「言論の自由」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 言論の自由とは

2022-12-14

原作からしたら白人しか有り得ないエルフ黒人(しかも長髪ならまだしも短髪なので世界観ぶち壊し)にするのは許せないし

女子高生バニーガール衣装を着せて尻を丸出しにしたエロ広告を駅の構内にデカデカと貼るのも許せないか

フェミの言ってる事も男オタの言ってる事もどっちも無理だわ

嫌いなものはどんどん批判していいしそれが言論の自由というものだろ

2022-12-11

今更だけど暇空茜ってさ

仁藤が「表現を燃やすからColaboの粗探しして叩くよ!ていってんだよな。

「もう表現を燃やしません」と謝ったら手を引くよとも言ってたな。

他人発言が気に入らないから、

他の部分を攻撃してもう発言しませんと言わせようとする。

それって

仁藤の表現の自由の侵害では???

仁藤のアニメとか絵への批判バッシング不適切なら

言論で対抗するのが表現の自由ってもんなんじゃねえの?

それを他の攻撃方法で黙らせようとするのって

普通に表現の自由や言論の自由に対する侵犯ではないか

会計に疑問があるから明らかにしたい

というなら、仁藤が謝ったら手を引くらしい暇空じゃ不適切だし

ていうか暇空の陳述見た?あれじゃ無理では??と思うし

仁藤とは議論にならないから他の手段で黙らせたいんだ

と言うなら二度と表現がどうこうという看板を掲げるべきではないのでは?

と思う

正直いろんな発言見ると整合性の取れる動機

むかつく女を黙らせたい

という一点にの収束するんだよなあ

にせんまんのカンパねえ……

2022-12-02

anond:20221202090429

専門家じゃないと意見すらしちゃいかんのか?

横だが、良い悪いの問題ではない。良い悪いで言えば個人勝手に話している分には自由

ただ「素人でも付け焼刃の表層的な知識専門家批判できる(間違った知識披露)!」などと吹かしていれば、知識人たちが「素人がわけわからんのにつっこんできても話すの無理」「間違ってるよ」「んなわけないやろ」と個人的に勝手に突っ込んでくるのも当然というか予想の範囲内というか自由じゃん

というかフンワリ良い悪いや言論の自由的な雰囲気での判断を君は求めるらしいが、これは可不可とか妥当かどうかの話だから普通の人は君の主張を理解もできない。ろくに知りもしないのにどうやって口を挟むんだ、知ったかぶりするなって結論帰結するでしょうねそりゃ

医療分野なんか議論してどうにかなる分野でもないから、じゃあ論文書いてくださいって話で、素人専門家に「議論を吹っ掛ける」という発想の時点でお門違い

素人意見意味のあるものになるごくわずかな可能性を君が秘めてると言いたいのかもしれないが、まあそうなると潤沢な費用を用いて毎日トップクラス研究者たちが血眼で研究し続けている薬品会社研究機関より自分のほうが妥当見解を持っていると言うのと同じなので学問専門性を軽視していると取られてもおかしくない。世の中には天文学的確率でそういう人もいるだろうけど、非常に低い確率だと思われるので否定されるのが自然だと思う。俺が今買った宝くじが当たってると怒ってもしょうがない。当たってるなら交換所に行って論文書くしかない

なによりワクチンについてあれこれ言っているが、読む限り君の誤解や疑問点の本質は「現在採用されているワクチン有効性や長期的な信頼性に関する見解への反証」ではない。ワクチン有効性がないこと、利益を上回る危険証明できる!と言ってるわけではないんだろ?「厚生労働省ワクチン政策について不知による不信感がある」というのが正確な君の状態だろう

その状態医学書の話をしても意味がないということに気づけないのがやっぱり素人限界じゃないかな。責任逃れではないことくらい基本的な法知識があればすぐわかる。君以外の人間はここまでわかっているので、君の支離滅裂意見に取り合うのが無意味だと言ってるわけ、別にただ反ワクチンからパッケージングして偏見バッシングしたりバカにしたりしてるわけじゃない。反ワクチンでも敬意のある主張ならみんな聞くよ。君の意見が単純な無知にすぎないか相手にされないというだけ

君のやってるのは、賢く集合知を鵜吞みにしないで疑ってるんじゃない。どの情報を選ぶべきかどの程度信頼できるか、専門的な情報信頼性や真偽の確からしさという議論の土台となる共通認識すら持たない人間永遠揚げ足取りから人が相手にしないのも当たり前

