はてなキーワード: 懇願とは
不幸自慢です。なんとでもどうぞ。
結婚当初は、結婚増田みたいに、うれしい!たのしい!だいすき!の状態だった。
でも本当に一瞬で終わった。
結婚してすぐ義父が病気で死んだ。あまりの悲しみに義母がおかしくなった。大事な大事な一人息子である彼は私のいる新居に帰らなくなった。ずーっと義母のいる義実家にいた。
私も義父を看取り、亡くなったあと1ヶ月くらいは義実家で過ごしたが、耐えられなくて新居に逃げた。
時間が経って、彼は平日ちょくちょく新居に帰るようになり、1年経ってようやく平日は帰るようになったけど、休みの日はほとんど義母と過ごしていた。たまには2人で過ごしたい、と懇願したが、彼には私が見えていないようだった。義母に悪いから、と2人で出掛けるのは渋る。仕方がないので3人で過ごした。
2年経ってもこの関係は終わらなかった。異常だと感じたので、仕事を理由にして新幹線で2時間の距離の場所に逃げた。「仕事で別居」というと、みんな「理解ある旦那さんですね」と言う。うん、私が見えてないだけなんですけどね、と聞くたびに思った。私は月1で帰ることにしていたが、彼は出張のついででしか私の元には来なかった。
3年経って、ようやく、彼は電話で「寂しい」と言った。この間のことだ。もう許そう、いや離婚しよう、と揺れた3年だった。
誰かが側にいることは本当に幸せなことだ。義母も、パートナーを失くして悲しみの底だっただろう。息子である彼も同じ。だからこそ彼らは支え合っていた。私はなぜか彼の不在に耐えられなかった。いるのにいない、死んでいないのに、生きているのに、2人で過ごせないだけで駄々をこねた阿呆である。
3年の間、彼は彼自身を守るためか、性格がキツくなった。なんでわかってくれないんだ、という想いだっただろう。私の寂しいは人の死と比するほどの理由じゃない。生きているのに、目の前にいるのに寂しいとのたまったのだから、私の方が病気だったのではないかと思う。
あまりにも辛くて、これは彼のことが幼稚に好きだから独占したいから起きるのだ、そうかこの気持ちを手放そう、と決意した。その瞬間から、もう恋はしていない。家族としての愛情はあるが、うれしいたのしいだいすき、は消えた。義父母みたいに、いつまでも恋人同士のような夫婦でいたかったが、自ら手放したので仕方がない。彼の「寂しい」は、手放したあとだったので、何にも嬉しくなかった。
どこか僕は幸せになれると思っている、今こうしているのは、不幸に続く道だということを理解できていない。
悪を誇示しているけれど、自分の善を誇示するよりも、悪を誇示する方が楽だからそうしているだけの、弱い人間だから。
僕は彼女ほどに自信がない。
幾度となく聞いてきた「お願い! シンデレラ」を聞いて、こんなにも心を揺さぶられる日がくるとは思っていなかった。
2018年7月31日のおねシンのソロバージョンがスターライトステージで更新された。
今日更新されたアイドルは安部菜々、棟方愛海、相葉夕美、佐藤心の四人。
デレマス全体を代表する楽曲であり、何度も何度も聞いている、おねシンを改めて聞いて
こうも、僕の願いとリンクしてシンデレラになってほしいと思ったのは初めてだった。
14歳の女子中学生でありなら、女性の柔らかい部分、彼女の言葉でいう「お山」をこよなく愛している。
彼女に事前告知なく突発的にボイスがついたアニメのシンデレラガールズ劇場第二期二十三話「棟方愛海 最高峰に挑め!3番勝負!」では、
棟方愛海が同僚のアイドル三人にお山を登らせてくださいと懇願する回だった。
お山登らせてください、というのは健康的なハイキングや登山ではなく、要するに乳を揉まさせてくださいという意味だ。
こんな調子で、彼女は登場するたびに同僚のアイドル、事務所のアイドルではないアシスタントの女性、果ては触れ合い会と称してファンと、
