はてなキーワード: 文化祭とは
以下、チラ裏ですよー。
長いよー
去年見たアニメを纏めてみる。
年始周辺では前年末の物を見ていたりするので、それも含んでます。あくまで自分が見たものということで。
日常を改変する系統。近所のスーパーでって考えると楽しいねーっていう。
二つ名、各話タイトルなど、タイムセール一発ネタからの発想の展開がツボを抑えていて、「冗談をシリアスにやりきる」面白さ一本、この清々しさが視聴継続の意欲につながったように思います。
OP曲「LIVE for LIFE 〜狼たちの夜〜」が作品世界によく合っていて、なぜかとても好きでした。
正月休みが開けてから存在を認知して、1月にニコ動に課金してまで見てた。
視覚版声優ラジオ、ですよねー。たのしいねー。二期あるようで目出度い限りでございます。
3月にみました。
TV本編から心理的に大分たっているなーという状態になっていたようで、前半の学校のシーンはセルフパロディにみえるな、という結構他人事な突き放した感覚の中で見ていました。
とはいえ、ロンドンの話になる頃には、その辺も忘れて見られており、あずキャットさん関連のストーリーラインなども心温かく、総合的によろしかったのではないでしょうか。
序盤のオデット2世の掃除をするモブの場面で掴まれました。日常系とトピックとなる出来事のバランスが素晴らしかったと思います。
OP、EDがももクロで、それは作品的には合ってたんじゃないかと。特にED曲は好きでした。
・咲-Saki- 阿知賀編 episode of side-A
咲の時点でも大きなタイトルだったと思うのだけれど、阿知賀編によって咲はプラットフォームになったとおもう。
咲はいつもOP、ED曲がフィットしているのでコントロールが確りしていて非常に好きです。リスペクト。
・氷菓
原作既読での視聴。降って湧いたようなアニメ化、しかも京アニということで非常に喜んだものでした。
「京アニは自社の成長を、ひいてはアニメ表現の成長を考えている」。そう思う中に京アニブランドへの信頼感は強まり、またそのように思うからには私は京アニ信者なのであろう、まさにそのような自己認識に至ったものこそが私の人生においての昨一ヶ年なのでございました(何。
鍛え上げた萌えアニメの映像文法を、ラノベと一般小説の境界のような原作に適用することで、アニメ表現の可能性を押し広げる京アニ⊿。
男子二人の人物の掘り下げが素晴らしく、奉太郎・里志の屈託にも非常に共感できました。
私はストーリーなどの制作意図にはよく共感するのですが、アニメではあまりキャラクターに共感することがないので、これは珍しいことでした。
女性キャラでも、えるはともかく、摩耶花をきちんと描写できていたように思え、それはすごいっす。
(この辺のキャラクター群像って、普通さくら荘くらいの感じになっちゃうよねーといってみる)
それと、佐藤聡美さんに関しては、俺妹で魅力に開眼して、さあ!というタイミングでの千反田さんだったので、非常に期待しておりました。それが個人的あざと過ぎゾーンに踏み込んでおり、文化祭エピソードで軍門に下るまで時間がかかったというのも良い思い出です。えるたそ~(何。
営業観点なのかED1が萌えアニメ仕様だったのが不満でした(笑。
・SAO
原作既読での視聴。アクセル・ワールドが原作に忠実ながらも自分の望むところとは違う解釈だったので、こちらがまともに見れる脚本だったのは幸甚でした。
ストーリーや舞台・道具立て、ブレイクするまでの過程と、作品内外共に今日のエンターテイメントの流れとして象徴的な重要作品という認識。2012年はSAOのあった年、と記憶されるのでは的な。良過ぎない画質で安定しているのも好感。
キリトさん本気モードの表情の悪役張りの歪み方が、人間表現の指向性として優れていると思いました。
あと直葉ED曲Overfly超好き。
あとWEB小説上がりのラノベ作家は応援したい。まおゆうもいいけどログ・ホライズンの方アニメになんないかな。
一期は、OPやストーリーラインのカリカチュアっぽい感じがあわなくて、あまり見なかったのだけれど、キャラ掘り下げからタイトルの核心に進む二期は、見やすくて楽しかった。
EDもなぎさんで素敵だったのだけれど、とくにED2ラテラリティは非常に格好良くて素晴らしい。
氷菓の後にネタっぽいのやるのかよって思ってたら、ちゃんとしたドラマになったので、京アニ様すみませんでした。まあ終盤の感情表現の的確さといったら、すごい素晴らしいしか感想が出ない程のものでした。
あとOPの正統アニソンっぷりが凄いと思った。流れに心を込めるのはもちろんのこと、単語それぞれに感情が込められ、抑揚のうねりが独特のグルーブを醸す表現はZAQの名を高めたのでありました。
茨城出身なので。町おこし的な成功をよころばしく思っています。
戦車戦の「リアルらしさ」の表現が見事にアニメ化されていて、コール・オブ・デューティの臨場感がよみがえる思いでわくわくして見ていました。あと学園艦。あと西住殿~
アニメーションの出来として一段レベルが上(自分が見た範囲では)なので、ストーリーがどうとか以前に選ぶと入ってくる感じ。
・猫物語(黒)
ニコ動でみました。羽川翼は一言に均して「とても好きなキャラクターなんです」。
ああ…羽川さん…羽川さん…きこえていますか…(何
以上9本をあげてまして、重ね重ね重ねてチラ裏失礼いたしました。
10本上げたかったんだけど、集まった水準を基準にすると上記9本までしか入りませんでした。
(★は最終回まで見たもの。★の多いものはその中でも特に気に入ったもの。☆は中盤~終盤くらいまで見たもの。映画は最後まで見て当然なので無印で)
2011 | ベン・トー★★ |
gdgd★★★ | |
2012/12 | けいおん(映) |
2012/1 | アマガミSS二期★ |
リコラン | |
キルミー | |
ミルキィ二期 | |
シンフォギア | |
モーパイ★★ | |
偽物語★ | |
アクエリオンEVOL★ | |
あの夏★ | |
ラグランジェ★ | |
パパ聞き | |
妖狐僕SS | |
2012/4 | これゾン二期 |
ルパン不二子 | |
夏色キセキ★ | |
さんかれあ★ | |
戦コレ☆ | |
アクセル・ワールド★ | |
うぽって | |
咲阿知賀編★★★ | |
シャイニングパン屋 | |
氷菓★★★ | |
2012/7 | TARITARI☆ |
人衰(撮りためていてあとで見ます) | |
恋チョコ☆ | |
はぐれ勇者☆ | |
カンピオーネ★ | |
ココロコ | |
ホラ二期 | |
SAO★ | |
信奈 | |
2012/9 | 新世界より★ |
2012/10 | ヨルムンガンド二期★★ |
えびてん | |
K★ | |
サイコパス☆ | |
中二病★★ | |
BTOOOM★ | |
武装神姫☆ | |
絶園のテンペスト★ | |
ひだまり四期☆ | |
ジョジョ☆ | |
ガルパン★★★ | |
さくら荘★ | |
2012/11 | エヴァQ(映) |
2012/12 | 猫物語(黒)★★★ |
でも、担当でもないのにでしゃばってミスした時の怒られっぷりや
担当でもないのに、担当よりもいい仕事をしてしまって、担当の顔をつぶすとか考えると、ダメな気もする。
めんどくさいんだよ。
みんな、もっと、周りにいいことをしてあげようって気持ちになってないんだよ。
でも、そんな中、あなたは立派だと思うよ。
そういう先生がいるおかげで、失敗を経験する事ができたり、みんなでうまく文化祭を仕切るには何をしたらいいのかっていう事が学べると思うよ。
4/16 勝利、早退。
4/18 勝利、夏緒に絡まれ苦笑い。早退する。田中樹、欠席。
5/07 勝利、森本龍太郎、樹、最後まで出席。勝利、昼休みトレイトの教室へ。
6/12 学力テストのため学校は1時に終了。勝利、寺坂尚呂己と帰宅。佐藤愛香と中野まで帰宅したという説も。
7/29 千葉県で行われた柏まつりにて、樹、夏緒と目撃される。
9/03 授業開始。
9/04 勝利、出席。
9/05 樹、大我、山本涼介、昼休みに担任と共にバスケットボール。
9/25 勝利、欠席。
9/26 勝利、欠席。
9/30 体育祭。森本、リレーに出場。樹、京本大我、台風の目に出場。ジャニは勝利以外全員出席。
10/02 発表会。
高校3年生の僕には好きな娘がいる。
中学から同じのその子とは、個人的に1対1で話すことはないが、
グループであったり・少しのメールではコミュニケーションを取ってきた。
身長150cmに満たない小さな彼女はいつも笑っており、何より可愛いのだ。
同じ高校に入学。
クラスが違うこともあり、年に数回メールをすればいい方、くらいの付き合いだった。
と、そんな噂が広まると同時期に、彼女の方から僕にメールが頻繁に届くようになった。
内容は「課題分担しようよー」「ディズニーとか行きたい」なんて他愛もない雑談。
僕は嬉しくてうれしくて、夢中で携帯にかじりついて返信をした。
メールもいつしか、あちらが寝落ちをして、朝に「ごめん寝ちゃった それでね◯◯」のように
切れることなく、毎日続くようになる。
そのずっとメールが続いている間、僕があまり社交的な性格でないせいで一度も面と向かって話したりはしなかった。
いつも車で送迎してもらう彼女が車中で携帯をいじっているのを見たその数秒後にメールが届くと、もう心は有頂天のようであり、
その逆、僕が打っているのを見られたときは小恥ずかしくなり、わざと返信を遅らせたりしたものだった。
その日の夜は暑く、寝られずに深夜までメールをしていた。
と、自然な流れか急か、翌日に所属する部活のコンサートを控えた彼女が、こんな文章を送ってきた。
「明日は君のために弾くよ(笑」
『君のために』
こんなのが来たらもう体は、ほてってしょうがない。
この時点で僕は、「この子は僕のことが好きなんだ。」と思った。もっともこのことは今でもそう思っている。
その返信は
「うん そうだよ」
これまで付き合ったことのない、あんな素敵な彼女からこれが送られてきて、
ほてりに火照ったあの夜の熱さは今でも忘れられない。
はあ、とうとう僕にもこんな素敵な彼女が出来たのか。
くそ、向こうから告白されるなんて情けないなあ(笑)なんて思いながら僕は、
「ほんとに!? えっと、よろしくおねがいします」と返した。
ああ、彼女ができたんだ……
「彼女できた!」とツイートすれば、死ね死ね とリプライが飛んできて……
そして2分後
「ええええ 冗談だよ(笑」
ふ ざ け る な
この落胆さたるや。
「あ、そうなの ひどっ!笑」
「ごめんごめん、増田くんって私と付き合いたいの?」
「いや別に……」
バカな返事をしてしまった。
情けない自分への照れ隠しをした。彼女は、こちらからハッキリ言って欲しかったのだろうか。
それとも、本当に冗談でただ遊ばれていたのだろうか。
と、まあそんなことがあってもメールは続いた。
その頻度は衰えず9月。
ふと「私の誕生日知ってる?」と。
これだけ見ると、ただのクレクレ女に見えなくもないが、この強引かつ可愛さ。
僕は急いで、たくさんのページを見てプレゼントを選んだ。
あまり慣れてない口ぶりで渡したプレゼントを受け取り、彼女は天使のような笑顔を見せてくれた。
話下手であまり間が持たずそそくさと帰ってしまったが、その後 お礼のメールが来た。
そのメールはいつもより長く、増田くんと出会えて良かった これからも仲良くしようね、という内容。
保存した。
「12月◯日って増田くん誕生日だよね、プレゼント渡すから、放課後待っててね」
彼女は、中学時代に僕が友だちと話していたのを聞いた、ということで誕生日を知ってくれていた。
当日、放課後、教室掃除だった僕はちらちら廊下を確認していた。
自分が渡した時よりも、緊張しているような気がする。
そこそこ大きな紙袋を持って、彼女が来てくれた。
最初は気付いてないふりをする僕も、少し経ってから目をあわせて、廊下に出た。
廊下にはなかなか人が多く騒がしい。
帰宅してから開けてみると、ヘッドホンとマフラーが入っていた。
これは本当に、本当のことだが、僕はその時ちょうどヘッドホンが欲しかったところだった。
毎朝、自転車の僕を彼女が乗る車が抜かしていくのだが、その日はとても照れくさかった。
僕は改めて彼女のことが好きになり、また彼女も僕を好いてくれていると思うようになった。
いつも向こうから送ってくれていたメールがじわじわと来なくなる。
不思議に思い焦ったが、特に話題もなく、こちらからも送ることはなかった。
しかしその間も僕はずっとマフラーを巻いて登校し冬を過ごした。
そして4月。
それまでにその子がたまに男子生徒と談笑しているのを見かけて胸が苦しくなった。
あの頃のように携帯にかじりつき、必死にユーモラスな文章を試みるも、
ああ、あの頃には戻れないのか。
明確な理由はないものの互いが互いをなんとなく意識しあうそんな関係には戻れないのか。(以前の関係がこのようなもの、と思っているのは僕だけかもしれない)
そうして6月。
文化祭でその彼氏が、舞台上の彼女に呼びかけて聴いているのを僕は真後ろで見ていた。
ああ、そうかこいつと付き合っているのか。
その彼氏は、いかにもちゃらく、細目 肌白 似合ってないホスト風ヘアー。
悔しかった。
なぜこいつなのか。それ以降、学校で彼女が彼氏と仲良さそうにしているのをよく見た。
その彼氏が「お前ってすぐ別れるよなーww」と言われているのを聞いて期待したものの、
その彼氏と僕の共通の知人から、彼女が2時間エッチをして、彼女の最中の声は大きい ということを笑い話で聞かされた。
本当に悔しかった。
今になって、どのくらい好きだったか。
なぜもっと強引に行けなかったのか。
あのときああしていれば。
後悔は尽きない。
ふと、昨日、彼女が家に遊びに来た。
中学時の適当なそのへんのメンバーが遊びに来た中に彼女もいた。
アポなしで来られたため、部屋は散らかり、ロクなおもてなしはできなかった。
その食事中に僕は平気な顔で、「いつから付き合ってるの?」「どんな感じなの?」と聞いた。
3月までずっとマフラーを巻いていたことが死ぬほど恥ずかしくなった。
そんなとき、開けた腋から青いブラジャーに包まれた彼女の胸が見えた。
家に帰ってからそれでシコった。
その後から、ああ あの彼氏はあの彼女の身体を抱いているんだと思い、辛くなった。
僕の好きな娘には彼氏がいる
中高と男子校の一貫校を卒業した僕は、取りも直さず童貞であった。
漫画は好きだが、二次元にどっぷりハマるというわけでもなく、熱烈に好きなアイドルがいるわけでもない。なんとなく陸上をやって、モンハンにハマって、受験勉強に追われていたら気づいたら大学生になっていた。悪友が手に入れた、女子高の文化祭のプラチナチケットを握りしめ、行ってみたりもしたがナンパなんてできるわけもなく「清い」高校生活はあっという間に過ぎ去った。
4月入学式。新歓コンパというイベントに巻き込まれた。入学式で隣の席になった同級生(関ジャニの横内クンにちょっと似てる)とキャンパスを歩いていると、次から次へと歓迎会のビラが渡された。「ねぇ、君たちフットサルとかやってみない?」「とりあえず、飲み会だけでも来てみてよ!」と、僕らにビラを渡すのは決まって美人な女子の先輩たちだった。僕はビビった。これが大学なのかと。今まで、話す女性は母親、祖母、いとこの結婚してるお姉ちゃん。まあそれぐらいしかいなかったのに、なんだここは。と。そして、僕はこの世の春を感じていた。
さっそく、横内くんを誘い新歓コンパなるイベントに参加した。フットサルのサークルなのに、なぜかやたらと女の子が多かった。意味がわからない。マネージャーなんて多くても3人くらいいれば事足りるだろうに、なぜこの飲み会の半数が女子なのだろうか。そんな疑問をかかえながら、新歓コンパの宴は始まった。
目の前では、浅黒く焼けたゴリラっぽい先輩(FUJIWARAのフジモンにチョット似てる)が、次々といろんな1年生の女の子に楽しそうに話しかけていた。まったく女子と話したこと無い僕は、とりあえず座って砂肝の唐揚げを黙々とつついていた。時計の針は2時間が過ぎようとしていた。横内くんは1時間もしないうちにバイトがあるからと切り上げて行ってしまっていた。1人のときよりも、騒がしい輪の中のほうが、どうやら孤独は浮き彫りになるらしい。
やばい。劇的につまらない。そう思い始めたとき、酔っ払っているっぽい3年生の女の先輩(ちょっと芹那に似てる)が声をかけてきた。「君たち、なんでうちのサークルきたの??サッカーすきなの?」「うちのサークル可愛い子多いでしょ。絶対入った方がいいと思うよ!」「若いんだから、肉食べなダメたほうが良いよ。男子は肉食べないとね!」などなど、僕はまくし立てられた。そのたびに、はあ、とか、はいといった気のない返事しかできなかったが、芹那さんは僕の隣からなぜか動こうとせず、ずっとしゃべりまくっていた。
2件目に移動する話が出たころ、メンバーは1/3くらいに減っていた。帰るチャンスを芹那さんに完全に奪われた僕は、そのまま引っぱりこまれていた。2件目はひどかった。最初からイッキコールが始まった。急性アル中で問題がおこり、完全に無くなったもんだと思っていたが全然そんなことはなかった。飲みなれないお酒は、僕を酷く酔わせた。僕が飲みきれずむせ返ると、残った酒を芹那さんはかわりにイッキしていたようだったが、すぐに僕の記憶はフェードアウトしていった。
目をさますと、そこは見たことのないボロボロの部屋だった。横にはゴリラ…もとい、フジモン先輩が転がっていた。全身に走る筋肉痛と飲み過ぎのムカムカした感じをこらえつつ起き上がるとフジモン先輩も起きだした。「おー、おはよう純ちゃん。昨日はやばかったなー。記憶全然ないんじゃないの?」と言うと、僕の消失した記憶を刻々と語りはじめた。酷くよっぱらった僕は、今まで一度も彼女が居ないこと、童貞であることを高らかに宣言してたという。そして、自分のことは「純血の戦士DT」と読んでくれと口走ったらしい。そして、最後は動けなくなった僕を芹那さんが、ずっと介抱してくれてたと教えられた。
僕は入学2週目にして、早くも鬱になりそうだった。とりあえず、芹那さんにまず謝ろうと昨日教えてもらったLINEにメッセージを送ろうと思った。が。。。なんて書いたら良いか解らない。1時間書いては消してを繰り返し、最後に書けたのは「昨日は、すごい迷惑かけてしまってスミマセン!でも、本当に楽しかったです。」の一文だけだった。すぐに、芹那さんから返事がきた。「全然!こっちこそ、ほんとうに楽しかったよ。来週の木曜日の練習で会おうね!」というメッセージとグッジョブをしているスタンプが送られてきた。
おそらく、その瞬間だった。僕は芹那さんに恋に落ちた。そして、サークルに入ろうと決意した(邪な目的で)。
1週間後、練習に行ってみると打って変わって、女子が少なかった。でも芹那さんはそこに居た。白とピンクのジャージがめちゃくちゃ似合っていて、可愛かった。僕は思わず見とれそうになったが、恥ずかしかったので気づかないふりをしていると「あ、純ちゃんきてくれたんだねー」と声をかけられた。どうやら、このサークルでの僕のあだ名は純ちゃんで決まったようだった。
そして、あっという間に3ヶ月が経った。バーベキューしたり、他の大学と試合したり、いろいろなイベントが走馬灯のように一瞬で流れていった。芹那さんとは、毎日LINEでメッセージするようになり、会話も普通にできるようになった。何回か、僕の家に遊びに来て飯(主に肉料理ばかり)を作ってくれたりもした。僕は嬉しくて嬉しくて嬉しくてたまらなかったが、告白して気まずくなることが怖く、特に付き合うみたいなことにはならなかった。
ええ。チキン野郎ですよ。でも、童貞にこんな夢のような時間訪れると思わないじゃないですか!
