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ネットの友達を作る手段として、Twitter以上に優れたツールはなかった
これら要素により、個の強さが目立ち過ぎず、クラスタごとの断絶も無い、緩やかなムラのような集団形成が可能となっていた。その結果、近い嗜好、思考様式の人間がなんとなーく緩やかに結びついたストレスレスな関係性がいろんな分野で生まれていた
イーロンに買収される前まではずっと良いツールであり続けていたと思うが、個人的には2011年くらいまでが特に素晴らしかったと思う。比較的テキストベースのコミュニケーションが得意なユーザーたちと、巨大な一つのムラの中でわちゃわちゃやったり、それを眺めたりする楽しさはそれまでのどのネットコミュニティにも存在しなかった
画像や動画ツイートが可能になったり、震災をきっかけに少しユーザーの質が変化してきたのが2010年代前半だったが、それでもまだ自衛すれば全然よかった。2010年代後半からはだんだんつらくなっていった。スマホの普及が本格化した結果、Twitterも一般化、大衆化し、現実社会と同じ面倒臭さを持った人間(異論を認めないマウント大好き界隈)がジャンルを問わず跋扈するようになった。イーロンマスクがとどめを刺した後の現状は語るまでもない。
今はDiscordに引きこもって身内とまあまあ楽しく過ごしているけど、その身内ってほとんどTwitterで出会った人たちなんだよな。今何もない状況から彼らと知り合って友達になる方法は思いつかない。はっきり言って今のTwitterで出会った人とオフ会とかしたいと思えない
15巻前後で脱落。ヒロインの描き方が気に入らなかったのと、ルカクの活躍からサッカーを見始めたら日本のサッカー選手がダサく見えてきたため。
遊郭編終了時点で脱落。鬼がしつこすぎ、読むことにストレスを感じはじめたから。完結したら読もうと思ったが今も読んでない。アニメもここでやめた。ちなみに蝿庭から吾峠のことは応援してきた。
18巻で脱落。絶対に物語への期待を裏切られると確信したから。芥見の「呪い」理解が(冨樫の「念」概念と比べ)明らかに軽薄で蔑ろにしていることへの違和感が強まったから。
自販機編完結時点で脱落。「万人の形式」なるテーマに対して豚汁ラーメンが肉薄していると思えず、期待に翳りが生じたため。二郎や家系はそれに当たらないのかという疑問も解消されなかったため。
2巻で脱落。うまく言えないが美麗な絵を見飽きたため。パターンが確立してしまい、今後新しい栄養をこの作品から得ることはないと感じたため。
6巻で脱落。欲しい栄養は6冊もあれば摂取できると感じたため。パターンが確立されたと感じたため。
8巻で脱落。デズモンドの陰謀や擬似家族から真の家族への進展について興味があったが大人気作品になったためか物語の主軸が変わってきたため。
18巻〜25巻頃から溝が開き始め、30巻頃完全に脱落。OFAが超パワーから複数個性になるなど、期待していたストーリーではなくなっていったように感じたため。
禁煙してからもう3か月が経った。最初の1週間は地獄だった。タバコを吸いたい気持ちを抑えることは想像以上につらかった。カフェ・ド・クリエやスターバックスのような喫煙可能なカフェを避けるために、わざわざ遠回りして帰ることもあった。最寄りのコンビニ、セブンイレブンやファミリーマートに行くたびに、タバコ棚の前を通ると手が震えた。
でも、周りの人たちが禁煙を応援してくれたおかげで何とか続けられた。友人AやB、そして職場の上司も禁煙のメリットを語って励ましてくれた。でも、問題は自分自身の中にあった。体調は改善されたはずだけど、心は不安定なままだ。
最近は、確かに呼吸が楽になったし、食べ物の味もよく感じるようになった。でも、その代わりなのか、精神的なストレスが増えた気がする。これまでタバコでごまかしていたストレスが、全て表面化してきたのかもしれない。職場のプロジェクトがうまくいかなかったとき、新しい上司とのコミュニケーションがうまくいかないとき、いつもなら一服して気分を紛らわせていたのに、今はそれができない。
禁煙外来に通ったり、ニコチンガムを試したりもしたけど、どれも効果を感じない。自分の意志力が試されているようで、毎日が戦いだ。禁煙に成功した友人Cが「最初の半年が一番つらい」と言っていたが、その言葉が今の自分には救いだ。
そして禁煙の影響か、眠れない夜が増えた。深夜の2時までスマホの画面を見つめ、SNSをスクロールしていると、自分だけがこの世界から取り残されているような気分になる。無理に眠ろうとしても、頭の中では次の日の仕事のことや、人間関係の悩みがぐるぐる回るだけだ。
禁煙は確かに健康のためには良い決断だったと思う。でも、その代償として、自分自身に向き合わざるを得ない状況がつらい。毎日が試練の連続だ。これからもこの戦いは続くのだろうか。それとも、いつか楽になる日が来るのだろうか。そう考えると、今夜もまた眠れない夜が続きそうだ。
途中で切れた。長いと切れるんだな。知らなかった。
概観してみると、今の私を状態を説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。
特性を持って生まれた子どもが、いわゆる体育会系の世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援が必要な特性について見過ごされたまま、強いストレスを肉体と精神の両方に受けることになったこと。
また、発達特性が仇となり、ストレスを軽減するための人間関係を作れず孤立したこと。
これらの要因により精神的な限界に達した時、受けた負荷が強いパニックの形で噴出してしまい、結局はそれが水泳を挫折する原因になったということ。
また、子ども当人(つまり、私)が、その負荷をむやみに強いられたと感じ、母親への不信を深め、その感情に向き合って修復する機会がないまま、成人後に関係を破綻させてしまったこと。
そして、これらの感情的な傷付きに至る経緯とは別に、特性について適切なケアやトレーニングを受ける機会を得られなかったこと。
これらのことが、社会に出てから仕事への意欲が薄いこと、将来への展望を描けないこと、社交場面における不安などに影響し、また自分の特性を扱う上での経験不足がストレスによる不眠、日中の眠気などに繋がり、上記の不安に拍車をかける結果となった可能性はあるのではないか、と私は思う。
そして、冒頭の「あなたの言葉は感情を説明しない」という指摘もまた、やはり『嫌だ』『つらい』という訴えを繰り返し退けられ練習を強要された経験から、自分のつらさを他人に訴えてケアしてもらうことを諦めてしまい、直視せずに蓋をすることが常態化している精神状態にある、そのために精神的な問題を抱え込みやすくなっている、と説明できるかもしれない。
また、休職前に孤立無援と感じられる状況にふたたび置かれたことで、水泳でパニックを起こしたときのように、強いパニックをおそらくまた起こし(あいまいな書き方なのは、あんまり覚えていないので)会社に行くことができなくなっている。
これが当時のトラウマのいわゆる『再演』にあたる可能性はあるかな、と少し思う。
両親は私を愛しすぎるほど愛してくれており(少し連絡が取れないだけで着信を100件超えて入れるのが常態化していた程度には)、特に金銭の面では一般的な親の倍以上に私に支援をしてくれたことは事実である。
上記の事実をもって、私をまだ幸運なほうと思う人もいるだろうし、就活のくだりなんか、特に甘ったれていると思う人間も多いだろう。
ただ、3歳〜16歳ごろの人格形成期+思春期に、チームメイトと精神的にまったく連帯できない状態でスパルタ式の暴力的な教練を日がな毎日受けるという負荷は、おそらく定型発達の人間でも耐えられる人は限られるのではないか、という気もする。
そういう負荷に発達特性のある子どもが挑む場合には、おそらく精神的なケアは定型発達の子ども以上に必要で重要なことだったのだろうと思われる。
私がそういう子どもであったことが親の不運で、特性由来のストレスに対する適切なケアや社会的トレーニングの機会が得られなかったことが私の不運である。
正直なところ。
母は小学校高学年くらいの段階で、私を発達障害者だと疑ってはいた。ネットの普及し始めた当時、私の持つASD的な特性の一部分はアスペルガーと呼ばれていたが、そのことについて母が情報収集していたことを覚えている。
しかしそれは、障害を受容した上で、適切な支援に繋げるという結果にはならなかった。
ちょうどそのくらいの時期に平成不況がやってきたのだ。私の特性を考え、進学先に私立中学を視野に入れていた母の計画は、完全にそれどころではなくなってしまった。父の会社にもリストラの波がやってきたのだ。
タイミングの悪いことに、私が水泳の過度のストレスからチックに陥った時、ちょうど母は不況への恐れからパートを始めたばかりの頃だった。私の『病気』の原因について、母は周囲からの責めを一人で負うしかなかった。父の両親との二世帯同居の家で、専業主婦の母は孤立した養育者だった。
結論から言うと父はリストラを免れ、我が家の経済危機は回避されたのだが、その頃には私の私立進学計画はとっくに頓挫していた。母が「結果で黙らせなさい」と言うようなことを口にし始めたのも、この頃だったかもしれない。
父親はというと、やはり私の親で発達的な特性が強く、自分の興味のあることしかやりたがらないタイプだった。養育者として、社会的な範を示すとか、発達的な特性とどう付き合っていくかとか、そうした問題についてまったく頼りになる人ではなかった。
悪い人ではない。悪気のある人でもない。一流企業にまじめに勤め、高収入であり、私に関わる多額の費用を全部賄ってくれた人である。そしてそれが、おそらく自身でも困りごとをたくさん抱えていたであろう身で父にできた、私への精一杯の愛情だったろうと思う。
母もまた、母の出来ることを最大限にしてくれた。母は、思春期の私の苛烈で発達のアンバランスな性格(受けていたストレスを考えると、おそらくそうなるしかなかった)に何度も振り回されて、傷付き、それでも最大限考慮した上で、「あなたは結果で黙らせなさい」と言うしかなかったのだと思う。
これは私がどう生き、どう傷つき、現在どう困っているかにまつわる記録ではあるが、同時に単に毒親からの被虐待についての記録としてはなるべく書きたくはないと思っている。充分悪者に書いただろう、と思えるような筆致だったかもしれないので、ここに補足しておく。私は難しい子供で、両親は常に一方的な加害者ではなく、私を支援してくれようとした。私たちはお互い感情的な対立を何度も経験し、お互いに何度も傷付き、それを乗り越えてきた。その過程でいくつか間違いがあり、一度関係が破綻してしまったが、それでもまだ、この先に和解の可能性がないわけではない。
それぞれの人間がそれぞれに苦しんだ結果、私の今日につながっているのである。
これを書いているいま、これからどうなるのか私にはわからない。これらの生い立ちから私が受けた傷を癒せるかもしれないし、そうではないかもしれない。困りごとを軽減してなんとか社会で上手くやっていけるかもしれないし、どうにもならないかもしれない。
ただ、良くなってほしいという希望を持って先生たちは治療に当たってくれているし、希望は捨てるべきではない。そう思うので自分の恥部を曝け出す覚悟でこれを書いた。一種の『底尽き』を気力で前に持ってきた、というやつかもしれない。
ただ、強いトラウマを抱えた発達障害当事者の予後は正直あんまり良くなさそうだなぁ、とは、当事者たちの声をインターネットで拾ってみて思わなくもない。
ただ、復帰できないとこれが現実に起こりうることが現状最大の懸念である。
当然、持っていく予定である。
プラダリアの取捨だれかおせーて。
それはそう。
カウンセリングにはこの記録を持っていこうとは思うが、どの程度まで自己開示すべきなのか、いまが適切なタイミングなのか、そのあたりをきちんと確認しながらやっていこうと思う。
少なくとも、これを書き下せたことで、私の中では問題解決へ向けて、整理と準備がついたと思っている。
べつにわかってもいっかと思って書いている。とくに失うものはない。
何かしらの連絡手段で私とつながっていて、内容でなんとなく察した人は、「もしかしてこれお前?読んだよ」とメッセージくれると嬉しいよ。困窮者だ!金ヅルにしよう!と思って寄ってこられるとちょっと悲しい。というか休職人間に金はない。
自分は言語理解が比較的高い特性を持っているので、書くことによって自分をメスで捌くように腑分けして、人前に晒すという自傷行動に割と慣れているし、やはり言葉によって自分を説明できるとなんとなく落ち着くタイプである。その助けもあってなんとか書き切れたが、それでも書き切るのにかなり涙を流したので、この記録には多大な精神的労力を必要とした。文字通り血を流しながら書いたと言っていい。
その上で、超フラットに、予断を挟まず言えば、その可能性はないとは言えない。私のような人間はレトリックを使うのがうまい。そのレトリックの中にいつでも逃げ場を作り出せてしまうので、「可能性がない」と言い切るのはフェアではない。自分でも気づいていない可能性がある。
