はてなキーワード: 輸出禁止とは
こういう音頭を取った朝日新聞は購読料以外で全員の給料を返上してウクライナを指示しろ。
国民に言うな。
2022/3/10 5:00ロシアのウクライナ侵略が続き、市民の犠牲が日を追って拡大している。無法な軍事行動を許さない国際社会の意思表明と実効ある措置を強めねばならない。経済制裁はその大きな手段である。日本もさらに踏み出すことを検討すべきだ。
米国政府は8日、ロシア産の原油や天然ガス、石炭の輸入禁止を発表した。「多くの欧州の同盟国が(輸入禁止に)加われないことは理解している」としつつ、先行して制裁を強めた。
ロシアの侵攻以後、米欧日などはロシア中央銀行の外貨資産凍結や半導体などの輸出禁止といった経済制裁を行ってきた。ルーブルは大きく値下がりし、民間でもロシアでの営業や販売を停止する企業が増えている。
ただ、ロシアは大量の天然ガスや石油を輸出しており、それが続けば一定の外貨収入が得られる。今回の米国の輸入禁止措置はそこに踏み込んだ。自らに主要産油国としての余力があるとはいえ、支持できる判断だ。
ロシアへの依存度が高いドイツなどは、当面輸入を続けざるをえないとの意向を表明した。ただ欧州委員会は、2030年までにロシア産化石燃料から自立する計画を提案し、調達先の多様化やグリーンエネルギーの開発を検討すべきだとした。年末までにロシア産ガスの需要を3分の1にできるという。
日本はどうするか。輸入エネルギーのうち、ロシア産が天然ガスで約8%、原油で約4%を占める。官民参加の開発プロジェクト「サハリン1・2」からの供給が多い。国際的な需給逼迫(ひっぱく)の中で輸入を停止・縮小すれば相応の影響はあるだろう。
しかし、欧州と比べれば依存度が低い分、工夫の余地はあるのではないか。侵略を許さない国際的連帯の基盤を強固なものにするために、役割を果たすべきときだ。少なくとも原油の一部などから、段階的に輸入縮小を目指すことが望ましい。
サハリン1・2やさらにロシアで計画中のプロジェクトについても、制裁手段としての実効性を見極めつつ、今後の対応を検討しておくべきだ。日ロのエネルギー開発は国策の一環として進められた側面も強く、政府の責任は重い。
輸入を減らす場合、少なくとも短期的には代替先探しが必要になる。ただ、化石燃料は脱炭素の見地から中長期には依存を強めてはならず、脱却の前倒しを基本姿勢にすべきだろう。
(中央公論平成26年9月号に戸部良一・帝京大学教授が「日本は何のために戦ったのか 戦争の理念と『政治戦』」と題して、大東亜戦争について書いておられます。とてもいいと思いました。
開国以来日本外交は英米という二つのアングロ・サクソン国との関係を基軸に、これら二国との関係を調整することを基本にして、外交政策をつくってきました。東アジアから欧米諸国を駆逐し、自分が東アジアの盟主になるというような政策をとったことは、一度もありません。日本の歴史や外交史を読めば、簡単なことです。
では、「あの大東亜・太平洋戦争は?」 となるかもしれません。「自衛の戦争」と無理してこじつければ、そう言えない部分もないこともないでしょうが、しかし、ろくな外交をしないでおいて、つまり戦争を避けるような外交をしないでおいて、追い込まれ、「ハイ、自衛のためです」の主張には、賛成しかねます。 かと言って、アメリカは完全に日本との外交交渉に誠実であったとはいえません。
極東軍事裁判の判決のようなアメリカの言い分が100%正しいわけではありません。連合国側が広めたこの理屈が世界に流布していて、こまります。かといって、日本が100%正しかったという主張にも、うなずけません。もし、軍部とくに陸軍があれほど政治に横槍をおさなかったなら、日本の外交はアメリカと戦争などをしていないでしょう。中国問題をかたずけていたでしょうし、ドイツとの同盟なども結んでいなかったでしょう。陸軍は自己のメンツのために日本を犠牲にしたのです。
故リチャード・ストーリという有名なイギリスの日本史家は、「日本外交は明治以後優秀であり、軍部が口出ししていなかったら、あんなことにはなっていない」と言っています。こうした国際的規模の大きな誤解のもとは、ナチ・ドイツと日本を同じものとして考えるからです。
日本は中国と戦争をする意思はなく、また昭和12年に偶発し拡大する中国との争いをやめ、中国から兵を引きあげたかったのです。ましてや、アメリカとの戦争などは、ぜひとも避けたかったのです。アメリカもドイツとは戦争がしたく、それゆえ当初は日本との戦争を避けたかったのです。
日本は大いなる野望ともち、まず中国との戦争からはじめていき、やがてその野望達成の必要上ナチ・ドイツと同盟を結び、ドイツは欧州を、日本は東アジア全部を支配するため戦争をした。日本については間違いの解釈をしています。アメリカは正義の保安官で、町の秩序をみだす日本という悪漢を二丁拳銃で打倒したという西部劇です。
専制全体主義国家は暴力と脅迫と大虚偽宣伝にみちあふれていました。日本は違います。)
