はてなキーワード: ロリータコンプレックスとは
能力者もの+特殊ギャンブルもので登場人物全員超能力者の嘘喰いみたいな漫画。
この作品は明らかにゲームを先に考えてそれに見合った能力を考えているので
自身が選んだ物体にタイマーとしての機能を付与し、セットした時間に音が鳴るようにする。
みたいな、何なのその能力……みたいな謎能力がめちゃくちゃ出てくる。
途中からたぶん面白くなっちゃったのかヤケクソになっちゃったのかわかんないんだけど
恋の原点(ロリータコンプレックス):相手の恋愛対象の理想年齢を10歳下げる。
読書感想文(ナツヤスミノアレ):指定した書籍、または文章について相手に素直な感想を吐露させる。
どうも「守備範囲(ストライクゾーン)を共有している部分がある」というのが問題を根深くさせているらしい。
「性癖」というのは本来あらゆる趣味嗜好や言動をひっくるめて表現するものなので、現在使われている意味での「性癖」を指して使っても問題はない。
この場合はストライクゾーンの共有というよりも、内包と言ったほうが正しいのかもしれない。
つまり、現在のような狭い使い方の「性癖」が蔓延るより前の時代においても、「性癖」という言葉を使って性に対しての嗜好を表現した文章があったとして何もおかしくないのである。
現在の「性癖」という言葉が指すストライクゾーンは、元々の「性癖」が有していたストライクゾーンに完全に飲み込まれているわけである。
「少女趣味」の場合は被らない部分があるストライクゾーンの共有だ。
一部のロリコンは少女を連想させるものに対して興奮する異常な性癖を持っており、一般によく知られる例をあげるとすれば「ランドセル」「黄色い帽子」といった具合だろう。
もちろんこれらは多くの少女にとって単に野暮ったい類の制服でしかなく憧れるようなものではないので、本来の「少女趣味」としてストライクゾーンに入ってくるものではない。
だがこれが「ガーリーなファッション」になってくると、一部のロリコンはそれらの衣装によって興奮してしまう。
この部分に、本来の「少女趣味」と誤用としての「少女趣味」におけるストライクゾーンの共有が発生しているのだ。
つまり、フリルを多用した服装を指して、「少女趣味」を喚起させると表現した時、それが甘い夢の世界からやってきたものだと感じたのか歪な欲情の餌食とされそうだと感じたのかは、それ以外の文脈を通して初めて決定されるということだ。
そもそもこういった勘違いが最初に起きたとき何が発生したのだろうか?
誰が最初に「少女趣味はロリータコンプレックスの言い換えだ」と言い出したのだろうか?
これは「共有したストライクゾーンをめがけて投げられたボールが、そもそもどこから放たれたかの逆算における失敗」から生じたものだろう。
初めて聞いた言葉、聞き慣れない言葉に対して文脈によって理解したふりをした気になり、それを確かめもせずに自分が言う側に回ったのだ。
よく意味は分からないが周りが使っているのでなんとなく自分も使っているうちに、その意味が社会の中で決定され、最後は多数決のような決まり方がされる。
つまる所、言葉というのは最終的に「その集団が多数決によって決めた意味」こそこそが最も重要視されるので、「性癖」はもはや「性に関する癖」という意味の言葉に置き換わったと考えるべきなのだ。
言葉ってそういうものじゃないだろうと思った人はウィトゲンシュタインを読んで欲しい。
彼がまさにこういう話をしている。
ロリータコンプレックスやペドフィリアは、自信のなさからくるものらしい。
タイトルそのまんま。
恋人のような人は過去何人かいたことがあるけど、最終的に友達みたいになって終わった。全部。
当たり前だ。私が性愛と家族愛と友愛のうち家族愛と友愛しか知らないのだから。
性愛をそれら二つでなんとか繕っているうちにいつも終わりがやってくる。
大学生の頃に私を好きになってくれた人ともやはり結婚しか考えていなかった。
院生の頃も仕事をはじめてからもどの相手とも最初のデートの段階で結婚しか考えていなかった。
正直、それまでのなんやかんやに一切の興味が湧かなかった。
