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2023-11-26

図書館美術館の吹き抜けにカフェがある施設は次のとおりです。

  1. 那須塩原市図書館 みるる
  2. 伊賀市新堂の「SHINDO YARDS(シンドウヤード)」
  3. 太田市美術館・図書館

那須塩原市図書館 みるるは、JR黒磯駅に隣接した交流拠点です。図書館機能だけでなく、カフェ展示スペーステラスなども備えています。

伊賀市新堂の「SHINDO YARDS(シンドウヤード)」は、図書館カフェ市役所支所などが入った複合施設です。

太田市美術館・図書館は、図書館美術館が組み合わさった近未来的な文化施設です。建築家平田晃久氏が設計担当しました。

2023-03-08

# リチャード・ローティ長渕剛の討論:「長渕剛猫カフェ

(以下、Bing チャットAIが生成した文章です)

# リチャード・ローティ長渕剛の討論:「長渕剛猫カフェ

## ローティ

早速ですが、あなた真実正義というもの存在すると思っていますか?それらはどこから来るのですか?神からですか?理性からですか?それらは普遍的適用されるものですか?

## 長渕

そんなこと聞く必要あるか?真実正義は心から感じるもんだろうが!神でも理性でもねえよ!俺たち一人一人が持ってる感情だよ!感情!それらは普遍的じゃねえかもしれねえけど、俺たちはそれらに従わなきゃ生きてけねえんだ!

## ローティ

感情だけでは不十分だと思いませんか?感情は時々間違ったり変わったりしますよね?あなたが今感じている真実正義明日も同じだと保証できますか?あなた以外の人々が感じている真実正義と一致しますか?

## 長渕

間違ったり変わったりすることもあるさ。でもそれでも俺は感情に従うしかねえんだよ。俺は自分の歌でそれを伝えてきた。俺の歌は俺の感情だ。俺の歌は真実だ。俺の歌は正義だ。

## ローティ

あなたの歌はあなた感情表現しているということですね。それは素晴らしいことだと思います。でも、あなた感情真実正義と同じだということには疑問がありますあなた感情あなたにとって有用幸福物語かもしれませんが、他人にとってもそうでしょうか?他人あなたの歌を聞いても、同じように感じるでしょうか?

## 長渕

そりゃ人それぞれだろうよ。でも俺は自分の歌を聞いてくれる人々に寄り添ってやりたいんだよ。俺は自分の歌で人々に勇気希望や愛を与えたいんだよ!

## ローティ

それは素晴らしい目的ですね。でも、その目的を達成するために、真実正義という言葉を使う必要がありますか?それらの言葉あなた他人を束縛したり対立させたりする可能性がありませんか?もっと柔軟で多様で開放的言葉を使えば、もっと有用幸福物語を作ることができませんか?

## 長渕

柔軟で多様で開放的言葉?そんなもんどこにあるんだよ!俺は自分が思ったことや感じたことをそのまま言うしかねえんだよ!それが真実正義じゃねえかもしれねえけど、それでも俺は嘘つきになりたくねえんだよ!

## ローティ

嘘つきになりたくないという気持ちはわかります。でも、真実正義以外の言葉を使うことが必ずしも嘘つきになることではありませんよ。例えば、「長渕剛」と「猫カフェ」という言葉です。「長渕剛」はあなただけではありません。「長渕剛」は私や他人が作った物語です。「猫カフェ」も同じです。「猫カフェ」もまた私や他人が作った物語です。

## 長渕

物語物語って何だよ!俺は物語じゃねえよ!俺は俺だよ!猫カフェ物語じゃねえよ!猫カフェ猫カフェだよ!

## ローティ

あなたあなたですか?猫カフェ猫カフェですか?それらの言葉にはどんな意味がありますか?どんな感情がありますか?どんな価値がありますか?それらの言葉あなた他人にとって有用幸福ですか?

## 長渕

意味感情価値だ…そんなもん考える必要ねえよ!俺は俺でありたいんだよ!猫カフェに行きたいんだよ!そこにいる猫たちと触れ合いたいんだよ!それが有用幸福じゃねえか!

## ローティ

あなたあなただけでありたいということですね。でも、あなただけではありませんよ。あなたは私や他人と関わっていますあなた言葉や行動は私や他人に影響を与えます。私や他人言葉や行動もあなたに影響を与えます。それを無視することができますか?

## 長渕

無視する必要ねえよ!俺は自分の信念を貫くだけだよ!俺は自分の歌で自分の思いを伝えるだけだよ!それが他人にどう影響するか知ったこっちゃねえ!

## ローティ

自分の信念を貫くことは大切ですね。でも、自分の思いを伝えることも大切ですね。でも、その両方を同時にすることが難しいこともありませんか?自分の信念が他人に伝わらないこともありませんか?自分の思いが他人に反発されることもありませんか?

## 長渕

難しいこともあるさ。伝わらないこともあるさ。反発されることもあるさ。でもそれでも俺は止まらねえよ!俺は前進するしかねえんだよ!

## ローティ

前進することは素晴らしいですね。でも、前進する方向や目的地が明確ですか?前進する過程方法が適切ですか?前進する結果や帰結が望ましいですか?

## 長渕

正直言うと猫カフェ動物虐待だと思ってるよ…猫カフェは猫を金儲けの道具にしてるんだよ。猫カフェは猫にストレス感染症を与えてるんだよ。猫カフェは猫の適正な管理を怠ってるんだよ!

## ローティ

そうですか。でも、すべての猫カフェがそうだと言えますか?すべての猫カフェ動物愛護法違反していますか?すべての猫カフェが劣悪な環境営業していますか?すべての猫カフェが金儲けしか考えていませんか?

## 長渕

そりゃ全部じゃねえかもしれねえけど、多くはそうだろうよ。俺は自分の目で見たことがあるんだよ。6畳ほどの展示スペースに62匹もの猫がいたんだよ。7割が病気にかかってたんだよ。

## ローティ

それはとても悲しい光景ですね。でも、それはあなたが見た一つの例ですよね。それを一般化することはできますか?それを証拠とすることはできますか?それを根拠とすることはできますか?

## 長渕

証拠根拠だ…そんなもん要らねえよ!俺は自分感覚でわかるんだよ!俺は自分直感判断するんだよ!俺は自分経験で語るんだよ!

## ローティ

あなた感覚直感経験は大切ですね。でも、それらはあなただけに有効ですよね。他人にも有効ですか?他人にも共通ですか?他人にも説得力がありますか?

## 長渕

俺はそんなこと気にしないよ。俺は自分の信じることを言うだけだよ。俺は自分の好きなことをするだけだよ。俺は犬カフェ経営したいと考えてるんだよ。

## ローティ

カフェ経営したいと考えているんですね?それはどういうことですか?犬カフェとは何ですか?

