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はてなキーワード: イスラモフォビアとは

2024-04-24

日本保守党の生き残り戦略

泡沫政党はなかなか生き残るのが難しい

参政党は反ワクを取り込んで国政政党になった

日本保守党知名度のある党首だけでは厳しく、他の特徴がないと難しいだろうと思っていたら、なんとイスラモフォビアを取り込んできた

何があってもイスラエルベットYouTuber東京15区に立てるってのはそういうことだよなあ

パレスチナ問題やら川口クルド人関係で反イスラム反移民ホットからウケると思ったんだろう

ネトウヨ反韓反中に反イスラムも加わってさながら排外主義の欲張りセットだ

そんな欲張りセットに吸い寄せられていく人間がどのくらいいるかが今回の選挙の見どころ

2022-08-05

清水晶子(東京大学)「学問の自由キャンセルカルチャー」Part4 〜キャンセルカルチャー批判

目次

anond:20220805225632 Part1 〜学問の自由とその濫用

anond:20220805225835 Part2 〜ポリティカル・コレクトネスという言説戦略

anond:20220805230017 Part3 〜Academic Bill of RightsとProfessor Watch List〜

anond:20220805230307 Part4 〜キャンセルカルチャー批判

anond:20220805230534 Part5 〜Ahmedが見立てキャンセルカルチャー批判メカニズム

anond:20220805230705 Part6 〜質疑応答

学問の自由キャンセルカルチャー」Part4 〜キャンセルカルチャー批判

https://www.youtube.com/watch?v=FP8rL7KfisI&t=3428s

57:08~1:05:19

抑圧側と被抑圧側との逆転の構図

抑圧側と被抑圧側とのこのような逆転の構図というのは、2010年代にはオルト・ライトと呼ばれる新興右派

あるいはそれとも重なるミソジニーに満ちたオンライン男性主義の主張などにおいて、幅広く利用されるようになっていきます

もちろんマイノリティを、かぎかっこ付きの「私たち」の外部にある敵というふうに認定する、

その敵の攻撃から身を守らなくてはいけないという形で、当該のマイノリティへの抑圧や暴力正当化していくっていう、

その形というのはもちろんその以前から

例えば排外主義において、あるいはモラルパニックにおいて広く見られてきたものではあります

9.11同時多発テロの後、対テロ戦争期の欧米各国におけるイスラムフォビア暴力っていうのはこういうものだったわけですし、

あるいは70年代80年代に、同性愛者とりわけゲイバイセクシャル男性というのを、

当時は性的捕食者、セクシャルプレデターっていうんですけれども、性的捕食者あるいはHIVウイルス拡散元として、

非常に激しくバッシングしたのが英米モラルパニックっていうのになるんですが、これなんかがすぐ念頭に浮かぶと。

じゃあそのオルト・ライト勢力オンラインミソジニーアカウント群を巻き込んだ、2010年代の特徴っていうのは何かっていうと、

これ単にマイノリティ側を、自分たちを脅かす敵なんだというふうに認定するだけではなくって、

マジョリティ側が力のある側が、自分たちを「差別されている」「抑圧されている」、あるいは「自由侵害されている」という形で、

はっきりと、私たちこそが「被害者である」「被抑圧者である」という形で、語り始める点にあると言えるかもしれません。

そういう語りのこの後もいろいろ出てくると思うんですが、

今のところ最新の形がいわゆる「キャンセルカルチャー批判」というものになります

キャンセルカルチャーとは

CAMBRIDGE DICTIONARY

社会あるいは集団、とりわけソーシャルメディアにおいて、自分を傷つけ侮辱する (offend) ようなことを言った人を完全に拒絶したり、その人の支持をやめたりする振る舞い方

MERRIAM-WEBSTER

不同意を表明したり社会的に圧力をかけたりする手段として、集団キャンセル行為(公に、とりわけソーシャルメディアにおいて、特定の人や組織への支持を撤回すること)をするような実践

ピュー・リサーチセンター(2020)

