はてなキーワード: 懇願とは
今日は脳のなかの卑猥な思考を言語化する練習をしている。自分がエロ同人誌作家だったら、あるいは官能小説家だったら間髪入れずに最高の妄想を具現化するために原稿にとりかかっただろう。不幸なことに自分にはそのような才能がないので、自分が想像し、感じたことをここに書き留めておく。
いま、仕事がヤマを迎えていて一週間前からオナニーしてない。まあ、仕事が終わるまでの願掛けというつもりだ。仕事は年末までに終わらせる予定だけど、どうなるかな。
これまで特に何も感じず日常を過ごしていたのだけれどちょっと今日は変だった。車を運転していたら楽しかった少年時代の気持ちが突然に蘇ってきて、ボロボロと泣いてしまった。哀しい気持ちでも嬉しい気持ちでもない。どちらかというと歓喜で気持ちが高ぶっている感じに近かった。
それから今日書いておきたいことのメインなんだけれど、午後のひとときにファミレスで休んでいたら眠気を感じて、同時に卑猥な思考が強烈に頭に湧いてきた。昨日見たAVの印象的なシーンがフラッシュバックした。なんだかそれを自分は止められなかった。机に隠れていたけれど、正直勃起した。目の前には何もないのに、勃起した。オナニーしたい、射精したいという気持ちでいっぱいになった。30分かけて自宅へ帰ってオナニーしようかとも思った。しかし、性欲が高まって発情している自分を観察する自分が面白かった。そして突然に、これはセルフ射精管理なのだとという発想が浮かんだ。とてもよいアイデアに思えた。手っ取り早く射精して性欲を忘れるよりも「自分の射精が管理されている」と想像するほうがより強くより長い時間興奮できるように感じられた。内側から溢れる性欲に対して射精できない状況に置かれている自分に興奮した。
性的な興奮が高まって、いろいろなAVのシーンが脳裏をよぎり、自分の理想とするものへと改変されていった。この発想力を少しでも仕事に活かせたら、もうすこし幸せな人生が送れただろうに。ところで、自分の脳の中では絶頂であった。理想的なシーンが組み立てられた。そのシーンを紹介する。お姉ちゃんはぴったりと自分に身体を密着しながら手コキをして、それで何度も寸止めをする。自分は射精を懇願する。それを無視しながら妖艶な笑顔で見つめられる。そして、自分は頭を撫でられながら「かわいいよ」と耳元で囁かれることで突然に射精する。というものだった。これを書きながら完全に勃起している。もし、頭の中を取り締まる法律がもしあったなら、絶対に罰せられていたと思う。自分がこのようなことを考えていること自体が公衆の面前での羞恥プレイだったのだ。
NTT退職エントリーが盛り上がっておりますが、クソであること以外に特徴のない企業からより正常な環境へ移っているエンジニアも多数いらっしゃると存じます。
バブルも就職氷河期も知らない世代ですが、今がかなり被雇用者にとって売り手市場になっていることは馬鹿な私でも感じます。
私もそんな世の動きに乗っかった一人です。
元がNTTのような目立つ名前のところではないので記事としてもインパクトのあるものではございませんが、クソから脱出して半年以上過ぎてなお前職への恨みが消えないので一旦全部吐き出してスッキリしたい所存です。ただ排泄します。
転職活動は非常に短く、#hiyokonitsudukeの流行に乗って、直接現在の職場の方と連絡を取り、10日ほどでかなりスピーディに転職が決まりました。
年収、勤務時間、業務内容、チームメンバーの人格すべてにおいて上回っており、即決でした。
入社し直後に合宿という名の下、三大キャリアの電波の届かないところに連れて行かれ、開発合宿デモするのかと思えば「君たちの本気を試す」という名目の元、スリッパの並べ方にいちゃもんをつけて怒鳴る、社訓を大声で叫ばせて気に入らないやつを「心がこもっていない」怒鳴りつける、8時間ぶっ通しで歩かせて「こいつが足を引っ張った」と怒鳴りつけるという完璧な研修を受けさせていただきました。夜中の3時、4時まで「お前らはいかにダメか」の説教を受けます。
二十人以上を三日間拘束しているので、相当なお金をその研修会社に払っていると思います。質の高い教育のためにはコストを惜しまない、素晴らしい会社でした。
前職は非常にセキュリティ意識と品質意識の高い企業でしたので、どれだけ生産性を落とそうとも、社員の健康を損なおうとも、関係ありません。
ここで言う「品質」とは、安定したシステムのことではなく、「何ステップの開発には何個のバグが入るはず」「見積もりどおりの規模になる」「残業100h/月すれば納期を守れる」という意味で、保守性や可読性のことではありません。
ここで言う「セキュリティ」とは、「不便にすればセキュリティは高まる」という信念のことで、「機密性」「完全性」「可用性」とは別の概念です。
「契約で何ステップの開発することになっているから」「契約で何ページの文書をつくることになっているから」ということで、仕様どおりに動く成果物ができあがりテストカバレージ100%にもかかわらず、できるだけ無駄にコードを重複させるように命じられます。
CSVファイルをちゃんとfor文で心を込めて一行ずつ読み込み、SQLiteを使えば3行で終わる集計処理をJavaの基本ライブラリだけで実装します。セキュリティを高めるために外部ライブラリ・ツールの仕様が一切禁じられているからです。
また、これもセキュリティ施策の一環として、構内からのインターネット接続が禁止されているため、ドキュメントを見たいときは社用携帯の狭い画面で調べます。
あまりに常軌を逸しているため、クラウドの勉強をして多少はまともな環境の部署へ異動を願い出ました。もちろん、その数ヶ月前に現状の何が不満で何をどう改善してほしいか具体的に伝え、改善されなければ出ていく意図をはっきり示しましたが改善されなかったからです。
するとなんということでしょう。「勝手に異動願出すとはなんだ!」と怒鳴り声で電話がかかってきます。なんと部下思いの部長でしょうか。
やっとインターネットでドキュメントやソースを参照できるチームにアサインされたと思ったら、典型的ダメSES企業には典型的ダメ情シスがセットでついてきます。彼らは保身と「自分だけ」定時退社するためには何でもする、働き方改革の最前線にいます。
社内ネットワークをダウンさせ、全社の業務を数時間ストップさせ、社外へ出るプロキシの申請の設定を自分たちの不手際で吹き飛ばしても「社外へ接続する場合は課長部長本部長の判子付きの申請書を再提出してください。」と、しっかりルールを守る姿勢を貫きます。
セキュリティをさらに高めるために、社内からのGitHub接続を禁止するという偉業を達成しました。社用携帯で調査をするあの日々に戻りました。
チャットツールやバージョン管理ツールを導入したくてもセキュリティを守るためにNoが帰ってきます。
なんとかOSSで自前でホストさせてくれと懇願して払い出されるのはシングルコア、メモリ500MBの超ハイスペックVMです。最先端をいく素晴らしい会社でした。
「愛社精神、コミュニケーションが足りない!」という理由で「せや!BBQしよう!遠足いこう!」となるところまでテンプレです。
もちろんイベント幹事は若手の仕事。なんら機密情報を含まないイベントの出欠管理も、エクセルをzip暗号化して拡張子を変えてEメールでパスワード別送する必要があります。徹底したセキュリティ意識の高さが素晴らしいですね。
年に一度、ホテルのホールを借りて懇話会を行いますが、これはなんと休日に開催されます。さらに、原則出席必須で欠席する場合は理由を申し出なくてはなりません。
強制力を発揮しているので実質休日出勤命令ですが、イベントに呼んでいただいたことに感謝しなければならないのでもちろん手当などありません。
きめ細かなコミュニケーションのため、大きなイベントでなく小さな交流会も時々開催されます。ただし呼びかけるのは部長職以上、呼ばれるのは未婚の若い女性社員のみです。
もちろん断ったり楽しそうな素振りを見せなかったりすると後でネチネチ言われるので、実質社員を動員しながら経費でキャバクラですね。
最後の最後まで搾り取ろうとする姿勢も見事なものです。退職二週間ほど前に有給消化に入ったのですが、「もう退職予定だからこの案件は参加できない。クラウドわかる人間が必要なら案件を諦めるか他を育ててください」と明確に伝えたにもかかわらず、勝手に受注して「やってくれなきゃ困る」となぜか私のせいにしてきました。挙句の果てに私の個人携帯の連絡先を同期から聞き出して、警戒させないために自分ではなく私の同期から電話させて、電話に出たらなんとか作業をさせようとあれこれ駄々をこね始めました。有給消化中で旅行に行っていることも伝えているのに、素晴らしい仕事への意識の高さです。
今後一切関わることはないと思いますが、生まれて初めて他人に心から不幸になってほしいと思いました。
また、"エンジニアしぐさ"のひとつなのか「良い悪いじゃない」「転職は手段であって目的でない」「ケースバイケース」などといってひたすら物事を相対化することがカッコイイと思っている人が界隈にはたくさんいらっしゃいますが、仔細に見れば傷の舐め合いや現実逃避がほとんどでしょう。
私はSESのすべてを知っているわけではないので、もしSESという業態が好きでたまらない、幸せでたまらないという方(もちろん搾取する側以外で)がいらっしゃったら、ぜひとも他人に噛み付くのではなくご自分でそのお気持ちをどこかにアウトプットしていただきたいです。
ニュースで日本の人手不足が報じられていますが、実際自分の働いている職場や取引先でも人手不足の話はよく聞くのでなんとかしたいと思っています。
でも一個人として出来ることは限られているので、私がしていることも本当ささやかなことでしょう。
もし他にいい案があれば教えていただきたいです。
1.外食を控える
先日横浜へ行き、食べる所を調べたらあまりの飲食店の多さにびっくりしました。
飲食店の残業時間の長さも問題になる店がありますよね。(閉店後の片付けは業務に含まない所があるとか)
家で食べれば外食産業で働く人の人数も減らすことが出来るので、外食を控えています。
もちろん無くなってほしくない店もあるので、なんとなく「外食で済ませるか」と適当な店を探す時は家に帰って食べることにして、
「あの店で食べたいな」と思った時だけ外食することにしました。
2.コンビニの利用を極力減らす
正直その工事の様子を見た時は血の気が引きました。なんでこんなに作るんだと。
コンビニが人間から金を吸い上げるモンスターにしか見えません。
便利でありがたいけど、増殖するのは怖い。こんなにいらない。
ということで行くコンビニを限定して、行く回数も減らしました。
同じ職場に、コンビニでバイトを辞めさせて貰えず就職活動が出来なかった子がいます。
そこまでしてこの数のコンビニを維持する必要があるのでしょうか?
