいるかも知れない。そういう業界もあるかもしれないが、うちの業種ではむしろマイナスだと思う。
能力のある人材がほしければ資格欄を見る。自慢話なんか聞いちゃいない。
妙に挑戦的だったり、我が強かったり、偉そうだったり、他人を見下しそうだったり、陰口を言いそうだったり、そういう人間が落とされる。
盛った自慢話をすると、そういうタイプは落とされる。
人事が怖いのは「できないやつ」を採用することじゃなくて、「どうしてこんなアホを採ったんだ」と言われることだ。そのアホというのは、「遅刻して、偉そうで、職場の雰囲気を悪くして、ぶすっとしててありがとうございますも言えないし、周りの人間を見下してるようなタイプ」である。ようするに、はてなでたくさんのブックマークを集めたり、歴史だの差別だので遊んでるタイプである。
能力が高かろうが、こういうタイプは職場の能力を著しく下げるので、即落とすよね。
だいたい、新入社員が能力がないなんてわかりきってるし、盛った作り話をしてくるなんてことも、みんなわかってるんだよね。だから、そういうことを言うのが必要なのは、嘘をついてでも他人を面白がらせる職種だけでいい。例えば番組制作会社とか。銀行とか公務員とかでそれをやると逆に見栄っ張りの嘘つきだと嫌われる。
だから、人格で売ればいい。人柄で売ればいい。能力が少し足りなくとも人格が良ければ職場にとって一番良い。人柄である。
なぜ人事が性格の悪いやつだけは取りたくないか? そんなやつを採ると毎日9時間生活しなくちゃいけないという地獄を体験することになるのだ。
だから、まず性格で採る。性格のいいヤツだけを採る。これが最低ラインであり、最強ラインだったりする。
「こいつは能力は足りないかもしれないが性格はダントツだな」と思ったら迷うことなく採る。だって、性格がいいって最強だもん。そいつがひとりいるだけで職場に10%の能力アップがかかるんだから。
でも「性格が良い」という才能の良さを残念なことに、マナー講師も面接講師もプッシュしない。就活生もプッシュしない。それ、最強の武器だぞ、と思うのだが、だれも気づかない。
能力が足りなくとも性格の良い新人ならばいくらでも面倒を見るのだ俺たちは。当たりの新人は「性格」だし、それ以外のことはほぼ求めてない。
この就活が終わったら死のうと思う。
私は一地方都市のしがない大学生である。私立四年生大学の最高学年であり、連日就職活動に振り回されている。それでもって例の如く就活で病み、精神的に追い詰められている。これから書くのは端的に言えば弱音であり、備忘録である。たぶん。
私が死を意識しはじめた時期は小学生くらいだった。きっかけは保育園からの友人と疎遠になったことのように思う。その子と私はもともとタイプが違っていて、成長するにつれてお互い世界が広がって話さなくなる、というある意味典型的なパターンだった。
ただ、問題だったのは当時の私にはその子達以外に友人がいなかったことだった。その子達は新しい友人を作っていたが、私は新しい友人を作ることが出来なかった。一度でも学生生活を経験した人ならわかると思うが、学校という閉鎖社会で生活するにはどこかのグループに所属する必要がある。私は友人を失ったことで学校での居場所も失ったのだ。それに加えて元友人は私にとって憧れの存在だった。私はその子のことがまだ好きだったのだ。今なら離れた理由もわかるが、当時はどうして元の友人と疎遠になったのかもわからず、何が悪かったのか折に触れては考えていた。
なんとなく暗い気持ちで日々を過ごしていたときにTVでバンジージャンプの映像を見た。芸人かタレントか覚えていないが、紐をつけて飛び降りる映像を見て「あ、いいな」と思ったのだ。空の中に落ちていくのは、最後に晴れ渡るような青空を視界に焼き付けるのは気持ちがいいだろうな、と。
恐らく当時の私は友人と疎遠なったことで学校生活に不安を持っていた。そこで至った結論が、生きることをやめること、だったのだと思う。だから、バンジージャンプをいいなと思ったのだ。もう学校に行かなくて済むから。
