2018-11-26

褒められたいのに褒められるのがしんどい

私は褒められることに向いてない、と思うようになった。

普通、誰だって褒められたら嬉しいし、褒められたいって思うだろう。

私もそうだ。褒められたい。他の人より私を褒めて欲しいと常に思っている。承認欲求は人並み、いや、確実にそれ以上ある。私を「お前はすごい!!お前はとんでもなくやべぇ奴だ!!!最っ高だ!!!」とはやし立てて欲しい。今すぐ。

それなのに。それなのに、だ。私は、褒められると変な気持ちになる。褒められることに向いてない、と考えるほどになるくらいに。

「変な気持ち」というのは、なんと言えばいいのか、ある1つの感情ではないような気がする。いくつもの感情がぐるぐるに混ざって、どうしようもなく泣きたくなるのだ。

まず、「嬉しい」という感情。喜びである。まあこれは当然だ。私は承認欲求が人並み以上あるから。褒められば舞い上がる。

しかしこれだけでは終わらない。同時に「怖い」という気持ちが湧いてくる。恐怖だ。褒められた途端、ひやりと冷たさが背筋を這い回る。

別に相手がお世辞を言っている」と決めつけている訳では無い。「相手皮肉で褒めている」とか、「嘘をついて内心嘲笑っている」だとかそんなこと思わない。じゃあなんでだ、と問われると説明が難しくて唸ってしまう。自分でもよく分かっていないのだ。

理由の1つとしては、「褒められたことによるプレッシャー」があるだろう。例えば、○○について褒められたとする。そうすると、「これからも○○に関しては『相手が褒めてくれたレベル』でやり続けないといけない」と考えてしまうのだ。○○を失敗しても責めることはない、と分かっている。しかし、身体中に重しを乗せられたかの様にしんどくなる。冷や汗が出る。プレッシャーで動けない。失望されたくないから動きたくない。そんな気持ちになる。

次に、「『自分はそんな大層な人間じゃない、立派な性格じゃない』などと心の中で叫んでしまうから」というのがある。「褒められる人間=なにかにおいて優れた人間」だ。私は自分をなにかにおいて優れている、などとは1度も思ったことは無い。そんなことは金輪際ありえない。(じゃあなんで「最高だ!」なんて言われたいのか、と言われたら「すまん、承認欲求が強いんだ」と答えるしかない。こればっかりはこの返答しかできない。全く別の感情だと思ってほしい)

で、そんな私が褒められると、頭の中で矛盾が発生する。「私は優れているところがないのに褒められている」という状況なのだ。そんな状況に耐えられるはずがない。「間違っている。私はなにも優れてなんかいない。相手はなにか勘違いを起こしているのだ。私の良さげな部分しか見えていなかったのだ。だから私のことを褒めてしまえるんだ」と大声で喚きたくなるのだ。

さらに、「大層な人間じゃない」と自分で思うのと同じくらい、「大層な人間だと思われたくない」という気持ちもある。これは前述した、「褒められるとプレッシャーになる」こととも関係する。

ある人が褒められれば、その人は優れた人間だと思われるだろう。優れた人間は、優れているのだから、優れた結果を出すものだ、と私は考えている。つまり自分が褒められ、周りから優れた人間だと思われれば思われるほど、「私は優れた人間に見合った結果を出さなければいけなくなる」、と私は考えてしまうのだ。褒めてくれた人からプレッシャーだけでなく、周り全てからプレッシャーを感じるようになる。「優れた人間」というものに押し潰される感覚に襲われる。自分はこれっぽっちも優れていないのに、「優れた人間」という皮を被らなければいけないような気持ちになる。でも、私は「優れた人間」ではないから、確実にその期待を裏切って失望されてしまうだろう。それなら最初から「大層な人間だと思われたくない」のだ。

ちなみに、プレッシャーについて2つ書いたが、どちらも自分勝手に作り出した幻想だとは理解している。私がプレッシャーを感じる必要は全くないし、仮に私が誰かを褒めた際に、プレッシャーを与えようとしていることは絶対に無い。ただ、どうしてもこの思考から抜け出せなくなるだけだ。勝手思考にハマって、自分で首を絞めているだけ。どうしようも出来ないから余計に怖いのだ。

「褒められると怖くなる」という感情の、他の理由を挙げるとするなら、「幸せすぎる」というのもある気がする。私は、「幸せなのが怖い」のだ。「人生の中の幸せと不幸せは半分半分だ」とどこかで聞いたことはあるのではないだろうか。私はそれと似たような考えを持っている。悪いことがあれば、その後は良いことが起こるだろうし、嬉しいことがあれば、その後は嫌なことが起こるだろう、と。だからプラスなことが起こる度に、「マイナスなことが起こる前兆だ」、「幸せの前借りだ」と怖くなる。これからどんな嫌なことが待っているのだろうと。幸せ感情のまま、不意に恐ろしくなってしまうのだ。

また、「幸せすぎるのが怖い」のは「幸せでなくなった時が怖い」からでもある。今はいいのだ。今は褒められて幸せから。でも、その後は? 考えただけでゾッとする。ピークが終われば落ちるだけだ。現状維持なんて出来ない。褒めてくれた人もずっと私のことを褒めてくれるなんてことはない。私がなにかやらかし失望するかもしれないし、私に興味が無くなることもあるだろう。怖い。今幸せな分、失った時の恐怖で心臓バクバクする。

他にも色々あるのかもしれない。褒められた際の、「喜び」と「恐怖」に焦点を当ててみたが、それ以外にも感情がある気がする。だけど、「変な気持ち」というのがぐちゃぐちゃ過ぎて私にも分からないのだ。心臓を鷲掴みにされたようなあの感覚を、なんと表わせばいいのか分からない。ただ「ありがとう」と顔では笑いながら、「ごめん、やめてくれ、もう褒めないでくれ」と泣きながら懇願したくなるのだ。

長々と書いてしまったが、まとめると、「褒められたいし、褒められれば嬉しいが、それ以上に、様々な理由で恐怖やら焦りやらプレッシャーやらに心が埋め尽くされてしんどくなるから、私って褒められるの向いてないんだなと思った」、だ。褒められたいのに、褒められるのに向いてないだなんて、なんて生きづらい性格なんだろうか。

  • まずは自分で自分を褒めることだ。 死なずに生きてるだけで素晴らしいぞ。

  • 他人の気にしない小狡いところも、誰にも知られていない過ちも醜さも、自分だけは全部知っているからなぁ。 24時間看守に目のまえで見張られてる囚人みたいな緊張状態だから、まぁ...

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