2022-11-30

筑波大学言論封殺し、言論の自由と学問の自由犠牲にしている。

東京都立大学宮台真司教授が何者かに襲われたという衝撃的な事件が起きた。言論暴力によって封じることは当然許されない。強い憤りを覚える。

さて、大学構内で大学教員が襲われたという事件で有名なもの中大事件、そして筑波大学の「悪魔の詩訳者殺人事件だろう。

サルマン・ラシュディの『悪魔の詩』に対してホメイニ師が反イスラーム的とし、関係者死刑を宣告するファトワーを発令し、日本語訳訳者であった筑波大学助教授が何者かに殺害されたという衝撃的な事件だ。最終的に迷宮入り犯人が捕まっていない。

ラシュディも近年アメリカで襲われたりといまだに尾を引いている事件である。なおインドムスリムとして生まれラシュディの『真夜中の子供たち』は最近岩波文庫入りして読みやすくなり、とても面白いので是非読んでみることをお勧めする。

中大事件個人的怨恨であるのに対し、本事件は明確な言論の自由、学問の自由への挑戦であるし、多くの人の印象に残っている事件だろう。

当然、学問の自由言論の自由を守るべき大学としては語り継いでいき、定期的なセレモニーなどを通して大学として言論の自由、学問の自由を再度確認すべきメモリアル事件である


……が、筑波大学は明確にこの事件無視している。

筑波大学歴史が浅い大学ブランド力の弱さを気にしているらしく、前身である東京高等師範学校東京教育大学権威を借りようといろいろと嘉納治五郎(師範学校教授)の銅像を建てたり、朝永振一郎顕彰したりしている。そんなに東京教育大学が素晴らしかったというなら潰すなよ。

それはともかく、その最たるもの筑波大学ギャラリーなのだが、ここには筑波大学の「悪魔の詩訳者殺人事件の展示・記述は一切ない。誰もが認める大学史、言論史上に残る大事であるにもかかわらずだ。

https://www.tsukuba.ac.jp/about/campus-gallery/

秋野豊博士というタジキスタン国連政務官として平和維持活動中に凶弾に倒れた先生の展示はある。

寡聞にしてこの秋野先生という方は存じ上げないが大事な方だったろうとは思うが、ニュースバリュー・事件重要性を考えればここに並んで悪魔の詩訳者殺害事件で倒れた五十嵐助教授の展示がないのはかなり解せない。

遺族側と仲悪いのか?とも考えられるが、近年出た記事では遺族側は事件の風化を気にされており、大学側の顕彰を拒むとは思えない。

では、何故筑波大学歴史からこんな重要事件が葬り去られているのか。その答えは、近年の大学(ひいては文科省)の方針にある。

筑波大学指定国立大学として、国から高い目標を掲げさせられている。その中で重要KPIとして設定されているのが留学生数だ。

留学元は大抵の大学がそうである通り、アジア圏が多い。中国韓国はもちろんだが、筑波大学中央アジアアラブ圏とのつながりも強く、学内でもイスラーム圏の留学生を観ることは多い。

これで答えが出ただろう。イスラームから留学生を受け入れ大学として数値目標を達成するためには、殺された五十嵐助教授は闇に葬られなければならないのだ。

本来であれば、大学として許されざるテロであることをイスラームから留学生にも理解してもらう努力をすべきだと思うのだが、その努力放棄大学言論の自由と学問の自由犠牲にして大学としての達成目標をとったということだ。

学生運動渦巻く東京教育大学を潰して、文科省肝いりで作ったトップダウン大学である以上、仕方ないかもしれない。だけれども、五十嵐助教授大学短期的な利益のため大学からも葬られていることに強い憤りを覚える。

2022-11-29

表現の自由」は三つにわけて理解したほうがいい

表現の自由問題が盛り上がっているが、前々から思っていることとして、「表現の自由」は以下の三つの立場に分けて理解されるべきだろうと思う。


1)表現放任主義

「どんな不快差別的表現であっても、お互いにそれを我慢して認めるのが表現の自由であり、表現への批判それ自体表現規制につながる危険性が高い。」


2)表現個人主義

不快差別的表現も認められるべきであり、政府による表現規制は好ましくないが、表現への批判表現の自由の一部であり、そのリスクはきちんと引き受けるべき。」


3)表現社会主義

不快差別的表現放置することは、社会的弱者マイノリティ表現言論の自由行使する機会と意欲を奪うことになるので、真の表現の自由の実現ためには一定程度は規制されるべき。」

anond:20221129125412

弱者の味方をちゃんとやってくれる日本共産党保守に近いと思ってる

 ← よくわかってるじゃん。日本共産党結構ナショナリストで、自民党みたいに中国共産党に対して媚びを売ったりもしてないし、北方領土返還交渉でもソ連共産党員妥協せずに四島じゃなくて全千島列島返還を求めているし、変化にはたいてい何でも反対だし、保守的なナショナリストなんよな。あの三島由紀夫も「天皇に関する事以外は共産党と一致する」とか言ってるし、意外と石原慎太郎渡辺恒雄に近いのかも知れない。