でもそうも言ってられないので、コンビニに落とすお金を減らして、コンビニの数も減らしていきたいです。
とりあえずこの2つぐらいしか思いつきませんでした。
あとはパワハラや人間関係で鬱になって働けなくなる人を生み出さない。本当にもったいないです。働ける、働く意思のある人を潰さないで欲しい。
私は褒められることに向いてない、と思うようになった。
普通、誰だって褒められたら嬉しいし、褒められたいって思うだろう。
私もそうだ。褒められたい。他の人より私を褒めて欲しいと常に思っている。承認欲求は人並み、いや、確実にそれ以上ある。私を「お前はすごい!!お前はとんでもなくやべぇ奴だ!!!最っ高だ!!!」とはやし立てて欲しい。今すぐ。
それなのに。それなのに、だ。私は、褒められると変な気持ちになる。褒められることに向いてない、と考えるほどになるくらいに。
「変な気持ち」というのは、なんと言えばいいのか、ある1つの感情ではないような気がする。いくつもの感情がぐるぐるに混ざって、どうしようもなく泣きたくなるのだ。
まず、「嬉しい」という感情。喜びである。まあこれは当然だ。私は承認欲求が人並み以上あるから。褒められば舞い上がる。
しかしこれだけでは終わらない。同時に「怖い」という気持ちが湧いてくる。恐怖だ。褒められた途端、ひやりと冷たさが背筋を這い回る。
別に「相手がお世辞を言っている」と決めつけている訳では無い。「相手が皮肉で褒めている」とか、「嘘をついて内心嘲笑っている」だとかそんなこと思わない。じゃあなんでだ、と問われると説明が難しくて唸ってしまう。自分でもよく分かっていないのだ。
理由の1つとしては、「褒められたことによるプレッシャー」があるだろう。例えば、○○について褒められたとする。そうすると、「これからも○○に関しては『相手が褒めてくれたレベル』でやり続けないといけない」と考えてしまうのだ。○○を失敗しても責めることはない、と分かっている。しかし、身体中に重しを乗せられたかの様にしんどくなる。冷や汗が出る。プレッシャーで動けない。失望されたくないから動きたくない。そんな気持ちになる。
次に、「『自分はそんな大層な人間じゃない、立派な性格じゃない』などと心の中で叫んでしまうから」というのがある。「褒められる人間=なにかにおいて優れた人間」だ。私は自分をなにかにおいて優れている、などとは1度も思ったことは無い。そんなことは金輪際ありえない。(じゃあなんで「最高だ!」なんて言われたいのか、と言われたら「すまん、承認欲求が強いんだ」と答えるしかない。こればっかりはこの返答しかできない。全く別の感情だと思ってほしい)
で、そんな私が褒められると、頭の中で矛盾が発生する。「私は優れているところがないのに褒められている」という状況なのだ。そんな状況に耐えられるはずがない。「間違っている。私はなにも優れてなんかいない。相手はなにか勘違いを起こしているのだ。私の良さげな部分しか見えていなかったのだ。だから私のことを褒めてしまえるんだ」と大声で喚きたくなるのだ。
さらに、「大層な人間じゃない」と自分で思うのと同じくらい、「大層な人間だと思われたくない」という気持ちもある。これは前述した、「褒められるとプレッシャーになる」こととも関係する。
ある人が褒められれば、その人は優れた人間だと思われるだろう。優れた人間は、優れているのだから、優れた結果を出すものだ、と私は考えている。つまり、自分が褒められ、周りから優れた人間だと思われれば思われるほど、「私は優れた人間に見合った結果を出さなければいけなくなる」、と私は考えてしまうのだ。褒めてくれた人からのプレッシャーだけでなく、周り全てからプレッシャーを感じるようになる。「優れた人間」というものに押し潰される感覚に襲われる。自分はこれっぽっちも優れていないのに、「優れた人間」という皮を被らなければいけないような気持ちになる。でも、私は「優れた人間」ではないから、確実にその期待を裏切って失望されてしまうだろう。それなら最初から「大層な人間だと思われたくない」のだ。
ちなみに、プレッシャーについて2つ書いたが、どちらも自分が勝手に作り出した幻想だとは理解している。私がプレッシャーを感じる必要は全くないし、仮に私が誰かを褒めた際に、プレッシャーを与えようとしていることは絶対に無い。ただ、どうしてもこの思考から抜け出せなくなるだけだ。勝手に思考にハマって、自分で首を絞めているだけ。どうしようも出来ないから余計に怖いのだ。
「褒められると怖くなる」という感情の、他の理由を挙げるとするなら、「幸せすぎる」というのもある気がする。私は、「幸せなのが怖い」のだ。「人生の中の幸せと不幸せは半分半分だ」とどこかで聞いたことはあるのではないだろうか。私はそれと似たような考えを持っている。悪いことがあれば、その後は良いことが起こるだろうし、嬉しいことがあれば、その後は嫌なことが起こるだろう、と。だからプラスなことが起こる度に、「マイナスなことが起こる前兆だ」、「幸せの前借りだ」と怖くなる。これからどんな嫌なことが待っているのだろうと。幸せな感情のまま、不意に恐ろしくなってしまうのだ。
また、「幸せすぎるのが怖い」のは「幸せでなくなった時が怖い」からでもある。今はいいのだ。今は褒められて幸せだから。でも、その後は? 考えただけでゾッとする。ピークが終われば落ちるだけだ。現状維持なんて出来ない。褒めてくれた人もずっと私のことを褒めてくれるなんてことはない。私がなにかやらかして失望するかもしれないし、私に興味が無くなることもあるだろう。怖い。今幸せな分、失った時の恐怖で心臓がバクバクする。
他にも色々あるのかもしれない。褒められた際の、「喜び」と「恐怖」に焦点を当ててみたが、それ以外にも感情がある気がする。だけど、「変な気持ち」というのがぐちゃぐちゃ過ぎて私にも分からないのだ。心臓を鷲掴みにされたようなあの感覚を、なんと表わせばいいのか分からない。ただ「ありがとう」と顔では笑いながら、「ごめん、やめてくれ、もう褒めないでくれ」と泣きながら懇願したくなるのだ。
長々と書いてしまったが、まとめると、「褒められたいし、褒められれば嬉しいが、それ以上に、様々な理由で恐怖やら焦りやらプレッシャーやらに心が埋め尽くされてしんどくなるから、私って褒められるの向いてないんだなと思った」、だ。褒められたいのに、褒められるのに向いてないだなんて、なんて生きづらい性格なんだろうか。
ブコメではどうも「表現の自由VS規制側」,「」エロ同人漫画の描写>ゴブスレ」と相対化して放送を正当化する流れが強いけどもう一度よく考えてほしい
レイプを前提として構築された世界観ではレイプの必然性に説得力がないし,明らかに男女の扱いに差が出ているのもこれを補完している。
端的に言えば紹介→ひき肉の2コマで終わる男に対し,
女は暴力→骨折・欠損→全裸羞恥→懇願→強姦→過去回想→現実→心神喪失→死亡→巣での強姦→肉盾→救出その後と延々と陵辱の描写が続く。
酪農と酒場と受付以外の職業斡旋がなければ「世界観の一部を」という文句も無意味であり,
肉付きが良く化粧もする中流の美女らが自ら進んで生死と貞操を賭ける理由が,
制作側のただレイプを描きたいという理由を全く回避できていない。
余談だがこの女性像からゴブスレ界では人間女性にとっての冒険者が一種の娯楽であり、貞操の喪失がステータスとなっていることが伺える。
「徒に性欲を煽る」内容としても性器とピストン描写を省いただけで既存のエロ同人漫画アニメに対して劣るモノでは決してない。
その意味では作者自ら苦言を呈したハガレン1よりも遥かに悪意であろう。
深夜放送といえど一般家庭で見れる地上波であり,さらにニコニコといった幅広い年齢層が視聴するネット配信にも積極的だ。
これを持って「観たい人が観るゾーニング」ができていることにはならないだろう。元来選択できるTV放送におけるゾーニングはもっと次元が高いものだからだ。
原作はAAであり,漫画もBGとYGと流通形態が限られてどちらも一定の「敷居の高さ」がある。ゆえに個人がこっそり楽しむ分には外野に文句を言われる筋合いはない。
ゆえに性描写の過激さも基準値が高くなっていることには合理性がある。
しかしアニメにそのまま持ち込むのは意味が違う。視聴年齢が幅広くなれば必然的に規制派に口実を与える確率も上がる。
ただでさえ東京五輪を前にキズナアイやラノベの表紙問題で騒がれるこの微妙な時期に,放送する必要性が「エロじゃないと売れない」以外の理由があろうか。
「やりやがったw」とか「逃げてない」とか「フェミざまあ」と擁護する前にもう一度考えてほしい。恥ずかしいことは,恥ずかしいことだからこそ存在を許されていて愉しむことができる。
それを表に出した結果が,将来楽しめたはずの「恥ずかしい」ことがどれだけ奪われることになるか分からないのだ
二十代後半で乳がんが見つかった。
乳腺症のひどい胸をしていて、二次性徴が見られるころからずっと胸が痛かった。
二十代半ばをすぎたころから何となく胸全体が柔らかくなった気がしていたけれど、
よく触ると固い部分があるからやっぱり自分の胸はこういう胸なんだと思った。
巨乳にあこがれて、理想はEカップだったけれど、長い間Cカップだった。
がんが見つかる2,3年前に下着屋さんで測ってもらったらDカップになっていた。
Dカップも小さくはない部類だなとのんきに考えてはいたけれど、
しこりが大きくなってきているのは薄々感づいていた。
自然と乳がんの話になり、乳がんは肉まんの中に梅干しのタネが入っているみたいな触り心地らしいよ、と、年上の同期が言った。
肉まんの中に梅干しのタネ入ってるのなんか触ったことないですよね~、と、呑気なフリをしていつもの通りおちゃらけて私は返事した。
実は私の胸にもしこりがあるんですよ~、触ってみます?と、いつも通りの雰囲気で、しかし内心焦って続けた。
胸のしこりは、想像の中にある肉まんの中の梅干しのタネに触り心地がそっくりだった。
彼女たちは触らず、微笑みながら言った。
