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2020-07-04

同人女に思うこと

 同人女は等しくえらくねーよ!正当化すんな!っていう全方位に向けたお気持ちなので良い人もいるんだけど…みたいなのは省きますが、同人女じゃないと女オタク生きにくいなって思う個人私怨です。(ここでは見る側作る側を問わず女子腐女子・男女CP厨を同人女定義します)

 オタク女のコミュニティではこの3つのどこかに属してる前提で話が進むのでめちゃくちゃストレスです。そのため「好きな漫画鬼滅の刃流行ってるよね〜」みたいなファッションオタクとしてお茶を濁したり、オタクであることを隠すようになったんですけど、Twitterがあまりにも同人女のるつぼ検索すれば何かしらの二次創作がヒットするの、全然森とタタラ場で暮らせてなくないですか?こっちは公式アカウント見たいだけなのにちょっとリプライを遡ると「〇〇くん幼女すぎ」みたいなえぐめのツイートが目に入るのめちゃくちゃ嫌なんですよね。性別知らずにゲームしてるのかな。

 他にもやりたい放題してるので、同人女他人作品二次創作承認欲求を満たすために鍵パカのアカウントを使ってるのかと邪推してしまます。本当に何で鍵かけないんだろう。

 嫌なら見るなってゾーニングされてることが前提の発言じゃないんですか?

 三者三様に嫌いなんですけど腐女子特に苦手です。高校で私がオタクって分かった時に当然のようにその作品BLの話をされて、さらには馬×男のCPについて話されたトラウマがあるんですけど、ジャブとしては重すぎるでしょ。初手から人外てなんなん?

腐女子

 男キャラ同士で妄想してる人と話してるとすべての展開がCP妄想に終着したり、キャラの会話を燃料とか言われたりで話が合わないんですよね。

 中でも嫌なタイプ配慮したつもり腐女子マウント腐女子です。

 前者は腐女子配慮って腐女子同士のことしか考えてないのかなって感じるあれです。

 度々Twitter上で議論になる腐女子自衛問題あるじゃないですか。例えば赤くんと黄色くんっていう苗字CPに対して「赤くんと黄色くん最高!(画像の添付)」に赤黄とか黄赤ってつけろ、とかどんなシチュエーションか明記しろ、みたいな。

 じゃあ腐女子じゃない人が自衛するためにCP名に赤を使うなよ!っていうのはあんまり言われてなくないですか?

 どんなに公式名称で呼ばないとかの配慮をしてるつもりでも漢字一字の苗字名前キャラCP名にしてる時点で無意味ですよね。

 マウント腐女子は顔カプって言って作中で交流の少ないキャラCPにしてる人をディスる腐女子のことです。確かに顔カプも理解に苦しみますが己を振り返ってみた時に笑える立場でしょうか?信頼関係が描かれているから、交流が多いからといって別にそのキャラ同士は恋愛関係ではないことがほとんどです。

 この手の腐女子は厄介なことに多くが関係性厨を自称していますしかキャラ同士の関係性を重んじるなら原作以上の関係を望まないと思います

 親友なのが良いよね、ライバルなのが良いよね、みたいな話をしてるのにそこでCPに発展させられてもついていけません。

 あと現実性的指向問題混同する人多くないですか?今あなたのことは呼んでないんですが…

 それとクラスメイト同士のBL小説みたいなのをメールで送られたことがあって、それも鳥肌ものなんですけどわりと対象男子が寛容で「こういうのが好きなんだろ?」て腐女子相手面白がってやるノリあるじゃないですか。キショ・キショ・キショ!需要ないわ!

 いくらでも悪口言えるけど次行きます

・夢女子

 いわゆる乙女ゲームを通っていないのでキャラ恋愛する感覚がよく分からないのもあるんですけど、夢女子腐女子兼任してる友人に見せられた夢小説がまったくピンと来なかったんですよね。

 そもそも俺TUEEE的な傾向のものが苦手なのでキャラセリフ立場を乗っ取って無双する話にいまいち魅力を感じません。

・男女CP

 自分所属は一番ここが近いと思います。ただ明確に矢印が出てたり成立してるCP応援してるのであって、原作にA男←B女の描写があるのにC男とB女をカプらせたりするのは違くないですか?パズルすな

 上記理由から同人女が苦手なんですけど、だからって他者の嗜好は変えられないのでブロックに勤しむしかないんですよね。この三つ巴でぶつかり合って消滅しないかな(カロリー0)

 的外れな反応があって驚きました。タイトルは「死んでくれ同人女 人の目に触れないまま」とかの方が良かったですか?私は性別わず作中で明確に恋愛関係になってない二人の二次創作CPが嫌いなので(作品主題から逸れてると思う)、人を勝手天邪鬼みたいにしないでください!

2020-06-29

でも読書感想文に救われたこももいるよ


私以外で作文書くことだけやけに先生に褒められてたやつおる?


最近急にタイムライン読書感想文に対するツイートをよく見るようになって

なんでだろうと思ってたら、ついさっきこれがおそらく話題大元になったツイートを見つけた。


https://twitter.com/nanngin/status/1276943146639749121


現役の教員の方の一連のツイートだ。

たまーーーーに国語の授業の「作者の気持ちを考えましょう」の無意味さを皮肉った話とかバズってるし

定期的に小学校国語教育の話は出てくるけど、読書感想文、よっぽどヘイト買ってるんだね。

私は小学生のころ読書感想文が大好きなこどもだった。だからちょっと不思議だ。


他の教科はてんで駄目な中で、人以上に好きなことが作文を書くことだった。

これは今この文章を見ている人ならわかると思うけど、私は特別文を書くのがうまかったわけでもない。

国語の点数も……私は漢字の形を覚えるのがとにかく苦手なこどもで、今考えれば私はディスレクシアなんだけど

何度事前に予習や復習をしても授業で習った範囲の二割くらいしか覚えられなかった(今でも得意ではない)

から国語の点数も低かったし成績が優秀だったわけでもない。

じゃあそんな中でなぜ好きになれたのかというと、

単純に私を受け持った先生小学校教育方針が徹底的に「褒めて伸ばす」方針をとっていたからだ。


何度も言うが私は特別文章を書くのがうまかったわけではない。

ただ、空想自分気持ちについて突き詰めて考えることは好きだった。

読書感想文においてもそれは同じで、本を読むこと以上に本を読んだあと、

自分はどう思ったか、読む前と読んだ後でどのような心情の変化があったか」考えるのが好きだった。

私が作文や読書感想文を嫌いにならなかったのは、先生が誰も作文での自己表現を一度だって咎めたことがなかったことが大きいように思う。

添削アドバイスをくれた先生はいたような気がするけれど……それでもあくまで私の文章もっと伝わりやすく、もっと良いものにしようという意思のものばかりで、最終的に私の伝えたいことや表現しているものが曲げられたりするような添削をする先生は一人だっていなかった。

先生の求めるようなことを器用に書けていたこどもだった記憶もない。題材や思想や内容に対するお咎め修正もなかった。

どんな作文や読書感想文を書いても、先生はみんな私の書いた文章ちゃんと読んでから褒めてくれた。

元ツイを見るとどうもそうでない?学校先生が多いのかもしれない印象を受ける。

実際のところそういうものなんでしょか。

読書感想文についても同じで、普段私が本を読むのはもっぱらマンガ図鑑絵本辞典の方が圧倒的に多かったので

物語」が他者の手によって選書されているのが新鮮でこういう機会でもないと読まないこどもだったので大変ありがたかったと、それについて生徒が三者三様自分意見を書く、という部分が楽しくて好きだった。

その本を自分が選んでいないのに読書感想文全国コンクール文章読むのも好きだったな。

映画や本のレビューサイトに書いたことがある人ならわかると思うんだけど、同じものを見た人でも全然意見が違うことへの面白さって確実にある。そしてその面白さは、まず自分がその作品を見て自分自身の意見を持っていないと感じることが難しい。

その楽しさを身につけられたのは今思えば読書感想文のおかげかもしれない。

(元ツイにあった「感想文集の売上が図書館担当先生たちの研究会出張費用になってる」ことは知らなかったけど、その研究会がこどもたちの図書館教育国語教育有用に使われているのなら、私は別に……というかそこに何の問題があるのかわからない。生徒に直接売上が行く方がいいということなら大賛成です)


ただ、みんな同じ教育を受けていたのならみんな私のように文章を書くのが好きだったり読書感想文嫌悪感を抱かずに済むように思えるけれど実際そうではなかった。

私がそう強く記憶してるのは、学校の何かの催しの時に、作文とそれをスピーチする生徒が必要で、立候補制だったがなかなか手が上がらず、その時私が引き受けた思い出があるからだ。

この時は作文を書くのと全校生徒の前でその内容をスピーチするのがセットだったので後者の部分が重荷になって誰も手をあげなかったのかもしれないけど、とにかく進んで誰も作文を書きたがらなかった。

「作文を書けば先生に褒めてもらえる(しかテストと違ってここは間違ってるとか言われたり減点されることがない)」という

文章を書くことに対しては全方向ハッピーな考え方をしていた当時の私は多少不思議だったけれど、いくら学校方針ツイートに挙げられたような堅苦しい自己表現としての作文を許さないような教育を受けていなくたって、

そもそも大半のこどもは「できることなら作文なんか書きたくない」のかもしれない。

から教育方法いくら変えたところで作文や読書感想文が苦手な子供一定数は減らないかもしれない、と少し思っている。

こどもはそもそも面倒なことなんて進んでやりたがらない。好きでもない限り。

文書くのは好きだったけど、そんな私でも原稿用紙何枚も書き上げると腕が疲れてじんじんした。それでも私は好きだった。

私は学校でも家庭でも褒められることが少ないこどもだったのと、たまたま書くことに対するハードルが低かったので

「書けば無条件に褒められる」作文や読書感想文がとにかく好きだったしそれに救われていた。


元のツイートにあった、

原稿用紙はこう使いなさい」「作文はこう書きなさい」という形式的指導子供読書感想文嫌いにさせてる?

っていう部分について、私はかつてのこどもとしてこれは必ずしも正しくないのではないかと思ってしまった。

本当に何度も言うけど私は特別文章を書くのが得意だったわけではない。

けれど、この「原稿用紙の使い方」や「作文の書き方」を小学校のうちに教わっていなければ、

私の文章の書き方はもっと見苦しいものになっていたと思う。

教え方に問題がある(それに従わなかった生徒に厳しく指導する)だけで、内容自体はとても重要ことなんじゃないか

これは教育としては非常に重要ことなのではと思ってしまうので、現役国語先生からこの言葉が出ることに

私はちょっと驚いている。

原稿用紙の使い方や作文の書き方というのは「そう書かなくちゃいけない」というものよりも

「ある程度のルールに沿って書いた方が、見る人は見やすいし、書き手の伝えたいこともより伝わりやすくなる」という

学校教育の中でいうと採点側のためにあるのではなく、生徒のためにあるものだと思っていたからだ。

これは私の小学校時代先生の、私の文章を見てくれるときの態度がずっとずっとこうだったから、という影響が大きいと思う。

でもこのツイ主の先生辟易した書き方からするに、きっと現場ではそうではないんでしょうね。

自由自己表現をする」ことと「文章表現としてある程度の形式を学びそれに従った作文をつくる」ことは矛盾しないと思うんだけど、この矛盾しない教育がきっと難しいんだろう。

私の小学校でできていたことがそんなに特殊だったようには思えないから、その学校方針先生個人の考え方にも左右されるとは思うんだけど……。

あと私が小学校卒業してからもう十年以上が経っているので今の学校教育ではなかなか同じようには出来ないかもしれない。


ただ、私みたいに作文や読書感想文で救われたこももいるにはいるのだ。

「みんな嫌いになる」ものとして普遍的槍玉に挙げられてるのを見ると、偶然私が幸福なこどもだったのか、それとも異常だったのか、よくわからなくなってくる。できるなら前者であってほしい。

