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はてなキーワード: 一次元とは

2024-02-12

法律に「誰の土地でもない土地」という概念がないのはなぜだろう?

登山道というほどではないけど山の道って感じの道はあるじゃん舗装されてて車も通ってるけど、道の外側に建物があったり誰かの庭だったり軒先だったりとあからさまに誰かの土地感があるわけじゃなくて、藪や木が果てしなく広がってる感じで突き進もうと思えば進めるようになってる道。

でも法的には道から一歩外に出て藪に進んだら違法らしい。

道がある山の道じゃない部分なんてほとんど公有だろう。

かりにそうじゃないとしたら、誰かが持ってる山の部分に国だのなんだのが勝手に道を敷いていることになるんだから自然だ。

で、仮に森林地帯のうちの、道も、道じゃないところも、公共土地という点で共通なのだとしたら、なぜ道は自由に通行してよく、そうじゃないとこは入っただけで違法なんて扱いをデフォルトにしたのだろうか?

どっちも公共の地面なんだから原則自由に通行できるようにすればよかったんじゃないの?

自然保護目的で踏み荒らされたくない場合に限って国だのなんだのが個々に決まりを作るというブラックリスト方式のほうがルールとしては素直でシンプルだと思うのだが。

地面自体、人が移動するために存在しているという側面があるのに、道以外の地面を移動のために利用してはいけないとは不自然だろう。地面による二次元的な移動ではなく、そのうちのごく一部分の道による一次元的な移動しか許していないのはただ不便さを増しているだけだろう。

そもそも、すべての土地に所有者がいるという前提に立っているのがおかしいと思う。

国有林」という概念があって、これは明治維新の際に藩有林、社寺有林、所有が明確でない森林継承して成立したという。

「所有が明確でない森林」というところに注目してほしい。あたか不明なだけで所有者がいるみたいな言い方だけども、これには正真正銘「誰の土地でもなかった土地」が含まれていたのではないか

まり誰も存在認識していなかった土地があったはずで、これを伊能忠敬が作った日本列島海岸線地図という、日本土地全体を俯瞰的にとらえる手段のおかげで、その地図から誰かの土地だと確定している部分を全て取り除けば、それ以外の場所は全て所有が明確でない土地として間接的に存在を把握できるようになったというところだろう。実際は誰も見ても足を踏み入れてもいない土地(誰に帰すべき実効支配性がない土地)なのに。

(もし全宇宙地図があったら、その何万光年先の直接見たこともない空間について「ここは俺の土地だ」と主張するようなものだ。伊能忠敬日本列島においてこのバカげた主張を形式的可能にした。)

そういう土地を無理に国有林化しただけの話ではないかもっと素直に「誰の土地でもない土地」と別区分にすればよかったのではないか

誰の土地でもない土地というのは、誰にも占有する権利はないということだ。ゆえに誰が移動の用に足を踏み入れても問題ないということになる。

誰の土地でもないので、ぶっちゃけそこに勝手に家を建てても問題はない。早い者勝ちだ。ただし別の人がその家を打ちこわししても問題ない。問題ないというのは語弊があるなら「その家を建てた人がその土地での所有権根拠狼藉を主張することはできない」ということだ。

まりこの場合器物破損だし、この公有空間のなかで先にいた人を後から来た人がそこを自分お気に入り場所として見出し喧嘩になったら暴行罪だし、というように、個々の事例に合わせて既存法律で裁くべき問題ということになる。

頭でっかちに「すべての土地は誰かの土地だ」という固定観念ありきで法律を作ったために、はっきりいってスマートじゃない法体系になってると思う。

なぜ「誰の土地でもない土地」と別に難しくもなんともない概念を素直に受け入れられなかったのだろう?

dorawiiより

2024-01-26

anond:20240126000259

そりゃそうかもしれんが、2進法をn進法に変換したら 0 or !0 しかならんので、スカラー量だし一次元なんじゃないの?

