はてなキーワード: 見立てとは
90年代~00年代の個人主義は、それこそスタンドアロンコンプレックスと言いたくなるような、個人の自意識が、幸福も成果も責任もすべて引き受けられるとするものだった。でも、人間は物理的にも心理的にも一人では生き続けられない。ここまで利便性が高くなっても、だ。だからそれは間違っていた。
https://twitter.com/twit_shirokuma/status/814453926615339008?lang=ja
個人で完結しようとする個人は、老後までその個人として完結できる可能性は、ある。だが、このイデオロギーは子子孫孫を増やして繁殖するには適さないイデオロギーだから、世代を経るごとに減っていく。繁殖するのは、そのようなイデオロギーを強くは信奉していない者達とその子孫と思われる。
https://twitter.com/twit_shirokuma/status/814455896403156993?lang=ja
私が地方出身の未文明人であるせいか、それとも無自覚に内面化してしまっているせいか、個人主義が何なのかよくわからない。それは具体的に誰が言い出したことでどのような思想なのか。小此木-土居-和田みたいな精神科医の一派が西洋的な個人主義とか言っているらしいが、アメリカはタウンシップの国だったし、ヨーロッパもカトリックは集団宗教であり共産主義は共同主義だ。ロマラブ幻想を輸出しまくったのも西洋である。スタンドアロンな個人主義「者」というのもよくわからないが、ニューヨークとかで知的でクールで容姿端麗でばりばり稼いでる感じの人たちのことだろうか。
私が子供時代に一番多く過ごした町はヤンキー街のさらに奥、そもそも無人だった山を削り原っぱを焼き払ったような土地で、寺も神社も無い祭りもない、元々共同体が存在したことがないような町だったが、「友人・恋人・家庭は何よりも大事。それなくして幸福無し」というイデオロギーが支配していた。金も宗教も共同体も無いからそれしか頼れることがないからかもしれないとも思えるが、間違いなくTVを中心にその他のメディアもそういうイデオロギーをまき散らしていたとも記憶している。スタンドアロンな個人主義なんて「個性」なんかと同じで、バブルに沸く東京で一瞬だけ流行ったものを評論家や精神科医が拡大視しただけのものじゃないだろうか。もしスタンドアロンな個人主義が支配的だったなら、非モテだのコミュ障だのに悩む人間などいなかったし、わざわざスタンドアロンでも満足しようという思想を捻出する必要もなかった。温かい共同体を夢想する孤独なネトウヨが増殖することも無かっただろう。
これからどういう遺伝子・イデオロギーが淘汰されていくのか見立ても曖昧にみえる。具体的にどういう層が繁殖すると想定しているのだろう。わが町(市)は少子化が進んでいるがヤンキーが多い。ヤンキーが多い(かつては早婚が多かった)にも関わらず少子化なのか、ヤンキーが多い(低所得)がゆえに少子化なのか、考えても仕方なさそうである。少子化は全国的なものだからだ。わが町特有の問題でもヤンキー特有の問題でも無さそうに見える。オタクやサブカルの問題でも無いだろう。この草食時代、オタクが恋愛しない理由を分析したところで特有の自己愛形式なんて出てきはしない。
fromdusktildawnさんの2026年試験管内の、精子と卵子の繁殖行動と淘汰
この記事が書かれたのが2006年であり今は2016年の終わり、2026年との中間である。スタンドアロンな個人主義者にはどのような淘汰圧がかかっているのだろうか。
元記事のid:fromdusktildawn氏の説とid:p_shirokuma氏による他の淘汰に関する記事と合わせて考えると「性淘汰を経た、容姿とコミュニケーション能力に優れた男性」且つ「グローバル資本主義を勝ち抜いた抜群の頭脳を持った稼げる少数の男性」が事実上の一夫多妻を形成することで少子化傾向が改善され“新しくて賢い人間”へとevolutionしていくという主張のようだ。おや、“新しくて賢い人間”、私が想定する「スタンドアロンな個人主義者」(ニューヨークとかで知的でクールで容姿端麗でばりばり稼いでる感じの人たち)そのものではないか。
と思ったのでマジレスしてみる
(同じ男性同性愛がテーマでも、主に男性同性愛者を対象とした「ゲイ向け作品」はBLとは言わない)
かつては商業の一次創作作品のみに使われており、それまでこのジャンルを指すのに使われていた「JUNE」が特定の雑誌名のため
他の出版社が使うわけにはいかないので商業的に作り出された用語。
腐女子:同人二次創作のうち男性キャラ同士を同性愛と見立てた作品(かつては「やおい」と言われたが、今は「BL」が主に使われる)を好む女性のこと。
彼女たちが、原作では同性愛関係ではない男性キャラ同士の関係を同性愛と妄想する自分らを「腐ってる」と自虐したのが始まり。
なので当初は二次創作同人者のみが使っていた言葉で、商業の一次作品(「JUNE」や「BL」)のみを好む女性は指さなかった。今ではごた混ぜだが。
(2ch801板で作られた用語とか言ってるブコメがあるが、実際は801板どころか2chが出来る前から同人界で使われていたのは確か)
トンカツがキャベツのど真ん中に乗っていてソースをかけてもキャベツに味がつかない問題に直面した。
トンカツのない外周部のキャベツにはソースで味をつけることができるが、中央部は無味のままである。
切られたカツ片は丁寧に重ねて盛り合わせてあり、カツ片の隙間から下にあるキャベツへソースが伝わる余地もない。
この場合、
1), カツを食し、露出したキャベツ面に改めてソース(またはドレッシング等)をかけるか、
2), 食べる前にカツ片を少しずらしてキャベツを露出させた上でソース(またはドレッシング等)をかけるか、
という選択肢があるだろうか。
問題点としては、
1), の場合は食べ進める毎にちまちまとソース(またはドレッシング等)をかけることになるため、食のリズムが乱れることが懸念される。
