はてなキーワード: 全面的とは
SpaceXやテスラを見てみると、イーロンの言動に全面的に賛同は出来ないながらも、称賛できる業績はある。
個人的に、その業績を支えている技術者やらはどうやって支えられているか、興味がある。
基本的は戦略は、億だとか高額になるものを、設計・製造設備の最適化と工場の稼働率を上げることによるコストダウンだが、1人のアイデアでも出来ないし、社内だけでも完結しない。
(日本は数が出ないから特殊な製造装置や工場を作らないので、最初成功しても、後にも続かないというところだが)
日本だと人材の話になると賃金を上げる、というだけに集約されがちだが、そもそもどれだけ賃金上げようが人材がいない場合がある。
例えば、AIが今流行っているのでAI向け半導体を作りたいとして、金はおいておくとして、人材がどれだけいるのか。
教育から、としても教科書も、教えられる人材もいない、となっているのではないだろうか。
(コンピュータに詳しい人は多数居ると思うが、ソフトウェアからの視点のみだろう)
アメリカの場合、NASAやIEEEシニアといったのがあるのは知っているが、どうやって支えているのか。
https://darioamodei.com/machines-of-loving-grace
・Behavioral interventions. I haven’t much mentioned it given the focus on the biological side of neuroscience, but psychiatry and psychology have of course developed a wide repertoire of behavioral interventions over the 20th century; it stands to reason that AI could accelerate these as well, both the development of new methods and helping patients to adhere to existing methods. More broadly, the idea of an “AI coach” who always helps you to be the best version of yourself, who studies your interactions and helps you learn to be more effective, seems very promising.
(Google翻訳)
・行動介入。神経科学の生物学的側面に焦点が当てられているため、これについてはあまり触れていませんが、精神医学と心理学は、もちろん 20 世紀を通じて行動介入の幅広いレパートリーを開発してきました。AI が、新しい方法の開発と、患者が既存の方法に従うのを支援することの両方で、これらを加速させる可能性もあるのは当然です。より広い意味では、常に最高の自分になれるよう支援し、あなたのやり取りを研究して、より効果的になる方法を学ぶのを手助けしてくれる「AI コーチ」というアイデアは、非常に有望に思えます。
・Everyday problems that we don’t think of as clinical disease will also be solved. Most of us have everyday psychological problems that are not ordinarily thought of as rising to the level of clinical disease. Some people are quick to anger, others have trouble focusing or are often drowsy, some are fearful or anxious, or react badly to change. Today, drugs already exist to help with e.g. alertness or focus (caffeine, modafinil, ritalin) but as with many other previous areas, much more is likely to be possible. Probably many more such drugs exist and have not been discovered, and there may also be totally new modalities of intervention, such as targeted light stimulation (see optogenetics above) or magnetic fields. Given how many drugs we’ve developed in the 20th century that tune cognitive function and emotional state, I’m very optimistic about the “compressed 21st” where everyone can get their brain to behave a bit better and have a more fulfilling day-to-day experience.
(Google翻訳)
・臨床疾患とは考えていない日常的な問題も解決されるでしょう。私たちのほとんどは、通常は臨床疾患のレベルに達するとは考えられないような日常的な心理的問題を抱えています。怒りっぽい人もいれば、集中力に欠けたり眠気を催すことが多い人もいれば、恐れや不安を感じたり、変化に反応しにくい人もいます。今日、覚醒や集中力を高める薬(カフェイン、モダフィニル、リタリン)はすでに存在していますが、他の多くの以前の分野と同様に、さらに多くの薬が開発される可能性があります。おそらく、そのような薬はもっとたくさん存在し、発見されていないでしょう。また、標的を絞った光刺激(上記のオプトジェネティクスを参照)や磁場など、まったく新しい介入方法もあるかもしれません。20世紀に認知機能と感情状態を調整する薬がどれだけ開発されたかを考えると、誰もが脳の働きを少し良くし、より充実した日々を送れるようになる「圧縮された21世紀」について私は非常に楽観的です。
・Human baseline experience can be much better. Taking one step further, many people have experienced extraordinary moments of revelation, creative inspiration, compassion, fulfillment, transcendence, love, beauty, or meditative peace. The character and frequency of these experiences differs greatly from person to person and within the same person at different times, and can also sometimes be triggered by various drugs (though often with side effects). All of this suggests that the “space of what is possible to experience” is very broad and that a larger fraction of people’s lives could consist of these extraordinary moments. It is probably also possible to improve various cognitive functions across the board. This is perhaps the neuroscience version of “biological freedom” or “extended lifespans”.
(Google翻訳)
・人間の基本的な経験は、もっと良くなる可能性があります。さらに一歩進むと、多くの人が啓示、創造的なインスピレーション、思いやり、達成感、超越、愛、美しさ、瞑想的な平和といった特別な瞬間を経験しています。これらの経験の性質と頻度は、人によって大きく異なり、同じ人でも時期によって異なり、さまざまな薬物によって引き起こされることもあります(ただし、多くの場合は副作用があります)。これらすべては、「経験可能な空間」が非常に広く、人々の人生の大部分がこれらの特別な瞬間で構成されている可能性があることを示唆しています。さまざまな認知機能を全面的に改善することもおそらく可能です。これはおそらく、神経科学版の「生物学的自由」または「寿命の延長」です。
発達障害持ちでスペックが低い上、達成感とかの青春な感情を体験できなかった自分からすると夢のようだが、同時にこういうのを人工的に作れて皆良い人間になれるのってなんか怖くもあるな