## 長渕

カフェって知らねえのか?犬カフェってさ、犬と一緒に遊んだご飯をあげたりして楽しめるカフェのことだよ。

## ローティ

そうですか。それは楽しそうですね。でも、それは動物虐待ではありませんか?猫カフェと同じではありませんか?

## 長渕

違うよ!全然違うよ!猫カフェと比べちゃいけないよ!

2022-08-31

郷土資料館とか住民ほとんどが一生に一度行くか行かないか程度のものを、わざわざ結構土地と立派な建物で作ってたりするけど

市役所一角とかでいいだろ。

展示スペース倉庫があればいいんだし。

このご時世デジタルアーカイブにしてネットで公開しろよ。

2022-07-22

京都に行った時に、ブライアン・イーノ展を見てきた。

ブライアン・イーノはみなさんご存知の通り、ロックバンドロキシー・ミュージック」の元メンバーソロ転向後は、アンビエント・ミュージック環境音楽)を開拓した第一人者として知られているし、デヴィッド・ボウイベルリン三部作制作にも参加しているミュージシャンであり、視覚芸術インスタレーション作成しているアーティストだね。マック女子高生が言っていたから、みんな知ってる。常識

で、イーノ(マイフレンド)の展示だが、非常に印象的でして。京都信用金庫旧厚生センターという何やら歴史の趣を感じられる建物内に、複数階に渡って設置された音と映像インスタレーションをじっくり楽しめる。どの展示も室内に椅子ソファが設置されており、寛ぎながら鑑賞することができる。視覚的な変化を楽しむ、という作品が多く、イーノアンビエント時間空間の変化として捉え、変化の一形態としての音や映像といった落とし込みを行ったのかなとか。

音をメインとした展示では、ここのところ純粋に一枚のアルバム聴くというリスニング行為から、すっかり遠ざかっていたんだな、ということを思わされる。真っ暗な室内に立ちすくんだ後、薄らと見えてきた椅子に座り、周りから聞こえてくるあらゆる音に圧倒されてゆく感覚。この人は、アンビエントミュージックだけの人ではなく、長いキャリア作曲家であり音楽家なんだな、ということを実感する長尺の演奏曲。

そうして私の心の一部は、喜怒哀楽の隙間、言葉では形容しづらい感情感覚を呼び起こす原初音響の中、靴を脱いで展示スペースに上がると言う所作からわずかに思い起こされる、京都という地場の影響を受け、遠く海の向こう、空の向こうにあるかもしれない過去未来と溶けあっていく……とかなんとか。

思ったよりも楽しめました。まる。

2021-12-11

anond:20211210043823

∀ガンダムエピローグは「奇跡の6分」と題されて

富野由悠季世界」展で展示されてたのをあらためて思い出した。

 

その展示では大きな画面で映像が映し出されている周りに

富野監督絵コンテが展示されていた。

 

絵コンテカットの一つ一つには

「青に♫」 屋敷玄関カット

Lala lu ♫」 泣いているソシエ・ハイム顔を上げる。

Lalalu♫」 ロラン口づけをする。

みたいにそのカットごとに正確に

歌のどの場所でこのシーンというのが完全に設計されていて

今まで知識として絵コンテ映像設計図、

というのはわかっていたんだけど

実感として初めて、なるほどこれは映像設計図だ、

自分想像しているよりも遥かに緻密に計算されて

アニメというのは作られているのだ、

と得心したのを覚えているし、

何より映像の素晴らしさで

しばらくそ奇跡が具現化された

展示スペースから動けなくなったのを

覚えている。

2021-08-02

anond:20210802150858

まれても踏まれても起き上がる麦のような漫画家

ルックバックの展示スペース天皇のあれの横が良いな

2020-10-30

香港ポスターの件。もう少しだけ詳しく。

香港ポスターの話、ちょいと話題になっているけど、ソース痛いニュースだけじゃあ痛すぎるわよね。

なのでちょっとだけ解説するわよん。

あらすじ

承前:林祥焜という作家の描いた大型ポスター6枚が西九龍センターというショッピングモール掲示されていた。"GOODGIRL"シリーズと呼ばれ、割ときわどい格好の女性を描いている(詳しくは画像検索でもして)。

10月6日:車淑梅という香港の有名ラジオパーソナリティー(元)が例のポスター写真Facebook掲載して一言「マジかよ……(嚇一跳……)」と投稿当地ネチズン間で議論が起こる。

② 同10月6日:同地区評議会メンバーである劉佩玉議員が(西九龍センターを利用する)親子連れから多数の苦情を受けたとして、何人かの女性を伴い(合流し?)西九龍センターに対してポスター撤去要求した。

10月12日:西九龍センター台風16号の接近に備え、全ポスターを一時撤去

10月25~26日:西九龍センターで一時撤去していたポスターを再掲示。その際、6枚のうち3枚は例のパロディー版(ギャグ漫画家の甘小文氏作)に差し替えられている。なおこの差し替えオリジナル版の作者林祥焜氏も承知(というか歓迎)している。

⑤ これに対して劉佩玉議員は「また苦情が来たら考える」とのこと。

⑥ 【完】

西九龍センター/西九龍中心とは?

香港の大型ショッピングモール。地上10階地下5階。屋内だけどプチ遊園地スケートリンクがある。ちなみになぜか吉野家もあるわよ。AKB48のグッズ店もあるとかないとか。ガンプラも売ってた気がする。

外には大きな広告展示スペースがあり、ここの広告/ポスターエロい/煽情的/きわどいものが多く、よく批判なり抗議なりされてきたという歴史があるわ。まあセンター側は全部ガン無視だけど。

例えばこれこれこれこれこんなのかしら。"西九龍中心"でググればもっといろいろ見れるわよ。あ、中国からって百度検索ダメよ。きれいなしか出てこないから。

今回は台風で一時撤去したけど、過去対応を考える限り、台風来なかったら抗議ガン無視して掲載を続けてたと思うわよ。あのポスター群。

表現の自由的にはどうなのよ?

もう規制済みなんですわ。香港と言えど中国。やっぱどうしてもね。

"猥褻物法廷"ってのが香港司法にはあるのよ。この法廷猥褻定食らったら発禁なっちゃうわけ。ド直球の事前検閲でびっくりしたかしら?

届け出せずに出版等することはできるけど、あとからNG判定受けたら……ちょっと悲しい結末になるかもしれないのよね。

ちなみに件のポスターは全部審査パスしてるから、少なくとも当地の法的には猥褻でも下品でもないわ。

フェミニストは…?フェミニストはどこ……?

さあ?