私を幸せなこどもにしてくれた学校先生と、作文と読書感想文には今でもとても感謝しています

できることならこういうこどもが、一人でも多く存在できることを祈りたいです。

2020-05-30

リモワ歴も3年目のファッション

企業人間と働きたく無い、という理由だけで選んだ

今の仕事についてもうすぐ3年目。

仕事に慣れるにつれて、持ち物とファッション

変わっていった。


企業勤めの頃:かっちり、お堅め。スーツ制服

お局に目を付けられないように、きちんとした持ち物。

リモワ一年目:副業家庭教師バイト用に、シャツパンツが中心。

生徒のお母様対策


リモワ歴二年目:本業軌道に乗ったので、服は完全自由

それでもビデオ会議の時は、いつもシャツスタイル

他のみんながすっぴんTシャツでも、何となく落ち着かずういてたかも。

リモワ歴もうすぐ三年目:基本キレイカジュアルモノトーン

骨格診断、パーソナルカラー、顔タイプ診断を受けてから

【ウインターストレートクール】という、三者三様クール雰囲気という

自分個性を思い知らされ、モノトーン服が一気に増える。

そして、その頃から人に服を褒められることが増えた。


本当はスーツとかが一番似合うらしいけど、仕事柄一切不要なので

キレイカジュアルに落ち着いた。


職場人間関係にズーーーっと悩んできて、

少しでも感じよく見せようと、温かみのある暖色系の女らしい

服装で私なりに武装してたけど、逆効果だったんだよね。


大きな切れ長目が怖いと思われそうで、メイク

垂れ目風にしたり、優しげに振る舞ってみたり。


本来性格も元々ハッキリしてたのに、おとなしそうに振る舞ってみたり。

あ、去年まで婚活してて、余計可愛い系によせようと頑張って

空回りしてたしなあ。

今、リモワ職場の人とはオンラインしか繋がらないし、

それ以外は好きな人ペットたちとしか付き合ってないから、

すごく素のままでいられる。

各種診断を受けて客観的自分イメージを受け止めて

自分個性を活かすようになってから、周りからの評判も良くなった。


前の職場で、こんなとんがった服装してたら、浮いてたろうけど

今はそれが無い。

カーディガンに白ブラウスがたくさんいたコンサバ職場だったから。。


婚活も辞めたら、ほんと楽になった。

男ウケしない服装なのも知ってるけど、似合わない服を着て

愛想笑いする活動に心底うんざりたから。

そして、やってみて自分結婚願望がないことに気がついたし。

今の自分が好きだ。

自分個性を認めて、自由な服が着れる。

制服を着ることは楽だから嫌いじゃなかったけど、擬態のために

自分らしく無い服を自分で選んできてた頃はしんどかったな。。。

自分らしさって大事

2020-05-18

Twitterをやめて初めて鋼の錬金術師の結末が腑に落ちた同人字書きの話

自己陶酔長文

同人界隈のくだらない話です

ハガレンあくま個人的感想、感慨、そういうものの中で引き合いに出しただけです。こじつけというか、たまたまこういうものの中で自分がしっくりくるのがハガレンだっただけです、うまく言えないのですが。ハガレンが好きな方は閲覧気をつけてください。

※以降、鋼の錬金術師の重大なネタバレを含みます

鋼の錬金術師」という有名な漫画がある。鋼の義肢を持つ兄のエドワード・エルリック通称エド)と、鎧姿の弟、アルフォンス・エルリック通称アル)が、「真理」(神様的な存在)に奪われた自身の体を取り戻すための旅をする中で賢者の石をめぐる壮大な陰謀に巻き込まれていくダークファンタジーである

私はこの漫画が大好きなのだが、一つだけ「あんまり気に入らないなあ」という展開があった。それは、物語最後主人公エドがアルを取り戻すためにとった手段のことである

そもそもなぜ兄弟は体を奪われていたのかというと、死んだ母親を蘇らそうとして人体錬成を試みた結果、錬金術の「等価交換」の法則により、代わりに自分たちの肉体を奪われてしまたからだった。二人の肉体を取り戻すには万能のエネルギーである賢者の石」が必要だったのだが、エドとアルは賢者の石が生きた人間材料にして作られていることを知ってしまう。

経緯をまるっと端折るのだが、結局物語の終盤、エド賢者の石を使わずに二人の肉体を取り戻す方法気づき、実行する。エドの決意に、「真理」は「正解だ」と言って笑う。

エドが全てを取り戻すために差し出したのは、エド錬金術を使う能力のものだった。

私はその展開に正直もやっとしていた。

鋼の錬金術師」の見どころの一つは、エドが繰り広げる巧みな錬金術の数々だったからだ。それに、「最年少国家錬金術師」という厳つい肩書きや手を合わせるだけでどんどん色々なものを作り、意のままに動かすバトル、錬金術知識を使い炭素硬化の能力を使う敵をもろい消し炭に変えてしまう展開……。錬金術エドというキャラクターアイデンティティだった。

実のところ、錬金術のような便利なものに頼らず額に汗して自力で生きろという作者のメッセージは作中で示唆されてはいた。エド師匠のイズミは凄腕錬金術であるにも関わらず、「錬金術に頼っちゃいけない」と言って近所の子供の壊れたおもちゃを手作業で直す。そしてエド最終回、「錬金術がなくてもみんながいるさ」と、金槌を手に清々しい笑みを浮かべる。

だが、やはり読者からすると、「それでいいの⁉︎エドあんたすごかったのに」と思わざるを得なかった。

しかし今、Twitterをやめたことで、エドの清々しい笑みの理由がわかるようになった気がしたのだ。

前置きが長くなってしまった。

私は同人の字書きであるTwitterpixiv二次創作小説をアップするとそこそこバズるジャンルではまあまあ人気の字書きだ。

小説を書くのが好きなぼっちオタクの私にとってTwitterは、ジャンル情報推しの素敵な二次創作、実社会ニューストレンドリアルタイムでたくさんチェックすることができる大切な情報ツールであると同時に同人友達を見つける出会いの場であり、萌え語りができるコミュニケーションツールであり、どのような傾向の話を書けば芳しい反応が返ってくるのがすぐにテストできる巨大な実験場であり、お手軽に承認欲求を満たしてくれる蜂蜜の壺のようなものでもあった。

しかし、同人界隈でTwitterをやっていると、疲れることもたくさん出てくる。人間関係承認欲求ジャンル学級会。三者三様に歪められたキャラ二次創作がどっと流れてくるタイムラインに疲れ、私は果たしてこのキャラを本当に好きなのだろうか?それともみんなで口をそろえて「〇〇ちゃんえっち」とか「可愛い」とか「エモい」とか言わなければいけないような集団意識のせいで好きだと思い込んでいるだけなのだろうか?と悩むこともあった。Twitterキャラグッズを次々と大人買いする人々や、論理が通っているのかよくわからない考察ツイートを見るたび、胸焼けするようになってきた。創作でも、いわゆる「互助会」に組み入れられるのが重荷になってきた。

それでも、同人SNSが私の生活の中心にあり、そこでの中堅字書きという立ち位置が数年の間私のアイデンティティだったから、Twitterをやめられなかった。情報を追えなくなったり、忘れられたりするのが怖かった。

(一応リア友もいないわけではないけど、就職を機に皆地方に散ってしまってあまり会えないし、しょっちゅうはやりとりしないため「居場所」感はあまりなかった)

冴えないぼっち日常生活を送る私の唯一のきらきらしい社交場が失われることへの不安から、私はTwitterを続けていた。

だけど、限界が来た。

きっかけは、私が、おそらくリモート飲み会で、ジャンルの顔的な人の不興をかったことだった。このことについては何を言っても主観になってしまうのでうまく説明できない。特別粗相をしたつもりはなかった。ただ、今まで仲良くしてくれていたその人が、飲み会を境に急に全く絡んでくれなくなったので、何かしてしまったのかな天…と思った、というところだ(他の飲み会メンバーからハブられてはいなかったけれど、わざわざ「私なんかやらかしました?」なんて鬱陶しがられる自意識過剰質問しづらかった)。強いて言えば最初、私のスマホ電波があまり良くなくてもたついたせいで若干場を乱してしまったとか、その人が話しているとき一度トイレに立ったとか、そういうことはあった。もしかしたらとんでもない粗相無意識のうちにしていたのかもしれないし、あるいは全く別の理由かもしれない。

とにかく、その人が絡んでくれなくなった瞬間、その人の取り巻き的な人たちがほとんど反応してくれなくなったのだ。

Twitter彼女たちがワイワイ盛り上がっているのがやたらと目についた。彼女たちの創作をヨイショすれば機嫌を直してくれるかもしれないけれど、不純な動機同人を利用するのはもう嫌だと思っている自分がいた。

私は、何をすればいいのかよく分からなくなってしまった。彼女たちより有名な字書きになって見返してやろうと憤ったり、自分を責めたりと、このご時世において生活に困っていない恵まれた身でありながらバカみたいな理由メンタルがぐちゃぐちゃになった。ジャンルの顔的な人や、それに媚びている取り巻きたちのかい推しを目にするたび、推しのものが嫌いになり始めている自分がいた。

(また、同人界隈がきっかけになって仲良くなり、LINEを交換して旅行などにも行った人たちがジャンル移動していたため、TwitterでやりとりすることがほぼなくなったというのもTwitterをやめるきっかけの一つでした)

楽しいこと、心が慰められることよりも、つらいことの方が上回っていると気づいたとき、やめようと思った。

そして私は、ずっと私の生活の中心にあった同人アカウントを消した。消す前から、このご時世における自分の悩みの卑小さ、不毛さには気づいていたが、消して改めて、自分が長い間スマホの中の小さな世界を首を縮めてのぞきこむばかりで、顔を上げてきちんといろいろなものの広がる世界を見ていなかったのだと気がついた。

思えば、どこかに観光に行っても、何を食べても、Twitter投稿することばかり考えていた。何を書けばウケるかとか、通知の数とか、そんなことで頭がいっぱいだった。いつのまにか自分自身で、同人アカウントしか場所がない状況を作っていた。

世界の命運や肉親の志を背負って闘うエドと、ただの同人字書きの私では月とすっぽんよりさらにかけ離れており、同じ括りで語るのはおこがましいこと限りないということは分かっている。

しかし、そのとき私は確かにエド最終回での清々しい笑みの理由がわかった気がしたのだ。

エドは、錬金術能力を手放すとき、「思えばずいぶん踊らされたよな」と口にした。錬金術師として活躍したエドは、しかし、錬金術母親を蘇らそうとして大切な家族を奪われ、錬金術を使い倫理にもとる悪事をはたらく者たちを数多く見てきてもいた。錬金術は、壊した物を直すこともできるし、武器にもなる、一見万能な術だ。しかし死んだ人間を蘇らせることはできないし、錬金術頼みでは解決できないこともたくさんある。

Twitterも同じである日常のあらゆる情報リアルタイムで発信する。Twitterを使えば全世界の人々と繋がれる。しかし、日常に入り込むそれらは、同時に、日常を強大な「それ」(錬金術/Twitter)なしではいられなくさせてしまう。「それ」を利用しているはずの私たちは、いつのまにか「それ」越しでしか世界を見られなくなってしまう。

錬金術しろTwitterしろ、便利ですごいものは良くも悪くも影響力が大きくて、世界もの見方を変えてしまう。それに振り回され、人間の作った枠組みの中でおだてられて自分はすごい人間なのだと慢心し、甘い汁を吸ったかと思えば虚しい思いもする、そんな力の渦から脱却したから、エド最後、笑ったのだと思う。