自身立場は決して弱者ではないので日本共産党に大きく共鳴するわけでもないし思想信条は大いに異なるのだが、まあ言論の自由保証されている社会という観点から言って、日本共産党みたいな野党もある程度の勢力を持ってガンガンもの言える状況は、決して悪くないというか、あるべき状態だとは思ってるよ。

ただ、俺から見て不思議なのは日本社会での弱者とか搾取されている側の人間たちが、何故か共産党のような弱者の味方である勢力批判的であって、搾取する側の強者たちを支持してる連中が多いってこと。

不思議ではあるんだけれども、これはこれで悪いことじゃないんだよね。おかげで俺らは日本社会で下から突き上げや揺さぶりに怯えることな安心していい思いができるわけだからねww  

日本流の資本主義社会格差社会バンザイだね😁

anond:20221129064813

お前に言論の自由の内容を今から講義しろって?

勘弁ぽいだぜ

お前こそやましいところがあるだろ? 攻撃ではないと感じるのはなぜ?

2022-11-17

anond:20221116145521

論ぱっぱしたよ

理由1. Twitter は死に追い込む事ができるプラットフォームになっている ← でも災害情報ウクライナの主張などがいち早く入る生を配給するインフラにもなってる

理由2. Twitter で死人が出ることが、表現言論の自由に対して規制を掛ける大義となる ← これはネット外でも人をいじめころしちゃいけないし、ライン自殺教唆したやつもいた。プラットフォームにはかかわりない。悪は悪だしどこでも表現言論には一定マナー規制必要ってだけだろ

理由3. 自国大統領(当時トランプ)すら追放したプラットフォーム日本言論を預けるべきではない ←日本特有二重国籍を扱うのが下手なだけ。アメリカじゃ「思い込みの激しいトランプを」追放したが日本じゃ「思い込みのはげしい統一教会・反ワクを」みんなの力で追放しようとしててそれがツイッター長所でもあるんじゃね?新聞雑誌テレビニュースといったの旧来メディア普通に仕事しろってだけだろ

 

それにしてもなんでピクシブじゃなくて今ツイッターなの?

そんなにピクシブから目をそらさせたい中国業者なのかな

2022-11-16

Twitter はこのまま消滅した方が良いと思う

イーロン・マスク氏の Twitter 買収は Twitter の終わりの始まり、とか言う意見を見聞きする様になったんだが、

個人的Twitter はこのまま消滅した方が社会的に良いと思ってるので、その点について書こうと思う。

追記: スマホで読み返したら読みづらかったし、文章が雑だと感じたので全面的に改稿しています

ちなみに三行しか読みたくない人に向けて話をまとめておくとこうなる:



