「希薄」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 希薄とは

2018-02-19

anond:20180219070454

なるべく多くの人に見てもらって情報、反応、反論等欲しかったので煽り気味に書いてるところはある。そこが気に障ったのならすまん。

まあ私の文章煽りや売り言葉に買い言葉がないとは言わないのでそこはお互い様ということで。仲良くマサカリ投げあいましょう。

あくま自分見方を紹介しているだけで理系のやることが全て正しいとも思ってない。ただ理系では日本が一流研究をしていると誇る分野が数多くある一方で、文系の多くの分野で全体としては日本学会は二流という嘆きが聞かれるのも確かだ(もちろんどんな分野にも日本人の一流研究者はいるだろうが)。

これ[要出典]ってタグ貼るべきところ? 私は最初増田anond:20180217012945)で(1つだけだけど)実例挙げたし、体験談ベースの話でよければ私の見た限りでは日本外国研究ってけっこうレベル高いと思うんだけど。外国語に訳されても遜色ないモノグラフがたくさん出てる。

理系では著書でオリジナル発見研究成果を発表する奴はまずいない。いるとしたらほぼトンデモだと思って間違いない。文系増田が挙げてる怪しい医学博士とか。

文系では違うのか。正直文系ガチ研究書は見たことがない。三浦瑠麗の著書も調べてみたが、タイトルや値段を見る限り一般向けだろう。大学書籍部や図書館を探せばあったんだろうか。ただ(博士論文出版等は除いて)著書で最新の研究を発表するというやり方は、どの部分に新規性があるのかの表明や議論双方向性等に問題がないのだろうか?新規研究成果なら第三者査読を経て論文にするのが正統なように思えるが。数学証明のように検証可能性が極めて高ければホームページで発表とかでもいいんだろうけど。

そこからか。何のために研究雑誌Book Review欄があると思ってるんだ……(和文だろうが欧文だろうがたいていのメジャー学術雑誌にはBook Review欄はあるし、場合によっては書評査読がつくよ)。ていうか普通、序章とか第1章とかで先行研究の整理をするし(一般向けも混在するレーベルだと編集に嫌がられることもあるらしいけど)、そこで自分オリジナリティについても言及するよな。

あくまで一例だけど、先日出た研究書の目次はこんな感じ→http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN978-4-8158-0871-6.html適当なUniversity PressのHPを開いて適当新刊をチョイスしただけなので、内容については何も言わないし、言えない。なぜなら私は読んでないからだ。あくまで「ちゃんと章立てに先行研究って入ってるでしょ」というサンプルとして受け取ってほしい。目次で明示されてないだけでちゃんと先行研究の整理をしている本もあるので気をつけて。それはそれとして面白そうな研究だと思うんで余裕があったら読んでみたい)。

駄目な研究は本として出版したってロクに引用されずにアカデミアから消えていくだろうし(もちろんあまりマニアックすぎて引用するひとがいないという悲しい状況も有り得るのだがそういう場合学術雑誌書評でちゃんと良い研究ですよって言われてるからな。おべっか書評がないとは言わないけど、むっちゃ辛辣書評も見かける)、まともな研究書なら議論典拠は明示してあるんだから議論双方向性に問題はないでしょ。

三浦瑠麗の著書、内容(https://www.iwanami.co.jp/book/b261983.html)を見る限りでは研究書ということでいいと思うけど。文系は割と凝ったタイトルつけるひと多いかタイトルだけで研究書じゃないと即断することはできないし(『想像の共同体――ナショナリズム起源流行』も『〈日本人〉の境界――沖縄アイヌ台湾朝鮮 植民地支配から復帰運動まで』も立派な研究書です)、値段についても、うちの分野の研究書の半額くらいの値段で売れて羨ましい限りと思うけど、それが研究であることを否定する材料にはならない(ていうか一般書だとしたら3000円以上ってクソ高では)。国際政治学一般理論みたいに需要がある分野ならそれなりに廉価でも採算取れるよね。研究書は別に専業研究者けが読むものではないので、政治学者以外の教養人にも売れそうだと判断たらこのお値段になるのは別に不思議じゃない(逆にマイナー分野では……お察し下さい。売れない→高い→売れない→高いの悪循環でございます学術成果刊行助成でなんとか刊行できてる研究がたくさんあるんだよなぁ)。気が向いたら図書館で実物見てみるわ。

何度も言うけど、中身は知らない。ひょっとしたらダメダメな内容かもしれない。でもそれは、査読通ったちゃんとした学術論文でも中身がショボかったりオリジナリティ希薄だったりすることがありうるのと同じで、ダメダメから研究業績にカウントされないということにはならない。たとえそれがサラミ論文であったとしても、英語で書かれた査読つき論文だったらそれは業績としてカウントされるべきだよね。公募採用されたり学術界で優れた研究者として認知されるためには内容が優れてないといけないし、こんなサラミ論文しか書いてないやつがなんで○○大の講師なんだ! という批判はされていいと思うけど、それはあくまで内容を見た上での話であって、形式だけを見て業績じゃないと言うことはできないはず。今回の元増田批判が内容を見た上での話なら『シビリアンの戦争』を未読の私は何も言ってないし言う資格がないけど、理系増田も読んでなくて、ここではあくま形式の話をしてるんだよね。形式の話をするなら彼女学術業績としてカウントされるべき本を書いていますしか言いようがない。

一般論からすると著書はオリジナル研究業績であり得るが、逆も然りで著書は必ずしもオリジナル研究業績とはみなされないというべきなのでは。門外漢は著書数もオリジナル業績数とみなせという主張は言い過ぎだろう。

「著書はオリジナル研究業績(でありうる)」「研究書は立派なオリジナル研究成果」と私は書いてるよね? それで前段へのアンサーになってると思うし(そのうしろでちゃんと「一般向けの本」と「研究書」を分けて記述してるよな)、そもそも私は最初増田anond:20180217012945)で「新書2冊はおいといて」って書いてるので、“すべての著書”がオリジナル研究業績なんて端から主張してないってことは読めばわかってもらえると思ってたんだけど(オリジナル研究書籍化したものを「研究書」と呼ぶわけだから、“すべての研究書”はもちろんオリジナル研究業績です。一方で著書のすべてが研究書というわけではないので、“すべての著書”が研究業績というわけではありません。こう書けばわかるかな?)。

後段、著書はオリジナル学術業績とはみなされないという理系ローカルルール持ち出して他人を業績が少ないと批判する方が言い過ぎでは。いやもちろん他分野の常識に詳しくあらねばならない必然性はないけど、他人を「業績が少ない」と批判する以上は他分野の「業績」の基準も知っておくべき、って、そんな無茶な主張? 文学でも歴史学でも政治学でも社会学でも教育学でも文化人類学でも哲学でも法学でも、おおよそメジャー文系研究分野ではだいたい研究書はオリジナル研究業績としてカウントされるんだから(これは英語圏でも変わらないと思うよ。少なくとも私の専門分野や隣接分野では英語だろうがフランス語だろうがドイツ語だろうが韓国語だろうが研究書はオリジナル研究業績です)、文系からするとその常識通用しない方が非常識ですよ。理系ローカルルール勝手学術界の一般ルール敷衍するのやめてもらえます

院生だろうが単著論文を発表するのがふつうの分野の人間からすると、理系では指導教授論文の著者に名前を連ねるのか、変わった慣行だなぁ、って思うけど、それは理系慣行なんだなとして受け止めてるし、この研究者自分学生論文名前を連ねて論文数稼ぎしてる! なんて主張しないよ(もちろんギフトオーサーシップ批判されるべきだけど、理系では自分指導してる学生論文の共著者になるのはギフトオーサーシップではないんだよね? このへん詳しくないので間違ってたらごめん)。分野が違うと業績のカウントの仕方も違うんだなぁ、って受け取っておけばいいじゃない。

その上で現在日本語地位が低い分野や日本語でやる意義がまるでない分野まで、日本語で最新の論文を書いてもよい、あるいは日本語地位を高めていこうなんていう理由がよくわからない。例えば挙げてくれた西洋古代史の最新論文日本語で書くことに何の意味がある?日本全然関係ないのに?解説書や教科書は別だ。日本語で多くの人が学べることには意味がある。でも論文なのだとしたら欧米研究者が読まなければ学問進歩に乗らないんだからただの自己満足だろう。アマチュア研究者だとしたらそれでもいいんだが、大学研究者プロだろう。国から研究費貰って英語が中心の分野で日本語しか書かないのは国民が納得しないだろうから税金泥棒しか言えない。

将来英語が中心じゃなくなることもありうるだろうという論を挙げているがそれは詭弁だ。理系だってラテン語から現代語への変化やドイツ語フランス語凋落を経ているが、最新の論文を主流の言語で書かない理由はない。(欧米科学力を中国が圧倒的に上回ることは考えにくいが)将来中国語になるんだとしたらそれもいいだろう。もし仮に日本がその学問分野で覇権国家になるプランがあってそのためのリソースを投じているっていうなら別だけど、そうじゃないなら英語に圧倒的に負けてる分野はさっさと降伏して英語ベースにしたほうが世界中学者のためになるし日本人世界に認められる学問的成果をあげるためにも効率的だと思うんだけど。国際政治学についていえば英語圏研究が中心だという知識増田にもあって、反米主義だったり日本世界覇権を夢見ていたりといった特殊思想的背景があるわけでもない研究者英語論文を書かないのだとしたら、怠慢あるいは研究先進性の不足の誹りを免れないであろう。

これ最初にも書いたけど、主要国のアカデミアでは文系研究の多くの部分を自分の国の言語でやってます。たとえそれが自分たちとは縁遠い地域のことだとしてもね。日本語英語以外の言語で書かれた日本学論文なんて日本人研究者はあまり読まないんじゃないかと思うけど、たとえばポーランド人ポーランド語日本学論文書いてるし(https://ci.nii.ac.jp/naid/120006355425。ちなみに、このポーランド人みたいに、日本人外国研究者がその国の言葉日本での研究状況を紹介するっていうのは既にあちこちでやられてます)、それは日本アカデミアで読まれていないとしても日本学の発展に寄与ポーランドアカデミアを豊かにしていて、仮にポーランドで極めてオリジナリティが高い研究が出てきたら日本人日本学者も何らかの方法でそれを読まないといけないだろうと思うわけですよ(別に自分で読む必要はない。他人に読んでもらえばいいんだから翻訳ってそういうことだよね)。ポーランドアカデミアは当然ポーランド固有の問題意識を持っているし、その土壌から日本にはない新鮮な日本観が生まれてくるかもしれない、という点で、色々な国のアカデミアがそれなりに独自の発達を遂げていることは重要だと思うけれども。

当たり前だけど西洋古代史の論文日本語で書いてあっても最新の研究動向は反映されているわけ。書いてるひとは西洋諸言語読めるわけだしね。向こうがそれを読めない、または読もうとしないからといって先進性がないわけではない。読まれる/読まれないという尺度研究先進である先進的でないという尺度は別だよね? 混同すべきじゃない。そこにはちゃんと研究蓄積というもの存在しているんだよ。明治期以来、主要文系分野では日本語の分厚い研究蓄積がある。もちろんそこには西洋猿真似だったり「横のものを縦にした」だけの研究もたくさんあるかもしれないけど、それらは日本アカデミアを間違いなく豊かで質の高いものにしてきたと思う。

で、哲学の本場はドイツとかフランスとかイギリスとかだと思うけど(イメージ貧困すぎたらごめん。正直哲学のことはよくわからないんだ……)、日本人哲学者が優れた哲学書を発表すればそれはちゃんと英訳されてオックスフォード大学出版から出版されていたりするのね(https://en.wikipedia.org/wiki/Kojin_Karatani)。これは日本語圏で外国人に読まれない研究を積み上げていても、良いものを書けば「日本研究者面白いことやってんじゃん。翻訳して読んでみようぜ」ってなる実例なんじゃないかと。

根本的な話をするなら、「国際政治学」という分野の標準言語英語である必然性はどこにもないわけだよね。それは英語圏で優れた研究が積み上げられてきた帰結であって、英語圏の人が自分たち言語研究成果を積み上げた結果それが参照されるべき言語になっているだけの話。要するに彼らは先行者利益を得ているわけ。現代思想の分野でフランス語大手を振って歩いているのも、フーコーやその他の人たちがフランス語で優れた成果を書いてきて、それが受け入れられてきたか英語日本語フランス語の文献が訳されまくっているという現状がある。日本語がこの高みを目指してはいけない理由はないよね。

私はここまで書いてきたような理由日本語論文を書くのも重要営為だと思う(加えて、執筆言語自国であることは東アジア欧米の主要国の文系アカデミアとしての標準に則っているので、ことさら日本アカデミアだけが批判される謂れはないよな、とも思う)。ただ理系増田がそれにどうしても同意できないなら、それを説得する言葉を私は持たないなぁ、とも思う。私の論拠はだいたい言い尽くしたので、執筆言語問題についてこれ以上理系増田に答えようとは思わない。なんと言って終わらせればいいかからないけど、とりあえず、お互い研究頑張りましょう。

2018-02-18

スタートアップって、”物凄い覚悟”が無いと入っちゃダメですか?