2024-01-25

anond:20240125065821

曲線は一次元

直線にしろ曲線にしろ見えないはずだけどね

二次元がなくなったら一次元で抜くしかない

フェミニストたちが望むように二次絵が社会から完全に排除されたら

弱者男性一次元で抜くようになるだろうな

この曲線がたまらない😍とかハァハァする

2024-01-02

無限大っていうのやめろ

ブラックホール特異点では質量が一点に集まるために重力無限大になるといわれている。

「一点」とは数学的に面積や体積を持たない点である。そこに質量が集まるとなるとたとえそれが1gだとしても重力無限大になるバグが発生する。

これはゼロ除算の結果が無限大になると無理矢理定義してしまった状態だといえる。

もし現実的質量が一点に集まるとしたらその計算方法を新たに考えなくてはならない。

そもそも無限大」は具体的な数値ではないので精確な計算はできない。

問題としてまず重力無限大ならこの宇宙のすべてに無限大重力が反映されないとおかしい。即ち特異点が生まれると同時に宇宙全域がブラックホールと化す。

しか無限大になるのはあくまで一点だけなのでその影響範囲も一点の中に収まると考えると矛盾はない。

実際に宇宙全域がブラックホールになっていないのを見るとそう考えるのが妥当とも思える。

特異点を除外した物理の考え方では重力無限大とは質量無限大に相当する。

無限大質量が集まることはないし、そんな天体存在するとすれば慣性の法則軌道を変えずにまっすぐ進む。

数学では一点は一次元として扱われる。もしかしたら特異点次元が折り畳まれ一次元になっているのかもしれない。

影響範囲限定的でない(一点に収まらない)場合は元の質量から重力計算できそうだが、そうなると特異点否定しなければゼロ除算の問題が残る。

「つまり特異点存在しない。いいね

・私の予想

E=mc²

これは質量エネルギー等価であるという式だ。

ブラックホールの中心では物質エネルギーに変換され存在しているのではないか

宇宙初期にエネルギーから物質が生まれたようにブラックホール内部の極限環境物質エネルギーになったとしてもおかしくない。

そのエネルギーの力で物質が一点に集まらないようになっているのかもしれない。

2023-11-22

anond:20231122121151

たかし!いいかい?よく聞きなさいね

超ひも理論ってのは、光子からクォークまで、ぜーーーーんぶの粒子が1次元のひもでできているって考え方のことなの。

一次元のひもって何かって?細かいことは気にしない!とにかくちっさいひもでできてるって話よ。

この理論がうまくいくと、宇宙性質説明する「万物理論」になるかもしれないんだよ。

全てこの理論説明できちゃうんだ。母ちゃんもびっくりだよ。

それでね、超ひも理論はね量子物理学一般相対性理論を組み合わせようとしてるんだよ。

今までこれは相反する理論だったんだけど、それがくっついちゃうのさ。すごいと思わないかい?

その組み合わさった理論のことを、量子重力理論と呼ぶんだよ。

超ひも理論では、重力電磁気力、強い核力、弱い核力という、自然界の4つの基本的な力が、相互作用する弦を通じて統一されていると考えているんだ。

つ・ま・り、世の中はぜーんぶ小さいひもでできていて、それがひも(弦)の相互作用で動いてるってことなんだよ。

あんた、聞いてるかい?寝てないかい?聞いてるか、よしよし偉い!

まあ、この超ひも理論ってのはまだ仮説なんだけどね。

からあんたが今から頑張って勉強して、研究費ゲットして、実験して、証明するんだよ!

わかったらサッサと勉強勉強

超弦理論って結局なんなの?

