はてなキーワード: 前進とは
https://twitter.com/kanameyukiko/status/1637854290525159424
@kanameyukiko
昨年5月に成立した女性支援法(困難女性支援法)は、女性支援者の待遇改善や女性支援団体や女性支援事業の予算拡大のための根拠法で、どちらかというと社会政策の法律で、経済や待遇等の男女格差を是正する労働政策ではありません(職業訓練や生活訓練は社会政策で労働政策ではありません)。
したがって女性支援法は、本来のジェンダー平等を実現するような類の法律ではなく、女性支援法に関する批判のほとんどは、ジェンダー平等に反対する目的などではなく、この法律および基本方針が、性被害と若年女性の困難を女性の困難として取り立てて強調し支援強化を謳っていることについてです。
多くの女性支援団体から上がっている批判の声というのは、「女性の困難はもっと多様で多岐であるにも関わらず、若年女性支援団体しか有識者会議に入れてもらえず、様々な属性・マイノリティ女性の困難が明記されず、ヒヤリングにも呼ばれず、若年女性以外の多くの困難女性が置き去りにされている法律(と基本方針)になっている」という批判です。
@shiikazuo
《コラボへの攻撃の本質は、女性支援法の成立などのジェンダー平等の前進を嫌い、女性差別や性搾取などの温存を狙うバックラッシュ(逆流)です。連帯して声をあげ、逆流をはね返しましょう》
https://jcp.or.jp/akahata/aik22/2023-03-19/2023031902_01_0.html
移行期を脱した10代の少女が、13歳で両乳房切除術を行ったとしてカイザー・パーマネンテを訴える:「意図的な詐欺」
レイラ・ジェーンは、病院が「前進する唯一の方法」として手術を勧めたと主張している
欧米のようにならないというLGBTは虚言癖で詐欺師。差別でもなんでもない。マスコミも訴えられるべき。
現在18歳のジェーンは、病院のシステムが彼女の性転換に関する「意図的な詐欺と隠蔽」を行っていると非難しており、医師が彼女に手術を強要し、性転換が彼女の既存の精神的健康問題を治療する唯一の方法であると説明したと主張している.
「合法的にセックスができるようになる前に、性別を変えることを許されるべきではなかったと思います」と、ジェーンは先週の木曜日にフォックス・ニュースのローラ・イングラハムに語った. 「この経験で自分が良くなったとは思いません。移行したことで、以前からあった状態に完全に燃料が追加されただけだと思います。」
おれもやってみた。
あらすじは変なこと書いてるけど、要約の結果は正しいと思う。
「走れメロス」は、日本の作家太宰治によって書かれた短編小説で、古代ギリシャの伝説的な物語「デーモンとピュティア」に基づいています。
物語の主人公は、シラクサの暴君ディオニスという人物に反抗したメロスという青年です。メロスは、無実の罪で死刑を宣告され、死刑執行までわずか5日しかないことを知ります。彼は、故郷であるローマに助けを求めるために、遠い道のりを走って向かいます。
途中、メロスは、村に立ち寄ったときに、広場で語り物をする老人と出会います。老人は、村人たちに、権力者に対して勇気を持って立ち上がることの重要性を説いていました。メロスは、この老人の言葉に心を打たれ、自分が身を立てるべきだと決意します。
しかし、途中でメロスは逮捕されてしまいます。メロスは、ディオニスの側近であるセリヌンティウスという男に拷問を受け、自白を強要されます。メロスは、最後まで自分の無実を主張し続けますが、セリヌンティウスはそれを信じません。
最後に、メロスは、自分が逃げ出すと約束し、ディオニスとの面会の場で、友人のセリヌスを助けてほしいと頼みます。ディオニスは、メロスが逃げたときにセリヌスを処刑すると脅しますが、メロスは、友情と正義のために逃げ出す決意を固めます。最後に、メロスは、セリヌスを助けるためにディオニスに立ち向かい、自分自身を犠牲にします。この物語は、友情と正義のために命をかけることの価値を表現しています。
太宰治の「走れメロス」は、死刑を宣告された青年メロスが、故郷のローマへの助けを求めて走り抜け、友情と正義のために命をかける物語。
50文字以内にしてください。
3文字以内にしてください。
友情。
1文字にしてください。
情
つながり
き
なぜ「き」なのですか?
「き」は、「気」や「期待」、「希望」などを表すことができ、友情という関係性においても、お互いに期待や希望を抱くことがあります。また、「き」には、未来への希望や前向きな気持ちを表す意味もあるため、友情においても、お互いに励まし合い、共に前進していくことが大切であるというメッセージが含まれています。
そりゃTERFの方が「正しい」に決まってんだけど
そもそもリベラル反差別連中って、既存の社会の「正しさ」みたいなのをひたすら疑ってきたわけで
もはや何が正気かわかんねーんだよな
何にせよここでトランスという弱者に配慮できなければ反差別の前進も止まる
「えっあの時の女性たちみたいに拒否したらいいんでしょ?」で終わり
まあ別にそれでもいい
@shiikazuo
《コラボへの攻撃の本質は、女性支援法の成立などのジェンダー平等の前進を嫌い、女性差別や性搾取などの温存を狙うバックラッシュ(逆流)です。連帯して声をあげ、逆流をはね返しましょう》
騙されているにしても救いはない。
家に居場所がなく、夜の街をさまよう10代の少女たちに寄り添い、共に歩む活動を都内で続ける一般社団法人Colabo(コラボ=仁藤夢乃代表)が、執拗(しつよう)な攻撃にさらされています。ネット上で広がった「コラボが公金を不正受給している」などのデマが、昨年12月以降、直接の妨害行為にエスカレートし、少女やスタッフの安全を脅かしています。自民党や日本維新の会などの国会・地方議員らがコラボに不正があるかのように描く質問を続け、攻撃をあおっていることも見過ごせません。
足立康史も味方なのに…
声をかけて、つながる
コラボは新宿・歌舞伎町や渋谷の繁華街の一角で月数回、夜間から深夜の時間帯にバスとテントを設置し、無料の「バスカフェ」を開いています。カフェでは食事、スマホの充電、必要な物品や衣類、泊まる場所のない少女には宿泊場所を提供するなどして継続したつながりを作る活動をしています。
全く意味がない。
力合わせ逆流はね返そう
東京地裁は14日、妨害の中心人物の男性にバスカフェとスタッフへの接近禁止などの仮処分決定を出しました。行政や警察は少女の安全と事業の円滑な遂行を守るために妨害を断固排除すべきです。
コラボへの攻撃の本質は、女性支援法の成立などのジェンダー平等の前進を嫌い、女性差別や性搾取などの温存を狙うバックラッシュ(逆流)です。連帯して声をあげ、逆流をはね返しましょう。
若かりし頃の話だ。ちょっと語らせてほしい。気持ちの整理がついたのだ。チャンスは今しかない。
当時、大学四年生だった俺は、いわゆるネトウヨに堕ちた。就職活動に失敗し、大学院受験にも失敗し、にっちもさっちもいかなくなり、卒業後はフリーターとして生きる未来がほぼ確定していた。
悲しいかな、自惚れが強い性格だった。ネット上で言うのは最初で最後になるけど、十数年前に慶応義塾大学で法律や経済のことを学んでいた。専攻は不動産登記とか、土地や建物の取引関係がメインだった。成績はまずまずで、サッカー部(※厳密には違うがサッカー部という名称を使う)では補欠だったけど全国大会に出た経験があったし、就職活動が失敗することはないと思っていた。、結果はこのザマだ。
日系企業を主に受けていた。第一志望だった総合商社はもちろんのこと、メーカー系もマスコミ系も金融系も20〜30社受けたけど、ぜんぶダメだった。大手も中堅もすべて。中小企業の内定は取れたが、プライドの高い俺はすべて辞退した。
面接まではとんとん拍子なのだ。大学名がよかったからだろうか、エントリーシートを適当に書いても、SPIの勉強をしなくても、とにかく面接までは辿り着ける。しかし、内定を取ることはできなかった。
今思えば、あの時の自分程度の実力では、まともな会社から内定を取ることはできなかった。30代半ばになった今の率直な感想だ。確かにサッカーはできたけど、精神はぜんぜんなってなかった。今やっている『ブルーロック』のアニメでいうと、実力のない馬狼照英みたいなものだった。