私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である。
なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。
私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである。
精神科に通いつつ、投薬とカウンセリングの治療をおこなっている。
そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳の記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。
(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなたの言葉はあなたの感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)
正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。
早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。
当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法が流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。
楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合は母親もほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。
行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日の練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。
でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまうタイプの人間だった。
父親も叔母もスポーツで学生時代に成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。
それが母親の成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。
長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。
ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。
こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。
極め付けはようやく出来始めた友人関係を破壊されたことだった。
中学に上がると、小学生の選手育成クラスから中学生クラスに上がって、ここがジュニアの女子の選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子のさらにその上澄みだけが入る、一番練習がハードなクラスがあった。
いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイトと連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。
(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲームの一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)
けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。
私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスでちゃんと私の記録は伸びていた。
だけど母はその伸びでは満足できなかった。
母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。
私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。
そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。
私はかなり嫌がった。もともとジュニアの女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。
母は私に、「あんな肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたはダメになってしまう」と言った。
嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスのコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。
中学1年の女子が高校生の男子のクラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。
私が苦しんだので、母の不安は解消された。
実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。
注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたことである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナスの感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。
「あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから。
この頃から、試合や合宿で遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。
体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。
しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息を悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。
だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻き、ブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。
ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分の学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてからは予備校漬けになった。
受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業は自分の特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。
大学には簡単に合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。
とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。
ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分の偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。
ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。
1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。
とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。
学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリのラインだった。
振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。
このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショックや東日本大震災の影響があった時期で、特に女子の就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。
でも、留年したのに就活が全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親がマイナビリクナビでエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。
面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。
このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからたしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトはしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論は英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。
結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶はぼんやりしている。
ひとり暮らしの家を引き払い、実家にカンヅメになって母親の監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。
ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存で病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。
この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。
働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的に闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。
本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。
この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分の価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分の価値がボロボロと溢れ落ち、人生がダメになっていくことについて、母親への不健全な復讐の欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。
この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場を経験した。就職先は人売りのSESだった。
これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場が自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。
リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤の生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。
自社開発の案件にアサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事も客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手が全然わからず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴とスポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミットが全然出ないの?