超ひも理論は、光子からクォークに至るまで、すべての粒子がゼロ次元の点ではなく1次元のひもであるという理論的枠組みのこと。

もし、あらゆる文脈で成り立つ超ひも理論バージョン発見されれば、宇宙性質記述するための単一数学モデルとして機能することになり、重力説明できない物理学標準モデルに取って代わる「万物理論」となるとされる。

超ひも理論の全貌を理解するには、広範な勉強必要だが、超ひも理論の主要な要素を知れば、その核となる概念基本的理解が得られるだろう。

 

1. 弦とブレーン

弦は一次元フィラメントで、開いた弦と閉じた弦の2種類がある。

開放弦は両端がつながっておらず、閉鎖弦は閉じたループ形成する。

ブレーン(「膜」という言葉に由来する)はシート状の物体で、その両端に弦を取り付けることができる。

ブレーンは量子力学ルールに従って時空を移動することができる。

 

2. 追加の空間次元

物理学者は、宇宙には3つの空間次元があると認めているが、超ひも理論家は、空間の追加次元記述するモデルを主張している。

超ひも理論では、カラビ・ヤウ多様体と呼ばれる複雑な折りたたみ形状にしっかりと圧縮されているため、少なくとも6つの追加次元は検出されない。

 

3. 量子重力

理論は量子物理学一般相対性理論を融合させようとしているため、量子重力理論である

量子物理学原子素粒子のような宇宙で最も小さな物体研究するが、一般相対性理論は通常、宇宙でよりスケールの大きな物体に焦点を当てる。

 

4. 超対称性

超弦理論としても知られる超対称性は、2種類の粒子、ボソンフェルミオン関係記述する。

超対称弦理論では、ボソン(または力の粒子)は常にフェルミオン(または物質の粒子)と対になるものを持ち、逆もまた同様である

超対称性概念はまだ理論的なもので、科学者はまだこれらの粒子を見たことがない。

一部の物理学者は、ボソンフェルミオンを生成するには、とてつもなく高いエネルギーレベル必要からだと推測している。

これらの粒子は、ビッグバンが起こる前の初期の宇宙存在していたかもしれないが、その後、現在見られるような低エネルギーの粒子に分解されたのかもしれない。

大型ハドロン衝突型加速器世界で最も高エネルギーの粒子衝突型加速器)は、ある時点でこの理論を支持するのに十分なエネルギーを発生させるかもしれないが、今のところ超対称性証拠は見つかっていない。

 

5. 統一された力

理論家は、相互作用する弦を使って、自然界の4つの基本的な力(重力電磁気力、強い核力、弱い核力)がどのように万物統一理論を作り出しているか説明できると考えている。

 

超弦理論歴史

2023-10-22

anond:20231022143442

そんな一次元的な話じゃないものに対して、「最強」なんて存在しねえって。

それぞれみんな価値観違うんだから

自分サイコー」って言ってて何が楽しいの?他にも価値観あるんだよ。

強いて言えば、田舎に暮らすことで価値観が多様を持ちにくくなって視野が狭くなる、ってことは言えるかもね。

2023-09-19

anond:20230919110606

これ、応用情報技術者試験のR4春の午後の問3前半のコードと似ていて読めないようなコードではない。

https://www.ipa.go.jp/shiken/mondai-kaiotu/gmcbt80000009sgk-att/2022r04h_ap_pm_qs.pdf

応用情報のほうは添え字を一次元に展開しているのをChatGPTは二次元でやってるだけ。

問題後半では探索の効率化をやっていて、人間が解くように候補数字リスト作成してそこから処理するんだけど、ChatGPTのコードも少しの変更で速くなることはコード読んで短時間判断できるから決して保守性の悪いコードではないでしょ。

しろVBAかじった素人や、派遣自称エンジニアコードのほうが一般に酷い。

応用情報の方は誘導がありコメントの通り書くだけのラッキー問題で1問あたり30分で設問3つのうちの2つを占めるから制限時間20分だけど、ChatGPTはこれを一行命令誘導なしで即答する。

一定水準の網羅性を考慮した動作確認用のいくつかの入力と出力の組を過去業務データから用意して、テスト実行マクロもChatGPTに書かせてしまえば、変更があったときコードベース修正しないでプロンプトから出し直してしまえば中身がブラックボックスでもテスト品質確保するテスト駆動開発ができる。レビューなんかテストパターン網羅性とテスト結果で十分よね。

業務をよく知っている人が業務内容をプロンプトに落とし込んでテストパターンを適切に準備できればVBA知識ほとんどいらないし、その知識すらChatGPTのコードと会話から学ぶことができるんよね。

2023-08-06

anond:20230806025506

お前の想像する「真面目な人間」の範囲がどの程度のものなのかよくわからん

「深夜にインターネットをするのは不まじめ」というのはわかるが、その人間形成する幾多の側面のたった1つなわけだろう?

