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はてなキーワード: 唐突とは

2021-01-24

anond:20210124151016 anond:20210124144717

Bの店の営業時間に間に合わず、Aに行こうと思ったけど唐突クレープ食べたくなったので

AでもBでもない鷄清湯ラーメンの店へ行ってきた

ここも最近になって出来た店で初めて行ったんだけど美味かった

期待して無かったのに良い意味で裏切られたわ

 

ラーメン

まさかの無化調ラーメン

レビューではお上品って書かれてたけどそこそこガッツリしてる気がした

醤油は別メニューであったので塩は塩なんだろうけどなんか大豆味あったというかフツーに醤油入ってるよな?

デフォルトトッピングの味玉・かいわれ大根なども美味しかったし麺とスープもあってたしアクセントゆずもよかった

出来るだけ人と接しないで済むようなお水の仕組みなどになってたのよかった

 

クレープ

40分待ち。ほんま手に技術は裏切らないなって。ラーメン食べ終わった頃に受け取りに行った

さなお店なのに大手スーパーでもなかなか見ない自動会計システム入れててほんますごい

 

 

鷄清湯ラーメンの鷄油とクレープ生クリームショ糖で元気になったわ

2021-01-22

anond:20210122163259

唐突disられる「賢者の孫」

見てないけどオタクの「○○よりはマシ」話法ほんと滅びねえかな?

もちろん増田も滅びて?

2021-01-20

美容系のネット広告ビフォーアフター画像出すやつあるじゃん(明らか詐欺)

唐突に画面が真っ暗になったけどまだビフォーの奴の顔が写ってんじゃんって思ったら俺だった

2021-01-18

なぜ私は聖地巡礼をするのか(の話をかくはずだったが)

聖地巡礼とは中世ヨーロッパ封建社会においてキリスト教徒あいだで流行した、キリスト教聖地であるエルサレムを訪れる宗教的行動である

転じて、現代においてはアニメ映画などの熱心なファンが、創作物キャラクター縁の地を訪ね歩く行為を指す言葉として使用されるに至った。

私も昨年度から今をときめくアイドルグループ乃木坂46好きが高じて、(暇を持て余していたことも手伝い)彼女たちが番組ロケで訪れたり雑誌メディアで紹介したりしていた場所を巡ることが退屈な日常を彩る楽しみの一つとなっている。

大塚天祖神社バッティングセンター千歳船橋喫茶店ぱおーん、五反田デニーズ……

思い起こしてみたがそれほど多くはなかった。

それはさておき、この日記(?)で私が考えたいのは「人はなぜ聖地巡礼をするのか」その理由だ。

聖地巡礼には楽しさがある。

思えば私は日本史世界史も好きなので、歴史上の史跡を巡ることが旅行に行く際の主目的の一つだったりする。映画ロケ地を訪れることもある。

(前提として書き加えておくが、行ったことがない土地を訪れるのが好きな方であると思う。「まだこのへん歩いたことがないから」という理由で6時間ぐらい散歩することがざらにある)

今も『世界史をつくった海賊』(竹田いさみ著)なる本を読んでいて、大航海時代マゼランに続いて史上二度目の世界一周航海を達成した海賊フランシス・ドレーク(ワンピースのドレークのモデル)に関する記述を読んで、「彼の航路を船で辿ってみたいなあ」などと空想に耽っていた。

そう、私はフランシス・ドレーク足跡を辿りたいのである

乃木坂メンバーが参詣した神社自分も赴きたいし、バットを振るったバッティングセンターで、彼女らがそうしたように、自分バットを振るいたいのだ。

そして、「ここに彼らも、自分と同じように立っていたんだ」などと感じたいのである

この衝動はなんなのだろう。何故、こんなことをしたいと思うのか。

バッティングセンターで行ったバッティングは、それ自体として面白かった。乃木坂のことがなければ、私はバッティングセンターに行きはしなかっただろうが、バッティング最中乃木坂のことは忘れて純粋ボールバットで的確に打ち返すことに集中していたし、それが成功することに喜びを覚えていた。

しかし、やはりその一連の行為には、「メンバーも同じ場所で同じことをした」という事実認識によって特別意味を付加され、それが私の心に満足感をもたらしている。

私の記憶には、明らかに「ただのバッティング」以上の色が付いて、この思い出が保存されているのだ。

この違いは何に由来するのか。

まず一つ、見逃せない重要な点は「私は乃木坂が好きである」という事実だろう。これは明らかに聖地巡礼動機に深く関わっている。

私は何も藤田ニコル西野亮廣の訪れた場所に行きたいとは微塵も思わない。ニコるんはどちらかと言えば好きだが、出演番組をチェックするほどではない。西野に至ってはどちらかと言えば好きではないし、好きではない人間の縁の地を訪ねたい、その足跡自分足跡を重ねたいとは思わない。

フランシス・ドレークのことも、まあ好きになりつつある。(暇があれば伝記を読んでもいいかなと思うぐらいには)

では、好きな人なら誰でも聖地巡礼したくなるのかと言えばそんなことはない。身近な友人のことは好きだが、彼らの足跡を辿りたいとは思わない。

これは極めて重要着眼点である

恐らくは、その人物との関係性および距離感聖地巡礼に向かわせしめる大きな引鉄の一つなのだ

想像するに乃木坂メンバーでさえ、もし私が直接的に関係性を構築してしまえば、聖地巡礼したいという衝動はなくなるだろう。

同じ場所を訪れて、同じことをしたいという気持ちの裏にあるのは、「近付きたいが手の届かない者の存在」を少しでも身近に感じたいという欲求なのだ

友人という生々しい関係は、最早相手をそういう「聖なる存在」にしておかない。

ただし、友人との関係が何らかの理由で解消され、手の届かない存在になった場合はその限りではない。その最も単純な例は「死別である。死が二人を分かてば、当たり前な存在は当たり前でなくなり、会いたいのに会えない、焦がれ求める対象になる。

「手の届かない特別存在を思うこと」が聖地巡礼の肝なのだ

そしてその感慨は、対象と同じ空間的座標に立つこと、そこで同じ行為追体験することで増幅される。ただ、家でスマホをいじりながらその人のことを考えているだけの時間よりも、その人に少し近付けたような気になる。

その対象は人に限らない、作品、ひいてはその世界観全体も対象になりうる。

私は宮崎駿監督映画が大好きで、監督ハウルを撮り終えた後に数ヶ月間療養し、次回作の『崖の上のポニョ』の構想に繋がった広島県鞆の浦や、『耳をすませば』の舞台となった聖蹟桜ヶ丘も訪ねているが、ポニョや雫個人をそこまで好きかといえばそんなことはない。

フランシス・ドレークのことは好きになりつつあると言ったが、やはり人物に対しての好意それだけというよりは、世界史的な偉業であるという点の魅力が大きいように思う。俗な言い方をすれば世界一周ロマンを感じるし、楽しそうである(実際は辛いことの連続だろうが)。

しかし、ドレークな先立って世界一周航海を達成したマゼラン足跡を辿りたいと考えたことはないことを踏まえれば、やはりドレークには読書を通して僅かながら彼の功績やエピソードに触れたことにより、マゼランに感じる以上の魅力を感じていること、それが巡礼への衝動を後押ししていることは間違いない。マゼランのことは何も知らない。何も知らないので魅力も感じなければ、より深く知りたいという動機も起こらない。

(どうやら相手のことを「知りたい」と思うには、まず相手のことを知ることが必要らしい。少なくとも私にとっては。難儀なことだ。)

「手の届かない「聖なる存在である対象をその足跡を辿り行為をお手軽に追体験することで、少しでも身近に感じること」が聖地巡礼の意義であると一旦結論付けてみる。

ここで唐突に「お手軽に」という制限を付け加えたのは、私はバッティングセンターバッティングをする程度の追体験はしたいが、乃木坂メンバーが日々の研鑽を重ねたダンスレッスン場で一年間同じレッスンを受けたいかといえば真っ平御免だなということに思い至った。

一年彼女たちが受けたレッスンと同様のレッスンを受けることは、彼女たちの辛さや頑張りをよりリアル追体験することになる。追体験としての質は高い。だが時間がかかりすぎる。ダンスよりもやりたいことがあるし、辛そうなので、暇潰しに週二程度通うならチャンスがあればやらなくもないが、それはもう追体験としての価値は薄れて、一年間におよぶダンスレッスンそのものが持つ価値が問われている。(追記そもそもこれ、巡礼ではなくダンスでは?)そういう意味で1000円分のバッティングには十分その価値があったし、世界一周航海も同様である。(追記:これも巡礼と言えるのか?場所を訪ねる行為限定するべきだったかもしれない)

聖地巡礼はお手軽でなければならない。言い換えるなら、その行為自体を楽しめないのならやりたくはない。滝行は楽しそうなのでやりたいが、例えば彼女らが受けていた辛い仕打ち自分も受けたいかというと難しい。

例えばメンバーの誰かが過去イジメを受けていたとして、それと同様のイジメを受けたいか。これに関しては少し受けたい。マゾヒスティックな願望ではなく、多少なりとも彼女らの苦労を追体験することは彼女らを理解することにつながるからだ。

しかし、紛い物のそれはやはり本当のイジメ体験とは辛さの質が大きく異なるし、よりリアルに状況を再現するために半年継続してイジメを受けてくださいと言われればお断りする。あくまでもその一部を、私が本当には辛くならない程度に体験することで、辛さに思いを馳せたい、という程度に存在への接近願望は留まる。

キリスト教徒だってエルサレムには行きたくても、ゴルゴダの丘の上で十字架に磔にされたいかと言えばそんなことはないだろう。ごっこ程度にはやってみたいが、それはごっこ遊び自体が楽しさを持つからである。高所に磔にされて「こえ~」などと言ってるのは楽しいが、手足を本当に釘で打ち付けられるのはたまったものではない。(追記:これも巡礼の話ではなくなっている気がするが、でも巡礼先で対象が何かしてたら同じことやりたいよなあ。(追追記:でもやらなくても巡礼は成立するからやっぱりおかしいねはい。))

体験総体として楽しくないならやりたくない。少なくとも私は。この「楽しく」は何も笑顔になったり、興奮したりするといった類の楽しさである必要はない。

心地よい感情が動きがあればよい。

郷愁に浸るとか、感慨に耽けるとか、今風に言えばエモさがあってもよい。「泣く」ことによる感情の発露も、人間にとっては快感であるので、ここで述べる「楽しさ」に含まれる。

いや、違うな。

上に述べたエモさは体験のものに由来する(既出の例をとればバッティング行為によって引き起こされた)感情ではなく、「行為追体験している」という事実に付随する感情の動きだ。そこは切り分けるべきだろう。

例えば「同じ場所に立つ」ことも、聖地巡礼に伴う追体験行為の一形態だが「立つ行為のもの」には特に何の楽しみもない。(立っているだけで楽しい場所もあるが、必ずしもその必要はない)(追記:この例の方が純粋巡礼っぽい)

先例のイジメのように行為自体許容範囲であれば不快であっても構わない。これは個人差があるし、対象に対する思い入れの深さによっても許容範囲が変わってきそうだが。

追体験行為包含する巡礼行為」が総体として満足感をもたらす体験であればよい。(追記:「巡礼追体験包含する」よりも「巡礼追体験が付随する(ことがある)」が正しい)

距離重要な要素だ。ここで言及する距離とは、対象との関係性としての距離ではなく、その聖地との物理距離感である

遠ければ遠いほど、巡礼を達成した際の体験価値は高い。エルサレムが近所の公園にあったら巡礼の有難みも霞むだろう。

「ここまで来た」という感覚聖地巡礼には必要である

私は電車移動含めて一時間もあれば十分であるしかし、ここまで書いて想像してみたが、家の隣にあった昔馴染みのなんでもない祠が実は家康が足繁く通った祠であったと発覚すれば、そこにはそれなりの感慨が生まれるように思える。巡礼と呼ぶにはあまりにも短距離だし、巡礼としての価値希薄化するものの、完全に失われることはない。いや、とはいえやはり価値の減少は免れないな。

遠ければ遠いほどいい、というものでもない気がするが。例えば、乃木坂メンバーが訪れた場所比較として、私の現在地から大塚バッティングセンターパリ街角にあるカフェとの物理距離には圧倒的な差があるが(もちろんパリの方が遠い)、パリカフェを訪れた際の感慨がバッティングセンターに比べてそれほど深いかといえば、あまり変わらないような気がする。

これは、「パリ旅行のついで」にカフェを訪れるのか、「乃木坂メンバーが訪れたカフェを主目的に」パリを訪れるのか、物理距離を越えんとする直接的な動機がどちらにあるのかによっても異なりそうだが、メンバーが通った小学校とか、生まれ育った地域ぐらいの重要地ならともかく、たかだかロケで立ち寄っただけのカフェ目的渡仏する気にはならない。

いや前者でも渡仏する気にはならないが、(追記:というかメンバーの母校って言うほど感慨深いか?その頃のメンバーが好きな訳ではないし……)するにしてもそれはやはりそもそもパリ自体が好きで巡礼を抜きにしてもパリに行きたいからであって、パリの一地域を訪ね歩く行為のもの乃木坂とは無関係に楽しみを見出している。その意味巡礼行為は「ついで感」が否めない。(追記:「むしろ行きたくない場所への巡礼」を考えてみようと思ったが、思いつかなかった。(追追記日焼けと車酔いに弱いのでそれらが伴う場所には積極的行きたくない。苦労した分、到達時の達成感はありそうだが、それは聖地が持つ意味とはやはり無関係目的地に至る行程に由来する価値を抜きにした純粋巡礼価値は何によって決まるのか。))

これはもしかしたら聖地巡礼も、エルサレム旅行のものに少なから体験としての楽しみが含まれていた可能性もあるが、中世を生きる農民の長旅の過酷さや宗教に対する敬虔さはとても無知蒙昧な私の想像のおよぶところではないので、お叱りを受ける前にこの説は引っ込めておく。

でも伊勢参りとかは楽しそうだよね。明日(もはや夜が明けたので今日なんだが)近所のブックオフ聖地巡礼事情に関する本でも漁ってみよう。

眠いし目も疲れたので「過去自分への巡礼」とかまだ考えたいことはあったが、このへんにしておく。

おやすみなさい。

2021-01-17

お絵描きはじめました

https://iza9999vr.hatenablog.com/entry/2021/01/16/182118

この記事を読んで。

これまでの人生でなーーーーんにもクリエイティブことなどやってこなかった自分が、Twitterネタツイを投下しては10likeぐらい貰ってニコニコしているだけだった自分が(なおフォロワーは4桁いる)、去年から唐突に絵を描き始めた。

自分場合、この記事の前半で述べられているところの「勘違い」をする余地はまるでない。今日もTLには神絵師の神イラストが何枚も何枚も何枚も流れてくるし、4桁RTされている絵にはそれぞれきちんとした理由が見いだせて、「こんな落書き拡散されてるのは単にフォロワーが多いだけだろ~?」などと難癖を付けることなど到底不可能である。ただ自分でもやってみたかった。たった1枚でもいいか自分でもすげェと思える絵を描いてみたかった。それでiPadクリスタに向かい始めた。

そんな自分だが、勝算(ここでは最後まで折れずに目的地に到達できることを意味する)があるとするならば、志が著しく低いという点が挙げられる。つまり絵師たちあるいはその卵たちが様々な表情、様々な構図、様々な表現技法、様々な流行、皮膚の下うごめく様々な筋肉の動きを研究している間、自分十年一日で同じポーズ・同じ角度の絵をひたすら練習していれば良いのだ。顔のラインを引く理屈はまったく分からずとも、神絵師イラストから理想だと思われる角度と比率を算出することはできる。pixivの「目イキングタグを漁って猿真似をすることはできる。幸い3Dグラフィックソフトがほんの少し使えるため、アイレベルだかなんだか難しいことは計算機に教えてもらう。塗りは……これは反復練習しかないな、つらい。経験の蓄積がゼロ、ならば同じことをやって勝てるわけもないし伍することができるわけもない。ただただ一点突破あるのみである

とまあ偉そうなことを書いたが、今のところ成果は何も出ていない。どちらかと言えば自分鼓舞するための応援文に近い。ただ一つ──何か新しいことに手を出し、着実にそれが身に付いていくというのは、楽しい。単純に「できることが増える」というのは、嬉しい。これだけでもお絵かきを始めた意味はあったと感じる。

同じような場所で足踏みをしている人の背中を押せれば幸いである。

追記

フォロワー数への言及が気に障った人がいたようで申し訳ない。フォロワー数に比して反応が少ないイケてないアカウントであるという趣旨だった。

2021-01-16

anond:20210116081849

動作IQとかと違って「ゲームIQ」という概念存在しないというか、即席のオリジナル概念だろう。

文脈上そういうのを唐突に登場させるのは不誠実な感じがするし、そういう読者の解釈に委ねられる認知負荷の高い単語ポンポン入れてくる文章IQ低そうな印象を受けないか

2021-01-15

anond:20210114104835

問題本質リモート葬式善悪ではない。

そもそもなぜ祖父葬式リモート葬式にしようとなど思いついてしまったのか?

発作的にこれは「ネタ」になると思ったのではないか

リモート葬式を無事成功させた暁には「実際にリモート葬式してみて分かったこと」なんてエントリー投稿しようかなとでも考えていたのではないか

そして、そうした空気というものは口に出さなくともどことなく伝わるものだ。

葬式をもネタ消費するのか?」と。

一般人空気を読む力を甘く見すぎているのではないか

唐突な「医療従事者への影響」も白々しく思われていることであろう。

もしも常日頃から医療従事者を第一に考えていたのであれば医療従事者を持ち出すのも自然だろう。

しかし取ってつけたように医療従事者を持ち出しても不信感しか生じない。

インターネットネタ目線は頭で考える以前に発作的に発動してしまう。

それがインターネットネタ目線の恐ろしさだ。

本人は合理的であると思いながらも、インターネットネタ目線侵食されているのだ。

そしてブクマカのものたちはインターネットネタ目線に完全に侵食されてしまっている。

彼らは反面教師しかならない。

今ならまだ引き返すことができる。

懸命な判断を。

2021-01-11

さんざんブスだのクズだの結婚できないだのする権利ないだの言っておいて、いざ子宮全摘という治療法を選択しようとすると止めてこようとするのなんなんですかね

出産願望ない以上、生理や痛みと付き合ってくメリットなくないですか

あと別に残したとしても妊娠できるとは限らんのだけどその点ご存知か

大概の「残した方がいいよ」の意見には

①私にはメリットではない

②諦めりゃ済む

③子のいない夫婦もいる

④望まない妊娠リスク

⑤根治希望

人権はなくならない(むしろ産休取らないの確定なので子宮ある女性より人権あるのでは…?)

を基に反論できるんだけど、唯一『万が一愛する人ができて、その人に「あなたの子どもが欲しかった」て言われたら後悔する』ことに反論できない。でもこれ想像すること自体が烏滸がましいドブスなんですよね……夢女子メンタル強いよね……(唐突dis)

そんな理由子宮残して閉経まで過ごして、「何もなかった!!!!諸々耐えたのに処女のまま閉経した!!!!なんの期待をしてたんだあああぁぁぁ!!!!」て転がりまわる未来の方がね、実現度高いし耐えられない多分

そして女性の皆さまはホント感情論がお好きで……。あなたの満足のためだけに私の決定権は渡しませんけど……?

ていう、外見も中身もブスなので子宮取っても良くない? てのを誰かに共感して欲しいんだけど、いざとなるとダブスタばっかで味方がいなくてイライラするので増田嘔吐。おぼぅゔぇええ(ビチャビチャビチャ)

anond:20210111011617

唐突に連絡してくるような奴は

相手自分と似たような停滞を求めてたりすんだよね

2021-01-08

恋愛感情の延長で結婚を考えるのは幼稚(笑)ってマジョリティの発想だよね

よく婚活アドバイスとかで恋愛感情を抱ける相手結婚に向いてる相手かどうかは別、結婚恋愛の延長で考えてはいけないとか言う意味で「恋愛感情のゴールで結婚とか思ってるんだ(笑)」というマウントがあるが、待ってほしい。これはマジョリティの考え方でマイノリティを圧迫している。

デミ・セクシュアルというセクシュアリティがある。平たく言うと、恋愛性愛衝動や突発的な情動産物ではないタイプである相手をよく知り、人生ともに歩めるパートナーと思えてはじめて恋愛感情が芽生えるような、そういう衝動とか唐突恋愛とは無縁なタイプ性的マイノリティ

このタイプにとっては恋愛結婚はわりと地続きであり、地続きでも実際あまり問題がない。マジョリティ感覚で言えば、結婚に向いている人が恋愛対象となるから

自分はデミセクではないが、だからこそ、些細なところにマジョリティの抑圧ってあるよなーと思うという話

世界ピクニックアニメ微妙だった

世界ピクニック原作が好きだ。洒落怖が好きだし、百合も好きだ。勘違いだと分かっていても「私のために書かれた」と思えるくらい自分の好みにストレートだった。

コミカライズも好きだ。『スパイラル』、『天賀井さん』の水野英多だ。さすがに原作に比べると……と思いつつも、おおむね満足できるものにしてくれている。

なので、裏世界ピクニックの評判を下げたいという意図はない。

この先はただただアニメ版の内容について罵倒しているので、どうか原作を5巻まで買ってから読んでほしい。というか、原作だけ買って、この日記は読まないでください。

プライムビデオ

https://www.amazon.co.jp/dp/B08RHTTWFD

GYAO!

https://gyao.yahoo.co.jp/title/5fe5aa72-7dda-40e2-8b9b-d79a5f694f5e

原作電子版の1~4巻の合本が1月17日まで1375円(1冊340円!)なので今すぐ読んでください。

https://www.amazon.co.jp/dp/B08QCS76K1

アバン

空魚と鳥子の初接触

空魚が「人間!?」と口パクで喋る。何かおかしいな、と思った。

原作に当たると、“不意を打たれて、言葉が出なかった”とある別に原作一言一句まで覚えているわけじゃなく、「声を出して反応ならぬ反応をする、しかもその際頭が動く」というシーンに違和感があった。心理ネーム口パクで処理するのはアニメ的な演出ではあるので、目くじらを立ててとやかく言う場面ではないけど。

人間です」というおうむ返しも微妙。人語を介しているなら人間だし、あるいはそうでなかったとしても判別はできないので、原作のとおり「生きてます」の方が自然

くねくねの見た目

私はなんとなく、人間かかしヒトガタ・ニンゲンムーミンの「ニョロニョロ」辺りを混ぜたような見た目を想像していた。が、アニメだと『ハルヒ』の神人のようなデザインになっている。

自分解釈が唯一の正解だ、などと驕るわけではないのでそれ自体別にいいんだけど(神々しすぎて田んぼにいそうじゃないなとは思うけど)、『ガンバ』のノロイみたいになるのが残念すぎる。くねくねの怖さって、「不思議ものがいる」「不意に見てしまい、見続けてしまう」「その結果、壊れる」というものであって、「攻撃的な見た目の『敵』に攻撃される」というものではないと思う。『不安の種』みたいな「気持ち悪い」であって、「怖い」ではあってほしくなかった。

見返していると、冒頭から違和感に気付く。1カット目が「ウルトラブルーなのだくねくねに当てられたファーストカットは、無力なまま死んでいくことへの恐怖が描かれているはずだ。それを「裏世界の深部」と表現するのは誤っている……というか、情緒理解していない。

空魚がくねくねに呑まれるシーン

ここもひどい。原作にはこうある。“止まらない目眩の渦に呑み込まれるように意識が落ちていく。”

アニメでは、水たまりが突然深くなり、そこに溺れていくさまが描かれる。溺死ではなく、地面に足がつかず溺れるような描写はまだ、イメージ映像として理解できるけど、その次のカットが鳥瞰で、水たまりには誰もいない。つまり、本当に「落ちた」と表現している。

鳥瞰のカット鳥子がいないのは、カメラ的に丁度切れているんだろうけど、切る意図が分からない。目の前で沈んだのなら助けられるけど、人がいることが見えないまま水たまりに呑み込まれても、動けないだろう。

鳥子嘔吐

このシーンは、完全なギャグだ。原作だと、「うえっ」と言い、舌を出すにとどまっている。今まさに敵に襲われている、という場面で、二人して背を向け、四つん這いになって吐き真似をしている(もしくは、ギャグ的な演技だが実際に吐いている)。リアクションが大げさすぎて、真実味が削がれている。

OPCHiCO with HoneyWorksであることからも、また「ハヤカワ・ジュニア・ブックス」という新レーベル原作1巻を刊行することからも、子供向けアニメとしての側面があることがうかがえるので、この「翻案」を悪いと言ってしまうのはよくないのだろう。

モノローグが少ないのもこのためと思われる。『鬼滅の刃』がアニメであそこまで子供から人気を得たので、子供向けに焦点を合わせるという売り方は間違ってはないと思う。それが裏世界ピクニックでやることなのかは疑問だけど。

ラスト鳥子が足を滑らせるシーン

これは原作を読み返して気付いたのだけど、原作だと水たまりに嵌りそうになっている。これは最初から嵌っていた空魚との対比であり、ある種、「助け合うことでイーブンになった」と読み取れる。

アニメでは崖から落ちるよう改変されている(一応、その下に水たまりはあるのだけど)。何故こう改変したのかというと、「滑る」「滑り落ちる」ことを分かりやすビジュアル化したかったのだろう。子供が見ると定した場合アニメ版描写の方が分かりやすいだろうし、これに関しては一概に悪い改変とは言い切れない。

Aパート

冒頭

ちょっと絶望的な始まり方だった。まんま原作と同じ流れだ。小説受け手想像力に依存するのである程度場面を飛ばしても問題がないけど、映像化するのならその辺はちゃんと補完してほしかった。

前述のとおり(というのは私が勝手に思っているだけなので見当違いかもしれないけど)、モノローグが大幅にカットされているので、余計に理解しづらくなっている。

六面体のアップ→OP→走る二人という唐突な場面転換ののちに、埼玉大宮ロケーションが映し出されるが、不自然に人がおらず、そこが表世界なのか裏世界なのは判別がつかない。無意味に確定できない情報視聴者不快にさせるので、アバンからAパートをまともに繋ぐ気がないのなら、せめて人の営みを描写してほしかった。

怪談くねくね』」という紹介

私が1話で一番引っ掛かったのはここ。そもそも私は「くねくね」を「怪談」だと思っていない。実話怪談洒落怖)については原作自身単行本で記しているので譲るが、少なくとも、「怪談くねくね』」と演目のように言うようなものではないと思っている。

リッチアニメだったなら、くねくねの紹介の際にイメージカットではなく、書き込みをそのままアニメ化とかしてくれたのだろうけど、それを望むのは贅沢すぎか。

六面体について

空魚は「私たちだけ映っていない」と述べる。

アニメでは、アバン最後とこのシーンで二回、六面体を描いている。その二つの場面で模様(?)が違うので、映像的に語れたと判断したのだろうけど、「鏡面なのに私たちだけ映っていない」くらいは言ってもよかったのでは。ほんのり光っているし、CGを貼りつけて背景を描画し続けているわけでもないし、一見して鏡面だと分かるのかな。「自分たちが映っていないことを除けば何の変哲もないキューブ」と原作から読み取っていたので、ちょっと違和感があった。

鳥子が扉を開けるシーン

緊張感がない。空魚は棒立ちで、ゲートに無頓着。そのまま次のカットに移るが、今度は空魚が茫然自失で立ち尽くしている。アニメなのだから、ここは「大慌てする空魚」と「扉が開いて=ゲートが消滅してしま憮然とする空魚」で対比させてもよかったのでは。

扉が開いても、前述のとおり商店街に人がいないので、現実世界に引き戻されたという絶望感もない。

空魚のモノローグが削られているので、この時点で裏世界が空魚にとって特別ものだったと、視聴者には分からないのに、次のカットはいきなり鳥子が空魚を慰めている。極力モノローグ排除したいのなら、ここでこそイメージカットを使うとか、原作どおりに進行させるのではなく回想なりを入れるとか、空魚に鳥子に対して語らせるとかしてもよかったのでは。ただ原作をそのままなぞってアニメにするのは、誠実な仕事とは思えない。

空魚のスマホ文字化けしているシーン

アップで画面を映して、点滅しているだけなので、「ちょっと調子が悪いときスマホ」くらいにしか見えない。もうちょっと引きで撮るとか、平常時の画面をフラッシュバックさせるとかしないと、どんな異常が起きたのが分かりづらい。

六面体もそうだけど、裏世界のもの・裏世界に触れたものをやたらと発光させるので現実味がなくなってしまっている。日常侵食されていくふうには演出できなかったのかな。

大学構内でカラテカが二人の会話を聞いていたというアニオリ

うーん。いやあ、まあ、そういうこともあるだろう。「こいつ、後の話で出てくるんだぜ!」って、知ってたら自慢できるだろう。オッドアイ前の空魚と偶然出会っていた可能性もあるだろう。これは……ねえ。別にそんな、全然あれじゃないんだけど。遊び心だし。なんか、変に必然なっちゃったというかさ、ねえ。

鳥子勧誘シーン

金銭についての会話が丸々カットされている。あくまで空魚は打算で動いた、という建前があるからこそ、二人の関係は成り立っているのではないか

終電、なくなっちゃったね」は別に事実を口にしているわけじゃなくて、「帰りの足がなくなったから、ここで泊まるのも仕方ないよね」ということだ。大金に目がくらんだからあの危険な裏世界にまた行く、初めて会った人間と行動を共にする、そういう言い訳があるから空魚は動いたんじゃないのか。

アバン授業料奨学金の話をしているのに、ここでリアリティのディティーである携帯電話の修理なんかをカットして、主人公動機づけができていないのは問題だ。

エレベーターでの会話

「空魚ならそんな話、聞いたことあるんじゃない?」に対して、原作では返答しているが、アニメでは無言で、頷きもしない。くねくねについての知識があるのなら、ここでも語るのが自然……だけど、モノローグを使いたくないか無視させたのかな。

5階で乗り込もうとしてくる人物は、くねくねビジュアル以上に残念。このシーン……というより類話の怖さというのは、「何の変哲もない人間」というのが肝だと思っている。あくま日常範疇に、怪異存在侵食している、というのが怖いのであって、発光して明らかにお化けですって面した化け物が走ってきても、それは全く怖くない。

心霊写真だ、と言って渡されたのに骸骨が浮かんでいたら笑ってしまうだろう。一見すると普通の人なのによく見たら首が180度捻じ曲がっていた、という不和が怖いのだ。

Bパート

くねくね考察カット

個人的に、怪異同士や無関係神話群を結び付けて考えるのが好きなので、ここがカットされたのは悲しい。私は裏世界怪異たちを「人間意識をハックした結果、最も効率的に恐怖を感じさせるもの洒落怖だったので、そのテキスト抽出し、対象に見せている」だと思っているので、その場合だと「くねくねの正体」なんかを考えても何にもならないから、カットしても問題ないんだけど。

くねくねとの戦闘

くねくねのせいで目眩や倦怠感がある、ということだと思うんだけど、アニメでは空魚が銃声に驚いて身をかがめ、鳥子は銃が効かないことでへたり込んだように見える。くねくねと「目」が合った瞬間に空魚をアップにするとか、くねくね特性を分かりやす描写したカットが欲しかった。

現状把握のシーンでは、二人にくねくねが迫ってくる。くねくねって別に直接的な接触攻撃してくるわけじゃなくて、「遠目で見ていたらいつの間にか気が狂っていた」というものであって、原作にある遠近感が狂うというのも、アリス症候群的な話なんじゃないのか。悠長に二人で会話している間に攻撃的な見た目のくねくねが直接襲ってくるという、よく分からない絵面になってしまっている。

「分かる」シーン

原作を読んだ限りだと、オカ板の書き込みと「わかった! わかった! わかった! わかった!!」は、空魚が実際に声に出している。アニメではどこまでが心理ネームでどこから発声しているのか分かりづらい。

ただ、ここは私が原作特に気に入っているシーンなので、過剰に意識しているだけかもしれない。錯乱した感覚、脳を内側から侵食されていく不安定さが、テキスト表現されているのが好きだったので、映像化するとその辺の演出が変わってしまうのはしょうがない。

ラストカット

鳥子の「打ち上げってしたことないんだ」がアニメではカットされているが、冴月-鳥子-空魚という関係性で鳥子処女性を描いているので、百合的にはここがカットされたのは残念。

次回予告

打ち上げギャグとして処理されてしまっている。非日常である世界との対比として、表世界リアリティを保たなければならないのだけど、商店街のシーンといい、配慮が足りていない。

OPでは普通作画打ち上げが描かれているし、「ファイル5」では中間領域のために必須の場面なので、おまけとして、意図的にギャグで崩しているのだろう。

前述のように子供向けアニメとして作られたという私の読みが正しかった場合、このコーナーの存在理解できる。『鬼滅の刃』も本編とは関係のないギャグ風の次回予告をしているからだ。

その他

引きの絵がCGなのは何も言わない。『ラブライブ』はライブシーンで作画CGを組み合わせていたのが特徴的だったし、『裏世界ピクニック』もそういうアニメ、ということなのだろう。

アニメ監督の川崎逸朗氏によると“2021年アニメ新番組(中略)その全てがコロナ禍で作業されてきたもの”とのことなので、何なら、今後もこういった形式アニメは増えていくのだろう。

https://twitter.com/itsuro_k/status/1346667359788879874

空魚と鳥子、声逆じゃない? 別に不満とかではないんだけど、空魚の方が高音で鳥子の方が落ち着いた感じだと思ってた。そりゃまあ、オーディションりあるわけで、そこで逆パターンもやって結果こっちになったんだろうけど。これは完全に私の好みです。

いいところ探し

OPCHiCO with HoneyWorks

さすがに私でも知っている。ティーンのことはよく分からないけど、これはいいことなのでは。

オフィーリアと土佐衛門

オフィーリアと土佐衛門はいいアニオリだと思う。ただ、汚い例を先に出して、「オフィ―リアと取り繕ってみたけど本心では土左衛門呼びしている」の方がよかったと思うけど。

子供原作を読ませている

ウダウダと書き連ねてきたけど、アニメ化に際してこうやって実際に子供原作を読ませているだけで満点なんじゃないかな。子供ネットロア知らんでしょ、と思ってたんだけど、どうやら普通に知っているようでよかった。「日本おかし現代妖怪図鑑」なんて本も出ているらしく、妖怪都市伝説と同じくらいの認知度があるんでしょうか。

https://www.hayakawabooks.com/n/n194591ad11e3?magazine_key=m109bc51b7ac7

原作を読んでいるので不満が爆発したけど、初見だと楽しめるのでは。洒落怖ベースにした創作なんつーものを広めていいのか(面白さが理解してもらえるのか)とは思うけど、アニメ化で間口が広がるのはいいことだと思う。