帰国して約一か月、土曜日にトイレでぼんやりしながら、そういえば、と思い出した。
何となく人気らしい病院を選んだ。院長が講演活動なんかもやっているらしい。
電話がつながったものの、案の定、初めての患者は一か月くらい診てもらえないと応答した女性は言う。
「しこりがあるようなら、うちじゃなくても良いんで、一刻も早く診てもらってください」
あまりにも真剣な声だった。電話で問い合わせただけの相手に言うにはあまりにも真剣だった。
予約がとれなければ面倒だからやめとこう、そう考えていた私に次の病院へ電話をかけさせるには十分すぎる熱量だった。
仕方なく次の病院に連絡をしたら、その日のうちに検査ができた。
マンモグラフィーは痛いものだと健診で受けたことある友人から聞いていた。
それにしても痛すぎるのではないか。
それまでの人生、私は自分が痛みに強いのだと思って生きてきた。根拠があるわけではないのだけれど。
しこりのある胸を挟まれた時、あまりの痛みに体が震えて、冷や汗が出た。
検査技師のお姉さんに肩を抱かれて、一旦休憩しようかとベッドに座らされたときにパニックになりそうだった。
こんなに痛い検査が侵襲性のない検査とされているのがおかしい、どうかしている、
痛みを我慢できなくて恥ずかしい、情けない、あまり働かない脳みそを使ってぼんやり考えた。
しこりの少ない胸を検査された時も痛かった。だけども反対側より随分と楽に思えた。
自分の名前を呼ばれて診察室に入った時に、お医者さんからかけられた第一声は「大丈夫?」だった。
大丈夫ではなかった。血の気が引くとはこういうことをいうのかとしみじみと考えた。
そういう知識は持っていた。普通の会社員として働いてはいるけれど、学校で習った。
エコーでお医者さんが見せてくれたしこりは、もこもこしたクリームパンのような形をしていた。
お医者さんは、難しい顔をしている。モデルのように美しい女医さんだ。
良性の腫瘍の表面はつるりとして、悪性の腫瘍はデコボコしている。
そういうことも学校で習った。
これがもしも何ともなければ、がん保険に入ろう。
だから大丈夫だ、言い聞かせるように胸の中で何度もつぶやいた。
医師の友人に連絡をとった。
友人はマンモグラフィー読影の講習を受けたばかりだから何でも聞いてくれといつになく自信にあふれていて、
エコーがこうで、というと、段々と友人の返信に元気がなくなってきた。
当時、転勤になったばかりで、それまでとは全く別の職種にコンバートされていた。
それまでは暇で仕方なかったのだけれど、打って変わって忙しく
新しい職場は単身赴任のおっさんばかりで、慣れない環境に日々翻弄されるばかりだった。
登録していない番号に胸騒ぎがする。折り返すと病院に繋がり、すぐにお医者さんへと代わった。
電話で細胞診の結果を言うことはできない。でも詳細に検査がしたいので予約時間を変更してほしい。
結果を言うことができないも何も、それは告知のようなものではないのか。
人生を揺るがすほどの言葉を、私は残業中に、会社の非常階段で受け取った。
診察室で細胞診の結果を見た。
あまり詳しくはないけれど、学校で見たことのあるような悪い顔をした細胞が並んでいた。
バコラ生検といって、皮膚を切って漫画のような太い針をした注射器のようなもので組織を吸い上げる。
局所麻酔を打つ。痛みがありますよ、なんてお医者さんは言ったけれど、マンモグラフィーの方がよっぽど痛い。
検査をしてくれた個人病院ではなく、大学病院へそのまま紹介状が書かれた。
色々な説明を受けた。
詳細な検査なしにはわからないけれども推定されるステージ、予後、タイプによる治療方法の違いや色々。
がんのサイズは3cmあったので、ステージⅡ以上は確定だと、悲しい顔で告げられた。
「先生、すぐ治りますか」お医者さんにバカみたいな質問をした。
「うん、すぐに元気になるからね」お医者さんは、今思えばとんでもない嘘つきだった。
大学病院での検査の結果、私はホルモンレセプター陽性、HER2タンパク陽性だった。
簡単にいうと、乳がんの治療薬に対して感受性が良いから治療しやすいタイプだ。予後も非常に良い。
その時は、結果に対して良いことだと感じた。
しかしそれが不幸なこととだと後々思い知る。
術前に二種類の抗がん剤をし、術後に放射線治療とホルモン療法をする。
卵巣の保護とがんの発育を防止するために女性ホルモンを止める注射を打ち
手術は、温存できそうであれば乳房は温存、シリコンは30年で入れ替える必要があるからおすすめはされなかったので
術中にすべてが終わる、同時再建となる。
私の乳がんは治療効果が出やすい。出やすいということは、可能な限りの治療法をすべてやってしまうということだ。
予後が良いことと、元気に余生を送ることは違う。
若いから体力がある、回復が早い、とあまり知識のない周りは言う。
元々同い年の友人と比較しても筋肉痛になりやすく新陳代謝の良かった私に副作用はてきめんに出た。
2,3回の抗がん剤でがんは柔らかくなり、一種類目の抗がん剤を終えるころには触れることさえできなくなった。
それでも、標準治療という、乳がんに決められた治療は命に関わる副作用でもない限り続けられる。
味覚障害にならなかったことで体重はどんどん増えていってしまった。
病気のストレスでどんどん食べる。抗がん剤の副作用の吐き気がおさまれば、
副作用止めのステロイドのせいで食欲がとどまることを知らない。
乳がんです、と職場に言えば早期と言った覚えもないのに早期のがんの扱いをされる。
実際に早期の分類ではあるものの、どうせ早期なんだろ、と軽くみられるのは納得いかない。
咳が止まらない風邪のおっさんが、俺もガンかな、と独り言を言う。
病人扱いはしない、と言われたけれど、仕事は当たり前に1人分用意されていて
懇願しないと手伝ってもらえない。
確定診断の前、がんかもしれないと連絡したらいつもお前は私たちを驚かせてばかりだとなじられた。
そのあとに、あんたが落ち込んでると思って、と電話をかけてきた母に優しさは感じたけれど
最終的にはがんは自業自得だと罵られて終わった。
突然健康と容姿を奪われてしまって、なおかつ職場と家族の理解が伴わない、そうなると当然頭がおかしくなる。
手術はうまくいった。乳首も残せた。傷跡も自分ではそれほどは気にならない。
少しずつ萎縮しているようで、元々がん抜きにしても健側の乳房より大分おおきめだった乳房がかなり小さ目になっている。
それでも医療機関で新しいスタッフに出会うたびにきれいだと褒められる。
術後4年とそろそろ半年がくるが今はがんのためには何もしていない。
時期的にはそろそろ寛解といっていい。
手術痕はきれいなものの、剥がれた背中の筋肉や、弄り回されて傷ついた神経は軽い疲れや天候不順で大いに痛む。
この手術がうまくいっていないようで周辺のスジがひどく痛むし、こうしてキーボードを打っていても
薬指や小指のあたりに力が入らない。
抗がん剤で傷ついた手の表面の神経はいまだに感覚が怪しく、ざらざらした布を撫でると奇妙な不快感を覚える。
足も不意に菜箸でつつかれるような痛みを覚えるときがある。
私は元々婦人科系のホルモン疾患があって、ピルを飲まなければ日常生活を送ることすら困難だった。
しかし、ホルモンがエサになるタイプのがんだから使用することができない。
ホルモンの乱れ、心身に蓄積したダメージ、見た目が元気そのものだからこそ理解されないタイプの不調を抱えている。
こんな体調だし、あまり弱みを他人に見せることが好きではないから彼氏はいない。
太ってしまったものの、髪の毛は生えてきているし、我ながら顔は普通レベルには整っている方だと思う。
だけれど、結婚して、子供を産んで、ということは私には夢物語だ。
人生で一番色恋にうつつを抜かさなければならない5年間私はひたすらに体調が悪くて自分の世話さえままならない。
がんが連れてきた不調によっては死に至ってしまうかもしれない。
幾度も孤独な夜を越え、みじめさと苦しさと痛みに、毛のない頭を抱えてもだえ苦しんだ。
粘膜が弱って、鼻が蛇口になったのかと思うほどの量の鼻血が出たこともあった。
ホルモン療法を始めてすぐはひどい鬱状態に陥り、首を吊りたい欲求を抑えることに必死になった。
それと比べれば瞬間最大風速は今の方がぬるい。
でも、終わりもないし先が見えない。
次にがんができたら、そう、一度でもがんを体験したことのある人間なら頻度はともかく頭に浮かぶだろう考え。
できれば死にたい。
何もなくて、安心を得る人もいる、見つけて、切って、はいおしまい。で済む人もいる。
でもそうでもない人もたくさんいることだろう。
そもそも私は乳がん検診適用の35才より若くに自分で病院にかかったから
がんサバイバーがエネルギッシュな姿をさらすことは勇気を与えるかもしれない
でもサバイバーがエネルギッシュにならなければいけないという無言のプレッシャーがある。
現に、私の母は新聞で見た乳がん患者はこんなに元気なのに、あんたはいつまで病人気取りなんだと叱責してきた。
元気がない人にも声を上げさせてほしい。
下手にがんが見つかるとこういう辛い思いをして、死ねずに生きる羽目になる。
だからそれでも生にしがみつきたい人だけが検診をする覚悟を持てと。
やさぐれて、どうしようもなくて、地の底を這いずり回って泥水すするような気持ちで毎日を送る羽目になるぞ。
末期で見つかっていれば、大事な人にありがとうと、嫌いな人へ呪詛を伝えて心軽く天国だか地獄へ行けていただろうに。
病気になる前よりずっとずっと性格が悪くなってしまって悲しい。
長い長い、そろそろ自分を乳がん患者と呼ぶのにためらってしまう三十路女の独り言。
たくさんの方に愚痴に付き合っていただけたことに、少し気分がすっきりしました。長くてすみません。
Amazonの欲しいものリスト!?公開したら物をいただけるの!?さもしい私は飛びつきそうになりましたが、三十路レディなので澄ました顔で見ない振りができます。
お肉食べたい!不眠改善のために良い寝具欲しい!楽して痩せるダイエット器具!
