はてなキーワード: 見立てとは
それなりに思い入れのあるサービスだったし、やっているメンバーも大半は好きな人たちだった。
しかし正直言って糞サービスだった。何が良いのかわからずずっと開発してきた。
これが果たして世でシェアを獲得できるのだろうか?いやそんなはずはない。という確信の元会社をやめた。
結構敵対的な感じで辞めたもんだから、自分としても、会社は正直超嫌いだ。まあ辞める人は殆どそうだと思うが。
しかし、俺の見立て通りというべきか、それよりもさらに悪く、ほとんどサービスとしてのシェアは取れていないし、機能も充実していない。
クライアントもそんなに増えていない。逆にもっとやれるだろ!とさえ思ってしまう。
このサービスは育たないと思った俺の見立てが正しくあって欲しいという気持ちと、もしこれがグロースしたら「前職ではあの◯◯の開発をしていました」と言えるから、成長してほしいという気持ちもある。
あぁ複雑だ。
まあ結果としては成功しないんだけどね
1923 関東大震災
1925 治安維持法制定
1941 太平洋戦争
2011 東日本大震災
2013 秘密保護法制定
2020 東京オリンピック
ほぼ国家公務員しか対象にならない秘密保護法を、世紀の悪法「治安維持法」に見立てるのは無理がある。
この先の出来事も、このままいくと繰り返される可能性が高いかもしれない。
俺は、ここに素直に「自衛隊」を代入していていて、だからこそ、歴史は繰り返さないと思っていた。
戦前の軍部があれだけ暴走できたのは、大新聞と、その後ろにいる国民からの熱烈な応援があったからだ。
今の自衛隊は、国民からの支持率は高いが、メディアからは厳しい視線に晒され続けてる。
文民統制の規定もあり、自衛隊の暴走は不可能に近いし、その動機もない。
三島由紀夫が切腹した頃から、自衛隊はすでにサラリーマンだし、国家に対して反乱を企てるような集団じゃない。
じゃあ誰が「軍部」になるのか?
3.政府の予算の中で「聖域化」され、誰もその関連予算を削れない
この3つの要素を、今持ってるのは誰か?
俺は、現代においては「高齢者」が、戦前の軍部の役割を担うんじゃないかと思った。
そう考えていくと、辻褄が合い始める。
まず、マスメディアにボロクソに叩かれてるアベノミクスだが、あの政策には元ネタがある。
高橋是清が、4度目の大蔵大臣に就任した際に行った金融政策だ。
高橋是清は、井上蔵相が起こしたデフレによる不況を止め、緩やかなインフレを起こすために、積極的な財政出動と「金輸出禁止」による円安政策を行なった。
1931年の話だ。
この政策で国の景気ははっきりと回復へ向かったが、高橋是清は関東大震災以降の支出超過でこれ以上の財政出動が危険だと理解していて、財政健全化へと舵を切った。
要は、震災対応と財政出動で金を使いすぎたから、軍事費含めた国の予算を軒並み削減して、なんとか国の赤字を減らそうとしていた。
これに反抗したのが、当時の軍部だ。
軍部のうち皇道派と呼ばれる人間たちは、富裕層だけに味方している(ように見えた)高橋是清のことを、「君側の奸」と吐き捨てた。
こんな政治家のことは天皇陛下もお嫌いのはずと「忖度」して、クーデターを起こし、殺害した。
世に言う、二・二六事件だ。
高橋是清が殺害されたことで、財政健全化政策も、金融政策も完全に止まった。
あと一歩で回復するかもしれなかった日本の景気は腰折れし、高橋是清が削ろうとして叶わなかった軍事費は、どんどん膨張した。
結果として、財政がどうにもならなくなった日本は、景気回復を「軍部による戦争」にしか求められなくなり、支那事変を引き起こす。
話を現代に戻そう。
「宮内庁、毎日『陛下 公務否定に衝撃』報道を否定 有識者会議意見に不満のご発言『事実ない』」
ただ、ここで重要なのは「マスメディアが、天皇陛下を利用して、政府批判をはじめた」ということだ。
「陛下の心を傷つける専門家会議とそれを主導する安倍晋三は、君側の奸だ」ってわけだ。
こんな、戦前軍部の「皇道派」みたいなことを言う人間が、この現代日本に現れた。
俺は、このニュースを見て、本当にまずいんじゃないかと思った。
安保法制の騒ぎの中で分かったことは、「安倍政治を許さない」とデモをしている人たちには、高齢者が多いということだ。
Twitterなんかで確認する限り、毎日新聞の例の記事も、高齢者らしき人々の中では評判が良く、拡散されているようだ。
安倍政権の支持率は、これまた高齢者に支えられるテレビメディアからの「森友学園」「加計学園」の連続スキャンダル攻勢で、確実に落ちてきている。
俺には、現代の安倍晋三が、戦前の高橋是清と同じ役割を担っているように見えた。
安倍晋三が高橋是清ほど良い政治家かと言われたら正直疑問だが、少なくとも、同じ役どころが回ってきてるようには見える。
これから、マスメディアとそれを後押しする高齢者の力で安倍政権が倒れた場合、日本は、戦前の二・二六事件後と似たような空気になるんじゃないかと思う。
選挙で圧倒的な力を発揮する高齢者に関わる社会保障費を、政治家は、誰も削れなくなる。
膨張した社会保障費が五輪準備費を圧迫し「オリンピックなんて中止すればいい」という声も出始める。
国内だけでは財政の課題を解決できないと判断した国は、「海外」に目を向け始める。
みんな、安倍晋三が「ヒトラー(独裁者)」で、自衛隊が「軍部」の役割を担うと思って警戒してるけど、その形なら、ちゃんと止められるんだよ。
そのパターンは、一回やってるから。だから、どんな馬鹿にもその危険がなんとなく想像できて、歯止めをかけられる。
じゃあ、なんで歴史が繰り返されるのか?