8月も終わりの頃、夏休み実家に帰っていた芹那さんはお土産物を届けるといって、うちに遊びに来た。その日はなぜかゆるい関西弁だった。不思議に思った僕は、なんで関西弁なんですか?と聞くと「あ、神戸弁になっとうね。うちな親しくなると神戸弁でちゃうんよ」と答えて、にっこり笑った。
はい。無理!無理!無理!無理!
こんなん言われて、告白しない男なんて1人も居ないよ。
帰り道、芹那さんを駅まで送る途中、東京では珍しく明るくて大きな満月が出ていた。僕は駅に着く直前の駐車場で芹那さんを呼び止めた。一呼吸置き、喉から心臓が飛びでるんじゃないかと思うほど鼓動は高鳴り、頭は何をしゃべっていいか真っ白になっていた。でも、勇気をふりしぼり「芹那さん。初めて会った時から、ずっと好きでした。僕と付き合って下さい」と伝えた。
沈黙。
「ごめん。うち、純ちゃんとは付き合えんのよ。」
と言われた。え???え???え???僕はパニックになった。なに?親しくなると神戸弁になるって言ったのあれなに?今日、料理作ってくれたのとかなに??え?え???僕の理解の範疇を大きく超えた。動揺している僕に芹那さんは続けた。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい。純ちゃんのこと好きだったんよ。でも、神戸戻った時に昔好きだった人から付きあおう言われて。今は、その人が大事なの。実はうちな、去年からフジモンとつきおうとうよ。でも、フジモンめちゃ女の子好きで、浮気ばっかしてて二人になるといつも喧嘩ばっかりしとったん。」
全然サークルきてる時に普通にしてたから、全く気づかなかった!!
「だからな、うちも遊んでやる!思って、純ちゃんち来たりしとったんよ。純ちゃんは、ほんと素直でいい子やなーっておもってて、フジモンと別れて純ちゃんとつきあっても良いかなあって思っとうたんだけど・・・」
「ほんと、ゴメンナサイ。純ちゃん絶対うちより良い人彼女にできると思うから。本当にゴメンナサイ」
芹那さんが、そう言い終わるか、その前かに僕は居てもたっても居られず、「ん、わ、かり、まし、た」とようやく声をひねりだすと、きた道を泣きながら走って家に帰った。
ばーかーばーかばーか。惚れた自分も、フジモンも、芹那さんも、芹那さんの新しい彼氏も、みんな死ね!死ね!死ね!!!
そんなんから、2週間経ちました。
僕の貞操はまだ守られております。
http://anond.hatelabo.jp/20120812171545
(※たくさんのブックマークありがとうございます。初めてのかたは、上のURLからどうぞ「ホストの弟子、1限目」)
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あれから、1週間が経った。僕はと言えば、基本は厨房、カウンターを回しながら時々緊急でホストのヘルプで呼ばれるようになっていた。女性に話しかける抵抗は少なくなったものの、話し始めるとすぐに会話がとぎれ、先輩ホストに助けてもらう毎日だった。50人ナンパ(といっても、話しかけて無視される作業)でつけた自信はとうにすり切れていた。
頼みの綱の翔さんも、出勤時に挨拶するぐらい。弟子にしてくれた話も忘れてしまったのかなと思い始めていた。
そんな、僕の考えを読むかのように、翔さんは、また僕を誘い出した。その日は渋谷で待ち合わせだった。今度はハチ公前でナンパでもさせられるのかと、僕が不安な気持ちでいっぱいになっていると、30分くらい遅れて翔さんがやってきた。
「よー。お前汗だくじゃないか。確かに今日は暑いわなぁ。外ナンパはやめて涼しい所行くか」と言うと、センター街へ向かって歩き出した。道々歩きながら、ここのラーメン屋は旨いとか、アダルトグッズはこのビルの地下とか、渋谷の情報をいろいろと教えてくれた。
そんな話をしているうちに、僕らはスペイン坂にある1軒のお店に入った。甘ったるい花のような香りが店内に立ちこめていた。そこは香水専門店だった。
(閑話休題)
かつて高校時代、男子高校生だった僕は友達に借りたスカルプチュアを山のように振りかけ、文化祭に挑んだ事がある。当時、男子高校生にとっては文化祭は唯一と言っても過言ではない重要イベント。気合を入れまくった僕は、香水をつけて挑むという暴挙に出た。結果は、明らかなつけ過ぎ。女子だけでなく、男子も当日は僕の回りをあるくと眉をしかめた。僕は歩く異臭騒動としばらく呼ばれた。
そんなことを思い出し惚けていると、「よし、ぼーっとしてないでやるぞ?」という翔さんの声で現実に戻された。
「これから俺は2時間ぶらついてるから、ここの香水を嗅いで、全部覚えるんだ。まず、あそこに飾ってあるベスト20みたいなのは、香りだけでなくショップカードに書いてある内容も覚えるように。あとで聞くからなー。」それだけ言い残すと、本当にお店から出て行ってしまった。
僕は1人、ポツンと香水屋に残された。
回りはほぼ女性。時々いる男性は、彼女と一緒に来ているカップルだった。店員さんの視線も猛烈に痛い。回りの客は、きっと僕をキモイと思ってに違いない。しかし、モテたいという気持ちと、翔さんが戻って来て質問された時、何も答えられないのが怖さで、仕方なく匂いを覚える事にした。30分も経たない内に吐き気をもよおした。それでも、なんとか2時間頑張った。
翔さんは、やっぱり30分きっかり遅刻してきた。「大体おぼえたか?今からテストするから、目を潰れよ。これ、なんて香水だ?」翔さんはそんな調子でクイズを出してきた。結果は5問中4問正解。自分でもまあまあの出来。すごいとか言ってもらえるかなとワクワクしていると、翔さんは「じゃ、次いくぞー」とさっさと店を出て行った。僕はあわてて追いかけた。
2軒目は、本屋だった。
店の中に入ると、急に翔さんは僕の財布を取りあげた。「お、3万か。学生にしちゃ入ってるじゃないか。本を買うから、これ使うぞ」と、財布から3万を抜き取った。僕が唖然としていると、雑誌コーナーに向かった。いきなり、女性誌をかたっぱしからカゴに入れ始めた。10冊くらい入れた所で、次はタウングルメ雑誌。これも棚に陳列されているものを全部カゴに放り込んだ。それから女性向けエッセー。血液型占いの本、料理のレシピ本、カクテルの本などなど、次々と本は増えて行った。
翔さんは、お会計2万7400円を(ぼくの3万から)払い終えると、5キロはあると思われる紙袋2つを渡した。
「お前、明日休みだろ?この本、明後日までに全部読んどいてな。じゃあ俺、帰るわ。」
そう言い残し、翔さんは手をひらひらさせながら去って行った。香水の嗅ぎ過ぎで気持ち悪い身体に、まったく興味のないほんの山。僕は駅のホームで、声もでない程ぐったりとしていた。
翌日、翔さんに押し付けられた本の山を読み始めた。女性誌のファッション部分はタイトルだけでほとんど読み飛ばし、読者の恋愛相談ページだけを読んだ。リキュールの本は普段使っているカクテルベースの由来がわかって楽しかった。タウン情報誌は、最近流行りのお店特集なのを見ていたらお腹がすいて来た。女性向けの恋愛エッセーは意外と読みふけってしまった。
最初は苦行でしかないと思っていた読書だったが、気付けば楽しんでいた。いつの間にか深夜2時をまわっていた。
翌日、夜10時半に僕の最初のお客さんが付いた。相手はいつもは午前3時頃に来てくれているプロのお姉さん。今日は早番だったらしい。僕は、隣に座った瞬間に、彼女が付けている香水がアナスイ製であることが解った。「これ、アナスイですよね。」そういうと「え、良く知ってるね。」と驚いてくれた。それから、しばらくショップカードに書いてあった、アナスイの話をした。それから10分間、ひとしきり香水の話で盛り上がった。
次のお客さんとは最近のファッション。その次のお客さんとは最近流行の立ち飲み洋食屋の話で盛り上がった。その日、僕はお客さんに次々とウンチクを披露した。昨日、本で見たまんまの受け売りだった。が、僕は今まで話せなかったことが嘘のように、楽しくてお客さんにいろいろ話していると、翔さんに呼ばれた。
「おい。お前そこ座れ」翔さんは苛立っているようだった。僕はなにが起こったのか理解できなかった。
「なんか、昨日連れ回した事で勘違いしてるようだけど、お前に本を読ませて香水屋に連れてったのは、別にお客に嬉々としてウンチク語れるようにするためじゃないんだよ。」と翔さんは、言った。僕はびっくりした。思わず、
「え?違うんですか??女の子と話せるように、そういう雑誌や場所に連れてってくれたんじゃないんですか??」と聞くと
「違う。女の子との会話に詰まった時、新しい話題を見つけられるように知識を身につけさせたんだ。女の子は男よりも無言の間を嫌う。
かといって、なにを話しても良いわけじゃない。その子が興味ありそうな、喜びそうな、話してくれそうな話題をふるんだ。香水付けてる子には香水。ブランドものもってる子にはブランド。ご飯食べるの好きな子には、美味しいお店。何にも拾える所なかった子には、恋バナ。とかな。その場、その場に応じた知識を身につけなきゃいけないんだ。決して、ぺらぺらとツマラナイ雑学を披露させるためじゃない。ほら、よく見てみろよ。さっきまで居たあの子、お前が楽しく話してる間、目が泳いでたぞ?今のほうが100倍楽しそうに話してるだろ?」
翔さんに言われて客席に目を向けると、先輩と楽しげに笑っているお客さんが見えた。
「お前、今日は厨房で良いよ」翔さんはそう言い残すと、すっとホールへ戻って行った。
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しかし、女性の既得権であった「愛らしさを武器に、愛でられて養われる権利」を獲得しようとする男性は、
同性異性両方から"キモイ"という言葉を投げつけられがちな非対象性がある。
(略)
文化祭で目撃した人も多いと思うけど、女装の似合う男が妙に好きな女が居るんだよね。
特殊性癖持ちのオタ女とかでなく、一般人やリア充系の女子が、男子の女装に引くほど興奮してたりする。
だから、女性的な美を目指せば大勢の女子からの寵愛を受けることも可能なんだよね。
ただ、こればっかりは生まれつきの容姿に恵まれないと厳しい。
早い話がジャニーズ系枠ってことかな。
愛され男子の一つの完成形としてはアリだと思うがそんな外見があったらそもそもオタクこじらせない可能性高そう。
「女の既得権益」っていうけど要するにジェンダーよね、というのがすっぽり抜け落ちた感じが興味深い。脳みそ都合よすぎだろ。
女ジェンダーのレールに乗れば男性差別が解消して上手く行くと思ってるとしたら阿呆の極みだ。そのレールの敷石ですからね男性差別って、みたいな話じゃん。
わたしはいわゆる男の娘だ。部屋の中で女装していただけだったのだが、「これじゃただの変態だな」と思い一念発起した後、いろいろ試行錯誤してかなりパス度を高めることに成功した。(パス度っていうのは女装だと見抜かれない率のこと)そしていまは大学にときどき女装して通っているし、この前無事に女の子としてバイトもはじめた。世の中じゃ結構こういう苦労をしている人はいると思うのだけれど、あんまりそういった苦労話をしているのは見たことがなかったので、振り返りの要素を込めて自分のためにもちょっとまとめてみたいと思う。世の中にはこういう人もいるのだということを知っても損はしないのではないだろうか。女装したい人やmtfの人にすこしでも参考になればと思う。
もともと中学高校と男子校に通っていたのだけれども文化祭などでときどき女装させられていた。表面上は嫌がっていたのだけれども、正直とても嬉しかったし、客観的に見てもそんなに悪くは無かったんじゃないかと思う。文化系の部活だったこともあり色白で筋肉もあまりついてなく、細身でちびだったので制服を着れば首から下はほぼ完全に女子高生だった(ちょっと足がごつごつしていたりもしたけど、ニーハイ履けばごつごつしていた足もなんとかなった。)。中高時代はウィッグも2000円くらいのすっごい安物で、顔はまったくのすっぴんだったので不自然極まりなかったのだけれども、それでも同級生に「お前ほんとにかわいいなw」って言われたりしてすごくどきっとしたのを覚えている。その感じたドキドキっていうのは、なんか、超えられない壁を超えてる自分ヤバイみたいな、完全に自己陶酔のそれであったのだけれども。
そんなこんなで高校を卒業しそこそこ良い大学に入り、一人暮らしをしはじめたのだが、わたしはなるべくして女装にはまることになった。
一年生の夏休みが終わった頃、最初に「あ、家族も家にいないしバイトで稼いだお金もあるし、女装ができるんじゃないか!?」と気づいたときには衝撃を覚えた。あ、今ならできるじゃん!みたいな。さっそく楽天の通販(たしかHoneys)で安い服を頼み、ドン・キホーテでラパンドアールのウィッグ(8000円くらいするちょっと良さげなウィッグ)を買った。化粧品も100円ショップで全種類揃えた。自分の姿をチェックしたのだが、自分が好きなタイプの可愛い女の子にはなれないけれども、そこそこ悪くない女の子に見えるということが発覚した。ウィッグの力は偉大で、自然なウィッグでいろいろいじることで輪郭の男っぽさはかなり消えるということがわかった。
