はてなキーワード: エントリーシートとは
暇だからゲーム専門学校時代を振り返る - 昆布がないと開発できない。 http://donnpema6.hatenablog.com/entry/2019/10/23/004918
HAL東京は私の母校でもある。読んでいてとても懐かしくなった。
この記事を書かれた方と同じように自分も卒業して思う事や学生時代を振り返ってみたくなったので書く。駄文ですが入学検討している高校生、在学中の方にこれからの参考になればと思う。
まずは私の情報について。
・現在は大手ITにてモバイルゲームエンジニア(Unityメイン)
まず私はゲーム業界志望で入学してゲーム業界に就職したパターンの人間である。
HAL東京でゲーム学科なんだからゲーム業界に行くのは当然ではと思われる方もいるかもしれないが残念ながら半数近く、またはそれ以上の人数がゲーム以外の業界に行く。
1年目
・冒頭で紹介した記事にもあった通り、HAL東京では前期・後期に別れて授業を行う。1年目は基礎を学ぶ。
・この基礎だが、プログラミング以外にもデザイン、コンピュータサイエンスなども行う。これは1年目の後期に改めて学科の選択の機会があるからだ。実際にプログラミングやってみて自分に合ってないと考えた人はデザインの学科にも行けるというわけだ(最も、最初の希望とは違う学科に入ってちゃんとその業界に就職した人を私は知らない)
・プログラミングの授業ではC言語を学ぶ。私は高校時代プログラミングなんて一切やっていなかったので初めて触れたのがCだった。printfでHelloWorldしたりscanfでメモリ領域ぶっ壊したりしつつもプログラミングの基礎を学ぶ。 IDEはVisualStudioだった。
・コンピュータサイエンス系の授業では、基本情報技術者試験の合格を目指し皆勉強する。HAL東京では基本情報技術者試験を取得していない場合、この授業が卒業まで続く。就職において資格を見る会社も一定数いるのでこのカリキュラムは良いと思う。取得している場合はAndroid開発やコンシューマゲーム機での開発授業などが選択できるようになっている。私は初の試験で無事合格したが卒業時でも取れてない人は一定数いた。馬鹿なんじゃないのか。
・1年目の後期からは学科に別れた授業+コンピュータサイエンス系の授業といった感じで進む。
・C言語のコンソールに文字を表示させてゲームを作るというのを1年目はやる。独自のライブラリが渡される。
・文字だけで表現するのにこの時点で出来るやつと出来ない奴がはっきりとわかる。 優秀な人間は自分でバックバッファの概念を構築したり、滑らかなアニメーションなどを実装している。凄い。当然彼らは誰もが知っているような大手ゲーム会社に今はいるはずだ。
・1年目の最後、学内での制作物の展示イベントがある。そこで作ったゲームを展示するのだ。ここで出来ていない人はおそらく翌年には退学している。私は完成はしたものの拙い出来だった。反面、負けてられないなとは思った。
2年目
・2年目からはDirectXを使用した本格的なゲーム開発の授業がスタートする。またそれと並行してコンシューマゲーム開発の授業が始まる。私の世代ではNintendoWiiだった。
・C言語の授業もC++の授業になり、クラス化などについて学ぶ。
・コンシューマ開発の授業は基本的に情報がない中やる。渡されるのはWiiの関数リファレンスの本だけ。あとは授業で教官から教えられつつ実装していく。
・DirectXでは9を使用していた。Xライブラリのようなものは一切使わず、直でDirectXを触る。描画の仕組みなども学べるのでこの授業はとてもよかった。確か前期は2Dゲーム、後期は3Dゲームだった気がする。それぞれ個人開発で1本づつ作る。私はこの時に作った3Dゲームが結構面白く出来て自信がついた。
・2年目の後期ではWiiの開発でチーム制作を行う。チームは勝手に決められるが基本的に優秀な人がリーダーになる。チームによっては崩壊しているチームやギスギスしているところもあり、プログラミングできる人と出来ない人の差が露骨に出る。何人かはここで脱落し、退学する。
3年目
・DirectXの授業は継続しておりCで作ってたものからC++で作るようになる。ここらあたりからかなり複雑なアルゴリズム(地面の起伏に応じた高度計算や正確な当たり判定の実装など)も学ぶ。
・DirectXとは違うものとして、OpenGLの授業も始まった。OpenGLとDirectXのマルチプラットフォームを目指してゲームの開発を行う。またネットワークを使ったゲームをOpenGLで開発したりもする。この授業では基本的に自分で調べて進めていく。調べる力をつける。今思うと一番エンジニアとして大切なことが学べる授業だったと思う。
・先ほど書いた、基本情報に合格していると選択授業でAndroidプログラミングなどもできる。
・就活に備えたビジネスマナーなどの授業も始まる。その日はスーツを着て通学する。私はこの時点でスーツ着て働くのは論外だと強く感じるようになった。
・3年生のビッグイベントとして10月にインターンがある。これはHALがゲーム会社やIT企業に依頼する形で生徒を会社にインターンとして参加させるというものである。当然ながらこれも出席率などに問題がある場合は参加できない。
・インターンは1ヶ月間あり、ゲームの会社にいく人もいればデバッグの会社にいく人、IT企業にいく人様々である。どこにいくかは教官が決める。私はゲーム会社だったがかなり勉強にはなったしゲーム会社で働く雰囲気というものを知れたのでよかったかなと思う。
・3年後半からはDirectXで就職作品を作り始める。就職作品とはいわゆる企業の人に見せる作品の事である。これは完全に個人で作るので人によって完成度はかなり違ってくる。中には商業作品のようなクオリティのものを完成させる人も出てくる。実力社会である。
4年目
・4年目は卒業制作展と就職活動、産学連携の三つがメインとなる。
・私は4年になる頃には就活終わっていたのだが基本的に全てにおいて就活を優先する様になる。内定出るまではスーツで通学など、それ意味あるのか?
・HALには学内企業説明会というシステムがあり、様々な会社が来校し企業の説明、特別選考の案内をしてくれる(任意参加だが就活中の人は実質強制参加である)
・4年中盤くらいにはもうほとんどの人が就活を終えているが一部の終えていない人たちは延々と説明会に参加してはエントリーシートを書いていた。大変だなぁ。このくらいの時期になるともう学内企業説明会にゲームの会社はほぼ無い。自分で動け。
・産学連携や卒業制作ではチームを組み制作するのだが使用するグラフィックライブラリなどに指定はなく、プラットフォームも自由となる。そのため、DirectXやOpenGLを学んでいても大抵のチームはUnityやUnrealEngineを使うことになる。
・4年目後半は卒業制作展にひたすら取り組む、この制作はとても私の中にも印象に残っている。正直楽しかった。好き勝手にみんなで面白いものを作れる。
さて、ここまで1〜4年の流れをざっくりと書いた。
次にHALについてよく聞く話、課題が多いという話にもついて触れておこう。
1科目年間20くらいは少なくとも出てる気がする。(規模はまちまちだが)
この課題だが課題を一定数達成(承認という)していないと科目留年となってしまう。とはいえ教官は自分がわかるまでサポートしてくれるので主体的に動けば落とすことは無いだろう。(私は4年間で1度も落とさなかった)
また出席率も見られる。確か80%切ったらアウトだった。
毎日しっかり通学して、出された課題をしっかりこなせれば基本的に力はつく様になっていたと思う。就活失敗していた人はハッキリ言ってこれが出来てない人が多かったイメージがある。
そのため1回休むだけで内容についていけなくなる恐れがある。しっかり授業は受けよう。
次に私の就活についても触れておこうと思う。
私は3年の中旬くらいから早く就活を終わらせたいと思っていた。また、コンシューマ業界は色々と魅力はあるが第一に給料が安いところが多いし働く環境として良いとも思えない面が多かったので最初の仕事はモバイルゲーム業界がいいなと思っていた。
そのため早い段階で逆求人サイトに登録したり、1on1面談イベントや勉強会などにも参加する様になった。
個人的に今思うのが3年の中旬くらいの時期から動き出せたのが一番良かったなと思っている。勉強会などで大学生で同じ様にゲーム業界目指している人たちとも多く会ったりしているうちに、自分は結構出来る方の人間なんだなと思う様になる。
正直HAL東京のカリキュラムは異常で、普通にゲーム作りたいという人はOpenGLもDirectXもやらない。直でそれらが扱える様になっているHAL生は業界的に結構貴重な人材になりうると思う。
描画の仕組みをわかった上でゲームエンジン使うのとそうじゃ無いのとでは全然違うんだなとこの時気づいた。HALの基礎から教える理念はとても大切だった。
私は趣味で別でDirectXでゲーム作ってたりもしてたので、それを企業の人に見せたりもしていた。何かしら物を作りきるという経験を何回も積んでいるHAL生の評価は高い。(ちゃんと授業出てれば1本は作りきれるはず)
