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2024-02-14

萌えモダリティ

三重交通の件で改めて思うのが、実世界でこれやったら「ちょっとこれは今時どうなんすかね〜」という話になりそうなジェンダー的または性的記号を過度に強調した表象(表情・体型・服装・姿態など)の形式が、二次絵であれば/あるから許容してよい、という考え方が、我々の社会一定の定着を見つつあるのかもしれないな、ということ。

世界における表象と、萌え絵二次絵という表象に対する捉え方を、我々自身が切り替えて鑑賞している。モードが変わっている。俺はふとした瞬間…たとえば改札前で唐突に駅娘の立て看板に遭遇した瞬間に、「なんでこの絵はこんなにオンナオンナした記号性を振りまいてんのかな」という思いが脳内をよぎったりもするけど、その違和感は一瞬で消え去ってしまう。

このとき俺の脳はたぶん、「二次絵はそもそも『そういうもの』だから、疑問に思わなくてもよい」という判断停止によって、よけいな思考エネルギー節約している。楽しんでいるわけではないけど、俺の中の常識との衝突を避けて、平穏気持ちでその異物感を見過ごすことができる。文楽で後ろにいる黒子をいないことにして鑑賞するように。ミュージカル映画でそれまでシリアスなシーンで唐突に歌と踊りが始まることにも驚かずに鑑賞するように。「二次絵鑑賞のモダリティ一般化」という風に言ってもいいのかもしれない(意味的にはモダリティよりリテラシーという言葉のほうがふさわしいのかもしれないけど、リテラシーには「身についてるほうがエラい」というニュアンスがあるから、使わない)。

海外でもオタク層などでこういうモダリティを持つ人々が一定数出てきているのは伺えるんだけど、では今後そういうモダリティがそういう国々でも一般化するんだろうか?ということを考えてしまう。

2022-08-05

清水晶子(東京大学)「学問の自由キャンセルカルチャー」Part5 〜Ahmedが見立てキャンセルカルチャー批判メカニズム

目次

anond:20220805225632 Part1 〜学問の自由とその濫用

anond:20220805225835 Part2 〜ポリティカル・コレクトネスという言説戦略

anond:20220805230017 Part3 〜Academic Bill of RightsとProfessor Watch List〜

anond:20220805230307 Part4 〜キャンセルカルチャー批判

anond:20220805230534 Part5 〜Ahmedが見立てキャンセルカルチャー批判メカニズム

anond:20220805230705 Part6 〜質疑応答

学問の自由キャンセルカルチャー」Part5 〜Ahmedが見立てキャンセルカルチャー批判メカニズム

https://www.youtube.com/watch?v=FP8rL7KfisI&t=3920s

1:05:20~1:10:25

Sara Ahmed, "You Are Opressing Us!"

「誰かがノー・プラットフォームにされたと言うためのプラットフォームを与えられ続けたり、あるいは口を封じられたことについて延々と話をしていたりする時、そこにはいつもパフォーマティブ矛盾がある。しかしそれだけではない。そこであなたが目にするのは、権力メカニズムなのだ。」

自分がすでに抱いている信念を裏付け証拠を求める欲望は、時に、その証拠を生み出すための挑発や威嚇につながることがある。

侮辱的な言語行為が次々と述べられるのは、侮辱され気分を害してほしいという欲望があり、他者が気分を害するせいで『われわれの自由』が制限されるのだという証拠を望んでいるから、である。」

この枠組みを非常に早い時期に的確に指摘したのが、イギリスフェミニストとして知られるSara Ahmedです。

2015年のブログ記事でAhmedは、ガーディアン紙に掲載された、これ別の書簡なんですがこれも公開書簡です、

個人に対する検閲や口封じを許すことはできない」というタイトルの公開書簡を取り上げます

この公開書簡英国でのいくつかの例を取り上げつつ、

トランスジェンダーについてあるいはセックスワークについて特定批判見解を持つフェミニストたちが、

大学沈黙させられているというふうに主張するものでした。ちょっとここ分かりにくいんですけど、

2015年の英国のこの文脈では、沈黙させられているというふうに主張しているフェミニストたちというのは、

階級的にもそれからジェンダーモダリティという点でも、いわば多数派の側になります

Ahmedは、公開書簡で取り上げられている例というのが実際には、特定見解理由にした検閲だったりノー・プラットフォーミング、

ノー・プラットフォーミングっていうのはイギリス運動なんですけど、

イギリス学生運動の中で採用されてきた戦略で、非常に危険で受け入れ難いと見なされた見解とか信念、それこそネオナチとかです、

そういうものを公開する機会そのもの提供しない、そういうのがノー・プラットフォーミングといわれるんですが、

ただAhmedは、この公開書簡で取り上げられている例が実際には、

そういう検閲とかノー・プラットフォーミングには当たっていなかったということを、事実確認した上で、

にもかかわらずこれをあえて、キャンセル検閲、口封じ、ノー・プラットフォーミングという形で主張することで、

どういう効果が目指されているのか、ってふうに問います

これAhmedの引用なんですが、

「誰かがノー・プラットフォームにされたと言うために

そういう発言をするためのプラットフォームというのを実際には与えられ続けていたり、

あるいは口を封じられたことについて延々と話をしていたりする時に、そこにはいつもパフォーマティブ矛盾がある。

しかしそれだけではない。そこであなたが目にしているのは、権力メカニズムなのだ。」。

まり検閲された、口を封じられたという主張それ自体が、

検閲され口を封じられたはずの側がより力を獲得する、そういう目的のためにされていると。

からこそ、検閲され口を封じられること、言い換えればキャンセルされることというのは、ここではむしろ求められている。

キャンセルされたいんですね、どっちかっていうと。

次の引用ですが、

自分がすでに抱いている信念を裏付け証拠を求める希望は、時に、その証拠を生み出すための挑発や威嚇につながることがある。

侮辱的な」、これoffensiveですね、「侮辱的な言語行為が次々となされるのは、侮辱され気分を害してほしいという欲望があり、

他者が気分を害するせいで『われわれの自由』が制限されるのだというそ証拠を望んでいるから、なのである。」。

からキャンセルされると、そのキャンセルされた人ということでどんどん力が集まって、むしろキャンセルされたい。

キャンセルされるために、より侮辱的な、よりoffensiveな言葉が発せられるという、そういう仕組みができてるというのが、

Ahmedの見立てなんですね。

「この書簡は、フェミニスト発言自由になされるべきで、健康で活発な民主主義のしるしである討議や対話可能にするものだ、と考えている。しかし、トランフォビアや反トランス発言を、ハッピーダイバーシティ食卓自由に表明してよいような、ただのありふれた観点として扱うことはできない。食卓を囲んでいる誰かが、別の誰かを抹消するべきだと、意図的あるいは事実上主張しているときに、対話などしようがない。あなたを会話から抹消したがっている誰かと「討議や対話」をするとしたら、「討議や対話」はそれ自体が抹消のテクニックになる。特定の討議や対話を拒絶することこそが、したがって、生き延びる鍵となる戦略になりうるのである

学問あるいは言論の自由というもの支点とした、抑圧側と被抑圧側の逆転の構図、

表現を変えるのであれば、抑圧されて周縁化されてきた側からの異議申し立てを封じるための口実、

あるいは道具としての、学問とか言論の自由の利用っていう、

今日の報告では、90年代からこの図式が少しずつ洗練されつつ引き継がれた様子っていうのをざくっと見てきたわけですが、

その図式が現時点で到達しているのが、自由侵害された口を封じられたという主張が、

実は封じられることもなく自由に繰り返され拡散されることで、力をさらに獲得している、

クリックアルゴリズム時代キャンセルカルチャーというパワーメカニズムだ、ということになります

からこそ私たちは、国家や強力な組織経済あるいは社会規範要請などから学問の自由というものを守ると同時に、

現代の今2022年時点の学問の自由というのが、もろ刃の剣であること、学問の自由特定の利用には警戒すべきであるということを、

忘れてはならないと思います

最後にこういう自由濫用というものサバイブするためにAhmedが提唱した戦略引用して、私の報告を終わりにしたいと思います

「この書簡は」、先ほどの公開書簡ですね、

「この書簡は、フェミニスト発言自由になされるべきで、

健康で活発な民主主義のしるしである討議や対話可能にするものだ、というふうに考えている。

しかし、トランスフォビアや反トランス発言を、

ハッピーダイバーシティ食卓自由に表明してよいような、ただのありふれた観点として扱うことはできない。

食卓を囲んでいる誰かが、別の誰かを抹消すべきだと、意図的あるいは事実上主張しているときに、そこに対話など存在しようがない。

あなたを会話から抹消したがっている誰かと「討議あるいは対話」をするとしたら、

「討議や対話」はそれ自体が抹消のテクニックになる。

特定の討議や対話を拒絶することこそが、したがって、生き延びる鍵となる戦略になりうるのである」。

ありがとうございました。

anond:20220805230705 Part6 〜質疑応答

2018-03-20

めんつゆ使う料理初心者

わかるよ。便利だ。めんつゆは便利。

だって未だに使う。ほうれん草おひたしなんかはめんつゆ使うし、炒めものにつかったりする。

 

でも考えてほしい。

彩りを。

 

ある界隈で「めんつゆばかりを使う女性とは結婚したくない」という話があったが、彼らのそれも真の話。

そして、めんつゆが便利なのも真の話。

料理好きの一人として、めんつゆを使いつつ、他人に飽きられない料理方法を記しておく。

 

料理は8~9割が舌以外の情報である

クロスモダリティ効果でググればいっぱい出てくる。

味の情報は、見た目や香りから情報が強い。これをまず理解してほしい。

逆に言えば、「めんつゆ味」なんてものはこの香りや見た目でどうにでもできるという話です。

 

色(彩り)を加える

一番重要な話です。

めんつゆ料理初心者の人の料理はなにかと料理の色がめんつゆ色(茶色醤油色的な)になりがちです。

例えば煮物なんかわかりやすいですよね。その芋の色が、めんつゆ色です。

この色に類似した色は、料理をする上で絶対に出てしまう色です。例えば、肉を焼いたり魚を焼いても茶色になりますし、チャーハンなんかもお米は最終的にこの色になります

この色は「料理の基本色1 茶色」と勝手自分は読んでいます

 

