はてなキーワード: 社会的認知とは
ここでミソなのが「かぼちゃと小豆」で「まずそう」だと考えるところで、かぼちゃが苦手だとか小豆が苦手だとしてと「まずそう」だとは普通は言わないんだよね
普通はかぼちゃにしろ小豆にしろそれなりに好まれている食材である事はコンセンサスが取れてるので。
まあ社会的認知を超えてもしかぼちゃが入ってるから、あるいは小豆が入ってるからという理由でまずそうだと言っちゃう人だとしたら完全に偏食だし
かぼちゃと小豆を合わせてもまずい料理しかできないと考えたなら偏食ゆえに体験した調理法のバリエーションが貧困すぎる事が原因だと予想できるし
適切に調理されたかぼちゃと小豆の煮物をまずそうだと考えるなら偏食だし
なんにしたって彼、あるいは彼女は偏食だよ
今回も真面目に返答するよ。
②既婚中年男性であろうとそうでなかろうと、性欲については公にオープンに語っても構わないこと
③性欲は婚姻という関係の外部で他の人間との性行為で解消されてもよい、という社会的認知がすすむこと
①②は、男性一般・女性一般の話としては認知が進むかもしれないが、オレの性欲・あなたの性欲という個人の話は相変わらず恥ずかしいしプライバシー情報に近い。そのため安易に口にするとハラスメントになりかねない状況は続くだろう。オープンに語れるとしても、持病や信仰などとおなじくらいセンシティブ情報として扱うのがせいぜいだろう。
③は、婚姻が性行為の永久専属契約という意味を持っているため、認知だけでなくあなたも書いているように法整備含めた制度設計の見直しが必要になる。
自分がありえると思うのは、もっとずっとフォーカスが狭く、「セックスレスが今思われている以上に深刻で解決が困難な問題であるとの社会的認知」だ。
夫婦の間で一方がセックスを望み他方が望まないという状態は解決すべき社会的課題であり、そしてまたそれは当事者が一対一で話し合っても解決が難しい、という認知でもある。
現在の社会的認知では、夫婦間で話し合っても解決しない。なぜならセックスレスがさほど深刻な問題と思われていないから。
だから、「私だって性欲はあるけど妊娠出産以降個人的な欲を捨てて子供のためにすべての意識と時間を注いでいる、あなたは親としての自覚が足りない」と言われてしまう。
本当は妊娠出産で一方的に性欲が減退しただけかもしれないのに。もちろん男女逆パターンもありえるのだが、夫婦と言う対等な立場では性欲がある方が圧倒的に不利な話し合いとなってしまう。
そのため、「夫婦間の性欲格差によるセックスレスは一方が我慢するのではなく、○○で解決するのが望ましい」という公的機関からのメッセージや社会的認知の後押しがあって、ようやく夫婦で前向きに話し合うことができるようになる、と思っている。
自分は中年男性に限らず性欲自体は別に汚らしくもないし、存在することが許されてないわけでもないと思う。風俗産業のありかたを考えれば、社会がそうした性欲の存在自体を容認していないとは思えない。
返答ありがとう。
だから、よくある女性が共感してもらいたくて話をしたら男性が解決策を提案したり、お前にも非があったんじゃないかと説教するやつの逆パターンに見えた。
なるほどね。これは確かにそうだ。共感を求めるメッセージに対して、先走って問題解決を図ろうとしてはいけないな。反省するわ。
風俗産業はパートナーを得るのが難しい男性や、出張などで遊びたい独身男性の利用が多い。芸能人などが恋愛トラブルやスキャンダルを避けるために利用するケースもある。いずれにしても既婚男性がセックスレスを理由に堂々と遊べる風潮には男性の間でもなっていない。
ここからは議論するというより、増田に一緒に考えてもらいたいというか、自分が考えることに増田につきあってほしいという感覚で書くんだけど。セックスレスを理由に堂々と性欲を解消したい、風俗で解消しても良い夫だと思ってもらいたい、というのは、性欲自体の認知・取り扱いとは違うことのような気がするんだよ。