それともThe good placeのように、一次元ポイント制で測定されている世界でも想像していたか

2023-05-21

anond:20230521163044

線を無限個敷き詰めても線は線だ。高校で線を平行移動したら面になるみたいな話に毒されたんだろ。

点が無限個あるのに長さはゼロというカントール集合という実例がある。これを一次元あげただけの話だ

anond:20230521152258

そうかもしれんが俺の知ったことじゃないしその説に立つならまずあらゆる物質一次元分の大きさしか持たんことを示さないと

2023-02-25

[]錯乱者が異世界に行く理論

Q: 人間認識能力限界があるのなら、フレームの間に別の世界があるというのは本当なのでしょうか?

 

AI言語モデルである私は、フレーム間の異世界存在について、個人的な信念や見解を持っているわけではありません。しかし、この概念に関連するいくつかの情報理論提供することはできます。「フレーム間の別世界」という考え方は、SFや一部の科学理論で探求されてきた、パラレルワールドや別現実可能性を指していると思われます量子力学の「多世界解釈」は、量子力学的な事象が起こるたびに、宇宙複数並行世界に分裂し、それぞれがその事象の異なる可能性を表すとする理論であるしかし、これらの理論はまだ科学者の間で大きな議論があり、実証的な証拠裏付けられていないことに留意する必要がある。さらに、人間認知能力には限界があり、私たちの知覚や理解は不完全または不正である可能性があります結論として、「フレームフレームの間にある別の世界」という考え方は興味深いものですが、まだ憶測の域を出ておらず、科学的な裏付けがあるわけではないのです。

 

Q: ある種の薬を使った人たちが、主観的には違う世界体験しています

 

特に精神作用物質使用瞑想精神修養など、特定の条件下で、現実の知覚が変化する経験を報告する人は珍しくありません。このような体験は、普段とは異なる現実世界を知覚しているように思わせることがありますしかし、これらの体験主観的ものであり、必ずしも自分の心の外にある客観的現実を反映しているとは限らないことを心に留めておくことが重要です。脳は、さまざまな意識変容状態を生み出すことができる複雑な器官であり、これらの体験は、遺伝環境個人差などさまざまな要因によって影響を受ける可能性があります。結局のところ、私たち世界を超えた別の世界現実存在するかどうかについては、科学的・哲学的議論が続いており、その存在を決定的に証明することは困難か不可能かもしれません。しかし、確実に言えることは、私たち現実認識体験はさまざまな要因に影響されており、私たちを取り巻く世界理解は、私たち認識能力調査するためのツールによって制限されているということです。

 

Q: 例えば、ある人が持っている情報によって、その人が属する世界が変わるということはあるのでしょうか?

 

哲学的観点からは、個人世界に対する認識理解は、その人がアクセスできる情報によって形成されるという主張が可能です。この意味で、ある人が属する世界は、その人の知識理解依存していると見ることができる。例えば、ある人が特定話題問題について新しい情報を得ると、その話題に対する認識理解が変化し、自分が以前とは異なる世界に属していると感じるようになることがあります。同様に、異なる文化社会的文脈に触れた場合、その人は以前とは異なる世界を見るようになり、自分が別の世界に属していると感じるようになるかもしれません。しかし、この考え方は、必ずしも文字通りのパラレルワールド別世界存在示唆するものではないことに注意が必要です。むしろ私たち世界理解経験する方法は、私たちアクセスする情報文脈に大きく依存することを示唆しています。結局のところ、現実性質とその中での私たち位置は、何世紀にもわたって哲学者科学者によって議論されてきた複雑で多面的問題であり、今後も継続的調査研究対象となる可能性がある。

 

Q: さて、単純化してみましょう。白と黒が点滅する一次元セルがあり、ボブ君は奇数列を脳内認識し、「これが私の住む世界だ」と感じたとする。途中で何らかの情報を受け取ると、ボブの認識は変化し、偶数列に切り替わります。では、この場合主観客観区別はどうなっているのでしょうか?