でも根が真面目でかつ博愛主義なので知り合った人には幸せになって欲しいと願っていたから色々頑張った。
恋をしている振りもした。一度も上手くできたことはないのだろうけれど。
恋をしている振りをするために恋愛ハウツー本を読むというあべこべな方法論を採用した。
または情を恋心と勘違いしていたから鬱傾向の強い人と付き合うことも多かった。
そう。
自身に恋愛感情というものが一切ない、ということを受け入れたのはつい最近だ。
はじめての彼女には「俺は初恋ってなかったんだよね」とは言った。そして泣かれた。
けれどそれでもどこか、信じていたのだ。
私は恋をしている、と。
そして情、友愛、そして家族愛を恋心の代用品として使用していたら20代が終わっていた。
迫られたことはある。それでもなぜか手を出さなかった。いや、その時は「なぜか」と思っていた。
今考えてみると当たり前の話だ。性欲がないのだから。
年収 750 万。
東京大学卒。
この情報を使えば婚活すればどうにでもなるのだが、やはりどうにもならない。
恋心も性欲もないのだ。
今、私を好きだと言ってくれている女性がいる。
私はその人と結婚したいと思っている。
でも、恋はしていない。そんな状態の私が彼女をどう誘えばいいのか、それが分からない。
ただそれでもやはり結婚がしたいんだ。
私は人を愛することはできる。
ただその人に対する独占欲が一切なく、その人に入れ込む心情が一切ないだけなんだ。
だから今でも、そう今でも自分がアセクシャルなどとは認めていない部分がどうしてもある。
恋している人を見るとどうしても気持ち悪く感じてしまう自分から目を逸らしながら
せめてホモセクシャルやトランスジェンダーに生まれていれば良かったと何度思ったことか。
自分がそれらではないのか?と疑いひたすら女装をしていた時期もあった。
またはロリータコンプレックスではないかと疑いアイドルを追ってみたりもした。
熟女好きなのではないかと疑い年上にちょっかいを出したりもした。
だから私の知人は、私と主に一緒にいた時期によってどう私の性的指向を把えているかが変わる。
ただそのどれでもなかったのだ。
そしてこの年齢になってやっと受容してしまった。
ただそれでも結婚して、家庭を持ちたい。
むしろ「フェミニストやミサンドリストの目に入ったら騒がれて面倒だから」という程度ではないでしょうか。「子供に見せるのはヤバい」と言う人がいたとしてもせいぜい建前で、実際にそんな心配をしている人がそれほどいるとも思えません。「という方向に収束しているらしい」というのはあなたの思い込みか、あるいはそんな大人の建前論に引っかかってしまったがゆえに(あなたが「〝子供〟の立場からこのトピックで論を立てたい」と考えるあまり)採用してしまった間違った(あるいはあまり意味をなさない)前提なのではないかと言う気がします。
18禁のレーティングを、子供を守るためのものなんて本気で考えている大人は、ごくごく少数でしょう。それは「なにも考えてないから」ではなく、「大枠としてある子供と性という真の問題解決にコストと労力を費やして社会全体として傾注するつもりがなく、といって当該のイシューが原因または遠因となって実際に子供が傷ついたとき、責任も取りたくないから」といったところだと思います(まあ、そういうのはなにも性に関することだけではないです)。
大人というべき立場の人たちが、当事者である子供の性欲の「安全かつ倫理的」な解消に無関心なのは、そもそも彼らに当事者性がないからです。彼らの中にも青春時代に異性や同性との関係を求めて煩悶した人はいるでしょうが、それでもどうにか切り抜けたり、あるいは同じような片割れをうまく見つけて乗り切ったり、それでどうでもよくなってしまったのです。放っておけば今の子供たちも適当によろしくやって育つだろうみたいな、一種の生存バイアスですね(青春時代にしくじって身を持ち崩した人は、ここには含まれません。そんな人たちのなかには、次の世代の子供たちに同じ思いをしてほしくないと活動する人もいれば、逆に同じ目に遭わせてやろうと引きずり込んでくる人もいることでしょう)。