先日、話が割れたこと。

近年、スタートアップの敷居はどんどん下がっている。

そして、Web界隈では、スタートアップWeb界隈の生態系の1つに属し、

会社としての独立性は希薄になっていて、

複数スタートアップに股をかけ、ナレッジシェアをする者もいれば、

そのスタートアップにフルコミットしている人もいる。

それでいいと思うし、

会社単位でも、複数スタートアップが協力することもあるし(株式会社heyなんてすごくいい例じゃないか)、

力をあわせて未来を作ろうとする。

そんな中で、

スタートアップに行くんなら、自己資金出して3徹でもする覚悟が無いやつはダメだ』

という人に出くわした。

元々、世の中の風潮的に、そちらの方が強いし、仕方ないとも思うが、

それが真であるか?に対しては、

会社として何を事前にアグリーしてやっているか次第だと思う。

金を稼ぐ、会社を生かすために個人が不幸になるなんて知ったこっちゃない、

そんなスタンスだったらそれこそそうだろうが、

仲間で、スタートアップをやって楽しく過ごす、失敗も許容した上で、のびのび挑戦する、

そんなアホみたいに働いて金も出してやるもの、、かというと、

投資家社員とちゃんと対話して、そういう空気でやっている、

それでいいと思うんだが。。

世の中、そう甘くない!と言いたい人は多いんだね、と。

意見も聞いてみたい

2018-02-16

サンデーに載ってそうな異能力バトル

サンデーに限らず最近異能力バトルモノって

その能力世界をどうしたいとか、結末までのプロットイマイチ希薄

「○○っていう設定で異能力バトルしたら面白そう」「いいね!」みたいな

バトルが目的になって編集OK出してる感じの作品が多いか

設定だけ走って人間関係とかドラマ希薄でそこそこの人気で打ち切り、みたいなん多いよね

サンデーじゃないけどテラフォーマーズとか)

2018-02-10

なぜ恋人ができないか、私の場合

行動をしていないからだ

じゃあなぜ行動しないかと言えば、自分に自信がないからだ

もちろんモチベーションはあるけど、モチベーションを自信のなさが上回る

 

客観的に見れば、たぶん劣悪な人間ではないと思う

でも、自分なら自分と付き合いたくない

自分と付き合いたくないのに、好きな人にそれを押し付けられない

気分は性能の悪い製品を売り込まなければならない営業のようだ

進むも、戻るも辛く、立ち止まっている

自信を持てと言われても困る、たぶんそういう性格なんだろう

いつからこうか思い返すと、中学生くらいからこうだった

 

過去例外はあった

モチベーションが全てを越えるような、素敵な人と知り合ったとき

狂ったように努力し、そして病みまくった

たぶんああいうのが何度もあれば、何か変わるのかもしれない

でも生憎私は惚れっぽくない性格だし、異性との知り合う人数も少ない

 

よくネットで見かけるような「恋人が欲しければこういうことをすればいい」は

スタートモチベーションが足りていない時点で意味がない

 

こういった事がわかっているので、必要以上に寂しいとか恋人がほしいとか

そういう不平不満を言わないようにしている

仕方ない、自分は何かが希薄なんだ

そして、そういう人が同じ世代に割りと多いことがここ10年でよくわかった

少しだけほっとして、同時に酷い時代だと思った

何でこんなことになったんだろう

幸せになれればいいのに、と思うのは甘いのか

2018-02-07

私の字

彼氏と付き合って10年だけど、関係希薄から私の書いた文字を彼は見たことがない。

今度、プレゼントメッセージを付ける。

初めて、自分の筆跡を見せる。

緊張するから、何度も練習しています

「いつもありがとう

2018-01-15

anond:20180115200500

たまにある。

距離がすごい近いけど、希薄だよね。

もやもやしつづけてもアレだし、できればオフとか接点ない友達に聞いてもらったりしたらどう?

anond:20180115172028

「無欲だけど結婚願望がある」ことと「付き合いが希薄」なことはどうつながるんだ?

最近の若者って無欲な割に結婚願望はちゃんとあるんだよね。なんでだろ。やっぱり対面コミュニケーションが少なくて付き合いが希薄なのかな?

2018-01-09

成人式スクールカースト社会階層

先日成人式に出席した増田です。

個人東京大学に通っていますが、成人式は、高校卒業までを過ごしたいわゆる「普通地方都市のものに出席しました。成人式自体は非常に平凡かつ平和ものでした。近くに住んでいたというだけで同じ校舎にぶちこまれていたかつての級友たちとの再会を楽しみ、今は東京に戻っています

さて、出席して改めて思うのは、成人式は「中学最後学校行事」だということです。主催地方自治体と、その対応する教育委員会ですし、会場の治安維持には当時の先生方が駆り出されていました。(平和ではありましたが、「荒れる新成人対策はがっつりされていました。以前大変なことになったことがあるようです。)そして、学校行事である以上、その場にはあの頃と同じ「スクールカースト」の力場が保存されていました。あの頃の教室雰囲気を思い出すのにそれほど時間はかかりませんでした(!)が、あの独特のサルリバイバル感が無理で成人式に出席しない、という選択をする人たちの気持ちは十分に分かりました。私自身は、あの頃にいい思い出はないもののそれなりに神経が太いので気になりませんでした。(「地元」というコミュニティからある程度離れてしまっているのもあると思います。)

ただ、あの頃の学校行事と異なり、成人式にあっては、その当時のスクールカーストに加えて(成人式では一時的に不可視であるように振る舞うことが求められているものの)社会的役割分担(階層)がある程度見えています。これら2つの構造」の比較検討は、フィールドワーク考察としてはかなり面白いと思ったので、とりあえず雑に考えてみます。(レポートじゃないのでテキトーです。許してね)

スクールカースト社会階層

改めてスクールカースト俯瞰的に見てみると、以下のようなマトリクスで整理することができるはずです。どこかのブログ記事かなにかの受け売りで、スクールカースト一般問題を語るのに適切かどうかはわかりませんが、今回は便利なので使ってしまます

\学業成績が優秀(教員従順学業成績が不振教員反抗的
コミュニケーション比較的得意リア充タイプ「不良」タイプ
コミュニケーション比較的苦手優等生タイプオタクタイプ

以下、成人式時点での社会階層(の萌芽)との対応を述べていきます

リア充タイプ

ほとんどが大学に進学。東京圏地方都市であることも要因としては大きいだろうが、東京私立大に通っている割合がきわめて高いことが特筆すべき点。背景として考えられるのは、彼ら/彼女らの家庭が比較的安定していたこと、自分自身の容量の良さから「楽かつ評価される」選択肢を選び取ったことなどか。就職先として地元という選択肢はかなり薄めのよう。

当時から「不良」タイプとの関係性が良好であり、アルコールにも慣れていることから同窓会後の2次会でも中心的な役回り男性の中でも血気盛んな層は「不良」タイプ女性ワンナイトラブをキメたよう。

「不良」タイプ

高卒もしくは専門学校に進学。いわゆる「地元コミュニティの中心をなしているようで、そのコミュニティ関係性を悪化させてしまっていた「元」不良たちはそもそも成人式に出席していなかった。家庭環境がさまざまだが、比較的早い段階で家計を支えることが期待されており、当時のような「ヤンキー」的振る舞いはほとんどなかった。それでも様々な着飾り方、騒ぎ方で成人式の夜を賑わしていたが……。一方で大学学者一定数いて、多くは高校からの推薦で、地方大学に在籍しているよう(就職意識してか、比較理工系が多めであるように感じた。)

「つっぱり方」を基軸とした当時の力関係希薄になるにつれ、地元自営業者の息子/娘もこの層と仲良くしていたのはおもろいかな。

優等生タイプ

大学学者が中心であることは「リア充タイプ共通しているが、比較国立大学学者が多め。(女性を中心に)典型的には地元大学学生だが、理工系を中心に東京圏の中堅私大にも分散していた。地元との関係性は一番希薄であるものの、地元就職視野にいれた就職活動を行うよう。大学入試偏差値就職を考えた場合、在籍中の大学の「レベル」はリア充タイプ拮抗しており、今となっては絶滅寸前の浪人経験者もこの層に集中。(余談だが、イキリオタクの如くこの文章を書いている私もこの層に属していると言える。)

一部は大学での経験をもとに「リア充タイプへの順応を見せているか

オタクタイプ

大学もしくは専門学校学者ほとんど。コミュニティとしての「地元」には所属していないものの、実際は地元に残っている場合が多い。なぜか分からないが、男性ではスーツの着こなしが一番微妙だった。当時と比較して「優等生タイプとのコミュニケーション志向している様子が見て取れ、同窓会ではアルコールも控えめい、かなりおとなしく過ごしていた。高校卒業フリーターをしている層はここに集中しており、このご時世にあってコミュニケーション能力の果たす役割の大きさを感じずにはいられなかった。

考察的な何か

当時のスクールカーストに対して学歴復讐、みたいな素敵なことはなく、社会の荒波と言われるようなものは(少なくとも自分地元では)スクールカーストとなんとなく連続している。ただ、東京大学に進学することは、「提示されている選択肢の多さ」という点で大きなメリットであり、また、終わりつつある「普通地方都市」という機構から脱するためのいちばん有効手段

もちろん家庭環境は当時のカーストから現在の状況までを形作る通奏低音であるものの、社会全体の成長という神話が終わってしまった自分たち世代にあって、ふたたび地方における「構造」として安定的であるかどうかは疑問。「不良」タイプの家庭の再生産は現在就職環境にあっては以前より難しいし、「優等生タイプ提供される地元就職先の選択肢は縮小しつづけている。「オタクタイプは「結婚しない/できない」問題の中心にあるし、今後の私の街はどうしようもなく不安定な何かしらになってしまう気がする。

2018-01-07

[]

今回は少年ジャンプ+

ファイアパンチ 83話

ああ、終わった。

本作のテーマを大まかに語るなら、“役割”や“虚構”みたいな話になると思う。

当初期待されていたような、悲しき宿命を背負ったヒーローの活劇ものでは決してない。

しろそういったもの虚構とし、その偶像翻弄され、各々の役割に苦悩しつつも時に順応し、時に戦い生きようとする者たちの群像劇みたいな感じ。

話は二転三転しつつも、実はこのテーマ自体はちゃんと一貫していたりする。

最後サンルナの邂逅だって、二人は本来サンルナではないわけだからね。

そういったテーマや作者の伝えたいであろうことを踏まえたうえで、私が本作を面白かったと思っているかというと……うーん。

展開は行き当たりばったりのように感じるけれども、連載当初の作者のインタビューから解釈する限り、大まかなプロットは決まっていたっぽいんだよね。

それであの始末なのだとすると、構成力不足か読者との意識のズレがあるのかなあと思う。

端的に評するなら、頭でっかち作品だったね。

私もよく感想書いていたから、少なくともある程度は本作を評価していたのは間違いないんだけれども、喉に小骨が刺さっているような気分だ。

いや、「不完全燃焼」と表現したほうが良いか

I WILL ROCK YOU

主人公部活に誘われて、最初のうちは渋るものの最終的に入部する、まあ紋切り型

はいっても紋切り型が悪いわけではなくて、大事なのはその型に何を入れるかだからね。

その点で「書道」などといった選ばれにくい題材をチョイスしたのは妥当判断だと思う。

難点は主人公の苦悩が陳腐で、思春期特有漠然とした虚無感の延長線上でしかない点かな。

から身内の死という要素を付け足して、その動機希薄性を緩和しているわけだけれども、そのせいでかえって主人公の苦悩が身内の死のせいなのか若者陳腐な万能感からなのか有耶無耶になっている。