あと最期のおまけの話は Twitter の代わりはない。諦めろ と言うのが俺の考えです。

理由1. Twitter は死に追い込む事ができるプラットフォームになっている


まず第一に今の Twitter が無い方が良いと思う理由がこれ。

直近で思い出すと木村花さんの事件代表的だが、今の Twitter での炎上一般大衆DMリプライ

リツイート誰でも簡単 他人に悪意をぶつけられる様になっている。

まり誰でも手軽に集団精神暴力を見ず知らずの相手に振えるようになってる。

そしてこの文脈で言うと、10年以上前の昔は炎上舞台ブログコメント欄とか 2ch だったため、

炎上させるには自分から相手領域へ殴り込んでコメントを残さない限り暴言を吐けなかった。

しかコメント欄当事者が閉じれたから、そうなったらそれこそ 2ch でギャーギャーと騒ぐぐらいしかできなかった。

んでその時代から 10年以上経って今どうなったか

まず炎上現場自分領域自分管理するブログから他人領域(この場合 Twitter)に変わった。

その上、誰が見ても酷い暴言を吐いた連中の IP とか分からなくなったし(とは言え自前ブログだと今でも大体 IP は分かる)、

Twitter は一度ひどく炎上すると二度と社会復帰できない惨事現場になった。

と言うのも Twitterパブリックエネミーとして炎上すると、顔が割れ本名バレしたら就職や進学に影響が出るのが常になったし、

パブリックエネミーではない理不尽炎上でも、 Twitter が他の SNS での関連付けされていたらすべての SNS から丸ごと退場、と言う結果になる。

まり一度追い込まれたら SNS に復帰できないどころか、現実社会でも人を追い込める構造になってしまった。

んでさら性質の悪いことに、一度 鍵垢とかアカ消しなどで Twitter から逃げだしたとしても炎上案件面白半分で拡散するアルファ垢とかが普通にいるし、

そう言うクソアルファツイートを対した思慮もなく拡散するバカがアホみたいに居たりするんだよな。

そしてそう言う連中がいるから、一度炎上で火が付くと余程燃やした側に非が無いと炎上は止まらなくなったし、

その結果として、Twitter は人を追い込んで自死自殺)へと仕向ける事が出来るプラットフォームになった。

まり昔の放牧的で日本語すら通らなかった Twitter は気がついたら無くなってて、人を死に追い遣ることも出来る惨状SNS になった。

なんで俺は死人が出る、と言う理由で今の Twitter は無くした方が良いと思ってる。



理由2. Twitter で死人が出ることが、表現言論の自由に対して規制を掛ける大義となる


次の理由がこれ。

直近のニュースで、複合的な理由が要因となって「いいねlike)」だけで民事名誉毀損が認められた、

いわゆる「いいね罪」が発生する様になった、と言う事が表現の自由戦士界隈で話題になってたみたいだが、

俺はこれを当然の結果だと思ってる。

と言うより、さっきも木村花さんの事件言及した様に Twitter で死人や人生破壊される人が出れば出るほど、

司法国家権力は「個人を守る」ために、特定言論一定の圧を掛ける判決規制を出さざるを得なくなる。

なんでかって言えば SNS で死人や被害者が出ている現状を放置する社会、なんて被害者の側からしてみればたまったもんじゃないし、

そう言う社会悪の放置は、往々にして政治現場一定の圧になってくる。んで、この政治側に掛けられる圧が「大義」に化ける。

そしてそう言う「大義」が大手を振って歩ける様になった結果、侮辱罪は厳罰化されたし、それでも SNS個人への精神暴力が止まらず、

より酷い状況を生み出すんであれば、たぶん名誉毀損罪とかも厳罰化されるだろう、と俺は思ってる。

んでそう言う「大義」にかこつけて「言論の自由」を規制したい連中は暗躍するわけで、今の惨事が罷り通る Twitter は既に言論の自由の敵になった、と俺は考えている。

そしてこの手の話が最終的に極まって行けば、極論だけど Twitter みたいな SNS規制省疔直轄の許可制かになりかねないでねーの、と俺個人は思ってます

理由3. 自国大統領(当時トランプ)すら追放したプラットフォーム日本言論を預けるべきではない


これはまあオマケみたいは話ではあるんだけど、Twitter も含め 、例えば Facebook とか Instagram

YouTube とか TikTok とかなんでもそうだが、国外SNS は前提として 日本国における言論の自由は無い

と言うのもこれらの SNS はすべて諸外国法律下に既にあって、その上で日本規制とかが入ってるから

他国規制自国規制、その両方の法規制の元に置かれている。

で、これの何が都合の悪いか、と言うと、例えば日本法律では許されている言論であっても、

サービス提供を行なう本社がある国では違法となる言論があった場合日本に居ながらにして他国法律適用される、とかそう言う事になる。

なんで例えばアメリカでクソったれな言論規制法が出来上がって施行されたとすると、

その法に対し違憲判決が出ない限り Twitter などのアメリカSNS は、日本を含めどの国に対してもそのクソったれな規制下に置かれてしまう。

なのでそう言った意味で、そもそもとしてアメリカ企業が運営する Twitter には日本言論の自由はない。

そしてさら性質の悪いことに、Twitter 社はトランプ大統領が現役だった時、トランプ大統領無茶苦茶を言い出したことに対して、

マニュアル運用トランプ大統領を黙らせようとし、最終的にトランプ大統領が退任した後、アカウントを凍結して Twitter からトランプ元大統領を叩き出した。

んで、自国要人しか大統領にさえ(抵抗権として)牙を向いた Twitter 社が、他国要人が似たような事をしだした時、

同じ様な行動を取らない、なんて保障はあると思うか?思う思わないは個人意見に相異はあるだろうが、俺としてはそうは思わない。

まり Twitter と言う会社は、自社や自国にとって都合の悪い意見政府要人が言い出した場合相手を黙らせた前科があり、

そう言った意味日本政府要人、あるいは公共機関Twitter アカウントが凍結されない、なんて保障は俺は無いと思ってる。

なのでそう言った意味で俺は今の Twitter を信用・信頼すべきではないと思うし、イーロン・マスク氏の暴走がどう影響するか分からんが、

自体がより悪化する方向へ傾くのであれば、俺は Twitter にご退場を願った方が良いと考えてます

おまけ: Twitter の代わりになる SNS存在するか?