何社か逆求人で声がかかり、そのうち一番気になっていた会社と話しているうちにどんどん選考が進み、特に苦戦せずに2月くらいには内定が出ていた。私の就活はかなりあっさりと終わった。
モバイルゲーム業界やIT業界は今かなり盛り上がってるのもあり年収もかなり良く、この結果にはかなり満足している。
最後に、私がHAL東京に入学して良かったかどうか、という点について触れてこの駄文を終わらせようと思う。
もともと、ゲームは作りたいと思っていたが、何から始めたらいいのかわからなかった。
そんな中、専門学校で学ぶことで0→1が出来る様になったのはやはり大きかったと思う。
一度作り方を学べばあとはそこからどんどん自分から学んでいけた。
逆に、そう言う学び方が出来ない人はやめておいた方が良いと思う。
HAL東京在学中ずっと思っていたのが、学生間のレベルの差がとても激しいのだ。 無能か出来る奴のどっちかになるのだ。
自分は積極的に学んでいける!出来る奴に絶対なってやる!と言うくらいの気合いがないとダメだと思う。
入学時にプログラミングの経験がある人も一定数いるのだが卒業する頃には自分の方が書ける様になっていたし、結局のところ本人の努力次第である。決して入ればゲーム業界にいけるとか、そんな甘い話はない。
生半可な気持ちで入学するのは出来る人たちの迷惑になるとハッキリ言っておこう。チーム制作の足手まといになってしまうだけである。
私の親は毒親だと思う。といっても、猛毒まではいってないと思うけど。
実家は山陰。両親は有名大卒と地方国立大卒で、当時としてはかなりの高学歴夫婦。父親は家業を継いでいて、母は一応専業主婦。だけどその実態、父親はおそらくはアルコール依存症だったし、母親は同居生活で、舅姑、彼女が嫁ぐ前は小姑からもかなり激しくいびられていたらしい。しかもこの母、家事の才能がまるでなしで片付けが全くできず、料理も決してうまいとはいえなかった。そんな中で育った兄と私。兄にとって両親がどうだったかは知らないけど、私はしばしば親、特に母親と衝突していた。
親は、私を親のお眼鏡に叶う偏差値の大学に進学させた後は地元の名家に見合いで嫁がせるつもりで育てていた。自分もそうするものだと思っていたけども、気づいたら全く違う人生になっていた。
中学のころだったと思う。朝食を食べて、兄が牛乳を食卓に放置していた(それさえも私は知らなかったのだけど)。帰宅してそれを見つけた母が激しく私たちをなじった。兄は黙って聞いていたけど、無関係の事まで持ち出して咎のないはずの私まで罵倒し始めたので、我慢できず言い返した。その後黙って家を出てしばらく友人宅にいたのだけど、迷惑もかけられないので帰宅した。その後もまあ激しく怒られたのだけど、あまりにひどい罵倒の数々に「子供に人権はないのか」と言ったのだ。その時に言われたのが「かわいげがない」「お前は親に誤らせるのか」という言葉。後者はこの後も時々言われてそのたびにとても不快になった。この騒ぎがどう収束したのかは記憶にない。
高校の頃。思いつきで志望校を変更しようかと思った。元々の志望校よりも距離は離れるけど、偏差値は上がるし、最終的に届かなくても元の志望校に戻せばいいや、目標を変えて偏差値が上がれば結果としては受験にはいい影響のはず、という割と軽い気持ち。父親に言ったら母に相談しろと言われる。母に言うと途端にものすごく不機嫌になり「お前にあんな難しい大学行けるわけがない」「そんな遠いところの大学は許さない」かくして志望校変更は1日で元に戻さざるを得なかった。まあその程度の気持ちではあったのだけど、あの時に態度とひどい言葉はよく覚えている。
大学に進学。電車を乗り継いで半日ほどかかるところだった。最初は4人部屋、4畳半を二人ずつで使う昔ながらの寮に入った。私はゲームが好きだったのだけど、高校までの間は勉強を理由としてほとんどやらせてもらえず(こっそりやってたけどね…)テレビを持っていなくて全くプレイできなかった。なので入学後最初のGW、駅前の中古ソフト屋で買ったソフトを持ち帰ってプレイするのを楽しみにしていたのである。そして実家で夢中になってゲームしていて、親への対応がなおざりだったのだろう。夜に一人でリビングでゲームしていたら既に激怒の完成形になっている母が「ゲームしに来たんだったら帰れ!!」と怒鳴りつけるわけです。その前にゲームそろそろやめなとか話をしようとかいろいろあると思うんだが、最初から怒りMaxで来られるのでこちらも穏やかではいられず。お土産に買ってきた菓子はゴミ箱に突っ込み、翌朝父親に帰る旨を伝えたら短気は起こすなと説得される。菓子は祖母の手でゴミ箱からサルベージされていた。
バイトを始める。そこで彼氏ができた。顔だけはいい底辺高校卒フリーター(契約社員かな)だった。この男も毒親育ちのモラハラ男で、こんなダメなお前を理解し更生させてやるのは俺だけだぞみたい態度で接してくるわけですね。ただ、「何かできそうな、やりそうな雰囲気」はものすごくある人だった。終始アンチこの彼氏だった私の友達もこの点は認めてたから。数年付き合ってる事は黙ってたけど、母親に彼氏の事を話したんですね。3年生の終わり頃だったか。父親には言わないでと。「付き合うって具体的には何をするの。手をつないで歩いてとかか」「え、それはまあ」「それ以上もか」「え、まあ」というような会話があったことは覚えている。そして翌日即父親にバラされて実家は大嵐です。「もうお前の学費は払わない。男に払ってもらえ」と、できるわけがないことを言ってくる。しかもその品のない言い方が。結局別れたことにして大学は卒業したけど、勝手に合い鍵を持ち出した父親が私の部屋に侵入していたことがあった。ドアを開けたら酔っ払った父親がいるんですよ…。この時もすぐに喧嘩になって、絶対に追ってこれないところに逃げるべく、私は大学に塀を乗り越えて侵入し、女子寮の友達に頼んでかくまってもらった。翌日合鍵を渡してあった友達に頼んで父親がいない事を確認してもらってから帰宅した。テーブルの上には自律した行動をという紙が置いてあったが、アル依の父親にそのままお返ししたい。
他にも無茶な話が一つある。母親の友人は、友達と旅行などに行ったときに一緒に娘さんの部屋に泊まるのだという。娘さんは自分の友達の家などに泊まって、部屋は母とその友に使わせるのだとか。…という事を話されて、まあ自分もそのようにしたかったのかなと思ったけど空気読めないふりをしてふーん、で返したので実現しなかった。今思えば、親はともかくなんで知らないオバサンを自分がいない部屋に泊めなきゃいかんのか、絶対やだな、としか…。確かに家賃を払ってるのは親だけど、それが普通の感覚なのかな。私は嫌だけど。
とにかくこのころの私は親から離れるとこんなにも自由で楽しいのか!と気付き、実家にはろくに連絡もせず好きなことをしていた。でも親からしたら「糸の切れた凧」だったようです。嫌な表現しますね。私は耳があまりよくないこともあってか電話が嫌いなのだが、時々父親から「そろそろ母親が不機嫌だから電話してくれ」という連絡があった。で、嫌々電話していたのだけど、なんというか情けない話ですね。なぜ話したい人の方から電話してこないのか。母の日も「他の人たちは何をもらったとか楽しそうに言ってるけどうちにはなにもない、惨め」と愚痴ってくるのです。若い頃は逆に反発して意地でも送ってなかったけど、そのうちリスク回避だとネットで頼んで送るようにしてたな…正直気持ちは入ってなかった。ただのリスク回避。
大学は自分で選んだところだったけれど、言わば学歴厨の親だったので、勉強ができなくてはクズであるという空気の中で育った。私も兄も同程度の出来だったのでお互いコンプレックスは持たなかったと思うけど、これで仕上がりに差があったらどうなっていたのか、考えると恐ろしい。そして入学後に目的を見失い、勉強が全く面白くなくて本気で中退を考えていた。けど、親には相談しなかった。相談する相手じゃなかったのだ、もう既に。新たなやりたいことを探すパッションもないまま、4回生で必死に単位を取ってどうにか卒業の見込みが立った。後に書くけど就職も決まってしまったので必死だった。
そして卒業式の前日のこと。親は袴を持ってきて着付けをすると言ってくれたので、お願いすることに。前日の予定は聞かされてなかったのだが、私は友達から当時超入手困難な某ブランドのファミリーセールのチケットをもらっていて、楽しみにしていた。昼過ぎに電話がかかってきて、何時に着くから食事を一緒にと。でも私はセールに行く気だったので、それは無理だよ~と軽く返事をしたらそれで点火、激怒。親がわざわざ行くのに予定を空けておかないとは何事かと言われた。じゃあ予定先に言っとけよ電話できるだろ…とは思ったものの、ブチ切れた母はとにかく家に行くから外出するなとガチャ切り。家に来たけど、私は鍵を開けなかった。非常に惨めな気持ちになったそうです。もうスーツで行く気で、父親に電話したら父がなんとか説得などしたらしく、翌朝着付けに来いと言われたのでホテルの部屋で着せてもらって卒業式に出た。けど、大学の卒業式はもう思い出したくもないものになった。正直あまり記憶がない。父曰く、私の大事な行事を台無しにしたことで落ち込んでいたらしいけども。