増田と元増田の話に出てくる、社会がどう変わっていってほしいかという話を自分なりにいくつかに分けて考えてみるね。
まず①性欲は健康で健全なものだという社会的認知がすすむこと、これは充分に可能性があると思うし、老人の性や女性のセルフプレジャーが認められている話とも、性の権利宣言の話ともつながる。あとホモソーシャルな領域では男性の性欲はずっとそんな風に扱われてきたような気もする。
次に、②既婚中年男性であろうとそうでなかろうと、性欲については公にオープンに語っても構わないことだ、という社会的認知がすすむこと。これについてはまず、自分は未成年という要素が絡むときには、今後も一定の配慮や線引きが必要になるんじゃないかと思うんだよね。未成年全般に対しても、自分自身の子どもに対しても、性をめぐる情報の発信には適切・慎重な取り扱いが必要で、子どもがそれによって親との関係を損ねたり、心的トラウマを持ったりしないよう細心の注意を払わなければいけないと思う。増田の望むような未来で、子どもに対しても自分の性欲についてオープンに語れるイメージは湧いているんだろうか。俺も既婚中年男性で子どもがいてセックスレスで性欲はあって、だから自慰を行っている、という、元増田と同じステータスなんだけど、やっぱ子どもに自分の性欲について話すのはきついわ。これについては、社会通念の変化でどうにかなるような可変的な価値観だという実感が全然わかない。
あと、性のプライベートで私秘的な領域こそが人を惹き付ける部分とか、「語れない」ということこそが性の快楽の源泉になっている部分は確実にあると思うんだよ。藤子F不二雄の『気楽に殺ろうよ』ってSF短編では、セックスはオープンに誰とでもやってよく、かわりに食事が恥ずかしく淫靡な行為になった世界が描かれてるけど、やっぱ「他者の肉体との直接のコンタクト」という動物として極めてリスクの高い行為(コロナ禍でこのリスクをいっそう実感した)の実践や語りが、食事のようにカジュアルに気楽にできる未来というのはなかなかイメージしにくいんだ。
最後に、③性欲は婚姻という関係の外部で他の人間との性行為で解消されてもよい、という社会的認知がすすむこと。これは、最初からそういう前提で結婚しているパートナー同士が充分に増えない限り、広く一般に受け入れられるようになるのはなかなか難しいんじゃないかと思うし、一般的にそういう通念が通用するようになったとしても、今の配偶者との関係までがいきなり変わるわけじゃないんだよな。日本では婚外性交渉は犯罪ではないけれど、結婚している人間同士が双方同意したうえでのことでない限り「婚姻共同生活の維持という権利又は法的保護に値する利益の侵害」という不法行為を構成するわけで、やっぱり「結婚」と「相手と性行為を行う権利の排他的独占」は、社会的にはセットの権利義務関係として考えられていると思う。
元増田はまっとうな人だから、セックスを希望していない妻側の意思を尊重してセックスレス関係になっているわけだけど、やっぱり理屈としては妻と話し合って婚外での性交渉を容認してもらうというのが唯一正しいアプローチのような気がすんだよ。社会の変化や技術の進歩では、どうやってもこの問題(ほかでもないご自分の奥さんが、いま「結婚とセットだ」と考えている権利義務関係を、こちらの要望で解除すること)は解消できない、っちゅーか。
もし既婚でなければ、結婚する時に相手と「セックスレスになったときの対応」についてお互いに取り決めておくことはできるから(結婚契約書みたいなやつ)、セックスレスがいずれかの段階で来る問題だという認識のもとで、事前にそういう取り決め・擦り合わせをすることが世間的に当たり前になったらいいのかもなとは思った。
今まで色んな二次創作にハマってきたけど、pixivやTwitterでイラストを検索すると大体ワンスクロールいかないうちにR-18のものが出てきていた