短く言い切った方がカッコイイし、条件を曖昧にした方がバーナム効果で正解っぽさが増すみたいなのを狙ってるのかね。
まるでお役所の書いた書類によくある「調整等を実施する」みたいな後からどうとでも解釈できる余地を残した逃げのようなものを感じるね。
「他人に期待しない」の中身としてなんとなく「皆はこれが言いたいんだろうけど、一つに絞りゃあいいのに」と思ってる代表的なものが3つある。
1 自分で自分を褒めて承認欲求を満たせば、他人に褒められるために頑張る必要はない
2 他者が持つ多面性のウチでその時必要なごく狭い部分意外とは関わらないようにする
3 雑談においては価値観の一致は求めず会話が成立するかの確認だけをする
まあ大体の人は3つのうち1つぐらいは「そうそうこれが言いたくて『他人に期待するな』を使ってんだよ」と感じると思う。
でもこれってどれも別物だよね。
まあ被ってる部分もあるっちゃあるし、複合的な状況になることもあるけど。
それこそ「自分の価値観を褒められたくて他人と雑談をして、真っ向から否定されても、『この人とはこの部分では合わないらしいな』で割り切ればいいし、ひとまず会話は成立するからセーフ」みたいな状況だと1・2・3全部揃うしな。
でもさあ、これ全部ひっくるめて一度に整理しようとするのはやっぱ違うと思うんだよな。
たとえば君が漫画の編集者で、絵と話と題材選びが下手な漫画に対して「全面的に駄目だね」と切り捨てたくなったとして、その表現の仕方では次に繋がる問題解決にはならねえじゃん。
医療機関勤務。
でも、やっぱりついて行けない人は多い。こういう施策を決める人の周りにはいないかもしれないが。
子供の保険証だってお母さんが管理するんだから、目的に対して1つの証明書であったほうが、管理しやすい。みんな、保険証と、受給者証と母子手帳と、お薬手帳を一つにしてる。
受付の仕事が単純に増えた。それぞれはなんてことない操作なのだが、対面でついていないとできない人が多い。いままでは保険証を預かるだけだったのだが。
だから、メリットの大きい人、レジリエンスの大きい人から「保険証廃止、実質義務化」すべきだった。
私の考える、その対象は「社会保険本人(以下、社保本人)」だ。(+職域国保)
それ以外の、社保家族、国保本人・家族、高齢者は、希望者だけにすればよかった。
社保本人は働いているのだから、手続きも自分でできるし、子供や高齢者もいない。そして、様々なマイナ保険証のメリットを受けやすい層だ。
家庭であれば、大黒柱のお父さんがそれで、フルタイム夫婦ならその双方だ。子供や、引退した祖父母などは除かれる。
そういう人が、まず、マイナ保険証に慣れて、メリットを享受することで、家族や親戚に周知することができる。
こうして、ある程度浸透してから、全面的に保険証を廃止しても良かったのではないか。
不正使用を防ぐことが一つの目的だと聞いたことがあるが、どの保険証種別にどれだけの不正があるのか(ありそうなのか)は聞いたことがない。(不正だからわからないのだと言われればそれまでだが、義務化の後には検証されるのだろうか。)
それでも、後期高齢者のなかでも、マイナカードを使えない老人や、家族が受診させるであろう子供の保険証の不正使用はおそらく割合としては少ないのではないか。
私は誰しもがそう望むように幸せになりたいと思っていた。それは我々の権利でさえある。しかしそれは法で定められなくてはならないほど、私たちに縁遠いものなのかもしれない。例えば社会的地位、経済的余裕、暖かな人との繋がり、夢や希望をこの地であくまで追求すること──。
これは生活に追われて疲れ果てたある女の手記だ。私はこんなくだらない文章を書くほど暇なのだ。それは決してゆとりではない。それに真実でもない。「何もすることがない」というのは恐怖なのだ。自分自身、もしくは人生の虚無と向き合うはめになる。それならこうやってスマホの白い画面に黒字を打ち続けるほうがよっぽどマシなのだ。
私はつねに漠然と死にたいと願っている。先に告白しておこう。私はうつ病者だ。だから歪んだ世界に生きている。そして発達障害(当事者)でもある。私の目に見えるものは本来の姿を留めていないのかもしれない。私は何重にも孤独なのだ。恋人も友人もいない。私は一人だ。いや、少なくともいま現在はと付け加えよう。
私には子どもが一人いる。
まだ幼い、母親の庇護を必要とするか弱い存在だ。私の苦悩の全般は子育てに起因するように思う。人より劣る私のような人間にはそもそも育児など不可能だったのだ。すでに夫だった(それ以前は恋人だった)男とは離別している。「孤育て」とは誰の造語かは知らないが、なんとも言いえて妙だ。
私の人生で誇れることがあるとすれば、それは離婚だ。自分で考え自分で行動し自分で決着を付けた。そして学びを得た。「私のことを粗末に扱う人間とはもう関わらない」夫はいわゆる“モラハラ”体質だった。デートDVもあった。でも私は気付けなかった。それを理解したのは最近のことだ。ということは私にもそれなりの成長があったのだ。しかし、もっと早くに気付いていれば傷は浅かったし、それから、それから、息子を産まずに済んだのだ。
私が心を病んだのは十代の頃だ。夫と出会う前だ。だから全面的に彼を非難することは出来ない。初めて行った産婦人科で、エコー写真を見た。モノクロのテレビ画面に不思議な抽象画のようなものが映し出された。そして写真を撮るカチッとした音が響いた。それで私にも分かったのだ、この腹のなかに何かが居るのだと。動揺して頬にしずくが伝ったのを覚えている。真っ白で消毒液臭い古びた院内。私にとって希死念慮は懐かしく親しみ深い欲求だ。だからこの一連の愚かで頓馬な騒動のなか、私は一つの結論に達した。つまり、子どもが産まれたあとに自殺しよう、と。私のその願い(この人生を終わりにしたい──)と胎児とはなんの関係もない。巻き込むにはしのびなかった。その程度の理性は持ち合わせていると自負している。
だが私は当初男に中絶を訴えた。私はまだ“女の子”でいたかったのだ。くたびれた子持ち女になるなんて、とんでもないことだ。子どもなんていらない、私には夢がある、そんな責任背負えない──などなど、私は空回りする言葉を口にした。男は泣いて反駁した。絶対後悔させない、幸せにする、土下座してもいい……。いずれにせよ上っ面な言葉が二人の間に投げ交わされた。その中で、男の涙も出産を決意した理由の一つになった。私たちの深刻で感情的な会話は回転寿司屋で耳目を集めた。あの人が泣くのを見たのはあれが最初で最後だ。希望のない結婚生活はすぐさま破綻し、ただの狂女と化した私を男は見切った。離婚は合意によるものだった。結婚は、結婚はといえば寄り切られただけだ。それに実家では死にたくなかった。「家」から出るための判断だったと今になって思う。
そして母親から望まれなかった子どもは今や四歳になる。つまり私は死ねなかった。ひどく臆病なのだ。だらだらした生を送り、日々は過ぎ去り、私は今日もただ生きているという苦痛に耐える。
16時半になると息子が帰って来る。彼には発達特性があり、療育と呼ばれる困りごとを抱えた子どもたちを支援する施設に通っている。青い車に乗った彼はたいていはご機嫌で帰宅する。そして「今日のご飯は? なんのおやつがある?」などと訊ねる。その都度私は答える。どうでもいいことを、どうでもいい感じで。
私たち親子をこの先待っているのはなんだろう、とふと考える。私の予想では、息子はグレるか引きこもるかのどちらかだろう。“軽度の発達遅滞”──、医者の言った言葉だ。
私が憂うのは──、また興味を惹くのは、私たち家族が年々機能不全家庭に成り下がってゆく事実だ。
曾祖母は戦争で夫を亡くしお茶お花の教室を開いては子ども二人を育て上げた、祖母は家業と家事育児を両立させ手作りの洋服を娘らに着せていた、私の父は男手一つで私を曲がりなりにも成人させた。では私はどうなのだろう。三十路の子持ち女、気ままなパート通い、充実した福祉政策にすがってその日暮らしをしている。闘病中だから仕方ないでしょ、が最大の言い訳だ。もちろん私は合理的配慮の必要を認める、国だってそう言ってる。だが私の怠惰と甘えはとどまることを知らず、日に日に心身が肥大していくのだ。もはや若くもなく、痩せてもいず、まぶたに色を添えるでもなく、唇はささくれだっている。元夫が愛した頃の可愛らしい私などとうに消失した。ミニスカートを履くことも今後この人生にはないだろう。
だがこの点において私は絶望していない。若さゆえの唯美主義とは残酷なものだ。それを脱して豚になるのだっていいだろう。“おばさん”にはセクハラも痴漢も起こり得ない、少なくとも私はそう考える。
閑話休題──と打ちかけて気付いた。この文の本論はどこにあるのだろうか。私の人生を言葉の力を借りて小説にし美化するため? それはそれで良いだろう。だが打開策にはならない。私は毎朝ダブルベットからのろのろと起き上がり息子を登園させる、夕方になれば電話が鳴り息子をアパートの外で出迎える。その間は私一人だけの時間だ。支援職の人々は「ゆっくり休んでください」と口を揃えて言う。でも物事を複雑化して自作の迷路に一人で迷い込んでゆくのは私の大得意だ。つまり安息などない。私は息子の帰宅を恐れる。逃げ出したいと思う。実際逃げ出したらどうなるか綿密に考えてみる。それもいいと時々思う。でもだいたいは「居続ける」ことを選ぶ。人生においてもそうだ。やめようか、どうしようか、でも面倒ごとは御免だ──結局私は生き続けることを選んで来た。それが正解だったのか、正しい判断なのか迷う。安易に出せる分かりやすい答えにはさほど価値がないように思う。あらゆる人間関係のなかで悩み苦しむこと、その明快な人生の定義を思い浮かべる時、もしかしたら私は幸福なのかもしれない。