年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。
社長から「新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。
これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始の休みを挟んだ後、ボツボツと休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。
心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解とワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。
この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。
概観してみると、今の私を状態を説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。
特性を持って生まれた子どもが、いわゆる体育会系の世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援が Permalink | 記事への反応(21) | 22:15
ストーカー事件からの諸々で「自分は色恋営業にはハマらない、何故なら異性が自分を好きになってくれるなんて期待していないからだ」という意見が男女問わず散見されたものの、実は期待しなさ過ぎるというのも危なかったりする
脳のやる気スイッチは「いいことが起きたからやる気が出る」「悪いことが起きたからやる気をなくす」というものだが、この良い悪いとは何で決まるのか?それは自分の予想だ。つまり、自分の予想より良いことが起きればやる気スイッチが入り、予想より低ければやる気が失われる。そしてその度合いは、予想と現実のギャップに比例する
すると何が起きるのか。異性にハナから期待していない人間は、異性からの対応をかなり低めに見積もるので、そこに普通かそれ以上の対応をしてきた異性が現れると、予想と現実のギャップに脳がハックされてしまうのだ
そしてそれは、お金を出せば会える異性よりも、偶然知り合った(と思い込んでしまう)異性に対して起きてしまう事が多い。何故なら、お金を出して会える異性に対しては「お金を払った分は接待してもらえるはず」ということで多少は期待度が高くなり、ギャップが少なくなる。一方で自然な、お金を介さない、自由意思に近い出会いをした異性には期待度が低めのままなので、そういうタイプに温かくされると、予想と現実のギャップの大きさにコロッといってしまうのだ
そうやって異性をハックしてきたのがりりちゃんであり、あるいは木嶋佳苗である。彼女らはそんじょそこらの水商売の人間よりも鋭い毒牙を隠し持ちながら、表向きは純粋な人間を演じ切った。そしてこういうタイプは、期待していない人間に特攻を持っている
冒頭に書いたストーカー事件の犯人は常軌を逸した人間だったのでちょっと例外だが、事件になっていない部分ではもっとまともな人々が密かに搾取されていると増田は推測する。ということで、そんな人々に増田から伝えたいことは一つ。それは、騙されちゃってもいいやと考えることである
何か価値のあるものを得たら、それを知った誰かから狙われ、落とされてしまうかもしれない。それでいいじゃないか。たとえ騙されていたとしても、騙されている間は人生で一番幸せだったりする。それなら、そんな体験をさせてくれた相手に感謝すればいい
なので、自分の価値に期待し過ぎないことは危険であり、他者から自分への対応に期待し過ぎないことも危険であり、そして何より自分の理性に期待し過ぎるのは危険である。もし何か目的を持った人にアピールをされたら、素直に喜び、そしてどこかで察すればいい。それが積み重なることで、本当の好意と裏のある好意が分かるようになる。人生は楽しんだもの勝ちだ
事や真相の是非はさておいて
既に警察にも相談して誹謗中傷しているアカウントは報告済です、今後も刑事・民事両方でやっていきます、という報告に対し
更に誹謗中傷を追い打ちしたり「暇アノンじゃない証拠を示せ!」と魔女の証明を迫るのは、朝ポリ・ピンポンや内容証明を送られたがってるとしか思えない愚行。
百歩譲って、私は信念を持って石黒を追求している!というのであればまだ分かるんだけど
どうせプロバイダから開示請求のお知らせが来たぐらいでビビり散らかして全力土下座するか逆ギレして石黒に八つ当たりする様なチンカスでしょ?w
荒らしとしての覚悟すら無い、おそらく普通に会社員であったり家族がいたりするのにやらかしちゃう、自分は頭良いと思い込んでるクッソ頭悪いどうしようも無いタイプのアホタレでしょ。
暇空憎しで頭暇空以下になっちゃってる事にすら気づかないとか、本当に人生終わってるねw
一つだけ言ってあげるけど、君らが石黒に石投げる時に「あいつに石投げろ!」って犬笛吹いたヤツは、どーせ何の責任も取らないよ?
君らみたいな馬鹿を扇動して鉄砲玉にして嫌がらせしたいだけだからね。
どっかの誰かが書いたストーリーに乗っかってラインを超えて人生崩壊させちゃうリスクを犯すとか、左のネトウヨ以下の余命以下の低能先生もどきですねw
283プロの3人組アイドルユニット「イルミネーションスターズ」のデビュー間もない頃から人気を獲得していく過程と、彼らのファンだった少女を描いたストーリー。
年単位の長い期間の中で起きた直接繋がりがないシーンで構成されており、明確な物語の形にはなっていないが、通してみることで以下が伝わるように作られている。
・イルミネーションスターズのファンの少女と彼女の親友との仲が、次第に疎遠になっていく様子、また同時にイルミネーションスターズからも気持ちが離れていく様子
・仲がよく「ずっと一緒」を本気で信じ込んでいるように見えるイルミネーションスターズの3人が、口にしないだけでその実現が困難であるという現実を知っていること
・歌は聴いていた頃に気持ちを遡らせるような力を持っていること
・星がシンボルのイルミネーションスターズには、まるで本当の星のようにファンからの願いや祈りが託されていること
・ライブ前のルーティンとなっている「輝きをみんなに届けよう、イルミネーションスターズ!」という掛け声には、ファンからの想いを受け取り、それを自分たちのステージで返したいという3人の願いが込められていること
283プロのアイドルユニット「イルミネーションスターズ」のメンバー。
ほんわかした癒し系の女の子で、心優しい性格。見ていて守りたくなるタイプで、一緒にいるだけで何となく幸せな気持ちになる。高校1年生。
283プロのアイドルユニット「イルミネーションスターズ」のメンバー。
後ろでまとめた黒髪が印象的な、クール系美少女。自分が納得するまで努力を欠かさないストイックな性格の持ち主。高校1年生。
283プロのアイドルユニット「イルミネーションスターズ」のメンバー。
天真爛漫な性格で、誰にでも積極的に話しかける。とにかく元気で友達想いの女の子。日本人の父とアメリカ人の母を持つ。高校1年生。
イルミネーションスターズのファン。定期的にファンレターを送っている。
学校では卓球部に所属しており、ダブルスを組んでいる友人と2人でイルミネーションスターズの曲を楽しんだり、イベントに参加している。
・いつも仲良しで安心して見ていたアイドル達が、実は終わりを見据えていることを知り、不意打ちをくらったような衝撃をうけた
・初期から当たり前のように聞いていた「輝きをみんなに届けよう、イルミネーションスターズ!」の言葉に、どのような思いが込められているのか理解した
話数 | サブタイトル |
---|---|
オープニング | はじまり、それからまどろみ |
第1話 | あしたが、まだ永遠だったころ |
第2話 | おとなは、預言者の顔をする |
第3話 | となりに、地球の裏側 |
第4話 | だいすき、本当に大好きだったよ |
第5話 | じかんよ、おまえは |
第6話 | きのうが、永遠になった |
エンディング | 響き渡れ、どこまでも |
・google:ヒカリと夜の音楽、またはクロノスタシス シャニマス
[B! 事故] 【随時更新】羽田空港事故 海保機長 “離陸許可”認識食い違い | NHKに対して以下のコメントを書いた。
Listlessness 2024/01/03例えば着陸機から滑走路上に海保機がいたことが充分手前から見えていたはずだ、ということになれば復行で事故回避できたことになり、着陸機の操作も事故の要因の一つになる。断片的な情報から事故の全体は分からない
いくつか星をいただいたので、これに対するコメントだと思うのだが、以下のようなコメントがあった。
id:skel 2024/01/03 「着地前ならゴーアラウンドで回避できた」とか言ってる奴がいて目眩がする。日没後に数キロ先の海保機が目視できるわけないし、目視できる距離になってから回避動作しても間に合わないでしょうが。。。