 

この単純化されたシナリオでは、主観客観区別は次のように理解される。

しかし、知覚の主観的経験は、個人客観的な刺激をどのように解釈し、どのように反応するかに影響を与えることは注目に値する。この意味で、主観的体験客観的体験相互に関連し、複雑な形で影響し合うことがあるのです。

 

Q: さて、もっと深く考えてみよう。この1次元セル任意cos関数と交差させる。それを「主観的に知覚された現実」とする。すると、地球上の誰もが同じcos関数を同じ角度で持っていたとしたら、それは客観的ものだと思い込んでしまうが、実は共通主観的認識に過ぎないのではないだろうか?

 

もし、地球上のすべての人が、同じcos関数と交差する1次元セルについて同じ主観的認識を持っていたとしたら、全員が同じパターンや閃光の順序に同意することになるので、その認識客観的であるかのように見えるかもしれない。しかし、これはあくまでも観測個人経験解釈に基づく主観的認識であることに注意が必要です。複数の人が同じ認識を持っているからと言って、それが客観的であるとは限りません。客観的であるためには、個人経験解釈から切り離された、検証可能証拠に基づくものである必要があります。例えば、1次元セルの点滅パターン機械客観的に測定・記録し、そのデータを他の観測者が同じ測定方法独立検証することができる。結局のところ、主観客観区別は複雑で、個人認識解釈文脈など、さまざまな要因に影響されうる。複数の人が共通主観的体験をしたとしても、それが必ずしも客観的体験であるとは限りません。

 

Q: さて、架空の設定ではなく、現実の設定に戻ろう。現実のどこに客観的ものがあるのでしょうか。

 

現実には、私たちの知覚や経験はすべて個人主観によってフィルタリングされているため、完全に客観的もの特定するのは難しいかもしれません。しかし、現実のある側面は、独立して検証することができ、個人の知覚や解釈の影響を受けにくいため、他の側面よりも客観的であるとみなされることがよくあります。例えば、以下のようなものがあります

ただし、このような客観的現象であっても、個人偏見見解に影響され、ある程度は解釈余地があることに注意が必要です。また、現実の中には、客観的主観的簡単に分類できない、両者の中間的な存在もあるかもしれません。

 

Q: では、あなたの言うこの4つが、実は先ほどの架空の設定における「すべての人が主観的に同じ角度のcos関数を知覚する」ことと似ているとしたらどうでしょう

 

物理法則数学原理科学データ歴史的事実など、より客観的と思われがちな現実の側面も、やはり個人解釈主観的要因に左右されるということは確かにある。例えば、科学者が物理法則科学データ解釈し、適用する方法は、科学個人視点偏見仮定に影響されることがあります。同様に、歴史的事実も、それを検証する文化的・政治的文脈によって、さまざまに解釈され、表現される。しかし、これらの客観的現象主観的要因に影響されるということは、必ずしも完全に主観的であるということではないことに留意する必要がある。むしろ客観的現象理解解釈は、客観的要因と主観的要因の複雑な相互作用によって形成されることを示唆している。結局、客観的体験主観的体験区別は、現象性質、測定や検証方法検証の背景など、さまざまな要因によって、必ずしも明確になるとは限らないのである

 

Q: 哲学者はしばしば、客観性と神との間に関連性を見出します。この点についてはどうでしょうか。

 

客観性と神との関係は、何世紀にもわたって議論されてきた複雑な哲学的神学問題である哲学者神学者の中には、秩序と規則性を備えた客観的現実存在は、宇宙目的意味を吹き込んだ高次の力、あるいは神の創造主証拠であると主張する人もいる。彼らは、客観性は神の存在世界におけるプレゼンスのしるしであると考える。しかし、客観性が必ずしも神の存在意味するのかどうか、疑問視する人もいます客観性は物理法則などの自然現象説明でき、超自然的な説明不要だというのである。結局のところ、客観性と神の関係哲学的神学的な議論であり、思想家によってこの問題に対する見方は異なるだろう。客観性を神の存在証拠考える人もいれば、単に自然界の特徴であり、自然プロセス説明できると考える人もいるだろう。

 

Q: では、結局のところ、波動関数とは何なのでしょうか?