2024/08/27 18:28
https://note.com/takahashi_shiro1/n/n50d842e6a877
駒澤大学の森田成也氏(マルクス経済学)がトランスジェンダリズムに疑問を持つに至った理由の第一は、主として海外の情報から、とりわけラディカル・フェミニストに対してひどい攻撃や脅迫と暴力を振るっていることを知ったこと。第二は、熱心なトランスジェンダー派ほど、売買春肯定、ポルノ肯定であることを知ったこと。第三に、トランスジェンダーとは性同一性障害の人のことと思っていたが、実際には後者はトランスジェンダーのごく少数の一部に過ぎないことを知ったこと。第四に、2020年6月にJ.K、ローリングさんが、トランス当事者に対して非常に配慮しつつも女性の「身体的性別に基づく権利」の重要性を訴えた声明文(https://note.com/f_overseas_info/n/nb9dee80c5f82)に対して、全世界のトランス活動家と左派が信じたいほど暴力的で誹謗中傷的な攻撃をしているのを目の当たりにしたことである。
注目すべきはアメリカのリベラル新聞『ニューヨーク・タイムズ』やイギリスの左派系新聞『がーディアン』などが相次いで、子供の拙速な性別移行措置に対する強い懸念を示す記事を掲載したことである。ローリング攻撃に加担してきた両紙が全面的擁護に一変したのは画期的といえる。
トランスジェンダリズムには、「生物学的性別」を認めつつ、それとは異なる「心の性別」ないし何等かの生得的な「性自認」が存在するとみなし、後者を前者よりも優先させようとするソフトバージョン(自治体や国際機関などの公的機関など)とハードバージョン(ジェンダー学者、トランス活動家など)がある。
ハードバージョンは「身体の性別」すなわち「生物学的性別」の存在そのものを認めず、「性自認」「性表現」等の曖昧模糊としたものが唯一絶対の性別決定要因であるとみなす。トランス活動家たちはトランスジェンダリズムへの異論を「差別者」ないし「ヘイタ―」の誘惑として、読むな、見るな、議論するなと主張する。彼らはトランス当事者のために運動しているのではなく、トランスジェンダリズムというイデオロギーのために運動しているイデオロギー優先の「カルト集団」と見做すべきである。
クビー著『グローバル性革命』によれば、2007年にインドネシアのジョグジャカルタで29の「ジョグジャカルタ原則」が作成され、それを実行するためにJGBT活動家のための200頁の『ジョグジャカルタ原則の活動家のガイド』ハンドブックが作成され、「混乱を招く方法」「LGBT問題の目標を実現するための具体的な実行方法」等を明示した。
同序文には、「どのような類型の性的嗜好や行為も、小児性愛、近親相姦、一夫多妻、不特定多数との性的関係あるいは獣姦までも排除されない」と書かれている。
どーなんだろ。今のなろうはそんないいもんじゃないと思うから、あんまり批判されてるのを見ても擁護されてるのを見てもピンと来ないな。
俺はなろうは2008年ごろから読んだり書いたりしてる。準古参だと思う。最近はほぼ見てない。
昔のなろうは転生ものばかりではなくてもうちょっと多様だった。
というかそもそも昔はなろうは二次創作が覇権をとっていて、それがにじファンに移行した。今はにじファンも閉鎖されたが。
まず異世界転生ものはArcadiaでゼロの使い魔あたりから爆発的に主流になったと自分は考えている。ArcadiaというのはWeb小説サイトだ。今もある。
自分はArcadiaや2chのSSまとめでゼロの使い魔関連を読んでいたのが始めで、自分でもゼロの使い魔の二次創作を書いたりした。ハルヒで初アニメを見て衝撃を受けてアニメにどっぷり浸かりゼロの使い魔を見て、やがてラノベに移行しラノベを買いまくって読み漁り、飽きたのと金が無くなってWeb小説に突撃した形だ。
余談:Arcadiaは個人で運営されているサイトで、今はギリギリメンテされている状態で過疎っている。自分がArcadiaにどうやってたどり着いたか覚えていないが、いろんなランキングサイトを辿ってWeb小説を探す過程でたどり着いたはずだ。当時はインターネットのチャットのコミュニティなどがあり、そういうのも含めランキング化するサイトがあった。ケータイ小説の恋空なんかはこれの少し前の話で、前略プロフィール全盛期の頃の話だ。この頃の書き手の事情はあまり知らない。
話が逸れたが、自分はゼロの使い魔以外でもラノベっぽいWeb小説や二次創作を読んでいたりして、蒼の混沌とかしーくれっともーどとかリオラートとか絶望の世界とか、やる夫SSを読んだりしていて、当時はたいへんお世話になっていた。
ゼロの使い魔より前もエヴァなどで憑依ものとかあったようだが自分はゼロの使い魔やハルヒしか知らなかったのでそればかり読んでいた。
ゼロの使い魔は異世界転生の舞台として非常におもしろく、キャラも使いやすく自由度が高かった。ルイズが召喚するサーヴァントを平賀サイト以外にすることで、いろんなキャラを異世界に飛ばすのが流行っていたはずだ。ルイズというのは、いわゆる暴行型ツンデレヒロインだ。
それで、なろうで二次創作が全面的に禁止されるまでは結構二次創作があったはずで、おもしろく読んでいた。
会計の専門家がゼロの使い魔世界に転生して異世界で会計無双する話とか、そういう話もあった。
幼女戦記なども、もともとはArcadiaで連載していて、リリカルなのは由来の二次創作だったはずだ。そのあとなろうに移行していた。自分はリリカルなのはは全然知らないが、魔法つながりで二次創作だけ読んでいて、二次創作が異様におもしろかったのでなぜか根幹のストーリーは知っていて、時空管理局などの概念も獲得している。二次創作のWeb小説から入ったので、アニメやエロゲの絵を知ったのは相当あとだった。
他にもHxHの二次創作なども膨大にあり楽しく読んでいた。ドラえもんなんかもありカオスだった。架空戦記ものもあった。ゲート自衛隊あたりもその流れだと思う。自衛隊架空戦記ものはwikiがあって、そこのものはほぼ全部読んだ記憶がある。
そんな感じで楽しく読んでいたのだが、なろうで二次創作が禁止されたのが分岐点だったのだと思う。にじファンも閉鎖になり、二次創作を発表できる場所が極端に少なくなった。
なろうでは、ゼロの使い魔の転生設定からゼロの使い魔オリジナル設定部分が抜けたファンタジーが根幹となり、さまざまなシステムが考案されていたように思う。
今でもそうだとは思うが、おもしろいなろう小説は世界のシステムがおもしろく斬新で、かつキャラクターが魅力的であることが多いと思う。悪役令嬢ものや追放系だったとしても。
余談だが自分は悪役令嬢ものはスタイリッシュざまぁがとてもすきだった。
そしてなろうは徐々に悪役令嬢ものばかりになり、最初は斬新でおもしろかったが徐々に「ん?」と思い始め、追放系が増えたぐらいからだんだん供給が微妙に感じられてきた。
現実逃避ものが多くなり、こう言いたくはないが自分も年をとったのか読む気が消えていった。自分は社会的には追放系とは一致せず普通に働く形になっていたので、「追放系読む人は現実からWeb小説に逃げてるだけでしょ」と思うようになり、その発想のせいでWeb小説で楽しめなくなり、なろうで楽しめなくなった。それでもオール・ユー・ニード・イズ・吉良などは凄まじくおもしろかったが。
そんな感じでなろうにはたしかに重厚長大な小説やおもしろいライトノベルもたくさんあるけど、ランキングに上がってくるのはマス向けのものが多く、裾野は広くても良いものが見つけにくく、なろう全体としての評価は微妙でも全然いいと思う。
最も許しがたかったのは、イベントに一切関係ない第三者による私の積極的に公にしていない精神疾患の暴露と、「正義だと思いこんで後先考えなく暴れ荒らす感じ、(略)ADHDの鬱で薬飲んでても制御できないんだから現実世界で色々問題起こしてそうと思われても仕方ない。会社勤めるのキツそう。。(略)」(添付3,4)などの誹謗中傷を @96usa_koi
現在、指摘について、見ず知らずなのに「正義だと思い込んで暴れ荒らす感じ、ADHDの鬱で薬飲んでても制御できないんだから現実世界で色々問題起こしてそう」など複数のポストで誹謗中傷をしてきた @96usa_koi
b:id:kowyoshi 兵庫滅亡の始まり
b:id:beresford めでたく大阪の植民地になりました。本当にありがとうございました。/井戸の度重なる失言失政が吉村松井竹中に兵庫を明け渡すきっかけを作った。万死に値するとしか言いようがない。2025年に追い出せればいいが…
b:id:ryun_ryun 名古屋に続き、兵庫県民にもガッカリ。
b:id:take-it 関西はマゾが多いんかいね。政治的にどうにも兵庫もあまり良いイメージないし、うーん、なんというか自滅していくんだなぁと。
b:id:anigoka 兵庫も腐海に沈んだか…
b:id:motsu-sk 何でやねん!!!!アホばっかりか自県民は!!!!!!維新だけはないやろが!!!!!!…マジでどないなってんねん…憂鬱でしかない…(投票に行ったけど入れた候補者は落ちた兵庫県民)
b:id:sek_165 次の神戸市長選で維新が勝ったらいよいよ神戸市は終わりだな。
b:id:robokichi よりにもよって維新推薦を選ぶとは。お隣の県は大阪の何を見ていたんだろうか。この1年だけ見ても相当ひどいのに...