これが結構星を集めているので、上のコメントについていくつか補足説明をしたいと思う。
ブコメは100文字なのでコメントでは十分な説明ができなかったのだが、「充分手前で」というのは、復行操作が間に合う程度に手前でという意味であり、「見えていたはずだ、ということになれば」というのは、日没後なので航行灯や閃光灯で機体の存在を認識できればという意味で書いた。
また、仮に視認できていれば復行で回避できたはずだというコメントは主に2つの航空事故・インシデントを念頭に置いて書いた。
一つは事故でロサンゼルス国際空港地上衝突事故 - Wikipedia、もう一つはインシデントでエア・カナダ759便ニアミス事故 - Wikipediaである。
この事故は滑走路上にいたスカイウェスト航空5569便に着陸機であるUSエアー1493便が衝突した事故である。
事故の主な原因は管制官のミスであり、滑走路上にスカイウェスト機を待機させているのを失念してUSエアーに着陸許可を出したことが事故を引き起こした。
事故調査は直接的な原因を見つけて終わりではなく、事故を引き起こした様々な要因をできる限り多く見つけ、再発防止に役立てようとするものである。
であるから、仮に管制ミスがあったとして、着陸機側の判断で事故を防ぐことはできなかったのかというところまで調べられる。
事故調査では着陸機は滑走路上にいるスカイウェスト機に気づくことができなかったのかどうかも調べられた。これを調べることになったのは、気づくことができていれば復行で事故を回避できたはずだと考えられたからに他ならない。
また事故当時は日没後であり、管制官が滑走路上の機体を探した際、滑走路の照明が眩しく機体を見つけることは困難だった。またUSエアー1493便から見た場合、滑走路上の照明と5569便の衝突防止灯や航法灯が直線状に重なっていたため、着陸前に機体に気付くのは困難だった。
「メーデー!」ではスカイウェストのマニュアルでは離陸許可が出てからストロボライトを点灯させることになっており、滑走路上で離陸許可を待っていたスカイウェスト機はストロボライトを焚いておらず、点灯されていたストロボ以外の航行灯も滑走路のライトと同化して見えなかったという話になっていたはずである。
つまり、この事故の場合、着陸機側から(地上機がストロボを焚くなどして)見えていれば回避できたが見えなかったのでノーチャンスという話になる。
このインシデントはエア・カナダ機が着陸許可された滑走路ではなく、並行している誘導路に誤って進入したために、誘導路上で待機していた4機の機体と衝突寸前まで近づいたが衝突はギリギリで回避できたというものである。
The Worst Crash That Never Happened - YouTubeこの動画の最初5分ほどでだいたい何が起きたのかのあらましはつかめると思う。
原因は、パイロットの疲労、NOTAMにあった滑走路閉鎖情報の見落とし、それによる滑走路と誘導路の誤認、ILSを用いずVisual Approachを採ったことなど様々あるが、このインシデントでは実際に衝突を回避しているので回避までの様子を中心に話をしたい。
午後11時55分46秒、エア・カナダ機が空港まで0.7マイルの地点に来た時、機長は滑走路28R(と誤認している誘導路C)上に航行灯があることに気づき、管制に「And Tower, just wanna comfirm. It's Air Canada 759, we see some lights on the runway there. Please, confirm we are cleard to land?」と確認を求めた。
同56秒、管制は「Air Canada, comfirm. Cleard to land runway 28R. There is no one on 28R but you.」と滑走路28R上に待機する機体がないと応答した。地上の4機が待機していたのは誘導路C上であり滑走路28R上ではないため当然の回答である。この時エア・カナダ機は空港まで0.3マイルの位置に接近していた。
確認を受け着陸を続行するエア・カナダ759便について午後11時56分01秒に待機列にいたユナイテッド航空機から「Where is this guy going? He's on the taxiway.」と誘導路に着陸しようとしていることが無線で伝えられると、同10秒に管制から復行を告げられた。
この時エア・カナダ機は誘導路から1/4マイル、地上高81フィートまで降下していた。待機列の航空機まであと29フィート(8.8m)というタイミングであった。
エア・カナダ機のパイロットは違和感に気づいており、管制から復行を告げられる直前、地上高85フィートの地点でスラストレバーを押して復行の動作に入っており、その後2.5秒間降下を続け、地上から59フィート(18m)の位置から上昇に転じた。
このインシデントでわかるのは、(誘導路上と滑走路上では状況が異なるが)待機列上にいる機体の航行灯は0.7マイル(約1.1km)手前からでも視認できたことと、違和感に基づいて400mほど手前から衝突前数秒というところから復行操作をしても地上の機体を回避できる程度の高度は維持できるということである。
基本的にはこの文章の最初に引用したコメントの後段の通り「断片的な情報から事故の全体は分からない」ということに尽きる。
コメントで例え話をしたのは、海保と管制だけに原因・要因があると決めつけるのは時期尚早だと思ったから。まだしばらくはわからないよ。
俺20代
普段からしょっちゅうキレる奴だった。連絡した上で会社の帰りに食事して帰ると「私の善意を無駄にしようとするモラハラだ」。金遣いが荒すぎることを指摘すると「金の話をするな」。家で自由にさせてたら「私に家事を押し付けている」と何をしても気に食わず怒っていた。
一番意味がわからなかったのは、スポーツ刈りにして帰ったら髪の毛の長さを指定されキレられたこと。V系のパンク野郎みたいな髪の毛にしろと言われた。
挙げ句、会社に勤めていたが、会社の話をしたら俺の職場はパワハラが横行しているとして会社を無理に休まされた上、朝定時前に仕事に行こうとしたら「奴隷根性丸出し」と言われる始末だった。
最後は無理やり会社を休まされた上、ヒステリーを起こし、家に様子を見に来た上司に向かって「警察を呼ぶ」と怒鳴り散らした。会社に身の置き場がなくなり辞めた。
仕事を辞めたあと、地元じゃなく東京に仕事を見つけた。一緒にいる時間を増やしたら気が変になりそうだから。しかし、もう我慢の限界だった。仕事は辞める羽目になる、金は使いまくる、コスパ考えられないし重いからとコンビニで水買うときも500ml×3買うようなバカ、生理になるたび強迫性拗らせて24時間ぶっ通しで起き続けて部屋をひたすら掃除する、そんな奴と半年もいたストレスを酒で爆発させた。部屋で大暴れした。
金がなければ生活保護で暮らせば良い。失業保険でぬくぬく暮らせば良い。休職して傷病手当を貰えば良いと無責任なことばかり言う。金を貰うことの大変さを知らないのは、さすが「専業主婦だって働いてる!」系の女だと思った。
そしたらようやく別れてくれることになった。仕事も金も失って、今は実家に身を寄せている。
俺は読解できなかった。
ぱっと見では、アンチフェミコメントをネットで繰り返してるるショボ男が、女性蔑視の軽率な行動に出て、それが人助けになるっていう皮肉めいたストーリー。
それは表層である。というか表層であって欲しい。あまりにも薄っぺらいシナリオだから、こんなしょうもない漫画であるはずはない!という願望めいた心境からパラレルで繰り広げられる、ディティールの細かい女性蔑視のコメントや妄想のパートに目が写ってしまう。
でもそれらはただの妄想であり、男が全てこんな妄想してる訳はないんだけど、誰だって加害性のある妄想はするだろう。性別に限らず、自殺を含めて暴力的な空想を広げることは誰だってある。だから、誰だってある行為を出されても、そこから先にはこの作品特有のメッセージはなかなか読み取れない。
介護の問題もそうで、介護はありふれた問題で特別言及するほどのことではない。母親が出ていったとか抜かしてるけれど、実際両親が健全だとしたら両方とも脳卒中で介護必須になって、この男は仕事を完全にやめるよりほかなくなってる事さえある。だから
、だから、介護シーンも別に言及するほどの物語やメッセージを読み取れない。
仕事シーンはまぁ普通に仕事してるし普通に仕事してるな〜といった感じである。
てなると最初の薄っぺらい皮肉めいたシナリオがメインコンテンツであるってことになって、そしたら、そんなしょうもないもの読まされても……みたいな感想になってしまう。
わたしはこの程度しかよみとれなかったんだけど、本当はどう読解する作品なんだろうか?