2), の場合はせっかく綺麗に盛り合わせてあるものを崩してしまうことがどこか忍びなく、心理的な抵抗を覚えてしまう。
そうこう悩んでいたところ、対面に座っている同僚が第3の解決策を提示した。
カツ片をネタ、キャベツをシャリに見立てた寿司のような食し方と表現するべきだろうか。
なるほど、その手があったか。うまうま。
35歳になりいじめの記憶を辿るという、かなりどうでもいいことをなぜかしようと思ってしまった。そこまでハードないじめのではなかったのかもしれないがまぁ思い出してみよう
自分の中でいじめだったという認識があるのは保育園、小中?高の4時代、中学はそこまででもないが順に辿ってみる
▼保育園
保育園にはいじめっこが2人いた僕はジャイアンとスネ夫に見立てていたがさながら僕はのび太だった。
ジャイアンと僕は同じ女の子のことが好きだった。彼はいつも「女の子ちゃんは俺のモノだ」と言って誰も近寄らせようとはしなかった。多分、彼女も当時はまんざらでもなかったのだと思う。とてもうらやましかったのを覚えている。(これは嫉妬)
保育園に通っている間は、ほぼその2人に毎日殴られ、泣かされて帰った。これは保育園ながら結構辛かった。ジャイアンとスネ夫は僕とは違う小学校に入った。救われたと思った。
人間失格のくだりではないが同窓会などで保育園の時の話をすると、当時の僕を覚えている人がなぜかいない。存在感が薄かったのだ。写真にはよく写っているようで不思議がられる。
▼小学校
小学校は山側に住んでいる人と、谷側に住んでいる人にわけられた。小学校は20人で1学年1クラスしかない小学校だったが、僕は山側に住んでいた。山側に帰るのは僕ともう1人だけ。残りの18人は谷側に帰る人達だった。おかげで、登下校時の話題に乗り遅れ、ブームに乗り遅れた。また、下校後に山側と谷側で遊ぶ交流もほぼなかったし、おまけに僕はピアノを習っていたため女のようだと言ってからかわれる日々だった。
そのうち成長してくるとクラスにはボスが誕生した。もちろんボスは谷側の人であったため、しもべのような人を数人従えて必ず僕はのけ者にされた。ドッヂボールや鬼ごっこ、サッカー・班決め。チームになるような何かの時には必ずヒエラルキー通りのチームわけになった。なので、勝ったためしがない。多数決では、彼の意見にみんなが賛成したのでかなり不条理な決定がまかり通っていた。先生もなぜか不条理なことを受け入れていた。
あるとき、集団相撲というのが流行っていた。チームで分かれて全員をなぎ倒したら勝ちというルールで、特に土俵などは存在しない遊びだった。教室でやっていたらロッカーの角に頭をぶつけて頭から大流血した僕はすぐに病院に運ばれた。
手当をされて戻ると「あれ?生きてるの?」と言われた。後になってわかったが、僕が病院に行っている間に先生の指導のもと、黙祷されていたようだった。今でも信じられない。
しかし、小6の頃革命が起こった。クラスのリーダー格の女の子が隣の席になると一気に仲良くなった。
その女の子と仲良くなることで女子陣が味方につくようになった。無論、男子たちとは更に距離が開くことになったが、初めて友達ができた感じがして救われたのは間違いない。
▼中学校
中学校では走り出しは順調だった。新入生代表挨拶を自分が読んだためだ。
(とはいえ、新入生代表挨拶は、小学校の時誰もやりたくないということで、ボスが僕を指名したために決まったものだった。誇れるものではない)
入学して3ヶ月頃までは普通だった。しかし、突然風向きが変わった。それまで仲の良かったと思っていた人達が僕を外し始めた。僕が小学校時代の弱者であるという認識が広まったのかもしれなかった。そして、若干名の無視を受けていたものの、そこからいじめが発展したということは特になかったが、中学時代はそのくらいだったので、平穏無事に終わったと思ってもいいだろう
▼高校
高校も走り出し1ヶ月は順調だったが、クラスの人間関係では最悪の高校生活だった。少しづつ友達が増えてきたと思ったら1日にして孤立してしまった。
きっかけは、前の席に座っていた1人の男子だった。ある授業中、居眠りをするととても激怒する先生がいたのだが、彼は居眠りをしていたので、起きなさい的な意味で、冗談まじりに消しゴムのカスを後ろからなげつけた。そんなに深い意味はなかった。起きて振り向いたが、殺すぞくらいのキレ方をされた。
そのことにおいては僕も悪かったのかもしれない。
それからだった。何日もしないうちにみんながよそよそしくなって、気付いたら完全に無視される状況が出来上がっていた。これは高校3年の夏くらいまで続いたので、2年半くらいだろうか。
初期の頃は本当に1日が長くて辛すぎた。特に辛かったのは修学旅行だ。3泊4日の沖縄は最悪の思い出だ。オール無視されながらの班行動。これはいじめ人生の山場だった。
高3の夏に何が起こったかというと簡単で、ターゲットが俺ではなくなっただけだった。そこで、そのターゲットをハブるため、俺に声をかけてくるようになったのだ。しかし彼らと仲良くなろうなどという気も一切なく、うれしくもありがたくもなかった。新しくターゲットになった彼はとても辛そうにしていたが、僕の2年半にくらべたらどうってことないだろうと思ったし、そしてその2年半無視していた仲間がターゲットになったところで、どうでもよかった。
長年無視をくらって、それでも頑張ってくらしているととてもタフになる。もう全然1人でも楽しめるような自分が完成していた。暇さえあれば、写真を撮ったり、美術室で絵を描いたり、学校を抜けて映画館に行ったり、本を読んだりしていた。おかげでちょっと人とは違う感性の高校生になっていたのだと思う。
そして、予備校・大学と進んだがそこはなかなか良い友達ができた。
▼その後
23くらいの頃、高校の同窓会が1度あったので参加してみた。既に俺のことを忘れてしまっている人もいたが、よく参加したものだと自分でも思うがまぁよい経験だろう
きっともう同窓会はないと思うが、あったらまた参加すると思う。おかげさまで強くなったし、自分の感性が活きる仕事にもついた。結婚もしたし、今はよい友達もたくさんいる。
