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はてなキーワード: 三者三様とは

2021-06-24

anond:20210624142112

遊園地迷子になっている子供がいて、迎えに来た男女が三者三様で違う苗字だったら警戒するでしょ?

そもそもそういう場で苗字なんか確認しないと思うんだが。

子供に親かどうか確認して終わりだろそんなの。

子供が違うといってるのに同じ苗字からこいつが親、子供が親だと言ってる別の苗字人間は親じゃないに決まってる、って判断するのか?あり得んだろ

ほんと現実的な事考えないんだな。

anond:20210624140618

俺は元増田ではないので真意をくみ取れないが


そんなことだろう

何も自動的に同じ姓の人々を家族認定しろっていってるとは思わないが

同じ家で寝泊まりしている佐藤さんなら親族であろうとするのは、単に楽だから

父親佐藤母親高橋子供大杉、なんて苗字にしたら周りからすると家族フィルターが働かずにいちいち個人情報確認するかもしれない

それぞれは別の家族だって思える

遊園地迷子になっている子供がいて、迎えに来た男女が三者三様で違う苗字だったら警戒するでしょ?

まあ同じ苗字でも犯罪は発生するからルフィルターなんだが

元増田苗字犯罪抑制に役立つように書いているのでそこは極端だが、言ってることは本当はもっと緩いことなんじゃない?

2021-06-08

anond:20210608120140

お前のほうがおかしいと思うよ

その誤用を指摘するツイートの下をたどれば自己リプライで「こういうツイートの使い方」って2つともあげてるからみてりゃ多少は関連があるもの三者三様(Cはワーディングを問題にしてるだけ)だなってのは自然とわかる

ツイート発言者が明確なのにおまえの引用?要約には発言者がないから3者3様の主張だってことをまぜこぜに表現ちゃうんだな

おれは元増田だけみてれば最後まで「北大助手」の反論おかしかった・・みたいな元増田しか読めんとおもう

おまえ自身がそう誤解して書いたのか、そう誤解させるほど文章力がないかについてはオレは全く興味ないんだけどね

2021-04-18

[] #93-3「栄光の懸け箸」

≪ 前

「音を立てるほど勢いよく啜るのは、麺に汁が絡んだ状態で口に運ぶためだ。物事には理由がある。その理由無視して、従来のやり方を抑え込む方が愚かだ」

「えー、でもそれを気にする人がいるってのは分かるでしょ」

個人の気にする気にしないレベルで是非を求めたら社会は回らん。何が正しいか間違ってるかも分からず何もできなくなる」

こういった法律に縛られない、慣習的な何かを俺たちは漠然と“かくあるべき”と思っている。

からこそ、その“かくあるべき”を常識だとか文化だとか、作法という言葉で簡潔にまとめられるんだ。

理屈が伴っているかどうかが重要なんだよ。米を炊く時だって、研ぐ段階から軟水を使うだろ」

「え? 米を洗う時にも市販水って勿体なくないすか」

「米は洗ったり研いだりする際にも水を吸うだろ。本当に勿体ないと思っているなら、最初から最後まで水道水を使えばいい」

「あー、なるほど」

「お前アレだろ? 座って用を足せと周りに言うくせに、流す時に蓋しないタイプだろ」

「おい、トイレ中に食事の話はやめろよ」

「逆だ、逆」

しかし、こういったルールの“延長線”を誰がどのように引いているのか、そして妥当なのか。

実際には誰も把握していなくて、共有できているかも怪しかった。

なので話を掘り下げようとするほど墓穴にハマりやすく、誰も出られなくなってしまうわけだ。

それでも概ね見解は一致していたから、さして険悪にはならなかった。

「でもマナーとか言われちゃうとなー」

「そりゃあ似非マナーとか、古臭いルールは無くなってもいいさ。でも、全てがそうじゃないだろう。箸の持ち方だって変わらない」

だけど話題が箸の持ち方になった時、なんだか雲行きが怪しくなってきた。

切り出したのは俺だったが、これは七面倒なことになると言ってから気づいた。

この時、ラーメンを食べている彼らの手元は三者三様だったんだ。

「えー、箸の持ち方くらい自由でいいじゃん」

「そりゃあ、まあ、ちゃんと持てた方が行儀は良いかも知れないけどさ」

「箸の持ち方ひとつで窮屈になる社会が良いとは、とても我は思えん」

「オイラ、この持ち方でも支障ないし」

「お前の持ち方は、さすがにクセがありすぎる」

「えー! “箸の持ち方くらい自由でいい”って、さっき言ったじゃん」

「そのセリフを言ったのは、おまえ自身だ」

ここで意見割れ割れた。

俺みたいにちゃんと持つべき派、多少なら構わない派、どんな持ち方でもOK派……

それを直すべきか、指摘するべきか等など。

皆その持ち方で、食事を数え切れないほど行ってきたんだ。

まり、この議論人生の一部をかけているに等しいといえ、それ故にみんな必死だった。

次 ≫

2021-03-09

https://b.hatena.ne.jp/entry/4699504504348224898/comment/kobito19

muslが悪いと言うか

Standard Cの規定がゆるケツなのと

glibc拡張しまくったろって方針なのと

muslが最低限規定に収まればいいよねって方針なのと

三者三様の悪さがあると思う

2021-01-09

敵の策で主人公孤立する展開のその後

よくあるよね、主人公孤立させられてみんな敵になるやつ

記憶に新しいのだと今の仮面ライダーがそうかな、血気盛んな若手と普段コメディキャラの二号枠がキレた事もあり本気で主人公を殺しに来てた、明日はどうなるんだろうか

有名なやつだとBLEACHで「記憶自由改ざんできる敵」が自分が昔から仲間だったと全員信じ込ませて、父親以外が主人公を責めてくるという事を仕向けたし

からくりサーカスやうしおととらにも敵の策略で主人公が敵認定されたり、主人公存在忘却された事もあった

少しマイナーかもしれないが、ポケモン不思議のダンジョンってゲームでも主人公相棒枠以外がみんな敵として襲いかかってきて、しばらく逃げ回るハメになる展開があった

で、こういう展開は後々に絆が深まるきっかけとか、主人公がいいやつであることをピックアップする展開に繋がるわけだ

たとえばからくりサーカスなら主人公笑顔で「みんな間違えるよ、仕方ないさ!」と言い、本当の敵に向かうって感じだった

それ以外も「ごめんな」「ええんやで」で話が終わり、仲間たちは更に絆を強固なものにしていった…って感じ


うーん、勧善懲悪モノならそれでいいかもしれないけど…それで終わっていいのかなぁ?

たとえば、その孤立した主人公罵倒されたり正気に戻るように説得されたり洗脳されてると信じ込んだ状態の仲間たちから、本気で殺しにかかられてるのだ

怖いよ、普通な

トラウマになるって

まらないよ絆、更に亀裂が入る


から、後々……「俺はあのとき怖かったんだ!お前らが俺を敵認定して!」とか「…どうせ信じてないんだろ?」とか疑心暗鬼をこじらせたり、その時の事を引き合いに出すって展開があってもいいんじゃない

それで仲間が「し、仕方ないだろ!あのときは騙されてたんだし」「まだ言うのか、しつこいぞ…そういう振る舞いのせいで疑われたのもあるんだからな」とか三者三様の反応を返し、今度は主人公がみんなを敵と認識して……的な


そういうの、あんまないよね

流石にウケないからか

2020-08-26

anond:20200826200900

かに鬼滅は不快には感じなかった。

特に女性蔑視や抑圧がなかったんじゃないかな。

甘露寺さんも私は不快じゃなかった。カナヲちゃんとしのぶさんがかっこよかったから、三者三様で良かったのかもね。

2020-08-21

シュンちゃんTweet炎上しててワロ。

あれ読んで朝鮮人め!という気持ちになる人おるんだろな、多分。まじかよ、とは思うが。

一郎さんの阿南陸相自決への怒りのツイートを今の政治に結びつけて一緒に怒ってる人は見たし。

自分は一連の東へ向かうツイートは、敗戦の混乱を感じることができてよかったと思う。なんもかんもカツカツでみんな余裕がないから、不寛容。優しい人は優しいけども、みんながそうはできない。でも起きた出来事ショッキング記憶に残りやすい。

全く存在しない出来事を新たに作り出す事は無いと思うので、多分日記以外の根拠があるか、インタビューとか取材した結果のツイートだろう。

いや、軍関係奉仕に行った先で日本は負けるって煽ってきた朝鮮人口喧嘩して負けた事ゼロから作らないでしょ、普通創作ならすごいよ。私だったら、ひよっ苛烈環境で働いていた人達への連帯感とか哀れみのエピソードにしちゃいそうだもん。

自分広島市義務教育課程を卒業して20年近く経ってるから参考にはならないかもだけど、急に教育右翼化したとかじゃない限り、ダム建設徴用された朝鮮人など差別の話、日本植民地へしてきた事への反省教育はされてるはず。

さすがに君が代の代わりにアリランの歌を教えられるとかはもう無いとは思いたいけど。

から安易ヘイト創作しないと思うんだよなあ。悪い印象与える位なら存在無視しろ、って事なら分かるけど、一郎さんややすこさんの日記朝鮮の人が出てこないので、透明な存在のままだったろう。戦争孤児浮浪者集団も強烈に印象づけられたけど、その集団弁当強奪された旨のツイートへ、彼らは可哀想存在からと諭す反応があったな。

シュンちゃんも一郎さんもやすこさんも、聖人ではないし、ただの一個人の感想だと思って見ている。日記他人が色々肉付けしてるから、そこが嫌な人はいるんだろう。わたし映像作品を見るより受容しやすかった。

個人的には三者三様視点終戦期のやり取りを見ることが出来るのはありがたいと思う。終戦後にやすこさんが小磯元首相の血縁者と分かるツイートビックリしたのと同時に米軍がやってくる事への強い不安感や玉音放送聞いた後の悔しがりに納得がいった。

自分が読んだ事のある戦中の日記、その子原爆にあって5日で終わってたのでこのまま年末まで読めるなら読みたい。(やすこさんは9月中旬、シュンちゃんと一郎さんは年末まで日記が続く予定)

2020-07-25

anond:20200725034236

理解できないならそれで良いんじゃないか

何となく覚えていたら今後役立つかも知れないぞ?