所詮私はツイッターで騒いでる人なので、全然、みなさんは原作読んだりアニメ見たりしてください。裏世界ピクニックは最高に面白いので。

2021-01-07

マインドコントロールカフェ

人生アルバイト

私(A)が3日で辞めた人生初のアルバイト先では、従業員洗脳が行われていました。

だいぶ時間が経ったため、そのときたことを日記にしてみたいと思います

すべての始まり

1x 歳のある日、家から遠くなく初心者歓迎とあったカフェ求人を見かけて応募しました。

翌日早速連絡が来て面接を受けることになり、そのカフェで 30 分ほど話をしました。

1 日目

カフェの仲間たち

前回の面接時に「x 日 x 時にまた来てください」と言われたので、てっきり事務的手続きを行うと思ってカフェに来ると、いきなり勤務が開始しました。

出勤初日。まずは新人として先輩がたに挨拶しました。

学生バイトは、少し怖くて気だるげな女性の先輩たちと、優しそうだけど生気を失った男性の先輩が一人。

厨房にはニコリとも笑わない若い男性社員

先輩に店内を案内してもらっていると、背後から「おい、挨拶しろ!!」と声が。

振り返ると、そこには客席にどかっと座る私服おっさん

もちろん初めて見る人でした。

偉そうなその人がオーナーであると先輩に伝えられ、仕方なしに愛想よく挨拶しましたが、無視。隣にはクスクス意地悪く笑う妻らしき女性

旦那煽り運転したとき被害者ガラケー撮影するおばさんが脳裏をよぎりました。

思ったほど歓迎されていない雰囲気に緊張が絶えないでいると、明るい声が聞こえました。

「君は新人の A さん?僕は B って言います!新しいバイト大変だと思うけど、よろしくねっ!😁」

笑顔が素敵でかっこいい、親しみやすそうな男性社員 B でした。

この人がマインドコントロールの主です。

面談

その日は初日ということで、配膳のみ担当することになりました。

不器用ながらも一生懸命働きました。

退勤時間を知らされていなかったので、いつまで働くのかと不安になりながら働いていると、半日ほど経ったとき社員 B に声をかけられました。

「あがっていいよ。タイムカード書いたらちょっと話そう!」

私服に着替えて空いた客席につき、社員 B と面談することになりました。

第一印象と異なり少し厳しい雰囲気でした。

最初給料の振込先などを聞かれたため事務的手続き目的かと思いきや、話はどんどん精神論のような説教に逸れてゆきました。

「まだできることが少なくて悔しいだろ?"あの先輩を超えたい" って思うだろ?」

まりぴんと来ていませんでしたが勢いに押されてハ、ハイと答えました。

「その言葉が聞きたかった。A さんなら本当にできる。超えられるよ、先輩全員を」

激励してくれているのに、嬉しさより違和感がありました。

まり成果を出せた感覚がなかったので、出会って数時間である基本的厨房しかいない社員 B は、無根拠に私を信頼すると言っているように感じられました。

しかしながら、やる気を引き出すための軽いお世辞という感じでもなく、じっとこちらを見つめる妙に真剣眼差しがまるでマルチ勧誘のようでした。

この面談という名の一方的説教は 1 時間半に及びました。

2 日目

指導フォロー

次回以降の勤務日程について何も知らされていないためひょっとしてバイトの話はナシになったのだろうかと考えていると、数日後の 22 時頃、初日LINE を交換した社員 C からメッセージが届きました。

明日 11 時に来てください」

来てくださいって、たまたま大丈夫だけどさ、用事あったらどうするんだ。

その日も初日と同様退勤時間は知らされていませんでした。先輩や社員に尋ねてもたらい回しにされるだけで、結局何時まで働くことになるのかわからないまま勤務を始めました。

初めてのバイトだったので、当時はこんなものかなとなんとなく納得していました。

その日は、先輩にハンディスマホ)を使った注文のとり方を教わり、お客さんからの注文をとることになりました。

しかし、使い慣れない機器記憶していないメニューで注文をとる際操作に失敗してしまいました。

すると、社員 B が女性の先輩に怒鳴りました。

「A にオーダーやらせんなっつっただろうが!A はなーーんにもできねぇんだからさ!!A の失敗はお前の責任からな!!」

もちろん私に聞こえるように言っています

ふてくされた先輩は私に「もうオーダーはやらなくていいから」と冷たく言い放ちました。社員 Bは、「A さぁーん、オーダーはやらなくて大丈夫からねぇー😊」と、猫なで声で言いました。

その後も社員 B が「A がさぁ……」と女性の先輩に何かを話し、直後先輩が何かを注意しに来る、ということが何度かありました。

社員 B は、私に対する威嚇は間接的に行うのみで直接強い態度で出ることは一切なく、必ず部下を使って "指導" を行わせました。

また、こうして笑顔で "フォロー" を行いました。そして、先輩の苛立ちの視線自分に向けられ始めたことに気がつきました。

尋問と涙

その日も唐突に退勤を促され、今度は若い男性社員 C と面談を行うことになりました。

社員 C は人生出会った人間の中で最も無表情でした。

気弱で声が小さく、誰の前でもおどおどしているタイプでした。

経験上こういったおとなしいタイプの人は意外と豊かな世界を持っていることが多く、今までよく仲良くできてきたので、社員 C とは打ち解けられるかもしれないと期待しました。

しかし、社員 C は初めて出会った瞬間から警戒とも異なる、敵意のような態度を向けてきました。

とあるごとに近寄ってきてはぼそぼそと小さな声で小言を言うのですが、内容は抽象的な言葉ばかりで、小言の目的が後輩の教育ではなく上に立つための嫌味であることはすぐに分かりました。

面談では、その月の出勤可能日を尋ねらました。

C「…… x 月 x 日は出勤できますか」

私「その日は難しいです」

C「……それはさぁ……なんでですか……!」

私「大学実験があります

C「……それって何時から何時まで……なんですか……!」

私「わからないのでシフトはやめときたいです」

C「……実験の内容って……何なんですか……!」(本当に知りたいのか?)

以下続く。これを 31 日分行います一言一言に棘を演出しようとしている努力は伝わりましたが、すべて聞き取るのに苦労するほどの音量でした。

正直社員 C にあまり怖さを感じていなかったので、途中から理由はすべて「私用です」と答えるようにしました。

C「……私用って内容は何ですか……!」

私「だから、私用です!」

苛立って語気を強めてしまい顔をあげると、社員 C は目を腫らしてうつむいていました。

新人バイトが強めに言い返しただけで泣くとは思わなかったため動揺しましたが、この尋問社員 C が誰かにやらされているものである気づきました。

やらせている人間は間違いなく社員 B であると勘づきました。

社員 B は、勤務中常にネチネチと社員 C をいじめていました。

人間性を否定するような言葉はもちろん、社員 C が作った料理調理器具ごとガシャーン!と目の前でゴミ箱に捨てたり、執拗に小突いたりしていました。

社員 C はやらされているとはいえ私に強く当たることがあったため味方をする道理はありませんが、同情せざるをえない部分がありました。

3 日目

勤務 3 日目も、前日唐突に来た連絡で出勤が決定しました。

もはや退勤時間が知らされていないのは当然です。

一応尋ねましたがやはりたらい回しで結局わかりませんでした。

その日は先輩からレストランフロアの床を雑巾で水拭きするよう言い渡されました。

(出勤初日に知りましたが、併設の喫煙飲酒ができる薄暗いレストランもなぜか仕事範囲に含まれていました)

今ならレストランの土足スペースの掃除普通モップでやるものだとわかりますし、あの言いつけは嫌がらせだったと思います

お客さんから視線も痛かったですが、当時の私はたとえそんな仕事であっても一人で作業できる分ほっと嬉しく思うくらい、他の従業員と関わる仕事が嫌になっていました。

面談」2

そしてこの日も退勤後に社員 B との面談タイムがありました。

初日面談とは打って変わり、社員 B はにこやかでした。

「C 君に聞いたよ、全然出勤してくれないんだって?だめじゃないか!😊」

面接時に「土日も出勤できますか?」との問いにハイと答えていました。

社員 B はこれを「土日はすべて出勤できる」と曲解し、土日に出勤できない日が 1 日でも存在することを責めているのです。

B「都合とか仕事内容とか、バイトでどうしてもうまくいかないときがあるよね。そういうとき、どうすべきだと思う?」

私「辞めるしかないと思います……」

退職意思は既に固まっていました。

私の返答は社員 B にとって想定外だったようで、笑顔が一瞬引きつったように見えました。

しかし、笑顔を保ったまま「ううん、違うよ。がむしゃらにやるしかないんだよ」と言いました。

私の退職オーラを感じ取ってか、その日の社員 B は終始にっこり笑顔でした。

最後に何か困ったことはないかと聞かれたので、出勤日と退勤時間を出勤数日前には知りたいと伝えると、「わかった。これから気をつけるね!」とあっさり前向きな返事をもらいました。

この日の「面談」は 1 時間足らずで解放してもらえました。

そして退職

初のアルバイトなので最初こそ我慢が足りないかと思いましたが、他で働く友達が面倒くさがりながらもそこそこ楽しそうにバイトの話をするのを見て、勤務 1 回 1 回が嫌でしょうがないことに疑問を感じ始めました。

前回面談後もご想像通り次回のシフトの連絡は来ないわけですが、いっそシフトが決まらない(っていうか連絡が来ない)うちに退職の意を示しそのまま辞めてしまおうと思いました。

勤務分約 1 万 5000 円はもしかしたら振り込まれいかもしれない。

でも、たとえ 1 万 5000 円損しても構わないからとにかく辞めたいと感じていました。

そして勇気を振り絞ってアルバイト先に電話しました。

電話に出たのは社員 B でした。

B「おう、A さん!どした?^^」

私「バイトを辞めさせていただきたくて……」

B「……てめェふざけんなよ!!辞めたいじゃねえよボケ!!そういうのは直接来て言うもんだろうがよ!!いいか、次絶対来いよ、絶対だぞ、わかったな」

突如豹変し、映画で見るヤ●ザのような巻き舌でまくしたてる社員 B。

初めて社員 B が直接私を威嚇した瞬間でした。

私は衝動的にバイトから電話の着信拒否設定と社員 C の LINEブロックを行い、借りていた制服を郵送しました。

もちろんバイト先にはこの後 1 度も行きませんでした。

(だいたい、「次」がいつなのか教えてくれなかったのは向こうです!)

1 万 5000 円は振り込まれていました。👏

マインドコントロールの手口

社員 C から涙の尋問を受けたとき社員 B のやり口に気が付きました。

部下を吹聴して新人をいびらせ、自分はその新人をなだめる親切な上司ポジションに立つ。

しか自分が恐い人間であることは間接的にしっかりアピールする。

最終的に従業員新人時代孤立し、従業員同士は疑心暗鬼になり、全従業員にとって信頼できる人間社員 B のみになっていました。

また、社員 B は相手性別によって態度を少し変えているようでした。

女性に対してはアメとムチで巧みに操る。たまにキレるとき以外はお世辞や冗談で喜ばせていることが多かったです。

男性に対してはとにかく自己肯定感を下げる言動をとっていました。お前は一人では何もできないと常に言い聞かせていました。

女性従業員が皆社員 B を慕い、男性従業員が皆生気を失っていたのはこのためでした。

ちなみにこの日、一瞬だけ店長に会う機会がありましたが(なぜか最初最後)、店長実質的立場社員 B より低く口出しできないようで、他の男性従業員同様に生気を失っていました。

社員 B は、競争心、恐怖心、猜疑心を煽って人を操ることや、アメとムチの使い分けがとても上手でした。

本物のサイコパスは、明るくユーモアがあり、笑顔が素敵で魅力的であることを知りました。

その後

退職後は新たに飲食店でのバイトを始め、数年間お世話になりました。

苦労もありましたが洗脳もなく楽しく働けたので、本当に辞めてよかったと思います

1 年ほど経ったある日、風の噂でカフェが閉店したと聞きました。

最近近くを通る機会がありましたが、更地になっておりなんとも複雑な気持ちになりました。

同時に自分体験は完全に過去出来事になったと感じたので日記にしてみた次第でした。

おわり。

2021-01-06

コロナ自主隔離に入る事が決定した。

しかし今すぐではない。だいたい2か月後だ。

経緯を説明すると、2月から3月にかけて、東京への2週間から1か月くらいの出張が決まったのだ。

なぜこの時期にわざわざ東京への出張を命じるのか?という素朴で当然な疑問に、会社上司聞く耳を持たなかった。

宿泊先はウィークリーマンションで、仕事先もそこから徒歩で通える場所なので、それ以外で出歩かなければ感染リスクは少ない、というが、正直都内感染状況がよくわからないので、本当にそれで安心なのか、よくわからない。

「嫌なら代わりに部下を行かせればいい」

上司は言ったが、生憎私は目に見える危機に部下を追いやる事は出来ないバカなのです。

それで部下が感染し、家族にも感染し、家族学校職場さら・・・と考えただけで背筋が凍る。

それなら専業主婦である妻と二人暮らし感染しても他に広げる可能性が比較的少ない自分が喰らった方がマシなのはわかっている。

結局自分出張し、PCR検査を受けて2週間とか自主隔離する、という形にする事で覚悟を決めた。

覚悟を決めたが、なんかモヤモヤする。

何がモヤモヤするのかと言えば、「どうせ感染しないだろう」とか「感染したらそいつ個人的責任」「会社としては何も対策しませんし自分で考えて行動してください」と言ってる会社無責任さと、もし感染したら・・・という事態想像する事を「しない」会社想像力の欠如に対してモヤモヤしているのである

ついでに言うと、感染してなかったらなかったで「ほら、平気だったでしょ?心配しすぎなんじゃないの?」とヘラヘラしてバカにしてくる奴がいるだろう事も、またモヤモヤさせる。

そりゃ何もなければそれでいいけど、そういう問題なのだろうか?心配する奴がバカなのだろうか?