そもそも芸術的な話って、一般人から見て「何がどうすごいのか」についてアカデミックな解答がないと共感しにくい。

その状態で、肝心の「なぜ書道なのか」について観念的なことばかり並べられても、結果として雰囲気だけで描いているという印象から抜け出せない。

まあ一番悪いのは謳い文句書いた人だよね。

「衝撃作」とか謳っておいてこれといったインパクトがないんだから肩透かし食らう。

伝説のスケーター☆ノリ

キャラクターの描き方が上手いなあって印象。

主役はタイトルにもなっているノリなんだけれども、言動の突飛さと激しいスケート(?)シーンを同時進行で見せることによって、「変人だけどすごい」という説得力が増す。

コメディギャグ漫画でも、絵の説得力って大事だなあと改めて実感した。

まあノリの造形はあんまり好みではないけれども、見せたいものが伝わっている時点でデザインとしては成功だと思う。

青のフラッグ 23

それぞれが「友愛か、恋愛か」みたいなことで悩んでいるんだけれども、これが三者三様であることを改めて見せてくれたなあっていう。

他の主要人物が一応の答えを出して立ち回ろうとしているのに対し、二葉場合はそこら辺が漠然としている状態

YESしろNOにしろ相応の立ち回りをするべきなのに、二葉消極的性格あいまって上手くできない。

それが前半の、二葉の将来に対する煮え切らなさと本質的な部分では重なっているわけだね。

学生たちが進路について考え始める時期に設定したのは、話がゴチャつくか空気設定になる可能性もあったけれども、なんか上手いこと繋げていくなあ。

アンドロイドも夢をみる

まあ、タイトルからしアンドロイド人格に焦点を当てた作品であることは明らかだから、話は最初からスッと入っていく。

SF要素や哲学的な話は希薄で、矛盾はしていないように見えるけれども陳腐だとは感じる。

ただ小難しい理屈を並べていないので読みやすくはある。

そもそも主題は「過去に辛い経験のある二人が、共に前向きに生きることを決意する」といった話だろうから、まあ作りはこれでも良いと思う。

期待していたものとは違うけれども、ストーリーと紡がれるドラマ自体は割と嫌いじゃないよ。

磯部磯兵衛物語〜浮世はつらいよ〜 特別番外編 拙者はサラリーマン

週刊ジャンプで連載されてたのに、コミックス発売記念の漫画ジャンプ+でやるのかっていう印象はあるけれども、まあ本誌でもジャンプ+の宣伝はよくするからかいこと気にしたって仕方ないか

この手の転移モノの話で未来に飛びたがるってのが逆に珍しい気がする。

現代だと、むしろ文明異世界とかのほうがポピュラーイメージがあるし、磯兵衛が過去に飛んで原住民相手知識をひけらかしてドヤ顔するほうが“らしい”気もしたから。

でも、ここで「未来のほうが楽ができる」っていう発想は確かに“らしい”。

それに転移ものとしては最低限のツボは抑えていて、ジェネレーションギャップ(?)や、順応しようとする描写、肝心なところは大体「母上」というチート解決っていうのも(笑)

はいえ新鮮味は薄く、周りの登場人物が明らかに子孫で実質同一人物なので、現代舞台にしつつも空気感はいつも通りだね(まあ、本作はもとから現代の話がちょくちょく入り込むことが多かったけれども)。

最後に磯兵衛はちょっとした成果を出すけれども、いわゆる枯れた技術の水平思考になっているのはちょっと感心した。

近年の異世界転生・転移ものマンガ読んでいる私からすると、現代文明を旧文明世界で活かすパターンが多かったから、その逆パターンポピュラーになってもいいよねと思った。

オーバーキラーギコくん

子供主人公にして過激なことやらせるってのは、まあ鉄板といえば鉄板

主人公であるギコの序盤のアクションケレン味が強く、まああんまりマジになって見るべきものじゃないことはすぐに伝わる。

ギコの人格成熟させるのではなく、あくまで年齢相応に設定したのは良かったと思う。

アクションとのギャップメリハリが出るし、分かりやすい未熟さはキャラクターとしては魅力にもなりうる。

反面、プロットは前時代的な勧善懲悪ものしかなっていないのは残念。

悪役のキャラクター像は安直、展開は強引。

結果としてはギコの一方的勝利で終わるので、バトルシーンは総じて面白みが薄い。

例えるなら、小学生向けの漫画誌で描いていた作家ちょっと過激描写に挑戦してみたものの、その頃のクセが抜けていない作風っていう感じ。

リンクス

ボクシングを題材にはしてあるものの、スポーツものというよりは青春ものって感じ。

ほとんどモノローグ調で語られる主人公セリフと、反して明朗快活なヒロイン

だが本質的には同じ苦悩を抱えており、互いが想いを分かち合おうとすることでトラウマを払拭するという構成は良いと思う。

気になるのは、主人公の設定がボクシングシーンと噛み合っていないというか、分かりにくいところかな。

今までは防衛本能で殴っていたけど、共有できる仲間がいることを自覚したので冷静になれた、みたいな感じに解釈したけれども。

部活モノとして表面的に見るならば、今回感想書いた『I WILL ROCK YOU』と似ているんだけれども、テーマによって印象は大分変わるね。

2018-01-03

昔付き合っていた彼女結婚した

2018年元日何気なく開いたFacebookでそれを知った。

優しそうな旦那さんと写る写真が添えられていた。

新年早々いい知らせだと思った。

別れて以来、何としても幸せになってほしいと思っていた人だったから。

彼女からはたくさんの愛をもらった。

愛情表現希薄な僕の両親のもとに育ちながらも、

やさしい嫁、かわいい娘と暖かい(モロ主観)家庭を築けているのは、

彼女のおかげだ。

愛する喜び、愛される喜び。

人間の本源的な二つの喜びを、彼女のおかげで知ることができた。

そして、彼女を失ったからこそ、

大切な人を守り抜くことの重みを学ぶことができた。

彼女にとっては忘れ去りたい過去かもしれないが、

僕にとって彼女と過ごした5年半の日々は、その後の人生を形作るうえで重要な基礎になっている。

今年、嫁と付き合ってからの年数が、

彼女と付き合っていた年数を超える。

別れた当時はそんな存在出会えるとは思っていなかった。

本当におめでとう。末永く幸せに。

スノッブはてながいいのに

はあちゅうとか村本とかじゃなくて

もっとスノッブ教養主義的なブクマがいいけどないな。

はてなってこんな大衆的でタブロイド紙みたいなトコだったっけ。

無料アクセスできる元記事ソースがほぼ記事に見せかけた広告ばっかりだからなぁ

あらゆる無料メディア通信言論広告に埋もれていって内容が希薄になっていくのは止められない。

有料メディアはてなSNSで共有できない。この歯がゆさ。

2017-12-31

[]

今回は少年ジャンプ+読み切り作品感想をいくつか

『彼方のアストラ』が最終話から感想書こうと思ったけれども、細かいこと言い出すなら色々とあっても結論としては『良い作品だった』ってことになるから、まあいいや。

FLEAGHT-フリート-

ド派手なアクションシーンで楽しませながら、終盤にちょっとしたオチ

まあ終盤のオチは、あれがないと単なる「巨大生物に立ち向かう戦士たちのヒューマンドラマ」になって月並みからちょっと捻ってみましたっていう印象のほうが強いかな。

もちろん設定とかもちゃんとこじつけはいるけれども、大筋の描写がしっかりしすぎているが故の弊害かもしれない。

マッチョグルメ』の人が原作だってこと踏まえると、ある意味で納得。

ややもすると真面目に描きにくい話を、大真面目に描いてストーリーを成立させるっていうスタイルからね。

鬼の影

話の流れ自体は、良くも悪くも言うことなし。

いや、「良くも悪くも言うことない」ってのは、つまり評価していないってことになるか。

前半の話に読者を引き込んでくれるようなものがないし、後半はタイトルにもなってる『鬼の影』についての解説ほとんどだし。

坦々としているというか、陳腐というか、「設定垂れ流しマンガ」みたいになってしまっている。

「実は主人公は……」みたいなパターン定番だし、その展開も読んでいる途中ですぐに気づく。

展開が読めること自体が悪いとは一概に言えないけれども、それが作品面白さとは何ら関係ないってのは欠点だと思う。

絵も基本的に拙いけれども、鬼の影が登場する場面は割とサマになっている気がする。

カラーの力が大きいだけかもしれないが。

佐本家のニケ

ストーリーものってサクッと読めないか感想書きにくいけれども、テーマ最初からハッキリしていると、それだけで読みやすくて助かる。

粗探しをするなら、ニケはキャラクターとしては出来ているけれども、ストーリー上の役割としては舞台装置的でしかないって点かな。

超常的な存在なのに大したことをやらせいから、展開としてはあまり盛り上がらない、役割としての必然性が薄い。

もちろん主人公の心境が少しだけ変化するキッカケにはなっているけれども、その程度だったら別に似たような人格登場人物でも良いって思ってしまう。

ハートフルコメディ”らしいが、コメディ要素に関してはそこまで楽しいと思える要素が少ない(ハートフル要素に関しては異論はないけれども)。

はいえ描きたいことは理解できるし、作風演出のものケチをつけるようなところはないので、総じて手堅く纏まっているって印象。

ロストサマーメモリー

回想の代わりに動画の記録という演出を取り入れて、その演出がちゃんとストーリー上でも意味があったと分かる構成が良い。

この手の話ってオチが読めたり、判明した後だと途端に白けるんだけれども、本作はそれが分かった上でなお読ませる構成になっているのが上手いと思う。

オチ理解したうえで改めて読み返すと、カメラに映っている登場人物たちの言動とか、視点が見下ろしになったところとか、色んな箇所に恐怖を覚えるっていうね。

もう一度読み返したくなるっていう意味では、今回感想を書いた読み切りの中では一番印象的かな。

難点は、ちゃんと読み込まないと話を理解しにくい構成なのが一長一短といったところ。

色々と工夫しているのに、それが分かりにくいのは勿体無いと思う。

余談。常々思っていることなんだけれども、はてブホッテントリになる漫画って、いまいち基準が分からないことが多いんだよね(面白いかどうかって話じゃなくて、面白いマンガの中からホッテントリになるのはどういう類のものなんだろうって話)。ただ、今回のに関してはまあ分かる。やっぱりプロットキャッチーさがあると強い。

欲(仮)

特定のシーンとかしっかりキマっていて、絵の迫力も中々なのに、話の流れとか展開が不自然なところが多くて悪目立ちしてる。

セリフ選びのセンスというかセリフ運びもぎこちなくて、そっちが気になって目が滑る深読みするなら、一応この不自然さにはちゃんと理由があるといえなくもないんだけれども、ほとんどの登場人物セリフがぎこちいから、ちゃんと機能しているといいにくい)。