リベラル寄りの人々は「ある人に自分の行動に対する責任を取らせるためのアクション」と捉える

保守派よりの人ほど「検閲」と捉える

キャンセルカルチャーという語が急激に知られるようになってきたのは、

2010年代後半のことで、したがってだから、数年なんですよね、

キャンセルカルチャー意味とか語法も、現時点で完全に固まってるとは言い難いところがあります

実際、例えば辞書定義を見ても、Cambridge Dictionaryだと、

社会あるいは集団、とりわけソーシャルメディアにおいて、自分を傷つけ侮辱すること」、offendという言葉ですが、

自分を傷つけたり侮辱したりするようなことを言った人を完全に拒絶したりとか、

あるいはその人への支持をやめたりする振る舞い方」、いうふうに定義している。

それに対して、もう一つ別の有名な辞書でMerriam-Websterなんかを見ると、

不同意を表明したり社会的に圧力をかけたりする手段として、集団キャンセル行為」、

このキャンセル行為というのは「公に、とりわけソーシャルメディアにおいて、特定の人や組織への支持を撤回すること」なんですが、

集団キャンセル行為を行う実践」っていうふうにしていて、だから重点がちょっと異なってるんですね。

またピュー・リサーチセンターによる2020年時点の調査では、

リベラル寄りの人々は、

キャンセルカルチャーというのは、ある人に自分言動に対する責任を取らせるためのアクションと捉える傾向が強い。

それに対して保守派に寄っていく人ほど、

同じキャンセルカルチャー検閲であるというふうに捉える傾向があるということが明らかになってます

まりある人々が、差別的だったり暴力的だったりするなど社会的・文化的問題があると思われる言動を、

放置しないために取るアクションだ、ってふうに考えているものが、

より保守的な別の人々にとっては、これがつまりキャンセルカルチャー批判」の文脈になるわけですけど、

そちらの人々にとっては、それが集団での圧力とか検閲とかっていう形で理解されている。

言い換えれば、「キャンセルカルチャー批判」という形でのキャンセルカルチャーってのは、そもそも最初から

しばしば多数派である括弧付きの「私たち」の言動を、差別的とか抑圧的などと非難することで、

私たち」の言動検閲する抑圧する、あるいは「私たち」を差別する圧力というふうに定義することができる。

から先ほどからお話ししている逆転の構図を含み込んだ用語っていうのが、キャンセルカルチャーだと言えると思います

正義と開かれた議論についての書簡」(通称ハーパーズ・レター」2020)

153の署名: ノーム・チョムスキーサルマン・ラシュディマーガレット・アトウッドなど

若い左派から批判キャンセルカルチャーキャンセル

人種的社会正義を求める強力な抗議運動」や「とりわけ高等教育報道慈善事業、そして芸術活動など、社会におけるより一層の平等包摂を求める声」というような「必要過去清算(reckoning)が、同時に、開かれた討議と差異に対する寛容さという規範を弱体化させ、それよりもイデオロギーの一致を求めるような、一連の新しい道徳的態度と政治的コミットメントを強化してしまっている」