まぁ理解しきれないことって忘れがちだし今回は理解できなかったってことで納得しておけよ

こういうのは三者三様の語り口があるしな

様々な人が語る「社会サポート」についていっぱい聞くといつか理解できるんじゃないか

しろこういう話を一発で理解したら詐欺師カルトあたりに騙されてしまいそうだしな

2020-07-11

ジャンルから足を洗うことを決めた

いわゆる「腐女子お気持ち表明」ってヤツに該当すると思う。

最近ハマっている(いや、もう過去形だけど。ハマっていた)ジャンルの話。

原作はそこそこ有名で、同人界隈では爆発的な人気を誇ってるわけじゃないけど、それなりに人が多いジャンル

新進気鋭、って言い方が正しいかはわからないけど。某赤豚ではジャンルオンリーイベ、某貴様ではCPオンリーイベの開催も新しく決まって「今まさに旬ジャンルへの道を駆けあがってます」ってイメージの、とあるジャンルの話だ。

このジャンルはとにかく、原作サイドのエゴサえぐい

原作に携わってる方がツイッター二次創作絵に反応することも結構あった。

たぶん一番人気だろうCPの中に、キャラ名ががっつりそのまま入ってしまってることもあって、検索に引っかかりやすいのも一因だったのかもしれない。

(例えば、ユウタ×アキラ→ユウアキ、だったらキャラ検索には引っかからないだろうけど、ユウタ×レオ→ユウレオ、だと「レオ」部分で引っかかりやすくなる、みたいな)

そうなると、隠れろ!っていう圧力生まれる。

「ユウレオ」って表記していたものが「ユレ」になったり、ツイッターだったら絵文字使ったり。

原作サイドに腐向け創作が見つからない様に隠れる、腐女子からこの傾向はわかるし大切だと思う(1番はSNS腐向けをアップしないことだろうけど、昨今の風潮的に難しいだろうな)

とはいえちょっとやりすぎでは?と思うこともあった。

わたし基本的に見るだけで、このジャンル創作することはほぼなかったけど、「ユウレオ」が「ユレ」になりイニシャル表記になり絵文字になり最終的に「コし」(字形が似てる全然別の字を使った呼称、っていえば通じるかな)になる過程を見ていて、創作する側はいちいち今どんな呼び名されてるのか(というより、今までの呼称が「検索に引っかかりやすNGワード扱いされていないかどうか」)追いかけるのか、大変だな、とぼんやり思っていた。

半月くらい前。ジャンル内でいわゆる学級会案件が起きた。

考察好きが集まって、原作考察プレゼンする会をオンラインで開催した際に、途中から例の一番人気のCPの話が混在で盛り上がり、最終的に「CP部分をぼかせばこの考察原作サイドに見てもらえるのでは」とまで言い出す異常な盛り上がり方をし、さすがに苦言を呈された、というのが炎上元だった。

わたし考察には興味がないので(というより他人考察を見るとその考察に影響されまくってフィルターかけて原作を見てしまうのであまり見ないようにしている)プレゼン会の存在曖昧しか知らなかったんだが、今回ばかりはさすがに何が起きてるのか確認して、その内容にドン引きした。

あれだけ隠れよう隠れようと周りに呼びかけてたCP人間が、「CP部分をぼかして原作サイドに見せる」とかよく言えたもんだな、と思った。

同じことを考えた人は当然たくさんいたらしく、荒れた。別CP人間には白い目で見られたし、同CP人間からも「さすがにこれはひどい」という意見をよく見かけた。プレゼン参加者は、「迂闊だった・浅はかだった」と反省する人と、「そもそもプレゼン会の要綱にCPが含まれることを書いてるんだから悪くない」って言い張る人と、我関せずを貫く人と、三者三様だった。とりあえず、悪くないと言い張る人をブロックしながら動向を追った。

結局、苦言を呈した人vsプレゼン主催+盛り上がってたプレゼン参加者で一通り荒れたあと、プレゼン会の主催謝罪+垢削除+「界隈荒らしすみませんでした、もう二度とこの界隈で創作しないのでわたしのことは忘れてください」宣言で、この話題は落ち着いた。

よくある学級会案件の終息方法だし、もともと関わり合いもなかったので、とりあえず落ち着いたのか、くらいに思っていた。

つい昨日のことだ。CP内でとある企画が発案された。

匿名CP小説を提出しあって参加者が読み、感想を言い合い、作者を当てる、という企画だった。

わたし仕事中に発案を知ったので、面白そうだなと思いながらも参加はしなかった。

企画自体ディスコードで行われていたらしいが、その後、参加者で集まって喋るフリースペースが、もくりに出来ていた。URLツイッターに公開されていたので、見に行ってみた。

フリースペース参加者に、この間大炎上したプレゼン会の主催がいた。ほんの半月前に、謝罪して、垢削除して、もう二度とこの界隈で創作しない、と宣言した人が、CP小説を提出する企画に参加していた。

それを見た瞬間、なんだかいきなり、このCPにかかわるすべてに疲れてしまった。

問題を起こしたんだから一生反省していろ、二度と創作するな」とか言いたいわけじゃない。

でも、大炎上を起こして、「もう二度と創作しません、わたしのことは忘れて」という内容の謝罪をした人が、容易にその本人だと特定できるアカウントで、1ヵ月もしないうちに新しい企画に参加している。そして、企画参加者に受け入れてもらっている。その事実は、素直な言葉でいうなら「気持ち悪い」という感覚に近かった。半月では、とてもじゃないけれど、わたしはあの炎上を忘れられない。

あの謝罪は何だったんだろう。あの宣言は何だったんだろう。受け入れている人たちは何なんだろう。受け入れている人たちも、普段は過剰に「隠れろ」って言っているんだろうか。

そんなことを考えているうちに、どんどん、このジャンルにいることは無理だな、と思うようになっていった。

参加しようかどうか迷っていた赤豚のイベントは、参加しないことにした。

参加するなら出したいと思っていた新刊プロットは削除した。

今まで、新しく気になるジャンルが出来たから、前のジャンルから少しずつ離れていったことはあったけれど、これだけ明確に「足を洗おう」と思って離れるのは初めてだ。

本を出すサークル参加者は多そうだし、大して創作してもいないわたしひとりが消えても、きっと誰も気づかなくて、何も変わらないのはわかっている。

まれるはずだった新しい同人誌が1冊消えました。それだけここに書いて、わたしはこのジャンルのことを忘れようと思う。

2020-07-04

同人女に思うこと

 同人女は等しくえらくねーよ!正当化すんな!っていう全方位に向けたお気持ちなので良い人もいるんだけど…みたいなのは省きますが、同人女じゃないと女オタク生きにくいなって思う個人私怨です。(ここでは見る側作る側を問わず女子腐女子・男女CP厨を同人女定義します)

 オタク女のコミュニティではこの3つのどこかに属してる前提で話が進むのでめちゃくちゃストレスです。そのため「好きな漫画鬼滅の刃流行ってるよね〜」みたいなファッションオタクとしてお茶を濁したり、オタクであることを隠すようになったんですけど、Twitterがあまりにも同人女のるつぼ検索すれば何かしらの二次創作がヒットするの、全然森とタタラ場で暮らせてなくないですか?こっちは公式アカウント見たいだけなのにちょっとリプライを遡ると「〇〇くん幼女すぎ」みたいなえぐめのツイートが目に入るのめちゃくちゃ嫌なんですよね。性別知らずにゲームしてるのかな。

 他にもやりたい放題してるので、同人女他人作品二次創作承認欲求を満たすために鍵パカのアカウントを使ってるのかと邪推してしまます。本当に何で鍵かけないんだろう。

 嫌なら見るなってゾーニングされてることが前提の発言じゃないんですか?

 三者三様に嫌いなんですけど腐女子特に苦手です。高校で私がオタクって分かった時に当然のようにその作品BLの話をされて、さらには馬×男のCPについて話されたトラウマがあるんですけど、ジャブとしては重すぎるでしょ。初手から人外てなんなん?

腐女子

 男キャラ同士で妄想してる人と話してるとすべての展開がCP妄想に終着したり、キャラの会話を燃料とか言われたりで話が合わないんですよね。

 中でも嫌なタイプ配慮したつもり腐女子マウント腐女子です。

 前者は腐女子配慮って腐女子同士のことしか考えてないのかなって感じるあれです。

 度々Twitter上で議論になる腐女子自衛問題あるじゃないですか。例えば赤くんと黄色くんっていう苗字CPに対して「赤くんと黄色くん最高!(画像の添付)」に赤黄とか黄赤ってつけろ、とかどんなシチュエーションか明記しろ、みたいな。

 じゃあ腐女子じゃない人が自衛するためにCP名に赤を使うなよ!っていうのはあんまり言われてなくないですか?

 どんなに公式名称で呼ばないとかの配慮をしてるつもりでも漢字一字の苗字名前キャラCP名にしてる時点で無意味ですよね。

 マウント腐女子は顔カプって言って作中で交流の少ないキャラCPにしてる人をディスる腐女子のことです。確かに顔カプも理解に苦しみますが己を振り返ってみた時に笑える立場でしょうか?信頼関係が描かれているから、交流が多いからといって別にそのキャラ同士は恋愛関係ではないことがほとんどです。

 この手の腐女子は厄介なことに多くが関係性厨を自称していますしかキャラ同士の関係性を重んじるなら原作以上の関係を望まないと思います

 親友なのが良いよね、ライバルなのが良いよね、みたいな話をしてるのにそこでCPに発展させられてもついていけません。

 あと現実性的指向問題混同する人多くないですか?今あなたのことは呼んでないんですが…

 それとクラスメイト同士のBL小説みたいなのをメールで送られたことがあって、それも鳥肌ものなんですけどわりと対象男子が寛容で「こういうのが好きなんだろ?」て腐女子相手面白がってやるノリあるじゃないですか。キショ・キショ・キショ!需要ないわ!

