https://iza9999vr.hatenablog.com/entry/2021/01/16/182118
この記事を読んで。
これまでの人生でなーーーーんにもクリエイティブなことなどやってこなかった自分が、Twitterでネタツイを投下しては10likeぐらい貰ってニコニコしているだけだった自分が(なおフォロワーは4桁いる)、去年から唐突に絵を描き始めた。
自分の場合、この記事の前半で述べられているところの「勘違い」をする余地はまるでない。今日もTLには神絵師の神イラストが何枚も何枚も何枚も流れてくるし、4桁RTされている絵にはそれぞれきちんとした理由が見いだせて、「こんな落書きが拡散されてるのは単にフォロワーが多いだけだろ~?」などと難癖を付けることなど到底不可能である。ただ自分でもやってみたかった。たった1枚でもいいから自分でもすげェと思える絵を描いてみたかった。それでiPadとクリスタに向かい始めた。
そんな自分だが、勝算(ここでは最後まで折れずに目的地に到達できることを意味する)があるとするならば、志が著しく低いという点が挙げられる。つまり神絵師たちあるいはその卵たちが様々な表情、様々な構図、様々な表現技法、様々な流行、皮膚の下でうごめく様々な筋肉の動きを研究している間、自分は十年一日で同じポーズ・同じ角度の絵をひたすら練習していれば良いのだ。顔のラインを引く理屈はまったく分からずとも、神絵師のイラストから理想だと思われる角度と比率を算出することはできる。pixivの「目イキング」タグを漁って猿真似をすることはできる。幸い3Dグラフィックソフトがほんの少し使えるため、アイレベルだかなんだか難しいことは計算機に教えてもらう。塗りは……これは反復練習しかないな、つらい。経験の蓄積がゼロ、ならば同じことをやって勝てるわけもないし伍することができるわけもない。ただただ一点突破あるのみである。
とまあ偉そうなことを書いたが、今のところ成果は何も出ていない。どちらかと言えば自分を鼓舞するための応援文に近い。ただ一つ──何か新しいことに手を出し、着実にそれが身に付いていくというのは、楽しい。単純に「できることが増える」というのは、嬉しい。これだけでもお絵かきを始めた意味はあったと感じる。
同じような場所で足踏みをしている人の背中を押せれば幸いである。
【追記】
フォロワー数への言及が気に障った人がいたようで申し訳ない。フォロワー数に比して反応が少ないイケてないアカウントであるという趣旨だった。
(なおフォロワーは4桁いる) ってどうしてこんなに臭いんだ?
う