就職。親は地元に戻して、数年経ったらそこそこの家と見合い結婚させる気だったようだけど、まだあのクソ彼氏と付き合っていたので、地元に帰る気はゼロ。親の勧めでコネのある地元企業も受けたけど、猛烈やる気のないエントリーシートを出したせいか、超氷河期のせいかコネパワー発動前に落ちたのでよかった笑。しかし超氷河期、まあ落ちる落ちる。どうしようかと思っていたら何をどう間違えたのか某上場企業の内定をもらってしまい、親も賛成せざるを得ない。あの会社に就職って言うと自慢できる程度の知名度だったし、満足はしてたみたい。でもやっぱり実家に心は向かなくて、同期に「実家に帰らなさすぎじゃない?」とは言われたけど。
時々帰る実家は私の居場所がなかった。精神的にではなくて物理的に。田舎で、部屋が10以上ある巨大な家なのだけど、その8割程が母親の荷物で埋まっていた。片付けもせず、壊れた電気も直さずに暗い部屋でネットのパズルゲームをやっている母の後姿を見たときは正直ぞっとした。彼女と話しても、父親への不満、祖母の悪口、私への恨みなどを延々聞かされた。楽しくはなかったけど、他に言える人がいないから…とずっと我慢して聞いていた。大学の頃の私への恨みは本当に不愉快だったし言い分もあったけど、黙っていた。一言でも言い返したら余計面倒なことになると分かってたから。
クソ彼氏とはずっと付き合ってたけど、クソ彼氏があまりにも将来への見通しがなくおれはいつかビッグになるという夢想ばかりしているので愛想を尽かして別れた。2年ほどしてから社内で彼氏ができて、その人と結婚することになる。彼氏はちゃんと大卒で同じ上場企業だったので、反対されるかと思ったけど大丈夫だった。というか、クソ彼氏がひどかったから相対的に評価が上がっていたのかもしれない。ちなみにクソ彼氏、未だにビッグにはなってないみたいです。
出産。娘誕生。妊娠中に不幸があってショックを受けており、それもあってかあっさり産後鬱に。里帰りはせず、自宅に義母と実母が交代で来てくれた。義母は家事の達人、まさにプロの主婦といった人で、産後の実子のケア経験もあるせいか本当に頼りになった。一方の実母は、朝私が洗濯をしている横で新聞をゆっくり読み、私が作った料理をなぜかクソマズアレンジし、挙句に地元の人が近所のイベントに出店しているから行ってきていいかと。会場はかなり遠く、言ったら3時間は帰れない。折しもインフルエンザが流行っている季節で、私はいいけど帰宅したらすぐに風呂に入ってくれと頼んだのだが、ばい菌扱いされたと感じたようですね。母親がいない間に夫が会社から帰ってきたけど、私の顔が引きつっているのを見てまずいと思ったみたい。ばい菌扱いもショックだったみたいで、3日いる予定が2日で帰ってくれた。その時はほっとしたんだけど…しばらく経ってからメールが来た。なぜなんの連絡もよこさない、寂しすぎると。仕方なく電話したけど、孫が生まれて喜びでいっぱいの時期のはずなのに面倒見に行けば(見てないだろ)迷惑そうにされ、産後鬱だから直接連絡せず夫を通せと言われ(の割にメールしてきたな)、疎外されて惨めであると。そして生き生きと夫の悪口を言い始めた。夫からしたら身内の不幸があってこれ以上誰かを失いたくなかったわけで、私を守ろうとしてたんですけども。産後鬱状態の娘に夫の悪口を言うとか本当に神経がわからない…。この時はなし崩しに仲直りした形になったけど、お宮参りとお食い初めに呼んだら父親が泥酔して夫を蔑む発言をして、夫の私の両親への心象は地に落ちた。この時は駅で寝転がって運ぶこともできず大変だったらしいです。まあ、アル依だからな…。
それでも程々の距離を取りつつ、私が気を使うなどして表面上は親しくしていたのだけど、1年前に会ったときのことだった。
私は遺伝性の病気を抱えていて、毎日目薬を差さなくてはいけない。この目薬、肌についたものを放置しておくと肌が荒れることがあるので、ウェットティッシュやおしぼりで早めに拭くと荒れなくて済む。また、目の形が少し変わる副作用もある。肌荒れはなんとかなっても、目の形はどうしようもない、でも病気よりはマシだから…と点眼を続けていた。
その頃、母は目の手術を受けており、目薬の点眼をしていた。点眼後に使えと清浄綿を渡されていた。私と同じ病気の人も使っていると聞き、私のためにと買ってきたそうだ。だけど、自分の目は手術したわけでもなく傷もないので感染症のリスクは低く、そこまでのものは必要ない。主治医もウェットティッシュで十分と言っていた…が、一応お礼を言って受け取った。そんな時に娘のアレルギーが発生して、目がパンパンに腫れてしまった。これこそ敏感な状態で、清浄綿を使うのはとても良いし、個装されているから携帯にも良い、すごくこの子向きだねと母に言ったら突然イラつき始めて「それはあんたのために買ったものなんだけど。高いっていうけど、そんなもの(楽しみにしていた入手困難だった化粧品)を買うお金があるならこれくらいお金出せるでしょう」困惑しながら、実際自分の今の状態にここまでのものは必要ないと副作用の説明をしたのだが、そこで「もうこれ以上この話はしたくない!」ときつく言われて終わった。実はこの数日前に受けた検査の結果が今一つで、でも一度の結果で落ち込むものではないと自分を励まし前向きになろうとしていた時に病気の事で怒られるというのはとてもショックだった。その後私は一言も喋らず、というか喋る事ができず、飲まず食わずになってしまったのだが、親は怒っていると思っていたのかもしれない。実際はショックで何もできなかっただけだが。
翌朝、相変わらず不機嫌そうに一言も口をきかない母親。これはさすがに…と自分が折れようと思って「病気の事に口を出すのは一切やめてほしい」と言った。すると待っていましたとばかりに「謝れというのか。そもそも謝るようなことなんて何も起きてなかったと思うけど、親に誤らせようというのか。まあ謝るけど、すみませんでした(棒読み)」。これでもうさすがに我慢の限界がきて、病気に事では自殺するほど悩んだこともあったのに、なぜこんな体に生んだ、謝るとかそういう問題じゃないと泣きながら訴え、過呼吸寸前までなっていたのだけど、母親はそんなの知らなかったと何度か言ってからテレビを見るために椅子に戻り、父親はオバサンがそんなに泣くものではないと手を振り払った。それでもうこんな思いをするのは嫌だと荷物を纏め、予定より何日も早く家に戻った。途中「せっかくの帰省をつまらないものにしてごめん」というメールが来ていたけど、そんなレベルの事じゃない。つまらないもの、そんなことじゃない。私が死にそうな思いで、でも死なずに努力していた、そのことを踏みにじったんだよ。SNSはすべて即ブロックしたけど、LINEだけは解除しておいて通知オフ、未読スルーにしておいた。
それに気づいたのはメールが来てから数週間経った頃だった。「連絡が一切なくて寂しいです」と、あれだけのことをしておいて普通にメールが来ていた。彼女の中ではその程度の事だったのかな…でもこれを見た瞬間にどうしようもない嫌悪感と吐き気がこみ上げてきて、LINEもブロックした。もう解除するつもりはない。
一度兄から夏の帰省について連絡がきたけどそっちには戻らないとだけ返しておいた。返事は未読スルーだった。わざとなのかなんなのかわからないけど、あの兄がそういうことを聞いてくるのはなんだか怪しいと思っている。裏で誰かが動いたのかもしれないけど、どうでもいい。
母が義母に連絡したようだ。「娘と連絡が取れない」「心あたりはないのだけど(これはびっくりした。ボケたのか?)」と。義母は積極的に介入するのはまずいと思って、そういう連絡があったことと、私に少しだけ事情を聞くだけに留めてくれた。あまりどちらにも余計な事は言わないようにするとも。だけど義父はそうじゃなかったようで、外面のとてもいい母親のそこだけを見て、あんな立派な人ともめるのは子供の方がおかしいに違いない、家事もおろそかだし、育児についても…と勝手に色々と不満を溜め込んでいたようだ。
まずは昼間にスマホをいじっていて子供の相手がおろそかになったのが不満だったらしいが、それは夫の同僚の奥さんで、赴任先についてきて生活が不安な人の相談に乗っていたのである。早く現地で私も頼りにしている人に繋ぎたいと思ったし、水や食べ物については一刻も早く不安を解消してあげたかったから。自分も引っ越して鬱になったから、もうそんな人を増やしたくなかった。そしてその夜、台所の片づけを手伝い、一日やかましい子供の相手をしていたところから気が抜けて、子供のアレルギーについて携帯で調べていた。子供に片付けしなよと声をかけていたけど、昼間の事もあってそれが気に入らなかったのだろう。名前を呼び捨てにされ「スマホを見ながら怒鳴るだけで子供が育つか!!」と怒鳴られた。反論もせず気にしてない風を装いはしたけど、突然怒鳴るというのが実は非常にショックだったのだ。中学の時に暴力的なものを含むいじめの経験があるので…。