そう言った理由で俺は Twitter と言うサービスは、ある面では無くなった方が良いんじゃないかと思ってるんだが、

では Twitter の代わりになるサービスはあるか?と聞かれたら、それはたぶん無い。諦めろ、と言うのが俺の結論

と言うか第二・第三の Twitter もどきが出てきたところで、 Twitter の二の舞になるからそもそもそんなサービス存在すべきではない、と思ってる。

あと Twitter代用、と言う文脈マストドンなどの連合系インスタンス群(Fediverse)が代用候補に上げられるが、

マストドンや misskey 、Pleroma なんかでも同じで、連合系インスタンスであっても、規模がデカくなればなるほどTwitter と同じ末路を辿るだろう、と考えてる。

と言うか連合系インスタンス比較平和なのはユーザー数が少なく良識のある面々が多数派からであって、

そうではないクソみたいな連中が雪崩れ込んできたら、あっと言う間に Twitter の様な荒廃した世界になるのがオチしか俺は思えない。

しかマストドンとかは技術的な面倒を見れるのであれば誰でもインスタンス立てられるから

誹謗中傷暴言陰謀論排外主義差別主義、と言った最悪な言動に特化したインスタンス「も」立てられると言う面もあったりする。

とは言えそう言った最悪系のインスタンスは他のインスタンス連合から弾き出せるし、

Pawoo みたいに海外法律的に連合を組めない(主にえっちイラストが原因)もあるから、これが一概に悪いとは思わない。

が、ユーザーが増えれば増えるほど SNS 系のサービス治安が悪くなるから、俺としては大規模な Twitter もどきを増やす利点を見出せない。

なんで俺個人としては、連合系インスタンスは行儀の良い面々だけで運用されるインスタンスでもない限り治安は最悪になるだろうし、

Twitter で誰とでも暴言吐いて論戦出来る場なんて用意すべきではないと考えてる。

そのためこの節の最初の方でも言ったけど Twitter の代わりは無いし用意すべきでもない。素直に諦めろ

と言うのが俺の結論です。なので誰にとっても救いはない。

2022-11-12

侮辱厳罰化の最大の問題点はそこじゃない

 今春行われた侮辱厳罰化問題点として政治家への正当な批判制限されて言論の自由が委縮するとの声が左派から上がってるが、最大の問題点はそこではなく、インターネットにのさばる"屑"への抑止効果を抑え込み、屑が好き勝手できる状況を作り出しかねないことである

 この屑というのは特定当時のチンフェ(長谷川亮太)やゆっくり茶番劇商標登録騒動主犯格柚葉(石氷匠)のような、ネット上でどれだけ炎上しても1ミリ反省しないような問題外人物のことだ。こうした人物は、リアルで実害が出ない限り、決して反省することがない (そうなっても内心はしないかもしれないが) ということをまず念頭に置かなければならない。

事実チンフェが表立った火消しをしなくなったのも特定炎上が膨らみ広く知られるものになったからこそである。また、後者に至ってはせいぜい爆破予告偽装住所のリア凸程度で特に実害を被ってなく、悪びれることな侮辱厳罰化を利用して復活までしているのだ。

 以上の根拠を以てすれば侮辱厳罰化誹謗中傷被害者の救済よりもこうした屑の思う壺となるのは明らかだろう。

誹謗中傷被害者を救済しようとして法案制定したところを、結果としてチンフェ、柚葉のような同情の余地のない最低最悪の屑を守ってしまえば本末転倒しかない。

2022-11-11

anond:20221111135057

こいつ、個人に対する誹謗中傷非難されたら「言論の自由の都合の悪いところだけ批判するのはおかしいと言ってるのがわからないんですか?」とか騒ぎ出すタイプかな?

anond:20221111114819

こいつ、個人に対する誹謗中傷非難されたら「言論の自由に反対するのか? 言論弾圧だ!」とか騒ぎ出すタイプかな?

