「お花見でもして浮かれているんじゃないの?」と母親が留守電にメッセージを入れていた。
物凄く腹が立ったが、冷静に考えて納得したことがある。
こういう性格の親に育てられたら、そりゃあ自己肯定感なんて持てる筈がないという事に気付いたのだ。
統合失調を患い入院してた母が、病棟から電話を掛ける様になってきた。
入院当初は文法もまともじゃなく、四六時中幻聴に取りつかれていたようだが、
最近は薬の効果があるらしく、比較的会話が成立するようになってきた様だった。
しかし相変わらず病識はなく、会話の中で彼女の敵が現れ、悪い事をされている妄想がたまに出る様だが、
数年前の最低限の社会生活ができていた頃の状態にまでは戻っている様な印象を持った。
先日「春物の服が無いから持って来てくれ」という要求があった。
多少の回復を喜びつつも、男の見立てで申し訳ないが、女性用の服やら、見舞いの品を持って行った。
見舞いの際は服も差し入れもとても喜んでくれ、会話も比較的まともになりつつあり、それなりに喜ばしい時間を過ごして戻ってきた。
医師やケースワーカーさんとも話したが、やはり今後も病識をもってもらう事は難しそうという見解だった。
しかし、入院時の完全なる狂気の状態は脱している様で、これからどうするか、という事も徐々に考え行きましょう。
という事でその日は帰った。
なんでも持って行ったパンツやらスカートのサイズが合わない、気に食わないという不満の表明と文句が延々と入っていた。
そして最後に「お前は、花見でもして浮かれてるんじゃなの?」だからからまともな服を買ってくることもできないんだろ、
自分の意図に沿わない服を届けられただけで、その相手に対し「花見でもして浮かれてるんじゃないの?」と言い放つ。
病気の症状が軽減されて現れたのは、かつて自分が嫌った親の姿だった。
ああそうか、そうだった、こういう人だった。
こちらの苦労や意図など全く無視して、自分の都合でしか物事を考えず、自分が常に正しいと考え、
自分を省みる事がないから、周囲の人間を傷つけ、呆れられ、孤立する。
何かをやろうとしても、母の意図に沿わないと否定され、激高し、ののしられる。
そのようにののしられて育った記憶がよみがえり心がざわついて仕方がない。
そんな親に育てられた子どもの頃の自分は、きっとけっこうかわいそうな部類だったのだろう。
でもだからこそ、今、自分を認めてくれる人を大事にしようと思うし、
自分を必要以上に否定する必要もない事に改めて気付く事ができた。
母との溝は絶対に埋まることはないだろう事を改めて予感しながら
そんなこと増田に延々と愚痴書くくらいならさっさと絶縁しちまいな。 統合失調症の人は一般常識もなくなるから普通じゃ考えられないようなことを平気で言うし平気でする。 私はすで...