日本の「鬼畜米英」は戦争が始まってから言い出された言葉で、最初に鬼畜米英の考えがあって、その考えにしたがって政策目標が作られ実行されたわけではありません。国民の間には英米への強い好意がありました。東アジアでは、日本がもっとも英米への好意が強かった国でしたし、今でもそうではないかとと思います。
昭和12年(1937年)7月7日盧溝橋での偶発的些細な事件では、日本も中国も拡大する意図はなく、そのまま停戦して終わりにしたかったのです。しかし、日中双方の停戦の意図にもかかわらず、拡大し、大げんかになり、ついにアメリカとの戦争になりました。
アメリカとの戦争になるまで、つまり昭和16年12月まで、4年と5か月もあります。アメリカと戦争したければ、もっと早く、対中戦争で体力を消耗するまでに始めています。なぜそんなに待つ必要があったでしょうか。また、もしそうならば、対米衝突を避けるために、日本が提議して日米交渉などする必要もありません。日本は中国全土を占領しようとか、東アジアから英米の勢力を駆逐するというような、大それた考えや予定などもっていませんでした。東南アジアの植民地を解放しようという崇高な考えで戦争をしたのではありません。対米関係が悪化し、アメリカから経済的に締めつけられ、南方の天然資源のほうに眼が向いていったのです。最終的に南方の天然資源確保のために英米仏蘭と戦い、これらの地域から英、仏、蘭を追い払いました。その結果、戦後これらの国々がふたたびその植民地に支配者として帰ろうとしましたが、東アジアの人々の激しい抵抗にあい、不可能になりました。
もし、こうしたことがなかったなら、アジアの国々の解放は、フィリピンは別かもしれませんが、ずっと遅れていたのは間違いありません。
ライシャワーも「ザ・ジャパニーズ」で書いていますが、日本は東アジアにあって他の国々と違う国なのです。理由は歴史的経験の違いです。東南アジアの国々と、歴史上たえず専制国家であった中国とそれを手本とした朝鮮・韓国と、封建制度を発達させた分権的な、しかしながら、統一された社会としての日本という経験の違いがあります。また西洋帝国主義の挑戦にいちはやくうまく応じて独立を維持した日本という違いがあります。また明治以後日本だけ豊かになり、敗戦後もいちはやく日本だけいちはやく復興しそのうえ豊かになった日本という違いがあります。また戦後一時的な占領をのぞくと、西洋諸国の植民地になったという経験ももちません。ヴェトナム、インドネシア、ビルマなど、植民地になった国々と人々がどんなにみじめな政治や生活を強いられたかという、経験をしたことがありません。
日米交渉において、アメリカから経済的に締めつけられと書きましたが、こう書くと、「じゃあ、悪いのはアメリカだ」という意味でもありません。そこには交渉過程における相互のやり取りというものがあります。アメリカとしては、そうでなかったら取りにくかっただろう強硬な手をうつことができたからです。
イギリス、フランス、オランダとしては、日本に負かされ、かつ植民地を失い、大変不愉快だったでしょう。
なお、日本は南方の天然資源確保・・・といいましたが、ナチは東欧とソ連に一方的に襲いかかりました。日本はそんなことしていません。万一アメリカからの資源買いつけに支障が出た場合にそなえて、事前にオランダと商業ベースでの購入をのぞみ、交渉をしています。この交渉はまとまりませんでした。
万が一のインドネシアへの進出のため、また英米の中国援助の道を封鎖するため、フランスとはヴェトナムへの進駐を考えて交渉します。この交渉には軍事的圧力をちらつかせ貫徹しますが、これにたいしアメリカは石油の輸出禁止と在米資産の凍結という厳しい手段でこたえます。このアメリカの予想外の反応に近衛はびっくり仰天。そこでルーズベルト大統領との直接会談を提案します。それは軍部が対米交渉の障害になっているから、軍部の頭越しに話し合い、交渉をまとめよう考えたからです。この直接首脳会談には、アメリカはハル国務長官などが強く反対し、この提案を拒否します。
さて日中戦争ですが、これが中国で拡大し、英米との雲行きがあやしくなり、対決を避けようとして、対米交渉を提議し、日米交渉がワシントンで開始します。その交渉がまとまらなかったのは、日本にも大きな責任があります。しかし、「それは日本だけの責任だ。アメリカは悪くない」と一般に考えれていますが、これは大間違いです。ハル国務長官の態度にもみられるように、アメリカにも大きな責任があります。ハル国務長官には、アメリカの学者にも同じ意見がありますが、「だいたい戦争を避けるため、日本との交渉をまとめるつもりがあるのですか」と言ってもいいぐらいのところがありました。
日本は昭和にはいると、右翼的国粋主義の風潮も強くはなりますが、ドイツとは違い、多くの組織が併存しており、どの一つの組織も他の組織を圧倒するとか、ましてや他の組織を滅ぼしていくということはありませんでした。そのときそのときの事情や都合で、ある組織あるいは政治勢力の意見が強まったり弱まったりしていました。日本の場合は、偶発戦が拡大していくにつれ、その戦争遂行上戦時体制ができ、陸軍の要望が聞き入れられていき、陸軍が威張ったのです。決して陸軍は他の組織を吸収したわけではありません。一部の軍事費をのぞくと、法案も予算案もすべて国会を通過しなくてはなりませんでした。そういう意味で国会は機能していたのです。意外だと思われるかもしれませんが、軍部は議会や世論を気にしていたのです。