 いくらでも悪口言えるけど次行きます

・夢女子

 いわゆる乙女ゲームを通っていないのでキャラ恋愛する感覚がよく分からないのもあるんですけど、夢女子腐女子兼任してる友人に見せられた夢小説がまったくピンと来なかったんですよね。

 そもそも俺TUEEE的な傾向のものが苦手なのでキャラセリフ立場を乗っ取って無双する話にいまいち魅力を感じません。

・男女CP

 自分所属は一番ここが近いと思います。ただ明確に矢印が出てたり成立してるCP応援してるのであって、原作にA男←B女の描写があるのにC男とB女をカプらせたりするのは違くないですか?パズルすな

 上記理由から同人女が苦手なんですけど、だからって他者の嗜好は変えられないのでブロックに勤しむしかないんですよね。この三つ巴でぶつかり合って消滅しないかな(カロリー0)

 的外れな反応があって驚きました。タイトルは「死んでくれ同人女 人の目に触れないまま」とかの方が良かったですか?私は性別わず作中で明確に恋愛関係になってない二人の二次創作CPが嫌いなので(作品主題から逸れてると思う)、人を勝手天邪鬼みたいにしないでください!

2020-06-29

でも読書感想文に救われたこももいるよ


私以外で作文書くことだけやけに先生に褒められてたやつおる?


最近急にタイムライン読書感想文に対するツイートをよく見るようになって

なんでだろうと思ってたら、ついさっきこれがおそらく話題大元になったツイートを見つけた。


https://twitter.com/nanngin/status/1276943146639749121


現役の教員の方の一連のツイートだ。

たまーーーーに国語の授業の「作者の気持ちを考えましょう」の無意味さを皮肉った話とかバズってるし

定期的に小学校国語教育の話は出てくるけど、読書感想文、よっぽどヘイト買ってるんだね。

私は小学生のころ読書感想文が大好きなこどもだった。だからちょっと不思議だ。


他の教科はてんで駄目な中で、人以上に好きなことが作文を書くことだった。

これは今この文章を見ている人ならわかると思うけど、私は特別文を書くのがうまかったわけでもない。

国語の点数も……私は漢字の形を覚えるのがとにかく苦手なこどもで、今考えれば私はディスレクシアなんだけど

何度事前に予習や復習をしても授業で習った範囲の二割くらいしか覚えられなかった(今でも得意ではない)

から国語の点数も低かったし成績が優秀だったわけでもない。

じゃあそんな中でなぜ好きになれたのかというと、

単純に私を受け持った先生小学校教育方針が徹底的に「褒めて伸ばす」方針をとっていたからだ。


何度も言うが私は特別文章を書くのがうまかったわけではない。

ただ、空想自分気持ちについて突き詰めて考えることは好きだった。

読書感想文においてもそれは同じで、本を読むこと以上に本を読んだあと、

自分はどう思ったか、読む前と読んだ後でどのような心情の変化があったか」考えるのが好きだった。

私が作文や読書感想文を嫌いにならなかったのは、先生が誰も作文での自己表現を一度だって咎めたことがなかったことが大きいように思う。

添削アドバイスをくれた先生はいたような気がするけれど……それでもあくまで私の文章もっと伝わりやすく、もっと良いものにしようという意思のものばかりで、最終的に私の伝えたいことや表現しているものが曲げられたりするような添削をする先生は一人だっていなかった。

先生の求めるようなことを器用に書けていたこどもだった記憶もない。題材や思想や内容に対するお咎め修正もなかった。

どんな作文や読書感想文を書いても、先生はみんな私の書いた文章ちゃんと読んでから褒めてくれた。

元ツイを見るとどうもそうでない?学校先生が多いのかもしれない印象を受ける。

実際のところそういうものなんでしょか。

読書感想文についても同じで、普段私が本を読むのはもっぱらマンガ図鑑絵本辞典の方が圧倒的に多かったので

物語」が他者の手によって選書されているのが新鮮でこういう機会でもないと読まないこどもだったので大変ありがたかったと、それについて生徒が三者三様自分意見を書く、という部分が楽しくて好きだった。

その本を自分が選んでいないのに読書感想文全国コンクール文章読むのも好きだったな。

映画や本のレビューサイトに書いたことがある人ならわかると思うんだけど、同じものを見た人でも全然意見が違うことへの面白さって確実にある。そしてその面白さは、まず自分がその作品を見て自分自身の意見を持っていないと感じることが難しい。

その楽しさを身につけられたのは今思えば読書感想文のおかげかもしれない。

(元ツイにあった「感想文集の売上が図書館担当先生たちの研究会出張費用になってる」ことは知らなかったけど、その研究会がこどもたちの図書館教育国語教育有用に使われているのなら、私は別に……というかそこに何の問題があるのかわからない。生徒に直接売上が行く方がいいということなら大賛成です)


ただ、みんな同じ教育を受けていたのならみんな私のように文章を書くのが好きだったり読書感想文嫌悪感を抱かずに済むように思えるけれど実際そうではなかった。

私がそう強く記憶してるのは、学校の何かの催しの時に、作文とそれをスピーチする生徒が必要で、立候補制だったがなかなか手が上がらず、その時私が引き受けた思い出があるからだ。

この時は作文を書くのと全校生徒の前でその内容をスピーチするのがセットだったので後者の部分が重荷になって誰も手をあげなかったのかもしれないけど、とにかく進んで誰も作文を書きたがらなかった。

「作文を書けば先生に褒めてもらえる(しかテストと違ってここは間違ってるとか言われたり減点されることがない)」という

文章を書くことに対しては全方向ハッピーな考え方をしていた当時の私は多少不思議だったけれど、いくら学校方針ツイートに挙げられたような堅苦しい自己表現としての作文を許さないような教育を受けていなくたって、

そもそも大半のこどもは「できることなら作文なんか書きたくない」のかもしれない。

から教育方法いくら変えたところで作文や読書感想文が苦手な子供一定数は減らないかもしれない、と少し思っている。

こどもはそもそも面倒なことなんて進んでやりたがらない。好きでもない限り。

文書くのは好きだったけど、そんな私でも原稿用紙何枚も書き上げると腕が疲れてじんじんした。それでも私は好きだった。

私は学校でも家庭でも褒められることが少ないこどもだったのと、たまたま書くことに対するハードルが低かったので

「書けば無条件に褒められる」作文や読書感想文がとにかく好きだったしそれに救われていた。


元のツイートにあった、

原稿用紙はこう使いなさい」「作文はこう書きなさい」という形式的指導子供読書感想文嫌いにさせてる?

っていう部分について、私はかつてのこどもとしてこれは必ずしも正しくないのではないかと思ってしまった。

本当に何度も言うけど私は特別文章を書くのが得意だったわけではない。

けれど、この「原稿用紙の使い方」や「作文の書き方」を小学校のうちに教わっていなければ、

私の文章の書き方はもっと見苦しいものになっていたと思う。

教え方に問題がある(それに従わなかった生徒に厳しく指導する)だけで、内容自体はとても重要ことなんじゃないか

これは教育としては非常に重要ことなのではと思ってしまうので、現役国語先生からこの言葉が出ることに

私はちょっと驚いている。

原稿用紙の使い方や作文の書き方というのは「そう書かなくちゃいけない」というものよりも

「ある程度のルールに沿って書いた方が、見る人は見やすいし、書き手の伝えたいこともより伝わりやすくなる」という

学校教育の中でいうと採点側のためにあるのではなく、生徒のためにあるものだと思っていたからだ。

これは私の小学校時代先生の、私の文章を見てくれるときの態度がずっとずっとこうだったから、という影響が大きいと思う。

でもこのツイ主の先生辟易した書き方からするに、きっと現場ではそうではないんでしょうね。

自由自己表現をする」ことと「文章表現としてある程度の形式を学びそれに従った作文をつくる」ことは矛盾しないと思うんだけど、この矛盾しない教育がきっと難しいんだろう。

私の小学校でできていたことがそんなに特殊だったようには思えないから、その学校方針先生個人の考え方にも左右されるとは思うんだけど……。

あと私が小学校卒業してからもう十年以上が経っているので今の学校教育ではなかなか同じようには出来ないかもしれない。


ただ、私みたいに作文や読書感想文で救われたこももいるにはいるのだ。

「みんな嫌いになる」ものとして普遍的槍玉に挙げられてるのを見ると、偶然私が幸福なこどもだったのか、それとも異常だったのか、よくわからなくなってくる。できるなら前者であってほしい。

私を幸せなこどもにしてくれた学校先生と、作文と読書感想文には今でもとても感謝しています

できることならこういうこどもが、一人でも多く存在できることを祈りたいです。

2020-05-30

リモワ歴も3年目のファッション

企業人間と働きたく無い、という理由だけで選んだ

今の仕事についてもうすぐ3年目。

仕事に慣れるにつれて、持ち物とファッション

変わっていった。


企業勤めの頃:かっちり、お堅め。スーツ制服

お局に目を付けられないように、きちんとした持ち物。

リモワ一年目:副業家庭教師バイト用に、シャツパンツが中心。

生徒のお母様対策


リモワ歴二年目:本業軌道に乗ったので、服は完全自由

それでもビデオ会議の時は、いつもシャツスタイル

他のみんながすっぴんTシャツでも、何となく落ち着かずういてたかも。

リモワ歴もうすぐ三年目:基本キレイカジュアルモノトーン

骨格診断、パーソナルカラー、顔タイプ診断を受けてから

【ウインターストレートクール】という、三者三様クール雰囲気という

自分個性を思い知らされ、モノトーン服が一気に増える。

そして、その頃から人に服を褒められることが増えた。


本当はスーツとかが一番似合うらしいけど、仕事柄一切不要なので

キレイカジュアルに落ち着いた。


職場人間関係にズーーーっと悩んできて、

少しでも感じよく見せようと、温かみのある暖色系の女らしい

服装で私なりに武装してたけど、逆効果だったんだよね。


大きな切れ長目が怖いと思われそうで、メイク

垂れ目風にしたり、優しげに振る舞ってみたり。


本来性格も元々ハッキリしてたのに、おとなしそうに振る舞ってみたり。

あ、去年まで婚活してて、余計可愛い系によせようと頑張って

空回りしてたしなあ。

今、リモワ職場の人とはオンラインしか繋がらないし、

それ以外は好きな人ペットたちとしか付き合ってないから、

すごく素のままでいられる。

各種診断を受けて客観的自分イメージを受け止めて

自分個性を活かすようになってから、周りからの評判も良くなった。


前の職場で、こんなとんがった服装してたら、浮いてたろうけど

今はそれが無い。

カーディガンに白ブラウスがたくさんいたコンサバ職場だったから。。


婚活も辞めたら、ほんと楽になった。

男ウケしない服装なのも知ってるけど、似合わない服を着て

愛想笑いする活動に心底うんざりたから。

そして、やってみて自分結婚願望がないことに気がついたし。

今の自分が好きだ。

自分個性を認めて、自由な服が着れる。

制服を着ることは楽だから嫌いじゃなかったけど、擬態のために

自分らしく無い服を自分で選んできてた頃はしんどかったな。。。

自分らしさって大事

2020-05-18

Twitterをやめて初めて鋼の錬金術師の結末が腑に落ちた同人字書きの話

自己陶酔長文

同人界隈のくだらない話です

ハガレンあくま個人的感想、感慨、そういうものの中で引き合いに出しただけです。こじつけというか、たまたまこういうものの中で自分がしっくりくるのがハガレンだっただけです、うまく言えないのですが。ハガレンが好きな方は閲覧気をつけてください。