b:id:repon 植民地支配の始まりか
b:id:tecepe 神奈川も他人事じゃないなあ…うちの周りこの1年で吉村洋文知事のバカ面貼ってるポスターぐんと増えて本気で危機感感じてる。
b:id:nicottowatch 維新が出張ってくるやん。移住しよかな
b:id:oyagee1120 神戸市長も維新系になったら、実家に帰る夢もいよいよ絶たれてしまうな…対抗候補があまりにも碌でもなさ過ぎた
b:id:pgohannote わたしは維新だけはNGと思って金沢のおっさんに入れたよ!上手くやってくれたらラッキーやし、ダメでもすぐ引退かなと思ったから。これから兵庫でバタバタ人が死ぬかなぁ。。。
b:id:miyauchi_it こうなるのは予想してたけどやはり実現してしまうと辛い。医療や福祉や教育が疎かにならないでほしい……。
b:id:hearthewindsing 維新の食い物にされる自治体が増えた。県民がチンピラに何を期待してるのか分からん
b:id:z1h4784 井戸前知事が酷すぎたからこうなるだろう。さらに酷い知事でなければいいけどね。ただ淡路島の住民は奴隷として玉ねぎ栽培に従事させられる前に逃げ出す算段が必要かもしれない
b:id:gmkzmrn はてぶの意見は世間と相当ずれてるからな
b:id:Ad2Jo はてぶ民いつも負けているな
b:id:georgew ブコメは怨嗟の声で満ちていたが、「井戸知事が全面的に支援した前副知事の金沢和夫氏」よりはマシだと思った。井戸県政の継続は最悪。刷新は必要、って言ってもどう転ぶかはわからんが...
b:id:stand-out はてなー、いつも通りの敗北に愚民コールですか。選挙結果を一番軽んじてるのはあなた達ですよ。
b:id:nuara 勤勉に維新ディスブコメを毎日付けてるのは、明らかに大阪自民か市役所労組とかでしょう。共産かもしれんが。そういう、少数が毎日書き込めば、このサイズのコミュニティの世論誘導など簡単にできる事を示している。
b:id:taizomaru1123 クソハテブざまあwww
b:id:fishma しかし本当にはてブって世論に全く影響してないというか、別の地平にいるんだな
b:id:high-speed-soba 維新って字を見ただけでビクンビクンするはてブ民、予想通りの反応←8割が関東人、昨夜のニュースまで兵庫知事選の存在すら知らなかった印象
b:id:asahiufo はてなの選挙大敗北者達が馬鹿な有権者は今後酷い目に合うであろうと顔真っ赤、涙を流しながら必死に言って、星一生懸命付けてるわ。チョロくなくてとっても賢い誇り高き少数派の皆様は絶望して国外に引っ越しては。
横から失礼
全面的に同意だが、元増田は定時で帰れるような仕事でメンタル壊して、抗不安薬のお世話になっても社会人としてコミット出来なかったような人で、仕事やめて不安障害治ったあたりから察するに多分バイトもしたくないと思う。というか、バイトすら凄まじく辛くなってQOL下がると思う。何故なら元増田は自分の生活をコントロール出来る感覚で幸福を取り戻したと書いているので、バイトが挟まる生活はその幸福を手放す事になるからだ。
本当にただ考えなしに働きたくないなら「貯金を食いつぶしてる」とか「また働くことを考えると不安になる」なんて表現はしないと思う。貯金が潰えたら働かなければならない事をわかった上で働いてないと考えるのが妥当かと。
「ページをめくります。過去には戻りません。過去には戻りません。アメリカは新しい方向に進む準備ができています。」
刷新感が人気要因なんだろうなぁと印象的だった。
過去に戻らず、新しいリーダーシップと楽観的な未来に向けて進む必要性を強調
トランプとの討論会で、生活費の引き下げや中小企業支援、リプロダクティブ・フリーダム、国家安全保障の重要性を訴えた
トランプの政策には具体的な計画がなく、同じ古い内容が繰り返されていると批判
自身のこれまでの経歴(検察官、カリフォルニア州司法長官としての活動)を紹介し、人々の権利や安全を守るために戦ってきたことを強調
中小企業支援や住宅供給の拡大、生活費の引き下げを含む「機会経済」プランを提案
トランプの経済政策は富裕層を優遇し、国民にとって負担が増えると指摘
トランプの健康保険制度廃止の試みに対する批判と、彼には代替案がないことを強調
女性のリプロダクティブ・フリーダム(中絶の権利)を守る必要性を訴え、トランプが最高裁判事を通じてロー対ウェイド判決を覆したことを非難
他の基本的な自由(投票権、銃暴力からの安全、労働組合参加の自由、同性愛の権利など)への攻撃を非難
(00:00) [拍手] こんばんは、メアリーに拍手をお願いします [拍手] グレース、ペンシルベニアに戻れて嬉しいです みなさん、こんにちは [笑] ありがとう、OK、OK、ビジネスに取り掛かりましょう まずはここにいる皆さんに感謝を伝えたいと思います。今夜、時間を取っていただきありがとうございます。 今、この瞬間に、私たちを分断し、孤立させようとしている人々がいる中で、私たち全員が愛情にあふれたコミュニティとして共にいることを思い出させる瞬間です。私たちは一緒にいるのです。今夜、ここにいるために時間を割いてくださって、本当に感謝しています。 そして、すべての素晴らしいリーダーにも感謝します。先ほどスピーチを聞いた州知事のシャピロ、そしてアメリカ合衆国上院に再選される予定のボブ・ケイシー上院議員、ブラウン市長にも感謝します。そして、市長、温かい歓迎をありがとう。
(01:55) さて、3日前、ドナルド・トランプと私は討論を行いました。みなさん、見ましたか? そうですね、見た方も多いかと思います。その夜、私はアメリカ中の家族にとって重要な問題について話しました。生活費の引き下げ、アメリカの中小企業への投資、リプロダクティブ・フリーダム(生殖に関する自由)の保護、そして国の安全と安心を守ること。しかし、ドナルド・トランプから聞いたのは、同じ古いショー、数年間聞いてきた疲れたプレイブックだけで、計画はありませんでした。アメリカ国民のニーズにどう対応するかについての計画は一切ありませんでした。
(02:52) さて、皆さん、時が来ました。私たちはページをめくります。過去には戻りません。過去には戻りません。アメリカは新しい方向に進む準備ができています。私たちは、一緒に何ができるかについて楽観的な新しいリーダー世代を迎える準備ができています。だからこそ、メアリー・グレース、ありがとう。だからこそ、民主党、共和党、独立派が私たちのキャンペーンを支持しているのです。私たちは、すべてのアメリカ国民のために働く大統領が必要です。
(04:01) みんな、もう分断しようとするのはやめましょう。人々はもううんざりしているんです。疲れ果てています。私のキャリアを通じて、私は人々のために戦ってきました。若いころ、オークランドで検察官として女性や子供を虐待する犯罪者に立ち向かいました。カリフォルニア州の司法長官として、大手銀行と対決し、差し押さえに直面していた中流家庭に200億ドルをもたらしました。私は、搾取された退役軍人や学生、そして賃金を騙し取られた労働者のために立ち上がり、高齢者虐待に直面している高齢者のために戦いました。国境を持つ州の司法長官として、薬物を密輸し、私たちのコミュニティの安全を脅かすようなカロア・カルテルのような国際犯罪組織と戦いました。
(05:46) そして、私たちが築く未来は、すべてのアメリカ人が住宅を所有し、富を築き、ビジネスを始める機会を持てる「機会経済」を含むものです。私は本当に中小企業が大好きです。皆さんの中に中小企業のリーダーがいますか?手を挙げてください。私の母は長時間働き、私たちの面倒を見てくれました。ミス・シェルトンは小さなビジネスオーナーで、私は小さなビジネスオーナーがどれほど重要な存在かを子供のころから知っています。中小企業オーナーはアメリカ経済のバックボーンです。
(07:22) 私の計画の一部は、スタートアップ中小企業に5万ドルの税控除を提供することです。相手は銀のトレイに4000万ドルを手渡され、6回破産しましたが、みんながそのような機会を持っているわけではありません。アメリカ人は野心、夢、そして一生懸命働く準備はできているが、機会やアクセスがないことが多いのです。
(08:07) 私は「機会経済」の構築に焦点を当てています。私たちは、アメリカの家族の生活費を引き下げるために、あらゆる分野での取り組みを進めています。私の計画により、1億人以上のアメリカ人が税控除を受けることができ、子供の最初の年には、子供税額控除を6,000ドルに拡大する予定です。新しい親たちは、車のシートやベビーベッド、ベビー服を購入する支援が必要です。