…物欲は止まることを知りませんが、あなたの周りの少し元気がない人に美味しいご飯やおやつをごちそうしてあげて下さい。
回り回っていつか私がご相伴に預かることになるかもしれません。
◆母のこと◆
クソ!母親が!!うちひしがれている娘に!!!そんなことを言うだなんて!!!と、当時発狂しそうに悲しんだんですけど、母も恐かったんでしょう。
恐がりなんです、恐がってる自分を受け入れられなくて、私に当たることしか出来なかったんだと思います。
今も、私が一刻も早く普通に戻れることを期待しています。私の体調が悪いこと、気持ちの落ち込みがあること、すべてを気の持ちようで片付けようとしています。
私は、母の中では病人であってはならないのです。あって欲しくないのです。
だからと言って、娘に言って良いことと悪いことの区別がついていない理由にはなりませんが。
母は、母なりに私に愛情を持っていることだけは誤解されたくなくて追記しました。
内弁慶で臆病なおばさんなんです。
ちなみに、近親者で乳がんは父方の祖母(60代発症)だけで、姉も、おばや従姉妹、その他男性、他に誰も乳がん患者はおりません。
◆職場について◆
国家資格は取得しているものの、勤めている会社ではその資格を使ったお仕事はしていません。
ですので、デリカシーのないおっさんらもあんまり医療知識がないです。
とは言え、どう考えても非情な対応をされたことは間違いありません。
もっと貶してください。
叩いて下さい。
あの頃耐えて笑っていた私が報われます。
今は優しい人達の多い職場に転勤しています。仕事にも人にも恵まれています。
泥水をすすりすぎて、濾過した雨水うめぇ!水道水最高!って言っている状態なのかもしれません。
分子標的薬で心不全症状がガンガン(乳がんだけに)出ていた最中に引越しを伴う辞令を出した会社には多少わだかまりはあるものの、結果オーライで職場環境は確実に改善されています。
それでも体が辛いものは辛い。
そうなんです、八つ当たりなんです。
わかっているんです。
気軽に乳がん検診に行こう、それで簡単な処置で助かる命がある、それは尊いことなんです。
ファッション感覚でピンクリボン、ウェーイ!としている女子が妬ましいんです。
ウェーイしている女子がいるからこそ気軽に検診が出来る、それが本来の目的なんでしょう。
ただ、若年性乳がんって、乳がん全体のほんの数%なんです。貧乏くじ引いてしまった感が否めないんです。
元々ちょいちょいツイてなかった私が、こんな所でもツイてなかったかー、と。
妬ましく思っても許して下さい。
エネルギッシュに闘病体験を語って、良い感じの活動をしている先輩サバイバーを見て、そうはなれない(なりたい訳でもないけれど)不定愁訴がしんどいんです。
残っている後遺症のようなものも障害レベルではなくて、1個1個は誰しもが抱えている何らかの不調なのかもしれません。
不調の数が多すぎて、歯車がガタガタで、支える気力も尽き果てた状態が今の私です
ぶっ飛ばさせて、レッドリボン軍だか、クリボーだか、びっくらぽんだかのアイツを。匿名のこの場でくらい。面と向かっては、きっと吐き出せないので。
優しい言葉をありがとう、長い愚痴に付き合ってくれてありがとう。
嵐のような感情の発露は鍵付きのTwitterだけで行っていました。
初めて書き散らしたこの場で、思いもよらずたくさんの方に見ていただけて、嬉しく思います。
大好きなアーティストに懇願して(服の上から)触って貰ったことあるので、本体の私は乳のせいで地獄のクソ煮込みをわんこそばで注ぎ込まれている割に、乳だけは世界で1番幸せ者かもしれません。
お金がない。
どのくらいないかというと、扶養ギリギリまで稼いでいるのに貯金はゼロで、全財産が2080円と1000ウォンなくらいない。これはマジです。ちなみになぜウォンがあるのかというと、以前韓国に旅行した際なんとなく取っておきたくなり使い切らず持って帰ってきたからです。深い意味はないし、両替しても100円とかなので放置している。
毎月20日が給料日で、先月も滞りなく支払われたのにこのザマである。さすがにヤバい。わたしは比較的常にお金ないけど、今人生で一番貧乏だと思う。
なんでこんなにお金がないのか。原因は三つある、と思う。
まず一つ目は、大学の入学一時金?的なアレを自分の貯金から支払ったことだ。
こんなわたしでも、ずっと昔からこんなにだらしなかったわけじゃない。小さい頃からこつこつ貯めていたお年玉は、高校3年2月時点で20万円は下らなかったはずである。だがそのお金は大学に入学する権利を買うのに使ってしまった。
ご存知の方も多いと思うが、大学の入試には様々な方式があり、それぞれ日程はバラバラだ。わたしが受験生だった当時はなぜか偏差値の高い私大ほど入試や合格発表が遅かった記憶がある。そして、大学に晴れて合格すると、まだその大学に入学することを決めていなくても、その権利を保持するためにまあまあな額のお金を大学に納める必要がある。わたしの場合だと、受けた全ての大学の合格発表(2月末くらいだったと記憶している)の前に、滑り止めとしてセンター試験のみを利用して合格したあるN大学の一時金納入日があった。
さあここからが問題である。N大学の一時金納入日直前、わたしは他の大学に合格している自信が全くなかった。そして浪人する気も全くなかった。だから今の時点で合格しているN大学の入学権利はなんとしてでも保持しておく必要がある。
が、我が家は決して裕福ではない。ありがたいことに食べるものに苦労するほどではなかったが、4歳のときから母子家庭という由緒正しい貧乏である。先ほど浪人する気はなかった、と言ったが、これは「浪人できる金などなかった」の間違いであるのでお詫びして訂正いたします。大学に全落ちしたらキャバ嬢か自衛隊だな!とよく言われていたが、これが冗談ではなく大真面目な話なのである。余談だが、高校受験の時は高校落ちたら舞妓になるしか道はないと言われていました。
なので、高3の9月から通っていた塾(4月の時点ではそんな金はないから自力でどうにかしてくれと言われていたが、夏が終わってさすがに無理だと察したので超頭下げて無理して入れて貰った)の費用や大学の受験料(これすら払えないので受ける大学を減らしてくれ、と懇願された。4校しか受ける予定なかったのに)などで財産を殆ど使ってしまった我が家には、入学するかもわからない大学に払う、言ってしまえばドブに捨てることになるかもしれないお金なんて全く残っていなかった。だがそれを払わないと折角受かった大学の入学権をみすみす捨ててしまうことになるのである。
困った。超困ったし、めちゃくちゃ悩んだ。母に言うと、当然お金がないので「他の大学も一つくらいは受かってるんじゃない?」と返ってきた。超他人事である。
「いや、全部落ちてたら行くとこなくなるんだけど」
「でも何を言われてもお金は出せないよ、人に頼む前に自分でどうにかしたら?」
・・・というわけである。かつて母に「大人になって、ブランドもののバッグとか、そういう本当に欲しいものができた時のために取っておきなさい」と言われ貯めておたお金は、こうして一瞬にして消えてなくなったのである。ていうか「本当に欲しいもの」の例がブランドもののバッグなのって社会的にどうなんだろう。確かに欲しいけど。
二つ目は、基本的にわたしに浪費癖があることである。いや、浪費だとは思ってない。服や、靴、アクセサリー、おいしいごはん、飲み会、好きなアイドルのCDやDVDやコンサート、旅行、カフェ巡りや映画鑑賞、他人にとっては「もったいない」かもしれないこれらは、わたしにとって必要最低限の出費なのである。
よく母には一番出費の多いアイドルという項目に対して「アイドル追いかけるのいい加減どうにかしろ」と言われるしわたし自身早くやめたいんだけど、みんなかっこいいしかわいいしライブは最高だしでやめられる気配は今のところ全くないので、最近は明日全員引退しろと毎日のように思っている。ちなみに今わたしが好きなアイドルグループのうち二つが○○周年でやたら金がかかり(アイドルのおたくじゃない人の為に説明すると、アイドルの○○周年というのは、やたらめったらライブをしたりグッズを出すためとにかく出費が嵩むのである)、別のグループの推しが12月で卒業してしまう(アイドルのおたくじゃない人の為に説明すると、アイドルが卒業するときはやたらめったらライブをしたりグッズを出すためとにかく出費が嵩むのである。これを卒業商法と言います。あとシンプルにこれまでは我慢できてたグッズや公演も「これが最後だから」と言って抑えが利かなくなってしまう)ので出費額は右肩上がりである。
あと一つ、これは非常に短期的な理由ですが、今月パソコンを買ってしまったからです。でもこれはしょうがない。誰に何と言われようとこれは必要経費である。なぜなら就活と卒論執筆控えどう考えてもパソコン必須な未来が見えているのに、我が家のパソコンは10年以上前に母の会社が使っていたがもう古くなったから捨てるというので貰ってきたデスクトップ型パソコン(WindowsXP)その一台のみなのである。
購入には一部祖母やその他の方から頂いた成人のお祝い、から成人式の撮影や着付けやクリーニング代を引いた額、も使ったが、全額自分負担である。今月の給料の半分近くが一気に出て行ったのだから、そりゃ金もなくなるわな、という話である。