こうやって記憶を辿るのはなぜか自分はわからないけど、今はとても幸せだから、なんか見返せたような気がする。それを実感したくて書いたのかもしれない
観葉植物を育てだしてもう十年近い。
増やしたり、減らしたりしてきたけどここ五、六年は枯らしたことはない。
肥料をやらなかったり、根詰まりさせたり、冬に外に出していても、基本的には日光に当てて水やりを失敗しなければ観葉植物はなかなか枯れない。
とはいえ、肥料をやらないのは無駄に大きくしないためだし、根詰まりさせるのも似た理由で、屋外に出していても排熱で暖かいところに置いたりしている。
と言うか、基本的には植物を観察していれば枯れる前に兆候が解る。
一番難しいのは水やりのタイミングであるんだけど、このコツをたまに聞かれる。
観葉植物の調子を判断しやすいのは葉っぱの状態であるのだけど、この表面を僕はいつもチンコの亀頭に見立てて判断している。
更に落ちると明確なシワがよる。
葉っぱを見ていたら分かるのだけど、乾燥が進むと葉っぱの光沢がなくなり、その一段下の状況まではまだ水をあげない方がいい。
勃起はしているのだけど、亀頭にシワがよりはじめた状態こそが水のあげどきである。
そうなったらジャバジャバみずをかける。
そうすると一週間ほどしてまた亀頭が光る。
ただし、冬はやはり勢いがなくなるのでマックスで光らない勃起までしか回復しない。
それでもシワはよるので判断はつく。
先週からぼんやり考えてきたんだけど、結局、お金の悪いところは消えないってとこだよなあ。
誰かの手にあるお金は経済的な活動を通して他者の手元に移動する。個人の感覚では「手元から消える」けれど、お金側に立った視点で見れば、消えない。移動しただけだ。世界にあるお金はどんどん旅をして(移動を繰り返し)、消えたりしない。それどころか信用創造で増えたりする。それが20世紀の経済発展の原動力になってきたのは確かなんだけれど、コントロールするという視点に立つと、消えない、不死である、不滅であるってのはすごく厄介だ。
自然界にあるものは何でも時間が立つと消えていく。放射能だって、老人だって、消えていく。だから「問題が起きたら耐えて時間経過を待つ」って戦略が取れるし、多分これって生物生存の基本戦略なんだと思う。お金は、そこの「消える」ってシステムが基本構造に組み込まれてないので、災害が起きると手がつけられない。消すためには誰かが買い取って(まあ国だよね)燃やすしか無いわけだけど、それって非情にコストが高い&即時性がないわけで、制御手段としてはいまひとつだよなあ。
100年後の世界は「死ぬお金」で社会が運営されてるんじゃないかなあ。
追記:バブルの崩壊を、「生態系を破壊するほどに増殖したお金が適正規模を回復するために行う自死行為」って見立てる研究って、誰かやってるんじゃないかな。
君の名は観たけどクソでした。
ところどころファンタジーやスピリチュアルなのは良いんですが、それ解決策に使ったりすると覚めまちゃいます。
コナン観てて何が重要な鍵になって解決に導くんだろう…とか真剣に思ってたら殺された被害者の霊がコナンの枕元に立って事件の概要をペラペラ話して解決して終わり的な展開だったら萎えますよね。
しかも他の人に話すと「薬で子供になるって時点でフィクションなんだからリアリティとか求めるなよ笑」とか「最初ほうのシーンで霊感あるって言ってたし、ネクストコナンズヒントでも伏線はってるよね?」とか言われるわけです。
設定有る無いとかじゃなくて、解決するための設定自体もしくは展開が強引すぎない?ってことなんですけどね。
それもこれも「もう途中の流れとか関係ねぇ!」って割りきらずに中途半端にキチンとしようとしてるからだと思うんですよ。
だから、おっ!どういう理屈で解決するんだ?って期待が生まれちゃうんです。
だからいっそドラゴンボールとかで解決しちゃったほうがいいと思います。
宮水家には代々伝わる6個、瀧くんが1個持ってて…「いでよ!神龍!」
ほらっ、もう解決じゃないですか。
ほどける組紐を龍に見立てちゃったりして、そして瀧という字の中の龍、彗星の名前のティアマトって神様ってゲームとかでは龍の姿だし、流れる彗星は願いを叶えた後のドラゴンボールが地球に散らばる様子にそっくりです。
ここまで考えてきてやはりと確信しましたが新海誠さんはドラゴンボールをやりたかったのですね。
田舎者の孫悟空と都会に住むブルマ、三葉と瀧と同じですがまさに男女が逆です。わかりやすいオマージュです。
さらにパイパイに固執する瀧からも読み取れます。明らかに亀仙人のオマージュですね。
三葉に入れ替わった瀧がパンパンして「タ、タマがねぇ…!チンも…」というシーンは直接は描写されず匂わす程度の上品な演出になっています。やはりこれもオマージュです。
わかりにくいですがフカフカキンタマクラオマージュには不覚にも笑ってしまいました。
これ以上はネタバレになるので言えませんが映画をわかる人が深読みするとほぼドラゴンボールと同じ言って差し支えない内容になっています。
やはりドラゴンボールは偉大ですよね。
あっ、かたわれ時なので本題とはあまり関係のないドラゴンボールの愛を語ってしまいました。君の名前はオマージュです。
君の なんの映画の話してたのか思い出せないのでこれで失礼します。手のひらに「ぱふぱふ」と書いてあるのでとりあえずおっぱいパブに行ってみようと思います。ありがとうございました。
俺の周りの知人たちは
「メンタル崩壊してあんな奇行した人間に運転続けさせるほうが虐待だろ、普通に考えてストレス掛からない職場に再就職させられたと考えるのが自然」という意見が
少しの違いはあれど処分の決まりの速さを見ても本人の同意ありきだしそうだろう、というのが大体の総意だった。
俺も同じ見立てだし、自分がもしおかしくなってしまったらトラウマで運転なんてしたくなくなると思うし、
別の平和な職場を紹介されたら素直に移ると思うし、続行しろと言われたら泣くと思う。
ところがここインターネットのインテリの集まりである増田ではなぜか日本企業の負の体質として槍玉にあげ大問題の肉料理へと変貌している。
この差は一体何なんだろうか?