保守派による「キャンセルカルチャー批判」の事例というのは、とりわけ2020年代になってからほとんど枚挙にいとまがない。

毎月のように何か出てくるんですが、ただ時間がないので、

ここでは学問の自由に関わる、そして最も知られた例の一つを挙げておきたいと思います

何かというと、2020年に公開された「正義と開かれた議論についての書簡」というものです。

一般的にはハーパーズ・レターと呼ばれるんですが、その公開書簡なんですけども、

この公開書簡は、当時のトランプ大統領代表される右派の動きというのは民主主義の脅威であるというふうに位置付ける一方で、

同時に右派はまずいと、だけど同時に左派の間にも異なる見解に対する不寛容がまん延しつつあるというふうにして、

より開かれた議論必要性を説くんですね。

ここの何か不寛容とかそういう表現が、先ほどちょっとお示ししたブッシュ・シニアポリコレ評価と、

用語としてこう微妙に近似しているのは非常に興味深いところなんですが、

とにかくただこれだけ見ると何でもない主張に見えるんですけれども、

この公開書簡、例えばノーム・チョムスキーとか、サルマン・ラシュディマーガレット・アトウッドなど、

非常に有名な人たちを含む153名の研究者作家ジャーナリスト署名しているんですけども、

この公開書簡、何でもない、割とこう、どうでもいいというか普通のこと言ってるように見えるにもかかわらず、

公開されるとすぐに「キャンセルカルチャー自体キャンセルしようとする公開書簡である」っていう形で、

人種的性的マイノリティを中心とする若い左派から大きな批判を受けることになります

実際のところただこの公開書簡自体を見ると、

キャンセルカルチャーという用語は、それどころかキャンセルっていう用語も1回も使われてないんですね。

じゃ何で批判が来るのかっていうと、ここ(=スライド)にあるんですけども、

人種的社会正義を求める強力な抗議運動」や

「とりわけ高等教育報道慈善事業、そして芸術活動など、社会におけるより一層の平等包摂を求める声」というような

必要過去清算」、この清算というのはReckoningという言葉を使うんですが、これが同時にそれは必要だと、

だけど同時にそれが「開かれた討議と差異に対する寛容さという規範を弱体化させ、それよりもイデオロギーの一致を求めるような、

一連の新しい道徳的態度と政治的コミットメントを強化してしまっている」というふうに言うと、

この表現が、とりわけBlack Lives Matterを通じて、

Racial Reckoningって人種的過去清算の盛り上がりを迎えていた英米両国においては、

人種主義への批判のもの不寛容だと見なすキャンセルカルチャー批判」の文脈につながる書簡だというふうに受け止められた。

同時に、キャンパスにおけるポリティカル・コレクトネス批判者として知られていた、

言語学者スティーブン・ピンカーであるとか、

ハーヴェイ・ワインスタインの弁護を引き受けたことで、学生から抗議を受けてハーバードロースクール学部長職を退くことになった、

法学者のロナルド・S・サリヴァンであるとか、

この公開書簡の公開時にはトランス排除言説の支持者として知られていて、その言動批判が集まっていた、

作家J・K・ローリングとか、

そういう人たちが名前を連ねていたということももちろん、

この公開書簡が「キャンセルカルチャー批判」の一翼をなすものと受け取られた一因ではあったと思います

この書簡は、先ほどもちょっと申し上げたように、例えば左派代表知識人と見られてきたチョムスキー署名をしている。

同時に、ネオコンサバティブの論者である、例えばフランシス・フクヤマみたいな人も署名してるんですね。

まり従来の分け方で言えば、まさに右も左もなく同意できる原則を語っているように見える。

にもかかわらず先ほどから申し上げているように、

実際には、より若手のマイノリティライターとか研究者から強い批判が出る結果になった。何でか。

恐らくこれは、後者に当たるより若いマイノリティの人たちというのは、

学問の自由とか言論の自由擁護というのが、

近年では力のある地位にある人々が、自分たち差別的・抑圧的な言説の責任を問われたときに、

その批判糾弾を振り払うために使う枠組みになってしまっている、ということを感じ取っているのに対して、

フクヤマにしてもチョムスキーにしても、ある程度は地位が固まった偉い人たちっていうのは、

その事実をあまりきちんと把握できてなかった、いうことではないかと思います

anond:20220805230534 Part5 〜Ahmedが見立てキャンセルカルチャー批判メカニズム

2022-07-14

anond:20220714122747

まりにも宗教排除すると、宗教を熱心に崇拝している移民難民の人々へのバッシングに使われてしまうんだよ。

フランスでは今それが問題になってる。

イスラモフォビアイスラム教嫌い)といって、政教分離を盾にしてイスラム諸国から来る移民のもの排除しようと極右団体が主張して、賛同者もそこそこいるんだよ。

マイノリティ権利運動と親しみのあるはずの同性愛者の人でさえ、イスラモフォビアに陥るケースもあるらしい。

日本でも韓国キリスト教系の団体非難するあまり韓国のものへのバッシングにつながらないか、常に注意しておかなければならない。

2021-12-12

anond:20211212170622

フェミニスト難民支援家も欧米リベラリズムとも提携しているから、イスラモフォビアアジア人ヘイトと見なされる言動はやりたくないんだよね。

中国叩きについては、トランプ派と一緒くたにされる危険もある。

いくらイスラム教徒中国人自身他者を虐げていたとしても、それを非難すること自体が他の弱い立場イスラム教徒中国人への差別に利用されてしまう。

2021-10-10

anond:20211010205303

このような宗教に対する偏狭不寛容な考え方が社会問題につながっていることを思うと、闇が深い。

欧州でもイスラモフォビアが深刻化する。

フランスでは、ムスリム女性自分意思スカーフを巻いているのに、宗教バッシャーが公共の場ではスカーフを脱ぐよう圧力をかけてくるという。

2021-05-25

anond:20210525224038

自民党思考で草

一方でゲンロンの自由なんてものもある。バカな人たちは「ヘイトスピーチだ」と言えばなんでも弾圧してかまわないと思っているようだけれど、そんな安易ものではない。ちなみに、スペインではヘイトスピーチ取締の規制が成立しているけれど、カタロニア独立運動の各種発言スペインに対するヘイトスピーチだとして、この規制のおかげでガシガシ取り締まられたりしている。ヘイトスピーチは常に、自分の好きなもの健全批判ゲンロンの自由にされ、自分の嫌いなモノはすぐにヘイトスピーチだ。アメリカでもカナダでもイギリスでも、進歩派がなんでもかんでもイスラモフォビアLGBT差別だ、排外主義者レイシストだ、他者を受け入れる寛容性のない偏狭なミーイズムの田舎者め、とレッテル貼りをして悦にいっていたら、逆にそれこそまさに社会の分断を煽る不寛容しかなく、言われたほうはさらに態度を硬化させて、おかげでトランプが出てきてしまったりあれやこれや。