とにかく女性のお山、胸に興味津々なアイドル、それが棟方愛海である。
どうだろう。
はっきりいって、危うい設定だと思われたかたも多いと思う。
当たり前だが、同意なくおっぱいを触るのは、女性同士であっても犯罪になりうる。
そうですね。
と、自信が出演したデレステのHARURUNRUNイベントで言っている通りである。
けれども、彼女が初登場したシンデレラガールズ劇場第70話「北海道から来ました?」では、白菊ほたるの胸を同意なく触っているようにも見える。(該当箇所はコマの外で描写されていないため、真相は不明だが)
そして、この同意をとるプロセスも、一歩間違えれば犯罪になりうるかもしれない。
そもそも「恋愛関係にある相手や結婚している相手以外の女性に、胸を触って良いか? と合意をとる」という行為自体、互いの地位に権力の勾配があればセクシャルハラスメントだ。
権力の勾配がなかったとしても、街中で見知らぬ女性に突然「胸を触って良いか?」と尋ねるのは、警察を呼ばれる。
おっぱいを触るというのは、それだけ今の日本社会ではハードルの高い行為なのだ。
どうして、こうも僕はそんな危うい彼女に惹かれるのか。
当たり前だが、アイドルマスターシンデレラガールズに登場する棟方愛海以外の180人以上のアイドルの中で、
中には人見知りでむーりぃーなアイドルや、感情をあまり表に出さない寡黙の女王なアイドルもいるが、それらと人が嫌いには大きな隔たりがある。
そういう意味で、この「人が好き」というのは、あまりにも当たり前な要素だ。
だけれども、棟方愛海の好きには、性的な意味の好きが含まれている。
人にとってそこは特定の自分が決めた相手との合意があって初めて至れる行為と、今の日本の公序良俗が決めているのだ。
そうでありつつ、棟方愛海にとっての最難関のお山とは「「ありがとうー!」の意味に近い「好き!」であって恋愛の「好き」とは違う」と「同じこと」だと語っている。
彼女には、恋愛関係を結んだその先にある性行為の一環として胸を触るべきである、というような、僕みたいな人間が思うちっぽけな倫理観はない。
ただ、そこにある、お山を触りたいだけなのだ。
大きい。
ただただ、大きい。
僕のちっぽけな欲とは格が違う。
本当に大きい。
僕は、他人と仲良くできた試しがない。
根本的に自分みたいな人間を誰かが好きになるわけがない、と思っている。
僕の中に強くあるのだ、僕みたいな人間を好きになる人はいないと。
性行為はその先にある行為なのだから、僕には一生縁のない行為なのだと。
(ソープに行け的な話は全く意味が違うし、行ったことはある、そういう話を今していない)
そして、そんな自分が誰かに好意を向けることもまた、おこがましいとしか思えない。
僕が誰かを好きになるということは、その誰かにとって不快で気持ち悪くて、犯罪なのだ。
それでありながら、僕は性的にムラムラすれば、風俗に行くこともある。
イライラをムラムラに変えては、女性がひどい目にあうポルノを楽しむ日もある。
これが矛盾でなければなんなんだ。
そうして、そうさせる僕の中の男性性ともいうべき忌むべき概念が心底嫌いだ。
けれども、それはもう分かち難く僕の中に根付いている。
おっぱいを触りたいなあ、と思ったら、触らせてくださいと交渉する。
そうしたときに、自分が嫌われたらどうしようなんて、うじうじと悩まない。
否定されたら否定されたで、それだけの話と割り切っている。(ように見える、本当はどうかはわからない)
とても、羨ましくて、とても眩しく見える。
僕は、そうやって、他人を好きだと言えない。
そういうことで、その誰かの気持ちを暗くさせてしまうとしか思えないから。
そんな彼女が歌う、おねシンの「心にシンデレラ、私だけじゃ始まんない」はひどく重く聞こえる。
棟方愛海がただ一人で無人島に漂流したとき、そこにいるのは棟方愛海だろうか?