だいたい、そもそもみんながみんな若いからといってそこまで性欲に支配されるわけでもありません。そこを間違えると、単に個々人のフェティシズムを満足させるためというだけの成年向け創作を、隠された人間の本性を暴き描いて禁忌の扱いを受けた真実みたいに思い込むことになりかねません(そういう人こそ、本来「成年向け創作」を鑑賞すべきではない人だと個人的には思いますし、成年向け創作はそういう人に多かれ少なかれ実際に悪影響を与えていると思います)。性は究極のプライベートなので、親しい仲でもそうそう意見を述べ合ったりすることもない問題ですから、知見もたまりにくい。娯楽としての偏った性知識は勝手に変な方向に積み上がっていくんですけどね。
ところで思ったのですが、
このnoteでは「フィクションに影響されてロリコンは子供に手を出す危険性がある」という主張と「ロリコンは子供に手を出さないのにその努力を台無しにするな」という正反対の主張が混ぜられている。
このあたり以降であなたが書いていることを読むに、ペドファイル(ここに「ロリータコンプレックス」を含めるとしても、未成熟な身体性を持つ少女への愛好のことで、成年女性に対しての性衝動は皆無か、あっても薄い)と、いわゆるロリコン趣味者(社会倫理としては許容されていない、制服を着た女子高生なども性の対象にする成年男子。機会があれば同世代の女性とも普通に性的接触を行うし、また女子小中生であっても「女体」であれば性的な対象となる)の意味の切り分けができていないので、話が通らなくなってしまっているように思います。後で出てくる「子供に手を出す人の7割はロリコンじゃない、という話、あれは信用していない」というあなたの考えありき――Wikipediaでいうところの独自研究――で話を進めているからですね。
そもそも大元のネタは成人男子が男児型の人形を買って性衝動を語っているという話から始まっており、「ロリコン」の話ではありません(元ネタの人は自分は男児ではなく女性が好きで、単にネタとして言っただけ、みたいな話になってるようですが)。このあたりも、あなたが書きたいことを書くチャンスが来たと前のめりになりすぎて、周りが見えなくなっているのではないかと感じた理由です。
そもそもの話として、ロリータコンプレックスだとかぱいおつかいでーだとかのーぱんしゃぶしゃぶとかは三次元で生まれた概念ですよね。
他者の性的消費は、はるか古代より現実に存在していた概念です。
ずーっと昔から風俗や化粧は存在していましたし、道行く相手にイエスだノーだと自分の性欲準拠の点数を付けていたのは男女を問わずいつの時代も変わらないものです。
そうです。
女性だって、誰それがイケメンで抱かれたいだの出川哲朗には絶対抱かれたくないのといって、身勝手に性的な視線を浴びせてきていた事実が確かに存在しています。
それが人間として正しいのか、生命体としてどうなのか、仏教やキリスト教的価値観において善か悪かは脇においとくとして、この世界に大昔から普遍的と言えるほどに実在していたかどうかを問うなら間違いなく、あったという他ありません。
そうやって皆が既に殴っているからという理由で自分も殴る列に加わるような行為は、いわゆる「いじめ」と言われるような類のそれではないでしょうか。
その相手が他のそういった物と比べて極めて悪質であったり、極めて権威があるというのなら分かりますが、別にそうでもないというのなら、有象無象の中から選んだ相手への一点集中砲火こそ、「いじめはよくないからやめろ」という別の教義に反していると思います。
いやまあ別に「俺はいじめが悪いとは思わない」「ケンカで勝ちたかったら殴りやすい奴を全力でボコれと本に書いてあった」「俺達の目的は正しさを認めさせることではない」「石を投げて気持ちよくなりたいだけなんだけどお前何いってんの?」とおっしゃりたいのでしたら、もう何もいいませんが
最初に言っておく「規制しろ。なんて言うつもりは一切ない。まずはタバコを地上から消してくれ」だ。わざわざカッコで囲んだんだからこれで絡んでくるなよ?
サウナって結局は「ととのえる」ためにやっているんでしょ?