誰も彼も乳を出して大股を開いて、もうその構図ならキャラが誰であってもいいのだろうか?と思うくらい、少しディグっただけでR-18のイラストがめちゃくちゃ目に飛び込んできていたのだ
でもウマ娘は、これだけ流行っているにも関わらず、現状R-18二次創作を見かけたことが一度もなかった
(もちろん然るべき掲示板など見ればあるのかもしれないが、少なくともpixivやTwitterなど社会的認知度の高い場所ではまったく見かけなかった)
公式が元のお馬さんと馬主さんを慮って、ちゃんと線引きをしてくれたのをみんなきちんと守っていてくれているのだ
優しい世界だ
で、そんなR-18二次創作が目に入らないウマ娘界隈のイラストや漫画を眺めていると、なんだか不思議と心地がよかった
ウマ娘同士で仲が良かったり、カッコいいカワイイウマ娘のイラストだったり、ギャグや恋愛や、とにかくR-18を使わない色んな方向性の二次創作があって、見る方も描く方もウマ娘を楽しんでいるようなものが多い印象を受けた
R-18ってよくも悪くも刺激的だから、そういうものが目に飛び込んでこない二次創作の広まり方は新しいし、自分としては嬉しい世界だなと思った
R-18の二次創作イラストがないと、キャラクター(ウマ娘)のプライベートが守られているような安心感?も少しあった
所詮作られたキャラクターだろ、紙に書いた絵だろそんなもんと言われればそれまでだけど、ウマ娘の育成ストーリーを見て、頑張ってる彼女たちにも秘密はあって、それはそれで彼女たちのものとしてつまびらかにしない紳士でいたいな、みたいな感じというか……
まず、以下の前提については全員の同意が得られると思う。
A.事情がある場合を除き、意図的に女性の体に触れて相手に不快な思いをさせたら痴漢である。
B.意図的ではなく偶然にやむを得ない事情で女性の体に触れたのならば痴漢ではない。
Aの事情とは、例えば倒れて意識を失っている女性に救命措置を施すなどがある。救命措置を行って助かった女性が「お前みたいなブサイクに人工呼吸されるくらいなら死んだほうがマシだった」として助けた男性を痴漢として警察に突き出しても認められるべきではない。
Bも単純だ。狭い道ですれ違う際、意図的に当たりに行ったのではなく本当にお互いに避け損なって体が当たっただけならば痴漢ではない。
従って、満員電車の場合は特別な事情があるか、偶然であるかという点が議論になる。
満員電車に乗るのは会社・学校などに遅刻しないためにやむを得ないと言う人がいる。だがそれは正しくない。仮に始発から通勤時間までずっと満員が続いているというならばその通りだが、現実にはそうなっておらず、早朝の電車はそこそこ空いている。なので早く通勤・通学することで、遅刻しない&満員電車に乗らないということは両立が出来る。なので、男にとって早朝の電車に乗らず満員電車に乗るメリットとデメリットは以下のようになる。
現在の痴漢を巡る問題で小さくない部分を占めているのが痴漢冤罪問題であり、痴漢対策だけでなく痴漢冤罪対策のためにも満員電車解消が叫ばれてることがあるなど、その社会的認知は高い。それに対し、前者は理由としては優先順位が低い。睡眠時間を多少削れば問題が解決するなら、睡眠時間を削って対処するべきというのは我が国における大多数の認識である。よって、このメリットとデメリットでは明らかにデメリットのほうが大きいと認識されるはずだ。
にも関わらず、早く通勤することで満員電車を回避しようという動きは鈍い。つまり、満員電車にはここに書いていないメリットがあるものと考えられる。
すなわち、『”満員電車だから仕方ない”と称して近くに乗っている女性の体に触れることが出来る』という満員電車の隠れた”メリット”を多くの男性が享受しようとしているのだろう。言い換えれば、満員電車に乗る男は、満員電車を口実に意図的に女性に触れようとしている。
ここで前提に戻る。『A.意図的に女性の体に触れて相手に不快な思いをさせたら痴漢である』─よって、満員電車に乗る男は痴漢である。Q.E.D.