その後はおとなしくしていたのだけど、食事中に子供の質問に答えていたのを「そんなことを食事中に話していては食べられないだろうが」チクチクと注意されていた。そして最終的に夫もいる場面で「食事の時にぐちゃぐちゃと喋るのが大嫌いなんだ!」と怒鳴られ、その後に私に向かって「大体親をないがしろにしてそんなことでいいと思っているのか!」と全く無関係の説教を始めた。最初に怒鳴られた時点でもう夫が怒鳴り返していて私は無言だったのだけど、親の事についてはこちらもさすがに黙っていられず、泣きながらだったけど「何を言われたかも知らないのにそんなことを言わないでほしい」と言った。が、それ以上は夫に引きずられて移動させられたので言えず。
その後、数時間二人で話をしていたようだけど、夫の感触としては「元々子世帯のやり方に内心不満を溜め込んでいたところに親ともめていると聞いて勝手に不満を溜めたのだろう」「あなたの親は心当たりがないと言っているようだから、一方的にこちらが悪いと思い込んでいる」「かなり話したけど、性格上納得はしていないと思う」との事だった。家事がおろそかといっても、彼は自分の妻の家事能力の素晴らしさが当然のもので、それがいかに恵まれていることか気付いていないのだ。私が地味にやっている細かいところの掃除については全く気付いていないだろうしね。ゴミ出しのタイミングとかも…。大体片づけが~というなら、毎日湯呑を飲んだ後放置して去っていくのはどうなんでしょうか笑。夫に食事の時無言だったのか聞いたけどそんなことはなかったそうです。私が質問に答えるのも知識のひけらかしって陰口言ってたけど、実はひけらかしというなら舅の方が余程そういう話をしてるんですよ。私はどんな話でも知識を深めるのはいいことと考えているので、ひけらかしなんて思わずいつも素直に聞いていたけど。
私は、別に状況を理解して味方になってほしいとは全く思っていない。理解だってしてくれなくてもいいのだ。ただ口出しをしてほしくない。そういうことは嫌いな人だと思っていたのに、まさかこんな形で口を挟んでくるとは思っていなかった。話の中で夫にお前が仲介してどうこうすべきではとも言ったようだけど、それは私が全く望んでいないことだし、毒親と無理に和解させようとして離婚する夫婦もいるくらいなのに、そうなってほしかったのだろうか。私への悪口も漏れ聞こえてきたし、本当に不快。それに同じことをしたのが娘婿だったらきっと言っていなかったと思う。女と見てそういう態度に出られた事にも非常に不快感がある。突然怒鳴るのも何なんですかね。そんな人と楽しく付き合いたいと思う人がいると思うのかな。あいにく私はそこまでのMではない。
そもそも私の親が保身のためにか嘘を言ったのがクソだし、事情をほとんど知らないのにイメージだけで口を挟み、突然怒鳴ってくる舅もクソ。あんな人だと思っていなかった。
正直私は二度と会いたくないんだけど、義母がそれはやめてほしい…との事なので義母のためにもう少し努力はするつもりだけど、同じことがまた起きたらもう我慢できないなとは思っている。夫が壁になる意思があるからいいけども、これで無理に付き合いを強制する人だったら離婚するだろうな。そうさせたかったというなら目論見通りなのだけど。
お世辞にも賢いとは言えないが全国的な知名度はある大学に通っている。
経団連が21卒から就活ルール撤廃と言ってくれたおかげで企業たちはあからさまにインターンから採用活動を始めている。
政府が就活ルールを維持と言おうが形式にしかならない。罰則がなければ守るはずもない。当たり前だ。
建前は企業のオフィスで実際に業務を体験して入社後にミスマッチしないようにしましょうと言うものだ。
そんなお客様扱いで全部がわかるはずはない。かといって本当に社員扱いしても学生は逃げてしまうだろう。
実際には優秀な学生の囲い込みが目的だから企業からすればお客様扱いでいいのかもしれない。
ほとんどの就活生が行くと言うインターンには様々なタイプがある。
1日完結型もあれば5日間オフィスに机をもらって通うものもある。
ベンチャーや外資では1ヶ月通い詰めるものもあるしまばらに3日間来てくださいなんて言うのもある。
インターンに行くまでもいくつか乗り越えなければならないものがある。
抽選や先着順でいけるものもあるが有名な企業になればなるほどエントリーシート(通称ES)なんてものを書かされる。
何がしたいか、学生時代力を入れたことは何か、どのようなことがインターン中に活かせるか、強みは…なんて自己肯定感のない人間には地獄の質問だらけだ。
それを通り抜けてもWebテストを受験させられたりグループディスカッションをやらされたり、面接があったりなんて就活本番さながらだったりする。
大学で勉強しようとしても企業は平気で平日にインターンを設定してくる。
そのくせに大学での勉強をしっかり行っている学生が欲しいなんて頭のネジがすっ飛んで行ったとしか思えない発言だ。
前倒しで始まるなら終わりも早く迎えて欲しい。
永久雇用はないと言ってみたり、経団連も何がしたいのかわからない。
ここまできたら願いはただ一つ。
世間の話題から何周も遅れて、今更"金野火織の金色提言"を聞き、曲コメを読んだ
涙が溢れて止まらなかった
少し落ち着いてこれを書いている今も、思い出すと涙腺が緩んでくる
ゲーセンに通い始めたのは中学2年生の時、一番価値の無い存在だった時分だ
あの時の自分にとって、ホームのゲームセンターは文字通り"HOME"だった
わかりやすい虐待は受けていないものの、我が家では性的虐待の匂いに怯え、
学校に親友はいたけれど、その親友には(自分と相互ブロックの)別の親友がいた
TECHNORCH氏のように、ゲームセンターに長時間居座れたわけじゃない
行動をGPSで監視されていたから、それをかいくぐってプレイできたのは、せいぜい2,3クレが限界だった
それだけで十分だった
今は絶賛就活中(就活も周回遅れだな)で、エントリーシートを何枚も何枚も書いている
音ゲー、とはとてもじゃないが書けない
堂々と胸を張って書けることじゃない
それが当然だと思っていたし、惨めだと認識してすらいなかった
でも今、こうやって突きつけられて、涙が止まらない
「私の青春ゲームです」その一言で、中学生の自分、高校生の自分、大学に入ってからの自分、そして音ゲーをエントリーシートに書けない自分が、全て救われた気がした
まず前提として世の中にはたくさんの人種がいる。
このような多様性の中で価値観の相違が決定的なところで起こった場合に起こるのが争いだ。
これを防ぐための完璧オフ会理論を作成した。是非参考にしてほしい。
①エントリーシートを記入してもらう。
ここで行っていることが事実かどうかを中心に精査する。
②一次面接
エントリーシートの中で的確とこちらが判断したものに関して面接をする。
当日はこちらで用意したターバンを頭に巻いてもらい、プライバシーの点は安心してもらう。
自分がそのオフ会を通じて現在のはてな内の立ち位置をどうしたいと思っているのか
また、その変化に関して期限を設けているかなどを中心に評価させていただく。
通過率は5%。
そこで言えなかったり、本人確認書類を見せてもらい嘘だった場合はオフ会参加を断念してもらう ここでは3人に1人が病院に行く。
③合同合宿
ある程度の価値観を共有したという仲間を10人ほど集め、山梨の契約している別荘で三日間
お互いの生身を晒しながらネットでどこまでコミュニケーションを活発にできるかをここで評価する。
④最終面接
オフ会のスケジュールを大まかに公開し、自分がその中でどのような役割を果たすか 最終的な確認をする。
ここでは私に5分のプレゼンテーションをしてもらう。
そのような中でどこまで自分の含蓄を発揮できるか。
ここを見させてもらう。
⑤オフ会参加決定
オフ会参加が決定すると、
ワークシート(自分の抱える課題、それをどう解決するかを4000字で提出)
健康診断書
東京マラソン出場
これらを求める。
健康でなければオフ会で楽しめるはずもなく、かと言ってみんなの歩みについていけないほど貧弱では話にならない。
勝って兜の緒をしめよ。
もちろん、少しでも不備があればオフ会中止も厭わない。
3月入ってから2週間も経っていませんが、すでに第1志望の会社に落ちました。とても辛いです。
どうせもう縁が無いだろうからぶっちゃけると某アイドルゲームを作ってるB社です。
割と前から就職したいと思っていて、インターンシップにも参加して、早期応募で採用面接等を受けました。
1次面接からずっと「この会社とは何かズレてる気がする。人はめっちゃいいけど、なんか違う。」って心のどこかで感じてたんですよね。
ただ、まあ割と楽に最終の役員面接まで行けたので上手く行くと思ってました。
はい、最終で落とされました。この会社は割と早くに連絡をしてくるので1週間近く経ってる時点で怪しいとは感じていました。
お祈りメールを受け取ったときもそこまで落ち込みませんでしたね。割と自分的には鬱になるのでは?ぐらいに考えていたのですが、あっさり受け入れました。
で、その会社が第1志望ですでに選考を受けていることは親に伝えていましたから、結果を報告しました。
すると「ちょっとゆっくりしてから探したらいい。最悪、院に行ってもいいから。」と言われました。