https://cruel.hatenablog.com/entry/2018/05/01/150046

2020-09-05

anond:20200903015543

西洋リベラリズム正義とされる価値観を持ち上げる体で、イスラモフォビア正当化する卑怯戦略はあちこちに見られるね。

フランス極右政党リーダールペンなんかも、同性愛差別価値観イスラム系移民に持ち込ませないようにしようだなんてロジックLGBTを焚き付けている。

移民として受け入れた上で価値観を共有してもらえば済む話なのに。

2020-09-03

「9歳女児との結婚は正しい」と呟くイスラム教徒を凍らせるべきか?

ツイッターの公開アカで、

①「9歳幼女セックスしたいブヒィィィッ!!」と呟くロリオタ

は凍らされるべきなら、

②「日本イスラム法施行して、9歳女児との結婚セックス含む)を認めるべき」と呟くイスラム教徒

も凍らされるべきだろうか?

この議論を読んで、こういう論点を思い付いた。

ロリコン・ショタコンを叩く連中が持つ差別心とその自覚の無さ

https://anond.hatelabo.jp/20200901160242

①のペド妄想公言子供や親を恐怖させる加害行為であり許されないなら、②もまた現在進行形人権侵害である児童婚肯定する加害的な言説であり公言は許されないとすべきか?

しかし、②のイスラム教徒を凍らせるのは、なんだか宗教差別のようで居心地の悪さを感じる。

イスラム教開祖ムハンマドは(イスラム教徒多数派解釈では)自身が50代の時に9歳の第四婦人アイーシャセックスしたとされている。それにならって、現代でもイスラム法施行するイエメンなど女子が何歳からでも結婚できる国がある。

これをやり玉に挙げてalt-rightアメリカネトウヨ)なんかは「ムハンマドペド! イスラムペド宗教!」とイスラム教徒攻撃している。

②を凍らせることを支持すれば、私達はネトウヨレベルに落ちることにならないだろうか?

Twitter社は「このイスラモフォビアヘイト企業め!」という批判を避けられるだろうか?

2020-06-09

内心の自由ではなく差別反対という話

小児性愛内心の自由うんぬんで論じるべきではない、という「子供性的にみる内心の自由はない」(anond:20200609071250)の冒頭部分はそのとおりだ。

これは性指向に基づく差別に反対という話であって、本来内心の自由とか表現の自由とかは二の次問題からだ。

あなた差別容認するか? が問われているのだ。

たとえば、この記事を読んでみてほしい。

LAタイムズの小児性愛についての記事を翻訳しました | 包帯のような嘘

読むのがめんどくさいという人のために説明すると、小児性愛は生まれつきのものであり、多くの小児性愛者はそれを変えられずに苦しんでいること、それでもなんとか現実と折り合いをつけて生きていこうとしていることが書かれている。

まり小児性愛は、それを持って生まれた人にとっては変えがたい性指向だということだ。

指向という、本人の責任ではなく、また変更も困難なものに基づいて人を差別することは許されない。

すべての小児性愛に関する議論はここから出発するべきだ。

小児性愛者を治療しろ? 百年前に同性愛者も同じことを言われていた。小児性愛者は性的モンスター? 「ゲイが同じチームにいたらロッカールームでケツを掘られる!」というのとどう違うのか?

