はてなキーワード: 味覚障害とは
先日幼馴染の友人宅にお邪魔したら、お母様から「〇〇ちゃんも御夕飯、御一緒に如何かしら。」とおっしゃられるものですから、「ええ、喜んで」などと応えてそわそわしながらリビングの大きなテーブルに腰をかけておりますと、まあ美味しそうな料理が運ばれてくるのです。
その日のメニューは、ホッケの焼き物をメインとして、厚揚げの筑前煮風とほうれん草のおひたしに、じゃがいもの入った濃いめのお味噌汁。とても素晴らしいのですが、塩気が気になって、これは帰ったら水一升デトックスコースですわねなどと思いつつ、雑談しながら箸を運んでいたわけですが…
そうすると、友人(きよとと言います)に向かってお母様がやにわに「そういえば今日ちょっとひいてみたのよ。きよともどう。」といい、少々使い古して黄色くなったタッパーをテーブルの下から取り出してきました。
きよとは「お、いいね、くれや」とご飯の入ったお茶碗を差し出します。
一体何が始まるのやらと些か不審に思いながら観ておりますと、なんとタッパーから出てきたのはきな粉。そして、それをたんまりときよとのご飯の入ったお茶碗に振りかけたのです。
いや、きな粉って普通餅とか牛乳に入れるお菓子みたいな扱いじゃないですか。なんで夕飯、しかも塩気の強いメニューの時にそういうことをするんですかね。塩気には無地の白飯が一番合うしちょうど良いんですよ。この家庭おかしすぎるだろ、ちょっと距離置きてえな。
などと思考を巡らせていると、じっと観ていた私に気づいたお母様は、やおらこちらを向いておっしゃいますことには「あら、〇〇ちゃんも食べてみる?うちのきな粉は美味しいのよ。今日は奮発して琉球黒糖を入れてみたんだから」と。
もうブチギレ寸前です。マジでこの女、頭おかしすぎるだろ。味覚障害で手帳取れるわ。菓子用にカスタマイズしたあまあまきな粉を夕飯の飯にぶっかけて食わせる?白米にレ○プされたんか。その結果きよとが生まれたんか。もう御飯時にお邪魔することはないでしょうね。
きよとの親父もウンウン頷きながらにこやかにあまあまきな粉塗れのご飯にホッケの切り身を乗せて頬張っています。
今すぐにでもめちゃイケ加藤よろしくテーブルをひっくり返して一家全員ジャイアントスイングぶちかましたい衝動に駆られてしまい、思わずテーブルの縁をつかんでいました。
しかし、世間体を保ちたい、人間関係は誰とでもなるべく良くしておきたいという自分の中の見栄っ張りな悪い癖がその衝動を抑えます。無理やりにっこり微笑んで「ええ、では少し頂きまふね(原文ママ)」と、怒りで震える手を押さえながら半分近くからになったご飯茶碗を差し出します。
「あら、ご飯少ないわね。おかわりもいいのよ。」そう言うとあの女、茶碗を私の手から取り、炊飯器の蓋を開け、高安の妾の如き蛮行を以て茶碗の上に山の様な白米を盛りつけてきました。これに箸さえ突き刺せば、仏前に備えられそうな山盛りご飯。そこに黒糖で若干暗い色をしたきな粉が降りかかります。
山盛りの白米の、上から三分の一を浅黒く変色させた自家製きな粉。さながらそれは、世紀末の富士山の様相でありました。
漸く一言「ありがとうございます」と絞り出し、手をつけました、このきな粉のついたご飯に。
口に入れた途端、熱々の蒸気に誘われてねっとり広がる黒糖の甘さ。それに続いてきな粉の香ばしさとご飯の素朴な甘味が跡を追いますが、黒糖がタッパーの下に沈んでいたせいか、後ろの二者を琉球の風が吹き飛ばします。かける前に攪拌しておけよ。
きな粉おはぎを食べた彼岸を回想してみます。近所の婆さまがうちに持ち寄ったあのおはぎは、砂糖が入っているものの、甘すぎず、少し混ざった塩がきな粉の良さを全面に引き立てていて、おこわの真ん中に入った金時の粒あんとベストなコンビを成していました。和菓子に抵抗のあった私を魅了したのです。
その回想をぶち壊すかの如く、目の前に立ちはだかる呪物。徒に砂糖の量を増やして、薄っぺらいスイート感を厚塗りされたきな粉。そしてそれが山のように盛られた熱々の白米。これをどう片付けるかに全知全能をフルコミットする事を決めました。