これがとんでもない勘違いであることは充分理解している。死ぬことはそんなにいいものじゃない。落ちてる瞬間はきっと凄く怖いし、空なんか見てる余裕もないし、落ちたときなんか死ぬほど痛い。死ぬんだから当然だ。それにそこで死ねればいいが、うっかり生還なんてしたらたまらない。障害を抱えて生きるか、自殺を失敗した人間というレッテルを掲げて生きるか、どっちにしても地獄である。
でも、当時の私には酷く魅力的だった。ここで死ねば明日は学校に行かなくていい、嫌な発表もしなくていい、最後に綺麗なモノを見て終われる。正直、疎遠になった友人への腹いせのような気持ちもあった。自殺すれば、友人も少しくらい私のことを気にかけてくれるかもしれないという思いもあった。
小学校に通っている間、何度か四階の音楽室の窓から身を乗り出して晴れ渡る青空とコンクリートで舗装された地面を見つめた。あんなに熱心に見つめていたのに私は実行には至らなかった。単純に勇気がないから。私には死ぬ勇気がないから。結局私は「死に憧れる自分」に酔っているだけで死ぬ覚悟もなかったのである。そういうところが本当に情けなくて中途半端な人間だなと思う。
だらだらの長く書いたがここまでは前置きである。あくまでここからが本題。だと思う。
なんとか小中高を抜け、大学にも進学できた。特に留年することもなくなんとか四年生になったが、そこで私は就活という大きな壁にぶち当たっている。
就活で何が死にたいっておおよそ内定が貰えそうにないことである。今現在、エントリーシートを提出した企業が5社でそのうち面接まで行ったのが2社、うち一つは面接を遅刻した。まじで馬鹿だと思う。当然、不採用の通知が来た。あと残り5社ほどエントリーシートを提出するつもりだが正直内定が出るとは思えない。となると来年は就職浪人か非正規雇用の道しかない。
私は今まで「普通」の人生を目指してきた。高校に行って、大学に行って、正社員になる。ごく一般的な「普通」を目指して懸命に生きてきた。なぜ普通を目指すかというと楽だからだ。これも部活動に所属していた理論と近い。「普通」に生きるれば他者に埋没することができる。無駄な注目を浴びなくて済むし、他の人がしないことに労力を割かなくて済む。「普通」というより私は「マジョリティ」に所属したいのだ。常に多数派でありたい。多数派であることはいいことだと私は思う。例えば、何か不幸なことがあっても他の人も体験していれば、よくあることだと納得することができる。困ったことがあっても先人の意見を参考にすることができる。なにより多数決で勝てる。特に多数派であるという安心感は何者にも変えがたい。
内定が貰えなかったら、新卒で就職できなかったら、私の思い描いている「普通」とはいえない。普通でないなら死ぬしかない。
突き詰めれば私は明日の不幸が怖いのだ。小学校のときに明日学校に行きたくないと思ったのと同じように、明日も明後日も自分の生活が続くことが怖い。
これを言うと多くの人が人生は年々楽しくなるとか、いいことも沢山あるんだよとか言うのだが、そう言うことではない。楽しいことがあっても悲しい事は帳消しにならない。別々に積もっていくだけ。それに本当に悲しいことや辛いことがあったときに私を生かした人は責任とってくれない。自分の生に責任を取れるのは自分だけである。
本当は漫然と生きることが不安で、その不安が今回の就職活動をきっかけに大きく燃え上がっている。だから私にとって自殺とはこの不安を解消するための手段なんだと思う。
ネットの海を眺めていると私だけではなく、みんな本当は漫然と生きることに対する不安を抱えているような気がする。本当はみんな理想の自殺の種類があるんじゃないのか。みんなそうだって言って欲しい。私は「普通」だって言って欲しい。
一方で安易な理解は欲しくない、こんなに苦しいのに誰かに判られてたまるかって気持ちもある。みんなが打ち勝っている不安に私だけ負けている事実が怖くもある。
私のこの漫然とした不安は鬱病とかなにか名前の付くものでは恐らくない。だから病院に行って薬を貰うことは出来ないし、病院の先生に話を聞いてもらったところで将来なんてみんな不安なものですよ、とかなんとか宥められて帰されるだけだろう。