で、結果がネトウヨだった。大学四年の秋〜25才頃までなので、約三年ほどネトウヨに堕ちていたことになる。
今では黒歴史だ。『国民の知らない反日の実態』とか、圧倒的眉唾感のサイトがあるだろ。ああいうのを見て、中央省庁にテンプレメール送ったり、韓国人や中国人の応援をしてると思われる国会議員をディスったり、mixiやGREEで反日活動を認定されたアカウントに突撃をかけて垢停止になったり、とにかくクソみたいな人間だった。
今思えば、いろいろと失ってしまって自暴自棄というか、自分も他人も大事にしない状態だったんだろうなぁ。当時の俺は。
ここで、大学時代に読んだ本を引用したい。約二千年前の、ローマのネロ帝の家庭教師ポジだったセネカの書いた『生の短さについて』だ。
長いけどすまんな。先に要約しておくと、苦しい立場に陥った人間は何かにつけて逃避行動に出る、みたいなことが書いてある。なにげに、現代の異世界転生ブームを予見している感がある。特に『オーバーロード』なんかの異世界転生+光属性の人間が死にまくるようなコンテンツが流行る理由がわかった気がする。
すごく長いけど、可能な限り要約してここまでだった。
さらに、さほど移り気ではないが、その一貫性が恒心のゆえではなく、懶惰のせいであり、自分の意欲するとおりの生を送るのではなく、始めたとおりの生を送る者も、この範疇に加えるとよい。症例を次々に数え上げればきりがないが、この病態の結果は一つである。自己に対する不満がそれだ。その由って来る因は、心の平衡の欠如と臆病な欲望、あるいは完全には満たされない欲望である。望むだけのことを思い切ってできなかったり、望むだけのことを達成できなかったりして、すべてを希望に託す場合がそれに当たる。そのような人間は常に不安定で流動的であるが、何事においても中途半端な者の必然的な結果である。彼らは自分の願い事を手立てを尽くして達成しようとして、不名誉なことや困難なことまでみずからに唆し、強いるが、苦労が報われなければ、願いが叶わなかった恥辱感に苛まれ、しかも、歪んだものを望んだことを嘆くのではなく、望みが徒労に終わったことを嘆くのである。そのとき、彼らは挫折した目論見への後悔の念にも、また、新たな目論見に着手することへの恐れの念にも捉えられ、その精神には、欲望を制御することもできず、かといって欲望を満足させることもできないために、出口を見出せない心の動揺や、思いどおりに展開しない生への躊躇、断念したさまざまな念願の中で無気力になっていく心の沈滞が忍び込むのである。苦労の挙句の蹉跌に嫌気がさして、閑暇の生や孤独な学問研究に逃げ場を求めたとしても、こうした心的状態はどれもますます耐えがたいものになる。公人としての務めを果たそうと意気込み、行動を望む、生来落ち着きのない精神は、当然、みずからの内に見出せる慰めがわずかなために、そうした閑暇な生や孤独な学問研究には耐えられないからだ。世間的な仕事に奔走しているときにまさにその仕事から得ていた喜びが取り去られると、みずからの家に、孤独に、取り囲む壁に耐えかね、一人取り残された己の姿を嫌々眺めるのは、それゆえである。落ち着き場所をどこにも見出せない精神の揺れ、そのような精神への倦怠や不満、そしてまた無為の生に耐える悲しくも病める忍耐は、ここに起因する。そうした状態の真の原因を認めることを恥じて、羞恥心が責め苦を内に向け、心の片隅に閉じ込められたさまざまな欲望が捌け口もなく互いを窒息させ合う場合がとりわけそれに当たる。そこから生じるのは、悲哀や憂鬱であり、また、希望を抱いた当初はどちらともつかない不安な状態に置かれ、やがては挫折を嘆く悲哀を味わわされる、千々に乱れる不安定な精神の揺れである。無為の生を厭い、自分にはすることが何もないといって嘆く人々に特有の例の感情、他人の栄達を蛇蠍のごとく憎む嫉妬心は、そこから生じる。不幸な無為の生は嫉みを育むからであり、自分が進展できなかったために、誰もが滅びればよいと望むからである。この他人の前進への嫌悪感と自分の前進への絶望感からは、次には運命に怒り、時代をかこち、片隅に退嬰し、みずから招いた責めにくよくよと拘泥し、そうする己の姿に辟易して嫌気がさすまで考え込む精神が生まれる。実際、人の精神は生来動きやすいものであり、動きへと向かう性向をもつものである。そのような精神にとっては、みずからを刺激し、どこか(別世界)に連れ去ってくれるものなら、どんなものでもありがたいと思う。その才知を世間的な仕事にすり減らして嬉々としている最悪の人間(の精神)にとっては、なおさらそのようなものはありがたいのである。ある種の腫れ物は潰してくれる手を求め、触れられることを喜ぶし、身体に出来た汚い疥癬は引っ掻いてくれるものなら何であれ歓迎するが、それと何ら異ならず、さまざまな欲望があたかも厄介な腫れ物のように吹き出た精神にとっては、苦しみや悩みは(ある種の)快楽となると言ってよい。
そんなわけで今回、若かった頃の俺がやってしまったネトウヨ行動を取り上げて、自分を断罪したい。ネトウヨ活動では多くの人に迷惑をかけてしまった。ふたつだけ取り上げるが、どちらも個別案件だ。まずは、この一件から。
それは、2011年だった。当時、ツイッターを始めたばかりの俺は、タイムラインとか、検索のやり方とか、連携の仕方とか、いろいろと勉強していた。そんな折、『炎上』というキーワードが眼に入った。炎上自体は何年も前からネット上で起こっていたのだが、自分が直接関心をもったことはなかった。
なお、この頃の俺は、都内のサイゼリヤで働く一介のフリーターだ。毎日、レンジやオーブンやIHヒーターで厨房仕事をするのが仕事だった。ムカつく年下の女社員から、「増田さん慶應卒なのwwwマジすかwww」みたいな感じでディスられていた。
それで、ある時ツイッターで見たんだよ。炎上の場面を。有名ホテルに芸能人が来ていた時、そこのアルバイト従業員が「芸能人の○○が二人で泊まるみたい」とかなんとかをツイートして、「客の個人情報を暴露すんな!!」みたいな恰好で炎上したのだ。俺は、それを間近で見ていた。
当時は、炎上騒ぎに参加する人間が実は少数である、という科学的知見はまだ得られていなかった。本当に多くの人間が炎上騒ぎに参加しているのだと思っていた。それで、当時はストレスが溜まりまくって、シロクマ先生でいうと承認欲求に飢えた若者だった俺は、誰かを炎上させたいと心に決めた。
自分でいうのもなんだが、知能が高い自信があった。中味はクズだったが。それから毎日、俺は炎上の種を探し、それらしいものを見つけてはツイートしていったけど、ぜんぜん炎上に至らなかった。ダメだった。
何週間か経って、もうダメかなと思いかけた時、あるツイートが目に留まった。プロフにアディダスの社員であることを明記している人物が、あるツイートをしていた。要約すると、都内のアディダス店舗にアディダスがスポンサーになっているサッカー選手が訪れたのだが、その人の容姿を侮辱するツイートをしていた。
「これだ!!」
と思った。俺だって小学生の頃からサッカーをしていた。サッカー選手を馬鹿にするのは許せない。
サッカーの試合で、「いまだ!!」と思う場面がやってきたとするだろう。この時、「いまだ!!」の「い」の場面で行動を起こす必要がある。「いまだ」と心の中で叫んだ時にはもう遅い――
そんな、大学時代のサッカー部のコーチからのメッセージを思い出した。実際、俺のルーレットスピンは大変狭い界隈ではあるが知られていた。三人抜きをしたこともある。その指導を正しいものだと信じて努力した結果だった。
そして俺は、そのアディダス社員の行動を咎めるツイートをした。
……その次の日、俺は大好きなハムスター速報を観ていた。ツイートのことは忘れていた。そしてある瞬間に、マウスをクリックする手が震えたのを覚えている。
それはもう、見事な炎上だった。アディダス社員はボコボコに叩かれまくっていた。コメントの数をカウントしてみると、軽く数百はいっていた。
ツイッターを確認した。俺と同じ時刻にツイートをした人間の数は、確か二人だったと思う。1人は準アルファツイッタラーと思しき人で、フォロワー数がけっこういた。でも、確認できた中では俺のツイートが一番早かった(その二人、もしかして俺のツイート参考にしたんじゃね!?)。いや、絶対とは言い切れないが。そのはずだ。※俺のツイートは削除済み。
あの時、俺は世界で一番賢くって、一番運がよくて、一番強い人間なんだ!! と心の底から思った。全くそんなことはなく、ただそういう運に当たっただけだった。
