はてなキーワード: 電波少年とは
ご参考までに、元バラエティ大好きっ子アラフォーの私はこんな感じです。
とにかく鋭いイメージ。
【ごっつええ感じ】超おもしろいな。【HEYHEYHEY】でのいじり方もすごい。【ガキ使】もおもしろいけどフリートークだけでいいな。
【一人ごっつ】っての観てみたけど、これを“面白い”とするのか?
黒髪期よりちょっとコワモテになったけど独特のかわいさは健在。
紳助が苦手だったので【M-1】はあまり見ないまま年を取ってしまった。
【働くおっさん劇場】も遊んで徹夜明けしたときにちょっと見たけど苦手だった。
【大日本人】は映画館に観に行ったけど映画監督の才能なかったかあと思った。
あとから振り返ると【大日本人】が一番マシだった。レンタルで観た【R-100】なんてよくこれで企画通ったな(悪い意味で)
【ごっつ復活スペシャル】も【MHK】も期待していたのに正直つまらなかった。
加齢が進んだ。たけしの真似?
【水曜日のダウンタウン】は今も見ている。コメントでのうまい落とし方はこの人しかできないなと思うけど、苦手な企画のときは見ない。
【探偵ナイトスクープ】は居住地域でやっていないので知らない。
【ワイドナショー】も松本が時事とどう向き合うか気になって数回見てみたけど、時事に対して凡庸な混ぜっ返し方をして「好き勝手に個人の見解を言ってるだけですよ~」という姿勢が非常にダサいと思って見るのをやめた。
【一連の騒動について】
同意があったかどうかは別にして、後輩アテンド飲み会と性交渉自体はあったんだろうなと。
「いつ辞めても良いと思ってたんやけど…やる気が出てきたなぁ〜。」
「とうとう出たね。。。」
「事実無根なので闘いまーす。それも含めワイドナショー出まーす。」
「ワイドナショー出演は休業前のファンの皆さん(いないかもしれんが💦)へのご挨拶のため。顔見せ程度ですよ。」
同意の有無の判断は保留するにしても、この一連のツイートキツすぎない?(特に長年のファンの皆さん、“あの”松本人志のツイートとして許容できる??)
大学も予備校も高校も受験生たちも……なんというか、日本の大学受験はまだ未開だったんだなあと50代に突入した今冷静に振り返って思う
こういうこと言いっこなしだけど当時の試験問題の総合的レベルは今と比較して冗談みたいに低かったと思うよ
こういうのはスポーツと同じで時代が進めば必ずどんどん洗練されてレベル高くなるもんだから仕方ないことなんだけど、
2000年代くらいからセンターの過去問を戯れに見て(特に数学2Bや化学あたりが)明らかにやばくなってきてるのを感じて、
共通テストに突入してからハッキリとヤバいレベルに洗練されてなおかつ難度が爆上がりしててビビったもん
それにもかかわらず有名国公立の共テやセンターの合格者平均得点パーセンテージが俺の時代と全然変わってなくて
「ああ、AO入試とかの推薦枠が定員の3割もなかった当時と比較して、今一般入試ってもんは明白に次元の違う厳しい競争になったんだな」
と察した
俺たちの時代はさっきも言ったように大学受験界隈が本当に未開も未開で、
「睡眠時間7時間も8時間も取るなんて怠けてたら落ちる。そういう奴は必ず負ける」
とか
「みんなが解けないようなカルト級の難問を制する者が入試を制する」
みたいなアホ丸出しなことを平気で言ってて、
しかもそれが「ハッキリとした誤り」として訂正されることが全然ないくらいには正しい情報共有(そして良質な参考書が今の比じゃないほど少なかった)が難しい時代だった
あと日本史なんかだと
とか
とか
今考えれば「馬鹿じゃねーの、そんな問題に付き合ってられっか」で丸っきり相手にせず、さっさと基礎~標準問題を絶対取りこぼさないよう徹底的に訓練する以外ないんだけど、
当時の受験生たちは
「いーや、あのカルト問題だって実はどこそこ社の教科書にだけはちゃんと掲載されてる情報だったんだぞ?それを捨てるのは甘え。捨てる者は落ちる」
だなんて大真面目に言う者が大半だったから、みんな無駄な努力に無駄な努力を重ね、しかも予備校などの受験産業もそれを後押しした
だから詐欺みたいなカリキュラムの受験塾なんかを個人が立ち上げても余裕で商売になったんだろうなとも思う
例えば、