Twitterを退会し、同人交流をやめてできた時間の中でやりたいことは意外と早く見つかった。小説映画など色々なものに触れてみたい。資格を取ってキャリアアップしたい。今は難しいが、時勢が安定したら小説カルチャースクールに通いたい。どうにかして、ネット頼みでなく新たな交友関係を築けるよう模索していきたい。

たぶん、徐々にTwitterをやめたことに対する寂しさや後悔は増していくのだろう。それでも、私のなりたい未来の姿は小さな世界局所的人気者ではないから、寂しさを糧にしてふんばりたいなと思っている。

最後に。

鋼の錬金術師は最高だからみんな読もう。

2019-09-11

ヒプマイのライビュに行った

いろいろなことがありうるさい場所に行きたい(※自分は騒ぐタイプではないが他人が声を出しているところを見るとストレスが和らぐ)と思い調べたらヒプノシスマイクライブがあるとのこと。普段ヒップホップってMCハマーとかRun-D.M.C.とかそういうのしか聞かないけど行ってみるかあと思い行ってきました。土曜日仕事があったので日曜日の公演。

今までアイマスのライビュしか行ったことがない上、ヒプマイに関しては曲も殆ど知らない状態だったので、とりあえず立って眺めているだけみたいな感じになってしまい周りの方々に申し訳ない気持ちに。次は色々覚えていくので許してください。

アイマスライブだとキャスト紹介とかコメント時間を長く取っている印象が強いけど、ヒプマイのライブキャスト紹介やコメント必要最低限で、そこに違いを感じた。

見に行った日はBATTLE曲?の日だったらしく、とにかくアツかった(ステージ演出で火が出ていた)。あとタコ神様

ほかのコンテンツとの大きな違いはゲスト存在。言わば"本職"の方々がパフォーマンスするということで、どんな感じになるんだ…?と思ったが、ヒプマイの曲と同じくらい盛り上がってて(なぜか自分が)ホッとした。

色々面白い(?)・エモい・すごいポイントがあったので感じたことを少しだけ書いておきます。(順不同)

・会場での注意?みたいなのまでラップ。すごい耳に入ってくる。

中央区女性たちの「わかったかあ!」みたいな感じの問いかけについて「はい!」と応えるファンたち

・どついたれ本舗を聞くたびにみんなふふってなっちゃ

タコ神さま

・Stellaエモかった。買った。

・生バンドすごい

・THE CHAMPIONのとき独歩めっちゃ飛んでなかった?

・曲の中にコーレスが多いイケブクロ

ヨコハマは動かない

・シブヤは三者三様

シンジュクは先生若い二人が支える?みたいな役割ができている

シブヤ推します

2019-04-12

anond:20190411231646

コメントつくと思わなかった。

ありがとうございます

三者三様だったし(特に一件目!そりゃねえよ!!笑)、ここを見てるかわからないけど。

自分の方の力を抜いて、愛おしいと思える人に出会えたらいいな。

もうちょっと頑張ってみるね。ありがとう

2018-12-17

ドラゴンボール超 ブロリー ネタバレ感想

作品最後の話までネタバレしてるので注意。


すばらしかった。

もちろん多少の賛否はあるだろうけど、日本アクション超大作は名実共にアニメ映画になったのだと確信しました。

100分の上映時間の内、前半でサイヤ人達のストーリーの掘り下げが行われて、その後におそらく40分以上も戦闘シーンが延々と続く。

戦闘シーンはあまりにもひたすら続くので人によっては集中力が切れるかもしれない。しかし、超ハイクオリティなバトルシーンはすさまじい出来だった。

この映画体験マーベル映画にも負けていないと自信を持って言える。

プロレス興行系の格闘技試合のように背景BGMチャントブローリー!!!とかゴジータゴジータ!とか)が流れるのも面白い演出だった(笑) すこし気になってる人もいるようだけど。


ストーリー自体シンプルでわかりやすい。

しかし話のテーマ自体最近時代の流れをきちんとつかんでおり、鳥山明真骨頂を見た感じだ。鳥山明は元々映画好きでドラゴンボール香港映画カンフーとかターミネーターから着想を得たような話がある。

まりグローバルな流れの中の映画の潮流をわりと掴んでいるように見える。

その中で鳥山が選んだ今回の話のテーマ

サイヤ人アイデンティティ肯定

だ。

これはすばらしい選択だったと思う。

今年最大のヒット作の一つ、ブラックパンサー批評する際に

アメリカ黒人アフリカアイデンティティ肯定という点について言及していた人もいたと思う。

その流れを見事に掴んでいる。

同じ年にこのテーマ選択できたのは凄い。脚本を考えた時はまだ公開されていなかったはずだ。


原作におけるサイヤ人は非常に冷酷で戦闘的であまり我々地球人肯定できるキャラクターとしては登場してこなかった。

どちらかというと酷いキャラとして描かれてきたように思える。

しかし、今回のドラゴンボールサイヤ人をより深堀し、その解釈否定する。

フリーザやコルド大王に付き従うしかなかったサイヤ人ベジータ王。

まりに高い戦闘力を危惧され追放されたブロリー及びパラガス。

そして、罪滅ぼしのようにゴクウ地球避難させるバーダック

三者三様ではあったが非常に人間臭い描写散見された。

以前「なぜ黒人ドラゴンボールに嵌るのか」という記事があった。

そこでは移民であるゴクウが大活躍したり、異文化になじめないベジータ葛藤など移民共通する悩みが描かれていたからだという理由があげられていた。

今作ではその点を更に深堀している。

ただ単純に戦闘力が強いだけの民族ではないのだと。

映画全体をこのテーマが芯として支えている。

フリーザブルマちょっとしたギャグシーンは今回も健在であったがこの裏のテーマがあるおかげで気にならないのだ。

素直に単なるギャグシーンだと受け取ることが出来る。

ここにこの映画の凄みがある。


特に最後ゴクウセリフ象徴的だ。

あん・・・名前は?」

と聞かれてゴクウはこう答える

孫悟空。それと・・・カカロット


ついにゴクウサイヤ人としてのアイデンティティ肯定したのだというメッセージだ。

サイヤ人がただ単にマッチョ冷酷非情なだけではないのだと、我々と同じ人間であるのだと。

どこまで鳥山明が考えたのかはわからないがこのタイミングでこのテーマ天才的だ。

アメリカでもまず間違いなく受けるだろうと確信したのはこの最後の瞬間だった。


まりにも長すぎる戦闘シーンなど人によってあわない部分はあると思う。

フリーザーのドラゴンボールの願い事などのギャグシーンもシリアスさを求める人には不評だろう。

しかし、今回はそれをおぎなってあまりあるアクション超大作であり娯楽作であった。

監督インタビュー等を見ても親子で見れる作品を目指しているのは見て取れる。今までは子供向けに振り切りすぎていた感触もあったが、今作のバランスは神がかっていた。

アクション物が好きな人にはまず間違いなくお勧めできる映画であった。

2018-03-17

うんこドローンの組み合わせは悪すぎる

ドローン操縦士仕事をしてる。

この仕事、まだ新しい分野でもあるので撮影方法三者三様自分場合は人を雇えるほどまでは行ってないので基本、撮影は1人で入る。

撮影場所は色々だけど、誰も来ないような山の中が多い。

そして山の中はトイレがない。これがキツイ土木工事などは山の中と言えど、必ず簡易トイレを併設するが自分はそんなことはできない。

今日、僕は景気付けに二郎系ラーメンを昼に取り、山の中へ撮影へでかけた。

道中、そろそろどこにもトイレがないぞというところでお腹ちょっとした違和感を覚えた。油マシマシか。油マシマシがマズかったか

ここで折り返すか、そのまま突き進むか。僕は突き進んだ。

誰も来ない山の中へ入り、お腹に多少の違和感を覚えながらドローンを飛ばす。いい景色、いいアングル。最高だ。これはお客さんに喜んでもらえるぞ。

そう思った瞬間、僕のお腹おかしくなった。

まずい。撮影を続けるか、どうするか?

撮影を続けた。震える手、ブレるカメラワーク

いよいよやばい

ドローンを急いで戻し、バックパックにつめる。かがんだ瞬間下半身になにかを感じた様な気がした。

バックパックを背負い、車に向かう。車まで遠すぎる。仮に車に乗っても最低1時間トイレのある場所までかかってしまう。

人工トイレで快適にうんこがしたいという理性と、今ここでやっちまおう。紙なんてどうとでもなるさ、という本能の戦い。

はいま、この日記電波ほとんど入らない山の中でかいている。

2018-01-07

[]

今回は少年ジャンプ+

ファイアパンチ 83話

ああ、終わった。

本作のテーマを大まかに語るなら、“役割”や“虚構”みたいな話になると思う。

当初期待されていたような、悲しき宿命を背負ったヒーローの活劇ものでは決してない。

しろそういったもの虚構とし、その偶像翻弄され、各々の役割に苦悩しつつも時に順応し、時に戦い生きようとする者たちの群像劇みたいな感じ。

話は二転三転しつつも、実はこのテーマ自体はちゃんと一貫していたりする。

最後サンルナの邂逅だって、二人は本来サンルナではないわけだからね。

そういったテーマや作者の伝えたいであろうことを踏まえたうえで、私が本作を面白かったと思っているかというと……うーん。

展開は行き当たりばったりのように感じるけれども、連載当初の作者のインタビューから解釈する限り、大まかなプロットは決まっていたっぽいんだよね。

それであの始末なのだとすると、構成力不足か読者との意識のズレがあるのかなあと思う。

端的に評するなら、頭でっかち作品だったね。

私もよく感想書いていたから、少なくともある程度は本作を評価していたのは間違いないんだけれども、喉に小骨が刺さっているような気分だ。

いや、「不完全燃焼」と表現したほうが良いか

I WILL ROCK YOU

主人公部活に誘われて、最初のうちは渋るものの最終的に入部する、まあ紋切り型

はいっても紋切り型が悪いわけではなくて、大事なのはその型に何を入れるかだからね。

その点で「書道」などといった選ばれにくい題材をチョイスしたのは妥当判断だと思う。

難点は主人公の苦悩が陳腐で、思春期特有漠然とした虚無感の延長線上でしかない点かな。

から身内の死という要素を付け足して、その動機希薄性を緩和しているわけだけれども、そのせいでかえって主人公の苦悩が身内の死のせいなのか若者陳腐な万能感からなのか有耶無耶になっている。

そもそも芸術的な話って、一般人から見て「何がどうすごいのか」についてアカデミックな解答がないと共感しにくい。

その状態で、肝心の「なぜ書道なのか」について観念的なことばかり並べられても、結果として雰囲気だけで描いているという印象から抜け出せない。

まあ一番悪いのは謳い文句書いた人だよね。

「衝撃作」とか謳っておいてこれといったインパクトがないんだから肩透かし食らう。

伝説のスケーター☆ノリ

キャラクターの描き方が上手いなあって印象。

主役はタイトルにもなっているノリなんだけれども、言動の突飛さと激しいスケート(?)シーンを同時進行で見せることによって、「変人だけどすごい」という説得力が増す。

コメディギャグ漫画でも、絵の説得力って大事だなあと改めて実感した。

まあノリの造形はあんまり好みではないけれども、見せたいものが伝わっている時点でデザインとしては成功だと思う。

青のフラッグ 23

それぞれが「友愛か、恋愛か」みたいなことで悩んでいるんだけれども、これが三者三様であることを改めて見せてくれたなあっていう。

他の主要人物が一応の答えを出して立ち回ろうとしているのに対し、二葉場合はそこら辺が漠然としている状態

YESしろNOにしろ相応の立ち回りをするべきなのに、二葉消極的性格あいまって上手くできない。

それが前半の、二葉の将来に対する煮え切らなさと本質的な部分では重なっているわけだね。

学生たちが進路について考え始める時期に設定したのは、話がゴチャつくか空気設定になる可能性もあったけれども、なんか上手いこと繋げていくなあ。

アンドロイドも夢をみる

まあ、タイトルからしアンドロイド人格に焦点を当てた作品であることは明らかだから、話は最初からスッと入っていく。

SF要素や哲学的な話は希薄で、矛盾はしていないように見えるけれども陳腐だとは感じる。

ただ小難しい理屈を並べていないので読みやすくはある。

そもそも主題は「過去に辛い経験のある二人が、共に前向きに生きることを決意する」といった話だろうから、まあ作りはこれでも良いと思う。

期待していたものとは違うけれども、ストーリーと紡がれるドラマ自体は割と嫌いじゃないよ。

磯部磯兵衛物語〜浮世はつらいよ〜 特別番外編 拙者はサラリーマン

週刊ジャンプで連載されてたのに、コミックス発売記念の漫画ジャンプ+でやるのかっていう印象はあるけれども、まあ本誌でもジャンプ+の宣伝はよくするからかいこと気にしたって仕方ないか