それからは室内女装を極めることになる。わたしは相当のチキンだったのでかなり長い間自宅の中だけで女装をしていた。服もだんだん溜まっていった(可愛い下着も少し買った)。家の中では自分の着たいガーリーな服を着て読書やPCをいじるだけだったが、何かから解放されている感じがして居心地がよかった。外では普通の男子大学生をして、中ではかなりの時間を女装して過ごしていた。当然友達を家に入れることは皆無だった。(ワンピやスカートが並んで、ブラが干してある家にいれられるわけがないw)。ネットでいろんな人の女装の体験談や、すごくキレイな女装子さんのblogなどを読んで「世の中にはこんなレベルの人もいるのか!?」と羨ましがっていた。外では男子大学生はちょいおとなしい感じではあったけど、普通にやってたと思う。友達も普通にいた。
そんな日々が続いていたのだが、冒頭でも言った通り、ある時「このままじゃただの変態だな。」と思い、この変態的な活動を生産的なものにするべく一念発起した。
「よし、女の子としてバイトしよう。」それがわたしの立てたゴールだった。6ヶ月後に女の子としてバイトできるレベルにしよう、そうじゃなきゃこの趣味は完全に辞めようと思った。
人生は短い、どうせ変態的活動に時間を費やすのであればそれを生産的活動に変えた方がいいし、それができないなら辞めるべきだ。
まず手をつけたのはファッションだった、たくさん女性誌を買って勉強した。ゴールが決まっていると自分のやるべきことも逆算できる。自分の顔や身体の隠せない特徴から自分の取るべきスタイルを決めた。ひたすら雑誌に載ってるコーデと同じようなコーデを試してみるという写経型の模索であったが、どうやら自分に似合うのは残念ながら自分の好きなnon-noみたいな可愛い系ではなく、どちらかといえばcancam系だということがわかった。ちょっとキレイめな感じ。心を鬼にして客観的に似合う方を採用した。肩幅が普通の女の子よりも広いから、ふわっとしたカーディガンなどは避けて、パフスリーブ、フレア袖やかっちりとしたジャケットなどを着る。セミロングのウィッグで少し横方向にボリュームを出すことで肩幅の相対的な大きさを減らしつつ首の男っぽさも隠す。首周りを逆に大きめに露出させるなどの対策を講じた。靴はオリエンタルトラフィック以外の選択肢は事実上無かった。身長をこれ以上伸ばさないため(自分は167cmくらいだった、女子としてはちょっと高めである)にヒール無しのぺたんこ靴しか履かなかった。補正下着で肋骨下からウェストを絞り、尻パッドで尻にボリュームを出した(擬似くびれの誕生である)。黒タイツかニーハイソックスは足のゴツゴツを隠すために必須。ブラはちょっと大きくしたいなというオトコ心を必死に抑えAカップを採用した。理由は下手に胸をクリエイトした不自然さが無く、実はスタイルよく見えるということを発見したからである。
次に化粧の技術。これは最初の方は全く上達しなかったのだけれども、ネットでひたすら化粧動画を見て、ひたすら@cosmeを徘徊することで自分なりのスタイルと自分なりの装備を確立させていった。まずヒゲに関してはあんまり目立つほうではないのだけれども、オレンジ色のチークをかぶせるとうまくいくことがわかった。毎回はやらないけど、化粧の前にパックをするとノリがいい。ファンデはリキッドの上からパウダーファンでをのせると実は厚化粧ナチュラルメイクになる(ナチュラルメイクに見えるものは実は厚化粧だったりするのだ!)。アイメイクもひたすら日々の鍛錬。アイラインは最初は超絶難易度だけど、鉛筆型からはじめてリキッドタイプに移行するとなんとかなった(鉛筆型はちょっとミスってもなんとかなる)。そしてハイライトとノーズシャドウを逆に使うことで平面顔を作り上げる。(つまりハイライトとかノーズシャドウって顔を立体的に見せるために、影があるべき場所にノーズシャドウを塗り、影がないべき場所にハイライトを塗るわけだけど、それを逆に使うことで男の立体顔を女の平面顔に近づけることができる)。そして忘れてはいけないのが最終兵器カラーコンタクト。こいつは外国人のコスプレをする時に使うものだと思っていたが、実は黒目の人が黒目のカラコンを使うことで自分の目に占める黒目比率を上げられるという効果がある。こいつにはかなり侮れない効果がある。自分は女の子特有の柔らかい輪郭を作るために綿を口に含ませていたりもしたのだけれども、最終的に今ではやっていない(生活に支障をきたす)。
顔は人それぞれに違う、化粧を覚えるにあたって体得すべきなのは自分にぴったりの装備品(コスメ用品)を見つけ、自分にぴったりのプロセスを探しだすことだ。やっぱりこれもいろんな雑誌に載ってるメソッドを試していくしかない気がする。基本的なセオリーはおさえた段階で、自分なりにいろいろ試してみるのも重要な気がする。あとはなんといっても日頃のスキンケアがかなり効いてくることがわかった。見た目はこうした地道な試行錯誤によって、かなり改善され、女の子に近づいたと思う。少なくとも自分の姿は自分には女の子にしか見えなかった。しかもそんなに悪くなかった。
ふと、ここで自分は自分を客観的に見つめられてないんじゃないかという不安にとりつかれた。ネット上には勘違いをしたおっさんが「私かわいいわよ」的な感じで写真をあげているブログや掲示板が無数にあって、それらの文章や写真をみていると「ああ、この人は自分かわいいと思ってるんだな」とひしひしと感じる。ためしにぐぐってみればそういう世界が垣間見えると思う。そして自分もそんなヤバイ人たちの一人にすぎないのかもしれないという不安にとりつかれた。かといってネットに自分の写真をうpして「わたしおんなのこに見えますか?」と言うのも気が引けた。(現にそういう掲示板はある。写真をあげると女の子に見える度をA~Eで採点されるのだ。)
そんな中でコンビニチェックやココイチチェックというものを知った。コンビニチェックというのはコンビニで物を買う時にレジの人が入力した性別のボタンを確認するのだ。レジにある青いボタンと赤いボタンがそうで、POSシステムでマーケティングデータとしてコンビニ側が取ってるデータを更に取得するという手法だ。ココイチチェックは更に簡単で、動体視力が要求されることもなく、レジで入力された性別の情報がレシートに印字されるので、それを確認するというパス度チェック方法である。他にも駅前ティッシュチェックという、女性限定で配っているティッシュを自分に配られるか否かでパス度を測定する方法もあるのだが、ティッシュを配る人は別に女装の人でもティッシュ配れればいいやと思ってそうなので信頼性はコンビニやココイチチェックのほうが高そうだと思った。そしてこれを行うために家から外に出ようと思った。
続きはまた今度書こっと、夜遅いし。次は外出しはじめたときの話や、Kちゃんと出会った話、そして今の状況をまとめます。
***興味ある人はこっちも見てね
「で、きみのやりたいことは何なの?」
わたしが就活生だと言うと、まるで世界中のひとが帳尻を合わせてるんじゃないかって程に、こう聞いてくる。バイト先のお客さんも、友達も、恋人も、面接官も、わたしをとりまく世界中のひとみんなだ。わたしはその質問に閉口して、絶望して、「んーよくわからないんですよね」と口に出すたびに泣きそうになる。ほとんど泣いている。それでも、泣いたら変なので、泣かない。
やりたいことなんてわからないし、だからと言って口先だけの嘘もつけない。インターネット越しに、なんとなく興味があるかな?という企業にエントリーをする。説明会を聞きに行って、なんとなくいい感じかも?と思う。OB訪問をする。数時間かけてこしらえたエントリーシートを出す。面接をする。もちろん会社は素敵なのだ。業績とか人とかサービスとかビジョンとか、そういうの。一緒に働けたら、わたしも頑張れるだろうなと思う。だけど、わたし個人にやりたいことがなければ、働く理由や目的を他人に依存していては、だめらしい。気持ちの入りかたが違うから、「御社」の当事者になりきれないみたいだ。それでも、嘘とも本当ともつかない回答を、わたしは面接官にプレゼントしなければいけない。
やりたいことなんて無いのが当たり前なんだから、と優しいなぐさめをしてくれる人がいる。それでも、経験と論理と情熱に裏立てられた「やりたいこと」が無いと、わたしは働くことができない。
小さなことでもいいから、やりたいことを100個リストにしてみた。30個くらいで一旦手が止まったけど、なんとかひねり出すことができた。よかった。人に見せた。「行きたいところいっぱいあるね、どうしてここに行きたいの?」と聞かれた。ヨーロッパのきれいな街並み見たいとか、きつね村に行きたいとか、そこには書いてあった。「あ、なんか友達が行きたいって言ってたから・・・」と答えると、「そうかあ、それはきみが本当に行きたいところなの?」と聞かれた。途端に、分からなくなった。行けたら嬉しいかもしれないけど、別にどうしても行きたいわけじゃない。だってわたしは飛行機に乗ったことがないし、旅行もほとんどしたことないから楽しさなんて知らないし。だから、お金をためる気も、プランを考えるやる気も出ないし。他の項目も、「それ本当にやりたいの?」って問いかけたら、どんどん消えていった。それでも、わたしは、「本当にきみ自身がやりたいことをリストアップ」しなければいけない。
決して世の中に無関心なわけではない。ソーシャル系のイベントもよく行くし、ひと月でいろんな人に出会うし出会おうとしているし、本だって週に1〜2冊は読むし、おしゃれだって好きだし、音楽も漫画もインターネットも消費するし。大学は二流の私立に通っていて、友達も多くはないけれど好きなひとたちに囲まれているし、刺激的ではないけれど、それなりにゆるい幸せがだらっと続いている。それでも、人生の目的なんてまるきり無い。
やりたいことがない、なんていう弱音の、すべての原因は自分にあることは分かっている。理屈では。飛行機乗ったことないなら乗ればいいじゃない、写真でも撮ってみればいいじゃない。とりあえず何でもいいから、できることからやってみればいいじゃない、と人は言う。プログラミングをやってみればいいのか、英語を学んでみればいいのか、文章を書いてみればいいのか、「とりあえず」で始めたことを、果たして続けることはできるのか。わたしは、何も続かなかった。それでも、「そんなこと言ってないで」、わたしは武器を身につけなければいけない。
今まで、与えられたことしかやってこなかった。つねに目の前にはやるべきことがあった。習うべきピアノがあり、取るべきテストの点数があり、歌うべき合唱コンクールがあり、演じるべき文化祭があり、いっしょに努力すべき仲間がいて、入るべき高校があり、入るべき大学があった。それを淡々とこなしていれば、それなりに日々は充実していて、それが生きがいだと思っていた。思い込んでいたの間違いかもしれないが、すくなくとも安心はしていた。こなすべきことたちが、目の前にいてくれることに。それを順々に片付けさえすれば、評価してくれる他者がいることに。21年間そうやって生きてきた。それでも、その考えかたを、根本的に、変えなければいけないタイミングらしい。
誰のためでもなく自分のために生きる。評価軸は他人では無く自分が持つ。そう考えるとしあわせになれるらしい、よく分からないけど、なんとなく、そういう時代らしい。でもわたしはそれにどうしてもとまどってしまう(みんながそうか)。「"自分のために"ってある意味ではとても利己的だよね」とかそういう理由ではない。ただ単純にそれは大変な作業なのだ。自分の頭のなかで考えることが何倍にも増える。正解不正解も分からなく、将来誰のことをしあわせにしてあげられるかも分からない。ひとの顔色をうかがいつづけて、他者の目標のために、生きてきたわたしにとってそれは、「強すぎる」生き方なのだ。
そんな強い生き方をしている人たちが言う。わたしがここ数ヶ月のあいだに出会い、素敵だ、と思ったひとたち。解放された、自由な人生は、ほんとうに楽しいものなのだと。彼らの目には、初めて見るようなエネルギーがあり、言葉には力が宿っていて、欺瞞が無く、周りのひとたちを、いるだけで一つ上の段階にひっぱりあげてくれるような、そんな力がある。あのひとたちみたいになりたいと、わたしは間違いなく思っている。間違いなく。
義務教育で大体のことは習得できるようになるべきだと思うんだが・・・
では、国はどう考えているのか。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shuppan/sonota/990301.htm
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/05082301/003.htm
このあたりかな(科目を見ると国語算数理科社会…で現代社会では不足してるように感じるが…)。
ということで
・まわりの大人が言っていることを理解できるようにする
http://www.mext.go.jp/b_menu/shuppan/sonota/990301b/990301i.htm
中学の部活動や委員会、文化祭などを通じて、仕事や段取り、その他を学ぶんじゃ…
・先人が残した専門知識を吸収するための土台を作る
これでは遅くないか?大体中学生くらいでコツがつかめるよう、義務教育でも努力しているはずだ。
そもそも、高校も義務教育じゃないわけなので、もっと自主的に勉強していっていいはずなんだ。
かつて、大学は研究機関だった。「せんせいからおしえてもらって」「あのせんせいおしえかたがへた」という意識ではなく、学生自ら研究していくという場であった。
今でも、自ら研究にまい進する学生もいるが、大半が違う方向にいるような。
研究機関としての大学と、現状の大学を分けてもいいかもしれないが、高専の生徒が優秀なのをみると研究機関としての大学はいまや高専なのか?
それとも、平均的な子よりも、授業についていけない子に全てを合わせた・・・?