バカバカしい主張でたぶんフェミ側の人は反応すらしてくれないと思っているけど、ディルドやオナホが規制されたら困る人も居ると思うんだ
明らかにディルドやオナホは男性一般・女性一般を対象にした性的消費であって、その存在の認知は少なくとも成人にはあるよね
流石にNHKへディルドやオナホが大衆向けの番組の中へ登場することはないとは思うけど、社会で存在が認知され性的消費されている事実は否定されるものではないはず
ディルドやオナホを挙げての主張はバカバカしい主張であって極論のように感じるのだけれど冷静になって考えてほしいんだよ
ディルドやオナホは少なくとも成人には認知されている。そしてそれは男性一般・女性一般の性的消費ということが否定できない
だったらなぜ成人の中でディルドやオナホの社会的認知が進んでるんだ?
洋楽好きを「オタク」と表現するのは腑に落ちない。下の図式だと【サブカル】の側だろう。
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・[目覚める時期] 幼年期~少年期(ローティーン) 少年期(ミドルティーン)~青年期(ハイティーン)
・[価値観] 「生活保守」主義? 「従属」は恥、「反抗」は善の《不良文化》? ※古くは映画館、ジャズ喫茶
・[住環境] 実家暮らし? 独立志向(一人暮らし、共同生活、同棲)?
・[趣味と性体験] 童貞か処女かは「不問」 童貞・処女は「恥」
・[傾向性] 「ネットの交流」で平均(没個性)化? 個性化、(他者との)差異化・差別化を重視・優先する「厨二病」?
・[ポリシー?] オナニー・スイーツ・集団アイドル?? Sex・Drugs・Rock'nRoll??
・[社会的認知] 非公認、未公認? 団塊世代が「数の力」で『若者文化』として「社会的な椅子(地位)」を獲得?
・[趣味対象と国] 自国モノに愛着(国内志向)? 外国モノを崇拝(海外志向≒出羽守タイプ)?
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この意見を聞いて思いましたがもしかしたらもともとの質問者さんは
ストレート(男女異性が性的対象)、ゲイ(同性のみが性的対象)のように完璧に人の性癖がラベルを貼って区別できるものというふうに思われているのかもしれませんね。
ですが実際には同性愛者をカミングアウトされた方であっても、その後異性と結婚をしていたり、または先に異性と結婚していてものちに同性と恋愛感情を持たれるケースも非常に多くいます。
ですので「ホモを排斥しろ」というのは単純なことではなく「男同士(女同士)のセックスを禁止しろ」ということではなく「同性同士で社会生活を送ることを禁止しろ」や「同性に恋愛感情を持つことを禁止しろ」といった非常に広い解釈ができるようになってきます。
おそらく質問者さんのようにLGBTに非常に強い嫌悪感をお持ちの方というのは同性愛が社会的に認知されること自体に強い忌避感を持たれているのではないかと思います。
ですが実際にLGBTなどのセクシャルマイノリティが希望しているのは同性婚や社会的な不利益からの解放といった部分のみであり、社会的認知とは全く違った問題になります。
法的な支援というのはその部分に関わってくるもので、同性婚についても法的に認められることにより社会的な認知度(世間的忌避感)がどの程度になるかは全く別に考えなくてはいけません。
LGBTについては数百年前より議論がされてきており、私の意見もそうした先人たちのものによるところが大きいので、むしろ現在の感情論による質問者さんのような方はどんどん言ってきてもらいたいと思っているところです。
さっきいっこ書いたんですが、全然伸びてないので、よければ読んでください。
http://anond.hatelabo.jp/20170412122218
あ、ブログを作る気はありません。
さて、タイトルの話です。
前に大門みきしさんがオススメだと書きましたが、彼の質疑についてです。
http://anond.hatelabo.jp/20170410114012
大門さんは、税制、財金問題については、おそらく政治家の中でも相当詳しいので、質問の仕方もどちらかというと講義+質問といった様相になることが多いのですが、今回ご紹介する4月5日の消費者問題に関する特別委員会、4月11日の参議院財政金融委員会で、ジャパンライフによるマルチ商法の追及もすばらしいものでした。