究極的に言えば、それは違うナニカになると僕は思っている。
棟方愛海は、自分とアイドル、自分とアシスタント、自分とファン、自分とプロデューサー。
島村卯月が世界最後の人間になっても、彼女が笑顔でいれば、それは島村卯月だ。
渋谷凛が世界最後の人間になっても、彼女が蒼ければ、それは渋谷凛だ。
本田未央が世界最後の人間になっても、彼女が三つ星ならば、それは本田未央だ。
だけれども、棟方愛海は違う。
棟方愛海が最後の一人になったら、それはもう棟方愛海じゃない。
最後の一人になって「お山をもう登れないこと」を嘆く棟方愛海は、もうそのイデアを喪失している。
だから「私だけじゃ始まんない」のだ。
断じておきたいが、これは、一人じゃ輝けないといっているんじゃない。
愛海のその、人を好きな様に僕は惹かれているといっているんだ。
僕は、性欲が嫌いだった。
こんな欲で誰かを不幸にするぐらいなら、どこかに消え失せて欲しかった。
だから、女性もこのような欲を抱くことがある、そしてそれをどこか身勝手に露呈することもある、ことを例えそれが創作物の上だとはいえ、自由にしている彼女の様がとても魅力的だった。
自分のように、内心にこのような欲を抱えることを恥じたり悩んだりしない様が魅力的なんだ。
そして彼女個人であって、その主語をそれ以上に大きくしては、絶対にいけないのだけれど。
そう、この主語は大きくならない。
もし、僕が女性なら、この主語を二つに増やせられる可能性があった。
僕は汚らわしい男だから。
彼女に寄り添って、嬉しいことを掛け算して、辛いことを割り算することもできないから。
彼女を否定する言葉に「いやでも実際私は女だけど、女性の胸を触りとと思うよ」と彼女を支えることすらもできない。
僕が汚らわしい男だから。
好きなんです。
好きでいる間だけは、眩しいから自分の中の気持ち悪いのが見えなくなって、ただただ嬉しい気持ちでいっぱいになります。
「嫌な顔されながらおパンツ見せてもらいたい」の最新話のことなんだけどさ。
見せてくれんのは、牧師がいる教会のシスターとかこれもうカトリックかプロテスタントかわかんねえな。
まあ教会風の店か何かってことにしとこう。クールジャパン()的発想な。
てかシスターは十字架じゃなく謎のペンダントを首に掛けてたし。
でも靴はボクシングとかで見かけるような、やたらゴツい編み上げブーツ、これ。中途半端にお約束なんだよなあ。
ちなみにシスターに見せてくれるよう懇願する今回のシチュエーションも凄いけど、個人的には前回のアイドルがヤバかった。
ミニ丈の衣装の下に見せパン穿いてるの前提で「本当のパンツ見せてくれ」ってお願いするのが天才的に狂ってて、そして…この先は是非その目で本編を見てくれ。
って言いたいところだったが配信期間修了か。まあ買って見てください。
されどパンツだな。
幼稚園に行くか行かないかくらいに見える幼児が、ひたすら自販機を無言で殴り蹴り続けてた。
場所はとあるスーパーのイートイン、中には他に客も居なくて保護者らしい人も居ない。
なんだか怖くなったので、店の人を呼んでこようかと思ったら親らしい人が現れて。
「○○ちゃん、そのジュース出ないから。あっち(売り場)で買おうね」
そう言われた子供は、親らしい人の声には無反応で自販機を殴る蹴るを続行中。
親らしい人は怒るでも諭すでも無くひたすら懇願口調、なんでそんなにおもねっているんだろう。
そして、親らしい人が何を言っても体を引っ張ろうとしても、子供はずーっと無言で親らしい人の顔を見ることもなく自販機を殴るけるを続行。
ちょっと怖いなと思ってたら、親らしい人が子供に抱きつくようにして「あっち」に連れて行ってた。
その間遠目に眺めているオッサン(おれ)も不審者だよな、と思いつつその場を去りました。
大多数の男も「金がなければ女は子供を産まない」という前提で動いてるもんだと思うけどな…
大多数の男は「なんとかなるだろ」で動いてるの知らないの?