2022-11-06

anond:20221106222910

Twitterが変わって言論の自由が帰ってくるからいけるぞ

そのルールTwitterJPのクソがつくった

2022-11-05

左翼自分に都合がいいSNS作ればいいじゃないか

イーロン・マスクツイッター買収されて言論の自由がどうとか言ってんじゃん

左翼専用のSNS作ってみんなで話せば良くないか

anond:20221105123556

イーロン・マスク言論の自由をもとめてはてな社を買収することは十分に考えられる。

2022-11-04

anond:20221104115136

え??死刑って言うこと自体はなんの法律にも反していないが。

思想の自由言論の自由にも守られるし、だれか特定個人誹謗してるわけでもないし。

 

ニート対策新規立法について書いたから軽々に死刑と言わない法律もできるかもしれんがそしたら俺は当然言わんよ。

法律完全遵守。

2022-11-03

大学受験に出てくる文章ってかなリベラル寄りだよね

今年行われた河合塾全統マーク模試国語評論文。内容はロミオとジュリエットにおけるジュリエットセリフに、家父長制への疑問とそこからの脱却、はっきりとそう書かれていたわけではないが、ジュリエットが家父長制に反抗するということで、フェミニズムをも見出すというものだった。

なんか色々大丈夫なのか中立的文章にしたほうがいいんじゃと無駄心配してしまったわ

の子大阪大学志望で過去問の英作文を添削したが、言論の自由民主主義社会福祉を守らなければならない。みたいな、ネットだと共産党乙wとか言われそうな文章を英作文させててこれまたびっくりした。

まあ河合塾はイチ企業からいいとしても国立大学はこれでいいのかと思ったわね。学問の自由からいいのか。おっさんだけど老婆心

逆にゴリゴリ保守思想を英作させたり、英語国語の長文に出す大学ってあるのかな。

2022-11-01

ゆるキャラ流行っていた頃、高校学園祭北朝鮮拉致事件の啓発を目指し、らっちーというキャラ出展したら止められた

言論の自由とは

2022-10-30

anond:20221030160017

平 裕介 @YusukeTaira

弁護士(東京弁護士会所属)。研究者https://researchmap.jp/7000001277大学で授業(行政法等)を担当(非常勤)

表現/言論の自由というのは、国や自治体という公権力の介入を受けないことという問題に「限定」すべき、という考え方は、法学をよく知らない大人特に法学以外の領域専門家)が陥りがちな誤解。そういう考え方は初等教育中等教育までにしてほしい。現代国家における表現の自由の問題もっと広い

https://twitter.com/YusukeTaira/status/1568541271110864896

アカウントにつき表現の自由戦士アカであり公権力に対する表現の自由等には無関心と思っている方もいるようですが、そんなことはないのでよろしくお願いいたしま

https://twitter.com/YusukeTaira/status/1583834261865447424

2022-10-15

もちろん俺も全くもって分からないんだけど、そのうえで直観を言わせてもらうと「近代自体がぶっ壊れる危機だと思っている

理由としては、

「これまではデマを広めるとしたら国家メディアだけだった。彼らは確かにろくでもないが、彼らの利益を維持するためには社会の維持は必要不可欠だった。だから彼らは少数を切り捨てるような方向に世論誘導しても全部ぶっ壊そうとはしない。しかインターネット言論が影響力を大きく持ち始めてきた状態では、破滅的なテロリストであろうとその種の才能があれば一言語圏の世論を席捲できるかもしれない。さらに言えば学者などの権威はどんどん落ちていき、いよいよ公式事実というもの自体消滅する。情報空間はこれまでになく民主化されたことによって大きなリスクとなっており、いずれ匿名インターネット規制しなければ社会はもたなくなる可能性が高い。しか国家などによる規制必然的言論の自由の致命傷となる。よって民主主義自由主義などの『近代』は終了する」

まあどこにでも書いてあるような平凡な論だが

もうじきに、左右のあほみたいな陰謀論者によるテロが恒常化する社会か、中国みたいな言論統制の社会かを選ぶしかなくなる可能性が濃厚。自由主義を守りたい人はとにかくネット社会に合わせた「言論の自由」を再構成するのがお仕事だと思う

中立」「客観批判論についてメモ

はてなブックマークTwitterなどで、「中立」「客観」と言った態度について批判的に論じるものをたびたび見かける。特に差別政治など、権力闘争の類で非対称性存在するときによく使われるイメージがある。それらについて私なりに論点を整理してまとめ、コメントしようと思う。これらの論に親和的な人も、逆に批判的な人も読んでほしい。

前段

まず、当たり前の話なのだが、何かを批判するときは通常複数論点から批判できる。

例えば、社会民主主義新自由主義立場からすれば「市場政府権力によってゆがめられ、効率的資源分配が出来ない上に政府権力が不健全に増大する」と批判できるし、共産主義立場からすれば「結局彼らは資本主義自由市場と言った搾取を『多少マシ』にしている程度であって、本質的解決には役に立っていない。どころか、革命に向かう人々を減らすという点で有害ですらある」と批判できる。

