はてなキーワード: 擬声語とは
[追記あり]
日本語の母音は昔からアイウエオ5段だったわけではなく、時代によって変遷があった
50音図やいろは歌が広まった平安時代以降は概ねアイウエオ5段だったんだけど
万葉仮名の分類を行った結果、かつては
(ア)(イ甲)(イ乙)(ウ)(エ甲)(エ乙)(オ甲)(オ乙)という8段の母音があった
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E4%BB%A3%E7%89%B9%E6%AE%8A%E4%BB%AE%E5%90%8D%E9%81%A3
という話を前提として。
この8音はどの音も平均して使われていたわけではなく、出現頻度の高い音と低い音があることを大野晋という学者が発見した
https://www.dai3gen.net/boin.htm
なぜこのような分布の差ができたかという理由について、大野晋は
出現頻度の低い4つの母音は本来の日本語の母音ではなく、他の2つの母音が融合してできたものだという説を出し、現在概ね受け入れられている
(被覆形・露出形/動詞活用の期限 などで調べるともっと詳しい話がわかると思う)
http://shouyouki.web.fc2.com/sakaya.htm
このなかで、エ段音だけは甲も乙も本来の音ではないので、日本語では連続して出てこない
特に擬声語・擬態語では「デレデレ」など新しく作られた言葉くらいしか現れない
[追記]
これは概ね賛成。露出形・被覆形についてはhttp://nobinyanmikeko.hatenadiary.jp/entry/2019/02/23/011616
この法則は複合名詞の時に一部の母音が交替する現象を説明したものなんだけど
例)
酒 サケ乙 : 酒蔵 サカグラ
爪 ツメ乙 : 爪先 ツマサキ甲
木 キ乙 : 木陰 コカゲ乙
身 ミ乙 : 躯 ムクロ甲
この他にも上二段・下二段活用の未然や連用形で出てくるイ段・エ段音は乙類であるって法則があり、
その場合関連する自動詞・他動詞ペアでは上記被覆-露出の交替と同じような母音が現れることが知られている
ちょっと説明が複雑になったんでこれも例で説明すると(わかりやすく現代の上下一段動詞を前に//でつけて説明)
例)
詰める//詰め ツメ乙 : 詰まる//詰ま ツマ
起きる//起き オキ乙 : 起こす//起こ オコ乙
こんな風に、エ乙とアが、イ乙とオ・ウが密接な関係にあることがわかると思う
これがなぜア・オ・ウにイ甲がついたものだと言われているかと言うと
嘆き ナゲ乙キ甲 が 長息 ナガ + イ甲キ甲 が縮まってできたものだったり
日本語の 神 カミ乙 が アイヌ語に kamuy という単語で借用されてたりなどの
"エ段音だけは甲も乙も本来の音ではないので、日本語では連続して出てこない"ってエ段の母音の発生が遅かったから少ないという意味?平安時代には存在して1000年たっててもまだ足りないのだろうか
1000年は結構な時間な気がするけどそれでも足りないみたいだね
例えば撥音「ん」は50音図やいろは歌成立時点では存在せず、今の漢字音が定着した時代に広まった(平安時代末期くらい?)んだけど
それでも「ん」が頭に来る単語はほとんど作られてなくて、それゆえにしりとりのルールが成立する
なお日本語と2000年ほど前に分岐したと言われている琉球方言では「ん」が頭に来る単語がたくさんある
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%93
宮古島「んみゃーち」など
ら抜きをすることでエ段音の連続になって言いづらいのにら抜きを強行してる人を見ると、なんでそこまでらを言いたくないのか疑問に思ってる(続ける、見せる、食べるなど
やや話がずれるけど、ら抜き言葉は自発と可能を言い分けるために可能動詞からの類推で派生したといわれていて
発音の制約より意味の使い分けの方が重要だとみんなが思い始めたから広く使われるようになったんだろう
ちなみに「続ける」「見せる」「食べる」自体は特にら抜き言葉でもないんだけど