実は増田は知識はあっても現実の感覚に落とし込めない頭でっかちの層がぶ厚いだけで、
あまり実生活を生きる上で必要な知識や協調性や教養のステータスは非常に低いユーザーの集まりなのではないだろうか?
もしくは、俺の周りの見方と結論だと話しに広がりを持たせられないため問題を大きくなるように持っていくために、
意図的に知っているが気づかないフリをして議論して話を膨らませているのだろうか?
うーん、わからん。
俺の知人や友人は商社マンやエンジニア、モデル、弁護士、派遣・リクルート、飲食店自営業、研究職と技工士、色々な立場のやつが同級生にいるが、
概ね「保護するために別の紹介先に送ったんだろ」という内容で一致していた。
何が違うんだろうか。
そして保護されてないという主張をする増田はどんなプロフィールが多いのだろうか。
気になる。
須田慎一郎氏の講演会があって聞いてきたんだけど、いやあすごかったわ。プロはやっぱりすごい。
ツイートはするな言われたけど(もちろん冗談だと思うが)増田ならいいよね?国会にも出てるし。そこでプロはすごいと思った2点を話す。
自分も政治経済にはそれなりに興味をもって接しているから、いろいろな経済の動向を知っているつもりでキーワードは抑えていたんだけど、ぼんやり認識していた部分をここまで分かりやすく端的に表すのは流石プロだわ。年間100本こなすらしいから、当然といえば当然だが。
納得したところ
と言うことであった。
正直、アベノミクスが第二弾になって、そういえば失敗失敗と言われている「トリクルダウン」が確かになくなった。その後、経済対策はばらまき系になった、と認識していたのだが、須田氏の見立てでは、新しいアベノミクスの本質は、一般に、と言うか、少なくとも自分がは福祉政策だと考えていた一億総活躍社会の方にあると言う。
一人当たりの給与は伸びない。トリクルダウンが起きないのなら、そういった「質」の向上よりも「量」として、世帯収入を伸ばそうとしていると言う。
なるほどな、と思った。これは安倍首相が再三唱えてきた「イエ」を重視する姿勢にも沿っているし、なるほど分かりやすく腑に落ちる分析に思う。
今までぼんやりと考えていたことが、ひとまとめに繋がって腑に落ちた感じで、流石政経の専門家だと思った。
これが政策として良いかというと色々と議論は有り、突っ込みどころとしては
などがあるが、これはこの日記の本質じゃないのでとりあえず置いておきます。
ヤクザの専門家じゃないんですね(途中でご本人もネタにしてたので)
年間100件以上の後援会をこなすという須田氏なのだが、一番最初に掴みからはいって、枕の「やわらかい」話から始まる。
そこで、楽屋裏のような話や、親友と言う他のジャーナリストの方、さらにはこの金がなさそうな講演会のギャラまでネタにして、上手いこと話を混ぜていく。さらに受講者の年齢層や、反応などを見ながら話を組み立てて言っているらしい。
落語のつかみみたいな。
一応原稿っぽい話が入ったクリアファイルを持っているのだが、それを広げた形跡がない。パワーポイントなども使わない。ただ、前に立って喋るだけ。これは講談師や落語家に通じるモノがある。トリクルダウンの説明をするときにちょっとだけ水を飲んで見せた以外、途中で水分の補給もせず、90分喋りっぱなし。
眠くなって眠っちゃうひとがでる、と言う講演会あるあるや、会場の人たちをちょっとずついじる姿なども、漫談家というか私はちょっと綾小路きみまろ氏みたいなプロ司会を思い浮かべた。
もちろん、内容は先ほど書き出してみて気づいたのだが、結構堅い話なのだ。きちんとガチの経済の話。それを引き込ませて、満足度の高い内容をやるというのは流石プロという感じである。
また立ち振る舞いもなれたもの。100件もやってりゃそりゃもう、と言えばその通りなのだが、実った稲穂ほど頭を垂れるとはよくいったっもので、きちんと周りに配慮をしており、いすを引いてくれた係の一にちょっと挨拶をしたり、公演の最後には深々と頭を下げて回る様子なども、印象に残る。
そして講演が終わったら、のこって妙なことにならないようにさっと退くなども見事だった。
また、正直それほど大きな影響力のある寄り合いでは無かったし、おそらくギャラなどはネタになるぐらい安い(と言うか、半公的機関みたいな団体なのでめっちゃ安いはず。はてなで話題になったら総叩きになるぐらい安いはず)のに、きちんと最後の交流会まで出席していくのである。
いやあ、そもそも顔が怖いひとだから、ひとよりきちんと丁寧に礼節を尽くしてこないと誤解される感じだったのかなとか余計な事まで思った。俺もそう言う感じなので見習いたいと思う。
プロってしゅごい。