大門さんは滑舌があまりよろしくないので、ちょっと聞きにくいかもしれませんが、オススメです。
http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/index.php
の4月5日、2:34分ごろから
どうぞ。
他の議員でもそうですが、議員も質問の答えは基本的に承知していることが多いんですが、
「うちで、ジャパンライフルートで入手した、水庫メモというのがありましてですね」からのところ(4月5日、2:50ぐらいから)
でどよめく感じ。
献金リストももってそうなので、掘ってみると面白いかもしれないですね。
「こりゃ闇があるわ」
とつぶやいているのが拾われているのも面白かったです。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-04-06/2017040615_01_1.html
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-04-12/2017041215_01_1.html
そもそもマルチ商法が抜本的に規制されないことについて、マルチ商法業者と天下り官僚との関係、政治家に献金等を繰り返していることが影響しているのではないかという指摘です。ジャパンライフの代表の山口隆祥は日本のマルチ商法の最初期から活動している、麻生太郎さん曰くの「有名人」でして、もう何度も何度も業務停止命令や有罪判決を受けているので、行政、政治家対策、社会的認知の向上のために、本当にいろいろとやっているわけです。その中で加藤勝信大臣と会食して、その様子を広告塔にしたりして、顧客に安心感を与えているという指摘で、マルチ商法の被害者が増え続けていることをちゃんと考えろといっているのですね。
大門さんは、マルチ商法の連続取引自体を規制せずに、訪問販売という商取引の形態のみを規制して、店舗でやるのをお目こぼししている状況になっていることと、経済産業省の官僚OBが天下っていることが影響しているのではないかと、こう整理しています。
民進党の矢田わかこさんも質疑されていたのですが、ジャパンライフに消費庁出身の水庫さん、経産省のキャリア組出身の松尾さん、元特許庁長官の中島誠さん、元内閣府官房長の永谷安賢さんが天下っていると。そんなズブズブの組織の指導に手心を加えずにいられるのか、という指摘です。
ちなみに、この山口さんは政治家業界にふかく、深く入り込んでいるので、いろんなところで名前を見ることができます。大門さんも指摘されている、ライフサイエンス財団に出資して、社会貢献もしてるよ、という顔もしていますし、日本文化協会のような日本会議の加瀬英明が代表をつとめる組織でも、永谷安賢さんと一緒に名前を連ねています。
大門さんは今後もこの問題を追及するとのことですが、マスコミにも当然大量の広告出稿をしているので、一般マスコミではなかなか騒がれないというアレなので、ぜひNHKのストップ詐欺被害、私はだまされないで扱って欲しいところ(違。
ちなみにジャパンライフは被害者への口止めにも力を入れているようですが、おそらくSEOも相当やっていますね。検索結果が笑えるぐらい穏便w
「全ての人間に共感できる人がコミュニケーション能力を持ってる人」????????????
※コミュ力 コミュニケーション能力 を拡大解釈するのはヤメましょう。 情報伝達以外の意味はありません。
※それ以上付け加えるならばコミュニケーション能力とは別の能力として主張すべき。
でググってみて下さい。
あと「コミュニケーション能力」でもググって下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/コミュニケーション能力
「同意することだけがコミュニケーション能力と勘違いしてる人」が多いようですが
批判がコミュニケーションでないならば、「はてなで批判をしている人間もコミュニケーション能力がない」ことになってしまいます。
つまり「イエスマン=コミュニケーション能力のある人間」という定義になってしまいます。
ましてや「どんな人間にも共感することをコミュニケーション能力とする」なんて、この世にそんな人間いますかね?
ちょっと例を挙げるとこの世界の全ての犯罪者に共感できる人間がいますか?