まずは他のおかずと食べてみます。ホッケの切り身を一口分取り、すかさずきな粉ご飯を食べてみます。ホッケのジューシーな脂と香ばしい焼き魚の香りが、黒糖感強めのあまあまきな粉と絡むと一体どのような化学反応を起こすのだろう…緊張しながら口に運びます。
実験は大失敗。塩味と甘味は互いに旨さを補填しあうのはスイカに塩を振りかけるのでお馴染みですが、それにも限度がある。黒糖と焼き魚のどちらもフルスロットルでぶつかり合い、混ざり合いません。調和せず口の中に混在する様はさながら吐瀉物。ゆっくりと時間をかけて咀嚼して飲み込みます。
ほうれん草のおひたしや味噌汁も塩気が多いし、味噌の強い風味やおひたしの甘味が黒糖と混ざった時の反応は想像するだけで悍ましかった。
逆に筑前煮は味が薄すぎて各自醤油を足したりして食べていたので、これときな粉ご飯では負けてしまいそう。つまり、もう打つ手なしなわけです。
覚悟を決めた私は、きな粉ご飯だけを先に片付けることにしました。幸い米の山の上だけきな粉なので、この部分だけ風邪ひいた婆さまが作ったおはぎなのだと強く自己暗示をかけて食べます。
しかし、食べても食べても、きな粉の山がいなくなっても、ずっと甘味が続きます。ご飯も気持ちネバネバしています。そこでふと悟りました。ご飯の熱で若干黒糖が溶けて、茶碗底の飯まで浸透しているのだと。
これに気づいた時、ふと一筋の涙が目からこぼれ落ちました。
「ちょっとコンタクトが…」とそれっぽい言い訳をして洗面所に向かいます。ウンウンと悩んでいた時、ふと閃きました。お餅を食べる時に砂糖を混ぜた醤油に付けて食べることがあるじゃん!、と。
早速テーブルに戻ると、ご飯におひたしの鰹節をのせて、醤油をざっとかけます。そして、パック入りの温泉卵を勝手に拝借。ご飯にぶっかけて混ぜて食べます…ああ、美味しい。卵かけご飯をこんなにも甘美に味わったのは人生で初めてでした。醤油と砂糖がこれほどよく合うとは。さらにこの卵が味の濃い砂糖醤油を中和し、優しい味わいに…
かくして、無事に出されたご飯を完食し「ごちそうさまでした」と手を合わせ、対戦終了。
「〇〇ちゃんの食べっぷりが良くて嬉しかったわ、また夜に遊びにいらして」と、お母様もご満悦です。「いや、きな粉ご飯は初めて食べましたよ。あんな感じなんですね!」否定の色を見え隠れするレベルで薄めて笑顔で答えます
と言うわけで、相手の善意を断れない私の体験談でした。「好きなものは好きと言える気持ち」は持ちがちですけど、「嫌いなものを嫌いと言える勇気」も持ちたいものです。以上、チラ裏乙でした!
自尊心や自己肯定感が低いのが良くない事というのは自覚しているけど、自分という存在の事を考えると難しい。
双極性障害。発達障害。学習障害。吃音症。治らない耳の病気。失明する可能性のある目の状態。挙句の果てには生活保護受給者。
定期的に味覚障害になって味が分からなくなったり、失声症になって声も出なくなる。
他にも肉体的や精神的な病気を抱えているし上げればキリがないが、全て書くと数え役満のようで人生詰んでいるなと実感する。
ボランティアとか社会奉仕活動でも出来れば多少自分という存在をマシに思えるのかもしれないが、
基本的には家で大人しくしているけど、自分の病気の事も考えると表に出て何かやるというのも難しいし、
仮に参加出来たとしても急に体調を崩す可能性も高くて、周りに迷惑をかけるだろうからそれも難しい。
普通に働いて国民の三大義務である労働と納税も果たせないし経済を回す事も出来ない。かといって社会奉仕活動等で社会や世の中に貢献出来る訳でもない。
こういう状態なので、自尊心や自己肯定感を保ったり上げるというのが難しすぎて生まれてからずっと低いまま生きている。
たまに見かける「生きているだけで偉い」という言葉を私にも向けられる事があるけど、
それは普段から仕事をしていたり、病気に治す為に立ち向かっている人だとか、日常を毎日精一杯生きている人に向けた言葉であって、
治らない病気ばかりで生きる意味を見いだせずにただただ日常を虚しく過ごしている私は何も偉くないんです。ただの穀潰しなんだ。
正直、早く消えてしまったほうがある意味世の中に貢献出来るような気もするけど、それはそれで難しいわけで。