ネットで調べると「ととのわなかったならそれはサウナではない!!」と断言してる連中がサウナーを自称している様子がそこかしこに見られる。
つまり、彼らは健康のために汗をかきたい訳でも、異国の風呂を体験してエキゾチックな気持ちになりたいのでもなく、水風呂に浸かって苦痛を味わいたいわけでもなく、ホモセクシャルな性癖の持ち主として他人の裸を見たいわけでもなく、ロリータコンプレックスの持ち主として幼女を連れたお父さんがフラっとやってくるまでの時間を自然に潰したいわけでもなく、我慢比べで男を見せるという昭和のマッチョイズムを引きずっているのでもなく、「脳内を快楽物質が駆け巡る瞬間を手にするための行程として」サウナに入っているのだよな。
これはもう完全に薬物摂取となんら変わりがないものといっていい。
レストランで美味しいものを食べて幸せを感じるのは味覚を刺激されるからだし、風俗で気持ちよくなるのは性感帯への刺激によるものなので、これらはドラッグの摂取のような「直接快楽物質を脳に撒き散らさせるよう体に細工を施す」行為とは完全に別個のものと言えよう。
しかし、サウナで「ととのえる」のは上記で述べたドラッグ摂取の再定義に完全と言えるほどに当てはまってしまっている。
ロリコンがロリータコンプレックスをつづめたものであることは明らかだろ。
LGBTが生産的かどうかなんて話はそもそもどうでもいいんです。
女の子同士で組んずほぐれつしようが、
男女でズッコンバッコンしようが、
全部「いけないこと」なんです。
そういう基準で行けば、男女どっちでもイケる口のバイセクシャルが最も罪深く、ソドムか!ゴモラか!という話です。
さらにそういう基準で比べると、レズビアンの「女の子しか好きになれないの…」とロリータコンプレックスの「小5以下しか好きになれないよ」は社会規範の加点が加わりロリコンの方がギルティです。
性的嗜好の「ありのまま」を認めてくれなんて汚らわしい!アーヤダヤダ
そういうのは結婚を前提にやってくださる?
え、結婚できない?
事実婚でもよくない?
証が欲しい?
うちの会社は規程直したよ。
男が男を好き、って言ったら「で、俳優でいけば誰が好き?」って言うくらいの普通の対応をしない理由はないし、ゲイから告白された時に「男同士とかマジ無理だから…」って答えるのも「デブはマジ無理だから…」と同じくらい普通でしょ。
自意識過剰なんだよ。
ただね。トランスジェンダー。
誰かとチュッチュしたいっていう欲の問題じゃなくて器質的問題、エラーなんですよ。
この人ら、自分の在り方が嫌な訳で、根本的な問題が違うんですよね。
ホモセク、ホモセク、バイセク、心身の問題ってなってて、問題を一緒くたにしちゃややこしい話を一緒くたにしちゃってる訳。
それに対して是か否かを絶叫議論するから双方に血が流れるんです。
「まあそんな人もいるよねー」くらいでいいんすよ。
ほんとくだらん。
というよりも、最近になって急にこの図式を認めることを辞めてしまった。
他のあらゆる性癖、たとえばスカトロマニアやネクロフィリアそれにロリータコンプレックスといった物まで含め丸ごと全ての性癖を変態ではない別の何かとして認めるのならばよい。
だが今の社会において性同一性障害だけが変態ではない特別な何かとして扱われ、それ以外の性癖は全て変態が性欲を爆発させる際に垣間見える異常趣向として扱われている。
これは明らかな異常事態ではないのだろうか。
全ての変態を変態として扱うか、全ての変態を変態としては扱わないか。
正しい道は2つに1つだ。
「ロリータコンプレックスの女性」というのを見たことがない。
だけど、自分をロリコンだと言う女性も、ロリコン性癖をひけらかしてる女性もほとんど見たことがない。
これはフィクションの世界でもそうで、成人漫画かそうでないかにかかわらず、性的関係性をもつ大人の男性と幼い少女という組み合わせはよく見る。
おねショタというジャンルがあるように、おねロリとでも呼ぶべきジャンルがおそらくあるはずだ。
だけどほとんど見ない。
成人女性が女子小学生に性的暴行を働いたという事件も寡聞にして知らない。
成人男性が少年に性的ないたずらをするという事件はよく聞く気がする。
元記事はこちら。
http://www.bbc.com/news/magazine-30698640
【追記】こちらの訳よりずっと上手い訳が出てたので、そちらのリンクを張っておきます。
http://knagayama.net/blog/2015/01/08/bbc-why-hasnt-japan-banned-child-porn-comics/
【追記終わり】
BBC「何故日本では“児童(チャイルド)ポルノ”漫画を禁止しないのか?」 - Togetterまとめ
(数字)注釈付きの文はよく分からず無理に訳してるので誰か直してくれると嬉しい。
MangaやAnimeとして知られる日本の漫画やアニメは巨大な文化的産業であり世界的にも有名だ。でもその幾つかはショッキングで子供の露骨な性描写を特色としている。何故日本はこうしたものを禁止するのに反対することを決定したのか?