で、これはなんなんだ?と思ったんだけど、感染に対する注意を促すだけでGoToだとかでむしろ国民感染リスクを背負わせている政府自民党とほぼ一緒なんだな、とこれを書いている今唐突に気付いた。

ただ別の考えもあって、これを読んで「地方から来ただけでそう簡単感染するかよタコ!」と憤る東京の方もいるだろうし、自分のこの考えが東京やその他の感染爆発地域の人たちに対する差別とかそういうニュアンスを含んでいるのだろうな・・・という自覚もあったりするから、もし気分が悪くなった都民の方はごめんなさい。

この時期に平気で地方から東京への出張を命じる社長以下経営陣と、平気で下請業者を呼び出す東京クライアントは、一人残らず感染してほしい。

一人残らずだ。

2021-01-02

anond:20210102000049

 袋のサイズに関しては、本部から指導店員が品物の量と大きさから袋のサイズを見極めて決めていいということになっている。特大サイズ5円を除いて一律3円なんだけど、特大サイズにするときだって基本的には客に確認を取る必要はない。入りきらなければ+3円でもう一枚袋を買うことになり、客は損をするばかりだからだ。

 問題なのは、客の方がレジ袋の代金という今まで払わなくて良かった金額負担しなければならないことによりケチになってしまうこと。煙草一箱と栄養ドリンク一本くらいの買い物でも3円で買える袋の中で最大のもの要求してくることがよくある。

 ただ「3円で買えるやつで一番大きい袋ください」と言ってくれればいいだけなのだが、この一言が言えない、あるいは意地でも言いたくないという客が結構いて、それでしょっちゅうトラブルが起きている。客と店員とが言い合いになるというよりは客が一方的店員を怒鳴り付ける、脅す、暴力を奮う、クレーム本部まで入れる、という、店にとっては迷惑しかない。

 店員の方にもトラブルを招く原因を作る人はいる。楽だからといって客が何も言わないうちからレジ袋は全部3円のなかで最大サイズ勝手統一する奴なんかがそうだ。こういう奴がシフトに多く長く入っていたりすると、客の方がそのやり方を当たり前だと思い込む。そして、偶々別の時間帯にいつも入っている店員そいつの代わりにシフトに入ったりすると、袋のサイズのことで客から怒鳴り付けられることになる。

「こんな小せえサイズじゃゴミ袋にもならねえじゃねえかよ!!」

 なんて唐突に言われても、店員としてはただマニュアル通りに接客をしただけで何故そこまでキレられなきゃいけないのか分からない。

 店の方針が全店員に徹底されておらず、誰かしらマイルール勝手に拵えると、そんな混乱が起きる。ただでさえ人手不足なのに真面目にやってる店員から辞めていってしまう。

 そして、店頭で一人の客がレジ袋ごときでギャーギャー喚いて店員を拘束し泣かせていたりすれば勿論、あとに並んでいる客にまで迷惑がかかる。

anond:20210102123126

突然やって考えさせる時間与えないほうがわーくにの国民性には合ってる気がするから準備期間無しで唐突に発令したほうがいい気がするよ根拠はないよ

2020-12-29

anond:20201229160937

いやーそれが、世界的に見るとそうでもないんですよ。

日本では確かに100億こえないくらいになるかもですが、世界全体では大ヒット間違いないです。

庵野率いるカラーは、日本市場よりも世界市場のほうを強く意識した作品作りをしています

今回、唐突エロ二次創作禁止にしたもの他国からみたとき児童ポルノまがいに思われるのを避けるのが最大の理由です。

2020-12-28

実家暮らし食事興味なしだった人間同棲半年ホットクックを買った

まりホットクックに感動しすぎて全体的にステマダイマ?みたいになってるけど許してほしい。



私は30年間実家暮らし仕事趣味に明け暮れてたのでもともと食事にさほど興味がなかった。

どれくらい興味がなかったかと言うと、中学生の時は夏休み菓子パン+母の作った夕飯だけで一月に5キロ痩せてもなんとも思わなかったし、

同棲はじめてとりあえずキッチンの形作りのためだけに買った炊飯器がほんの3000円の激安品でも「まあ米のおいしさは変わらん」とまったく気にせずに使いまくってるほどだ。

さすがに同棲初期の頃に考えていた共働き食事問題解決策として「そのへんのホームセンターで買った大鍋でカレーを常に作りおいて毎日食べる」作戦旦那がいやな顔をしたので即ボツになった。

さてここに当たって問題が発生した。

カレースパイスの味しかからいから気にならなかったのだが、それ以外の料理を食べると、あまりにも母の作ってくれた料理と味が乖離しすぎていてマズいのだ。

思えば昼に菓子パンしか食べなかった私でも夕飯は母のご飯を食べていた。

大人になり社会に出て金銭的にも余裕が出ても食事に興味のない、つまり外食で何かを食べたいという欲求のなかった私は、仕事から帰ってきたら当然のように母のご飯を食べていた。

同棲を始めて親元を離れ、外食惣菜弁当も食べた私は唐突理解した。

母の料理が一番おいしいからそれ以外の食事に興味がなかったのだ。と。

完全に想定外であるまさか同棲しながら毎日母親ご飯をもらいに行くわけにはいかないし常識的に考えておかしい。

当然の帰結として母にLINE通話レシピ料理法を聞きながらの週末ワンツーマンレッスンになった。

しかし平日は働いて週末は料理は大変すぎた。旦那ももちろん作り置きに一品二品は作ってくれるがそれでも大変だった。

趣味ゲームも友人とのオンラインゲームもやってられない。なにせ掃除料理に作り置きに洗濯にとくるくる動き回ってるうちに貴重な休日の半分は細切れにされてなくなってしまうのだ。

それでもおいしい料理は食べたい。母レシピを食べたい。できたら簡単に。

そんな折にTwitterホットクックをめちゃくちゃ宣伝してるツイートを見つけた。

天啓である

私は何も考えずに購入した。旦那には事後報告だったが快くOKしてくれた。

約三日後、届いた箱を開封するとレシピ本と無駄に横にでかい炊飯器のような真っ赤な鍋が箱から出てきた。

説明書を読んで簡単に手入れ方法理解すると、ホットクックを説明書に書かれているとおりにセットして、次にレシピ本を読む。

レシピ本には写真付きでかなり詳細に料理を完成させるために必要食材調味料、そしてホットクックに命じるための番号が書かれていた。

このあたりで興味が薄かった旦那のぞき込み始めた。

そもそもお互いにどんな料理がこの世にあるのだというリサーチも不足していたのだ。私たちレシピ写真を見ながら「あれを食べたい、これを食べたい」と会話し始めた。

そしてそこに書かれているままに食材必要調味料から我が家になかったぶんをメモすると、すぐに買い物に出掛けた。

それからルーチンができるまではあっという間だった。

届いた食材をすべてレシピを元にカットしてボウルに保存し、

料理を一つセットしたら趣味時間に没頭。

アラームが鳴ったら料理耐熱の保存容器に移し、軽く中を洗って、また食材を放り込んで趣味に戻る。

夕方までに簡単に3〜4品をゲームをやりながら作ることができた。

最初のうちはレシピ通りにつくったりしたらあまりのマズさにびっくりしたりもしたが、以前の模索時期に母に聞いた調味料配分を元にホットクックようにアレンジしたらほぼ解決した。一言で言うとダシとめんつゆは偉大だった。企業努力信じろ

そして我が家の平日のご飯選択肢から外食惣菜弁当はほぼ消え去った。たいていそれらよりホットクックから出来上がる料理のほうが美味しいから当然である

平日は見事リモート業務うつれた旦那が鍋をセットしてホットクックの再度あたため機能を押すだけなのだから作業簡単。私は家に帰ると悠々と自分好みに味付けした暖かい晩ご飯を食べられるという次第である

それから半年、同じもの連続すると静かにいやな顔をする旦那にはレシピ本を追加で買って与え、「この中で食べたいやつを選んでくれたら作るよ」と聞くようにしたら、いい感じのを選んでくれるので私が選んだやつも合わせてすべての食材の買い出しまでやってくれるようになった。

私がやるべきは用意された食材を書いてあるとおりにカットし、書いてあるままに(たまにアレンジしつつ)調味料を入れるだけである。あとは料理後の片付けと洗い物くらいか

すっかり自炊料理ばかりになってお互い少し太ったのはご愛嬌

去年はしれっとスルーしたおせち料理にも取り組もうとか考えてたりする。


まあ一言で言うと、ホットクック最高って話だ。

2020-12-27

唐突に「生きたい」モードスイッチが入る

ワイは貧乏童貞毒親教育こじらせてしょーもない人間であることをしっかり自覚してて、そのへんのこと割り切って生きてるはずなんやが、たまに唐突に「生きたい」モードスイッチが入る。

生きてるのに「生きたい」ってのは何か変な話だなぁと冷静になると自分でも思うんだが、とにかく「生きたい」のスイッチが入るんだ。自分にこんな生存本能があったのかと思うくらい「生きたい」を強く意識して、やたらとエネルギーが出てくる。仕事もめちゃくちゃ進むし、趣味にもやたらと気合が入る。ダラダラYouTubeやら見たりしなくなる。しかし、生きたいスイッチが入ると、これまたなぜか普段は思わない自殺の具体的方法を考えはじめる。「あそこから飛び降りたら死ねるな」とか、「あの踏切なら周りに人も居ないし精神的に楽に飛び込めるな」とか、「手首切っても水につけないと血が止まっちゃうんやなぁワイがやってもヘタレから死ねないやろ」とか。

体感としては、生きたいスイッチが先に入って自殺を考え始めるんだけど、これは繋がらないんよな。何かしらで死を考える瞬間があって、自分の中の生存に関するなにかの回路がぶんまわり始める、っていう順番のほうが自然のはず。とにかく、自覚としては唐突に「生きたい」と思いはじめ、生きたいと思いながら、自殺の具体的な方法を考えたりする。意味がわからないし辛い。めちゃくちゃ辛い。何が辛いかはわかる、自分の考え方が全く繋がってないことがわかるのに、そこから抜け出せなくなる。すごくつらい。

今さっきその状態を抜けてまたしょーもない人間モードに戻ったんだが、自分一人すらマトモに面倒見れないの、他人事なら笑えるって思ってたけど、自分ごとでも笑えるな。笑えるならまあなんとかなるやろ。やっぱりしょーもなモード自分に一番あってる。生きたいモードが非常に面倒くさい。親もこんな感じで不安定だったからあーなったのかな。

頑張って自己分析してみようか。

・未だに「俺は今まで、貧乏でも毒親環境でも異性に相手にされなくても、お天道様に顔向けできないようなことはしてないはずだ。もっといい人生を送っていなければおかしい」と公正世界仮説の歪んだやつに取り憑かれてる。

一行で終わったぞ。どこぞのブクマカが言いそうな、無駄辛辣な指摘だな。自分を見つめ直すとかマゾヒストかよ。

で、この公正世界仮説の歪んだやつがたまにひょっこり顔だして、「(もっといい人生を)生きたい」って言いはじめて、理想現実ギャップ自殺を考え始めるのかな。で、生きたいの部分がエネルギーになってアレコレやりながらも、人生ままならんから死にたくなってくる。繋がっちまったな?