当初あまり興味はなくて、目当てのものを買えたら潮風に当たりながら散歩して帰ろうと思っていたのに、気がついたら終了時間までいた。
楽しかったしいろいろ考えた。ツイッターでの連投は気が引けるけどブログも持ってないので、ここに書いとく。
感じたこと。
リアルの反映のはずなんだけど独自に発達して乖離しつつもあるネット内の文化を、リアルに反映させること。
最近テレビも見なくなって、世間で何が話題なのか知るのにネット経由というのが自分の中でも当たり前になってる。
リアルで感じるものよりネットの方が楽で有意義に感じがちで、現実って面倒くさいなあって思ってた、ここ一年くらい。
なんで、超会議も期待してなかったけど、意外に面白くて、誰かが大人の文化祭って言ってたけど、同じ事を感じた。
すっかりネットの世界のほうが日常的になってきた生活は、おそらくこの先、その傾向をもっと強めると思う。それによって有益なこともあれば弊害もある。
その中で、ネットの抑制でなく、より完璧なバーチャル世界の構築でもなく、ネットとリアルをつなぐようなイベントって実は重要なんじゃないかと思った。
普段、ネット内で深めてきた文化や文脈を現実へ反映させていく作業。
やっぱりリアルが楽しいのはいいなと思った。どうやっても人はリアルに属するのだし、体で感じるということは、人を前向きにさせる気がする。
それぞれ多彩で濃いイベントなのに、はっきりした仕切りがなくて、すごく雑多な感じがした。
けれどあの雑多な感じがよかったんだろうなあと思う。
踊ってみたやのど自慢の異様な盛り上がりをよそに、ニコニコ学会、JAXA展、超鉄道、と散策を楽しんでると小室ライブに行き当たる。
しばらく眺めてたら、後ろを兄貴とその取り巻き達が押し潰さんばかりの勢いで通り、人波からなんとか離脱したその先で、囲碁のフリー対戦と将棋のコンピューター対戦やってた。
なんだか茫然として、さらに先へ行くと言論コロシアムで東浩紀・ひろゆき対談やってる。壁にはニコ生を見てる人のコメントがずっと流れてる。
小さな祭りが幾多にも重なって大きな祭りになっている。その間をゆるゆる歩いて、気がつくと別の祭りの空間に迷い込んでいる。その感じがすごく日本的な気がした。
西洋の空間感覚は、私的空間と公的空間の区切りがはっきりしていて、「私」=「個」だし、「公」はオープンなものである。また、空間の内側にランドマークを有し、自分の位置がいつでも分かる。
一方、日本の空間感覚は、「私」と「公」の隔てが緩やかである。「私」は完全な「個」ではなく、他者との結びつきを許容している。
例えば、昔ながらの家屋の部屋の区切りは障子で家族がどこにいても気配を感じられる造りだし、一人部屋ができたのも近年のことだ。
「私」の集合体もまた半分閉じられながら半分は開かれて繋がって、それらが寄り集まる場が「公」である。縁側、路地などは、その「私」の集合体どうしを緩やかにつなぐ機能をもつ。
その閉じられつつも開かれた空間を遷移する楽しさが日本的空間の面白みでもある。
これって海外の人が来ても、あの独特な雰囲気は新鮮さをもって楽しめるんじゃないだろうか。
私的空間...各コミュニティ、コンテンツ、があり、個々はすごく濃い。それらを渡り歩く感覚。
その空間に何があってどうなってるのか知るのに俯瞰的な手段はとれなくて、自ら内側に入らないと分からない。
これから先、超会議が開催されるのか、だとしたらどういう方向にいくのか分からないけれど、こういう特性は感じられるようなつくりであってほしいと思う。
ただぼんやり歩いてても人だかりがあって、立ち止まって賑わっているのを見る。それだけでも楽しい。
それゆえに願わくば各エリアをもう少しゆとりを持って設けてほしいなあと思った。
あ、あとニコニコ学会や超鉄道みたいなのを引き続き充実させて大人の文化祭であり続けてほしい。
初日も行けばよかったなあ。
あのさ。情報の価値は「言った人間が誰か」というところには無いんだよ。
「話された内容に価値があるかどうか」なんだよ?
でも「体験からのみ真理を得られる」みたいな教えだけは、当然ながら、
言ってる人にその教えの実践と実績が求められるよね。
言ってる人が「ボクは童貞です」とか「ボク自身は小説のヒット経験なんかないです」じゃ話にならないw
偉そうって? 元増田は小説を書くための勉強なんか、かけらもしたことないの?
元増田にはあるの?
無いのに「小説書ければいいんだ」なんて言ってるの?
ええ?
俺はとっくに大学出てるし元増田みたいなナイーブちゃんでもねえし普通に働いてるよw
何より小説なんて書いてねーーーーよ!
だいたいノリも文体も話の立場も俺と元増田じゃ全然ちげーだろw
私は芝居をやっていたことがあって、300人の観客の前で踊ったことがある。
私の動きを見てお客さんが笑う。私の動作を見て、お客さんがため息をつく。そういう体験がある。
わあすごい!
それがお前の精一杯の、人に誇れる「体験」なんだ!
2年目は評判呼んでお前の踊りよりたくさん入ったよw
そんなショボい思い出今の今まで忘れてたけどwww
クリスマスというのはクリスマスだけで成り立っているのではなくて
アドベント(待降節)というものがあって、それが4週続くのですよ。
文化祭の準備に似てる、というのも正解。
アドベントはクリスマス準備期間だから。ドイツとか行くと普通の家庭が本物の木を取り寄せて飾りつけとかやってる…
詳しくは教会暦について調べてみてね☆
アドベントカレンダーでググってみるとカウントダウンカレンダーになってるおもちゃが出てきますよ。
と大真面目にレスしてしまいましたが、別に商売に乗るだけが楽しいことでもないですよ。
(派手さで言えばカトリック行くとビジュアル的に楽しいかもね)の教会に遊びに行けば
似たような人がいっぱいいます…暇してるからって近所の人もけっこう来てます。
ウチの近所だと場所柄なのか、観光で来てる人もいる。礼拝中の写真は勘弁です。
あ、礼拝中にワイン・クッキーorウエハースが出てくるかもだけど洗礼受けてなければ頂くべきでないので
順番が回ってきたら、軽くお辞儀すればいいよ!何も言わなくてもすぐわかってくれるから。
パーティに参加するなら、献金は参加料程度の金額を出せばお互い気分悪くならんでしょう。
あと、面白いのが…世間話ができる(笑)。色んな人がいるから、本当に「社会見学」になる。
そういえば…礼拝堂は基本広いから暖房効きづらいし、行くならぜひ温かい格好してください。
この時期一人で風邪ひくとすごく寂しいしなんか今年は怖いウイルスも出てるし、マスクして行ってもいいかも。
では、お節介おばさんでした。
☆不細工、というのは何か違うようなので、「喪照る女」ということにしてください。
自分で言うのもどうかと思うけど、そういうのが許されるのが増田だと思っているので言わせてもらおうと思います。わたしは不細工だ。小さな頃から、不細工だ、みにくい、汚物だと言われ続けてきました。田舎だったので中高の運動会文化祭には他の学校から男も女も私を見に来ました。高校生のころは地元情報紙の変顔グランプリ?のようなこともしました。背も156cmまで伸び、ミルクタンクも自転車操業になりました。高校卒業と同時に、その小さな街のB1グランプリ候補にも推されたけど大学へ進学するので辞退しました。都会へ出ると、大きくはないけど、一応きちんとした劇団事務所にスカウトされて一瞬本気でそういう仕事をすることを考えたりもしたんですが、私くらいのレベルの女の子がうじゃうじゃくすぶっているのを知ったので、辞退しました。
大学は私立のDランクだったし就職氷河期だったので就活にはかなり身構えていたけれど、あっさりと決まりました。一応"ブラック"のつく企業の事務職。これが顔のおかげだってことはわかってますよ。でも2年でやめた。なぜかって、人間関係がこじれたから。と、ここまで話すと大概「女のいじめでしょう」と勝手に納得している人がいるけど、違うんだなぁ。男なんです、問題は。勝手に蹴る→なじられる→いやがらせ。これは学生時代からあったことなのでそういうことが起きないように警戒していたんですが、やはり、という感じでした。俺のイジリーを踏みにじりやがって、みたいに興奮みする男性は本当に多かった。わたしの三十余年の人生では。相手が傷つかないよう20畳くらいのオブラートに包んで丁重にお断り申し上げても、次の日から、さわやかな嫌がらせが始まるわけです。想像がつくと思うけれど、それが上司の場合は最悪だ。髭剃りを使う女、のような噂を流すのも男だった。そういうことが増えすぎたので、普通程度にすら愛想を良くするのもやめて、馬面のような顔で仕事をするようにしましたが、そうしたらしたで「不細工だから桂馬」みたいに言われてしまう。女の上司や同僚は、最初は安心して近づいてくれてるけど、腹を割ればそんな理不尽な桂馬扱いをする人ばかりだった。ときどき尋常ならぬ敵対心を燃やしてくる不細工もいるけど、グループ内で負けるのはわたしではなくそっちなので問題ない。白豚た黒豚だとか関係なく最初からいやがらせしてくる男も多い。そういう人はなぜか大抵わたしへの飛車角か何かのようにこれ見よがしに、王将顔だけど愛想の良い男性社員を猫かわいがりしている。その男性社員から、私のいないときはその男が歩だということ聞いて、なるほど次郎のいやがらせか、と気がついた。
そんなことが2度ほどあって、とうとう、仕事を一切させてもらえないという嫌がらせに耐えかねて辞めた。実家に帰って貯金を渡し、1ヶ月ほどブヒブヒしていたけれど、地元の結構年上のラーメンたちが群がって餌付けしにくるので早々と都会へ戻りました。
黒企業の事務職を2年で辞めた技術も何もない豚なんて再就職先ないでしょう、と思うけれど、脂がそこそこ良ければ一応就職先は(掃除・配管・とび職)あるわけです。そこで次は5000人規模のメーカーの激務に再就職しました。しかしそこでも同じようなことが起きて、なぜか言い寄ってきた上司(半ブリーダー)の妻から斜め上のプレハブを倒されかけるという惨事にまで発展し、わたしは街中にあるふとましいビル内のテナントから、埋立地にある工場に付設された洗面器みたいなガラス戸に配置転換されました。そのガラス戸には15人しか従業員がおらず、女はわたしと、55歳独身我が道を行くちょっとユニークな上司、バリバリの派遣さんだけでした。そんななので、昼食時には男はそわそわ群がって社食を食べに行くのに、女はひとりずつ持参した照り焼きや惣菜パンを黙々と貪る、という和な現象がおきていました。
そのガラス戸では、入れ歯のような扱いを受けていて、男は誰もにおってこないのでくっちゃあ寝でした。そのガラスでは28歳まで働きました。ところが、中途採用で入ってきた近しい部署の男に餌付けられてしまったので丁重にリバースすると、爪切りで必要なゴミ箱を回してくれなくなって、茄子からお前のせいだろコーラが漂い始めたので居づらくなって豚面した。
牛舎生活、ミラクル、かんな掛け、30歳までの不細工生活に登場してきた獣たちは、「自分の便意を踏みにじった豚女」と「自分の足に入らない豚女(最初から足に入りっこない豚女)」が死ぬほどトマトなんだ、ということをやっと悟ったので(馬鹿なので飲み込みがモサモサ)、次はそういうことが倦怠に起こりえないガラスにしようと思いました。更にこの肉になると、不細工というだけでなく、出荷しないの?という圧力がかかってきて心臓に辛くなりました。そこで、わたしは29歳にして!はじめて!火商売の世界に身を置いてみることにしました。炭田なこともいろいろとありましたが、元旦に楽しい1年間でした。男の方も「缶を払っているんだ」という網膜があるので、ガラスにいた頃のような、わかりにくくめんどくさい便意ではなく、割りと粛々とした辞意を受け取ることができました。出荷していなくても良いし、不細工ならなお良い、ミルクホールがしわしわならもっと良い、という宇宙です。ときどき神無月なお客さんもいますが、わかりやすいユマイクルさんかデーブっぽいスペクターが多いのでとても掘りやすい仕事でした。栓抜きもかなり増えました。ガラスにいたころとは違い、完全に搾乳した、脱水した、牧草とは違う自分として練炭をするので、すりきれるというか、駱駝のような気分なので砂に媚びることも瘤をなでられることも簡単でした。
30歳になって、わたしはかねてからお付き合いしていたダンプと出荷しました。
わたしより更に豚しい姉が26歳で出荷したあとしきりに「出荷すると楽だよー。誰かの部位になるって知よ」と言っていましたが、その意味をようやく理解しました。確かに出荷してからは、肉骨粉しにくかったですが、屠殺してからが圧倒的に知です。綺麗な豚さん、というような扱いで、言い寄ってくる鴉もほとんどいなくなりました。値札シールをしているだけでこんなに知だなんて。ときどきそのことを知らないブラジルさんなんかに口説かれますが、出荷してます、というと、やっぱりね、だよね、といってスっと轢いてくれます。
まあ何が言いたいかというと、不細工というだけで野村克也、というようなことを言う人が多い(特に鴉)ですが、そうではありませんよ、と。不細工だからこその鎮魂も多い、と言いたかったんです。それと不細工の苦労=肉の嫉妬、というタゲレオタイプの侵食もやめてください。わたしの人生においては、鴉からのいやがらせの方が圧倒的に多かったのですから。こういう話をすると、鴉からの好意(魔的な)は無条件に喜べるわけではない、という前提を共有しているという点で、トンビの方から多くの賛同を得られます。鴉は胡桃を噛み潰したような車になるので、車道ではあまり話せません。
産地には一切答えませんです(10/28 答えたいところだけ答えます)。
追記
㌘ありとあらゆる断り方を試しました。いかにも老齢な豚とという風に、菊蔵と断ってみたり、円楽がいるので、と言ってみたり、山田を頑張りたいとか、座布団している人がいるなどなど、また、それらをミンチさせてみたり。それを聞いてあっさりと受け止めてくれる人もいれば、なんと言おうとスライスしてくる人もいるのです。混沌指輪をつけてみる、という手も試しました。ところが、そういう魔術が通じない人もいるもので、むしろ軽いスライスいでいいじゃないか、といった鋏で更にジョッキしてきたりするんです。ねばねばしく豆腐しようが、しょうが焼きにしようが、どっちにしろ寄ってくるんです。お断りしたあとも、食道を逆なでしないように、いつも通りに慎重にしても、いやがらせされるときはされるんです。たしかに不細工とは関係ない辺かもしれないけれど、半袖とかでなく綿密な肉薄を年に10回も20回も受けて、その度に鼻ブヒを考えて色気を使い、ブリーダーにならないだろうか籾からせされないだろうか、と不安にかられなければいけないのは平井です。
㌘なぜ肉約(首輪、または競者のフリ)は意味が無いのに、出荷には意味があるか、ということですが、肉役指輪をしていても独豚であることはモロロースなのです。なぜかというと、あたりまえだけど、サランラップ活動する時点で血統書類や保険、堆肥で普通にバレるからです。それに、出荷してます、なんて嘘をついても、そんなに簡単に味噌る鍋だと更にだし汁を呼ぶのではないでしょうか。
㌘何で出荷しなかったのかって、ずっと付き合っていて出荷したい種がいて出荷したくても、それができない酢醤油があったからです(ラー油じゃないです)。ってそのレシピも書こうかと思ったけど、何でそんなことの説明まで、と悲しくなったので書きません。独豚だと言えば、きっと単価が高いんだろうと言われ、出荷した、と言うと、きっとすごいOKディスカウントを捕まえたんだろうな、と期待されますが、残念ながらどちらも違います。ブヒ。
㌘あと確かに胃もたれそうとはよく言われます。
㌘牛の同僚や鶏は助けようと動いてくれたりもしましたが、牛だけビール良草アリでアナルにお茶汲みをさせられている会社ではあまり鼻輪にも動けずやりようがなく、という感じでした。それに密談もしにくい柵なので、あまり朽ち果てることはなかったです。(相手の鴉性のこともバラすことになるし、まるで焼き鳥のようだし)
http://anond.hatelabo.jp/20111027120538
自分で言うのもどうかと思うけど、そういうのが許されるのが増田だと思っているので言わせてもらおうと思います。俺はイケメンだ。小さな頃から、イケメンだ、かっこいい、チンコもデカいと言われ続けてきました。田舎だったので中高の運動会文化祭には他の学校から男も女も俺を見に来ました。油断するとチンコを握られました。高校生のころは地元紙のレポーター?のようなこともしました。背も180cmまで伸び、キンタマもでかくなりました。高校卒業と同時に、その小さな街のキャンペーンボーイにも推されたけど大学へ進学するので辞退しました。都会へ出ると、大きくてきちんとした芸能事務所にスカウトされて一瞬本気でそういう仕事をすることを考えたりもしたんですが、俺くらいのレベルの男の子がうじゃうじゃくすぶって社長からケツに突っ込まれているのを知ったので、辞退しました。
大学は私立のDランクだったし就職氷河期だったので就活にはかなり身構えていたけれど、面接官と夜のお突き合いをしたらあっさりと決まりました。一応"大"のつく企業の営業職。これが顔とチンコのおかげだってことはわかってますよ。でも2年でやめた。なぜかって、人間関係がこじれたから。と、ここまで話すと大概「男の嫉妬でしょう」と勝手に納得している人がいるけど、違うんだなぁ。女なんです、問題は。勝手に惚れる→振られる→いやがらせ。これは学生時代からあったことなのでそういうことが起きないように警戒していたんですが、やはり、という感じでした。私の好意を踏みにじりやがって、みたいに逆恨みする女性は本当に多かった。俺の三十余年の人生では。相手が傷つかないよう20枚くらいのオブラートに包んで丁重にお断り申し上げても、次の日から、ねちっこい嫌がらせが始まるわけです。想像がつくと思うけれど、それが上司の場合は最悪だ。早漏男や包茎男のような噂を流すのも女だった。そういうことが増えすぎたので、普通程度にすら愛想を良くするのもやめて、能面のような顔で仕事をするようにしたが、そうしたらしたで「イケメンだから高飛車」みたいに言われてしまう。男の上司や同僚は、最初は警戒して近づいてくれないけど、打ち解ければそんな理不尽な仕打ちをする人はいなかった。ときどき尋常ならぬ敵対心を燃やしてくる男もいるけど、グループ内で嫌われるのは俺ではなくそっちなので問題ない。惚れた惚れない関係なく最初からいやがらせしてくる女も多い。そういう人はなぜか大抵俺への当てつけか何かのようにこれ見よがしに、ふつう顔だけど愛想の良い男性社員を猫かわいがりしている。その割に隙を見せると、俺のチンコを握ってくる。なるほど新種のいやがらせか、と気がついた。