この話の主要登場人物フェミニストいないのよね。"痛いニュース"では「フェミが抗議」って言ってるけど、劉佩玉議員フェミニストだという情報はないわ。

たぶん反エロフェミニスト的な連想ゲームなんでしょうけど、中国エロ規制してるのって中国共産党なの。いやまあ中国で何かを規制できる存在はほぼ中共だけなんだけど。

本件に関する香港ネチズン批判対象もほとんど保守(=体制派)だもの。劉佩玉議員体制派と目されている(※)のも関係してるかもね。

ああ、フェミニストYoutuberの3人組が劉佩玉議員への抗議として、ポスター女性と同じ服を着て事務所のドア前で自撮りするなんてこともあったわね。

香港民主化デモの時に警察暴力擁護/容認するようなことを言ったり、(市民側に)外国軍隊が紛れているかもという陰謀論じみた仄めかしをしたり。もちろんめっちゃ叩かれたんだけどね。

政府当局が当たり前の顔して検閲を、表現規制(当然エロも含む)をしている国で「フェミニスト萌え絵文句を言う!表現の自由侵害だ!」って言っても、ねえ?

フェミニストにしても「ポルノ女性蔑視を助長する、差別問題である」なんて言う暇もないわけよ。それより先に政府当局が「エロはいかん。不道徳だ。処す」って有言実行して、同じ口で女性差別もするんだから

家庭内暴力定義法規制2015年で、男性限定求人禁止されたのなんて去年なのよ、中国は。セクハラ啓発しようとしたフェミニストたちが当局逮捕された事件もあったわね。

(ただまあフェミポスター批判派もちゃんと探せばいるとは思うわよ?"痛いニュース"とかそこにコメントしてる人たちが調べた上で言っているとは思えないけどね。)

まあそういう世界感覚がわからないのは当然だわ。

エロがぁー女性差別ぅー」と「フェミがぁー表現規制ぃー」でじゃれあってられるくらいには平和なのよね日本

2020-02-13

東京国科学博物館東洋館と「出雲大和展」に行ってきた。

二月一日

 間もなく、特別展「人、神、自然ザ・アール・サーニ・コレクションの名品が語る古代世界-」が終了すると気づいたので足を運んだ。自分美術館に通う習慣を身に着けてから大体十五年が経過しているが、東京国立博物館東洋館をきちんと観たことはない。いい機会だと思い、東洋館全体をのんびりと回ることにした。

 特別展の会場は東洋館の二階にあり、会場そのもの常設展最初の部分、すなわち中国西域仏像のあるあたりを抜けた後にある。特別展の内容そのものは興味深かったが、コレクション全体が雑多なもの構成されているというか、あまりにも時代地域に幅がありすぎて、どのように展示したらいいのか少し迷っているような印象を受けた。とはいえ普段はなかなか見られないマヤ文明仮面などをじっくり見られたし、普段なら絶対しないような比較をする楽しみもあった。知らなかったのだが、グアテマラのほうがメキシコよりも良質の翡翠を産出するらしく、文明の中心地の人々は必死になってそれを求めたり、乏しい材料で何とか良いものを作ろうと苦心したそうである

 で、常設展に関してだが、展示スペースが地下階から五階にまで渡っており、ざっくり見ても三四時間はかかった。その中で特に面白く思われたのは、中国朝鮮半島の品々だ。というのも、青銅器勾玉などの作りが、日本とよく似ているところもあればまるで異なっているところもあり、比較する楽しみがあるからだ。また、饕餮の刻まれた祭器の類も自分は好きで、根津美術館に立ち寄った時にはのんびり眺めている。理由はわからないのだが、自分はそれと同じくらいに玉の類にも心惹かれる。西欧君主たちの王冠も立派だとは思うが、金やダイヤモンドではどうも少しまぶしすぎる。自分東アジア文化好きな人間だからそう感じるのだろうか。

 とはいえ自分が好きなのはどうやら宋代までらしい。どうも、明代になると技巧的になりすぎるというか、色が鮮やかすぎるように感じられる。確かに黄色などの発色は鮮やかだし、竜のうろこなども実に細かく表現されているのだが、技術的に優れていることが美しさに直結するかどうかは別問題だ。自分としては唐三彩と呼ばれる、赤や緑や土の色を活かした陶器が美しいと思う。ある程度の素朴さがないと、親しみが持てない。台湾で見た、清代象牙を削って作った細工なども、優れてはいるが技巧をひけらかしすぎているように思われる。

 あとは、天然の石を削ってザクロ見立てていたものはよかった。故宮博物館にあった、翡翠だか瑪瑙だかを削って作ったのと同じ発想で、天然の石の色彩や質感を生かしながら表現しているものだ。あとは漆を刻んだものもよい。色がおとなしくて上品だ。

 もう一つ興味をひかれたのは、漢代画像石だ。学生時代古典教科書の表紙に出ていたので覚えていたのだが、実物を見たのは初めてである。宴の様子が見て取れるようで、ある者は楽器を弾き、またある者はボードゲームをしている。そのボードゲームの盤は真上から見たように正方形表現され、遠近法無視されている。エジプト絵画と同じで、何が書かれているかがわかりやすいことが、写実性よりも優先されたのだろう。十字軍時代チェスをする騎士を描いた絵画でも、似たようなことをしていた覚えがある。

 そうだ。途中のフロアでは「生誕550年記念 文徴明とその時代」という、また別の企画展をやっていた。自分は書に対しては無知なのだが、解説によれば、文徴明は科挙には合格しなかった人物だそうであるしかし、温厚な人柄と勤勉実直な性格で、やがて文章校閲に関する職に就いた。九十年の生涯のうち三年しか勤務しなかったが、一流の人々と交わることでその才能を開花させた、とのことだ。人生仕事だけじゃないよな、という気持ちをまた新たにした。

 自分にはそれこそ古代中国官僚のように、職を退き水墨画に描かれたような山奥に引っ込んで、時折訪れる友人と琴棋書画をたしなむ、みたいな生活にあこがれる傾向があるのだが、ほどほどに働きつつ、土日に友人とボドゲをしたり美術館に足を運んだりするのは、十分近いんじゃないか、って近頃は思っていて、そんな気分になれたのも、今日気分転換成功たかなのだろうな、という気がした。

 近々、同じ敷地内の法隆寺宝物館にも行こう、と帰りの電車で考えた。あそこのカフェは閉館間際になるとほとんど人がいない穴場なのだ


二月八日

 特別展出雲大和」にふらりと向かった。前回の「正倉院世界」がとてもよかったので、これも行くしかない、と思われたからだ。

 おおよそ弥生時代から奈良時代初期にかけての日本美術を楽しめる。特に銅鐸などは、教科書で見たものもたくさんあり、懐かしく思われた。国宝重要文化財ごろごろとある三角縁神獣鏡も大量に見ることができた。恥ずかしながら、これが中国神仙思想と深い関係にあることを知らなかったので(忘れていたので?)、そこに刻まれていたのが解説を読むまで西王母だとはわからなかった。しかし、こう考えると日本への道教的な要素の導入は、かなり早いのだな、と思われた。