善く生きるメリットは善く生きれることだが、そのメリットはワイみたいな煩悩だらけな人間にはゴミみたいなものか。それでもせめて、寿命までは善く生きてえな。ワイの親みたいにだけはなりたくない。

2020-12-26

 これから書くことは、すべて本当のことです。

嘘をつく人が嫌いでした。しかしながら、人間だれしも嘘をつく生き物でありましたから、僕は億劫でなりませんでした。この世界には、いったいどれほどの嘘があるというのでしょうか。それとも、嘘というものは、人間人間である以上、離れることのできない、いわば、足枷のようなものではないのか、などと考え、毎晩、眠ろうとも眠れぬ気持ちに駆られて、それから、戸棚の天板を外し、隠していた薬を口に運んで、それでようやく眠れる、というような生活を続けていたのでした。困窮した作家というのは、概してそのような生活をする生き物なのです。

知り合いの大塚くんが、わざわざ電車タクシーを乗り継いで、東京郊外にある小さな学生向けのアパートの一室にやって来て、金が無くなった、3万でいいから貸してくれ。貸してくれなければ、僕は明日にでも死んでしまうだろう、というのです。分かりきった嘘でありました。ははん、きっと彼は僕の弱さに付け込んで、競馬か、あるいはパチンコの軍資金を手に入れようとしているに違いない。僕はそう踏んで、やれ、お前のような人間に貸す金は、一円だって無い、と突っぱねました。しかし、大塚は酷くやつれた顔に、今にも死にそうな、それこそ、病床に伏した末期がんの患者のような姿で、半分泣きながら、僕にそれをねだるのでした。僕には、それを断る勇気がありませんでしたが、しかし、彼のそれを嘘であると見抜く自分の目が、また自分に嘘をついているのではないか、という疑念に駆られて、ひどく怖くなるのでした。

 とうとう、僕は彼に金を貸す決意をしたのでした。いいえ、正確には、彼の求めた額の、ほんの数分の一でしかありませんでしたが(何しろ、このとき自分も、金には困っていたのです)、しかし僕は、その、天性のだまされやすさ、とでも言うべきか、はたまた、お人よしとでも言うべきものに従って、彼にそれだけの金を、預けたのでした。そうして、しまいには、雨の降る寒空の東京に、感謝言葉……それも、見え透いた嘘でした…を口にしながら、いそいそと出ていこうとする彼を見て、僕は彼に、

「利子はいらんよ。きっと、君はい画家になる」

といって、小さくお礼の言葉を繰り返しながら、彼の背中が消えていくのを見送る始末なのでした。

 そんな小さな嘘をつく日々が、やがて行きつけの喫茶店のツケの催促状となって、僕の生活を、ゆっくり侵食し始めたのは、今年の夏になってからのことでした。ちょうど、大陸産の……はて、確かなんとかという、新種のウイルスだったと覚えています……が、巷の人々の生活を、ゆっくりと変えていくのと同じくして、僕の生活も変わっていきました。

 まずは、ある風俗嬢の話をしましょう。僕が住んでいる町は、決して良い場所ではありません。いや、僕の住むアパートの窓からきれいな太平洋の姿が見えることを除けば、とても人が住む場所とは言えないのです。人気のない、寂れた街。住んでいるのは老人ばかりで、皆、学生運動の時代の人々です。僕のような若い人は、確かに住んでいるのもいますが、しかし、数は、とても少ないでしょう。そんな場所で、僕はもう3年も住んでいます。住めば都、とはよく言ったものですが、あれがもし日本の都であるというならば、この国は、もうおしまいです。

 そんな街にも、歓楽街はあるのでした。僕はそこにある風俗店の、とある嬢と関係があって、それも、お金を払わずとも会ってくれるような、いわゆる「セックスフレンド」というやつでした。髪の毛を長く伸ばした、雅な彼女は、僕のことを襲っては、あなたとならどこまでも行きたい、というので、僕は困っていたのでした。僕からすれば、自分欲求を満たせさえすれば、他のことはどうでもよいのでした。それに、彼女もきっと、自らの境遇を少しでも良くするために、僕にすり寄っていたのです……いや、しかし、作家生活するというのは、彼女生活よりも、はるか地獄らしい地獄であることは、言うまでも無いでしょう。

 浮浪者の数、それが増えたという些細な事実に神経が過敏に反応したのは、その彼女が、ひどくやつれた顔で、いつもは情熱的な行為も半ばに、半分泣きながら、僕の方によりかかってきた時だったのです。

「どうした?」

彼女は、僕に抱き寄りました。乳はそれほど大きくありませんでしたが、悲しくありました。華奢な体が、いつの間にか、皮膚と骨だけのようになっていました。寒かったので、リモコン暖房つけました。部屋は暗く、ぼんやりとしていました。

仕事……無くなりました」

お金か?なら僕が」

「いいえ、いりません」

 彼女はぼそりと言いました。言葉が空中で、飽和しました。

「困っているのだろう? 大丈夫。僕は作家だ」

貧乏な人に恵まれるのは、嫌なんです」

 貧乏な人。

 僕はその言葉に、ただぽかんと、宙を見つめることしかできませんでした。

「そうか…」僕はそう言って、立ち上がろうとしましたが、彼女が僕の男根を触ってきたので、そのまま動かないようにしました。

彼女は、一流でした。芸術家でした。きっと、マネも、ゴーギャンも、彼女を見たら、モデルにしたいと思うでしょう。僕は彼女なすがままに、身を任せました。気が付けば、僕の横で、彼女が倒れているのです。そう、一流の芸術は、それを見ているときには、芸術とは思えないものなのです。すべてが終わった後になって、それがそうだったと気が付いて、それで、唐突に称えるものなのです。

から僕は、称えようなどとは思いませんでした。同時に、彼女を貶めようとも思いませんでした。ただ、せめて何かの助けにならないかと、思ったのです。僕は、彼女が一流の芸術家であることは知っていたのです。僕は、隣で静かに眠る彼女を起こさないように体を持ち上げると、枕元に、なけなしの現金を添えて、着替えをして部屋を出ていきました。ホテルの受付で、彼女がまだ寝ていることを告げ、足早に去りました。

寒い朝でした。僕の心も、冷たく冷え切っていました。口から吐く息が白く濁って、真っ白な東京に溶けていきました。きっと、その息の中に、僕の魂も溶けているのでしょう。あと何十万回と息を繰り返せば、僕はやがて倒れてしまうのでしょう。そんなことを思いながら、僕は行きつけの喫茶店へ向かいました。毎朝、彼女と寝た日の翌日には、その店で一杯のコーヒーを飲んで、焼き立ての目玉焼きを食べるのが習慣でした。

彼女自殺をしたと知ったのは、その翌日のことでした。

もともと、払う金もなかったのだそうです。部屋で、薬を飲んで死んでいたのでした。ベッドの上で。僕は、そう、きっとあの時、僕が目覚めた時には、彼女は部屋で、既に死人となっていたのでしょう。「この世で最も重いものは、もう愛していない女の体である」という言葉は、案外的を射ているのかもしれません。実際、彼女の体は、ひどく重かったのです。あんなに華奢で、弱弱しかったのに、です。

彼女体重は僕が最後彼女の…生きている彼女…つまり、生き生きとしているという意味での…彼女に会ったときよりも、20キロも痩せていました。彼女の住んでいる安アパート大家さんも、同じことを言っていました。僕が作家であると言って、なけなしの三流小説のいくつかを持っていくと、取材とのことであれば、と言って大家さんは僕を家に上げてくれました。初老女性でした。しわの多い、低い声の、優しそうな老婆でした。

過食症ですよ、ご存じですか」

「いいえ、まったく」嘘。この春、僕もなったばかりでした。

「食べては吐くのです。精神的な病です。この前、私のところで、彼女のために飯を作ってやったのです。彼女は一人で、5人前も食べましたが、その後すぐに、全部吐き出しました。きっと、胃袋の中身は空っぽなのでしょう。私はそれを全部ふいてやって、それから今日は遅いから早く寝なさい、と言いました。彼女も、いくらかそれを理解したようで、その日は早く眠りました。えぇ、目の色が、死んでいましたよ。あぁ言う人は、良くこのアパートを借りるんです。きっと、そうして、死ぬのです。ここは、自殺の名所なんです。あの樹海なんかよりも、ずっとね」

 いつの間にか、僕は老婆の話に聞き入っていました。滅びゆく人間の話を聞くのが、好きだったのです。枯れていく花を見つめるのを、趣味としていた僕にとって、それは当然でありました。

「ほかにも、死んだ人が?」

「いますよ。伝染病流行ってから、もう3人目です。みんな孤独ですから、私が代わりに葬式に立ち会っているのです」

 一人は、サラリーマンでした。職を失って、いわゆる、リモートワークというやつになったのだそうです。画面越しに仕事をしているうちに、あぁ、彼は、自分が、他人に見られない場所にいられることに安堵したのだ。そうして、ふと、見られないならば、死んでもいいと思ったに違いない。アパートの二階で、首を吊ったらしい。大家の話によれば、彼の部屋に入ると、糞尿を垂らしていたという。きっと、すべてをあきらめた死刑囚と同じ気持ちだったに違いない。

 もう一人は、哀れ、まだ若い女子大生。彼女は、部屋のドアノブにひもを括り付けて、死んだそうです。生気を失った人というのは、ちょうどゴム人形のようなのだとのことでした。体液で、部屋の床が変色するのです。皮膚は、とても冷たい、冷たい。彼女遺言は、ただ一行だけで、それ以外には、何もなかったといいます

寂しい

 この一行に、どれだけの言葉がないまぜになっているのか、きっと君ならわかってくれるはずです。僕も、同じことを、何度思ったのか分かりません。

 彼女は、卒業を間近に控えていました。卒業論文を書けば、良かったのです。しかし、彼女は、家庭の都合から、泣く泣く大学を辞めたのだといいます。僕とは大違いです。たくさんの猶予をもらった、モラトリアム人間とは大違いです。彼女はまじめで、多くの人に悲しまれたといいます。それも一度だって彼女のことを見たことのない人も。

 特にテレビ報道はひどいものだったといいます。僕は、もうずいぶん長いこと、テレビなんて言うものは、俗悪で、卑猥ものと一蹴して、見てもいませんでしたから、そんなニュースを知りもしませんでした。彼女の死は、政権批判タネにされたのでしょう。大家も、今の政治はだめだ、と漏らしていました。その言葉を聞いて、僕は悲しくなりました。

 一人の死です。これほどまでに、あっさりと、人が死ぬのです。

 僕は、大家に礼を言って、その帰りに、例の少女の墓を聞きました。近くの霊園にありました。立派な墓だったのです。きっと、僕は死んでも、こんな立派な墓は立ててもらえないでしょう。立ててもらえるとしても、僕は断るつもりです。

 雨が降っていました。カエルが、一匹、彼女墓石にできた水たまりで、ゲコゲコと鳴いていました。名前は、よく見えませんでした。僕も泣いていたのです。帰り際に、僕は一輪の花を見ました。何の花かは覚えていません。でも、とても、寂しいことだけは、覚えています