日曜の午後、東京、サンシャインクリエイションは活況だった。何千もの漫画ファン、その多くは男性、は展示センターに群がっていた。部屋の中を歩き回りながらテーブルの上に売り物として並べられたコミックマガジンを熱心に読みふけっていた。エルフ顔でメス鹿のような目のアニメヒロインのポスターの多くは肌もあらわであり得ない程均整が取れて海綿を色とりどりに変えている。(1)
「このエリアは主に性的な創作を扱っています。」とイベント主催者の一人Hideは説明する。
我々は二人のトップレスの少女がカバーに描かれたあるテーブルで足を止めた。私の目には彼女らは13,4歳か9,11歳に見える。ストーリーは彼女らが際どい性行為に及ぶ様を描いている。
他のいくつかの売店は似たような物を売っている。これらはUK、オーストラリア、やカナダでは間違いなく論争を呼び、おそらく違法になるだろう。しかしここでは大した問題ではない。
「児童虐待が良くないことだというのはみんな知っていますよ。」Hideは言う。「でもそういった感情を持つのは自由です。何らかの子供との性的な場面を想像し楽しむことは禁止されていません。」
彼の正直さに私は面食らった。そして彼は「ロリータコンプレックス」を略した「ロリコン」という言葉を私に紹介した。若い少女が性的に露骨な行為に及ぶ様を描いた漫画を意味する。それは近親相姦やレイプ、その他のタブーを含むこともある。Hideの嗜好は高校ロマンスにあるというが。
「私は若い少女の性的な創作が好きなんです。ロリコンは私の数ある趣味の中の1つに過ぎません。」彼は言う。
私は彼にあなたの妻が近くに立ってあなたの「趣味」をどう考えるか尋ねた。
「多分何も問題ないと考えると思います。」彼は返した。「だって彼女は若い少年が性的な行為を成すことが好きですから。」
こうしたものは日本の巨大なマンガ産業 - 年間約36億ドルの売上げ - の極一部である。しかしそれは多くの注目と論争を引きつける。
2014年の7月、衆議院は児童の性的虐待のリアルな映像を所持することを禁じることを可決した。これらの映像の制作と配布1999年から違法であった。しかし日本はOECD中で所持を違法化した最後の国だった。
その頃、漫画、アニメ、ゲームの18歳以下に見えるキャラクターの「ヴァーチャルな」性的映像を違法化する呼びかけもあった。しかし討論を重ねた後、衆議院はこれに反対することを決めた。この決定は児童保護の運動家やNGO、特に日本の外から非難を浴びた。
より理解を深める手がかりとして事実を示すと、Hideは私たちが会ってからたった数分で彼の「趣味」について楽しそうに討議しはじめた。とても幼い子供を含む漫画がある種の社会的烙印を取り付けられているように見えるけども、青春期の若者を含む性的なモノは確かに興味をそそるメインストリームだ。(2)
日本の国会議員は多数 - 潜在的に数百万 - の漫画ファンを犯罪者にすることを明らかに嫌がっている。