(09:50) さらに、アメリカのすべての人々に良い賃金の仕事が提供されるようにします。これには、大学の学位を持っていない人々も含まれます。長い間、私たちの国は、4年制大学の学位だけが成功への道だと奨励してきました。しかし、学位がなくても優れたスキルを持つ人々に機会を提供しなければなりません。
(10:51) すべてをまとめると、私は中流階級の出身であることを忘れません。そして、常に中流階級の人々のために働きます。私の相手は別の計画を持っています。彼の計画は、富裕層や大企業に多大な税金の優遇を与えるものです。私たちは、トランプが健康保険を終わらせようとしていたことを忘れていません。彼は、私たちの国民の基本的な自由や権利に対して全面的な攻撃を行っています。
(11:51) 彼の計画を見れば、彼がもう一度大統領に選ばれた場合に何をするつもりかが明らかです。ドナルド・トランプは、億万長者や大企業に大規模な減税を行い、社会保障やメディケアを削減しようとしています。さらに、私は「トランプの売上税」と呼ぶものを日常の必需品に課そうとしており、経済学者の調査によれば、これにより平均的な家族は年間4,000ドルも余分に支払うことになるでしょう。事実、ゴールドマン・サックスのような独立した経済学者たちは、私の計画が経済を成長させると予測しており、彼の計画は経済を縮小させ、インフレを再燃させ、来年半ばには景気後退に陥るとしています。
(12:42) さらに、ドナルド・トランプはオバマケア(Affordable Care Act)を廃止するつもりです。私たちは忘れていません。彼が大統領だった時、60回もオバマケアを廃止しようと試みました。そして、最近の討論でも彼はそれに代わる具体的な計画がないと認めています。「概念的な計画」と呼んでいましたが、実際の計画はありません。
(13:41) ちょっと考えてみてください。彼は、4500万人が頼りにしている健康保険を脅かそうとしています。それを「概念」に基づいてやろうとしているのです。かつて、保険会社が既往症のある人々に保険を提供することを拒否できた時代があったことを思い出してください。私たちはその時代に戻るつもりはありません。 [拍手] 絶対に戻りません。なぜなら、私たちの戦いは未来のための戦いだからです。そして、私たちの戦いは自由のための戦いです。女性が自分の体について決定する基本的な自由を守り、政府がその決定に介入することを許しません。
(14:41) 私たちは、ドナルド・トランプがロー対ウェイド判決を覆す意図を持って指名した最高裁判所の判事たちが、その意図通りに行動したことを忘れていません。そして、私たちはどこにいるのかを理解しています。現在、20以上の州でトランプの中絶禁止法が施行されており、その多くはレイプや近親相姦の場合であっても例外を設けていません。これは道徳的に間違っています。性暴力の被害者に対して、彼女が自分の体について決定する権利がないと言うことは、非道徳的です。
(16:50) 私たちは、信仰や信念を持っていることを放棄する必要はありません。それでもなお、政府が女性に何をすべきかを指示するべきではないと同意することができます。そして、議会がリプロダクティブ・フリーダムを回復する法案を通過させた暁には、私は大統領としてその法案に誇りを持って署名します。[拍手]
(17:39) 私たちの国中で目にしているのは、他の多くの自由と権利への全面的な攻撃です。投票の自由、銃暴力から安全である自由、労働組合に参加する自由、そして愛する人を誇りを持って公然と愛する自由です。アメリカの理想を守るための戦いを続けてきた世代があります。そして、ここにいる皆さん、今、そのバトンは私たちの手にあります。[拍手] 今、選挙まで53日です。私たちはアンダードッグであり、それを覚えておきましょう。そして、私たちはこれからも一生懸命に働きます。しかし、私たちは努力が好きです。努力は素晴らしいことです。そして、皆さんの助けがあれば、私たちは勝利します。ペンシルベニア、私たちの声を響かせる準備はできていますか?私たちは自由を信じていますか?私たちは機会を信じていますか?私たちはアメリカの約束を信じていますか?
俺が正解教えてやるよ。
まず彼女に謝れ。
「さっきは突然のことでびっくりして、大変失礼なことを言ってしまった。申し訳ない」
「まずは、俺の子を妊娠してくれてありがとう。おめでとうとも言いたい」
「もし君が良ければ、親御さんに挨拶したいし、自分の親にも紹介したい」
そのうえで、彼女が、彼女の選択で、今はまだ産む時期じゃないということで堕胎するのであれば仕方ない。
そこは彼女と今後の打ち合わせや親への説明を考える上でそう流れればそちらに誘導すればいい。
ーー
まず、たとえ高学歴だろうと、妊娠した女に理性なんて求めるな。アホか。
数年前、身内がある男(A)の被害に遭った。
Aと身内は同じ学校とは言え面識は無かったが、身内が所属していたグループの活動に対し一方的にケチをつけて
学校側に根も葉も無い嘘を一方的に通報されたり、学校外にまでの同様の通報や公的機関にまでグループの悪事を告発する、という体の怪文書を送りつけられるという
嫌がらせとしか思えない事をされた。身内の所だけで無く、複数のグループやサークルに対し同様の嫌がらせをしていたらしい。
怪文書の方は、身内の所についてはさすがに相手にされてはいなかったみたいだが(他の所では相手先から問い合わせが入ったケースもあったという)
学校側については学生から通報があった以上、何もしない訳にはいかず、身内らは対応に追われる羽目になった。
この時点では、通報者がAという同じ学校の人間らしい、という事は認識していたが、Aとは全く面識も無かった上にやった事も動機も意味不明過ぎて
本当に気味が悪いと身内はスルーして関わらない様にした。
その際身内からは「同じ学校に凄い気持ち悪い奴がいて怖い」「目をつけられても嫌だから無視するしかない」といった相談というか愚痴を聞いてはいた。
私もAの話を聞いて直接どうこうするよりは関わらない方が良い類の人間だと思った。
最初の嫌がらせ通報の時点では無視する事にした身内だが、その後、同様の事をやられた別のグループがAに対し直接文句を言った所
身内らの名前を出して「あの人達も自分のやる事には同意している」「彼ら(身内らのグループ)から依頼されて通報した」
「彼らから情報提供を受けて(通報を)やっただけ」などと言った嘘を吐き、そのグループから身内らがクレームを受けて事態が発覚した。
話し合って何とか誤解は解いて貰ったが、直接面識も無い相手に勝手に名前を出された挙げ句に、Aの粘着・嫌がらせとしか思えない行為に加担している
などと嘘をつかれて人間関係を滅茶苦茶にされそうになり、さすがに身内らも頭にきたらしくAに対して直接文句を言ってしまった。
こういう事は止めてくれ、あなたの行為はハッキリ言って迷惑だし嘘をついて名前を出すのも困ると。Aは渋々といった感じで、その時は一応謝罪はしたらしい。
もし仮に、その時に相談を受けていたら、当時の自分はどう答えていただろうと思う時がある。
今の私ならば、そんなヤバい人間は無視した方が良い、悔しいと思うけど世の中には関わってはいけない人間がいるのだから、と答えたと思うが
当時にそんな事を言って冷静に身内を制止出来た自信は無い。その事が非常に悲しく悔しい。
程無くして、Aによる「被害の告発」と共に、恐らくAと思われる人物によって大量の迷惑メールが身内のアドレスに送りつけられたり
身内の個人情報が特定出来る様な中傷が匿名掲示板に書き込まれるなどの被害が発生した。
身内らの(少なくともこちらからすれば)正当な抗議は、Aには「何も悪い事をしていない自分への攻撃」と受け取られた様だった。(事実、後で送られる事になる書類にはその様な主張が書かれてあった)
身内も含めた複数名(最終的には数十名の被害者が発生した)の個人情報と共に事実無根の中傷を「被害の告発」という体でA自身に個人ブログで公開される様になった。
告発という名の誹謗中傷も相当酷い行為だったが、Aの「(自称)被害の告発」、Aが周囲に生徒らの悪口を言い回っていた時期、身内も含めた様々な人物に犯人不明の嫌がらせが発生したタイミングが余りにも一致していた為、当然周囲はAを疑った。
悪意を持って拡散された個人情報の内容は、Aによる学生の権限を悪用して収集したであろう個人情報が大量に含まれていた。状況的に犯人はAとしか思えなかった。