もちろん、小児、すなわち性交同意年齢に達する前の子供と性行為をおこなうことは許されてはならない。あるいは、実在する子供性的虐待することで生み出されたコンテンツは、厳しく規制されるべきだろう。

だが、それはあくまでも行為であって、性指向問題とは別だ。性指向子供に向いていなくとも子供性的虐待することはありうるし、性指向子供に向いていても実在の子供の人権を侵さずに生きていくことは可能である架空の子供を描いたイラスト漫画、あるいは今回問題になっているようなラブドールを消費している分には、実在の子供の権利は損なわれない)。

指向に基づく差別に反対することと実在の子供の人権擁護することはまったく矛盾しない。

同性愛社会的認知されつつあるが、児童性愛犯罪でなくなることは、人権という概念存在する限り、ありえない。

増田は「同性愛」と「同性間での性行為」を、「小児性愛」と「小児との性行為」を混同している。

同性愛小児性愛もその人の持つ性指向問題であり、それ自体犯罪となるような性質のものではない。

逆に、性行為問題とするのであれば、同性間での性行為同意が伴っておらず強制性が存在した場合、当たり前だがそれは犯罪である同性愛のすべてが犯罪でなくなるわけではない。たとえばゲイが嫌がるノンケを押し倒して事に及べば強制性交罪だ。

もしも小児との性行為犯罪であることをもって小児性愛犯罪だというのであれば、同性との性行為の一部は犯罪になりえるのだから同性愛犯罪的だし、異性との性行為の一部も犯罪たりうるのだから異性愛犯罪的な性指向である。唯一犯罪と無縁でいられる性指向は無性愛しかない。

「ある性行為犯罪である」ことと「ある性指向犯罪である」はまったく同一ではないことが以上の例示でわかるだろう。

幼少時に性的虐待を受けた可能性がそれなりにある人たちに向かって、別に本人たちが興味があるわけでも、知識があるわけでもない、児童性愛擁護する言葉を声高に発する人たちは、控えめに言って、人でなしだと思う。

小児性愛者と児童虐待者はイコールではない。仮に性指向が成人に向いている人間であっても、「身近にいて、非力で、手を出しやす存在である子供性的虐待を加えることは十分に起こり得る(これは児童虐待を論じる上での常識だ)。

児童への性的虐待は痛ましく、許されてはならないことだが、それは小児性愛者を差別する理由にはならない。

そもそも論として、児童への性的虐待小児性愛者によって行われていたとして、それは一部の小児性愛者の行為にすぎず、それをもって全体を犯罪者と罵るのは典型的差別主義である

あなた9・11テロ犠牲者の遺族に向かって、イスラム教擁護する言葉を声高に発することができるのか? もちろん声高に発するべきであり、遺族の気持ちを慮って差別主義に屈するのは間違いだと言わなければならない。たとえ遺族の気持ちを傷つけたとしてもイスラモフォビアには反対すべきである。それが市民としての倫理的義務だ。

人でなし? それはこちらの台詞だ。私から見れば、変えられない性指向に基づく差別正当化する連中の方が、よほど人でなしに見える。

犯罪を好む特殊性癖を持っている人たちの権利擁護したいのであれば、自分言葉が多数の性的虐待被害者を傷つけることを理解した上で、それでも主張したいことを、十分に勉強した上で注意深く主張すべき。

指向に基づく差別正当化したいのであれば、自分言葉が性指向に基づく差別で苦しむ性的少数者を傷つけることを理解した上で注意深く発言すべきだ。というか、少なくとも自分差別主義者であるという自覚は持ってほしい。それはそんなに難しいお願いだろうか? だって言ってることは一昔前にホモフォーブが言ってたこと――あるいは今も言ってること――と同じじゃないか

小児性愛者は性的少数者であり、彼らへの差別は間違っている。

差別主義者の屁理屈への応答

差別定義が間違っているパターン

はあ。それなら正しい差別定義を教えてくれませんかね。

私は、「性指向という、本人の責任ではなく、また変更も困難なものに基づいて」人を犯罪者予備軍扱いしたり(それ自体が誰の権利侵害しているわけでもない)オナニーの道具を取り上げようとするのは差別だと思うんだけど、それは差別じゃないって言いたいのかな?

差別主義者はいだって「これは差別じゃない」と言う。どれだけ明々白々な差別をしていたとしても。

差別問題というならそもそも子供差別されて……というか安全を脅かされているんだよ

子供の姿をしたラブドールでどう子供安全が脅かされるんだ……?