この手の転移モノの話で未来に飛びたがるってのが逆に珍しい気がする。

現代だと、むしろ文明異世界とかのほうがポピュラーイメージがあるし、磯兵衛が過去に飛んで原住民相手知識をひけらかしてドヤ顔するほうが“らしい”気もしたから。

でも、ここで「未来のほうが楽ができる」っていう発想は確かに“らしい”。

それに転移ものとしては最低限のツボは抑えていて、ジェネレーションギャップ(?)や、順応しようとする描写、肝心なところは大体「母上」というチート解決っていうのも(笑)

はいえ新鮮味は薄く、周りの登場人物が明らかに子孫で実質同一人物なので、現代舞台にしつつも空気感はいつも通りだね(まあ、本作はもとから現代の話がちょくちょく入り込むことが多かったけれども)。

最後に磯兵衛はちょっとした成果を出すけれども、いわゆる枯れた技術の水平思考になっているのはちょっと感心した。

近年の異世界転生・転移ものマンガ読んでいる私からすると、現代文明を旧文明世界で活かすパターンが多かったから、その逆パターンポピュラーになってもいいよねと思った。

オーバーキラーギコくん

子供主人公にして過激なことやらせるってのは、まあ鉄板といえば鉄板

主人公であるギコの序盤のアクションケレン味が強く、まああんまりマジになって見るべきものじゃないことはすぐに伝わる。

ギコの人格成熟させるのではなく、あくまで年齢相応に設定したのは良かったと思う。

アクションとのギャップメリハリが出るし、分かりやすい未熟さはキャラクターとしては魅力にもなりうる。

反面、プロットは前時代的な勧善懲悪ものしかなっていないのは残念。

悪役のキャラクター像は安直、展開は強引。

結果としてはギコの一方的勝利で終わるので、バトルシーンは総じて面白みが薄い。

例えるなら、小学生向けの漫画誌で描いていた作家ちょっと過激描写に挑戦してみたものの、その頃のクセが抜けていない作風っていう感じ。

リンクス

ボクシングを題材にはしてあるものの、スポーツものというよりは青春ものって感じ。

ほとんどモノローグ調で語られる主人公セリフと、反して明朗快活なヒロイン

だが本質的には同じ苦悩を抱えており、互いが想いを分かち合おうとすることでトラウマを払拭するという構成は良いと思う。

気になるのは、主人公の設定がボクシングシーンと噛み合っていないというか、分かりにくいところかな。

今までは防衛本能で殴っていたけど、共有できる仲間がいることを自覚したので冷静になれた、みたいな感じに解釈したけれども。

部活モノとして表面的に見るならば、今回感想書いた『I WILL ROCK YOU』と似ているんだけれども、テーマによって印象は大分変わるね。

2017-11-12

幻想芸術集団Les Miroirs公演『アルラウネの滴り -改訂版-』

ダス! イスト! デア! トロプフェン! デス! アルラウネ!

アイネ! クライネ! ナハト! フランケンシュタイン

イッヒ! リーベ! ナツィオナル! ソシアリスティッシェあわわわわわ! この辺で。

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“幻想芸術集団 Les Miroirs(レ・ミロワール)” という豪快な源氏名を名乗っているが、つまりは都内の小劇団だ。

んーむ、どういうことなんだろ、また芝居を観に来てしまった。

これまでの人生で演劇なんて片手の指にあまるくらいしか行ったことないのに。

ひょんなことから、とある小劇団の芝居に行ったのが先月。

劇場でダバっと大量のフライヤー(チラシ)を渡されるので、眺めているうちに妙に気になって今回はこの劇団の演目『アルラウネの滴り -改訂版-』を観に行ってきた。

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観劇後の印象がなかなか良くて、それで妙に語りたくなったので記録の意味でレビューを残しておくことにする。

当方、舞台観劇はズブの素人なので、マニアから見たら噴飯モノの印象がバンバン飛び出すことと思われるが、そこはヌルく見逃してほしい。

あと、上演も終わっていることだし、ネタバレ上等で書くので、そこは4649!

それでは、行ってみよー!

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■全体として

先入観が無かったといえばウソになるわけで。

幻想芸術集団という大迎なプレフィックス

おフランス語の劇団名でミロワール(鏡たち)というのは、つまりキャスト達のことだろう。

豪奢な近世ヨーロッパ風衣装。

小洒落たサロンで撮った宣材写真

キレイどころの若い女性を中心に固めたキャスト

中央には男装の麗人

「これはきっと、『ベルばら』風にお嬢様たちがキラッキラにやりたいことだけをやりたおした豪華絢爛、欧州絵巻だろうな」と。

それで、「どれ、どれだけ背中とオシリが痒くなるか、いっちょ見てやろう」くらいの気持ちで足を運んだのだが。

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これが。

開始10分で背筋を伸ばして、

脳を総動員して、

つまりは本気でストーリーを追いかけることになった。

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近世ドイツを舞台にしたバリバリに骨太なサスペンススリラーになってる。

そりゃそうだよな。

単なるキラキラ少女漫画ワールドだけで、旗揚げから10年以上も劇団が存続できるワケないもんな。

幻想的な要素は “アルラウネ(マンドラゴラ)の美女を集めた娼館” というキー・ガジェット一点のみ。

あとは細部まできっちりと整合したダークなクライムストーリーで。

(このへん、『スリーピー・ホロウ』(ティム・バートン)に通じるものがあるな。

 あれも超現実はデュラハン首無し騎士)の一点だけで、あとはストレートな推理モノだった)

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そして、今さらながら。

自分がなんで演劇を面白いと感じるか、分かった。

ミニチュアジオラマを見ているのと同じだ。

右から左から、見ても見ても、どこまで見ても情報量が尽きることがない。

これはフレームで切り取られた映画にはない楽しみであって。

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この舞台にしても。

ブリンケン伯爵が実に俗物らしくロゼマリー嬢を相手に大笑しているときに、うしろでフローラ嫌悪感をまる出しにしていたり。

カスパルが客前で気取った口上を並べているときに、後ろでオリヴィアペトラクスクス笑っていたり。

ふとカスパルが来歴をほのめかすときに、バックでアルマアラベスクをキメていたり。

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どこに視線を固定しても、漏れる情報がある。

これが脳にすごい負担がかかる。

決して不快ではない負担が。

これが自分的な芝居の楽しみだと、劇場を出るときに気がついた。

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作劇について、もうちょっと書くと。

衣装がキラッキラなのは舞台が娼家だからであって、ここを誤解していた。

実際の登場人物はというと、全員が第三身分。

(脇役の伯爵、伯爵夫人、王様の3人をのぞく

それも、ドラマにしやすい貧民でもなければブルジョアでもなく、中間層知識人というのがニクい。

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そしてデカダンス

スパイス程度の頽廃なんてもんじゃない。超頽廃。超デカダンス

なにせ純愛がまったく出てこない。

娼館。

仮面夫婦

父を求めて得られなかった少年は長じて若いツバメ(愛人)となる。

例外はアルマカスパル気持ちが通じるところ、それにヘタレ青年が主人公に想いを寄せるところだが、どちらも一方通行に近い。

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さらに設定考証がすげぇ。

神聖ローマ帝国時代のバイエルンの片隅にある架空の歓楽街、というか売春窟を中心に時代と風俗をガチガチに作り込んである。

おそらく、俺の気が付かないところもガチガチだろう。

唯一、気になったのは

「あれ、ドイツ語圏ならネーデルランドじゃなくてニーダーランドじゃね?」

ってところくらいで、これも観客のアタマへの入りやすさを選択した結果だろう。

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うん。正直に言うと、作り込みすぎじゃね? っていうところもあった。

具体的に言うと、ダイアログが文語中心で、若干だけど苦しい。

当方、語彙力にはそこそこ自信があるオッサンだが、それでも、

「じい(侍医)」とか、

「せんていこう(選帝侯)」とか、

会話をトレースして理解するのにアタマを総動員する必要があった。

かと言ってなぁ。

そこを「侍医」→「お付きの医者」とか、「選帝侯」→「偉大なる領主さま」とか言いかえるとテイストがどんどんボヤけるしなぁ。

時代のフレーバーとして、いたしかたなしか。

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ほかにも上に書いた「若いツバメ」とか、娼館ではロウソクがタイムチャージに使われていたりとか。

ともかく文学的で含みのある表現を多用していて、ターゲット年齢が高いか、あるいはマニアックな層か、ともあれコレくらいのレベル普通なのかな?

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あと、要求水準の高い批判をすると。

階級社会不条理に対する怒り” というのを冒頭に打ち出した割には、通底するというほど通底していない。

21世紀の今から見て付け足した感じ。

フレーム全体の仇役としてエーヴェルス先生を立てて、カール殿下の誅殺を5分のエピローグとしてサラっと流したので余計にそんな感じがする。

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もう1つ細かいことを言うと、カスパルとエーヴェルス先生がクライマックスに対峙するまでハチあわせしないのは、苦しくないか?

それを言うのはヤボというものか。

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ま、ともかく。

全体として、チケット代以上に大いに楽しみ、没入し、満足した。

見て損はなかった。

ほかの演目については保証しかねるけど、再演のときには是非とも足を運んでみてください。(繰り返すけど、俺は関係者じゃないよ)

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以下は、キャストと演出について

※普段は「役者は顔じゃない」というのがポリシーなんだけど、ここまでビジュアルにこだわった劇団と演目に対しては、しゃーない、キャストビジュアルについても言及させてもらいます。あしからずぅ。

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■男優3人

劇団と演目を全体として俯瞰すれば。

耽美で退廃的なテイスト

きらびやかな衣装と意匠。

おそらく女性中心の運営で女性中心の企画立案で女性中心のキャスティングをしている集団だと推察するけど。

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自分にウソはつけない。正直に言う。

観劇後の印象は男優三人組が大部分かっさらって行った。

全員が客演。

おそらく、3人が3人とも、キャスティング担当者が選びに選んで一本釣りで連れてきたのだろう、と、思う。

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 エーヴェルス先生の狂気、

 フランツの怯懦と勇気、

 ブリンケン伯爵の俗物さ。

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多分それは、つまりこういうことだろう。

女性陣、主人公2トップをふくめ、大部分のキャラクターは何らかの葛藤や二面性を抱えていて、心理に微妙な綾があるのに対して、男性陣3人は完全にバイプレイヤーとしてストーリーの進行装置以上のキャラクターが割り振られていない。

あとはそれを渾身のパワーで演じれば良いだけで、結果としてものすごい強烈でシンプルな印象をこっちに叩きつけてくることになる。

これが観劇初心者の俺みたいな人種にはビンビン来るのよ。

ある意味三者三様にヨゴレで良い役をもらってるとも言えるわけで。

こればっかりは、しょうがない。

こういう観客もいるということで、ひとつ

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■高山タツヤ(エーヴェルス先生)

