きたみたいだ
基礎的な知識は日本語でそろってるが、少し細かい部分を調べようとすると
さっき隣の部屋から「ギャー」と旦那の叫び声が聞こえたので、慌てて様子を見にいった。
「胸にしこりがあって、触ると痛いねん!」と旦那が叫ぶので、「どこ?」と聞いたら「ココ!ココ!」と指差したのが長い毛が数本生えてる…
「乳首やん」
ツンツンツンツン…
「普通やけど…」
試しに右の乳首もツンツンしてみる。
「えーーーーー!!!明らかに左乳首の方が大きくなってるやん!」
「そうかー?」
もう一度左乳首をツンツンしながら「痛いの?」と聞くと、「さっき触ったらめっちゃ痛かってん…」と悲しげな顔をする旦那。
「今は痛くないの?」
「あんまり…」
つーか、何で一人で乳首触ってたんだよ。
「……わかった」
なんかもー、ちょっと乳首が痛い位で大騒ぎしないでほしい。
ただただ精力旺盛な「漢!」がやりまくってた昭和の時代が終わり(1.0)、
人より少し狡猾で手先が器用で暇を持て余した「オトコ」がその匿名の性を享受してきたこの20年(2.0)。
インターネットによって一気に開かれた出会いの原野は、汚れた手で貪り喰うためだけにあるのではない。
真面目に働く「普通の男」が不特定多数との性関係を志向するとき、2010年代の新たな性豪の時代が幕を開けるのだ。
ここに、性豪3.0を宣言する。
…みたいなライフハック本あったら買う。
それが楽しみだってのは分かっているんだけど、度が過ぎる。よく分からないオブジェを買ってきては、玄関付近にずらずらと陳列するもんだから、ジャマで仕方ない。それに加えて、よそで戦力外通告を受けたものを救済することもしばしば。ゆえに来客はまず、大量の障害物に歓迎を受ける格好になる。野村再生工場には、程遠い。
往時の読売巨人軍を彷彿とさせる、怒涛の収集癖だ。補強ポイントが偏りすぎている。スリッパだけで、何足あるのだろう。少なくとも家人の足の数では、到底足りないことは確かである。
こちらから、やめさせようなどという気はない。人の趣味に水を差すのは気が引けるものだ。しかし、ジャマなものはジャマだという事実に変わりはない。葛藤ばかりが膨らんでいく。
およそ3分に1匹の割合で出現するアブとの闘いは、完成度の低いアクションゲームを彷彿とさせる。私の知らないところで連中が列をなして今か今かと待ち望んでいるのではないかと邪推してしまうほど、出現するタイミングが妙に機械的なのである。6分放っておけば2匹、9分放っておけば3匹に増えている。時折モノホンのやくざ(スズメバチ)が出現するからいよいよタチが悪い。
タナシュンこと田中〇くんのおかげで
この機会にOB(修正)の僕が青山学院について紹介したりアピールしたりしたい。
ちなみに運動部の掛け声は「あおがく~ファイ!」。
「あおがく~」は可能な限り低い声で唸り、「ファイ!」は甲高く叫びます。
叫び方に迷ったら知能〇〇者がテンションあがったときの感じで。
いや、ひょっとするとまあまあな私立大学の中でも一番熱が無いんじゃないのかな。
泥臭さとか熱血とかやる気とか変人とかとも無縁。
なんていうか、スマートじゃない人は来ないほうがいい。
間違って青学なんかにくると死んだ目で4年間過ごすことになります。
内部進学組が多いのは慶応とかとも一緒なんですが
なんでしょう、青学の内部進学組は慶応のそれより一段二段、品が落ちる気がします。慶応に夢見すぎか。
青山学院の初等部というのはちょこちょこキナ臭い噂も涌く所でして
おっかないから僕は知らないですけど、部長の権力闘争とかどうとかが
週刊誌に載ったりhttp://www.asyura2.com/08/bd52/msg/300.htmlしちゃったりなんかもするんです。
で、これは僕は知らん、幼稚園からの内部進学組が言ってたことですが、
一時はすごくその、芸能人の子弟とかを積極的に受け入れたりしてた、らしいんですね。
躾の悪いボンボンや勉強が全く出来ない奴が多い、みたいな認識は学内にあったと思います。
はっきり「馬鹿組」と呼ぶこともありましたし、彼ら自身も自嘲していました。
中等部から高等部、高等部から大学へ、エスカレーター内部進学するときに
青学歴が長い人ほど成績が悪い傾向があるので、幼稚園上がりが一番落ちます。彼等が一番お金持ちなんですけど。