実は予習で須田氏の本を買って読んだのだが、おそらく客層で変えてきたのでずいぶん印象が違い、「需要に応える講演」って自称されていたけど流石だと思った。
惜しむべくは、自分はすでに電子書籍派であったため、買った本は裁断して自炊してリサイクルしてしまっており、サインをもらい損ねたことだ。つうか交流会出るとか思わなかった。こういうひとさっさと帰るイメージがあったのに。こんなことなら2冊買ってサインもらえばよかった。
昨日、同僚のS氏と会議室で新規案件のブランディングのアイデアを出し合ってた。
あんまりアイデアも出なくて、適当にネットを開いていたらジェラート・ピケのサイトにいつもは口数の少ないS氏が横から謎の食いつきをみせた。それから展開された彼のジェラピケ論が少し興味深く、大いに滑稽でそのことについてちょっと書こうと思う。
「なぜジェラート・ピケは売れていると思う?」
はじめ彼はそう聞いた。
わたしは持っているジェラートピケを思い返しながら、着心地が良くてかわいいと答えた。
彼はそう言葉を加えた。
S氏はなんていうか言葉が甘く、ロマンチストのきらいがある。なんでジェラピケの着心地を知ってるのと聞きたくなったけれど、その前に彼が言葉を続けた。
「ジェラート・ピケのすごいところは、その、"食べるもの"にするからだと思う」
「ちょっと、何言ってるかわかんない」
わたしは率直に言った。
「えっと、つまり、着ている人を"食べるもの"にかえるんだよ」
はあ、なんのために?と聞いたところで、彼は、
「オトコ」と言った。
「ちょっと何言ってるかわかんない」
わたしが言って笑うとS氏も笑った。
彼はジェラピケのコンセプトページを開いて見せた。
"まるで自分がデザートになったかのような気持ちにさせてくれるルームウェア、ジェラート・ピケ"
"女の子にしなやかな魔法 PIQUE MAGIC をかけるのです"
ページにはそんな言葉が並び、最後にはジェラピケを着て"食べるもの"になった女の子がソファで横になっていた。
デザートの意味合いが女と男で違っているのか。ジェラピケを着ていながらそんなこと思ってもみなかった。
わたしが鈍いだけなんだろうか、他の愛用している女性はそこまで考えてるんだろうか。喪女がきいたら発狂しそうな話だ。
S氏がコレクションページに画面を変えると、トップにはジェラピケを着てベッドですやすやと眠る女の子が映った。
女性を"食べるもの"にしたてるブランドは他にもあるけど、やっぱジェラピケは一線を画すというか、立ち位置が真似できない。
例えば……これ、」
S氏は別タブでpeach johnのサイトを開いた。
ちょうどオータムドルチェというキャンペーンで下着の女性が色とりどりのドルチェに見立てられて並んでいた。口紅をさしたモデルたちは谷間が強調され腰はくびれている。バチバチのごりごりの女のイメージがそこにあった。
「どのブランドも単純に女性性を強調していくとこうなっていく。アメリカ的というか肉食的というか、あからさまで力勝負。言うならば恥じらいがない、エロティシズムが足りない」
画面を見ながら真面目に話すS氏に、それはキミのシュミではないか、と思ったけれどそれは言わずに、ジェラピケは違うんだ、と聞いた。
「ジェラピケにはあざとさというか、巧さがある」
勢いに乗って話す彼はわたしの反応も気にせず話をつづけた。
「ジェラピケはまず着ている人を満足させてくれる。
かわいくて着心地が良くて、なんていうかその自分用に仕立てられている感じは特別感を感じさせてくれる。
なんだと思う?」
わたしはすこしめどくさそうに首を横に振った。
「オトコに愛でられることだと思う。イケてるメンズに女の子扱いをしてもらうことで特別感は最高潮に達するんだと思う。
大事なのは自分はあくまで女の子であることで、それらしいことは微塵も表情に出さず、自らの手は一切汚さずにコトを満たすこと、むしろほしいままにすることにあると思う。そして、そのあざとさというかズルさを完璧に巧妙に演出する道具としてジェラピケほど適したものはない。」
S、一体、おまえはどんな女と付き合ってきたのか、その女の人に会ってみたい。
この話の後、なんかジェラピケ、着にくくなったのは確かだ笑
gelatopique http://gelatopique.com/concept.html
peachjohn http://peachjohn.com/?sid=ec_footerbnr
昔実家が檀家やってる寺の主催でアイヌ文化を伝えるみたいなイベントがあって遊びに行ったなあ。
小学校高学年ぐらいの時だったと思う。
アイヌの血をひいてるおじいちゃんとかおばちゃんとかが色々説明してくれた。
ムックルは音が上手く出なかった。今も実家の勉強机の中にあるんじゃないかな?