私は卒業後は就職するつもりだった。それ以外の選択肢は何も考えていない。就職出来なかった場合については何も考えたくない。
小学生の自分は死ぬことに憧れているだけだったが、今の私はきちんと実行できるだろうか。死ぬことを考えるのは正直に言えば怖い。もしかしたら、まだ私は死にたくないのかもしれない。でも死ぬしかない。明日の私を苦しませないために今死ぬしかないんだ。あそこで死んでおけば、と後悔するのだけは絶対に嫌だ。それなら今きっぱり死なないといけない。もうこれ以上苦しまなくていいように、つらい思いをしないように。
もう十数年も前だが、私の周りで面接落ちまくっていたのは二人いた。
一人は任天堂とかゲーム会社の有名どころばっかり志望した人だった。私達の学部学科はゲームに必要な分野には掠りもしないし、マニアック方向性な文系なので事務方としても使えそうにない。ひょっとすると商業ビジネス学部みたいなとこの学生の方がチャンスあるんじゃないかと思った。
もう一人は、面接に受けにいくときの服装がヤバすぎる女子だった。茶金に染めた髪を夜会巻きにして、青いアイシャドウに真っ赤なルージュ、きらっきらのピアスとネックレス、胸元までざっくり開いて胸の谷間が丸見えで肩丸出しの袖無しシャツに、太ももの付け根までスリットの入ったミニスカート、きらっきらのアンクレットに何cmか知らんが踵のめちゃ高いピンヒール。そんな格好で「どうしてあたし採用されないのかな?」ってため息吐かれても、むしろお前何でそれでイケると思ったの? と聞き返すしかない。
逆に一人で何社も内定もらった人はなんというか、普通オブ普通な人だった。大学事務局に置いてあった求人票から適当に選んだ会社を志望して、言われるがまま・就活本の通りにエントリーシート書いたり、面接受けたりしていた。
私は21年の新卒であり、志望分野はWeb系のプログラマだった。
選考を受けた各社に関してその選考フローと所感について述べる。
昨年2ヶ月間インターンシップに参加した。
エントリーシートの提出、技術問題 (コーディング2問、作文1問 制限時間60分)。
コーディング問題は1問目が簡単なもの、2問目が少し複雑なもの。
競プロ的なアルゴリズム力が求められるものではなく、HTTPリクエストに関する基礎的な知識が要求される。難易度は高くはない。
日本語力が要求されるわけではなく、字数制限なども特にない (あったかも)。
当該分野に造詣が深ければ無限に書けるし、なければ書けない。
人事担当のエンジニア*2との (オンライン/オフライン) 面接 (60分)。
オーソドックスな質疑応答の他、提出した技術問題のコードや作文の内容に関する聞き取りなどもある。
ここで落ちた。
CEO、シニアエンジニア、新卒エンジニアなどを交えての面接 (らしい)。
1次面接の面接官の片方が、インターン参加時のメンターの1人だった。
面接の1週間前に面接官のTwitterアカウントをブロックしたのが悪かったのかもしれない。
「(技術力が基準以上あるのは前提として) その水準の如何よりはむしろ勤労意欲の有無を重視する」みたいなことを言われた。
インターンの成果報告をD社の技術ブログに書いたが、腹がたったのでそれを削除しようかと思った。
ここのサービスは二度と使わない。
Ruby本体にコントリビュートした経験があったのでそれをアピールできるかもしれないという意図で受けた。
エントリーシートの提出。
ここで落ちた。
落ちたので知らんが同社を受けた知り合いによると5次まであるらしい。
1次面接の際に「何がしたいのかわからん (意訳)」みたいなことを言われた。
何がしたいのかと言われれば労働がしたくない。
また「勤労意欲の有無を重視する」みたいなことを言われたのでまあそういうこと。
ここのサービスは二度と使わない。
Web系。
前述2社を落ちたあと2週間くらいなにもやる気が起きなかったが、ここなら受かりそうな気がしたので受けた。
エントリーシートの提出。
シニアエンジニア*2との (オンライン/オフライン) 技術面接 (60分)。
