「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 細かすぎて伝わらないモノマネ選手権とは

2020-03-17

anond:20191226125233

元増田の疑問に答えるには少々話が長くなる。と言うのもテレビ近代史に割と深く関わってるからだ。

実はコロッケ達の前に「先代の」ものまね四天王がいたんだ。所がそのうちの一人が愛人に刺されて命を落とした事で一気に黒歴史化した事で急遽コロッケ清水アキラ栗田貫一、そしてビジーフォーを新たな四天王に添えた。んでこいつらがそれぞれものまね革命を起こす発明をしたんだ。例えば清水は鼻にセロテープクリカンはもしもシリーズビジーフォー人形を棒で操作するアレ(名前なんて言うの?)、そしてコロッケは背後から本人が登場、である

美川憲一の「さそり座の女」を例によって大袈裟に歌っていると背後から本物が不機嫌な顔でやってきてコロッケ挙動不審になる姿が当時バズった訳だ。クスリで捕まって芸能界から消える前は男の娘、というか中性的な色気の美青年(かの三島由紀夫も惚れ込んだとか)だったが以降は「おネエおっさん」と言うネタキャラとして再ブレイクを果たすことになる。

話をコロッケに戻そう。以降「デフォルメしまくり調子に乗る」姿と「怒られてキョドる」姿の落差が大きければ大きいほどウケる事に味をしめたコロッケデフォルメがより大袈裟に、より不躾になるのは必然だった。これは俺の思い出話だが当時人気ドラマだった「教師びんびん物語」で田原俊彦の真似を披露した翌日の学校女子全員が本気でキレてた程だ。

かくしてデフォルメものまね第一人者となったコロッケだがここで誤算が生じる。「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」が放送開始されたのである。初回こそ手探り状態だったが第二回、次長課長河本による「オメエに食わせるタンメンは無ェ!」で方向性が定まると以降「ディテールリアリティーに拘る」コロッケとは真逆の芸風が主流になり若い人達もそれを観て育ってきたであろうからまあ要はコロッケ時代に取り残されたのである

2019-12-24

引き際を失った増田ボッシュートする装置実装を求める

細かすぎて伝わらないモノマネ選手権みたいに床に穴開いて落としたらいいオチになりそうっていつも思ってる

2017-05-19

http://anond.hatelabo.jp/20170519081429

CDデビューまでしたネプチューンなんかが典型的だけど

あれはお笑い芸人アイドルとして扱うムーブメントの一つだったとみなしている。

後進のエンタの神様レッドカーペットは、

芸人持ちネタであること

・数分の鑑賞に耐えられること

という縛りが一応存在していて演芸番組としての体裁は保っていた。

駄洒落というお題目に沿ってその番組のためだけにネタが用意される。1組に割かれる時間は長くて一回30秒ほど。

であるボキャ天は、お笑い芸人演劇披露するというよりも、芸人プレーヤー見立てゲームという色合いの方が濃い。

(この数秒で芸人が立ち代わり入れ替わり登場するシステムは、細かすぎて伝わらないモノマネ選手権で今も健在だ。)

からすると90年代吉本印天然素材電波少年での猿岩石など、未熟な若手をアイドルフォーマットに当てはめて売り込もうとする風潮が存在したように見える。

ボキャブラ天国もその流れの一つではないかと。

そしてそのムーブメントオンエアバトル放送M-1の開始で、観客が「本格嗜好」となったために下火になったのではないだろうか。

2009-02-12

http://anond.hatelabo.jp/20090211194130

おお。すまん。

スルーしてたみたいだ。

おっさんは、

情弱で観測範囲がメタボなんだ。

 

ところで、少年よ

「使えない」という言葉

現代人はよく使うけど、

なにも君のために生きているわけじゃないからな。

たとえ部下が「使えなかった」としても、

そういう言葉を使っちゃダメだぞ。

 

で、

アニメか。

 

正直、釘宮理恵田中理恵と、どっちかを選べと言われたら、

甲乙つけがたいが、とりあえず、王理恵は無いと断言できる。

 

前口上はこれぐらいにして、本題だ。

あなたが何を期待してたのかわからないけど、

アニメ版とらドラ!は糞だ」

みたいなことを書いて、消しちゃった人かな?

 

アニメ原作の違い

あなたの文章は、省略部分が多すぎて、

おじさんにはついていけないよ。

監督の作風の話も、ようわからん。

アニメ版が「説明不足」で「独りよがり」と言われても、

わからん。お前の話は、ようわからん!