いやしかし、悪役ってオイシイよな。

自分的には今回の演目でこの人がNo.1。

最初はシャーロック・ホームズ的な近代合理精神の尖兵として事件に切り込んでいくのかと思いきや。

途中からどんどんマッドサイエンティストの素顔が出てきて、終盤すべての黒幕という正体が明らかになって、最後はムスカ大佐みたいに天誅がくだる。

宣伝スチルでは “生に倦み疲れた貴族” みたいな立ち位置かなーと思っていたら、もっとパワフルだった。

理性的で狂人、策謀家で紳士、もうテンコ盛り。

唯一の難としては、演技とキャラクター作りが設定より若干、若く感じた。

そのせいでカスパルとの対比が弱い。

しかし、それにしても、実験体のときにカスパル13歳、エーヴェルス24歳。

最後に対峙した時点でカスパル31歳、エーヴェルス42歳か。

これまた描写の難しい年齢差を持ってきたな、とは思う。

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■谷英樹(フランツ

普段は剣戟主体のアクション俳優さんらしい。もったいない(と言ったら失礼か)。

ねぇねぇ、性格俳優やりましょーよ。

できますって絶対。実際できてたし。

高い鼻筋、シュッとした輪郭ともあいまってヨーロッパダメダメ青年を完全に演じきっていた。

迷い、失敗し、バカにされ、それでもフローラへの思い一徹。

というか、この劇中、唯一の未熟者役で、これは配役としてよいポジション

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■杉山洋介(ブリンケン伯爵)

たぶん、この人はただの色ボケ爺ぃじゃないよ。

宮廷の権謀術数

複雑な典礼プロトコルの知悉、

家門の切り盛り。

そういったシンドイ大事や雑事を乗り越えて、やっとこさトレッフェン通りで馴染みの嬢を片手に思いっきりハジけているところに腹上死。

涙を禁じえません。

そういう想像が働くところが、杉山氏のキャラクター作りのなせる技かと。

いや、たんなる家門だよりのアーパー伯爵っていう設定かもしれないけどさ。

ともかく、そんな感じがした。

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■武川美聡(オリヴィア)・小川麻里奈(ペトラ

ストーリーも半ばを過ぎたところで、ハタと気がついた。

カスパルフローラが客から評価をもぎとってくるフォワードだとしたら、オリヴィアペトラ役のこの2人が失点を防ぐディフェンダーなのね」

アルラウネだけじゃない、葬儀の席のゴシップ婦人、伯爵家の侍女と、早着替えをしながら、縦横無尽に八面六臂。

よほどの高能力者じゃないと、こうはいかない。

逆に言えば。

ストーリースケールに比してジャスト10人という少数精鋭のセッションで。

もしもこの2人が「私たちモブよ、モブよ、モブなのよ~」と手を抜いたり段取りが悪かったりしたら?

それこそ目も当てられないほど悲惨なことになるのは想像できる。

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この芝居を観た人がいたら聞きたいのだが。

ストーリー展開のつなぎが悪かったところがあったか?

会話のリズムと展開がギクシャクしたところがあったか?

状況の説明が足りないと感じたところがあったか?

少なくとも、俺にとっては無かった。

これ全部、彼女たちの仕事であって。

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こうも言える。

「観客を40人と仮定して、80個の目玉とその批評眼の猛攻を、2時間近くの上演中、ゼロ失点でしのぎきった」と。

しかも、それだけじゃない。

「それじゃ、ここはカスパルを見ていよう」と視線を切ったままにしておくと、いつの間にか “弱気なオリヴィア” と “地味に辛辣なペトラ” がシャドーストライカーとしてヌッっと認知の前景に割り込んでくるから油断がならない。

専属キャストスポットを浴びて歌い踊る後ろで、 “舞台成立請負人” として劇団を渡り歩くって、ックーッ! シビれるっすねぇ(想像のしすぎか)。

特にオリヴィア役の武川さんはホームチーム無しのフリーランサー

次にどこで会えるかもわからないという、この西部劇カウボーイ感。

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■マリコ(伯爵夫人クロリス)

政略結婚で異国に嫁ぎ、政治のあおりで幽閉状態。

夫に先立たれ、あとは家門を守る化石となりつつある中、若いツバメとともにふと訪れた春。

でも心の底では彼が自分を利用しているだけと気がついていて、寂しさがつのる人生の晩秋。

っていうメロドラマ的挿入話を、たった1人でゴリゴリ成立させてしまった。

オフショットを見たら、周囲に負けず劣らずの美人さんなのに、哀切よろめき婦人にサクッと変身するあたり、地味にスゴいよ、この人。

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■中村ナツ子(ロゼマリー)

加東大介(『用心棒』)といい、中村梅雀(『八代将軍吉宗』)といい、馬鹿キャラってオイシイよな。

と、思いつつ、可愛い子チャンで馬鹿キャラってのは失敗例が山ほどあるワケで。

美人馬鹿キャラ、厳密に言うと “短慮と衝動、それに浅知恵で状況を悪化させるキャラ” っていうのは、全世界のホラーパニック映画ファンが怒りまくってることからも分かるとおり劇薬であって、書くのも演るのも本当に難しくて大変で。

フィクションで最近の成功例だと、『デスノート』の弥海砂とか。自分の中では『ウォーターシップダウンのうさぎたち』のネルシルタとか)

その中でも彼女ロゼマリーの配役と演技は大成功と言っていい。

シナリオ、人物造形、演技の巧みさ、3つが合体して、ストーリーを停滞どころかグイグイ展開させる存在として実に効いている。

アルラウネたちが、それぞれどこか華美な中にもダークさを感じさせる装いの中、ひとり明るい髪色でキャるるンッとしたバービー人形のような出で立ちも良い。

彼女を舞台で見るのは実はこれが初めてではなくて、かなりの美形なことは知っていたけど、作りようによっては、なんというか、 “こういう美人” にもなるのか、と今さら驚く。

(彼女の第一印象については、

https://anond.hatelabo.jp/20170925212923

 の中村ナツ子の項を参照のこと)

というあたりで。

最後に。

あー、業務連絡、業務連絡。中村さん、編集者やってみる気はありませんか? 原稿ライティングができてAdobe製品が使える最強のマルチ編集者になれますよ。その気になったら、いつでも当方に声をかけてください。

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■麻生ウラ(アルマ

うー、うーうーうー。モゴモゴ、わかった、言う。

えー、強烈な声優声なのは、演出上の要請か、それともそれ以外の発声メソッドを持っていないのか。前者だと信じたい。

さて。

最古参のアルラウネ、そしてカスパルの右腕として気持ちを交わし、動き、嘆き、そして踊る。

ちょうどキャプテン・ハーロックにおけるミーメみたいな立ち位置

ただし彼女の場合は愛と忠誠心一方通行気味なのが哀しい。

キレイどころ揃いのキャストの中でもアタマ1つ抜けているビジュアルダンスを買われての登板か。

(「ビジュアル充実で演技とダンスが良いなら文句ねーだろ」という方は、この項の2行目を参照のこと)

休眠状態の彼女のポーズを見て、開場のときに舞台においてあったオブジェの意味がやっとわかった。

それにしても。

アイライン抜きでもアニメキャラ級の大きなお眼々。

とんでもなく整ったマスク

スレンダーで柔軟な身体は恐ろしく妖艶に動く。

世を忍ぶ仮の姿バンドヴォーカル兼ヨガ・インストラクターとのこと。

ドュフフフフ、オジサンに勤務先教えてくれないかなぁ。

(この6行、後でカット)

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■乃々雅ゆう(フローラ

アイライナー(と、おそらくカラコン)を差し引いても深い情熱的な眼、意志の強そうな頬からおとがいライン

なんというか、豪華欧州絵巻を演るために生まれてきたような。

実際、ブルボン王朝の末席にいて、ベラスケスが肖像を描いてそうだ。

(なぜブルボン王朝(スペイン)かというと、黒髪だから)

その意味では、この劇団の申し子みたいな雰囲気。

立ち上げからのメンバーかと思った。

そのくらいピッタリの所属先を見つけたと言えるんじゃなかろうか。

宣材写真を見たときはもっと毒のある雰囲気で、「ふむ、このヒトが超々々毒婦をやったら面白そうだ」と思って劇場に行ったんだけど。

なんというか、キャラクターもご本人も想像より瑞々しい感じの人だった。

“運命と戦うヒロイン” という、もう本人の雰囲気そのままの役回りを手堅く好演。

娼館の女主人のときはもっと毒々しくても良かった気がする。

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■朝霞ルイ(カスパル

どんなに声のトーンを落としても客席まで声が届いていたのは彼女だけだった。

ベテランの風格。

打ち棄てられた実験体児がどこでどうやって成長すれば、こんな艶やかでピカレスクトリックスターに育つのか、そこを見てみたかった気もするが、そこを書いたらタダでさえ2時間ちかくある上演時間がさらに伸びるので、いたしかたなし。

この俳優さん、眉頭にいい感じに険が出ていて、男装の麗人からリアル美丈夫への過渡期にある感じがする。

男役としては、これからが一番いい時期なんじゃなかろうか。

ダークヒーローカスパルを好演。

カスパルがどんな人物かというと。

ん。

待てよ……整理すると!

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1)娼館の影のNo.1として女主人をウラからあやつり、朗々と艶やかな口上を述べるトリックスターで、

2)火災その他のカタストロフから巧みにサバイバルし、言葉巧みに未亡人の情夫におさまる冷徹ピカレスクで、

3)非人道的な実験の結果として対アルラウネ耐性を有する厨二病キャラで、

4)それでいて不幸な幼少期から、どこかはりつめた脆さを感じさせ、

 (それは例えて言うならば、ラインハルト・V・ローエングラム的な)

5)そして、こころ疲れた時には情を交わす女アルマが影に寄り添い。

.

なんてこったい! 男装女子の演りたいこと、全部入りじゃねーか!

どうなってるんだ朝霞さん! アナタの配役が一番オイシイよ!

旗揚げメンバー特権か!?

観劇前はフローラカスパルが互いのカウンターパートをつとめるセッティングかと思ったら、終わってみれば伯爵から先生からアルラウネ達からフローラから、もうもう全員が彼との関係性を軸に話が展開するという、まさにザ・主人公・オブ・ザ・主人公

しかし考えてみれば、そのぶん舞台上でも舞台裏でも負荷は並大抵では無かったはずで、本当にご苦労さまでした。

良かったっす。

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■a-m.Lully

あの役がオイシイ、この役がオイシイ、と書いていて気が付いたが、

全者全様にオイシイ役ばかり。

調べたら当然のごとく、当て書き脚本だった。

この辺が座付き作家、というか作家が率いる劇団の最っ高のアドバンテージだよなぁ。

と、同時に。

「このストーリー、映像化してもイケるんじゃね?

 というか、ヨーロッパあたりに売り込んでもいいんじゃね?」

と思ったのだが。

脚本、キャスト、演出のケミストリー化学反応)による名演と脚本単体のポテンシャルの見分けがつくほど、俺は観劇に強いわけではないので、この印象は保留しておく。

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大道具・セット

背景と大道具がすごい。なんてったって “何もない” んだから。

物理的に必要な長椅子が脇においてあるだけ。

これ、大英断だと思う。

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メインの舞台となるのは近世ヨーロッパの娼館で。

自分がイメージできるのは『ジェヴォーダンの獣』(クリストフ・ガンズ)くらいだけど、あれを雰囲気だけでも匂わせるには1千万円あっても足りない。

その後の場面展開を考えたら、そこはバッサリ切り落として、そのかわり衣装と装飾品にガッツリリソース(金と時間と手間)をかける。

キャストこそが情景の担い手という戦略。これ大正解

少なくとも自分はそう思った。

.