お腹空いてなかったから料理はほとんどスルーしてたけど、今なら料理や文化にもっと食いつけると思う。
大人たちが神妙な面持ちで講演を聞いてビデオを見てる間、暇になった初対面の子供達と遊びまわってたけど、
名前も知らない初対面の相手とよくもまああれだけ遊びまわれたものだなというほど遊んでいた。
即席戦隊を組んで、フォーメーションや対スズメバチ戦闘の訓練をしたり、大人を鬼に見立ててかくれんぼをしたり。
アイヌと聞くと少し胸が苦しくなるのは、あれが自分にとって初対面の人間と打ち解けられた最後の思い出だからなのかもしれない。
【意味】 助六寿司とは、稲荷寿司と巻き寿司を詰め合わせもの。
助六寿司の「助六」は、歌舞伎十八番のひとつ。「助六所縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)」の通称で、主人公の名前でもある「助六」に由来する。
助六の愛人は吉原の花魁で、その名を「揚巻(あげまき)」という。
「揚巻」の「揚」を油揚げの「いなり寿司」、「巻き」を海苔で巻いた「巻き寿司」になぞらえ、この二つを詰め合わせたものを「助六寿司」と呼ぶようになった。
一説には、助六が紫のハチマキを頭に巻くことから「巻き寿司」に見立て、揚巻を「いなり寿司」に見立てたともいわれる。
「揚巻寿司」ではなく「助六寿司」となった由来は、江戸っ子らしい洒落であえて「助六」の名を使ったとする説や、この演目の幕間に出される弁当であったからという説もあるが、単に外題が「助六」だからと考えても不自然ではない。
ルーツは実家に置いてあった小林カツ代のレシピ本。彼女考案のドライカレーはソウルフードである。
高校入学と同時に近所のラーメン屋で、その後いくつかの調理バイトで基礎を学ぶ。
20歳頃に檀一雄「檀流クッキング」に出会い感銘を受ける。近年「ぷちぐる」というサイトで完全再現されていることを知る。
平民金子氏の「豆腐ぶっかけ丼がおいしすぎる」の比類なき完成度に敗北感を覚える。いつか超えたい男である。
現在は会社員単身暮らし、自炊頻度は週4日程度。朝食はグラノーラやバナナ、ヨーグルト、前日の残り物など。準備含め20分ほどで済ませる。
昼食はおにぎり2個(豆入り玄米+梅干し)を定型化するのが理想であるが、実際には弁当を買ったり外で食べることが多い。単身者の昼食については別の機会に。
夕食は用事がないかぎり自炊。ちなみにスーパーの惣菜も吉牛もよく使う、酒も飲む。
重要なのは自炊によって食生活のアウトラインを明確にすること。健康管理が容易なうえ財布にも優しい。デメリットは何一つない。
一人の食事は栄養補給、面倒なものは外食、もてなし料理は手間暇惜しまずが信条である。
とりあえずこの辺があればどうにかなる。オイルはサラダ油、ごま油、オリーブオイルの三種があるとよい。
みりんを省くと和食派に叱られそうだが次点とする。和食においては出汁の寄与する要素の方が重要である。
・次点調味料(マヨネーズ、タレ系、ハーブ、スパイス、出汁系)
マヨネーズや一味等はもれなく常備していると思うが、その他は料理をやるとそのうち揃う。
オムライスを作るならケチャップ、ペペロンチーノならトウガラシなど。必要に応じて買い揃えればよい。
■鶏むね肉
ひたひたの水に入れて火にかける。沸騰したら火を止めて蓋をし、触れる温度になるまで放置。引き上げ、好みのサイズに割いて冷凍。
野菜と一緒に炒める、カレーに入れる、キュウリの千切りやモヤシに乗せて棒棒鶏風。寝る前に使う分を冷蔵庫で解凍すれば朝のサラダに。低価格低脂肪高タンパクの超優良食材。
茹で汁は塩胡椒で味を整えてスープに。茹でる際に生姜や青ネギを入れるとよい。アクを取り、ざるで漉してやると仕上がりが良くなる。かき玉、トマト、わかめ、なんでも合う。
■玉子
一度に4~6個ほど茹でて冷蔵。冷蔵庫で3〜4日は持つ。自分はだいたい8分茹で。玉子用穴あけ器を買うと幸せになれる。
冷蔵庫前で立ったままマヨネーズをかけて食すのが正義だが、固めに茹でたものをほぐしてサラダに。早めに茹で上げてポン酢に漬けると「味玉」。このときキッチンペーパーで包むと均等に漬かる。
またフライパンを使った玉子の調理には料理の基本が詰まっているので、積極的に焼くとよい。
■油揚げ
縦横好みの幅に刻んで冷凍。
味噌汁、乾麺、煮物などに。天かすは要らない。入れるだけで旨味5割増しのチート食材。袋を開いて納豆を詰め「揚げ納豆」にしてもよい。
そのままグリルで焼いたものに大根おろしと薬味を乗せてポン酢をかけるだけで主菜にもなる。刻んで焼いたものをクルトンに見立ててサラダに。
■ツナ缶
摂取カロリーの点で水煮缶推奨。油気が欲しければ油を混ぜれば良いだけである。
サラダ、パスタ、炒め物に。海藻や生野菜との相性は抜群。ツナ缶が棚にあればどうにかなる。
本当に面倒な時はマヨ+わさび+醤油と和えてツナマヨ丼。配合はお好みで。このとき味噌を箸でひとつまみ分混ぜると尚よい。
■トマト缶
ホール、カットどちらでも。ホールを煮込みに使う際は握り潰せばよい。
余り物(キャベツやサラダの残り、肉、何でもよい)をざく切りにし、鍋に空けたトマト缶と同量の水で煮込めばミネストローネである。朝夕2日は保つ。
カットトマトをざるで水切りし、固形重量の1~2%の塩を加えれば万能ソースに。オリーブオイルやハーブを加えてもよい。肉、魚料理、ピッツァの具材にも。