要は、「役者が変わってるから、同じ演目をやってるって気づかない」んだ。
みんな、軍(自衛隊)と独裁者(首相)に注目しておけばいいと思ってる。
でも、そうじゃないんだよ。軍はもう、警戒されてるし、批判もできる。
俺たちが見なきゃいけないのは、今この日本で「政治家が批判できない、聖域化しつつある人たちは誰なのか」ってことなんだ。
俺は、東京オリンピックが2020年に開催できる可能性は、50%くらいだと思ってる。
この1年の政治の動きによっては、「何らかの理由」で、オリンピックが中止される未来が、本気であると思ってる。
たぶん、真正面から高齢者を悪者にしてるこの説は、マスメディアには絶対に載らない。
今、この国が瀬戸際に立ってるってことを、なるべく多くの人に知ってほしい。
あれはお笑い芸人をアイドルとして扱うムーブメントの一つだったとみなしている。
・数分の鑑賞に耐えられること
という縛りが一応存在していて演芸番組としての体裁は保っていた。
駄洒落というお題目に沿ってその番組のためだけにネタが用意される。1組に割かれる時間は長くて一回30秒ほど。
であるボキャ天は、お笑い芸人が演劇を披露するというよりも、芸人をプレーヤーに見立てたゲームという色合いの方が濃い。
(この数秒で芸人が立ち代わり入れ替わり登場するシステムは、細かすぎて伝わらないモノマネ選手権で今も健在だ。)
僕からすると90年代は吉本印天然素材や電波少年での猿岩石など、未熟な若手をアイドルのフォーマットに当てはめて売り込もうとする風潮が存在したように見える。
そしてそのムーブメントはオンエアバトルの放送やM-1の開始で、観客が「本格嗜好」となったために下火になったのではないだろうか。
「せめんだる」は、山口県山陽小野田市のつねまつ菓子舗が製造する菓子。
当時、セメントは樽に詰めて出荷されていたことより、もなかをたるにセメントを餡に見立てた山陽小野田市を代表する銘菓。
北海道産大納言を使用し、職人の手によって粒よりにていねいに炊き上げられた餡がすきまなくたっぷり詰まっている。
昭和30年代にたる最中から「せめんだる」と改称し商標登録された。
他に産業に因んだ銘菓として横浜市久里浜に「発電もなか」、山陽小野田市に火薬工場があることから「ダイナマイト羊羹」が
あったが、いずれも現存しない。
姫路銘菓「玉椿」を製造している伊勢屋は、元禄年間(1688年~1703年)に開業し、天保年間(1830年~1843年)に家老河合寸翁の
推挙により、江戸で菓子を学び、姫路に戻った後、藩の御用菓子商となりました。
代表商品の「玉椿」は、藩主酒井忠学と11代将軍徳川家斉の25女・喜代姫との婚礼に当たって作られ、河合寸翁が命名したと
薄紅色の求肥(練って作る餅の一種)で、しっとりした黄身餡を包み込み、粉糖をまぶし「椿の花」に見立てています。
小豆の中でも栽培の難しい「白小豆」を原材料として用い、香り豊かな風味と上品な甘みは、菓子としての風格を
時間帯 | 増田投稿数 | 総合ホットエントリ数 | 総合ホットエントリのファーストブクマ | カテゴリ別ホットエントリ数 | カテゴリ別ホットエントリのファーストブクマ |
---|---|---|---|---|---|
0 | 718 | 8 | 23 | 31 | 64 |
1 | 523 | 5 | 6 | 20 | 26 |
2 | 393 | 3 | 2 | 12 | 10 |
3 | 257 | 1 | 3 | 7 | |
4 | 187 | 1 | 2 | 3 | 5 |
5 | 147 | 2 | 1 | 8 | 5 |
6 | 230 | 3 | 1 | 4 | 5 |
7 | 328 | 4 | 3 | 8 | 4 |
8 | 473 | 2 | 2 | 8 | 7 |
9 | 642 | 2 | 1 | 16 | 12 |
10 | 879 | 3 | 21 | 14 | |
11 | 840 | 9 | 8 | 22 | 22 |
12 | 909 | 7 | 9 | 30 | 32 |
13 | 951 | 14 | 7 | 30 | 19 |
14 | 894 | 10 | 11 | 30 | 25 |
15 | 995 | 7 | 5 | 23 | 26 |
16 | 858 | 10 | 8 | 29 | 21 |
17 | 909 | 6 | 8 | 26 | 24 |
18 | 966 | 15 | 7 | 38 | 24 |
19 | 856 | 10 | 11 | 32 | 28 |
20 | 879 | 6 | 9 | 30 | 35 |
21 | 927 | 8 | 12 | 43 | 48 |
22 | 784 | 12 | 11 | 38 | 31 |
23 | 905 | 15 | 14 | 45 | 56 |
数字そのままだとピンとこないだろうから表計算に放り込んでグラフを描いてみると分かりやすい。
http://anond.hatelabo.jp/20170424175634 に否定的なトラックバックを送ってしまったけど、午後7時の方はそんなに悪くない見立てでした。午後6時のほうがベターのようだけど。
http://b.hatena.ne.jp/entry/332122548/comment/locust0138
「党派性に縛られた人間には世界は見たいようにしか見えない。「ニセ科学批判者はエア御用、ネトウヨ、自民党支持」みたいなことを言い出したのは誰だろうか。」
ほうほう、そうですね。おっとこんなところにおもしろいブクマコメントが。
http://b.hatena.ne.jp/entry/315597197/comment/locust0138
へええ、locus0138なる人物は、いったいどういう党派性に縛られて、世界を見ているんでしょうね。
真面目なことをいうと、ニセ科学批判の大物勢についてはそれほど言動に問題のある人はいなくて(キクマコはわりに例外)、その周囲を取り巻いている人間のウヨ度・クズ度が高いというか、「ニセ科学批判を持ちネタのひとつにしてるネットチンピラ」がいろんな評判を落としているんじゃないかというのが個人的な見立てなのだが。
さっきいっこ書いたんですが、全然伸びてないので、よければ読んでください。
http://anond.hatelabo.jp/20170412122218
あ、ブログを作る気はありません。
さて、タイトルの話です。
前に大門みきしさんがオススメだと書きましたが、彼の質疑についてです。
http://anond.hatelabo.jp/20170410114012
大門さんは、税制、財金問題については、おそらく政治家の中でも相当詳しいので、質問の仕方もどちらかというと講義+質問といった様相になることが多いのですが、今回ご紹介する4月5日の消費者問題に関する特別委員会、4月11日の参議院財政金融委員会で、ジャパンライフによるマルチ商法の追及もすばらしいものでした。
大門さんは滑舌があまりよろしくないので、ちょっと聞きにくいかもしれませんが、オススメです。
http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/index.php
の4月5日、2:34分ごろから
どうぞ。
他の議員でもそうですが、議員も質問の答えは基本的に承知していることが多いんですが、
「うちで、ジャパンライフルートで入手した、水庫メモというのがありましてですね」からのところ(4月5日、2:50ぐらいから)
でどよめく感じ。
献金リストももってそうなので、掘ってみると面白いかもしれないですね。
「こりゃ闇があるわ」
とつぶやいているのが拾われているのも面白かったです。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-04-06/2017040615_01_1.html
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-04-12/2017041215_01_1.html