Hideの様なファンは主張する。我々は無害なファンタジーを楽しんでいるだけである。いかなる子供のモデルも役者も含まれていない。彼は言う。だから「性的テーマの漫画を創作することは児童虐待ではない。」
東京秋葉原は漫画界の精神的なホームである。ネオンサインとけたたましいポップミュージックが目と耳を圧倒する。高層の書店が街中に並び、太陽の下であらゆるテーマの漫画を販売する。
18歳以上に制限された大人用セクションではジュニアレイプや日本人プレティーンスイートといったタイトルの漫画を探すのは難しくない。
「あるモノに性的興奮した人はそれに慣れます。」ある大人向けストアのカウンター裏で働くTomoは言う。「だから彼らはいつも新しいものを探しているんです。そして若くて未成熟な女性に興奮するようになる。」
これが批評家が心配していることだ。- 性的に露骨な漫画の創作で誰も傷付けられていないとしても、正常化し助長させ、性的虐待のリスクを増大させるかもしれないという懸念だ。
これが真実かどうかは誰にも分からない - 研究は確定的ではない。しかし日本人の多く、特に女性も広く関心を寄せている。彼らは女性の品位を傷付けるような強烈なポルノや若者の性欲化への目を閉ざす社会としてこれらの映像を見ている。
日本では若者の魅惑を探すのに遠くを見る必要はない。若い少女のポップグループが成人男性の集団に向けて演技する。そして看板や広告から漫画までスクールガールの映像はどこにでもある。
Sex in the City, Tokyo風の本で若い女性に人気の作家、Lilyは彼女の学生時代について話す。男が彼女とその友達に近づき、彼女らの靴下やパンティのためにお金を差し出したのだ。
「あれは不快だった。とても変態じみていた。」彼女は言う。思春期の性への魅惑というのは「男が成し遂げたいという力が全てだ。強くて自立した女性が嫌になった男のね。」彼女は主張する。(3)
Lilyの親の時代の家族モデルはまだ日本では強い影響力を持っていた。 - 父親はお金を稼ぎ、母親は主婦として家にとどまる。しかし日本経済の弱体が現実化を困難にした。
「business-wiseで成功しない人達がいる。おそらく彼らはロリコン漫画というファンタジーに出会っている。」(4)
「私は大嫌いだ。本当に大嫌いだ。私はこうした性癖異常を日本から追い出して欲しい。子供達をこうした変態から引き離して欲しい。あなたのファンタジーの中であっても。」
しかし他の人達は政府が何が「良く」て「適切」なのか定まった指針を規定し強制するため関与すること、特にファンタジーという領域に、に懐疑的だ。
「批判的になる理由は十分にある。それはよいことだ。」漫画翻訳家で言論の自由支持者、兼光ダニエル真は言う。「しかし他人が何をし何を考えたかに基づいて他人を捜査する権限を人々に与えるなら、それは思想の取り締まりだ。」
それでは彼は小さな子供やレイプ、近親相姦のようなタブーを描いた漫画の創作者の権利を擁護するのだろうか?