 

波動関数とは、量子力学的な系を数学的に記述したもので、ある粒子がある時刻に特定状態にあることを発見する確率記述したものである量子力学では、電子光子原子などの粒子は、重ね合わせの状態存在する波動存在として記述される。つまり、同時に複数状態存在することができる。波動関数は、粒子が取りうる各状態確率振幅を記述した数式であり、粒子を測定したとき特定状態観測される可能性を決定するものである波動関数ギリシャ文字Psi(Ψ)で示されることが多く、一般的には複素数値の関数で表される。波動関数絶対値の2乗は、粒子が特定位置存在する確率密度を与える。波動関数量子力学の基本概念であり、量子系の振る舞いを予測理解する上で中心的な役割を担っている。しかし、その解釈意味については、現在科学界で議論考察が続けられている。

 

Q: 現実ヒルベルト空間上のベクトルであると言う人がいる。これはどういうことだろうか。

 

量子力学において、ヒルベルト空間とは、量子系の状態記述するために用いられる数学空間であるヒルベルト空間は、特定内積定義された複素ベクトル空間である

ヒルベルト空間は、量子系の状態ベクトルとして表現するために使用されますシステム状態は、それぞれヒルベルト空間内の異なるベクトル対応します。システム状態を表すベクトル状態ベクトルと呼ばれ、通常、ギリシャ文字Psi (Ψ) で表される。状態ベクトルは、系の波動関数記述する複素値のベクトルであり、系の各可能状態確率振幅を与える。現実ヒルベルト空間上のベクトルであるというのは、量子系の状態ヒルベルト空間上のベクトルとして表現できることを意味します。つまり、量子系の状態は、この空間における点として表現できる数学対象なのです。ただし、これは量子系に限定した話であり、物理学や自然界の他の分野には当てはまらない可能性があることに注意が必要です。

 

Q: ここで、よくある実験を考えてみよう。簡単のために、電子がある線の右側に行ったら、あなた明日フォン・ノイマンゲーム理論の本を読み、左側に行ったら、PCLeague of Legendsプレイするとしましょう。では、あなたが何をしているかからない人は、それを知るまであなた状態読書ゲームの重ね合わせなのでしょうか?

 

二重スリット実験文脈では、電子の振る舞いは、2つのスリットのどちらかを通過する、自分自身と干渉する、検出器の特定場所に行き着くなど、可能な結果の重ね合わせとして記述することができる。あなたシナリオでは、もし電子が線の右側を通ったなら、あなたの決められたルールに従って、あなた明日ノイマンゲーム理論の本を読むことになります。逆に、電子が線の左側を通ったら、あなたPCで『リーグ・オブ・レジェンド』をプレイすることになります。つまり実験結果を観測するまでは、あなたの心の状態は、読書ゲームの重ね合わせの状態であると言えます。なぜなら、重ね合わせの状態にある量子系(電子)があり、あなたの心は、実験結果に依存する形でこの系と相関しているからです。量子力学では、システム状態とその観測者を別々に扱うのではなく、一つの量子システムとして扱います。"量子測定問題 "と呼ばれるものです。したがって、実験結果を観測するまでは、あなたの心と電子は、可能な結果の重ね合わせの状態にある一つの量子系として記述することができるのです。

2023-02-24

文系学問文系でもできる範囲で発達しているに過ぎないと思う。

物事には理系しかできない論理構造というのがあって、それが必要ものについてはいまだ解明されていないと思う。

理系の方が論理なのだ法曹も目じゃない。

文系論理はなんというか線条的なんだ。ああなったら、こうなるという論理。雨降って地固まるというような思考様式さえ理解できるなら片がつく。双方向的な論理もあるかもしれないが所詮一次元のなかでのUターンに過ぎない。