テーマ犯人セリフからして明瞭ではあるけれども、ただ喋らせているだけって感じ。

ときおり出てくる独特な表現プロットに馴染んでなくて、単なる賑やかし的な飾りにしかなってないのも気になるし。

演出意図希薄なのに目立つ表現って、悪目立ちに近いから読んでると戸惑う。

作風は色濃く出ていて、一つ一つの要素を抜き出して評価する分には面白いんだけれども、それらが一つの作品としては噛み合ってないなあって印象。

雨音く君の綴る音

こういうシチュエーションは、『言の葉の庭』を思い出すね(別にパクりって言いたいわけじゃない)。

君の名は』でメジャー級になるまで、新海誠監督いまいち大衆認知されない理由象徴するような作品だと思う。『言の葉の庭』って。

アニメーション表現力は圧倒的なんだけれども、プロットが退屈すぎるからね。

要人物のやり取りとかの繊細さ、空気感など、作り手の表現したいことを汲み取った上でなお退屈だった。

なんか『言の葉の庭』の感想なっちゃたけれども、なんでこういう話をするかというと、この漫画長所短所も大体同じだからだと思う。

身も蓋もないことをいえば、動きの少ない、劇的じゃない物語面白がるのは難しい。

ましてや本作は漫画から劇半やアニメーションがない分、漫画という媒体を存分に活かした表現や、よりプロット重厚で繊細でないと厳しい。

キャラ漫画とかだと、キャラクター性に振り切ることで緩和されるけれども、地に足の着いた登場人物たちが現実的世界観物語を紡ぐなら何らかのフック、エンターテイメント性のある劇的な要素がないと、どうしても盛り上がりに欠ける。

ど忘れゴッデス

漫画記号キャラであるゴッデスと、漫画記号取り巻きたちに、主人公イライラするっていう要はメタフィクション要素の強い作品

“こんなヤツ現実にいるわけがないし、いたとすれば絶対キャラでやってるだろ”っていう読者の共通認識コメディ主体にしているのは、取っ掛かりとして良いと思う。

キャラとかではなく、本当に忘れっぽいだけ」みたいなオチに逃げず、ゴッデスが最後最後やらかしたポカが、ネタを忘れるっていう展開なのも利いてる。

深読みするなら、結局ゴッデスがネタでやっているのか、素でやっているのか有耶無耶にしているとも解釈できるけれども、それだと話としてフワフワしすぎているか個人的にその線はナシかなあ。

それと、展開にもう一捻り欲しい。

漫画記号に対するツッコミ主体にするなら、それこそゴッデスというキャラや、彼女を持てはやす取り巻きの不気味さとか掘り下げられる要素はたくさんあるのに、ただ表面をなぞっているだけのストーリーになっているのが物足りないかなあ。

2017-12-27

今年も多くの屍が。

振り返ってみると勢いのあったサービスが死んでるね。瀕死もあるけど。

いくつか見繕うと

・印象的だったのはイエモ。炎上案件の鎮火を丸投げして影潜めてりゃセーフという前例を作った。

メリーコンテンツ増産スキームは見事だったが、脇が甘いようで沈没

チケキャン。勝てるマーケットで勝つとかドヤってたけど、ルール違反で自滅。

あたりか。

共通してるのは、遵法意識希薄であり事業計画がない、もしくは甘いというところか。

悪しき前例を作るだけでなく、業界にもインパクトさせたのに知らんぷり。

ステマ著作権チェックにどんだけ時間食われたか。うちは結果シロだったけど。

彼らが勝手に自滅したので、助かった部分はあるけどね。

ネットは広大だわ

2017-12-24

クリスマスイブは骨壺と一緒に酒を飲む

田舎から某帝大に合格し、東京に出て4年。一旦は東京会社で勤めていた。

給料はとても高かったし、福利厚生文句なしの超大企業

しか残業三昧だった。

残業代は出るとはいえ、何年も働いていると身体が疲れてきた。

人間関係希薄で、家と会社の往復の日々。

遊ぶところには事欠かなかったし、東京は何事も最先端だったので楽しい部分もあった。

このまま東京に住み続けるのかな、と思っていた俺が田舎に帰った理由は笑ってくれてもいいが、家の犬だった。

大学に行くまで毎日散歩していて一緒に寝ていた俺の愛犬が、年を取り、もうよぼよぼになってあまり長くないと親から電話があったのだ。

次の休み飛行機に飛び乗り帰ってくると、足がおぼつかない老犬がよろよろと迎えに出てきた。

けなげにしっぽをぱたぱたと振っていた。

母親が、いつもはずっと寝てるのに、迎えに出てくるなんて、と驚いていた。

なぜだか、年甲斐もなく泣きまくってしまった。

人はバカだと言ったよ。年老いた両親のためならともかく、飼っていた犬のために会社を辞めるのか、と。

そうだね、自分でもそう思う。でも、このまま東京で働いて、何年か後に「死んだよ」と聞かされたら絶対に後悔すると思ったのだ。

引き継ぎを済ませ、東京大企業を辞め、地元に帰ってきた。

ほとんど動かない身体の犬と、ずっと一緒にいた。

後ろ足が立たない犬のために自作車椅子を作り、一緒に毎日散歩した。大好きだった海にもよく連れて行った。俺の勉強で得た知識なんて、老いる犬には、何の役にも立たなかった。

寝るときも側にいた。

何度も夜泣きで起こされて、その度に犬を抱えて、外を歩いた。自分でも、どうしてこんなにかいがいしく世話をするのだろうと思った。

理由はと言われると、やっぱりかわいかたから。大好きだったから。としか言えない。

介護生活は二年続いて、俺の腕の中で愛犬は死んだ。

その後、一年間ぼーっとしていた。本当にぼーっとしていた。引きこもって、ひたすらゲームをしていた。

朝昼晩の食事はなぜか家族の分も作っていた。料理は好きだった。

介護含め、トータル三年、ニート実家で続けた。親は何も言わなかった。

愛犬が死んで一年して、仕事を探した。中小企業に雇ってもらえた。

なんでこんな学歴人間がうちを受けたの、どうせすぐに辞めるんでしょ?なんて言われた。会社に同じ帝大卒の人がいて、気があった。

彼も同じように言われているらしい。二人で「給料よりも、大切な物があるんだよな」と話した。

今の会社給料はそこそこだが、残業もないし、社内が殺伐としていない。東京にいるときより幸せになっていると思う。欲しいのは給料ではなくて、心の安定だった。

犬のことがなければ、今の状態はなかったのだから不思議な物だ。

数年前のクリスマスイブケーキ一口も口をつけることもなく、亡骸を抱えて家族で泣いていた。あれからイブは俺たち家族には命日だ。

「今の俺の幸せは、おまえのおかげかなあ」と言いながら、今年も骨壺と一緒に酒を飲んでいる。

はあちゅうさんに晒された人が、発狂してイエローに堕する。

晒された人です。Twitterで書くには長すぎるので増田で書きます

この文章だけ読むと、何がなんだかわからないと思うので、詳しくは下記リンクをご覧ください。

http://hagex.hatenadiary.jp/entry/2017/12/20/123000

始めに

ええと。なんだか面倒くさいというと不謹慎なんだけど、ここまでくるとラフにやった方がよいと思うので、ラフに書くことにしたよ。最初告発チーム(あえてチームと書きますよ)のそもそも理念に照らし合わせて、MeTooの機運の妨げになってもいけないしな、と思って、PCを意識した表現を取っていたのだけれども。

最初に、もうここ数日、必ず冒頭に入れないといけないテンプレになってるけど、K氏の行為は、彼が謝罪文を出している内容において、ダメ絶対です。弁護の余地はないです。そこに関して繰り返し強調しておきますはあちゅうさんのことは好きでないけど、告発内容そのものは支持します。

その上でね。もはや、今回の告発チームの経過ってグズグズになっちゃってるじゃん? 一言で言うと、

「残念です」

ていうか、こうなることをイメージしちゃったからニュースが出たときに、個人の雑感としてFBにコメントしたんだよね。

私のFBの投稿の動機について

友人限定の個人雑感だから、何を書こうと、著しい事実誤認とか名誉毀損とかない限り、そんなの僕の自由なわけ。で、その投稿を見て「こいつは他人の陰口を叩く最低な奴だな」となるか、「いやー、わかるよ」となるかは私の友人との関係依存するわけだ。試される大地ってやつだ。コミュニケーションデザインスキルが問われるところだ。もしはあちゅうさんが真っ当に活動してきているなら、前者になるところだ。

そもそも、僕の元投稿は、誰も名指ししてないわけじゃん? あの投稿で「わかる」人って、それこそネットで10年選手以上の人くらいなんだよ。さらには、元投稿の「バスツアー事件」なんて覚えている人なんて、10年以上も経った今、インターネッツ老人会くらいしかいないんだよ。

すでに知れ渡ってるけど、私とはあちゅうさんはFB上のつながりはなかったし、Twitterのつながりもなかったんだ。ブロックされる前のFBを覗きにいったら、はあちゅうさんと共通の友人はたった47人。おい、そういえば、このなかにユダがいるぞ! 誰だ! (思い出した)

そんな希薄関係のなか、名指しもしてない投稿で、それが誰かと特定できる人なんて、私と長いつきあいのインターネッツ老人会の人か、告発チーム関係者くらいしかいないわけですよ。

でね、誰でも若さゆえの過ちってあるものなので、当時を知っている人は生ぬるく見守っていたりするわけですよ。そんななか、ポリコレセクハラ絡みのネタなんて炎上必至じゃん。慎重に書くじゃん。いや、本当は個人雑感だから慎重に書かなくてもいいんだけど。

でもまあ、こういうご時世ですよ。友人限定で、基本的には消すかも前提で書いたりもしますよ。なんでわざわざそんなネタなんで書くかって? 「おお、あのときの娘っこがまたなんかやらかしとるのう。大事にならんとよいが」くらいの温度感ですよ。

そんなクローズド投稿をわざわざご本人に送ってさしあげる人なんて、基本的には面白インターネッツ大好き人間じゃないですか。だって、わざわざスクショ取って、ほっとけば知りもしない自分の噂をご注進してくるんだよ? フレンズセレクションにはケアフリーになった方がベタードンチュー?だよね。

しかも、放っておけば拡散しない自分黒歴史を、わざわざ自分で17万人に向けて発信するとか、バカなの死ぬの? おっと、ごめんなさい。口が過ぎましたね。これはネットスラングなので、脅迫とかじゃないんですよ。僕は誰も死ぬことなんで望んでいないんだ。わかってくれよハニー。ちなみに当該投稿が公開されてたのはたかだか2時間もないわけ。

で、はあちゅうさんは、僕がはあちゅうさんの仕事先にデマを撒き散らして迷惑から晒したんだってニュアンスで書いてるよね。わざわざ僕の所属する組織の名前を上げて。どこの業界ゴロですか。

FB投稿のもともとの内容、ツアーについて

そもそも、非公開でコメントした雑感に根拠を説明するのナニがアレなんだけど、そんなにお望みなら、なぜ僕がああいったコメントを書いたか説明しますよ。

バスツアー。15,000円だったね。主催はSIFE慶應。当時、大学生地域に貢献するって名目で、特定非営利団体としてSIFE慶應とういう組織があった。はあちゅうさんはそれの代表だったよね。オフィシャルサイトには慶應義塾大学ロゴが入っていたもんだ。で、そのSIFE主催でブログセミナーってのがあった。名目は「ウケるブログセミナー」だ。後に大ヒットを飛ばすM野さんも講師として招かれていたんだ。

ところが、いざセミナーの段になって、セミナー料金の取扱いについてのトラブルが起きた。豪華メンツが登壇するから売り切れ必至! 参加は抽選制! と謳って、集客をやった。ところが、当選者に出発のギリギリまで入金方法が示されず、しかも送られてきたメールに書いてあった口座番号が二度に渡って間違えてた。結果としては入金期日の3日前にようやく正確な入金先が知らされたって状況。

参加者は入金しようにもできない。そこに「もうあなた当選したから、お金を払わない場合は、はとバスの規約に則ってキャンセル料をいただく!」というような内容(超訳)が送られてきたものだから、大騒ぎになった。デマカセいうなって? 下記がそのときに送られてきたメールだ。一部抜粋しておく。相当数の参加者に送られたメールなので、匿名性はないよね。というか、インターネッツ探せば出てくるから

——————————————————

ウケるブログセミナーは明日(25日)となっておりますが、お客様のご入金を未だ確認できておりません。セミナーにご参加頂けるのであれば、至急ご入金をお願いいたします。振込みが困難な場合は今回のみ当日現金払いも受け付けますので、ご連絡下さい。

今回すでに当選確定後ですので、私どもでお客様のお食事バス・その他すでにご用意させていただいております。万全の体制お客様をお迎えできるよう、お待ち申し上げております

また大変恐縮ではございますが、万が一、キャンセルされる場合も必ずご連絡いただけるようお願いいたします。今回、お客様の参加キャンセルは想定していなかったため、HP、告知文にもキャンセルについての記載はございませんでした。

ご案内が遅れてしまったのは大変申し訳なく思っております。しかし抽選形式で行っているツアー性質上、当選確定後のキャンセルは承る事が大変難しい状況となっております

——————————————————

入金したいのにできない。けれども入金期日は迫ってる。一部の参加者不審に思って、各所に問い合わせた。そうしたら、慶應義塾大学からは「それは慶應義塾大学オフィシャルじゃない」。SIFEの上部組織からも、「それはSIFE慶應の自主的な判断」という回答だった。

なので、不参加組からキャンセル料の扱いについて、皆が首をかしげ始めた。

一方で参加組。もともと

・通常◯◯◯◯◯氏の講演は2時間1万円!!