■キャベツ
ざくざくと刻み、好みの食材、ドレッシングと和えてサラダに。刻んだものにラップをかけて電子レンジで1~2分ほど加熱し温野菜でも。
キャベツの重量1%の塩で揉み、しんなりしたら絞って浅漬け。細かく刻んでスープに。合わせる食材を選ばないうえ、冷蔵庫で2〜3週間は持つ。
栄養面、手軽さ、また通年手に入りやすい点で選出。栄養バランスが気になる人は積極的に取り入れるべし。
小房に切り分けて流水でよく洗い、塩分1%のお湯(1Lに対し塩10g)で1分半〜2分茹で。茎は皮を厚めに剥くと美味しく食べられる。電子レンジを使ってもよいが、塩茹での方が味が良い。
このときキッチンペーパーでしっかりと水分を切れば、冷凍後に取り出しやすい。そのまま、マヨネーズをかけて、スープに入れて。
■もやし
圧倒的コスパ。もやし一袋に対しコップ1杯分の水から茹でると歯応えが損なわれない。このとき蓋をすること。和え物、肉料理の付け合わせなど。
日持ちしないので、液体化したら躊躇せず捨てるべし。
■アボカド
切るだけで一品のありがたい食材。ちなみに果物に属する。ヘタがしっかりと付いたものを選ぶこと。刺身、サラダ、つぶしてソースに。
ハズレを引いた際の喪失感は500円に相当すると思われるので複数買い推奨。
■豚しゃぶしゃぶ用薄切り肉
バラ、ロース、お好みで。しゃぶしゃぶ用の薄切り肉は解凍が容易、かつ包丁不要で手早く調理できる点で優位。
茹でる際に箸で広げてやるのがポイント。
■豚バラブロック
そのまま焼いて、ベーコンの代わりに、煮込み料理に。塩豚を旨味調味料と考えると汎用性はバツグン。使い切れない場合は燻してベーコンに。
習慣化するなら自作推奨。ヨーグルティアは低温調理も出来るのでオススメ。
そのまま食べる、牛乳と半々でシェイクすれば飲むヨーグルトに。このときジャムやきなこを入れても美味しい。
また塩胡椒、酢、オイルを混ぜてドレッシングに。マヨネーズやマスタード、アンチョビペーストを入れてもよい。ドレッシングは冷やして粘度を高めると食材によく絡む。
ムキエビやイカ、塩サバなんかを冷凍しておくとよい。もちろん鮭や鱈、切り身であればなんでもよい。
重要なのはすぐに使えるなんらかの食材を冷凍庫に入れておくこと。肉は要らんなあ、て時に重宝する。
基本的に常備しているしよく使うが、調理時間短縮を考えて次点とする。
いずれも日持ちするのであったほうがよい。この人参サラダなんかは絶品。
■汁物
汁物が並ぶだけでぐっと食事らしくなる。特に料理初心者は試してみて。
即席味噌汁に油揚げを入れるだけでもいい。鰹節、とろろ昆布にお湯を注いで醤油を垂らせば即席お吸い物。このとき千切り梅を入れるとなおよい。
■下ごしらえ&保存→展開
米を炊いて小分け冷凍はポピュラーだが、その心構えを推し進めることが大事。
■翌日の食事を考える
・明日の朝は鶏肉のサラダを食べようかな→鶏とブロッコリーを冷蔵庫へ。翌朝、もやしを茹でて添え、ドレッシングをかける。
・もやしが余ったな→晩、そうめんと豚しゃぶ肉を茹で、ミョウガを刻んでめんつゆ。
・ミョウガが余ったな→晩、味噌汁にin。帰りに買ってきた刺身に乗せて。
このような使い回しの心構えが循環を生む。
たくさんのブコメ楽しく読みました。ありがとうございます。
これはすごく大切で、最初は鶏ムネ肉を茹でて市販のごまドレやポン酢をかけるだけでいいんです。
次はシャキシャキ感が欲しくなるかもしれない、そのうちにアボカドと一緒にパンに挟んでみようと考えるかも。
旨味調味料は「その味が好きかどうか」に尽きる気がします。僕はたまに使います。
極端な例えですが、肉じゃがを塩で作ると醤油独特のコクが玉ねぎと絡んだあのまったりとした甘みが恋しくなりませんか?塩肉じゃが、それはそれで美味しいけど。
醤油がナンプラーの代用品にならないように旨味調味料が得意とする味付けがある一方で、何に合わせても美味しくなるというわけではないと思っています。ちなみに僕は味覇風味の炒飯好きですよ。
今回は裏サンデー
いや、まあ元から「主人公が性別偽ってメイドカフェやる」という無茶苦茶なコンセプトを成立させるための世界観だからさ。
こんな外道集団いるなんて治安悪すぎだろとか、あんなちっちゃいナリの少女一人でそいつら返り討ちにできるわけがないでしょとか、というかこれもう殺しちゃってんじゃないという位ボコボコなんだけどとか言うのは野暮ではあるけれども。
仮にもメインキャラ加入のエピソードやるんだから、もう少しプロット練ってもいいんじゃなかろうか。
で、これだけメチャクチャやってる割に、一つ一つの要素をメタ的に見れば手垢まみれなんだよね。
仮にも生徒の中でトップクラスにやばい犯罪性を持つとされて出てきた新キャラが、イレギュラーに翻弄され気味ってのはどうなんかね。
格が大分落ちた感がある。
あと、一話の中で、同じ展開を2回も入れるってのは、贔屓目にみても構成ミスかと。
最後の、今さらラブコメ風味なことをオチとして持ってくるのは、「あえて」という意味でみればアリだけれども。
今回は、敵陣営の赤チームのヤバさと、主人公が自身の能力にどういうルールがあるかを探るっていう内容かな。
あの人が赤チームにさらっと取り入っているけれど、時系列的にも赤チームリーダーの人間性から考えても早すぎね?