本当に男見てきて言ってる?妄想や二次元じゃないんだよ。現実だよ?
「披露宴?上げなくて良いだろ。結婚指輪だけで良いな!あとなー、子供?まぁなんとかなるだろ」が一般的!
独り身の男って大抵欲しいもん買って、スマホアプリに課金して、貯金とかしてないから!
あのさ、私そんなこと一言も言ってないよね。
子供が欲しいのは女だけで、かつその欲望は物凄く強いもので、仮に男が「子供なんか作らせてやんねーよ」と女に言えば女は必死で男に懇願するだろう、という前提?
これもさ、私「一言も言ってない」よね。
男に必死に懇願して欲しいって一言でも書いた?私が子供欲しいって懇願してるって書いた?
どうしてそんな事書き出したのか、ほんと意味不明なんですけど。
大多数の男も「金がなければ女は子供を産まない」という前提で動いてるもんだと思うけどな…
「子供は、子供が欲しい女が男に懇願して妊娠させていただいた末に産まれるものだ」とか思ってるんだろうか?
子供が欲しいのは女だけで、かつその欲望は物凄く強いもので、仮に男が「子供なんか作らせてやんねーよ」と女に言えば女は必死で男に懇願するだろう、という前提?
あれは「女が男を買う吉原」を表現する為の苦肉の策であって、リアリティ全然ないのに。
(流石に「女が性欲が溜まって男を買う」じゃ不自然過ぎる、かと言って吉原は描きたい、
なら女が男を買う動機は何か、ってんで他に思いつかなかったんだろうと)
別に自分は安倍信者でもアンチでもないけど安倍総理はやめるべきだと思う。
別にこれは安倍総理だからという訳ではないんだけど、組織ってのは周期的に入れ替わることで健全な状態に保てると思うんですよ。
体だって古い細胞が死んで新しい細胞に生まれかわることで健康を保ってるし、経済だって古くなった組織は競争力を失って、新しい組織が台頭することで回ってる訳でしょ(日本ではそんなに上手いこといってないけど)
そのトップに一人の人間が君臨し続けたら、健全な状態に保てなくなるのは自然の摂理だと思うわけですよ。
別に安倍総理が特別悪いって言いたい訳じゃなくて、人間なら誰だって。
だからさ、代謝という観点から一人の人間が組織のトップに長居するべきじゃないというのが自分の意見なんです。
仮にすごく尊敬されて、一生トップでいてくれって懇願されるような人間がいたとしても自分はトップに居座るべきじゃないと思うのよ。
トップを退いたとしても、その後に組織に貢献することは可能な訳だし、むしろ退くことで別の観点から組織を運営できるという点で全体から見たらプラスになるんじゃないかな。
母は横浜出身だ。3代ハマっ子ではなく、その父と母はそれぞれ茨城から出てきた。
数年前に亡くなった父は川崎出身で、江戸時代から代々、住み続けていたらしい。
母は横浜に戻ると言い続けている。
マンション高値の市況を受けて、今こそ自宅の売り時と持ちかけたところ、
家自体は気に入っているのでもう少し住む、10年後くらいに売って越すと言い張る。
今年72歳。女性の平均寿命を考えると、10年後では、引越しは負担になるはず。
自分の家事負担の軽減・節税のため、同居してはどうかとも提案したが、
横浜市でも実家のあった付近か、憧れの元町周辺以外は嫌だという。
具体的には、戸塚、東戸塚、井土ヶ谷、星川、大船、本郷台…etc、
すべて地名だけで拒否反応。しかも、井土ヶ谷などは、以前に住んだことがあるから、
「谷は嫌だ」という。何回か話してみて、坂の上から見下ろしたいのだとわかった。
ちなみに、瀬谷区や泉区はもともと嫌いだとわかっているから挙げていない。
仕事の関係で、東京・新宿・渋谷・池袋にダイレクトに行ける立地がよく、
湘南新宿ラインが通っている駅、または品川に行きやすい駅だけに絞った。
最寄り駅に近いので、今の自宅は便利だ。それでも、都内までは遠い。
東京駅まで朝74分、夜60分。以前は寝たり、ネットをしたり、
DSでゲーム(ドラクエ)をしたり、時間を有効活用できたが、いまは数分で飽きる。