全体的な印象なら、

原作アニメも一緒だと思うけどね。おじさん的には。

まあ、ここは感受性の問題だから、

若い君たちに任せる。

 

一応推測すると、

アニメ版では登場人物たちの細かい心情描写がカットされていること」

について「説明不足」であり「独りよがり」と言っているのかな?

 

みのりんキャラクター

フィクションなんだし、リアリティを求める必要があるのかどうか。

とらドラ!」の中で、どういう役割を果たしているかで、

いいんでないですか。

ギャグもそういう意味では突っ込みどころなのかどうか。

個人的には、

みのりんには爆笑レッドカーペットより、

細かすぎて伝わらないモノマネ選手権に出てもらったほうが、

うれしいな。

 

公私混同

君が物語に何を求めているのかが、

おじさんにはわからない。

 

萌え

(1)「萌え」が対象の弱い部分をあげつらったり、弱者扱いして喜ぶ下衆な感情である事はもう常識かと思うが、

(2)そういう「萌え」を他者から浴びせられる人間(今回の場合作者)は、他者からのメタ視点にもかなり敏感になって不思議はないよ。

(3)その場合、当然それはその人間作品登場人物にも反映されるはずで。

(1)については理解できる。

(2)は、

萌えられるキャラクターを作成する作者は『このキャラ萌えキャラだからな』という読者のメタ視点に敏感になっている」

という意味でよいのか?

それを受けた(3)は

「作者は(1)の『萌え≒弱きもの』という構図を意識しているはずだ」

ということかな?

つまり、

「『このキャラは読者に萌えていただかないといけないので、弱きものとして描きますよー』と作者は考えているはずだ」

ということでよいのか。

 

登場人物たちの役割を考えるなら、

こうした「萌え要素配置」的な意図が入り込むから、

それを考慮しろよ、と

そういうことでよろしいかな。

 

そうであれば、君の指摘は、

おじさんにとって盲点だったといえる。

そこは考えていなかったよ。

 

ただ、それを考慮したところで、

とらドラ!」の物語上の大勢に影響があるとは思えないね。

登場人物たちが

自分ひとりで解決して乗り越えちゃう」

という自分勝手さに変化はないだろう。

 

そもそもね、

おじさんはね、

「『自分ひとりで解決して乗り越える』ということを『成長』として表現している」

という部分に遺憾の意を表明したくて愚痴ったんだよ。

自分ひとりで解決して乗り越える」

というのは、孤独の道を深めてしまう、と俺は思う。

もし、この「とらドラ!」の結末が、

大河と竜二の駆け落ちだったら、

おじさんは困っちゃうな。うーん。

  

しっかしさ、

まあ、愚痴モードを続けるけどさ、

現代社会だから、

自分ひとりで解決して乗り越える」

って部分は、

それはそれと受け入れて

マッチョにいかないと、

サスペンダーのおじさんとか、

勝間勝代(注:このtypoはわざとDAZE☆ミ、勝ちすぎマッチョ!ってことな)とか、

相関45度の人とかに

馬鹿にされるっていう言い方もできるわな。

 

でもよー、

現代社会がそういう構造だっていうなら、

自分一人で戦っていく君にはオラクルカウンセリング機能)が必要だよ」

と俺は言いたいね。

それが、おじさんが、最初に書いたエントリーの主題だからね。

2008-04-03

細かすぎて伝わらないモノマネ選手権12の関根勤が気持ち悪かった

http://jp.youtube.com/watch?v=XzJRqQcn2tE&feature=related

細かすぎて伝わらないモノマネ選手権12で宇都宮まきという芸人彼氏の家に遊びに来た彼女というシチュエーションモノマネをしました。

関根勤宇都宮まきに「ただみてみたい」として彼氏の家に遊びに来た彼女というシチュエーションを「ただみて」いました。

宇都宮まきの最後の台詞は「シャワー借りるね」でした。

私が何が気持ち悪く感じたかというと

立場が上の人間関根勤)が立場を利用して

立場が下の異性(宇都宮まき)に

自分の妄想を強要するところ。だと思います。

私はすごく気持ち悪いと思いましたが、芸能界などのショービジネスは多かれ少なかれ同じように、

立場が上の人間が、立場が下の人間を利用する部分があるのかも知れません。

ドガの踊り子の絵画が踊り子出会いに来ているパトロンを描いたものであるように。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん