はてなキーワード: 言論の自由とは
上手く説明してる人がいた。
表現の自由性を保つために制約されるべき表現 - ドサンピン茶
社会において自由な表現の発露が担保されている度合い(以下、便宜上「表現の自由性」
…
A:表現行為の自由性を保持することは、民主主義社会の基盤かつ不可欠な前提であるため。
表現の自由(言論の自由)は弱者が強者による不当な抑圧に対抗するための最終手段であり、これを堅持することは民主的な手続きによって弱者の権利を保護するために極めて重要な事柄である。
ただ、女子のカップ数を表記する自由 v.s. カップ数を批判する自由、が問題なんだよね。
大衆週刊誌サイドの大人による少女読者への不当な抑圧と見ることもできる。これを批判するのはまさしく弱者の権利の保護のシーンに他ならないようにも思える。
筆者は表現の自由性と公共の福祉を重視していて、この2つを抑止する場合のみ2つが制限されるようなルールを紹介してる。けどもし、編集者がカップ数表記を批判したら、それはどうなるのだろうか。編集の指摘は公共の福祉により制約を受けない。けど作者の表現の自由を制約しては、いる。
以下の記事は過去記事になります。はてなー達よ!私は帰ってきた!
https://anond.hatelabo.jp/20220910005727
続まだ山上の安部暗殺事件はテロじゃないっていってるアホがいる話
https://anond.hatelabo.jp/20220910153218
新まだ山上の安部暗殺事件はテロじゃないっていってるアホがいる話
https://anond.hatelabo.jp/20220911020227
最後のまだ山上の安部暗殺事件はテロじゃないっていってるアホがいる話
https://anond.hatelabo.jp/20220912010626
いやなんかブコメ読んだらずっと読んできたのになんでテロの定義を書かないんだ!ってオギャったコメントが多数あって散々テロの定義書いてきたのに日本語読めないやつがいるんだなって
最初にブコメに感じた、学校教育の敗北とか日本の途上国化を再認識させらたんでね、これは書いておこうと。
テロの定義ついては書けよとかいうクソみたいなコメントを多数いただきましたが、もう最初の記事で書かなかっただけで過去記事で何回書いたかわからんです。
過去記事は上にリンク貼ってあるんでそこから辿って読んでください。過去記事からりゃコピペすりゃいいじゃんって人増田を書いたことない人は知らんかもしれんですが、はてな匿名ダイアリーは文字数制限があって少しでも超過すると記事が公開できないうえに書いた記事が消えるんですよ…。
そうなると書きたいことと過去記事からの再掲を天秤にかけることになり、過去記事からの再掲は削らざるえないのです…。
法的な観点や学術的な観点とやらで様々な観点でテロリズムについてご意見をいただきましたが、ここで語っているのは一般的な言葉としてテロについてです。
テロの定義について調べますと政府では第二次安倍政権時代に以下のような答弁が残っています。
テロリズムとは、一般には、特定の主義主張に基づき、国家等にその受入れ等を強要し、又は社会に恐怖等を与える目的で行われる人の殺傷行為等をいうと承知している。https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b193125.htm
以上を踏まえると基本的にはテロとは特定の主張に基づき暴力によって国家や社会に対して恐怖等で影響を与える犯罪となります。
テロかどうか山上本人の動機を理由にする人たちがいるため、彼犯行前に書き残した手紙から引用しますが、
苦々しくは思っていましたが、安倍は本来の敵ではないのです。あくまでも現実世界で最も影響力のある統一教会シンパの一人に過ぎません。https://www.theheadline.jp/articles/659
山上本人も”安倍は本来の敵ではないのです。"と記述がある通り安倍晋三に私怨はなく、社会的な影響を狙って銃撃して殺害したのは明らかでテロ以外何ものでもないです。また現状の統一教会への加熱する報道や国葬報道への賛否等々テロによる恐怖に突き動かされた結果と言えます。
それに、私は選挙期間で元首相の国会議員が演説中に銃撃によって殺されている事件で世界的にもテロでなかった事例はないことそれに尽きると考えてます。
反論がある方は明確に例を示してください、ケネディ暗殺事件は最初の記事からどちゃくそコメントで例に出していただいてますし、過去に既に答えてますがあれも明確にテロ事件として扱われています。
例 日経新聞
首脳狙った世界のテロ事件 ケネディ米大統領など犠牲にhttps://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB083QH0Y2A700C2000000/
ちなみに海外メディアでも安倍晋三暗殺事件をテロ事件として暗殺されたと扱われている例は少し検索したらすぐ出てきました
例 AP通信
Terrorism’: Abe killing seen as attack on Japan’s democracyhttps://apnews.com/article/shinzo-abe-crime-tokyo-freedom-of-speech-b6a34a5269f6c90097eb677071aeb11c
あと犯行声明がないからテロじゃないって意見も記事を定期的に書くようになってから100万回くらい聞いたツッコミですが
911テロも地下鉄サリン事件も犯行声明なんて出てませんし、どちらの事件も首謀者は関与を当初否定していました。
onesplat ブコメもメディアも皆独自の定義をするほど曖昧な「テロ」を語るくせに、自らの定義も示さずただ子供のようにテロだテロだと泣き喚いているのがお前だ。お前にはまともな議論をする意思と能力があるようには見えない
テロの定義はついてはこの記事でも過去記事で散々書きました、あなた最初の記事からコメントしてるので最初から読んでますよね?確信的にギャーギャーキッズみたいに騒いでるだけで何の知性も感じないなとしかあなたには印象ないです。
この方の過去のブコメ読んでみると安倍は死んで当然とか太郎も死ねとかうわぁ…としか抱かない40代ことおじ的な気持ち悪さを感じました。この人のコメントがトップに来る時点で暴力による現状変更賛成!山上は英雄!とかそんなはてな村の気持ち悪さを体現してますね。
ackey1973 “山上は頭のいかれた殺人鬼”。あ、ここは増田と認識が少し違ったわ。個人的には殺人鬼って複数殺人とか快楽殺人に走る人のイメージがある。山上容疑者にはその雰囲気はないな
テロかどうかはどうでもいいわりに、殺人鬼か殺人鬼でないかには妙な拘りあるんですね、調べたら殺人鬼って言葉にも明確な定義はないらしいです。まあ私は殺人鬼か殺人鬼じゃないかは死ぬほどどうでもいいですが。山上が人殺しってことは誰に覆しようもない事実になります。
Domino-R まあオレ定義はともかくとして、現実的にこの犯罪は一般的な刑事事件として取り扱われるだろう。「破壊活動防止法」の要件を満たしていないし、「テロ等準備罪」「内乱罪」にも当たらない。
そりゃ刑事事件だから刑事事件として扱われます、何言ってんですか?そんなの誰でも知ってますし分ってますよ?ちなみに「破壊活動防止法」「テロ等準備罪」「内乱罪」はすべて組織犯罪に関する刑罰なので単独犯であるこの事件はそりゃ要件に満たさないですね。組織的な支援を受けない単独犯的なテロはローンウルフ型テロといわれ近年欧米でも増加傾向にあります。
type-100 結局の所テロの定義について話す気が無いなら、これまでの全ての投稿は無価値でしたね。「お前がテロと思えばテロ」以上の話ではなかった。
テロの定義については過去記事で散々書いてます、たぶん最初から特に記事読んでないんとは思いますがいつも過去記事は頭にリンク貼ってあるのでそこから飛んでみてください。
lady_joker 結局何をもってテロと言っているのかが不明なので無駄な応答が繰り返されているだけなのよね。安倍さんを街宣中に殺したのが不倫相手とかだったらテロではないわけで、線引きはどこにあるの? と大勢が聞いている
この方も最初からコメントくれてますが確信的に以前書いたテロの定義ついて無視してますね、山上は安倍晋三と不倫関係だったなんて初めて聞きましたが?現実は安倍晋三と山上は不倫関係ではありませんし、何度も書きましたが起こした状況や関係性によって呼び方が変わるのは当然です。
上司が部下に殴ったのならそれはパワハラ、夫が妻を殴ったならDV、政治活動中の政治家を殴ったのならそれはテロです。あと山上が安倍晋三の愛人だったと新説発表したのは大勢はいませんでしたあなただけです、おめでとうございます!
ちなみに立民の福山哲郎参院議員が今年の5月に政治活動中に殴られた際は議員本人も立民党も「力によって、言論の自由、表現の自由を封殺し、民主主義を脅かす愚行であり、絶対に許されるものではない」といち早く発表してました。
素晴らしい!立件民主党が民主主義を理念を大切にしてることを示した大変誠実な対応ですね!これからも陰ながら応援してます!
立民の福山哲郎参院議員、朝の街頭活動中に男に殴られる…秘書2人も被害https://www.yomiuri.co.jp/national/20220502-OYT1T50133/
neko2bo ずっと見てたけど結局定義の話に至らなかったでござる。訴えたいのは増田氏自身の気持ちの置き所の話なんですかね?
タイトルに”最後の”をつけたら急にテロの定義が最初から最後まで書いてない!!ってオギャり始めたのなんなんですかね?テロの定義ついて記事を書いた直後くらいはそんな声なかったんですが、まあ本当に最初から見てたんなら確信的に無視してるでござるの巻ですね。たぶん最初についたブコメ(ID:onesplat)がテロの定義について書いてない!ってオギャってたのでみんな真似してオギャっただけど想像してますが。
というわけで踏み絵からの解放、さすがにもうお前は統一教会だあああああああとか言ってくる気持ち悪いやついないでしょ。言ってきても特に相手にしません。
あまりにも読んでなくて腹が立ったんでね@onesplat最初に書いた通り文字数制限あるんで過去記事全部引用してません。定義については散々前の記事でも書いてますしあんたが読んでないだけで基本追記は質問に対する回答です。
ゲームアイコンの他人の死を喜んでるような奴が上から目線で読まずに言ってる時点で幼稚云々以前のレベルだろ
だいたい反論できなくなってますね、ブコメも定義そのものに反論できなくて中傷するくらいしかなくなってるし。上から目線で言ってるわりにアカウントからブログとかTwitter辿れるのほんと気をつけた方がいいですよ、だいたいオギャってるコメントの人達Twitterだとアカウント凍結されてる人だったり、山上と同じ40代以上くらいの人だなって感じだったり。タイトルとかはずっとコメントありましたが映画ネタっすね、邦訳だったりなんで、翻訳が違う!ってのはただの的外れすね。
定義について書くと何も反論できなくて中傷して敗北宣言するのは目に見えてましたがね、40過ぎて自分の学のなさ指摘されたからってコメント書き換えて中傷しだすのはほんとみっともないだけですよ
まだ山上の安部暗殺事件はテロじゃないっていってるアホがいる話
https://www.jcp.or.jp/web_policy/2022/07/20220708-teronikougi.html
一、言論を暴力で封殺することは、民主主義を破壊する最も憎むべき行為であり、強い憤りをもって断固糾弾します。とりわけ、選挙中という民主主義にとってきわめて重要な時期に、卑劣な蛮行が起きたことは、絶対に許すことのできないことです。
https://www.jcp.or.jp/web_policy/2022/07/20220708-shii.html
(神戸で記者団に)安倍晋三元首相への襲撃は、自由な言論をテロで封殺しようという許し難い蛮行であり、強い憤りをもって抗議する。
つまり、明らかな悪政に対してNOの声を上げるのか、それともただ指をくわえて見ているのか
行動を起こすのか、見て見ぬふりをするのか
俺は過去を振り返ったときに、「俺は行動した」と堂々と言える状態を常に確保していたい
「投票をしてない奴は政治に文句を言うな」という話も結局は道徳にかなうかどうかということだ
それに対して言論の自由ガー納税ガーと言っても話は微妙にかみ合わない
コンビニでアイス買う救急隊を叩くやつが熱中症になったら救急車に乗る
ただ醜悪だと言いたいだけ
自民が韓国のカルト宗教の統一教会と関係していることが連日報道されているが、知ってたよ、そんなこと
それを踏まえたうえで、様々なことを考えて到底自民は支持できないと思ったから自民には入れてない
今になって大騒ぎしている世間に苦笑しているが、俺はずっと自民には入れてきてないのでね
こんな日本を作ったのは多くの有権者だが、その中に俺は含まれてない
若い人がこんな日本に誰がしたと言いたいときは、俺を含めるなよ
指くわえて見てただけの奴らはあっちの方にいるから
ホロコーストなんて今どき、それ自体を話題にすることは少ないし、日本の歴史問題の何倍も関心度は低いだろうとは思う。近現代とは言え遥か昔の話だし、同じ枢軸国がやったと言っても日本にはほぼ無関係だ。それに、日本でホロコースト否定論が世間を多少賑わせたのは1995年、阪神淡路大震災やオウム真理教で大騒ぎだった年に、文芸春秋社の月刊誌だった『マルコポーロ』が廃刊になった記事の一件だけである。・・・あ、例のT院長の件もあったな。
欧州では昨年か一昨年にスウェーデンがホロコースト否定禁止法を立法するかどうかの話があったくらい(その後どうなったかは知らないが)、ホロコースト否定論は今も珍しい話題でもない程度には問題にされることがある。現状確か、イスラエルを入れて20カ国弱の国で否定論を公然と主張することには法的な規制がある。ホロコーストの中心地でもあったポーランドでは、否定論ではないがホロコーストについて自国の関与を主張するような言論を禁止する法律が制定されたのも数年前。またアメリカでも、憲法修正第1条で言論の自由が広く認められているせいもあり、ホロコースト否定論の主張をしてもなんらお咎めを受けることはないが、FacebookやYouTube、ツイッターなどの主要なインターネットメディアでは厳しく規制されている(が、実際には消滅したわけでもない)。
いずれにしても、欧米と日本ではホロコースト否定論について、かなりの温度差があるのは事実である。日本では義務教育でホロコーストを習うことなどほとんどないのではないかと思われるが、欧米では必須としている国や教育機関は多いそうである。それでも、関心の大きさから、ホロコースト否定の主張に賛同するような人はもちろん欧米の方が圧倒的に多いだろう。翻って日本ではそもそも関心が薄いので、否定論が目立つことはほぼない。せいぜい、ナチスの軍服を着たとか、ハーケンクロイツの旗を公共の場で掲げたとかで、問題になる程度のことだ。その程度のことで神経質にビクビクしてタブー扱いするのもどうかとは個人的には思うけれど。
何故欧米で、ホロコースト否定が法的に禁止されたり、規制されたりするのか? 最も大きな理由はあんな悲劇を二度と繰り返さないためである。ホロコースト否定はデマであり、ナチの復興を許しかねず、そしてユダヤ人差別につながる。また犠牲者遺族たちの心を酷く傷つけるものでもある。だが、否定論に賛同する人たちはそんなことどうでもいいらしい、それは日本でも同じである。ホロコースト否定に賛同することが非常に危険な行為だなんて、多分考えたことすらないのだろう。
こんなツイートが私の網に引っかかった。
https://twitter.com/masami6666/status/1563353770092003328
ツイート内の画像で示される文書は、そこに書いてある通り「国家社会主義日本労働党(NSJAP) 山田一成」によるものである。ドイツのナチスとは日本語では正式名称を「国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)」と呼ぶ。従って、山田一成が日本のネオナチであることは否定しようもない事実である。ググればわかるが、ネット上の基地はこちらである。
また、Youtubeにある「密着24時!日本のネオナチ」というタイトルの動画で山田一成が紹介されているので興味のある方はご覧いただきたい。タイトルにそうあるくらいなのだから、山田自身がネオナチであることを否定してはいないということでもある。
ネオナチなのだから、ホロコーストを否定するのは当然である。ところが実は、傾向として、欧米の主流のホロコースト否定論者、いわゆるプロの歴史修正主義者たちは、ネオナチと結びつけられるのを嫌う。何故なら、思想的にネオナチと見られると、自分達が世間から信用されなくなることを知っているからである。欧米のプロの歴史修正主義者は、ほとんどの場合、ネオナチと関係があったとしてもそれを隠す。世間から信用を失くすと、修正主義者の目的である「否定論を世間的に認めてもらうこと」が困難になると思っているからに相違ない。『ヒトラーの戦争』という歴史書で欧米では超有名なデヴィッド・アーヴィングは、彼をホロコースト否定論者だと書いた歴史学者であるリップシュタット教授を訴えた裁判で見事に負けたが、裁判ではアーヴィングはネオナチの集会に出て聴衆を扇動していたことを暴かれた。しかしアーヴィングはその事実を誤魔化そうとしたくらいだったのである。
あるいはこれもその筋では有名な否定書、1970年台中盤から後半にかけて広まった『600万人は本当に死んだのか?』というホロコースト否定の古典的パンフレットがあるのだが、著者の名前はリチャード・ハーウッドとなっている。が、そのプロフィールに該当する人物は存在せず、本当の名前をリチャード・ベラルという。リチャード・ベラルはイギリスのナショナルフロント(国民戦線)という極右組織の出版物である「スペアヘッド」の編集長だった。何故、実名と実際のプロフィールを書かないのかは、当然、世間に信用されたいからであり、ネオナチが世間に信用されない存在であることを知っているからである。そのパンフレットは欧米の国会議員などに広くばら撒かれた。
かつて、雑誌マルコポーロ廃刊騒動の時に、問題の記事を書いた西岡昌紀とタッグを組んでいた木村愛二というジャーナリストがいたのだが、彼ですらもネオナチ呼ばわりされるのを嫌った。
なのに、上のツイートに賛同的意見を述べたツイートを発した人たちには、山田一成がネオナチであることなどどうでもいいらしい。山田が思想的に偏向しているのは誰の目にも明らかなはずなのに、そんなことを気にすることもなく、ホロコーストなかった説をあっさり賛同する。私たちは普通、ネオナチとか関係なくても、ネットで広められるだけのほんとかどうかわからない主張を、そのまま信用したりはしないと思うのだが、あまりにあっさり信用の方向に流れるのだから、呆れるというかなんというか。その賛同者の多くは、いわゆる陰謀論の方に傾倒するような人たちばかりであることは言うまでもない。
日本にも、ホロコースト否定論の方に賛同する人たちが意外に多い。多いと言っても私自身の感触だけであるが、Youtubeにあるホロコースト否定論の動画チャンネルには6000人強の登録者がいる。否定論動画としてはよくで出来ているので、否定論がどんなものか知りたければ『ホロコースト論争』で検索をかけて、同じタイトルの動画をニコニコ動画でご覧になるといい。Youtubeにアップされた同チャンネルの動画は何話分か削除されてしまっているからである。見ればわかると思うが、それ相当の知識かあるいは調査能力がないと、ホロコースト否定論には簡単には反論し難い。いうまでもなく、ネオナチの怪文書のようなものにあっさり釣られて賛同するような人たちに、その嘘・誤りが見抜けるようなものでは絶対にない。
まぁ世の中、そういうあっさり釣られる人もいる、だけの話なので、別にどうでもいいようなことなのかもしれないが、はてな・増田をご利用の賢い方々には、そんなことはないだろうと思いつつも、注意していただきたいものである。今回は、私のアンチホロコースト記事などはあえて紹介しない。たくさんあるので興味があれば参考にはしてほしいが、興味がなければ特に面白いものでもなく、時間の無駄になるだけだと思う。だが、一点だけ、怪文書に反論しておきたい。
見直し学派は、ホロコースト説は何年もの間に大幅に変わったことを指摘している。
とあるが、そう思えるのは単純な話で、戦後長らく、ホロコーストの実態がよくわからなかったからである。よくわからなかったと言っても、大勢のユダヤ人たち(や、精神疾患患者、同性愛者、ロマ人、その他)がナチスドイツによって死に至らしめられたこと自体は疑いようのない事実として判明はしていた。たとえば、ユダヤ人人口が600万人弱、戦前に比べて減っていることは1945年5月の終戦よりも前にわかっていたくらいだったのだ。何故わかっていたかというと、(これはある資料からの推測であるが)ユダヤ人はユダヤ人共同体の集会所となっていたシナゴーグで名簿管理されていたからであり、各地のシナゴーグの名簿を集計すればたちどころに判明するからである。また、ニュルンベルク裁判ではあのアドルフ・アイヒマンがユダヤ人の処分数はトータルで600万人だと語っていた、とアイヒマンの関係者が証言していたりする。それ以外にも多くの情報が戦時中からすでに世界中に漏れていた。ナチスドイツが極力、ユダヤ人絶滅などの非合法殺戮を極秘に行ったにも関わらず、である。そして、この600万人説は何度も研究調査され、現代までおおむねの数値として、主流の歴史学者からの異論はない。日本人研究者の柴健介氏も自著で「600万人以上」と推計している。
が、細かい話はよくわからなかったのである。たとえばあのアウシュヴィッツで殺されたユダヤ人の実数は当初は全然わからなかった。何故ならば、アウシュヴィッツで殺されたユダヤ人の大半は、囚人登録もされておらず、ガス処刑死体は焼却処分されて、残った骨などは砕かれて近くのヴィスワ川やソラ川などに捨てられてしまったのだ。アウシュヴィッツを解放したソ連は、絶滅された総計を400万人とした報告書を提出したが、死刑に処せられたアウシュヴィッツ司令官を最も長く務めたルドルフ・ヘスはそれを否定して最終的には120万人くらいだと自己推計した(記録を取ることを許されなかったので、ヘスでさえ推計するしかなかったようである)。このヘスの値が現在判明している犠牲者数(110万人)に非常に近いことが判明するのは1980年代後半まで待たなければならない。ソ連の400万人説は、それっぽく推計したようには書いてあるが、どう考えても囚人の生存者の証言を元にしているとしか考えられない。何人もの囚人が400万人くらいだと語っているからである。が、それらは皆、生存者自身が推計値、あるいは収容所内の噂だと語っているに過ぎないもので、囚人に正確な数字が分かったはずはない。
あるいはナチスドイツが最初に作った強制収容所であるダッハウ収容所のガス室についてであるが、ダッハウ収容所は米軍が解放した時に、何千体もの死体があったのだ。これらの死体の大半は割とすぐに餓死や疫病の死体だと判明したようであるが、ダッハウにはガス室もあった。そのガス室にはダミーシャワーがあり、毒ガスの元を投入するような仕掛けまであった。そのガス室のすぐ隣には火葬炉もあった。もちろんその建築物のそばにはたくさんの死体が山積みになっていた。こんな状況で、「ガス室で大量殺戮をおこなっていた動かぬ証拠だ!」と誤解するなという方が無理である。米軍には当然、マスコミの記者たちも従軍していたので、そうしたガス室殺戮の話はすぐに広まったのである。
ところが、よくよく調べてみると、ダッハウのガス室でのガス殺処刑の証拠は、ほぼないに等しい状態だったのである。確かに、ガス処刑については、裁判での証言者はいたが、たったの一人なのである。それ以外には一通の文書証拠と、イギリス人諜報員の捕虜が語ったとされる伝聞証言程度のもので、他には何もなかった。一方でアウシュヴィッツのガス室については、証言だけでも大量に存在するし、なにより加害者側証言もかなり存在し、その最大のものとしては司令官だったルドルフ・ヘスが事細かに証言し、自叙伝にまで書いているのだ。ガス室・ガス処刑があったことを裏付ける証言以外の証拠も豊富である。(もちろん修正主義者は証言は全て嘘であると主張し、アウシュビッツのガス室を裏付ける証拠など絶対に認めない)
これらの内容は、具体的に歴史家などが調べなければわからないものばかりなのである。ダッハウのガス処刑証言が一人しかいない件だって、裁判記録を調べなければ判明しない。したがって、ダッハウなどの収容所現地にたくさんの死体があったことが原因で、誤った説が戦後長らく広まっただけの話なのだ。そうした事実を、あたかも、ディープステートのような闇の陰謀者が、初期のホロコースト説が杜撰なので、それをもっともらしい説に変えていった、かのようにネオナチは主張しているのである。つまりは、ネオナチ・修正主義者は論点先取、最初から話を陰謀論・ホロコーストは捏造と決めつけていることがわかる。
ダッハウのガス室が捏造だと主張するのであれば、何故証言者がたった一人しかおらず(陰謀実行者は偽証証言者を何故たくさん用意しなかったのか?)、文書記録やあるいは物証としての死体解剖してもガス処刑された死体としか判別できない死体がなかったのか(陰謀実行者なのだからそれらを用意して当然だと思うのだが?)、説明がつかない。その実際にいた証言者(フランツ・ブラーハ)とて、たかが数名の処刑のその後の死体を見た、と言っているだけである。ダッハウのガス室が連合国による捏造なら、そんなあやふやな頼りない、犠牲者も少ししかいない証言がたった一つだなんて、あまりにも変である。
反論はそんなところ。こんな馬鹿げた幼稚な説でも、賛同する人がいるのはしょうがないかなーとは思うけど、何が事実で真実かを知りたいのなら、もうちょっと知恵を絞って考えてみるという気は起きないの? と思ったりはする。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4723899693252865794/comment/yn3n
まず、銃で他者の生命を奪う「暴力」と、反社会的な行為を行う団体への「批判」は全く異なる物です
これを混同してしまうのは、全ての「批判」を「暴力」と受け取ってしまう異常な考えを持っている方だけです
日本には言論の自由がある為、「批判」は「暴力」と異なり、実行しても社会から排除される事はありませんし、またそうするべきでもありません
一方、言論統制が行われたかつての大日本帝国は、「批判」が社会から排除された例の一つです
その原因になるのは「批判」を行っている人々ではなく、全ての「批判」を「暴力」と思いこんでしまう知能を持った人々の存在の影響が大きいでしょう
これは、いろいろと考えさせられるいい文章だと思った。永井陽右という青年を振り回すかのように語る内田樹。こういうマウントは嫌いじゃない。
ただ、内田が、
「感情の器」って、あくまでも個人的な身体条件のようなものだから。
というとき、何か逃げた回答のような印象を受けた。
たとえそれが自分の中から湧き出す内発的なものだとしても、大昔にアダム・スミスが道徳感情論で追求したように、何かのテコで共鳴し、社会の規範を構成するに至るメカニズムが何かしらあるんだろうと俺には思えてならない。
そういう感覚を身に着けるのにどうすればいいかと問うた永井氏に、家風だとか、弟子入りだとか、そんな表現を内田氏がするのは、けむに巻いているようにしか思えなかった。
家風にしても弟子入りにしても、そのつながり方が、社会規範にむすびつくメカニズムがあるはずだ。
アレックス・カーが20年前に書いた本で『犬と鬼』という著作がある。
おりしも建設省に代表される特別会計の闇が浮き彫りになった時代。
アメリカの7倍のコンクリートを使って日本の山河をコンクリートで固めようとしていた、公共事業のあり方に疑問を呈した名著。
その『犬と鬼』のなかでカーは、そんな日本に至った問題を解明するヒントは「徳の逆説」にあるという。
「徳の逆説」というのは、国家も人も同様に、自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する傾向があるという、カーが常々思っている真理を彼なりに名付けたものだ。
A・カーは、フェアプレイの精神といいつつ、七つの海を支配した大英帝国の事例、平等を錦の御旗にしていた共産主義者のトップが黒海に豪奢な別荘を保有し、人民は実質的に農奴と変わらない生活だったというソ連の例などを挙げつつ、最後に、和を貴ぶ日本人がなぜ明治の開国後、対外侵略に夢中になったかという精神性に触れてゆく。
「徳の逆説」は、身近なところでも当てはまる。口うるさい親や上司の説教がブーメランに思えてならない、という経験は誰もがしているはず。そして気が付くと俺も親父と同じことを子供に、という連鎖。
最近、想起するのはやはり旧統一教会。家族の価値を高らかに謳いあげておきながら、その活動が原因で多くの家族が崩壊している、といった、「おまゆう」問題。崩壊させているがゆえにますます高まる家庭の価値、という悪循環。これもA・カーのいう「徳の逆説」が見事に当てはまる。これは人が自分自身を規律しようとするときの動機付けのメカニズムなのだ。
内田と永井の議論のテーマのひとつである人権・平等。あたかも普遍的な原理についても、
それを概念として具体化して社会が取り込んだ過程を決して忘れてはならない。
アメリカの建国者の一人、トーマスジェファーソンは人権宣言を起草した当時、200人以上も奴隷を抱えていた。
これは矛盾というよりも、むしろ奴隷制にどっぷりと漬かっていたからこそ人権宣言が生まれたという「徳の逆説」のメカニズムを見るべきだろう。
どんなに薄汚れた社会であっても、一度高らかに掲げた理想は、その社会を真綿で絞めてゆく。欲望大全開の人民を前提にすると、民主政は成り立つのか。多数決をすれば少数者が圧政に苦しむのではないか、これがマディソン含め、建国者の懸念だった。しかし、為政者の徳(アリストクラシー)と、欲望とは別に社会で正しいと思うことに投票する、二重人格的な資質が人民に備わっていると信じて建国者はデモクラシーを設計した。裁判を通じ、繰り返し憲法の価値観をテストする、という振り返りをビルトインした設計は本当に優れたものだ。結果として、最高裁が突き付けた奴隷制と財産権の矛盾が、南北戦争の北軍の正当性を決定的にする。
内田の議論に戻ると、外付けの人権というテーマと同時に、内発的なものとしての感情の器という、とても重要なキーワードを出している。それは他方で外付け実装された人権と、どのような整理ができるのだろうか。
「人としてどうふるまうべきか」を子どもに刷り込むのは「家風」なんですよ。子どもたちは親の背中を見て、人間としての生き方を学ぶ。それは教科書で教えることじゃない。
これは、親子を中心とした自分史と言い換えられるのではないかと思った。さらにいえば、自分史は必ずしも親は関係ないかもしれないのではないか。つまりこれまでの人生、来し方がキーなのでは。
内発的なものと外付けのもの、この二つはやはり、きちんと切り分けて、そして二つが、どうつながってゆくのか。以下、自分なりに整理を試みる。
舶来の概念というのは明治以来、洪水のように入った。民法など契約法の世界は、ほぼほぼ圧倒されたし、戦後は憲法そのものがアメリカの経験に基づいたものだ。
しかし、日本の人権教育は、残念なことに、人権の普遍性を論証することに熱を上げてしまって、そもそも誰の内発的な経験がもとになっていたかという成り立ちのメカニズムを忘れた議論が多い。公共の福祉論などをいくら学説や定義を整理してきれいに論じても、だから何?の議論だった。
戦後、人権を外付け実装してきた日本は、そのルールや規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要がある。それは教養として。
今現在、旧統一教会問題で話題の、国家と宗教というテーマにしてもそうだ。
政教分離のキーワードとなるのは、恐怖からの解放だ。宗教に悩まされ、その扱いに苦慮するのは古今東西の課題だ。宗教といかに折り合いをつけた制度設計をするか、古代ローマ時代からずっと抱えてきた。宗教的寛容、これが統治のカギだと気が付いたのはカルタゴに勝利した古代ローマ。
そのテーマに対して、新天地アメリカに到着したプロテスタントたちの子孫が18世紀になってメイフラワー号の協約を思い出して試みたのは、旧世界では試みたことのない壮大な社会実験だった。百家争鳴な多様性のなかで社会を構成するには、誰が正しいことを言っているのかは誰も断定できない、という前提に立つ必要が再確認された。それが言論の自由の関係では、20世紀初頭にホームズ裁判官らに代表されるように、自由市場の比喩が生まれる背景ともなった。
他方、旧世界のフランスでは、唯一の正しさを神に代わって宣言するカトリック教会の権威と苛烈な弾圧が恐怖であった。だから公共空間の合理化を徹底し、宗教を一掃する制度設計になった。フランスの言論の自由は、その意味でカトリックを否定する権利が原点となる経験なのだ。だからこそ、フランスでは今でも神を冒涜する言論というのが非常に重要な意味をもっていて、先日、仏風刺紙シャルリー編集長が英作家ラシュディ氏襲撃を非難したことの歴史的な背景は深い。
このように、人権というものは、何に対して恐怖してきた歴史があり、生まれてきたものなのか、という原点に思いを致すことが大切だし考えるコツだ。利他性じゃなくね。
それは、実は国によって微妙にコンテクストが異なるものであり、普遍的価値として昇華できなくもないけれども、むしろ司法を通じて、原点となった恐怖を大切に思い出す機会が重要で、その社会が、その真理を繰り返し確信し、制度を強化し、再生産する重要な仕組みなのだと思う。逆に言うと、普遍的な価値なら、なぜ何千年も克服できなかったかの意味を問うというか。
しかし、外付けの倫理として受け取ったものを、思い出すかのように歴史を振り返るのは容易ではない。戦後の日本の裁判所も含めて。
でも、それこそが日本の人権教育に欠如したものだということは個人的には強く思うところだ。
その意味では、外付けではない、外国の借り物ではない、内発的なもの、感情の器からみえてくる倫理、これは本当に大きな価値がある。
内発的なものを自省するうえで、もっとも大切なのは、自分の国や自分の家族、自分自身の歴史だと俺は思う。
自分や自分の先祖が痛い目にあってきた経験、あるいは他者を痛めにあわせてきた経験というのは、その人固有のものであって、その自分史や国の歴史を忘れてしまうと、あとは外付けの倫理だけが残る。国レベルで言えば、それは端的に明治以降の日本のアジアや欧米との対外関係であり、開国以降、アメリカに敗北するまでの戦争に明け暮れた体験に他ならないし、国家神道によって死生観まで国に洗脳されかけた手痛い経験だ。
歴史というと大げさだが、要するに「自分たちに最も欠けている資質を最も高く評価する」、おまゆう精神を自覚することだ。これは教養として学ぶというよりも、もう少し内省的なものだと思う。
自分が理想とするものと現実とのギャップを振り返る作業といってもいい。
自分に欠けている部分、そこにこそ追い求めている何か理想的な姿の反転がある、という振り返り。
ネイションとしていえば、戦争体験の振り返りが重要なキーになるし、国家と宗教というのは、国家神道と戦争という経験で痛い目をみているのであり、ある意味、輸入された欧米の経験を教養として追体験するだけではなく、日本人が原体験としてもっていた大切な教訓。愛媛県靖国神社玉串料訴訟(1997年)の最高裁判決は行政が戦没者の遺族の援護行政のために靖国神社などに対し玉串料を支出したことを違憲とした歴史的な判決で、戦争の経験がしっかり振り返えられた、という点で、司法の仕事としてとても大きなものを残したと思う。建国の精神を振り返るのが裁判所の仕事の一つだと思う。
しかし、戦後77年。戦争体験が風化するなかで、「あの時代を生き抜いた」という共通の体験、共通項として持っていたものがどんどん失われているのが今の時代。
50年前の高度成長期だったら、戦争で死んだ部下を思い出しながら、仕事にまい進し、酒場で同期の仲間と語り合う、とか、厳粛に生きるための厳粛な死が記憶としてあった。
「あの頃は」という共通の過去で人はつながることができた。それが内発的なものとして60年安保闘争を支え、水俣の闘争があった。外付けの倫理ではない、思い出としての切実さの空気の共有があった。
つまり、舶来の外付けの価値観と内発的な器は、その頃はわりと調和していた、といえるのだ。
それが、失われ、外付けの価値観だけが、カラカラと空回りし始めているのが今の時代の特徴で、失われつつある寛容性の正体なのだろう。
永井氏はそんな時代に生まれ育った。彼は対談のなかで、大学時代に
と、外付けの人権から始まったと語っているが、外付けのものにも普遍性のみに着目し、それが生まれてきたプロセスを振り返らない、人権教育の失敗が見て取れる。
また、日本国憲法に組み込まれた歴史への反省(前文含め)も記憶の風化とともに、個々人の内省が、時代への共鳴という形で、共感を醸成しなくなってしまっている。
それはかろうじて80年代までは存在していた。「おしん」が異例の1年間の朝ドラで始まってしばらくすると、
視聴者からは、おしんは私自身そのものです、という声が橋田壽賀子のもとに多数届いたという。
しかし、時代は変わって、平成から令和になって「あの頃」といえば、昭和の末期なのだ。
しかもそれをノスタルジックに思い出す、三丁目の夕日的な振り返りだった。さらには、あさま山荘であり、学歴社会、バイクを盗んで走る尾崎豊であり、バブルの思い出なのだ。それは、その遺産に苦しんだ次の世代にとっては共感を呼びにくいものであるし、自分たちの社会の重圧と、戦争の記憶との関連が薄まった。当然、日本国憲法のリアリティが失われ、右派から改憲論議が盛り上がってくるのは必然的なことだった。そんななか、統一教会が国の内部を白アリのように巣くって愕然とした先月から今月にかけての出来事というのは、忘れかけた宗教と国家の結びつきの恐ろしさを、突如呼び覚まされるものだったに違いない。
しかし、いずれにしても過去の記憶と憲法の規範が直接に結び付かない、その世代の経験、そこに、永井が紛争国の辺境の地を自分のテーマに選んだヒントがあるように思えてならない。
紛争のリアルがそこにある。そこに普遍的価値として大学生のときに知った人権、そして憲法の価値を、自分なりの振り返りとして再確認する、動機付けがあったようにも思う。
しかし、たとえ社会の人々と共有されないものであったとしても、ひとは自分史のなかで、どうふるまうべきかを動機付けられる。
私は逆に、子どもの頃はよく母親に殴られたり色々と物を捨てられたりされていて、そのときに「この家では力を持った奴は殴ったり物を捨てたりしていいんだな」と思ってしまったんです。そして中学生になって殴られたときに「よく見たら小さいし別に喧嘩が強いわけでもないな」ということに気が付きまして。それでそこからは自分が母親のことを殴りまくるようになりました。ひどい時はアザだらけでしたよね。父親も単身赴任でしたし。
といったときに、内田はそこにしっかりと気が付くべきだったと思う。
「全然、人権派じゃないね(笑)。」と返した内田に若干物足りなさを感じたのは、まさにそこだ。
動機付けられるものが、必ずしも、家風であったり、模範的なロールモデルとは限らないのだ。
この体験と辺境の地での人権探し、自分探しは、多分無関係ではない。
読んだのは20年前だが、年齢を重ねれば重ねるほど、彼のいう、逆徳精神の考え方が真理に思えてくる。
A clue to the problem may be found in what I call the theory of Opposite Virtues. Nations, like people in this respect, may pride themselves most highly on the quality they most lack. Hence “fair play” is a golden virtue in Great Britain, the country that attacked and subjugated half the globe. “Equality” was the banner of Soviet Russia, where commissars owned lavish dachas on the Black Sea and the proletariat lived no better than serfs. The United States prides itself on its high “moral standard,” while perpetuating racial and moral double standards. And then there is l’amour in France, a nation of cold-blooded rationalists. Or Canadians priding themselves most on being so distinctively “Canadian.” In Japan we must look at the time-honored ideal of Wa, “peace.” Wa means security, stability, everything in its proper place, “knowing what is enough.”Yet a persistent irony of Japanese history since 1868 is that for all the emphasis on peace and harmony, they are exactly the virtues that Japan did not pursue. At the end of the nineteenth century, rather than settling back to enjoy its new prosperity, Japan embarked on a campaign to conquer and colonize its neighbors. By the 1930s, it had already acquired a tremendous empire in East Asia; this inability to stop led to its suicidal attack on the U.S. base at Pearl Harbor, as a result of which it lost everything. Something similar is happening again. Perhaps Japan values Wa so highly for the very reason that it has such a strong tendency toward imbalance and uncontrollable extremes.
何やったのか当時の反応を含め記憶が曖昧なので内閣支持率を元にトピックスを書きだした。
先月末に同様の記事を書いたが今月大幅に支持率が下がったので追記して記載。
前月と比較して7%以上内閣支持率の増減があったときのみ書き出した。
最初は5%増減で書こうとしたけど時事を調べるのが面倒で無理だった。
トピックス以外の雰囲気を掴む為、次のようなものも合わせて記す。(適当に作った)
内閣支持率の出典
anond:20220805225632 Part1 〜学問の自由とその濫用〜
anond:20220805225835 Part2 〜ポリティカル・コレクトネスという言説戦略〜
anond:20220805230017 Part3 〜Academic Bill of RightsとProfessor Watch List〜
anond:20220805230307 Part4 〜キャンセル・カルチャー批判〜
anond:20220805230534 Part5 〜Ahmedが見立てたキャンセル・カルチャー批判のメカニズム〜
anond:20220805230705 Part6 〜質疑応答〜
https://www.youtube.com/watch?v=FP8rL7KfisI&t=3920s
Sara Ahmed, "You Are Opressing Us!"
「誰かがノー・プラットフォームにされたと言うためのプラットフォームを与えられ続けたり、あるいは口を封じられたことについて延々と話をしていたりする時、そこにはいつもパフォーマティブな矛盾がある。しかしそれだけではない。そこであなたが目にするのは、権力のメカニズムなのだ。」
「自分がすでに抱いている信念を裏付ける証拠を求める欲望は、時に、その証拠を生み出すための挑発や威嚇につながることがある。
侮辱的な言語行為が次々と述べられるのは、侮辱され気分を害してほしいという欲望があり、他者が気分を害するせいで『われわれの自由』が制限されるのだという証拠を望んでいるから、である。」
この枠組みを非常に早い時期に的確に指摘したのが、イギリスのフェミニストとして知られるSara Ahmedです。
2015年のブログ記事でAhmedは、ガーディアン紙に掲載された、これ別の書簡なんですがこれも公開書簡です、
「個人に対する検閲や口封じを許すことはできない」というタイトルの公開書簡を取り上げます。
トランスジェンダーについてあるいはセックスワークについて特定の批判的見解を持つフェミニストたちが、
大学で沈黙させられているというふうに主張するものでした。ちょっとここ分かりにくいんですけど、
2015年の英国のこの文脈では、沈黙させられているというふうに主張しているフェミニストたちというのは、
階級的にもそれからジェンダー・モダリティという点でも、いわば多数派の側になります。
Ahmedは、公開書簡で取り上げられている例というのが実際には、特定の見解を理由にした検閲だったりノー・プラットフォーミング、
ノー・プラットフォーミングっていうのはイギリスの運動なんですけど、
イギリスの学生運動の中で採用されてきた戦略で、非常に危険で受け入れ難いと見なされた見解とか信念、それこそネオナチとかです、
そういうものを公開する機会そのものを提供しない、そういうのがノー・プラットフォーミングといわれるんですが、
ただAhmedは、この公開書簡で取り上げられている例が実際には、
そういう検閲とかノー・プラットフォーミングには当たっていなかったということを、事実を確認した上で、
にもかかわらずこれをあえて、キャンセル、検閲、口封じ、ノー・プラットフォーミングという形で主張することで、
これAhmedの引用なんですが、
「誰かがノー・プラットフォームにされたと言うために
そういう発言をするためのプラットフォームというのを実際には与えられ続けていたり、
あるいは口を封じられたことについて延々と話をしていたりする時に、そこにはいつもパフォーマティブな矛盾がある。
しかしそれだけではない。そこであなたが目にしているのは、権力のメカニズムなのだ。」。
検閲され口を封じられたはずの側がより力を獲得する、そういう目的のためにされていると。