多くの人が心を動かされたようだけど、どうなんだろう。
そしてここまで文章書くってことは俺も心を動かされたんだろうか、自覚はしていないのです。
自分がよくわからないものに対して、多くの人が心動かされるとやっぱりなんかイラッとしてしまうんよな。良くないんだけど。どこがおもろいねん!みたいなしょうもない感想が出てきて、わざわざ読んだのに!みたいな気持ちになる。
だから「こういう作品ですよ」みたいなこと言われても俺は納得しないんだろうな〜。だって単純にこの漫画それほど面白くないし。
好きだったソシャゲが死んだ。
死んだとは言っても、サ終したという訳ではない。「好きだった」部分が死んだのだ。かなり時間を使ってやりこんだし、過去に6万円程度のガチャ天井を4回しているので課金額もかなりのものだ。4年間ほど、いや今思えば楽しく遊んでいたのは3年間ほどだが、それでもかなり長い間楽しませてもらった訳だし時間と金を注ぎ込んだこと自体は後悔していない。ゲーム内でもゲーム外でもたくさんの出会いと喜びをくれたことには感謝している。だが、もう好きだったものはそこにはない。そう確信してしまった。
ここからはかなり具体的な話になるので、やり込んでいる人が読めばどのゲームか一発で分かってしまうだろう。こんなタイトルのURLを開いている時点で大丈夫だとは思うが、好きなゲームの悪口を言われたら気分が悪くなるような人は今のうちに引き返して欲しい。
●好きだったところ
そのゲームの特徴を聞かれた時、自分なら独自のシステムによる戦略性の高い戦闘を挙げる。場にランダムに出現するコマンドを敵と奪い合い、自分のやりたいことを通しつつ相手の行動を妨害しつつ戦う。運要素は完全に排除することができない程度には強いものの、一定ターンごとに任意のコマンドを使用して特殊なコマンドを使用することができたり、編成のリーダーのみが編成全体に与えることができる特殊効果がかなり強かったりするため、編成や立ち回りの方が重要度は高い。
自分も敵も様々な戦略で戦うことができ、使いやすさや汎用性にこそ差はあれどユニットのレアリティが存在せず、完全な上位互換下位互換というものは一応ない。様々なユニットおよび戦略を使うことを推奨され、難易度は現在実装されているメインストーリーの半分を読むだけでもかなり高いとされている。だが、様々な戦略の軸となるユニットを全てガチャで引き当てなければならないというわけではない。基本的に配布のユニットがかなり強いことと、実はやろうと思えば工夫次第で任意のユニットを軸にゴリ押すこともできなくはないこと、また実装されたのは最近のことではあるがそのステージのクリア編成とその編成での攻略の様子をゲーム内で見ることのできる機能もあることから、意外となんとかなってしまう。この「意外となんとかなる」がユーザーごとに全く違うゲーム体験を生み出しているのだ。他のユーザーの話を聞いたり公式サイトなどで未所持のユニットの性能を確認したりしていると、新しいユニットを手に入れることでゲームが更に広がるのだろうと感じられた。だからこそ、ガチャ産のユニットが無くてもクリア自体にそこまで支障のないゲーム性ながらも、遊びの幅をもっと広げるためにガチャ産のユニットで遊ぶために課金をしたものである。
このユニークな戦闘システムの面白さはよくカードゲームに例えられていた気がするが、リアルタイムでPvPも楽しむことができる。正直に言うと野良はかなり過疎っているが、特定のユニットをリーダーにして一定回数PvPイベントで勝利すると称号を貰うことができると知ってPvPイベントに参入して以来、趣味パで定期的に楽しんでいた。
また、グラフィックやストーリーや音楽もゲームの没入感を深めるにあたってとても貢献していた。イラストとストーリーは少し癖が強く万人受けするものではないのだが、良い意味でソシャゲらしくない重厚長大でシリアスなファンタジーだ。加えて戦闘中のキャラクターのモデルやBGMはどこに出しても恥ずかしくないハイクオリティである。他のゲームでは中々お目にかかれないような癖の強いキャラクターたちにも、愛着が湧くというものだ。
また、ソシャゲにありがちなギルド機能やフレンド機能もなく自分のペースで気楽に遊べるのも特徴だ。通常のイベントは低難易度のストーリークエストをクリアすれば誰でも確定で配布のユニットや装備を入手でき、ランキングなどはない。レイドイベントはあるが、育成が進んでいないユニットは個人で得られる報酬の量が減る代わりに育成済みの状態で使うことができ、さらに弱かろうとどんどん救援に入ってもらったほうが上級者も得をするシステムなので寄生はむしろ歓迎されている。システムさえ理解すればレイドイベントさえも気楽に遊べる。
新感覚の戦闘システム!色んなキャラクターが活躍できる!美麗グラフィック!壮大なストーリー!個性豊かで魅力的なキャラクター達!と聞くと、有象無象のソシャゲで見たキャッチコピーみたいになるが、少なくとも自分の中ではこれらを真の意味で体現しているゲームであった。
本当に、好きなゲームだった。
●少しモヤモヤし始めた頃
最初にこのゲームに対して引っ掛かりを覚えたのは、あるイベントで配布されたユニットとそのイベントで顔見せがなされ半月ほど後に実装されたユニットにまつわる騒動であった(実は以前にもここに無関係ではないと思われる優良誤認騒動からの大規模な返金がなされているが、関連性の説明が憶測の域を出ないのでここでは割愛する)。どちらも既存のキャラクターの衣装違いのユニットであったが、前者のキャラクターの方はインストールして間もない頃にガチャで入手していてそれなりに愛着が湧いており、後者のキャラクターのことは元から少し苦手であった。
問題のイベントは、自分が色眼鏡で見ている部分もあることを否定はしないが、ストーリーでの後者のキャラクターに対する贔屓があからさま過ぎて酷いと感じてしまったのだ。これまでのイベントで配布されるユニットはいずれもストーリーの軸となるキャラクターで、配布としてそのまま主人公一行に定着する流れを一応描写しており、一方でガチャ産になるユニットに関しても顔見せから一時的に使用できない期間が生まれる理由付けが一応というレベルではあるがなされていた。初期のイベントはかなり雑な部分が目立っておりこの限りではないが、方針が定まった頃からは2年くらいずっとこの傾向であった。だから、配布キャラとしてバナーに載っている時点で、そのキャラクターが主役のイベントになると少なくとも自分は思っていた。しかし実際は半月後のガチャの方のキャラクターがずっとヨシヨシされるもので、イベントで配布されたキャラクターも、なんなら同時実装の方のガチャ産のキャラクター(半月後に実装されたキャラクターとは別)もイベント本編では完全におまけ、ヨイショ要員であった。イベントの内容に関しては賛否両論ではあったが、少なくとも自分は最低最悪だと思った。
性能面のバランスも酷いものであった。基本的に配布が強く、上位互換下位互換の概念はほとんどないゲームだったのだが、配布の方のユニットは採用する理由を考える方が難しいというレベルで扱いづらく、ほとんどの場面で初期に配布された別のユニットの方が扱いやすいとされるものだった。そして、半月後にガチャで実装された方のユニットはピン刺しでも当時実装されていたほとんどのステージを簡単に攻略できる、所謂「ぶっ壊れ」であった。しかも一緒に編成するユニットの行動に制限がかかるタイプの性能であったために、特定のユニットを除けば他のメンバーは特殊コマンドを発動させ、敵の攻撃を分散させて庇うだけの係である。編成や動きを工夫する楽しさが台無しである。余談だがこのユニットによってPvPの環境も崩壊し、ただでさえ少ないPvPの住人は更に減ったらしい。当時の自分は極たまに強いと聞いた編成で潜るくらいでやり込んではいなかったが、未だにトップメタで大暴れしている。
しかしここで一つ加えたいのは、自分はストーリーにも性能の調整にも怒ったが、個人的に一番嫌だったのはこの二つではない。大炎上し、直後の公式配信のコメントは全て荒れに荒れ、中の人がレイドボスに挑む配信にて配信部屋に運営に対する暴言ネームで入室したユーザーが出るとんでもない放送事故も発生した。荒らし行為をしないユーザーも自分を含めてたくさんの人が意見を送ったのだが、それを受けてのプロデューサーレターにざっくりこう書いてあったのだ。
「配布されたユニットは扱いやすく初心者向けの性能である。半月後のガチャで実装されたユニットは扱いづらい代わりに爆発力のある玄人向けの性能である、と認識している」
そう、ユーザーの認識とは真逆なのであった。テストプレイをした時に何も思わなかったのか。元々そう認識していたにしても、ここまで色々直接送られて尚そう言えるのか。言いたいことは山ほどあったが、それまでまめに良かったところも直して欲しいところも意見として送っていたが呆れて何も書く気にならなかった。
