はてなキーワード: ミルワームとは
最近思ったことがある。多くの生き物って、人間にとって見た目がいいように進化している気がする。
哺乳類とかだったら、人間にとって気持ち悪いやつはあまりいないだろう。爬虫類とか両生類とか、特に昆虫類だったら気持ち悪いやつがけっこういる。
今回思うところがあったから、4つほどエピソードを語らせてほしい。
去年の秋頃だったか、近所の裏山に登って、入会地の傍にある栗林で農作業をしていたのだが、そこにひょこっとアナグマが現れたのだ。アナグマというのは……約10年前にやってた「のんのんびより」のEDだったかな。「あれってハクビシンとか、タヌキとか、アライグマとか、イタチですよ」とか、そういう歌詞があったのだが、だいたいそんな生き物だ。
アナグマはイタチ科の動物で、体長1m未満のずんぐりしたイタチみたいなやつだ。顔はハクビシンに似ている。※ようつべで検索するとすぐに出てくる。
で、そのアナグマだが、栗林で農作業をしていた私の方に寄ってきたのだ。まだ若そうな個体だった。当方だが、農業林業はこれでも10年以上やっている。これまで、数多くのイタチ・キツネ・アライグマその他の小動物が箱わなに引っかかり、漁師や地元住民に殺処分されるところを見てきた。
正直、あまりいい印象はなかったが、半径数メートル以内まで寄ってきたところで、「けっこうかわいいな」という印象が支配するようになっていた。このあたりにはアナグマが少ないのもある。あと、私が育ててるのは栗だから、こいつらには盗まれんだろうという感覚もあった。
そういえば、小学校高学年だった姪っ子が、同じようなシチュエーション(農地の中)で、狸っぽい生き物にポテトチップスやコンビニのホットスナック(ファミチキ)をあげていたのを思いだした。あれは遠目からだったが、やはりずんぐりした見た目だった。
結局、栗林に来たアナグマは、その辺りをちょっと掘り返しただけで山の中に帰っていった。もう二度と出会うことはないだろう。例えばもし、私が育てているのがイチゴだったとしたら、確実にその場でクワなんかを握りしめて、ヤツを叩き殺そうとしていただろう。
実際、うちの畑でサルを見かけた時は、全力で追い払うようにしているし、タヌキやアライグマだったら石を放り投げてぶつけた後、スコップで殴り殺したこともある。蛇とかだったら、毎年20匹以上は駆除してる。長靴で踏んづけて、もう片方の足裏で頭を叩き潰すのだ。ジャンボタニシだったら、毎年夏になると百匹以上は生き埋めにしてる。イノシシは……あれはプロの量子さんの領域である。農家は手を出さない。
私はこれでも専業農家である。大切に育てた農作物を捕る生き物は憎くてしょうがない(人間まで含めて)。蛇足になるが、農業従事者は漁師率がけっこう高い。昔の農家は、田植えや稲刈りの時期を除いては、鶏を育てたり、山に入って鳥獣を捕っていた。今でも、狩猟免許がある人もない人も、山でイノシシとか鹿とかを捕って食料にしている例はある。
私の祖父もそんなだった。私がまだ小学生の頃に、鶏小屋がキツネかタヌキかアライグマかはわからないが、そういうのに襲われてしまった。非金属のネット小屋だったから、鶏が何匹かやられてしまっていた。祖父は悔しそうな顔をしていた。
或る夜に、実家で夕食を食べていると、鶏が騒いでいる声が聞こえた。祖父と親父はすぐに実家を飛び出して、鶏小屋に行くと、キツネのようなものが鶏小屋のネットを破ろうとしていた。なぜか、祖父よりも自分と父の方が早く鶏小屋に着いていたっけ。
後ろでカチャッ、という音が聞こえた。祖父が目の前に出てきたと思ったら、パアンッ!! という音が聞こえた。※祖父が散弾銃を撃ってた。
キツネのようなものは、その場で転がって痙攣しながら逃げようとしていた。親父が、祖父に鍬を手渡していた。それで、祖父が走り出して、ほうほうの体で逃げるキツネに追いついて……後は、何度何度も鍬が振り下ろされた。ぐちゃ、べちゃという音が聞こえて、狐は何度か鳴き声をあげると……多分絶命したのだろう。※近づいてわかったが、縞々のしっぽだった。アライグマである。
祖父は「このバカタレが、バカタレがぁ、アアッ!!」って叫んでたっけ。愛鶏(?)を殺されたのがショックだったのだろう。とにかく狐に凄まじい恨みを持ってた。あの時の自分は、「すげー。銃かっこいい!! 撃たせて」って祖父にねだってたよ。それくらい衝撃的な体験だった。私にとってのエポックメイキングだった。