陸軍に反対したからといって、消されるとか、強制収容所おくりになるということはありませんでした。強制収容所もないし、ゲシュタポなどの恐ろしい暴力警察もありませんでした。日常生活については、もっと具体的なものを当時の新聞とか記録とか小説などで、実際の日本人の日常の暮らしを知る必要があると思います。(たとえば田辺聖子の小説や思い出。向田邦子の小説。芹沢光治良の「人間の運命」も面白い本です。)
日米交渉の難点の一つは、中国からの撤兵問題でした。陸軍も東条も中国から撤退はするが、それには二、三年は必要だと言い張ったのです。ナチと違って、中国全土を占領するとか、中国国民を奴隷化するというような主張は、100%ありません。アメリカは二、三年の期間は不満で、二、三か月の以内の撤兵を主張しました。ここに陸軍の横暴があるのです。すぐ撤退しては、陸軍の印象が悪いのです。負けたようで格好よくないというわけです。
大東亜共栄圏思想ですが、日本が中国全土を占領するとか、中国人を奴隷化するというような考えではなく、日中戦争が拡大したから、その説明の一つとして喧伝されたのであり、日中国民の平和友好といったムードがその本質であり、具体性のないものでした。当時もやはり、日本人は根底に日本人の中国にたいする「シナ(中国)コンプレックス」をもっていたのです。
東条は陸軍の「行進」の先頭で旗をもっていましたが、「俺についてこい」と陸軍を引っ張っていたのでなく、陸軍というおみこし担ぎ運動で、その集団行動行進で、たまたま旗手をつとめていたにすぎません。もちろん、それで得意になっていたわけですが。といって、東条に責任がないわけではありません。
日本の場合、いくら東条などでもある一定以上の文化・教養があったわけです。それを、ナチも日本も一緒にしてもらっては困ります。
この教養の差は、例えば敗戦の受けいれかたにも、大きな違いとなって表われます。日本の場合は、これ以上の負担を国民に強いるのはいけないという、コンセンサスがありました。ポツダム宣言の受託については、その内容の具体的な確認とか、「これでは国体が守れないではないか」といった意見の違いで、受諾がおくれただけであり、基本線は敗北やむなしでした。
東条でさえ対米交渉の妥結を希望をしていました。彼は10月中旬近衛に代わって総理大臣になりますが、東郷という、軍部の考えに抵抗した、超ハト派の、言葉をかえれば「強硬なハト派」の人間を外務大臣にして、交渉を継続します。(東郷は昭和20年4月成立の鈴木内閣という敗戦・終戦のための内閣で、外務大臣として、敗戦・終戦のために尽力します。彼は東京裁判では有罪。禁固二十年の判決。)
東条は反英米主義者でもありませんでした。中国との戦争で泥沼にはいってしまい、戦線を縮小する勇気、そこから撤退する勇気、をもたなかったのです。これがため、大事になってしまいました。昭和7年から大平洋戦争勃発までの駐日アメリカ大使のジョセフ・グルーという人は、知日家、親日家でしたが、日記で「日本人は何か困難があると、(それを解決しようとしないで)回れ右をしてしまう」と書いています。
日本は「勝った、勝った。悪いシナを懲らしめた」という形にもっていけなかったわけです。戦線を大幅に縮小する勇気が必要でした。
中国も内部に大問題をかかえており、また、日本を一方的に大陸から追い出すほどの力をもっていませんでしたし、また、英米もそこまで中国を援助する必要は感じていなかったのです。中国が協定を守らないので困っているという点では、英米も日本と同舟でした。
陸軍は英米と大平洋方面で戦うための軍隊ではなく、大陸での権益を守るため、(ということは、間違いなく、日本の帝国主義的政策と関係しますが)、の軍隊であり、その対象は一貫してソ連でした。
また、よく誤解されることは、「日本は日清戦争とか、日露戦争とか、あるいは満州事変のあとから、大規模な軍隊を中国大陸に駐屯させていただろう」ということです。これもよくある誤解で、昭和12年の日本と中国の偶発的事件が拡大するまでは、中国大陸に少しの軍隊を駐留させていただけです。
金融制裁による経済危機と、外資系企業の撤退による富裕層の雇用壊滅が根本的に打撃が大きすぎるし、
外資系企業撤退によるインフラともいえるほどのサービス(AmazonやSNS、クレジットカード)の利用停止が与える生活への影響が非常に大きい。
それに対するロシアの反応が、それをやったらもう企業は戻ってこないとか、自滅だろうと言うものになってしまってるのも痛い。
もう純粋に軍事的に見ても不可能に思えるけど、仮にウクライナの東部を制圧できたとしても、ロシアが崩壊していくのは止まらないだろう。
とは言え、ロシアは完全に崩壊するまで止まる事は出来ないのだろう。こんなの付き合いきれなくて分離独立を模索する共和国もうまれるだろうし国が一つ消えるなぁ。