※以降、鋼の錬金術師の重大なネタバレを含みます

鋼の錬金術師」という有名な漫画がある。鋼の義肢を持つ兄のエドワード・エルリック通称エド)と、鎧姿の弟、アルフォンス・エルリック通称アル)が、「真理」(神様的な存在)に奪われた自身の体を取り戻すための旅をする中で賢者の石をめぐる壮大な陰謀に巻き込まれていくダークファンタジーである

私はこの漫画が大好きなのだが、一つだけ「あんまり気に入らないなあ」という展開があった。それは、物語最後主人公エドがアルを取り戻すためにとった手段のことである

そもそもなぜ兄弟は体を奪われていたのかというと、死んだ母親を蘇らそうとして人体錬成を試みた結果、錬金術の「等価交換」の法則により、代わりに自分たちの肉体を奪われてしまたからだった。二人の肉体を取り戻すには万能のエネルギーである賢者の石」が必要だったのだが、エドとアルは賢者の石が生きた人間材料にして作られていることを知ってしまう。

経緯をまるっと端折るのだが、結局物語の終盤、エド賢者の石を使わずに二人の肉体を取り戻す方法気づき、実行する。エドの決意に、「真理」は「正解だ」と言って笑う。

エドが全てを取り戻すために差し出したのは、エド錬金術を使う能力のものだった。

私はその展開に正直もやっとしていた。

鋼の錬金術師」の見どころの一つは、エドが繰り広げる巧みな錬金術の数々だったからだ。それに、「最年少国家錬金術師」という厳つい肩書きや手を合わせるだけでどんどん色々なものを作り、意のままに動かすバトル、錬金術知識を使い炭素硬化の能力を使う敵をもろい消し炭に変えてしまう展開……。錬金術エドというキャラクターアイデンティティだった。

実のところ、錬金術のような便利なものに頼らず額に汗して自力で生きろという作者のメッセージは作中で示唆されてはいた。エド師匠のイズミは凄腕錬金術であるにも関わらず、「錬金術に頼っちゃいけない」と言って近所の子供の壊れたおもちゃを手作業で直す。そしてエド最終回、「錬金術がなくてもみんながいるさ」と、金槌を手に清々しい笑みを浮かべる。

だが、やはり読者からすると、「それでいいの⁉︎エドあんたすごかったのに」と思わざるを得なかった。

しかし今、Twitterをやめたことで、エドの清々しい笑みの理由がわかるようになった気がしたのだ。

前置きが長くなってしまった。

私は同人の字書きであるTwitterpixiv二次創作小説をアップするとそこそこバズるジャンルではまあまあ人気の字書きだ。

小説を書くのが好きなぼっちオタクの私にとってTwitterは、ジャンル情報推しの素敵な二次創作、実社会ニューストレンドリアルタイムでたくさんチェックすることができる大切な情報ツールであると同時に同人友達を見つける出会いの場であり、萌え語りができるコミュニケーションツールであり、どのような傾向の話を書けば芳しい反応が返ってくるのがすぐにテストできる巨大な実験場であり、お手軽に承認欲求を満たしてくれる蜂蜜の壺のようなものでもあった。

しかし、同人界隈でTwitterをやっていると、疲れることもたくさん出てくる。人間関係承認欲求ジャンル学級会。三者三様に歪められたキャラ二次創作がどっと流れてくるタイムラインに疲れ、私は果たしてこのキャラを本当に好きなのだろうか?それともみんなで口をそろえて「〇〇ちゃんえっち」とか「可愛い」とか「エモい」とか言わなければいけないような集団意識のせいで好きだと思い込んでいるだけなのだろうか?と悩むこともあった。Twitterキャラグッズを次々と大人買いする人々や、論理が通っているのかよくわからない考察ツイートを見るたび、胸焼けするようになってきた。創作でも、いわゆる「互助会」に組み入れられるのが重荷になってきた。

それでも、同人SNSが私の生活の中心にあり、そこでの中堅字書きという立ち位置が数年の間私のアイデンティティだったから、Twitterをやめられなかった。情報を追えなくなったり、忘れられたりするのが怖かった。

(一応リア友もいないわけではないけど、就職を機に皆地方に散ってしまってあまり会えないし、しょっちゅうはやりとりしないため「居場所」感はあまりなかった)

冴えないぼっち日常生活を送る私の唯一のきらきらしい社交場が失われることへの不安から、私はTwitterを続けていた。

だけど、限界が来た。

きっかけは、私が、おそらくリモート飲み会で、ジャンルの顔的な人の不興をかったことだった。このことについては何を言っても主観になってしまうのでうまく説明できない。特別粗相をしたつもりはなかった。ただ、今まで仲良くしてくれていたその人が、飲み会を境に急に全く絡んでくれなくなったので、何かしてしまったのかな天…と思った、というところだ(他の飲み会メンバーからハブられてはいなかったけれど、わざわざ「私なんかやらかしました?」なんて鬱陶しがられる自意識過剰質問しづらかった)。強いて言えば最初、私のスマホ電波があまり良くなくてもたついたせいで若干場を乱してしまったとか、その人が話しているとき一度トイレに立ったとか、そういうことはあった。もしかしたらとんでもない粗相無意識のうちにしていたのかもしれないし、あるいは全く別の理由かもしれない。

とにかく、その人が絡んでくれなくなった瞬間、その人の取り巻き的な人たちがほとんど反応してくれなくなったのだ。

Twitter彼女たちがワイワイ盛り上がっているのがやたらと目についた。彼女たちの創作をヨイショすれば機嫌を直してくれるかもしれないけれど、不純な動機同人を利用するのはもう嫌だと思っている自分がいた。

私は、何をすればいいのかよく分からなくなってしまった。彼女たちより有名な字書きになって見返してやろうと憤ったり、自分を責めたりと、このご時世において生活に困っていない恵まれた身でありながらバカみたいな理由メンタルがぐちゃぐちゃになった。ジャンルの顔的な人や、それに媚びている取り巻きたちのかい推しを目にするたび、推しのものが嫌いになり始めている自分がいた。

(また、同人界隈がきっかけになって仲良くなり、LINEを交換して旅行などにも行った人たちがジャンル移動していたため、TwitterでやりとりすることがほぼなくなったというのもTwitterをやめるきっかけの一つでした)

楽しいこと、心が慰められることよりも、つらいことの方が上回っていると気づいたとき、やめようと思った。

そして私は、ずっと私の生活の中心にあった同人アカウントを消した。消す前から、このご時世における自分の悩みの卑小さ、不毛さには気づいていたが、消して改めて、自分が長い間スマホの中の小さな世界を首を縮めてのぞきこむばかりで、顔を上げてきちんといろいろなものの広がる世界を見ていなかったのだと気がついた。

思えば、どこかに観光に行っても、何を食べても、Twitter投稿することばかり考えていた。何を書けばウケるかとか、通知の数とか、そんなことで頭がいっぱいだった。いつのまにか自分自身で、同人アカウントしか場所がない状況を作っていた。

世界の命運や肉親の志を背負って闘うエドと、ただの同人字書きの私では月とすっぽんよりさらにかけ離れており、同じ括りで語るのはおこがましいこと限りないということは分かっている。

しかし、そのとき私は確かにエド最終回での清々しい笑みの理由がわかった気がしたのだ。

エドは、錬金術能力を手放すとき、「思えばずいぶん踊らされたよな」と口にした。錬金術師として活躍したエドは、しかし、錬金術母親を蘇らそうとして大切な家族を奪われ、錬金術を使い倫理にもとる悪事をはたらく者たちを数多く見てきてもいた。錬金術は、壊した物を直すこともできるし、武器にもなる、一見万能な術だ。しかし死んだ人間を蘇らせることはできないし、錬金術頼みでは解決できないこともたくさんある。

Twitterも同じである日常のあらゆる情報リアルタイムで発信する。Twitterを使えば全世界の人々と繋がれる。しかし、日常に入り込むそれらは、同時に、日常を強大な「それ」(錬金術/Twitter)なしではいられなくさせてしまう。「それ」を利用しているはずの私たちは、いつのまにか「それ」越しでしか世界を見られなくなってしまう。

錬金術しろTwitterしろ、便利ですごいものは良くも悪くも影響力が大きくて、世界もの見方を変えてしまう。それに振り回され、人間の作った枠組みの中でおだてられて自分はすごい人間なのだと慢心し、甘い汁を吸ったかと思えば虚しい思いもする、そんな力の渦から脱却したから、エド最後、笑ったのだと思う。

Twitterを退会し、同人交流をやめてできた時間の中でやりたいことは意外と早く見つかった。小説映画など色々なものに触れてみたい。資格を取ってキャリアアップしたい。今は難しいが、時勢が安定したら小説カルチャースクールに通いたい。どうにかして、ネット頼みでなく新たな交友関係を築けるよう模索していきたい。

たぶん、徐々にTwitterをやめたことに対する寂しさや後悔は増していくのだろう。それでも、私のなりたい未来の姿は小さな世界局所的人気者ではないから、寂しさを糧にしてふんばりたいなと思っている。

最後に。

鋼の錬金術師は最高だからみんな読もう。

2019-09-11

ヒプマイのライビュに行った

いろいろなことがありうるさい場所に行きたい(※自分は騒ぐタイプではないが他人が声を出しているところを見るとストレスが和らぐ)と思い調べたらヒプノシスマイクライブがあるとのこと。普段ヒップホップってMCハマーとかRun-D.M.C.とかそういうのしか聞かないけど行ってみるかあと思い行ってきました。土曜日仕事があったので日曜日の公演。

今までアイマスのライビュしか行ったことがない上、ヒプマイに関しては曲も殆ど知らない状態だったので、とりあえず立って眺めているだけみたいな感じになってしまい周りの方々に申し訳ない気持ちに。次は色々覚えていくので許してください。

アイマスライブだとキャスト紹介とかコメント時間を長く取っている印象が強いけど、ヒプマイのライブキャスト紹介やコメント必要最低限で、そこに違いを感じた。

見に行った日はBATTLE曲?の日だったらしく、とにかくアツかった(ステージ演出で火が出ていた)。あとタコ神様

ほかのコンテンツとの大きな違いはゲスト存在。言わば"本職"の方々がパフォーマンスするということで、どんな感じになるんだ…?と思ったが、ヒプマイの曲と同じくらい盛り上がってて(なぜか自分が)ホッとした。

色々面白い(?)・エモい・すごいポイントがあったので感じたことを少しだけ書いておきます。(順不同)

・会場での注意?みたいなのまでラップ。すごい耳に入ってくる。

中央区女性たちの「わかったかあ!」みたいな感じの問いかけについて「はい!」と応えるファンたち

・どついたれ本舗を聞くたびにみんなふふってなっちゃ

タコ神さま

・Stellaエモかった。買った。

・生バンドすごい

・THE CHAMPIONのとき独歩めっちゃ飛んでなかった?