これを見て、もし社民主義者の人が「アンチ社民主義者は矛盾している。市場原理主義みたいなことを言いながら、資本主義否定している。彼らは矛盾している」と言うのがおかしいというのは分かるはずだ。あるいは、「新自由主義者は社民主義批判している。これは共産主義者と同じだ。よって新自由主義者は共産主義者なんだ」もおかしいとわかるだろう。

インターネットではそれぞれの発言発言主が結びつかず、なんとなく「自分の考えを非難する人」を全部同じカテゴリに放り込む処理をしてしまいがちだ。(なお、話をややこしくするのは本当に矛盾した意見を言うやつも一定存在することだ)

そんなわけで、いわゆる「中立」「客観批判者は皆「お気持ち」(ここでは、自分の快不快問題シームレス社会的問題につなげて、自分感情社会が従うべきだ的な発想を持っている人)の人たちだ、という雑な世界観を持っている人も多いが、ここで「中立」「客観批判理屈に触れて、「なるほど、こいつらはこういう理由でそういっているんだな。(自分賛同できないにしても)まあ理屈は分かるな」と思ってくれれば幸いである。

論点①「自分(あるいは自分が参考にしている幾人かの人間/幾つかの媒体などなど)こそが『中立』だと思い込んでしまうと、本来価値判断問題にすべきことも『中立』『客観』的な事実だと思い込んでしまい、異なる価値観を受け入れられなくなってしまう」

これは厳密には『中立』『客観』を否定していない。どころか、不徹底な『中立』『客観』を批判し、本物の『中立』『客観』を目指そうとする方向性も見受けられる。

実際問題はてなTwitterでは、『中立』『客観』(それからこれと似ている『是々非々』など)を「右」と「左」(あるいは任意対立する二大勢力)のどちらも全肯定/全否定しないことだと思っている感じがする人が複数見受けられる。まあ確かに、「右」のいう事を全肯定/全否定、とか、「左」のいう事を全肯定/全否定すると最初から決めてかかるのは紛れもなく党派的な姿勢であり、中立的でも客観的でもない。しかし、そもそも「右」がどうとか「左」がどうとか党派性を意識し、この二者のいう事には従わないぞ!みたいに決めてかかっているのは、全く同じではなかろうか。ようは、「中道」という第三の党派に過ぎない。そうではなく、中立客観というもの自分完璧に到達できないのだという事を自覚し、他人中立である客観であるかは究極的にはジャッジできない(もちろん明らかにこいつ主観的に過ぎるやろみたいな人はいるけど、そう思っている私の方がおかし可能性は否定できない)という事を踏まえなければ、「中立」「客観」という言葉は単なる党派性の御旗にしかならない。

これは実のところ、「正義暴走」論とよく似ている話だ。正義暴走非難する人は正義が嫌いなのではなく(まあそういう人もいるが)正義のために正義暴走は抑止した方がいいという話をしている。正義暴走とは、やっている本人たちが勝手正義と思っているだけで、実際には悪である、というロジックだ。同じように、「中立」「客観」の濫用非難する人が「中立」「客観」を否定していないのも当たり前の話だ。彼らが否定しているのは「中立」「客観」を装った「党派性」「主観」だからだ。(面白いのが、「正義暴走」論を持ち出す人の多くは「中立」「客観」の濫用問題を考えず、「中立」「客観」を批判する人は「正義暴走」論を持ち出されると不満を表出することが多い事である。両者はほぼ同じことを言っているのだが)

まあ、つまりこの批判は「お前は自分客観的と思ってるかもしれないけど本当は違う(かも)しれないぞ!」というものである個人に向けるとき喧嘩する気がなければ使わない方がいいとは思うが、一般論としては(特にわたしのような『中立』『客観』が大好きな人間ほど)よく頭に刻んでおいた方がいいと思う。

論点②「悪しき権力側とそれに追い詰められる少数の被害者、そして大多数の傍観者/加害者という構図がある。大多数の傍観者/加害者は少数の被害者実態についてよく知らない上に、被害者傍観者/加害者の無遠慮な発言に対して過敏な状態にある。そんな状態で彼らが彼らの持っている知識を総動員して(きちんと)『中立』『客観』的に論じてしまったら被害者が傷ついてしまうし、被害者が声を上げることが抑止されてしまう。他のことならばよく知らずに論じることは無益ではあってもさほど有害ではないが、差別構造についてマジョリティ側が無知であるにもかかわらず論じることは有害である。もしそれについて論じたいならば必ず加害者非難し、被害者非難につながるような事実を示すことは(ダメとまでは言わないけど)避けなければならない」