しかし悪質な事に、基本的にネットを使った手口なので、当然確固たる証拠は無かった。Aに問い正した人間もいたが、当然Aは否定した。証拠が無いからと。
俺が犯人だと思うなら証拠を出してみろよ、出来ないならそっちが犯罪者ですよ?などと半笑いで煽ったりもしたらしい。
個人情報を掲載された中傷ブログについてはともかく、証拠も無い嫌がらせについては、例えAが疑わしくともどうしようも出来ないと。
話を聞く限り、学校側もAの異常な行動に対し、どう対処して良いかよく分かっていない様だった。
身内が別の学生と良からぬ行為を繰り返している、等という真っ赤な嘘の中傷も、A自身による一方的な他生徒への話しかけやブログのコメント欄等を介して拡散された。
その頃にはAが異常な行為を繰り返しているとんでもない人間という事が被害者である身内らやその周囲には知れ渡っており、悪質な噂を信用する者は殆どいなかったのが不幸中の幸いだった。
しかし、この様な気色の悪い嫌がらせや事実無根の中傷をされて、身内は相当精神的にダメージを受けた。
いくら客観的に見てもちょっとおかしなサイトで、まともに相手にする人間の方がおかしいと言える様な代物とは言え
個人情報と共に根も葉も無い中傷がブログに書かれているのも、就活を控えた身だった身内としては相当堪えていた様だった。
身内からもヘルプが入り、私や両親らも何とかしようとしたが、結果だけ言えばどうにも出来なかった。
なにせネットの書き込み一つにしても証拠は無い、当時はあまり情報が無く開示請求をしようとしても
弁護士に依頼すると多額の費用と時間がかかるというハードルがあるという思い込みもあった。
仮に開示に成功したとしても、ネットカフェ等で書き込みをしているとまず書き込み者は特定出来ませんよと、相談に行った弁護士の人にも言われて愕然とした。
「この程度の中傷」は無視した方が良いです、と言った弁護士もいた。世間はそんなものかと思ったが、身内も私もまだ若く、それがおかしいと否定出来る根拠は持ち合わせていなかった。
こんな事をしでかすAの動機がただの逆恨みとしか思えないのも、Aという人間から感じる理不尽な悪意を更に強くさせた。
自分や両親にも仕事や生活があり、出来る限りの事はしたつもりだったが、同居親族では無かった為身内へのサポートにも限界はあった。
身内も就活を控え何かと不安定な時期で、ストレスは傍から見ていても辛そうだった。
そんな折、身内は当時勤めていたバイト先から自主退職を促された。実質クビだった。
身内を名指ししたクレームのメールや身内の根も葉も無い「悪事」を通報する怪文書がバイト先の親会社の人事部に届き
説明を求められた身内はAの名前こそ上げなかったものの学校でトラブルに巻き込まれ以来不審な嫌がらせが続いていると弁解した。
身内にも怪文書の詳細な内容は伏せられたが、警察沙汰にもなる様な問題を起こしている、といった内容が通報されたと暗に示唆されたらしい。
会社とは関係無い所で面倒なトラブルに巻き込まれている人間など、面倒なだけだったのだろう。
こんなおかしな嫌がらせをされる様な人間とは関わり合いになりたく無かったのかもしれない。
弁解は受け入れられず、身内は結局職場を追われる羽目になった。
追い打ちをかける様に、身内宛にAから内容証明が届いた。Aに対し身内がやった抗議は「名誉毀損である」として、示談に応じない場合は訴訟を検討しているという。
書面には弁護士の名前もあった。遂に身内は心が折れてしまった。Aに対し頭を下げて何とかして貰うと言い出した。
自分は最初反対したが、両親とも話した結果、もう身内のメンタルが限界だしこれ以上Aの様な異常者と相対するのは無理だろうと。
悔しいが多少の金を払ってでもAに嫌がらせを止めて貰って、泣き寝入りをした方がマシだと。
弁護士にも相談したが、やはりAの様な相手と全面的に争うのは難しいと言われた。
多額の費用がかかり、仮に勝ったとしても弁護士費用を考えると完全にマイナス。
またAの様な「無敵な人」なタイプが(弁護士は言葉を濁してはいたけど)素直に賠償をするとも思えず、従わない場合更に手続きに費用が…と言われた。
今思えば相談した弁護士はどちらかと言えばハズレだったが、こちらは法的知識もあまりない一般家庭の一般人で
弁護士さんが言うのだから、世の中はそういうものなのだと愕然としてしまった。
どうしてこちらは何も悪く無いのに一方的に被害に遭って、明らかに悪であるAが得するばかりなのだろうと、社会の理不尽さを痛感させられた。
結局一応こちらも弁護士を立てて示談をする事になった。示談金としては少額だったが、弁護士費用も考えると自分の月給が飛ぶ程度の費用がかかった。
お金は両親が支払った。悔しいが身内を守る為の勉強代だと思うしかないと言っていた。
Aみたいな太い家の出身と違い(A自身が自慢していたという)決して安くは無い出費だった。
父や母が普段から真面目に働いているのは、Aみたいな人間に金を差し出す為では無いのにと、本当に悔しかった。
Aと示談した途端、嘘みたいに嫌がらせはパタリと止まった。中傷ブログの方は駄目だったが、どうしようも無かった。
この中傷ブログに関しては、後で知る事になるのだが、別の被害者がブログの記述を削除する為に裁判を起こし
100万程の費用をかけて削除させたらしいが、即座にAはコピーブログを立ち上げ内容を転載、裁判は完全に無駄に終わったという。
この胸糞悪い話を聞くと、あの頼りないハズレの弁護士の言う事もあながち間違ってはいなかったのかと思った。
Aは結局中傷ブログの件や他の問題(異性絡みで警察沙汰になる様なトラブルも起こしていたらしい)もあり、遂に学校側も対処して
結果的には限りなく退学処分に近い形で自主退学したというが、それでも私達の気は全く晴れなかった。
それでも身内は就職活動を頑張ったが、結局不本意な結果に終わった。
まともな企業や人間なら、怪文書に近い中傷ブログや、仮に匿名の真偽不明なメールが送られていたとしても相手にしないだろうと言ったが
身内自身のストレスや不安による不調もあったのだろう。元の志望した業界への就職は叶わず、異なる職種に就職する事となった。
就職してからもしばらくは精神科に通い、カウンセリング等の治療を受けていた様だった。
この事は自分達にも最初は隠しており、ある程度状態が落ち着いた時に初めて「実は…」と打ち明けられた。
Aとの一件で多大な迷惑をかけてしまい、更に心配までかけさせたく無かったから、と謝罪された。
こんなにも身内を追い詰めたAを、改めて憎んだ。
何も関わりが無かった筈なのに、勝手に関わってきた挙げ句に一方的に逆恨みして嫌がらせや虚偽の事実を振りまいて中傷した挙げ句に
いざとなったら被害者ぶってこちらを加害者呼ばわりして攻撃する卑劣さ。
ギリギリ違法にならない様な嫌がらせや、証拠を取る事が難しい違法なやり口で相手を追い詰めて苦しめる異常さ。
まさに悪意の塊の様な人間だと思った。
やっとAとの嫌な記憶も少しは薄らいできた頃、再びAの姿をネット上で見かける様になった。
彼は退学後も、(恐らく太い実家とやらの金を存分に使って)華麗な経歴を引っ提げ、有名なネットメディアや
テレビに出演したりある有名人らと絡むなど、所謂知識人的な立ち位置としてネット上で活動していた。
当時の嫌な記憶がフラッシュバックを起こしたのか全身が冷えて血の気が引いていくのを感じた。
当時同じ学校だった身内含めた多数の人にあれだけ迷惑をかけ傷つけておいて、よくこんな堂々としていられるなと思った。
よっぽど文句の一つでも言ってやろうかと思ったが、その頃にはAにも既にある評論家など似た様な同類の取り巻きも多数いて、結局諦めた。
所詮自分は普通に働いている一般人で、相手は少なくともネット社会では多数のフォロワーを従えているネット有名人。
数に押されるのは目に見えていたし、身内を追い詰めた様に今度は自分が訴えられるかもしれない。
身内だってAにはもう今後一切関わり合いになりたく無いだろう。ブロックして忘れたフリをするしか無かった。本当に悔しかった。
それからまた時は経ち、今度は別の方向からAの名前を聞く様になった。
あるインフルエンサーの人間に喧嘩を売ったAは(割とそういう事を以前から各所で繰り返していたらしいが)
ある人間らに過去の言動や経歴の矛盾点等、恐らくAが知られたく無かったであろう事まで掘り返され暴かれて、笑い者になっているという。
Aや取り巻きは、ある人間や支持者によるネットリンチだ!などと被害者面をしていた。
何も事情を知らぬ第三者であれば、自分もそう思ったかもしれない。
けれど自分は、正直「ざまぁみろ」と思った。Aが身内らにやった事を思えば、これぐらいの被害など因果応報だろうと。