で、板の上には何もない代わりに、ステージ背面全体を三分割して並んだ3つのセル(部屋)。

ライティング次第で中のキャストを浮かび上がらせて、複数のストーリーラインを同時に進行できる空間なんだけど、これが実に効いてる。

回想、視点の移動、娼館の部屋それぞれ。もう大活躍。

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白眉はエーヴェルス先生が娼館に潜入するシーン。

ライティングを目まぐるしく切り替えて、それこそ『ミッションインポッシブル』か『オーシャンズ11』かっていう高速カットバックを実現している。

(いや実際、照明さんは胃に穴が空いたんじゃなかろうか?)

実を言うとアタマのスミでは「それをやりたいなら映画でやったら?」と思わないでも無かったけど、映像作品と舞台の良いとこ取りをした意図は買うし、実際、効果的だった。

.

と、同時に。

こうも思った。

「ああ、そういうことか。エイゼンシュテイン以降の変革は舞台にも及んで、自分はいま変革後の作品を見てるのね」と。

MTV以降、ライブコンサートに巨大モニターが導入されて各種フレーミングが可能になったように、舞台も律儀に単一フレーム(場の一致)なんて守ってる場合じゃないよね。

.

■最後に、気がついたこと、気になったことをまとめて

・会場の音響が悪すぎ!

 卓かアンプが、どこかでバチバチに歪んでる。

 せっかく古典派の交響曲ストイックなまでにかためた選曲が台無し。

 客席横では四六時中、空調がプシュープシュー鳴ってるし。

.

キャパ、狭すぎ!

 ねえねえ、次はもっと大きい小屋でやりましょーよ。

 大丈夫。大丈夫だって

 連日満員でエクストラシート用意するくらいなんだから。

 ぜったい大丈夫だって!(←無責任

.

・ハッキリとした開演ベルが欲しかったところ。

 カスパルがおもむろに登場してアルラウネのオブジェを撤去して暗転ってのは、演出としてどうかと思った

.

プログラムの誤植。

 コーヒー愛飲の習慣のところ、 “嫌遠” は “嫌厭” の間違い。 

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・余談だけど、今回の上演『改訂版』の前の上演回をみんな『祈念』と呼んでいる。

 理由を調べようと思ったけど、まーいーか。

.

キャスティングの軽重に関係なく、みんな多かれ少なかれセリフが飛んだり、噛んだりしていた。

 最終日の最終回、疲労のピーク。

 ステージハイっていったって、限度があるわね。

 その中でもディフェンダー2人(武川、小川)は、自分が見る限り

 挙動とセリフに一切のミスがなかったことを記録しておく。

.

.

……んー、こんな感じか。

.

ともかく、まとめとして言うならば。

幻想芸術集団レ・ミロワールの『アルラウネの滴り -改訂版-』良かったっす。

次もタイミングが合えば観に行こうと思いつつ、このテキストを終わる。

2017-06-19

部活というか

部活というか毎日時間ひとつのことに打ち込む(拘束される)ことの是非について話し合った方がいいと思うんだけど。

そこに体力、固定された人間関係、将来に向けての視野問題とか色々絡むというか。

子ども達は現在好きなことと将来のやりたいことの両方を勘案して部活というかひとつのことに長時間打ち込んでいると思うんだけど、

それっていいことなのかわからない。

食っていけるならいいんでしょうけど、みんなが食えるわけではないし、途中怪我とかあったり、グレたり。

運動なら長期休暇中は毎日半日以上もしくは1日拘束されるの当たり前の人もいるんだと思うんだけど、

体力の問題時間問題で他のこと(勉強学校外での人間関係構築など)出来なくなると思うんだけど、

それでOKと今のところ教育関係者は考えてるわけだよね。

あと、部活限定して言えば、会社員が定時に上がった後にやる読書会フットサル音楽とかと同じであると思うので、

強制加入ってどうなのか、もしくはなぜ家庭や学校外ではなく、あえて学校内なのかとか。その意味意義とか。

ひとつのことに打ち込む(拘束される)というのは授業も仕事も一緒ではあるんだけど。

だいたい8時間だしね。

でも仕事と授業には、ひたすら同じ作業を繰り返すことを続ける作業であるか続けない作業であるかの違いはあるか。

きっと部活仕事の忍耐力が鍛えられるっていうのはひたすら同じ作業に耐えられるかってところなのかな。

仕事に求められるもの




鬱を感じる。

仕事で同じ作業を続けられるか否かは、部活やったとかの問題ではなく、

その職種が合ってるか耐えられる程度のストレスで済むかの方が大きい気がするから

っていうか大学の空き時間

耐えられるストレスの業種や職種を探す時間のような気がする。

そのための小学中学高校大学の積み重ねの時間に色々触れる、もしくは打ち込むのが大事だと思うんだよな。

大学っていう場所は、

高校までの窮屈さから解放されて色々なものに触れる人と、

高校までの積み重ねを職業につなげるための段階の人と

両方行う人で三者三様って感じだな。

ちなみに私は部活で苦しんだ人だが、

部活どころか学校に登校しないで学校外でとある屋内スポーツに打ち込んで、

そのスポーツプロになって活躍した方が同学年にいるので、

まぁ色々だなーと。

2016-12-24

難民百合アニメ

ギャグ系・シュール

| キルミーベイベー

| ゆゆ式

| ゆるゆり

| 三者三様

| きんいろモザイク

| ごちうさ

| のんのんびより

| ふらいんふぉうぃっち

ほのぼの

 

 

 

クレイジーサイコレズ

| 桜Trick

| 

| 

| ゆゆ式

| ゆるゆり 

| のんのんびより きんいろモザイク あんハピ♪

百合

| ごちうさ

| 

| 三者三様

| ふらいんふぉうぃっち

百合友情

 

 

最近増えないな

 

__

 

そういえば難民っぽくない女だらけ百合+αアニメ増えてるね

男が出てくるけど百合アニメっぽいのもある

最近増えないというより、応用されてきてるのか

2016-12-20

高校生アルバイト

妹が必死努力の末、県内いちばん偏差値の高い高校に進学がしたが、周りが裕福な人たちばかりで価値観が合わないのが嫌だと言う。

例えば?と聞いてみたら、その一つにアルバイトをしている子を馬鹿にする、というのがあった。なんでアルバイトなんてしてんの?勉強する時間減るじゃん、バカじゃないの?といった具合である。ちなみにその子の親の職業医者である。まぁ確かにアルバイト時間をその子勉強にあてることができるので、正論ではある。

進学校(笑)卒業した自分はもちろん高校時代アルバイトをしていたが、周りでそういった風潮はおそらくなかったし、アルバイトをしている子の方が多かった気さえする。

の子はおそらく単純に恵まれているんだと思う。アルバイトをしてお金を稼がなくても、勉強ができて、そして塾に通うことができる。貰ったお小遣い放課後に寄り道ができて、家に帰れば温かいご飯が食べられる。でも世の中にはそれが当たり前ではない子だっているわけで。

高校生アルバイトしなくてはいけない理由三者三様だけど、働く必要のない恵まれて育った子がそれをバカにするのはなんだかなぁと妹の話を聞いて辛くなった。

2016-12-04

ミュージシャン電子音アート偏見

自分の中で

このミュージシャンアートしてるなぁと感じるミュージシャン

電子音エフェクト多用してることが多い。

宇多田ヒカルPerfumeサカナクション。 

後ろ2つのミュージシャンはわりと

視覚的要素がアート的な感覚寄与してると感じることもあるんだけど

宇多田ヒカルってなんか音だけでアートしてる感覚がある。

さすがラジオからはじまったミュージシャンだなぁ、と思う。

Perfumeは全部通して見たことはないけど、計算しつくされた美しさか。

電子音拡張現実の見せるCGは相性がいい感じ。

そもそもCGが美しい。メンバー三者三様かわいい

サカナクションアー写とかジャケットミュージックビデオ方面か。

ライブアートって言われるけど、

確かに多方面アーティストと組んではいるんだけど、

音楽との融合(シンクロ率?)をPerfumeと比べたらなじんでないかな、と。

独立した事象っていうか。


ちなみに自分アート的な要素を押してるミュージシャンよりも

アニメ劇伴が好きです。


なんか電子音関係いかも。

2016-10-28

残酷さを描ききらなかったTVアニメ響け!ユーフォニアム2』#4

エロゲー批評空間https://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/)には“なりそこね”というタグがある。名作になりそこねたという意味だが、それに倣うなら神回になりそこねた4話だった、ということになろうか。

映像演出は本当に素晴らしかった。みぞれの頬に落ちる優子の涙、みぞれを暗がりから光の射す場所へとすくい上げる優子、希美の「きゅーん、としてさあ」に撃ち抜かれるみぞれなど判りやすい箇所は言うに及ばず、心情を映し出す表情や、そんな顔をあえて映さず手元の動きで表現するカットなど、画面からにじみ出る感情の豊穣さに圧倒されっぱなしの30分だった。

が、それでもなお神回には届かなかったという結論は変わらず、そしてそれは原作横溢していた残酷さが意図的オミットされていたからに他ならない。

以下、原作ネタバレを含んで感想を書きつける。

 

残酷コンクール

一期からアニメを見てきた視聴者には明白だが『ユーフォ』は残酷さを多分に含んだ物語だ。努力してきたのにパート演奏を外れるよう指示された久美子に、後から入ってきた一年最後コンクールソロパートを奪われる香織。特に香織は、かつての“楽しい思い出づくり”という部の方針によって実力上位にも関わらず上級生へとAメンバーを譲ってきた過去があり、最後コンクールには期するところがあった。しかし新顧問の滝と決めた“全国大会出場”という目標に従って新入生の高坂麗奈ソロパートを吹くこととなった。

どんなに努力をしても席には限りがある。それに自分が座れるとは限らない。『ユーフォ』はそういう物語だ。

そして原作2巻、アニメユーフォ2』では「コンクールってなんだろう」ということを通してソレを照射する。

2巻のメインキャストのひとりである鎧塚みぞれコンクール否定的な考えを持っていた。

「私は嫌い。けっきょく審査員の好みで結果きまるでしょ」

「でも、そういうのなんとなくしかたないかな、って……思っちゃってます

しかたない? たくさんのひとが悲しむのに」

すみません……」

「私は苦しい。コンクールなんてなければいいのに」

はたまた吉川優子は「納得いかないことが多いのは確かなんじゃない。でも、結果がよかったら納得できる。今のあたしたちみたいにね」と前置きして言う。

「みんな夏休みを潰して練習してる。けどコンクールは優劣をつける。(中略)努力が足りなかった、劣ってたってことにされちゃう。超理不尽でしょ。(中略)ただ、去年みたいにみんなでのんびり楽しく演奏しましょう、っていう空気がいいかというとそんなことはなかった」

そして高坂麗奈はこう言う。

「よく音楽は金銀銅とかそんな簡単評価できないって言うひとがいるけど、あれを言ってもいいのは勝者だけだと思う。下手なひとが言っても負け惜しみしかないと思うし。だからけっきょく上手くなるしかないと思ってる。それに、たくさんのひとに聴いてもらえる機会ってそんなにないから。……わたしは好き」

三者三様ではあるが、ここで浮き彫りになるのはコンクール演者の積み上げてきた努力感情に対し残酷に優劣をつける場ということだ。それに傷つく者もいれば、上手くなるしかないと思う者もいる。どちらが正しいとかではなく向き合い方の違いだが、いずれにせよ久美子たちが立ち向かっているコンクールはそういう残酷さを孕んでいる。

 

もっと残酷友情の不均衡

ユーフォ』における残酷さの表現はそれだけにとどまらない。むしろ#4に関してはこっちが本論にあたる。それが鎧塚みぞれと、過去部員大量退部事件の際に吹部を辞めた傘木希美軋轢だ。

軋轢といってもみぞれ一方的感情をこじらせているだけで、希美はそれに気づいておらず今も仲の良い友人だと疑っていない。しかしここではそれに気づかれてさえいないというところがみぞれ絶望をより深くする。

オーボエ奏者である鎧塚みぞれ内向的性格で友人がほとんどいない。そんな自分に声をかけ、吹部へ誘ってくれ、日々を楽しいモノに変えてくれたかけがえのない友人が傘木希美だ。だが希美中学ときに吹部の部長をやるだけあって友人が多く、みぞれはその中のひとりにすぎない。だから上級生と揉めて吹部をやめるときみぞれ相談はおろか報告もしなかった。希美が辞めたことを、みぞれ上級生に訊ねて初めて知った。みぞれ希美の中における自分存在の小ささに酷く傷ついたのだ。しかし、そのことはどこまでも希美に伝わらない。原作から引用する。

もしかして、それでハブられたとか思わせちゃった? ちゃうねんで、そういうんと全然みぞれのこと嫌いとか、そんなんじゃまったくないから! ごめんな、勘違いさせちゃって」

(中略)

 べつに、大丈夫。そう、みぞれが小さく首を横に振った。

勘違いなんて、してない」

この断絶!