「なに、お前も撃ちたい? 大人になったら警察行って免許がとれるど!」
「わしはもっとらん。ひいじいちゃんはもっとった。でも、わしは撃てるけえええんよ」
「俺も撃ちたい」
「○○くんが撃ったらいけん。捕まるよ」
平成初期の話である。当時はおおらかな時代だったのだ……。今だったら普通に逮捕される。絶対にマネしないように。
さしもの私も、祖父の遺品である銃剣類は所持しているが、自らの敷地内であっても使おうとは思わない。なにしろ、狩猟免許もってないからな。ほかの地元民と同じく、鳥獣の駆除行為はひっそりとやりたい。
話があっちの方にいってしまったが、私は基本的に、うちの農地に入ってくる鳥獣類は殺そうとする。苦労して育てた農作物を食われるのは絶対に嫌である。しかし、たまに殺さない例もある。それが上の例でのアナグマだった。
その状況で見逃したのは、なんとなくという理由が強い。農場内でメシを食ったばかりで、ゆっくりしたかったのもある。しかし、珍しくこっちに寄ってくるアナグマが「かわいい」という感情もあったのだと思う。うちの地域では、アナグマが珍しかったのもあるかもしれない。しかし、不思議な体験だった。
今度は市街地での話だ。
まだ若いころ、農業者じゃなくてサラリーマンだった時代に、とある国道沿いの飲み屋街にいた。最初の一軒目を探していたのだ。ふわふわと路地をさまよいながら、国道に出たところで、そいつに出会った。
歩道の上に、もぞもぞと動く物体があった。よく覗いてみると、コガネムシだった。背中の色が特殊で、なんとベージュだった。限りなく白に近い真珠色といってもいい。レア甲虫である。いとおかし!! いとおかし!!
その真珠コガネムシは、あまり元気がなかった。しかも車道に向かってもぞもぞと進んでいた。このままでは自動車に轢かれて死ぬだろう。ぐしゃ、という音がするのだろうな。昆虫類が車に轢かれると、意外と大きい音がする。
私は、そいつの目の前に人差し指を延ばした。するとそいつは、六本の足でガシッと私の指を掴んで、勢いよく私の手を昇り始めた。
土の中から出てきたばかりのカブトムシとまではいかないが、元気な様子で私の手指を昇っていた。そのまま徒歩で飲み屋街に移動して、レストラン沿いの並木を見つけた。おそらく欅だったろうか。樹の表面にコガネムシをくっつけると、また元気そうにどんどん昇って行った。
どうしてあの時、コガネムシを助けてやったのだろう。そういえば、小学生の頃は甲虫が好きだったような気がする。懐かしい気持ちになった。
今でも、夏場で路上に転がってるセミとか見つけると、拾って助けてやる。すぐ近くにあるクヌギかコナラにくっつけてやる。
これは私じゃなくて、息子の話だ。当時は小5だったかな。夏休みだった。
ある日、家の庭の中にある小道(※田舎だから家が大きい)で、息子が「トカゲ見つけた」と報告してきた。「捕まえたの?」と聞くと、「捕まえてない」と言う。
現場に行ってみると、小道の上でトカゲが2匹、それぞれ離れたところに倒れていた。お腹を上に向けて。瀕死だった。おそらくだが、野猫にやられたのだろう。お腹に爪で引っかかれた跡があった。
息子がそいつらを触ったところ、1匹だけはまだ息があった。残り1匹について、「よい旅を」と私がその場に埋めてやっていると、息子が生き残った方に落ち葉や土を被せてやっていた。どうやら、回復を待つつもりらしい。「これ、おうち」と言っていた。
好きにさせるべきだと思った。息子に対して、「日光に当てないように木陰を作る」「できるだけ触らないように」「1日に1回は霧吹きで水をかけてやるように」「餌はやらなくていい」など最低限の指示をした。
私はトカゲが1日以内に死ぬと思っていた。木の棒で突いても、片方の足が全く動いてなかったし、どう見ても虫の息だったからだ。早い話、移動能力を失っている。
その日から、息子は毎日トカゲのところに足を運んでいたっけ。水やりは欠かさなかったし、日光を浴びて体がのけぞっていたりすると、木陰の位置を調整してやったりする。