半月後のガチャの方のキャラクターは人気であったから、人気のキャラクターを目立たせてからガチャに入れて儲けようという姿勢は否定しない。ソシャゲとして運営している以上インフレも否定しない。使いやすかったり汎用性が高かったりするユニットと、そうでないピーキーなユニットが出るのも仕方のないことである。しかし、性能に対する感覚のズレが顕になってしまった。これまで信頼していた運営のバランス調整の感覚に初めて明確な不信感を覚えた出来事となってしまった。
●ユーザー層の変化
先述した炎上したイベントは賛否両論ではあったが、ストーリーの質はおしなべて良かったためユーザーによってその方向での布教がなされていた。メインストーリーが進むと主人公とメインストーリーでの配布キャラクターが中心の冒険譚から、ガチャ産やイベント配布のキャラクターもほぼ全てが出演する群像劇へとシフトし、様々なキャラクターにフォーカスして個人のストーリーで描写されてきた伏線が回収されるようになった。好きなキャラクターが世界観の深掘りのなされるメインストーリーに大きく絡むと嬉しいものではあるが、同時にある歪みにも繋がっていった。
特定のキャラクターに関する掘り下げだけを目当てにメインストーリーを読もうとすると、戦闘が難し過ぎるのである。
布教する側はもちろん新感覚のシステムによる歯応えのある戦闘もストーリーやキャラクターとともにプッシュするのだが、いかんせんこの謳い文句が有象無象のソシャゲと同程度に捉えられがちである。キャラクターにレアリティがなく誰でも活躍できると言われても、しっかり考えて立ち回らなければ全く勝てないし、育成やレベリングによるゴリ押しはあっという間に効かなくなる。なんなら育成もストーリーをある程度進めないとドロップ素材の関係でストッパーがかかる。フレンドやギルドがなく自分のペースで遊べるが、裏を返せばフレンドの強いユニットやギルド機能等を使った育成素材の提供にも頼れないということでもある。
そこで布教した側が勧めたのが先述した炎上イベントの半月後のガチャで実装されたユニットであった。
当時実装されていたストーリーを読むだけであれば、ほぼ全て中途半端な育成状況でも簡単な立ち回りで可能にしてしまう性能で実質的に戦闘スキップ権となったのである。半年に1回のペースでガチャ産のユニットや装備を指名する権利を3000円ほどで購入する機会が訪れるため、とりあえずストーリーだけ読みたいならこのユニット!と言われていた。
だが、そのユニットだけで全てクリアできるというのも戦闘を楽しみたいユーザーにとって面白いはずがない。その声に応えようと、その後実装されるステージではそれだけでは絶対にクリアできないように敵の性能が調整されていった。「ぶっ壊れ」のユニットでクリアできないような搦手調整を行えば巻き添えで他のユニットが使いづらくなり、シンプルに「ぶっ壊れ」火力を耐えるHPを盛る調整が成されれば瞬間火力が出ないがどんな相手も固定値で削る等のユニットが使いづらくなってしまった。まあそれでも当の「ぶっ壊れ」はしれっとゴリ押せてるんだから笑える話であるが。ストーリーだけを読みたいユーザーにとっては3000円で購入した戦闘スキップ権が機能しなくなり、「戦闘が難し過ぎる」という声が大きくなっていった。
メインストーリーでストーリーだけを楽しみたい層と戦闘を楽しみたい層の両方を満足させることは難しいと考えたのか、次に開発は住み分けを試みようとしたようだった。ストーリーやイベントとは別にランダムに現れるボスやミッションに合わせて様々な編成を組んで攻略していくエンドコンテンツや、PvPをやり込みたいユーザーのためにPvPイベントを開催したりした。しかし、ここでも同志を増やしたくて一生懸命布教を行ったことが仇になってしまう。というのも、イベント産のユニットを入手するだけなら簡単で、フレンドやギルドがなくランキングイベントもないため自分のペースで気楽に遊べるという触れ込みでユーザーが布教を進めた結果、対人コンテンツやエンドコンテンツにアレルギーを持つユーザーが増えてしまったのである。エンドコンテンツの報酬は暇人向けの作成コストの重い装備の素材、PvPイベントの報酬は各種称号であった。自己満足であることを前提に自分はどちらもかなりやりこんだが、特に後者が特定ユニットで一定回数勝利することで対応したユニットに関する称号を得られるということが、キャラクター目当てかつ対人コンテンツが嫌いなユーザーを刺激してしまったのだ。前者も好きなキャラクターを極限まで強化したいのであれば作成コストが重かろうと作りたいものであり、こちらはエンドコンテンツが嫌いなユーザーを刺激してしまった。そうしてキャラクター目当てのユーザーからはどちらも不評となってしまったからなのか、エンドコンテンツの内容に関しては1年近く更新されておらず、PvPイベントは1度きりの開催となってしまった。当初はこれらで楽しんでいた戦闘が好きなユーザーもあっという間に離れていった。
気がついたら、戦闘を楽しみたいユーザーの方が少数派になってしまっていた。
●キャラゲー化
ストーリーとキャラクターだけを目当てにするユーザーが増え、戦闘を楽しみたいユーザーが減っていくと、必然的にこのゲームはキャラゲー路線を歩んでいくことになった。
まず、メインストーリーを戦闘なしである程度のところまで読むことができるというキャンペーンを定期的にやるようになった。ゲームなのにゲームをやらなくても良いって時点でもう意味が分からない。ゲームを楽しめないユーザーに楽しんでもらうための施策をして欲しいし、ゲームをやらないでストーリーを読みたいなんて言うユーザーに迎合しないで欲しい。
このゲームでは定期的に既存のユニットに渡せる専用の装備が実装される。専用の装備により、スキルのテキストが変わり使用感が改善されるのだ。実装したユニットのスキルの効果を直接いじる形の調整はほぼしないため、実質的なテコ入れである。また、キャラクターごとに衣装違いの別ユニットが存在する場合、現時点では片方だけを開発が選んで実装することになっている。この装備もはじめは使いづらいユニットから実装されていたが、徐々に元の使用感に関係なく直近のストーリーに登場したキャラクターなどから選定されるようになり、そのキャラクターの中でもより使いづらい方から手を入れるかと思えばそうでもなくなっていったた。ただ、先述の炎上イベントで開発の性能のバランス面に対する感覚が信用ならないことが判明してしまっているので、もしかしたら開発的には使いづらそうな方から実装しているのかもしれない。
次に、レベルキャップの解放が実装された。一見すると戦闘の幅が広がりそうな機能だが、これが大違いである。このレベルキャップ解放にはとんでもないコストがかかる。新しいキャラクターを10人ほど既存の最大レベルまで育成するよりもコストがかかる。だが、レベルキャップ解放により増えるステータスは雀の涙かつ全キャラ共通の固定値で、スキルのテキストも全く変わらない。つ Permalink | 記事への反応(2) | 07:36
そこまでにぎわってる感じではなかったのだけれど。
ほとんど聞こえないってことで、店内にそういう張り紙をするようになったんだ。
そしたら塞翁が馬ってやつなのかな。
いつの間にかその店が耳の聞こえないひとたちの
たまり場みたいになっていて「良かったねえ」なんて話てたんだよ。
で、こないだ娘と久々にピアノ弾きにいったら、
周りにけっこうひとが居たんだけどもう本当に、ほぼ全員手話してるの。
どうも「守備範囲(ストライクゾーン)を共有している部分がある」というのが問題を根深くさせているらしい。
「性癖」というのは本来あらゆる趣味嗜好や言動をひっくるめて表現するものなので、現在使われている意味での「性癖」を指して使っても問題はない。
この場合はストライクゾーンの共有というよりも、内包と言ったほうが正しいのかもしれない。
つまり、現在のような狭い使い方の「性癖」が蔓延るより前の時代においても、「性癖」という言葉を使って性に対しての嗜好を表現した文章があったとして何もおかしくないのである。
現在の「性癖」という言葉が指すストライクゾーンは、元々の「性癖」が有していたストライクゾーンに完全に飲み込まれているわけである。
「少女趣味」の場合は被らない部分があるストライクゾーンの共有だ。
一部のロリコンは少女を連想させるものに対して興奮する異常な性癖を持っており、一般によく知られる例をあげるとすれば「ランドセル」「黄色い帽子」といった具合だろう。
もちろんこれらは多くの少女にとって単に野暮ったい類の制服でしかなく憧れるようなものではないので、本来の「少女趣味」としてストライクゾーンに入ってくるものではない。
だがこれが「ガーリーなファッション」になってくると、一部のロリコンはそれらの衣装によって興奮してしまう。
この部分に、本来の「少女趣味」と誤用としての「少女趣味」におけるストライクゾーンの共有が発生しているのだ。
つまり、フリルを多用した服装を指して、「少女趣味」を喚起させると表現した時、それが甘い夢の世界からやってきたものだと感じたのか歪な欲情の餌食とされそうだと感じたのかは、それ以外の文脈を通して初めて決定されるということだ。
そもそもこういった勘違いが最初に起きたとき何が発生したのだろうか?