正直、お祈りメールを受けたショックよりこの親の優しさに泣きそうになりました。
よく考えると僕が何かの選考で落ちるって相当久々なんですよね。
僕は中学受験をしましたが、その学校には割とすんなり入ることが出来ましたし、大学もあまり苦労せずに入ることが出来ました。
多分、そういう事情を知っているからこそ優しくしてくれるんだと思っています。
親って大切にしないといけないですね。昔、迷惑を相当かけたので本当に申し訳なく感じます。
ただ、実を言うとB社を受ける前に某白猫とか黒猫とかが付くゲームを作っているC社も受けて落ちてます。
ただ、ここは第1志望では無いですし、元々インターンシップに応募して落としたにも関わらず新卒採用受けてくれとかいう謎なことを言ってきたので試しに受けたという感じなので、ほぼほぼノーカンです。
さて、ここからが本題です。第1志望を最初に受けて、ここが通れば他の選考を受ける必要が無いと考えていたので、落ちた後のことを何も考えていません。
なのですが、本当にこれでいいのか迷っています。
今までの人生を振り返った時にゲームをそこまでやってきたかと言われたら、やってないとはっきり言えるレベルでやってません。
ゲーム自体は好きなんですけど、自分でプレイするのがとても苦手です。誰かがプレイしているのを見たり、自分でゲームを作ってみる分には結構面白いと感じるのですが。
ただ、今までゲームをそんなたくさん作ってきたかと言われてると、これも作ってないとはっきり言えます。
基本的にアイデア力が無いので、「こういうゲームがあると面白いかも」みたいなのが全然思いつきません。ただ、他人の意見を聞いてそれにアドバイスみたいな感じで意見を出すのは割と得意だったりします。
さて、こんな僕にゲーム業界でゲームを作ることが出来るのでしょうか?もっとゲームが好きで昔から色んなゲームをプレイしてきたっていう方のほうが向いてると自分では思います。
でも、他に興味がある業界がありません。自分で作ってきたものには、機械学習を用いた画像認識やWebアプリケーションなどがありますけど、これを仕事にしたいとは全く思っていません。
自分は飽きやすいので興味が無いことを始めたとしてもすぐにやる気が無くなります。多分、半年ももたないと思っています。
だからこそ、少しでも興味のあるゲーム業界を目指しているのですが、現実はとても厳しいものです。
自分がやりたいことも割とここ数年の間にコロコロ変わっているので、ゲーム業界に就職したとしても5年10年後には多分違うことをやりたいと思っている気がするのですが。
あと、もう1つ悩んでいることがあります。勤務地です。
B社を志望していたときは「絶対東京がいい」みたいなことを考えていたのですが、落ちてから冷静に考えると「別に東京じゃなくてもよくない?」ってなってきています。
正直、東京はたまに行く分には楽しいのですが、住むかってなるとなんか違う気がします。
ただ、イベントとか趣味関係(B社の某アイドルゲームですw)を考えると東京近郊に住んだほうが楽なんですよね。
今は実家の近くである大阪を中心に会社を探しています。あんまりないんですけどね。
いっそのこと全然違う場所に就職するのも面白いと考えています。例えば、金沢にあるD社とかはエントリーを考えていたりします。
どこで就職しても難易度はあまり変わらないとは思いますけど、東京よりかはちょっと離れた場所のほうが楽なのかなとかは思ったりします。
さて、ここまで色々書いてきましたが、多分殆どの人が「こいつ、文章書くの下手くそだな」って思っていると思います。自分でも思っているぐらいですからw
文章力が無いとエントリーシート書くのもなかなか辛いんですよね。
てか、自己PRとか志望動機とかってどうやって皆さんひねり出しているんですかね。正直、第1志望以外はほぼ適当に見つけた会社なので、志望動機なんて書けないんですよ。
エントリーシートを書いていると自分が今までどれだけ何もせずに人生を過ごしてきたかがよく分かります。
結局、自分がやりたいことを見つけることが出来ず、特にこれと言って特別なことをしてこなかった人には就活というのはとても辛いものということを少し実感しました。
「就活なんてまだ始まったばかりなのに何言ってんだ、こいつ」と言われるかもしれません。ですが、第1志望をすでに落ちている身としては今後の就活なんて消化試合みたいなものです。やる気なんて全く出ません。
親に言われた通り、院に進むのも手だとは思っているのですが、今の研究室でやっていることを院に進んでまでやりたいか?ってなるとやりたくないです。
なんか大学ジャーナリストが、就活生の不安をムダに煽っている。どうせ自分の飯のタネを必死にこさえているのだろう。
https://news.yahoo.co.jp/byline/ishiwatarireiji/20190227-00116339/
あくまでも一般論であるが、就活に関するコラムで、作家やライターが書いたものを当てにするべきではない。
読むべきものは、日々現場で採用に携わっている人か、少なくとも会社で働いている人が書いているものに限る。
なぜ大学ジャーナリストが、自分に「学生のエントリーシート」を評価できるスキルがあると思いこんでいるのか理解に苦しむ。
「就活生のエントリーシートがしょぼすぎる!」なんて煽ってるのは、自分がYahoo!個人のアクセスに応じて原稿料をもらうためだ。就活生のことを本気で考えているわけではない。
特にこの人は、自分では就活に失敗しているし、会社でロクに働いたこともないし、なにしろ採用に携わったことがない。でも、態度のデカさだけでここまでやってきた。
まあ、自力で生き延びるようとしている人は、他人からとやかく言われる筋合いはない。ただ、弱いものを騙して生き延びようとする存在は、放置すべきではないだろう。
滑稽なのは「問:学生時代に頑張ったことは何ですか?(400字以内)」について、図々しく添削例を披露していることだ。
はっきりいうが、添削したものと元のものとでは、大した違いがない。元のもので通らなければ、添削後のものでも通らない。
就活というのは、そんな片手間の手練手管で突破できるものではないのだ。なめてはいけない。
何が悪いのかというと、ネタの選定だ。ジャーナリストであっても編集者であっても、共通する認識がある。それは「ネタが8割」ということだ。9割、いや、すべてと言ってもいいかもしれない。
だから、添削で真っ先に指摘すべきは「私が大学時代に頑張ったことは委員会活動」では、ネタとしてまったく弱いということだ。
1つ目の対策は「強いネタと差し替える」ことだ。4年間を見渡し、本当に自分が力を入れたことを率直に振り返るしかない。
そのときに「学業とバイト」という凡庸なものしか出てこなくても、落胆する必要はない。それは事実だからだ。事実であれば、いかにも取ってつけたような「委員会活動」よりも、ずっと説得力がある。
できれば「学業」と「バイト」の中に、なにか興味をひいたものがあれば、その部分にズームインすればいい。
2つ目の対策は「弱いネタを組み合わせる」ことだ。弱いネタ1本で押し切ろうとしても、無理が出る。
だって、実際に委員会活動にばっかり力を入れたわけじゃないだろ? そんなもん、4年間の学生生活に使った全エネルギーの中で、3%にも満たないはずだ。
実務に携わらない作家やライターは、就活を突破するための作り話で何とかなる、と勘違いしている。就活は、そんなに肩肘張って臨むものではないのと同時に、そんな風になめて臨むべきでもない。彼らは、そのさじ加減を理解していない。
「学生時代に力を入れたことは、学業が6割、バイトが4割くらいです。学業は専門のマーケティングの勉強が面白くなって、関係する選択科目も受講しました。ゼミは社会心理学の○○○○先生のところに入りました。大学に入って初めて知ったことが多く、まだまだ勉強が足りないと感じているので、これからもいろんな本を読んでいきたいです。バイトは飲食や接客、運送などもやりましたが、自分に一番合っているのは家庭教師かなと思いました。できない子を伸ばすためには、時には辛抱強く待つ必要があると知ったのが一番学んだことです。あと、印象に残っているのは、1年と2年のときに体育会の委員になってテニスの講習会を担当したことです。2年のときには副委員長になったのですが、参加者を増やすために募集期間を延長したり、プロの選手を呼んでメニューの魅力を高めたりして、前の年の1.5倍の参加者を集めたときには達成感がありました。」(393字)
細かいところは勝手に推敲すればいいけど、これが普通の大学生の4年間なのではないのか。別に海外で事件に巻き込まれたりしなくていい。悪いけど、そんな話はいくらでも聞きますから、もう飽きてます。
そんなことが聞きたいのではない。こういった普通の話を聞きながら、この中で引っかかりがあれば、面接担当者が質問するので、そこでリアルな内情を打ち明ければいいのだ。
「へえ、どうやってお願いしたの?」
みたいな話は、後でやればいい。
あ、もう晩酌の時間だ。あとは君らに頼んだぞ。高名な大学ジャーナリストと、普通のサラリーマンのおっさん。どっちの方が信用できると思う?