自分の関わったプロジェクト (分野問わず) のソースコードを提出するよう求められ、当日はそれに関したディスカッションを行った。
人事、CTO、その他社員を交えたオフラインでの面談 (60分)。
内定。
Web系。
I社と同時にエントリーシートを提出した。
エントリーシートの提出、技術問題 (コーディング3問 制限時間60分)。
人事との面接 (45分)。
内定。
2次面接の際にインターンに参加しないかという打診があったが、D社に落ちた経験がトラウマになっていたので断った。
人事担当者の意思決定が全体的に遅い印象があり、特にCOVID-19や緊急事態宣言のために3次面接と最終面接との間が3ヶ月空くことになった。
複数の退職エントリに書かれている内容に関して、その真偽を社員にたずねたところすべて事実であるという証言が得られたためエントリーを取り下げた。
エントリーシートを提出したところ人事から企業説明会の案内が届いたが、その宛名が全く知らない人間の名前だった (おそらくコピペミス)。
I社を辞退し、O社の内定を承諾した。
D社・N社に落ちた経験から、同輩および後輩に対しては確固とした「「「勤労意欲」」」を持つことをおすすめする。また、面接担当者のTwitterアカウントはブロックするべきでない。
両親や両親と同じくらいの世代のバイト先の人、知り合いに、この時期就活大変じゃない?web面接なんて想像できないと言われた。
しかし、私自身web面接は利点が多かったと感じるし、そもそも説明会、選考が家で進めることができたので体力面で疲れることがなかったと思う。
この状況で就活を経験して、今年の就活生は例年に比べたら絶対楽だった。内定が取れるか取れないか、web面接が得意か得意ではないかは個人の問題だが、今までは交通費も出ないのに、何回も企業に訪れて内定取るまでに何社か落とされて体力も精神も削られた、ということを想像すると普段通りの対面の面接はしんどかっただろうな、と感じる。
私の志望していた業界では選考が3,4月から開始されるところが多かった。2月から就活を始めたが、説明会はほとんどweb、テストもweb、選考もweb。
説明会は収録済みの動画配信かZOOMなどでの参加。基本的にZOOMでの参加でも、画面収録で録画してしまえばその場で約一時間の説明を画面越しに聞く必要もなかったので、エントリーシートを出して、面接に進んだ企業は録画した企業の説明会動画を見るし、エントリーシートで祈られたら、録画した説明会動画は見ずに消した。
今年はテストセンターも封鎖されてたので、ほとんどの企業はwebテスト。やはりwebテストは(私がカンニングしたとは言わないが)調べれば答えは簡単に見つかる。
また、OBOG訪問もする気がさらさらなかったが、コロナ禍で就活生がOBOG訪問できない状況で他の就活生と同じ状況で選考参加できたのもよかった。
web面接では画面にポストイットで志望動機や10年後どうやって働きたいか貼り付けていたので、いちいち企業ごとに志望動機を暗記する必要もなかった。
例年の対面面接だったら、志望動機とどのように働きたいかを覚えて、伝えられるようにする必要があったのかと想像すると骨の折れる作業だと思う。
行く気もないけど保険(滑り止め)のために受けてる企業の志望動機を覚えるほど苦痛なことはないと思う。受ける企業を増やすだけのために受けてるのに、もし普段通りの対面面接だったら、私は志望動機を考えて覚えて面接官に伝えなくてはいけない、でも祈られたらその時間、努力も水の泡、このしんどい経験をせずに済んだことに感謝している。
また、格好も上半身スーツで下は部屋着だったのでリラックスしながらできたという点で自分の中でベストなパフォーマンスができたと思う。
正直に、この就活シーズンというものが存在して、多くの企業が一括採用を行うから(通年採用も増えているが)、学生は志望していないところも視野に入れなきゃいけないし、志望度低い人が内定取って、本当に行きたい人が落とされて、この仕組みをなくしてほしい。