ある人間は所謂政治系のインフルエンサーで、Aはその対立する相手方の勢力に元々属していたんだか後で取り込まれたんだかで
Aとある人間らは本格的に対立する様になった。その過程を追って行く内に、様々な事を知った。
Aによる被害者は、身内や個人情報を晒された他の学生達だけでは無かった事。
身内も知らなかった様な、結構なトラブルを在学中に既に起こしていた事。(警察沙汰になる程の事をしでかしていた事は、この時に知った)
金で買ったであろう自称の経歴は大半が虚飾に塗れた代物だった事。
違法な中傷や嫌がらせ以外にも、多数の人々を挑発し愚弄する様な数々の酷い暴言を吐いていた事など。
近しい人にコロナで亡くなった人は幸いにもいなかったが、親類の一人はコロナが原因で持病が重症化してしばらく入院していた。
会社にも、コロナにかかった後、後遺症でしばらく苦しんでいた人がいた。
例えばAは、コロナ患者を「ざまぁみろ」などと愚弄していた。本当に鳥肌が立った。
彼の様な人間が、平気で人の心が無い様な暴言を吐けるのだろう、と思った。
自分もAが苦しんでいるであろう光景を見て同じ事を思ったので、同じ穴の狢かも知れないが。
対立の過程で、Aの被害者の一人が声を上げた。自分はAの被害者だと。
被害を受けたので訴訟も起こしたが、Aは判決を無視して逃げ回っていると言った。
当時私が懸念した通り、被害者はAやAの取り巻きらに攻撃された。
取り巻きはAの言動をどこまで信用しているのだろうかと思った。
Aの言動や被害の現状を知っていれば、一緒になって被害者をセカンドレイプなど出来ないだろうと。
しかしながら、党派性の強い人達の異常な言動を見ていれば、答えは自ずと分かった。
Aの取り巻きをやる様な人間にとっては、Aの言動の真偽などどうでも良く、ただ対立相手を攻撃する、叩き棒の様な理由があれば何でも良いのだろうと。
度合いが違うだろうが、取り巻きらもAと同類なんだなと思った。
そんなAを公然と支持する(していた)、所謂知識人界隈の人間や法曹関係者がいる、という事実にも面食らった。
被害者はAの取り巻きらに攻撃されネット上から姿を消したが、その後、どういったやり取りがあったかは定かでは無いが
ある人間は、被害者複数を支援しAを再度訴える事になった。裁判の過程で、Aはどんどんと追い詰められていくのを感じた。
ある人間の動画もたまに観る様になった。Aが様々な方向から、合法的に詰められ、追い詰められていく過程に、涙した事もあった。
やっと、被害者が報われる様になったと思った。
身内はAの言動を直接見るのはトラウマが蘇るから無理というので、自分がある程度まとめてから時折連絡している。
ある事でAの嘘や実像が暴かれた事を知った時には、身内も本当に安心した様に泣いて喜んでいた。
正直な所、ある人間は賛否両論が激しいインフルエンサー系の活動家だ。
ここはてなではハッキリ言って否の方が多く、少なくとも観測範囲では否定派しか見かけた事が無い。
その否定派に対し異論するつもりも無い。党派性がどうこうにもその手の話題には関わりたくも無い。
ある人間のメインの活動には正直興味が無いし、人間的にはちょっと色々と生理的に無理…とすら思っている。リアルでは関わりたく無いからフォローもしていない。
けれど自分は、ある人間の活動により結果的にAが表舞台にはもう戻れない様なデジタルタトゥーがついていく事には
率直に言って良かったと思っている。あの様な悪意の塊の様な人間が、被害者を踏み躙ってまで表舞台に立つべきでは無いだろう。
ある人間の活動には興味無いが、感謝の意味も込めてたまに課金している。
累計すると自分的に結構な金額を課金しているかと思うが、ある人間は被害者の裁判支援に数百万出資しているというのだから
それについては素直に頭が下がる思いだし、泣き寝入りしてしまった自分達の悔しい無念を晴らす意味でも応援する思いで課金している。
支援の意味も込めて本も買った。内容には正直興味が無かったので、読んでみたいと言っていた知人にプレゼントした。
客観的に見て、自分は賛否両論激しい、悪く言えばカルト的なインフルエンサーに感謝して課金している、信者にしか見えないだろう。
しかしそれでも、ある人間の活動によって結果的には救われた思いがあるのも事実なのだ。
その感謝の念を、声を上げられない被害者の無念を晴らしてくれた礼を、ささやかながらにしているだけだと自分では勝手に思っている。
姉はコロナで学校の水泳が全面的になかったのを心配して3年生夏から。弟は1年生夏から。
週1回1時間程度。どちらも2年くらいで25m泳げるようになった。
目標がそのあたりなら、3年くらいで終わるから、年長~小学校低学年開始でよさそう。他の習い事との兼ね合いもあるから、あんまり遅くない方がよいかも。
年下に抜かれたりすることは普通。もっと回数多く回数通う子もいるし、上記の通りコロナもあったから、始める年齢も様々。
2歳はさすがに早すぎるような。
万が一の事故はどのスポーツにもあるけど、衝突、転倒の事故は少ないし、天候気候関係ないから、男女ともオススメ。用具が安価なのもいい。
ちなみに、弟の方は他にサッカーと野球をやっているけど、そっちのほうが、同じ学年でも差がつくし、向き不向きがありそう。
野球はやっぱり用具が高い。サッカーは能力の差が顕著。どっちも「中の下」くらいの能力ならいいんだけどね。どちらもチームの人数が必要だから、田舎と都会ではまったく感想が異なるかも。
以前pixivや東浩紀などを巻き込んだ現代アート騒動を起こし、またハラスメントがあったという告発で話題になったカオスラ(カオスラウンジ)のことを覚えているだろうか?
先日、そのハラスメント告発に絡んだ名誉毀損訴訟の地裁判決があり、告発側が敗訴した。
ハラスメント告発の記事については300ブクマ以上がついているが(https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.businessinsider.jp/post-228812)、
その後の裁判についてはろくに追いかけていない奴がほとんどだと思うので解説する。
カオスラのハラスメント告発に絡んだ訴訟というのは全部で3つある。
これは告発者の支援者が概要をまとめているのでそれを参照してほしい。
https://bewithayanoanzai.cargo.site/27406331
この3つの訴訟のうち、最初のセクハラ・パワハラ告発をカオスラが名誉毀損として訴えた裁判は、
セクハラは認められたがパワハラ部分は認められず、告発者が55万円を支払い記事を削除するという判決が下され、控訴審もそれが維持され判決が確定した。
2番目は告発者が不当解雇を訴えた裁判で、これについては告発者の主張が全面的に却下されるという判決が下された。これは控訴し現在係争中だ。
そして先日、カオスラ社員2名が告発者を名誉棄損で訴えた裁判の地裁判決があった。この判決では、告発者が2名にそれぞれ55万円を支払うという判決が下された。
つまり、この一連の裁判をまとめると、カオスラ代表による個人的なセクハラこそ認められたものの、それ以外の争点や主張については告発者がほとんど敗訴しているのだ。
最初の記事のブクマや、それ以降の記事(https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.bengo4.com/c_18/n_13718/)(https://b.hatena.ne.jp/entry/s/bijutsutecho.com/magazine/news/headline/22904)などでは、
ほとんどがカオスラ側を批判するものばかりだったが、ここで批判のブクマをしたブクマカたちは今この結果をどう思っているのか?
ちなみに、3つ目の裁判においては社員側の主張として、賠償金を増額するべき理由としてあの北村・雁林裁判におけるカンパ罪の判決が引用されており(https://drive.google.com/file/d/1ftozT81cRknv5DJFD-bC02wIF4orTLZA/edit)
暇空茜
@himasoraakane
https://pbs.twimg.com/media/GXA8rUzaEAASJMO.png
だって俺が信じてる、パヨクに俺と同じくらい攻撃されてる杉田水脈さんが支持してる
チャイナリスクが高まってて韓国と急遽仲良くなったり機密事項を立憲とかに見せたら流石に立憲も賛成した、みたいな時世なのに表現規制だから高市さんはとか言ってるやつ頭沸いてるかスパイだろ
この日本という国の危機でありチャイナリスクもあるときに何言ってんだ?