気になるエントリーが減り、「はてブ」もたった10分で読み終えてしまう。
着席できなかった場合は苦行の時間が続き、着席すると座り過ぎで、別の意味で苦痛だ。
夫婦だけの子育ては時間的に厳しすぎた、協力してくれと懇願した。
知らない地方在住者は、名の知れた横浜・川崎アドレスにこだわり、
そしてどんどん過密になり、いまだに物件価格は高止まりしている。
もうひとり産んで、子ども2人を無理なく育てるには親の手助けが必要。
提案は非常に理にかなっているのだ。
何より、睡眠時間を削って自分の時間を捻出する、育児ワンオペはもう限界だ。
調べた限り、横浜でも通勤に不便なところや地質に難があるところはかなり安い。
駅近でも、狭ければそれなりに安い。
オープンハ○スの新築物件はあまりにも立地がいいので見に行きたくなった。
10年、20年待っても、都心近くの地価は下がらず、むしろ上がる。
確かに、今の悩みの大半は、
月30GBの大容量データプランの契約と往復グリーン車通勤で解決する。
トータルでは、横浜・川崎に家を買うより安く済むが、ストレスは減らない。
……次に大地震が起きたら、もう都心部しか復興対象にならない気がする。
毎日毎日、何度も、何十回も嫌だ、やめて、お願いだからやめて、苦しい、
と繰り返し、繰り返し、朝から、夜も帰ってきたらずっと繰り返して、
懇願してやめて、お願いだからやめて、と言っているのに、やめてくれない。
そのモードに入ったら、バスだろうが、電車だろうが、スーパーだろうがひと目があろうがお構いなし。
今日はスーパーでそのモードに入られてしまって、何度もやめて、お願いだからやめて、と20回程懇願して泣き崩れてようやくやめてくれた。
そのたびに「ごめんね。もうやらないから」と優しい言葉を言ってくれることがあって、よかった、とほっとするんだけど、またすぐに繰り返し。
今日も夕飯は○○が食べたいな、と言われて、頑張ってリクエストに答えて作ると、違うのが良かった、と言われたり、
何か気に入らないと無言でシンクに捨ててあったりする。
毎日が、精神を削られる、人格というか、人としての尊厳というか、
そういった正気を保つためのなにか大切なものを不可逆的に削られていくような感覚がある。
行政にも、各方面何回も相談したが、これといった決め手がない。行政は実際に家庭内に干渉することはない。
違うんだ。共感が欲しいんじゃないんだ。この逃げようがない毎日から助けて欲しいんだ。楽になりたいんだ。
こんな、毎日が修羅場の家庭を作りたかったわけじゃ決してないんだよ。
嫁に思い出話をしたら、そう言われた。
高校時代の部活で顧問による体罰事件があり、顧問の先生が罰されても、なお先生に泣きながら復帰してくださいと懇願する生徒たちの姿を洗脳と言っていた。僕も当時は一種の洗脳だと思ったが、とても言い出せる雰囲気ではなかった。
さて、いきなり嫁との会話を書いてしまったが順を追って書こうと思う。
そもそもこの話を書こうと思ったは、今マスコミを賑わしている日大アメフト部のコーチによる暴力が原因だ。顧問による暴力と聞くと、僕も高校時代に顧問による暴力に多少縁があったからだ。また、このニュース記事の見出しの「盲目」という単語が目についた。僕の顧問の先生も、人を盲目的にさせる天才だったなと。
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3380718.html
あれから10年、そろそろ言葉にして残しておきたいと考えたので筆を取ることにした。僕は高校時代に吹奏楽部に所属していた。その吹奏楽部は全国常連の高校で非常に規律が厳しかった。具体的に言うとSNS禁止、買い食い禁止、部内恋愛禁止、登校中の音楽禁止である。僕はほとんど守れてなかったが。そして顧問の先生が猛烈に厳しい人だった。まぁ昭和の熱血先生という感じだ。「お前らに一生の思い出を残してやるから、ついてこい。この部活でやれば人間力が鍛えられる」が口癖だ。僕と全然合わなかった。