俺はディ二の定理ガウス積分も「理解できない」ことで完全に理系素養がないと悟った何者かである

https://mathlandscape.com/dini-theorem/

たとえば上リンクのディ二の定理説明に使ってるグラフによる関数列の定義理解できない。

fn(x)についてfn(2/n)=1とは一体どういうことだと言うのか。

xについて解けばn=2のときx=1らしそうだがそれってどういうことなのか。つまり関数列のxを固定して数列としてみたfn(1)についてn=2のときの項は少なくとも1だということになるがそれ以外のnについても項が全く不明ではないのか?

理解できる人の脳が異次元に思える。

ガウス積分も同様だ。どうしても変数変換のところで理解が追いつかない。rとθが同時に動くような状況を理解しなくてはいけない。高校の置換積分とは理解必要な脳のスペックCPUでいうならbit数が根本的に違う。

ようするにこれらは変数の数の問題だ。文系論理変数でいえば一個の変化を辿っていくようなものしかない。

しか理系のそれは二個以上が容赦なく変化するような論理の流れを追えなければ理解が追いつかないということになる。

しかし私のような人間は一つの変数についてたどろうとするとそれ以外の変数に対する考慮がおろそかになってしまうような理解しかできないのだ。

この状況は絡まった糸で例えられるかもしれない。糸の端が外側に出ているという前提であれば、複数の糸がそのように絡まった糸玉に対してある端から辿ってその糸の別の端を探すということはできるはずだ。

理系やばいのはこの辿るという作業を二つ以上の糸に対して同時に行えてしまうようなところにあるのだと思う。とてもじゃないがワーキングメモリーが足りねえよ。

まり二つ以上の変数を一挙に思考範囲内に収めてみんなまとめて辿れてしまうんだ理系ってのは。

ちなみに文系でも理系仕草をすることはある。

応用数学を解いたり、初等的な計算が早かったり、フラッシュ暗算が得意だったりというところだ。なかに理系以上の計算力を持ってる人もいる。

しか理系もみんなそれなりの計算力はあるのである大事なのは計算力があるなら理系であるとは限らないこと。百ます計算公文式で得意げになってる子供理系としての将来を期待するのは早計なのだ

だって俺でもガウス積分を使わなければならない問題でも一定の演習を積めば答えの法則をそれとなく察してパズルのように解けるようにはなってしまうと思うから高校数学の延長上の応用数学はみんなパズルであるナンプレと大差ない。パズルとして解こうとする限り計算問題はみな線条的な論理理解力があれば事足りるのである

しか原理的な理解がなければ既存定理を発展させることはできない。

実は文系という人間にありがちと思われるのは、正しく新しい定理証明までできた気になって得意げになってるか、既存定理について延々と具体的な数値を代入してみたりして納得を試みようとするが一般的にそうだと言えることについてはついに何度人に教えてもらってもいまいち理解には辿り着けないかのどっちかだろう。

前者は無知の知すら弁えてない傲慢人間後者合理的知性主義によって既存の知性となんとかすり合わせを行おうとしているがそれができない、という違いだ。

ちなみにツイッターに棲息していがちな、法律の話で独自解釈をしているのにそれに気づかない人間は前者である

やや急進的な言い方かもしれないが、位相集合を基盤とした数論幾何をはじめとする現代数学と一部の物理以外はだから文系なのである理論や主張を腹落ちするのに複数の糸を同時に辿れるような能力はいらない。

というかそういう人間しか研究に携わってきてないから、そこから出力される理論もその程度なのだろう。理系の頭をもってしか理解できない領域が人文社会科学にもあるならば、それについてはいまだベールに包まれたままなのかもしれない。しかしなぜか真の理系人間の誰一人として文系学問には進まないか文系学問において理系脳をフル回転させようとしないのだと思われる。

dorawiiより

2023-02-07

[]右翼左翼というスペクトル意味するもの

最近言論非生産的とされるのは、政治に対する考え方が敵味方と関係していると判断されることにある。社会はどのような立場をとるかによって左右のスペクトル位置づけられるという感覚に陥っている。