949。

 この数字が、何を表すのかは、ご想像にお任せします。きっと、僕のこの文章を読んだ人の多くが、ピンと来るはずです。だってあんなに毛嫌いしていたテレビが嫌でもついていて、そうして、毎日のように流れてくれば、誰だって敏感になるのですから

「またいつか」という言葉の空しさを知ります

僕は狭い6畳のアパートにいます学生向けの小さなアパートです。大の大人が、借りているのです。近所の人はみんな、学生です。

若い人というのは元気です。今日は、お隣の音楽学校の生徒が、バイト先の人たちと、ちょっとした遊びをしに行くのだといいます。僕がそれを知っているのは、アパートの部屋の壁が、とても薄いからです。前は、男と女の、汚い喘ぎ声が聞こえて、僕はいつも、すぐに部屋を飛び出して、近くの銭湯へ行き、用もないのに、やれ、世間話に花を咲かせる老人たちと、碁を打ったりしたのです。ですが、ここのところは、彼女たちの電話する声しか、聞こえてきません。あるいは、その、例の「リモート授業」とでも言うべきものを、受けているのでしょうか。

コロナ禍において[判読不能]、あるいは、私たち自覚を持つべきです。若者が[判読不能]なことをしているために・・私たちが悪い…また今度。

そんな内容のことを、表では言いながら、例の、「遊び」には、行くのです。きっとこう書いて、そう、君、この文章ネット上で見つけた下世話な君は、ここだけを切り取って、「若者の乱れた考えが云々」という、お決まり文句を言うのでしょう。僕がこう言っても、きっとそういうに違いない。お好きにしてください。僕は何もしませんし、それも見ませんから

 大人には、彼らの気持ちが分かるはずありません。きっとあなたは、この文章を読んで、そんな気持ち、皆同じだ。お前だけ特別なことのように語るな。それに、何だこの下手糞な文章は。お前は、太宰治にでもなったつもりか、というでしょう。

 みんなと同じ。

 そうです。その通りです。僕は、みんなと同じです。みんなと同じく、孤独なのです。きっと、あの病院で遅くまで働いているナース彼女も、同じです。きっと、街中へ出て、夜まで飲んでから帰る政治家も同じです。みんな孤独なのです。孤独から、寂しいから、みんな、死んでいくのです。

 みんな同じなのです。みんな同じ気持ちなのです。ですから、みんな同じなのです。

 なんとか、なる。

 そう書いた作家もおりました。みんな同じです。

 みんなで耐えましょう。みんなで耐えれば、良くなります。今こそ、農村地帯の、あの共同で助け合う気持ちが、大切なのです。みんな、そういいます

 僕の故郷では、旅人が殺されたそうですよ。バレないように、死体は埋めたそうです。ドラム缶でよく燃やしてから、埋めたそうです。みんな同じです。

 僕は作家です。ですから、僕は今、目の前で起きたり、耳で聞いたりしていることしか、書いていません。それ以外のことは、妄想は、一行だって書いていません。僕の知り合いが、首を吊りました。僕の知り合いが、電車飛び込みました。もうすぐ、始まります。みんな、合掌しながら飛び込むのです。こんな世界に、何の希望があるというのでしょうか。

 みんな「またいつか」と言って、去りました。そのいつかに、用があるのに。そのいつか、は、もうやってこないのに。

 いつか、という言葉は、とても面白いのです。いつ、という疑問の言葉に、か、という呼びかけを付けるだけで、日本人は、未来を指せます。そして、いまでないどこか、今でないどこかに、この「現在から伸びる直線上に、架空の点を置いて、それを呼ぶのです。ひもを引っ張り続ければ、必ず訪れる、「いつか」をです。

 でも、これを英語で言うと、とたんに「See you again」という言葉になって、変わります。「またお会いしましょう」というのが、直訳です。また、というのは、いつのことなのでしょうか。僕には、わかりません。

 経験は、僕と未来の僕の間に、差を作ります。もしも僕が生きていたとすれば、そこにいる僕は「彼は昔の彼ならず」という言葉通りになります。何か大きな災害が起きて、僕は死んでいるかもしれません。何か、特別なことがあって、僕は生きているかもしれません。

 一般化された苦しみを、言葉に起こしてみました。

 それでも、あなたは、大人という生き物は「みんなと同じだ、我慢しろ」というのですか。

 僕はそんなこといいません。「僕も同じです」といって、そばにいます

 それが、今の僕が吐くことのできる、精いっぱいの嘘です。

メリークルシミマスになった話

それは昨夜…そう、12月25日夕方のことだった。

クリスマスから豪勢にシャレこもうかと思い、セブンの金のビーフシチューと金ハンバーグ食卓に並べ(クリスマスなので金で攻めてみた)、デザートチョコケーキもそっと並べ、よーしメリークリスマス!!と思ったその瞬間だった。

唐突に痛み出す右奥歯。

その段階ではまだ痛みレベル2(※最高の痛みを10とした場合)だったのでなんとか耐えられた。

この痛みは気のせいだと何度も自分に言い聞かせ、痛みに耐えながら晩餐を完食。

そして私は風呂場へと向かう。

今日のためにと用意しておいた森の香りバスボム風呂に投入し、僅かな歯の痛みを抱えつつ入浴。

すると風呂入ってるうちにじわっじわと歯の痛みが増してきた。もう森の香りとかどうでもいいくらい歯が痛い。バスボム結構高かったのにもったいない

その頃には愚かな私も気付いていた。

これは気のせいではない。虫歯だということに。

歯の痛みでなんかもう風呂とかどうでも良くなってしまったのでさっさと風呂から上がり、せっかくのクリスマスだけど早く寝ようと思った私は22時前だけど早々に布団に入った。

しかし本当の戦いはここからだった。

布団に入るや否や、歯の痛みレベルが急に7〜8ぐらいまで跳ね上がったのである

風呂で温まった体…良好になる血流…

思えば全てが必然のことだったのかもしれない…

普段は「薬など極力飲まないに限る」という方向性で生きている私だが、たまらカロナールを飲んだ。ロキソニンでないのは薬嫌いによるせめてもの抵抗のつもりであったのだ。

それから時間経った。

カロナールは一向に効く気配を見せない。

痛みレベルは8ぐらいで高止まりし、もう何も考えられない。痛い。歯が痛い。

痛みを紛らわそうとスマホをつけ、ピンを引いてオッサンを助けるアプリゲームとかやってみるけどダメ。ぜんっぜん集中できない。

クリスマスの夜なのに何やってんだろ私…と思ったら痛みと相まって変な涙が出てきた。

私は歯の痛みに負けた。

ついに禁断のロキソニンに手を出したのである

そして数時間後。

さっきまでの痛みが嘘のように激痛は去り、私は安らかな眠りについた。

大体午前3時〜4時くらいの出来事であった。

私は学んだ。

ローマは1日にして成らずだが、歯は1日でめっちゃ痛くなるから定期的に歯医者に通うべきだということ。

そして、これから辛い時はロキソニンに頼ろうということを…

Merry Xmas

今年1年頑張った

今日仕事納めだった。

今年中にやらなきゃいけない大量の仕事をなんとか片付けて、帰りに寄ったコンビニケーキチキンを買って、暇つぶしに付けたAmazonプライムクリスマス映画を見ながら1人でホールケーキを食べた。さすがに全部は食べきれなくて残りの半分は冷蔵庫に入れたし、ここ数年恋人もいないし、クリスマス映画なんか見ちゃったせいで人恋しい気持ちになったりしたけど、別に虚しいとかじゃない。元々1人でいるのが好きだし、結婚もする気ないし、来年も再来年も1人でクリスマスを楽しめる人生ならそれはそれで全然満足してる。

でも、ケーキを食べながらこの1年を振り返ってふと気付いたことがあって、それに気付いた瞬間なんか感極まってしまって、誰かに聞いて欲しくて思わずこれを書き始めた。

初めに前置きしておくと、悲しかたことじゃなくて、嬉しかたことの話なんだけど、たぶん私以外の誰にも興味ない話だと思うし、リアルで接点のある友達とか家族に話すにはちょっと恥ずかしいような照れくさいような内容なので、匿名がいいなと。

まず私は今社会人5年目の会社員なんだけれども、今までの人生において、努力というものを全くした覚えがないし、しようと思ってもできないタイプ人間だった。それで開き直って努力なんかしなくても別にいいじゃん、と思えるような人間だったら良かったんだけど実際はそうじゃなくて、努力できない自分に対して呆れるというか、なんというか、なんでもっと頑張れないんだっていう思いを常に抱いていたし、それがいつも苦しかった。こんなことを言うと自慢みたいに思われるかも知れないけれど、学校でも、習い事でも、どこへ行ってもいつも「やればできるのに何故やらないの?」と言われるような子供だった。そんなこと言われてもできないもんはできないし、「努力できることはそれが既に才能だから、その才能が皆無な私は一生中途半端人間で終わるんだ」という諦めがついてきていた。

元々器用貧乏の気もあって最初は何をやらせても人より上手くできるのに、しばらく続けているといつの間にか努力に追い抜かれていく。そんなようなことが人生のうちで数え切れないほどあって、プライドだけは高いのに能力はそれほどでもないっていう本当にどうしようもない自意識形成されてしまったと思う。だから私は基本的に人より優れていたい気持ちがあるのに満たされなくて、承認欲求が人よりも強い。

就活の時はそんなちぐはぐな人格を見抜かれたのか、行きたかった会社部落とされてやさぐれて、結局大学卒業の1ヶ月前になるまで就活もせずぶらついていた。そんな時、さすがに親もまずいと思ったのか「就活大丈夫なの?」と言われて初めてやばいと思った私は慌てて新卒向けのエージェントに行って担当営業さんに泣き付いた。どこでもいいから入れてくださいって言って、そしたらその人は困ったような顔で「この時期ですとさすがに求人もあまりなくて…接客業IT業界どちらがいいですか」と言った。どちらも激務で人不足な業界で、もうその2択しかないと言われた私は迷わずIT業界を選んだ。何故ならコミュ障の上に体力が壊滅的だったので、接客業なんて絶対に勤まらないと思ったからだ。そうして私はなんとかエージェントのお兄さんが紹介してくれた中小IT企業新卒枠に潜り込み、なんとか大卒ニートを免れることができた。

入社して数ヶ月は、研修と称してよく分からないシステム勉強をさせられていた。そこで教えてもらったプログラミング言語とかは結構しかったんだけれど、ここでも私はいものパターン想像した。最初の方のプログラミング課題では誰よりも早く提出できたし、それなりに評価されていたと思う。だからこそ、研修担当上司言葉が突き刺さった。

プログラマSEは、常に学び続けなければいけません。特にこの業界は旬の技術言語の移り変わりも早いので、努力し続けられない人はすぐ用無しになってしまます

優しそうな顔で案外厳しいことを言う人だなと思ったし、この言葉を聞いた瞬間、私はプログラマにもSEにも向いてないなと確信した。まだ入社1ヶ月だったけれど、周りに段々追い付かれている雰囲気も感じていて、既にやっていける自信が無くなっていた。

そうして数ヶ月の研修ののち私は業務委託SEとして現場派遣されることとなった。最初の頃は打ち合わせの内容を理解することすらできなくて、手順書通りにポチポチするだけの単体試験などをやっていた。最初現場では任せて貰える仕事が少なすぎて、暇すぎて、鬱になりかけた。それで、私は初めて暇すぎる仕事に向いてないということがわかった。次の現場ではまさに真逆で、膨大な単純作業をひたすらやらされる仕事だった。暇すぎるよりは忙しすぎる方がマシなんだと思ったけど、体調を崩して1週間くらい休んだ。其の次の現場でもやっぱり単純作業をひたすらやらされて、リリース前1ヶ月は毎日終電で帰っていた。そこで初めてやりがいのある仕事がしたいと思って、今度は企画寄りのことができる現場に入れてもらった。それが去年のことだった。ちょうど入社して4年目で、なんだかよく分からないうちに4年も経ってたなという印象しか無かった。SEは常に学ばなければいけないという上司言葉をすっかり忘れるくらいにはあっという間の年月だった。

そして新たに入った現場では業界で言うところの「最上工程」に位置するような、システム必要性から議論していくレベル仕事だったんだけど、これがなかなか楽しくて、やればやるほど認められるのが嬉しくて、これは割と最近の話だけれど、私はいつの間にかプロジェクトリーダーにまでなっていた。ついでに自社ではその功績が認められて、役職も付いた。

それで冒頭に戻るんだけれど、チキンケーキを食べながらこの1年を振り返ってみて、唐突に思ったんだ。あれ、私、今年1年めっちゃ頑張ってたじゃん。頑張ってたし、それが認められて、役職も付いたしプロジェクトリーダーにも抜擢されたし、努力できない人間は生きてる価値無いとすら思ってたけど、これが努力かどうかわからないけど、少なくともこの1年振り返ったときに私めっちゃ頑張ってたじゃん。そう思って、今までコンプレックスに思っていたことが報われたような気がして、ケーキ食べながら泣いた。そんなことで?って思われると思うけど私にとってはすごく嬉しかったし、救われた気持ちになったので、誰かに聞いて欲しかった。

なのでここに書きました。なんだただの自慢じゃんって思うかもしれないし、不快な気分になる人もいるかもしれないけど、その時はごめんなさい。もし最後まで読んでくれる物好きな人には、ありがとうと伝えたい。

2020-12-25

東方幻想万華鏡 紅霧異変の章 とかいう最高の作品

福神制作東方二次創作アニメなのだが、これがまたお気に入り作品なんだ。作画が神懸かっているのは当然のこと、演出構成テーマ脚本が非常に良く出来ている。

 この話は霊夢魔理沙の回想で話が進む。紅魔館での戦いと東方キャラオールスター宴会が楽しめるという豪華なストーリーになっている。魔利沙の回想はチルノとの戦いの後、紅魔館に潜入する所から始まる。まず館内のサスペンス映画さながらの不気味な雰囲気がいい。その後、子ども部屋に入ると唐突に後ろからフランが現れる。初っ端からラスボスと戦うという逆説的なストーリー展開に度肝を抜かれる。お馴染みのテーマと共に無表情で儚げな雰囲気を漂わせつつゆっくりと着地するフランの圧倒的強キャラ感。これがなんとも恐ろしい。興味津々に魔理沙を観察したと思いきや何の前触れもなく攻撃を食らわしてくる。うつむき加減に孤独を訴えた後、抱きしめたぬいぐるみ破壊し、今度は笑いながら「私魔理沙で遊ぶ!」と叫ぶ。この脈絡のない行動がフランの無邪気さと狂気を見事に表している。そして、フランとの戦いが始まると思いきや、シーンが代わり今度はレミリア登場である。暗闇の中笑みを浮かべるレミリアは美しくも恐ろしい。続いて幻想郷を覆い尽くす霧の演出も美しい。魔理沙フランの戦いに戻る。と思いきや、大魔法使いパチュリーの登場で戦いは中断される。魔理沙の動揺をよそに淡々と語るパチュリー強者オーラを放っている。「さすがは幻想郷ね。子どもがちょいとかじった程度の魔法でこの私をどうにかできると思うなんて、全く大した幻想だわ」と名言も炸裂する。当たりの風景が一転し、宇宙空間のような光景が広がる。1話の時点でバトルシーンに関してはお預けであるが、それでもよく出来た演出のおかげで見応えのある作品となっている。

 2話ではルーミア美鈴との戦いは端折られている。その分、咲夜戦はしっかりと描かれている。優雅なたたずまいを崩さず闇から現れる咲夜がなんとも美しい。雨あられの様にナイフが降り注ぎ霊夢に襲いかかるシーンは圧巻だ。裏をかい咲夜を捕らえ、ゆっくりと歩み寄る霊夢が頼もしく強者の貫禄を漂わせている。何より魔理沙フラン下りも丁寧に描かれている。周囲が自分を置き去りにして事を進めていく中、フラン孤独理不尽に打ちひしがれる。そんなフランを励ますかの如く周囲の光景が一転する。パチュリーに打ち勝ち、壮大なファンファーレと共に埃の中颯爽と歩く魔理沙はとても少女とは思えないほどかっこいい。尻込みしたフランに魔理砂は「他人に指図されないで自分の思うように生きようと思ったら戦わなきゃ駄目なんだぜ」と叱咤激励する。東方二次創作屈指の名シーンであり、筆者は勇気がほしいときに何度もこのシーンに励まされた。シンプルでごく当たり前だが皆忘れがちなことを思い出させてくれる魔理沙は流石であるフランは外に出るため、レミリア決闘を挑みにいくのだが、そのレミリアの姿が余りに美しいのだ。紅の光を浴びながらステンドグラスから外を眺める姿はなんとも形容しがたい。フランの反抗にも特に動揺した姿を見せず、まさに強者ならではの落ち着きだ。回想のレミリアは暗闇の中にいて姿がよく見えないため、その分もっと観たいという視聴者に思わせるのだ。秘すれば華なりとはこのことだ。振り向きながら浮かべる邪悪な笑みは背筋が凍るような恐ろしさだ。このアニメでは敵キャラ達がとにかく恐ろしく、美しいのだ。この演出は並の二次創作の及ぶところではない。

 3話で大詰めを迎える。魔理沙が見つめる中対峙する姉妹の姿も美しい。レーヴティンを手に孤独を打ち破り自由になるため今まで逆らえなかった姉に自分の思いをぶちまけるフランがとても勇ましい。このアニメ異変解決だけでなくフランの成長も描いた作品なのだ。戦いの最中レミリアフランを抱きしめる場面も感動のシーンだ。原作にはなかった姉妹葛藤と絆を描いているのがこの作品の魅力だろう。本編の魅力を損なわず新たな魅力やテーマを加えるというのは二次創作において非常に重要姿勢である。回想が終わり、宴会の場面に戻るがそこでレミリアフラン姉妹げんかが始まる。回想で葛藤を描き、最後に仲良く喧嘩する場面で終わるというのは最高の構成ではないだろうか。このように幻想万華鏡王道的な豪華さを兼ね備えた二次創作の鏡と言うべき作品なのだ

今年のことは今年の内に増田酢魔に地鵜の師床は床のし床(回文

おはようございます

年末年始ステイホームまたはホームステイかしら?

もうこの際どちらでもいいの!

海外家族と一緒に暮らし語学を学ぶような和製英語なんて窓から投げ捨てたいものね。

私さ、こないだ100円拾った話をしたけど、

3年前ぐらいにも100円拾った話をまったく同じ勢いでしていて笑っちゃったわ。

だいたい人って3年に1回100円を拾うことになってるのかしら。

まあそんなことより、

年末年始大人しくお家で過ごしていようかなと思いつつ、

今朝はクリスマスのこの時期に読みたい

4℃で朝食を』を読了したところよ。

クリスマスの日に読了とかなんとも皮肉

でもまた1つコンテンツを消化したわ。

人は3年に1度の頻度で100円を拾うなら、

人は何故コンテンツを積むのかしら?と

人生の例えでも出てくる、

ビアンカフローラ問題も私も話し頭つっこみたい仲間入りを果たしたいか

この冬はドラゴンクエストVでも冷やし中華ばりに始めてみようかしらと思うし、

ゼルダもあるしスーパーマリオ35も期間限定で遊び切っちゃわないと行けないし、

積みコンテンツがたくさんあるから

年末年始テレビは私ひょっとしたら一切見ないかも知れない生活になるかも。

一生に1度はビアンカ派?フローラ派?とかって言ってみたいじゃない。

それはそれでいいんだけど、

どうせなら息を吐くようにゲーム三昧といきたいところね。

まあそうは言ってられない問屋が卸さな海苔屋なんだけど、

コンビニおにぎりといいとこのおにぎりとの差は海苔の厚さだってことに気付いた昨今、

さて何しようかナーって

取らぬ狸の皮算用マジでゼルダの目前のイノシシを倒せないけどイノシシの肉食いたい想像をするようで、

また笑っちゃうわ。

この取らぬ狸の皮算用的なことにはなりたくないわね。

でも

ゲームもいいけどお節もいいけどカレーもいいけどうまく乳化できたカルボナーラもいいけどビリヤニでもいいけど

ここはやっぱり

新しい調理器具でも買ってきて

じっくりローストチキンでも作るレシィピも極めたいわ。

料理関係ここ最近なんにもやってないので、

じっくりことこと煮込んだおでんにでも挑戦したいし

作りたいレシィピはたくさんよ。

もうさ、

近所のお気に入りカレー屋さんでテイクアウトしていた割と本気のビリヤニ

なんちゃってじゃない割と本気のビリヤニなんだけど、

そのお店がなくなっちゃったので

ビリヤニ難民ビリヤニジプシーでもあるの。

テレビで紹介されていた近所のそのビリヤニ屋さんはきっと人が多そうだし、

あー私もまた新しいビリヤニが食べられるお店探しをしなくっちゃって、

もうこれオープンワールドじゃない?

年末年始のなにやるなにする100のバケットリストも作らなくっちゃ。

あー、でも嫌なこと思い出しちゃったわ。

経理処理帳簿付けなくちゃって。

最低でも月1回は経理の日にしなくちゃいけないので

ここぞとばかりに、

事務処理も捗りそうよ。

あ~思い出したわ。

また来年確定申告が即秒で終わるように今から準備しないとね。

時間があるときに溜めずにやっておきたいところ

今年の領収書は今年のうちに!ってお掃除マイペットみたいなこと言っちゃうわ。

そしてそして!

終わったらゼルダするし!

イノシシやっつけて肉にして焼いて食べるんだ!

正月はそう言った暮らしになりそうね。

でも

甥っ子姪っ子対策として、

スプラトゥーンマリオカート大乱闘スマッシュブラザーズを特訓しておかなくちゃいけないことも今思い出したわ!

一応目上としての面子は保ちたいところだし、

さすがに大人と言えども、

初見で彼らに勝てるとは思ってないわ!

わーやること一杯だわ。

イノシシ肉焼いてる場合じゃなかった。

遊んでいる場合でもないとも限らない

ここはペコパさんばりに肯定してほしいものね。

今年の汚れ今年のうちによ!

うふふ。


今日朝ご飯

喫茶店ちょっと寄ったので

Bセットにしたわ。

まあBセットって唐突に言われても分からいかと思うけど、

全国平均なBセットの相場と言えば

ピッツァトーストコーヒーなどのドリンクが1つつくセットと決まっているわよね。

以前モーニングが有名で名物一宮モーニング戦争

もとい一宮モーニング激戦区に行ってみたんだけど、

どこもここらへんは目玉焼きが付いてきてとても美味しかったわ。

思い出すわね一宮モーニング激戦区。

私の所のここみかん花咲く丘公園前の商店街の一番よく行く喫茶店のBセットはピッツァトーストよ。

美味しくて大好きよ。

モーニングだけにグッドモーニング!なんつって。

もう年の瀬ね。

デトックスウォーター炭酸レモンウォーラーケース買いしてきたので、

1本冷やしておいたのを飲んだわ。

朝はちょっと寒いけど、

何故か冷たいものを求めてやまない時があるに決まってるじゃん!

って瞬間でした。

冷凍三日月切りにしたレモンがあったので、

レモン氷にして浮かべてみたわよ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2020-12-24

人間って雑に扱った方が好かれるんじゃねえのか

会話が盛り上がっているところで唐突に中断→いい印象を残したまま次に会える

会話の肝心なところを言わずに終了→続きが気になって次に会うまであなたのことを考えてしま

ラインにすぐ答えない→ラインでの会話にありがたみを感じるようになる


人間ってくだらねえわ

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