部活内のイベントとして月に一回、全校舎大掃除と言うイベントがあった。普段使わせてもらっている校舎に対して感謝の念を込めて学校全体を部員全員で清掃すると言うものだ。僕が3年生の時に、掃除がいい加減だったので、いきなり顧問が女子部長を何回も顔面を平手打ちし始めた。最初は混乱して理解できなかった。人の突然の暴力ほど混乱するものはないと感じている。さすがにやりすぎだと思ったのか、矢継ぎ早に他の部員が止めに入ったが次々顔面を平手打ちされていた。僕は臆病者なので、とても止めに入ることができなかった。もう音楽室の端にすぐ逃げてしまった。暴力を振るわれるのが怖かったのだ。無抵抗の人に暴力を振るうことが無意識に怖かった。言葉では説明できないが本能的に逃げしまった。顧問が怒って音楽室から出た後、部員達から出たセリフは「自分たちがいけないから平手打ちされたんだ」と言うセリフだ。この時点でちょっと違和感を感じていた。なんで暴力を受けてるのに慕うのか理解できなかった。愛のある暴力をなんて存在しないと思っていたからだ。後日、この1件のことをOBが聞いていて、「男子だったら積極的に女子をかばうように動けよ」と責められた。このお叱りは今でも意味が分からない。生まれつき暴力に耐性のない人だっているのだ。
数日後、先生と3年生部員達と話し合いの場が設けられた。そこでは、主に2つの意見が出た。「頑張って全国大会に出たいのでご指導お願いします。」「暴力を振るう先生なんてついていけません。退部します。」の2つだ。25:5ぐらいの割れ具合だったが。ここまで読んでいる読者はお判りだと思うが、僕はもちろん「退部します」の側だ。退部派の人たちは、合計2~3時間かけて退部を止めるために説得される。推測だが、吹奏楽コンクールの前に部員の退部を防ぎたかったのだろう。必死に止められた。説得のされ方は、顧問が「君は部活に必要な人材だ、Aくんそう思うよな?Bくんはどう思う?」と周りの同調意識を利用した方法だ。一応暴力のことに関しては謝罪はあったが、僕を含めた5人は同調意識に負けて続けざる得なかった。このことは今でも後悔している。当時にやりたいことがあり、その時退部していればできたのではないかと思った。内心、クソみたいな説得方法だと思ったが、退部を撤回するまで部屋から出してくれなさそうな雰囲気だった。僕は顧問に屈してしまったのだった。
それから一週間後、大変なことが起こった。読売新聞の地方面に、顧問の暴力の件が詳細に載っていた。誰かの親が新聞社に告発したのだ。内容も明らかに、その場にいた人しか分からないことが書いてあった。僕は内心、顧問の先生に正当な罰が下されると思った。その次の日に、部活内の保護者を集めた説明会が行われた。顧問は確か2週間ぐらいの停職処分が校長先生から説明された。顧問も謝罪していた。そこで生徒の何人かがいきなり泣き始めた。「顧問の先生は、僕たちを思って平手打ちしたのです。顧問は悪くない。僕たちのことを指導してください。」のようなことを言い始めた。やがてほとんどの部員は賛同し泣き崩れた。泣いていなかったのは、退部派の人たちだけだ。当時は言わなかったが、内心「この人たち大丈夫かな?」と思っていたと思う。少なくとも僕ともう一人は、そう思っていた。ここで冒頭の嫁との会話に戻る。このことを顧問による洗脳だと言ったのだ。全国大会に行かせてやるから俺を信じろと言って部員たちを盲目にして、顧問の意見は絶対に聞かなければならない。ちなみに、保護者の中で誰が新聞社にタレ込んだかプチ犯人探しが始まったのは、想像に難しくない。