・曲の中にコーレスが多いイケブクロ

ヨコハマは動かない

・シブヤは三者三様

シンジュクは先生若い二人が支える?みたいな役割ができている

シブヤ推します

2019-04-12

anond:20190411231646

コメントつくと思わなかった。

ありがとうございます

三者三様だったし(特に一件目!そりゃねえよ!!笑)、ここを見てるかわからないけど。

自分の方の力を抜いて、愛おしいと思える人に出会えたらいいな。

もうちょっと頑張ってみるね。ありがとう

2018-12-17

ドラゴンボール超 ブロリー ネタバレ感想

作品最後の話までネタバレしてるので注意。


すばらしかった。

もちろん多少の賛否はあるだろうけど、日本アクション超大作は名実共にアニメ映画になったのだと確信しました。

100分の上映時間の内、前半でサイヤ人達のストーリーの掘り下げが行われて、その後におそらく40分以上も戦闘シーンが延々と続く。

戦闘シーンはあまりにもひたすら続くので人によっては集中力が切れるかもしれない。しかし、超ハイクオリティなバトルシーンはすさまじい出来だった。

この映画体験マーベル映画にも負けていないと自信を持って言える。

プロレス興行系の格闘技試合のように背景BGMチャントブローリー!!!とかゴジータゴジータ!とか)が流れるのも面白い演出だった(笑) すこし気になってる人もいるようだけど。


ストーリー自体シンプルでわかりやすい。

しかし話のテーマ自体最近時代の流れをきちんとつかんでおり、鳥山明真骨頂を見た感じだ。鳥山明は元々映画好きでドラゴンボール香港映画カンフーとかターミネーターから着想を得たような話がある。

まりグローバルな流れの中の映画の潮流をわりと掴んでいるように見える。

その中で鳥山が選んだ今回の話のテーマ

サイヤ人アイデンティティ肯定

だ。

これはすばらしい選択だったと思う。

今年最大のヒット作の一つ、ブラックパンサー批評する際に

アメリカ黒人アフリカアイデンティティ肯定という点について言及していた人もいたと思う。

その流れを見事に掴んでいる。

同じ年にこのテーマ選択できたのは凄い。脚本を考えた時はまだ公開されていなかったはずだ。


原作におけるサイヤ人は非常に冷酷で戦闘的であまり我々地球人肯定できるキャラクターとしては登場してこなかった。

どちらかというと酷いキャラとして描かれてきたように思える。

しかし、今回のドラゴンボールサイヤ人をより深堀し、その解釈否定する。

フリーザやコルド大王に付き従うしかなかったサイヤ人ベジータ王。

まりに高い戦闘力を危惧され追放されたブロリー及びパラガス。

そして、罪滅ぼしのようにゴクウ地球避難させるバーダック

三者三様ではあったが非常に人間臭い描写散見された。

以前「なぜ黒人ドラゴンボールに嵌るのか」という記事があった。

そこでは移民であるゴクウが大活躍したり、異文化になじめないベジータ葛藤など移民共通する悩みが描かれていたからだという理由があげられていた。

今作ではその点を更に深堀している。

ただ単純に戦闘力が強いだけの民族ではないのだと。

映画全体をこのテーマが芯として支えている。

フリーザブルマちょっとしたギャグシーンは今回も健在であったがこの裏のテーマがあるおかげで気にならないのだ。

素直に単なるギャグシーンだと受け取ることが出来る。

ここにこの映画の凄みがある。


特に最後ゴクウセリフ象徴的だ。

あん・・・名前は?」

と聞かれてゴクウはこう答える

孫悟空。それと・・・カカロット


ついにゴクウサイヤ人としてのアイデンティティ肯定したのだというメッセージだ。

サイヤ人がただ単にマッチョ冷酷非情なだけではないのだと、我々と同じ人間であるのだと。

どこまで鳥山明が考えたのかはわからないがこのタイミングでこのテーマ天才的だ。

アメリカでもまず間違いなく受けるだろうと確信したのはこの最後の瞬間だった。


まりにも長すぎる戦闘シーンなど人によってあわない部分はあると思う。

フリーザーのドラゴンボールの願い事などのギャグシーンもシリアスさを求める人には不評だろう。

しかし、今回はそれをおぎなってあまりあるアクション超大作であり娯楽作であった。

監督インタビュー等を見ても親子で見れる作品を目指しているのは見て取れる。今までは子供向けに振り切りすぎていた感触もあったが、今作のバランスは神がかっていた。

アクション物が好きな人にはまず間違いなくお勧めできる映画であった。

2018-03-17

うんこドローンの組み合わせは悪すぎる

ドローン操縦士仕事をしてる。

この仕事、まだ新しい分野でもあるので撮影方法三者三様自分場合は人を雇えるほどまでは行ってないので基本、撮影は1人で入る。

撮影場所は色々だけど、誰も来ないような山の中が多い。

そして山の中はトイレがない。これがキツイ土木工事などは山の中と言えど、必ず簡易トイレを併設するが自分はそんなことはできない。

今日、僕は景気付けに二郎系ラーメンを昼に取り、山の中へ撮影へでかけた。

道中、そろそろどこにもトイレがないぞというところでお腹ちょっとした違和感を覚えた。油マシマシか。油マシマシがマズかったか

ここで折り返すか、そのまま突き進むか。僕は突き進んだ。

誰も来ない山の中へ入り、お腹に多少の違和感を覚えながらドローンを飛ばす。いい景色、いいアングル。最高だ。これはお客さんに喜んでもらえるぞ。

そう思った瞬間、僕のお腹おかしくなった。

まずい。撮影を続けるか、どうするか?

撮影を続けた。震える手、ブレるカメラワーク

いよいよやばい

ドローンを急いで戻し、バックパックにつめる。かがんだ瞬間下半身になにかを感じた様な気がした。

バックパックを背負い、車に向かう。車まで遠すぎる。仮に車に乗っても最低1時間トイレのある場所までかかってしまう。

人工トイレで快適にうんこがしたいという理性と、今ここでやっちまおう。紙なんてどうとでもなるさ、という本能の戦い。

はいま、この日記電波ほとんど入らない山の中でかいている。

2018-01-07

[]

今回は少年ジャンプ+

ファイアパンチ 83話

ああ、終わった。

本作のテーマを大まかに語るなら、“役割”や“虚構”みたいな話になると思う。

当初期待されていたような、悲しき宿命を背負ったヒーローの活劇ものでは決してない。

しろそういったもの虚構とし、その偶像翻弄され、各々の役割に苦悩しつつも時に順応し、時に戦い生きようとする者たちの群像劇みたいな感じ。

話は二転三転しつつも、実はこのテーマ自体はちゃんと一貫していたりする。

最後サンルナの邂逅だって、二人は本来サンルナではないわけだからね。

そういったテーマや作者の伝えたいであろうことを踏まえたうえで、私が本作を面白かったと思っているかというと……うーん。

展開は行き当たりばったりのように感じるけれども、連載当初の作者のインタビューから解釈する限り、大まかなプロットは決まっていたっぽいんだよね。

それであの始末なのだとすると、構成力不足か読者との意識のズレがあるのかなあと思う。

端的に評するなら、頭でっかち作品だったね。

私もよく感想書いていたから、少なくともある程度は本作を評価していたのは間違いないんだけれども、喉に小骨が刺さっているような気分だ。

いや、「不完全燃焼」と表現したほうが良いか

I WILL ROCK YOU

主人公部活に誘われて、最初のうちは渋るものの最終的に入部する、まあ紋切り型

はいっても紋切り型が悪いわけではなくて、大事なのはその型に何を入れるかだからね。

その点で「書道」などといった選ばれにくい題材をチョイスしたのは妥当判断だと思う。

難点は主人公の苦悩が陳腐で、思春期特有漠然とした虚無感の延長線上でしかない点かな。

から身内の死という要素を付け足して、その動機希薄性を緩和しているわけだけれども、そのせいでかえって主人公の苦悩が身内の死のせいなのか若者陳腐な万能感からなのか有耶無耶になっている。