そもそもマルチ商法が抜本的に規制されないことについて、マルチ商法業者と天下り官僚との関係、政治家に献金等を繰り返していることが影響しているのではないかという指摘です。ジャパンライフの代表の山口隆祥は日本のマルチ商法の最初期から活動している、麻生太郎さん曰くの「有名人」でして、もう何度も何度も業務停止命令や有罪判決を受けているので、行政、政治家対策、社会的認知の向上のために、本当にいろいろとやっているわけです。その中で加藤勝信大臣と会食して、その様子を広告塔にしたりして、顧客に安心感を与えているという指摘で、マルチ商法の被害者が増え続けていることをちゃんと考えろといっているのですね。
大門さんは、マルチ商法の連続取引自体を規制せずに、訪問販売という商取引の形態のみを規制して、店舗でやるのをお目こぼししている状況になっていることと、経済産業省の官僚OBが天下っていることが影響しているのではないかと、こう整理しています。
民進党の矢田わかこさんも質疑されていたのですが、ジャパンライフに消費庁出身の水庫さん、経産省のキャリア組出身の松尾さん、元特許庁長官の中島誠さん、元内閣府官房長の永谷安賢さんが天下っていると。そんなズブズブの組織の指導に手心を加えずにいられるのか、という指摘です。
ちなみに、この山口さんは政治家業界にふかく、深く入り込んでいるので、いろんなところで名前を見ることができます。大門さんも指摘されている、ライフサイエンス財団に出資して、社会貢献もしてるよ、という顔もしていますし、日本文化協会のような日本会議の加瀬英明が代表をつとめる組織でも、永谷安賢さんと一緒に名前を連ねています。
大門さんは今後もこの問題を追及するとのことですが、マスコミにも当然大量の広告出稿をしているので、一般マスコミではなかなか騒がれないというアレなので、ぜひNHKのストップ詐欺被害、私はだまされないで扱って欲しいところ(違。
ちなみにジャパンライフは被害者への口止めにも力を入れているようですが、おそらくSEOも相当やっていますね。検索結果が笑えるぐらい穏便w
「お花見でもして浮かれているんじゃないの?」と母親が留守電にメッセージを入れていた。
物凄く腹が立ったが、冷静に考えて納得したことがある。
こういう性格の親に育てられたら、そりゃあ自己肯定感なんて持てる筈がないという事に気付いたのだ。
統合失調を患い入院してた母が、病棟から電話を掛ける様になってきた。
入院当初は文法もまともじゃなく、四六時中幻聴に取りつかれていたようだが、
最近は薬の効果があるらしく、比較的会話が成立するようになってきた様だった。
しかし相変わらず病識はなく、会話の中で彼女の敵が現れ、悪い事をされている妄想がたまに出る様だが、
数年前の最低限の社会生活ができていた頃の状態にまでは戻っている様な印象を持った。
先日「春物の服が無いから持って来てくれ」という要求があった。
多少の回復を喜びつつも、男の見立てで申し訳ないが、女性用の服やら、見舞いの品を持って行った。
見舞いの際は服も差し入れもとても喜んでくれ、会話も比較的まともになりつつあり、それなりに喜ばしい時間を過ごして戻ってきた。
医師やケースワーカーさんとも話したが、やはり今後も病識をもってもらう事は難しそうという見解だった。
しかし、入院時の完全なる狂気の状態は脱している様で、これからどうするか、という事も徐々に考え行きましょう。
という事でその日は帰った。
なんでも持って行ったパンツやらスカートのサイズが合わない、気に食わないという不満の表明と文句が延々と入っていた。
そして最後に「お前は、花見でもして浮かれてるんじゃなの?」だからからまともな服を買ってくることもできないんだろ、
自分の意図に沿わない服を届けられただけで、その相手に対し「花見でもして浮かれてるんじゃないの?」と言い放つ。
病気の症状が軽減されて現れたのは、かつて自分が嫌った親の姿だった。
ああそうか、そうだった、こういう人だった。
こちらの苦労や意図など全く無視して、自分の都合でしか物事を考えず、自分が常に正しいと考え、
自分を省みる事がないから、周囲の人間を傷つけ、呆れられ、孤立する。
何かをやろうとしても、母の意図に沿わないと否定され、激高し、ののしられる。
そのようにののしられて育った記憶がよみがえり心がざわついて仕方がない。
そんな親に育てられた子どもの頃の自分は、きっとけっこうかわいそうな部類だったのだろう。
でもだからこそ、今、自分を認めてくれる人を大事にしようと思うし、
自分を必要以上に否定する必要もない事に改めて気付く事ができた。
母との溝は絶対に埋まることはないだろう事を改めて予感しながら
創作活動に人一倍憧れているのに俺には技術も無ければ楽しむ心も無い。
下手クソな漫画を描いている友達を「ネットでもっと上手くて面白い漫画が読める」と嘲笑った。
歌い手志望とか言ってる奴の下手クソな歌を「プロで活動するアーティストの足元にも及ばない」と嘲笑った。
つまらないフリーゲームを「コンシューマーには素晴らしい作品がたくさんある」と嘲笑った。
数年後、俺が嘲笑って来た人間は努力を重ねて何人も成功していた。
何も技術を持たず、何処から目線で創作活動を行うアマチュアを叩いて生活する日々。
プロが作る作品をたくさん見て、憧れて、見当違いな理想を掲げ、自分の技術とのギャップで苦しみ、挑戦する人を杭に見立てて打つ事で気を紛らわせて来た最低な人生。
常に周りからの評価を気にしてしまい、評価されない自分が情けなく、そして挑戦する事を恐れずに表現をして来た人達に対する罪悪感から創作に対して強いコンプレックスを感じるようになった。
書き起こしは嫌なので詳しくはラジコなどで聞いてほしいのだが、
簡単にまとめると、レゴランドの話を枕にして、レゴは四角いブロックを見立てるものであると思っていて、専用パーツやレゴランドのゴーカートに疑問を持つという話をしていた
繰り返すがコレでもニュアンスは変わってしまっていると思うので、実際何を言っていたかはラジコなどで聞いてほしい
この伊集院氏の話を聞いている内、レゴ好きのはしくれとして寂しい気持ちを抱いてしまった
件のレゴランドについて、デマを撒き散らす連中や新しいおもちゃを手に入れたかのようなまとめサイトは気に食わないけど、テーマパークとして魅力を感じるかと言えば個人的には感じない
レゴランド・ディスカバリー・センターの大人一人での入場禁止などレゴの日本での展開(これは本社ビルンとレゴジャパンどちらが悪いのかわからないが)常日頃からポツポツとした不満を抱くところはある
レゴの楽しみ方の本質が見立てにあるというのは自分もそう思うし、4年前に亡くなられたアジア唯一のレゴモデルビルダーだった直江和由氏も、なるべく基本ブロックで表現することにこだわられていた
自分が寂しく思ったのは、不満もあるけど真摯に人々を楽しませようと考えているLEGO、そして今のレゴやレゴランドを楽しんでいる人々へのリスペクトが無かったことだ
伊集院に何を期待しているんだと言われるかもしれないが、伊集院氏はそういった気遣いを常に考えている人だと思っている(本人は予防線を張っているだけと謙遜するかもしれないけれど)
それだけに日本で「レゴが好きな人」というのは可視化されないくらいの少数派なんだなあと感じてしまって寂しかった
別に伊集院氏に発言を撤回してもらいたいとか、そういうことは思わない
ただ、宇宙のアンテナをおしゃれなカフェのパラソルにしたり、ヒーローのバットマンに海賊船で下働きさせることだってできる今のレゴだって、とても楽しいのだということは
一昔前まではエッセイ漫画というのはやたらその手の才能に恵まれた人によるものか、あるいは平々凡々な毒にも薬にもならないつまらないものしかなかった。
エッセイ漫画は元々わかりやすい意味での画力や構成力を要求するジャンルではない。出版社のほうで「あ、これ面白い」「あ、これネットでウケてる」となったらポンポンとポン菓子のように出版する。
一般人の99%が体験したことのないオリジナルな体験、それのみが求められるジャンルだ。