1があるということは、2もあります

料理の基本色2は「白色」のことです。

簡単に言えば、お米、豆腐パン素麺なんかはわかりやすいですけど、お皿も白ですよね。後は、上記で肉や魚を書きましたが、茹でたりすると白色に近くなります

なので、勝手に「料理の基本色2 白色」と読んでいます

 

めんつゆ料理初心者がやりがちなのが、この基本色しかつかっていない、ということ。

これでは視覚から情報で飽きが来ます

ここでさらに「3色」足してみましょう。

キーワードズバリ信号機カラー」です。

赤:トマトにんじんパプリカ唐辛子など

黄:卵(卵黄)、かぼちゃとうもろこしさつまいもカリフラワーなど

青(緑):葉っぱ物(キャベツレタスほうれん草など)やブロッコリーなど

この三色を加えるだけで圧倒的に美味しく見えます

考えてみればこれは色んな料理がそうです。

例えば肉じゃがも、肉とじゃがいもだけでなく、にんじんが入っているはずです。

オムライスレストランなんかで頼んだ時に、中のチキンライスにはグリーンピースとうもろこしなど、赤色以外の物が入っているはずです。

できる限り、この三色意識しましょう。それだけで「めんつゆ色」の比率を下げることができるはずです。

 

香りを加える

めんつゆ味の一番の要因は個人的にはこの香りだとおもっています

カツオだし香りですね。

このカツオだし香りは実はものすごく美味しい香りなので、めんつゆ初心者めんつゆ料理を作った時に美味しく感じる一番の理由だと私は思っています

しかし、この美味しいカツオだし香り毎日食べていれば流石に飽きがきます

例えば、夏の日に素麺が出てきた時、毎日素麺が続くと飽きますよね。でも、素麺自体に飽きたのではないはずです。素麺を作った炒めものを作るとあんなに飽きたとおもった素麺が美味しく感じるように。

なので、飽きが来ないようにに香りを変えるか加えてやる必要があるのです。

 

ただし、めんつゆを使う以上香りを変えることはできません。(まぁ、にんにくなどを使い無理やり匂いで上書きする方法もありますが…)

と言うよりも、めんつゆ料理が美味しい理由の1つがこの香りなので、下手に変えると美味しくなくなる可能性のほうが大きいです。

なので、一品増やして、カツオだし香り毎日中和することが必要です。

このかつおだしと抜群に相性のよいものがあります

それが「脂質」つまり「油」です。

一品作成時にこの「油」をローテションすることで比較的用意にカツオだしの感じ方を変えることが可能です。

私の場合は、「ごま油」「オリーブオイル」「サラダ油」の三種類ぐらいでローテしています

ごま油であれば、根菜と相性が良いです。土の匂いが強い根菜ごま油調理するとクドくないよい香りになります

オリーブオイルは大体の生野菜と相性が良いです。エクストラヴァージンって書いてあるやつなら火を通さなくても使えます

サラダ油は卵料理や、天ぷらに相性抜群です。普段お使いかとおもいます

 

なので、料理としては「めんつゆを使った料理1品」+「各種油で調理した料理1品」を意識するだけでも全然飽き方が違います

よくやりがちな「野菜炒めサラダ油+味付けめんつゆ)」と言った一品料理ではなく、なるべく分けてあげたほうが良いです。

 

ん?そのめんつゆ以外を使った一品を作るのがめんどくさい?

そうなった時は最悪、スープでもいいのです。かつおだしを他のだしで相殺してしまえばいいのです。

私はよくコンソメを使います。同じぐらい味覇鶏ガラだしベース)も使います

ただ、これで万能だからってコンソメ味覇を使い続けてはいけません。あくまでもローテすること。コンソメ味覇もだいたいなんでも美味しく仕上げてくれるはずです。最近CMでよく見る創味シャンタンもよいですね。

 

誰のための料理

当然、私も料理するのはめんどくさい、できればひたすらに外食にしたいと思っていますが、でも作る以上、食べてくれる人がどうやれば喜んで食べてくれるだろうということを考えると「毎日、味を変えてやる必要があるな」という事を考えたのです。

かに、働く人間に対して、料理というのは唯のエネルギー補給なのかもしれません。愛を込めても1/3さえ伝わらないかもしれません。確かに料理はめんどくさい。上で書いてあることを読んで「結局料理はめんどくさい」と思う人はたくさんいると思います。そして、食べてくれる人はそんな苦労も知らずに「今日はなんでもいい」「簡単ものでいいよ」とメチャクチャを言います。報われないです。

 

でも、「食」という唯の作業も楽しみがなければ拷問だと、私は思います

私は「あなたに苦しんでほしくて料理を作っているんじゃない」と考えました。その結果、食べててきっと楽しいと思ってくれると信じて弁当も作りますし、晩ごはん今日も作ります

 

参考までに今日は、豆腐オクラサラダオリーブオイル使用)とぶり照り(めんつゆ使用)です。

 
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