エントリーシート書くのすっごい楽しくて、どこ受けても私ならぜんぶ受かるような気がしていて、わくわくしながら結果を待って、ようやく届いた最初の合否は否だった。とりあえず全画面表示でフリクリを観て、寒さに震えながらタバコを吸って、おかしな思考が起こらないようにする。3mgくらいで美味しいタバコ教えてください。今吸ってるのはチェブランコ
ここまで運で生きてきた人間だから、それを実力だと勘違いしたい浅ましい人間だから、なんかそんな気持ちになってしまう。私ならいけるっしょみたいな。全然いけなかったのめっちゃうける。私はこんな感じでいろんな企業自信満々で受けてあっさり落ちてなんだかなあみたいな人生送るのかな。無能のくせしてプライドだけは高いんだから困っちゃうね。一社落ちただけっていうか、落ちたのも本選考じゃなくて前哨戦のインターンみたいなやつだし、それだけでこんな気持ちになっちゃうのかわいそう。やりたい仕事いっぱいあるし、私ぜったい優秀に働くんだけど、とかそういうふうに考えちゃうのかわいそう。謙遜って言葉知ってる?就活で謙遜してもしょうがないんだけどさ。私こんなに優秀です!!!!って言わないと受からないんだろうけど、そういうスタンスでいって落ちたときしんどいじゃん。今まさにそれ。嘘ついても良いことないしそんなに器用じゃないから本音でいくけど、否定されたときしんどいじゃん。どういう心の持ち方したらいいのか全然わかんない。なんだかんだなるようにしかならないんだろうけど。やるしかないんだけど。心を守りながらがんばるしかないからがんばる。最善を尽くしてもだめなときってだめだからさ、とりあえずやることしか私にはできない。ありがとうフリクリとチェブランコ
ラーメンにパラメータ全振りでそれ以外はガン無視なんだろうね。
ウメハラの一番凄いところは、格ゲー以外の全てを捨てていること
格ゲー完全特化型とでも言えばいいのかな、それが根底にあるんだよな
人間の能力の総量ってのは決まってて、みんなそれを色々な事に割り振って使ってる
だから格ゲーやりこんでるやつでも、実はそこに充てられてる能力は10%くらいに過ぎない
ウメハラはその残りの90%をいかに減らすかって理論なんだよな
他の事に使う90%を削って削って削って削って、格ゲー100%の状態に持っていく
それができたのが世界中でウメハラただ一人だった、だから頂点に立った、それだけの話
その代わりウメハラは捨ててしまった他の全ての事は全然できない
格ゲーに関係ない知識は少しも頭に入ってないし、自分の名前さえ漢字で書けない
書いていてめちゃくちゃ今更かよ、もう二週間も経ったよって思ってしまったけど、書いちゃったから上げる。
パイを投げられている広告の女性差別の的外れがこないだ話題になったけれど、この一年でこういった女性差別ものの見方が随分変わった気がする。
女性差別について、前なら、ひどいなあ21世紀になってもまだこんなひどいことが横行しているのかという気持ちだった。でも今だと日本だもんなそんなもんだろうなっていう気持ちになる。
あの広告をつくった人間がどういう気持ちでつくったのかは知らない。でも私にどんな文才があったとしてもあの広告にはたどりつかないだろう。
きっかけは就職活動だ。私は就職活動で初めて自分が差別される側の人間だということを知った。
家庭内で差別されたことは一度もなかった。成績の良し悪しについて性別を理由に文句を言われることもなかった。大学に行くことも反対されたことがなかった。祖母も喜んでくれた。
学生のうちでもそういう差別を見たことがなかった(単に私が気がつかなかっただけなのかもしれないけれど)。大学だって私の学科は男女比が半数だったのもあって肩身の狭い思いをしたこともなく、所属サークルの今の代の長は女の子だ。
ちょうど昨年まで運よく痴漢にもあったことがなかった。(よくよく考えれば高校は下り電車に乗る関係で痴漢ができるほど混んでなかったし、大学では田舎住みだった関係で朝は基本的に座ることができたのが大きかったのだと思う)故に私にとって女子差別とは過去のものという印象が強かった。
でも就職活動が始まるようになってそんなことないんだっていうことを有り有りと認識させられた。
説明会に行けば、女性の働き方というものがわざわざパワポで一枚使って表示させられる。育休から復帰する女性の人数ですと出される。女性社員の育休からの復帰率はわかったけどじゃあ男の人は育休とるの?って何度も思った。(これに関しては男性差別でもあると思う)
面接を受ければ、結婚後はどうしていきたい?出産後も働く?みたいなことを聞かれる。知るかよ、結婚するかもわかんねえよ、出産したいかもわからんわ。
男の子であればこんなしょうもないこと聞かれないんだろう。男性社員だって育休とってがっつり子育てに関わりたい人だっているのかもしれないのに。
会社によっては、もっとあからさまだった。エントリーシート通過後に説明会開催の企業では、私が希望した部署はそもそも男性社員しかいないということを私は説明会で初めて知った。今年女性を取る気があったのかはしらない。でも、それを知った時点で私は何を考えたらいいのかわからなくなった。今となっては落ちてよかったなと思うけど。「重いものを運ぶことが多いから今のところ男性社員しかいないですね」みたいなことを言っていた。じゃあそれをどうしてエントリーシート書かせる時点で明記しておかないの?っていう気持ちでいっぱいだった。私の他にも女の子は何人もいたけれど彼女たちは何を思っていたんだろう。
最終面接直後に、「うちは女性社員が少ない会社だし、あなたを取るかはこれから会議にかけてから決めます。しばらく時間をください」って言った企業もあった。私が女だから、会議にかけないといけないのかと愕然とした。面接や説明会内では確かに女性は少ないという話はあった。別に私自身はそんなことあまり気にしないし、大丈夫ですと何度も言ってきた。
でも、私の性別が男だったらこんなこと言われないんだろうなって思ったらものすごく悔しかった。結局私がこの企業からOKもらえたのかはわからない。ここの結果を待つより先に他の企業の内定をもらって、ここには断りを出してしまったから。
日本という国は私にとって生き辛い部分が少なからずあるのだ、ということを突きつけられたのが2018年だった。(ついでに就活中に初めて痴漢にあった。クソみたいな社会だなって余計に思った)
2018年の一月の私ならめちゃくちゃ文才があったらあの広告をつくったかもしれない。でも今の私には絶対に作れない。
だって、「わたしは、私。」、ということを訴えてもどうしようもないのだから。面接という場において、「あなたという人物が見たいです、ありのままを見せてください」なんて言う面接官は多い。私も何度も見てきた。つまり「わたしは、私。」を発揮する場所みたいなもんだろう。でも、その場で私はお前は女だからちょっと結果待っててよ。会議かけるわって言われたのだ。
たとえ仮に、「私は私です。女というレッテルで判断しないでください」って最終面接後に会議しますっていった面接官に言ったところで何が変わるのだろうか?きっとその人は困った顔をしながらも、「そういう訳にはいかないから」としか言わないのだろう。
だって時代の中心は男なのだから。あの面接官は私の気持ちなんてちっともわからなかったはずだ。だってわかっていたら、「あなたが女の子だから会議にかけます」なんて絶対に言わない。あの面接官は自分が社会の中心である男であるから、こんなことが言えたのだろう。私がその言葉にどのくらい深く傷つけられたのかなんて絶対に知らないのだ。
一人ひとりがつくればいい、という無責任さ、それが男の人が女に思う気持ちみたいなものだろう。仕事?いいけど家事もおろそかにしないでね、みたいなそれに近い。
女がパイを投げられる時代を終わらせるには、男が必要なのだ。白人と黒人が手を取り合って黒人差別に立ち上がるように、男と女が共に協力する世界が必要だ。
もうすぐ2018年も終わり。
自分は今、関東から田舎に帰省している大学生。大学は駅弁の理系。
今はほとんど荷物のない自分の部屋で死にたい気持ちと涙が出てきています。
来年3月に卒業しなければいけないのですが就職決まっていません。
内定がないんです。
自分は吃音を隠さずにどもっていいともの価値観で生きてきました。
これは間違いのようです。
子どものころ吃音のある学生や大人と交流する学校のイベント??があって。
そこに参加しているスタッフさん、吃音を持った大人がこんな仕事をしているよ。
職場でカミングアウトしているから堂々とどもりなさいって話していたけどこれはウソだったんだろうな。
履歴書、面接で吃音のことを堂々とカミングアウトしたけど相手にされなかった。
エントリーシートの段階で貴意に添えない結果が42社、運良く面接まで行けたところは5社。
ある企業では帰り際に障害者枠で再度応募してくれないかとも耳打ちされた。できる限り早く連絡してくれということだった。
その時の自分はこんな心の狭い企業なんてこっちから願い下げだと思っていた。
でも今になって考えればこれは助け舟だったのかもしれない。
結局11月ころに大学の学生支援室・キャリア支援室に相談したけど後の祭りだった。
なぜもっと早く相談してくれなかったのか。どうして吃音があること障害があることを堂々と
カミングアウトしてしまったのか。今の雇用情勢について解説があって自分がやっていたことは
全部裏目に出ていたことがわかった。吃音は発達障害だから精神障害者手帳を持つ方法もあると教えてもらえた。