「続けれる」「見せれる」「食べれる」と言いたかったんだよね?(100文字の制約下で正確にものを言うのは難しいと思うんで)
ただ大野晋自身は後にこの説を放棄し、タミル語の母音に合せて、日本語は初めからa,i,u,e,oの5母音だったと修正している
タミル語説には近づくな
ラ行とパ行も新しいってなんか大学で習ったような習ってないような
ラ行音は特に新しい音でもない。が、日本固有の単語では頭は出てこない
これまたしりとりしたらわかると思うけど、ラ行で始まる音で返そうと思ったら
林檎みたいに漢語由来の言葉を使うかラッパのような外来語を使うか
この原因は色々推測されてるけど、朝鮮~北東アジア一帯に似たような性質を持つ言語がいっぱいあるので
古くはこうした地域に特有の発音方法だったんじゃないかって言われている
(※もっと踏み込んで、直接祖先が一緒だったんじゃないかという説もあるんだけどアルタイ語説には近づくな)
パ行は発音の変化の結果分離した。古くはハ行がパ行の発音だった
北京が「ペキン」なのはホクという読みが昔は「ポク」に近かったことを示してるし
上海が「シャンハイ」なのは昔「ハイ」という音がなく、海の読みに近い音である「カイ」を使っていた証拠
ハ行転呼音で調べると詳しく出てくる
ばるんばるん、という擬声語があったのが衝撃的だった。
政治的,それもかなり下品な言葉だけど,「なんでも安倍総理の責任にする人」を一部のネット民が「アベノセイダース」と呼んだり,逆に「野党の答弁を盲目的に批難する人」を「ヤトウガー」と呼んだりするのを見かけるよね。彼らはどちらも対象を卑下・揶揄する目的で前述の言葉を使っている。今はこの言葉の真偽可否ではなく,〝片仮名にすると馬鹿にした印象になる〟という現象そのものを知りたい。国語や文法の教科書・Wikipediaを見ても,片仮名の役割に“相手を侮蔑する”なんていうのは載っていない。とするとあくまで予測だが極めて新しい言い方なのではないか。
そもそもなぜ片仮名の文章が人を小馬鹿にした印象を与えるのだろう(っていうか与えてるよね。僕はそう感じるんだけども,僕の感性がおかしいだけだったり……)。当て推量だし,なにより言語学には暗いので大いに錯誤しているかもしれないが,僕の持論はこうだ:
(1) 片仮名は,平仮名と列んで,漢字が読めない幼児や知的障碍者や非日本語圏の人間に向けて漢字かな混じり文を平易にする目的で用いられることがある。そこから平仮名や片仮名に対し〝子供じみている〟とか(これも非常に汚ない言葉だが)〝知恵遅れ〟といった印象が付随するようになった。例えば「いってることがよくりかいできない」なんていうブコメからは,「言ってることがよく理解できない」というブコメより揶揄の成分を強く感受する。
(2) もともと女性が使い始めた言葉だということを知ってか知らでか,平仮名には世間一般に〝柔らかい〟〝自然的〟といった好感が持たれている。その一方片仮名は〝冷たい〟〝人工的〟など,(どちらかというと)否定的な文脈で用いられることが多い。例えば擬声語でも「頭をぽかぽか叩く」のと「頭をポカポカ叩く」のでは全射が素手で行為に及んでいるのに対して後者が何か道具(といっても軽そうな品ではあるが)を使っている印象を受ける。
(1), (2) の両論を併せると,片仮名で記述された表現からは〝思考なく機械的に繰り返される幼稚で,取るに足りない文〟という印象を受けるのではないか。
上述の理屈が正しいとして,新たに疑問が生まれるのだが,それは「なぜ最近までその表現が無かったのか」と言うことだ。(1)も(2)もずっと昔から片仮名に備わってきた性質であるのに,それらが複合しただけの表現が生成されなかったのはかなり不思議だ。もっとも辞書には掲載されていないだけで昔からあるのかもしれないが。
(追記)
b:id:triggerhappysundaymorning様,出典ありますでしょうか。当方では見付かりませんでした。(高慢ちきな言い草になりすいません。あとID名が長すぎてリンクが効きません)
(追記2)
「アベ」や「フクシマ」はそれらが孕む確執が多すぎて荒れる原因になる(少なくとも僕は「フクシマ」に関して〝侮蔑〟の印象は受けない)と判断し例に挙げませんでした。が,もうすでに荒れ気味なので具体例に追加します。
(追記3)
かなり昔(一部ブコメによれば江戸時代から)そういう用法はあるみたいですね。ただ素人が読める文献がなかなかないのでは。片仮名の持つその他の意味(実体を把握しない憧れとか)について論じてる文章は見掛けるんだけどなァ……。
くぱあもずっちゅずっちゅもヌッも擬声語ではないよなあ。
日本語の「くしゃみ」という表現の語源は「嚔(くさめ)」という言葉である。
中世の日本ではくしゃみをすると鼻から魂が抜けると信じられており、そのためにくしゃみをすると寿命が縮まると信じられていた。
そこで早死にを避けるため「くさめ」という呪文を唱えるようになり、いつしかそれが「くしゃみ」という名前となり、
「くさめ」という呪文の語源ははっきりしておらず諸説あるが、陰陽道の「休息万命(くそくまんみょう)」や「休息万病
(くそくまんびょう)」を早口に言ったものとする説や、くしゃみの擬声語の名詞化とする説、
「糞食め(くそはめ)」が変化したものであるという説などがある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8F%E3%81%97%E3%82%83%E3%81%BF
一生懸命頑張っているのに、モノが売れない人は戦略やマーケティングが間違っている。
以下、アフィリエイトに限らず、オンライン上でモノを売ることや、Webサービスの運営などに当てはまると思います。
読みやすくするため、箇条書きで記します。1つでも役に立つのがあれば、これ幸いです。
・相手の「知性」と同時に「感情」に訴えかけること。つまり、欲望やコンプレックスを狙う。
・「自分はどんな人生を歩むべきか?」「このままで納得できるのか?」といったことを考えさせる。
・「傍観者」では感情を揺さぶりにくい。「参加者」になってもらうことで、記憶に残る。
・上から目線は、相手が離れる。共感や応援のほうが、相手の心に届く。
・人は見聞した情報で商品を買う…というよりは、その情報を元に頭の中で使い道を想像してから買う。
・お客様のコメントは、その商品の良し悪しが具体的にイメージできるため、次に商品を買う人の参考になる。
・お客様が欲しくなる演出を心がけよう。例えば、その商品開発の背景、安心感、お得感。
・人は、自分と似たような人と同じものを買っておけば安心、という心理がある。
・それゆえ「この商品も同時に買われています」「このページを読んだ人は、こちらの記事も読んでいます」などが、有効に。
・「自分だけのモノ」という、愛着を持ってもらえる商品を考える。
・健康食品が高額なのは、高い方が効果がある、という意識を植え付けさせる役割をはたしている。
・売上を伸ばすためには、「新規の開拓」「リピーター作り」「購入単価を上げる」こと。それぞれの検証が必要。
・単一商品で売るよりも、パッケージ化したほうが利益は伸びる。
・高い商品を購入した直後の人は、関連商品のついで買いにおいて「そんなに高くないかも」と感じて購入しやすい。
・携帯は、常時接続のメディア。モバイルでの売り上げを甘くみないようにしよう。
・人は良いコミュニティに入りたがる。そういう空気を創り出すために必要なのは、濃く狭く伝えること。
・クックパッドのPR企画など、広告ですらすんなり読者が入っていける魅力がある。
・人は得したことを、ついつい話したくなるもの。
・消費者に目を留めてもらうには、子供・動物・女性などの要素が使いやすい。
・限定品は、売れやすい。
・美容や健康関連のキャッチコピーは、モノを売る上での参考になる。
・人は、「高いから買わない」「安くないから買わない」というよりは、情報や商品の氾濫から正しい価値が分からないから買わない。
・それゆえ信頼できる、他人のオススメを信じたりする。
・マクドナルドは、セット販売で選択肢のパターン化をしている。例:ハンバーガー、サイドメニュー、ドリンク
・ユーザーというのは、たくさんのメッセージを受け止められない。
・そのサービス、多角化しすぎていませんか?
・選択肢が多すぎると、結果的に人は迷って買わない。
・選択肢に迷った時は、ランキングに流れたりする。最初から、ランキング志向の方もいる。
・同時に、同じ表現なら短いほうが読まれる。
・数値の羅列よりは、表のほうが理解できる。
・難しすぎるのは、つまらない。
・簡略化されていない情報は、読み手にとって理解しづらい。
・擬音語、擬声語、擬態語は、分かりにくい表現を分かりやすい表現に変える効果がある。
・分かりにくい説明には、例え話を用いることで、理解度が高まる。
・世の中では、小学生や中学生でも理解できるような、お手軽なHow toが求められている。
・レベルというのは、落とせば落とすほど、マーケットが広がる。
・長い説明が必要なサービスは、そもそも求められていない。
・信頼関係のない人にモノを買ってもらうのは、非常に難しい。
・人は、何回か同じ人に接する(ブログを読む、Twitterで会話するなど)内に、信用するようになる。
・一度でも買ってくれた人は、その次の購入の敷居が、一気に低くなる。
・有名ブランドが、単価の低いハンカチやキーホルダーなどの小物を出しているのは、最初のキッカケになるから。
・ネットショップなどは、いきなりオープンさせるよりは、モニターを募り改善点を見つけておく。
・ある記事や広告を読んでその商品が欲しくなったら、なぜ自分は欲しくなったのかを考えてみる。
・ライバルの店舗ではなく、自分の店舗を選んでもらうために何ができるか、は常に考えること。
・ライバルの長所を真似することは、ライバルが持っていた長所を奪うことにもつながる。
・儲かるというイメージがないのなら、そのイメージが湧くまで引き出しを増やす必要がある。
・例えば、売れているネットショップの研究をしよう。流行や季節を考えてみよう。
・逆に、自分ならどういうショップだと躊躇するか、を考えてみよう。
http://tsurumitext.seesaa.net/article/130055536.html
以上です。
追記:こっちも書きました。
人たらしになるコツ30箇条
http://anond.hatelabo.jp/20110622150551
行動力を身につけるためのコツ30箇条
http://anond.hatelabo.jp/20110622220732
「草はやす生活」
「くぱぁ」って何なんだろうか。
はてなキーワードの説明だと、『「くぱぁ」とは、主にエロマンガで女性器を拡げた時に用いられる擬音』だとされている。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A4%AF%A4%D1%A4%A1
気になって仕方無かったので、妄想を交えつつ、テキトーに考えてみた。
(以下の文章は、面倒くさいのでネットで調べることもせず、思いつきで書いてます。増田のすることですんで、勘弁してやってください。)
擬音を、おおまかに分類すると、2つのパターンがあるんじゃないか、と思う。
(1)実際に発生している音に近づけるように、音を参考にして作る場合
(2)実際に発生している音とは別個に、独立して作る場合
とりあえず、この2つ。
まず、(1)実際に発した音を参考にして作るパターン。
実際に発生した音を耳で聴き、それに近いと感じるカタカナを当てはめて作ってるっぽいやつだ。
たとえば、マウスをクリックするときに発する音は、「カチッ」という擬音で表現したりする。
マウスをクリックしたとき、本当にカチッという音がしているか、と聞かれると、微妙な気もするけれど、そう聞こえないこともない。
「カチッ」=「クリックする際に発する音を表す擬音」だというのは、たいていの日本人にとって、違和感を感じないのではないか。
馴染むというか、何というか。しっくりくる擬音なんじゃないかと思う。
・・・でも、女性器を拡げても、たぶん「くぱぁ」なんて音はしない。
「くぱぁ」は、(2)の実際に発した音とは別個・独立して作っているパターンの擬音なんだと思う。
実際に発生している音とは、直接的な関係なしに、擬音を創作するパターンは、意外と多い気がする。
怒っている状態を「プンプン」などと表現したりするが、怒っている人は別にプンプンと音を発したりはしていない。
でも、怒っている状態を表す擬音として、プンプンを当てはめることに、何となく納得してしまう。
こういう擬音は、たぶん、日々の生活で、人と会話し、文書を読んだりTVを見たりして、繰り返し触れているうちに、いつの間にか、体に馴染み、腑に落ちるようになっているのだろう。
この(2)のパターンの擬音は、最初に、誰かが創作しているはずだ。
(1)のパターンの擬音も、誰かが最初に言い出したことに違いはないのだろうが、たぶんその人が言い出さなくても、いずれ生まれたんじゃなかろうか。
同じ言語を用いる地域内においては、実際に発している音は、みな、同じように聞こえるはずだから。
でも(2)のパターンの擬音は、そうはいかない。
音が実際に発しているわけではないのだから。
きっと、従来の擬音では表現しきれない感覚・思いを、誰かに伝えたくて、創作者が知恵を振り絞って生み出したものなのだと思う。
(2)のパターンの擬音は、実際に発する音とは、直接の関係なく生み出されるものであるとしても、既存の言語感覚とは無縁ではいられない。
社会で共有されている言語感覚と、まったく無縁の擬音を創作した場合、受け手にとって理解するための取っ掛かりがない。
TVのCMのように、繰り返し浴びせる手段があるなら、そのうち新しい擬音に馴染んでくれるかもしれないが・・・。
継続的に情報を刷り込むような媒体でない場合(小説や漫画などの場合)、一回で意味を理解させなければならない。
瞬間的に意味を理解するためには、従来の言語との連続性・類似性が必要なのだ。
擬音がどんな行為・状態を指すものなのか、理解されなければ、共感されようがない。
(2)のパターンの擬音は、自己の感覚・思いを他人に伝えるために生み出したものである、と先に書いた。
共感を生まない擬音は、この役割を果たさないものであり、ただの独りよがり、無意味な存在でしかないだろう。
(あまりに奇異な擬音の場合、2ch等のネット上で叩かれ、注目の的になり、逆に広まったりすることはあるかもしれないが・・・。)
手塚治虫氏が、静寂を表す擬音として「シーン」を創作した話は、有名な話だと思う。
そもそも、静寂とは、限りなく音のない状態なのだから、その状態を示す擬音を作れと言っても無茶とも思われる。
それでも、漫画表現の新境地を切り開くべく、知恵を振り絞って生み出したのが、「シーン」なんだろう。
「シーン」も、まったくの思いつきで作られたものではなく、周到に、当時存在していた言語感覚を踏まえて作られたものだと考えられる。
静寂、つまり外部が限りなく無音に近い状態の場合、人間の耳は、体内の音を拾うらしい。
そのとき人は、耳鳴りに類する音を感じるようだ。
「耳鳴り」は擬音としては、「キーン」などと表現されることが多い。
「シーン」という擬音は、この「キーン」との類似性を利用して、限りなく音のない状態を感じさせるために、作られたんだろう。
なんか、そういう話だった気がする(うろ覚えだけど)。
散々グダグダ書いてきたが、それでは、「くぱぁ」は、どうやって作られた擬音なのだろうか。
思うに、これは3つの段階を経て、形成された擬音なのではないかと思う。
【第1段階~反対語のイメージ利用~】
食べ物を口に入れ、「閉じる」ときの擬音として、「ぱくっ」「ぱくぱく」などがある。
逆に、「開く」動作の擬音として、「ぱかっ」、開いた状態の擬音として「ぱっくり」などがある。
だから、女性器を拡げる動作、拡げた状態を示す擬音として「ぱかっ」「ぱっくり」を用いることも可能である。
(現に、「ぱっくり」という擬音は、エロマンガその他小説等においても、時折使われている。)
しかし、「ぱかっ」では、女性器を拡げる動作、拡げた状態を示す擬音としては、軽すぎる。
どうにも、乾いた響きしかしない。
一部分、というより、足全体を拡げるときに使うほうが、しっくりくるだろう。
「ぱかっ」は、「粘着質な液体により接着された状態のものを開く」擬音としては、物足りない、どうにも力不足なのだ。
だから、新しい擬音を生み出す必要がある。この際、既に社会に浸透している擬音との類似性・連続性を利用しない手はない。
「ぱくっ」「ぱくぱく」「ぱかっ」「ぱっくり」など、メジャーな擬音のイメージが利用できるなら、するべきだろう。
「ぱくっ」は「閉じる」動作を示す擬音である。
「開く」のは「閉じる」の反対の行為だから、「ぱくっ」をひっくり返して「っくぱ」とすれば、開く動作を想起させる擬音として使えるかもしれない。
しかし、最初に小さい「っ」を持ってくるのは、発音しづらいく、擬音としておかしい。
小さい「っ」は、通常の擬音と同様、一番最後に持ってくるべきだろう。
だから、ここでは「くぱっ」となる。
【第2段階~語尾の変更~】
さて、その1の作業で、まず「くぱっ」という擬音ができた。
小さな「っ」が最後に来ると、小気味よいリズムが生まれる。
動作として素早い感じ、そんなイメージを持つ方が多いはずだ。
「くぱっ」でも、女性器を拡げる擬音として、用いることは可能だ。
だが、その用途は非常に限定されたものになるだろう(・・・勢いよく拡げるときとかだろうか)。
冷静に考えてみてほしい。
素早く開くなんて、如何にも味気ないのではなかろうか。
著名な仏閣の御開帳だって、数百年に一度だったりするではないか。
勿体ぶって、じっくりゆっくり開くべきだろう。
求められているのは、「粘着質な液体により接着された状態のものを開く」擬音なのだ。
そこで、「っ」の代わりに、「ぁ」である。
「くぱぁ」
柔らかくてゆっくりした、緩慢な動作・状態を感じとってもらえるのではないだろうか。
まぁ、なんで「ぁ」だとこういう感じになるのかは、説明しづらいのだけれども。
(段々、考えるのが面倒くさくなってきた)
【第3段階~ひらがな・カタカナの選択~】
もう、その2の段階で、「くぱぁ」は完成してしまった。
なので、その3は確認作業でしかないのだが、念のため一緒に確認してほしい。
日本語で擬音を表す場合、表記の方法として、2つの方法がある。
そう、「ひらがな」と「カタカナ」の2つだ。
擬音に込めた感覚・思いを、より正確に他者に伝えるには、「カタカナ」を用いた方がいい場面もある。
・カタカナは、直線的であり、鋭角的である。
・ひらがなは、曲線的であり、鈍角的である。
この文字を構成する線の形状の違いから、ひらがな・カタカナ自体に、一定のイメージが生まれる。
たとえば、スピード感、緊迫感、硬度、強調を伝えたいときは、カタカナで擬音を表記した方が、適正なはずだ。
だが、今回のテーマ「くぱぁ」は、上のようなスピード感等を伝えたいわけではない。
一応、試しに表記しておこう。
・「クパァ」 ・・・やっぱなんか違う。
・「くぱぁ」 ・・・やっぱ、こっちのほうがしっくりくる気がする。
そんなわけで、「くぱぁ」完成。
今回「くぱぁ」について考えたことのまとめ。
「くぱぁ」は、「反対語」の持つイメージを利用し、より感覚に近い「語尾」を選びつつ、「ひらがな」の特性を活かした、発明と評しても良いほど、優れた擬音なんじゃなかろうか。
・・・んなこたぁないか。
もしここまで読んでくれた方がいましたら、長文読ませて、すんませんでした。
【6月10日追記】
意外に読んでくれた人が多いようで、・・・ありがとうございました。
TBで指摘されていた「擬態語・擬声語・オノマトペあたりを使えば前半の説明が楽になりそう」ってのは、まったくもってその通りだと思います。
その通りだとは思うんですが・・・。
そうすると、擬音語・擬態語に区分する際に、「くぱぁ」を「擬態語」に分類せねばならなくなってしまう気がするんです。
う~ん・・・、上手く表現できないんですが。
何ていうか、「くぱぁ」は「擬態語」ではなく、あくまでも「擬音語」として扱いたかったんです。
先ほど見た、はてブのコメントで、『「「くぱぁ」なんて音はしないとは、さては童貞だなっ』というのがありました。
これって、凄く重要な指摘なんだと思います。
童貞かどうかはさておき、「女性器を拡げ」たら「くぱぁ」という音がする、
醒めた頭で考えれば、これは一種の「ファンタジー」です。
そう信じる子どもに、「サンタは来ないぞ」と告げ、ファンタジーを否定することはないんじゃないでしょうか。
時には、ファンタジーをファンタジーのまま、留めておくということも必要ではないかと。
・・・やっぱり上手く表現できませんね。
自分で「くぱぁ」なんて音はしないと書いておきながら、擬音語として扱いたいとか、何が言いたいのやら。
自分でもわかりません。
他にもTBで、『その理屈で「ドッギャーン」とか説明できるんかいな。』 とありました。
荒木先生がどのように考えてドッギャーンを生み出したか。
その生成過程は、私などの知見の及ぶ領域ではありません。
ゆえに、説明は難しい、と思います。
あえて、妄想を膨らませてみるならば、こんな感じでしょうか。
「ドッギャーン」は、たぶん、爆発音を示す擬音語の「ドッカーン」、人の悲鳴を示す擬音語の「ギャー」を組み合わせて作った擬音語。
まず、爆発音に対して、生物は、自己の身体を守るため、強い反応を示すだろう。
また、人の悲鳴に対して、人間は、自己の身体を守るため、強い関心を抱くはずだ。
創作者は、こうした本能に訴えかける場面を想像させる擬音語を、重ねて使用することにより、読者に、強烈な印象を与えたかったのではないか。
「くぱぁ」が出来るまでを妄想した、3つの段階に照らし合わせると・・・
(1)既存の擬音語2つを、その擬音語が持つイメージを利用するために掛け合わせる。とりあえず「ドッカーン+ギャー」。
(2)音声化した際に、一番伝えたい感覚・思いに近いように、言葉を並べ替える。この場合「-」のところが重なるようにするのが一番違和感がないはずだ。そうすると、「ドッギャーン」が出来る。
(3)この場合、強い衝撃を表現したいのだから、表記はカタカナのまま。
こんな感じに、似たような理屈で説明・・・できてるのかなぁ。