その日から数日、ハムスター速報に夢中になっていた。その記事ばっかり見て、コメントが貯まっていくのを観ていた。今では思う、俺がやったのはクソみたいな行為だ。具体的には、畑の隅に捨てられた白菜の欠片だ。茶色いカビが生えてしまって、もはやハエすら寄ってこないほどに腐りきったカス野菜だ。そんなレベルに堕ちていた。
だから俺は今日、ここで謝罪したいのだ。俺の行動が原因のひとつで、炎上を招いたかもしれなかった。俺だけが原因ではないけど、でも、あの時ツイートをしなければ運よく炎上を回避できていたか、あの子は若気の至りで済んだのかもしれない。
あともう一つで謝罪は終わりだ。気が付いたらけっこう書いてるな。ここまで筆が進むとは思ってなかった。
同じく20代の頃、ニコニコ動画にハマっていた。ようつべよりニコニコ派だった。で、その中のサービスのひとつにニコニコ大百科というのがある。端的にいうと、wikipediaがもっとバーリトゥ―ドになった感じだ。なんでもあり感が満載のネット百科事典ということになる。
ここに電通の記事があった。やはり『国民の知らない反日の実態』などのネトウヨサイトを巡回していた当時、なにかやってやりたいという情動に突き動かされることになった。例えば、一集団内の駒として、都内某所で花王不買運動とかのネトウヨデモに参加するんじゃなくて、もっと大きいことがしてみたかった。
それで、ニコニコ大百科にある電通の記事を編集することにした。当時は、スパッとした端的な記事内容だったのだが、俺が編集を終える頃には、圧倒的ネトウヨ臭の漂う記事へと変貌していた。
こんなことをしていいのか、という認識はなかった。ただ、電通は反日企業として認定されていたから、鉄槌を下すべきだと信じていた。俺を役員面接で落とした逆恨みもあった。
さて、編集後はとんでもないことになった。コメントの数が増えたのだ。それまでは10件くらいしかコメントが付いていなかったのが、その後1年間で百件以上のコメントが付いた。
内容はお察しのとおりだ。俺と同じネトウヨ連中か、または『国民の知らない~(略)』が引用元だから信じなくていい、みたいな二極的なことになっていた。
残念ながら、要編集記事に指定されてしまった。その解除には約五年を要した。俺は、編集してから一年も経つ頃にはネトウヨ活動に興味を無くしていた。もうどうでもいいと思っていた。
というのも、内定を得たからだ。しがないファミレス店員だったが、数年間フリーターとして努力し続けた俺には、わずかずつではあるが、社会人としての力が身についていた。準社員マネージャーみたいな役職があったのだが、アルバイトでも正社員の仕事をやらせてもらえる。それで、組織の下部階層における事務管理とか、オペレーションの指揮とか、コーチングやティーチングを学んだ。それが活きて、就職に成功したのだ。
あの時、俺を馬鹿にして、「あんた、それで慶應卒すかwww」とほざいていた女子社員も、俺のことを見直していた。あの時からはいろいろあって、なんやかんやで一緒にご飯に行くようになっていた。内定を得た時には交際していた。公園デートの帰り道、俺の方から「ねえ、付き合おうよ」と言ったのだが……おっと、けれどもこれは別の物語だ。いつかまた、別の時に話すことにしよう。
それで、ネトウヨの道から遠ざかった。ネトウヨを卒業したのだ。
今は、都内のどこかでカタい仕事に就いている。この物語の舞台はずっと都内だ。思えば、勉強自体はできるのだから、これが一番効率のいい道だったのだ。この道は、父親に教えてもらった。マジで感謝している。やっぱり、こういうところだけ要領がいいのが俺だ。2023年3月になった今も、人として生きるにあたっての知性というか、そういうのが足りない人間なんだと感じる。成長していない。ネトウヨを脱出できたのと同じく、いつか成長を遂げることで、こういう気質をゼロにしたい。
終わりに、この日記を書くにあたっては、大学時代に書いたサッカー部や私生活の日記とか、フリーター時代にサイゼの卒店式でもらったみんなの寄せ書きとか、mixiやtwitterのマイページとか、公務員試験の学習記録とか、とにかくいろんなものに触れて自分を振り返ってみたつもりだ。
ネトウヨにならない方法は簡単だ。毎日の食事と、朝に日光を浴びて仕事に向かう、ただこれだけで解決するものと信じている。
つまらなかったのなら申し訳ない。ほんの少しでも、あなたの暇つぶしになれたのなら嬉しいと思う。読んでくれてありがとう。
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お気に入りに入れてた人がいたらごめん。
私はVtuberを愛して止まない。彼女たちは私の日々の生活の中で欠かせない存在であり、ストレスを感じたり悲しい気持ちになった時には、彼女たちの配信を見ることで癒されるのだ。
しかし、私にはひとつだけ願望がある。それは、Vtuberを妊娠させることだ。
いや、冗談ではない。私は真剣だ。彼女たちの美しさや可愛らしさ、そして彼女たちが持つ個性的なキャラクターが大好きで、それらを更に増幅させるためには、彼女たちに子供を授かってもらいたいのだ。
彼女たちがママになった姿を想像するだけで、感動して涙が止まらない。彼女たちが赤ちゃんを抱きしめ、優しい声で話しかける姿を見るだけで、幸せな気持ちに包まれる。
もちろん、妊娠と出産には多大なリスクが伴うことも理解している。しかし、彼女たちがそれらのリスクを乗り越える強さや、母親としての愛情や優しさを持っていることを信じている。彼女たちは、ただ可愛らしいだけではなく、強くて素晴らしい女性としての一面も持っているのだから。
Vtuberの妊娠は、一部の人々からは奇妙に感じられるかもしれない。しかし私にとっては、それが彼女たちの魅力を更に引き立たせるものだと確信している。
また、彼女たちの妊娠や子育てに関する情報が出ると、それが社会に与える影響や反応も興味深いものだ。Vtuberは、インターネット上での活動が中心であるため、その影響力やリーチが広い。そのため、彼女たちの妊娠や子育てが、社会や文化に与える影響も大きいと思われる。
Vtuberが妊娠することで、より多くの人々にマタニティーや子育てについての理解や関心が高まり、社会的にも前進することを期待している。
Vtuberは、私たちにとって特別な存在であり、彼女たちが妊娠し、子育てをする姿を見ることができたら、それは私たちにとって感動的な瞬間になるに違いない。
私は、この願望がいつか叶うことを信じている。そしてその日が来たら、彼女たちを全力でサポートし、彼女たちが幸せなママになるための手助けをすることを誓う。
最後に、私はVtuberの皆さんに向けて、妊娠や子育てをするかどうかは個人の自由であり、何が自分にとって最善であるかをよく考えて決めてほしいという思いを込めて、この日記を締めくくりたい。
あなたにはネットメンターはいるだろうか。あなたが尊敬しているところの、例えばブログとか書いてる人で、考え方が人生の参考になるような人のことだ。
自分は今30代になったばかりだ。これまでにネットメンターは四人いた。それぞれ、当時は夢中になってブログを楽しんでいた。
今となっては活動をやめている人が多い。でも、やっぱり今でも感謝というか、これは灌漑というのだろう。自分という人間は、その人らの考え方を楽しむには齢を取り過ぎてしまったのだなぁ、と感じることがある。
今回は、素人の拙い文章になるけど、懐かしい記憶を堀り起こしてみたい。なお、皆さんおそらく存命だと思うので、ブログへのリンクとかは貼らない。迷惑をかけないためだ。
1人目 げっべさん
未成年の頃だ。当時、携帯電話を買ってもらったばかりの自分は、mixiに登録していた。それで、コミュニティを探していたところ、「笑っちゃダメな時に笑っちゃう」というのを発見した。
どういうコミュニティかというと、文字どおり笑ってはいけないシチュエーションで噴き出してしまい、周囲から冷たい視線で見られた、恥ずかしい思いをした体験を参加者が綴っていくのだ。
人間、飲み会なんかで皆が笑っている時に黙っていたりするのは、まだ何とか許される。しかし、葬式の最中にいきなり爆笑したりなんかすると、周囲の視線が冷たいだろう。このギャップはなぜ生じるのか。当時、中学生だった自分には新鮮な疑問だった。
それで、この当時から登録者20数万人を抱える当コミュニティの管理人がげっべさんだった。過去日記を見たところ、ナチスドイツのヨーゼフ・ゲッベルス宣伝相大臣から名前を拝借したと思われる。