みぞれ自分の中の希美と、希美の中のみぞれの大きさの違いに傷ついている。その差の大きさに泣きそうになっている。しかしそんなみぞれ感情は、これっぽっちも伝わらない。

「ほんまに? わたしやばいことやってへん?」

「うん。大丈夫

 みぞれはそう言って、わずかにその目をすがめた。よかったー、と希美がはにかむような笑みをこぼす。その光景に、久美子は静かに目を伏せた。きっとこれから先、みぞれの抱える想いを希美が知ることはないのだろう。そう考えると、舌の裏側がざらりとした。

そばでそれを見守っている久美子には、ふたりの温度差が見えている。が、この歪みはアニメ版からオミットされてしまっていた。

理由はいくつか考えられるし、興味もあるが、ここでそれは論じない。この残酷なシーンには何の意味があるのかということについて考えたい。

 

残酷さの果てに報われるということ

ところで原作を読めばこの場でもっと残酷なのはみぞれだ、というところにだいたい落ち着くと思う。

アニメでもがっつり描かれたが、暗闇でひとり膝を抱えるみぞれを光の射す場所にすくい上げたのは他でもない優子だ(ちなみにみぞれ希美、優子、夏紀は同じ南中出身で、前者の3人は吹部だった。最後の府大会まさかの銀賞を取ってしまい、高校では絶対に金賞を取ろうと約束している(いちおうアニメ版でも僅かに入る回想でそれが判るようにはなっている))。

優子はみぞれに友人として強い好意を持っていた。しかし「だって、私には希美しかいないから」と言われてしまう。「そしたら何! みぞれにとってあたしは何なの!」と優子は怒るわけだが、原作は一歩進んでえげつない

「きちんと話してみ」

「え、でも、」

大丈夫、うちがついててあげるから

 優子は力強く断言すると、ずいとみぞれ希美のほうに差し出した。みぞれがうろたえたように視線をあちらこちらに巡らせる。彼女の細い指が、落ち着きなさそうに優子のセーラー服の裾をつかんでいる。希美はそれに視線を落とし、一瞬だけ切なげに目を細めた。

(中略)

 みぞれの瞳が小さく揺らめく。その唇が、安堵したような息を漏らした。優子の制服から、伸ばされていた手が離される。

みぞれ希美との話し合いの最中、優子にすがっていた。しか希美との和解成るや優子から手を離すのだ。アニメ版あすかが穿ったことを言うのはこのことを指している。

さらみぞれは「もしよかったら、練習付き合ってくれる? 私のソロ、聞いてほしい」と希美に言う。希美から言い出すアニメ版とは逆なのだ

手を伸ばさな希美に、気を良くしたみぞれ自分から手を伸ばす。

この時、自身をすくい上げてくれた優子の手を、みぞれがもう片方の手で握るなんてことはない。優子はどこまでも置いてけぼりにされる。

「私は嫌い。けっきょく審査員の好みで結果きまるでしょ」

しかたない? たくさんのひとが悲しむのに」

「私は苦しい。コンクールなんてなければいいのに」

かつてコンクールが持つ残酷性を批判希美が持つ無邪気な残酷さに涙したみぞれは、希美との形ばかりの和解に舞い上がり、かつて自分が受けた傷を優子につけるのだ。

香織の一番にもなれず、みぞれの一番にもなれない優子。彼女がこんどは残酷さの犠牲となるのか。いや、違う。

「でもさ、みぞれにはあんたが居てよかったと思うよ」

夏紀のひとことが優子を救う。

https://i.gyazo.com/7f157970e8ac9305555ba6c672244440.png

希美に向けてみぞれが満面の笑みを見せたとき、その後ろで優子はどんな表情を浮かべていたのだろう。

おそらく。

おそらく夏紀はそれを見ていたはずだ。優子の胸のうちに想いを馳せたはずだ。だから優子の行動をちゃんと報いたのだ。

残酷さの果てには哀しみだけが待っているんじゃない。心でつながっている友人が、あるいは神様がちゃんと見ていてくれて報いてくれることだってあるはずだ。残酷さの先にあるのは希望なのかもしれないのだ。

原作が描ききった残酷さの向こう側。それを零してしまったTVアニメ響け!ユーフォニアム2』#4。

できれば攻めきってほしかった、そう思った。

 

ユーフォ感想一覧

2016-09-15

Call of Duty:Black Ops みたいなゲームが他にあったら教えてほしい

ゲームというのは、

がそもそも食い違っているという問題があり、これをうまく帳尻をあわせないといけない。 GTA 4 では厭世的な主人公が設定されたがみんなは別に厭世的なプレイがしたいわけではないので、キャラクターのロールとプレイスタイル全然あってないみたいな問題が発生した(一方 GTA 5 では三者三様キチガイ主人公にすることでこれがある程度解決した)。 Fallout 4 の最終 DLC自分復興させた文明自分破壊する狂人にならざるをえない展開で批判を集めた(個人的意見としてはショーン死んで狂ったみたいな世界観プレイしたらヌカワールドは最高と思う)。

ポケモン BW ではポケモン使い捨てにする N とポケモン主人公対峙することになるが、ゲームバランスがかなり難しいので自分も N 同様にどんどんポケモン使い捨てにして周囲にうまく湧きが設定されているポケモンを捕まえまくらなければならないし、あまつさえ最後に手に入れた伝説ドラゴンサザンドラにぶっ殺されることになる。

CoD:BO はこういう問題が以下の方法で綺麗に解決されている

ようするに、本来傍観者であるはずのプレイヤー視点が、ハドソンという形でゲーム内に挿入されているか自然な形でゲームの中に入りこむことができるし、ダルい部分がカットされるストーリー的な理由もセットされている。

その上で更にストーリー上の工夫として

という要素を挿入することで、ゲームプレイヤーが抱きがちな「主人公はなんでこんなもどかしい判断をするんだ」という違和感を、ジェイソンハドソン違和感としてゲーム内に挿入し

という要素があることで、ゲーム主人公とは実は誰か別の人に操作されているに過ぎない、という問題すらストーリーの要素として消化される(であるからこそラストシーンでのメイソンのセリフに魅力がある)。

ゲームゲームならではの制約をそのままうまくストーリーに生かしているこんな感じのゲームが他にもあればやってみたいので教えてほしいです。おわり。

2016-08-07

過去に3人の同性から好意を持たれたことがあるのでその知見を書く

俺(A)は男で、小~中辺りで1回、高校1回、大学で1回、男から好意を持たれた。

どれも、相手から好きですと告白されたわけではなく「あのときのアレはなに?」とこちらから聞いたところ「実はAが好きだった」という答えをもらう形で知った。

「あのときのアレ」とは三者三様だが、簡単に言うと「スキンシップが多い」である

小、高は完全に自分一人だけの問題で終わったので書けることはない。以降、大学での経験と周りの反応について書く。

俺は人と距離を詰めるのが苦手なので同性異性関係なく自分から相手に触れられる距離に入ることはほぼない。距離が近いよ、という意味で「やめとくれ」とは思っていたが嫌悪感ではない。

体育会系のノリで、まったく同性愛気質はなくともチンコ触りあったり尻を叩いたり素っ裸になってキャッキャ言ってる男は沢山いたし、女だって彼女でもないのに必要以上に距離が近い人は沢山いた。自身の以前の経験から慣れていたからでもある。

パーソナルスペースは人それぞれ」というだけの話で、相手好意を持ってくれていること自体は嬉しい。

同大学生で「知人の範囲に入る数百名」の内、実際に同性愛者だと分かったのは好きだと言ってくれた1名+友人Cから聞いた1名の計2名。

友人Cもペラペラ喋ったわけではなく、恋愛の話から~C「俺、男から好きだと言われたことがある」「ところで俺と同じクラブのDはゲイだと思う」というような話の流れで名前が出た。俺の方は「俺も男から好きだと言われたことある」と答えたが名前は出していない。

その後、俺を好きだと言ってくれたBが「Dもゲイだよ」と教えてくれたので世間は狭いと思った。

はいえ、俺の大学ではLGBTについて何ら騒いでいなかった。むしろとても静かに落ち着いていた。

俺に好きだといったBには俺より仲の良い友人が沢山いる。その友人達からBがゲイだというような話はいっさい出なかった。Bが話してくれた内容からはその近しい友人たちは知っているということだったのに。

また友人Bから名の出たDもそれまでに一度、風の噂で「Dはゲイかもね」と流れてきただけ。

○○はゲイなんじゃないの、という話題になったところで「へー、そう」で終わっていたし、何より「ある人が"○○はゲイ"と言っていたところで、そんな重要情報は本人の口から出た言葉でない限りは話半分で聞いておくべき」という基本的なことを皆理解していた。

「私も女性から告白されたことがある。意外と沢山いるもんだね」男女どちらもそれ以上に話が膨らむような話題ではなかった。


http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.buzzfeed.com/kazukiwatanabe/gay-student-sued-hitotsubashi-university 『「ゲイだ」とばらされ苦悩の末の死 学生遺族が一橋大と同級生提訴変更する』

上のブクマコメントでいくつか見受けられるのが

「突然気持ちを打ち明けられた友人も激しく動揺しただろう」

「同性に告白された場合、その悩みは誰に相談すればいいんだ」

「じゃぁ、告白された彼の気持ちはどうなるのさ。友達だと思っていた人が自分恋愛対象だとみていたと知った彼の気持ちは」

などがあるが、この人たちは実際に同性から告白されたことがあるのだろうか。

俺は動揺などしなかったし、実際に同性に告白された友人達も、誰も動揺してるようには見えなかった。

悩み相談は俺の大学の皆がそうだったように、しかるべきタイミングと人を見て話せば良い。見境なくプライベート情報をばら撒くのは相談とは言わない。

「お前は動揺しないだろうけど俺はする」?確かに「こ、告白された!どーしよう!」とは思うかもね。それは動揺じゃないし、どうしようもないしどうもしなくていいだろう。

俺が受けた告白に対する答えも「女性しか好きにならないのでごめんなさい」で終わり。しつこく付きまとわれたことはない。しいて違いを挙げるなら「前みたいに距離を詰めて来たらそのままにはせずきちんと離れよう」とその人への俺の対応が少し厳密になっただけ。

これも「ゲイは怖い」からではなく、相手に不必要に期待を持たせないため。だけどむしろ相手の方が気を使ってこちらとの距離をちゃんと取ってくるようになったので杞憂に終わっている。