 他にも多くの埴輪があり、細かく当時の祭祀の様子が説明されていた。これは知らなかったのだが、出雲の周囲では四隅突出型墳丘墓という、独特の形をした古墳が広く分布しているそうである。そういうまじめなことをしかつめらしい顔をしながら読んでいると、自分は振り向く鹿を表現した埴輪肛門があるのに気づいた。正確には肛門ではないかもしれない。埴輪を焼くうえで必要技術的な要請から開けられた穴なのかもしれない。しかし、尻に穴が開けられていたのは間違いない。

 下世話な話だが、自分動物彫刻を見るといつもその性別を確かめたくなる。別に馬の彫刻に陰茎と陰嚢があって何が面白いのかと問われればそれまでなのだが、生真面目な騎馬像にもそういうものがついているかと思うとどことなく愉快な気持ちになる。それから、先週観たような民俗学的なものであっても、素朴な男性像と女性像ではどんな風に性器表現しているかを確かめるのは、文化ごとの感受性が端的に表現されていてなかなかに面白い。

 脱線が続くが、本当に不思議なのは世界中の文化男性器と女性器を絵にしたり彫刻にしたりすることが普通に行われているし、中には神々として崇拝することだってあるのに、ギリシアローマに由来する彫刻絵画では、女性器も陰毛もすっかり省かれてしまっていることで、これは男性像の性器も小さいほうがよろしいとされたことと関係しているのだろうか、などと何かと勘ぐってしまうのである

 閑話休題。この特別展で私が一番見たかったのは、七支刀である。「日本書紀」を読んでからぜひ見てみたいと思っていたものだ。刻まれた金の文字はかすかにしか読み取れないが、専門家でも何でもない私が「月十六日丙午」とある部分を読み取れたので楽しかった。だいたい、こういう文字の刻まれものを見るのは楽しくて、ほんの二つか三つの変体仮名をしっているだけでも、巻物を見る楽しみ増えるというものだ。

 ほかにも、神社奉納された刀剣や武具などもあったが、私はそれらには、古代の品々ほどには心はひかれなかった。あとは、「出雲国風土記」が朗読されているコーナーがあったが、そこでは本当にハ行がファ行で発音されて、チやヅがティやドゥと読まれていた。

 帰りは東京駅田舎そばを食べて帰った。非常に歯ごたえのあるそばだが、定期的に食べたくなる味だ。いつもは昼に寄ることが多いので肉野菜そば天ぷらそばだけだが、夕飯なので野沢菜と肉味噌れんこんをつけた。ちょっと贅沢をしたので気持ちよく眠れた。

2019-08-17

あいちトリエンナーレ2019に見る「検閲」の正体

津田大介による詳細なお詫びと報告のエントリーを読んだ。

あいちトリエンナーレ2019「表現不自由展・その後」に関するお詫びと報告

https://medium.com/@tsuda/%E3%81%82%E3%81%84%E3%81%A1%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%AC2019-%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E3%81%AE%E4%B8%8D%E8%87%AA%E7%94%B1%E5%B1%95-%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%BE%8C-%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%8A%E8%A9%AB%E3%81%B3%E3%81%A8%E5%A0%B1%E5%91%8A-3230d38ff0bc

さすが津田氏の本業だけあって、文章だと何を考えてどのようなことをしてきたのかがきちんと伝わってくる。普通に危惧されるくらいのことは可能な限り対処してきたのか、とか。これを読んでしまうと津田氏のトークイベントコーディネートのスキル文章力に比べて相当劣るように感じてしまう。

この文章で何度も出てくる「検閲」という言葉だが、他人言葉引用部分を除くと津田氏本人はかなり慎重に使っている。これは今回の炎上キーポイントでもある。

検閲」の種類

辞書的な意味検閲とは、公権力表現物を検査し発表を禁止することである

https://kotobank.jp/word/%E6%A4%9C%E9%96%B2-60273

しかしながら、図らずも今回あきらかになったように作品展示を中止する要因としては公権力ばかりではない。むしろ現代日本ではそれ以外の方が多いようだ。

 (1) 公権力イベント主催に関与していない政治家警察

 (2) 主催側(イベント主催者、展示施設スポンサー

 (3) キュレーター

 (4) アーティスト本人

 (5) 一般市民

 (6) 反社(ここでは便宜的に暴力的個人組織のこと)

このうち公権力によるクレーム強制力によって排除されるのが狭義の「検閲」。

主催側の立場は「金は出すけど口は出さない」のが理想ではあり今回もわりとそうだった。ただし事業である限り本来の主旨に合わないものデメリットメリットを上回る場合は、主催側が展示会の方向性意見する自由はあって当然。

キュレーターはむしろ何を展示して何を展示しないか権限を任されているので、それを行使するのが本業

アーティスト本人の意向ときとしてキュレーター意思よりもアーティスト意思尊重される。ある意味当然だがこれが強すぎると美術展がキュレーターの思惑とズレることがあり得る。そして今回ズレた。

声の大きいのが実は一般市民ネガティブポジティブに関わらず主催に対して意見を言うことは原則として問題ではないが数が多すぎると窓口業務に支障が出る。

そしてそれが悪い方向にエスカレートすると反社による脅迫になる。

実際のところ多数の一般市民からの苦情や反社から脅迫が原因で、このままでは来場者やスタッフ安全性が確保できない、という判断主催側、キュレーターがすることで展示中止となっているものが多いようだ。

今回の展示作品の「検閲

表現不自由展・その後」各作品の展示中止理由について調べてみた。

https://censorship.social/artists/

 慰安婦 3作品

 強制連行 1作品

 天皇 4作品

 福島原発 2作品

 米軍基地 1作品

 旭日旗 1作品

 右傾化反対 3作品

 JR脱線事故 1作品

 食品 1作品 

ちなみに「《平和少女像》は正式名称を「平和の碑」と言い、「慰安婦像」ではない」という言葉津田氏のエントリーにも作品キャプションにもあるが、これはかなり微妙な言い方で、「慰安婦像」という“名称”ではないものの、慰安婦表現したものであり、日本政府慰安婦問題謝罪を求める目的で作られた一連の像のひとつであることは作者が明言している。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E5%83%8F

https://ko.wikipedia.org/wiki/%ED%8F%89%ED%99%94%EC%9D%98_%EC%86%8C%EB%85%80%EC%83%81

https://en.wikipedia.org/wiki/Statue_of_Peace

これらを見ると、多くの場合主催側やキュレーター公共性や展示会の主旨を理由に展示中止しており狭義の検閲にはあたらないように見える。また、天皇関係のうち3作品は、富山県立近代美術館事件に関するもので、これは反社右翼団体)による脅迫が契機となっている。

https://artscape.jp/artword/index.php/%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E7%AB%8B%E8%BF%91%E4%BB%A3%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8%E4%BA%8B%E4%BB%B6