就活開始時に精神障害者手帳を持って一般枠と障害枠両方で就活する
選択肢があったことも教えてもらえた。というかそうやって内定もらった同じ学部の人がいるということもわかった。
その人は東証一部上場企業の障害者枠で内定もらったそうだ。大学側も入学当初から相談してくれていれば
可能な限り最大限の支援をすることもできたそうで拍子抜けだった。
自分がこれから精神障害者手帳をもらって就職活動しても半年の待機時間があるため障害者枠での応募はできない。
悔しい。悔しい。悔しい。悔しい。悔しい。
吃音があっても問題ないって大丈夫だって就職はできるよって言っていた大学生や大人の話を真に受けて信じてしまった自分が馬鹿だった。
大阪に住んでいる彼女に会うため近鉄に乗り込んだが発車してすぐ間違えて京都行きの電車に乗り込んだことに気づく。
大阪の隣、京都の下にあるため奈良は電車一本で両方に行けるが確認するのがめんどくさい僕は急行の表示だけ見てすぐに反対方向の電車に間違えて乗ってしまった。
家を出るときも最寄りのバス停の時刻表を確認せず出たもんだからバス停で無駄に待った。奈良のバスは20分に一本しか無いのだ。
奈良から京都行きに乗るとイオンや古めかしい名前の高校を過ぎた後は田んぼが続く。田んぼの中にポツンと家があって止まってるトラックなども目につく。他県の人が京都と聞いて思い浮かぶのは寺社仏閣や舞妓の華やかなイメージだけど奈良県民からすると奈良の風景とそう変わらない。この傍流の風景こそ京都のイメージなのだ。
僕は地方の高校を出て大学に進学したけど就職活動を真面目にやらず卒業して無職になった。その後資格を取って就職したけどこの仕事でもあまり熱心に取り組まないので職場の評価も芳しく無い。
大学の同期や後輩も似たような者で、卒業してしばらくして就職したような連中が多い。まじめに就活した顔見知りなんかは地方大手や中小でも堅実な会社に内定をもらってはやくにけっこんして家を建てている。
大学を卒業してそのまま就職、結婚と順風に生活をしている人は電車を乗り間違えたりしないんだろう。最寄りのバス停に行くときも前日の夜くらいに時刻表を確認して家を出る時間も確認するし、資格があるのに地方から奈良に移り住んだりしない。そんな人生の遠回りをしないんじゃないかな。
就職活動でもエントリーシート受付開始日に出せるような人はとてもすごいと思う。一社じゃない。少なくとも10社くらいの企業にエントリシートを受付開始日にはもう出してるような計画性があるからいい企業に内定をもらえる。そんな人は就活でも仕事でもプライベートでも事前に時刻表を見て行動できる人なのだ。彼らは決してワーキングプアーやフリーターにはならない。社会のメインストリームとして働き家を建て生活を送る。冴えない生活を送る傍流には落ちてこない。
そんなことをつらつら思いながら仕方なく傍流を流れる僕は大阪行きの電車に乗り直している。
近鉄はよく揺れる。
旬を逃した感はあるけど、思い出に浸ってたら書きたくなったので。
正直就活を舐めていた。エントリーシートで落ちることなんてないだろうと思っていた。適当にエントリーシートを書いたNTT DOCOMOとNTT DOCOMO関西があっさり落ちる。
NTT地域子会社のOB面談をしつつ、エントリーシート、一次二次面接は軽くクリア。が最終面接で真っ白になって、全然喋れず。今でもたまに思い出すくらいのトラウマ。多分、会社に入って何がしたいのか、とかのベーシックな質問だったはずなのに、答えれなかった。今思うと、「何もしたいことなかったんだろうな」、と思うが。この時真っ白になったことは今でもフラッシュバックのように思い出す。同じ大学の同じ専攻の当時好きだった女史が同じ日に最終面接を受けていた。その子には、その日の夜に採用通知が来たと聞いて、あー今何も来てない俺は落ちたんだなと思った。その子は後に社内結婚したと聞いた。俺も合格してたら違う人生だったかもしれない。
エントリーシートで落ちたが、大学の推薦枠を使って、NTTDOCOMOに再チャレンジした。ここでも、一次二次面接はさらっと通ったけど、溜池山王までいって受けた面接のときは、あーこれはあかんな、と思った。やっぱり、何がしたいのか、と聞かれて答えられなかった気がする。ホントに何がしたかったんだろうか。多分携帯が作りたいとか言ったんじゃないだろうか。じゃあ通信会社じゃなくて携帯メーカーだよね。結果、その後、携帯メーカーに就職したのだけど。
ちなみに、ここも、昔好きだった別の女史が受けてて内定もらってて、社内結婚してた。
そんなこんなで、電機メーカで働いてたのだが、何を思ったのか、就職3年目でもう一度DOCOMOの新卒採用を受けてみようと思った。今の新卒の基準はわからんが、当時は新卒採用というのは、本当に新卒の人しか資格が無かった。それが、どういうわけか当時のDOCOMOは新卒の採用条件に年齢の制限しか無かった。ので、エントリーしてみたらとりあえず書類は通過した。これはおそらく制度のバグだったと思うのだが、エントリーシートは完全に新卒ターゲットの入力項目しかなく、普通に記載を進めても、自分が既卒だと申告できるタイミングは無かった。一次面接でその旨伝えてみると面接官には、え、そんなことできるの?とびっくりされた記憶がある。でもとりあえず面接は無事進んでいけた。が、やはり最終面接で何がやりたいのかと聞かれると答えられずに落とされた。ちなみに、その翌年の新卒の採用条件には既に働いている人はエントリー不可に変わっていた。
たまたま、DOCOMOの中途採用のページを見てしまったせいで、またもやエントリーしてしまった。何か意地があったんだろうか。正直当時の心境は思い出せない。
結婚式の翌日に妻に内緒で、会社には有休をとって、また溜池山王まで行って面接を受けた。やっぱりまた落ちたのだが。
その後、電機メーカを点々とし、今は三社目。ちなみに、名誉のために言っておくといろいろ受けたが転職活動も含めて、NTT系以外は落ちていない。もともとは組み込むソフトウェアエンジニアだったのに、何故か今は海外営業をしている。
ある意味器用で、そのままの意味で器用貧乏なのだと思う。せっかく大学の時に勉強してたことが今まさに旬になってて、当時近くにいた人たちをよくニュースで見かけるようになって、俺も別の人生があったのかもしれんなと思う一方、それは当時好きだった女史と結婚できてた可能性よりも低いだろうなと思う。
※この話はすべてフィクションです。実在の企業・人物とは関係ありません。
ブクマ数に驚きました。
いくつか補足させてください。
本文で書いたとおり、私個人は小上さん(仮名)に対して良い印象がありません。
ただ、今回の小上さん(仮名)たちの行動自体は好意的に捉えたいと思ってます。
今回の報道がなければ多くの人があの会社のことを知ることはなかったでしょうし、私もOさんの件を耳にしなかったはずです。
これまで私があの会社のことで辛い思い出を抱えつつも発信できなかった理由のひとつに、「自分が感じているほど大した問題ではないんじゃないか?」という疑念があったんだと思います。
ただ、今回の件に対する世間の反応をみて、また記事を客観的に読んだ私個人の感覚としても、やはりあの会社はめちゃくちゃだったんだと、ようやく確信できました。
今回の件、小上さん(仮名)たちが主張している内容が真実かどうかはわかりません。
でも、以下に書いたような私個人の体験と照らし合わせると、彼らの主張の多くに真実味が感じられます。
それと、社長よりも小上さん(仮名)から叱責を受けることのほうが回数としては多かったと書きましたが、心の傷の深さでいえば、社長によって負わされたもののほうがずっと大きいです。
本文にも書いたように、回数こそ数えるほどでしたが、1回1回が大きなトラウマになっています。
ネットの関連記事でも小上さん(仮名)の写真は見れても、社長の顔は未だに正視できません。
私はあの会社を離れて以来、関西弁を喋る男性自体に苦手意識が芽生えてしまいました。
(関西の人、ごめんなさい)
本文で、辞めた理由、気持ちが途切れた理由をいくつか挙げましたが、ひとつ大事なことを忘れてました。
ある営業先の担当者の方と1対1で打ち合わせしていたときのことです。
改まった口調でこう言われました。
「あなた方の会社は・・・怖いんです。普通は私たち担当者と話をしてから順番に進めていくのに、いつもいきなりうちの社長との間で結論を出してしまって、それから私たちのところに話がトップダウンで降りてくる。だから怖い会社って印象なんです」
ショックでした。
業界を良くするための仕事と言われて、それを信じてやってきたのに、実際のところ私たちは営業先へだまし討ち同然の行為をしているだけなんじゃないか。
営業電話も、ほとんどの相手先で嫌がられながら何十何百件と片っ端からかけている。
(後になって、別の職場で営業電話を一日に何度も受けては断る立場を経験し、あらためて営業電話の鬱陶しさを実感しました・・・)
あのときに言われた言葉が、自分のしている仕事に疑問を抱く大きなきっかけでした。
(追記ここまで)
9年も前なので私の記憶違いもあるでしょうが、ショッキングなことが多く、その後何度もフラッシュバックしているので大筋は間違っていないと思います。
当時、その会社では新卒の営業職を募集しており、私を含めた数名が、選考の過程で在学中にインターンで営業の実務に携わっていました。