この世界の全ての悪意(日常を含む)に共感できる人間をコミュニケーション能力があると定義する非実効性。
そもそもの間違いは「コミュニケーション」に「力」という文字を付けたのが間違い。
またパオロ・マッツァリーノは、自己啓発書の売り上げを上げるために不安を煽り、彼らの都合のよい稼ぎ口として使われていること、も指摘しています。
以下は参考のための引用。
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パオロ・マッツァリーノの指摘
パオロ・マッツァリーノは『反社会学講座』収録の「ひきこもりのためのビジネスマナー講座」において、浜口恵俊の「日本語にはもともとコミュニケーションにあたる言葉がないため訳せない」という意見を取り上げ、近年、企業等においてコミュニケーションが本来の「意味を拡大解釈」して用いられているようだと指摘し、問題視している。
マッツァリーノによればコミュニケーションには本来、「情報(知識や感情も含む)をだれかに伝える・交換すること」という技術的な意味しかなく、そのため言葉の用法に従えば、上司や目上の人間へのある種の直接的な批判の類も立派なコミュニケーションとして成り立つことになると述べている。続けて「しかし、そうすることが日本の企業社会で奨励されているかというと、はなはだ疑問です」と言い、「日本人は古来、コミュニケーションなしで社会を成り立たせてきた」という事実を指摘し、安易にコミュニケーションという単語を用いる現代の風潮を皮肉混じりに批判している。
スーザンによれば、すべての人が同じコミュニケーションスタイルにおいて最良のパフォーマンスを発揮するというわけではなく、イントロバート(introvert)と呼ばれる『刺激に敏感で大量の刺激を本能的に避けるタイプの人間』と、エクストロバート(extrovert)と呼ばれる『刺激に鈍感で少量の刺激では必要量を満たせないために大量の刺激を必要とするタイプの人間』、二者それぞれの遺伝子レベルの性質を生かした二種類のコミュニケーションスタイルこそ、無理のない持続可能な方法であるとしている。
近代以降、資本を求め商品をいかに買わせるかが社会の関心事となった経緯を紹介し、深い思考は苦手だが口先が巧みなエクストロバートを量産し経済拡大に用いるというシステムが教育も含めて現代では日常化してしまっているという。この社会(エクストロバートワールド)では、イントロバートは欠陥品とされ(イデオロギーの定着のため病名まで発明された経緯もある)エクストロバートになることを強制される。しかしその性質は遺伝子レベルで50%以上固定されているために、対外的にはエクストロバートを「ふるまう」、無理の結果として心の病を併発したり出社拒否に陥るケースがあるという。
彼女によれば、どちらのタイプも社交的であるという。両方とも自身の性質に基づいた異なる社交性を備えており、イントロバートは多数の人間と社交を行うことは刺激が大量すぎる点で本質的に苦手だが、一対一または数人との社交においてエクストロバートを凌ぐ力があり、エクストロバートは刺激に鈍感であるがために多数の人間と社交を行うことができる。その反面、一対一または数人との社交において深い友人関係を築き長期にわたり維持することは苦手であるとされる。このため双方のコミュニケーションスタイルも必然的に異なる形となるのが自然であるが、現在の資本主義競争社会におけるバイアスのかかった社会においてエクストロバート型を唯一のコミュニケションスタイルと信じて疑わない状況がある。自分の話を聞かせたいエクストロバート、人の話を聞くことができるイントロバート、従来のリーダーの適任とされるのは前者とされてきたが、近年では後者の「引き出す力」に注目が集まり前者を凌ぐリーダーとしても可能性が示唆されている。多様なコミュニケーションスタイルは人間の多様性を認める社会であることが必須条件として、イントロバートの存在と可能性について全人民的に社会的認知を深める必要があるという。
それは非常に重要な所で、注意して考える必要があると思うんだが、
まず社会的認知を求めるのは当然の事と思う。
ただ、そこで「結婚」という形を求めるのは、勢い余って脱線してるんじゃないかと俺には思える。