表現不自由実行委員会は、表現自由 vs 公権力による検閲 という構図に見せたがっている。ただ公立美術館や芸術祭主催自治体は、公権力というよりも主催側という立場であり、中止の判断現在体制では安全性が確保できない、公共性ポリシーに反するなどである

そこを巧妙にすりかえて、「検閲」という強い言葉を使うことにより強大な国家権力に立ち向かうアーティストという演出をしている。

現代日本における検閲らしい検閲といえば、表現不自由実行委員会メンバーである永田浩三氏の受けたNHK番組改変問題があり、こういった経緯の作品があれば説得力は増したと思う。

https://ja.wikipedia.org/wiki/NHK%E7%95%AA%E7%B5%84%E6%94%B9%E5%A4%89%E5%95%8F%E9%A1%8C

エログロについて

ここからは完全に余談。

津田氏のエントリーには、候補として上がった作品として、会田誠《檄》や、鷹野隆大《おれとwith KJ#2》、ろくでなし子デコまんシリーズが挙げられている。

鷹野隆大《おれとwith KJ#2》は男性器が写った写真を展示していたところ、通報されて警察から注意を受けたというもの。明確に違法な図画を作品としてクローズド場所に展示するのはOKNGかという議論は見たかった気がする。

https://www-art.aac.pref.aichi.jp/collection/pdf/2014/apmoabulletin2014p54-63.pdf

ろくでなし子作品展示スペースの都合で候補から落ちたという件、カヌーみたいな大きなものではなく手のひらサイズ実物大?)のものもあるので、スペースなんかどうにでもなるだろうと思ったものの、慰安婦天皇がらみの作品のすぐ横にデコまんがあったらそれはそれで別の意味が発生しそうなのでやむなしか

掲示されていた「年表」にそれらが含まれいるか知りたかったがよくわからない。ネットに上がっている写真を見ると「イケメン官能絵巻」の文字が見えるので「年表」にはエログロも含まれているのかも。誰か知っていたら教えてください。

2019-08-16

津田大介さん&その擁護者の言い分に納得できないこと

あいちトリエンナーレ津田大介さんが監督の「表現不自由展・その後」について、納得できない点を頭の整理を兼ねて書いてみます

検閲について

憲法上の検閲

憲法上の「検閲」とは次の通りであり、本展における河村市長官房長官のいずれの言動もこれに該当しないことは明らかなので、憲法上の検閲ではあり得ません。

行政権主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止目的とし、対象とされる一定表現物につき網羅一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを特質として備えるもの」(判例)

したがって、本案件で「違憲」と言い出した者(例えば大村知事等)は明らかに失当です。というか憲法上は事前の規制を重く見ているため、事後的に批判した河村市長官房長官(この二者には取り止めさせる権限なし)よりも事前に強く要請した大村知事(実行委員長として権限あり)の方が判例趣旨からして危なそうです。

津田大介さんの言う「検閲

あいちトリエンナーレ2019「表現不自由展・その後」に関するお詫びと報告』を読んでもわかるように、津田大介さんは「検閲」という言葉を「何らかの理由により効率美術館で展示できなくなったもの」と自らに都合よく恣意的に用いています

憲法上の検閲でないとしても、この意味検閲という強い言葉を用いることはミスリードです。本件の場合、事後的にも発表が禁止された事実はありません(あいちトリエンナーレ以外の場所公表を続けることも十分可能です。)。

公権力が,表現行為ないし表現物を検査し,不適当判断する場合には発表を禁止すること。公表以前に行う事前検閲公表後に行う事後検閲とに分れる。」(ブリタニカ国際大百科事典コトバンク)

ヘイトについて

法律上ヘイト

ヘイトスピーチ規制法の正式名称は「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律とあるように、「本邦外出身者」をターゲットにしているため、本件展示が法律上ヘイトに該当しないことは明らかです。

(法律規定する範囲が狭すぎる、という議論はあると思います。例えばDV防止法は成立当初、男性被害者とは規定されていない法律でした。)

批判者の言うヘイト

自国であった負の歴史を思い起こさせる作品を展示することが、その国や国民に対するヘイトにあたるとは考えていません。」「大浦さんは昭和天皇肖像日本人としての自画像であり、天皇批判ではないとしています。」とあるように、津田大介さんは、自国民同士のヘイトは想定していないようです。

ただし、国民を分断し、他のグループにに対して差別的言動を行うことは十分に考えられます

津田大介さんの政治思想

津田大介さんの過去言動

津田大介さんは、過去RADWIMPSHINOMARUという楽曲を「国威発揚であるとして激しく批判をしています。また、そういった批判を受け、RADWIMPS謝罪に追い込まれています

更にTwitterにおいて『今後もどんどん「国威発揚」の依り代として芸術が利用(寄生)されていくんだろう』ともコメントしています

昭和天皇写真を焼く行為に比べてはるかに穏当(少なくともヘイト的な要素はありません。)なものに対してこのような反応を見せており、極めて左派的な思想であると思われます

今回の展示物の選定

津田大介さんは「不自由展実行委によって拒絶」、「そのまま展示することはコンプライアンス的にハードルが高」(い)、「展示スペースの都合」という理由で、会田誠さん・鷹野隆大さん・ろくでなし子さんの展示はしなかったと言っており、言外に自身政治思想は反映されていないことを含ませています

少女像昭和天皇写真の焼却などが選定されたのは自らの意思ではなかったかのようです。

しかし、その一方で『約80組の作家選びは当初、学芸員に任せるつもりだった。ところが、上がってきたリストを見て「ピンとこない。これはまずい」と方針転換。自ら決定権を握った。』(7/8北海道新聞インタビュー記事)とあるように自ら選定していったことを明かしています

まとめ

津田大介さんの言動をまとめると以下の通りになります。少なくともダブルスタンダードと言われることはやむを得ないでしょう。

1.検閲意味憲法どころか辞書よりも広くとるが、ヘイト意味は狭く(法律通りに?)とり、いずれも自らに都合よく解釈した。

2.過去保守的楽曲に対して激しく批判し、更にそれに公金が用いられることに慨嘆したが、自らの政治思想に沿った展示を公金を用いて行った。

3.自らは中立かのように装いつつ、自らの思想に反する展示はテーマ合致したとしても排除した。

どこにも当てはまらなかったので雑記

津田大介さんは今回の謝罪文で『自国現在または過去の負の側面に言及する表現安全に行えない社会となっている』とコメントしています

しかし、前述のHINOMARUに対する批判を行ったにも関わらず今回のポストが手に入れられたということは、少なくとも「日本が好きという者を批判しても言論界ではプラスにはなってもマイナスにはならない」ということを体現したと言えるでしょう。