インターン自体は珍しくないと思いますが、この会社では「職業体験」ではなく、「採用条件」でしたし事実上の「労働」でした。
リーマンショック直後だったので当時の就活はみんな必死でした。
ただ、ES選考で大半の人がふるい落とされて、面接まで行った人はごく一部だったようです。
社長は大柄で存在感はありましたが、話してみると関西弁の軽快な口調で物腰柔らかく、第一印象は悪くなかったです。
アニメや漫画の雑談が中心で、面接通過の連絡をもらったときは、どこで合格が決まったんだろう?と不思議でした。
私は大学3年の冬にインターン入りしたので、ひとつ上の学年にも4年生で在学中の内定者が3,4人いました。
私の同期は最初6,7人くらいいたと思いますが早い段階で抜けた人もいたので正確な人数は覚えていません。
2も3も最終的な目的は4です。
今はわかりませんが、当時の会社の事業は求人広告がメインだったと記憶しています。
(他にもクリエイター支援やゲーム攻略サイトなどもやっていると説明会で聞きましたが、私たちはノータッチでした。)
1日に数十件かけるのは当たり前でした。
電話代は申請すれば出るみたいな話もあった記憶がありますが、(当時はかけ放題プランが無かったので)電話代の請求額に青くなった覚えもあるので、本当に電話代を貰えていたかどうか曖昧です。
事務所から電話することもありましたが、出先でも自宅でもどこからでも電話をかけてました。
初めての会社宛でも社長と知り合いであるような調子でかけるよう指導された覚えがあります。
上の営業電話の流れで、会社が不定期に開催している業界内交流会への案内をすることが多かったです。
どこかパーティー会場で交流会をやっていたそうですが、私は運営に参加できなかったので詳細を知りません。
「こういうことができる会社と知り合いたい」と言っている会社に他の会社を紹介する仕事です。
私自身に何も伝手がなくても、上司には名の知れた会社との付き合いがあったので、このマッチングは喜んでいただけることも多く、やりがいがありました。
一番大事な仕事ですが、安くはない金額の契約なので一番苦労しました。
ここで成果を上げることが採用の条件でした。
なので、広告を出してもらうことが事実上のノルマだと解釈していました。
全員に契約書を渡されてその場で印鑑を押しましたが、ちゃんと読む人はいなかったですし、詳しい説明もなかったと思います。
時給ではなく日給です。
先に書いたように第一印象は悪くなかったです。
私たちに気前よく食事を奢ってくれることも多く、客先に同行してもらうと大抵の交渉も良い方向に進みました。
ただ、気に入らないことがあったときの身内への当たり方はすさまじかったです。
私のイメージでは社長とまったく同じ思想・行動原理の人で、社長よりむしろこの人のほうが私たちに厳しく当たることが頻度でいえば多かったです。
当時の印象しかないので、この人が社長に反旗を翻すとは思ってもみませんでした。
この人も社長同様に激昂型でした。
同期の男性がめちゃくちゃに怒鳴られている現場に何度か居合わせたことがあります。
今はこの会社にいないのでしょうか。
新卒の1つ上の先輩だった人が副社長になっていたので驚きました。
9年前の時点でリーダー的立場だった覚えはありましたが、小上さん(仮名)より上になっているとは思いませんでした。
アニメや漫画などの趣味をオープンにできる環境だったので、最初から打ち解けやすかったです。
知り合うタイミングが違えば親友になれていたのかもと思う人も多かったです。
まず、営業電話の件数も広告の獲得も事実上のノルマがありました。
フルタイムでもこなすのが困難なくらいなのに、大学に通いながら達成するのは厳しかったです。
ただ、それでも同じような趣味をもった同年代の人たちと仕事できるのは楽しかったし、あこがれのアニメを作った会社に自力でアポをとって行けたときの喜びも大きかったです。
あの会社に入っていった人たちはそういう気持ちが持続したんでしょう。
でも私は途中でその気持ちが途切れました。
内定者の先輩の中にいきなりいなくなった人もいました。
「他の仕事に就くため」と説明された気がしますが、入社間際に急にいなくなるなんておかしいと他の人と噂しました。
同期もどんどん減っていきました。
その様子をみて「あの人たちはこの程度で辞めてしまって情けない、私たちはこんなに頑張れているのに」と思ったこともあります。
私の人生であれだけの恐怖を覚えたのは後にも先にもありません。
その時点でパニックです。
直接的な暴力は振るわれません。
代わりに、わざとらしく大きな音で机や物を叩く。
社長の大柄な姿から威圧感が放たれるので、その拳や脚が自分の身体に直接向かってきたら……と思うと頭が回りません。
何を言われたかもよく理解できず、自分を罵倒する言葉にただ「はい」としか返事できない。
彼らにとっては日常だったのでしょうが、私にとっては生涯忘れられないトラウマです。
これだけ恫喝されても「もっと頑張らなきゃ」と思った人たちもいます。
同期は恫喝された後にもっと重いノルマを達成するための誓約書を書かされたそうです。
私には無理でした。
いろいろな負担がかかっていたところに恫喝でとどめを刺されました。
というのは冗談ですが、前々からこの会社について書こうと思っていました。
いつか書こうと思いつつ自分の中でうまく消化しきれずにいました。
私はあの会社に傷つけられましたが、争ったり告発したりすることはしませんでした。
この9年間、彼らと距離を取り続けていただけです。
一種のPTSDなんでしょうか、ネット上でたまに彼らの会社名やサイト名を目にすると思考が止まってしまうことがありました。
何かの拍子に当時のことを思い出し、怒りや恐怖が心が満たされることが、9年経った今でも時折あります。
ただただ、距離をとっていました。
いくらなんでもあの当時よりはまともな会社になっているだろう、と心の隅で期待していました。
私の頃は新卒採用を始めたばかりで、いろいろな仕組みづくりが追いついていないのだろうと好意的に解釈していまた。
私はOさんと同期で、もちろん面識もありました。
とてもいい子でした。
今回、9年ぶりに彼女の名前を目にしたときのショックは言葉にできません。
私もOさんのようになっていたかもしれない、という恐怖よりも、私に何かできたんじゃないか?という悔しさが先にありました。
当時、ただ距離をとるのではなく、たとえば労基署とか、駆け込むべきところに駆け込んでいれば少しは彼らのめちゃくちゃな行為に歯止めをかけることができたのかもしれない。Oさんの件も防げたのかもしれない。
たらればの話に過ぎないのはわかっていますが、そう考えると無念でなりません。
今回の件がどう展開するにせよ、最終的な結果が出るまでかなりの時間がかかると思います。
時が経つうちに、今回のニュースも自然と忘れられてゆき、彼らはまた何事もなかったかのように誰かを追い詰めてしまうかもしれない。
この件が簡単に風化してほしくありません。
それでこの文章を書いて公開した次第です。
記事には目を疑うような記述が多く載っていますが、(あくまで私個人の感想では)いずれもありえる話だと思いました。
後になって気づいたことですが、彼(ら)は社内に常にスケープゴート役になる人物を用意して自分たちの怒りのはけ口にしたり、他のメンバーの優越感の材料にしていたんじゃないかと感じました。
Oさんの話を読んでいてそのことを思い出しました。
当時の私もそうなっていたのかもしれません。
先に書いたように、私は小上さん(仮名)からも厳しい言葉を受けたことがあります。
当時の小上さん(仮名)もいわゆる洗脳状態にあったのだとしても、彼に対する個人的な不信感はぬぐえません。
なので、単純にどちらが正しくてどちらが悪いかの判断はつきません。
両者の言い分に差異があるようですし、それは今後明らかになってゆくことでしょう。
ただ、事実がどうあれ、あの会社の発信しているメッセージに違和感を覚えている人は多いようです。
個人的には、会社側の文章の最後に書かれた、実名にせよ匿名にせよ虚偽の情報を流した人物には訴訟を辞さない、という旨の記述に恐怖を覚えました。
この機に乗じて会社のことを告発するなんて許さないぞ、と私たちに向けて恫喝しているように感じました。
彼らは今も自分たちにとって都合のいいスケープゴートを探しているのかもしれません。
最初に書いたとおり、この文章はフィクションです。実在の企業・人物とは一切関係ありません。
具体的にどの会社のどの件を指して書いたのかも明言しておりません。
就活関連のニュースを見ていると、新卒採用ってよほど余裕のある会社じゃないとできないよねってようやく気がついた。
学士号も持っておらずまともな職歴もない、おまけに重宝されそうな特殊技能も殆どの者が持っておらず何らかの専門知識もない。そんな状態で既に成人。学生ってだいたいこんな感じ。
何も知らない有り余る体力だけが取り柄のモブキャラに、ペラペラなエントリーシートの情報と数回あっただけの印象で、社会的地位と食い扶持を手配してやろうというのだ。太っ腹もいいとこだ。
在学時は学生ノリが心底嫌だった私。就活もまともにやらず卒業してからはちょっと苦労した。
しかし最近になって学生やその相手をする大人を見ると、「どこの馬の骨かもわからねえ奴なんか相手にするか。卒業してから出直してこい、もしくは今すぐ退学して丁稚奉公なりなんなりしろ」という具合に、学生の就活なんて全く度外視した社会の方がすっぱりしていて健全な気さえしてくる。