そもそも芸術的な話って、一般人から見て「何がどうすごいのか」についてアカデミックな解答がないと共感しにくい。

その状態で、肝心の「なぜ書道なのか」について観念的なことばかり並べられても、結果として雰囲気だけで描いているという印象から抜け出せない。

まあ一番悪いのは謳い文句書いた人だよね。

「衝撃作」とか謳っておいてこれといったインパクトがないんだから肩透かし食らう。

伝説のスケーター☆ノリ

キャラクターの描き方が上手いなあって印象。

主役はタイトルにもなっているノリなんだけれども、言動の突飛さと激しいスケート(?)シーンを同時進行で見せることによって、「変人だけどすごい」という説得力が増す。

コメディギャグ漫画でも、絵の説得力って大事だなあと改めて実感した。

まあノリの造形はあんまり好みではないけれども、見せたいものが伝わっている時点でデザインとしては成功だと思う。

青のフラッグ 23

それぞれが「友愛か、恋愛か」みたいなことで悩んでいるんだけれども、これが三者三様であることを改めて見せてくれたなあっていう。

他の主要人物が一応の答えを出して立ち回ろうとしているのに対し、二葉場合はそこら辺が漠然としている状態

YESしろNOにしろ相応の立ち回りをするべきなのに、二葉消極的性格あいまって上手くできない。

それが前半の、二葉の将来に対する煮え切らなさと本質的な部分では重なっているわけだね。

学生たちが進路について考え始める時期に設定したのは、話がゴチャつくか空気設定になる可能性もあったけれども、なんか上手いこと繋げていくなあ。

アンドロイドも夢をみる

まあ、タイトルからしアンドロイド人格に焦点を当てた作品であることは明らかだから、話は最初からスッと入っていく。

SF要素や哲学的な話は希薄で、矛盾はしていないように見えるけれども陳腐だとは感じる。

ただ小難しい理屈を並べていないので読みやすくはある。

そもそも主題は「過去に辛い経験のある二人が、共に前向きに生きることを決意する」といった話だろうから、まあ作りはこれでも良いと思う。

期待していたものとは違うけれども、ストーリーと紡がれるドラマ自体は割と嫌いじゃないよ。

磯部磯兵衛物語〜浮世はつらいよ〜 特別番外編 拙者はサラリーマン

週刊ジャンプで連載されてたのに、コミックス発売記念の漫画ジャンプ+でやるのかっていう印象はあるけれども、まあ本誌でもジャンプ+の宣伝はよくするからかいこと気にしたって仕方ないか

この手の転移モノの話で未来に飛びたがるってのが逆に珍しい気がする。

現代だと、むしろ文明異世界とかのほうがポピュラーイメージがあるし、磯兵衛が過去に飛んで原住民相手知識をひけらかしてドヤ顔するほうが“らしい”気もしたから。

でも、ここで「未来のほうが楽ができる」っていう発想は確かに“らしい”。

それに転移ものとしては最低限のツボは抑えていて、ジェネレーションギャップ(?)や、順応しようとする描写、肝心なところは大体「母上」というチート解決っていうのも(笑)

はいえ新鮮味は薄く、周りの登場人物が明らかに子孫で実質同一人物なので、現代舞台にしつつも空気感はいつも通りだね(まあ、本作はもとから現代の話がちょくちょく入り込むことが多かったけれども)。

最後に磯兵衛はちょっとした成果を出すけれども、いわゆる枯れた技術の水平思考になっているのはちょっと感心した。

近年の異世界転生・転移ものマンガ読んでいる私からすると、現代文明を旧文明世界で活かすパターンが多かったから、その逆パターンポピュラーになってもいいよねと思った。

オーバーキラーギコくん

子供主人公にして過激なことやらせるってのは、まあ鉄板といえば鉄板

主人公であるギコの序盤のアクションケレン味が強く、まああんまりマジになって見るべきものじゃないことはすぐに伝わる。

ギコの人格成熟させるのではなく、あくまで年齢相応に設定したのは良かったと思う。

アクションとのギャップメリハリが出るし、分かりやすい未熟さはキャラクターとしては魅力にもなりうる。

反面、プロットは前時代的な勧善懲悪ものしかなっていないのは残念。

悪役のキャラクター像は安直、展開は強引。

結果としてはギコの一方的勝利で終わるので、バトルシーンは総じて面白みが薄い。

例えるなら、小学生向けの漫画誌で描いていた作家ちょっと過激描写に挑戦してみたものの、その頃のクセが抜けていない作風っていう感じ。

リンクス

ボクシングを題材にはしてあるものの、スポーツものというよりは青春ものって感じ。

ほとんどモノローグ調で語られる主人公セリフと、反して明朗快活なヒロイン

だが本質的には同じ苦悩を抱えており、互いが想いを分かち合おうとすることでトラウマを払拭するという構成は良いと思う。

気になるのは、主人公の設定がボクシングシーンと噛み合っていないというか、分かりにくいところかな。

今までは防衛本能で殴っていたけど、共有できる仲間がいることを自覚したので冷静になれた、みたいな感じに解釈したけれども。

部活モノとして表面的に見るならば、今回感想書いた『I WILL ROCK YOU』と似ているんだけれども、テーマによって印象は大分変わるね。

2017-11-12

幻想芸術集団Les Miroirs公演『アルラウネの滴り -改訂版-』

ダス! イスト! デア! トロプフェン! デス! アルラウネ!

アイネ! クライネ! ナハト! フランケンシュタイン

イッヒ! リーベ! ナツィオナル! ソシアリスティッシェあわわわわわ! この辺で。

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“幻想芸術集団 Les Miroirs(レ・ミロワール)” という豪快な源氏名を名乗っているが、つまりは都内の小劇団だ。

んーむ、どういうことなんだろ、また芝居を観に来てしまった。

これまでの人生で演劇なんて片手の指にあまるくらいしか行ったことないのに。

ひょんなことから、とある小劇団の芝居に行ったのが先月。

劇場でダバっと大量のフライヤー(チラシ)を渡されるので、眺めているうちに妙に気になって今回はこの劇団の演目『アルラウネの滴り -改訂版-』を観に行ってきた。

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観劇後の印象がなかなか良くて、それで妙に語りたくなったので記録の意味でレビューを残しておくことにする。

当方、舞台観劇はズブの素人なので、マニアから見たら噴飯モノの印象がバンバン飛び出すことと思われるが、そこはヌルく見逃してほしい。

あと、上演も終わっていることだし、ネタバレ上等で書くので、そこは4649!

それでは、行ってみよー!

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■全体として

先入観が無かったといえばウソになるわけで。

幻想芸術集団という大迎なプレフィックス

おフランス語の劇団名でミロワール(鏡たち)というのは、つまりキャスト達のことだろう。

豪奢な近世ヨーロッパ風衣装。

小洒落たサロンで撮った宣材写真

キレイどころの若い女性を中心に固めたキャスト

中央には男装の麗人

「これはきっと、『ベルばら』風にお嬢様たちがキラッキラにやりたいことだけをやりたおした豪華絢爛、欧州絵巻だろうな」と。

それで、「どれ、どれだけ背中とオシリが痒くなるか、いっちょ見てやろう」くらいの気持ちで足を運んだのだが。

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これが。

開始10分で背筋を伸ばして、

脳を総動員して、

つまりは本気でストーリーを追いかけることになった。

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近世ドイツを舞台にしたバリバリに骨太なサスペンススリラーになってる。

そりゃそうだよな。

単なるキラキラ少女漫画ワールドだけで、旗揚げから10年以上も劇団が存続できるワケないもんな。

幻想的な要素は “アルラウネ(マンドラゴラ)の美女を集めた娼館” というキー・ガジェット一点のみ。

あとは細部まできっちりと整合したダークなクライムストーリーで。

(このへん、『スリーピー・ホロウ』(ティム・バートン)に通じるものがあるな。

 あれも超現実はデュラハン首無し騎士)の一点だけで、あとはストレートな推理モノだった)

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そして、今さらながら。

自分がなんで演劇を面白いと感じるか、分かった。

ミニチュアジオラマを見ているのと同じだ。

右から左から、見ても見ても、どこまで見ても情報量が尽きることがない。

これはフレームで切り取られた映画にはない楽しみであって。

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この舞台にしても。

ブリンケン伯爵が実に俗物らしくロゼマリー嬢を相手に大笑しているときに、うしろでフローラ嫌悪感をまる出しにしていたり。

カスパルが客前で気取った口上を並べているときに、後ろでオリヴィアペトラクスクス笑っていたり。

ふとカスパルが来歴をほのめかすときに、バックでアルマアラベスクをキメていたり。

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どこに視線を固定しても、漏れる情報がある。

これが脳にすごい負担がかかる。

決して不快ではない負担が。

これが自分的な芝居の楽しみだと、劇場を出るときに気がついた。

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作劇について、もうちょっと書くと。

衣装がキラッキラなのは舞台が娼家だからであって、ここを誤解していた。

実際の登場人物はというと、全員が第三身分。

(脇役の伯爵、伯爵夫人、王様の3人をのぞく

それも、ドラマにしやすい貧民でもなければブルジョアでもなく、中間層知識人というのがニクい。

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そしてデカダンス

スパイス程度の頽廃なんてもんじゃない。超頽廃。超デカダンス

なにせ純愛がまったく出てこない。

娼館。

仮面夫婦

父を求めて得られなかった少年は長じて若いツバメ(愛人)となる。

例外はアルマカスパル気持ちが通じるところ、それにヘタレ青年が主人公に想いを寄せるところだが、どちらも一方通行に近い。

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さらに設定考証がすげぇ。

神聖ローマ帝国時代のバイエルンの片隅にある架空の歓楽街、というか売春窟を中心に時代と風俗をガチガチに作り込んである。

おそらく、俺の気が付かないところもガチガチだろう。

唯一、気になったのは

「あれ、ドイツ語圏ならネーデルランドじゃなくてニーダーランドじゃね?」

ってところくらいで、これも観客のアタマへの入りやすさを選択した結果だろう。

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うん。正直に言うと、作り込みすぎじゃね? っていうところもあった。

具体的に言うと、ダイアログが文語中心で、若干だけど苦しい。

当方、語彙力にはそこそこ自信があるオッサンだが、それでも、

「じい(侍医)」とか、

「せんていこう(選帝侯)」とか、

会話をトレースして理解するのにアタマを総動員する必要があった。

かと言ってなぁ。

そこを「侍医」→「お付きの医者」とか、「選帝侯」→「偉大なる領主さま」とか言いかえるとテイストがどんどんボヤけるしなぁ。

時代のフレーバーとして、いたしかたなしか。

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ほかにも上に書いた「若いツバメ」とか、娼館ではロウソクがタイムチャージに使われていたりとか。

ともかく文学的で含みのある表現を多用していて、ターゲット年齢が高いか、あるいはマニアックな層か、ともあれコレくらいのレベル普通なのかな?

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あと、要求水準の高い批判をすると。

階級社会不条理に対する怒り” というのを冒頭に打ち出した割には、通底するというほど通底していない。

21世紀の今から見て付け足した感じ。

フレーム全体の仇役としてエーヴェルス先生を立てて、カール殿下の誅殺を5分のエピローグとしてサラっと流したので余計にそんな感じがする。

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もう1つ細かいことを言うと、カスパルとエーヴェルス先生がクライマックスに対峙するまでハチあわせしないのは、苦しくないか?