2019-08-08

あいちトリエンナーレについて

話題になっているあいちトリエンナーレについて個人的に思うことが色々あったので書こうと思う。細かいことを話して特定されると普通に死ぬのでぼかすが、一応運営ボランティアとして展示に参加している。

クソ長い。

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表現不自由展・その後」について

最初に断っておくと、今話題になっている「表現不自由展・その後」についてだが、私はぶっちゃけ見ていない。今となっては炎上が勃発した時点で見に行っておくべきだったと後悔しているのだが、いやだってまさか3日で終わるとは思わねえもん。

と、いうのも事前のボランティア研修とかで「表現不自由展・その後」に注目している人は私の知る限りほぼ皆無だったからだ。一応警備対応とかの事情説明は受けたがそれについて「楽しみだ」とか「心配だ」とか言っている人は居なかった。別に目を逸らしていたとか重大性を認識していなかったとかではなく、ちゃん理由もある。

他の人は知らないが、個人的には「表現不自由展・その後」については「色んな理由で各地の展示会から撤去された作品を集めてみました」くらいの認識だった。面白そうな企画だ、地獄デスマッチ感がある。しかし確かに面白そうだが、言ってしまえばそれだけなのだ

話が変わるが我々ボランティア研修で何をやっているかと言うと、作品知識を蓄えるのではなく、自身感性に従って自由に鑑賞する、所謂対話型鑑賞とかVTS(定義微妙に違うのだが)と呼ばれているもの実践している。具体的にどんな感じかというと、背景知識はほぼなしで作品を見て

「すごく煌びやかで綺麗、幸せカップルの絵に見える」

「画面は綺麗だけど、人物の顔が悲しそう、破局予兆しているのでは?」

関係ないけど雲の形が昨日食べたたこ焼きに似てる」

などとそれぞれの感性経験に基づいて解釈を語りあうのだ。これが結構楽しい。例えるなら深夜のファミレスオタクが集まってエヴァ最終回について語り合っている状態に近い。割と何分でもやっていられる。

だがそういった観点から見ると、「表現不自由展・その後」があまり魅力的でないことは分かってもらえると思う。「近代化」、「ジェンダー」、「作家自身の半生」、トリエンナーレには複雑なテーマを持った鑑賞しがいのある作品が沢山出品されている。「表現不自由展・その後」は企画としては面白いがある意味企画落ち」なのだ。事前に具体的な作品内容が分からなかったというのもあるが、それ以上掘り下げようがない。寧ろ中止になった今の方が色々語れる。

そんなわけで「表現不自由展・その後」がここまでの話題になったのはかなり意外だったし、多くの人にとってあいちトリエンナーレ第一印象がそれになってしまったのは少し残念でもある。

慰安婦像インパクトコンテクスト

さて「表現不自由展・その後」の中でも特によく燃えていたのが慰安婦昭和天皇絡みの展示だと思う。政治的インパクト抜群だからだ。だがここまで千字くらい駄文を読まされて大分心と頭が冷え切っているところだと思うので、少し冷静に展示のコンテクストについても考えて欲しい。

表現不自由展・その後」は「あちこちの展示会で撤去されたやつを集めて展示する」というコンセプトで行われている。よってこの企画で展示されているのは慰安婦像それ自体ではなく、あくまで「どっかから撤去された慰安婦像なのだ

ソウル日本大使館前慰安婦像が設置されたときメディアはこぞって大使館慰安婦像が一緒に映った映像放送したと思うが、あの報道に対して「不快から映すな」と怒った人は居ただろうか。まあ居なくはなかったかもしれないが、多分映さない方がもっと怒られるだろう。怒らないのはそれが「大使館の前に慰安婦像が設置されたという報道」だとコンテクストも含めて理解しているからだ(勿論どちらの場合制作サイドの意図別にあるのだが)。

今回の展示ではそこのコンテクストおざなりにされたまま、日本に実物の慰安婦像が展示されているというインパクトと、SNS上の断片的な情報事態が拡大してしまった感がある。

また若干話が大きくなるが、余裕があったら歴史的コンテクストについても一度考えてみて欲しい。慰安婦像というと直ぐに反日というイメージに結びつけがちだが、何故そう思うのか。

そもそも慰安婦なんて居なかったと考えている人からすれば一応理屈は通っている、悪意のある捏造ということになるからだ。

しかし、詳細については諸説あるが、そういうもの存在したということだけについては歴史的資料も揃っているし、両国見解も一致している。つまるところ歴史に認められているのだ。

負の歴史を展示し続けることは未来に生きるだれかにとっての悪意になるのか、日本を始め第二次世界大戦に関わった各国には慰霊碑モニュメントがある、ドイツカンボジアには国内虐殺記憶するモニュメントがある、それを見て不快になる人はいるだろうし、寧ろ不快になるべきなのかもしれないが、ならそれらは排除されるべき悪意なのか、そもそも悪意は無条件に「悪」なのか。

場所によって反応も変わる、オバマ広島原爆資料館に行ったが、アメリカスミソニアンエノラ・ゲイ展示をやろうとしたとき退役軍人たちからバッシングが来た。そういった反応の違いは展示の意味、ひいては歴史意味に影響を与え得るのか、得ないのか。

そして誰の、誰に対する悪意なのか、人の属性は一つでないし必ずしもはっきり分類出来る訳でもない、あなたが引いた「味方」と「敵」の線など気にも留めず他人は好き勝手踏み越えて生きる。例えば、韓国人男性日本女性慰安婦について議論しているとして、彼らは一体どの立場にいるのか、そこに存在する先入観は何か。

話が大分概念的になってしまったが、何が言いたかたかというと、コンテクストというのはそれだけ膨大で複雑なのだ

勿論コンテクストには政治だってまれる。慰安婦像純粋歴史的モニュメントというより政治的に使われているのは明らかだし、恐らくそれは大半の日本人のせいではないので、あん一触即発もの見たくも聞きたくもない、というのは分かるし別に普段はそれで構わないと思う。

ただ死ぬほど暇なときにでも少し考えてみて欲しい。メディア報道を見ていると日韓政治的同意が得られれば慰安婦像撤去されていると考えている人もいるようだが、その必然性はない、だって歴史に認められているから。というかそれで撤去されたらマジで純粋プロパガンダだったって言っているようなものからやめろ。