日々罪のないウクライナ人、子供などの非戦闘員、が死ぬたびに、死者一人につきプーチンを支持したロシア人1000人死ねと思う位
現代では、国の経済の規模はお金で表し、給料も税金もお金で支払われますが、江戸時代にはお米がその役割を担っていました。
「加賀百万石」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。領地の経済規模はお米の単位「1石(こく)」(≒150kg)の価値に換算して表されていました。1石は、当時1人が1年間に食べるお米の量とされていました。
また、お米1石が収穫できる田んぼの面積が「1反(たん)」(≒10a(アール))とされていました。1反の田んぼがあれば1人が1年間に食べるお米が確保できるということで、どれだけの田んぼが領地にあれば何人養えるかが大体わかるということになります。自給率の考えに似ているところがありますね。
江戸時代は、外国との貿易が限られていたのでお米の自給率はほぼ100%だったと考えられます。大規模な新田開発によって耕地面積は1600年頃から1720年頃にかけて1.3~1.8倍に増えたと言われており、耕地が増加した分、多くの人口を養えるようになりました。1600年頃に1,000~2,000万人だった人口が1720年頃には3,000万人程度まで増えたと言われています(*1)。
一方で、災害や異常気象によるお米の不作が原因となって幾度にわたり大飢饉が起きた時代でもありました。大飢饉の経験を踏まえてお米の備蓄やかんしょ(サツマイモ)の栽培が奨励されたことは、現代の食料安全保障に通じるものがあります。
明治時代に入り、新政府は、外貨獲得のため殖産興業と貿易促進に力を入れていましたが、生糸やお茶に並んで重要輸出品に位置付けられていたのが実はお米です。お米が最も盛んに輸出されていたのは神戸港で、明治11(1878)年と明治21(1888)年にお茶を抜いてお米が輸出額第1位になっています(*2)。
どのくらいのお米が輸出されていたのでしょうか。当時の政府文書によれば、明治12(1879)年~明治21(1888)年の十年間の平均で、酒造用を除いた国内消費量3,129万石(約470万トン)に対して34万石(約5万トン)が輸出されていました(*3)。
輸出先は、主に英国、ドイツ、フランス、イタリアなどの欧州で、日本産米は品質が高く評価されていました。欧州でもイタリアやスペインを中心にお米が生産されており米料理を食べる文化があったのです。
明治時代に入って海外に輸出するようになったきっかけは、連年の豊作で米価が暴落したことでしたが、やがて外貨獲得の手段としても政府が自ら欧州での販売状況を情報収集し、産地でも輸出向けの品質改善に取り組みました(*4)。
このように、明治時代前期はお米を海外に輸出して自給率が100%を超えていたのです。
(図1)明治時代のお米の需給と輸出
お米の輸出国から輸入国への転換はあるとき突然やってきました。
お米の輸出量が過去最大となった年の翌年、明治22(1889)年に暴風雨による水害で収穫量が前三か年平均の85%まで落ち込むと、米価が暴騰し、翌年には不足分を賄うため193万石(約29万トン)のお米を輸入することになりました(*5)。米価高騰は簡単には収まらず、富山を始め各地で米騒動が起こり都市部では餓死者が出ました(*6)。
(図2)お米の輸入量の推移
(図2)お米の輸入量の推移
明治の初年からお米の輸入は行われていましたが、このときを境に大量の輸入がだんだんと恒常化し、盛んだった輸出は縮小していきました。
いったい何が起こったのでしょうか。原因は、人口の増加と1人当たり米消費量の増加でした。明治前期(1876~1885年)に比べて20年後(1896~1905年)には人口が1.21倍、1人当たり米消費量も1.21倍に増えたと推計されています(*7)。それまで、農村では米だけを主食とする(できる)人は少なく、米に麦・雑穀・いも等を混ぜるのが一般的で、実質の米食率は5割程度でした。好景気によって、農村の米食率が上昇するとともに米食中心だった都市の人口が増大したことで、お米の消費量はわずか20年で約1.5倍に増えたのです。
明治時代に入ってから近代的な土地改良や栽培技術の導入でお米の生産量は増加していましたが、明治25(1892)年の大蔵省主計局『米価ヲ平準二スル方案』は、生産増加だけでは人口増加に追いつかないと結論づけ、不作時の米価高騰を抑えるためにも外国からお米を輸入しやすくすべきと述べています。
人口はその後も増え続け、明治前期に3,700万人だった人口は、明治44(1911)年には5,000万人、大正15(1926)年には6,000万人を超え、昭和15(1940)年には7,200万人にまで達したのです(*1)。
5. 輸入に頼らざるを得なかった時代 ~大正時代・昭和初期~