それを言うのはヤボというものか。

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ま、ともかく。

全体として、チケット代以上に大いに楽しみ、没入し、満足した。

見て損はなかった。

ほかの演目については保証しかねるけど、再演のときには是非とも足を運んでみてください。(繰り返すけど、俺は関係者じゃないよ)

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以下は、キャストと演出について

※普段は「役者は顔じゃない」というのがポリシーなんだけど、ここまでビジュアルにこだわった劇団と演目に対しては、しゃーない、キャストビジュアルについても言及させてもらいます。あしからずぅ。

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■男優3人

劇団と演目を全体として俯瞰すれば。

耽美で退廃的なテイスト

きらびやかな衣装と意匠。

おそらく女性中心の運営で女性中心の企画立案で女性中心のキャスティングをしている集団だと推察するけど。

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自分にウソはつけない。正直に言う。

観劇後の印象は男優三人組が大部分かっさらって行った。

全員が客演。

おそらく、3人が3人とも、キャスティング担当者が選びに選んで一本釣りで連れてきたのだろう、と、思う。

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 エーヴェルス先生の狂気、

 フランツの怯懦と勇気、

 ブリンケン伯爵の俗物さ。

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多分それは、つまりこういうことだろう。

女性陣、主人公2トップをふくめ、大部分のキャラクターは何らかの葛藤や二面性を抱えていて、心理に微妙な綾があるのに対して、男性陣3人は完全にバイプレイヤーとしてストーリーの進行装置以上のキャラクターが割り振られていない。

あとはそれを渾身のパワーで演じれば良いだけで、結果としてものすごい強烈でシンプルな印象をこっちに叩きつけてくることになる。

これが観劇初心者の俺みたいな人種にはビンビン来るのよ。

ある意味三者三様にヨゴレで良い役をもらってるとも言えるわけで。

こればっかりは、しょうがない。

こういう観客もいるということで、ひとつ

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■高山タツヤ(エーヴェルス先生)

いやしかし、悪役ってオイシイよな。

自分的には今回の演目でこの人がNo.1。

最初はシャーロック・ホームズ的な近代合理精神の尖兵として事件に切り込んでいくのかと思いきや。

途中からどんどんマッドサイエンティストの素顔が出てきて、終盤すべての黒幕という正体が明らかになって、最後はムスカ大佐みたいに天誅がくだる。

宣伝スチルでは “生に倦み疲れた貴族” みたいな立ち位置かなーと思っていたら、もっとパワフルだった。

理性的で狂人、策謀家で紳士、もうテンコ盛り。

唯一の難としては、演技とキャラクター作りが設定より若干、若く感じた。

そのせいでカスパルとの対比が弱い。

しかし、それにしても、実験体のときにカスパル13歳、エーヴェルス24歳。

最後に対峙した時点でカスパル31歳、エーヴェルス42歳か。

これまた描写の難しい年齢差を持ってきたな、とは思う。

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■谷英樹(フランツ

普段は剣戟主体のアクション俳優さんらしい。もったいない(と言ったら失礼か)。

ねぇねぇ、性格俳優やりましょーよ。

できますって絶対。実際できてたし。

高い鼻筋、シュッとした輪郭ともあいまってヨーロッパダメダメ青年を完全に演じきっていた。

迷い、失敗し、バカにされ、それでもフローラへの思い一徹。

というか、この劇中、唯一の未熟者役で、これは配役としてよいポジション

.

■杉山洋介(ブリンケン伯爵)

たぶん、この人はただの色ボケ爺ぃじゃないよ。

宮廷の権謀術数

複雑な典礼プロトコルの知悉、

家門の切り盛り。

そういったシンドイ大事や雑事を乗り越えて、やっとこさトレッフェン通りで馴染みの嬢を片手に思いっきりハジけているところに腹上死。

涙を禁じえません。

そういう想像が働くところが、杉山氏のキャラクター作りのなせる技かと。

いや、たんなる家門だよりのアーパー伯爵っていう設定かもしれないけどさ。

ともかく、そんな感じがした。

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■武川美聡(オリヴィア)・小川麻里奈(ペトラ

ストーリーも半ばを過ぎたところで、ハタと気がついた。

カスパルフローラが客から評価をもぎとってくるフォワードだとしたら、オリヴィアペトラ役のこの2人が失点を防ぐディフェンダーなのね」

アルラウネだけじゃない、葬儀の席のゴシップ婦人、伯爵家の侍女と、早着替えをしながら、縦横無尽に八面六臂。

よほどの高能力者じゃないと、こうはいかない。

逆に言えば。

ストーリースケールに比してジャスト10人という少数精鋭のセッションで。

もしもこの2人が「私たちモブよ、モブよ、モブなのよ~」と手を抜いたり段取りが悪かったりしたら?

それこそ目も当てられないほど悲惨なことになるのは想像できる。

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この芝居を観た人がいたら聞きたいのだが。

ストーリー展開のつなぎが悪かったところがあったか?

会話のリズムと展開がギクシャクしたところがあったか?

状況の説明が足りないと感じたところがあったか?

少なくとも、俺にとっては無かった。

これ全部、彼女たちの仕事であって。

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こうも言える。

「観客を40人と仮定して、80個の目玉とその批評眼の猛攻を、2時間近くの上演中、ゼロ失点でしのぎきった」と。

しかも、それだけじゃない。

「それじゃ、ここはカスパルを見ていよう」と視線を切ったままにしておくと、いつの間にか “弱気なオリヴィア” と “地味に辛辣なペトラ” がシャドーストライカーとしてヌッっと認知の前景に割り込んでくるから油断がならない。

専属キャストスポットを浴びて歌い踊る後ろで、 “舞台成立請負人” として劇団を渡り歩くって、ックーッ! シビれるっすねぇ(想像のしすぎか)。

特にオリヴィア役の武川さんはホームチーム無しのフリーランサー

次にどこで会えるかもわからないという、この西部劇カウボーイ感。

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■マリコ(伯爵夫人クロリス)

政略結婚で異国に嫁ぎ、政治のあおりで幽閉状態。

夫に先立たれ、あとは家門を守る化石となりつつある中、若いツバメとともにふと訪れた春。

でも心の底では彼が自分を利用しているだけと気がついていて、寂しさがつのる人生の晩秋。

っていうメロドラマ的挿入話を、たった1人でゴリゴリ成立させてしまった。

オフショットを見たら、周囲に負けず劣らずの美人さんなのに、哀切よろめき婦人にサクッと変身するあたり、地味にスゴいよ、この人。

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■中村ナツ子(ロゼマリー)

加東大介(『用心棒』)といい、中村梅雀(『八代将軍吉宗』)といい、馬鹿キャラってオイシイよな。

と、思いつつ、可愛い子チャンで馬鹿キャラってのは失敗例が山ほどあるワケで。

美人馬鹿キャラ、厳密に言うと “短慮と衝動、それに浅知恵で状況を悪化させるキャラ” っていうのは、全世界のホラーパニック映画ファンが怒りまくってることからも分かるとおり劇薬であって、書くのも演るのも本当に難しくて大変で。

フィクションで最近の成功例だと、『デスノート』の弥海砂とか。自分の中では『ウォーターシップダウンのうさぎたち』のネルシルタとか)

その中でも彼女ロゼマリーの配役と演技は大成功と言っていい。

シナリオ、人物造形、演技の巧みさ、3つが合体して、ストーリーを停滞どころかグイグイ展開させる存在として実に効いている。

アルラウネたちが、それぞれどこか華美な中にもダークさを感じさせる装いの中、ひとり明るい髪色でキャるるンッとしたバービー人形のような出で立ちも良い。

彼女を舞台で見るのは実はこれが初めてではなくて、かなりの美形なことは知っていたけど、作りようによっては、なんというか、 “こういう美人” にもなるのか、と今さら驚く。

(彼女の第一印象については、

https://anond.hatelabo.jp/20170925212923

 の中村ナツ子の項を参照のこと)

というあたりで。

最後に。

あー、業務連絡、業務連絡。中村さん、編集者やってみる気はありませんか? 原稿ライティングができてAdobe製品が使える最強のマルチ編集者になれますよ。その気になったら、いつでも当方に声をかけてください。

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■麻生ウラ(アルマ

うー、うーうーうー。モゴモゴ、わかった、言う。

えー、強烈な声優声なのは、演出上の要請か、それともそれ以外の発声メソッドを持っていないのか。前者だと信じたい。

さて。

最古参のアルラウネ、そしてカスパルの右腕として気持ちを交わし、動き、嘆き、そして踊る。

ちょうどキャプテン・ハーロックにおけるミーメみたいな立ち位置

ただし彼女の場合は愛と忠誠心一方通行気味なのが哀しい。

キレイどころ揃いのキャストの中でもアタマ1つ抜けているビジュアルダンスを買われての登板か。

(「ビジュアル充実で演技とダンスが良いなら文句ねーだろ」という方は、この項の2行目を参照のこと)

休眠状態の彼女のポーズを見て、開場のときに舞台においてあったオブジェの意味がやっとわかった。

それにしても。

アイライン抜きでもアニメキャラ級の大きなお眼々。

とんでもなく整ったマスク

スレンダーで柔軟な身体は恐ろしく妖艶に動く。

世を忍ぶ仮の姿バンドヴォーカル兼ヨガ・インストラクターとのこと。

ドュフフフフ、オジサンに勤務先教えてくれないかなぁ。

(この6行、後でカット)

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■乃々雅ゆう(フローラ

アイライナー(と、おそらくカラコン)を差し引いても深い情熱的な眼、意志の強そうな頬からおとがいライン

なんというか、豪華欧州絵巻を演るために生まれてきたような。

実際、ブルボン王朝の末席にいて、ベラスケスが肖像を描いてそうだ。

(なぜブルボン王朝(スペイン)かというと、黒髪だから)

その意味では、この劇団の申し子みたいな雰囲気。

立ち上げからのメンバーかと思った。

そのくらいピッタリの所属先を見つけたと言えるんじゃなかろうか。

宣材写真を見たときはもっと毒のある雰囲気で、「ふむ、このヒトが超々々毒婦をやったら面白そうだ」と思って劇場に行ったんだけど。

なんというか、キャラクターもご本人も想像より瑞々しい感じの人だった。

“運命と戦うヒロイン” という、もう本人の雰囲気そのままの役回りを手堅く好演。

娼館の女主人のときはもっと毒々しくても良かった気がする。

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■朝霞ルイ(カスパル

どんなに声のトーンを落としても客席まで声が届いていたのは彼女だけだった。

ベテランの風格。

打ち棄てられた実験体児がどこでどうやって成長すれば、こんな艶やかでピカレスクトリックスターに育つのか、そこを見てみたかった気もするが、そこを書いたらタダでさえ2時間ちかくある上演時間がさらに伸びるので、いたしかたなし。

この俳優さん、眉頭にいい感じに険が出ていて、男装の麗人からリアル美丈夫への過渡期にある感じがする。

男役としては、これからが一番いい時期なんじゃなかろうか。

ダークヒーローカスパルを好演。

カスパルがどんな人物かというと。

ん。

待てよ……整理すると!