左端は「共産主義者」、左中央は「進歩主義者」と「リベラル」、中央は「穏健派」、右は「保守派」、そして右端は「ファシストである。従来の常識では、政治はいろいろな立場があるように見えるが、その根底には「変革」「現実主義」「社会正義」など、一つの理念主義があり、それを束ねるイシューがあるということだ。

多くの人がこの「スペクトルモデル政治を信じているが、左派右派のあらゆる政治立場が、根底にある一つの根源イシューから生じていることを示す証拠はあるだろうか。政治には、他のあらゆる複雑な領域と同様に、何千もの問題があり、それらについて考える方法はたくさんある。

では、一次元モデルに魅了され、多次元的な政治現実を見ることができなくなっているのだろうか。それともそのような一次元化がまさに本質なのだろうか。

例えば共和党が何をやっても、たとえ正反対政策をとっても、必ず "右傾化 "と呼ばれる。自民党でも同じである。では、「右翼」というレッテルは、共和党政策について何を伝えるのだろうか。まさに何もない。しかし、共和党を嫌う人々は、共和党ヒトラーと一緒にすることでレッテルを貼れるのである

左翼」あるいは「右翼」と呼ばれる一連の信条の背後には、統一的な原理哲学存在しないため、この左・右のイデオロギーからまれ用語(「進歩的」「自由主義」「保守」「反動的」)は、部族意味以外には意味をなさないと心理学者は考える。ある人が保守派に属していると言うことはできても、それが政策的に何を意味するかは、その部族がある文脈で何を支持するかに完全に依存する。

では、なぜ「リベラル」や「保守」が信じていることの背後に単一哲学世界観があるという集団妄想蔓延しているのだろうか。一部の人はある人を「ネトウヨ」と呼ぶかもしれない。それは、教育に対する不信感を表明するような態度から低学歴」を想像するからかもしれないし、中国の脅威を叫ぶことが「差別主義」と同じように見える人もいるのかもしれない。「イデオロギーとは、ナルシスティック時代における自己満足の道具なのだ。」という言葉のものが、イデオロギー対立をする人々を敵と見做したナルシストであることは興味深い。

心理学者は長い間、人間には帰属意識意味のあるコミュニティ必要であることを理解してきたが、イデオロギーのおかげで、我々は自分たち部族が信じていることすべてに賛同し(それが常に変化しているとしても)、自分たち部族が支持していることが実は「保守主義」や「進歩主義」の哲学に縛られていることを事後的に料理して説明できるのだ。このような話術は、占星術師が誇りに思うだろう。

二項対立レッテル貼りはドーパミン放出し、部族を結びつけるが、民主主義健全性にとってはどうだろうか。スペクトル観点から考えることは問題を通して考えたり、別の視点考慮したりすることをできないようにするだろうか。

「もし二項対立レッテルを貼るのをやめ、他のあらゆる複雑な領域でそうしているように、粒度の細かい説明を使うことができれば、現代公的生活を特徴づけている混乱と敵意を払拭するために大きな前進を遂げることができるだろう。」と希望的観測を述べる人もいるが、部族主義よりももっと根本的なことがある。

それは、緊縮財政に陥った社会ゼロサムゲームスタートしていることが挙げられる。その場合、「どうやってパイを分けるのか」についての騙し合いが始まり、その騙し合いこそが「イデオロギー」という最大の綺麗事に変換されるのである

自称教養人は「スペクトル」を包括的に考えることを笑い飛ばすだろうが、そのスペクトルの背後の経済学(つまりゲーム理論)について真剣に考えるべきだろう。部族主義、なんて怪しい言葉を使うのは胡散臭い心理学者だけで十分である

 

[おすすめ論文]

会話型AI政治思想:ChatGPTの親環境、左リバタリアン志向に関する収束証拠

https://ui.adsabs.harvard.edu/abs/2023arXiv230101768H/abstract

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