そんなに子供安全が気になるなら、小児性愛者よりも先に家族に目を向けるべきではないか児童への性的虐待は見ず知らずの小児性愛者によってなされる事例よりも家族親族あるいは見知った大人によってなされる事例の方が多いのだから

小児性愛者を怪物に仕立て上げたところで、子供安全になりはしない。それで安全を得たと思えるのなら、それは本当の安全ではなく心理的安全に過ぎない。あなたラブドールを愛好する小児性愛者を槍玉に挙げる横で、今日義理父親義理の子供に性的虐待を加えているかもしれないのだ。

内心は誰にも分からないけど、欲求公言したら批判忌避される対象となるのは仕方ないと思う。/ 臨床現場現在ペドフィリアに行われている治療は、薬物療法のほか、認知行動療法やグループミーティングが中心。

前段。同じことを同性愛にも言えるか? 仕方ないとか寝ぼけたことを言ってないでそれが差別感情だと認めるべきだろう。差別感情認知しなければあなたは一生差別主義者のままなのだから

後段。それって性指向を変えるような治療じゃなくて、性指向を抱えたままでこの社会適応できるようになるための治療ですよね。

彼らが法を犯さないように生きていくためにその種の助けが必要であるなら助けを求めればいいと思うけど、そもそも論として社会が彼らを差別しなければ彼らの社会適応への苦しみはもっと軽減されていたはずだろう自分の性指向公言したら差別され排斥される社会自分の性欲との適切な距離の取り方を自然に見つけられるわけがない。

そういう人は一定数この社会には存在していて、そのセクシュアリティは実行に移されない限り誰にも否定されるものじゃない、あなたたちはこの社会の一員だ、と啓蒙していくことが必要なはず。LGBT総称される人たちに対してはそういう啓蒙が徐々になされるようになってきて、彼らの悩みを軽減して社会の一員として包摂する流れになってきているのだから、同じことを小児性愛に対してもすればいいだけ。

一昔前のイギリスでは同性愛犯罪で、アラン・チューリング犯罪者扱いされたすえに自殺に追い込まれた。今、イギリスでは同性愛者は堂々と街を歩き結婚もしていて、彼らに対して侮蔑的言葉を発した者こそが差別主義者として非難される。隣国アイルランドでは同性愛者が首相になりさえした。彼らは胸を張って通りを歩けるのだ。

小児性愛者には愛する人たちとの結婚はできないが、せめて堂々と胸を張って歩く権利くらいあってもよいだろう。

持って生まれた性指向批判されても仕方ない、なんて、これほどおぞましい主張があるだろうか。私は成人を対象とする異性愛者だけど、思春期からお前の性欲はおかしいと言われ続けていたら発狂していただろう。そんな酷い扱いを受けてしかるべき存在なんてこの世のどこにもいない。いていいはずがない。性指向に基づく差別は間違っている。

公的機関ならともかく、私人は全員に全く同じ取り扱いをすることはできないので、あらゆる差別禁止することは不可能で、どの区別禁止されるべきで、どの区別禁止されるべきでないか検討必要

anond:20200610014001

禁止されるべき区別のことを差別というのだが……

私人は全員に全く同じ取り扱いをすることはできない? 別に小児性愛者と友達になれとか家に上げろと言っているわけじゃない。侮辱するな、迫害するな、彼らの権利を奪うなと言っているだけ。それってそんなに難しいこと? 他人いじめないと社会生活を営めないの?

子どもは圧倒的に守られなければいけないのがなあ。/「われらの権利擁護しろ」と少し大きな声で言うことは、純粋な「内心」から少しはみ出してしま行為で、小児性愛場合はそこに多くの人の目が行ってしまう。

子供を守ることは誰も否定していないのだが……小児性愛者を差別するなと言っているだけで……

というか、思春期に入ってはじめて自分が小児性愛者と気付き苦悩する少年は守るべき子供じゃないの? 18歳になる前に自分の性指向に気づいた小児性愛者のことは守らなくていいの? どうして守るべき「子供から小児性愛者を無条件で除外できると思えるの? それが差別意識ってやつなんじゃないの?

これは余談というかお気持ちだが、昨今の小児性愛者をめぐる議論において本気で悲しいのは、かつて私に差別とは何なのかを教えてくれた進歩主義陣営の人たちの多くが、小児性愛者への差別扇動する悪質極まりない差別主義者に成り果てている姿を見てしまたからだ。

あなたたちから教わった差別の考え方であなたたちを叩き斬らなければならない日が来るなんて考えたくなかった。

J・K・ローリングトランスジェンダーへの差別に加担している姿を見ることも辛ければ、反差別を訴え続けてきた人が小児性愛者へのヘイトを垂れ流している姿を目にすることも悲しい。かつて私の蒙を啓いてくれた反差別陣営が、こんな露骨差別に加担している光景なんて夢か何かだと思いたい。

けれど残念なことに、これは現実なのだ

 
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