・高級旅館◯◯◯でのお食事日本でも貴重なキジ料理

みたいな煽り文句で集客してたわけだよ。それも、こんな豪華な料理が出ますよ! みたいな写真付きで。そもそも特定非営利団体文言じゃないよな、というツッコミはさておき。

その写真は、その旅館が他の一般パックツアーでも使ってた写真だったので、「あれ? このツアー、実はすごく安いんじゃね?」ってなって、特定非営利団体であることもそうだし、キャンセル料の扱いもあったので、収支を出せ! みたいな流れになったよね。覚えてる? 結局収支は出なかったけど。さらにははあちゅうさん、「文具メーカースポンサーも取れました!」って書いてたよね?

ちなみに、これは旅館側もどうかと思うけど、あからさまに実際に出てきた料理と写真が違ってて、「写真はイメージですってレベルじゃねえだろ!」ってなったよね。今でも写真は手元に残ってるよ。

まとめると、

慶應義塾大学公認じゃないのに、ロゴ出してあたかも公認のようにしていたこ

・振込先口座番号間違えてる上に、キャンセルポリシーも書かずに、キャンセル料は取ろうとしたこ

料理セミナー集客要素のひとつだったのに、出てきた料理が残念すぎたこ

SIFEの活動内容である地域貢献などが十分に告知されていなかったこ

セミナーではなぜかウケるブログの話とは別に唐突地域貢献ネタが出てきたこ

・その流れで、参加者は泊まった温泉宿のプロモーションを考えさせられたこ

ということが重なって、総じて「これ、ともすると、意図はともかく、結果として詐欺まがいじゃね?」って話になったわけだよ。金銭関係真実はわからないよ? でも宿のプロモーション企画があったら、なんらか宿からの利益供与があったんじゃないかって考えるのが普通だし、はとバス側のパックツアーも「コラボ」ってくらいだから、通常のパックツアーよりもなんらか有利な条件になっているって考えるのが普通じゃない

結果として、キャンセル組とは話し合いが持たれることになり、はあちゅうさん側も弁護士相談したよね? 特定商取引法からどう捉えるか。で、これでキャンセル料取るのは無理筋だって結論になったよね? さらにはその話し合いにあたってのメールには、

——————————————————

ご同席に関しては、今回は◯◯様への謝罪と説明を目的としておりますので、第3者のご同席はご遠慮頂きます様お願い致します。また、面会時の録音、録画、その他の方法で記録する事も、お控え頂きます様お願い致します。

——————————————————

って記述もあったよね。なんですか。最後の「面会時の録音、録画、その他の方法で記録する事も、お控え頂きます様」ってのは。録音/録画されたらマズい内容が含まれてるってことですか?

まあ、そんなこんなで、この騒ぎはキャンセル料なし、はあちゅうさんが謝罪という形で終わったんだけど、そもそも、このセミナーはあちゅうさんが受け持ったパート

ブログトラブル解決法」

だったという壮絶なオチだったわけじゃん。しかも、ブログに載せた謝罪文(本人は謝罪文ではないと後日話してたけど)にはアフィリエイトが仕込まれてたって、面白いにもほどがあるだろって話だったよね。

世界一周の件について

次に世界一周旅行の話をしようか。僕たちおじさんはね、青春時代オールナイトフジとか見てたの。でね、80年代には「女子大生ブーム」というのがあったの。「女子大生」という言葉商標登録されていたりもしたの。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E5%AD%90%E5%A4%A7%E7%94%9F

その流れで、女子大生を使って話題づくりをするのはおじさんたちの間では一定常識だったんだよ。いろいろな企業を回って、断られたり、スポンサーになってもらったり、という行動力ガッツは認めるよ? でもね、それはあなた女子大生だったからなの。30過ぎのおっさんが同じことしても、話題にならないの。悲しいけどこれ、現実なのよね。

誰もが黒歴史なんてあるわけで、いつまでもそれをほじくり返されるのって、キツいじゃん? それに、過去の黒歴史をもとに、今回みたいな告発相殺されるのもダメな話じゃん? もともと非公開のスタンスだったのは、そういう意味があったわけだよ。別に僕が公開してやましいことを書いているからじゃないんだよ。

でも、もはや現在進行形で、はあちゅうさん自らが、告発の意義を削いでいっているよね。だから今回、このエントリを書くことにしたんだよ。

はあちゅうさんが書いていた記事について

告発メディア側の担当者さんや、はあちゅうさんがとあるメディアをディスってたけど、はあちゅうさん、その昔、同じグループメンバーと一緒に記事書いてたんだよ。担当者さん、そのあたり、どう思います? ぜひ五反田あたりのスナックで話聞きたいです。

どんな記事書いていたかって? せっかくだからみんなにも読んでみてほしいよ。

まずははあちゅうさんが指南する【アクセスアップ4箇条】

その1 2ちゃんブログ板で自作自演する

その2 自慢する

その3 権力にたてつく

その4 脱ぐ

抜粋するよ?

「これは女の子限定だけど、困ったら、乳出してみYO!!乳でダメなら毛も出してみYO!!ついでに出会い系掲示板にも貼り付けておけば、OK牧場だよー!!めくるめく素敵なブログライフの始まりまり。」

http://www.tanteifile.com/baka/2005/09/17_01/

そのつぎは【ネットトラブル編】だよ

http://www.tanteifile.com/baka//2005/09/19_01/

ネットトラブル編なんか、セミナーというより、単なる「いや、それをどう防ぐかって話すのが君の仕事なんじゃないの?」って内容だよね?

その次は、もう一度【アクセスアップ編】

コツ1 日記の場合:本音を書く

コツ2 食べ物の場合:とにかく写真をたくさんアップすること

コツ3 女の子の場合

http://www.tanteifile.com/baka/2005/09/21_01/

抜粋するよ?

「『奇跡の1枚』をプロフィールに載せた上で、毎日写りのいい写真をアップしよう。勇気のある人は、首から下を、工夫しよう。ちなみにプロフィール看護婦とか女子大生とか書くと、食いつきはいいのかもね。興味ある人多そうなので。

……と、この記事の通り、女子大生ネタになるなんてことは、はあちゅうさん知ってたじゃん。

で、最後はあちゅうさんはこう書いてるんだ。

最後に言いたいんだけど、このセミナーで私が紹介してきたことの一部は、実際にやったらキチガイと思われるのがオチですから、皆様本気にしないでくださいましね。あくまで、ブラックジョークだと受け流して下さると嬉しいわ」

そうだよね。実際にやったら、キチガイだと思われるよね。僕も本当にそう思うよ。だから僕のこのエントリブラックジョークとして受け流してほしいな!

最後に、それでも僕は、ただはあちゅうさんを批判したいわけじゃない

エントリも後半に入ってきたよ。

公開されたインターネットに何かを発信すると、こうして13年近く経っても消せない過去として残っちゃうんだ。だからね、多くの人は露悪的にふるまったり、顕名で活動することに躊躇するよね。だから、結果として過去をほじくり返されても構わない無敵の人しかそういうことをやらなくなる。だからアクセスが集まるって理屈なの。

組織に属していて自由に発言できなかったり、あるいは上下関係や受発注関係、男女関係で抑圧されるシーンというのは多々あるんだよ。そのなかで、本当に深刻な被害を受けた人が、そうした抑圧によって黙殺されるのを防ごう、というのが今回の告発の意義でしょう?

今回の告発ってプライバシーもものすごく関連の深いトピックスじゃん? それから、強いものが弱いものを抑圧する、というのも今回のテーマの核心じゃん? 数の暴力を使って、非公開の投稿改変して、あたかも公開投稿かのように見せて晒し上げたり、個人宛の私信を晒したり、僕の所属する組織をわざわざ名指しして、仕事に絡めて僕の組織がセクハラ擁護しているから関わるなっぽい印象操作をしたり、それって、まんまKさんがやっていることと同じだよね? セクハラパワハラの違いでしかなくて。

それでも僕ははあちゅうさんは3重の意味被害者だと思っているよ。ひとつめの加害者はもちろんKさんだ。そしてふたつ目の加害者は、はあちゅうさんを使って、別の目的で利用しようとしているメディアの人たちだ。そして、最後学習する機会がないまま、それを許して、あまつさえマネタイズできちゃう社会だ。

からね、ほんの少しだけ年長者としてアドバイスさせてほしい。誰かに乗っかるのではなくて、ちゃんと自分で立とうよ。自分を利用しようとする人にもう少し気をつけようよ。それと、批判的な立場であれ、ちゃんといい方向に議論をしていきたい人たちはたくさんいるんだ。それを十把一からげに「誹謗中傷だ!」というのはもうやめようよ。

あとね、普通の人の感覚を教えてあげる。自分炎上しているときに、自分の著書とか宣伝するのは、普通は控えるものだと思うよ。

追記:おじいちゃんだから、手直ししてたら元記事消しちゃった。

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20171224021418

2017年12月27日追記:質問があったので、追記しておきます。この記事に書かれている事実関係は、私の記憶をもとに、全てインターネット上で今も存在している公開情報によって構成されています。それと、私はこの騒動のときに、かなり近い場所にいましたが、私自身はセミナーの申し込みも参加もしていません。

[]

今回は少年ジャンプ+

バージンスーサイド

とあるドラマーが再起を決意する大きなキッカケを描いた作品

プロットも、登場人物たちの展開する理屈セリフもろもろが、実にありきたり。

前向きにみるなら、奇をてらわないプロットからこそ、より作家本人の地力が色濃く出ているともいえる。

コマ割、構図、セリフ文字の配置、1ページにおける情報量バランス感覚、どれも高い水準だと感じた。

模範生的な出来だと思う。

大山田帝国憲法

展開や世界観自体バカげているものの、メインテーマプロットと一貫しているので話は分かりやすい。

家族という、いわば小さな社会組織の中で法(ルール)というものシニカルに描きつつも、それ自体の大切さと意義を描いている。

画風は古臭いというか、そもそも上手くないけれども、テーマとそのプロットの見せ方はハマっている。

コマ割はやや杜撰なところもあるけれども、構図は悪くないと思う。


アップデート家族/第2回うすた京介漫画賞 準大賞

アップデートテーマに、概念を超越してギャグをどんどん展開していく。

そのギャグもどれも小粒ながら、ちゃんとネタとしてしっかりしている。

面白さは、個人的に大賞の作品と大差ないと思ったけれども、こちらは大喜利の延長線上みたいな、ストーリー希薄性が明暗を分けたかなあって印象。

ストーリーがほぼない分、本作のギャグがハマらなかったら評価すべきところがほぼないのと同義からね。


母さん…すまない……/第2回うすた京介漫画賞 大賞

ああ、これは大賞とるよなって思った。

ギャグ自体は尻叩きがメインで、それが一貫している。

でもストーリー自体が表面的には真面目だから、感動が笑いを生むっていう循環が良くできてる。

明らかにふざけたことを真面目にやっている世界観なのに、時おりマトモなことを言う登場人物たちは、それだけでギャグとして機能している。

2017-12-22

anond:20171222100740

2017-12-24

はあちゅうさんに晒された人が、発狂してイエローに堕する。

晒された人です。Twitterで書くには長すぎるので増田で書きます

ええと。なんだか面倒くさいというと不謹慎なんだけど、ここまでくるとラフにやった方がよいと思うので、ラフに書くことにしたよ。最初告発チーム(あえてチームと書きますよ)のそもそも理念に照らし合わせて、MeTooの機運の妨げになってもいけないしな、と思って、PCを意識した表現を取っていたのだけれども。