今後の話をしよう。給料日まであと約2週間、2080円と1000ウォンだけではどう考えても生活できない。それに今月はコンサートの入金締切があり、ということは遠征のための飛行機もさっさと手配しなければならない。ていうか普通の大学生はなにも贅沢なことなんてしてなくても2080円じゃ日常生活に支障をきたすし、何かあった時のことが怖くて外出れません。ざっと計算すると、次の給料日までに、最低でもパソコンを買うために使った費用まるまるくらい必要なことがわかった。ので、どうにかしてお金を得なければならない。ていうかそもそも大きな買い物をしなくても給料全額使っちゃうってどうなんだろうな。
わたしは考えた。こういうときは誰かにお金を借りるのが一般的だろう。だが、額が大きすぎる。いくら貧乏と言ってもわたしよりは計画的にお金を使う母はいざというときのための貯金があるし(その、いざ、は、ブランドもののバッグを買うときであって、娘の生活費のためではないと思うが)、1万2万なら貸してくれるだろう。恥ずかしながらこれまでに何度かそのくらいの額なら借りたことがある。だが、借りたお金は当然返さなければならないし、それは次の給料日に、ということになるだろう。借りたものはなるべく早く返す。当然のことだ。
しかし、来月のわたしにお金があるだろうか?というと、答えはノーである。このままだと扶養の限度である103万を超えてしまいそうだったため(それだけ稼いでいて貯金がゼロという現実をわたしは重く受け止めなければならない)最近バイトを控えており、来月の給料は相当少ないと予想される。これで借金を返したりしたら更にお金がなくなりまた借金、という自転車操業が目に見えており、それはさすがに人間としてダメな気がするので避けたい。
なぜガールズバーなのか。まず、日払いであること。先程から言っているように、わたしはお金はないのに出費の予定はあるので今すぐお金を手に入れる必要がある。引っ越しの日雇いとかでも全然いいけど、あんまり体力に自信がないので。かと言って人に自慢できるような見てくれでもないので面接であっさり落ちるかもしれないけど。そしたら引っ越し屋にするしかない。
そしてこれが最大の理由だが、水商売は扶養とか関係なく働けそうだから、だ。なんとなくその辺ってお水の世界はグレーゾーンな気がする・・・少なくとも引っ越しバイトよりはガバガバな気がする・・・。もちろんそうじゃなかったら即ちそれは死を意味します。
水商売は下へ下へと流れて行くから水商売というらしい。DESIREの合いの手も言ってるように、落ちたらように怖いのである、水商売は。わたしネット掲示板って2ちゃんねる(あ、今は5ちゃんねるっていうんだっけ?どっちでもいいけど)と糧くらいしか見ないんだけど、ヘルスとか超怖そうだよね。
今回お金がないのは怖いって身をもって学んだから、今後はちゃんと貯金したいなあ。これ以上支出が減る見込みはないので収入を増やさないといけないんだけど、ガルバって親にばれずに続けられるものなんですかねえ・・・?うち、門限12時、許可制で終電がデッドラインとかいう超絶厳しい家なんですけど・・・?
「響~小説家になる方法~」は青二才氏が書いているようにアスペが俺TUEEEEするだけで巻を追うごとに面白くなくなっていく。
(引用:青二才氏のブログhttp://tm2501.com/entry/post-20733)
残念だ。残念で仕方ないから三巻以降のストーリーを勝手に考えてみる。作者は三巻から書き直すべきなのである。
響は新人賞に応募するが、作品に住所や本名を書いておらず、結局その原稿はお蔵入りとなる。
同じ文芸部の凛夏の才能が先に発掘され、凡庸ではあるがエンタメ性の高い彼女が先にプロデビュー。
その関係で出版社の編集が響のいる文芸部に出入りするようになる。
響は相変わらず生意気な態度を取り、編集の男と小説の話をしても「これはゴミ」などと暴言を吐く。
ある夕暮れ時、部室には誰もおらず編集の男はふいに響の言葉にカチンと来てしまう。
「今の発言はさ……ちょっとおいたが過ぎるんじゃないのかい?」
編集は響の手を軽くひねる。響は抵抗しても良かったのだが、その編集がそれからどのようなことをするのかが知りたくて、
抵抗せずにされるがままになる。
響は初めて自分の女性性を意識させられた。小説の中でしか知らなかった、胸の突起がどれほど感じる場所であるのか、
そして雌穴こそ鈍感であったが、表側にある女性器が自分に与える快楽を始めて知った。
小さく震える響を見て編集は「今日はここまでだ、あとは合意の上でないとしない」と言った。
響はその編集と定期的に会うようになった。合意の上ということでもう編集も遠慮することは無い。
最初は女性器の表面を掌全体で擦ることでイカせていたが、やがて指先で転がすようにしてイカせ、
乳首を刺激しながら同時の刺激でイカせた。何度も何度も会って編集は響の体を開発していった。
挿入はしていたが、それは響にとって最重要なものではなかった。響にとっては他の場所から得られる快楽の方が大きいと感じていたからだ。
編集もそれをわかっており、会うたびに女性器の表面で何度もイカせて、挿入は最後にそっとするだけであった。
ある時から編集は「吸引バイブ」を使うようになった。響の小さな女性器の核は、開発されプックリと丸く大きくなり、
吸引の刺激も快感ととらえられるようになっていた。
「だいたいわかっただろう。これを全部文章にして書け。設定はマッサージ師と女性客だ。できるな?」
響は編集に言われた通り、女性が快楽に堕ちていく物語を書き上げた。それは黒い背表紙の本となり書店に並んだ。
響のデビュー作は「敏腕マッサージ、何度もイカされて……」であった。
その後も義理の父や義理の兄から快楽責めを受けて堕ちていく作品を何本も書いた。
その頃には雌穴の中も二か所感じるようになっており、「欲しいの……入れてください」と言わされてから挿入されるまでになっていた。
作風がワンパターンになってきたので、編集は別の編集者を紹介した。「今日から担当が変わるから」
響はいきなりの担当替えに驚いたが、よろしくお願いしますと挨拶をした。
新しい編集者は「おい、これがあの態度の悪い高校生か? 随分おとなしいじゃないか」と言った。
「外では相変わらずのじゃじゃ馬だ。しかし俺の前では可愛い女になったよ。後任よろしく頼むぜ」
後任の編集は前任の編集と違い、若干肥った男だった。汗のにおいがした。
「ネタ切れ起こしてるって聞いたから、新しいお話を書けるようにしてあげるよ」
後任の編集は響と一度だけ普通の行為をし、二度目からは後ろの穴の開発を始めた。
「う、うう……そこは嫌です……」
響は抵抗を示したが、後任の編集は慣れた手つきで響の小さな菊の花にワセリンを塗っていく。
ゆっくり、ゆっくり、擦りこむようにワセリンを塗るその手が優しくて、響の心は開かれていった。
ぬぷ……と指が入っても響は深く呼吸をしていた。響の呼吸に合わせて菊の花が小さく開閉する。
その流れにそって少しずつ指を奥に届かせていく。
つぷん。編集の指が抜かれた時響は「ああっ」と声をあげた。
「続きは次回ね」
次回はあっという間にやってきた。
「今日はちゃんと準備してから前と同じことするから」編集はそう言って注射器の形をしたプラスチックに
洗面器からぬるま湯を吸わせた。身を固くする響を編集は後ろから優しく抱き、胸やわき腹を愛撫し、
菊の花にワセリンを塗った。その流れで編集は響の雌穴を確認するように触った。そこはぐっしょりと濡れていた。
「期待してるのかな。いいよ、期待してて。もっともっと良くなるから」
編集は響を四つん這いにさせ、頭を枕に押し付けるように指示した。菊の花を大きく開く体制を取らされ、
響は恐怖を覚えた。
編集はスムーズに響の菊の花にぬるま湯を入れていく。「んっ……!」響はすぐにトイレに行かせてくれと懇願したが、
編集は「あともう1回、我慢して。できるから」と言って合計200ミリリットルのぬるま湯を響に入れた。
編集は響を立たせてユニットバスに連れていく。「いいよ、トイレに座って」
「あの……一人にしてもらえない……?」「何かあったら困るから見てるよ」
響はユニットバスの個室から出ていかない編集と、迫りくる便意の狭間で激しく悶えた。
「もう……出ちゃうから……」「いいよ出して。きれいになるから」
「ああもうダメ……!!」
ピュウ……と最初の水が出るまでは音を我慢できたけれど、その後ビチビチ……という排泄音が響き、
響はいやあと叫んだ。声で排泄音を隠そうとした。
編集は立ち上がり、響の背面に回って右手で響の口をおさえた。そして左手と足で響の足を開かせた。
様式便器の中に排泄された響の排せつ物の匂いがただよってくる。
浣腸による排泄のため、細くなって出てきた茶色い塊が見える。響は恥ずかしさで喉奥から叫んだ。
しかし編集に口を押えられているため、その声はむなしい高音となって浴室に響くだけであった。
響はいやいやと首を振り、しかし腹の中のものをすべて便器に出し切った。
「全部出た?」「……はい」響は半泣きで返事をした。
その後二人でシャワーを浴び、響の気持ちを落ち着けるために編集は通常の愛撫を行い、
その後菊の花に細いバイブを入れた。
この遊戯は何度も繰り返され、逢瀬のたびに響は開発されていった。
この頃になると響は前任の編集とも定期的に会い、女としての一般的な快楽を追求していった。
前任編集には情のようなものもあり、ご奉仕も積極的に行うようになっていった。
適度な大きさの男性器を口に含み、側面を舌でしごきあげ、やわらかな袋を掌で遊ぶ。
響の書く官能小説は幅広いジャンルにわたり、監禁モノや連続アクメを上手に書けるようになっていた。