お米の自給率は、1890年代には100%を下回り、大正時代には94%、昭和初頭には85%まで下がりました(*1)。ただし、この頃、朝鮮半島・台湾のお米は、輸入ではなく「移入」とされ、当時の日本政府は、日本本土に朝鮮半島・台湾を含めた圏内での自給を目指していくことになります(前掲の自給率は、移入も輸入に含めて計算されたもの)。大正6(1917)年の輸移入は、朝鮮半島のお米が48%、台湾のお米が31%、外米(英領インド(ビルマ)、仏領インドシナ、タイ)が21%となっていました(*8)。
大正7(1918)年には、二年連続の不作によって長期的に米価が高騰し、再び富山を始め各地で米騒動が起こりました。政府は、不足分を賄うため大規模な外米輸入を図ろうとしました。しかし、外米産地でも洪水や干ばつで不作が起こったことや、国内の米価高騰を抑制するため外米産地の政府が輸出制限や輸出禁止を行ったため、円滑に輸入が進まず厳しい外交交渉を強いられました(*8)。
また、昭和16(1941)年に始まった太平洋戦争では、戦況の悪化とともに外米輸入のための商船が確保できなくなり、昭和18(1943)年にはお米の輸入が半減、翌年にはほぼ途絶し、日本国内の食糧不足が深刻になりました(*9)。
6. 約70年ぶりの自給の達成 ~昭和中期~
昭和20(1945)年に終戦を迎えた日本は、戦争による耕地の荒廃、農業労働力不足に加え、朝鮮半島・台湾等からの輸移入に頼っていた需給構造が崩壊したため、深刻な食糧危機に直面しました。しかし、本格的にお米の輸入ができるようになったのは昭和25(1950)年以降でした。タイ、ビルマ(ミャンマー)、米国、エジプト等からお米を輸入することで国内の米不足を賄いました。
昭和27(1952)年には、10年後までに米麦の国内自給の達成を目標とする「食糧増産5ヵ年計画」を立てて生産量の増大に取り組み、昭和25(1950)年の938万トンから昭和47(1962)年の1,445万トンへと約20年で1.5倍になりました(*5)。約70年ぶりにお米の自給が達成されることとなったのです。
増産によりお米の自給が達成された一方で、高度経済成長によって食生活が多様化したことで、お米の一人当たり年間消費量は、昭和37(1962)年度の118.3kgをピークに減少に転じていました。
生産が需要を上回り大量の過剰在庫が発生するようになったため、昭和46(1961)年からは生産調整が本格実施されるようになり、1,200万トン前後だった生産量は、約50年で約800万トンにまで減少しました。一人当たり年間消費量も約50kgまで減りました。自給率の高いお米の消費が減ることで食料自給率(カロリーベース)は昭和40(1965)年度の73%から40%程度まで低下することとなったのです。
日本でも中国の報道は多いが、気になるのは技術に関する情報だ。
おそらく報道が少なすぎて、どれくらいのレベルかも判断出来る状況にない。
中国は最近凄いよね、という感覚を持っている人はいると思うが、具体的な中国企業名をどれだけ挙げられるだろうか。
米国に輸出禁止された企業となると米国メディア経由で日本でも翻訳されたのが報道されるが、それ以外の企業はどうだろうか。
中国初のWebフレームワークといった、比較的、日本のネット住民にもアクセスしやすい情報も入ってこない。
中国の大学に日本人研究者が雇用されている、といった報道はされるが、中国の大学でどれくらいのレベルの教育がされているかといった情報は出てこない。
英語の技術書は、まだウォッチされているが、中国の技術書はノーマークだろう。
(中国での技術書の新刊をチェックした人は殆どいないのではないだろうか)
論文を書いている人は、中国初の論文が多くなっているので、増えているなという感覚はあるだろうが、どの教授のグループ出身の人達がレベル高いといったところまで追えてないはずだ。
なぜ気にしているのかというと、今後、米中どちらにも振り回されることになるわけだが、中国の技術状況をキャッチアップできずに黒船来航にならないだろうか。
中国を捉える時にややこしくしているのは、レベルが低いものから高いものまでゴチャまぜになっていることだ。
Aliexpress経由で輸入する人は、安くて低い物に注目し、日本にも入ってくるのでおそらく適切にキャッチアップ出来る。
問題は中国から他国への輸出禁止と判断されるようなレベルの高いものだ。
こちらは書籍などからどれくらいのレベルに到達しているのかを判断するしかないのだが、おそらく出来ていない。
ビザは問題なくても海外旅行へ行けなくなる空気になる可能性高いし
中国がコロナに完全勝利したがマジじゃなきゃ物が入ってこないよ
影響受けてんじゃん?
商務部「マスク・原材料の輸出禁止令出していない」
http://j.people.com.cn/n3/2020/0306/c94476-9665553.html
機械はあるが、不織布がない
「一部メーカーの不織布は調達価格が1トンあたり15万元(1元は約15.2円)に跳ね上がり、それでも現物は手に入らない。在庫がなくなって生産を停止したメーカーも数社ある
いつになったらマスクを外せる?マスクに関する最新の豆知識
警戒レベルの低い地域はマスクなしでもOK?