3日が経って、私が現場を見に行くと、どうやらまだ生きていた。土くれと落ち葉を払いのけると、少しだけ体が動いた。体にはまだヌメリが残っていた。片足だけを動かして、体をのけ反らせて私から逃れようとしていた。「シャー」みたいな感じで、口を開けてこちらを威嚇している。少し気の毒になって、植物用の霧吹きをしてやったのと、一応、ミルワームを顔の近くに寄せてやったが、無反応だった。やはり餌は不用のようだ。
次の日だったか、息子が飛んできて、「トカゲが動かない」という。現場に行ってみると、そこには……「おうち」から出てきたところで静止しているトカゲの姿があった。口には小さいミミズのようなものが入っていた。目は閉じていた。
「餌をあげてしまったの?」
「うん。お腹すいてると思って」
「そうか。たぶん、びっくりして死んでしまったんだね」
「うん」
「……どう思った?」
「わかんない」
「うん」
そんなやり取りをしたかな。
そのトカゲは、結局何時間たっても動かなかった。生命活動を停止したのだ……。推測だが、ミミズが喉に詰まって息ができなくなったのかもしれない。放っておいても、数日中には死んだだろうが。
息子にとっては、トカゲがかわいかったのだろうと思う。私は、あまりそうは思わないが。大人になると、高速で動くトカゲはちょっと苦手だ。だがまあ、カナヘビはまだかわいいと思える。トカゲと似ているが、比較するとあまり動かないのもある。
先日、県道を車で運転していたところ、路側帯を走っていた自転車が急に停まった。その彼女はアスファルトにゆっくりと降りて、自転車を端に寄せると、足先でなにかを小突いていた。
ちょうど信号待ちになったので、その様子を眺めていると、どうやらそれはひっくり返ったセミのようだった。彼女が小突く度に、「ジジッ」という音でセミは鳴いていた。死んではいないようだ。
その子は、セミに向かって指先を伸ばした。セミは指を樹木だと思ったのか、ホールドした。その子の指に乗ったセミは、一緒に自転車でまっすぐの方向に進んでいった。
次の信号で、彼女に追いついた。自転車を降りて、民家の入り口に生えている樹にセミをくっつけようとしていた。指で押してやると、セミは樹にくっついて、もぞもぞと枝を張っていた。彼女はセミをちょっと撫でたかと思うと、また自転車に乗って県道を走り抜けていった……。
一応、セミもかわいい部類には入るのだろうか。丸っこい見た目だから好きな人もいるかもしれない。当方はどちらともいえないが、今度セミがひっくり返っていたら、死んでいるか小突いて確認してみようか……と思った。新しい世界が開けるかもしれない。
話は長くなったが、結びにしよう。
大昔から、それこそ多くの生き物がいたのだろうが、人間にとってかわいくない種の生き物がどんどん淘汰されていった。それで、今みたいに哺乳類や鳥類は可愛いのばかりが残った。
それは、全然定かではない。でも、かわいい生き物はというと、殺される場面でも殺されないことがあったのではないか。大昔から。よって、醜い種に比べて生き残れる可能性が高かったのではないか。と、先日『利己的な遺伝子』を読み終えたばかりの私は感じた。
あなたはどうだろうか。生き物は、やっぱりカワイイ方が生き残れると思うだろうか。しかるに人間の場合は、かわいげがあって、みんなに好かれる個体ほど早死にする傾向があるように思えるのだが。
ほんとにいい文章
ご指摘の通りだと思うし全件もれなくそのとおりだと感じる
しかし申し訳ないのが、そのうえでたしかにポルノ消費で第三者目線で掛け算しただけのBL二次創作をジャーナリズムと思しき誤解されそうな棚にあげておくのはよくないが
それをみてシコッてるキモい人たちのぶよぶよした肢体から流れ落ちる脂汗とそれが蒸発して壁にしみこむまでを想像するのが好きな私がいて申し訳ない
その無邪気にうごめく姿がミルワームのつまった箱を覗くように心地よい
画面越しだからこそ楽しめる危険や汚らわしさ、痛々しさなどこんなもの好きだと現実的には告白できないけれど
最高に質の良いGrottyなコメントたちに星こそつけていないがそういった性癖で醜悪な原因と結果を好んでしまって申し訳ない
チョコミントが嫌いだ。
あの、歯磨き粉みたいなのに甘くて辛い世にも珍しい謎の味。
そもそも歯磨き粉が苦手でアンパンマン歯磨き粉を使っているタイプなので本当に厳しい。
しかしこの、「嫌い」という感情にどうも謎めいてしまい、コンビニにチョコミントの製品が売っているとかたっぱしから食べてしまう。
だってなんか、「味が嫌い」ってどういう事なのかわからなくない?