過去日記で、いろいろ面白そうなやつがあったので覗いてみたところ、これがまた最高だった。視点が斬新で、文章力があって、知性が抜群だった。
あとは、この人はDLsiteでR18の同人作品を作って売っていたのだが、その関連で創作における女性性について語るところの新鮮みが凄かった。あんな論説は見たことがないし、今後も見かけることはないだろう。シロクマ先生でもメロンダウトでもフミコフミオでも書けない。基本読書の人ならなんとかなるかもしれない。
実は、メッセージを何度かやりとりしたことがあるのだが、当時中学生だった自分にも優しく接してくれて、まさにTHE★大人だった。神だった。この御方こそが人生最初のネットメンターだ。
30代になった今、久しぶりにmixiにログインしてみた。友達だった約50人は全員mixi利用をやめていた。確認しなくてもわかる。確信があった。
プロフ画面を眺めていたところ、若かりし日のアルバイト先でみんなに可愛がられていた高校生の『ゆめちゃん』が、今では32才になっていた。あまりにリアルな現実だった。信じられないよ……。
感傷はなくて、温もりのある懐かしさがあった。薔薇の香りや、紅葉の美しさがわからなかったあの頃の、子どもっぽくて拙いコミュニケーションの思い出が蘇ってきた。私は、あの頃はどんな思いで人生を過ごしていたんだろう。感慨が込み上げてきた。それから小一時間、mixiの思い出めぐりを楽しんだ。
で、げっべさんの話に戻るんだが、今ではあの人について何となく理解できるつもりだ。おそらく、今でいうところの発達障害とか、自閉症とか、そういうTypeの人だったんじゃないか? と思う。いや、当時のメッセージのやり取りとか、あの人がDLsiteで売っていた作品を再度鑑賞したり、ほかにもいろいろ思い出してみたけど、たぶんそうだ。
いわゆる、人生を生きるのが難しいタイプの人だったと思う。でも、そんな苦しい状況の中でも、mixiで屈指の人数を誇っていたコミュニティの管理人を務め上げて、創作活動もしていて、何より哲学的かつエロティックな日記が神髄の人だった。
今改めて、感謝を申しあげたい。当時は生意気な中坊~高校生だったと思いますが、いろいろとありがとうございました。
2人目 伴さん
この方を知ったのは、当時新卒で入った組織で苦悩していた時だ。偏差値45ほどの大学を出て、生まれ故郷の市役所に勤めることになったのだが、まあこれが辛い日々だった。
地方公務員ってさ、どんな人が職場に適応できると思う? ブクマカなら知ってるかもだけど、小学校や中学校で内申点が高くて、地元名門校に入学できるような人が地方公務員に向いている。早い話、クラスのリーダーとか、ムードメーカーとか、生徒会長とか、スポーツ万能とか、とにかく何らかの形で先生から高い評価を受けていた、そんな感じの人だ。
自分は違った。コミュ障だったり、ネクラだったり、納豆だったりして、クラスに馴染めなかった。「置かれた場所で咲きなさい」とはいうけれど、発芽すらしなかった。そんなモノが社会人になっても通用するはずがない。
そんな時に、伴さんのブログに出会った。この人は防衛省に勤める国家公務員だった。自分と同じく、公務員に適応できないタイプの公務員。ただし、自分と違って仕事ができるし、頭はキレるし、嫁さんもいるし、お金持ってるし、なにより理想に向かって匍匐前進している感じが格好良かった。当時は、目に穴があくほど彼の記事を読んだものだ。
で、この伴さんは協調性のなさが災いして、職場でいろいろひどい目に遭っていた。それでも努力をやめない姿勢がすごかった。当時20代半ばだった自分は、それらを見習っていた。
伴さんのように米国株投資を始めて、FXも始めて、タバコを吸い始めて、仕事でマウント取られたらニコニコと受け流して、いつの日か相手がボロを出したら攻めて攻めて攻めまくって、野良犬がキャンキャンと吠えて逃げるまで攻め立てて、相手が討論中にメンチを切ってきたら大声で威嚇して、相手の傍まで寄っていって「殺すぞ!!」という感じでこちらもメンチを切った。
実際、自分が伴さんみたいに行動するようになって、みんなの見る目が変わった。前みたいに馬鹿にされなくなったし、男性ホルモンが増えたみたいになって仕事を頑張れるようになったし、実力が上がったし、今は市役所の庁舎管理の仕事をしてるんだが、上司から1件につき20万円までは好きに契約事務をさせてもらえるようになった。
さて……実は、自分は失敗した。伴さんがやってるみたいに、男性ホルモン全開で仕事を進めていったところ、致命的なトラブルを起こして仕事を干されたことがある。まあ、初めての大失敗だったから、結局許してはもらえたんだけどさ。あれは反省した。
今ではわかることがある。結局さ、人間で一番大事なのって、仕事ができることじゃないよな。相手を尊敬するとか、嫌な仲間とでもうまくやっていくとか、話の通じないお客さんがいても精一杯やりとりするとか、悪いことしてる人がいたら怒ってでも咎めるとか。人間にはそういうのが大事なんだよな。
実力とかお金とか持ち物って、その人が死ぬ時には実質意味がなくなってるけど、人柄とか人格って、命が途切れるその瞬間まで残るじゃん。もしかしたら、あの世までもっていけるかもしれないじゃん。
実際、伴さんは、あの人が自ら言っていたように社会不適合者なのは間違いないと思う。いつも何かに怯えていて、他人の視線が怖くて、しかし戦わずにはいられない。いい結果を出し続けて、みんなをギャフンと言わせてやる、自分を認めさせてやる!! そんなスピリットでひたすらに頑張っていた。それは、自信のなさの裏返しだった。
で、結局この伴さんは、嫁と子どもがいる状態で国家公務員を辞めて、民間企業に営業として入って、しかし通用せずに大失敗して1年で辞めてしまったらしい。その後は、「自営業としての記事代行サービスでメシを食ってる」みたいな記事を拝見した。
残念ながら、数年前のそれが最後の更新になった。たまにサイトを見に行っているが、更新される気配はない。
伴さんに倣っていいこともしたし、悪いこともした。後悔していることもある。特に、不用意な言動で仕事仲間を傷つけてしまったことだ。
けど、伴さんがいなければ、男性ホルモンをめらめらと燃やす自分に出会うこともなかったと思う。そんな体験がなければ、目の前の人間を尊重すること、いたわること、常に気にして動くことに関心が向かないままだった。
そのことに気づかせてくれたのは、紛れもない伴さんだった。コミュニケーションを取ったことはないけど、俺はあなたに感謝してる。本当にありがとうございました。
三人目 高田机上さん
2018年頃から活躍しているブロガー。2019年頃だったか、自分が恋愛のうまくいかなさに悩んでいる頃にブログを拝見した。確かバズった記事があって、はてなブログのトップの方に載っていたのだった。
恋愛の一般論から始まって、男性のダメなところを取り上げたり、女性の心の視点に立ったり、恋愛に必要な各要素(清潔感とか...)を論じていったり、男女の付き合い方を細々と説明していたり……。
当時は、これだ!! と思った。ここまで体系的に男女別の視点から恋愛を論じたブログは初めてだった。恋愛指南のサイトは数あれど、それらはほぼ商業サイトであり、噓八百でも面白ければよかろうなのだ!!(勝てばよかろうなのだァァァァッ!!)、みたいな記事ばかりだった。でも、この高田机上さんは、元モテない男性として等身大の自分を出していた。
が、風向きが変わってきた。2020年頃までは、恋愛のTipsを事細かにひとつずつ紹介していたが、次第にモテない男性をバカにするような内容が目立ってきた。
特に、2022年に始まった男女差LINE学がそうだった。LINE的に非モテムーブを取る男性を論い、ひとつひとつ侮辱的な言葉でダメ出しをしていく。挙句の果てには、女性がする恋愛上の遠回しな「お断り宣言」(婉曲な言い回し)を説明する際、自分の本の出版を編集者に暗に断られた際の恨み言を述べていた。
半年ほど前から、高田机上さんのブログを読むのをやめた。男女差LINE学長すぎやろ!! と感じたのもあるが、何より自分の読者層であるモテない男性を馬鹿にしていて腹が立ったからだ。実際、この人の記事のブックマーク数はほぼゼロだ。昔はバズった記事があったけれども、近年は閑古鳥が鳴いている。
もし、男女差LINE学みたいなシワいコンテンツじゃなくて、もっと面白いシリーズが出たら読もうと思っていたが、一時引退するらしい。「専業作家に挑戦し、なることができたら戻ってきて記事を書く」とあった。