だからこそ、検閲され口を封じられること、言い換えればキャンセルされることというのは、ここではむしろ求められている。
キャンセルされたいんですね、どっちかっていうと。
次の引用ですが、
「自分がすでに抱いている信念を裏付ける証拠を求める希望は、時に、その証拠を生み出すための挑発や威嚇につながることがある。
侮辱的な」、これoffensiveですね、「侮辱的な言語行為が次々となされるのは、侮辱され気分を害してほしいという欲望があり、
他者が気分を害するせいで『われわれの自由』が制限されるのだというその証拠を望んでいるから、なのである。」。
だからキャンセルされると、そのキャンセルされた人ということでどんどん力が集まって、むしろキャンセルされたい。
キャンセルされるために、より侮辱的な、よりoffensiveな言葉が発せられるという、そういう仕組みができてるというのが、
Ahmedの見立てなんですね。
「この書簡は、フェミニストの発言は自由になされるべきで、健康で活発な民主主義のしるしである討議や対話を可能にするものだ、と考えている。しかし、トランフォビアや反トランスの発言を、ハッピーなダイバーシティの食卓で自由に表明してよいような、ただのありふれた観点として扱うことはできない。食卓を囲んでいる誰かが、別の誰かを抹消するべきだと、意図的あるいは事実上主張しているときに、対話などしようがない。あなたを会話から抹消したがっている誰かと「討議や対話」をするとしたら、「討議や対話」はそれ自体が抹消のテクニックになる。特定の討議や対話を拒絶することこそが、したがって、生き延びる鍵となる戦略になりうるのである」
学問あるいは言論の自由というものを支点とした、抑圧側と被抑圧側の逆転の構図、
表現を変えるのであれば、抑圧されて周縁化されてきた側からの異議申し立てを封じるための口実、
今日の報告では、90年代からこの図式が少しずつ洗練されつつ引き継がれた様子っていうのをざくっと見てきたわけですが、
その図式が現時点で到達しているのが、自由が侵害された口を封じられたという主張が、
実は封じられることもなく自由に繰り返され拡散されることで、力をさらに獲得している、
クリックとアルゴリズムの時代のキャンセル・カルチャーというパワーメカニズムだ、ということになります。
だからこそ私たちは、国家や強力な組織、経済あるいは社会規範の要請などから、学問の自由というものを守ると同時に、
現代の今2022年時点の学問の自由というのが、もろ刃の剣であること、学問の自由の特定の利用には警戒すべきであるということを、
忘れてはならないと思います。
最後にこういう自由の濫用というものをサバイブするためにAhmedが提唱した戦略を引用して、私の報告を終わりにしたいと思います。
健康で活発な民主主義のしるしである討議や対話を可能にするものだ、というふうに考えている。
ハッピーなダイバーシティの食卓で自由に表明してよいような、ただのありふれた観点として扱うことはできない。
食卓を囲んでいる誰かが、別の誰かを抹消すべきだと、意図的あるいは事実上主張しているときに、そこに対話など存在しようがない。
あなたを会話から抹消したがっている誰かと「討議あるいは対話」をするとしたら、
特定の討議や対話を拒絶することこそが、したがって、生き延びる鍵となる戦略になりうるのである」。
ありがとうございました。
anond:20220805230705 Part6 〜質疑応答〜
anond:20220805225632 Part1 〜学問の自由とその濫用〜
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anond:20220805230307 Part4 〜キャンセル・カルチャー批判〜
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anond:20220805230705 Part6 〜質疑応答〜
https://www.youtube.com/watch?v=FP8rL7KfisI&t=3428s
57:08~1:05:19
抑圧側と被抑圧側との逆転の構図
抑圧側と被抑圧側とのこのような逆転の構図というのは、2010年代にはオルト・ライトと呼ばれる新興右派、
あるいはそれとも重なるミソジニーに満ちたオンラインの男性主義の主張などにおいて、幅広く利用されるようになっていきます。
もちろんマイノリティを、かぎかっこ付きの「私たち」の外部にある敵というふうに認定する、
その敵の攻撃から身を守らなくてはいけないという形で、当該のマイノリティへの抑圧や暴力を正当化していくっていう、
その形というのはもちろんその以前から、
例えば排外主義において、あるいはモラル・パニックにおいて広く見られてきたものではあります。
9.11の同時多発テロの後、対テロ戦争期の欧米各国におけるイスラムフォビアの暴力っていうのはこういうものだったわけですし、
あるいは70年代80年代に、同性愛者とりわけゲイ・バイセクシャル男性というのを、
当時は性的捕食者、セクシャル・プレデターっていうんですけれども、性的捕食者あるいはHIVウイルスの拡散元として、
非常に激しくバッシングしたのが英米のモラル・パニックっていうのになるんですが、これなんかがすぐ念頭に浮かぶと。
じゃあそのオルト・ライト勢力やオンライン・ミソジニー・アカウント群を巻き込んだ、2010年代の特徴っていうのは何かっていうと、
これ単にマイノリティ側を、自分たちを脅かす敵なんだというふうに認定するだけではなくって、
マジョリティ側が力のある側が、自分たちを「差別されている」「抑圧されている」、あるいは「自由を侵害されている」という形で、
はっきりと、私たちこそが「被害者である」「被抑圧者である」という形で、語り始める点にあると言えるかもしれません。
そういう語りのこの後もいろいろ出てくると思うんですが、
今のところ最新の形がいわゆる「キャンセル・カルチャー批判」というものになります。
- CAMBRIDGE DICTIONARY
- MERRIAM-WEBSTER
キャンセル・カルチャーという語が急激に知られるようになってきたのは、
2010年代後半のことで、したがってだから、数年なんですよね、
キャンセル・カルチャーの意味とか語法も、現時点で完全に固まってるとは言い難いところがあります。
実際、例えば辞書の定義を見ても、Cambridge Dictionaryだと、
「社会あるいは集団、とりわけソーシャルメディアにおいて、自分を傷つけ侮辱すること」、offendという言葉ですが、
「自分を傷つけたり侮辱したりするようなことを言った人を完全に拒絶したりとか、
あるいはその人への支持をやめたりする振る舞い方」、いうふうに定義している。
それに対して、もう一つ別の有名な辞書でMerriam-Websterなんかを見ると、
「不同意を表明したり社会的に圧力をかけたりする手段として、集団でキャンセル行為」、
このキャンセル行為というのは「公に、とりわけソーシャルメディアにおいて、特定の人や組織への支持を撤回すること」なんですが、
「集団でキャンセル行為を行う実践」っていうふうにしていて、だから重点がちょっと異なってるんですね。
またピュー・リサーチ・センターによる2020年時点の調査では、
リベラル寄りの人々は、
キャンセル・カルチャーというのは、ある人に自分の言動に対する責任を取らせるためのアクションと捉える傾向が強い。
それに対して保守派に寄っていく人ほど、
同じキャンセル・カルチャーを検閲であるというふうに捉える傾向があるということが明らかになってます。
つまりある人々が、差別的だったり暴力的だったりするなど社会的・文化的に問題があると思われる言動を、
放置しないために取るアクションだ、ってふうに考えているものが、
より保守的な別の人々にとっては、これがつまり「キャンセル・カルチャー批判」の文脈になるわけですけど、
そちらの人々にとっては、それが集団での圧力とか検閲とかっていう形で理解されている。
言い換えれば、「キャンセル・カルチャー批判」という形でのキャンセル・カルチャーってのは、そもそもの最初から、
しばしば多数派である鉤括弧付きの「私たち」の言動を、差別的とか抑圧的などと非難することで、
「私たち」の言動を検閲する抑圧する、あるいは「私たち」を差別する圧力というふうに定義することができる。
だから先ほどからお話ししている逆転の構図を含み込んだ用語っていうのが、キャンセル・カルチャーだと言えると思います。
「正義と開かれた議論についての書簡」(通称「ハーパーズ・レター」2020)
153の署名: ノーム・チョムスキー、サルマン・ラシュディ、マーガレット・アトウッドなど
「人種的、社会的正義を求める強力な抗議運動」や「とりわけ高等教育、報道、慈善事業、そして芸術活動など、社会におけるより一層の平等と包摂を求める声」というような「必要な過去の清算(reckoning)が、同時に、開かれた討議と差異に対する寛容さという規範を弱体化させ、それよりもイデオロギーの一致を求めるような、一連の新しい道徳的態度と政治的コミットメントを強化してしまっている」
保守派による「キャンセル・カルチャー批判」の事例というのは、とりわけ2020年代になってからはほとんど枚挙にいとまがない。
毎月のように何か出てくるんですが、ただ時間がないので、
ここでは学問の自由に関わる、そして最も知られた例の一つを挙げておきたいと思います。
何かというと、2020年に公開された「正義と開かれた議論についての書簡」というものです。
一般的にはハーパーズ・レターと呼ばれるんですが、その公開書簡なんですけども、
この公開書簡は、当時のトランプ大統領に代表される右派の動きというのは民主主義の脅威であるというふうに位置付ける一方で、
同時に右派はまずいと、だけど同時に左派の間にも異なる見解に対する不寛容がまん延しつつあるというふうにして、
ここの何か不寛容とかそういう表現が、先ほどちょっとお示ししたブッシュ・シニアのポリコレ評価と、
用語としてこう微妙に近似しているのは非常に興味深いところなんですが、
とにかくただこれだけ見ると何でもない主張に見えるんですけれども、
この公開書簡、例えばノーム・チョムスキーとか、サルマン・ラシュディ、マーガレット・アトウッドなど、
非常に有名な人たちを含む153名の研究者・作家・ジャーナリストが署名しているんですけども、
この公開書簡、何でもない、割とこう、どうでもいいというか普通のこと言ってるように見えるにもかかわらず、
公開されるとすぐに「キャンセル・カルチャー自体をキャンセルしようとする公開書簡である」っていう形で、
人種的・性的マイノリティを中心とする若い左派層から大きな批判を受けることになります。
キャンセル・カルチャーという用語は、それどころかキャンセルっていう用語も1回も使われてないんですね。
じゃ何で批判が来るのかっていうと、ここ(=スライド)にあるんですけども、
「とりわけ高等教育、報道、慈善事業、そして芸術活動など、社会におけるより一層の平等と包摂を求める声」というような
「必要な過去の清算」、この清算というのはReckoningという言葉を使うんですが、これが同時にそれは必要だと、
だけど同時にそれが「開かれた討議と差異に対する寛容さという規範を弱体化させ、それよりもイデオロギーの一致を求めるような、
一連の新しい道徳的態度と政治的コミットメントを強化してしまっている」というふうに言うと、
この表現が、とりわけBlack Lives Matterを通じて、
Racial Reckoningって人種的な過去の清算の盛り上がりを迎えていた英米両国においては、
人種主義への批判そのものを不寛容だと見なす「キャンセル・カルチャー批判」の文脈につながる書簡だというふうに受け止められた。
同時に、キャンパスにおけるポリティカル・コレクトネスの批判者として知られていた、
ハーヴェイ・ワインスタインの弁護を引き受けたことで、学生から抗議を受けてハーバード・ロースクールの学部長職を退くことになった、
この公開書簡の公開時にはトランス排除言説の支持者として知られていて、その言動に批判が集まっていた、
この公開書簡が「キャンセル・カルチャー批判」の一翼をなすものと受け取られた一因ではあったと思います。
この書簡は、先ほどもちょっと申し上げたように、例えば左派の代表的知識人と見られてきたチョムスキーが署名をしている。
同時に、ネオコンサバティブの論者である、例えばフランシス・フクヤマみたいな人も署名してるんですね。
つまり従来の分け方で言えば、まさに右も左もなく同意できる原則を語っているように見える。
にもかかわらず先ほどから申し上げているように、
実際には、より若手のマイノリティのライターとか研究者から強い批判が出る結果になった。何でか。
恐らくこれは、後者に当たるより若いマイノリティの人たちというのは、
近年では力のある地位にある人々が、自分たちの差別的・抑圧的な言説の責任を問われたときに、
その批判や糾弾を振り払うために使う枠組みになってしまっている、ということを感じ取っているのに対して、
フクヤマにしてもチョムスキーにしても、ある程度は地位が固まった偉い人たちっていうのは、
その事実をあまりきちんと把握できてなかった、いうことではないかと思います。
anond:20220805225632 Part1 〜学問の自由とその濫用〜
anond:20220805225835 Part2 〜ポリティカル・コレクトネスという言説戦略〜
anond:20220805230017 Part3 〜Academic Bill of RightsとProfessor Watch List〜
anond:20220805230307 Part4 〜キャンセル・カルチャー批判〜
anond:20220805230534 Part5 〜Ahmedが見立てたキャンセル・カルチャー批判のメカニズム〜
anond:20220805230705 Part6 〜質疑応答〜
https://www.youtube.com/watch?v=FP8rL7KfisI&t=2904s
48:24~53:05
伝統的な大学制度における性差別、人種主義、同性愛嫌悪などに挑戦する改革側を、自由を抑圧する権力者として描き出す
ニューヨーク・タイムズ紙コラム「政治的正しさという覇権の高まり」(1990)
ジョージ・H・W・ブッシュ大統領(当時) ミシガン大学におけるスピーチ(1991 (自分の考えを口に出す自由を脅かす不寛容さとしてのポリティカル・コレクトネス)
報告タイトルにもなってるキャンセル・カルチャーというのは、まさにこの文脈で作り出され拡散されてきた用語です。
これは学問の自由だけに関わるものではなく、幅広く文化活動一般に関して使われていますが、
ただ2010年代、後半ですね特に、から急激に広まってきた「キャンセル・カルチャー批判」についてお話をする前に、
その文脈ていうかその前身とも言える、いわゆる「ポリティカル・コレクトネス」っていうものについて少し確認をしていきましょう。
ポリティカル・コレクトネスという語自体は、
元来共産党が打ち出す公式路線に過剰に忠実な思考や行動を指す、ある左派の間の内輪の自嘲的な用語として使われていたものです。
ところがこれアメリカの文脈ですが、古典学者であるアラン・ブルームによる1987年の『アメリカン・マインドの終焉』、
1990年ニューヨーク・タイムズのコラム「政治的正しさという覇権の高まり」、っていうここら辺を契機として、
各種メディアなどにおいて、ポリティカル・コレクトネスを巡る議論というのが沸き起こる。
1991年5月には、当時のジョージ・H・W・ブッシュ大統領、ブッシュ・シニアがミシガン大学におけるスピーチで、
「ポリティカル・コレクトネスというのは自分の考えを口に出す自由を脅かす不寛容さだ」というふうに言及するに至ると。
現在の日本でポリティカル・コレクトネスというと、
専らポップカルチャーでの表現みたいな、映画とか漫画とかそういうことをイメージされるかもしれませんが、
そもそもポリティカル・コレクトネスについての議論というのは、大学という場をその主要な舞台の一つとしていました。
1980年代アメリカの大学では、女性学・アフリカ研究など新しい学部やプログラムの設立、
それからアファーマティブ・アクションの採用、それから大学におけるセクシャルハラスメントへの対応の開始、
それからコースとかカリキュラムの見直しなどが一気に進んでいくことになります。
これらは全部具体的な制度的変更なんですけれども、それと同時に大学における教育研究というものが暗黙の前提としてきた、
性差別・人種主義・ホモフォビアなどの検討と修正とを迫るものでもありました。
こういう変革への抵抗や反感というものを、単に大学という限られた場所における制度上の闘争という形で提示したら、
それはあんまりアメリカの広い一般大衆の興味を引くことはなかったかもしれない。
けれどもこれをアメリカ的価値の根幹に関わる、思想と言論の自由の危機として提示することで、
伝統的な大学制度の覇権に挑戦する改革側のほうをこそ、逆に自由を抑圧する権力者なのだというふうに描き出すことに成功します。
「この国土において不寛容さが増大していること、論争を解決するのに理性ではなく威嚇を用いる傾向が強まっていることに、私たちはみな警戒心をもつべきだ」。
実際に当時、先ほど申し上げたブッシュ・シニアのミシガン大学演説ではこういう言い方がされている。
「この国土において不寛容さが増大していること、論争を解決するのに理性ではなく威嚇を用いる傾向が強まっていることに、
1980年代から続く共和党政権なんですが、ブッシュ・シニア共和党政権は、
例えば女性の性と再生産に関わる健康と権利の獲得に向けた運動というのを、はっきり言って足踏みさせた政権です。
またHIV/AIDSの流行に対して同性愛嫌悪に満ちた対応で、LGBTコミュニティに深刻な打撃を与えてきた政権でもある。
人種主義に関して言えば、国内の人種差別問題というのも当然温存されていて、
このミシガン大学演説の翌年92年には、ロサンゼルスでの人種暴動というものが起きてる。
にもかかわらずこの演説では、政府共和党によるそういう長年に関わる差別や抑圧が一切問題にされないんですね。
この演説が暴力的な抑圧者だとして名指すのは、そういう差別とか抑圧を指摘して批判してきた側のその差別に対する不寛容、
その差別に対する不寛容が暴力だと抑圧だというふうに名指していく。
ポリティカル・コレクトネスという言説戦略
大学という特定の組織における性差別、人種主義、同性愛嫌悪などに対抗することを目的とした取り組みを、思想・言論への検閲であるかのように見せる
つまり右派が持ち出した「ポリティカル・コレクトネス」というのは、
大学という特定の組織におけるセクシズムやレイシズム、ホモフォビアなどに、対抗することを目的とした取り組みというのを、
逆にあたかもマッカーシー旋風の再来を思わせるかのような、思想・言論への検閲であるかのように見せる、
この枠組みは既存の体制に内在する差別や抑圧から人々の目をそらす、
むしろ多数派こそが「ポリティカル・コレクトネス」なる強権的な弾圧というものから、
思想・言論の自由を守って闘う被抑圧者なのだというふうに主張することに成功したわけなんですね。
anond:20220805230017 Part3 〜Academic Bill of RightsとProfessor Watch List〜
2022.7.24 一般公開シンポジウム 「フェミ科研と学問の自由」
https://www.youtube.com/watch?v=FP8rL7KfisI
長いため講演部Part1~Part5+質疑応答の6部に分割する。
分割の境界はスライドにある番号に従うが、副題は増田の判断である。
スライドはすべて図表のない文字ベースのものであったため、引用記法を用いて本文に組み込んだ。
講演部については、「女性スペースを守る会」が公開している文字起こしをベースに、
増田が誤字の修正や、句読点の変更、改行の追加などの編集を行った。
まず、江口聡先生による、8/9のブログ記事は必読だと考える。
加えて、講演に対する批判として書かれたものではないが、一般論として「キャンセル・カルチャー批判」的な立場で書かれたベンジャミン・クリッツァー先生の記事、
なども参考になる。これら2記事は、江口先生も講演に欠いている「ミルのタイプの言論の自由の擁護」として紹介されている。
また、あまり整理がされていないが、この講演に対するTwitter上の批判的な反応を一覧できるものとして、
他、法学の専門家による分析という点で他になく注目に値するものとして、
(あと、この書き起こしを編集している私自身も手前味噌ながら批判記事を書いている。「清水晶子先生の講演を読んで見る (1) 「学問の自由」の定義ってなんだろう」anond:20220809001101 )
anond:20220805225632 Part1 〜学問の自由とその濫用〜
anond:20220805225835 Part2 〜ポリティカル・コレクトネスという言説戦略〜
anond:20220805230017 Part3 〜Academic Bill of RightsとProfessor Watch List〜
anond:20220805230307 Part4 〜キャンセル・カルチャー批判〜
anond:20220805230534 Part5 〜Ahmedが見立てたキャンセル・カルチャー批判のメカニズム〜
anond:20220805230705 Part6 〜質疑応答〜
https://www.youtube.com/watch?v=FP8rL7KfisI&t=2457s
40:57~48:23
清水さんは東京大学大学院総合文化研究科で教鞭を執られています。
研究関心としては非規範的な身体と性の政治、とりわけ身体の他者性、自己表象と生存の戦略、可視性を巡る問題などがあります。
最近は英語圏のフェミニズムおよびクィア理論史を改めて辿ることにも興味があるとのことです。
主な著作に、
Lying Bodies: Survival and Subversion in the Field of Vision、英語の本です、2008年、
「埋没した棘――現れないかもしれない複数性のクィア・ポリティクスのために」、2019年、
『フェミニズムってなんですか?』、2020年、などがあります。
清水晶子:
はい、ご紹介ありがとうございます、清水晶子です。もうそのまま入っていきますが、
本日は「学問の自由とキャンセル・カルチャー」というタイトルで報告をしたいと思います。
少し方向性が違うかもしれないんですが、よろしくお願いします。
学問の自由とは
「学問の自由という原則は、学術コミュニティの構成員、すなわち、研究者、教員や学生が、倫理的規則と国際的水準に関して学術コミュニティが定めた枠組みの中で、そして外部からの圧力を受けることなく、学術的活動を追求する自由と定義できる」
学問の自由というところからいきたいんですが、学問の自由とは何を指すのか。
政府なり場合によっては非常に強力な宗教だったり経済的な権力だったりというところからの圧力を受けることなく、
さらに言えば個々の研究者が、大学当局だったりとか大学の経営陣あるいは多数派の社会的通念・経済的な要請などからの
不当な干渉や抑圧を受けることなく、学問的良心と手続きとに従って真理を探究する自由、というふうに考えることができる。
例えば、1998年の国際大学協会声明「学問の自由、大学の自治と社会的責任」という文書があるんですが、これによると
「学問の自由という原則は、学術コミュニティの構成員、すなわち、研究者・教員・学生が、
倫理的規則と国際的水準に関して学術的コミュニティが定めた枠組みの中で、
そして外部からの圧力を受けることなく、学術的活動を追求する自由と定義できる」というふうにされています。
学問の自由というものの基本がここにあるというふうに考えると、フェミ科研裁判の文脈における学問の自由の主張というのは、
ある意味まさにここに相当するもの、王道の部分というふうに言うことができるというふうに思います。
「過激な性教育・ジェンダーフリー教育調査プロジェクトチーム」
残念ながら、日本でフェミニズムとかマイノリティの政治に関わる研究者にとって、
今言ったような意味での学問の自由というのは、必ずしも安定して保障されてきたものではない。
だからこそ、その必要性というのはしばしば痛感もされてきましたし、主張もされてきました。
2000年代前半のフェミニズム女性運動へのいわゆる「バックラッシュ」いうのがありまして、
ここでは与党自民党のプロジェクトチームにおいて、ジェンダーという語それ自体の使用に疑義が提示されたりしている。
2014年には、いわゆる「従軍慰安婦」問題を取り上げた広島大学の研究者の授業というのが、
先ほども産経新聞出てきましたけど、ここでも産経新聞ですが、産経新聞によって吊し上げにあって、
批判や抗議が大学に殺到し、日本科学者会議広島支部幹事会が学問の自由の侵害であるというふうにして、
産経新聞に抗議をする、声明を出すという事態になったりもする。
もちろんさらに記憶に新しいのは、2020年日本学術会議の会員任命拒否ですね。つまり当時の菅内閣総理大臣が、
日本学術会議が会員候補者として推薦した内の6名の任命を拒否した、というかしなかった件ですよね。
この任命拒否については、憲法23条の保障する学問の自由を脅かすものであるというふうにして、
2011年11月に、日弁連が「日本学術会議会員任命拒否の違法状態の是正を求める意見書」というものを総理大臣に提出をしていると。
この意味での学問の自由の重要性というのは、本日のシンポジウムのいわば前提になっているものだというふうに考えます。
差別的・抑圧的な言説に対して政治的・経済的に力のない側、社会的少数派の側からなされる批判や異議申し立てを「学問の自由の侵害」とする言説
その前提をご確認いただいた上で、私の報告は少し角度を変えて、学問の自由という主張や枠組みがどう利用されているのか、
もう少し強く言うと、どう濫用されているのかでもいいかもしれないんですが、それを考えたいと思います。
今申し上げたように、従来はそして一般的には、学問の自由というのは、
国家とか、強力な宗教団体、経済団体、多数派の社会通念や経済的要請、などなどの圧力を受けることなく、
研究者の社会的通念と研究の手続きに則って真理を探究する自由を指す、というふうに理解されています。
力のある人たちとか多数派にとって都合が悪い、あるいはそこにとって利益にならないというだけの理由で、
研究教育を抑圧したり不当に妨げたりすることを困難にするはずのものです。
ところがこの学問の自由の主張が、全く逆のベクトルで利用されることがある。
すなわち差別的・抑圧的な考察や言説に対して、政治的・経済的に力のない側、社会的少数派の側からなされる批判や異議申し立てを、
これは「学問の自由の侵害」であるというふうにする言説、というのが見られるようになっている。
これは日本国憲法で保障される学問の自由からはかなりかけ離れたもので、何を言ってるんだというふうに思われるかもしれません。
けれども法的な解釈とは別のところで、こういう言説上の戦略というのが一定の効果を持ってきているのも事実です。
二面での闘い
結果として、フェミニストとして学問の自由を考えるにあたって、
私たちは一方では、フェミ科研裁判のように国家による学問の自由の明白な侵害というものと闘わなくてはいけない。
けれども同時にもう一方で、学問の自由というのが、差別的あるいは抑圧的な現状を追認し、
抑圧されてきた側からの異議申し立てを封じる目的で動員されるということに対して警戒をしなくてはならない。
学問の自由を巡っては、フェミニストには現在そういういわば両面での闘いというものが要請されている。
この現状は忘れるべきではないと思います。
実は今日、私からお伝えすべき論点はそこに尽いているので、ここで報告終わってもあんまり問題ないっていう感じなんですが、
ちょっとさすがにそれでは簡便過ぎるので、この後の時間を使って、
こういうタイプの、マイノリティの権利主張を抑圧する目的で動員される「学問の自由の侵害」という枠組み、
この言説というのが具体的にどう現れてきたのか、
これが非常に大きな論点になってきた英語圏の動きというのを中心に、簡単にまとめてご説明したいと思います。
anond:20220805225835 Part2 〜ポリティカル・コレクトネスという言説戦略〜