どこに動揺する要素があるのかわからん。同性異性かかわらず「告白告白」なんだから告白に対する返事」をすれば良い。

大学生ほど大人じゃない中・高生が秘密を広めてしまうのは分からんでもない。しかしそれも「自分の中で抱えすぎて苦しんだから」というよりは「自分しか知らない秘密は話の種として使える」という下種な気持ちから場合が多い気がする。

襲われるかも思うと怖い?実際に襲われたのでもない限りネット情報に踊らされ過ぎである

俺の知ることができたゲイの数は、割合からするととても少ない。大多数のゲイはひっそり静かに暮らしているということである

また俺が対応した人はスキンシップ過剰ではあったが、スキンシップ好きな女性よりはずっと少ないくらいで身の危険を感じる程ではなかった。

そして告白についてもとても慎重である。俺が好きだと言われたのも4年生の最後の方で、こちらから切り出さなければ多分伏せたままだったと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20160807005352 『「アウティング」を聞かされた側の気持ち

上の増田のように第三者としていきなり知ることになった場合、書かれているような動揺や怒りが沸くのは当然だと思う。だからやっぱりその話題を出すべき場所タイミングはとても重要なんだよ。

俺の周りにいた人たちは驚くほど常識人ばかりで(素っ裸で踊っていた人たちも、それが可能な時と場所理解していたし、俺よりずっとちゃんとした社会人生活を送っている)大学生にもなればこういうもんなのかな、皆大人だなと関心することが多々あった。

こういう環境にいた俺からすると、大学院生にもなってLINEグループという拡散力大のツールで通知するなど配慮がなさ過ぎてそっちの方が怖い。守秘義務以前の問題

総合大学と単科大では密度が違うが、オッスオッスの体育会系クラブでさえ騒ぎにはならないのだ。

『おれもうおまえがゲイであることを隠しておくのムリだ。ごめんA』というLINEは「Zは身の危険を感じていた恐れがある」と取れないことはない。とはいえこ文言だけでZに肩入れするのは無理がある。

何より「推定無罪」が法の基本だよね。「俺や皆に危害を加える"かもしれない"」という理由で「親友相談」ではなく「LINEグループ投稿」。

こんな法曹関係者に対して「ノンケ告白するゲイマナーがない」「告白したことがすべての元凶」「もしキモイストーカーだったらどうする」なんて援護は的外れ過ぎる。

そもそも「LGBTがそばにいたら危ない」と思う人は、自分の周りにLGBTが実際に何名いるだろうか。知人の5%を下回る数、または一人も知らないというのであれば、LGBTの人はあなた存在を知られることすらなく、何ら危害を加えることな暮らしているのである


追記:ああそうだな。「俺は動揺しないから動揺する人間理解できない」ってのは言い過ぎだった。元記事コメントで「動揺させるに決まってる。告白するやつが悪い」という論調もあったから、そう断定せんでもいいだろうと言いたかったんだが、それがまた断定になってちゃ本末転倒だな。

現実ではネットで出回っているようなマッチョで厳ついグイグイくる人は少数で、大半は見た目も中身も普通大人しい人だから条件反射で逃げたりせずに落ち着いて話を聞いてみる方がいいよってことを言いたかった。

ただトラックバックにある『告白の「暴力性」』てのがまだよくわからない。「動揺」を引き起こされることもこの「暴力性」に入っているのだろうか。後日別件として増田で聞いてみることにする。

もしかしてもてすぎて告白受けまくってるのかな。だとしたら断り続けてるとしんどいだろうな。と思ったらそれについて書いてくれてる人がいた

【誰かに「好き」って言われることが、ずっと苦手だった。】

http://fujipon.hatenablog.com/entry/2014/04/26/120927

2016-06-30

http://anond.hatelabo.jp/20160630105540

完全スルーしてる時点で無益だと思って有害指定してんじゃねーか。

俺はちゃんと全部読んだ上で結局言いたいことって「理解して」の一言に集約できるよねっつってんだよ。

解決策も異常な立場視点とそこから見える景色のあり方も妥協点も何もねえもん。

クソもらしはクソを漏らした自分世界との反応の変化があるから

内向的で終始終わる自分語りよりよっぽど個々で違うケースが確認できるから面白いわ。

クソという実物によって引き起こされた問題に直面した人間の行動は三者三様から面白くて流行ってるんだろ。

精神世界の既に解決策が用意された思春期の延長問題を長々と語られても心霊体験よりクソつまらない世界しか広がらんのよ。

2016-06-27

http://anond.hatelabo.jp/20160627191131

最初はらわたループは、どうすれば回避できるんだ?! って楽しめたけど、

レムラムループは、ショッキングな展開を狙いすぎて、続きこそ気になるけど、1度見たらもう一度見たい話しではなくなって、

王宮ループはもう、主人公の行動すら意味不明になりつつあって、そろそろ切り時かなって思ってる。

1クールアニメが多いなか、2クール作品ということで、期待していたんだけど、

これなら、ふらいんぐうぃっち三者三様の方が良かった。

2016-05-19

打倒電通に向けてネトウヨ嫌儲民はてサは共闘すべきでは?

ネットの三大勢であるネトウヨ右翼)、嫌儲民中道リベラル)、はてサ左翼)。
それぞれの道をゆく彼らは三者三様であり中々意見があわない。
だが電通アンチという点でこの三者は共通している。
このオリンピック騒動――今こそ三者が協力すれば革命になるのではないか

今年は嫌儲民革命を起こそうとしたがロゴを作る程度で終わってしまった。
だが今度は本物のピースフルな革命が期待できる。

2016-05-14

全貌を把握するとは?

全体像を思い描くとか、全体像相手に思い描かせるということは、簡単ではないようだ。

  

例えば、極端な例を思いついたのだけど、Qさんが、Aさん、Bさん、Cさんに次のような要望を伝えたとしよう。

Q:「簡単でいいから、丸いケーキの1部分を作ってみせて」

  

これだけの情報で、次の想像は無理があるのかもしれないが。

A: 「丸いケーキの1部分で、簡単なのだからデコレーションのないホールケーキ(円柱の短い形)だろう。シンプルホールケーキを作り、それを1/8ぐらいに切って渡そう。」

  

B: 「簡単で丸いで良いならば、 ロールケーキかな。それを輪切りにして渡そう」

  

C: 「難しいことは、やめてホットケーキを作って、それにハチミツをかけて、生クリームでも載せてケーキらしくして、 渡せばいいかな」

  

言葉で一度きりの指示であれば、三者三様解釈が、起こりうる可能性があるわけだよな。

一般的には、Aのケースを想像するのだろうが。

1人1人の解釈が、バラバラになってしまうこととか、頼んだ側と頼まれた側の意思の疎通が取れていないということ、頻繁に起こりうると思う。

  

ここまで、書いてみて

顧客が本当に必要だったもの」というネタと言いたいことは、だいたい一緒なのだが、

意思の疎通や全貌を把握すること、難しい。

インド哲学の「ゾウを触る6人の目隠しをした人」の寓話でも、一緒だ。)

  

  

知的労働というか、まだ、成果物がどのようなものになりうるかが、分からない状態で、

作業を始めること自体が、知的作業要求されているのだろうなと、

プロジェクトが終わってから、しみじみと感じる。

  

お願いをしている本人が、何を望んでいるのかが、ハッキリしないうちは、手が打ちようもない、とも言える。

指示不足のケースもあるし、頼まれる側が確認をしていないせいかもしれない。

  

  

  

2016-04-15

性格診断テストのやつ

はてなブックマーク - 無料性格診断テスト | 16Personalities

amamako 論理学者だった。/そして案の定、3%しか居ないはずの人間はてなにはゴロゴロいるな。

ketudan ”論理学者(INTP-T)” "パターンを好み、発言矛盾点を指摘することにかけては、ほぼ趣味""他人を、実際の話し相手として見るのではなく、自らのアイデア論理について自分自身と討論する際の反響版として利用し"

blueboy 論理学者だった。全人口わずか3%と言いながら、はてなでは最大多数派だ。 / 論理学というのは、論理的物事を考えるのとは、全然別だよ。この判定者は勘違いしているね。

3人とも論理学者だけど、id:amamakoid:ketudanid:blueboy共通点って何? 三者三様キャラ違わない???って思うけど

まあ、「はてなにいるようなタイプ」というそ自体がある程度共通点ってことなのかね。(3%しかいないとされている論理学者がブックマークコメントでは多数みたいだし)

ちなみに私も論理学者でした。

2016-01-28

[]手塚治虫ハッスルピノコブラックジャックより)」

★★★★★

前置き

5巻3話。

あらすじ

ピノコ高校女子大に行きたいと考え、

BJ内緒通信教育過程を終わらせて高校入学しようとするが、門前払いを受ける。

BJ学校側に無理矢理ワイロを受け取らせてピノコ入試を受けることを認めさせる。

入試が始まると、ピノコは極度の緊張から体調を崩してしまい、合格することはできなかった。

ピノコ幼稚園からやると言って幼稚園に入るが、ケンカしたり暴れたりしてうまくいかず、もうこなくていいと言われてしまう。

BJピノコを励ますが、その後机でうなだれる。

感想

ピノコの可愛さ爆発でした。

コマのうちかなりの割合ピノコが占めてて、不足してたピノコ分がだいぶ補給できた。

でも改めて考えるとピノコはずっと成長できないんだよな・・・

時間がすぎるほど残酷に思えてくるなあ・・・

でもBJはそれでも最後まで責任はとろうとしてるんだよな・・・

つーかピノコとの肝心の出会いの話がいまだにないんだが。

ピノコいたりいなかったりで。

ほんと収録順勘弁してほしいわ・・・

最後ケンカボロボロになったピノコと、うなだれBJが印象的だった。

切ない・・・胸がしめつけられる

ピノコor印象に残ったセリフなど

通信教育の修了証が届くためにうきうきで掃除するピノコ

届いた書留にキスするピノコ

ベッドの上で跳ねまわって喜ぶピノコ

通信教育の修了証なんて役に立たないと言われてアッチョンブリケの表情で言葉を失うピノコ

学校へ行きたいと表情でBJに告げるピノコ

通信教育学校じゃないと言われて泣きわめくピノコ

BJ入試段取りをつけてくれて驚きから喜び満面の顔に変わるまでのピノコ

喜びでBJに抱きつくピノコ

勉強を頑張るけどそれが夢で今度こそ頑張ろうと思うけどそれも夢で・・・の繰り返しで結局全部夢だったピノコ

答案用紙を前にして緊張のあまり冷や汗をかくピノコ

緊張から肉体にまで不調を及ぼしてしまったピノコ

自分死ぬのかとBJに問いかけるピノコ

手術後、試験らめだったのよねと夢うつつの顔で問いかけるピノコ

諦めたように穏やかな表情で幼稚園からやり直すというピノコ

傷だらけのボロボロになって幼稚園荒らしまわるピノコ

傷だらけの状態でベッドにちょこんと腰掛けピノコ

せっかく 女医ちゃんに なって おてつらい しようと思ってんらのに

先生みたいな 無免許医師に なようと 思ってんのにィ

それだけ よけいだ!!

ランキング 

1.ときには真珠のように

ふたりの黒い医者

古和医院

ピノコラブストーリー

ハッスルピノコ

ピノコ愛してる

六等星

二度死んだ少年

コマドリ少年

死への一時間

勘当息子

焼け焦げた人形

アリの足

はるかなる国から

えらばれたマスク

友よいずこ

めぐり会い

白いライオン

シャチの詩

つの

幸運な男

上と下

U-18は知っていた

海は恋のかおり

なんという舌

人形警官

の子を殺すな!

閉ざされた三人

報復

目撃者

三者三様

ある教師と生徒

鬼子母神の息子

盗難

万引き

鳥たちと野郎ども

タイムアウト

奇胎

からだが石に…

ブラッククイーン

医者さんごっこ

座頭医師

ダーティー・ジャック

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