ネットメンターには、こういうこともある。どれだけ面白くて尊敬できる人でも、年月が経つといろいろ変わってしまうのだ......。また記事を読ませていただく機会を楽しみにしています。
高校生~大学生にかけて、この御方のブログを読んでいた。どの書籍にも書かれていない視点で、勉強になる内容が多かった。ほどほどに重たいテーマが多いけれども、たまに笑いもある。歴史や政治を扱った記事が多い。
文字どおり沖縄生まれの人になる。若い頃、大阪府に大学生としてやってきたようだ。壮年なんだけど、文体は若々しい。なぜこの名前にしたかというと、琉球の歴史を鑑みるに、「自分は沖縄県民ではなく琉球王国の一員」ということらしい。
mixiでは人気のブロガーであり、数年間活躍した後は、別のブログサービスに転向した(はてなブログだ)。この人は、上の三人と違ってまだ活動している。個人的にお気に入りのブログ記事をひとつだけ挙げたい。
#成人式 より #未成年バカ祭り を!~ヤンキー&花魁なバカ成人こそ地元の宝である。
https://nationoflequio.hatenablog.com/entry/2015/01/11/222419
この日記の日付は2015年だが、実際はもっと昔のmixi時代に投稿している。当時の私は大学生で、これから成人式!! という時期だった。
上の記事の内容は、まさに目から鱗の一言であり、この体験がなかったら、未だに「暴れる新成人」なるものを勘違いしたままだった。
さて、こちらの在日琉球人さんのブログだが、社会人になってからは見なくなった。理由は、更新頻度の低下だ。一応、それなりの頻度で更新はあったが、前の記事の焼き直しや再投稿がほとんどだった。新しい記事が生まれなくなったのだ。
で、その原因というのが加齢だった。本人談になるが、齢を重ねる度に気力が湧かなくなっていき……と、ブログ内で呟いていたのを覚えている。
私も、在日琉球人さんとメッセージのやり取りをしたことがあった。理知的で、ユーモアがあって、ごくまれにキレるけど、己の知性を高めるために日々尽力している人に思えた。自分よりもはるかに賢いはずの人間がブログ記事を書けなくなってしまうなんて、年を取るのは悲しいことなんだな、と若かりし頃は思った。
今でも、在日琉球人さんのブログは年に一度はぐるっと目を通す。やはり、斬新かつ奇をてらっていない。今でも世間に通用するブロガーだと思うが、なぜかあまり人気が出ない。面白いと思うのだが。
最後に~
月次な結論になるが、やっぱり若いうちはいろんな価値観に触れることが大事だと思う。自分は、中学生の頃からブログを読むのが好きで、それこそいろんな人の日記や作品を読んできた。勉強になるのもあったし、正直毒になるのもあった(ネトウヨやツイフェミがその典型)。
深夜に眼が重くなることもあったけど、あの日々では多くの学びを得ることができた……え、何? 個人のブログよりも書籍の方が勉強になるだろ、だって? それは言わない約束ということで。
はてなブログは週に一度はチェックする。書籍も好きだが、しかし自分は個人が魂を削って書いたブログの方が好きなのだ。これからもいろいろと読んでいきたい。
面白いうえに、人生のためになるようなブログを運営されている方々におかれましては、重ね重ね感謝を申しあげます。今までありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
上司「わかった、すぐに対応する。開発者の方々は継続して作業してくれ。」
上司はすぐにプロジェクトの進捗状況を確認し、納期を繰り上げるために必要な手続きを行った。また、開発者たちの負荷を軽減するために、他のチームから人員を補充することも決定した。
上司「開発者の皆さん、この先も頑張ってください。私たちは必要なサポートを提供します。」
現場「ありがとうございます。一緒に頑張りましょう!」
上司は現場の声に応え、迅速かつ適切な対応を行ったことで、チーム全体の士気を上げ、プロジェクトの成功に向けて前進することができた。
AIに続きを考えてもらったぞ。
囲碁と同じでこの展開をなぞるんだ。
ドイツの首都ベルリン市内の市営プールで、女性が男性と同じようにトップレスで泳ぐことが認められ、ジェンダーの平等に向けた一歩前進として歓迎されている。
この対応は、19世紀を起源とする「フライケルパークルトゥアー(『自由な体の文化』の意味)」の表れでもある。
市当局が行動を起こしたのは、女性水泳選手が2022年12月、胸を隠さずに市営プールで泳ごうとして止められたことがきっかけだった。
女性は上院司法・多様性・反差別局のオンブズマン事務所に不服を申し立て、当局はこの女性が差別の被害に遭ったと認定。ベルリンの市営プールでは、女性も女性でも男性でもないノンバイナリーの人も含め、全利用者のトップレスを認めると発表した。[B! 差別] 独ベルリンの市営プール、女性のトップレスOK 「禁止は性差別」の訴え認める
一方その頃、日本では…
女子トイレに行くと、たまに「ここ女子トイレですよ」って言われる。「そうですね」って返事すると、大概「あら」とかなんとか言いつついなくなる。声でわかるらしい。当方、正真正銘の女なんだけどね。
かわいそうに。なんで彼女が何度もそんな目に合わなくちゃならんの?
女性に生まれついたというだけで、【女性らしい】格好を社会から要求される理不尽さ。
トランス女性もシス女性も、「女子トイレでは【女性らしく】なくちゃ」
…ああ、女性は生きづらい。
私は人生の中で、周りが女の人ばかりの社会でずっと生きてきている。
女兄弟しかいないし、部活は吹奏楽部だったし、仕事は女性向けの商品を扱う会社で働いている。
当然、友達は男より女の方が圧倒的に多い。
その周りにいる女友達を統計的に考えると、クズ男に引っ掛かっている女がめちゃくちゃいる。
「私、なんでクズ男ばかり付き合っちゃうんだろ」と自覚していながら前進するつもりもない悩みを抱えているバカ女が一定数いる。
だから「”なぜ”バカ女はクズ男ばかり付き合ってしまうのか」を個人的主観のみで色々と考えてみたので、備忘録用にここに書いておく。
まず、個人的な感覚としてバカ女は総じて「可哀想に見える」ことが特徴だと感じる。
どんな理由であれ、オーラや話し方で「この女は可哀想に見える」と思われてしまう女は、基本的にバカ女だと感じる。
これを前提として、バカ女に近寄ってくる3種類の男(全員がクズ男では無い)を挙げてみる。
これはもう完全にクズ男。
幸せの定義を「お互いが好き同士で、ある程度付き合って、結婚する」とするならば
ヤリ捨てポイするセフレ男、もしくは「ずっと好きだよ」と甘い言葉で誘ってくる既婚者の2パターンがほとんどだ。
これはクズ男ではない。
ただ、バカ女はこういう同じ種類の男とは仲良くなれない。仲良くしたくないのだ。
いわゆる弱者男性で、金もなけりゃ見た目も悪く、性格も捻くれている。
類は友を呼ぶとはよく言ったもので、バカ女は自分の境遇や見た目や考え方を棚に挙げて、同じ可哀想な男を”気持ち悪い”と判断をする。
これもクズ男ではない。
いわゆる理解のある彼くんで、一見「優しい男なら良いではないか」と思いがちだがこれはイケメンに限った話なのだ。
そうなると市場にいるのは優しい性格のブス男しか余っていないのだ。
こうなると「黙って妥協して優しい性格のブスでいいじゃん」と言いたくなるが、ここであの”ヤリチン男”が効いてくるのだ。
そうなると「なぜ、イケメンにもモテる私が、優しいだけしか取り柄がないブスと付き合わないといけないんだ」という思考になる。
ただ、そのイケメンヤリチン男は、可哀想な女とは付き合いたくないし、生涯を共にしたいとは微塵にも思っていない。
だって、どうせ付き合うならもっと可愛くてお金を持って安定している人がいいんだから。
これによって「可哀想な女」は他の種類の男には魅力を感じず、クズ男に振り回されながら1人で孤独に死んでいく”バカ女”になってしまうのだ。
今の「ある程度自由にカメラの場所を変えられる」3Dゲームだったらもう不要かなと思うけど、
当時は「カメラが固定」で「場面ごとに視点の方向が違った」わけじゃん。
例えば廊下を横から見たシーンがあって右に進みたいので右ボタンを押すじゃん、
で、で一定以上進んだら場面が切り替わって廊下を進行方向の正面から見た視点に変わるじゃん?