像はコンテクストの中で存在し続けるし、今回の展示もそのコンテクストの一部である

批判するにせよ擁護するにせよそこに対する考察がなければそれはインパクトに押された感情任せでしかないだろう。

それでも慰安婦像許せないし完全に撤去したいんだけどっていう人はどうすればいいかって?そこも歴史に学ぼう。

アメリカコロンブスとかリー将軍の像が次々撤去されているのはニュースで聞いた人もいるだろう。時代の変化とともに歴史観は書き換わる。虐殺奴隷制擁護者としての側面が評価され、彼らは英雄ではなくなった。もはや歴史に認められていないから像だって撤去される。

個人的には英雄として評価されていた歴史も含め展示するのも面白いんじゃないかとも思うが、少なくとも公共の場モニュメントとしてはふさわしくないと判断されているのだ。

まり慰安婦像撤去したいのなら何らかの方法歴史観を書き換えれば良い。そして歴史学の徒は全力で戦って阻止すれば良い。

トリエンナーレ側の対応について

トリエンナーレ運営が「表現不自由展・その後」の公開を取りやめたことについて、ネット上では様々な意見が飛び交っている。これについては「脅迫に屈した」とか「作家許可をとっていなかった」とか確かに色々と問題がある気はするのだが、津田総監督大村知事が会見で言っていた「安全管理上の問題」という観点からは正直仕方がないと思っている。

第一に展示施設自体問題だ。あいちトリエンナーレには複数の会場があり、「表現不自由展・その後」が展示されていたのは愛知県文化センターの8階、所謂「県美」だ。関係者の名誉のために言っておくが、日本災害が多いだけあって美術館博物館といった文化施設安全管理にはそれなりに注意が払われている。耐震設備に水害対策防火設備さらには盗難破壊防止のための監視員監視カメラが多くの施設で導入されている。

しかテロ大人数による襲撃までは対応出来ないというのが現実だろう。海外博物館ではそういった事態も想定して手荷物検査などを実施しているところもあるが、日本でそれをやるのは割に合わないと言わざるを得ない。

第二に運営側の問題最初に言っておくがあいちトリエンナーレのような文化事業というのは基本的にクソクソ&クソ金がない。

かに税金から拠出予算10億は大金だ、これだけあれば50回くらい安心して老後を過ごせる。しかしそれでアーティスト100人くらい呼んで75日間展示会をやれと言われたら難易度ルナティックだ(他に寄付金とかもあるので実際の予算規模はもっと大きいはずだが)。

よって私も含めた運営スタッフの多くはクオカード1枚で半日働くボランティアである。加えて事前に結構勉強もしないといけないし、当然交通費とかも出ない。

これだけ聞くと何が悲しくてそんな苦行をとか思われるかも知れないが、最初に言った通り美術館とか博物館とかも含めて文化事業は取り敢えず金がないので、もうそういう人たちがいないとほぼ成り立たないのだ。そこで講習会とかバックヤード体験を餌にこじらせ教養オタクたちをボランティアとして釣っている、というか釣られている(※個人の感想です)。言っていて悲しくなるし話が逸れるのでそこら辺は省くが、つまるところ何が言いたいかというと、テロとか起きると我々はタダ働きの挙句何も出来ずやられる。勘弁して欲しい。

最後に若干抽象的な話になるのだが、良くも悪くもあいちトリエンナーレは寄せ集めというのがある。

運営側の細かい事情は知らないが、直前までどんな作品が出るか分からなかったりしたので、少なくとも運営作家が一体となって特定テーマに沿った展示を作るという感じではないと思う。恐らく「情の時代」とかいぼんやりしたコンセプトに基づいて作家を招待して展示スペースを用意している感じだ。

表現不自由展・その後」だって別に運営企画した訳ではなく、かつて行われた「表現不自由展」を招待しただけだ。

展示施設職員に至ってはそれを公務員業務として受け入れているだけである

よって、運営の中心スタッフ、末端のボランティアスタッフ施設や関連団体スタッフさら作家間で一人一人が一つ一つの作品に全て賛同しているとかそんなことはあり得ない。まあそれはある程度の規模の組織では当然のことだと思うし、そうでなければ大規模で多様性のある展示会なんて開けないだろう。なので断っておきたいが、会場とかSNS関係者に絡んで「トリエンナーレ見解」とやらを聞き出そうとしてもそんなものはない、せめて総監督に聞いてくれ。

そんな緩い結束でつながっている人々を「脅迫に屈しない覚悟」に巻き込むのは正直言って無理がある。

それらを踏まえてトリエンナーレ運営対応はある程度仕方なかったとは思うのだが、しかしそうせざるを得ない状況には大きな問題がある。

表現自由について

先述の通り、施設組織問題テロ脅迫対応することは出来ないし、安全上の問題を考えると「表現不自由展・その後」の展示中止は仕方ない側面もあると思う。

しかし考えてもみて欲しい、そもそも武器とかガソリン持った奴相手に対抗できる団体個人がこの国にどれだけいるのだ、極真空手総本山とかか?結構大企業だって本気で襲撃されたら対応出来ないことの方が多いだろう、必然的にそれを仄めかす脅迫の時点で相手側の要求を飲まざるを得なくなる。

暴力による権利への挑戦に対しては個人レベルでなく、社会全体として対抗しなければならないし、行政側には憲法に基づいてその義務がある。

最初特定されたら困るから匿名意見すると書いたが、そもそも身の危険を感じて発現を躊躇しなければならない状況自体おかしいのだ(勿論それとは別に自衛はするが)。

また、津田総監督が会見によると脅迫と並んでまずかったのが「電話」らしい。

抗議の電話でまず事務局回線パンク、結果つながらなかった人たちが県美や文化センターに掛け、何の対策もしていない職員罵声を浴びせられる、しか公共施設なので切らずに対応しないといけないという事態になったらしい。所謂電突」と呼ばれるものだ。

ネット炎上とともに話題になることの多い電突は、市民による集団的抗議の形態とも見做せるが、一方でインターネットという新興メディアによるメディアスクラムともとれる、特にやられる方からすればそうだろう。

かに組織には説明責任がある、取材報道自由もある。けどそれが対象となる人々の生活を過度に制限するようになればそれは権利が守られている状態とは言えないし、何かしらの法にも触れそうなのだが、恐らく相手不特定多数ということで対策が難しいのだろう。スクラムを仕掛けた側を罰しろとかではなく、対象となった側を守る為の社会整備は必要だと思う(と、ずっと前から言われている気はするのだが…)。