「私はそれらが不快です。でも私には人々がどのように考え共有したいか言う権利はありません。」彼は言う。「他人の人権を侵さない限りはファンタジーライフを送って何が問題なのでしょうか?」
・日本は1999年子供の性的虐待の映像の制作と配布を違法化した。 - UKの21年後である。
・2013年、米国務省は日本を「児童ポルノの制作と取引の国際的なハブになっている」と記述した。
・日本の警察庁は2013年に1644件の法律違反があったと報告した。 - 1999年の法律が強制力を持ってからどの年代よりも多かった。
・2014年7月、日本は児童性的虐待の映像の所持を禁じた。国民は従うまで1年の期間を与えられた。
秋葉原の漫画ショップに囲まれ、児童保護運動家のKazuna Kanajiriはカートゥーンやコミックよりもっと大きな問題があるとある場所に私を連れて行った。メインストリートを抜けて階段を一歩一歩上り、大量のDVDが積まれた部屋に現れた。
Kazunaは棚から1枚引き抜いた。そこにはリアルな少女の映像が描かれていた。彼女が言うには少女は5歳で小さな水着を着せられ、大人のポルノの真似をして扇情的な姿勢でポーズを取っていた。ショップの中にある他の全てのDVDも本物の子供を特色としていた。
「私はこの子供達が気の毒に思う。」Kanajiriは私に告げた。
これら所謂「ジュニアアイドル」DVDは1999年に児童ポルノの制作が違法化されてからポピュラーになってきた。
これらは性器が隠されてさえいればこれらは法律を回避するのだ。しかしKanajiriは言う。7月に法律が強化されて、これらは今は違法となっている。
「搾取する人は適切に裁かれなければならない。」彼女は言う。「法律の下ではこれらは完全に違法だ。しかし警察は取り締まっていない。」
性的な場面で未成年者を特色としたマンガとアニメにおける幾つかのコンテンツはショッキングで注目を掴むものであるかもしれない一方、Kanajiriと私が話した他の運動家は私に告げた。今のところは彼らは現実の子供を保護するためにより重要なバトルにフォーカスするという。
しかし彼女は論争の的であるマンガとアニメを禁止する望みを諦めたわけではないという。
「私は消し去りたい。」彼女は言う。「2020年に日本で夏オリンピックが始まる時、みんなが日本を変態文化と呼ばない国に変えたい。」
それはマンガサポーターが強く拒否するような説明だ。しかしオリンピックが近付けば、外部の目が日本に注意を向け、「奇妙な日本(weird Japan)」より「クールジャパン」としてみんなが見るように、マンガやアニメへの強力な圧力が働くだろう。
(1)Posters of elfin-faced, doe-eyed cartoon heroines, many of them scantily clad and impossibly proportioned, turn the cavernous space into a riot of colour.
(2)Although manga involving very young children does appear to have some social stigma attached to it, sexual material involving adolescents is a fairly mainstream interest.
(3)The fascination with adolescent sexuality is "all about the power that men want to achieve, men who are tired of strong independent women," she argues.
(4)"There are people business-wise who are not successful, maybe they are running into fantasy with Lolicon manga.
この記事は自殺 Advent Calendar 2014の12日目の記事です。
彼女は幼少の頃にロリータコンプレックスの成人男性に強姦されている。
生殖器が未熟な幼女の膣に、成人男性の勃起した陰茎がねじこまれたのだ。
当然膣が裂けるなんて事態で済むはずもなく、
当時彼女が発見されたときは、子宮破裂に加え、下の方の内臓はグチャグチャに損傷しており、
あと一歩遅ければ死んでいたらしい。
一生子供を産むことはできない身体になってしまったし、排泄も人口肛門頼りになってしまった。
強姦時の恐怖から軽度の知的障害を患っており、学校には通っていない。
お世辞にもカワイイとは言えず、いつも毛玉だらけのトレーナーを着ていたが、
面倒見が良いのか、よく他の障害者を手伝っていた。良い子だった。
「普通の女の子らしい事をしてみたかった」と理由を述べる彼女に、
普通の女の子であれば化粧品を買うなら百貨店に行くなりデパートに行くだろう。
だが障害者支援施設で生きてきた彼女の世界にはそんな施設はなく、
彼女なりに化粧品というものを手に入れるために考えた結果出てきたのが、
加えて化粧品に関する知識もないため、それらしいものを手にとった結果が
男性用整髪剤だった。
私は、何の罪もない普通の女の子らしい生活が送れるはずだった彼女を