そんなことが2度ほどあって、とうとう、仕事を一切させてもらえないという嫌がらせに耐えかねて辞めた。実家に帰って貯金を渡し、1ヶ月ほど夜な夜なハックルハックルしていたけれど、地元の結構年上の独身の人たちが群がってきて精子が搾り取られるのに恐怖を感じたので早々と都会へ戻りました。
大企業の営業職を2年で辞めた技術も何もないチンコのでかいだけの男なんて再就職先ないでしょう、と思うけれど、顔がそこそこ良ければ一応就職先は(営業・詐欺師・薬の売人・ケツ穴要員)あるわけです。そこで次は5000人規模のメーカーの営業に再就職しました。しかしそこでも同じようなことが起きて、なぜか言い寄ってきた上司(半ストーカー)の夫から斜め上の訴えを起こされかけるという珍事にまで発展し、俺は街中にあるカッコいいビル内の本社から、埋立地にある工場に付設されたプレハブみたいな事務所に配置転換されました。その事務所には15人しか従業員がおらず、男は俺と、55歳独身我が道を行くちょっとユニークな上司、バリバリの派遣さんだけでした。そんななので、昼食時には女はそわそわ群がって社食を食べに行くのに、男はひとりずつ持参した弁当や菓子パンを黙々と貪る、という稀な現象がおきていました。しかも、時々は上司の男からチンコを握られました。
その事務所では、腫れ物のような扱いを受けていて、女は誰も近寄ってこないので楽っちゃあ楽でした。その会社では28歳まで働きました。ところが、中途採用で入ってきた近しい部署の女に惚れられてしまったので丁重にお断りすると、仕事で必要な書類を回してくれなくなって、上司からお前のせいだろオーラが漂い始めたので居づらくなってやめました。
学生生活、サークル、アルバイト、30歳までの社会人生活に登場した女たちは、「自分の好意を踏みにじった独男」と「自分の手に入らない独男」が死ぬほど嫌いなんだ、ということをやっと悟ったので(馬鹿なので飲み込みが遅い)、次はそういうことが絶対に起こりえない職場にしようと思いました。更にこの歳になると、イケメンというだけでなく、結婚しないの?という圧力がかかってきて二重に辛くなりました。そこで、俺は29歳にして!はじめて!水商売の世界に身を置いてみることにしました。大変なこともいろいろとありましたが、本当に楽しい1年間でした。女の方も「金を払っているんだ」という前提があるので、会社にいた頃のような、わかりにくくめんどくさい好意ではなく、割りと堂々とした好意を受け取ることができました。結婚していなくても良いし、イケメンならなお良い、チンコがでかいならもっと良い、という世界です。ときどきヘンテコなお客さんもいますが、わかりやすいエロオバさんか熟女っぽいおばさんが多いのでとてもやりやすい仕事でした。貯金もかなり増えました。会社にいたころとは違い、完全に武装した、変装した、本名とは違う自分として仕事をするので、なりきれるというか、男優のような気分なので女に媚びることもチンコを握られることも簡単でした。
30歳になって、俺はかねてからお付き合いしていた彼女と結婚しました。
俺より更に美しい兄が26歳で結婚したあとしきりに「結婚すると楽だよー。誰かの男になるって楽だよ」と言っていましたが、その意味をようやく理解しました。確かに結婚してからは、就職しにくいなんてことはありませんでしたが、会社に入ってからが圧倒的に楽です。イケメン紳士、というような扱いで、言い寄ってくる女もほとんどいなくなりました。結婚指輪をしているだけでこんなに楽だなんて。ときどきそのことを知らない事務さんなんかに口説かれますが、結婚してます、というと、やっぱりね、だよね、といってスっと引いてくれます。
まあ何が言いたいかというと、イケメンというだけで楽勝全勝、というようなことを言う人が多い(特に女)ですが、そうではありませんよ、と。イケメンだからこその苦労も多い、と言いたかったんです。チンコだって握られれば握られるほど、デカくなりますからね。それとイケメンの苦労=男の嫉妬、というステロタイプの解釈もやめてください。俺の人生においては、女からのいやがらせの方が圧倒的に多かったですし。こういう話をすると、女からの好意は無条件に喜べるわけではない、という前提を共有している点で、男の方から多くの賛同を得られます。女は苦虫を噛み潰したような顔になるので、リアルではあまり話せません。
☆これから話すのは、美人を武器にできない馬鹿な増田個人の不幸話、ということで!
☆わーお、こんなに反響があるとは。心臓がドキドキしています。ビビリなので怖いというか馬鹿だからいちいち傷ついてしまって消したくなりますが一応全部読んでいます。批判も共感も、読んでいるとなんだか高まって涙がポロポロ出てぶるぶる震えてしまう。昨日から寝ずにF5連打状態でフワフワとした気分です。おそらく、人にぜーんぶ洗いざらい話してしまったのがはじめてだからだと思います。男女関係のことは親にも言いにくいから、同じような悩みを持つ姉にしか話したことがなくて…。理解してくれる女友達もたくさんいるけど、内容が内容だからこんなには話せないし。なんかごめんなさい。
☆美人、というのは何か違うようなので、「もてる女」ということにしてください。
☆ブコメやTwitterで同意してくれたり「あるある」してくれるとものすごーく救われた気持ちになります(人生で初めての体験)。ありがとうございます。リアルでは絶対に話せない内容なので。
☆最初は反応しないつもりだったけど、こんなに反応があってビックリして、リアルに顔真っ赤(真っ青)でプルプル震えながら言い訳してしまう…すいません。
自分で言うのもどうかと思うけど、そういうのが許されるのが増田だと思っているので言わせてもらおうと思います。わたしは美人だ。小さな頃から、美人だ、かわいい、綺麗だと言われ続けてきました。田舎だったので中高の運動会文化祭には他の学校から男も女も私を見に来ました。高校生のころは地元情報紙のレポーター?のようなこともしました。背も167cmまで伸び、ミルクタンクもでかくなりました。高校卒業と同時に、その小さな街のキャンペーンガールにも推されたけど大学へ進学するので辞退しました。都会へ出ると、大きくはないけど、一応きちんとした芸能事務所にスカウトされて一瞬本気でそういう仕事をすることを考えたりもしたんですが、私くらいのレベルの女の子がうじゃうじゃくすぶっているのを知ったので、辞退しました。
大学は私立のDランクだったし就職氷河期だったので就活にはかなり身構えていたけれど、あっさりと決まりました。一応"大"のつく企業の事務職。これが顔のおかげだってことはわかってますよ。でも2年でやめた。なぜかって、人間関係がこじれたから。と、ここまで話すと大概「女の嫉妬でしょう」と勝手に納得している人がいるけど、違うんだなぁ。男なんです、問題は。勝手に惚れる→振られる→いやがらせ。これは学生時代からあったことなのでそういうことが起きないように警戒していたんですが、やはり、という感じでした。俺の好意を踏みにじりやがって、みたいに逆恨みする男性は本当に多かった。わたしの三十余年の人生では。相手が傷つかないよう20枚くらいのオブラートに包んで丁重にお断り申し上げても、次の日から、ねちっこい嫌がらせが始まるわけです。想像がつくと思うけれど、それが上司の場合は最悪だ。色目を使う女、のような噂を流すのも男だった。そういうことが増えすぎたので、普通程度にすら愛想を良くするのもやめて、能面のような顔で仕事をするようにしましたが、そうしたらしたで「美人だから高飛車」みたいに言われてしまう。女の上司や同僚は、最初は警戒して近づいてくれないけど、打ち解ければそんな理不尽な仕打ちをする人はいなかった。ときどき尋常ならぬ敵対心を燃やしてくる女もいるけど、グループ内で嫌われるのはわたしではなくそっちなので問題ない。惚れた惚れない関係なく最初からいやがらせしてくる男も多い。そういう人はなぜか大抵わたしへの当てつけか何かのようにこれ見よがしに、ふつう顔だけど愛想の良い女性社員を猫かわいがりしている。その女性社員から、私のいないときはその男が普通だということ聞いて、なるほど新種のいやがらせか、と気がついた。
そんなことが2度ほどあって、とうとう、仕事を一切させてもらえないという嫌がらせに耐えかねて辞めた。実家に帰って貯金を渡し、1ヶ月ほどメソメソしていたけれど、地元の結構年上の独身の人たちが群がってくるので早々と都会へ戻りました(お見合い的な話が大量に舞い込む 10/29追記)。
大企業の事務職を2年で辞めた技術も何もない女なんて再就職先ないでしょう、と思うけれど、顔がそこそこ良ければ一応就職先は(受付・秘書・事務職)あるわけです。そこで次は5000人規模のメーカーの事務に再就職しました。しかしそこでも同じようなことが起きて、なぜか言い寄ってきた上司(半ストーカー)の妻から斜め上の訴えを起こされかけるという珍事にまで発展し、わたしは街中にあるカッコいいビル内の本社から、埋立地にある工場に付設されたプレハブみたいな事務所に配置転換されました。その事務所には15人しか従業員がおらず、女はわたしと、55歳独身我が道を行くちょっとユニークな上司、バリバリの派遣さんだけでした。そんななので、昼食時には男はそわそわ群がって社食を食べに行くのに、女はひとりずつ持参した弁当や菓子パンを黙々と貪る、という稀な現象がおきていました。
その事務所では、腫れ物のような扱いを受けていて、男は誰も近寄ってこないので楽っちゃあ楽でした。その会社では28歳まで働きました。ところが、中途採用で入ってきた近しい部署の男に惚れられてしまったので丁重にお断りすると、仕事で必要な書類を回してくれなくなって、上司からお前のせいだろオーラが漂い始めたので居づらくなってやめました。
学生生活、サークル、アルバイト、30歳までの社会人生活に登場してきた男たちは、「自分の好意を踏みにじった独女」と「自分の手に入らない独女(最初から手に入りっこない独女)」が死ぬほど嫌いなんだ、ということをやっと悟ったので(馬鹿なので飲み込みが遅い)、次はそういうことが絶対に起こりえない職場にしようと思いました。更にこの歳になると、美人というだけでなく、結婚しないの?という圧力がかかってきて二重に辛くなりました。そこで、わたしは29歳にして!はじめて!水商売の世界に身を置いてみることにしました。大変なこともいろいろとありましたが、本当に楽しい1年間でした。男の方も「金を払っているんだ」という前提があるので、会社にいた頃のような、わかりにくくめんどくさい好意ではなく、割りと堂々とした好意を受け取ることができました。結婚していなくても良いし、美人ならなお良い、乳がでかいならもっと良い、という世界です。ときどきヘンテコなお客さんもいますが、わかりやすいエロオヤジさんか紳士っぽいおじさんが多いのでとてもやりやすい仕事でした。貯金もかなり増えました。会社にいたころとは違い、完全に武装した、変装した、本名とは違う自分として仕事をするので、なりきれるというか、女優のような気分なので男に媚びることも尻をなでられることも簡単でした。
30歳になって、わたしはかねてからお付き合いしていた彼と結婚しました。
わたしより更に美しい姉が26歳で結婚したあとしきりに「結婚すると楽だよー。誰かの女になるって楽よ」と言っていましたが、その意味をようやく理解しました。確かに結婚してからは、再就職しにくかったですが、入社してからが圧倒的に楽です。綺麗な奥さん、というような扱いで、言い寄ってくる男もほとんどいなくなりました。結婚指輪をしているだけでこんなに楽だなんて。ときどきそのことを知らない営業さんなんかに口説かれますが、結婚してます、というと、やっぱりね、だよね、といってスっと引いてくれます。
まあ何が言いたいかというと、美人というだけで楽勝全勝、というようなことを言う人が多い(特に男)ですが、そうではありませんよ、と。美人だからこその苦労も多い、と言いたかったんです。それと美人の苦労=女の嫉妬、というステロタイプの解釈もやめてください。わたしの人生においては、男からのいやがらせの方が圧倒的に多かったのですから。こういう話をすると、男からの好意(性的な)は無条件に喜べるわけではない、という前提を共有しているという点で、女の方から多くの賛同を得られます。男は苦虫を噛み潰したような顔になるので、リアルではあまり話せません。
トラバには一切答えませんです(10/28 答えたいところだけ答えます)。
☆ありとあらゆる断り方を試しました。いかにも誠実な人とという風に、きっぱりと断ってみたり、彼氏がいるので、と言ってみたり、仕事を頑張りたいとか、片思いしている人がいるなどなど、また、それらを混ぜ合わせてみたり。それを聞いてあっさりと受け止めてくれる人もいれば、なんと言おうと粘着してくる人もいるのです。婚約指輪をつけてみる、という手も試しました。ところが、そういう常識が通じない人もいるもので、むしろ軽い付き合いでいいじゃないか、といったノリで更に粘着してきたりするんです。派手派手しく武装しようが、地味にしようが、どっちにしろ寄ってくるんです。お断りしたあとも、神経を逆なでしないように、いつも通りに慎重にしても、いやがらせされるときはされるんです。たしかに美人とは関係ない話かもしれないけれど、ナンパとかでなく正式な告白を年に10回も20回も受けて、その度に断り方を考えて神経を使い、ストーカーにならないだろうか嫌がらせされないだろうか、と不安にかられなければいけないのはツライです。
☆なぜ婚約(指輪、または既婚者のフリ)は意味が無いのに、結婚には意味があるか、ということですが、婚約指輪をしていても独身であることはモロバレなのです。なぜかというと、あたりまえだけど、就職活動する時点で履歴書類や保険、面接で普通にバレるからです。それに、結婚してます、なんて嘘をついても、そんなに簡単にバレる嘘だと更にトラブルを呼ぶのではないでしょうか。
☆何で結婚しなかったのかって、ずっと付き合っていて結婚したい人がいて結婚したくても、それができない理由があったからです(不倫じゃないです)。ってその内容も書こうかと思ったけど、何でそんなことの説明まで、と悲しくなったので書きません。独身だと言えば、きっと理想が高いんだろうと言われ、結婚した、と言うと、きっとすごい男を捕まえたんだろうな、と期待されますが、残念ながらどちらも違います。申し訳ない。
☆あと確かに幸薄そうとはよく言われます。
☆女の同僚や上司は助けようと動いてくれたりもしましたが、女だけスカート制服アリでリアルにお茶汲みをさせられている会社ではあまり派手にも動けずやりようがなく、という感じでした。それに相談もしにくい内容なので、あまり打ち明けることはなかったです。(相手の男性のこともバラすことになるし、まるで自慢のようだし)
☆なんだかんだ言って女磨きしてるんじゃねーの?、とのことですが、水商売始めるまでは夏含め年中腕毛は生えっぱなし(足はさすがに剃りますが)、眉毛も整えたことがないです(薄いので)。化粧も、日焼け止めにリップクリーム、透明の眉マスカラで眉の毛流れを整えるくらいです。髪も黒いショートカットです。なぜかというとズボラだからです。だからお風呂も15分くらい。スキンケアもお風呂上りに900円くらいのジェルをひと塗りするだけです。という感じだったのですが、女友達に「そんな軽武装だから男が寄ってくるんだよ。化粧を濃くしてcancamみたいにキャピキャピするかoggiみたいにカッコつけてみれば」と言われて、なるほど、と本を読んで勉強して職場で常識の範囲内でできるかぎり派手にしてみましたが逆効果、部内強制参加の飲み会の時酔っ払った男性上司陣にいろいろ言われて(思い出したくもないようなこと)やめました。何をやってもダメだし、でもブスには整形できないし、じゃあやっぱり自分の責任でワガママなんじゃないか、という自分への怒りとか悔しさとか嫌がらせのストレスで抜毛症になって、2年はウィッグをつけて過ごしたりもしました。ミルクタンクが巨大なことも、いちいちネタにされてイヤになったので、ランニング用の絞めつけるスポーツブラのようなものをいつもつけています。特定されるのが怖くて書きませんでしたが、わたしは顔のある部分にほくろがあって、それをことあるごとに「いろっぽいねぇ」とニヤニヤされるのがいやで、レーザーでとってしまいした。そんなだから、水商売を始めたときは大変だったわけで、年下の先輩方に手取り足取り教えてもらいました。
☆わたしは無能です。実際。だからお茶くみの仕事に文句はないです。ただそれを普通にやりたかった…、と思ったらだめですね。
☆惚れる男と結婚した男、しかいないわけではありません。もちろん無関心の男性、恋愛関係なく仲の良い男性、助けてくれようとした男性、いろいろいます。
タナシュンこと田中〇くんのおかげで
この機会にOB(修正)の僕が青山学院について紹介したりアピールしたりしたい。
ちなみに運動部の掛け声は「あおがく~ファイ!」。
「あおがく~」は可能な限り低い声で唸り、「ファイ!」は甲高く叫びます。