誤解しないで欲しいが、ここでいいたいのは抗議をするなということではない。

表現自由というのは反論されない権利などではない、ただやり方の問題だ。

話がまた大きくなるが、個人的にはどれだけ平和主義を語っても「戦い」なんてものはなくならないと思っている。政治も、経済も、受験も、スポーツも、婚活も、創作も、結局は「戦い」なのだ、ただそれをいか物理的な暴力を伴わず決められたルール範囲内でやるかが、人類が積み上げてきた理性とか法治とか文明指標なのだと思う。

抗議は存分にやればいい、カウンターとなるアート作成しても良いし、ネットに長文を書き込んでも良い、署名デモでも良い。そして表現自由と言っても万能ではない、脅迫罪、威力業務妨害罪侮辱罪、名誉毀損罪、プライバシー権著作権憲法に定められた公共の福祉概念に基づいてそれを規制する法律なんてごまんとある。そのうちの何かに抵触してそうなら訴訟という手もある。ただやるからには全て合法的にやれというだけの話だ。

pixivで気に食わねえ解釈を見つけたら自分解釈を倍の質と量で投稿して相手の筆を折るのが仁義というものだろう。すまない今のは完全に個人意見から忘れてくれ。

じゃあこの場合どうしたらいいのか。

少し話が飛ぶが比較のため「コンビニエロ本問題」について話させて欲しい。「コンビニエロ本問題」とは女性客などからの抗議を受けてコンビニから18禁の本が撤去されている事態のことだ。あれを表現自由と結び付けて語る人もいるが、私はそうではないと思っている。

何故ならあくまコンビニ民間営利団体からだ。コンビニ業界に詳しい訳ではないので話半分に聞いて欲しいのだが、もしコンビニ側が「エロ本撤去しないとタピオカを積んだトラックで突っ込む」とか脅迫を受けているならば、それは許すべからざる犯罪だ、しかし多分そうではないだろう。

抗議が原因と言われているが、恐らくより正確には「エロ本絡みの抗議や客足減退に対してエロ本の売り上げが割に合わない」が原因なのだと思う。

コンビニ18禁本を最後に買ったのはいつだろう、正直質はともかく量と利便性ネットの方が格段に上だと思う。正確な売り上げは知らないが、エロ本だけで月々1兆円くらい純利益が出ているなら、あの容赦のないコンビニ業界Permalink | 記事への反応(15) | 22:16

2018-03-04

まーた、はてサ言葉定義をいじったのかw

https://anond.hatelabo.jp/20180303232654

  

女性専用車両が男を排除しているのは差別か」論争で明らかになったが、はてサ自分の都合にしたがって言葉定義を変える。

先日に"差別"の定義をいじり回したと思えば、今度は"ゾーニング"の定義を変えてきやがったwww

  

id:D_Amon 増田ゾーニング定義おかしい。入場料は購入や利用の料金にすぎない。年齢などの条件によって購入や利用が制限されてもいないのでゾーニングできている状態とは言わない。渋谷は単に見落としがあっただけと思う

  

http://b.hatena.ne.jp/entry/359536157/comment/D_Amon

入場料を取るということは、展示を見たいかどうかという意思確認することだ。

本件はそのようにして展示スペースが区切られていたが、これがゾーニングでなくて何なのか?

  

当然、「会場を変更しろ」「年齢制限を設けろ」という意見もあって、それはそれで議論余地がある。

既存ゾーニング検討した上で、不十分な部分を指摘し、一層の強化を求めることはよいと思う。

しかし、そのような意見を押し通すために、言葉定義をゆがめてはいけない。

  

  

  

はてサ言葉定義をいじりまわして、自分こそが一点の曇もない正義だ、それに従わない者たちは全員悪人だと決めつける。

今回もD_Amonがやっているように、自分が満足いくレベルに達していなければ、現状で機能しているゾーニングゾーニングだとは認めない。

敵を叩くため、味方を守るため、ぐにゃぐにゃと言葉意味を捻じ曲げるのだ。私はそんな人たちのことを絶対に信頼するつもりはない。

   

ちなみに、D_Amonが提唱した新しい定義採用するとすれば、次々と矛盾が出てくる。

例えば会場を変更することは、「ゾーニング」のあり方を改善しない。

マルイ以外の小さな会場を借りて、あまり目立たないように開催する対案もあるのだが、それは「年齢などの条件によって購入や利用が制限」される措置とは言えない。

  

また逆に、コンビニエロ本は、ゾーニングにかかわる問題として論じることができなくなる。

コンビニでは陳列場所区分けが不十分なために、エロ本の表紙が女性客を不愉快にしてしまったり、子供の目にも入ってしまうという批判がある。

これは陳列方法を工夫するとか、売り場を撤去することで解決可能だ。ただし、その解決策はエロ本の表紙をいかに隠すかという問題であって、「年齢などの条件によって購入や利用が制限」されることとは関係がない。

  

  

  

追記

D_Amonは「年齢などの条件によって」と書いているが、他にどんな条件をつけて制限するつもりだろうか?

国籍民族性別などを理由にして入場制限をかけたら、それこそ差別だ。

  

それに彼の提唱した定義は、はからずも、はてサ本質をあらわしている。

はてサにとって「ゾーニング」とは、子供の目に入ってしまわないように配慮することではなく、もっぱらパターナリスティック年齢制限をかけることを指すらしい。

要するに、配慮を増やすのではなく、束縛を増やすことのほうが狙いなのだ。これは極左ありがちな支配である教育保護の名のもとに、子供への支配を強化したがっている。彼らはきっと子供に対してそうするだけではなく、愚民大人たちにも同じような姿勢で臨むだろう。

2017-07-29

地元スーパーの最大の楽しみ

と言ったら「お客様の声ボードですね。異論は認める

それを見るだけでスーパー周辺の民度がわかる素晴らしいシステム

店員へのクレームや休憩スペースが狭いとかいうどうしようもない問題

そういうのに知恵を絞って回答を考える担当者の方の苦労を想像しながら

ボードを見るのが好き。

  

近所のスーパー結構な頻度で「声」差し替えをしている。

ということはそれだけ頻繁に回答も考えているわけで。

で、今朝見たら、「声」の大半が「〜〜していただいてありがとうございます

というものだった。もしかしたら以前のクレームの声に対応したものかもしれないな。

これはやりすぎると白けるが、罵詈雑言まみれの「声」ほとんどなので

ほっこりする。

面白くはないけどな。

  

実は俺も「詰め替え製品本体の方がないのでおいてほしい」というクレームを書いた。

そしたら「展示スペースがないのでその都度取り寄せになる」とのにべもない回答。

詰め替えの方は3個組と6個組を2種類置いてるのに本体を置く場所ないとかふざけんな

と思っていたのだが、今朝その商品の棚に本体があった。

とりあえずお礼の声を投函することにする。

 
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