はてなキーワード: 二項関係とは
何も比較してないが…
という言明と
が矛盾していることを、君が認めないという点について私が糾弾しているんだよね。
仮にu:v→R (v∈Vは任意のOS)という写像があるとして、君の主張はu(初代Mac)=u(Windows 10)だ。ここまではいいね?
そしてそのような関数uが可算集合Vを台としてあるということは、先のツリーにもあるように素性のよい二項関係Rがあるということだ。Rからuへの誘導はほとんど自明だから省略する。
君の先の言明は「何も比較していない」すなわち「二項関係Rの存在は不要」と「俺は初代Macから10まで何不自由なく使える」すなわち「u(初代Mac)=u(Windows 10)」を等値しているのだが、私のここまでの話を理解していれば、この2つが等価だというのはおかしい、と理解できるはずだね?
ここまでの話はRが全順序か半順序かに依存していないことに注意しよう。つまりこれは
二項関係(「比較」そのものだ!)から使いやすさ効用関数が誘導されるかどうかはあくまで数学的議論の話(可算集合上における効用関数の定義そのもの)であって、それが実際に効用関数がどのような形をとっているか、ましてやその具体的な関数形を特定個人が評価するべきかどうか、とは全く関係ないでしょ
まずは
何も比較してないが…
という言明が、直後の
と矛盾するという点について認めようか。
ん?単に並べてるだけじゃなくて「どれも不自由なく使えている」と主張してるよね?
つまり「いずれの間にも(不自由なく使えると言える程度には)可用性に優劣はない」と比較しているということだ。
可用性を一種の効用関数とみなせば、それを定義する上で少なくともそれを前提とする二項関係、それも完備性と推移性を満たす素性のよいものが必要となる。
そのような二項関係(これが不可避に「比較」を伴うことは二項関係の定義より自明)無しに効用関数(あるいは一般化された使いやすさ関数)を定義することは可能か?君のその主張では、少なくとも「『できない』と主張していると見なすことはできない」と言える。
さあ、↑のような定義は君の主張によれば可能だということだが、どのように構成する?
答えよ。