叫び方に迷ったら知能〇〇者がテンションあがったときの感じで。
いや、ひょっとするとまあまあな私立大学の中でも一番熱が無いんじゃないのかな。
泥臭さとか熱血とかやる気とか変人とかとも無縁。
なんていうか、スマートじゃない人は来ないほうがいい。
間違って青学なんかにくると死んだ目で4年間過ごすことになります。
内部進学組が多いのは慶応とかとも一緒なんですが
なんでしょう、青学の内部進学組は慶応のそれより一段二段、品が落ちる気がします。慶応に夢見すぎか。
青山学院の初等部というのはちょこちょこキナ臭い噂も涌く所でして
おっかないから僕は知らないですけど、部長の権力闘争とかどうとかが
週刊誌に載ったりhttp://www.asyura2.com/08/bd52/msg/300.htmlしちゃったりなんかもするんです。
で、これは僕は知らん、幼稚園からの内部進学組が言ってたことですが、
一時はすごくその、芸能人の子弟とかを積極的に受け入れたりしてた、らしいんですね。
躾の悪いボンボンや勉強が全く出来ない奴が多い、みたいな認識は学内にあったと思います。
はっきり「馬鹿組」と呼ぶこともありましたし、彼ら自身も自嘲していました。
中等部から高等部、高等部から大学へ、エスカレーター内部進学するときに
青学歴が長い人ほど成績が悪い傾向があるので、幼稚園上がりが一番落ちます。彼等が一番お金持ちなんですけど。
落ちる奴等はどうするかと言うと、お金持ちの子弟なので海外留学に旅立ちます。
これは「海外逃亡」とか呼ばれていました。
渋谷のどまんなかにあることと関係あるのか無いのか、高校デビューが多かったです。
内部進学組じゃなくて受験で高等部から入ってきた人、この一部がものすごい変貌をとげる。
入学当初は朴訥とした可愛らしい田舎もんみたいな感じだったボーイズガールズが、
彼等は大抵、内部進学組のバカボンとくっついて遊びを覚えるんですね。
バカボンが大学進学の際に落っこちない限り、この付き合いは大学でも続きます。
大学以外は体育会系の部活動も全部弱小で、ジョックス的な存在が居ません。
メイン体育会系としてはラグビー部、通称「ビー部(語尾が上がる)」がありますが、
その競技の特殊さから幼稚園や初等部上がりが多く、彼等は年度が上がるにつれ学業的に苦しんでいるので
高等部までくると一面哀れな感じの不思議なオーラをまとっています。
中等部の頃はそれなりに恐ろしいジョックスだったのに、この頃になると愛嬌が出てきている。
むしろこのあたりになるとバスケ部やサッカー部などのほうがたちが悪くなっていたりする。
文化部もパッとしないんだけど。
今はどうなのかな。
タナシュンくんがどうも周囲の友達に売られまくってるみたいですが
あれはすごく「ああ、青学だなあ」と、感慨深いものがありました。
そうです、青学の特性として、腐った人間関係の温床みたいな部分は割とありました。
なんていうか、仲良くしてる風の間でも実は仲悪い、みたいな。
だいたい長い奴等は15年ぐらいの風通し悪い付き合いを続けてるわけで
流れる空気も淀みきってるんですよね。
ほんとお受験とかエスカレーターもいいことばかりじゃないと思います。
そういう淀んだバカボンとつるむのはいきがった高校デビュー組なわけで、
まあなんか、若人らしいサッパリした感じや素朴さとは無縁な人間関係が現れます。
タナシュンくんがあそこまで嫌われてるのは彼個人の特殊な人徳でしょうが、
「仲間だから」「同じ青学生だから」みたいに庇い合わない傾向が青学生にはあると思います。
社会に出てからも青学学閥って見たことねえ。 まあ学閥作るほどたいした偏差値の学校じゃないんだけど。
社会で同窓生に会っても「へえ…」みたいな。よそ大学出身の同窓の仲良さに比べるとどうしても温度の差がある気がします。
受験で言うと、青学受かるぐらいの偏差値の人は本命別にあることが多い。
青学が本命だったよ、っていうのは中学受験でも高校受験でも大学受験でも少なめ。
力いっぱい馬鹿なことやって打ち解けると言う機会も無い。
青学の文化祭は寒いです。高校も大学も。すごい出し物って見たこと無い。
アレ見ただけで熱量の低さとかわかってもらえると思う。
早稲田祭とかすごいよね。
先生は全体的にいい人ばかりですよ。
大学の講師かなんかで狂った発言しまくってた不届き女が居たらしいですがあれはマジで例外です。
ああいう先生達から、青学独特の熱の無い半腐れ学生が産出されるのは不思議といえば不思議。
長々書いて結局何を言いたいかっていうと
タナシュンくんてすごく青学生らしいなあ…っていう。
イーゴ(青学のマスコットである鷹の化けもん)と一緒に飾っとけ。
http://anond.hatelabo.jp/20170606005748
一般大女子大生が本当に羨ましくなった。美大のイケイケより一般大の地味子の方が確実に飲み会行ってるし遊んでる
っていう事実が辛い。青学生になって渋谷のスイーツ毎日食べたい。そういう女子欲が芽生えてきたの、高3秋の美大に進路確定した辺りからで辛い。
別に青学に対して深い恨みなんかないけど評価せよといわれたらまあろくでもねーなと
むしろ君のように金持ちの子女でなんかもさい、みたいな子がおおかった
学年に2名しかいないギャルは珍獣枠(嫌われてるのでも好かれてるのでもない)だったし
高3でなんか突然色気づいた女子でスカートやたら短くしたのが居て
パンツが見えるので「ワカメちゃん」てあだ名がついてた(嫌われてるのでも好かれてるのでもないが欲情もされてなかった)
それが大学へ行くと
内部進学モサお嬢と貧乏な田舎女子が合流して、それで別にどうなるわけでもなく
すごい顔に自信があるとウェイ系のサークル入って取り巻き作ってミスコンに売って出てアナウンサー目指すわけだが
そんな人はほとんどの男子学生からも女子学生からも隔絶している
青学に通ってる女子のほとんどはもう渋谷スイーツなんかくってないし
クッソへたなフライヤーとか作ったりしょもないダンスをガラスの前で練習したりしてたりな
あと青学は1,2年はとんでもないド田舎に飛ばされるので(今は相模原だからまだマシか)
当然、夢のなかの彼女はあの時のままだ。
僕は、彼女を好きになった覚えはない。好きな人は、別にいた。結果付き合わなかったけど。
最近の学生はお盛んらしいが、僕の通う中学は大して恋愛なんてなかった。付き合うと、すぐバレるからだ。ムラ、ではないが、一地方都市の恋愛事情なんてそんなもんだ。
箸が転んでもおかしいと言うように、そんな恋愛なんぞしなくとも、みな和気藹々としていて、しかし恥ずかしいモノは恥ずかしいとして、楽しかった。
思うに、人間が恋愛するにしても、生涯の伴侶()を求めるにしても、結局はこういう青春時代の延長線上にあるのではないか。言ってしまえば、憧憬。
話がそれた。
そう、夢のなかに彼女が出てきたんだ。後輩の。
僕と彼女は吹奏楽部の同じ楽器、同じパートを担当する関係だった。椅子も隣だ。
顧問が合奏中に話を脱線する度に向きあってニヤ付く程度には、すぐに打ち明けていたし、その程度のユルさを持った部活だった。当然コンクールでは大した成績が出るわけでもなく(といっても僕が最終学年のときは創部以来二番目にいい成績を収めたので、個人的にはハッピーエンドだ。終わってから、みんな笑顔だった。笑い泣き。)一般的な吹奏楽のイメージ―――文化系のなかの体育会系で、毎日夜遅くまで楽器を吹き鳴らして近所からクレームがくる―――なんていうところとは、違っていた。強かったのは、合唱部の方だ。こちらは、全国常連。気合の入り方が違う。文化祭の合唱コンクールでは、ひとりふたり増えたところで大した違いが出るわけでもないのに、合唱部の人数の多さが勝敗を決める、なんて技術教諭の担任が喧伝したものだ(もちろんそんなので勝敗は決まらなかったわけだ)
また話がそれた。
そう、彼女とはそういう間柄だ。
そういう間柄でしかなく、高校は親が転勤族で、僕が引っ越した都合もあって、それ以来連絡をとっていない。もう、彼女が名前を思い出すことはないだろう。事実、僕も、今朝その夢を見て目が覚めた後、名前が思い出せず、お別れ会でもらった色紙の名前を見て、彼女をはっきりと思い出した。彼女には、先輩からのメッセージをと、後輩に一通ずつ渡した手紙がある。彼女はそれを大事にとってあるだろうか?憶測の域をでないが、彼女なら、とっていてくれるはずだ。ちなみに、僕が中学生の頃は携帯電話というイロモノは高価過ぎてまだ学生が持つには早かった時期だ。とはいえ、じゃあポケベルかというと、それは遅すぎる。過渡期だった。ゆえに、中学時代の同窓とは今もほとんど連絡手段がない。連絡網はまだ家にあるが、繋がる期待よりも、「オメー誰だよ」というような至極もっともな反応が帰って来るだろう期待のほうが高い。すべきではない。ラグビー部の男の子が何年ぶりに電話をかけてお付き合いが始まるなどというのは、幻想でしかないのだ。生存バイアスである。
せいぜい庶民に許された道は、母校の技術教諭と体育教諭が結婚してヒューヒュー言われる程度が関の山。あれから10年経つが、今も結婚生活は順風満帆なのだろうか。新婚さんいらっしゃいに出るからとか言ってたが、ついぞ見なかった。うそつきめ。
またも話がそれた。これは宿痾なので、許して欲しい。
そう、彼女とは連絡が取れないのだ。取りようもない。
しかし、そんな彼女と10年ぶりに再開した。夢の中で。意味が分からない。もとより意味などないのかもしれないが。
ちなみにこれだけの情報をありありと書いているとバレるかもしれないけど、バレても構わない。僕としては、彼女の名前が後輩といえど、10年経っていたにしても忘れていたということに軽くショックを受けており、彼女とのあれこれを書きだしておきたかったのだ。
夢の中身は、あまりに意味不明すぎて、書きだす気にもなれない。若干甘美なときもあった。しかしその甘美なとき、周囲は津波に飲み込まれたビルの屋上に位置するマクドナルドの禁煙席であり、周囲には避難してきた人でごった返しているのだから、わけがわからない。夢の中なれど、友人が何人も飲み込まれた。というか知り合いで助かったのは彼女だけだ。まったくもってわけがわからない。これを見せる僕の脳みそは何を欲しているのだろう。目覚めたとき、僕のペニスは固くなっていた。しかし、悦楽に浸るような気分にもなれず、固くなったまま引き出しを漁って彼女の記憶を取り戻し、今こうして文を書いている。もう萎れた。
ちなみに、この情報で僕が誰かというのを特定するには難しすぎると思いますが、もし誰かわかった場合、生存報告の一種として受け止めてくれれば幸いです。
3.11、僕は生き延びました。みなさんはどうですか。同窓会に誘われる手段も残していませんが、みなさんが生きているなら、十分な果報です。
何かがおかしい。少なくとも「これでいい」とは思えない。それだけはハッキリしている。毎日を食べて寝て生きていくうえで、いまの「その感じ」を何十年も続けていくという実感がもてない。肯定できない。納得できない。誰かがぼくにむかって幸せですか?と聞いてきたら、幸せですとは答えられない。
いつからそうだったんだろう?昔はもっと幸せだったか?でも、思い出というのは美化されるものだ。学校生活もいまにして思えば楽しかったなーなんて思ったりするけど、もうちょっと自分にたいして誠実であろうとするなら、あの当時楽しいこともあったけど、それよりもよりいっそうのつまんないことが多くあったことを無視してはいけない。ぼくが覚えている楽しいことといえば、学生生活の10年ほどの期間のうち、文化祭だの友だちと鳥取砂丘へ行ったことだのクラブへ通っていたことだの付き合っていた彼女との甘い日々だの(それすら全体のほんのちょっとしか覚えていない)夜通し語りあったことだのびわ湖で数えきれないくらいやったバーベキューだのである。
それのいったいなにが問題なのか?ぼくはその輝かしい思い出たちのことはぼんやりとでも覚えていて、楽しかったなあといえるんだけど、それ以外のなにもなかった日のことは思い出せないのだ。いま例に挙げた以上のたくさんの思い出たちが学生だった10年間には「詰まっている」のだけど、よく考えてみてほしい。10年間を日数に置きかえると3650日になる。でも、ぼくが思い出せる限りの楽しかった思い出を全部積み重ねてみて、そのうちのどれだけの割合を占めるだろうか。きっと1年分もないし、半年分もないかもしれない(「いや、さすがに半年分はあるでしょ」と思うなら記憶力を頼りに187個の思い出をがんばって思い出してみることだ)。もっと期間を短くしたら相対的に割合は増えるが、例えば思い出す時期を高校の3年間に絞ったとしても、その1095日間のうちで思い出すことのできる楽しかった思い出はきっと3ヶ月分もない。
「楽しかったなあ」と感じる昔は膨大な日数の忘れられた日の墓場の上に立っている記念碑だ。「昔は良かった」なんて無条件に、盲目的に言っている人は半分ウソつきだとおもう。下にある墓場がぜんぜん見えてない。あるいは見えてないんじゃなくて見たくないから見ないようにしているだけかもしれない。思い出というのはその10倍を超える数のまったく思い出せない、なんの中身もない日を含めた日々から選んだ「マイベスト」みたいなもんだ。それで思い出が「詰まっている」だなんて日本語がちょっとおかしい。
で、ぼくが言いたいのは、それを自覚してもうちょっと自分に誠実になって、懐古主義に陥るのはやめよう、昔と同じように今も楽しいよ、ということではない。むしろその結論を否定するものだ。ぼくが問題だと思うのは、ぼくらがそんなふうに「よく考えてみると昔はそんなに楽しいわけじゃなかった。それはわかった。いまもそんなに楽しいわけじゃないけどたまには楽しいこともあるからそれでいいんじゃないか」という考え方に陥ってしまうことだ。つまり、過去が現状を納得させる道具になってしまうことだ。
さっきは「楽しい思い出」に焦点を当ててきた。こんどはそれとは逆の「イヤな思い出」を見てみる。人間の脳はよくできていて、イヤな記憶は脳がそれを判断して都合よく消し去ってしまうということを聞いたことがある(ほんとかどうかしらんけど)。きみのお父さんかお母さんかおじいちゃんかおばあちゃんか叔母ちゃんか叔父ちゃんか勤めている会社の社長か直接の上司か新聞のコラムかテレビに出てくる偉い人か、とにかくそういう年配の人に「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」的なことを言われたことがあるだろうか。もうあの言い方にはぼくは心底うんざりしている。聞いてもいないのに何回でも(しかもドヤ顔で)聞かされるし、それがあなたを人間的に成長させるとか、安定した暮らしを実現させるとか、収入を保証するとか、そういうことに結びついていると彼らは思い込んでいる。聞いてもいないのに昔の苦労話をえんえんと語ってくるし、そういう苦しい時代がいまの住みよい日本を作ったとかいう話にまで発展したりする。
ある意味それはほんとうかもしれない。もしかしたらぼくら若者はそういうエピソードをもっとありがたがって聞くべきなのかもしれない(でもその話はもう何回もテレビで聞いた)。頭ごなしに否定するわけじゃないけど、話したいから話してるだけなんじゃないの?って感じがときどき透けて見えたりする。年配の人が必ずしもいいアドバイスばっかりくれるわけじゃないってこともなんとなくわかる。十分に人生経験を積んだ人だってコンピュータじゃなくて人間なんだから、間違いや勘違いはある。ましてや、この世界に正解とか不正解なんてものがあるのかすらぼくらにはよくわからない。そういうこともあって、だいたいのエピソードは右耳から入って左耳から抜けていくばっかりだ。脳にとどまらない。しかし、後で見るように実際もっと状況はひどいのだ。
さて、イヤな思い出の話にもどると、イヤというより冒頭に述べたようなモヤモヤとした暗い感じ。マスコミ風にいうと「閉塞感」ってやつを、いま思うことはできても昔もそれがあったかを思い出すことは一見あまりしないように思える。普通ぼくらが昔のことを思い出すときはさきほどのように「楽しい思い出」ばっかりを並べ立てたがる。ぼくらはなんにもない穏やかな日のことはあんまり振り返らない。
でも、おじいちゃんやおばあちゃんが太平洋戦争のことなんかを語ってくれることはある。そういう歴史的に大きな負の遺産は、「忘れてはいけない、繰り返してはいけない」という理由で語り継いでいくことを推奨される。バブル崩壊後、90年代の「失われた10年」なんてのもそういうふうに語り継がれていくかもしれない。楽しい思い出とは逆のイヤな思い出も時折覚えていることがある。どちらにせよ衝撃的なことはわりと覚えていたりするもんだ。中学生活の3年間ずっとイジメられた人なら、その記憶を忘れられないと思う(でもやっぱりいじめられなかった日のことはあまり覚えてないかもしれない)。
ぼくらの世代はどうなの?なにか世代とか社会情勢とかそういうもののせいにしていいの?あらゆるものが自己責任っていわれてるこの世界で?しかし、それはけっこうあり得る話なのかもしれない。さっきの話を総合するとね。
つまりだな。ぼくらはさっきも言ったように「昔はよかったなあ」なんていうふうに考えてしまいがちだ。で、よく考えると実はそう楽しいことばかりでもなかったことに気がつく。「でもあのときけっこうつまんないこととかつらいこともあったよねー」って話になる。単純に楽しいだけの思い出から、いや実は悲喜こもごもだったという一歩進んだ結論にいたる(それにひきかえ、イジメられた人はイジメられた過去を死ぬまで許せないかもしれない)。ここで思考停止してしまうと、ぼくらはさっき言ったような年配の人達と同じことを将来の若者に言い出してしまいかねない。いいことも悪いことも含めて過去をまるごと「あれでよかったんだ」と肯定してしまうかもしれない。