最初に、もうここ数日、必ず冒頭に入れないといけないテンプレになってるけど、K氏の行為は、彼が謝罪文を出している内容において、ダメ絶対です。弁護の余地はないです。そこに関して繰り返し強調しておきますはあちゅうさんのことは好きでないけど、告発内容そのものは支持します。

その上でね。もはや、今回の告発チームの経過ってグズグズになっちゃってるじゃん? 一言で言うと、

「残念です」

ていうか、こうなることを最初イメージしちゃったからニュースが出たときに、個人の雑感としてFBにコメントしたんだよね。

友人限定個人雑感だから、何を書こうと、著しい事実誤認とか名誉毀損とかない限り、そんなの僕の自由なわけ。で、その投稿を見て「こいつは他人の陰口を叩く最低な奴だな」となるか、「いやー、わかるよ」となるかは私の友人との関係に依存するわけだ。試される大地ってやつだ。コミュニケーションデザインスキルが問われるところだ。もしはあちゅうさんが真っ当に活動してきているなら、前者になるところだ。

そもそも、僕の元投稿は、誰も名指ししてないわけじゃん? あの投稿で「わかる」人って、それこそネットで10年選手以上の人くらいなんだよ。さらには、元投稿の「バスツアー事件」なんて覚えている人なんて、10年以上も経った今、インターネッツ老人会くらいしかいないんだよ。

すでに知れ渡ってるけど、私とはあちゅうさんはFB上のつながりはなかったし、Twitterのつながりもなかったんだ。ブロックされる前のFBを覗きにいったら、はあちゅうさんと共通の友人はたった47人。おい、そういえば、このなかにユダがいるぞ! 誰だ! (思い出した)

そんな希薄な関係のなか、名指しもしてない投稿で、それが誰かと特定できる人なんて、私と長いつきあいインターネッツ老人会の人か、告発チーム関係者くらいしかいないわけですよ。

でね、誰でも若さゆえの過ちってあるものなので、当時を知っている人は生ぬるく見守っていたりするわけですよ。そんななか、ポリコレセクハラ絡みのネタなんて炎上必至じゃん。慎重に書くじゃん。いや、本当は個人雑感だから慎重に書かなくてもいいんだけど。

でもまあ、こういうご時世ですよ。友人限定で、基本的には消すかも前提で書いたりもしますよ。なんでわざわざそんなネタなんで書くかって? そりゃあ老人だからですよ。「おお、あのときの娘っこがまたなんかやらかしとるのう。大事にならんとよいが」くらいの温度感ですよ。ビバ老人!

そんなクローズド投稿をわざわざご本人に送ってさしあげる人なんて、基本的には面白インターネッツ大好き人間じゃないですか。だって、わざわざスクショ取って、ほっとけば知りもしない自分の噂をご注進してくるんだよ? フレンズセレクションにはケアフリーになった方がベターなドンチュー?だよね。

しかも、放っておけば拡散しない自分黒歴史を、わざわざ自分で17万人に向けて発信するとか、バカなの死ぬの? おっと、ごめんなさい。口が過ぎましたね。これはネットスラングなので、脅迫とかじゃないんですよ。僕は誰も死ぬことなんで望んでいないんだ。わかってくれよハニー。ちなみに当該投稿が公開されてたのはたかだか2時間もないわけ。

で、はあちゅうさんは、僕がはあちゅうさんの仕事先にデマを撒き散らして迷惑だから晒したんだってニュアンスで書いてるよね。わざわざ僕の所属する組織名前を上げて。どこの業界ゴロですか。

そもそも、非公開でコメントした雑感に根拠説明するのナニがアレなんだけど、そんなにお望みなら、なぜ僕がああいったコメントを書いたか説明しますよ。

バスツアー。15,000円だったね。主催SIFE慶應。当時、大学生地域に貢献するって名目で、特定非営利団体としてSIFE慶應とういう組織があった。はあちゅうさんはそれの代表だったよね。オフィシャルサイトには慶應義塾大学ロゴが入っていたもんだ。で、そのSIFE主催ブログセミナーってのがあった。名目は「ウケるブログセミナー」だ。後に大ヒットを飛ばすM野さんも講師として招かれていたんだ。

ところが、いざセミナーの段になって、セミナー料金の取扱いについてのトラブルが起きた。豪華メンツが登壇するから売り切れ必至! 参加は抽選制! と謳って、集客をやった。ところが、当選者に出発のギリギリまで入金方法が示されず、しかも送られてきたメールに書いてあった口座番号が二度に渡って間違えてた。結果としては入金期日の3日前にようやく正確な入金先が知らされたって状況。

参加者は入金しようにもできない。そこに「もうあなた当選したから、お金を払わない場合は、はとバスの規約に則ってキャンセル料をいただく!」というような内容(超訳)が送られてきたものから、大騒ぎになった。デマカセいうなって? 下記がそのときに送られてきたメールだ。一部抜粋しておく。相当数の参加者に送られたメールなので、匿名性はないよね。というか、インターネッツ探せば出てくるから

——————————————————

ウケるブログセミナー明日(25日)となっておりますが、お客様のご入金を未だ確認できておりません。セミナーにご参加頂けるのであれば、至急ご入金をお願いいたします。振込みが困難な場合は今回のみ当日現金払いも受け付けますので、ご連絡下さい。

今回すでに当選確定後ですので、私どもでお客様のお食事バス・その他すでにご用意させていただいております。万全の体制お客様をお迎えできるよう、お待ち申し上げております

また大変恐縮ではございますが、万が一、キャンセルされる場合も必ずご連絡いただけるようお願いいたします。今回、お客様の参加キャンセルは想定していなかったため、HP、告知文にもキャンセルについての記載はございませんでした。

ご案内が遅れてしまったのは大変申し訳なく思っております。しかし抽選形式で行っているツアー性質上、当選確定後のキャンセルは承る事が大変難しい状況となっております

——————————————————

入金したいのにできない。けれども入金期日は迫ってる。一部の参加者不審に思って、各所に問い合わせた。そうしたら、慶應義塾大学からは「それは慶應義塾大学オフィシャルじゃない」。SIFEの上部組織からも、「それはSIFE慶應自主的判断」という回答だった。

なので、不参加組からキャンセル料の扱いについて、皆が首をかしげ始めた。

一方で参加組。もともと

・通常◯◯◯◯◯氏の講演は2時間1万円!!

・高級旅館◯◯◯でのお食事日本でも貴重なキジ料理!

みたいな煽り文句で集客してたわけだよ。それも、こんな豪華な料理が出ますよ! みたいな写真付きで。そもそも特定非営利団体文言じゃないよな、というツッコミはさておき。

その写真は、その旅館が他の一般パックツアーでも使ってた写真だったので、「あれ? このツアー、実はすごく安いんじゃね?」ってなって、特定非営利団体であることもそうだし、キャンセル料の扱いもあったので、収支を出せ! みたいな流れになったよね。覚えてる? 結局収支は出なかったけど。さらにははあちゅうさん、「文具メーカースポンサーも取れました!」って書いてたよね?

ちなみに、これは旅館側もどうかと思うけど、あからさまに実際に出てきた料理と写真が違ってて、「写真イメージですってレベルじゃねえだろ!」ってなったよね。今でも写真は手元に残ってるよ。

まとめると、

慶應義塾大学公認じゃないのに、ロゴ出してあたかも公認のようにしていたこ

・振込先口座番号間違えてる上に、キャンセルポリシーも書かずに、キャンセル料は取ろうとしたこと

・料理もセミナーの集客要素のひとつだったのに、出てきた料理が残念すぎたこと

SIFE活動内容である地域貢献などが十分に告知されていなかったこと

セミナーではなぜかウケるブログの話とは別に唐突に地域貢献ネタが出てきたこと

・その流れで、参加者温泉宿のプロモーションを考えさせられたこと

ということが重なって、総じて「これ、ともすると、意図はともかく、結果として詐欺まがいじゃね?」って話になったわけだよ。金銭関係の真実はわからないよ? でも宿のプロモーション企画があったら、なんらか宿から利益供与があったんじゃないかって考えるのが普通だし、はとバス側のパックツアーも「コラボ」ってくらいだから、通常のパックツアーよりもなんらか有利な条件になっているって考えるのが普通じゃない

結果として、キャンセル組とは話し合いが持たれることになり、はあちゅうさん側も弁護士相談したよね? 特定商取引法からどう捉えるか。で、これでキャンセル料取るのは無理筋だって結論になったよね? さらにはその話し合いにあたってのメールには、

——————————————————

ご同席に関しては、今回は◯◯様への謝罪と説明を目的としておりますので、第3者のご同席はご遠慮頂きます様お願い致します。また、面会時の録音、録画、その他の方法で記録する事も、お控え頂きます様お願い致します。

——————————————————

って記述もあったよね。なんですか。最後の「面会時の録音、録画、その他の方法で記録する事も、お控え頂きます様」ってのは。録音/録画されたらマズい内容が含まれてるってことですか?

まあ、そんなこんなで、この騒ぎはキャンセル料なし、はあちゅうさんが謝罪という形で終わったんだけど、そもそも、このセミナーはあちゅうさんが受け持ったパート

ブログトラブル解決法」

だったという壮絶なオチだったわけじゃん。しかも、ブログに載せた謝罪文(本人は謝罪文ではないと後日話してたけど)にはアフィリエイトが仕込まれてたって、面白いにもほどがあるだろって話だったよね。

次に世界一周旅行の話をしようか。僕たちおじさんはね、青春時代オールナイトフジとか見てたの。でね、80年代には「女子大生ブーム」というのがあったの。「女子大生」という言葉が商標登録されていたりもしたの。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E5%AD%90%E5%A4%A7%E7%94%9F

その流れで、女子大生を使って話題づくりをするのはおじさんたちの間では一定の常識だったんだよ。いろいろな企業を回って、断られたり、スポンサーになってもらったり、という行動力ガッツは認めるよ? でもね、それはあなた女子大生だったからなの。30過ぎのおっさんが同じことしても、話題にならないの。悲しいけどこれ、現実なのよね。

誰もが黒歴史なんてあるわけで、いつまでもそれをほじくり返されるのって、キツいじゃん? それに、過去黒歴史をもとに、今回みたいな告発相殺されるのもダメな話じゃん? もともと非公開のスタンスだったのは、そういう意味があったわけだよ。別に僕が公開してやましいことを書いているからじゃないんだよ。

でも、もはや現在進行形で、はあちゅうさん自らが、告発の意義を削いでいっているよね。だから今回、このエントリを書くことにしたんだよ。

告発メディア側の担当者さんやはあちゅうさんが、TwitterであるメディアをDisってたけど、はあちゅうさん、その昔、同じグループメンバーと一緒に記事書いてたんだよ。担当者さん、そのあたり、どう思います? ぜひ五反田あたりのスナックで話聞きたいです。

どんな記事書いていたかって? せっかくだからみんなにも読んでみてほしいよ。

まずははあちゅうさんが指南する【アクセスアップ4箇条】

その1 2ちゃんブログ板で自作自演する

その2 自慢する

その3 権力にたてつく

その4 脱ぐ

抜粋するよ?