警戒レベルの低い地域と言っても、リスクが無いわけではない。住民は引き続き防護策を講じ、不急不要の集まりなどを控えなければならない。また、人が多く集まる場所へ行く時はマスクを着用したほうがよく、自身の健康チェックも心がけなければならない。
韓国の件だけど、自分がここ10年ぐらい関わっている安全保障貿易管理(輸出管理)の分野が日の目を見て嬉しいと思う反面、不正確な報道やツイート拡散も目につく。
そこで、頭の整理も兼ねて、今回の事象に対する輸出管理担当者の考えを、ここに遺しておこうと思う。
■輸出規制ではないのか
最近の報道を見ていると「ホワイト国を外れても輸出はできる。だから「輸出規制」にはあたらない」というのが日本政府の言い分であり、最近のネット言説の潮流となりつつある。
しかし、それはあまりに形式的な論であり、輸出にかかわる企業側の手間、輸出までの期間を考えると、実質的な「輸出規制」に値するものだと私は思う。
ここで日本の輸出規制について触れておくと、大きくわけて(1)リスト規制と(2)キャッチオール規制という2つの規制に分かれている。
貨物の性質に着目した規制。たとえば精度の高い工作機械なんかは、核兵器開発に転用される可能性があるので、広範に規制されている。フッ化ポリイミド、レジスト、フッ化水素もこのリスト規制に引っかかる。
原則は輸出案件(契約)ごとに許可を取る必要がある(=個別許可申請)。
ところがこの個別許可申請というのが曲者で、今どき申請は紙ベース。添付する契約書面の内容はもちろん、誤字脱字等についても事細かにチェックされて、まあなかなか許可が下りない(90日以内というルールがあるにはあるのだが)。あと許可申請先は経産省の安全保障貿易審査課という鬼のように厳しい部署であり、厄介。
それじゃ企業の経済活動が成り立たないよね、というわけで、一定場合については「包括許可」という、文字通り包括的に許可を与える制度を設けて、簡単に輸出できるようにしたわけ。
特にホワイト国向けの「一般包括許可」という制度は、なんだろう、鈍行列車に対する新幹線みたいなもの?あるいはディズニーランドのファストパスみたいなもので、電子申請もできて、許可もスムーズに下りる。申請先も全国の経済産業局や通商事務所で済む。経産省の審査課に比べると遥かに楽。
韓国についてはすべてのリスト規制貨物について「一般包括」が使えていたのを、7月1日からはフッ化ポリイミド、レジスト、フッ化水素について使えなくした、つまり個別許可申請が必要とした。
そして8月28日からは韓国がホワイト国を外れるので、すべてのリスト規制貨物について個別許可が必要となる。たとえば等級の高いベアリングはリスト規制貨物なんだけど、それ1つ韓国に出すにも、いちいち経済産業省に申請が必要となってしまう。
(正確に言うと3品目以外については「特別一般包括」という制度を使うという手がある。ただし経産省検査官の監査を事前に受け入れなければならなかったり、いろいろ面倒くさい)
■結論
つらつらと書いてきましたが、とにかく個別許可申請というのは、言葉上のイメージより遥かに面倒くさいものであり、許可までに時間も掛かる「実質的な輸出規制」に値するものなのですよ・・というのが私の考え。
フッ化ポリイミド、レジスト、フッ化水素を取り扱う企業について考えると、おそらく案件ごとに個別許可申請して、許可を取って、船を手配して・・・と悠長なことをやってられるような貨物ではなさそう。デカものの工作機械であれば、1件ごとの個別許可申請でも商売が回るのだが(面倒くさいことは変わりない)。
さらに、個別許可申請では「誓約書」という、勝手に転売しない旨をうたった文書を相手方から取得する制度がある。これ、相手方が誓約書に反して転売した場合は日本の企業が責任を問われるという鬼畜な制度であり、具体的には罰金や輸出禁止処分等のペナルティを課されてしまう。だから工作機械メーカーなんかはGPSを機械に埋め込んで、相手方が機械を動かし場合はすぐ分かるようにチェック体制を整えている。
しかし、フッ化ポリイミド、レジスト、フッ化水素にGPSを埋め込むわけにはいかない。もし韓国企業がこっそり転売をしたら、彼らを信じてわざわざ輸出許可を取った自分たちにペナルティが課されてしまう。こんな状況下でわざわざリスクを取って輸出をするかというと、韓国向け輸出自体をやめてしまうのではないだろうか?