また、15社面接が入っていたが、正直対面でやっていたら体力も精神も持たなかった。二月から就活を開始し、現在まで本当に長く感じるが、コロナ禍だけでなく、今後もwebを通しての採用を続けてほしい。最終面接の役員や社長面接は直接本社で行えばいいと思うし、グループディスカッションもやればいいと思う。でも、1次選考から直接やる必要はないしwebでも一次面接では所詮15分程度で質問されないのに、家から一・二時間かけて企業を訪問して面接を行う必要が本当にあるのか、選考が進んで最終前のステップと最終面接だけ直接やればいいのではないだろうか。また、海外のようにインターンシップを通じてその会社の中身や相性を見てから仕事を得られる形に変わってくれれば今後の就活で内定をもらえるか不安やストレスを感じることが軽減されてく。
個人的に、就活終わったわーいって感じの人もインスタのフォロワーにいたはずだが、この期間で誰も外で遊ぶストーリーを上げてこなかったこの状況に感謝する。内定もらってない側からみたら、就活終わって外で遊んでるという、うるさい公害でしかないストーリーをあげる人がいなかったので、同世代からの同調圧力を感じずに済んだ。
まずはお疲れ様でした。
もう合格発表済みの人も、発表待ちの人もいると思うけれど、この増田がプラスになるのであれば幸いです。
受験なんてしょせん入口や通過儀礼に過ぎないんだから、終わったらさっさと脱皮しましょう。
週刊朝日やサンデー毎日の合格ランキングでハァハァ言ってるオッサンをたまに見るけど、あんな中年になってはいけない(戒め)
もちろん自分で目標を設定してそこに至るまでのプロセスを追求したり、自発的に机に向かう習慣を身に付けられるといった点はプラスの効能だとは思う。
ダルビッシュや本田圭佑のような現役アスリートですら、引退後を見据えてビジネス書を読んでいるのは有名な話である。
もし仮に君の周りに誰もメンター役となる存在を見つけられなかったとしても、読書なら時間と場所を選ばず可能だ。
勝間和代はこのように著している。
なぜ読書をする事で本質にたどり着きやすくなるのか?
最近だとKindleやオーディオブックも充実しているので、わざわざ分厚いハードカバーを持ち歩かなくとも良い。
ただ佐伯泰英のように人気作家でもほとんど電子書籍化されていないケースも多いので、そこはあらかじめ調べておこう。
自分の専門だの関係なく、出来るだけ脳味噌の柔らかいうちに読書を習慣レベルに落とし込んでおけば、その知識の蓄積が後々役に立つかもしれない。少なくとも就活のエントリーシートで「好きな本・作家」の欄は埋められる。
年配者のよく言う「若いうちにもう少し本を読んでおけばよかった」となってからでは遅いのである。
前述の通り、読書は自分の視野や価値観を広げる手助けになってくれるだろう。
ただ読書というのは一般にじわじわ効いてくる場合が多い。即効性を期待してはいけない。ではたかだか数日で劇的にライフハックを起こすにはどうしたら良いか?
とりあえず、海外旅行に行って現地の人と異文化交流でもして来ることをお勧めする。それもできるだけ若いうちにだ。
理由としては30歳を過ぎると自分の人格というものは9割方固定化してしまうだろうし、何より社会人になったり家庭を持つようになると生活が仕事や家族中心となりがちで、まとまった休みを取るのが難しくなるからだ。
金銭面を理由に躊躇する人もいるだろうが、韓国や台湾だったら時期によってはLCCで沖縄よりも安く行けるだろうし(その分日本から距離的に近すぎるので日本語が通じてしまうのはある意味ネック)、
数万や数十万程度なんて半年バイトでもすれば稼げるだろう。加えて君はどうせ数年後社会人になるのだから(修士博士志望の人は例外)、10代20代のうちにお金で買えない人生経験を得られると思えば実に安いものである。
自分の場合は学生時代インドに1か月滞在したのだが、現地民と出会う中で良くも悪くも「豊かな国のツーリスト」にしか思われていないんだなあ、と痛感する毎日だった(もちろん出会ったインド人が全員、という訳ではなかったけれど)。
この経験は今でもプラスになっているし、日本にいる限りは味わえなかった感覚なのだろう。
以上、参考程度に。