あまりに安易な出版ハードルのせいで、四コマ以上に魑魅魍魎が蔓延っているというか、頭のおかしさ具合でいけば一頃のマイナーホラー漫画誌といい勝負な煮詰まり具合になってきている。
で、目につくようになったのは「どう考えても描き手のキャラクターが歪んでいる」案件。
エッセイ漫画は8割がカルチャーショック漫画であり、「フツーに常識人なワタシが非常識な蛮族と出会ってビックリする」ものが多い。
まあ多分大方の人は何も考えずにそういうテンプレに則ってるんだろうけど、
そのせいで「いやいや、おまえが他人を非常識人/悪人あつかいしてるけど、おまえのが全然やん」というケースが続発している。
才能ある漫画家・エッセイストはもとから強烈な個性を有している傾向が強い。そのなかには人好きしない性格の方々もいる。
しかし雑誌や新聞に乗るようなエッセイ漫画は編集者のほうでチェックがかかっている。だから、いくらめちゃくちゃやってるように見えてもバランスとしては非常にオトナな範囲に収束する。
ところがネット発のエッセイ漫画はまずそういうブレーキを踏まない。
歪み具合はピンからキリまで存在する。一目見てわかるものから、微細な証拠をつみあげないと判定できないものまで。
メンタル系の闘病日記みたいなのはわかりやすい。歪んでいることが前提であるぶん、むしろ期待通りというか正常なのかもしれない。初心者はこういう漫画で、「作者の記述する世界と客観的に観察されるであろう世界とのズレ」を想像するトレーニングを積もう。作者自身が歪んでいること前提で描かれたものも多いので、チュートリアルみたいなものだ。
次にわかりやすいのは恋愛/結婚生活系だ。結婚生活においては誰もが狂人であるが、なかでも「俺が常に正しくて、相手がいつも悪い」というメンタリティを持っている作者が狙い目。こういう人間は無垢な自分を被害者に見立てた失敗談として、あるいは非常識な相手を怪物に見立てたホラーまじりのギャグとして、よくエッセイ漫画を書く。他者をネタにして利益を享受をしているにもかかわらず、その世界に他者はいない。
インターネットで鍛えたあなたの悪意感知センサーを発揮して、作者の嗜虐心をすみずみまで読み取ろう。
なんだか目隠しをして像をなでるような文章になってしまったが、作品例を挙げることしない。
http://pso2.jp/players/support/measures/?id=10697
今まで数々のゲームが落ち目になるのを的中させる日記を書いてきた俺の見立てでは
PSO2はネトゲRPGであるMOで、破棄対策とはクエストの途中で自由に破棄できていたものが今後ペナルティが付く処置がされるということ。
・廃人:職業アークスなどとも言われるが要は物言わぬ廃人たちだ
・準廃:能力的にも精神的にも廃人を下回っているが他人を中傷して粋がっているタイプ
・寄生or放置:自覚・無自覚問わずにろくに装備を整えずに他人任せの戦力外でRMTなどもこれに含まれている
それを避けるためにプレイするためのブロック移動さえ発生している状態だ。
基本的な総意として誰も寄生や放置と一緒にプレイしたくないと考えている。
【PSO2にはキック機能がないし、通報しても対処してくれない】
しかもキャプチャを取って通報しても放置だけでは運営は対処しない。
ここに暴言等がセットになればBANされることは確認しているが、
ただの放置や弱い装備による戦闘に参加しない行為については運営は対処しない、一切。
だから前述したブロックごと移動してマッチを避ける現象が起きている。
破棄することで有名寄生プレイヤーに貢献することを拒否できていた。
これには現状でも受注にリアルな時間制限のあるクエストの周回数が減るなど、
間接的なペナルティはあったようなもので破棄行為自体はもろ刃の剣だった。
【今後は破棄する側に破棄したクエストを再受注できなくする措置】
実装予定のペナルティは、破棄したらその時間に開催しているクエストは二度と受けさせないというものだ。
つまりどんなに無能が集まっていて放置寄生されたとしても我慢して育てろ、介護しろということだ。
これは真面目にゲームを楽しもうとしている側のみに不利益が働くためゲーム環境を破壊すると予想している。
これがもし破棄側がクエスト進行の妨害目的で行われていたという前提があれば納得できるが、
真面目なプレイヤーと同じブロックに入れてしまうということが根本的な問題なのだ。
腕前や装備による住み分けができていないからこそ放置寄生はどこにでも入り込むことができる。
漏れを防ぐなら当然ではあるが、そうなるからこそ意図的ではないにも関わらずこの変更で泥をかぶる人間がいるということだ。
この変更で誰が得をするのかというと破棄されて困るような装備でくる寄生・放置プレイヤーだけである。
敵を誰が倒しても同じ経験値とレアアイテムをもらえるPSO2は
無理にPTを組む必要がないため、煩わしい付き合いなどをしなくていいのが利点だ。
しかし寄生・放置側に一方的に有利な条件がここに加わってしまった。
ここからの環境の変化予測を2ちゃんみたいにざっくばらんに書いておこう。
・寄生、放置が同席者を煽ったりそれを真似する愉快犯が出てくる
・寄生と放置に同席しないように固定メンバーで限定クエストに挑むプレイヤーが増える
・結果、野良には固定に呼ばれない腕前orコミュニケーションの一般人と寄生放置の割合が日増しに増える
・もはや固定メンバーを組めなければまともなゲームを楽しめないデザインになる
・フレンドやチームとの関係性を保つことがゲームをする上での最低条件として追加される
・気軽にやっていたプレイヤーにとっては余計な時間コストが追加される上にそれを拒否すればまともなゲームができない
・まず気軽にやっていた層が離れる
・新規で入ってきたプレイヤーも寄生放置や弱いプレイヤーを宛がわれる上に破棄できないからストレスが溜まり離れる
・当然収益が下がってゲームのボリュームも減り辞めたものは帰ってこずに自然消滅
まず破棄されて困る人間っていうのが寄生放置くらいしかいないっていうのと、
破棄が多いなら同じくらいの腕前同士でマッチングするように住み分けをするのがまず先なはずだ。
運営の「上のプレイヤーが下を面倒見るべき」理論は昔から割とあって、
生放送でも新規プレーヤーが増えないのを上のプレイヤーが誘導しないからだと愚痴っていた。
いやいや、違うだろ、と。
今残ってる既存プレイヤーたちは自分ら個人としてPSO2の魅力に気づいたから残っているんであって
誰かから強制されたり、何かルールによって残らされたプレイヤーなんてまずいない。
それはPSO2がコンテンツとしての魅力があるからこそ成立する誘導力であって、
最初の案内やチュートリアルが雑だったり改善点あるにもかかわらず人が居付いた理由になっている。
なのにその自身のコンテンツによる魅了を追加することよりもプレイヤー側に責任を擦り付けるのは違うだろうと。
あまつさえ破棄ペナを用意して下の面倒を見ろと言わんばかりの変更をしてくるのは違うだろうと。
PSO2は1人でも楽しめるからこそここまで大きくなったのに、最近では余計な人と人との繋がり推しが目に余る。
そういうのはプレイヤーが自発的にすることに意味があって運営が用意して強制するべきではない。
そういった調整は余計なしがらみを産むし、それを嫌った人間が居付いた先がここであるPSO2だというのに。
メンバーの固定化を加速させるようなことをしたらむしろ新人は候補にならないため余計に下が割りを食うことになる。
その予想ができているのだろうか?
このまま「お前らが新規の面倒をみろ」というスタンスを示され続けると間違いなくPSO2は死にコンテンツに向かう。
数十万円は使ってきただけにあと2・3年は楽しみたかったが、来年まで楽しめるかどうかだいぶ怪しくなってきた。
サイレントマジョリティの影響力の方が圧倒的にPSO2内では強い。
私の街では、
雪下みかんを投げ合うのが恒例ね。
雪下みかんって言っても、
この時期、
山の方には雪がたくさん降るから、
2年も寝かせるんだって!
まるでイタリアのパルミジャーノ・レッジャーノチーズみたいね!