腐ったものや油っぽいものが嫌なのは身体が拒否するから。ミルワームを食べたくないのはキモいから。
でもチョコミントが嫌いなのは論理的に説明できない。アレルギーでもないし。
嫌いなものを食べた時にだけ感じるあの猛烈なイヤ!という感情を食事以外の行動で得られた事がない。
そのイヤ!を感じたくなって嫌いなものを沢山沢山食べてしまう。他にはセロリとかパセリも食べてしまう。
これもおいしくない!これは甘い。これは歯磨き粉!なんて評をチョコミント好きの友人としていると、「それって好きなんじゃないの?」と言われる。
好きの反対は無関心とは言うが、本当にそうなんだろうなと思う。
およそ20年以上前、姉が道路に落ちていた鳥のヒナを拾ってきた。※余談だが地面に落ちている鳥のヒナや、地面に落ちている傷ついた鳥は拾わない方がよいらしい。
姉は飼う気満々でミルワームを親に買ってもらっていたが、数日後にヒナは息絶えてしまった。
姉は大泣きしていたが、私は「せっかく買ってきたエサがたくさん余ってもったいないなあ」と思っていた。
ところが植え替えの手伝いをしている際に、私が誤って手折ってしまった。
父は「かわいそうに」と鉢植えに対し言ったが、私は「もったいないことをした」と思っていた。
ずっと入院したままか、快復したとしても介護が必要になるだろうと祖父から聞いた。
それを聞いた私は「もったいない」と一瞬でも思ってしまっていた。
正直祖母と仲がいいというわけではなかったが、罪悪感があったのだと思う。すなわち「先が長くない人間を養う費用はもったいないと思ったことの罪滅ぼし」としてお見舞いに行っていたのかもしれない。
また、今思えば「私はどんなに費用がかさんでも祖母に長生きしてほしいと思っている人間ですよというアピール」だったのかもしれない。
そして少し前、祖母が亡くなった。
やはり私は「入院が長期にならず、負担が少なく済んでよかった」などと思ってしまっている。
悲しみの感情と反道徳的な「もったいない」の感情が同居して喧嘩をしている。
祖母の件が契機となり内省するに至り、王様の耳はロバの耳的にここに文をしたためた。
野生で捕まえた爬虫類に一番ありがちなのは「生きて動いてる餌じゃないから食べない」ってやつ。
他のものを食わないのに冷凍マウスなどを食べるかっていうとおそらく難しいよ。
正直、逃してやって欲しいけど、どうしても飼いたいならペットショップでミルワームや生きた小さな小さなコオロギを買ってきて与えることを勧める。だが、タダで拾ったペットに対して恒常的に生き餌を与え続けるのはなかなか高くつくぞ。
コオロギは自家繁殖してる人もいるが、最終的にコオロギを飼ってる(世話がそこそこ手間)のかヘビを飼ってる(餌ほおりこむだけ)のかわからなくなった、って人がそこそこいるからとりあえず買ってくるのを勧める。
だが、やはり元いた場所に返してやることを勧める。野生では、日が出たら温かい場所に自分で移動してひなたぼっこして体温を上げて、自分で餌を探す。
小さければ外にいても勿論死んでしまう可能性はあるが、それでも、自分より大きな動物に捕まって、寒くて狭くて、ひもじくてつらいままに体力が尽きて死んでしまうほど辛いこともないだろうよ。それはわかるだろ?
そのまま文字通りの飼い殺しにするのもお前の勝手だけどさ、できれば拾ったなら愛情もって手厚く飼ってやってくれよ。大きめのケージにひよこランプも設置してさ。
手軽に拾えるかもしれないけど、金銭的にもこれからずっと世話していくのは、なかなか大変だぞ。
ちかごろよく見るような気がするのだけど。
そういうものを紹介したブログなんかを見ると、たいていに効率のよい蛋白源とか食糧危機みたいなことを書いてある。
ただ何となく虫を食べるというのでは記事にするとき掴みどころがないのかもしれないけど、私にはそれが大きい理由だとは思われない。
たとえば生まれてから飢えたことはないし、他にも食べるものはたくさんある。
回転すしのネタなんかだとその栄枯盛衰はわりと短い期間で見ているけれど、それでもやはり食べる側としては選択肢は多い。
食べ物に困ってる人を見たことがない。
それに生産の効率って本当にいいのだろうか。バッタなんかだと鶏よりはるかに効率よく草など飼料をたんぱく質にできるらしい。
でもどういう風に生産するんだろう。
私には野山を飛び回る幾万幾千万のバッタが収穫の手から逃げ惑うホラーみたいなイメージしかわいてこない。
生産の仕方が思いつかないのは私の考えが浅はかなのだろうけど、それでも目に見えない食糧危機や生産効率なんかで食を選ぶ消費者はいない。
安価に生産できるよい食料だからと国なんかがそれを推すというのならありうるかもしれないけど、それもないだろう。
じっさいにカミキリムシやコガネムシ、ミルワームなど食べてみたことがある。
虫や昆虫系のペットショー会場に露店が出ていて面白がって食べてみたのだけど、私としてはやはりそういう食べ物なのだろうと思う。