誰が最初に「少女趣味はロリータコンプレックスの言い換えだ」と言い出したのだろうか?
これは「共有したストライクゾーンをめがけて投げられたボールが、そもそもどこから放たれたかの逆算における失敗」から生じたものだろう。
初めて聞いた言葉、聞き慣れない言葉に対して文脈によって理解したふりをした気になり、それを確かめもせずに自分が言う側に回ったのだ。
よく意味は分からないが周りが使っているのでなんとなく自分も使っているうちに、その意味が社会の中で決定され、最後は多数決のような決まり方がされる。
つまる所、言葉というのは最終的に「その集団が多数決によって決めた意味」こそこそが最も重要視されるので、「性癖」はもはや「性に関する癖」という意味の言葉に置き換わったと考えるべきなのだ。
言葉ってそういうものじゃないだろうと思った人はウィトゲンシュタインを読んで欲しい。
彼がまさにこういう話をしている。
溜め込みきれず長文。
8歳と6ヶ月、あと1週間で7ヶ月だった。
9年前、ペット可のマンションに引っ越したのを期に8月ごろケージを買い、しかしなかなかペットショップを見つけられず、また踏ん切りもつかなかった後の12月、2回目のペットショップで決めた子だった。
仕事が終わった後バスで20分揺られた先のペットショップ。複数の種類の子がいたけど、メスだと卵詰まりなんかがある……と調べていたのでできたらオスがいいな、と、見分ける基準の頭の平べったさ、目のアーモンド型で選んだものの(でも絶対ではないので、文鳥は卵を産んで初めてメスだったの!?と気づくパターンも多いと聞く)何よりサッと見知らぬ人間の手にも乗ってきた物怖じのなさを気に入って選んだ子だった。
店主さんからライトシルバーというレアカラーなので体が弱く、標準よりは長生きしないかもしれない、という説明を受ける。
ふたたびバスに揺られ、しかし12月の寒い中、まさかそのまま連れ帰ることになると思っていなかったので、文鳥のヒナが入った紙の箱を自分が巻いていたストールでぐるぐる巻きにして、使っていたカイロと一緒に仕事カバンに入れて帰るまでに死にやしないか、恐々と連れ帰ったことを覚えている。とはいえ、標準よりも大きく28gが標準体重にまで育ったし、怪我をした時もかなり血が出たのに、結局何事もなく復活するようなタフさを持って成長した。
初めて自分で連れ帰って、看取るところまで関わったペットだった。
8歳を迎える前くらいから片足が弱くなり、年末ごろから目も見えなくなっていた。それでもご飯は変わらずもりもり食べ、水も見えないながらくちばしで探してきちんと飲むので毎日「かしこどり!」と声をかけていた。
偶然普段より早く起きて猫のご飯をあげるために電気をつけると、いつもは自分の気配を感じて遮光カバーをしていてもピヨと鳴き始めるのに、声がしなかった。また床に落ちて戻れなくなっているのでは(さすがに盲目になって移動はできないようだった)と覗くと、床に這いつくばっていた。朝7時半前。
慌てて手に取ると、足の力が入っていない。
しかし手にとってくちばしにいつものネクトンの水を近づけると飲む。
そこから12時50分ごろまで、自分はパジャマのまま顔も洗わず食事もせず、ずっと文鳥を握っていた。息を引き取るまで。
握っている間も、時々指が気に食わないのかわりと強めに噛んできた文鳥。それでも手の中から逃げ出そうともがくわけではなかったので、嫌ではなくて気に食わなかっただけだと信じている。
老鳥になってから、鮮血便に慌てたり(病院に連れて行ったが異常なし老化の診断)保温温度を上げてネクトンを飲ませてとしたらその度に復活したので、今回もワンチャン……と思ったが、足の力のなさにもう無理だろうなとも分かっていた。
でもなにかもっと出来なかっただろうか、とも考えてしまう。でも頑張ったよね、もういいよ。段々力尽きていく柔らかくて、小さくてあたたかい羽毛のいのちを、ずっと見つめていた。
お骨は小さかったけど、足の骨が丈夫すぎて笑った。お経を唱えてもらった時の木魚のポクポクにも、めちゃくちゃキレただろうな、など。
よくピィーヨッと鳴く声に「はいはいピーヨッヨッ」と返事をしていたけど、まだふと、空耳が聞こえる。パリッとした、シードを食べる時の音や、尾っぽをブルルと震わせる音。ピッ!とドア越しに聞こえる声。
残されているネクトンや(開封済みを買うような人いないよな……勿体無いけど)未開封のシード、バナナ水入れ、サーモやひよこ電球はぼちぼち片付ける。
もう文鳥を飼うことはないだろうな、と思っているので、あの柔らかなフワフワの羽と温もりを忘れるのが惜しくて、ただ思い出を書き留めた。
西日本凄い雪みたいで西日本のスタッフ現地スタッフに聞いてみたところ
すごい雪積もってる!っつってジェイアールは凄いことになっていたみたいよ。
大変だなぁと思いつつこっちにも雪くんのかしら?って心配していたけど
なんか今朝方とかはなんともない感じよ。
きっと送れてくる雪雲なのかしら?
でもまあ注意しないと。
街角カメラでも交差点角ですっころんだひとのライブ中継動画を目撃してしまったので、
しかも2回も!