愛し合う二人が社会に何恥じることなく人前でイチャイチャするのは、まあ性マイノリティとは別次元の問題で舌打ちしたくなるが、認められて良い事だ。
男と女の関係だと、惚れた腫れただけじゃ済まない厄介な問題が付きまとうから結婚という一つの「型」に嵌めて諸々処理してるってだけの話だ。
それなのになぜ、男女間の諸々の厄介事と縁のない同性愛者が結婚したがるのか。
それが、「二人が愛し合う事への認知が欲しい」だけの話だったら、残念な事だと思う。
上手いたとえが思いつかないが、
制服が必要な学校に行った兄に対して、私服OKな学校に行った弟が「自分も制服が欲しい」と言ってるようなものだ。
それは彼には必要ない物なのに。
両親が兄弟を差別しているなら、その差別の是正を要求するのはいいだろう。ただ、兄と同じ制服を求めるのは間違っている。
働きます。
さっき謎の計算をしながら「働かない筈だ!」と喚いていたけれど
現存する一夫多妻の国(日本も昔はそうだったが)の家族を見てみればいいが
第○夫人までみんな子供を持ってる。
愛人が妻より子供出来にくいとすれば、社会的に容認されていないせいで妊娠に消極的だから。
そう、雇用の創出。
バカがさっき現状を完全雇用状態みたいな前提で語りながら「悪くなる」と喚いていたけど
無い無いと喚く根拠がさっきから無い。
あくまで喚きたいなら貧乏人がガンガン種付けしてガンガンガキを作るインセンティブも無い。
子供が労働力になって親を助けてくれる、と言う時代でも社会でもなく養育費ばかり高いのだから。
とすればこの施策で何かが悪化すると言うことは無いわけだ。
わかりきってることだがわざわざ補足説明をありがとう。
既存のその関係に法的社会的認知を与えよう。そうすれば少しは子供が増える。
あとさっき言ったことをバカにはもう一回繰り返さなきゃいけないようだけど
「有限のパイを奪う」とかいう言い回しはパイが不足してる状態で言うこと。
男も女も買い手がいなくて市場にダブついているのが今の状態。3回は言わせんなよ。
それを更に公的に認めるということは、女の一極集中を是認して、「ガキを作る」のに適した年齢の男にシェアを与えないことに直結する。
さっきの文をよく読んで理解してりゃこんなバカ丸出しなことをもう一回書いたりしないですんだ。
失われるガキは平均値で考えて15人くらい。(まぁ、全ての老人が溢れる性欲で種付けしまくりさ!と考えてるのかもわからんが)
現状で老人に囲われてる女は、法が認めなくとも老人に買われているパイなわけだ。既に!
現状で市場から失われているパイについて、「新しい施策を打つと失われる」と喚く低能が居るんだけど
どうやると彼に日本語が通じるのかな?w
(どうでもいいが20人も囲う老人て想定には笑った。精力も資金もぶっとんでるなー。
そこまですごい人物は想定しなかったけど、そんな絶倫老人なら法が認めれば子供いっぱい作ってくれるだろう。)
俺はもうちょっとまともなオツムの人の反論が欲しかった。
そういう人と反論再反論のやり取りをすれば論のブラッシュアップになったが
3度は言いたくないから重ねて言うけど
君はこの施策に反論する時に
現状を完璧に成功した市場、男女が完全にマッチングし誰も余ってない状態であるような前提で反論をしている。
そんな状態であればそもそも少子化対策は必要ない。
ていうかな、バカは100回ぐらい推敲してから人に反論してくれ。
ついでにその「結婚できるけどしない女~」ていう本は前どこかで見たから知ってるけど
作者の白川桃子さんと言う人は昨今流行の「婚活」という言葉を作った人だし
「結婚できるけどしない女~」の時期から日経にコラムを書いてるほどの社会的認知を得た人で
あなたが言う「珍獣扱いで登場してる」っていうのも根拠のない主観の発言じゃないかと思う
まとめ
1・白川桃子先生は決して「珍獣」扱いではなく、シリアスな存在として信頼性の高いメディアに長年登場してきた
2・上記1の事実を無視し、申し立て通り白河先生が「無根拠発言を繰り返す珍獣」としてメディアに登場してきたと仮定した場合
「無根拠な侮辱や中傷には怒ってはいけない」という主張は全体的に意味不明
なんかもう男女論というよりあなた個人の知能が問われていると思う…