授賞式当日、響はワンピースを着て壇上に上がっていった。用意していたスピーチ原稿を開くと……
ブルルルルルル……
響の雌穴にはバイブが挿入されており、女性器の外側には防水テープで貼り付けられていた。
足を閉じて立っているため、ダイレクトに女性核に当たるのを止められなかった。
響は長期にわたる開発によって、刺激を受けたら必ず逝く体になっていた。この刺激もあとどのくらい続いたら逝くか、
響自身よく理解していた。スピーチを早く終わらせて壇上から降りたい……そんな一心で響は原稿を早口で読み続けた。
「ありがとうございます、これからも様々な作風、幅広いジャンルに挑戦し……」
彼らの手にはリモコン。前任編集は女性器の外側に貼ったローターのリモコンを、後任編集は響の中に収まっているバイブのリモコン。
一気に上げるのではなく徐々に上げることで響が逝きやすいことを二人ともよく知っていた。
「……っ!! ……より読者の方に楽しんでいただける作品を……ああああああああっ!!!!」
響はその場で崩れ落ちた。
床に突っ伏す形で小刻みに震える響の股間から、透明な液体がとめどなく流れていた。
その後、この授賞式は伝説となり、響の名は永遠に文壇に刻印された。
おわり
人間関係はとても良好で、オフィス環境も快適。業務は忙しいけれど充実している。とても恵まれた環境で働いていると思う。
ただ、ひとつだけ許せないことがある。
トイレのウォシュレットの水圧が、高い確率で、最大になっている。
私は臀部に爆弾を抱えている。
よりストレートな言い方をすると、痔持ちだ。
痔持ちの同士にはわかってくれると思うが、トイレにウォシュレットがあるかというのは生命線の1つである。
たまに腹を壊し、瀕死の状態で駆け込んだトイレにウォシュレットがあったときは、地獄の空の上から蜘蛛の糸が降りてきたカンダタの気持ちもわかるというものだ。
話を元に戻そう。あれは1年ほど前、この会社に入ってちょっと経ったころに、はじめてトイレで大きいほうの排泄を試みた。
自分はストレスに弱く、体質的に緊張していると出るものもなかなか出ないほうだ。
こうして用を足せるようになって、私も少しずつこの会社に慣れてきたのかな...なんて感慨に耽っていると、
私の肛門に槍が突き刺さった。
激痛に耐えかねて思わず「ア”オ”ッ」という声が出る。なんだ。何が起きた。
私の肛門に突き刺さったのが槍ではなく、最大出力に設定されたウォシュレットだと気がつくことに、そう時間はかからなかった。
ふざけるな。
お前は道徳の時間に何を学んできた?お尻が強い人も弱い人もいるっていう想像力はどこに置いてきたんだ?
そもそもウォシュレットって水圧でウンコを流すもんだと思っているのかお前は?
ウォシュレットの意義はケツを濡らしてウンコを落としやすくする以外に何があると思ってるんだ?
それをよりによって最強にする意味はどこにある?最弱ですら十分だろうが。
五体満足で鋼鉄のように頑丈なケツの持ち主であるお前は最大出力のウォシュレットでも物足りないのかもしれないが、
私のナイーヴなケツはそんな水圧に耐えられるようにできていないんだよ。
などと心の中で一通り悪態をつき、辛うじて一命をとりとめた私は、30秒前に抱いていた感慨などとうに忘れ、修羅の表情で業務に戻った。
それからというもの、用を足す時にはできるだけ水圧を「最弱」にするのを忘れないようにして、用を足すようにしている。
しかし、忙しいときや考え事をしているとき(そういう時こそトイレに入りたくなるものだ)、ウォーターカッターの如き水圧のウォシュレットは私の無防備な菊門を狙ってくる。
この1年間で、私は何度こいつに煮え湯を飲まされたかわからない。
前述したとおり、この職場の人間関係はとても良好だ。先輩も同期も後輩もみんな優しい。少ないメンバーで、かなりうまくやっていると思う。
「この中の誰かが、いつもウォシュレットの水圧を最大にしている」
「誰だ?どいつだ?」
「温厚な同期のAくん?」「職場のマドンナのBちゃん?」「凄腕エンジニアのC先輩?」
「クソッ、どいつなんだ...」
「いや、待てよ。複数犯ということは...」
「...」
私には、「こんなかでウォシュレットの水圧上げてんの誰だ?あ?お前か?お?」と凄むことも、
また、誰がウォシュレットの水圧を上げているのかを調べるために、人がトイレから出てくるたびにウォシュレットの水圧を確認することもしていないし、できない。
私の心も自分のケツと同じぐらいナイーヴだからだ。なのでこうして増田に書いているわけだが。
ウォシュレットの水圧を最大まで上げている奴に言いたいことはたくさんある。
トイレくらい気を抜かせてくれ、お前のケツどんだけ頑丈なんだよ、痔とかなったことないんだろうな、ふざけんなマジで...
でも一番言いたいのは、これだ。
盗んだのはクラブで一緒の友達の持っていた、価格にして500円ほどのもの。クラブの帰りにスッと万引きするような感じで盗んできたようだ。買った覚えのないものが娘のカバンにあったので問い詰めたら、白状した。お友達とご両親には、娘と一緒に謝罪と弁償をした。幸いにも、相手さんとご両親は子供のやったことだからと許してくれた。弁償したお金は私が立替えて、お小遣いから返済していくことになった。
娘と話し合った。娘の心がどうなのか他人である私に100%分かりはしないが、動機があるとすれば「魔が差した」というやつだろうか。別にそのオモチャがすごくほしかったわけではない。そういう「チャンス」が来たので手を出した。改めて人権の尊重とか、犯罪と罰とか、そういうことについてじっくり話した。どことなくぼんやりとして不安定に見える。もちろん、この年代で自分の心の状態を説明するとか、コントロールするなんて無理な話だろうが。
お父さんには言わないでと泣きながら懇願された。父親は夜勤のある仕事で、同じ家にいても寝ていたりして、娘とは生活リズムが違うためすれ違い状態になることが多い。娘は父親が大好きだ。私では力不足だと強く感じる。それでも父親にもやはり言うべきだろう。ただだまし討ちのようにはしたくないから、娘には父親に伝えると言ってから伝えるつもりだ。
知り合って5ヶ月の取引先の男性と合意の上でのセックス。仕事の後、ホテルで密会していつものように裸でイチャイチャして楽しく過ごしてた。
もうすぐ帰らなきゃって時間になって、ゴムを外した彼のを咥えてフェラしてたら、彼の様子が急に変わった。抱え上げられてベッドに転がされて、押さえつけられて抵抗できないまま挿入された。
正直怖かった。彼は身体が大きいので、上に乗られたらされるがままになるしかない。乱暴に開脚させられて関節が外れるかと思ったし、ただただ中で出さないでって懇願することしかできなかった。
合意の上での行為でも、了承なくコンドームなしで挿れるのはレイプと同じでしょ?これでもし妊娠したらシチュエーション的に私が非難されるのは間違いないし、他人のことだったとしたら私だって「そんなの自業自得でしょ?」って思ってしまうかもしれないんだけど...。
二年前、私は下校途中に誘拐されました。高校一年生だった私はその日も部活が終わるといつも通り友人と学校を出ました。乗り換えの駅で友人と別れるとき、「また明日ね」と小刻みに手を振ったことを今でも覚えています。私の家は駅から遠く、しばらく歩いていくと左右にとうもろこし畑が広がります。見通しの良い閑散とした田舎道です。季節はまだ梅雨入り前、夕暮れの風に吹かれるとすこし寒いくらいです。地味なセーラー服の高校ですが、夏服は生徒たちの間でも案外評判がよく、駅の人混みに入ると自分たちが注目されているような気がして高揚感に舞い上がりました。
私はそれに全然気づかなかったです。両側の畑に目もくれず、私は淡々と道を進んでいました。私はブラスバンド部に所属していたのですが、その日の練習のことを振り返り、ああでもないこうでもないと考えを巡らせていたのだと思います。だから気配を感じた瞬間にはもう私はガムテープで口封じされていて、お姫様抱っこのように抱えられると、抵抗という抵抗をする暇もなくあっという間に白いワゴン車に放り込まれていたのです。男たちは三人。私をワゴン車に放り込んだ男はグレーのTシャツに明るい色合いのデニムという格好の腹の出た小太りの中年でした。あとの二人は髪も短く整えられ、高そうなスーツと革靴で、とても誘拐犯には見えませんでした。
私は小太りの男に座席に押さえつけられていました。そのときにはもう自分に何が起こったのかを理解していたので、口をガムテープで封じられながらも叫び続け、手足もじたばたさせて必死にもがいていました。しかし周囲に人はいません。私はそのまま連れ去られました。小太りの男はずっと私を押さえつけていましたが、ときどき顔を近づけて私の顔を味見するようにすこし舐めました。そういった行為を続けているうちに劣情を催したのか、男はもぞもぞしはじめ、私のスカートの中に手を入れて、それから下着の上から性器を撫でてきました。初めての体験に私は大混乱していよいよ全力で抵抗します。そんな攻防戦を繰り広げていると助手席のスーツが小太りの男を叱責しました。
「大事な売り物だ。それくらいにしておけ」