じゃあ、いま現在に戻ってみよう。ぼくは何回も「このままじゃよくない」と思いながら生きてきた。きみはどうだろう?現状に満足しているか?あなたいま幸せですか?それにYESといえる人が何人いるだろうか。ぼくはそんなに多くないと思ってる。イジメられた過去をひきずったままの人はずっと前からこの位置にいるかもしれない(しかしそれはもっと暗くてもっと深い闇)。
ぼくの場合やほかの人の場合、そういうときにはよく講釈で自分をだますようにしている。そうして自分の不幸せを否定しようとする。例えば、ああいう仕事に比べたらマシだとか、誰それという友だちはもっと大変そうだとか、家があるだけ幸せだとか、どこどこの国に比べたら贅沢言ってられないとか。もっとポジティブな感じにだますことだってある。人はどんな環境におかれても幸せを感じられるとか、つらいのはいまだけで私は友だちや家族に恵まれているからちょっとくらいの逆境はへっちゃらだとか、(年配の人の助言をもとに)こういうつらい時こそ自分が成長できるときだとか、時間が解決してくれるとか、そんなことをぶつぶつ言いながら毎日をしのいでいたりする。そう考えるとイジメられた人は自分をだますのが難しいと思う。
何回だ?いままでに「つらい…」「死にたい…」「消えてなくなりたい…」「orz」と感じたときに何回そうやって自分をごまかしてきたんだ?あれはドラキュラの映画か小説かなんかのセリフだったと思うけど、「いままでに何人の生き血を喰らってきたんだ?」みたいなことを聞かれて「おまえは今までに食べたパンの枚数を覚えているのか?」みたいなことを逆に聞き返えされてビックリするっていう、有名な場面があったと思うねん。ぼくももう忘れたけど数えきれないくらい自分をごまかしてきたはずだと思う。数少ないいいニュースは、その回数は今まで食べてきたパンの枚数よりはきっと少ないということだ(ぼくは毎朝食パンを食べる)。
そんなことは誰もが考えることで特別なことじゃないとか、そういうごまかしがあるからこそ人は前へ進んでいけるとか、人生において挫折を味わってこそ人間的に深い情緒を身につけられるとか、そんな反論はいくらでも挙げることができる。必ずしも楽しいことや気持ちのいいことだけを受け取って人生を渡り歩いていくことはできない。人生100%バラ色だなんていう人はいないと思う。でも、それにしてもぼくらは自分のことをごまかしすぎじゃないか?
自分で自分をだますことができなくなったときに、精神的に病んでしまうのかもしれない。ぼくの狭い観測範囲をして実感するのは、最近マジでメンヘラとかうつ病とかコミュ障とかリストカッターとかひきこもりとかニートとかそういう人が増えたなっていうこと。単に病気としての認定がされやすくなったとか、ひきこもりであることやニートであることが、いまやあまり珍しいことじゃなくなってうるさく言われなくなったこともあるかもしれない。統計を出すほどマメな性格ではないのでおおざっぱな感覚だけで言うけど、彼らの数は増えてると思う。それにたとえ「認定がされやすい」とか「いまやあまり珍しくない」とかいうことが事実だとしても、それ自体が彼らの人数が増えていることの結果になっているとおもう。病気の認定がされやすいからうつ病やアスペルガー症候群や統合失調症などのを含めたいわゆる「メンヘラ」が増えたのか。それとも、「メンヘラ」が増えたから認定がされやすくなったのか。卵と鶏はどちらが先に生まれたのか。
メンヘラどまりならまだマシで、最後に行き着く先は自殺だったりする。年に3万人という自殺者の数は、実はそんなに多くないという説があったり、実は公表されている3万人より実際の自殺者数はもっと多いという説があったりする。ふつうに考えるとわかることだが、幸せなのに自殺する人なんていない。死んだ人はなんにも言わないから自殺の理由はあんまりわからないことになっている。「死にたい」という言葉は冗談やせっぱつまった言い方に関わらず最近多く聞くようになったと思う。もはや「死にたい」に特別な意味なんてないのかもしれない。でも、その言葉のなかにたとえ単にかまってほしいがためのウソやなんかが含まれているとしても、全体として言及数は増えているのならウソの割合と本当の割合も増えているんじゃないだろうか。宝くじで当たる確率が何千万分の1しかないとしても、数千万人の人が宝くじを1枚ずつ買ったらかなりの確率で誰かは当たることになる。1万人に1人しか言わなかった「死にたい」が、もう流行語みたいになって100人に1人は言っているとすると、そのなかで冗談で言ってる人の割合も本気で言ってる人の割合も増えてるんじゃないか?
そんなふうにいまの状況を説明するいろんな要素がある。慎重に考えたほうがいいとおもう。「これは大丈夫」とか「これはダメだ」とか、個々の要素についていくつもの言い分を挙げることができる。しかし、どれだけ言い分を挙げても「これでいい」とは思えない。それだけはハッキリとしている。またぼくは何日か何週間か、うまくいけば何ヶ月かあとに「もうイヤだ…」って気分が襲ってくる。で、そのたびにどうにか自分をごまかす。ぼくのまわりにはその周期がもっと短い人もいる。毎日毎日うんざりしている人もいる。向精神薬と酒を同時に飲んでトリップするしかない人もいる。他人を攻撃することでしかストレスを発散できない人もいる。手首を切ってほっとする人もいる。時間を貴重におもうあまり遊びや趣味を必死に探しまわって疲れてしまう人もいる。せっかくの休日を寝て過ごすくらいの元気しかない人もいる。現実の世界にはとっくの昔に絶望していて、ネットの世界にしか居場所がない人もいる。
こんな状況がいいわけがない。自殺しなかったり病気にならなずに、なんとか今日まで生きのびた人は「苦労したから」そうなったのではなくて、単に運がよかっただけだ。で、そういう運のいい人だけがぼくらの目につくところに現れて説教していったりする。もし、この閉塞感に耐えきれないでみずから死を選んだ人が目の前に現れたら、「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」などと言うだろうか?そのせいで死んだのに?しかし、死人に口なしだ。若い頃にイジメられたストレスが積み重なって精神を病んでしまった特に有名でもない人が、「イジメられた経験があったからこそいまの自分がある」なんて思うだろうか?
有名人とかある会社の社長とか成功した人は、たとえ昔はツラかったとしても、今成功してるんだからあれは無駄じゃなかったなどとのたまう。それは成功してるから言えるのであって、膨大な数の一生負け犬人生を送る人のことはないがしろにされている。でも、負け犬の人がテレビに出てなにか演説をすることなんてない。マスコミだけじゃなくて、誰も一般人の話になんか興味を持たない。たとえネットに出てきたとしても読まれているのは有名な人のブログばっかりだ。一方、偉い人は若い頃の経験をなんでも現在の成功に結びつけて合理化する。そういう話ばっかりが世の中に出て行くことになる。
ぼくらだってああいう話がさすがにちょっとうさんくさいなあと感じている。「お前がそう思うならそうなんだろう。お前の中ではな」と言いたくなる。そういううさんくさい人ばっかりでなくて、ちゃんと誠実な人もいるということもなんとなくわかる。自分は人よりちょっと運がよかっただけということを自覚して、負け犬の人をないがしろにしない人も確かに存在する。(ネット上にはけっこうそういう人がいる気がする)
にもかかわらず、ぼくらは若くしてすでに過去を美化したり合理化したりしてしまう傾向がある。いまですら過去を美化してしまったり合理化してしまったりするように、ぼくらは何十年か後にいまの状況をそうしてしまうかもしれないのだ。そういうことをする度に、ぼくらが楽しかったなあとしみじみ思う、それと同じ過去をイジメぬかれて過ごした人をバカにしてしまっていることになる。少なくともぼくは、いま「死にたい」と思っている人を将来美化してしまいたくはない。「むかしは自殺未遂もしたけれど、いま私は元気です」なんて思わせることがいいことだとか、必要だったとか思わせるのにはどうも違和感がある。だから、現状がこのままで「仕方ない」などとは思いたくない。良くしていきたい。
ぼくが最近楽しいことをしたい理由には、そういう思いがある。正確にいうと、ぼくはわざわざ楽しくない不幸な人生を送りたくない。「せめて」楽しくなくてもいいから、「せめて」悲しいことやツラいことや苦しいことだけでも「せめて」取り除きたいのだ。その話はまた別の機会に…。
何かがおかしい。少なくとも「これでいい」とは思えない。それだけはハッキリしている。毎日を食べて寝て生きていくうえで、いまの「その感じ」を何十年も続けていくという実感がもてない。肯定できない。納得できない。誰かがぼくにむかって幸せですか?と聞いてきたら、幸せですとは答えられない。
いつからそうだったんだろう?昔はもっと幸せだったか?でも、思い出というのは美化されるものだ。学校生活もいまにして思えば楽しかったなーなんて思ったりするけど、もうちょっと自分にたいして誠実であろうとするなら、あの当時楽しいこともあったけど、それよりもよりいっそうのつまんないことが多くあったことを無視してはいけない。ぼくが覚えている楽しいことといえば、学生生活の10年ほどの期間のうち、文化祭だの友だちと鳥取砂丘へ行ったことだのクラブへ通っていたことだの付き合っていた彼女との甘い日々だの(それすら全体のほんのちょっとしか覚えていない)夜通し語りあったことだのびわ湖で数えきれないくらいやったバーベキューだのである。
それのいったいなにが問題なのか?ぼくはその輝かしい思い出たちのことはぼんやりとでも覚えていて、楽しかったなあといえるんだけど、それ以外のなにもなかった日のことは思い出せないのだ。いま例に挙げた以上のたくさんの思い出たちが学生だった10年間には「詰まっている」のだけど、よく考えてみてほしい。10年間を日数に置きかえると3650日になる。でも、ぼくが思い出せる限りの楽しかった思い出を全部積み重ねてみて、そのうちのどれだけの割合を占めるだろうか。きっと1年分もないし、半年分もないかもしれない(「いや、さすがに半年分はあるでしょ」と思うなら記憶力を頼りに187個の思い出をがんばって思い出してみることだ)。もっと期間を短くしたら相対的に割合は増えるが、例えば思い出す時期を高校の3年間に絞ったとしても、その1095日間のうちで思い出すことのできる楽しかった思い出はきっと3ヶ月分もない。
「楽しかったなあ」と感じる昔は膨大な日数の忘れられた日の墓場の上に立っている記念碑だ。「昔は良かった」なんて無条件に、盲目的に言っている人は半分ウソつきだとおもう。下にある墓場がぜんぜん見えてない。あるいは見えてないんじゃなくて見たくないから見ないようにしているだけかもしれない。思い出というのはその10倍を超える数のまったく思い出せない、なんの中身もない日を含めた日々から選んだ「マイベスト」みたいなもんだ。それで思い出が「詰まっている」だなんて日本語がちょっとおかしい。
で、ぼくが言いたいのは、それを自覚してもうちょっと自分に誠実になって、懐古主義に陥るのはやめよう、昔と同じように今も楽しいよ、ということではない。むしろその結論を否定するものだ。ぼくが問題だと思うのは、ぼくらがそんなふうに「よく考えてみると昔はそんなに楽しいわけじゃなかった。それはわかった。いまもそんなに楽しいわけじゃないけどたまには楽しいこともあるからそれでいいんじゃないか」という考え方に陥ってしまうことだ。つまり、過去が現状を納得させる道具になってしまうことだ。
さっきは「楽しい思い出」に焦点を当ててきた。こんどはそれとは逆の「イヤな思い出」を見てみる。人間の脳はよくできていて、イヤな記憶は脳がそれを判断して都合よく消し去ってしまうということを聞いたことがある(ほんとかどうかしらんけど)。きみのお父さんかお母さんかおじいちゃんかおばあちゃんか叔母ちゃんか叔父ちゃんか勤めている会社の社長か直接の上司か新聞のコラムかテレビに出てくる偉い人か、とにかくそういう年配の人に「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」的なことを言われたことがあるだろうか。もうあの言い方にはぼくは心底うんざりしている。聞いてもいないのに何回でも(しかもドヤ顔で)聞かされるし、それがあなたを人間的に成長させるとか、安定した暮らしを実現させるとか、収入を保証するとか、そういうことに結びついていると彼らは思い込んでいる。聞いてもいないのに昔の苦労話をえんえんと語ってくるし、そういう苦しい時代がいまの住みよい日本を作ったとかいう話にまで発展したりする。
ある意味それはほんとうかもしれない。もしかしたらぼくら若者はそういうエピソードをもっとありがたがって聞くべきなのかもしれない(でもその話はもう何回もテレビで聞いた)。頭ごなしに否定するわけじゃないけど、話したいから話してるだけなんじゃないの?って感じがときどき透けて見えたりする。年配の人が必ずしもいいアドバイスばっかりくれるわけじゃないってこともなんとなくわかる。十分に人生経験を積んだ人だってコンピュータじゃなくて人間なんだから、間違いや勘違いはある。ましてや、この世界に正解とか不正解なんてものがあるのかすらぼくらにはよくわからない。そういうこともあって、だいたいのエピソードは右耳から入って左耳から抜けていくばっかりだ。脳にとどまらない。しかし、後で見るように実際もっと状況はひどいのだ。
さて、イヤな思い出の話にもどると、イヤというより冒頭に述べたようなモヤモヤとした暗い感じ。マスコミ風にいうと「閉塞感」ってやつを、いま思うことはできても昔もそれがあったかを思い出すことは一見あまりしないように思える。普通ぼくらが昔のことを思い出すときはさきほどのように「楽しい思い出」ばっかりを並べ立てたがる。ぼくらはなんにもない穏やかな日のことはあんまり振り返らない。
でも、おじいちゃんやおばあちゃんが太平洋戦争のことなんかを語ってくれることはある。そういう歴史的に大きな負の遺産は、「忘れてはいけない、繰り返してはいけない」という理由で語り継いでいくことを推奨される。バブル崩壊後、90年代の「失われた10年」なんてのもそういうふうに語り継がれていくかもしれない。楽しい思い出とは逆のイヤな思い出も時折覚えていることがある。どちらにせよ衝撃的なことはわりと覚えていたりするもんだ。中学生活の3年間ずっとイジメられた人なら、その記憶を忘れられないと思う(でもやっぱりいじめられなかった日のことはあまり覚えてないかもしれない)。
ぼくらの世代はどうなの?なにか世代とか社会情勢とかそういうもののせいにしていいの?あらゆるものが自己責任っていわれてるこの世界で?しかし、それはけっこうあり得る話なのかもしれない。さっきの話を総合するとね。
つまりだな。ぼくらはさっきも言ったように「昔はよかったなあ」なんていうふうに考えてしまいがちだ。で、よく考えると実はそう楽しいことばかりでもなかったことに気がつく。「でもあのときけっこうつまんないこととかつらいこともあったよねー」って話になる。単純に楽しいだけの思い出から、いや実は悲喜こもごもだったという一歩進んだ結論にいたる(それにひきかえ、イジメられた人はイジメられた過去を死ぬまで許せないかもしれない)。ここで思考停止してしまうと、ぼくらはさっき言ったような年配の人達と同じことを将来の若者に言い出してしまいかねない。いいことも悪いことも含めて過去をまるごと「あれでよかったんだ」と肯定してしまうかもしれない。
じゃあ、いま現在に戻ってみよう。ぼくは何回も「このままじゃよくない」と思いながら生きてきた。きみはどうだろう?現状に満足しているか?あなたいま幸せですか?それにYESといえる人が何人いるだろうか。ぼくはそんなに多くないと思ってる。イジメられた過去をひきずったままの人はずっと前からこの位置にいるかもしれない(しかしそれはもっと暗くてもっと深い闇)。
ぼくの場合やほかの人の場合、そういうときにはよく講釈で自分をだますようにしている。そうして自分の不幸せを否定しようとする。例えば、ああいう仕事に比べたらマシだとか、誰それという友だちはもっと大変そうだとか、家があるだけ幸せだとか、どこどこの国に比べたら贅沢言ってられないとか。もっとポジティブな感じにだますことだってある。人はどんな環境におかれても幸せを感じられるとか、つらいのはいまだけで私は友だちや家族に恵まれているからちょっとくらいの逆境はへっちゃらだとか、(年配の人の助言をもとに)こういうつらい時こそ自分が成長できるときだとか、時間が解決してくれるとか、そんなことをぶつぶつ言いながら毎日をしのいでいたりする。そう考えるとイジメられた人は自分をだますのが難しいと思う。
何回だ?いままでに「つらい…」「死にたい…」「消えてなくなりたい…」「orz」と感じたときに何回そうやって自分をごまかしてきたんだ?あれはドラキュラの映画か小説かなんかのセリフだったと思うけど、「いままでに何人の生き血を喰らってきたんだ?」みたいなことを聞かれて「おまえは今までに食べたパンの枚数を覚えているのか?」みたいなことを逆に聞き返えされてビックリするっていう、有名な場面があったと思うねん。ぼくももう忘れたけど数えきれないくらい自分をごまかしてきたはずだと思う。数少ないいいニュースは、その回数は今まで食べてきたパンの枚数よりはきっと少ないということだ(ぼくは毎朝食パンを食べる)。
そんなことは誰もが考えることで特別なことじゃないとか、そういうごまかしがあるからこそ人は前へ進んでいけるとか、人生において挫折を味わってこそ人間的に深い情緒を身につけられるとか、そんな反論はいくらでも挙げることができる。必ずしも楽しいことや気持ちのいいことだけを受け取って人生を渡り歩いていくことはできない。人生100%バラ色だなんていう人はいないと思う。でも、それにしてもぼくらは自分のことをごまかしすぎじゃないか?