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1)娼館の影のNo.1として女主人をウラからあやつり、朗々と艶やかな口上を述べるトリックスターで、

2)火災その他のカタストロフから巧みにサバイバルし、言葉巧みに未亡人の情夫におさまる冷徹ピカレスクで、

3)非人道的な実験の結果として対アルラウネ耐性を有する厨二病キャラで、

4)それでいて不幸な幼少期から、どこかはりつめた脆さを感じさせ、

 (それは例えて言うならば、ラインハルト・V・ローエングラム的な)

5)そして、こころ疲れた時には情を交わす女アルマが影に寄り添い。

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なんてこったい! 男装女子の演りたいこと、全部入りじゃねーか!

どうなってるんだ朝霞さん! アナタの配役が一番オイシイよ!

旗揚げメンバー特権か!?

観劇前はフローラカスパルが互いのカウンターパートをつとめるセッティングかと思ったら、終わってみれば伯爵から先生からアルラウネ達からフローラから、もうもう全員が彼との関係性を軸に話が展開するという、まさにザ・主人公・オブ・ザ・主人公

しかし考えてみれば、そのぶん舞台上でも舞台裏でも負荷は並大抵では無かったはずで、本当にご苦労さまでした。

良かったっす。

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■a-m.Lully

あの役がオイシイ、この役がオイシイ、と書いていて気が付いたが、

全者全様にオイシイ役ばかり。

調べたら当然のごとく、当て書き脚本だった。

この辺が座付き作家、というか作家が率いる劇団の最っ高のアドバンテージだよなぁ。

と、同時に。

「このストーリー、映像化してもイケるんじゃね?

 というか、ヨーロッパあたりに売り込んでもいいんじゃね?」

と思ったのだが。

脚本、キャスト、演出のケミストリー化学反応)による名演と脚本単体のポテンシャルの見分けがつくほど、俺は観劇に強いわけではないので、この印象は保留しておく。

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大道具・セット

背景と大道具がすごい。なんてったって “何もない” んだから。

物理的に必要な長椅子が脇においてあるだけ。

これ、大英断だと思う。

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メインの舞台となるのは近世ヨーロッパの娼館で。

自分がイメージできるのは『ジェヴォーダンの獣』(クリストフ・ガンズ)くらいだけど、あれを雰囲気だけでも匂わせるには1千万円あっても足りない。

その後の場面展開を考えたら、そこはバッサリ切り落として、そのかわり衣装と装飾品にガッツリリソース(金と時間と手間)をかける。

キャストこそが情景の担い手という戦略。これ大正解

少なくとも自分はそう思った。

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で、板の上には何もない代わりに、ステージ背面全体を三分割して並んだ3つのセル(部屋)。

ライティング次第で中のキャストを浮かび上がらせて、複数のストーリーラインを同時に進行できる空間なんだけど、これが実に効いてる。

回想、視点の移動、娼館の部屋それぞれ。もう大活躍。

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白眉はエーヴェルス先生が娼館に潜入するシーン。

ライティングを目まぐるしく切り替えて、それこそ『ミッションインポッシブル』か『オーシャンズ11』かっていう高速カットバックを実現している。

(いや実際、照明さんは胃に穴が空いたんじゃなかろうか?)

実を言うとアタマのスミでは「それをやりたいなら映画でやったら?」と思わないでも無かったけど、映像作品と舞台の良いとこ取りをした意図は買うし、実際、効果的だった。

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と、同時に。

こうも思った。

「ああ、そういうことか。エイゼンシュテイン以降の変革は舞台にも及んで、自分はいま変革後の作品を見てるのね」と。

MTV以降、ライブコンサートに巨大モニターが導入されて各種フレーミングが可能になったように、舞台も律儀に単一フレーム(場の一致)なんて守ってる場合じゃないよね。

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■最後に、気がついたこと、気になったことをまとめて

・会場の音響が悪すぎ!

 卓かアンプが、どこかでバチバチに歪んでる。

 せっかく古典派の交響曲ストイックなまでにかためた選曲が台無し。

 客席横では四六時中、空調がプシュープシュー鳴ってるし。

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キャパ、狭すぎ!

 ねえねえ、次はもっと大きい小屋でやりましょーよ。

 大丈夫。大丈夫だって

 連日満員でエクストラシート用意するくらいなんだから。

 ぜったい大丈夫だって!(←無責任

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・ハッキリとした開演ベルが欲しかったところ。

 カスパルがおもむろに登場してアルラウネのオブジェを撤去して暗転ってのは、演出としてどうかと思った

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プログラムの誤植。

 コーヒー愛飲の習慣のところ、 “嫌遠” は “嫌厭” の間違い。 

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・余談だけど、今回の上演『改訂版』の前の上演回をみんな『祈念』と呼んでいる。

 理由を調べようと思ったけど、まーいーか。

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キャスティングの軽重に関係なく、みんな多かれ少なかれセリフが飛んだり、噛んだりしていた。

 最終日の最終回、疲労のピーク。

 ステージハイっていったって、限度があるわね。

 その中でもディフェンダー2人(武川、小川)は、自分が見る限り

 挙動とセリフに一切のミスがなかったことを記録しておく。

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……んー、こんな感じか。

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ともかく、まとめとして言うならば。

幻想芸術集団レ・ミロワールの『アルラウネの滴り -改訂版-』良かったっす。

次もタイミングが合えば観に行こうと思いつつ、このテキストを終わる。

2017-06-19

部活というか

部活というか毎日時間ひとつのことに打ち込む(拘束される)ことの是非について話し合った方がいいと思うんだけど。

そこに体力、固定された人間関係、将来に向けての視野問題とか色々絡むというか。

子ども達は現在好きなことと将来のやりたいことの両方を勘案して部活というかひとつのことに長時間打ち込んでいると思うんだけど、

それっていいことなのかわからない。

食っていけるならいいんでしょうけど、みんなが食えるわけではないし、途中怪我とかあったり、グレたり。

運動なら長期休暇中は毎日半日以上もしくは1日拘束されるの当たり前の人もいるんだと思うんだけど、

体力の問題時間問題で他のこと(勉強学校外での人間関係構築など)出来なくなると思うんだけど、

それでOKと今のところ教育関係者は考えてるわけだよね。

あと、部活限定して言えば、会社員が定時に上がった後にやる読書会フットサル音楽とかと同じであると思うので、

強制加入ってどうなのか、もしくはなぜ家庭や学校外ではなく、あえて学校内なのかとか。その意味意義とか。

ひとつのことに打ち込む(拘束される)というのは授業も仕事も一緒ではあるんだけど。

だいたい8時間だしね。

でも仕事と授業には、ひたすら同じ作業を繰り返すことを続ける作業であるか続けない作業であるかの違いはあるか。

きっと部活仕事の忍耐力が鍛えられるっていうのはひたすら同じ作業に耐えられるかってところなのかな。

仕事に求められるもの




鬱を感じる。

仕事で同じ作業を続けられるか否かは、部活やったとかの問題ではなく、

その職種が合ってるか耐えられる程度のストレスで済むかの方が大きい気がするから

っていうか大学の空き時間

耐えられるストレスの業種や職種を探す時間のような気がする。

そのための小学中学高校大学の積み重ねの時間に色々触れる、もしくは打ち込むのが大事だと思うんだよな。

大学っていう場所は、

高校までの窮屈さから解放されて色々なものに触れる人と、

高校までの積み重ねを職業につなげるための段階の人と

両方行う人で三者三様って感じだな。

ちなみに私は部活で苦しんだ人だが、

部活どころか学校に登校しないで学校外でとある屋内スポーツに打ち込んで、

そのスポーツプロになって活躍した方が同学年にいるので、

まぁ色々だなーと。

2016-12-24

難民百合アニメ

ギャグ系・シュール

| キルミーベイベー

| ゆゆ式

| ゆるゆり

| 三者三様

| きんいろモザイク

| ごちうさ

| のんのんびより

| ふらいんふぉうぃっち

ほのぼの

 

 

 

クレイジーサイコレズ

| 桜Trick

| 

| 

| ゆゆ式

| ゆるゆり 

| のんのんびより きんいろモザイク あんハピ♪

百合

| ごちうさ

| 

| 三者三様

| ふらいんふぉうぃっち

百合友情

 

 

最近増えないな

 

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そういえば難民っぽくない女だらけ百合+αアニメ増えてるね

男が出てくるけど百合アニメっぽいのもある

最近増えないというより、応用されてきてるのか

2016-12-20

高校生アルバイト

妹が必死努力の末、県内いちばん偏差値の高い高校に進学がしたが、周りが裕福な人たちばかりで価値観が合わないのが嫌だと言う。

例えば?と聞いてみたら、その一つにアルバイトをしている子を馬鹿にする、というのがあった。なんでアルバイトなんてしてんの?勉強する時間減るじゃん、バカじゃないの?といった具合である。ちなみにその子の親の職業医者である。まぁ確かにアルバイト時間をその子勉強にあてることができるので、正論ではある。

進学校(笑)卒業した自分はもちろん高校時代アルバイトをしていたが、周りでそういった風潮はおそらくなかったし、アルバイトをしている子の方が多かった気さえする。

の子はおそらく単純に恵まれているんだと思う。アルバイトをしてお金を稼がなくても、勉強ができて、そして塾に通うことができる。貰ったお小遣い放課後に寄り道ができて、家に帰れば温かいご飯が食べられる。でも世の中にはそれが当たり前ではない子だっているわけで。

高校生アルバイトしなくてはいけない理由三者三様だけど、働く必要のない恵まれて育った子がそれをバカにするのはなんだかなぁと妹の話を聞いて辛くなった。

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