人に迷惑やら苦労かけてばかりの人生だったし、何かを学ぼうにも病気が邪魔して続けるのが難しく、
何のスキルも持ち合わせていないので自分のどこをどう見ても褒めたり認められる部分が無くて難しすぎる。
ここまでじゃないにしても似たような境遇の人、どうやって自尊心やら自己肯定感を保ったり上げたりしているんだろうか。諦めるべきなんだろうか。
松屋のほうは、ユーザーの悪口いってるの。「ネット民がシュクメルリと称するゴミを持て囃した」だの「政府が絡めばすぐに踊らされる、尻尾を振る」だの。なんなら商品Disはそこそこに終わらせて、他人に文句言うのがメインじゃんね。今回は関係ないけど、サイゼ関連もそうでしょ。サイゼなんて高校生まで、とかあれを美味いと思ってるやつは味覚障害、とか、他人をけなすことを目的にしてるやつが基本的に燃えてる。
この後ろに
「こんな簡単な違いがわからんお前はコミュニケーション不全の原因だから一生はてなで見えない外野から愚痴言ってろ」ってつけるのと、
「一方的に悪口ぶつけて「悪口言い合うコミュニケーション」って思ってる、バズワードじゃないコミュニケーション障害ばっかりのはてな民にはこんな簡単な違いもわからんだろうけど」ってつけるの、
どっちがブコメ稼げそう?後者でしょ、いきなり悪意が外に向いたから。
多数に対して発表するコミュニティメインの人(他人とゆるい繋がりを持ってるだけのSNSユーザー)は、できる限りピンポイントに、ウィットに富んだ(と本人が思ってる)悪口をかますのがよくあること。多数がどこに属してるかなんてわからんので、せいぜい「商品」と「商品開発者」っていう当たりにくいとこ選ぶの。で、今回はトップバリュ製品と違って私はあなたに思い入れもない(悪意はある)し、別に他のはてなの民もないと思うので、「私もそう思ってたんです!」みたいなのは来なくて、バズりもせずただ悪口言った人になる。
対して、対面とか狭いコミュニティ(〇〇界隈って呼ばれるくらいの狭いやつとか、信者商売とか)をメインにしてる人が何かの悪口いう場合って、主語デカMAP兵器をゴリゴリに使うのね。自分等には当たらない、せいぜいカスる程度の主語。それで「自分等はそんな下賤の民じゃない」 「オレだけは無知蒙昧共とは違って自己批判できるすごいヤツ」っていう、ほぼ腐敗の仲間意識を醸造してるんですよ。
30歳男だけど、何にもやる気が出なくて自分が腐ってしまっているのをなんとかしたい。
新入社員の頃は「できる人間」になりたくて頑張って残業して休日も勉強したけど、全然仕事ができなかったし何も身に付かなかった。
元々物覚えが絶望的に悪いし集中力がない上に対人能力が皆無だから、仕事も遅いし周りの人と仲良くもなれない。
何もうまくいかないストレスで味覚障害から拒食症になって、BMIが16を切ってしまった。
だけど、普通の人にできることができない、またはより多くのコストを払わないとできない、そんな理不尽感を勝手に感じて不貞腐れている。
仕事も人にも真摯に向き合うべきだと理解しているけど、どうせ無駄だろう、意味がない、って考えばかりが頭に浮かんで何もやる気が出ない。
友人を失ってもいい、職場で居場所が無くなっても首を吊ればいいか、なんて幼稚なことばかり考えてしまっている腐った自分をなんとかしたい。
親がさー、ガンになっちゃったのね。
で抗がん剤治療を始めたんだけど、聞いてた通り、副作用で味を感じにくくなっちゃったんだってさ。
でも抗がん剤の味覚障害だと酸味は比較的感じやすいって言うからさ、ポッカレモンとかああいう酸っぱい調味料なんかを試してもらったのよ。
そしたらやっぱりレモン系の味は比較的美味しく感じるって言うもんだから、地方名物のレモン系の味の食べ物買って渡そうかなってお取り寄せしたんですわ。
したんだけど、がんの転移が急速に進んでて、体力的に抗がん剤治療も手術ももう無理ってなっちゃったの。
それは残念だけどせめて一緒に食べればいいじゃんって思うわけだけど、抗がん剤治療やめたら、反動なのか今度は味がちょっとでも濃い物がダメらしくてさ。
今自分一人でそれ食べてる。