授業なんぞしないで滝行させるとか
試験とマジで何も関係ないスピリチュアル書籍読ませて感想言わせて詰めて泣かすとか
(実際、こういう笑えないほどお粗末でインパクト強い受験塾は存在していて、なおかつ年間200万とかの受講料を設定していても浪人生は押し寄せていた)
ただし、狂ったように加熱していたのは私大受験だけで国公立は平常運転だった
最後に1989年に私大と国公立両方受験した者達の合否データを示して終わろうと思う
【追記】
自分は、私大受験バブルのピークは過ぎてたとはいえ1993年に慶應経済「のみ」を受験して見事に現役合格したふかわりょうを尊敬している。
彼は電波少年の坂本ちゃん東大受験企画に呼ばれた時や内P唯一のレギュラーだった番組黎明期なんかに慶応卒をドヤる振る舞いを許容範囲で披露していたが、
あんな異常な時代に慶応経済に現役で受かったという事実や自負を全く表に出さない謙虚さは同世代として凄いと思う。
一方、
現役受験の年が私大受験バブルピーク年とほぼ重なっていて、結果的に一浪で明治大学文学部補欠繰り上がり合格した安住紳一郎は、
その浪人期間がいかに苦しく精神的にギリギリだったかをおりに触れて語り、
今でも学歴・受験ネタなら大学高校中学問わずやたらめったら詳しく、
なおかつ「今でも指定校推薦組を許してない」と公言してはばからないが、
あの感じはまるっと全て凄ーくわかる。
運悪くあの当時の受験地獄に晒されることになった世代の中で安住紳一郎の「二浪明治大文学部補欠合格」という結果はそれでもかなりいいほうだし、
結局東京神奈川千葉のどこの私大にも受からず人生捨てたような感じになった奴は腐るほどいた。
(余談だが、
私の地元というか受験可能な公立高校グループのなかでは都立日比谷が1番賢かったのだが、
当時は日比谷ですら現役時に法政合格を確保できれば同級生平均より明白に良い結果だったので
「こんな大学受験厳しかったんなら高校入試のとき大人しく法政行ってたわ」と嘆く奴が絶えなかったという笑えないエピソードがある)
さっき昼飯の弁当を買いに外に出たら寒すぎてサムシングエルスになった。
ここでいう「サムシングエルス」というのは我々の世代ではけっこう売れたバンドで、私が最初に知ったのはNHK「みんなのうた」で流れてた「反省のうた」という曲だった。
けっこういい歌だなーと思って聞いてたのを思い出す。
そんな中、「電波少年」というテレビ番組の企画の中で「ラストチャンス」という曲を作成してミリオンセラー、オリコン1位を取る。
この曲をきっかけにめちゃめちゃ売れた。紅白にも出た。我々の世代でサムシングエルスを知らない人は少ないはず。
こうやっていい曲を作ってるバンドが売れるのはいいことだと思う。
けど、最近ふと思うことがある。
ちょっとしたきっかけがあれば第二のサムシングエルスになっていたかもしれないバンド。
もっと売れてたらもっと長く活動して良い曲を作り続けてくれたかもしれない。
というわけでここでは私が思う、もっと売れてもよかったミュージシャンを勝手に選出するよ。
ブラッツ・オン・ビーも最初に知ったのは「みんなのうた」だったと思う。
私が好きなのは3rdアルバム『ゆらふわ』で、あの頃はヘビーローテーションで聴いていた。
他にも、「世界を変えて」や「ゆらり ふわり 行こう」も好きだった
なんで売れなかったんだろう?
ザ・カスタネッツは知っている人も多いと思う。
一番有名なのはアニメGTOのエンディング曲「ねない ねない ねない」かな。
私が好きなのは「ムーンパレス」や「僕はそれがとても不思議だった」。他にもいい曲がたくさんある。
そこそこ売れた印象だけど、やっぱり大半の人が知らないという意味で、もっと売れてもよかったのではと思う。
中村一義はけっこう売れたしコアなファンがたくさんいるが、メジャーにはなれなかった。
オリコン13位の「セブンスター」が一番有名な曲かもしれない。
「すべての人たちに足りないのは・・」のところの歌詞がとても好き。
1stアルバム『金字塔』を初めて聞いたときの衝撃は忘れられない。
これはミスチルを超えるぞ、と本気で思った。
でも、そうはならなかった・・そうはならなかったんだよ・・ロック・・
だから、この話はここでお終いなんだ。