落ちる奴等はどうするかと言うと、お金持ちの子弟なので海外留学に旅立ちます。
これは「海外逃亡」とか呼ばれていました。
渋谷のどまんなかにあることと関係あるのか無いのか、高校デビューが多かったです。
内部進学組じゃなくて受験で高等部から入ってきた人、この一部がものすごい変貌をとげる。
入学当初は朴訥とした可愛らしい田舎もんみたいな感じだったボーイズガールズが、
彼等は大抵、内部進学組のバカボンとくっついて遊びを覚えるんですね。
バカボンが大学進学の際に落っこちない限り、この付き合いは大学でも続きます。
大学以外は体育会系の部活動も全部弱小で、ジョックス的な存在が居ません。
メイン体育会系としてはラグビー部、通称「ビー部(語尾が上がる)」がありますが、
その競技の特殊さから幼稚園や初等部上がりが多く、彼等は年度が上がるにつれ学業的に苦しんでいるので
高等部までくると一面哀れな感じの不思議なオーラをまとっています。
中等部の頃はそれなりに恐ろしいジョックスだったのに、この頃になると愛嬌が出てきている。
むしろこのあたりになるとバスケ部やサッカー部などのほうがたちが悪くなっていたりする。
文化部もパッとしないんだけど。
今はどうなのかな。
タナシュンくんがどうも周囲の友達に売られまくってるみたいですが
あれはすごく「ああ、青学だなあ」と、感慨深いものがありました。
そうです、青学の特性として、腐った人間関係の温床みたいな部分は割とありました。
なんていうか、仲良くしてる風の間でも実は仲悪い、みたいな。
だいたい長い奴等は15年ぐらいの風通し悪い付き合いを続けてるわけで
流れる空気も淀みきってるんですよね。
ほんとお受験とかエスカレーターもいいことばかりじゃないと思います。
そういう淀んだバカボンとつるむのはいきがった高校デビュー組なわけで、
まあなんか、若人らしいサッパリした感じや素朴さとは無縁な人間関係が現れます。
タナシュンくんがあそこまで嫌われてるのは彼個人の特殊な人徳でしょうが、
「仲間だから」「同じ青学生だから」みたいに庇い合わない傾向が青学生にはあると思います。
社会に出てからも青学学閥って見たことねえ。 まあ学閥作るほどたいした偏差値の学校じゃないんだけど。
社会で同窓生に会っても「へえ…」みたいな。よそ大学出身の同窓の仲良さに比べるとどうしても温度の差がある気がします。
受験で言うと、青学受かるぐらいの偏差値の人は本命別にあることが多い。
青学が本命だったよ、っていうのは中学受験でも高校受験でも大学受験でも少なめ。
力いっぱい馬鹿なことやって打ち解けると言う機会も無い。
青学の文化祭は寒いです。高校も大学も。すごい出し物って見たこと無い。
アレ見ただけで熱量の低さとかわかってもらえると思う。
早稲田祭とかすごいよね。
先生は全体的にいい人ばかりですよ。
大学の講師かなんかで狂った発言しまくってた不届き女が居たらしいですがあれはマジで例外です。
ああいう先生達から、青学独特の熱の無い半腐れ学生が産出されるのは不思議といえば不思議。
長々書いて結局何を言いたいかっていうと
タナシュンくんてすごく青学生らしいなあ…っていう。
イーゴ(青学のマスコットである鷹の化けもん)と一緒に飾っとけ。
http://anond.hatelabo.jp/20170606005748
一般大女子大生が本当に羨ましくなった。美大のイケイケより一般大の地味子の方が確実に飲み会行ってるし遊んでる
っていう事実が辛い。青学生になって渋谷のスイーツ毎日食べたい。そういう女子欲が芽生えてきたの、高3秋の美大に進路確定した辺りからで辛い。
別に青学に対して深い恨みなんかないけど評価せよといわれたらまあろくでもねーなと
むしろ君のように金持ちの子女でなんかもさい、みたいな子がおおかった
学年に2名しかいないギャルは珍獣枠(嫌われてるのでも好かれてるのでもない)だったし
高3でなんか突然色気づいた女子でスカートやたら短くしたのが居て
パンツが見えるので「ワカメちゃん」てあだ名がついてた(嫌われてるのでも好かれてるのでもないが欲情もされてなかった)
それが大学へ行くと
内部進学モサお嬢と貧乏な田舎女子が合流して、それで別にどうなるわけでもなく
すごい顔に自信があるとウェイ系のサークル入って取り巻き作ってミスコンに売って出てアナウンサー目指すわけだが
そんな人はほとんどの男子学生からも女子学生からも隔絶している
青学に通ってる女子のほとんどはもう渋谷スイーツなんかくってないし
クッソへたなフライヤーとか作ったりしょもないダンスをガラスの前で練習したりしてたりな
あと青学は1,2年はとんでもないド田舎に飛ばされるので(今は相模原だからまだマシか)
選挙のプロと言われた小沢氏が、辻立ちや川上戦略を重視したのがよく分かる。
日本の選挙は政策を語るよりもただニコニコしていたほうが選挙に当選することをよく熟知している戦法だ。
そんなんで当選するものだから政策を練るより地元の冠婚葬祭に出席する方に熱心になる。
「大半の国民は馬鹿なんです。」とか「国民のレベルが高くて、政治のレベルが低いなんてありえない。政治は国民を映す鏡なのだ。」と言う声も頷ける。
app storeのレビュー欄の低能っぷりはマジでヤバいよな。
yahooコメント欄を超えるんじゃないかという凄まじい頭の悪さ。
あそこまで強烈な低能層にまでiphoneが普及してるというのが信じられない。
日本人は、お金に対して汚らしいイメージを持つ人が多い感じがします。アメリカはチップ習慣があるせいか、お金を労力に対する対価として自然に払いますね。
日本人はお歳暮など物をあげることにあまり抵抗ないけど、生の金銭の場合は包んだりして見せないようにする。お金は商業的な対価であり、普段の親切行為とは切り離されているような気がします。
商業的に成功した人は、日本では羨む対象になってしまって尊敬の念を持つ人は少数派です。世界に誇る日本人ランキングをするとスポーツ選手や映画監督など文化的成功者が上位を占めますが、商業的成功者はあまり上位には来ません。文化的成功者はその国民の名声を高めますが、商業的成功者は国民の経済的な豊かさを高めてくれます。日本にジョブズやバフェットがいたとしても国が誇る人物として上位にランキングされたでしょうか?
>今どこでもこんなもんなの?
こんなもんだよ。少子高齢化だし。
うちの地元は若い人は駅前に来ず、車でイオンとかどこか行ったりする。
商店街で買い物というスタイルは都内の車が入れないような場所だけのものに
なるんじゃないかなぁ。
平日昼間の商店街におばちゃんばかりなのは当たり前だろう・・・
都市部のように暇人多いわけじゃあるまいし、普通の若者は学校か仕事だよ
平日夕方、休日の様子を語るならいいけど。
で、もちろん他の人も記録を見れる。
お気に入りのidや気になるアンチクショウが今月どんな本を読んだのかな?ってわかる。
もちろん人に見られることを意識して見栄張る人もいるかもしれないけどそこは駆け引き。ブクマと一緒。
その本を読んでるidがズラーっと出たり、感想の一言コメント、それを取り上げてるダイアリー、
等などが見られるようになってるの。
どうでしょうか。
はてなの人達はお互いの読んでる本を盗み見たり自慢したりして喜ぶようなとこがきっとあると思う。
これは文盲や低学歴やゆとりの巣窟に過ぎない他のネットコミュニティでは実装しても意味ない、
永遠の書生気質どもが集うはてなだからこそ価値のあるサービスだと思う。
是非ご検討いただきたい。
要点だけ言うよ
・はてな特産の「非モテ」の問題点は君が想像してるのとは全然違う。
・要約しろ。ざっと流し読んだけど多分文字数半分に出来る。
・改行しろ。
うまくいかないというよりは、必ずしも賞賛されない理由といったところか。
まず、映像化するのはすばらしいことだという誤解がある。
小説という文字だけで表現された物語を映画のような大迫力の映像メディアにすると、なんだか「進化した」ような気がする。
これが実は違う。映像化は、どちらかといえば退化だ。
なぜ退化かと言えば、人間の想像力を阻害する度合いが大きくなってしまうから。
視覚による情報というのは、たとえどんなにそれが洗練されていったとしても、想像力によって表現される無限の表現と比べたらカスのようなものだ。
もちろん、文字から想起されるものというのも制限は多い。火と書けばそれだけで想像できる範囲は狭まってしまう。
しかし、実際に火の映像を見せられるのと火という文字から火を想像するのは大きな違いがある。
それは、火の映像は映像を作った人間の「火」を映像化したものであり、しかも不完全(完全には想像したものを変換できていない)であり、
火の想像は想像している本人にとって「完璧な」火の表現を完璧に受け取ることが出来るからだ。
しかし、多くの人が映像の洪水に飲み込まれた結果、想像する力が衰えていき、自分の想像力よりも他人の想像したものの不完全な具現化のほうをすばらしいと思い込むようになった。
ハリーポッターの映画が大成功したのは、ファンタジーという異質な世界観であることで想像力を働かせにくいことと、そもそも原作が売れていることの二点があると思う。
しかし、ハリーポッターが児童文学であることを考えれば、想像力を働かせにくいというよりそもそも文章がその点に重点を置いていない可能性が考えられる。
ハリーポッターはストーリーが面白いと言われるので、ストーリーさえしっかりしていれば魔法の表現などはある程度適当でもいいと作者は考えているのかもしれない。
そうすると、原作によってストーリーを熟知したファンが映画によって映像面を補強することが出来るようになったので「二度美味しく」楽しめるようになった。
だから、これほどまでにヒットしたのかもと考えられる。
彼女を作るためにいろんな努力をしてきたけれども彼女ができない。彼女さえ出来れば自分は幸せになれるのに―――。そんな考えている人は多いのではないだろうか。僕もその一人だった。―――結論から言うと、その考えは間違っている。たとえ明日あなたに彼女ができたとしても、おそらくあなたは幸せにはなれない。
理由は二つある。
一つ目の理由は、「人は満足を知らない生き物だから」。
ここで僕自身の話をしよう。彼女さえできれば幸せになれると信じ、彼女を作るための努力を続けて十数年。ほとんどの努力が空回り。でも今年になってやっと彼女ができた。確かに毎日は充実している。でも彼女ができたことで幸せになれたかというとそうではない。彼女ができても、「もっとかわいい子と付き合いたい」「もっと優しい子がいい」とかっていう気持ちがいっぱいわいてきて、そういう意味では彼女ができなかったときの不満と何ら変わらない。彼女ができない苦しさと同じくらい苦しい。―――人の欲ってのは際限なく膨らみ、人を苦しめる。確かお釈迦様もそんなこといってたよね。
彼女ができても幸せになれない二つ目の理由は、「~~であれば幸せになれる、という考えがそもそも間違っているから」。
幸せというものは、自分の外側にあるのではなくて、自分の内側にあるものなんだ。もっとシンプルにいうなら、「幸せかどうかは自分の気持ちの持ち方次第」ということ。不幸なお金持ちがたくさんいる一方で、つつましく幸せに暮らす人がいる。「これが手には入れば幸せ」とか「自分がこうなれれば幸せ」とかっていうのは全く見当違いなんだ。
"今自分が幸せであることを認識することができれば、君は今すぐ幸せになれる"
ってわけ。
必要なのは、幸せを感じる能力を養うこと。「夕日が沈む。なんて綺麗なんだ。ああ、幸せだなあ」みたいに心から感じられるようになること。「マクドナルドのポテトはおいしいなあ」でもいい。幸せになる道は結局これしかないんだよね。
僕は最近になってやっとそのことがわかってきて、充実した毎日を送れるようになったんだ。んで、太り過ぎだった彼女はなんか急にダイエット始めて、ちょっとかわいくなってきた(笑)。
モテるための努力が空回りしているように思うなら、そんなものやめてしまったらいい。女ウケするように苦手なスポーツを始めたり、居心地の悪い服屋さんに入って高い服を買ったり。そんなのもうやめちゃっていい。不特定多数の女に媚びにいって、不特定多数の女に振り回されている君は今、幸せかい?そんな生き方じゃなく、自分のいまやりたいことをやろう。自分の中で誇りに思えることに情熱を注ごう。これさえしていれば自分は時間が経つのも忘れるくらい楽しめる!っていうもの、探せば一つくらいはあるんじゃない?それがたとえ他人から見てつまらないように見えるものであってもかまわない。自分の人生は自分のものなんだから。他人に迷惑さえかけなければね。
そんなふうに変わった君は誰からも輝いて見え、女の子からも好かれるに違いない。自然にそうなるものなんだ。自然にまかせよう。不自然に生きても、苦しむだけだよ。たった一度の人生なんだから。楽しく生きたほうが、いいじゃない?