相当の人がすっ転んでいるおむすびころりんも青ざめるレヴェルだわ。
気を付けないと。
なので、
事務処理の一日になるかも知れないってことをここで業務連絡しておくわ。
今日も緊急に定時より早く帰りなさい!ってお達しが来ればいいんだけど、
って言っても私だけのこの1人の事務所は私のさじ加減なので、
昨日は早々に寒かったので帰ったけど
それはそれで良かったのかも知れないわ。
天気予報最近注意喚起強めにちょっと大袈裟に盛って言いがちなところあるかなと思っていたけれど、
西日本の天候はガチで予想が的中敵に当たった的に矢が当たったわけね。
でもまあ西日本の人たちには気の毒だけど、
私たちも気を付けないといけないわね。
そうそうに帰れる支度はしておいて、
凌げると言っても、
この空腹より寒さが厳しい一番のなか
それが耐えられないのよね。
あとやっぱりモバイルバッテリーのスマホの電池は持ち歩いていた方が備えよ常にの精神なのかもしれないけれど、
これも同時に充電に対応したケーブルも持ち合わせておかないといけない必要に駆られるじゃない?
ただでさえ
USBミニBタイプ、USBのCタイプ、Lightningケーブルと最低でもこの3種類は持ち歩かないといけないので
掃除機の紙パックの全メーカー対応!って凄い最大公約数的ななんでも当てはまっちゃう
ケーブルが無かったあちゃぱーってなることが多いので
もうポーチには短くてもいい!太く長く生きたい!って気概のある10センチメートル程度の
それらのそれぞれのUSBミニBタイプ、USBのCタイプ、Lightningケーブルも持っておかないと
モバイルバッテリーの充電電池が宝の持ち腐れになっちゃうのよね。
だけど私が月末に陥りがちな罠として
これが多いのか少ないのかはよく分かってないけど
そっちの方が我慢ならないわ。
そう言うのってあるわよね。
まあ寒波には気を付けて!
うふふ。
たまに食べると美味しいわ。
今朝朝起きて寒かったので
寒さゆえ
それだけで飲んでいたストレートホッツ白湯ウォーラーってことに
飲み終わってから気付いたぐらい
寒くて凍えていた身体に
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
スマブラを一言で説明すると、「バカでも勝てるゲーム」だ。これは別に蔑称ではなく、桜井雅博が言っている「スマブラはゆかいなパーティゲーム」という言葉を対戦ゲームという視点から見るとこうなる。
格ゲーストリーマーのスマブラデビューが最近点々と目立つが、そのプレイを見て共通して思うのはスマブラというゲームを根本から勘違いしているということだ。彼らが今までプレイしていた格ゲーというものは競技性を観点に入れて慎重に調整され、不用意な行動は即負けにつながる。そのため彼らは、(スマブラの標準と比較すると)異常に慎重なプレイングをする。
スマブラというゲームの格ゲーと最も異なる点はそこで、このゲームは相手の行動を咎めるということが非常に困難にデザインされていて、慎重に立ち回るより猿のようにボタンを連打したほうが強いようにできている。
もちろんこれはアクションゲームとして考えるととてもよくできている。スプラトゥーンのヒットの理由は、会敵していなくても「塗り」という大義名分のもとボタンを押せるところにあるというのはよく言われていることだが、スマブラはそれの格ゲー版と言えるだろう。だからこそ格ゲーにありがちな対戦の窮屈感がなく、自由気ままにコントローラーを操作し、オールスターのキャラクターを動かす快感がある。
「ゆかいなパーティゲーム」という言葉の意図はここにあり、このゲームはあくまでガチャガチャコントローラーを動かして対戦「のようなもの」を楽しむために作られたゲームなのだ。
ところが異常者がこのゲームに競技性を見出してしまったために、(一部の人間には)不幸なことになった。スプラトゥーンと対比するとよくわかるが、開発元はこのスマブラというゲームの競技シーンを明確に定義しようとはしておらず、アイテムありやステージランダムなど、運の要素をなるべく介入させたあくまでパーティゲームの大会としてしか主導していない。
これが何故かというと、開発元はこのゲームの競技性に対して一切責任を取るつもりがないからである。
特にキャラクターの強さのバランス、インターネット対戦機能の不十分さについては、昨今の格ゲープレイヤーからすると信じられないレベルの低さだが、これはそもそもそういう風に遊んでほしくないという開発側の強いメッセージ性が現れている。インターネット対戦のラグについては有線接続同士の対戦でなお、散々コミュニティに批判されていたストVのPS4より大きい遅延があり、元々行動を咎めづらいようにできているこのゲームがさらに振り得となっており、差し返しという概念はほぼほぼ成立しない。また、キャラクターの強さについては強力なDLCキャラが追加された後調整が終了し(この調整が「終了」という概念があるのも面白い)、そのキャラクターを使えば誰でも楽々に勝てるという状況になっている。今作では「調整班」という名目で前作までの有力プレイヤーが開発に協力していたとのことだが、最近開かれた大会ではその調整班の人間がDLCキャラクターに手も足も出ず敗北していたところを見ると、おそらく単なる批判のスケープゴートのために雇われていた可能性が大きい。
さて、ここまで対戦ゲームとしてのスマブラの未完成さを説明したが、ポイントはこの未完成なゲームに「なぜか」人々は競技性を認めているという歪みである。
今までの話を要約すると、スマブラはバカでもボタンを連打していれば勝てるようにできているのに、ほとんど全員がその事に気づいておらず、まるでゲームがうまいかのような扱いをうけることができるオアシスであるということだ。
実際強力なDLCキャラが追加されてから、今までまるで結果の出ていなかった人間が世界トップレベルのプレイヤーに勝利するということが頻繁に発生している。こんなことが他のゲームで起きればまず調整バランスの批判になるのが常だが、基本的にこのゲームの観戦層はキッズしかいないのでそういう話にはならない。
また、そんなに強いなら(ストVのルークのように)そのDLCキャラに使用が集中するのでは、とも考えられるが、そういう事もあまり起きていない。それはこのゲームのプロプレイヤーのほとんどが最も強いプレイヤーになるためではなく、あるキャラクターの全1という看板を得て配信業を成立させるためにやっているからである。そのため、一見大会のリザルトを見るとキャラがばらけてバランスが取れているように見えるが、なんのことはなくそこに載っている人間の殆どが真面目に勝ちに行っていないからである(そういう意味ではメタな視線で「ゆかいなパーティゲーム」が再現されているのかもしれない)
よって、このゲームは(幻想の)競技シーンで勝つことが最もイージーなゲームとしてコスパがよく、またプレイヤーの民度も低いので常識的な言動のラインを守ることさえできれば人気も得やすい最もプロゲーマーになることが優しいゲームとなっている。そのため、プロゲーマー志望は全員スマブラをやるべきだ。
ただ、このゲームのプロになることが幸福かどうかは別の話ではある。基本的に賞金は国外の大会でしか出ないし、その額も他のゲームに比べると信じられないほど小さい。スマブラというゲームのバランスが取れていなくても、結局この程度のゲームで勝っても対して稼げない、という世の中全体のバランス調整はちゃんとされているということなのかもしれない。
3ヶ月前ぐらいにBANされまくる時期があって、結構な数な人がアカウントを停止された
AIの設定を間違えたか、新規に導入したかで、最初はかなりの数のストリーマーが、そしてしばらくしたら見てる人たちが消されていった
自分は普通にコメントしていたら黒人差別だと言われてアカウントを2週間停止された
時間がもったいないしちょうどいい機会だから見るのをやめたんだけどそれから定期的に帰ってきてってメールが来る
タイトルはだいたい○○, we've missed youとかツイッチにはあなたが必要!みたいな感じ
内容は最高のコンテンツがあります!と人気のチャンネルやゲームジャンルを貼りまくったのが来たり、あなたが見ていたストリーマーたちです!と3人見てたストリーマーのチャンネルを貼り付けて送ってきたり
ほんまきもいねん