何度怒りに震えたことかわからない。
そんな彼女だが、8ヶ月ほど前に施設を抜けだして失踪したと聞き、
つい先日、自殺したと聞いた。
何があったかは知りたくもないし、考えたくもない。
(あ、すんません 文法まずいらしく続きを読むが上手く機能してません。)
原文からあたってみましたが、条例の改正(案)前後の文面のまとめがありましたのでこちらを。
赤い部分が追加部分ですね。
http://fr-toen.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-cbc1.html
この中の非実在青少年という言葉が物議をかもしているわけですが。
ポイントは
『みだりに性的対象として肯定的に描写することにより、青少年の性に関する健全な判断能力の形成を阻害し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの』の示す範囲かと思います。
これについての都の見解はこちら。
http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2010/03/20k3i601.htm
つまり、第七条においては
自主規制などにより18歳禁に指定されていない作品のうち、ランドセルや年齢の提示などにより明らかに18歳未満と判断できるキャラクターとの性交がなどが正当な理由なく、読者の性的好奇心を満足させるための描写として不当に賛美し、又は誇張してあるものを出版社や書店などの小売は連携して青少年に売ったり配ったり貸したり、見たりできないようにするように努力しないといけないよ。って言ってるわけです。
で、第八条において上記に該当する作品のうち
『強姦等著しく社会規範に反する行為を肯定的に描写したもので、青少年の性に関する健全な判断能力の形成を著しく阻害するものとして、東京都規則で定める基準に該当し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあると認められるもの』
※※※※※
↓この先は条例の中身を簡単に述べるため、人によっては不快な性的な表現を使っています。苦手な方は読まないようにお願いします。
※※※※※
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簡潔にまとめると、
ランドセルや年齢の表示などで18歳未満って明らかに示されてるキャラを
非実在青少年って呼びますよー。
あ、子供っぽいけど18歳以上って設定のキャラは含まないからね。
「私18歳未満だけどセックスって気持ちイイ!気持ちイイ!」
「中に出たけど気持ちイイからいいよねー 何か問題?」
って作品は18歳に満たない青少年が手に取れないように出版社とか書店とかは努力しなくちゃいけないよ。
著作権上の問題とかわいせつ物陳列罪にひっかかったのが発売禁止になる例はあるけど。
んで、さっき挙げたような作品のうち
「レイプされてるけど悔しい感じちゃうビクンビクン。まだ中学生なのに」
とかやってる悪質なものはこれまでみたいに有害図書に指定することができます。
前からやってるけど今回改めて条例に書くね。
ってことっぽいんですよね。
…あれ?これ大人として普通のことじゃね…?
もちろん恣意的な運用を心配する声もわかりますし、個人的にはもっと時間をかけて内容を検討し、より恣意的な運用が厳しくなるような文面へ。
そして青少年の保護者などが持つとまどいや不安に作家や出版社も耳を傾け、ゾーニングがより進んでいきゾーニングが行われてることで表現の自由も侵されないように事態が進んでいけばいいなーと思います。
ベクトルが違うだけで「こんな作品が存在するのは許せない!キィィ!」
って痛いPTAな方々と根本的なところで似ている部分があるのかなーと思ってみています。
都の回答をみるとキィィな方々の言う事を都が丸呑しているようにはちょっと思えませんし、恣意的な運用が始まればそれは自分も反対しますが、条例の内容を正しく見定めることがなにより先決かと思います。
まぁ、自分の見定めが間違ってる可能性もあるのでこうやって公開日記かかせてもらってますよっと。
自分の書き方と知識はかなり乱暴で大雑把なのですが、もっと丁寧な書き方でほぼ同じことを言ってくれている方がいました。
法知識のある人にはこちらのほうがわかりやすいかも?
参考資料追加
図書一覧にはいかにもなタイトルが並んでいるし、自主規制団体との議事録みるとけっこうちゃんと意見を集めてる。
恣意的に運用されるっていうならすでに不健全図書はこの資料のようなやりとりを経て指定されてるわけだけど、今の指定が恣意的だって指摘はあまりないよね。
不健全指定図書一覧
http://www.seisyounen-chian.metro.tokyo.jp/seisyounen/10_eiga_tosyo_ichiran.html
http://www.seisyounen-chian.metro.tokyo.jp/seisyounen/09_575_menu.html
『指定やむなし』=『自主規制されていないが自主規制相当の内容なので有害図書として指定し販売を成年に制限するもやむなし』
児童ポルノとしての指定ではないことに注意。
こういった苦悩を青少年保護者、そして創作側、消費者で真摯に受け止めていくことができる社会になってほしい。