そうするとその画面では右は壁側になっちゃうわけじゃん?
画面が切り替わった進行方向が明後日の方向に切り替わっちゃうわけじゃん。
これってかなり直感的じゃないと思うんだよね。
覚えてる人がいるかわかんないけど、FF7とかで画面切り替わると視点が逆になって
ボタン押しっぱなしで移動してると延々と2つの画面を行ったり来たりしちゃうようなシーンもあったのよ。
これは2Dでは基本的に起こりえなかったのね。
画面の右に行きたければ右を押せばいいし、画面の左に行きたければ左を押せばよかった。
んで、3D風の2Dゲーム、一番有名なところだとウィザードリィとかはどういう操作だった?
これを固定することで、どれだけ視点が切り替わっても「進みたい方向に進む」ことができた。
現実世界の我々だって右に移動したいときはまず右を向くわけじゃん。
もしかしたらずっと正面向いてカニみたいに歩いてる増田もいるかもしれんけどさ。
だから俺は今でも初期バイオのラジコン操作は尤も理に適った直感的な操作システムだと思ってんだよね。
当時から今までずーっと不評だけどさ。
# リチャード・ローティと長渕剛の討論:「長渕剛と猫カフェ」
## ローティ
早速ですが、あなたは真実や正義というものが存在すると思っていますか?それらはどこから来るのですか?神からですか?理性からですか?それらは普遍的に適用されるものですか?
## 長渕
そんなこと聞く必要あるか?真実や正義は心から感じるもんだろうが!神でも理性でもねえよ!俺たち一人一人が持ってる感情だよ!感情!それらは普遍的じゃねえかもしれねえけど、俺たちはそれらに従わなきゃ生きてけねえんだ!
## ローティ
感情だけでは不十分だと思いませんか?感情は時々間違ったり変わったりしますよね?あなたが今感じている真実や正義が明日も同じだと保証できますか?あなた以外の人々が感じている真実や正義と一致しますか?
## 長渕
間違ったり変わったりすることもあるさ。でもそれでも俺は感情に従うしかねえんだよ。俺は自分の歌でそれを伝えてきた。俺の歌は俺の感情だ。俺の歌は真実だ。俺の歌は正義だ。
## ローティ
あなたの歌はあなたの感情を表現しているということですね。それは素晴らしいことだと思います。でも、あなたの感情が真実や正義と同じだということには疑問があります。あなたの感情はあなたにとって有用で幸福な物語かもしれませんが、他人にとってもそうでしょうか?他人があなたの歌を聞いても、同じように感じるでしょうか?
## 長渕
そりゃ人それぞれだろうよ。でも俺は自分の歌を聞いてくれる人々に寄り添ってやりたいんだよ。俺は自分の歌で人々に勇気や希望や愛を与えたいんだよ!
## ローティ
それは素晴らしい目的ですね。でも、その目的を達成するために、真実や正義という言葉を使う必要がありますか?それらの言葉はあなたや他人を束縛したり対立させたりする可能性がありませんか?もっと柔軟で多様で開放的な言葉を使えば、もっと有用で幸福な物語を作ることができませんか?
## 長渕
柔軟で多様で開放的な言葉?そんなもんどこにあるんだよ!俺は自分が思ったことや感じたことをそのまま言うしかねえんだよ!それが真実や正義じゃねえかもしれねえけど、それでも俺は嘘つきになりたくねえんだよ!
## ローティ
嘘つきになりたくないという気持ちはわかります。でも、真実や正義以外の言葉を使うことが必ずしも嘘つきになることではありませんよ。例えば、「長渕剛」と「猫カフェ」という言葉です。「長渕剛」はあなただけではありません。「長渕剛」は私や他人が作った物語です。「猫カフェ」も同じです。「猫カフェ」もまた私や他人が作った物語です。
## 長渕
物語?物語って何だよ!俺は物語じゃねえよ!俺は俺だよ!猫カフェも物語じゃねえよ!猫カフェは猫カフェだよ!
## ローティ
あなたはあなたですか?猫カフェは猫カフェですか?それらの言葉にはどんな意味がありますか?どんな感情がありますか?どんな価値がありますか?それらの言葉はあなたや他人にとって有用で幸福ですか?
## 長渕
意味だ感情だ価値だ…そんなもん考える必要ねえよ!俺は俺でありたいんだよ!猫カフェに行きたいんだよ!そこにいる猫たちと触れ合いたいんだよ!それが有用で幸福じゃねえか!
## ローティ
あなたはあなただけでありたいということですね。でも、あなただけではありませんよ。あなたは私や他人と関わっています。あなたの言葉や行動は私や他人に影響を与えます。私や他人の言葉や行動もあなたに影響を与えます。それを無視することができますか?
## 長渕
無視する必要ねえよ!俺は自分の信念を貫くだけだよ!俺は自分の歌で自分の思いを伝えるだけだよ!それが他人にどう影響するか知ったこっちゃねえ!
## ローティ
自分の信念を貫くことは大切ですね。でも、自分の思いを伝えることも大切ですね。でも、その両方を同時にすることが難しいこともありませんか?自分の信念が他人に伝わらないこともありませんか?自分の思いが他人に反発されることもありませんか?
## 長渕
難しいこともあるさ。伝わらないこともあるさ。反発されることもあるさ。でもそれでも俺は止まらねえよ!俺は前進するしかねえんだよ!
## ローティ
前進することは素晴らしいですね。でも、前進する方向や目的地が明確ですか?前進する過程や方法が適切ですか?前進する結果や帰結が望ましいですか?
## 長渕
正直言うと猫カフェは動物虐待だと思ってるよ…猫カフェは猫を金儲けの道具にしてるんだよ。猫カフェは猫にストレスや感染症を与えてるんだよ。猫カフェは猫の適正な管理を怠ってるんだよ!
## ローティ
そうですか。でも、すべての猫カフェがそうだと言えますか?すべての猫カフェが動物愛護法に違反していますか?すべての猫カフェが劣悪な環境で営業していますか?すべての猫カフェが金儲けしか考えていませんか?
## 長渕
そりゃ全部じゃねえかもしれねえけど、多くはそうだろうよ。俺は自分の目で見たことがあるんだよ。6畳ほどの展示スペースに62匹もの猫がいたんだよ。7割が病気にかかってたんだよ。
## ローティ
それはとても悲しい光景ですね。でも、それはあなたが見た一つの例ですよね。それを一般化することはできますか?それを証拠とすることはできますか?それを根拠とすることはできますか?
## 長渕
証拠だ根拠だ…そんなもん要らねえよ!俺は自分の感覚でわかるんだよ!俺は自分の直感で判断するんだよ!俺は自分の経験で語るんだよ!
## ローティ
あなたの感覚や直感や経験は大切ですね。でも、それらはあなただけに有効ですよね。他人にも有効ですか?他人にも共通ですか?他人にも説得力がありますか?
## 長渕
俺はそんなこと気にしないよ。俺は自分の信じることを言うだけだよ。俺は自分の好きなことをするだけだよ。俺は犬カフェを経営したいと考えてるんだよ。
## ローティ
犬カフェを経営したいと考えているんですね?それはどういうことですか?犬カフェとは何ですか?
## 長渕
犬カフェって知らねえのか?犬カフェってさ、犬と一緒に遊んだりご飯をあげたりして楽しめるカフェのことだよ。
## ローティ
そうですか。それは楽しそうですね。でも、それは動物虐待ではありませんか?猫カフェと同じではありませんか?