そのあと停職になった顧問と、その家族は非常に心を病んでしまったようだ。何せ地方欄とはいえ新聞で報道されたのだ。そこで顧問と家族に向けて手紙を書くことになった。いや、確か部長により半強制的に書かされることになったのだ。ほとんどの人は「先生は悪くありません。私たちはいつまでも待っています。私たちを全国へ導いてください。」と言った旨を真面目に書いていたようだ。僕の中では顧問は信頼できない人となってしまったので、「元気出してください。待ってます。」などと適当に書いたのは覚えている。多分全部員の中で一番短い自信がある。今考えれば顧問に手紙なんておかしいよなと思う。
顧問は、2週間停職のあとは、普通に顧問にとして復帰した。それからもたまに怒ることがあり、その時に「俺をまた新聞に載せたいのか」と怒鳴られたこともあった。全然反省してねーなと思った。時たま「俺の葬式には、歴代の教え子たちがとんでもない数くるから楽しみにしておけ」とも言われた。ここも嫁に話したら、ドン引きしていた。そんなゴタゴタがあったその年のコンクールは、都大会銀賞で残念ながら全国に進めなかった。ほとんどの人が全国に行けなかったと号泣していたが、僕は涙が一滴も出なかった。むしろ終わってくれて嬉しかった。(その後次の年は、全国大会金賞を受賞していた。)気がつけば結局引退までズルズル続けててしまった。
僕は社会に出て何年か経過したが、この部活で学んだ人間力とやらは全く役に立たなかった。会社では、高校の部活より厳しく感じる規律も感じたことがない。こんな部活やめておけばよかったと後悔はある。この後悔があるからこそ、会社で働く原動力になっているところはあるので、そういう意味ではよかったのかもしれない。
ここだけは他人に向けてへの言葉なので、文調を変えます。顧問による暴力というのは、部員の心身を傷つけるものだと思います。ご自身の思い通りにならない行動をされても、そもそも一人の人間である他人に対して、暴力による組織統治を行うのはどうかと思います。勝負の主役は部員であり、顧問ではありません。勝たせてあげたいのば分かりますが、暴力を使わずに言葉で指導して欲しいです。また、きちんと部員達に個人の意思を尊重してあげてください。気持ちが一丸とならないと勝てないとか言う人もいますが、所詮赤の他人の集まりが気持ちを統一することなど不可能です。思考を強要せず、多用的な考えを受け入れてください。会社と同じで、そうしなければ生き残れないと思います。
長文雑文を申し訳ありません。ここまで読んでいただきありがとうございます。ただの高校時代の思い出なので、適当に流してください。
PS.
この日記を多くの方に読んでいただき感謝の気持ちでいっぱいです。正直10ブックマークがせいぜいかなと思っていました。こんなに読まれるのであれば、推敲すべきでした。僕の恥ずかしい記録として、残しておきます。はてぶのコメントもほとんど拝見しています。ポジティブ、ネガティブ両方の意見をいただき、どちらももっともな意見でした。
この日記の趣旨は、はてな匿名ダイヤリーの名の通りパブリックな日記です。その時の自分の気持ちを文字にすることが目的です。ちょっとばかり人に読んでもらいたい気持ちもあります。約10年間、同期同士でも触れるのを避けていた話題で、言語化する機会がなかったので日記という形で残しました。高校の吹奏楽について詳しい人は特定できる内容になっています。最初は高校名を書こうとは思いましたが、なんとなく直接書くのはやめました。
「洗脳」と言う言葉を使いましたが、結局のところ本人の受け取り方により異なります。一方から見た場合はそう見えても、他の人から見たら(この場合は顧問を信じている部員)「洗脳」とは受け取らない場合ももちろんあります。ここでは僕が忘れてしまわないよう、当時に思った気持ちを言葉にしてみました。
ここまで読んでいただき本当にありがとうございました。
