2023-02-10

雪の日に裸足で1km歩いた話

話すとは、「離す」ことでもあるらしい。

なので、雪を見ると思い出すことを、ここに置いていこうと思う。

 

大学生とき、雪の中を裸足で1km歩いたことがある。

ネトゲ廃人無職モラハラDV毒親役満祭りの父をフライパンで撲殺しようとして失敗した結果、靴を履く前に外に追い出されたのだ。

「せめて靴ぐらいはくれ」と叫んだが後の祭りで、ご丁寧にガチャンと鍵の閉まる音までした。えらいことである

 

あいくその日はバイトがあった。流石に、「靴がないのでバイトに行けません」で穴をあけるわけにはいかない。

仕方がないので、1km先にある祖母の家まで靴をもらいに行くことにした。

 

外は雪、アスファルトが氷と同じ温度になる天気だ。

自転車が使えれば良かったのだが、肝心の鍵は家の中。

自分に残された手段といえば、この足二本きりである

 

「歩くかぁ~~~」

 

破傷風が怖かったので、玄関先に吊り下げていたバカかいポンチョの裾を地面につけ、20~30cmずつ前進するという方法で進んだ。

これでとりあえず足が切れてばい菌が入り、壊疽を起こして膝から下を切断するおそれはない。

 

しかし何よりこたえたのは、地面の冷たさだった。

一歩踏み出すごとに、足裏が痛みでいっぱいになる。踏み出したところで、ポンチョの裾も有限であるから普段の半歩も進めない。

通常の2~3倍の時間をかけて祖母の家へ向かう道の半ばに達したときには、「靴って偉大だったんだな……」と感嘆の気持ちすら湧いた。

 

祖母の家へ向かう道の3分の2を消化した頃、頭に浮かんだのは「現代ヴィア・ドロローサ」というフレーズだった。

もちろん十字架を背負っていない分、キリストよりこちらの方が苦しくないのは言うまでもない。

だがそのときには、とにかく歩くのが辛くて「キリストもこんな気持ちだったのかな……」と思いながら歩いた。今思えば尊大すぎる。

 

しばらくして、ポンチョを被ったとぼとぼオバケと化していたこちらに声をかけてくれている人がいることに気が付いた。

なんでも、そのおじいさんは祖母の弟さんだという。

こちらはおじいさんのことはきちんと覚えていなかったが、おじいさんの方はこちらを覚えてくれていたようで、「なんで雪の日に裸足で歩いてるんだ!?」と思い、声をかけてくれたらしい。

 

おじいさんは大工をやっているので、すぐそこに掘っ立て小屋があるからそこで休もうと言ってくれた。有難すぎて仏に見えた。

1時間ぶりに床の上に上がり、小さくも温かい小屋の中でこたつに入ってストーブにあたりながら、文明は偉大だとしみじみと感じた。

 

その後、貸してもらったサンダルを履いて祖母の家に行き、事情を話した。

そのあとのことは、あまりよく覚えていない。

祖母から連絡を受けた父が迎えに来たことだけは記憶にあるのだが、そのあとどうやって家に帰ったのか、バイトに行ったかどうか、思い出せないのである

 

 

雪が降ると、この日のことを思い出す。

しかしもう、思い出すのも良くないというか、一度自分の中から手放したくてここに書くことにした。

 

 

客観的に見ると「嘘松認定されそうな話だな」と思う。でも、事実だ。

「こんなことする親いるわけないじゃん!嘘でしょ~!」と思えた人は、嘘と思ってくれてもいい。

それは親御さんがきちんと親の務めを果たした証拠から

こちらとしても、「雪の中1kmも裸足で歩く経験をした子供はあまりいないのか。良かった、良かった」と思うことができる。

 

 

最後一言、「靴って文明、有難さの極み~~~!!!!!!!!!!!」

 

 

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