## 長渕
ラスキンは、委員会は 「大規模なロシアの偽情報とソーシャルメディア上の白人民族主義者の暴力的扇動という真の脅威 に焦点を当てる方が良い」とおかしなことを主張した。
バイデン政権による憲法修正第1条の簒奪と同様に、ラスキンの同業者の目的は検閲とそれに伴う国家権力の増強であり、反対者の議論や主張の真偽を問うことではない。
バイデン政権の役人が戦時中の修辞学的戦略を使って、反体制派を中傷しているのは周知の通り。そうすることで、彼らは批判者を検閲するために、反対意見を公共の安全への脅威とわざと混同している。
公衆衛生(コロナ)について議論するとき、政権は一貫して 「誤報 」「偽情報 」というレッテルを使う。しかし、政府の運営について知れば知るほど、これらのレッテルは政権として不都合だからレッテル貼りをしているのであって、情報が必ずしも虚偽ではないように思われるのだ。
ノルドストリーム1・2パイプラインは、2022年9月に爆発した。10年以上前からロシアからヨーロッパに天然ガスを送っており、ロシアは当時2を開発中だった。ニューヨーク・タイムズ紙などは、この爆発を 「ミステリー」 と呼んだ。
この妨害工作は、米国の同盟国であるヨーロッパに大きなエネルギー危機をもたらした。欧州はガスの40%近くをロシアから輸入しており、ノルドストリーム1はその約3分の1を供給する役割を担っていた。
米国が海軍の潜水士を使ってロシアのパイプラインを爆発物で破壊する「秘密の海上作戦」を実行したと報じるところもある。
2022年のロシアのウクライナ侵攻に先立つ数週間、バイデンは、戦争になった場合、パイプラインに対して行動する意向を表明した。
「もしロシアが侵攻してきたら...Nord Stream 2はなくなる 」と記者団に語っていた。「我々はそれに終止符を打つ」
「具体的にどうするのですか?」と記者は尋ねる。
ビクトリア・ヌーランド国務次官(政治問題担当)も同様に明言した。
プーチンは、パイプラインに対する「テロ攻撃」について、西側諸国の「アングロサクソン」を非難した。プーチンは報道陣に対し「それで利益を得ている者たちがやったことだ」と述べた。バイデンは、プーチンの非難を 「偽情報と嘘を流布している」と厳しく非難した。
ホワイトハウスの国家安全保障報道官エイドリアン・ワトソンは、バイデンの主張を支持し、プーチンの非難を 「ロシアの偽情報 」と言及。ロシアの国連大使もまた、米国が妨害工作に関与しているとほのめかした。これに対し、リチャード・ミルズ国連大使は「陰謀論と偽情報 」と反論。
ノルドストリーム・パイプラインに対して行動を起こすと司令官が明言したにもかかわらず、信じた報道陣は、破壊工作に西側が関与しているという非難は「根拠のない」「誤報」「偽情報」「陰謀論」だと政府の話法をひたすらパロっている。
これはすべて、コロナ時代の情報戦と同じパターンに従っている。不都合な物語が生じると、政府とメディアのレミングはそれを嘘で危険なものとして中傷し、数ヵ月後に問題の論争が真実(あるいは少なくとも非常に妥当なもの)であることが判明するのである。
自然免疫、ワクチンの効果、マスク、実験室漏れ仮説、学校の閉鎖、監禁、社会的距離の取り方の科学的根拠をめぐる論争は、このような報道のサイクルをたどったほんの一例である。
これは、ハンター・バイデンのノートパソコンに関するニューヨーク・ポストの報道と同じパターンであった。そして今、ビッグテック、情報機関関係者、連邦政府を巻き込んだ汚職を調査する公聴会で、ラスキンとその仲間たちは、おなじみの検閲の策略に立ち戻った。
検閲官にとって、真実ではなく、権力の増強が主な目的であることに変わりはない。この目的を達成するために、彼らは反対意見を国内テロと混同している。
たとえば、国土安全保障省の「国家テロリズム諮問サービス」は、2022年2月に誤報と偽情報をテロの脅威として挙げている。このメモでは、これらの脅威を 「政府に対する国民の信頼を損ねる 」ための取り組みと位置づけている。
COVIDとウクライナの両方について、最も強力なアメリカの勢力は、アメリカ国民に繰り返し嘘をつき、誤解させた。彼らは自分たちの繊細な虚構の物語を守るために批判者を検閲し、政府に対する国民の信頼が薄れているとして他人を攻撃する。
話すとは、「離す」ことでもあるらしい。
なので、雪を見ると思い出すことを、ここに置いていこうと思う。
ネトゲ廃人で無職・モラハラ・DVと毒親役満祭りの父をフライパンで撲殺しようとして失敗した結果、靴を履く前に外に追い出されたのだ。
「せめて靴ぐらいはくれ」と叫んだが後の祭りで、ご丁寧にガチャンと鍵の閉まる音までした。えらいことである。
あいにくその日はバイトがあった。流石に、「靴がないのでバイトに行けません」で穴をあけるわけにはいかない。
仕方がないので、1km先にある祖母の家まで靴をもらいに行くことにした。
自転車が使えれば良かったのだが、肝心の鍵は家の中。
「歩くかぁ~~~」
破傷風が怖かったので、玄関先に吊り下げていたバカでかいポンチョの裾を地面につけ、20~30cmずつ前進するという方法で進んだ。
これでとりあえず足が切れてばい菌が入り、壊疽を起こして膝から下を切断するおそれはない。
しかし何よりこたえたのは、地面の冷たさだった。
一歩踏み出すごとに、足裏が痛みでいっぱいになる。踏み出したところで、ポンチョの裾も有限であるから、普段の半歩も進めない。
通常の2~3倍の時間をかけて祖母の家へ向かう道の半ばに達したときには、「靴って偉大だったんだな……」と感嘆の気持ちすら湧いた。
祖母の家へ向かう道の3分の2を消化した頃、頭に浮かんだのは「現代のヴィア・ドロローサ」というフレーズだった。
もちろん十字架を背負っていない分、キリストよりこちらの方が苦しくないのは言うまでもない。
だがそのときには、とにかく歩くのが辛くて「キリストもこんな気持ちだったのかな……」と思いながら歩いた。今思えば尊大すぎる。
しばらくして、ポンチョを被ったとぼとぼオバケと化していたこちらに声をかけてくれている人がいることに気が付いた。
なんでも、そのおじいさんは祖母の弟さんだという。
こちらはおじいさんのことはきちんと覚えていなかったが、おじいさんの方はこちらを覚えてくれていたようで、「なんで雪の日に裸足で歩いてるんだ!?」と思い、声をかけてくれたらしい。
おじいさんは大工をやっているので、すぐそこに掘っ立て小屋があるからそこで休もうと言ってくれた。有難すぎて仏に見えた。
1時間ぶりに床の上に上がり、小さくも温かい小屋の中でこたつに入ってストーブにあたりながら、文明は偉大だとしみじみと感じた。
その後、貸してもらったサンダルを履いて祖母の家に行き、事情を話した。
そのあとのことは、あまりよく覚えていない。
祖母から連絡を受けた父が迎えに来たことだけは記憶にあるのだが、そのあとどうやって家に帰ったのか、バイトに行ったかどうか、思い出せないのである。
雪が降ると、この日のことを思い出す。
しかしもう、思い出すのも良くないというか、一度自分の中から手放したくてここに書くことにした。
客観的に見ると「嘘松認定されそうな話だな」と思う。でも、事実だ。
「こんなことする親いるわけないじゃん!嘘でしょ~!」と思えた人は、嘘と思ってくれてもいい。
こちらとしても、「雪の中1kmも裸足で歩く経験をした子供はあまりいないのか。良かった、良かった」と思うことができる。
最後に一言、「靴って文明、有難さの極み~~~!!!!!!!!!!!」
完
ブロックをフリーライドとか言ってる人はそもそもブロックの仕組みを理解してないんだと思う
これは自分のデバイス上の表示コントロール権限を自分が持つべきていうシンプルな話だよ
これが目に見えないマイニングスクリプトだったら気持ち悪がるけど、普段から親しんでる広告だと同情的になるのは認知バイアスにすぎない
現代の広告というのは各種のトラッキングが織り込まれた高度なスクリプトと言えるレベルのもので本質的に大差ないんだよ
行儀の悪いものを他人のデバイス上に押し込んでマシンやヒューマン側の処理リソースを奪って来ているのは広告事業者のほう
ブロックアプリによっては行儀のいい広告だけは許可するものもあるのが、それが現代広告の本質を表してる
もとからアクションする気がないものをローカル上で非表示にしたところで広告の収益性は変わらないし、やせ我慢して表示させて注意力と時間を奪われ続けるのは愚かな行動としか言えない
そもそも悪質なものはブロックしていかなければ、成果がでないように無視していかなければ、この業界というのは健全化しない、前進していけないんだよ
FBIですら市民に情報セキュリティ上の理由で広告ブロックツールの利用を推奨しているのが現代のインターネット広告の惨状だ
ブロックを一律にフリーライドと揶揄して使用するべきでないかのような圧をかけるのは、健全な業界の成長を阻むという意味で反社会的行為とすら言える
そのへんをよく学んでみてくれ
今の広告の在り方というのは絶対的な、Webエコシステムの前提とするべきようなものではないと分かるはずだ
昔のインターネットを知らない人には想像できないかもしれないが、このような不快な広告スキームに頼らないで済む未来のWebのあり方を模索していくのが今後の人類の課題でもあるだろう
平和ボケしている日本人にはわからないかもしれないが、俺はそう思い生まれ育ったこの土地をいつか
離れなくてはならないんだろうなあと日々悩んでいる
日本を朝鮮カルト漬けにした安倍ポンが北方領土問題を前進させるどころかヘラヘラ笑いながら
ロシア領としてより強固な基盤ができあがっただけでなく血税ウン千億まで盗られる始末
戦争ってさあ、長年大きなものは起きていなかったけど一度起きると、それを実行するハードルってめちゃくちゃ下がるんだよ