あと、色んな能力者がいて今のところそれらがほぼカブっていない現状で、レア設定らしい身体能力倍化が早速カブっちゃてるのは説得力がない。
この作家の、こういう「訳アリ感」満載の描き方はかなり手馴れてきた印象があるな。
いつも一緒にはいられないけれど、それでも出来る範囲で親として振舞おうしているところとか、同じセリフを2回いうあたりとかは妙なリアリティがあってよかったかと。
一件落着して、後日談てきな。
ヒロインの好意が明確に描写されたり、物語の展開的にも冒険活劇としては正直「ひととおりやった」感があるかな。
もちろん、倒すべき敵とかはまだいるわけだけれども、これ以上は目新しい展開は期待できない自分がいる。
修行編に突入しそうな、中だるみしやすい状況だろうけれど、果たして今後どうなるか。
現実の投票と時期を重ねてきたのは面白いけれど、こういうネタはコミックスだとピンとこないんだよな。
内容としては、選挙でどちらの陣営が有利かの理由と説明、低所得者がなぜ低所得なのかを本質的に理解できていないと嘆く描写とか、盛り上げ前の段階なりに見所があったかと。
「人口の何割かは政策そのものに関心がないので、そいつらを取り込むにはキャラやパフォーマンス」とかは、笑うところじゃないのだけれどちょっと笑ってしまった。
そんな朝政陣営が不利な中、「君たちの心を動かそう」という意気込みで討論番組にクロガネが参加。
これまでの描写から考えて、久我山陣営をこちらに取り込もうと思ったら、ここはかなりの説得力が必要だぞ。
茶番にならなければいいが。
最近は、仕事仲間の関係に描写割いていたけれど、久々の仕事面でのギスギス展開。
待たされて客のイライラ感が伝わってきて、担当ではないのに裾上げやらせようとするのは、お互いのためにならんとも思うけれども。
まあ、客からすればそういう店側の都合に振り回されるのは知ったことではないから仕方ないのだが。
さて、次回どうなるかね。
それにしても、あんまり利用したことないからピンとこないのだが、こんなに店員が四苦八苦するほどスーツの店に人がたくさん来ることってあるもんなんかね。
些か空気を読まないところはあるものの、場合によっては妥当な発言をちゃんとする編集の描写はよかったかと。
まあ、アドバイスの内容としては妥当すぎる(事実上、大したことは何も言っていないのと同じ)けれども、読み切り書いている段階の人相手に何の根拠もないことは言えないしね。
あと、最後らへんで、よくある「実は近くで聞いてました~」展開があって、色んな意味で「あちゃ~」と思った。
話を展開させる上で便利なのは分かるけれどもさあ……。
今のところは御雷が優勢に見えるけれども、ガオランの見立てではサーパインに分があるらしい。
何だろう?
こういうのを推測するのも好きではあるんだけれども、そういうのって期待とかも混ざってしまうから、私としてはこのまま次回を待つことにする。
メガネくんが後戻りのできないところまでいってしまったが、果たしてどうなるのだろうか。
言動とか振る舞いがたどたどしい感じが出て、リアルかは分からないが妙な生々しさがあるね。
トーチャーポルノとかの趣味はないので、評価はしにくいけれども。
女たちの反応や発言は、環境による価値観の違いで済ますには、あまりにも非論理的なのだけれど、もしかして何か秘密があったりするのだろうか。
ニセサイコヘルットはあからさまに人間ではないように見えるのだけれども、そこに登場人物が誰も触れないのはまだ何か秘密があるってことなのだろうか。
直立する赤井の下で斉木が左膝をついてしゃがみ、
「どうも〜赤色青いなあいうえお『信号機』です!」といってから漫才を始めるのがお決まり。
コンビ名は病的に顔色の悪い斉木と赤面症の赤井が並んだ姿を信号機になぞらえて命名されたらしい。
長らく先輩芸人であるチャンチャカチャンス高橋が名付け親だとされていたが高橋はこれを否定。
なお2人とも酒に弱く、飲むと斉木はより青白く、赤井はより赤くなっていくらしい。
語彙に乏しい。「腰巾着」と言いたいところを「ぶら下がり野郎」と言ったり、
「五臓六腑」と言おうとして「十二指腸」と言い、周囲に呆れられることもしばしば。
読書家として知られる又吉とのギャップをネタにすることもある。
そんな彼だが実はICU卒でアタック25に出場したこともある。
テレビ番組の企画などで度々対面しており、互いの連絡先を教えあう程に親交がある。
私は、文系院卒(修士)だ。事情により鬱病を発症したが、それに伴い発達障害(未診断ではあるが、ADHDとアスペルガーの合併症の恐れがあるスペクトラム)の疑いも担当医に伝えられている。
再就職をするにあたり、自分の適材適所を探すべく、GATBやウェイス3、学生時代のアルバイト経験での失敗・成功体験を思い起こすも、いかんせんこの「成功体験」が思い当たらず、なかなか職種の見立てが出来ない。
思い詰めて悩みを、公的機関のキャリアカウンセラーや心療内科の担当医に相談したところ、「もう一度、学校に通ってみては。」という事だった。違う大学、他の研究科でも良い、コツコツと興味関心のあるものを研究出来る環境が一番、あっているのでは。と言われた。
結論から言うと、それは難しかった。経済的な事もあるかもしれないが、もっと悲惨な状況になっていたからだ。それは、勉強のコツが思い出せない、集中して勉強出来ない、といった私は明らかに学習能力が低下していたのだ。
因みに今、院試に向けて勉強している分野は遺伝だ。自分の発達障害の一件がきっかけで一度じっくり研究したいと思った。文系出身の学位で学べるアプローチが、某大学院研究科の「遺伝」領域だった。特定出来てしまうかもしれないので、これ以上は言えないけれど、自分が携わる事が出来る所(居場所)欲しさに、とにかく躍起だった。
けれども、ほぼ初めてに近しい理系の勉強は困難でしかなかった。恥ずかしいけれど、今まで出来ていた文系の受験勉強や、文系分野の研究に対する学習能力に、疑問を持つ程に理系の勉強が出来ない。理系と言ってもすべての範囲を網羅する訳では無くて、あくまで研究科で出題される「遺伝分野」だけ。にもかかわらず、自分はなかなか頭に入ってこない。
自分はこんなに馬鹿だったのか。今までの自分は何だったんだろう。鬱のせいなのかな。それとも、実は興味・関心が無いのでは…?
そんな自己嫌悪で一杯になった。
じゃあ、他に何かやりたい事や現実的に私が「出来る事」はあるのか?一から戻って考えても、私がやれる事(成功体験)は思い出せない。
他の何らかの進路に切り替える事が出来る選択肢が浮かばないのだ。
そうこうしている内に、受験申込の日程が迫っている。志望理由所は書けても、本題の基礎知識が頭に入らない。英語もある。小論文もある。プレゼンもある。もう、自分の頭の悪さに劣等感で一杯だ。