鬼はーそとーってやるのよ。
トマト祭ばりに投げ合っての、
鬼退治バトルロイヤルではないんだけど、
どっちかというと、
まあ、振る舞いみかんよ。
って言ったあと、
鬼は内、と言いつつ福は外とかのパターンなのよ。
鬼を内にいれ改心させ、
福は外でよそにも福が行きますようにっていわれみたいよ。
ふーん、って感じね。
私も何個か振る舞い雪下みかんをもらったわ。
でもとってもジューシーよ!
でね、イタリアでは
あの何十キロってある、
パルミジャーノ・レッジャーノチーズを大砲で撃って鬼退治するっていうから
イタリアの鬼も大変よね。
食べたら美味しいけどね!
うふふ。
オムおにぎりと迷ったけど海の幸満載感の鮭とシラスのにしました。
いい加減ワンパターンだけど。
また今朝も雪がちらついてるわ。
すいすいすいようび~
小6の息子がめでたく中学受験を終えたところ、通っていた塾から「受験体験記」の執筆依頼が来たのだが、1200字程度で収めないといけないらしく、思いの丈の全ては到底書ききれないので、その下書き代わりにこちらに字数制限なしで書こうと思う。
それに、どれだけうまく1200字に収めようと、自分がこれから書く内容はきっと塾の受験体験記集には採用されないので、せっかく書くのに日の目を見ないのも切ないという事情もある。
そもそも自分は中学受験の必要性を何ら感じていなかった。気軽に通える範囲に私立中学などない田舎で育ったし、気合を入れて遠距離の私立中学に通わせようとなどという教育熱心な家庭でもなかった。
通った近所の公立中学は荒れていた。不良な上級生が授業時間中に教室外にたむろして騒ぎを起こし、先生一同でそれに対処するために授業が中止になることや、校内を卒業生がバイクで走り回るなんてことはザラにあった。
力の強いやつが偉い、という暴力的な世界ではあったし、自分はクラスで一番のチビというハンディもあったが、それでも気の合う友人もできたり、部活に精を出したりと、自分なりに楽しく過ごせた3年間だった。
その後も地元では一目置かれる県立高校に進学できたし、大学も東大・京大ほどではないが、世間的には高く評価されるところに現役で合格することができた。
自分自身がこのように特に不満のない経歴をたどることができたので、公立中学に対するネガティブなイメージもなく、息子についても近所の公立中学への進学で何の問題もないと考えていた。
私立派と公立派は基本的には分かり合えるものではないと思ってる。何しろ、1人の人間が私立中学と公立中学の両方に通うことは基本的にはないのである。公立中に通い、そこでの生活に満足した人は公立派になるし、不満足ならアンチ公立派=私立派になる。私立中に通った人も同様である。両者を公平かつ客観的に比較するのは難しく、どうしても主観が入り交じる。
4年生の終わりくらいに中学受験のための塾に通う話が持ち上がってきた。自分は公立派ではあるが、それでも塾に通うことに反対はしなかった。
先に述べた通り自分は田舎の狭い世界で育ち、教育熱心な家庭でもなく、例えば東大のような高い目標を目指したりすることもなかった。
息子は幸い勉強の才能に恵まれ、昔の自分よりは頭が良さそうなので、ぜひ広い視野と高い目標を持ってもらいたいと願った。中学受験塾は、頭の柔らかい小学生のうちから高度な勉強をして脳みそを鍛えたり、世の中には自分よりも頭の良いやつがたくさんいることを知るのには良い場所だと思ったのが、塾通いに反対しなかった理由だ。
最終的に私立中を受験するかどうかは自分にとって重要ではない。勉強するだけ勉強して、受験せずに近所の公立中に進んだって何の問題もないと本気で思っていた。
しかし息子本人はやはり段々と私立派に感化されていった。母親は絶対私立派、父である自分は公立肯定派ではあるが私立も別に否定はせず、そして当たり前なことに塾に通う友達はみな私立派。塾の先生は...言わずもがな。
仕方ない、分かった。私立に行くのは構わない。で、どの学校に行きたいんだ?
当時の息子の塾での成績からすると、その学校はちょっと高望みであった。一方、自分が見込んでいる息子の潜在能力からすれば、合格レベルに達することは可能だし、追い込んで勉強させれば御三家を超える最難関中学すら可能性はあるという思いもあった。
聞くところによると私立中学の人気というものは、どうやら併設の高校の東大合格者数の増減に大きく影響されるらしい。しかし自分の考えでは、東大合格者数に大した意味はない。難関私立中高の東大合格者数が多いのは、教育力が高いからではなく、東大に合格できる素質を持った生徒を選抜するからである。それにどれだけ多くの同級生が東大に合格しようとも、その中に本人が入ることができなければ、その指標には何の意味もない。逆に、素質があって、実力を高める努力を怠らなければ、どの学校に進学しても東大は狙える。
「中学に合格した直後が自分の人生のピークでした」という話しをいくつか聞いたことがある。親が積極的に介入して受験勉強に追い込み、より難易度の高い学校に合格させることはできたとしても、それで燃え尽きてしまっては何の意味もない。
本人がやる気になるような声掛けや仕掛け作りはしたが、無理に勉強させることはしなかった。そもそも教育熱心な母親というものは一般的に「勉強しなさい!」と口うるさく言わずにはいられない生き物なので(偏見)、そこで父親まで同じことを言ってはいかんだろう、という思いもあった。
人生のピークはもっともっと後に来なければならない。そのためには中学受験ごときで限界まで追い込む必要はなく、いくらかの余裕をもって終えるくらいがちょうどいい。
息子が御三家校に行きたいという理由は、本人に言わせれば「文化祭を見学して自由な雰囲気が気に入った」ということらしい。しかし文化祭や体育祭というのは「特別な日」であり、それだけ見てその学校のことを理解するのはほぼ不可能である。
だいたいその理由すら本当かどうか怪しい。たまたま一番最初に見学に行ったのがその学校だったので、一番強烈な印象を受けたのかもしれないし、母親が勧めたのを鵜呑みにしたのかもしれない。あとは塾の同級生である。親から刷り込まれた学校観を友達に披露するような子もいたのではなかろうか。
いずれにせよ、中学受験において男女御三家というのは正義である。
しかし公立に行けば払う必要のない大金を払わされるこっちの身からすれば、偏差値やステータスなんてものには何の興味もなく、払うからには最も高い実利が得られる学校を選びたいと思うのは当然である。
息子本人が言う志望校なんぞ当てにならん。行く価値のある学校を自分で見極めることにした。
6年生の春になってから、候補となりそうな中学の学校説明会にはことごとく足を運んだ。普通はもう1年くらいは早くこういうことをするらしいが、まあその時は自分が中学受験に興味を持っていなかったので仕方ない。
正直言うと、それまではどの学校も大した違いはないと思っていた。しかし校長の話しからは教育に対する信念や熱い思いが伝わってきたりこなかったり、個性的なカリキュラムを持つ学校があったりと、それまでの自分の考え方は誤っていたことに気付かされた。
なるほど、これが私立か。
確かに高いお金を払ってでも通わせてやりたいと思う魅力的な学校がいくつかあった。難易度も低くはないが、届く範囲。そして息子の志望する御三家校は、魅力的ではあるが上位ではなかった。
さあ、本人を説得だ。
仕事でクライアントを説得するかのようなプレゼン資料を作り、リビングのテレビに映して、自分の気に入った学校に誘導するプレゼンを行った。
学校選びに関する様々な観点を提示し、各候補校のメリット・デメリットを説明した。内容を正しく理解すれば、自然と自分の勧める学校が第一志望になるはずの渾身のプレゼンである。
そしてプレゼン終了後に改めて息子に志望校を尋ねたところ、あっさりと従来からの御三家校の名前を挙げた...。自分のプレゼンは何の効果も発揮しなかった。
説得を諦めるわけではないが、気分良く勉強してもらうために、ここはいったん退くことにした。最後の最後に説得が成功すればいい。
夏休みが明けると生活は受験一色になった。1年生から続けていたスポーツクラブは休部した。塾通いはそれまでは平日2日+土の週3日だったのが、日曜も加わり週4日になった。
しかし、塾以外での勉強時間は特別に多いわけではない。多くのアドバイスによると、朝は早起きして勉強すべし、と書いてあるが、それは結局無理だった。息子はどうやら夜型人間で、夜は11時、12時まで勉強して、朝は学校に行くギリギリの時間まで寝るというスタイルに落ち着いた。自分も夜型だから理解はできたし、それも個性だと割り切ることにした。
テレビやマンガもちょこちょこ見ていたが、それこそが必要な「余裕」だと思い、特に勉強に追い立てるようなことはしなかった。(自分は。妻は別。)
ちなみに中学受験は親子の二人三脚、とはよく言われるが、生活面はともかく、こと勉強に関して言えば完全に塾と本人任せ。机に向かっている間、何の勉強をしているのかも知らない有様。
しかしそれが功を奏したのかどうかは分からないが、塾での成績は徐々に上昇してきて、10月頃からは御三家校を完全に射程に捉えた。
その後は概ね合格圏内をキープ、上昇ペースが予想よりも2ヶ月ほど早かった以外は、ほぼ自分の見立てた通りのシナリオだった。
第一志望は相変わらず御三家校だったが、第二志望は父に義理立てしたのか、自分のお勧め校ということになった。加えて第三志望群に何校か。
この中で最も試験が早いのが第二志望の学校。定員が2つに分割され、試験は2回実施される。1月中に行われる1回目で合格することができれば、後はもう第一志望を受けるだけでよくなり、その後のスケジュールが非常に楽になる。
が、残念ながら不合格。
さすがに本人も多少はショックだったようだ。しかしここは切り替えが大事。
「失敗というのは、そこから学びがある限りは失敗ではなく、次の成功に必要な過程のひとつになるのだ。この不合格をそうできるかどうかは、この後の頑張り次第だぞ。」
午後に受けた学校は当日夜にインターネットで合格発表があり、めでたく合格!この学校も自分の評価は高く、本人もかなり気に入っていたので一安心である。
父お勧めの第二志望校に二度目のチャレンジ。合格発表は翌日朝。
受験会場まで息子を送り届けてから少し経った頃に、前日の第二志望校の合格発表の時間がやってきた。緊張しながらホームページを開く...息子の受験番号を探す...
うーむ、残念!父の目論見はここで潰える。
実のところこの学校、偏差値的には第一志望の御三家校よりも高いのである。ここを第一志望にして対策してきている受験生がたくさんいることを考えると、こっちは過去問をちょっと問いたくらいの準備で、まあ仕方のない結果ではある。
午前の試験終了後、息子と昼食を取り、気を取り直して向かうは第一志望校の合格発表。これまでの合否確認はすべてインターネットだったので、実際に掲示板を見に来るのは本人も自分も初めてである。
緊張の一瞬。
遠くから掲示板を見つめていた息子の顔が一瞬ハッとする。あれは自分の番号? 遠くてよく分からない。人混みをかき分け掲示板に駆け寄る。そして歓喜の瞬間。
合格。
父としては御三家校に合格したことよりも、息子が自分で立てた目標に向かって努力し、見事それを達成したことこそが喜ばしい。この成功体験はきっと今後の成長の糧になることだろう。
そして望外に嬉しかったのは、息子が「僕を塾に通わせてくれてありがとう」と言ってくれたこと。最近は塾で鍛えた脳みそをひねくれたことを言ってみたり、屁理屈こねることにばかり活用していたので、こんなにも素直な感謝の言葉をもらえるとは思ってもみなかった。
また、自身の合格を喜びつつも、残念ながら不合格だった塾の友人たちの気持ちを慮る言葉もあり、そこにも成長を感じとることができた。
自分としては第二志望校(父の第一志望校)不合格で、息子を説得する機会さえなかったのは少し残念ではあるが、合格した第一志望校も実のところ非常に魅力のある学校であり、本人の喜びようも見れば、きっと説得には耳を貸さなかっただろうし、自分もあっさり諦めたことと思う。
それに何より、自分がこれまで全ての場面でそうしてきたように、息子にも自分の人生を自分で決める権利があり、これはその第一歩だったのだ。
自由な校風を大きな特徴とするその学校で、大いに自由を謳歌したまえ。
(ただし高い学費の元は取ってもらわないと困る。)
来年以降受験するご家庭へのアドバイスなんてものはほとんどない。
息子の受験は成功裏に終わったが、自分の立てた受験方針や戦略はあくまでもその息子が前提のものである。下の子が数年後に受験することになるかもしれないが、その子はまた違う個性を持っているので、同じ戦略は使えないと思っている。
あえて言うなら、
以上、長文乱筆失礼致しました。
アラスカにはオーロラを見に2回くらい行きたいなと思ったことがあるんだけど、
いつか行ってみたいわね。
鮭とか美味しそうだし!
あーなたと食べたい~鮭茶漬けぇ~。
でね、アラスカには
干し芋であんこを挟んだ「アラスカ」って言う食べ物があるんだけど
なんでお芋かというと、
さすがに、そうとはいかないので、
それで作ったんだって。
食べてみたいわね。
ヒィヒィ系スウィーツ!
シベ超ならぬアラ超!
みたいな。
本場アラスカの鮭をくわえた木彫りの熊、
テレビの上に飾る置物好きには憧れよね!
そうそう!
家の前のバス停を逆にワイハ側に一日数ミリと近寄せていったら、
アメリカは広いわ~。
うふふ。
おにぎりを2つよ。
相変わらず味付き海苔は苦手。
ファビュラスな姉が好きかどうかは分からないけど、
やむなく、
でもヤムヤムヤミーよ!
さっぱりとした青菜がシャキシャキとした歯ごたえで美味しいわ。
ホッツ白湯に、ほんのりハチミツでスウィートさを加えた感じの、
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
“息を吸うように交わされるホモ行為。もう男同士で手を繋いだりハグをしたり顔を近付けたりは日常茶飯事で、最初は「これユーリやなくて、ホーモやないかーい!」と陽気なツッコミでエンジョイしていた自分も、回を重ねるごとに露骨になっていく描写に耐えきれなくなり、10話でエンゲージリングに見立てたペアリングを贈って疑似結婚式を始めたところで、完全にドン引きしました。このシーン、今思い出してもめちゃくちゃ気持ち悪かったです。
こうやって「気持ち悪い」とはっきり述べてしまうと、私はLGBT否定論者の差別主義者だと受け取られるかもしれません。しかし、私はゲイそのものに拒絶反応を感じているのではなく、ゲイではないくせに(認めていないくせに)ゲイを気取っている男どもが気持ち悪いと感じただけ。そう、これだけ勇利とヴィクトルの2人は同性愛を匂わせていながら、互いがゲイであることに一切言及しないのが問題なんですよ!
断言できますが、もし勇利がヴィクトルのことを真剣に愛した上で指輪を贈っていたのなら、私は気持ち悪さなど微塵も感じることなく、2人のことを祝福していました。セクシャルマイノリティであろうと、周囲に何ら引け目を感じることなく、実直に求愛できるのは大変麗しいこと。でも、勇利がヴィクトルに指輪を贈った理由には、「お守りだから」「お礼だから」という苦しい言い訳が入り、これだけ直接的な行為に及んでいながら、2人がゲイである事実から頑なに目を背けようとするから腹立たしくて。
10話放送後、作者の久保ミツロウさんはTwitterで「この作品を現実の皆さんがどのように思われても、この作品の世界の中では絶対に何かを好きになることで差別されたりはしないです。その世界だけは絶対に守ります。」と、差別主義者には屈しない! というスタンスで反論されていましたけど、作中でゲイであることを認めていないからとても滑稽に聞こえます。
本当にこの世界が、あらゆる愛情のカタチに差別が入り込まない世界であるなら、「その世界だけは絶対に守ります」と豪語するなら、どうして彼らはゲイであることをはっきり認めようとしないのでしょうか? 同性愛を肯定しながら、一方で師弟愛や友情を隠れ蓑にしてゲイである事実を誤魔化そうとするやり口は、とても卑劣で悪辣だと私は思います。ゲイに対して不誠実ですし、これこそ差別です。
結局、本音ではホモを匂わせて腐女子を釣りたいだけのくせして、差別がどうのこうのを持ち出して正当化させようとするから気持ち悪さを感じるのですよ。ユーリ!!! on ICEという素晴らしいアニメに対し、私はただひたすら絶賛だけがしたかったのに、こんなくだらないことに長文を割かなくてはならないのが何よりも残念です。“ttp://ndsk.net/anime/yurionice.html
本人はこれを差別だと自覚していないようですが、なぜ勇利らが「ゲイ」であることを認めなければいけないのか考えが足りなすぎるのでは
そもそも恋愛や性愛について「同性愛」「異性愛」「両性愛」「汎性愛」「全性愛」「無性愛」「ホモフレキシブル」「クエスチョニング」「ポモセクシャル」「ポリセクシャル」「バイキュリアス」「デミセクシャル」「オブジェクトゥムセクシャル」、、、、、と数限りない愛の形があるのに勝生勇利とヴィクトルは自分たちを「ゲイ」と認めなければいけないのかよくわからない
5話で
【僕の愛。それはわかりやすい愛や恋ではなくて、ヴィクトルとの絆や家族や地元に対する微妙な気持ち ようやく自分の周りにある愛のような物に気付く事ができました。はじめて自分でつなぎ留めたいと思いたい人、それがヴィクトルです その感情に名前はないけど、あえて愛と呼ぶことにしました】
彼の気持ちは「既存の愛ではない」と語られているのに、浅生大和(あそうやまと)氏はゲイかゲイじゃないかというふうにしか二人の関係を考えられないってこと?
【この作品を現実の皆さんがどのように思われても、この作品の世界の中では絶対に何かを好きになることで差別されたりはしないです。その世界だけは絶対に守ります。】
これについて
【と、差別主義者には屈しない! というスタンスで反論されていましたけど、作中でゲイであることを認めていないからとても滑稽に聞こえます。本当にこの世界が、あらゆる愛情のカタチに差別が入り込まない世界であるなら、「その世界だけは絶対に守ります」と豪語するなら、どうして彼らはゲイであることをはっきり認めようとしないのでしょうか? 同性愛を肯定しながら、一方で師弟愛や友情を隠れ蓑にしてゲイである事実を誤魔化そうとするやり口は、とても卑劣で悪辣だと私は思います。ゲイに対して不誠実ですし、これこそ差別です。】
一体どう解釈すればこのような文章を書けるのか疑問。てかホモ、ゲイと書いている時点で立派な差別なんだがな、、、
同性愛について見識深いみやきち (id:miyakichi) さんの意見も伺いたい
「あの物語の中で、「えんとつ町」というのはむしろ「狭い世界」です。」
言葉遊びはしなくていい
冒頭に「4000メートルの崖にかこまれ、そとの世界を知らない町がありました。」とあるでしょう?
町の外には「ホシ」というすばらしいものがあって、それを見つけに行く話です。
だから「えんとつ町=閉じられた狭い世界」で、そこから広い世界へ飛び出して行く話なんですけど、
「絵」を楽しむ絵本で、同じような絵柄のページが続くがマイナスなのは、当たり前ですけどね。
意図的にそのようにすることもありえますけど、この絵本ではそのような意図は私には見受けられません。
その必要性があるとあなたが思うのならば、あなたの見解を教えてください。
「「君の名は。」に対する「監督は高校時代に楽しい恋愛をしたことがない」の解釈が駄目なのは、それは事実と反するからです。」
ソース出せよw
あなた、何にも知らないで言ってるんですね。
この記事をどうぞ。
http://lite-ra.com/2017/01/post-2839.html
「コミュニカティブ(話し好き)で何人もの女のコと付き合っていたりなんてことはなかったですが、逆に女のコとの総会話時間が10分で、その鬱積を創作活動にぶつけていたとか、そういったこともなかったんですよ。残念ながら中途半端な学生生活でした(笑)。両極のいずれかに突き抜けていれば、ネタとして面白かったんでしょうけどね」
作品しか見ない読者にとっては知ったことではありません。その通りです。
表面的な読み解きしかしない人は、表面的な評価しかできないでしょう。
でも、私は作品の周辺情報を含めて読み解き、解釈をし、あのような評価をしました。
あなたは「作品単体への評価にはなんの影響も無い」と言いましたが、
そもそも、私は「作品単体」のなかにある主張に対してしか、否定的な評価をしていません。
「自分の実力以上に、上から目線の物言いをするから西野は叩かれる」
これはなんだ?