自分で自分をだますことができなくなったときに、精神的に病んでしまうのかもしれない。ぼくの狭い観測範囲をして実感するのは、最近マジでメンヘラとかうつ病とかコミュ障とかリストカッターとかひきこもりとかニートとかそういう人が増えたなっていうこと。単に病気としての認定がされやすくなったとか、ひきこもりであることやニートであることが、いまやあまり珍しいことじゃなくなってうるさく言われなくなったこともあるかもしれない。統計を出すほどマメな性格ではないのでおおざっぱな感覚だけで言うけど、彼らの数は増えてると思う。それにたとえ「認定がされやすい」とか「いまやあまり珍しくない」とかいうことが事実だとしても、それ自体が彼らの人数が増えていることの結果になっているとおもう。病気の認定がされやすいからうつ病やアスペルガー症候群や統合失調症などのを含めたいわゆる「メンヘラ」が増えたのか。それとも、「メンヘラ」が増えたから認定がされやすくなったのか。卵と鶏はどちらが先に生まれたのか。
メンヘラどまりならまだマシで、最後に行き着く先は自殺だったりする。年に3万人という自殺者の数は、実はそんなに多くないという説があったり、実は公表されている3万人より実際の自殺者数はもっと多いという説があったりする。ふつうに考えるとわかることだが、幸せなのに自殺する人なんていない。死んだ人はなんにも言わないから自殺の理由はあんまりわからないことになっている。「死にたい」という言葉は冗談やせっぱつまった言い方に関わらず最近多く聞くようになったと思う。もはや「死にたい」に特別な意味なんてないのかもしれない。でも、その言葉のなかにたとえ単にかまってほしいがためのウソやなんかが含まれているとしても、全体として言及数は増えているのならウソの割合と本当の割合も増えているんじゃないだろうか。宝くじで当たる確率が何千万分の1しかないとしても、数千万人の人が宝くじを1枚ずつ買ったらかなりの確率で誰かは当たることになる。1万人に1人しか言わなかった「死にたい」が、もう流行語みたいになって100人に1人は言っているとすると、そのなかで冗談で言ってる人の割合も本気で言ってる人の割合も増えてるんじゃないか?
そんなふうにいまの状況を説明するいろんな要素がある。慎重に考えたほうがいいとおもう。「これは大丈夫」とか「これはダメだ」とか、個々の要素についていくつもの言い分を挙げることができる。しかし、どれだけ言い分を挙げても「これでいい」とは思えない。それだけはハッキリとしている。またぼくは何日か何週間か、うまくいけば何ヶ月かあとに「もうイヤだ…」って気分が襲ってくる。で、そのたびにどうにか自分をごまかす。ぼくのまわりにはその周期がもっと短い人もいる。毎日毎日うんざりしている人もいる。向精神薬と酒を同時に飲んでトリップするしかない人もいる。他人を攻撃することでしかストレスを発散できない人もいる。手首を切ってほっとする人もいる。時間を貴重におもうあまり遊びや趣味を必死に探しまわって疲れてしまう人もいる。せっかくの休日を寝て過ごすくらいの元気しかない人もいる。現実の世界にはとっくの昔に絶望していて、ネットの世界にしか居場所がない人もいる。
こんな状況がいいわけがない。自殺しなかったり病気にならなずに、なんとか今日まで生きのびた人は「苦労したから」そうなったのではなくて、単に運がよかっただけだ。で、そういう運のいい人だけがぼくらの目につくところに現れて説教していったりする。もし、この閉塞感に耐えきれないでみずから死を選んだ人が目の前に現れたら、「若い頃の苦労は買ってでもしなさい」などと言うだろうか?そのせいで死んだのに?しかし、死人に口なしだ。若い頃にイジメられたストレスが積み重なって精神を病んでしまった特に有名でもない人が、「イジメられた経験があったからこそいまの自分がある」なんて思うだろうか?
有名人とかある会社の社長とか成功した人は、たとえ昔はツラかったとしても、今成功してるんだからあれは無駄じゃなかったなどとのたまう。それは成功してるから言えるのであって、膨大な数の一生負け犬人生を送る人のことはないがしろにされている。でも、負け犬の人がテレビに出てなにか演説をすることなんてない。マスコミだけじゃなくて、誰も一般人の話になんか興味を持たない。たとえネットに出てきたとしても読まれているのは有名な人のブログばっかりだ。一方、偉い人は若い頃の経験をなんでも現在の成功に結びつけて合理化する。そういう話ばっかりが世の中に出て行くことになる。
ぼくらだってああいう話がさすがにちょっとうさんくさいなあと感じている。「お前がそう思うならそうなんだろう。お前の中ではな」と言いたくなる。そういううさんくさい人ばっかりでなくて、ちゃんと誠実な人もいるということもなんとなくわかる。自分は人よりちょっと運がよかっただけということを自覚して、負け犬の人をないがしろにしない人も確かに存在する。(ネット上にはけっこうそういう人がいる気がする)
にもかかわらず、ぼくらは若くしてすでに過去を美化したり合理化したりしてしまう傾向がある。いまですら過去を美化してしまったり合理化してしまったりするように、ぼくらは何十年か後にいまの状況をそうしてしまうかもしれないのだ。そういうことをする度に、ぼくらが楽しかったなあとしみじみ思う、それと同じ過去をイジメぬかれて過ごした人をバカにしてしまっていることになる。少なくともぼくは、いま「死にたい」と思っている人を将来美化してしまいたくはない。「むかしは自殺未遂もしたけれど、いま私は元気です」なんて思わせることがいいことだとか、必要だったとか思わせるのにはどうも違和感がある。だから、現状がこのままで「仕方ない」などとは思いたくない。良くしていきたい。
ぼくが最近楽しいことをしたい理由には、そういう思いがある。正確にいうと、ぼくはわざわざ楽しくない不幸な人生を送りたくない。「せめて」楽しくなくてもいいから、「せめて」悲しいことやツラいことや苦しいことだけでも「せめて」取り除きたいのだ。その話はまた別の機会に…。
「いろいろあって・・」と多くは話してくれなかったけれど、
哀愁を漂わせながらも昔と変わらない可憐な面影を残した彼女の横顔に俺はいっきに引き込まれた。
同じクラスだった彼女も中学受験組で、違う塾ではあったものの、塾へ行くために利用するバスは一緒だったためよく顔を合わせていた。
俺は彼女のことが好きだった。
彼女は物凄く可愛いというようなタイプではなかったが、ビジュアルに関しては個人的にとても好きなタイプだった。
クラスではめったに話をすることはなく、バスの待ち時間やバスの中でしか話をしなかったが、
受験という共通する話題もあり、話をしている時はとても楽しかった。
彼女がバス停にいない時はバスを一本遅らせてでもわざわざ彼女のことを待っていたというエピソードも恥ずかしながらあったりする。。
好意を持ってくれていたのでは・・と思わせるエピソードも少しあるが、小学生の本心はわからない。
バレンタインのチョコとかは普通に貰っていたので少なくとも嫌われてはいなかったと思う。
ただ結局、当時は受験のことでいっぱいいっぱいで、ませていたとはいえ「恋愛する」なんて発想は頭の中にはなく、何も起こることはなかった。。
中学へ通う最寄りの駅が違っていたため、通学で会うことはなかった。
携帯もない時代だったので連絡をとることもなかった。(もとから家の電話で連絡を取り合ったことはないが)
彼女のことは相変わらず好きだったように記憶しているけれど、関係をどう発展させていけばいいのか分からなかった当時の自分は、
「友達という関係を維持する」ということすら結局できなかった。
小学校を卒業してから一度だけ、中1の9月に彼女に合ったことがある。
「今度中学校の文化祭があるからチケット上げる」と、わざわざ日曜日に家に来てくれた。
とても嬉しかった。
けれど、最初家のインターホンに母親が出たことをなぜかとても恥ずかしく思ってしまい、
「行けたら行く」と1分も話さないで玄関で彼女を帰してしまった。人生最大の後悔・・の一つである。
そして文化祭に行くこともなかった。彼女が女子中に通っていたため当時の自分としては「とても行けるわけない」という考えしかなかったからだ。
それ以来、彼女と合うことはなかった。
高1の頃には俺も引越しをしてしまい、地元で偶然会うというチャンスもなくなった。
「初恋は実らない」
昔ジャンプで連載されていたBOYという漫画にこのフレーズが出てきたとき、なんとなく感慨深い思いになったのを今でも覚えている。。
現在に戻る。
同窓会で偶然再会した彼女は、昔の面影を残しつつ、昔以上に素敵になっていた。
びっくりした。
偶然の出会いに対してではない、30歳を越えても素敵な彼女に対してでもない、彼女を見た途端、今までにないぐらい胸が熱くなっている自分自身にびっくりした。
正直彼女のことなんかとうに「淡い青春の思い出」として記憶の引き出しの奥にしまいこんでいた。
そもそも小学生の頃の初恋なんて単に記憶の中で美化されただけのものだと思っていた。
仮に偶然再会しても「おぉ懐かしいな!」と言える自信があった。
それなりに恋愛をしてきた自分がまさか一目惚れに近い感覚に陥ることなんかあるわけないと思っていた。
それは間違いだった。
これは運命だ。
携帯の番号も交換した。
「いろいろ相談に乗れると思うから今度また飲もうよ」という約束も取り付けた。
いい感じになれた。
嬉しかった。
『結婚して子供ができた後に「運命の人」が自分の目の前に現れたらどうするの? 』http://anond.hatelabo.jp/20110630230540
彼女に妻子があることは伝えていない。
数日悩んだが、俺にはやっぱりこの運命を簡単に捨てることができない、かもしれない。
大阪で、君が代斉唱時に起立しなかった教員をクビにする条例がもうすぐできるらしい。
例によってはてブでは公教育への介入だ、思想統制だ、という話になってるらしいが。
問題は、公立学校の教職員が式典に出席した上で君が代斉唱を拒否していて、
その後の校長・教育長の指導や業務命令にも従わない、ということだ。
それを思想・表現の自由としているのなら、彼ら個人の思想の表現のためにやっている、と考えられる。
これは「公務員が勤務時間中に、自らの政治的主張のために業務をサボタージュして示威行為している」、
「判断能力が未熟な児童・生徒に、教員の立場を利用して自らの政治的主張を宣伝している」ということになる。
つまり問題は日の丸・君が代だけではなく、「公務員が思想を理由に業務をサボタージュするのは認められるか」、
「教員が児童・生徒に自身の政治的主張を宣伝するのは認められるか」ということだろう。
これらを認めてしまえば、極論すれば「教員が教えたくないこと・教えるべきでないと思うことは(指導要領に載っていても)教えなくて良い」
「教員が教えたいこと・教えるべきだと思うことは(指導要領に載っていなくても)教えて良い」ということになりかねない。
公民の教科書を放り出して毛沢東語録を教えても教員の自由、歴史の教科書を放り出して歴代天皇の諡号を暗唱させるのも教員の自由、
生物の教科書よりも旧約聖書の創世記を読ませたい、国語の教科書の代わりに団鬼六を読ませよう、という教員が出てきたらどうするのか。
児童・生徒がどんな内容の教育を受けるかは、その時に出会った先生次第で構わない、と思う人がどれだけいるんだろうか。
教科書の内容も式典の式次第も、文化祭や体育祭などの学校行事も、社会が期待する一定の水準に達するために教育委員会が指導してるんであって、
その内容は法律に則っていたり文部省の指導要領に則っていなければいけないのは当たり前のことだ。