私の性器の上に置かれていた小太りの男の手の動きが止まりました。しかしじりじりと震えていたように思います。彼の中でのせめぎ合いがあったのでしょう。しかし数秒の硬直時間の後、彼の手は私の下着から離れて行きました。「大事な売り物」とはどういうことなのかと不安になりましたが、次に起こったことが衝撃的すぎてそんなことを考えている余裕はありませんでした。小太りの男は私に手を出すことを諦めざるを得なかったのですが、一度盛り上がってしまった劣情を完全に沈静化させることは難しかったらしく、彼はデニムパンツを一気に膝の下まで引き下ろすと、赤や黄色の混じった派手な柄のトランクスから男性器を取り出して右手でこすり始めたのです。私は目の前の光景に怯えていました。初めて見る男性器です。取り出したときにはすでに勃起していて先端の海綿体は張りに張って光沢があるほど。小太りの男は息遣い荒く、慣れた手つきで右手を高速で動かしています。助手席のスーツは大笑いしていました。私は恐ろしくて声が出ません。小太りの男が低い声でうなり始めました。すると今度は私の顔をまじまじと見つめるのです。顔は真っ赤で、血走った目で私を凝視しながら、勃起した男性器を音が出るほど強くいじっています。私は彼からすこしでも逃げようと後退し、ドアに体を寄せます。そして彼は果てました。びゅっと音を立てて飛び散った白濁液はスカートを汚し、プリーツにとろりと入り込みました。激しい勢いで飛んだ白濁液の一部は私の頬にもかかり、重力を受けて顎まで垂れていくと大粒の雫となり、ぼとっとスカートの上に落ちました。頬にはかたつむりの通ったようなぬめぬめした跡が残り、私はそれを手の甲で拭くこともできず、ただじっとしているしかありませんでした。助手席のスーツが身を乗り出して、小太りの男の頭を叩いて叱っていましたが、同時に彼は腹を抱えて笑っていました。
短時間のうちに大きなショックを受けた私は心がからっぽになり、もはや抵抗の気持ちはなく、この状況を受け入れて順応しようとしていました。うとうとしながら車が山道に入っていくのを見ていました。そしていつの間にか眠ってしまいました。
助手席のスーツに起こされました。すでに日も落ちかかっていて、あたりの状況から山奥だとなんとなく察せられました。目の前には無機質なコンクリートの大きな建物があります。といってもワゴン車の中からでは張り巡らされた有刺鉄線付きの頑丈で高い壁と狭い入り口の奥にそれらしき建物が見えるだけでしたが。周囲は鬱蒼とした木々ですが、研究所の周りだけは舗装されていて異様な雰囲気があります。狭い入り口は三台のカメラで監視されていて、後からされた説明によると、壁には隠し機能として機関銃が配置してあり、不審者が発見された場合、システムが起動してオートで射殺されるようです。私たちが脱走しないようにという牽制の意図もあるようでした。
白濁液で汚れていたはずの私は起きたときにはきれいになっていました。ワゴン車の認証が済むと、狭い入り口の鉄柵が開き、するすると中に入って行きました。中はかなり広く、外から見えた以外にも区画ごとに大小いくつもの建物が立ち並んでいて、さながらそれはひとつの町といったものでもありました。居住区画やら実験区画やら開発区画やら、他にも私が最後まで立ち入ることが許されなかったエリアなどいろいろあります。
ワゴン車は敷地を通り抜け、一番奥にあった二階建ての比較的こじんまりとした建物の前で止まりました。車を降りるように命じられて、私はがくがくした足を何とか動かし、ドアを開けます。一歩外に出るとそこが山奥だということは空気でわかりました。それに高い壁に覆われてはいても、高く育った木々の青々とした葉が残照の中で揺れていました。小太りの男が私の腕をつかみます。
「来い。こっちだ」
そういって小太りの男は私の腕を力強くつかみます。私は声を振り絞り、一人で歩けるといい放ちました。助手席のスーツと運転していたスーツの二人は先に建物の中へ入って行きましたが、私のことを振り返ることはありませんでした。私はすでにその状況に順応しかけていました。まるでこれが生まれてからずっと毎日欠かさず繰り返してきた当たり前のルーティーンであるかのように。
案内された部屋に入ると、そこには高そうな木製のデスクで書類を睨みつけている男がいました。片桐さんと呼ばれる四十代の男は、洗いざらしの白いシャツにベージュのハーフパンツ、足元はサンダルといった格好で、胸元には金のペンダントが重く光り、両腕には大きな腕時計が巻かれていました。
「片桐さん、連れてきましたよ」助手席に座っていたスーツが半笑いでいいました。
片桐は私をまじまじと見つめ、何度かうなずき、それから一言「合格」といいました。そしてすぐ元の仕事に戻り、その部屋にはもう自分一人しかいないといった様子でした。三人の男たちからは安堵のため息が出て、何が何やらわからない私もなぜかほっとしていました。なぜだかわかりませんが、これで終わったと思ったのです。もちろんこれは始まりにすぎません。私はこの研究所に二年間監禁され、実験されることになるのですから。男たちが部屋から出ようと踵を返したことに気づかずぼうっとしていると、すぐ後ろに控えていた小太りの男に腕をぐいと引かれました。私を連れてきた三人とはそれっきりになりました。運転席と助手席にいたスーツはその建物を出たっきり(彼らはタバコを吸いに行ったようでした)、小太りの男の方は私を居住区画の担当者に引き渡すと、私の顔を見下ろしながら舌打ちをしましたが、それが最後でした。
私の部屋には二段ベッドと五段程度の安作りの棚が窓際に置いてあるのみでした。二人部屋ということですが、私は当初一人で生活していました。居住区画のスタッフや警備員は十分な数いましたが、私の担当は田中と名乗る三十代の痩せぎすの男でした。もちろんそれが本名なのかどうかは私にはわかりません。こんな言い方もなんですが、田中さんはいい人でした。脱走した今となっては、管理責任を問われて田中さんがひどい目に遭っていないかが心配です。私は田中さんになぜこんなところで働いているのかと聞いたことがあります。そのとき田中さんはとても辛そうな顔をして、しかし自嘲めいた笑いを浮かべながら、仕方ない、仕方ないと繰り返していました。
実験体(私たちはそう呼ばれていました)は特殊な衣服を与えられました。簡単に説明すると簡素な白いワンピースなのですが、二つの乳房の位置がくり抜かれ、股の間に深いスリットが入っているものです。私たちは下着類を身につけることを許されていなかったので、手で押さえでもしなければ歩くだけで陰毛がちらちらと見えるような構造になっています。初めての朝は部屋まで田中さんが来てくれました。初日だということで施設を一通り案内されました。田中さんは私のことを日本の救世主だといいました。もちろん私は冗談だと思って聞いていたのですが、後にこの言葉が本当だということがわかります。いえ、正確に言えば、彼らが本当にそうだと信じているということが私にも了解できたという意味ですが(もちろん私は彼らの計画を馬鹿げたものだと思っています)。荒唐無稽な計画は思ったよりも大規模なもので、私も何人かの国会議員と会ったことがあります。研究所はその計画の要であり、極めて重要な役割を担っているようでした。
私たちの使命は実験体として協力することです。実験区画には体育館のような開放的な建物がいくつかあり、午前と午後で場所を変えて異なった実験を受けることになります。二日目には私も実験に参加させられました。ひとつの建物に十人程度の女の子たちが収容され、Xの柱に手足を縛られ、乳首と女性器にローションが塗られます。女の子たちはほとんど抵抗もせず何本ものコードが繋がったヘッドギアをさせられていきます。実験のスタッフは装置を管理する技師の他に発動者と呼ばれる私たちの体を刺激する男がいました。ひとりの女の子に対して技師と発動者のふたりという割り当てになっています。大人の男ふたりだけでも私たち女子高生を思い通りにするには十分だったのでしょう。
「新顔だな?」私の担当になった発動者がいいました。
「はい」
「そうか。なら、慣例として説明しておこう。きみは昨日誘拐された……」
「一昨日です」
「そう、きみは一昨日誘拐された。なぜだかわかるか」
「いえ」
「そんなことありません」
「きみはとてもかわいいよ。そして我々にはきみのような美少女が必要なんだ。もっと具体的にいうと、きみたち美少女の絶頂エネルギーがね」
「きみはまだ知らないだろう。この日本が今まさに未曾有の危機に直面しているということを……。もっとも、《未曾有》すら読めない国会議員もいたがね」
「はあ」
「韓国と北朝鮮は水面下で手を取り合っている。両国はいずれ和解ムードになり、日本の一般大衆も知るところとなるだろう。だが、もうひとつ重要な事実がある。韓国と北朝鮮が連携して極秘に開発しているという新時代の超兵器だ。その兵器の詳しいスペックはわかっていないが、様々なデータから概算すると、日本列島の半分が数時間のうちに消滅してしまいかねないほどの火力なのだ。我々はこのような危険極まりない隣人を持ちながらただ黙って見ているだけでいいのだろうか。無論それはありえない。とある国会議員が中心となり秘密結社が作られた。そして結社の肝心要が、東大の優秀な科学者たちを引き抜いて立ち上げたこの研究所であり、誘拐されたきみたち美少女なのだ。東大の頭脳が精妙な理論と隣国を上回る兵器を作り上げ、きみたち美少女には兵器を動かす力になってもらう。簡単にいうとそういうことなのだ。わかってくれたかな」
「あなたたちは狂ってる」私はもがきましたが、Xの柱に両手両足を縛られていました。
「きみは国のために命をかけたいと思わないのか?」
私は男と数秒睨み合いました。男は視線を外してあたりをうろうろしながら話を続けます。