根拠無いんですけど
https://www.youtube.com/watch?v=cdXj6sTKf_A
「(ディズニーを倒すまで)あとチョイだな、ぐらい」
https://www.youtube.com/watch?v=cdXj6sTKf_A
「いまコイツ(ウォルト・ディズニー)1位なんで」
「まずコイツには勝ちたい」
「コイツ」という物言いも酷いですが、本当にディズニーを抜いて1位になれるぐらいの実力があるのならば、すでに世界的に有名なクリエイターになってるはずですよね。
現時点でそうなっていないのは、私の評価ではなく「客観的な事実」です。
もちろんあのような放言には、意識的に炎上をねらっている部分はあるのでしょうが。
このような描写をしているからこそ、この物語は醜悪なんですよ。
作者が、主人公に自分を重ね合わせて、迫害や不遇に抗うような話は他にもたくさんあります。
それが、作者自身が不当な迫害に遭っていたり、生まれ持った不遇があるなど、例えば人種や国籍による不当な差別や、生まれもった体の弱さ、醜さ、貧しい生い立ちなどがあるのならば、その作品にはリアリティが生まれ、同じような境遇の読者に対して勇気や感動を与えるでしょう。
でも、西野氏の炎上は「自らの言動」によって「自ら招いたもの」です。
にもかかわらず、この作品では「ただ臭くて汚いから迫害されている」と避けがたい事情による不当な扱いとして描いているからこそ、この作品が欺瞞に満ちた自己正当化の物語だ、と批評しているのです。
あなたみたいに丁寧に答えちゃう人がいるからだろうと思うけど。この元質問者はバカでやる気が無いのに注文ばっかり多くて尊大っていう、人間として最悪だな。思想がかってるともてそうという、そもそもの見立てが間違っているんだから、建設的な答えも何も無いだろうに。割とみんな率直に答えを書いていたのにな。
よっぽど熱心で本当に好きなのが伝わりでもしないと、女性が多いコミュニティに入り込む事が目的の男って警戒されると思うけどなぁ…当たり前だが、物事にはメリットもデメリットもあるから、本当にファンになる位の姿勢があるならともかく、チャラいなんちゃって3代目風の男なんて笑われて終わりだと思うが。
大前提として、2016年紅白は近年まれに見る失敗回であり、大敗北だった。「いやいつもつまんないでしょ。今回だけとか騒ぐのセンス悪すぎ」というあなたは正論だがフシ穴だ。
ここ数年、マンネリ紅白は、それでもなにがしかの爪痕を残していた。「千の風」など販売面での掘り起こし、サザン、長渕などのサプライズ、Perfume、金爆、ももクロに代表される抜擢人事、あまちゃんオールスターズなどNHKならではの組閣などなど。
で、2016のこの無風具合はなんだ。
なんだといえばこれは、会社組織でもストーブリーグでもなんでもいいんだけど、典型的な「世代交代の失敗」である。
高報酬の高年齢層をリストラし、未知数の若年層登用を止め、見た目の効率のいい中年層とコネ人事で固めた結果、全員が自分の数字と派閥の力学しか見ない「無責任モード」になってしかもそれが悪い方向にしか働かなかった。
よく見すぎる失敗。
北島三郎、鳥羽一郎、和田アキ子、小林幸子、美輪明宏そしてSMAP! こういったハイレイヤーのいわゆる「精神的支柱」機能を甘く見積もりすぎ。
サブちゃん祭りしかり、ジャニ勢だって「最後はSMAPさんが」という心づもりがあってこその馴れ合いが可能だった。
高年齢層のリストラは必然だし粛々と進めるべきなのは確かだが、それにしたって0にするのは急すぎた。
五木はAKB喜び組で満足しちゃってるし、美輪明宏代役の大竹しのぶにしても、幸子代役の三森にしてもアッコ2.0のAIにしてもまだカリスマにはほど遠かった。
そして「新しい血」登用の停止だ。
お気づきだろうか。今年アニソン/声優枠は0、ネット枠も0、V系枠も0、アイドル新規も0だ(RADとXは勘定に入れづらい)。
近年の紅白の下がり続ける価値を、辛うじて上げ方向に下支えしてきたのが彼らだ。「他人が憧れるものに人は憧れる」。「紅白」を「オーヴァーグラウンド」の象徴としてとらえ、いまどき珍奇なことに「紅白に対する憧れ」を冗談でも口にし、紅白出場をフリでも盛り上げてきた彼らの功績を全切り捨てした罪は、単純に「驚きと喜びの低下」として番組に表れた。
後に個別に触れるので、軽くにとどめるが高中堅層のプロモっぷりはひどかった。低中堅層のフレッシュ、冒険の少なさっぷりも。
巷間ささやかれる「リハ不足」はいつものことだ。これはさらに大元の、個別の企画力の低さが原因だ。
前半出番のぶった切り編集演出は大成功だった。新曲初披露というフリを経ての「期待の裏切り」「紅白という『枠』のメタ視」「フレッシュさ」で群を抜いており、TVギャグとしても定番が故の爆笑があった。
そして圧巻は後半のPPAPフロイデremixだ。前半の原曲で「いかんせん大舞台には音薄すぎで向かないよね」との印象をすべて覆す音圧。
そして前半のアッちゃん絡み、タモリ絡み、ゴジラ絡みと、2016紅白の演出側ストーリー全てを引き受けたカタルシス(大したものでなかったとしてもストーリーは必ずカタルシスを生む)。
フレッシュさ、裏切り、時代感、引き受け具合、芸としての確かさ、音楽の喜び、笑い、めでたさ、我々がNHK紅白に求めるすべてがそこにあった。
文句なしの「今年の顔」。
ワンショットがMVPを取ってしまうのは、チームとしての紅白にとってもちろん悲劇でしかない。
サプライズという意味ではあれだけガッキーに振っておいてあの体たらくは、座組み側の失策。きっちりガッキーをキャスティングできていればMVPだった(あの恥じらいながらしょうがなくやらされるのがタマラン!というご意見は共感するが、マニアの見立てだ)
芸の確かさを見せた。
AKB五木以来、近年紅白演出が気に入り始めている「ソロ+応援出演」とかいうクソ手法を、本物の芸と華で打ち返し、格の違いを見せた。
子役とかソロダンサーの人は残念な見栄えだったが演出側が悪い。
周りが凹みまくる中、アンセムを堂々とやりきった。
This is 歌番組というセット、演出、選曲で、この中では逆にフレッシュだった。
ライブパフォーマンス単体として見れば2016紅白最高水準。でもそれ紅白ちゃうよね。
歌舞伎町の女王が西新宿の政治家になりました、という何の面白みもない追認劇。
かろうじて演出はフレッシュさがあったが、楽曲パワーなし。そして演出も結果TOKIOと二回まわしするという貧乏くささで台なし。
いやこれは東宝も新海も悪くないし、庵野組に至っては大変仕事したと思う。NHKなに考えてんの感。
「歌合戦」にワンフレーズもなし、来日ツアー告知だけのケータイ動画とかなめてんのマジで。
毎年なので言うに及ばず。とくに嵐の「政治だねえ」感は周囲の状況もあっての結果だがひどかった。新王誕生の祝賀とは到底見えない。
よりによって「メドレー」と称してデビュー2曲だけかよ。hi hiとかサンライズとかいくらでもあったろ若番なのに引き受け過ぎ。その後も何もないし。
LEDダンサー自体もう数年前の技術だし、「人数ふやしました!」と言われても…
キメの2階席同期ロトスコープ演出もカメラが追えてないという体たらく。
あと満島出すとこまでがんばれよNHK。
映像出しそんなにもったいつけてひっぱらなくてもよくね。新海がサボったのか、バンドが嫌がったのか、いずれにしろエゴの匂い。
無料投票で40万とかヤバくない? 票の実数を出したことで凋落が見える化された。
天人五衰。圧のなさがすごかった。
魔法も何度も見せられれば慣れる、とはいえ今回は福山林檎にすらアイディアで負けててライゾマ何やってんの弾幕薄いよ!ってなった。
そして有村架純は今さらのあまちゃん演出でのん(能年玲奈)代役だったことが判明。地獄。
秋にNHKであれだけ圧巻のステージ見せたのにまさかの中森明菜枠。地獄。
コメント切りのタイミングで「マジか」顔してたのがさらにつらみ。
もちろんSMAPという政治劇に巻き込まれた結果、目論見が外れたというのもあるでしょう。2016紅白は新帝王SMAPの戴冠式になるはずだったのは明白でした。それにしたってリカバリの仕方は他にあったし、それ以外の面でも粗だらけ。
結果、ゆく年くる年後に東京国際フォーラムから放送した生さだのほうが生放送音楽ショーとして5万倍良かったというすばらしい皮肉。さだまさし×岩崎宏美、生バンドバックの「夢で逢いましょう」の多幸感、スペシャル感、客席との一体感たるや、「ああ、年初から思いがけずいいもん見たな」と思えました。