上記3品目については日本政府は輸出許可を出さないような気がする。もちろん不許可処分を出してしまうと大事になるので、企業の自粛を求めるようなやり方になるとは思うのだけど(そういうことが何度かあった)。その意味でも「実質的な輸出規制」に値するものだと思う。
顧客の性質に着目した規制。簡単に言うと経産省が発行しているブラックリスト(外国ユーザーリストという)に載っているか、輸出された貨物を核兵器開発等に使用した前科があったり、今回使用しようとしている顧客については、リスト規制と同じように経産省に許可申請をしなければならないとする制度。輸出企業は、顧客の名前や契約書、HPを調べて、安全な顧客かどうかを確認する義務があるというわけ。
ホワイト国向け輸出の場合はそもそもこのキャッチオール規制審査が免除されていたのだけど、ホワイト国から外れると、この審査も行わなければならない。
・・・ただ、担当者の実感としては、この審査自体はさほどの手間ではない。企業によってはホワイト・非ホワイトの区別をつけず実施しているところも多いと思う。
■ホワイト国を外すこと
ちなみに、ホワイト国というのは現在27カ国あって、国際的なレジームに加入しているかどうかが基準になっている。核だったり、ミサイルだったり、生物兵器だったり、汎用品の軍事転用だったり。自分がこの仕事を始めてからは、ブルガリアが追加されたことがあったと思うけれども、基本的には4つのレジームに入っているかどうかがメルクマール(と、自分は教えられてきたし、安全保障貿易管理の資格試験でもそのような模範解答とされている)。今度インドが入るんじゃないかと数年前から言われてはいる。
ところが韓国は巷間言われているような北朝鮮への横流し疑惑があるとはいえ、4つのレジームから脱退したわけではない。にも関わらず差別的な取り扱いをするのは、明文化されていないとはいえ、ルールを逸脱した運用だよなあ、と思うところはある。
■今後の着地点
本丸はフッ化ポリイミド、レジスト、フッ化水素の3品目だとすると、これらについては引き続き個別許可申請を必要とする一方、今後アメリカの仲介を受けて韓国をホワイト国に戻すというのは、着地点としてありそうな気はする。けど、今の内閣と嫌韓世論からすると、それも難しいのかなあ・・・。
まず転売は基本的に違法ではない。基本的に消費者にわたった資産について
ただし古物商許可証については元々盗品販売の予防のために作られた仕組みである。
転売屋は安価すぎる商品を適正価格にしたり、小売店の在庫を適正処理することができる点については
間違いなく詭弁だ。本来手に入るべき価格で消費者に渡らない問題はすなわち災害時の水価格を
不当に吊り上げる行為に等しい行為である。ましてやそこに買い占めも含まれているとあれば、
つまるところ転売屋は本来の流通システムを破壊し信頼性を棄損する行為に他ならない。
転売屋の最大の罪は消費者保護を完全に無視することだ。一番の問題はリコールである。
リコール情報は特に生命や財産を棄損しかねない商品欠陥もはらんでおり、一般小売店は
しかし、転売屋にはそんなことは存在しないし、する仕組みも存在しない。
ヤフーオークションやメルカリに消費者庁へのホームページリンクを張らせてリコール商品であるかを
確認するくらいは当然しなければいけないだろうがそれも難しいだろう。
リコール商品対象は特定商品の一部ロットである場合もあるからだ。
また、転売屋から購入したことで、アフターサポート動線が破壊される。
たとえば家電量販店が転売起点の場合、家電量販店での仕入れが保証起点になるために発生する。
仕入れタイミングを一般消費者が把握することは不可能であり、消費者は購入時になにも
アフターサポートを受けることが出来ない商品を掴まされることになる。これを新古品リスクと呼称する。
従って、一般のリサイクル販売店ではリサイクル販売店独自の保証を設け、数か月から半年程度の
この点を理解したうえで、転売屋に商品を販売してしまうような店舗の罪は大きい。
高島屋のケースでもそうだが、券を自分に集めた段階でルール違反であり、商品を販売しない流れもあった。
また、輸出禁止にする必要もあったと思われる。これは転売禁止ではなくその国では禁止薬物を
使用しているケースがあるためだ。
転売屋に販売することは一般消費者の迷惑にもなり、マーケティングの分野でもセール品が特定個人に
買い占められるなど問題も多い。結果として、安売りセールは集客の効果を全く生み出さなくなる。
次いで消費も発生しなくなるため、結果的に販売店の信頼をも棄損する。
転売屋を放置する店舗では基本的に、広告イベントを打っても効果が得られない事態も発生している。
これは家電量販店で顕著となっている。
つまるところ転売屋は販売店でせき止めないといけない問題なのだ。
もちろん販売店の中でも転売屋対策を始めている店舗も存在している。たとえばポイントカード制がそうだ。
ポイント会員のみの販売とし、転売の兆候を見つけた場合において販売をボイコットする形式である。
インターネットやオークションサイトの普及により、転売チャネルが増加した結果このような問題が
のだぞ。
日本人が泣いて喜ぶ、K-POPを聞きながら、韓国食品を食べる日常が永遠に失われ、安価で高性能な韓国製電子製品を購入する事も出来なくなるし、アジア最高のリゾート済州島で休暇を楽しむこともできなくなるのだ。それが嫌なら、韓国の主張を全て受けれて謝罪と賠償しろ!
1923 関東大震災
1925 治安維持法制定
1941 太平洋戦争
2011 東日本大震災
2013 秘密保護法制定
2020 東京オリンピック
ほぼ国家公務員しか対象にならない秘密保護法を、世紀の悪法「治安維持法」に見立てるのは無理がある。
この先の出来事も、このままいくと繰り返される可能性が高いかもしれない。
俺は、ここに素直に「自衛隊」を代入していていて、だからこそ、歴史は繰り返さないと思っていた。
戦前の軍部があれだけ暴走できたのは、大新聞と、その後ろにいる国民からの熱烈な応援があったからだ。
今の自衛隊は、国民からの支持率は高いが、メディアからは厳しい視線に晒され続けてる。
文民統制の規定もあり、自衛隊の暴走は不可能に近いし、その動機もない。
三島由紀夫が切腹した頃から、自衛隊はすでにサラリーマンだし、国家に対して反乱を企てるような集団じゃない。
じゃあ誰が「軍部」になるのか?