もう日本の政治家が極端までに愛国心がないってことは完全にバレてるわけで(統一教会とフュージョンで合体してるしな)、
北海道くらいチョロいわけよ
最近の言論が非生産的とされるのは、政治に対する考え方が敵味方と関係していると判断されることにある。社会はどのような立場をとるかによって左右のスペクトルに位置づけられるという感覚に陥っている。
左端は「共産主義者」、左中央は「進歩主義者」と「リベラル」、中央は「穏健派」、右は「保守派」、そして右端は「ファシスト」である。従来の常識では、政治にはいろいろな立場があるように見えるが、その根底には「変革」「現実主義」「社会正義」など、一つの理念や主義があり、それを束ねるイシューがあるということだ。
多くの人がこの「スペクトル」モデルの政治を信じているが、左派や右派のあらゆる政治的立場が、根底にある一つの根源イシューから生じていることを示す証拠はあるだろうか。政治には、他のあらゆる複雑な領域と同様に、何千もの問題があり、それらについて考える方法はたくさんある。
では、一次元のモデルに魅了され、多次元的な政治的現実を見ることができなくなっているのだろうか。それともそのような一次元化がまさに本質なのだろうか。
例えば共和党が何をやっても、たとえ正反対の政策をとっても、必ず "右傾化 "と呼ばれる。自民党でも同じである。では、「右翼」というレッテルは、共和党の政策について何を伝えるのだろうか。まさに何もない。しかし、共和党を嫌う人々は、共和党をヒトラーと一緒にすることでレッテルを貼れるのである。
「左翼」あるいは「右翼」と呼ばれる一連の信条の背後には、統一的な原理や哲学が存在しないため、この左・右のイデオロギー観から生まれる用語(「進歩的」「自由主義」「保守」「反動的」)は、部族の意味以外には意味をなさないと心理学者は考える。ある人が保守派に属していると言うことはできても、それが政策的に何を意味するかは、その部族がある文脈で何を支持するかに完全に依存する。
では、なぜ「リベラル」や「保守」が信じていることの背後に単一の哲学や世界観があるという集団妄想が蔓延しているのだろうか。一部の人はある人を「ネトウヨ」と呼ぶかもしれない。それは、教育に対する不信感を表明するような態度から「低学歴」を想像するからかもしれないし、中国の脅威を叫ぶことが「差別主義」と同じように見える人もいるのかもしれない。「イデオロギーとは、ナルシスティックな時代における自己満足の道具なのだ。」という言葉そのものが、イデオロギー対立をする人々を敵と見做したナルシストであることは興味深い。
心理学者は長い間、人間には帰属意識と意味のあるコミュニティが必要であることを理解してきたが、イデオロギーのおかげで、我々は自分たちの部族が信じていることすべてに賛同し(それが常に変化しているとしても)、自分たちの部族が支持していることが実は「保守主義」や「進歩主義」の哲学に縛られていることを事後的に料理して説明できるのだ。このような話術は、占星術師が誇りに思うだろう。
二項対立のレッテル貼りはドーパミンを放出し、部族を結びつけるが、民主主義の健全性にとってはどうだろうか。スペクトルの観点から考えることは問題を通して考えたり、別の視点を考慮したりすることをできないようにするだろうか。
「もし二項対立のレッテルを貼るのをやめ、他のあらゆる複雑な領域でそうしているように、粒度の細かい説明を使うことができれば、現代の公的生活を特徴づけている混乱と敵意を払拭するために大きな前進を遂げることができるだろう。」と希望的観測を述べる人もいるが、部族主義よりももっと根本的なことがある。
それは、緊縮財政に陥った社会のゼロサムゲームがスタートしていることが挙げられる。その場合、「どうやってパイを分けるのか」についての騙し合いが始まり、その騙し合いこそが「イデオロギー」という最大の綺麗事に変換されるのである。
自称教養人は「スペクトル」を包括的に考えることを笑い飛ばすだろうが、そのスペクトルの背後の経済学(つまりゲーム理論)について真剣に考えるべきだろう。部族主義、なんて怪しい言葉を使うのは胡散臭い心理学者だけで十分である。
会話型AIの政治思想:ChatGPTの親環境、左リバタリアン志向に関する収束的証拠
https://ui.adsabs.harvard.edu/abs/2023arXiv230101768H/abstract
🇺🇸 🇯🇵Blah🐰follow the bunny🥕
@yousayblah
✅集めた資金が実際の被害者救済に使われず立ち上げ団体の豪遊資金に
✅セクハラ問題のクオモ州知事を全面擁護、疑惑の揉み消しを画策
というBLM同様にとんでもないものでしたね…
Miya Hakuyo (宮 白羊)
@MiyaHakuyo
·
誰からも異論はなく別のレストランを予約した。こういう考え方を共有出来る友達を誇りに思うし、そういう考えがもっと広がればいいと思う作品とその人を切り離すという考え方は、結局性犯罪者を許容する事になるともっと重く考えるべきだと思う。僕らは#MeToo 運動から学び更に前進して行く必要がある
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🇺🇸 🇯🇵Blah🐰follow the bunny🥕
@yousayblah
書き方の問題かもしれないけど、
これだと真偽もわからず、ただ風評被害を受けている(&さらにこの人の友人がデマを広めている)気の毒なレストランという可能性もあるよね…。
Miya Hakuyo (宮 白羊)
@MiyaHakuyo
先日友達グループでディナーに行こうという事になり、あるレストランを予約しようとしたら、友達の一人がそこは嫌だと言い出し、理由を訊ねるとそこのシェフは過去に女性に乱暴をした事があるらしい。素晴らしい料理を作るけど、そういう人の所ににお金を一切落としたくないとの事。
metoo運動が終了していることを知らないフェミやジェンダーは異常でしょう。
https://www.foxnews.com/search-results/search?q=metoo
これで見ても4年前で終わってる。
https://www.foxnews.com/entertainment/debra-winger-metoo-movement-gone-ridiculously-too-far
"The plates are shifting," she shared. "In some ways, it's pulled ridiculously too far. Part of it is that I'm the mother of three young white males, so I'm looking at things that they're experiencing, and things that my girlfriends of all different backgrounds are experiencing [and] it hasn't quite found its steady point yet where there's room for everybody."
The key problem with MeToo is that they are hypocritical liars. They don't believe all women -only the ones that fit their political agenda. Ask Tara Reade.
All these so called “movements” have gone too far. It’s no secret that women go after rich men for there money and if someone wants to meet you at a hotel...then you should know what your getting into.
https://www.sankei.com/article/20230204-MMIPNDUGAFIKJBR5O6DBOXLXEA/
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.sankei.com/article/20230204-MMIPNDUGAFIKJBR5O6DBOXLXEA/
私が「弱者男性や無職男性は見るのも嫌だ。私の周りの人もみんな嫌いだ。彼らのせいで日本を捨てる人もいる。でも人権はあるよ」と言っても差別だと感じないなら、一応筋は通っている。
この発言に感動した
これを受けての返しなんだけど
これを言うって事は「そういった発言は差別的である」と認識してるわけだものな
界隈がいつもやる、「国連や裁判で差別と認定されてから出直せ」、「俺の偏見は良い偏見」じゃないってすごい前進だよね
発言者は筋が通った正義の人なのだと思うんだけど、カウンターとして置かれたからか★がついていて
やっぱみんな「差別」だと思ってたんだなぁ
あとさ、これ記事とは関係ないけど同性婚絡みの話だから書くんだけど
同性婚でも「養子」や「代理出産」、「精子提供」で子供は持てる、みたいな話がカウンターで置かれる事多いんだよね
小梨異性婚と変わらないじゃないかという話をしたいんだろうけどさ
そういう事を「同性婚認めたら、家族観が変わる」を叩く口で言うわけよ
ゾッとするよね
その口が「お綺麗な理想」を語るのよ
もうさ、そこまで行ったら、「家族観」に囚われて、同性婚に固執するよりもさ
旧来の血と家を前提とした結婚なんて捨てちまえって思うんだけどな