https://pbs.twimg.com/media/GXBL_6VbwAEI-Ac,jpg
アホかお前
他は💩だろ
表現規制の主張だけで日本の未来をきめる総理を選ぶ気になるの?どんな教育受けてきたのきみ
※暇空のファンが好き嫌いcomの堀口英利ページで暇空に向かって語りかけ、暇空がそのコメントをスクショして反応するのが恒例となっている
本日、みんな党政調会議に自民党の高市早苗議員が来られました。児童ポルノ規制法案提出についてのみんなの党への説明です。本法案が議員立法だとしても自民党政調の高市会長自らが直接やって来るのは異例中の異例です。しかしながら、この法案は児童ポルノを厳しく取り締まるという目的の他に、非実在、つまりアニメなどの表現規制にもつながる可能性がある問題のある法案です。
1 政府は、児童ポルノに類する漫画等(漫画、アニメ、CG、擬似児童ポルノ等をいう。)と児童の権利を侵害する行為との関連性に関する調査研究を推進するとともに、インターネットによる児童ポルノに係る情報の閲覧の制限に関する技術の開発の促進について十分な配慮をするものとすること。(附則第二条第一項関係)
2 児童ポルノに類する漫画等の規制及びインターネットによる児童ポルノに係る情報の閲覧の制限については、この法律の施行後三年を目途として、1の調査研究及び技術の開発の状況等を勘案しつつ検討が加えられ、その結果に基づいて必要な措置が講ぜられるものとすること。(附則第二条第二項関係)
高市早苗総務大臣は,2 月 8 日の衆議院予算委員会で,野党議員の「憲法 9 条改正に反対する内容を相当の時間にわたって放送した場合,電波停止になる可能性があるか」との質問に対し,「放送局が政治的な公平性を欠く放送を繰り返し,行政指導しても全く改善されない場合,それに対して何の対応もしないと約束するわけにいかない」と述べ
この記事(https://kensuu.com/n/na6ca1ced8f65)に対する意見です。
結論から言っておくと、加害者から受けた被害者の立場を考えて無さすぎでは?ということである。
今回のやりとりを分解すると
解決したいこと
やり方
という形でした。抽象度をあげると
解決したいこと
何か悪いことをやっている(と自分たちが思う人)の行動を減らす
やり方
ここで重要なのは先に攻撃を受けたのは誰かで、それは落合先生なわけである。
こう見ると、落合先生が一方的にかつ無差別に攻撃していると言い切れるのか?である。そもそもコンプラを本人に問い合わせるのは攻撃なのか?
けんすう氏は上記2番目の「(外野が加害者の振る舞いを知らずに)加害者のコンテンツを肯定的に拡散する」の立場を重視して意見しているが、実際の被害者はそこまでコストを掛けて気にするべきなのか?ということである。だって被害者だよ?
しかも、その外野が「(加害者の振る舞いを知らずに)加害者のコンテンツを肯定的に拡散している」のか、「(加害者の振る舞いを知ってなお、)加害者のコンテンツを肯定的に拡散している」のかは、落合先生からはわからない。なぜなら、
のである。
この状況において、相手に加害者の振る舞いを知ってるのか問い合わせるのは自然な行為なのでは?むしろ知ってる上であえてオープンに聞くほうが意地が悪いといえる。しかもコンテンツを本当に肯定的に評価できるのであればコンプラの問い合わせが来ても
と反論すればいいだけではないのか?だって問題ないと考えているんでしょ。
結局、「相手にコンプラを問う=攻撃になる」は、少々行き過ぎのように見えるし、
これを攻撃というなら、加害者をシェアしてる人たちも被害者に後味を悪くするというダメージを与えてるのだからそれも攻撃といえるでしょう。
極論だけども。
図書館を利用してハイコンテストな芸術を楽しむ、って格好いい。
でもさ、高い教養を身につけた人の芸術摂取による生涯ドーパミン総量は高いのかな。
私は無い。
ラーメン食べてパチンコに打ち込んでる人の方が、ドーパミン総量は多そうだ。
・学問、幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的活力や心の豊かさ、物事に対する理解力。また、その手段としての学問・芸術・宗教などの精神活動。
・教養とは,一般に人格的な生活を向上させるための知・情・意の修練,つまり,たんなる学殖多識,専門家的職業生活のほかに一定の文化理想に応じた精神的能力の全面的開発,洗練を意味する
・実利主義的,立身出世的,政治的な明治の〈修養〉概念に対して,大正の〈教養〉には内面的,精神的,非ないし反政治的,人格主義的等々のニュアンスが強く帯びさせられているわけである。
・人間の精神を豊かにし、高等円満な人格を養い育てていく努力、およびその成果をさす。とかく専門的な知識や特定の職業に限定されやすいわれわれの精神を、広く学問、芸術、宗教などに接して全面的に発達させ、全体的、調和的人間になることが教養人の理想である
・精神文化一般に対する理解と知識をもち,人間的諸能力が全体的,調和的に発達している状態。
・教養教育を意味するLiberal Artsは、近代大学のルーツといわれる中世ヨーロッパ大学においては、聖書を読み解くための能力(論理、修辞、文法)と神の摂理による自然現象を理解するための能力(天文、算術、幾何、音楽)から構成されていました。つまり教養とは、キリスト教世界において「神につながる」力を意味したのです。
・生きていく上で価値判断の基準となる自分なりのものさしを持っている人のことを教養があると表現しています。
・自分の力で「いかに生きるか」を考える人々が出現しました。彼らは古典語(ラテン語)を駆使して「いかに生きるか」に思いを巡らしました。教養とは古典語に精通することでもありました。
https://kotobank.jp/word/%E6%95%99%E9%A4%8A-53100
https://www.cshe.nagoya-u.ac.jp/nu_stips/sub2_colum_2.html
色々定義はあるが教養は単なる知識に留まらず、文化理解や精神的な豊かさなどの非実利的な意味合いを含む定義が多くある。
これらの意味合いを含める定義に従うなら、知識量あっても知識マウント取ったりする人間は人格に問題があるので教養がないし、知識量等は平均レベルでも精神的に円熟してる人は教養があると言えよう。
おっ、そうだな(賛同)
まぁ、現代社会が全面的に資本主義にどっぷり浸かってる以上、買い物がどうこうで資本主義から逃れるのは難しいですよね。でも、政府転覆はやりすぎィ!どんだけ過激なんだよってなっちゃうから、もうちょっと現実的な方法を探そうぜ。まずは近所の公園のゴミ拾いでもして、地域貢献から始めるのもいいかもしれませんねぇ…(善意)
おっさんの言うことは正論だし自分としてもお疲れ様とは思うが、
正論とは全ての正論を包括するわけではないというのがミソなんじゃないのか
裏返すとそれは配偶者に「育児から逃げない(逃げられない)」を全面的に任せた役割分担でもある
そこを忘れて「自分は家族を養うために仕事から逃げられなかった」だけクローズアップすると
お互い話し合い、すり合わせ不足にならないか
だってこのおっさんの奥さんはある意味では「家族のために育児から逃げない」だけにクローズアップした結果、いらん恨みを募らせているわけだろう
だが親になると言うのは子どもの心、人格に触れ、その健全な形成に心を砕くという部分がどうしても必要だ
そしてそこには確たる正解がなく、人生経験を積んだ大人でも悩み苦しむような難題が次から次へと降ってくる事業でもある
大人でも同じ知恵を持った大人と問題を共有し、分かち合い、解決のために協力し合いたいと思うものだ
奥さんはそれができなかったために、共闘してきたという実感を持てないでいるんだと思うよ
たとえ「働くのは夫・家事育児は妻」の役割分担があったとしても、父親としてあるためには金を稼ぐ以上に心を砕くことが必要な場面があったはずだ
そしてもしかするとだが、一生の恨みおじさんにはそこに何か思うべき部分があるのかもしれない
3人の子どもを何不自由ない生活を与え全員を大学に放り込むために飲んだ苦汁は1杯や2杯ではなかったはずだ
母はそこの想像力が不足するような人間には自分たちを育てなかった
だが…
何と言えば伝わるのかわからないが…
父と子どもたちとの間には長年の「ふれあい」というものがないのだ
聞けば父は自分が幼少期にパパ〇〇と言った、というようなことをよく覚えているのだが、
自分にとっては映画かドラマを見ているみたいな感覚にしかなれない
自分なりにいろんなことがあった、その中には苦しいこと悩むこともあった、
つまづき、悩む、今思うと子どもならではの視野の狭いアホらしい限りの悩みだが、
だがそれら当時の自分には大きな問題を打ち明けられる関係を築いているのは母だけだった
だから父には金銭的には支えてくれた感謝を持っている、成人した今では和やかに世間話をできる関係でもある、
だが
だが何と言えばいいのか、自分にとっては内面をよく知らない心の距離が遠い人でもある、
限りなく「自分たちを育て上げるために苦労してくれた父(同じ家に住んでいる設定の近所のおじさん)」に近い感覚がある
母に対するのと同じように自然に心を寄せることができない
父の癖や好みは知っているが、だがそこに共感や好意というものはあまりくっついていない
本人には言えない