3.政府の予算の中で「聖域化」され、誰もその関連予算を削れない
この3つの要素を、今持ってるのは誰か?
俺は、現代においては「高齢者」が、戦前の軍部の役割を担うんじゃないかと思った。
そう考えていくと、辻褄が合い始める。
まず、マスメディアにボロクソに叩かれてるアベノミクスだが、あの政策には元ネタがある。
高橋是清が、4度目の大蔵大臣に就任した際に行った金融政策だ。
高橋是清は、井上蔵相が起こしたデフレによる不況を止め、緩やかなインフレを起こすために、積極的な財政出動と「金輸出禁止」による円安政策を行なった。
1931年の話だ。
この政策で国の景気ははっきりと回復へ向かったが、高橋是清は関東大震災以降の支出超過でこれ以上の財政出動が危険だと理解していて、財政健全化へと舵を切った。
要は、震災対応と財政出動で金を使いすぎたから、軍事費含めた国の予算を軒並み削減して、なんとか国の赤字を減らそうとしていた。
これに反抗したのが、当時の軍部だ。
軍部のうち皇道派と呼ばれる人間たちは、富裕層だけに味方している(ように見えた)高橋是清のことを、「君側の奸」と吐き捨てた。
こんな政治家のことは天皇陛下もお嫌いのはずと「忖度」して、クーデターを起こし、殺害した。
世に言う、二・二六事件だ。
高橋是清が殺害されたことで、財政健全化政策も、金融政策も完全に止まった。
あと一歩で回復するかもしれなかった日本の景気は腰折れし、高橋是清が削ろうとして叶わなかった軍事費は、どんどん膨張した。
結果として、財政がどうにもならなくなった日本は、景気回復を「軍部による戦争」にしか求められなくなり、支那事変を引き起こす。
話を現代に戻そう。
「宮内庁、毎日『陛下 公務否定に衝撃』報道を否定 有識者会議意見に不満のご発言『事実ない』」
ただ、ここで重要なのは「マスメディアが、天皇陛下を利用して、政府批判をはじめた」ということだ。
「陛下の心を傷つける専門家会議とそれを主導する安倍晋三は、君側の奸だ」ってわけだ。
こんな、戦前軍部の「皇道派」みたいなことを言う人間が、この現代日本に現れた。
俺は、このニュースを見て、本当にまずいんじゃないかと思った。
安保法制の騒ぎの中で分かったことは、「安倍政治を許さない」とデモをしている人たちには、高齢者が多いということだ。
Twitterなんかで確認する限り、毎日新聞の例の記事も、高齢者らしき人々の中では評判が良く、拡散されているようだ。
安倍政権の支持率は、これまた高齢者に支えられるテレビメディアからの「森友学園」「加計学園」の連続スキャンダル攻勢で、確実に落ちてきている。
俺には、現代の安倍晋三が、戦前の高橋是清と同じ役割を担っているように見えた。
安倍晋三が高橋是清ほど良い政治家かと言われたら正直疑問だが、少なくとも、同じ役どころが回ってきてるようには見える。
これから、マスメディアとそれを後押しする高齢者の力で安倍政権が倒れた場合、日本は、戦前の二・二六事件後と似たような空気になるんじゃないかと思う。
選挙で圧倒的な力を発揮する高齢者に関わる社会保障費を、政治家は、誰も削れなくなる。
膨張した社会保障費が五輪準備費を圧迫し「オリンピックなんて中止すればいい」という声も出始める。
国内だけでは財政の課題を解決できないと判断した国は、「海外」に目を向け始める。
みんな、安倍晋三が「ヒトラー(独裁者)」で、自衛隊が「軍部」の役割を担うと思って警戒してるけど、その形なら、ちゃんと止められるんだよ。
そのパターンは、一回やってるから。だから、どんな馬鹿にもその危険がなんとなく想像できて、歯止めをかけられる。
じゃあ、なんで歴史が繰り返されるのか?
要は、「役者が変わってるから、同じ演目をやってるって気づかない」んだ。
みんな、軍(自衛隊)と独裁者(首相)に注目しておけばいいと思ってる。
でも、そうじゃないんだよ。軍はもう、警戒されてるし、批判もできる。
俺たちが見なきゃいけないのは、今この日本で「政治家が批判できない、聖域化しつつある人たちは誰なのか」ってことなんだ。
俺は、東京オリンピックが2020年に開催できる可能性は、50%くらいだと思ってる。
この1年の政治の動きによっては、「何らかの理由」で、オリンピックが中止される未来が、本気であると思ってる。
たぶん、真正面から高齢者を悪者にしてるこの説は、マスメディアには絶対に載らない。
今、この国が瀬戸際に立ってるってことを、なるべく多くの人に知ってほしい。