「まあいいだろう。きみくらいの年齢の少女にわかるはずもない。あまりにも現実離れした話だからな。しかし事実は事実。我々は朝鮮半島の超兵器に対抗する兵器を完成させ、朝鮮半島を消し飛ばさなければならない。そうしなければこの国の未来はないのだ。きみにも愛する家族や恋人がいるだろう? きみが力を貸してくれなければ、いずれきみの愛する人たちも朝鮮半島の超兵器に殺されることになるということだ。ふふふ、きみに拒否権はないよ。体は素直だからね。これが何かはわかるはずだ」
発動者は技師から手渡された器具を私に見せました。それは長い取っ手があり、先端は丸く、スイッチを入れると振動するという機械でした。
「なんだ、わからないのか。うぶな娘だ」
男は私の前まで来てしゃがみ、陰毛を撫でてきました。ワンピースの股間は元から裂けていて、Xの柱に縛られた時点で私の性器を守るものはもう何もありません。男の手は陰毛、クリトリスへ、そして膣と順々に撫でていきます。野卑な性的関心というよりも整備士の技術的関心といったようなもので、人差し指にローションをつけて調べるようになぞっていきます。
「んっ、んっ」
「どうした、感じるのか?」
「感じてなんか……」
ゔぃいいいいいんという音を立てて機械が振動しはじめました。発動者が機械の先端の丸い部分を私のクリトリスに軽く当ててきます。技師はヘッドギアから送られてくるエネルギーをコンピューターでリアルタイム観察しています。
少しすると周りの実験体たちから喘ぎ声が上がり始めました。顔を真っ赤にして声を出さないように頑張っている子もいれば、逆に思いきり叫んで全てを解放している女の子もいます。
「いや、やめて」
私は懇願するようにいいました。しかし発動者は答えませんでした。機械を様々な角度から異なったリズムで当てるなどの試行錯誤は研究者然としていて、なるべく効率的に私を絶頂に導こうと真剣に思案しているのが見て取れました。私が我慢強かったのか、しばらくすると発動者はおかしいなといった様子で機械のスイッチを止めました。今度は私の後ろに立ち、抱きかかえるように両手を回して乳首をつまんできました。私は巨乳ではありませんが、それなりに胸はある方です。揉んでいくうちに発動者も気を良くしたのか耳を舐めてきました。
「なるほど」
発動者は私の耳を集中的に舐め始めました。
「いや、耳は、耳はだめ」
体は熱を帯びてがくがく震え、だんだん意識がぼんやりしてきました。頭が熱い。死んじゃう。性器がじゅくじゅくに濡れているのがわかります。攻め時だと見たのか、発動者はふたたび機械のスイッチを入れ、クリトリスに当ててきます。ゔぃいいいいいんゔぃいいいいいんという音に私の思考は飲み込まれ、自分が自分でなくなるような、真っ白な世界に飛んで行ってしまいそうな……。
技師がOKサインを出しています。私の絶頂エネルギーが閾値を超えて観測され始めたようで、ヘッドギアのコードにつながった消化器のようなエネルギー一時保存電池が青いランプで点滅しています。
「ああ、ああ、だめ」
「気持ちいいんだろ? おいこら、どうなんだ」
「ああ、ああ、ああん」
不意に私は高まりを感じました。そして一瞬のうちに絶頂に達し、体はいうことを聞かずに暴れ、弛緩の波が来るとXの柱にだらりと垂れ下がった形になりました。
「イったのか、おい、イったのか」
発動者はモニターを観察していた技師に確認すると満足そうにして去りました。私はXの柱から拘束を解かれましたが、しばらくその場に倒れてがくがく震えていました。
そのような実験がひたすら続くことになります。私たち誘拐された美少女は毎日性的絶頂に導かれて、その絶頂エネルギーを吸い取られます。そのエネルギーが結社が開発している兵器に使われるというのです。
二ヶ月が過ぎた頃、私の部屋に新人が入ってきました。とてもかわいい子で本土からヘリコプターで連れてこられたようです。だいぶ怯えていましたが、自分と同じ年頃の私を見るとほっとしたのか彼女は泣き崩れました。
麻衣ちゃんとはいろいろなことを話しました。好きなアーティストの話や、学校や友達の話などはもちろん、実験のことも話しましたし、将来のことなども。麻衣ちゃんは私とは違って、この環境にはなかなか順応しませんでした。抵抗運動なども密かにしていて、脱走しようとしたときなどは懲罰で鞭打たれていました。実験ではあえなくイってしまうのですが、それでも麻衣ちゃんの心が結社に屈することはありませんでした。しかし、そういう勝気な性格が災いしたのか、さらに数ヶ月が経ち、自分たちの現状がどうにも変えようにないものだということが確信に変わってくると、目に見えて麻衣ちゃんは心を病み始めました。そして事件は起きました。
ある日、結社の構成員である国会議員の先生方が研究所を訪れるというのでおもてなしをすることになりました。私たち実験体には新品のワンピースが支給されました。もちろんあの特殊な加工が施してあるワンピースです。先生方が到着すると私たちは長い直線のメインストリートに整列させられ、性器を見せて挨拶させられました。先生方は一人ずつ確かめるように乳を吸い、指を膣に入れ、堪能されていきました。私もじっとこらえました。もうその頃には陵辱されることにも慣れていましたから。しかし麻衣ちゃんはそうではありません。いまだに自尊心を保ち続け、羞恥心も怒りも研究所に来たときのままなのです。実験体のほとんどはそういった感情はとっくに失っていました。人間らしい感情を失わずに抵抗を続けた子は病んで使い物にならなくなり、《処分》されるか自殺するか、私たちの生きていた世界とはそういうところなのです。
麻衣ちゃんは国会議員の先生に平手打ちをしました。一度だけでなく二度も。先生はやれやれ困った子だねと笑っていましたが、プライドだけはこの上なく高い国会議員が平手打ちを食らったままただ笑っているなんてありえません。研究所のスタッフたちは青ざめました。罰として全員《処分》されることも考えられましたから。しかし最悪の事態はなんとか免れることができました。結社の幹部だからこそ先生は研究所の重要性を誰よりも理解していて、秘密厳守のこの組織の人員を削って新たに補充することのデメリットまですぐに計算したのでしょう。この娘を連れて行けとだけ言ってその場は終わりました。それから二日間私たちには仕事がありませんでした。大人たちが麻衣ちゃんの処遇について議論しているのだと噂されていました。
不幸自慢です。なんとでもどうぞ。
結婚当初は、結婚増田みたいに、うれしい!たのしい!だいすき!の状態だった。
でも本当に一瞬で終わった。
そんなものは遅かれ早かれ消えるものだから惜しむに当たらない。
消えずに何十年も続いたとしてもそんなのはたいした楽しみではない。
結婚してすぐ義父が病気で死んだ。あまりの悲しみに義母がおかしくなった。大事な大事な一人息子である彼は私のいる新居に帰らなくなった。ずーっと義母のいる義実家にいた。
「年を取らないで」「死なないで」という望みを持っていて
必然的に望みが裏切られて混乱してる。
時間が経って、彼は平日ちょくちょく新居に帰るようになり、1年経ってようやく平日は帰るようになったけど、休みの日はほとんど義母と過ごしていた。たまには2人で過ごしたい、と懇願したが、彼には私が見えていないようだった。義母に悪いから、と2人で出掛けるのは渋る。仕方がないので3人で過ごした。
2年経ってもこの関係は終わらなかった。異常だと感じたので、仕事を理由にして新幹線で2時間の距離の場所に逃げた。「仕事で別居」というと、みんな「理解ある旦那さんですね」と言う。うん、私が見えてないだけなんですけどね、と聞くたびに思った。私は月1で帰ることにしていたが、彼は出張のついででしか私の元には来なかった。
息子も父と母に執着している。
3年経って、ようやく、彼は電話で「寂しい」と言った。この間のことだ。もう許そう、いや離婚しよう、と揺れた3年だった。
誰かが側にいることは本当に幸せなことだ。義母も、パートナーを失くして悲しみの底だっただろう。息子である彼も同じ。だからこそ彼らは支え合っていた。私はなぜか彼の不在に耐えられなかった。いるのにいない、死んでいないのに、生きているのに、2人で過ごせないだけで駄々をこねた阿呆である。
執着と無分別による混乱と悲憤のありさまを夫と義母がさんざん見せてくれているのに
3年の間、彼は彼自身を守るためか、性格がキツくなった。なんでわかってくれないんだ、という想いだっただろう。私の寂しいは人の死と比するほどの理由じゃない。生きているのに、目の前にいるのに寂しいとのたまったのだから、私の方が病気だったのではないかと思う。
「のたまう」を辞書で引こう
素晴らしい!
正しい!
けれども実際には手放せていなくてふてくされているだけなので素晴らしくない。
今でも不満たらたら未練たらたらだから楽しい気分になれてない。
その瞬間から、もう恋はしていない。家族としての愛情はあるが、うれしいたのしいだいすき、は消えた。義父母みたいに、いつまでも恋人同士のような夫婦でいたかったが、自ら手放したので仕方がない。彼の「寂しい」は、手放したあとだったので、何にも嬉しくなかった。
義父と義母の無分別がどういう惨事を招いたか目の当たりにしながら
「義父母みたいに、いつまでも恋人同士のような夫婦でいたかったが」と言ってのけるあたりに
何も執着するに値しないし何も当てにならないことに気付けたら
その時の幸せは恋人がいちゃいちゃしているような子供だましのものの比ではない。
まとめ