「これは女の子限定だけど、困ったら、乳出してみYO!!乳でダメなら毛も出してみYO!!ついでに出会い系掲示板にも貼り付けておけば、OK牧場だよー!!めくるめく素敵なブログライフの始まり始まり。」

http://www.tanteifile.com/baka/2005/09/17_01/

そのつぎは【ネットトラブル編】だよ

http://www.tanteifile.com/baka//2005/09/19_01/

ネットトラブル編なんか、セミナーというより、単なる「いや、それをどう防ぐかって話すのが君の仕事なんじゃないの?」って内容だよね?

その次は、もう一度【アクセスアップ編】

コツ1 日記場合本音を書く

コツ2 食べ物場合:とにかく写真をたくさんアップすること

コツ3 女の子場合

http://www.tanteifile.com/baka/2005/09/21_01/

抜粋するよ?

「『奇跡の1枚』をプロフィールに載せた上で、毎日写りのいい写真をアップしよう。勇気のある人は、首から下を、工夫しよう。ちなみにプロフィール看護婦とか女子大生とか書くと、食いつきはいいのかもね。興味ある人多そうなので。

……と、この記事の通り、女子大生ネタになるなんてことは、はあちゅうさん知ってたじゃん。

で、最後はあちゅうさんはこう書いてるんだ。

最後に言いたいんだけど、このセミナーで私が紹介してきたことの一部は、実際にやったらキチガイと思われるのがオチですから、皆様本気にしないでくださいましね。あくまで、ブラックジョークだと受け流して下さると嬉しいわ」

そうだよね。実際にやったら、キチガイだと思われるよね。僕も本当にそう思うよ。だから僕のこのエントリブラックジョークとして受け流してほしいな!

エントリも後半に入ってきたよ。

公開されたインターネットに何かを発信すると、こうして13年近く経っても消せない過去として残っちゃうんだ。だからね、多くの人は露悪的にふるまったり顕名活動することに躊躇するよね。だから、結果として過去をほじくり返されても構わない無敵の人しかそういうことをやらなくなる。だからアクセスが集まるって理屈なの。

組織に属していて自由に発言できなかったり、あるいは上下関係や受発注関係、男女関係で抑圧されるシーンというのは多々あるんだよ。そのなかで、本当に深刻な被害を受けた人が、そうした抑圧によって黙殺されるのを防ごう、というのが今回の告発の意義でしょう?

今回の告発ってプライバシーもものすごく関連の深いトピックスじゃん? それから、強いものが弱いものを抑圧する、というのも今回のテーマの核心じゃん? 数の暴力を使って、非公開の投稿改変して、あたかも公開投稿かのように見せて晒し上げたり、個人宛の私信晒したり、僕の所属する組織をわざわざ名指しして、仕事に絡めて僕の組織セクハラ擁護しているから関わるなっぽい印象操作をしたり、それって、まんまKさんがやっていることと同じだよね? セクハラパワハラの違いでしかなくて。

最後に、それでも僕ははあちゅうさんは3重の意味被害者だと思っているよ。ひとつめの加害者はもちろんKさんだ。そしてふたつ目の加害者は、はあちゅうさんを使って、別の目的をしようとしているメディアの人たちだ。そして、最後学習する機会がないまま、それを許して、あまつさえマネタイズできちゃう社会だ。

からね、ほんの少しだけ年長者としてアドバイスさせてほしい。誰かに乗っかるのではなくて、ちゃんと自分で立とうよ。自分を利用する人にもう少し気を配ろうよ。それと、批判的な立場であれ、ちゃんといい方向に議論をしていきたい人たちはたくさんいるんだ。それを十把一からげに「誹謗中傷だ!」というのはもうやめようよ。

あとね、普通の人の感覚を教えてあげる。自分炎上しているときに、自分の著書とか宣伝するのは、普通は控えるものだと思うよ。

2017-12-11

似非科学に関して青春時代の思い出を交えた個人的考察

 似非科学というのはいつの時代もなくならないものだ。パッと思いつく例だけでも、血液型性格診断ゲーム脳環境ホルモン水素水マイナスイオン、等々、枚挙に暇がない。多くはマスコミによって支持され、テレビ番組特集が組まれ、その科学的根拠あいまいにも拘らず世間に流布されて浸透する。テレビ番組などはあたかもその説を「検証」しているかのような映像を作り、怪しい肩書専門家コメントを添える。視聴者の多くはなんとなく「科学的に証明されている説なんだ」と信じ込み、疑問を持つことなく受け入れてしまう。一億総白痴化社会の完成である最近ネット上で多くの意見を比べて読むことができるので、情報収集能力の高い人たちはそこまで騙されやすくないとは思うが、未だテレビ新聞が主な情報源である人たちにとっては、上述の似非科学が今でも信じていることが多い。特に血液型性格診断などは、宗教のように信じ込んでしまっている人も相当数いるだろう。

 私も子供の頃はこれらの似非化学に騙されやす人間だった。最近ほとんど見ないが、昔はテレビが娯楽の中心だったこともあり、夕食時などはよく見ていたものである特に捏造問題で打ち切られた「発掘あるある大事典」などは、親が好きだったこともあって毎週見ていた。その中で血液型性格診断特集を何度か行っていたことは、今でも何となく覚えている。番組の中で「数名の幼稚園児を血液型別に分類してその行動を観察する」という検証が行われており、ものの見事にその血液型の特徴が行動として現れていた。見ていた私は「やっぱり血液型性格には関係があるんだなー」とぼんやりと納得していたが、今になって思い返してみれば数名の幼稚園児の行動で結論を出すのは早急すぎるし、番組が「○型かつ××な性格」の幼稚園児を数名集めることな造作もないことだし、そもそも集められた幼稚園児の血液型が本当に表示通りだと証明する根拠は何も無い。極めつけはあの「あるある」である。そういえば「あるある」マイナスイオン特集も何度かやっていた記憶がある。まあ、放送内容の真偽を検証するのは今となっては不可能に近いことだからやめておくにしても、心理学会において血液型性格判断の真偽は何度も検証されており、いずれも関連性を肯定するものがないことから、かの理論が出鱈目であることは疑いようがないだろう。

 しかし、科学価値は小指の爪の垢ほどもない血液型性格診断であるが、この似非化学が私に教えてくれたことが二つある。それは「人間客観的事実よりも自分が信じたいものを信じる」ということと「何かを信じ込んでいる人間を説得しようという試みは大抵徒労に終わる」ということだ。付け足すなら、当時私はまだ純粋ティーンエイジャーだったので、「大人は平気でうそをつく」ということも学んだと言えよう。

 私が初めて血液型性格診断反証する意見に触れたのは、中学二年生のことだったと記憶している。当時別段読書が好きでもない(むしろ嫌い)だった私が、たまたま休み時間図書館に立ち寄り、ふと目に留まった一冊の本を手に取ったのがきっかけだった。それは村上宣寛という方の著書『「心理テスト」はウソでした。受けたみんなが馬鹿を見た』(2005、日経ビジネス)という本である。新作であったこの本は本棚の上に表紙が見えるように立てられており、そのセンセーショナルタイトルに興味を惹かれたのを覚えている。

 10年以上前に読んだものであるためにうろ覚えな部分もあるが、本の内容は大きく2つに分かれていた。前半が血液型性格診断への反論、後半はまた別の心理テストへの反論が主であった(後半の内容は忘れた)。本文の中で、今日血液型性格診断の源流である能見正比古氏の著書をけちょんけちょんに貶し、また血液型性格診断のような「占い」を人に信じ込ませるための心理テクニックであるバーナム効果」についても詳しく説明があったと記憶している。

 当然、本の内容は著者の考えであり、本の内容が絶対的事実であるとは(今となっては)思わない。しかしこの本の内容は、血液型性格診断科学的根拠のある学説だと何となく思い込んでいた私にとっては、とても衝撃的な物であった。血液型性格診断のものというより、これまで固定観念的に信じ込んでいた常識が、脆くも崩れ去った瞬間で、まさしく目から鱗であった。活字嫌いな私が、数日図書館に通って本を読んだのは、(マンガ喫茶を除けば)後にも先にもこの時だけであろう。「借りて読めよ」と言われるかもしれないが、当時の学校図書館ルールで、新作は借りれなかったのである

 新しい知識を得たら人に言いふらしたくなるのが能のないアホウドリの常である。当時は全盛期こそ過ぎたものの、血液型性格診断世間一般根付いており、それを否定する論調は(少なくとも大手メディアでは)ほとんど存在していなかった。要するに「他の誰も知らないことを自分けが知っている」ような状況だったのだ。腕のケガだと偽って毎日手に包帯を巻いて通学していたリアル中二病の私にとって、これほどドヤれる材料は無い。とは言え、何の脈絡もなく血液型性格診断の話をするのも変である。友人との会話の中で血液型の話が出てくるのを待ち、出てきた瞬間にこれでもかと否定する。それによって「頭が良い奴」と思われて皆からちやほやされる。正に完璧計画だった。

 ところが、実際に反論してみたところ、いずれもあまり芳しくない結果に終わってしまった。どや顔血液型性格診断否定しても、「でも何となく合ってる気がするし…」と、決まって歯切れの悪い反応しか返って来ないのである挙句教師からも「屁理屈ばっかりこねるな」と言われる始末。今となってはどちらが屁理屈なんだと思わざるを得ないが、確かに思い返してみれば、血液型の話でわいわい盛り上がっている時に、キモいデブどや顔否定して来たら、場が白けてしまうのは明白だろう。要するに私の敗因は、イケメンではなかったこである

 冗談はさておくにしても、それ以降、私は血液型性格診断の話が出てきた時、余程仲の良い間柄でなければ、ニコニコして受け流すようにした。まさに2017年現在でも血液型性格診断肯定論者の方が言うところの、「否定する奴はモテない」という説を支持する対応であった。情けないとは思うが、当時ただでさえ友達が少なく、これ以上周りから孤立するようなことは避けたかった私を責めることなど出来るだろうか。ちなみに今は目上の人でなければそれとなく否定している。相変わらずチキンであった。まあ、事実事実として、TPOに合った会話合わせというのは必要だと思っている。

 そこで私が学んだことが、先の「人間客観的事実よりも自分が信じたいものを信じる」「何かを信じ込んでいる人間を説得しようという試みは大抵徒労に終わる」の二つだ。血液型性格診断を信じている人に、上述の心理学会の話や、バーナム効果の話をしても、決まって返ってくる言葉は「でも何となく当たってる気がする」「私の周りでは当たっている」と言ったものだ。査読のある学術誌に投稿された数千人規模の調査結果よりも、自分の身の周りの数名の事例を優先するのである。当然その事例には得てして強い確証バイアスが掛かっているのだが、本人はそれに気付くことができない。「客観的事実よりも自分が信じたいことを信じる」典型である

 これは、似非化学に限らず社会の中のあらゆる現象に対して言えることである。例えば昨今、「若者の○○離れ」という言葉をよく耳にする。○○の中には、テレビ新聞、車、バイク、酒、読書など、ありとあらゆるものが入り得る。そして、その原因は大抵若者帰着させることが多い。「最近の若者は人との関係希薄から酒を飲みながらのコミュニケーションをしないのだ」とか、「世間政治に対して無関心だからテレビ新聞を見ないのだ」とか、とりあえず若者悪者にするような結論が多いが、決して「社会の変化によってニーズも変容し、製品価値相対的に下がった、すなわち製品自体時代の変化に追いつけなくなったのだ」といったような、自らに責任帰着させることは決して言わない。やはり自分が信じたいことしか信じていないのである