こちらは、『中立』『客観』的な態度を、ある一分野のみについてとはいえ明確に否定している(と私は思う)ので、論点①とは様子が違う。

まあ言っている事は正直分からなくもない。この手の人たちが良く比喩として使うように、「足で踏んでいる人と踏まれている人」の間で『中立』『客観』的な議論を成立させろ、というのは無茶である差別されている人と、その差別をたとえ直接はしてはいなくても差別によって得られる利益を(その自覚なしに)享受している人の関係は、「足で踏んでいる人と踏まれている人」のそれよりはるかに複雑で見えづらいものがあるが、似たような関係であるという事は、その是非は別として、可能ではあると思う。なので、倫理的個人差別問題について論じるときはその辺に気を付けて論じてもよい、論じた方が好ましいくらいのことは私も思う。

しかし、この考えを強い規範として言論空間に導入することに対しては私は警戒心を抱く。

「誰が加害者か」「誰が被害者か」「どこからどこまでが『差別問題』か」「どんな事実を適示すればそれが『被害者非難をあおっている』と言えるか」

これらをみんなが納得いくように定めるのは非常に難しい。間違った基準を定めてしまえば、例えば本来被害者である人たちを「加害者」として力づくで非難する事や、本来加害者である人たちの罪悪を「被害者」として覆い隠すこともありうる。「被害者」「加害者」の推定が正しかろうと、「被害者非難をあおっていると言える事実」と認定されたものがもし違えば、その事実公論上での扱いが不当に小さくなりかねない。差別発言自体言論の自由で守る価値はまったくないのだが、論点②の批判が拡大すると差別発言以外も巻き添えになるリスクがとんでもなく大きくなりそうであるそもそも一国の言論空間なんて政治勢力も右から左からワラワラ湧いてくる場所なんだから、うかつに基準を厳しくしたら、その基準が「万人」でも「マイノリティ」でもなく「特定政治権力」の都合の良いようになってしま可能性もある。一方で、剥き出しの、それこそ差別主義者やデマもなんでもござれの「言論の自由」が良いとも思えないし、「中立」を装って攻撃を誘発する人たちを何とかしたいという気持ちはあるので複雑なところである

(ちなみに、個人としてこの観点から批判すること自体はどんどんやったらいい。問題なのはこの考えが強い規範になることである

論点③「『中立』『客観』的な論は不快だ。私の不快になる主張をする権利はない。私が嫌だから黙れ」

①②は曲がりなりにも論として成立しているが、③は論外である。これこそが「お気持ちである

これについて論じることは特にない。まあしいて言うならば、「個人的な感情の表明」自体は何ら悪ではないという事は付け加えておきたい。こういう風に、自分感情だけで他人を思うままに動かす権利自分にあると思っている人をまともに相手する必要がないというだけである

全体的な感想

①②③それぞれ、言う層が全然違ってくるということがイメージできるだろうか。

①は、左右問わずおそらくそれなりに頭のいい人、論理的思考好きな人が言うと思う。(ただし、論理的思考好きな人は左に行きやすいので、左が多い気はする)

②は、明確に左の中でも主張が強めの人が言うだろう。(なお、加害者被害者構造を、中国日本あたりにすれば、右の主張強めの人たちも似たようなことを言っている)ここで重要なのは、彼らの主張は我々と大きく違うが、別に彼らは頭がいいわけでも悪いわけでもない。どちらかと言えば頭のいい人が多いと思う。

③の人は、多分単純に頭が悪い。左にも右にも真ん中にもこういう馬鹿は沢山いる。ただし、バカの中でもわざわざ自分バカですとアピールしたがるインセンティブが強いのは右左の中でも過激な人たちだろう。

お気持ちサヨクバカ」みたいなことを言う人たちは、多分①②の理屈で「中立」「客観」を批判している人に左翼が多いという事と、③の人たちにバカが多い事を混同して、左翼お気持ちバカみたいな図式を作り上げているのではないかと思う。あと、「お気持ちサヨクバカ」と言った同じ口で「リベラル(おそらくこの人はリベラルサヨクをほぼ同義として使っているはず)は啓蒙思想押し付けている」みたいなことを言っている人もいた。確かに②は啓蒙思想押し付けダメな部分全開という感じで、③はバカである。たぶん構造としては②が③の人たちを率いて暴れまわっているという感じではなかろうか。まあそんな感じで、「中立」「客観」大好きな人たちも、③は論外として①②の理屈普通にそれなりに通っているっていうことをちゃん意識しよう。(まあ意識できてる人もいるだろうけど)

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