山口達也がジャニーズ事務所と契約解除となった。リーダーは事件後の対応において、リーダーとして有能なのだと思った。それは勘違いだった。身内でもっとも親しい者が、メンバーの罪を徹底して厳しく叩く。そうすることによって、周りも「身内がそれだけ厳しくしているなら」と溜飲を下げる。身内からの徹底した厳しさは、むしろ世間のバッシングを先回りすることで騒ぎを抑える。徹底した厳しさは、むしろ山口を長期的には守るためのやさしさだと思っていた。「今はなんとか耐えて、がんばって更正しろ!そうしていつかみんなで頭を下げてもどっていこう」、そうやってグループリーダーがメンバーを守り更正させていく流れを率先しているのだと思っていた。しかし、山口は契約解除となった。彼のやったことは許されないことだ、という言葉や認識は、グループのリーダーがメンバーを守り更正させるためのものだったのではなく、単に世間と同調した社会人の厳しさにすぎなかった。社会人や一般人としては妥当な行動だっただろう。しかし、リーダーとして結果的にメンバーを守れなかったのであり、ただメンバーの罪を世間と同調して叩いただけになったのだから、グループのリーダーとしてやはり無能と言わざるをえない。しかし、これは結果的にTOKIOというグループを守ることになったのだと言う人もいるかもしれない。私は、結局は非情な判断だなと感じ、グループの魅力が薄れた。最後の最後でやはり彼を見捨てられない、私のわがままで彼をどうか残留させてくださいとリーダーが叩かれる形で懇願したならば、変わっていたかもしれない。
芸能界でも見込みがありそうなのは不倫やセックスは仕組まれません。
役立たずと判断されれば、不倫やセックス漬にされて利用するだけされたらポイ捨てされます。
それと同じように、箸にも棒にもかかりそうもない者を選別して、ハラスメント加害者やサイコに仕立てるのを悪意ある人たちは常習化しています。
そういう卑劣な行為をやるように命ぜられることはあなた自身が見くびられ、 集団の序列でも下にされているという気持ちを持ちましょう。
面識もない人の写真を見せられ、待ち伏せさせメールや電話で連絡させるといったことを命令してきます。
さらには、全く知らない人の個人情報を与えられ、嫌がらせ行為を何度もさせられます。
根も葉もない嘘や誹謗中傷で高潔な人を傷つけ陥れることを平気でやります。
それは名誉毀損や侮辱罪、さらには営業妨害という立派な犯罪です。
一回切りと最初は懇願しますが、その次からはどんどんエスカレートして、 精神的にも肉体的にも死ぬほど苦しい目に合わされます。
あなたが蛆虫以下の存在にならないために、またあなたの手が後ろに回らないための対策をお教えいたします。
もし会話をしていればスマホには録音機能が標準装備されていますし、また小型で性能のいいICレコーダーが廉価で手に入るので、それで幹部の言質を取っておくことをお勧めします。
一種の表現技法だと思う(結論)。猫なで声とか甘える声とかダンディ喋りとかと同じ次元で理系早口があるのではないかと(例示)。自分でもやるけど、理系早口は誠意だと思っている(結論)。
仲間同士では情報交換の効率が最大になるように話しているだけだが、仲間でない人にやるときは、仲間にするのと同じ通信プロトコルを使うことで最大限の敬意を表現している(詳解i)。蛇足ながら、この通信プロトコルは単語の定義から始めることが多いので、どうしても長くなる。決められた時間の中で十分な情報を提供するためにどうしても高速で話さないといけないという事情もある(蛇足i)。
また、どうせ内容はわかってもらえないだろうという感覚から、せめてわからないことをわからせてあげよう、わかるためには大体どのくらいの要素を理解しないといけないかだけはわかるようにしてあげようという誠意でもある(詳解ii)。
なお、研究報告のシーンでは理系早口的な発表は意外にも疎んじられる。わかりやすい発表のためには「網羅性を追求するよりも代表性を重視せよ」などと教えられ、だらだら長い発表を詰め込むために早口になるような場合、発表技術が未熟だと見なされる(蛇足ii)。
まあ要するに好意的な感情を表現する方法のひとつだと主張したいわけで、昆虫がヒトに求愛ダンスするようなものなので、キモくても優しく聞いてるふりしてください(懇願)(結論)。