 また、血液型性格診断を信じている人の共通点として、否定しようとすればするほど攻撃的になって反論するというものがある。先の中学生の時の教師がその典型例だろう。理論的な反論が出来なくなると「屁理屈をこねるな」と論点をずらして逃げるのである。「否定する奴はモテない」というのも同様で、血液型性格診断の真偽について反論しているのに、「モテるモテない」の話にすり替えさら相手を「お前は場の空気の読めないモテない人間だ」と罵倒しているのである。そうなってしまうと、もはや冷静な会話は成り立たない。こちらがいくら事実を述べても、返って来るのは罵倒だけであり、最終的に相手が逃げてしまうのである。そこに残るのは無駄時間の浪費と徒労感だけで、何ら生産性のない労力を費やされることになる。

 こちらもやはり社会全般で言えることだ。例えば「若者犯罪ゲームアニメによる影響だ」などの持論を展開する人に、「若年層の犯罪率は年々下がり続けており、反対にゲームアニメ市場は伸び続けている。」と反論しても、恐らくその後は謂れなき若者批判罵倒くらいしか返って来ないだろう。論理的反論を受け入れられない人間にとっては、実は事実などどうでも良く、会話を勝ち負けを決める手段としてしか考えていない。そして自分が負けるのが嫌だから最後子供のような罵倒に終始し、逃げてしまうのである。こういった手合いは、「自分の非を素直に認められない」ことも共通点と言えるだろう。人間であれば誰しも少なから負けず嫌いな側面は持っているが、この手の人間特にその傾向が強い(と何の統計的データもなく私の主観でそう思っている)。

 似非科学のような嘘を信じ込んでいる人は、宗教信者に近い。もちろん宗教否定している訳ではない。宗教というものは、「事実か否かを証明する術がない」にもかかわらず、「否定は許されない」というのが特徴である。これ自体別に悪いことではなく、「鰯の頭も信心から」と言うように、それを信じることによって本人の精神的支えとなるのであれば、それで良いと個人的には思っている。客観的証明できなかったとしても、個人の中で信じていれば問題はないのである。ただし行き過ぎると他者に対する不寛容に繋がり、戦争弾圧に容易に発展してしまうため、注意は必要である仏陀キリストと「顔を描いてはいけないあの人」の誰が一番偉いかというような論争は、決して行ってはならないのである(仏陀キリストが同じアパートの一室で生活しているマンガはあるが)。

 「宗教」と「似非科学」の明確な違いは、前者は「事実かどうかわからない(事実であることに重きを置いていない)」のに対し、後者はそれが「明確な嘘」だということである。明確な嘘を流布すれば、社会に対して損害が生まれる。血液型性格診断であれば、近年問題になっている「ブラハラ」なる差別を生じる。ゲーム脳であれば、本来何も悪くないゲーム会社風評被害を受ける。水素水であれば、医学的根拠のないただの水を健康に良いと信じ込んで高額な値段で買わされる消費者が現れる。そして、損をする人の裏側では、他者を騙して得をする悪人存在しているのである。大抵は嘘っぱちの本を書いた奴とその取り巻きだ。

 だからこそ似非化学は撲滅しなければならないし、似非化学の考案者やそれを流布するメディア批判されなければならない。日本表現の自由保障されているから何を言おうと自由であるが、それはあくま公序良俗に反しないことが前提であり、嘘によって不正利益を得るのは詐欺である表現に対して批判を行う自由もあるのだから客観的に見て明らかに事実と異なる論説に対しては、毅然とした態度で批判すべきである

 そして、一般消費者である我々は、常にその情報事実であるか否かを見極める努力が求められる。媒体を問わずメディアは平気で嘘をつく。他人に言われたままのことを信じる人間は、その情報が誤りであった場合他人責任を求めがちである。何が正しいか自分判断し、自分責任において選択する力こそが、情報化社会を生き抜くために必要スキルと言えるのではないだろうか。

 似非科学流行は、社会におけるメディアリテラシー成熟度合いの指標と言えるかもしれない。

2017-12-06

anond:20171205221847

そうなのか。正直、高卒事務の子とかが多いのかな?と思ってしまってた。

そう思うくらい、都民感覚で見ると特殊環境に見える!

Uターンの子が多いってことは、地元のほうが心地いい=地元コミュニティ存在結婚出産やす環境というのは大きいと思う。

都会は出てきている人が多いわけで、この逆になる。これは個人事情というか自分語りなっちゃうけど、私は両親と死別しているので子供は諦めている。忙しい職種なのもあるけど、親の存在はそれくらいデカい。

そういえば友人が都内40代~60代の女性が多い事務系の職場に勤めてるんだけど、みんな未婚なんだそうな。

その年代だったらお見合いとかで結婚してそうじゃん?そういう、周囲がもたらすチャンスがなかったということだ。都会は隣人関係希薄から孤立やす環境だというのは間違いなくあるなと思う。

2017-12-05

anond:20171205005524

人物描写希薄で、美少女の皮被った男ばかりだからでしょ

ドロドロネチネチしてたらそっちの方面にも叩かれると思う

2017-12-04

anond:20171204010306

童貞からめんどくさい人間になるのか、めんどくさい人間から童貞になってしまうのかという問題がまず頭に浮かんだけれど、そもそもセックスとき人間精神性がそれほど強く変わるのかと、長く童貞で過ごし、その影響を強く受けてきた私でも思う。

はいえこ元増田の『童貞』はすでに童貞ではないのだから、『童貞に~』というタイトルは誤りであることを指摘しておきたい。

トラバでも言われているとおり、この彼がその誠実さによって彼女をふったのであろうということが何となく分かるが、もちろんその誠実さは誰のためにもならない誠実さだ。これは彼女に対してもそうだし、おそらく彼自身のためにもなっていない。

たとえば彼女のことを気遣うことが誠実さであるとするならば……最初から好きではなく、好きになれそうにもないということなのであれば、付き合うべきではなかった。とはいえ、他人から好意を向けられたときに好きかどうかという判断を正常にできる能力が、たぶん、きっと童貞は低いんじゃないかと思うから、これに関しては童貞しぐさとして許してあげてもいいんじゃないかって思う。

もう少し想像力を働かせて、たとえばそれこそ別れ話として「やっぱり好きにはなれませんでした、ごめんなさい」で済ませられればよかったのだけど、余計なことを言ってしまう人というのはやっぱりいるもので、正確さや透明性こそが誠実さだという考えによって、よく分からない個人事情を彼は話してしまったのだと思う。

彼女も感じているように彼は「感じたことを本当に素直に口にしてしまう」ところがあって、最初にはそれを好ましいと思い、別れ話の時点ではそのことで混乱している。もしかしたら彼女自身物事整合性を保つため、彼に一貫性があると未だに思い込み信じているだけで、ただただ彼がめちゃくちゃなクズなのかもしれないという可能性はあるけど、この文章だけを信じるのであれば、彼は当初から一切変わりなく、だからこそ彼の誠実さというものを感じてしまうのだろう。

これだとまるで彼を擁護しているふうだけど、ただ『わかる』と思っただけで、彼が言ったことや、やったことをいいことだとは思っていない。しかたがなかったのだろうな、という悲しい気持ちにはなる。「それ以外とくにない」と別れ話で語った彼も、きっと後々そういう悲しい気持ちになるのではなかろうかと思う。知らんけど。

彼について思うところは多々あるのだが(自分自身として置き換えて考えると、無数に言えることがある)、それはとりあえず無視して、元増田の「どうしたらいいんだろう」について書く。

どうしたらいい、には色々な意味があると思うが、おそらく本意からは一番遠いであろう「どうすればよかったか」についてまずは書きたい。

付き合うべきではなかったというのは後出しジャンケンになるから言うべきではないのだけど、一般的失恋の慰めとして、とりあえず言っておく。あるいは、事故だと思って諦めるんだな、とか。

関係をうまく行かせるにはどうしたらよかったか。これはたぶん、彼の歪んだ誠実さを利用するのがよいだろう。

これも結果論だけれど、彼に自身感情について、つまり好きかどうかについて尋ねるべきではなかったのだと思う。そもそも、ひとりでいるのが好きと言っているように、孤独感が希薄で、恋愛というものがよく分からず、人恋しさによって行動する人間ではないようだから、その感情があるのか無いのかと尋ねられてしまったら、それについて答えを出さなければいけなくなる。

彼女と触れ合うことで、人恋しさが自分にもあると彼が気がついたときに、それを彼女で埋める必要があるかという問を立てると思うのだけど、当初から自身が好きで付き合ったのではない以上『彼女で埋めるべきではない』となってしまうのはシステム的に考えれば普通だ。(人間として普通かはアレだけど)。

彼女で埋める必要があると考えさせるためにはどうしたらよかったか彼女でなければならない理由を作らなければならない。

例えば社内恋愛ということだから、社内に言いふらすという方法があって、これは彼が社会的にどう見られるかということを重要視する人間であれば効果がありそうだ。社内のみんなでもって、幸せだねと持て囃せば、彼もその気になったかもしれない。ならなかったかもしれない。

たとえば「生理が来ないの……」もいいかもしれない。

だんだん雑になってきているが、彼の特殊性癖に付き合うというのもある。彼がもし倒錯的な変態趣味を持っているのなら、それにすべて応じることで、この女性しか自分を分かってくれる人間はいない、となるかもしれない。

……

そろそろ「どうしたらいいんだろう」に、私も誠実に返答しなければならないと思うのだが、どうしたいかということについて書かれていないため、これも想像で書く。

関係について忘れたいのであれば、古今東西その方法は数知れずあり、またそれが忘れたい当事者にとって、ほとんど効果がないということは、たぶん本人も知るところだと思う。忘れられるようになるまで、物事は忘れられない。

思ってないだろうけど、関係を修復したいと考えているのであれば、とりあえず彼に芽生えた(かもしれない)人恋しさを利用して、身体だけの関係を続けてみてもいいかもしれない。それに抵抗があるからこそ彼に自身気持ちについて尋ねていたのだろうから、そういう選択肢はないのだろうけど、ただ人恋しいとか性欲を持て余しているという理由だけでセックスをすることについて、私はそれほど悪いことだとは思わないし、それに抵抗がないなら、そうしてみてもいいかもしれない。彼の気持ち彼女に向く可能性も、無いとは言えない。

彼をどうにかしたいということであれば復讐するしかない。復讐方法もまた数限りなくあるのだろうけど、私はそういうことを考える場合自身が傷つく方法と傷つかない方法の二種類に分けて考える。そしてだいたい、自身が傷つかない方法を考えているうちに、復讐する気がなくなってしまう。傷つかない方法手段として難易度が高く、根回しが必要から、やる気が失せてしまう。妄想して心を慰めるだけにしたほうが楽だ。

せっかくだから物理的にぶん殴るというのもおもしろそう。これは自分が傷つく方法でも一番かんたんで、かつスッキリしそうでもある。もちろん暴力による復讐が好みかどうかによる。きっと、殴らせろと言えば彼は殴られてくれるだろう。

……

もっと長々とくだらないことを書きたいと思ったのだけど疲れたのでこのくらいに~。

状況としてはもっと穏やかだけど、自分もこの彼と似たようなメンタリティ女性とお付き合いを始めて、今のところは(数年)うまくいっているから、何となく親近感を持ったから書いた。

でもやっぱり個々人で状況って違うから、何を書いても勝手意見しかならないなぁと思いました。参考にならないかもですね。ごめんなさい。

童貞にどんなセックスの手ほどきをしたのか書いたほうが反応が多そうだから、追記期待。

2017-11-17

anond:20171112112647

若者として、「残念な状況にいるんだよ、君たち」と言われて哀しい限りなんだけど、以下のとおり複数要因で「若者いいもん食わない」ことになっていることだけ言わせていただきたい。

・食の多様化おっさんの頃より単一的視点ではなくなってきた)

・食以外のコンテンツ多様化(食以外にコストを使うことが増えてきた)

上下関係希薄化(縦の繋がりが弱くなってきた)

いいもん食ってきた人にとっては悲しいかもしれんけども、あなた方の言う「不味いもの」でも、俺たちは美味しく食べてんだよ。食べ物も遊ぶもの選択肢が多すぎて極める前に目移りしちゃうんだよ。そして、それはそれで楽しいからいいんだよ。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん